さわやかな風が頬を撫でる。金色の
髪は風にのって舞い、日の光あびて輝いた。
昨日の涙はつらすぎて。封印したはずの記憶が蘇った。
子供達を寝かしてから一人で泣き続けた。八年前の出来事が、脳裏に焼き付いて離れない。
涙はとうに乾ききったと思ってたのに、昨夜流れたものは確かに涙。
紅くなってしまった瞳を見られたくなくて、彼は一人そっと部屋を出た。
向かうは遠い遠いイザークの地。
旅先で偶然にも再会したレヴィンに、オイフェ達の居場所を聞いたのだ。
そこに行けば彼の子供達に会うことができる。
九年前に手放した我が子。生まれてから数ヶ月しか一緒にいられなかった、彼と彼の妻の宝物。
たくさんのものを失って、つらくて苦しくて死にたくて。
その度に彼等のことを思い出した。
死ぬ前に、一度だけでも会いたいから。だから死ねない。
彼等は許してくれるだろうか。子を手放し、愛する人を守れなかった自分を。
……許してくれなくてもいい。ただ一目会いたい………
目的の地へ着くのに、一ヶ月という時がかかった。
レンスターを抜け砂漠を渡り、山をいくつも登った。
兵はそこらにうようよしており、見つかれば彼とて無事ではすまされなかったからだ。
小さな砦がある街、ティルナノグ。
ここに彼の探し人がいる。
「どうやって探すか……。」
小さな街だから、二日あれば民全員を調べることができる。
だがここに隠れ住まうはあのシグルドの遺児セリス皇子。
そしてかつてシグルドと共に戦った者達や、身分ある者達。
余所者の彼に素直に会わせてくれるかというと、正直可能性は低かった。
「誰かに会えればいいけど。」
適当に街を歩く。人々を注意深く見ていくも、見知った人間は唯の一人もいない。
何も掴めぬまま夜になり、人々も各々の家に帰っていった。
仕方なく宿を探すが、どこにもそれらしき建物はなく、街はずれに教会が見えるだけ。
野宿するのは慣れていたが、できれば久しぶりに家の中で眠りたかったため
小高い丘の上へと歩を進めた。
見上げれば星が空一面に輝いている。自分が生まれてからずっと変わらない夜空。
国を奪われた日も、愛する人と結ばれた日も、大切な人を失くした日も。
星は変わらず瞬いて、夜空を美しく彩った。
近くにあるようで、手を伸ばして星を掴もうとした。
けれど星は遥か遠くにあって、ちっぽけな人間の腕では届くはずもなくて。
そこにあるのに、美しく輝いてる姿が見えてるのに、
掴むことはできず、ただただ見上げるばかり。
……人の幸福も、こんな感じなんだろうか。
教会の前に誰かが居た。
白いローブを着て、彼と同じように夜空を見上げている。
フードからは金の髪がこぼれ、目からは涙が溢れていたようだった。
その姿はこの世のものとは思えぬほど美しかった。
彼女自身があの星のようで。近づけば消えてしまうのではないかと思うほど、
それは儚く、硝子細工のような繊細さだった。
「……だ……れ?」
とぎれとぎれに聞こえる声。何故だか懐かしい。
「あ…えっと……。」
発する言葉を探しながら、ゆっくりと彼女の元へと歩いた。
だんだん顔が見えてきて、ボンヤリと見えていた視界がはっきりしてきた。
「………デュー…?」
ポツリと呟かれた言葉に驚いた。
彼のことを知ってる人間は数多くいたが、本名を知ってる者はごく僅かだったから。
「どうして俺のこと――」
風がやってきて。美しい影は彼の元にいた。
フードはとれ髪が舞う。壊れてしまいそうな彼女の細い身体から、小刻みに震える振動が伝わってきた。
あぁこの人は……
「エーディ……ンさん……。」
胸が涙で濡れていくのがわかった。
きっとこの人は、帰らぬ夫をずっとずっと待っていたんだろう。
この星の一部になってしまった、あの蒼髪の騎士を。
「……っ………。」
震える彼女があまりにちっぽけで。彼は思わず抱きしめた。
強く強く、折れてしまうのではないかと思うほど、抱きしめた。
彼も震えていたのは、寒さの所為ではないことを風の精は知っていた。
月が真上に位置する頃。
二人は互いの縛めをとき、丘に腰掛けていた。
「……平気?」
頬に残る涙の跡が、月の光で僅かに輝く。
「えぇ…。有難う。」
街の明かりは消えて。星と月の光が二人を包む。
静寂なる一時が、この世に二人しか存在していないように錯覚させる。
「生きていてくれてよかったよ。……あの炎の中、生命を食らわれた者の方が多かったから。」
流れ星のように次から次へと落ちてくる炎の隕石。
神の炎に空さえも燃え尽きて。
炎の中に消えていった英雄の魂。愛しい人も、煙のように消えてしまった。
強く腕に抱いていれば、彼女を失うこともなかったのに……。
「ミデェールが……私を連れてその場を離れたの。
でもすぐに追っ手はやってきて。彼は私を馬に乗せ、走らせた。
遠くで彼の声が聞こえて……。空の赤、血の臭気、魂の叫び……。
それを感じながら、必死に走ったの。」
あの炎の中、彼は前方に居たため戦友達の生命が消え去るのを何度も見た。
炎に焼かれながらも、最後まで剣を振るった緑の騎士。
金色の姫を守りながら、何十という刃を受け絶命した自由騎士。
神の炎に、骨さえも灰にされた、若き英雄。
そして……斧を持ち雄々しく戦い散った、蒼の騎士。
共に笑い、喜びの時を過ごした戦士達。
赤黒い悪魔は全てを飲みこんで。幸も魂も時も、全て食らった。
つい数刻前まで側にいた人達が、一瞬にして手の届かぬところへ行ってしまった。
大切な人を目の前で失くされたのは、数え切れない魂を奪った報いだったのだろうか。
「気がついた時にはフィノーラにいたわ。街の人に助けられて。
馬の手綱には血がついていた。ミデェールの……流した赤い血が。」
あの日あの時あの場所は、世界で最も魂が集まった場所だった。
流れる涙はすぐに蒸発して。地獄が存在するのならば確かにあそこは地獄だった。
「俺は、ジャムカと姐御と一緒に逃げたんだ。丘を越えて砂漠を渡って。
レンスターまで逃げたんだ。そこでファバルっていう息子も生まれて……。」
額につけた白い布は、あいつが存在していた証。今はもう彼が存在していたことは夢だった
んじゃないかと思えてしまうから、忘れたくなくて、信じていたくて、
彼が最後に託したこれを身につけていた。彼の髪は、いつかヴェルダンに行った時に
埋葬してやろうと思ってる。
「それから三ヶ月後に、俺達が居た村が襲われて。あいつは……そこで死んだ。
森をぬけて小さな村を見つけた。八ヶ月後に女の子が生まれて、俺達は夫婦として暮らしてた。けど……」
涙は乾かない。きっと生きてるかぎり、止まることはない。
「また村が襲われて。俺達は反逆者として処刑されそうになった。
必死で逃げて逃げて逃げて。それでも追っ手はしつこくやってきてさ。
姐御は俺に子供達を預けて追っ手をひきつけたんだ。盗賊の俺より、ユングヴィの公女
である姐御の方が、その首にかかる重さが違ったから……。」
エーディンは、薄々感づいていたのだろう。
動揺するでもなく、ただただデューの言葉を聞いていた。
「俺達は一つの孤児院にたどり着いた。
小さくて今にも壊れてしまいそうだった。そこで俺達は暮らした。
貧しかったけど、幸せだよ。自分の子供も妻も捨てたくせに、さ……。」
栄養がたりなくて、パサついてしまったデューの髪を、彼女が優しく
撫でた。
「自分を責めないで……。生きていてくれることが、残された者達の最上の幸だから。
……ずっと側に居てくれていても、死んでしまえばそれは幸にはなれない。」
夫がもう戻らぬことを、知っていた。彼女は。
戦は俺達にかけはいのない幸をもたらしてくれたけど、同時にとりかえしのつかない
爪あとを残した。戦で手に入れた幸は、戦によって奪われたんだ。
「私ね……ここであなたを待っていたの。」
「……え?」
思いもよらぬ、彼女の言葉。
「あの人が、もういないのは知ってたの。……あの人の声が聞こえたから。」
「………。」
「でもね、私は心の底では別のことを考えていた。あなたが生きているのかということを。」
「エーディンさん……。」
「最低な女でしょう、私。夫を亡くしたというのに、あなたのことを想ってた。
毎日この丘で祈っていたのはあなたの無事。あなたを想う度に、あの人との子供
が私の心を貫いていく!私を壊していく!!」
初めて会った時から、変わらず美しい女(ひと)。
十年以上前、まだ少年だった時に、遠いアグストリアの地で想いを告げられた。
彼女の想いには応えられなかったけど、彼女は自分よりも相応しい男の元へ嫁いだ。
彼女は幸せになったと思ってたのに。今も自分の存在は、彼女を縛り美しく傷つける。
「あの人と結ばれても、私の心は満たされなかった。あなたが別の女(ひと)と
結ばれたことが、私を奈落に突き落とした。子が生まれても、その想いが変わることはなかった……。
あの人に抱かれても、心はあなたを想っていた。」
デューにしがみつき、泣きながら話し続ける。涙はポタリポタリと流れ落ち、彼の腕を濡らしていった。
「今、私は罪悪感に襲われながらも、心は喜びで満ち溢れている。
あなたが生きていてくれたこと。もう一度会うことができたこと。
義兄の死も、姉の安否もどうでもよくなるほどに……。」
「俺…は………」
「…今更あなたと結ばれようとは思わない。
でも、でもせめて今夜だけは……。」
そう言うと、彼女は彼と唇を合わせた。
耳につけたピアスが、キラリと光輝いた。
目覚めたそこは、光さしこむ明るい小部屋。
眠い目をこすり、辺りを見まわすと、隣には毛布をかぶった金の女性がいる。
――あぁそうだ。昨日話しをした後、彼女に導かれるがままにこの部屋にやってきたんだ。
椅子に放り投げたままの衣服を着こむ。冷たい感触が夢の誘いを遠ざけた。
「……今日は、どうするの?」
眠っていたはずの彼女が目を開け、そう言う。白い腕にあるウルの聖痕が、
やけに眩しく感じられる。
「起きてたんだ……。とりあえず、子供達に会いに行く。久しぶりにオイフェやシャナンにも会いたいし。」
「スカサハもラクチェも、大きくなったわ。……アイラに、そっくりに成長した。」
数年間聞いていなかった妻の名。それが耳に入った途端、身体を何か雷の様なものが走り抜けた。
「あいつ等は…俺を恨んでるだろう。生まれてすぐに手放した、こんな薄情な父親のことを……。」
「そんなことない。きっとあなたを喜んでむかえるわ。」
「……俺は自分の名を隠して会いにいく。父と名乗ることが目的じゃないから。」
「そんな……それでは二人が可哀想。あんなに両親の帰りを待ちわびてるのに……。」
「だから、だよ。そうまでして待つ親が、こんな汚い盗賊だなんてあいつ等には知られたくない。
あいつ等の親はイザークのアイラ王女。それだけで充分なんだよ。」
「デュー……。」
「だから、俺の名は言わないで。俺のことは、『カイム』と呼んで。
まだ……本名は名乗れないから。」
名乗れればどれだけよいか。愛する宝をこの腕に抱ければどれほどよいか。
けれどそれをすれば、彼は生きてはいけない。恩ある二人の子供を
守るという誓いを破ることになってしまうから。
「……先に行ってオイフェ達にも伝えておいてくれないかな。
すぐに……行くから。」
彼女が服を着たのを見て、そう呟く。
何か言いたげな表情を残しながら、エーディンは無言で家を出ていった。
「アイラ……。」
言うことができれば楽なのに。死んでしまえればもっと楽なのに。
たくさんの生命の上にある我が生命。残された者の痛みを今も覚えている心。
幸を捨ててまでも生きなくてはならない運命。
手足もがれても進まなくてはいけないのは……あまりに辛すぎた。
大切な人は遠すぎて。過去の時間(とき)は眩しすぎて。
闇に再び生きる者には、人の笑顔が辛すぎて。
偽り続けた心には、大きな穴ができてしまった。
それは痛くて、死にたくて。それでも死ぬことを許されないのは、神が俺に与えた罰なのか。
心の穴ができた時、指にはめていた指輪ははずされた。
かわりに耳にはピアスをつけて、髪も綺麗に短く切った。
それは自分が彼女の夫だったということを忘れるため。
彼女が撫でた髪も、揃いの指輪も、今はもうない。
自分が彼女と一緒にいたことを、証明するものは何もない。
唯一つ。彼等の子を除いては……
「……神はいつも俺をあざ笑う。赤の悪魔を召還して、幸せを全て奪っていく。」
死ぬ時もきっと……神のよこした悪魔の手によるだろう。
二つの形見を持って、彼は部屋を出ていった。
「カイム。久しいな。」
目の前にある人物がそう言う。少し目線の高いとこに位置する彼は、
かつてシグルドの軍の軍師を務めていた少年だった。
彼とデューとシャナンは、幼い子供だったということで
いつも一緒にいた。デューは成人してから前線に出るようになったため、
彼等がイザークへ行く時はついていくことができなかったが。
「オイフェ。元気そうでよかった……。」
歳よりも幼く見えるオイフェと(デューも十になる子持ちには見えないが)、
少し笑いながら握手した。
「カイム。」
発された言葉は部屋の奥。長めの黒い髪を持つ青年だった。
「シャナン?大きくなったな、お前。」
ポンポンと昔と同じくシャナンの頭に手をやる。
身長はデューよりも小さかったが、彼は充分大人に成長していた。
「あれから十年以上も経った。でかくならない方がおかしいだろう?」
ニヤリと笑うシャナン。止まっていた時が、ほんの僅かに動き出した。
「おい。俺にも何か言ってけよ。」
目の前には金色の剣士。かつて一人の女性をめぐって争った、恋敵。
「ホ……リンさん。生きていたんだ。」
「まぁな。強すぎる自分の生命力に命拾いしたよ。」
この人には生きていてほしかった。
自分が死んだ時、アイラを、子供達を、守ってほしかったから。
「俺も生きてる。運が良くて助かったよ。」
生き残れたのは、本当に運がよかったんだろうか。
死ねた方が、本当はよかったんじゃないだろうか………
「あれ?レヴィンさんは?ここにはいないの?」
あの風のような人がいなかった。彼をここに導いてくれた、風が。
「あぁ、レヴィンなら旅に出てる。ここにくるのも年に数度だ。」
「今ここにいるのは、私にシャナンにホリンさん、それにエーディン様だけ。
最初はもう少し多かったのだけれど……。」
「他にも生きてる人がいるのか?」
「うん。クロード様にシルヴィアさん。ラケシス様もここにいた。」
「フュリーはティルテュと一緒にシレジアに行った。アゼルも神父のワープ
で向かったらしい。」
「こっちは……ジャムカは死んだ。姐御も今は行方不明……。
でも二人の子供は無事に俺達と孤児院で暮らしてるよ。」
「そうか……ジャムカ王子が。…あぁ、この奥に子供達がいる。
見ていくだろう……?」
奥の部屋には何人かの子供の声が聞こえてきた。
「……ん。」
「……ちゃんと、可愛がってやれよ。おい、皆こっちにこい。」
シャナンの言葉に、わらわらとやってくる子供達。どことなく
見覚えのある面々ばかりだった。
「この人はカイム。軍で共に戦った戦友だ。」
八つの大きな瞳がデューを見つめる。
「えっと……セリスにレスターにデルムッドだったかな……?
こっちの女の子は……。」
軍に居た頃、生まれた小さな生命達の名を呼ぶ。まだ小さかったけれど、
確かに彼等は親の風貌を強く残していた。
「ラナ。私の娘よ。」
椅子に腰かけていたエーディンがそう言った。もう一度その少女の顔を見ると、
確かに目元が彼女にそっくりだった。
「えっと、カイム……さん。こんにちは。」
「「「こんにちは。」」」
セリスの言葉に次いで、挨拶する三人の少年少女。
「こんにちは。皆親に似てるな。セリスは髪はシグルドさんのだけど、
顔はディアドラさん似だ。レスターもデルも父親そっくりだし、ラナもエーディンさんに似てる。」
「あの、俺達の父上のこと知ってるんですか!?」
言葉は発したのは一番背の高い金髪の少年。髪や瞳の色こそラケシスのものだったが、
彼の顔は父であるフィンによく似ていた。
「あぁ。俺はまだガキだったから、皆よく可愛がってくれた。
君達のお父さんともよく相手してもらったよ。」
その言葉にぱぁっと顔を輝かせるレスターとデルムッド。
「あの、よければ父上達のこと聞かせてくれますか?色々聞きたいんです。」
ちら、っと横目でエーディンを見る。彼女は夫のことを名前以外ではほとんど
子供達に教えていないらしい。自分が喋ってしまってもよいものか、彼女の返事を待った。
「……いいわね。カイム。聞かせてやってくれないかしら。」
ほんの少し、顔に陰りができたけれども、彼女はそう言った。
「わかった。俺の知ってることでいいなら話すよ。」
子供達を連れて奥の部屋へ行こうとした時、後のドアが開き二つの声が聞こえてきた。
「痛ぇぇっっ……。あ、シャナン様!聞いてくださいよ。ラクチェったらまた流星剣ぶっぱなしやがったんですよ!!
加減しらねぇからもうボロボロ。」
「何よスカサハが弱いのが悪いんじゃない!痛いのが嫌だったらよければいいでしょ!
馬鹿!!」
「よけられるか普通!いきなり使われちゃ無理に決まってるだろう!
それに最初から使うのなしだって決めただろ!!」
「ふんだ。自分がまだ使えないからって勝手に決めたルールじゃない!
弱いからってひがまないでよね。」
「なんだと!!」
「何よ!!」
小さな玄関で喧嘩を始める双子の兄妹。その隣では呆れた表情のシャナンがいる。
「シャナン様!!このバカ女になんか言ってやってくださいよ!」
「シャナン様!!こいつ弱いくせにつっかかってくるんです!しかってやってください!!」
ギャァギャァとその場の空気を察せずわめく二人の子供。
「あのなぁ、ラクチェ。前にも言っただろ。流星剣は私以外には使わぬと。
スカサハこんなに怪我してるじゃないか。」
「だってシャナン様……!!」
「エーディン様。怪我治して……あ、お客様ですか?」
見なれぬ金髪の客人に気付き、軽くおじぎするスカサハ。
目は彼の腰にある立派な剣達。
「あ……すごい剣。あの、剣士なんですか?」
その青年を見上げるスカサハ。
デューは、現れた自分の息子の問いに、しばし言葉がでなかった。
「……あ、いや、剣士ってほどじゃないけど……。
昔っから剣使ってる。」
「すごい立派な剣持ってるんですね。これ、なんていう剣ですか?」
指さしたのは蒼の剣。ブラギの塔で仕事をしようとした時に、
偶然手に入れた魔法の剣だった。
「風の剣。精霊の力が封じられた魔法剣だ。これとこの銀の大剣で、
俺は戦を勝ちぬいてこれたんだ。」
「あの、もしかしてシグルド様の……?」
「あぁ。まだガキの頃に、一緒に軍にいた。」
「じゃぁ……じゃぁ俺の父上のこと知ってますか?あの、デューっていうんですけど……。」
ドクン、っと心拍数が上がったのがわかった。
彼は知らない。目の前にいる人物こそが自身の父であることを。
あと少しで、名乗って息子を抱き締めてしまうところだった。
それを制したのは、重い重い罪悪感。こんな汚い自分を見せるわけにはいかないから、
彼はその腕を上げるのを止めた。
「……知ってるよ。歳も近かったから、よく一緒にいたりした。」
「本当ですか?あの、父上はどんな人でしたか?」
「小さな剣を持って戦ってた。……いい奴だったよ。
アイラ……王女のこと一生懸命愛して……。」
嘘を言うのはつらいけど、真を言うのはもっとつらくて。
「立派な奴だった。夫としても、父親としても、さ……。」
そうだったらよかったのに。
汚れた俺じゃなくて、完璧な理想通りの俺だったらよかったのに。
「俺は父を尊敬しています。まだ幼かったというのに
優れた剣の使い手で、勇敢に戦っていたとか。父上は俺の誇りです。」
涙が流れた。
瞳、からではなく心から。
汚れた自分は抱き締めてやることができない。
できることは、息子に偽りの幸を与えることだけ。
「そうか……。じゃあ父上のように立派な剣士にならないとな……。」
「はい!!」
癒えることのない傷が、確かにこの時一つ、増えてしまった。