やさしいすまい

バリヤフリーからユニヴァーサルデザインへ

戦後日本人はプライベートな私物、あるいは財産として、まるで車を買いかえるように住宅を「購入」してきた。ちょうど車にグレードがあり、ある車種だとある地位の象徴となるように、である。
だがそもそも「居住空間」とは、生命の安全と健康を守り、子供をすこやかに発達させ、家族のやすらぎという福祉の基礎としてあるのではないか。戦後どうして、そうした福祉の基礎となるような住宅づくり、まちづくりにならなかったのか。
「居住福祉の論理」早川和男・岡本祥浩著 東京大学出版会 ではこうした観点から、日本全国の調査をもとに多くの実例をあげて現状の問題点を洗い出している。
「急速な高齢化社会を迎えようとしているのに、安心して住み続けられる住居がなければ、在宅療養など到底おぼつかないし、老人は生きる勇気を見失うであろう。医療費の伸びはとどまるところを知らず、社会保険制度の諸機能は住居の貧困によって歪められ、その尻拭いに終始させられる可能性がある。そうであれば、日本は長寿社会ならぬ老残社会となることを免れないであろう。福祉とは人間らしく生きる社会的条件をつくることであり、住居はその基礎である。住居が貧しく不安定なままでは、どのように経済が成長しようと、見かけ上の賃金が高かろうと、人々の生活は成り立たず、まして豊かさなど得られようはずはない。健康と自立を支える住環境が存在してはじめて、医療・年金・個人サービス等も本来の役割を果たしえよう。居住環境ストックが生活を支える社会の構造をつくらねばならない。」
「安全で健康的・快適で、安心して住める住居と町の存在自体が福祉であり、他によっては代えられぬ固有の役割を果たすものであるという、<居住福祉>の論理を展開し、それに基づく社会政策としての居住政策の必要性を提起する」
「現在の住宅政策の目標は人々の暮らしの質を向上させることであって、家を持たせればよい、ということではない。持ち家至上主義の政策によって、国民の住まいへの欲求は、見かけ上の資産価値の増大にすりかえられ、生活の質向上に結びつく政策への世論を形成しなかった。」
おどろくべきことに、「一国の住宅事情が良好で、住宅の居住性が良く、広さが家族の成長にも十分対応できる余裕のあるものであり、居住の継続が保障されておれば、多くの人はその土地に長く住みつづけたいと考えるだろう。しかし現在の日本人は、家族が生活できて、家賃・住居費を支払えるぎりぎりの大きさと通勤可能な家に住んでいることが多いから、家族の人数が増えたり子供が成長したり収入が増えると、すぐに転居を考えるようになる。家賃の値上げ、家屋の老朽化、建て替え、立ち退き、生活環境の悪化、通勤の不便等々も転居に結びつく。総務庁統計局が行った<1983年住宅統計調査>によれば、1979年から83年の5年間に転居した世帯は1,136万で、83年現在の全世帯数の約3分の1。転居の理由は、結婚・就職・転勤などの34.7%に対し、家の狭さ・家賃の高さ・住環境の悪化など<住宅事情>が全体の44.7%を占める。」
この著作では、傷病者、子ども、高齢者という、住居の状態からもっとも影響を受けやすい人たちを対象として、住居との関係を調査・考察している。

建築法規関連では、1994年に「高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律=ハートビル法」が施行された。内容としては、建築物の出入口、廊下、階段、昇降機、便所、駐車場、敷地内の通路などを改善もしくは利用上配慮すべき基準についてまとめられている。ただ現状では、設計者は健常者の視点からそれらを「取り入れ」ているにとどまっていて、チクハグな運用に陥っているきらいがある。(たとえば駐車場の手前側に身障者用パークスペースがあるのに、出入口のスロープは駐車場の奥にいかないと寄り付けない、車椅子からの視線だとスロープがわからないなど・・)

これとは別に、1995年に総理府が出した「障害者白書」には四つの障壁(バリア)として、
@ 物理的な障壁
A 制度的な障壁
B 文化・情報での障壁
C 意識上の障害
を取り上げていて、それらのすべてを取
り除くことを「バリアフリー」と呼んでいる。一般的に、バリアフリーというと物理的な障壁のことを想起してしまうが、その物理的な障壁があること、そのままにされていることに表現される<精神的>な障壁の方が実際はなかなか突き抜けられない、取り外すことができにくい障壁である。

長崎でてこいランドの設立や、さまざまな障害者用の補助器具や家具をつくる「でく工房」の設立者でもある光野有次氏の「バリアフリーをつくる」によれば、
「いまではすっかり暮らしの中に定着したテレフォンカードだが、50度数のカードと105度数のカードは、目を閉じてもその区別ができるようになっている。また、目を閉じたままでまちがいなくカードの向きを確かめることもできる。そのしかけは、カードの一部の小さなきりこみにある。
日本銀行券(お札のこと)もよく調べてみると小さなしかけがある。左下すみに、一万円札なら丸い凹みが横に二つ、五千円札では縦に二つ、千円札には一つ、それぞれついている。(中略)シャンプーとリンス。お風呂の中で仲良くならんでいるのはいいが、シャンプーのつもりが、いやに泡が立たないなと、失敗した経験のある方は少なくないはず。最近はきっとまちがいが少なくなっていると思います。大手(?)のメーカーは、シャンプーの容器のちょうど手で持つと指がふれるところにギザギザを付けたからである。(中略)これらはすべて視覚障害者にも使いやすいように配慮されたものであるが、ときにはそうでない人もその恩恵にあずかっている。1」
最近の炊飯器やポット湯沸器には、同じく視覚障害者や、聴覚障害者にもやさしく使えるように配慮したものも多くなってきている。(音声表示や、ランプ表示に配慮してあるので、健常者にもたすかる)
「また最近は、自動販売機や券売機にも工夫が見られるようになってきた。手が少しくらい不自由な人でもコインの投入が楽にできるようになったものや、子供や車椅子利用者にも手が届くようにしたもの、さらには車椅子でも接近できるように下にスペースの余裕を持たせたものなどである。
これらはこれまでは、バリアフリー商品とか共用品などとも呼ばれてきたが、最近はユニバーサルデザインという呼び方もされるようになってきた。この言葉は、電動車椅子を利用し、呼吸の補助のための酸素吸入のチューブをつけているロン・メイスというアメリカ人がつくったものらしい。彼はユニバーサルデザインについて以下のような原則を示している。
@ 公平な利用(いかなるグループにとっても役に立ち、購買可能なデザイン)
A 利用における柔軟性(個人的な好みや能力の広い範囲を許容するデザイン)
B 単純で直感に訴える利用法(ユーザーの経験、知識、言語力、あるいはそのときの集中力レベルに影響されることなく、使い方が理解されやすいデザイン)
C 認知できる情報(とりまく条件やユーザーの感覚的能力とかかわりなく、ユーザーに対して効果的に必要な情報を伝達するデザイン)
D エラーに対する寛大さ(危険を予知しないか、あるいは意図しない動作のもたらす不利な結果を最小限にするデザイン)
E 少ない身体的努力(効率が高く、心地よく、しかも疲れの少ない状態で活用されるデザイン)
F 接近や利用のためのサイズと空るいは移動能力とかかわりなく、近づいたり、手が届いたり、操作したりするために適切なサイズを空間が十分に整えられているデザイン)
ロン・メイスはノースカロライナ州立大学に属するユニバーサルデザインセンターのディレクターをつとめ、ユニバーサルデザインに関する国や企業とのプロジェクトや啓蒙活動などをおこなっている。建築や工業デザインの分野におけるユニバーサルデザインの中心的な人物である。2」
光野氏は端的な例として、視察のために訪れ、滞在したスウェーデンのアパートで見た、エレベーターの押しボタンを掲げている(それは視覚障害者や、数字が理解できない小さな子供も、知的障害をもつ人にも開かれている)。
やさしさを一義的なデザインではなくて、多元的、多次元的デザインとして展開していくこと、これはちょうどエコロジカルデザインの方法論と近似している。ひとつのことがいろいろなことにつながっていること、として受け取ること、理解すること、そうした能力が求められている。


ノーマライゼーションへ向けて

もう10年近く前の話だが、大学院時代の同級生がベルギーに留学していた。彼は妻とともに留学生活を送り、ベルギーで長男が誕生した。しばらくして、長男を乳母車に乗せて家族で市内を歩いていると、ちょうど地下鉄の地上出入口にさしかかった。同級生が乳母車をかかえねば、と思った瞬間、その場にたむろしていた刈上げ頭(モヒカン=トサカ?)に革ジャンずくめの怖そうなオニイサン達が乳母車に取りついてきて、その勢いは「さらわれる!」と夫婦が思ったほどであったらしい。ところが彼らは、乳母車を抱えて地下鉄の長い階段をおろしてくれたのである。
これに類することは、妊婦に対しても社会的いたわりとして、かの地では日常的であるらしい。思えば、人が障害者(ハンディキャップト)であるのは、人生を通じて何回も起こりうることであるのに、人はすぐ忘却してしまう。赤ん坊や子供、妊婦、足が弱った老人、怪我をした人、あるいはそうした人に同伴の人にやさしい社会は、当然のごとく車椅子の人にもやさしい。
しかし私もそうだが、日本ではなかなか手を貸すのに勇気が要る。この違いはどうしてだろうか?

極論すると、日本には社会がないから、先述した「おおやけ」がないからだと言える。イスラム教、ユダヤ教、キリスト教では「神」とでも契約をする。ということは「神」も異質な「他者」であるからに他ならない。
そうした共同体は、「他者」の存在によって構造化(社会化)されているが、日本は同質性の上にあるわけだから(同質性というのも一つの神話なのだが…)、これは社会というよりは、おおきな共同体=おおきな村、もしくは村の集合でしかない。悪く言えば、どっぷり漬かれば居心地の好い湯船であって、湯船という利害関係しか介在しない関係である。それと「絶対他者」との契約に基づく理念や、原理、そうした論理上での利害ではない正当性を争う次元とは世界が違う。

たとえば「市場原理」は、西欧の感覚で表現すれば、神が見据え、フェアな行為が最大限求められる「公式競技場」のことであるが、日本では「私設リング」の規模の話になってしまうところに、談合が生じる背景がある。
制度上の、文化・情報の面で、あるいは意識上の問題でのバリアをどういうふうに解決していくのかが方法論的にも、あるいは政治的にも問われている。

エキセントリックな表現になってしまうが、近代日本がなおざりにしてきた、被差別部落や在日朝鮮人などの問題と、文化を統制、編集する働きをもつ天皇制(誤解されやすいのであえて言うが、実際の天皇とは違い、日本文化を支えるシステムのこと)とはこうした観点においては連続している。あくまで「他者」は存在しないことになっているからで、だから乳母車や、妊婦、障害者などの、その立場のリアリティは認識されない。いわば文化のありようの反映なのだ。これらの課題も、高齢化社会と、エコシステムにどういうふうに<文化>を開いていけるのかという観点から再度、検討吟味しなければならない。

余談になってしまうが、健常者がイメージする車椅子利用者の感覚は、どうもずれているらしい。「佐賀でてこいランド」建設準備のためのイベントや、講演で見聞きしたことによると「健常者が車椅子を擬似体験するには、車椅子の上に正座して乗って、段差や、スロープを体験してみるのが一番いい」とのこと。たしかに咄嗟に足が使えない状態で車椅子を体験すると、住宅の中や街の中が恐怖に満ちた空間に変容する。歩道はひどく傾いていて、まっすぐ進めないばかりか、車道の方へ向いてしまうし、不意の段差や、側溝蓋の穴で前輪をとられて、前のめりにもんどりうってしまう恐怖に襲われる。


住宅金融公庫の高齢者対応仕様の内容

 住宅金融公庫仕様でも、バリアフリーの最低基準を設けている。計画上の内容としては、
@ 部屋のつながりに配慮すること
A 段差を解消すること
B 廊下の幅員を確保すること
C 各室への出入口の幅員を確保すること
D 浴室の広さを確保すること
E 住宅内での階段をゆるくすること
F 主要な箇所に手摺を設けること
が主な項目である。

@ については、高齢者の日常生活を最低限確保するために必要な空間→玄関、洗面所、脱衣室、浴室、居間、食事室は、できるだけ同一階で近接した配置にしたほうが良い。在宅介護の観点からは、特にトイレや浴室に余裕を持たせて、介護者が入り込めるスペースをあらかじめ計画しておいたほうが良い。

A の段差がない、という定義は、3mm以内に仕上の違いを納めること、としている。老齢にしたがって、すり足気味になるので、できれば3mmも無いほうが良いと思われるが、造作上の理由でたとえば敷居と畳の段差が約3mm違うということは一般的である。また最近は浴室出入口の段差を解消する排水機構付きの敷居セットの既製品もある。

B 廊下の幅員は、780mm以上としている。ただし、これは最低寸法なので、屋内用車椅子などで、廊下に面した部屋に入り込める寸法は1200mm最低必要である。また廊下で車椅子がUターン可能な幅員は1400mmと言われている。さらにこうした計画には、出入口の扉の開き勝手も大きな比重をしめる。特に開き戸では、車椅子利用者の利便性が著しく低下する。(進行方向に押し開けるのはどうにかできるが、手前に引く、という動作は車椅子には難しい)

C 出入口の巾も最低750mm以上としているが、車椅子利用を配慮すれば800mm以上必要である。

D 浴室は短辺方向を1300mm以上、面積を2.0平米以上。(長寿指針基本レベルでは、それぞれ1400mm以上、2.5平米以上)→本来、ちゃんと介護のことを想定すると、頭髪のシャンプーなどが行える余裕が必要で、1400mmではこころもとない。

E 階段の勾配を22/21以下、踏面(T)の寸法を195mm以上とし、かつ踏面と蹴上げ(R)の寸法は、550mm≦T+2R≦650mmを満たす寸法としている。

F 手摺は浴室、廊下に設置することとしている。

 その他、温熱環境についての配慮をすべきこと、水栓金具など操作がしやすいものにすること、ガス調理器は立ち消え安全装置付きのものとすること、ガス漏れ検知器を設置すること、便所や浴室にはできるだけ通報装置を設置すること、としている。

温熱環境について触れているのは、やはり灯油ストーブや、電気ストーブでの事故が多発しているという背景があるから、というのと、トイレや浴室といった日常頻繁に使用する単位空間と居間などの急激な温度変化による脳梗塞などの発生に注目しているからである。実験でも、幼児や若年齢と比較して、高齢者は暑さや寒さに対する感知レベルが低下するということが知られている。高齢者に照準をあてると、夏はクーラーが効きすぎになる傾向になり、反対に冬は暑くなりすぎる傾向になるという。

熱環境対策の変遷

高齢者のみならず、幼児などにも適切な温熱環境として、前回触れたような、輻射温熱環境を整えることに次第になっていくと思われる。現在エアコンなどで問題となっている、頭熱足寒という不快感も防げるし、室内開放型の室内空気汚染もない。さらに、エアコンなどの空気の吹き出しもないので嫌悪される気流もない。そしてなにより、急激な室温変化がなく、エクセルギー的に見ても低い質のエネルギーですむので、地球環境にもやさしい温熱環境になる。低い質ですむというのがみそで、必ずしも石油や電気に頼らないでも可能になり、自然エネルギーの利用にもつながる。そして火災や火傷の心配もない。
事例を説明するまえに、温熱環境の変遷から触れてみる。

 昔の暖房では、囲炉裏や、火鉢、炬燵、あるいは暖炉があげられる。冷房はない、と言えるが、さまざまな涼冷のための「しかけ」がある。それらは、すだれ、葦戸、うちわ、風鈴、みずうち、などである。
 上記の暖房熱源温度は炭や薪の燃焼温度で約300℃である。
  
明治維新後、洋風建築などでは現在も使われている「蒸気暖房」や「温水暖房」も使用され始める。ボイラーで蒸気や温水を発生させて、その熱を室内に設けた放熱器(ラジエーターやコンベクター)によって暖房する。この熱源の温度は、蒸気で100℃、温水では約80℃である。


 1960年以降、輻射方式の温水暖房が現れはじめる。スキー場の施設や、寒冷地のホテルに多く使われている。この熱源の温度は約60℃である。

1910年代からは、本格的な空気調和設備として、冷凍機とボイラーを組み合わせたセントラルエアコンが登場するが、この熱源温度は、温水熱源としては60℃、冷水熱源としては5℃である。

1960年以来、施設規模で使われている冷温水ヒートポンプエアコン=ファインコイル冷暖房の熱源温度は、温水50℃、冷水7℃である。

現在、住宅でも使われているエアコンの熱源温度は暖房で45℃、冷房で-5℃である。

現在、多くの住宅用床暖房システムの熱源温度は50℃近辺で、一部のものは45℃である。

躯体輻射冷暖房システムでは、温水35℃、冷水16℃での実績がある。
以上熱源温度に注目して変遷を見てみると、次第に人間の体温に近づいてきているということが理解できる。その分、環境負荷が少なくなり、室内環境汚染も無い。高齢者にとっても最適な環境を作り出すことができる。
F邸では、深夜電力を使った床暖房を採用して、室内温熱環境の計画段階でのシュミレーションを試みた。今年の冬にその成果が試されることになる。
F邸の床暖房システムは、ごく一般的な電気式のものではなく、水道水を封入したレトルトパック状の蓄熱材を深夜電力(通電は夜の11時から翌朝の朝7時までの8時間のみ)を使い蓄熱材下のシートヒーターに通電して加熱する。
一般的な電気式床暖房は、通電している時間帯のみ、ちょうどホットカーペットのようになり、オフにすると急速に冷めてしまう。経済性の面からこうした電気式より有利な温水式のものもあるが、これも同様である。双方とも蓄熱材を装備した製品も見うけられるようになってきたが、去年('98)の時点では、構成する部材に合成樹脂や発泡スチロールなど環境負荷の大きい素材を使うものが多かった。

そうしたなかで、施主サイドからの提案でこの「アクアレイヤシステム」を採用することになった。
コンクリート系の住宅では、コンクリートの躯体に蓄熱するというのが合理的だし、自然であるが、木質系住宅の場合は適当な蓄熱材が見当たらない。後述するA邸(木造)のように1階の土間部分にコンクリートを使い、それを蓄熱材として活用するという方法があるが、この場合でも2階部分での利用はきわめて困難である。
温水式のもので、銅配管をおこない、つなぎ目を蛇腹状にして多少の伸縮に追随できるようにしているものがある。これはコンクリートの中に打ちこんでしまうものより「動き」が出やすい木造の床などに配管するときには必須な配慮で、木造での温水配管システムには、すみやかには止水しにくいという欠点をもつ。また熱源が高いほど、さまざまなスキマができやすい木造においては結露によって生じた湿気をどうするのか、ということも頭が痛い問題である。
アクアレイヤシステムは、そうした課題に答えるもので、@木造住宅の水平部材(1階に限らない)を蓄熱材に変える、という性能を持ち、A内部流動性があるのでひとつひとつのセル(根太間に詰められたレトルトパック状の水袋)のなかで対流をおこして表面温度を均一化し、B断熱境界面より室内側の方の温度が相対的に高く、結露を生じにくくしている。アクアセルの素材は、もともと冷蔵庫の真空断熱材の表面材として開発されたアルミ蒸着フィルム層なので、ピンホールや長期的な融着部分での耐久性が大で、水漏れは素材の欠点からは生じない、ということである。

ひとつひとつのセルが独立しているというのも、大きな意味では、水漏れに対してフェイルセーフな考え方ともいえる。さらに、ダイレクトゲインを構成する部材としても単独で利用(シートヒーターなしでも)できる。F邸では二階において、部分的なダイレクトゲインシステムを実現させたが、冬季の条件が良ければ、A邸のようなシステムを二階でも可能にすることが出来る。
床材下のアクアレイヤ表面温度も、実績では約25℃で運転しているということで、ある例では約20℃でさえも「寒くはない」とのこと。シートヒーターではなくて、太陽熱でアクアレイヤをあたためるとか、あるいは太陽光発電の電力でシートヒーターを運転したいところだが、開発者の前田さんによれば「昼間の最大電力消費量に焦点をあてて発電規模が設定され、昼夜発電されているので夜には電気は捨てられている、というのが現状で、深夜電力を積極的に使用するというのも価値がある」というのも頷けはする。

A邸では、ダイレクトゲインの蓄熱土間の中に、補助用に温水床暖房をとりいれている。これは架橋ポリエチレン管をダブルで渦巻き状に配管して、往管と復管とが入り混じり、床面の局地的な温度差異巾を極力低減している。熱源は、これは石油床暖房用ボイラー(温水ポンプを内臓しているもの)である。
 太陽熱温水器は、現在のところ給湯することを主に想定して生産されているので、貯湯タンクや熱交換器、補助ボイラーなどのシステムを床暖房用に組むと莫大な金額になってしまう。(一般的には夏過剰設備になる)地下水(寒冷地以外では年平均気温=約15℃近辺)などを使い、多少の熱損失を考慮してもそれから約15℃を太陽熱で昇温させ床や壁、天井の輻射暖房に利用する、という時代がくるであろう。

ずっと自分の家ですごすために

 楢山節考などの姥捨て山のはなしは悲惨であるが、むかしの高齢者は今ほどはさびしい状況にはなかったように思える。むかしの高齢者みたいに補助労働力として、労働を担わされることはなく、過酷な日常ではなくなったが、現代の多くの高齢者は子供家族とは別に暮している。家族構成の変化は、やはり最大の要因は産業構造の変化と、それがもたらした消費文化の影響である。
 高齢者介護を家庭内での作業、それも暗黙のうちに嫁や、娘という女性が担わされてきた作業であるという括りかたを、金銭的に補助の対象(もしくは保険料を払って得るサービス)となる行為として一般化したのも今回の介護保険が光をあてたことではある。

 だが、むかしは三世代同居が当たり前であったし、現代の過疎地域、たとえば山間地の集落に高齢者が多い、ということはありえなかった、と言える。想像上の理想的な関係になりそうだが、そうした家族環境にあってこそ、身近な自然環境から利用可能な資源を、循環的に使う知恵が受け継がれてきたのではないだろうか?逆にいえば、そうした利用できる資源環境を背景としてむかしの「家」があった訳だし、その限られた(石油由来物質で水増しできない)利用権を相続していたから多くは長男しか受け継げなかった。そしてそうした家族構成を前提とするなら、なにも車椅子でも住める家をあらかじめ作っておくという発想もでてこない。

 いいたいことは、支える手がなくなったからといって、便利な代用品を求めるばかりではなく、社会的な「手」を準備し、整えていくことも重要だという点である。そしてそれは、高齢者介護からの視点だけではなく、地球環境保護の観点からも地域分散型の社会作りが必要であるということに/ことへつながっていく。


手足をのばす

 ごく日常的に使いやすく、介護の時も自分自身が不調の時も、けがをしたときもいくらかの補助器具やすこし手を加えれば気持ち良くすごせるように、介護側が苦労するトイレブースではなく、トイレを含めた水廻りの参考例を示す。(A邸浴室)
こうするとたとえ車椅子のひとが突然に来訪したとしても充分対応できるだろうし入浴にあたっても浴槽への乗り移りの補助器具があれば車椅子のひとでも容易に入浴できる。
前回取り上げた、O邸のはなれでも、台所やトイレに連続する土間空間には段差をなくして車椅子での生活にも対応できるように計画した。キッチンシンクも、レンジ台と共に、ジャッキの連動によって簡単な操作で昇降できるようにして、健常者の身長の違いによるカウンターの高さの調整
や車椅子での調理でも対応できる。
その他、H邸やOH邸、F邸でも、水廻りに余裕を持たせたバリアフリーの水廻りとして、快適に利用できるように計画している。


F邸では、前面道路のレベルから敷地が約1m上がっているので、玄関ドアまでは階段で寄り付くことになる。このため現在すでに足が弱っていらっしゃるご両親が、将来もし車椅子の生活になったとしても、玄関の階段を使わないでも居間に乗り上がることができるように、車庫奥に段差解消機を設置している。これは現在、重い買い物の荷物を上げることなどにも利用されているようだ。また内部の階段も、転落時に危険な直線状のものではなく、踊場付きの階段にして、蹴上げを小さくして昇りやすくしている。
浴室やトイレ廻りの適切な位置に手すりを設けている。玄関先にも靴履き用のベンチを設け、座った姿勢から手が届く位置に手すりを設けている。

 補助器具についても、最近いろいろカラフルで楽しそうなものが出まわり始めている。怪我をしたときなどに使ってみて、生活のなかにあらかじめ採り入れておいたほうがいいだろう。
ベッドの高さについては、最近は昇降機能が付いたものがレンタルされているので、そのベッドが利用できるように計画に採り入れておく方がいい。要介護者にとっては、その自立生活を支援し、維持するためにも自力でも起き上がれ、立位への移行や車椅子への移乗などの動作がスムースになるような高さにしたいところだが、介護者が介護、看護しやすいベッドの高さと食い違いがあるからである。介護者にとってはベッドは高い方が作業がしやすいが、それでは要介護者をベッドに縛り付けておくことにもなりかねない。
しかしそもそも介護用ベッドばかりでなく、伝統的建築では建築を構成する寸法規則が優位であって、その寸法に布団の寸法が合わされているのであるから両者を使う上で空間的な配慮にも違いがあるのが当然である。
さらにここでも熱環境的な空間そのものの質の違いが浮かび上がることになる。欧米の暖房システムは、おおむね全館、フルタイムの暖房なので、ベッドの寝具も簡単なものがおおいし、それは夏冬同じ、ということもあるのである。なにより湿気は日本とくらべて著しく低いのであるから、ベッドメーキングの作法上でもマットにぴったり掛布が巻き込まれる。ホテルのような空調が行き届いた空間であっても、湿度の多い日本にあっては就寝中、掛布の中の湿度を調節するために掛け布団みたいにマットから掛布を出してしまい、足元を開放する、というのが日本人の習性であろう。
こういう面でも、かつての局所暖房や、病院などで院内感染経路として注目されている空調システムからの展開として、来るべき「輻射温熱環境」への道筋も正当化されるだろう。


諸制度について

リースバック、リバースモーゲージ方式などの、住宅や土地などと見かえりに介護サービスを受けるというシステムが模索されている。一部の地域介護先進地(たとえば三鷹市など)では実例があるようである。
この方式について詳細を調べようと厚生省に電話で問い合わせたところ、現在法制化に向けての作業中ということで、内閣法制局扱いということであった。しかしこれだけでは低所得者などに対する助けとはならない。社会全体の「居住福祉」整備の青写真がまず必要だろう。
 

高齢化      やさしいすまい      ながもちするすまい      つくりあげていくすまい