*40番札所から伊予の国・<菩提の道場>を歩きます。

4月18日(第27日)

 そういつまでも留まっている訳にはいきません。今日の午後仕事が一段落したときに出発することにしました。そうしたら、車で四十番札所とさらに宇和島まで送ってくれるということになりました。天気もよくドライブ日和で、留守番一人残してみんなで出発しました。

 
四十番札所へ、歩くと一日行程ですが車だと一時間たらず、皆おみくじを買ったり、饅頭を買ったりとすっかり行楽気分でした。そして、さらに宇和島まで足を伸ばし、宇和島城の近くで車を降ろしてもらい、お礼を言って別れました。


        

 
宇和島で車を降り、とりあえず駅を目指してぷらぷらといつもどおり歩きます。一応サウナ風呂24時間営業という看板を見つけてここが今晩の寝床と決めました。駅は終着駅で高松経由岡山行きの特急が入っていて旅行客が行き来しています。駅で休んで、サウナに行こうとさっき来た道を歩いていると、自転車に乗った青年が近づいて来ました。あの高知で知り合い、三十五番札所清瀧寺で一緒に泊まろうと約束して、私は車でもっと先の三十六番札所まで行ってしまった時の青年です。もう出会うことはないと思っていたのですが、こんな時間に、こんな場所で、あれから2週間ほど経っているのになんで出会ってしまうのだろうか?待ち伏せしていた訳でもなく、ちょっとしたタイミングのすれ違いの瞬間に、お互い不思議な気持ちでしばらく立ち話をしました。


”菜の花”・・・四十番札所観自在時・・・宇和島市街



4月19日(第28日)

 24時間サウナと云っても、大阪などの大都会と違って値段が格安600円の終日営業男性だけの銭湯でした。今日はどうも雨の様子です。雨はどうも苦手です。朝一番の予定がやっぱり午前8時すぎになって出発しました。

 
これから先は松山市まで山の中の札所を回ることになります。当然、山道もたくさんあります。国道や県道を歩くとかなり遠回りになるのと、トンネルはすごく危険な状態で赤色点滅灯の威力が発揮出来ればいいのだけどちょっと不安です。まして雨の日の道路は最悪なのです。ポンチョをまとってしまうとおへんろさんだとは解りにくくなってしまうからです。

宇和島市街地を出て約10km、3時間掛かって四十一番札所龍光寺に到着しました。ここは、お寺とお宮が仲良く同居しているのでしょう、鳥居と山門の中に本堂と社がちょっと離れて建っています。鳥居の横の食堂にキャリーを預け、身軽になって奥の階段を上がります。お地蔵さんも地蔵菩薩を中心にきれいに並んで待っています。


 
食堂に戻って昼食を取りながら、時間をつぶします。どうも雨の中出発したくないのです。



       

      私が着ているものは、帽子・Tシャツ・ズボンそれぞれユニホームです。


 それでも歩かないことには前に進みませんから、しぶしぶ歩きます。そこから3km先の四十二番札所佛木寺に行きました。ここは縁日で、もう終わっていましたが国宝の大師像があってこの日だけ公開されていたそうです。次の札所は12kmくらい先で峠を越すようです。そこまで歩いても5時前には着かないとあきらめ、佛木寺から2kmほど先の民宿に泊まることにしてしまいました。

     


久々に、マラソン大会の前日の民宿のような歩きおへんろ4人と宿の人達のにぎやかな夕食を食べました。


宇和島市・・・四十一番札所龍光寺・・・四十二番札所佛木寺・・・民宿「とおべや」



4月20日(第29日)

 今朝は、どんよりした天気であっても雨はやんでいました。全員6時半までには朝食をすませ、7時には出発しました。山道に入るとお地蔵さんが二体で励ましてくれます。キャリーに付いたザックを背負い県道から離れて山の峠を目指します。久しぶりの本格的な山道で、荷物が肩と足に懸かりますが、この位の短時間では痛くもなくスピードが若干落ちるだけで順調に前に進みます。連日の山歩きは無いでしょうから、これから先も安心できました。4kmの道のりを2時間ちょっとで歩き、また県道に出ました。四十三番札所の明石寺は県道から1kmほど山の中にあり勾配のきつい車道を登るのが一苦労でした。


 四十三番札所の明石寺は山の中の静かなお寺でした。相変わらず、団体バスの人達が次から次へと参拝しています。般若心経もいつしか暗記して、一緒に声を出して朗読?することも出来るようになってきました。

     

とうとう、おへんろの菅笠を購入しました。


 四十三番札所を後にしてすぐ山道を登り、山を降りるとなんと江戸の時代の街にでました。「格子戸をくぐりぬけ見上げる夕焼けの・・・・」まさにそんな感じの城下町でした。文化と歴史の里と銘打った宇和町です。シーボルトの娘が蘭学と西洋医術を学んだ街だそうです。開明学校は、西日本で最初の学校で教科書に載ることになったそうです。愛媛県の県央に位置する盆地で、最近はベッドタウンとして住宅がたくさん作られているそうです。確かに、最新の中層共同住宅もあちこちにみられます。みなRC造でした。

     


 今日は、30km以上が目標で、大州市(おずし)まで歩きます。峠のトンネルをくぐると遠くに大州市が見えます。そして四十四番札所まであと50km地点のJR大州駅に宿泊することにしました。

民宿「とおべや」・・・四十三番札所明石寺・・・JR大州駅



4月21日(第30日)


 朝6時30分には駅を出て国道を歩きます。雨は降っていませんが、どんよりした曇り空でいつ雨が降ってもおかしくない状態でした。町を出ると国道の両側は大型店舗が続きます。スーパー、量販店、ファミレス、本屋など皆広い駐車場付きです。1時間ほど歩くと国道からずれて古い街並みの中をとおります。街道筋の商店街?かもしれませんが、とてもきれいに維持していることが不思議でした。最近高速道路が開通しさらに延長工事をやっています。あの大型店舗群はどうなっていくのか・・・


 
ぽつぽつと雨が降ってきました。雨宿り出来そうな国道まで濡れて歩き、峠にある弁当屋の軒を借りて休みました。寝不足と雨に濡れて、意気消沈していると、店の旦那が弁当をお接待してくれました。”菜の花”と比べると質素でボリュームもないのですがありがたく頂き、雨具を出しザックも濡れないようにして歩きます。峠を越すと内子町に入り、町役場のロビーで30分ほどウトウトしてから、そこのお茶を貰って弁当を食べ、また歩きます。


 内子町にも「白壁のある街」が売り物になっていて、観光客を集めていました。しかし、これがへんろ道からはずれていて、最後に国道に出たときにはハンドブックと全く違う所に出たのが解らずに間違った方向へ進んでしまいました。2時間もロスをして、国道379号へ曲がる所へ戻りました。既に4時近くになってしまい、そこから1時間ちょっとの無料宿泊施設に泊まることにしました。そこに置いてあるノートにも道を間違ったことがいくつか書いてありました。電灯があり、ふとんもあるのですが、靴下やズボンが濡れているので使用せずに寝袋で寝ました。


JR大州駅・・・18km無料宿泊施設(宮田さんのお接待宿)



4月22日(第31日)


 朝早く眼をさまし、準備をして5時30分には出発しました。国道379号線から380号へと歩くのです。私の家の近くには国道246号線があり、ドメイン名はそこから取ったのでしょう。そんなローカルな一般国道を歩くのです。この道は愛媛の山の中へと進んでいくのです。






 30分ほど歩くと、自販機で買物をしてる人に会い挨拶を交わしました。どこで泊まったのか質問され、宮田さんの施設と答えてすれ違いました。すると後から車で追い掛けてきて朝食をお接待してくれました。ビールまで飲んで話がはずみ、叔母さんまでが来ました。福岡竹男さんといいとても親切な人でした。出発するときには、お大師様の誕生日の昨日ついたというおもちと、みかんやキウイそして千円札までも頂き感謝して別れました。

     


 この国道沿いには、いたるところにお地蔵さんがあります。それも一体ではなく複数まとめて並んでいます。もしかして、崖崩れなどの災害かと思いましたがちょっと多すぎるようです。四十三番札所から約50kmから60km主要な街道からサブの道へ別れて進むのは今でこそ地図の読み違いですみますが、当時は大変なことだったのではないでしょうか?さらに歩いて、国道380号になると段々と勾配がついてきて、山へ登っていきます。峠を越すと今度は下る一方です、とうとう1日で35kmも歩いてしまいました。四十四番札所の少し手前で宿をとり、今日はベッドに寝ました。


無料宿泊施設・・・・35km「ガーデンタイム」


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