Tears
グラン歴761年春―――
その日のレンスターは荒れていた。
真冬の寒さに雪まじりの雨が身体を突いて。紅く染まった大地には無数の魂の器。
そして大地を映した大空は、竜の侵略者がたくさんの魂を持って飛んでいた。
寒くて震えた身体を、ふいに暖かな『何か』がおおいかぶさった。
それは暖かくて気持ち良くて、赤という色なんて気にもしなかった。
瞬間僅かに雲が消えて、陽光が射し込みその雫を照らした。
上質のルビーにも劣らぬ輝きを放ち、俺の髪を、頬を、腕を、……身体を濡らした。
冷たい雨がそれを洗い流し、紅い雫となって地へと落ちていくのを見て
、俺は初めてその赤が目の前の人間から流されたものだと気付いた。
「くっ……はぁっ…!」
その人を傷つけた刃は、彼の肩をつき抜けて俺の頬をかすめた。
熱い。生命の暖かさ。こんな俺にも、血は通い魂はある。
鞘から銀色の剣を取り出して、竜の騎士を斬りつけた。
ゴトリと音をたてて首が落ち、溢れた血は大地をさらに紅く染め上げた。
騎士はその黒き瞳で宙を見つめ、数度瞬いてから動かなくなった。
主を失い牙を向ける竜。泣いてるかのように叫んで。
次の瞬間、金色の矢が竜の胸を射ぬいた。
グラリとよろめく哀れな竜に、容赦なく死神は舞い降りて。
二度目の傷を負った時、孤独な騎士は主の元へ旅立った。
「ジャムカ!!」
愛しい人を呼ぶ女神。生まれたばかりの息子と金色の弓を持って
駆け寄ってくる。こんな時だというのに、美しいと感じる自分は愚かだろうか。
「…大丈夫だ。肩をやられただけだ。」
押さえた手から雫は溢れ出て。その色と反対に彼は青白く染まっていった。
「は…やく手当てしないと…。」
いつもは気丈な彼女が、顔を蒼く染めてかたかた震えている。
手からこぼれた紅き血が、赤子の頬を濡らす。ファバルと名付けられた
子供は、大きな瞳に涙をためて泣き出した。
杖は使えない。傷薬もない。近くに教会も――いや、人もいなかった。
彼の傷は深すぎて。竜を食らった死神が、すぐ近くにいることを感じた。
「治療する術はないだろう?……俺はもう助からない。直この身体は動かなくなる。」
「そんなこと……言わないで。」
彼女の声を掻き消すように、竜の翼音が聞こえてきた。
こちらに向かうは四体。だが、ここにいれば空を舞う者全てがやってくるだろう。
「竜が……。」
まるで他人事のように呟いた。ここで死んでもいいかもしれない、と
よからぬことを思いながら。
「デュー…。こいつら連れて逃げろ。森に行けば奴等も手出しはできない。」
霞んだ視界には確かに森があった。
彼は頭につけていた布を渡し、弓を持ちかまえた。
「…ジャムカは?」
「俺はここに残る。奴等の相手をした方がいいだろう?」
「だったら俺が残る。ファバルにはジャムカが必要だ。」
「お前にも子供が二人いる。スカサハもラクチェも、お前の顔も知らず
今もイザークで暮らしてる。あいつら置いて、お前はさっさと逝く気か。」
「死なないよ。奴等を倒したらすぐに追うから…!」
「あの数を相手にして、命を落とさぬ者はいないだろう。
俺は放っておいても死ぬ。せめてお前等のためになって死にたい…。」
彼の妻は、ただただ泣きつづける息子を抱きしめ涙した。
彼の言葉はあまりに残酷で。でもそれが唯一つの道だから。
言葉は口から出る前に消えていく。頬を流れるこの雫は、雨なのかそれとも涙だったのか……
「行け!!」
放たれた矢は遠く遠い死神に当たり、その命を奪った。
あぁ…神は。いつも俺を奈落に突き落とす。
光浴び始めればいつも、暗い暗い闇に引きずりこます。
「死んだら……死んだら一生恨んでやるから!!」
吐いた言葉に彼は振りかえる。
笑ってた。でも、瞳には涙が溢れてた。
死にたくないだろうに。愛する人と子と、幸せに暮らしたかっただろうに。
やっと掴んだ幸を。やっと掴んだ夢を。彼は手放さなくてはいけない。
もう叶わない。願いはもう。ただ、人並の幸せが欲しかっただけなのに……。
「恨んでみろ。地獄でしかってやるからな。」
その言葉は、彼の最後の言葉だった。
吐く息は白く。彼女と子を連れて必死に走った。
森に辿りついた時、死神は鎌を振り下ろし大地を濡らした。
握り締めた布には、茶色の髪が二本包まれていた。
彼が愛したヴェルダンの、豊かな大地に似た髪が……
「……さん。デュー…ん。デューさん!!」
「…ん……パ…ティ?」
太陽がちょうど真上にある頃、自分を呼ぶ声と激しくゆさぶられることで
彼は目覚めた。
「な〜にねぼけてんのよ!もうお昼だよ!こんなにいいお天気なのにいつまでも寝てたら
カビがはえちゃうよ。」
母親ゆずりの金の髪をふりみだしながら、バタバタと部屋の中をかけまわる少女。
床にころがっている空き瓶を片付け、ふとんをはぎとり、カーテンを開け小さな窓を開けた。
「カビ、って……。勘弁してくれよ…二日酔いなんだから……。」
頭をかかえてまるまる。ガンガンと、頭の中から大きなハンマーで
思いっきり殴られているような衝撃が襲ってきた。
「あのね〜、こんな風通しのよくないとこで寝てたってよくならないわよ!!
お水飲んでご飯食べて、お日様の下にいれば治るわ。」
いつもは平気で聞ける彼女の声が、今は拷問器具のように彼を苦しめた。
「わか……ったから、もう少し静かに……。」
「ほーら、ご飯さめちゃうよ。早く行こう。」
自分より五十センチ以上も小さな女の子にひきづられながら、しぶしぶ
部屋を出、階段をくだった。長身の彼が歩くと、ギシギシと今にもぬけおちて
しまうんじゃないかと思うほどボロボロになっており、ところごころ腐っているので
注意深く歩いた。
「まったく。デューさんおっきいから階段ぬけちゃうよ。」
「…悪かったな。今、南の商人ととりひきしてるから、いい木が手に入ったら
すぐに直してやるよ。」
「南って……トラキア?あそこに木なんて……。」
「トラキアは木なんて豊富にないし、第一北との関係は最悪なんだから
売ってくれるはずないだろ。そうじゃなくて、ミレトスの方だよ。
あそこはまだそんなに厳しくないし、いい物ばかり扱ってるからさぁ。」
「ふ〜ん……で、今度はどこ行ってたの?昨日は疲れてすぐ
寝ちゃったから、今日話してよ。」
「……はいはい。飯ん時にな。」
「は〜い。お〜い皆ぁ。デューさん連れてきたよ〜。ご飯食べよ〜。」
「やったぁ。もうペコペコ。」「遅いよ。デューさぁん。」「早く早く!!」
そくされて苦笑まじりに自分の席ににつく。テーブルとはいえぬ、
板と板をくっつけただけのものの上には、湯気のたつシチューと
からっからに乾いたパンがひときれおいてあった。
「デューさんが帰ってきたから、久しぶりにお肉いれられたの。
皆、美味しい?」
「「「美味しい!!」」」
薄い、スープのようなシチューに肉と芋のかけらが少しずつ入っている。
それが彼等にとっては何よりのご馳走だった。
「おいおい……そんなに急いで食べるなって。……ファバル、お前年長者なんだから、
もっと年少組の手本になれるような食い方しろよな。」
ファバルと呼ばれた10歳頃の男の子は、小さな皿と古びたスプーンを手に持ち、
すごい勢いで食べている。そんな彼を真似して、小さな男の子達も一生懸命
食べていた。
「もうお兄ちゃん!!カッコ悪いまね止めてよね!!もっとアサエロみたく
静かに食べてよ!!」
パンをちぎって、兄に思いっきり投げつけるパティ。
「…んだよパティ!何すんだ。飯食ってる時に……。」
「もっと上品に食べろ、って言ってんのよ!アサエロみたくね!!」
ファバルの隣には、静かに音もたてず、黙々とシチューを口に運ぶ
少年の姿があった。
「ほら、見なさいよ。お兄ちゃんみたく食べ散らかしてないし、
お兄ちゃんみたく騒がしくないでしょ。皆、この馬鹿じゃなくて、
アサエロのまねして綺麗に食べようね。」
「なっ……兄に向かって馬鹿だ…」
「は〜〜い。わかったぁ〜。」
「な、なんだよ…お前達まで……。」
しょんぼりとあたりを見まわすファバル。
「ファバルはガサツすぎなのよ。もっと大人にならないと、女の子にモテないよ。」
「大きなお世話だ!そういうお前はどうなんだよ?
アサエロの妹のくせに全然しとやかじゃねーじゃんかよ。」
「るっさいなぁ!!デューさぁん…。ファバルがひどいことゆったぁ……。」
「大丈夫か、デイジー。おいファバル。あんま女の子いじめんなよ。
将来、本当にモテなくなったら困るだろ?」
「別にいいよ!こんな意地悪ぃようなのが女なら、
俺は一生女なんか好きにならねぇから!!」
ガタッ、と席をたち空っぽの皿を持ち鍋に向かう。
蓋を開けるとホワンといい香りがした。
「あ、っそう。お兄ちゃん結婚しないんだ?
あたし結婚しちゃうし〜、お兄ちゃん一人になっちゃうね〜、可哀想〜。」
手に持っていたべこべこのおたまを鍋の中に落としてしまった。
「ちょ、ちょっと待てよ!!誰と結婚すんだよ!!」
「もっちろ〜ん、デューさんと♪」
「デューさん!?おじさんじゃないか!やめろよ!!」
「おじさん、って…俺まだ25――」
「いいじゃない!!愛に歳の差なんて関係ないもん!!」
「愛、って……お前まだ8歳だろ!んな言葉覚えんな!」
「うるさいなぁ。お兄ちゃんには関係ないじゃん!」
「おま…関係ないって何だよ!俺はお前の兄だぞ!!」
「ふ〜んだ。たとえお兄ちゃんが何言ったってどうにもならないもん。
あたしはデューさんの奥さんになるの。ねぇ、デューさん?」
「え、あ、あぁ。」
(俺、本当は奥さんもいるしファバルよりもでかい子供いるんだけどなぁ…。)
ふぅ、っとパティに気付かれないようにため息をつく。騒いでいる内に、
不思議と頭に痛さはなくなっていた。
「あぁ!?デューさん、パティと結婚するの?嫌〜。あたしもデューさんと
結婚したいぃ〜。」
「ちょっとデイジー!あんたうちのお兄ちゃんと結婚する、って言ってたじゃない!!」
「だってファバル、子供っぽいんだもん。大人なデューさんのがいいの!!」
「子供っぽい!!悪かったな!お前なんてこっちから願いさげだ!!」
「なんですって!?もう泣いてお願いしても、絶対あんたとなんか
結婚してやんないんだから!!」
「そんなこと絶対ないから安心しろよ!それよりも嫁の貰い手がなくて
すぐにばばぁになっちまうんじゃねーのかよ!」
「言ったわね!!いいもん。いつか超美形などっかの王子様と結婚して
王妃様になるんだから!」
(王子様って……ファバルも一応王子なんだぞ〜デイジー……。)
「ね、デューさん。あたしは王子様じゃなくてもいいからさ、
あたしと結婚してよ。」
ガクガクとデューの肩をゆさぶるパティ。興奮してるのか、真っ赤になって喋っている。
「あ、あぁ〜……。(いや、俺も王子だったんだけど……。)そう…だなぁ、綺麗になったら
考えてやるよ。」
「本当!?やったぁ〜。じゃぁ絶対綺麗になるから、結婚してね♪」
「わかったわかった。」
「あぁ〜〜!!!ちょっと何約束してんのよぉ!」
「パティ!だからやめろって言ってるだろ!!」
さらに二人の子供に寄られ、もみくちゃにされるデュー。たまらず
助けを求めた。
「ア、アサエロ!!助けてくれ〜〜〜。」
「……ファバル、パティ、デイジー。」
助けを求められ、三人の名を口にする。
「んだよ!」「な〜〜に!?」「なによ、お兄ちゃん。」
ギロ、っと声を発した少年を睨む。彼はそれに動じず、こう呟いた。
「シチュー、もうないぞ。そろそろ片付けたらどうだ?」
見ると、彼の皿も他の全員の皿も、綺麗に空っぽになっていた。
外からは子供達のはしゃいでいる声も聞こえてきた。
「嘘だろーーーー!!!!!」
バタバタと、鍋に駆け寄るファバル。祈る思いで蓋を開けてみると、
そこには見慣れたボコボコの鍋底があった。
「あ〜〜〜〜!!!本当にない!ない!!ないぃ!!!」
「そりゃそうだ。お前達が騒いでる間に俺達が全部食ったんだから。
……あぁパティ。美味かった、ご馳走さま。」
「あ、うん……お粗末さまでした。」
久しぶりに肉入りシチューをたっぷり食べて、上機嫌で自分の部屋に
帰っていくアサエロ。
あとには空っぽの鍋とおたまを持つ、マヌケな姿のファバルが残された。
「あれ?ファバルは?」
日も沈み、まん丸な月が夜空にうかぶ頃。屋根裏の小さなデューの部屋に、
三人の少年少女が集まっていた。下の方ではもう年少組は夢の中にいるので、
小さな声で喋っていた。
「お兄ちゃんだったら、部屋でふて寝してる。お昼のシチューのこと、
まだ根にもってるみたい。」
「んもう。食い意地はっちゃってさ。」
「いつも人一倍食うんだから、一回くらい少なくたっていいじゃねーかよ。
ったく。」
「はぁ……。ホントだな。パティ、デイジー。悪いけど連れてきてくれるか?
『いい物見せてやるから、』って。」
「了解。叩いてでも連れてくるから、待っててね!」
「あぁ。でも皆寝てるから、静かにな。」
「は〜〜〜い。じゃぁ行ってくるね。」
キィ、っと静かに廊下に出、すぐに闇の中にとけていった。
「ねぇデューさん。いいものって何??あたし達にも見せてくれるの?」
「勿論。でも見ててもつまんないんじゃないかな。多分、アサエロとファバル
ぐらいじゃないか?嬉しがるの。」
「え〜〜。つまんないよ。」
「そう言うなって。ちゃんと話してやるからさ。ほら、もう行け。」
にっこりと微笑むと、パティのあとを追って外に出ていった。
「デューさん。ちょっとさ、お願いがあるんだけど。」
黙っていたアサエロが、いきなり口を開いた。顔はいつにも増して
真剣だった。
「ん?珍しいな、お前が俺にお願いだなんて。なんだよ?」
「俺、傭兵やろうと思うんだけど、許してくれる?」
「傭兵!?」
すっとんきょうな叫び声を上げるデュー。あわててアサエロがその口を
手でおさえつけた。
「しー。皆起きるだろ。」
「あ、悪い…。って、本当に傭兵を?」
「うん…。前から思ってたんだけど……ここはデューさんがいないとヤバイんだ。
いない時は本当につらいし……。だから俺が傭兵になれば、少しでも金が入って
食いもんも手に入るかな、と思って、さ…。」
「でも…お前まだ13だぞ?まだ成人もしてないじゃないか……。」
「わかってるよ。でも、デューさんだって13でグランベル軍に入ったんだろ?
だったら俺だって……!」
「でもな、俺には守ってくれる仲間達がいた。でもお前は違う。
同じ主に雇われたからといって、『仲間』だとは限らない。それに、
敵の傭兵にもお前と同じ境遇の奴がいるだろう。もしかしたら、ここで一緒に
育った奴等とも戦うかもしれない。お前はそれでも戦えるか?」
「………。」
「人を殺すのはすごくつらいことだ。俺だって……初めて殺した相手の断末魔…
今でもはっきり覚えてる。どんなに時が経っても、消えることのない傷がつくんだぞ。
それでもいいのか?」
「……できることならさ、人殺しなんてしたくないよ。でも最年長者の俺がやんなきゃ、
みんないつまでもひもじい思いをさせちまうんだ。そんなの俺……嫌なんだよ。」
「じゃぁ、もしもお前が死んだらどうなるんだ?皆悲しむし、デイジーはどうなるんだよ!」
「そうしたら俺はそれまでの男だったってことだ。自分で自分の仲間守れない
ような男がこの先生きていけると思う!?」
「だからって……あと二年、成人してからでも…。」
「それじゃあ遅いんだよ!デューさんだって気付いてるだろ?
森の獣も確実に数を減らしてるし、畑の野菜も年々収穫数が少なくなっている。
これじゃああと半年……もって一年だ。俺が働きに出れば、もっと長いこともちこたえられる。」
「…わかってるよ。もうここが限界なことぐらい……。今の世じゃ水を買うだけで金がなくなっちまう。
食いもんが足りなくて……餓死する可能性があることだって…。」
「だから仕方ないんだよ!どんなに頑張っても、今の世じゃ俺達孤児は満足に
生きていくことができない。それでも働きに出て生き延びることができるんだったら、
それに賭けるしかないじゃないか!」
「………。」
「何もしないで皆死んでいくより、今何かに賭けてみるのも悪くないだろ!」
「……っ…。」
唇を強く噛んだため、歯で切れて血がにじみでてきた。
自分の無力さを感じ、子供を戦場に出さなくてはいけない状態になってしまった
悔しさが、口に力を入れ唇を強く噛んでしまったのだった。
「デューさんには…すごく感謝してる。七年前の雨の日、小さなファバルとパティ連れてさ、
ここにやってきてからずっと俺達を支えてきてくれた。まだ18でさ、その頃の最年長者と一つしか
歳が違わないのに、一生懸命働いて俺達に服や食べ物を買ってくれた。
デューさんがいなかったら……きっととっくに俺達くたばってたよ。
俺はその恩返しもしたいんだ。七年間、俺達の為に働いて金つくってくれた
こと……。」
「そんなのはいい!!俺はここに世話になった。だからそれは俺なりの『恩返し』だったんだ。
お前が恩を感じることはない。」
「でも、俺達がデューさんのおかげで生きてこれたのは事実だ。
……命の恩人のデューさん、俺達ずっと守ってくれたシスター、そしてこの
孤児院の仲間達。俺の大切な人達に、少しでも恩返したいんだよ。」
「……危ない目にあってでも…か?」
「大丈夫だよ。……悔しいけどさ、俺子供だからあんまり雇い手がないんだ。
でもふもとの村だったら昔から俺のこと知ってて、弓の腕も認めてくれた。
村の用心棒としてなら、雇ってもいいって言ってくれたんだ。
だから、しばらくはそこで働くことになると思う。戦うことには変わりないけど…
それでも戦場に出るよりは何倍も安全だと思うんだ。」
「確かに……幾分マシになるかもしれないが、村の用心棒になったとしても、
あまり報酬は期待できないぞ。」
「それでもないよりはマシだろ。それに、そこで用心棒していれば
もしかしたら俺の腕を認めてもっといい報酬出す奴に雇われるかもしれないい。」
「そう簡単にいくわけがないぞ。」
「そんなの充分承知してる。それでも賭けるしかない。
それしか俺達全員生き残る術はないんだから。」
「アサエロ……。」
「お願いだよデューさん。許してくれ。絶対に危ないことはしない!!
命に関わる仕事はしないから!!」
アサエロの体は、小刻みに震えていた。
今年で13になった彼だが、栄養が充分ではなかったため、同年代の貴族の子供と
比べると哀れなほどやせっぽちだった。
「……わかった。」
自分の身を斬られる思いで、彼はアサエロが傭兵になることを許した。
「ただし、絶対にさっき言ったことは守れよ。
もし破ったら、地獄の果てまで追って叱りとばすからな。」
「わかってる。ありがとう、デューさん。じゃぁ……もう一個…。」
「まだあんのか!?」
「うん。その…俺もピアスあけたいんだけど……。」
右手でデューの耳を指差す。左耳にニ個、右耳に一個、ピアスが
キラキラと輝いていた。
「はぁ!?ピアス?いったいまたなんで……。」
「ほら、前言ってただろ。デューさん大切な人との約束守る印として
ピアスあけたって。俺もさ、今約束したこと守る印として開けたいんだ。」
「あ、なんだそういうことか。俺はまたお前女でもできて色気づいたのかとばっかり……。
別にあけてやってもいいけど慣れてないと痛いぞ。」
「それは……我慢するよ。ね、今からいい?」
「おう、いいよ。どっちの耳に何個だ?」
「左に一個でいいよ。そんな痛ぇんだったら…さ。」
「んじゃ目、つぶってろ。見てると痛さ倍増だから。」
「……うぃっす。」
腰につけた袋の中から、護身用の針をとりだした。自分の耳もこれであけたものだった。
そおっと耳たぶに針をあて、ゆっくりつきさしていった。
早く痛みから解放してやりたかったが、こうでもしないと真っ直ぐに穴があかず、
ピアスがつけられない場合があるからだ。
「…痛っ…っ…。」
なんとか貫通したので、ゆっくろと耳を傷つけないように針を抜いた。
「よし、これでいいけど針から菌が入るかもしれないから
消毒しなきゃな。ちょっと来い。」
また袋をゴソゴソと探し、小さな瓶を取り出した。
「ちょっとしみるけど我慢しろよ。」
少量を手にとり、アサエロの耳に塗りつけた。穴からポタリポタリと
血が溢れ、デューの手をつたって床に落ちていった。
「痛ぇっ……。」
「おし、これでいいぞ。おい、これで耳押さえとけ。血が出なくなったら
これつけろ。」
ポーンと白い布と左耳につけていた銀のフープピアスを投げた。
「あれ?いいのこれ。つけてたやつでしょ。」
「別にいいよ。もう一個金のがあるから。あぁ、そうそう。
ピアスの穴ってつけとかないとすぐにふさがるから気をつけてな。
風呂入る時以外はつけとけよ。」
「あぁ。……にしても、あいつら遅いな。」
「?そうだなぁ。ファバルの部屋って二階の階段のそばだろ?
とっくに帰ってきてもおかしくないのに……。」
「……ちょっと見てくる?」
「……だな。」
ゆっくりとドアを開け、廊下に出る二人。大人のデューとこの孤児院の中で
一番大きいアサエロとが一緒に階段をおりるため、底がぬけないように
慎重に静かにおりていった。
「(ここだよな?ファバルの部屋。)」
「(そう。ちょっと開けてみて。)」
ドアノブに手をかけ、ゆっくりとまわす。たてつけが悪いので
なかなか開かなかった。
「(よっ、っと。おっしゃ開いた。)」
そろ〜、っと中を覗いてみると……
「あ、デューさん、お兄ちゃん。ねぇどうしよう。これどうにかしてよ。」
そこにはふとんにくるまりうずくまっているファバルと、その上にのしかかり
バシバシと叩いているパティの姿があった。
「お兄ちゃんのバカ!バカ!!バカ!!!」
「な…にがどうなったんだ?」
「あのね、あたし達が呼びに来た時ファバル寝ててね。何言ってもこっちにこないから
布団をはがしたらさ、チーズ食べてたの。それでパティが怒っちゃって……。」
なるほど、そういえば部屋の中にチーズの匂いが漂っているし、ベッドの上には
チーズだと思われるかけらが散らばっていた。
「まったく…。呆れたもんだな……。」
三人はふぅ、とため息をつき、兄妹を放って屋根裏部屋に戻っていった。
「……で、『いい物』って何?」
目の前の人物にそう問うアサエロ。彼の隣には顔中傷だらけのファバルと、
不機嫌そうに結っていた髪をほどいているパティがいる。
「あ、そうそう。ちょっと待ってろ。」
ベッドの上に放り投げておいた大きな袋を手に取り、ごそごそと
中に手をいれた。
「ぶ〜。どうせあたし達には関係ないもんなんでしょう?
お兄ちゃんってばずる〜い!デューさんがつけてたピアス貰った上に
何か貰えるだなんて〜。あたしだってそのピアス狙ってたのにぃ〜〜〜!!」
ビシィ、と指差された先にはゆらゆらと
揺れているシルバーのフープピアスがあった。
「嘘!?アサエロピアスしてんの??いつ穴あけたのぉ〜〜?」
「さっき。お前等がファバル呼びにいってる時にデューさんにやってもらった。」
「嘘だろ〜?お前そういうアクセもんって、嫌いじゃん。」
「別にこれは……。装飾品としてじゃなく、男としてつけてんだよ。」
「男〜〜〜???お兄ちゃんもファバルに似て変になっちゃったんじゃないの?」
「んだと?俺のどこが変なんだよ!!」
「何よ!!本当のこと言っただけでしょ!」
「おい、お前等!少しは静かにしろ!もう夜中だぞ。……ほら、これだよ。」
袋から取り出したのは、弓だった。月光に反射して、暗い部屋
を照らす美しい銀色の弓だった。
「キャーー。綺麗〜♪」
「う…わ…すげぇ。」
「うわ〜、初めてみたよ〜。こんな綺麗な弓。」
「これって銀の弓…?どうしたんだよ、こんな高価な弓?」
「あ〜、この前さ、道で倒れてる商人を見つけてね。
何でもミレトス地方に行く途中だったらしいが、
賊に襲われ命はなんとか助かったものの、金と食い物を落としちまったらしくてさ。
飲まず食わずで四日間歩いてたからついに倒れたんだと。
で、持ってた水と食料をやったらさ、お礼にっつってこれくれたんだ。」
ほら、と銀の弓をアサエロに渡した。
「ま、貰っても俺は使えないし、売ったら勿体ないだろ?
だからお前にやろうと思ってさ。」
「え?俺にくれんの!?」
「ちょ、ちょっと待ってよ!!なんでアサエロなんだよ。俺は?」
「アサエロはもうすぐ13歳だし、そろそろこんな弓を持ってもいいだろ?
これからのためにもなるだろうし。お前はまだちっこいしな。
まだこれを持つには早いだろ。」
「え〜〜〜!俺もなんか欲しいよ!!こいつばっかずるい!」
立ちあがり、ベッドの上に座っているデューの首をつかんで
そう叫ぶ。興奮してるため加減ができず、思いっきり力をこめてしまったため
首がしまってしまった。
「いっ…ってーな!」
なんとかファバルの手をはがす。
「…ゲホゲホ…。……最後まで人の話聞けよ。そう言うと思って、
お前にもちゃ〜〜んと別のもん用意してきたんだよ。」
ジャーン、っともう一つ弓を見せる。今度のは先程と違って
そう美しくもなく、かなり使いこまれている品だった。
「なんだよ〜。すっげぇ古い弓じゃん。使えんの?これ。」
弓を受け取り、残念そうに呟く。と、隣のアサエロが興奮した様子で
喋りかけてきた。
「何言ってんだよ、ファバル!!お前これキラーボウじゃん!
かなり貴重なもんだぜ。」
「そうだぞ。これは市場には出回ってないほどすっげぇ貴重な物で、
弓使いなら誰だって一度は憧れる名弓だ。使い手の技量によって、
この弓の威力も大きく変わるから、普通の奴にはこいつの真の威力を
引き出すことはできねぇけどな。」
「すっげぇーーー!!何?これそんなすげぇ弓なわけ?」
二人の説明を聞いて、目をキラキラと輝かせるファバル。
先程とは違って、弓を大事そうに扱っている。
「そうだよ。使い手によっては、あの幻の弓である勇者の弓よりも
強い武器になるんだ。やったじゃん。」
「ま、今のお前にはこいつを完璧に操ることはできないけどな。
今まで使ってたやつより軽いから的に命中させやすいし、お前にはちょうどいいんじゃないか?」
ポンポンと頭に手をやる。
「これはどうしたんだよ!そのへんじゃ売ってないんだろ?」
「俺の昔の知り合いがさ、使ってた物なんだよ。俺が預かっててそのまんま。
持っててもしょうがないから修理屋に頼んで綺麗に直してもらったんだ。」
「へぇー。でもいいの?これ、人のだろ。勝手に使って怒られない?」
「大丈夫だよ。……お前に使われた方が、あいつも喜ぶだろうし。」
最後の方は、自分に言うようにポツリと呟いたので、
四人の耳に入ることはなかった。
「ねぇ、これだけぇ?あたし達にもなんかないの??」
「あぁ?お前等には俺から鍵開けだとか教えてやってるだろ。
この前から剣の稽古だってしてやってるしさぁ。」
「稽古だけじゃ嫌だよ〜。あたし達だって何か欲しいもん!」
「そうだよ!お兄ちゃん達ばっかりずるいよ!!」
大事そうに弓を抱えている兄達を見、二人の少女は今の時刻を忘れ
ギャーギャーとわめきちらした。
「……静かにしないと本当に何もやらんぞ。」
怒りの表情を見せ始めた青年の言葉により、
少々ビクつきながら黙った。
「正直に言うけど、ここに帰ってくる途中で金目のものは
ほとんど売っぱらったんだ。お前等が喜ぶようなもんも全部な。」
「本当に何もないの……ないんですか?」
「あとは俺が使ってる剣と、この前手に入れた剣ぐらいかな。」
ベッドの横には、その剣がたてかけられていた。
大きな銀の剣と、青く、柄に碧の宝玉がはめ込まれている、
魔法剣だと思われる剣。細くてパティ達でも持てそうな剣。
全てデューが好んで使っている剣だった。
「その『手に入れた剣』ってのはどんなの?」
ねだってもきっと無駄だと思ったのだろう。
パティは新しい剣について問うた。
「ん……結構珍しいかな。トラキアは結構好んで使ってるみたいだけど、
他ではシレジアで一回見たことがあるぐらいだし。
俺はいらないから、使えるようだったらあげてもいいぞ。」
「本当?見たい見たい。」
「…ったく。っと…あぁこれ。」
ベッドの下に隠されていたのは、見事な剣だった。
柄は青く、刀身は銀色に輝き、柄と刀身には薄い紫の宝石が
はめ込まれている。
「これだよ。結構すげぇだろ?」
小さな窓から月の光がこぼれ、銀の刃がギラリと不気味に輝いた。
「綺麗…!これなんていう剣?」
「"女神の愛――スリープ――"。古代の純潔の女神が、自分の恋した相手が
永遠に自分の傍にいてくれるようにと父である主神に頼んでその青年を眠らせたんだ。
歳もとらず、ただ眠りつづけるようにと。その時に使われた杖の先端についていた
魔法石を、人間が模して作ったのがこの石。」
「じゃぁこの石は眠りの魔法が封じこまれてるの?」
「そう。スリープの魔杖にもこれと同じ石がはめこまれてる。
すっげぇでけぇのが。これは少し小さい石を剣にはめこんだもの。
これを使うと眠りの魔法が発動すんだ。っつっても小さな魔力だから
あんまり効かねぇんだけどな。」
「女神様の愛かぁ〜。スリープにそんなお話があったんだぁ。」
「んでも恐ろしい愛だよな。何も関係ない奴にいきなり永遠眠らさせるんだから。
こっちはたまったもんじゃねぇーよ。」
「お兄ちゃん!!なんであんたってばそんなことばっか言うのよ!!」
ビシバシと兄の頬を殴りまくるパティ。その姿が、あの日消えた英雄の
姿を思い出させる。
本当は、本当はあいつがここにいるはずなのに……。
平和な世であれば、こんな光景を見れただろうに……
「デュー…さん?」
透明な雫が頬を濡らして。それが小さな空間に静寂をもたらした。
額につけた白き布が、風もないのにフワリと舞った。