*66番札所雲辺寺をめざして歩きます。

4月29日(第38日)

 今日はどこまで歩くか全く見当がついていません。

 次のお寺、第六十五番札所まで36kmあります。5時までに到着しなくても構わないと思いながら歩いています。ふもとの町(ここでへんろ道は海岸沿いから離れ山へ迂回するコースに向かうので「へんろ別れ」という交差点があります。)で一泊して明日一番で第六十五番へ行けば良いと判断しているからです。




 のんびりと歩きます。途中でHPを仕上げたりしながら、国道を歩いたり、旧道を歩いたりします。山と海に挟まれた平地の中間部を国道のバイパスと旧道が平行したりクロスしたりしています。旧道は車が少なく住宅地や商店街の中を抜けて歩くのです。その住宅地の中で、お堂の横の集会場前のベンチで休んで、昼のパンを食べながらモバイルをやっていたら、若い家族連れが寄って来ました。ご主人が「以前そのお堂で足を痛めていた人を一晩泊めたことがあるんです」と声をかけてきて話をしました。どうもご主人は一度おへんろをやってみたいような口ぶりですが、奥さんと小さな二人の子供に反対されているようでした。男には家族から離れて一人だけの時間を持つ夢を持っているのでしょう。家族以外、誰にも文句を云われない「おへんろ」は格好のイベントなのでしょうかね。また歩き始め、一つだけ峠を越してまた平地に出ます。約30km歩き「へんろ別れ」の町に到着して、宿を取りました。



 明日はいよいよ最後の山へ登るのです。この宿から6km山に登った第六十五番三角寺から15kmで登山口、そして5km3時間の山道で六十六番札所へ到着です。下りが約10kmの山道で六十七番札所です。昼までに登山口まで到着すれば、普通なら登るでしょう? でも無理はしません。登山口近くの民宿に電話で予約をしました。(予約が必要なので)






JR中荻駅・・・30km「ろんどん荘旅館」



4月30日(第39日)

 今朝の天気予報どおり雲が厚くて、すきっとしない空模様のなか出発します。歩く距離は21kmほど、夕方までには充分過ぎる距離です。幾つかの角を曲がりながら歩いていると、あの北条市での「つえ大師」のお堂に宿泊することを勧めてくれたお坊さんのような人に出会いました。自転車は下の駅に預けて、山を越えてから取りに行くとの事でした。一緒に話ながら歩いていると、軽トラが追いつき「三角寺まで乗らないか」とのことで二人して荷台に乗りました。さらに、横峰寺さんでちらっとお会いした野宿専門の歩きおへんろさんに追いつきその人も乗せました。黒装束のお坊さん風おへんろさんにも追いつきましたがその人は乗りませんでした。結局4人が雲辺寺を目指しています。


 六十五番札所三角寺は愛媛県(伊予の国)最後のお寺になります。どなたかが土佐のスイカを持って来ていて、それを切ってみなさんにお接待しています。私も今年始めて食べる西瓜でした。





 私は時間がたっぷりあるので他の人達と別れぷらぷら歩き始めます。途中、ゴルフ場のレストハウスで朝飯とも昼食とも分らない食事をして、ゴルフをしに来ていた人達と話をしてまた歩きます。このへんは、愛媛県と高知県と徳島県の境のようなところで四国の「へそ」だと云われているようです。確かに大歩危小歩危まで○○kmという表示もあり山の奥へと進んでいるのだなあと実感できます。

 三日前に、六十番札所横峰寺さんに登るときの宿で一緒だった若者が追いついて追い越して行きます。彼の話だとあの自営業の人も今日同じ宿「民宿岡田」に宿泊するようです。雨が降ってきて、雨具の用意をして歩き始めるとご夫婦の二人連れが追い越して行きます。その二人も「民宿岡田」に泊まるそうです。様々な人達が雲辺寺を目指して集まって来るような気持ちになり「民宿岡田」に宿泊するのが楽しみになってきました。


 「民宿岡田」に到着してみると既に6人の人達がいて後から来た一人を加えて8人になりました。全員明日雲辺寺に登るのです。この他にあのお坊さん風の人達を入れると11名がこの近くに集まって歩いて山に入るのです。






 「民宿岡田」のご主人はとても親切で、ご飯のお釜を横に置いておかわりのご飯をよそってくれます。前日宿泊した三味線弾きの若い女性おへんろさんに今朝TV局が取材に来たとか、佐賀大学の学生さんが修士論文で「おへんろ」を取り上げているのでアンケートに協力して欲しいとか、山道の状況などを話してくれます。私がホームページの話をすると「くしまさん」を紹介してくれました。何人かがおへんろさんのホームページに興味を持ったのでモバイルをやってみましたが、ホームページの画面が出るのに時間が掛かりこれは失敗でした。PHSと携帯では接続時間が違い過ぎました。よけいな事をしたと反省して、すぐに寝ることにしました。


「ろんどん荘旅館」・・・六十五番札所三角寺・・・21km「民宿岡田」



5月1日(第40日)

 いよいよ出発の朝です。雨もやんで雲間から日が差しています。6時には食事の用意が出来て8名全員揃って食べました。やはり自営業の人が一番で出ました。あの若者は最後のようです。宿のご主人が一人一人に道を教え見送ってくれます。

 登山口でザックを背負い登り始めます。昨晩宿のご主人が話しをしてくれた通りいくつもの倒木があり、振り返ると四国の山々が重なってきれいです。「早い人なら1時間だよ」のとおりで私も2時間ちょっとで六十六番札所に到着しました。山の頂上付近に建物が並んだ大きくて静かなお寺でした。頂上には標高1000mの標識があり、展望台もあります。大パノラマを期待したのですがあいにくとガスが出てきて遠景は残念でした。






    


 次の六十七番札所までロ−プウエイを使わずに山道を下ります。宿から頂いた弁当を途中で食べ3時間半掛かってくるま道にでました。今日は久々に肩と足の裏にザックの重さが加わったのですが登りが少なかった分楽でした。もう香川県の町観音寺市に入り田園地帯の道を歩くのです。道沿いにお地蔵さんがたくさんあり、いよいよ弘法大師が生まれた讃岐の国に入ったのかという感じを受けました。


     

六十七番札所大興寺は山門の中、階段を登った丘の上にあるこじんまりしたお寺でした。



 お寺を出て海岸の近くにある六十八番札所へ向かいます。国道11号線に出てそれを横切りさらに海の方へ歩きます。自転車に乗ったおばあさんが追いついて、赤飯をお接待してくれて「この先のうどんやさんで食べなさい」とうどん屋さんまで教えてくれました。讃岐うどんのことなのでしょう。そのうどん屋は女性ばかりで、二人の女性が足でうどんを踏んでこしらえていました。でもとてもおいしいうどんでした。観音寺市街地はそれほど大きくはないのですが観光地として賑っているのかとても活気のある街でした。「生徳旅館」という100年からの古い旅館の広い部屋で寝ることにしました。


「民宿岡田」・・・六十六番札所雲辺寺・・・六十七番札所大興寺・・・「生徳旅館」


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