時はいつでも流れる。
肉親を殺されても。愛する人を失っても。大切な人を亡くしても。……俺が死んでも。
彼女を失って。兄のように慕っていた人を失って。多くの仲間を失って。
たくさんのかけがえのない人達を失ってから、俺の心も身体も時を刻まなくなってしまった。
ひっくりかえされた砂時計の砂が、何かの手によって落ちなくされてるような。
時は俺を残してどんどん過ぎ去って。偽りと罪で俺の全てを汚していく。
誰も守れない……汚れた俺に。
時がこなければ死ねない。楽になることはできないんだ。
死ぬことも許されなくて、生きることも許されない。
神は俺を天には向えてくれず。下界にも存在することを許してくれない。
今も時計は止まったまま。砂は流れ落ちるのを忘れてしまった。
いつか、いつかその砂が再び落ち始めることがあるのだろうか。
容赦なく、時の砂は落ちていくのだろうか。
待つものが死だけだとしても、それは幸と言うべきものだろう。
死ねることを幸と思える俺ならば………
二年という月日が流れた。
大切な人がこの世を去った年齢より、二歳上になった。
あれから必死で情報を集めた。その結果、バーハラで戦った戦士達の武器は、
アルヴィス皇帝の手元にあると聞き、バーハラ城やシアルフィに行きそこにあった戦友達の武器を盗み、
その子供達に与えた。そこには彼女が持っていた勇者の剣もあって、泣くのを精一杯我慢して
持ち出したのを覚えている。
今、腰にあるのは細い剣。
あの日持っていた愛用の剣達は、愛する息子に渡してしまった。
親の武器を得られぬ我が子が哀れで、かわりにと彼が気に入ってた剣をあげたのだ。
受け取った時の彼の満面の笑顔は、今でも胸をかき乱す。
彼等の従兄であるシャナンには、自分の身分と名を明かした。
子供達は太陽剣を継承している。いずれ気付かれてしまうと思ったから。
子供達には、自分のように汚れてしまわないでほしいから。
子供達には重い運命が待っているだろう。もしかしたら、俺よりも
ずっと重い重い宿命かもしれない。
俺は何もしてあげられないから。せめて理想の中での『俺』を覚えていてほしい。
風。すぐここにあの人がくる。……涙、早く乾けばいいのに。
「で、話って何だ?」
親友とも言える青年に問う黒髪の剣士。その場には茶髪の青年もいた。
「お前等には聞いてもらいたかったんだ。これからのためにも、さ。」
言ったら、あの言葉を口にしたら、この二人はどんな顔をするだろうか。
殴られてもいい。どなられてもいい。それでも……
「?そんな重要なことなのか……?」
平和な世だったら、数秒で言えたであろう我が身分。
望んでも手に入れられない。望んでも捨てられない。
この身分を、この血を。捨てられればどれだけよいか。
「……俺のこと。どうせバレると思うから。」
彼――デューのことは、グランベル軍の誰も知らなかった。
ヴェルダンで捕われていた以前のことも、出身地も、家族の名すらも。
無理に聞く意味もなかったがため、今までそのことにはあまり触れていなかったのだ。
「デューの…?」
彼が他の者をはずして話す事だから、先程茶髪の青年が言ったように
重要な事だと思っていた。だが、その話しとは彼自身のこと。
何故自分のことを話すのに、人払いが必要なのか。
そう疑問に思ったから、聞き返した。
「あぁ……。イザークの王となるお前には聞いてほしかったから。」
今まで硬く口を閉ざした言葉。
唯一人、彼の妻であるアイラ王女しか知らぬ事実。
誰にも言えず、傷ついていた言葉を。
何度も言おうとして、飲みこんでいた一つの真実を。
心の臓の鼓動を押さえ込むように、スウッと一度息を吸いこみ、
覚悟を決め封印を解いた。
「俺は、旧リボー王国の王子だ。」
右肩が、自身の意思とは関係なくビクンと震えた。
彼の言葉は突然に。静寂なる部屋の中に、いつまでも残っているような気がした。
「第二ではあるが、俺は正妃の子。王位継承権を持つ、王太子だ。」
隠し通していたかった、自分の過去。
一生言いたくなどなかった、見せたくなどなかった、
汚れた自分の姿。
しかし身体にあるオードの聖痕と、秘剣太陽剣の輝きを見る度に、思い知らされる。
自分はまぎれもなく、オードの血を引くリボー王子だと。
「………え…っ?」
信じられないという表情。
リボー王家はあの戦を起こした原因をつくったとも言える国。
その王子であり、正当なる王位継承権を持つ者が、目の前にいる親友だとは。
シャナンの祖父はデューの父を討ち、そのままバーハラに行く途中に殺害された。
父であるマリクルも、グランベルに向う途中に殺されたと見られてる。
オイフェの主であり、兄代わりであった蒼の英雄は、
戦の中バーハラの地でその儚く悲しい人生を終えた。
全てはリボーのダーナ侵略が引きがねとなったこと。
この二人も、かつての戦友達も皆リボーの王家を恨んでいた。
それだからこそ、デューの口は最後の言葉を発することができなかったのだ。
「俺の体にはオードの血が流れ、太陽の加護も受けている。
捨てようとしても叶えられぬ、血という証が。」
そう言うと彼は右腕の袖をまくった。
根元に近しい部分に、印があった。
シャナンやアイラのとは比べることもできぬほど薄い、オードの聖痕が。
「お前……が…。お前の父が我が祖父を!我が父を!!全てを奪ったというのか!!」
激しく怒りを表す義甥は、目の前の金色に向って怒鳴った。
大きな手は彼の服の襟を掴み、怒りのため震えている。
――あぁこのまま…このまま死んでしまえればいいのに。
だんだん呼吸が困難になってきて。意識がとんでしまうような
感覚に襲われた。けれど、彼はそれをどこか遠くで見ていた。
自身に起こっている現実を、全て理解した上で死を願っていた。
彼にとって死とは、望むものであれ恐れるものではなかったから。
「止めろシャナン!!」
親友の手を強引にはがし、おさえるオイフェ。
彼ももう少し若ければ、感情にまかせこの青年を殴っていただろう。
望みのものがその手にふりかかろうとしていた青年は、
絞められた首をおさえゲホゲホと咳をした。
叶えられなかった望みへの悔しさ、置いてった恩人の子供達
への懺悔の思いを抱きながら。
「…確かに、マナナン様もマリクル様も、俺の国が犯した罪が引きがねとなって
殺された。でも……」
どうか信じてほしい。親父達は罪人ではないと。
「ダーナの侵略は俺達の意思じゃない。全ては……あの男が…!」
闇のローブを身に纏い、不気味な笑みを浮かべる老魔道士。
彼の幸を奪うのが悪魔ならば、その魔道士こそこの世に召還された悪魔だった。
「あいつは……ロプトの魔道士だった。何時の間にかそこにいて、
その存在を疑う人間は誰もいなかった。まるで、最初から奴がそこにいたかのように……。」
思い出したくない。言葉にしたくない。
あの時気づいていれば。自分だけでも奴の存在の奇妙さに。
そうすれば家族を失わずにすんだのかもしれない。あの戦が起こらなかったのかもしれない。
……大切な人の命を、助けることができたのかもれない。
何度もそう思って。何度も思っても仕方のないことを思った。
戦でたくさんの人達に出会った。戦がなければ、決して会うこともなかったであろう
大切な人達に、いっぱいいっぱい出会うことができた。
けれど、彼等は自分が起こした戦に、自分と出会うこととなった戦で、
その命を悪魔の贄として捧げられた
出会うことで彼等の命が奪われるなら、戦など起きずに出会えなければよかったのに。
「あいつは最初から俺達の国を戦のきっかけに利用しようとしていたんだ。
自分達の望み、『ロプトウスの復活』のための戦の。」
長い間迫害され続けたことは同情するし、彼等をここまで傷つけた者達には怒りの念を覚える。
だけど、だけど小さな幸を持って精一杯生き続けていた人達の命を、
自分の理想のためだけに殺すことなど許してやれない。
そう言えば、彼等を殺して自分の理想をつくったのはお前達だ、と言われそうだけれど。
「奴の魔法は人の弱みや憎しみという、人間の最も闇の部分を引き出し膨らませるものだった。
兵士達はその術により心を操られ、王を欺きダーナに向いそこで
罪もない人々を虐殺した。」
彼等の叫びはどんなだったんだろうか。
突然の死の来訪に、戸惑い恐怖したのだろうか。
俺達を恨みながら……息絶えたのだろうか。
「国王様にその事実を知らされ、親父は軍を率いて戦った騎士長をといただした。
だが彼も奴の術に操られ、親父に剣を向けた。その時を待っていたように、
奴に操られた騎士達は城内で激しく争いを始めた。」
魔道士が放った炎魔法で、自分が育った愛しき城は叫びと涙を流しながら、
赤く赤く燃えていった。
崩れる城壁、燃え立つ炎、見知った者達の屍。
……あの日のバーハラとよく似ていた。
「争いは圧倒的不利。術にかけられた者はこちらの二倍近くいたから。
親父は覚悟して、俺をワープの術で逃がした。リボーの血を絶やさぬように。
そして真実を王に告げるように、と。」
震える唇は言葉を発し続け、目にはあの日の情景が映し出される。
「……親父も姉貴達も家臣も。事実を知る者は全て殺された。
王の亡骸眠る城に、マナナン様が到着なされたのは数刻後だったらしい。
……俺は遠く遠いアグストリアに飛ばされ、王に真言するために生きた。
そのあとは……お前達も知ってる通り。」
盗賊。
人には言えぬ仕事を彼はやってきた。
それはそうしなければ生きていけないから。
父が兄が家臣達が、命懸けで守ったこの生命を、
簡単に失くすわけにはいかなかったから。
家族を失くし、国を失くし、全てを失くした。
孤独にただ生きることを義務づけられた人生が、どれだけつらかったことか。
「人の生命の上に俺はいる。俺はたくさんの命を犠牲にして生きている。
俺の生命は俺だけのものじゃない。だから……死ねない。」
寂しくて、一人ぼっちは嫌で、何度天の母の元へ帰ろうとしたことか。
だがその度に印はうずき、心を傷つけた。
やっと見つけた仲間達も、自分の身分を知れば失うから。
だから言えなかったのに。親友とも呼べる者がイザークの王になる者とは……。
神はどこまで残酷なのだろう…。
「シャナン……。憎みたければ俺を憎めばいい。直接ではないにしろ、お前の
肉親が死ぬ運命となったのは俺達の精神が弱かったことが原因だから……。
でも、あいつ等は、俺の子供達はどうか恨まないでくれ。
リボーの血を引いていても、彼等はイザーク王家の血を引くお前の従弟達だから……。」
リボーの、裏切り者の血を引いていても、スカサハとラクチェには
イザーク王家の血が流れている。彼等にははっきりとしたオードの聖痕があるし、
秘剣流星剣を操ることができるのが何よりの証拠だった。
「アイラは知ってたのか……?お前のこと……。」
「……あぁ。結婚する前に、全てを……。昔俺は彼女と会っていて、
そのことを彼女が思い出したんだ。……俺の身分を知っても、
彼女は俺を愛してくれた。そして…唯一つの言葉も……。」
『私はお前にいてほしい』
その言葉がどれだけ嬉しかったか。どれだけ心癒されたか。
自分の存在を自分自身が否定して。生きることも死ぬことも許されなかった彼に、
その言葉は救いの言葉だった。
自分を必要としてくれる。自分がここにいることを許してくれる。
……自分がいることで、彼女は幸を感じてくれる……。
俺はここにいたいんだ。俺は皆といたいんだ。
そんな彼の言葉をわかってくれたのは、彼女だけだった。
「死んで詫びてやることはできない。俺がお前達にしてやれることは
唯の一つもないかもしれない。それでも俺は……一緒にいたい……。」
大切な人にわかってほしいから。だから禁じられた言葉を口にした。
流れる涙と共に、唇のはしから血が流れてきた。
それはポタリと落ちて、絨毯に僅かなしみを作った。
「……デュー。」
「俺は……もう一人は嫌なんだ……。」
子供のように泣きじゃくるデューを、二人の親友は暖かく包んだ。
「もうわかった……。責めてしまってすまない……。だから……」
僅かな音と、絨毯に数え切れないほどのしみが、
ほんの少し彼の心を癒してくれた。
風が止まった。ほんの一瞬。まるで王を迎えるかのように。
次の瞬間、一人の青年が現れた。風の王の名に相応しい、碧の青年が。
「…久しぶり。遅かったけど、なんかあった?」
「拾った連れが体調を崩してな。今はようやくおさまり眠っている。」
そういえば。二年前に彼は一人の少女を助けたらしい。
記憶もなく、幼いその少女を彼は連れて帰り一緒に暮らしていると聞いた。
その少女を一人にはできぬということで、デューはわざわざこのシレジアに
来ていたのだった。
「そっか。それならいいけど……。それで、情報って?」
彼は闇の世界では有名な情報屋。
得たものほとんどが人に言えるような方法で手に入れたものではないけれど、
彼の情報は他のどんな者よりも正確で貴重なもの。
彼と同じように旅していたレヴィンからはたびたび情報を貰っていた。
そのほとんどは、彼の私的なものだったが……。
「今回のも人に売れるようなものじゃないけどな。……ティルテュの息子がみつかった。」
一昨年の夏に亡くなった、フリージ公女ティルテュ。
彼女とアゼル公子の長子が、シレジアの地で一人暮らしているとのことだった。
「名はアーサー。歳は11だ。昔のお前と同じようなことして生きている。
近くに彼の従弟と義叔父がいることがわかったから、春には会わせるようにしようと思っている。」
盗み、身売り………
国を追われてからデューが生きるためにしたこと。
今、戦友の子はかつての彼と同じ生活をしている。
救ってあげたかったから、レヴィンの言葉に安心した。
「あとは…エルトシャン王の息子、アレスが傭兵になったことがわかった。
魔剣ミストルティンはすでに受け継いでおり、ジャバローという男の元にいる。」
ラケシスが狂うほどに愛した獅子王エルトシャン。
彼が死した後、彼の妻と子は行方不明になった。ヘズルの神器、ミストルティンと共に。
アレス王子が生きていれば、ノディオンは再び蘇る。
自分も国を失くしたから、彼には生きて国を復活させてもらいたいと思っていた。
「そっか。よかった……。」
「あともう一つ……」
「?まだあるの?……何?」
聖戦に参加した者の生死や彼等の子の行方等は、普通の者ではほとんど知ることができない。
その情報を得ようとするというのは、死と隣り合わせになりながら探るということだから。
レヴィンはこれまで何度もこれらの情報を教えてくれていたが、
一度に三の情報を得ることは滅多になかった。
「何……?誰か生きていたの!?」
たくさんの仲間を失ったけど、自分のように生きている人間がいる。
だから…他の人も生きていてほしくて。その可能性はゼロじゃないから。
だから、願いをこめて問うた。
「生きている……と言えるかどうかわからないが。」
「え……?どういうこと?」
答えられた言葉の意味がわからなくて、聞き返した。
「死んではいないが、生きている、とも言えないんだ。」
「行方不明ってこと……?」
「いや…。大体の居場所はわかってる。」
「わかんねぇよ!どういうこと!?レヴィンさん……。」
暗く沈み顔の彼に、おもわず声をあらげる。
彼の言葉に、顔に、嫌な予感を覚えたから。
「……生きてはいるんだ。でも、笑わない。言葉も発さない。動くこともしない。
いや……することができないと言ったほうが…いいか……。」
「そ……れって……。」
信じたくなかった。
人を石化させるという恐ろしい暗黒魔法があると聞いたことがある。
扱うのに難しく術者も限られているが、ロプトの中にはいてもおかしくはない。
「石化……か?」
ゆっくりと頷く姿。身体が冷たくなるのがわかって。
石の魔法は死と等しい力。冷たい石の眠りを与える呪いの魔法。
少し押して倒してしまえば、コナゴナに砕かれ魂は永遠に石とされる。
再び『人』に戻すには、キアという杖が必要らしい。
だがそれはあまりに強力な魔法で、今ではマンフロイの一族にしか使えぬようになっている。
それはつまり……
「…誰……?」
絶対なる死よりも
「――ィ―。」
勝る魂の
「え……?」
永遠の苦しみ
「……アイラだ。」
心が……
「嘘……だ…ろ…。」
心が壊れる音が
「嘘だって言ってくれよ!!」
聞こえた
「なぁレヴィンさん!!」
気がした
「…嘘じゃない。アイラは…今もあの時と変わらぬ姿で戦ってる……。」
変わらない……?俺が…愛した人……は……
「じゃ……アイ…は……。」
ガクガクと身体が震えて。頭の中は闇色に染まり。
「アイ……ラ……はじゃあ……。」
死は覚悟してたから。それなら悲しむだけで自分もあとを追えたのに。
肉体は壊れても、魂は天に行けず永遠に縛り付けられる。
この世で会えぬのならば、せめて天で会いたいと思っていたのに。
「………残念だが。」
そんな……数え切れないほどの涙流してようやく思えた答えさえ
「アイラには…もう………。」
神はお許しにはなられないのか。
「……デュー……?」
悪魔悪魔悪魔悪魔悪マ悪マ悪マ悪マアクマアクマアクマアクマ!
「あ……ぁっ……っ…あっ……。あっっぁぁっ!!!」
『私はお前を愛しているから』
「あぁぁああああっっぁぁあぁぁっっぁあっーーーー!!!!!」
愛してた。心から。
一緒の時は短すぎて。愛の言葉も満足ではなかったけど。
自分の命より、大切だったのに。
彼女のためなら、神も悪魔も敵にまわせたんだ。
人並の幸が得られないのならせめて、
天で幸を得たかったのに。
その願いは、贅沢な願いなのだろうか。
愛してたんだ。本当に。
死んでもいいと思えるほど。
彼女と子と、穏やかに暮らしたかった。
いつか叶うと思ってた、ささやかな夢。
もう叶えられない。もう見ることも許されない。
愛してたんだよ……。
大切だったんだ。愛してたんだ。
汚れた俺には……夢を見ることも許されないのか。
どこかで信じてた夢は破られて、心は壊されてしまった。
ずっと目を閉ざして気付かないフリをしていた事が、
今俺の中で確かに真になった。
やっと、その事実を受け入れることができた。
この世に神など、存在するわけがないのだと………