『私はアイラ。イザークの王女アイラだ。』

オイラはデューだよ。……よろしくね、アイラ……さん。



『シャナンと一緒に稽古つけてやる。』

いいの?やったぁ〜!



『デュー。平気か?』

大丈夫だよ。ちゃんとエーディンさんに治してもらったから。



『私は……お前に傷ついてほしくない。』

何でそんな切ない顔するの?どうして……



『好きだから。だから放っておけない……。』

好き…?俺のことを……?好きだって言ってくれるの……?



『世界中の人間がお前を責めても、私はお前の傍にいる。』

他にはいらないよ……。あなただけがいてくれればそれで……



『子が……できた…らしいんだ。』

え……!?ホントに?……嬉しいなぁ。



『名は男だったらスカサハ。女だったらラクチェにしよう。』

いい名前だね。早く生まれるといいなぁ。



『スカサハの目…お前にそっくりだ。』

そう?アイラさんに似てると思うけど……。ま、いっか。



『この戦が終わったら、一緒にイザークへ行こう。』

生きて帰ろうね。そして、四人で幸せに暮らそう。



『私は……』

ん?何………?



『あなたを愛している。』











「アイラ………。」
 目を閉じればあなたの顔が。
 耳をすませばあなたの声が。
 仮面を被った表情(かお)も。寂しげな表情も。自分を心配していた表情も。 嬉しそうな笑みも。切なそうに泣いた表情も。子供を愛しむ母の表情も。 愛を告げてくれた時の、恥ずかしそうな悲しいような表情も。
 全て覚えている。色あせることもなく、今も鮮明に。
 十一年という時が経って。少年の時を終え大人になった。
 あなたを失ったあの日から、それだけの時が経ったというのに、 俺は今もあなたを愛している。
 あなたは本当に、石の眠りにつかされてしまったの?
 もう二度と、あなたの笑顔を見ることはできないの?
 俺を呼んだあの声も、聞くことはできないの?
 信じられない。信じたくないよ……
 叶うことならば。全て偽りであればいいのに。





 石の中。あなたは俺を恨んでいますか?
 俺と結婚したこと、後悔していますか?
 俺はあなたを愛してた。いや、今も。
 どうか信じて。俺の愛だけはせめて。
 あなたを本当に狂おしいほど愛したことだけは。
 俺は地獄に落とされるだろう。
 自分の願いのために、多くの人の想いを無にするのだから。
 俺が死んだら、あなたは笑うかな……?
 それでもいいよ。泣いてほしいとも思わない。
 俺の望みは唯一つ。
 あなたがずっと笑っていてくれること。
 その願いが叶うなら、存在を否定されてもいいんだ。
 全ての人から忘れられてもいいんだ。
 あなたが笑って、幸せになれるなら……






 親父。母上。兄貴。ジャムカ。スカサハ。ラクチェ。皆……
 俺はどんな想いよりも、愛した一人の女性の生命を救いたい。
 誰の想いより、自分の願いを叶えたい。
 国よりも肉親の想いよりも子供達よりも。
 俺が愛した唯一人を助けたい。
 自分勝手な想いだとは知ってる。
 それでも、それでも願わずにはいられないんだ。
 許してほしいとは言わない。
 許してほしいとも思わない。
 誰に恨まれても嫌われても、いいんだ。
 そう、望みさえ叶えてくれるのなら。
 罰をくだされてもかまわない。
 存在を否定され、消滅されてもかまわない。
 そう、あの人が。笑ってくれるのならそれで……
 




 ――神よ。我が願いを、唯一つの願いを。
 どうか叶えてほしい。
 我が愛する人を、再び生ある者にかえたまえ。
 オードの神よ。どうか彼女を守りたまえ。
 我が命も、我が幸も、全て彼女に与えてくれ。
 世を守護する、大いなる神々よ。
 今生一つの願いを。どうか叶えておくれ。
 他には望まぬ。けして望まぬから……




 望みとあらば、我を地に落としてもかまわぬから。




 だから……














 運命の時はきた。





 冷たい風が吹き。木々も紅く染まりつつある秋の頃。
「デューさん……。話しって…?」
 二年前の日のように。闇が支配する小さな部屋に、五人の人影が集まった。
「…うん。」
 最後の言葉が言えなくて。これを言えば二度と会えなくなるような気がして。
「どうしたの……?なんか変だよ。」
 自分を心配そうに覗きこむ子供達。国を出てから一番長い間共に過ごした家族達。 このまま何事もなく生きていく道もあるけれど。 それを選べば自分は本当に『人間』ではなくなるようで。 だから、この平穏な幸と呼べる時に別れを告げる決心をしたのだ。
「まだ少し早いけどさ……ファバル。これ。」
 長い間預かっていた金の弓。
 嬉しいことも。悲しいことも。魂さえも。
 大切にしていた思い出が全てつまってるもの。
 あぁこれを彼に託す日が。とうとうきてしまったんだ……
「俺がお前達の母さんから預かってたもの。お前が立派な弓使いになった時に 渡してくれ、ってさ。」
「こんな立派なものを……。母さんが?」
「そう。…これはいつかお前達と姐御を引き合わせる物だから、 大切に持ってろよ。」
「これが?どうして……?」
「いつかわかる時がくる。これを使いこなせればきっと。 お前にしか使えない、この弓ならば。」
「俺……しか……。」
 新しき主の元で、弓は自身で輝いた。
 光は暖かくて眩しくて。大切な思い出も、包まれた気がした。
「すごい弓…だな。あれ…?でも矢は?」
 親友の持つ弓を羨ましそうに見つめると、そこに矢がないことに気がついた。 普通、弓と同じように矢にも何種類かあって、使う弓に合ったものを使用する。 現在ファバルが使用している弓矢は鋼の弓とキラーボウの二種類。 この二種類の矢に合うのかどうか疑問に思ったのだ。
「ねぇよ。これ矢いらねぇもん。」
「はっ!?」
「矢いらないんだ。これは射手の体力精神が続くかぎり、 光の矢が放てる不思議な弓。普通の矢じゃ射る時の光で焼けちまうよ。」
 この弓で自身の血に気付くかもしれない。だが自分がいなくなってしまうかもしれない今、 その事実を彼等に教えるには早すぎる時ではなかった。
 二人の身体には、ウルの聖痕があるのだし。
「す……っげぇ!母さんって有名な弓使いだったの?こんな不思議な弓持ってて!!」
 ……こいつの阿呆さには呆れてしまう。
 だが無理に教える必要はない。ティルナノグにいるセリス等が旗揚げすれば、 必ず彼等もその軍に加わるはずだから。
 それが定められた運命だと。そう感じた。
「……これで俺の役割は終わりだ。」
 言葉が耳に届き、脳がそれを理解する間。
 それを心が解するまでの数秒が、永遠の時のように長く感じられた。
「え……?どういうこと……」
「俺がファバルとパティの両親に頼まれたのは、お前達を一人前に育たせ、 この弓を授けること。一人前……とは言えないかしれないが、お前はこの弓を持つに 相応しい人間になった。だから、俺の使命は終わったんだ。」
 本心は……もっと一緒にいたい。
 けれど、愛する人の信じたくない事実を知った今。 彼女を置いて真実を隠したまま、彼等とささやかな幸をすごすのが耐えられなかった。 「なんだよ……それ。」
 空気が震えた。
「使命…って…。俺達ってデューさんにとってそんなものだった!? 親に言われたから。それだけで一緒に暮らしてただけだったのかよ!!」
 止めるアサエロの手をふりきって、デューにつかみかかるファバル。 嬉しそうに受け取った母の弓は、カランと音をたてて床に落ちた。
 ……このまま嫌って。俺の手を、心を、離してくれよ。
「なぁ!!答えろよ!!その…その使命だけで俺達と一緒にいたのか!? 頼まれたけでか!?優しくしてくれたことも、好きだと言ってくれた言葉も、 その使命だけで言った偽りの言葉だったのかよ!!」
「やめて!お兄ちゃん!!」
 空をきって。少年の硬く握られた拳は目の前の青年の頬にあたった。
 幼いとはいえ、彼は弓使い。
弓使いの利き腕は異常に腕力が強く、殴られた痛みは大人にされたそれと なんらかわりのないもの。
 いや、激しく心を傷つけるだけ、この少年の拳は誰のものより痛かった。
「答えろ!!返答しだいじゃあもっかい殴る!!」
 違うよファバル。
 殴ってほしいんじゃない。殺してほしいんだ。
 あの悪魔に奪われるのは嫌だけど、
 大好きなお前達の手だったら、それもかまわないんだ。
 ……あぁそれにしても
「…そうだ。」
 痛いな。
「……っ!!っざけんなぁ!!!」
 もう一度、拳が頬を貫いて。
 泣いて止める二人の少女。力をこめて少年を押さえつける少年。
 そして。怒りにまかせ殴りつづける少年。
 傷つけるとわかっていても、嘘を言わずにはいられない。
 真を告げてしまうほうが、よっぽど彼等を傷つけるから。




 ごめんな。嘘、言って。



 頬が痛いのに。それよりもっと心が痛くて。



 お前達には……幸せになってほしいな。












 ファバルの部屋。上から帰ったあと、泣きつかれて眠ってしまった妹達 を部屋まで送ったあと、二人の少年はこの部屋に集まっていた。
「なんでだよ……。デューさんにとって俺達ってさぁ…。 頼まれたから仕方なく預かってた荷物と同じだったのかなぁ……。」
 殴った本人である少年は、涙をためてそう言った。
「……違うんじゃねぇか?」
 冷静な表情をして考えこんでいたアサエロがそう呟く。
「え……?」
「俺さ、雇われてる時に噂を聞いたんだ。裏の世界じゃ有名な 情報屋のこと。高額の金と自分のことを公言しないことを条件に、 貴重な情報を売ってくれるらしいんだけど……。」
「それがどうしたんだよ。」
「多分さ、デューさんだと思うんだ。その情報屋。」
「なんでわかるんだよ。そいつのこと話した奴は殺されるんだろ?」
「確かにそうなんだけど、この前見たんだよ。 情報を売ってるとこのデューさん。俺の雇い主が買ったらしい。」
「それだけじゃわかんねぇよ。」
「そうか?あの人は俺より小さい時にグランベル軍に入り、戦ってた人だ。 そういう情報を手に入れるだけの力はあるよ。 ……とにかく、あの人は情報屋だ。旅に出てるのもその情報を得、売るため。」
 ……そういえば。
 約十年一緒に暮らしてきたけれど、彼のことはほとんど知らない。
 わかってることは、昔グランベルのシグルドの元にいたこと。
 腕利きの剣士であること。
 彼が生きた歳のこと。
 考えてみれば、それだけ。
 出身地も。家族も。軍に入る以前のことも。今何をやって金をつくってきてるのかも。 自分達が呼んでる名が、彼の真の名だということも。  全て知らない。彼は言わなかったし、聞く気もなかった。 だってそれは今まで生きていくのに必要なかったものだから。 彼がいて。皆がいて。生きていくことができればそれだけでよかったから。
「情報屋っていうのは、普通の奴じゃ絶対なれないものだ。」
「なんで……?情報なんてすぐに手に入るものじゃないのか?」
「…ホントに知らないんだな。いいか?情報っていうのは天国に導くものでもあり、 地獄への落とし穴でもある。真のものなら幸を。偽りのものなら死を招く。 情報っていうのは人の命を握るものだ。情報屋っていうのは、 その中から真のものを選び、自分の手で更に重大なものを手にする仕事。 その情報を手にするにはかなりのリスクがある。情報を得ようとする者以上に、 知られると不都合な者がいるからだ。」
 それはつまり、自身の死と隣り合わせにあるということ。
 アサエロみたいな傭兵も、つねに戦場に出その命を危険にさらされるが、 一人で戦うわけでもなく、向ってくる敵を倒すだけ。
 情報屋のように、一人で知らぬ敵と戦うほどリスクが高いわけではない。
「確かなものを手に入れられなければ、待つのは死のみ。 あの人の仕事はそういうもの。いつ死んでもおかしくない。そして、 その人の家族や知人も殺される可能性は高い。」
「…なんでだよ。」
「簡単なことさ。知人達ならば彼の握った情報を知ってるかもしれないから。 元を潰しても、それを知る人間がいれば意味はないんだから。」
「ちょ、ちょっと待てよ。じゃあデューさんは……。」
「多分、俺達と縁をきってそいつらに命を狙われないようにしたんだよ。 こんな孤児院、普通だったら誰も見向きはしないから。 ここにいればいずれ奴等は気付く。その時俺達が殺されないようにするためだよ。」
 いつも笑ってたけれど、不意に見せる寂しそうな表情。
 どうしてあの時気づかなかったんだろう。
 あんなに大切にして、優しくしてくれたあの人のこと。
 あの人は、強いようで弱い繊細な人だった。
 自分達の前じゃ笑顔だったけど、時々部屋で一人泣いていることを知ってる。
 大切にしてくれてたから、あんなこと言ったんだ。
 でも……
「で……も…それが本当だとして。なんで本当のこと言ってくれなかったんだよ! そんなに俺達の力は信じられないものだったのか!?」
「いくら弓が使えたって、俺達はまだガキだ。連中が大勢でくれば すぐにでもくたばっちまうさ。デューさんはそれが耐えられなかったんだと思う。 痛いほど優しい人だから。それに………」
 ファバルが先程受け取った、黄金の弓に目をやる。
 美しく輝くそれは、矢もないのに射れる不思議な弓らしい。
 それは……
(こいつの背中にあるあの痣と、美しいこの弓。 ……間違いなくウルの。ユングヴィ家のイチイバルだ。)
 親友の身体にある痣。先程のデューの言葉。そしてこの金色の弓。 当の本人は気付いていなかったが、頭の切れるアサエロはこれらの意味するものを感じていた。
(イチイバルが使える、ってことはこいつはユングヴィの正当なる力を継いだ公子。 そしてパティも濃い血を継ぐ公女。聖戦士の血を絶やせてはいけない…。)
「…?なんだよ……。」
「いや………。」
(イチイバルが使える、ってことはつまり。ユングヴィのブリギッド公女の子供ということ。 彼女の夫はヴェルダンのジャムカ王子だと聞く。二人はグランベル軍にいたため、 反逆者として今もその命を狙われてる。そして、その血を継ぐこの二人も……)
 それが彼が二人の両親の名を口にしなかった理由。
 知ればこいつは家宝を持ってバーハラに行くだろう。
 …彼の父、ジャムカは死んだというのだから。
 行けば必ず殺されるから。だから彼は黙っていたんだろう。
「デューさんはさ、俺達を危険な目に合わせたくなくて、あんなこと言ったんじゃないかな。 だってあの人が俺達傷つくこと覚悟であんなこと言えると思うか?」
「………。」
 ゆっくりと力なく首を振る。
 大好きな大好きなあの人の本当の心の内を。
 自分はどうして気付いてあげられなかったんだろうと、自分を責めて。
「だろ?俺達以上に、デューさんだって傷ついてんのさ。 だからちゃんと謝っておけよ。」
 ポン、とファバルの頭に手をおくアサエロ。
 泣いてる子供を慰める時に、いつもデューがしていたこと。
 強がってるけれど、彼はまだ11歳の子供で。 彼より年長者の自分が、こうやって慰めるものだと思ったから。
「……俺、デューさんに謝ってくるよ。」
「あぁ。それがいい。けど、もう遅いし明日にしろよ。 デューさんだって今日は、一人でいたいと思ってるかもしれないし。」
 泣いてる姿なんて、お前に見せたくないだろうよ。
「……ん、そうだな。明日にするよ。」
「おぉ。んじゃ…俺寝るわ。」
 下を向く彼の顔を見ないようにして、ドアの方へと歩き出す。
「アサエロ。」
「ん…?なんだよ。」
「……有難う。」
 それ……デューさんに言ってやれよ。
 彼は黙って頷いて(背を向けて俯くファバルには見えてはいないが)、ゆっくりと 闇の中へ溶けていった。






次の日。金色の青年の姿はどこにもなかった。