*二十三番札所から室戸へ80km。

3月24日(第9日)

 昨日は有意義だった。昼に薬王寺について、そこでホームページを完成させてから電話を探した。中々接続出来ない。そうしている内に雨になり、薬王寺で雨宿りしていたら初日に一緒になった青年に会った。二人で、”善人宿”なるものへ行った。昨日、元駅長が教えてくれた「むぎめし定食」のオーナー橋本さんの土地にあるバスが無料で提供されているのだ。晩飯まで無料だった。近くの温泉に入り、晩飯を食べたあと、激しい雨の中パソコンを持って門前町の薬局へ行った。地蔵橋駅のママさんから聞いた「イソジン」と「水枕」を買う口実で電話を借りようという魂胆だった。しかし、薬局の家もFAXや親子電話で複雑過ぎた。そのおばさんが「この近くにインターネットをやってる人がいる」という有り難い言葉でその家を紹介してくれた。その方は、新居雅史さんで部屋はパソコンと周辺機器が置いてありISDNを使って仕事しています。「PCサポート”NU”」という名刺を頂いた。さっそく、Eメールを受信し、ホームページのサイトを転送した。感謝感激でお礼をいいバスにもどり、台風のような暴風雨の中で眠りに付きました。

 そして、今朝は80km先の室戸を目指して歩き始めました。すぐに68歳の元気の良い人に追いつかれ、一緒に2時間ほど歩いた。ものすごく積極的で前向きな人でした。昨年秋に一番から十九番まで回り、今回続きを歩いているのです。多分、リフレッシュで来ているようでとても清々しい気分になりました。でも足が痛く別れました。ぷらぷら歩いて太平洋の見える町へ来た。空と海がとてもきれいだ。これから先はいつも空と海が見えるのだろうか。




 でも、また内陸に入り峠を越します。薬王寺から25km過ぎです、突然いくつかのお地蔵さんが現われました。きっと国道が整備されるずっと昔、80km先の室戸を目指して歩く途中で亡くなったおへんろさんをまつってあるでしょう。険しい山道とは異なる、距離の長い道も大変つらいものです。いつ着くのか分からない心ぼそい旅です。ですからこの近辺からは国道に歩道が付き安心して歩けます。午後6時前、30km歩いて海部町へ着きました。ガソリンスタンドで電気を貰い、食堂で水枕にお湯を頂き、海部駅の高架になっているプラットホームの待合室で寝ることにした。

           

・・・二十三番札所薬王寺から30km












3月25日(第10日)

 吹きさらしの高架の上のプラットホーム、湯たんぽがあって少し助かった。でも寒かった。

 ここまで来ると室戸まで50km。もうあせる必要はない。後は、国道の歩道を歩くのみだ、スピードが遅いぶん時間をかければ距離はなんとかなる。夜更かし、夜なべはおてのものなんだ。「オーバーナイトハイク」という手もある。途中で湿った寝袋も干せるし、ホームページも更新出来るかも知れない。朝6時、日の出と同時に、ゆっくりとぷらぷら歩き始めた。海辺で少し上がった赤い太陽が背中にあたり、明日の朝水平線から見る日の出を期待しながら歩くことにした。






JR阿波海部駅を出て10km行った所で国道からはずれJR甲浦駅の方向に向かった。この駅がJRの終着駅だから期待して行ったのです。しかし駅周辺はなにもなく、区画整理工事のさなかで、土木工事の作業所がありました。大鉄工業四国支店の作業所で電話を借りました。親切で若い現場監督は、crazy@とかいうEmailアドレスを持っていました。若い人達の間では当たり前のことなのでしょう。





 そこから更に30分ほど歩いたら、一人のおへんろさんが休んでいました。その人は、香川県に在住の会社経営者で、今は炭焼きに手を染めているらしく、”うばめがし”が備長炭になることを教わりました。道沿いの岩肌に”うばめがし”が沢山ありました。既に四回も車で八十八ケ所を回った人でした。近所のご老人のおばあさんを誘って、月に一度、日帰りで回っていたのです。そうして何ヶ月もかけて四度も回られたそうです。町の篤志家というところでしょう。昨年の5月から土曜日を休日にしたことで、今度は歩きへんろをしようと一人で月2回自宅の近くから始め、23番札所までも終わり、室戸を目指して何週間もかけて歩くのです。今日は宍喰(ししくい)駅まで来て、前回の続きを歩いていたのでした。その人の口癖は「社会のためになることをしたい」で、とても好感のもてるおじさんでした。
 


 おへんろの旅もここまで来れば、様々な方法でおへんろの旅をする方々が沢山いらっしゃるという事で感心して終わります。しかし、もっと大変なことがあったのです。その人の喋り方は方言まるだしで、大きな声で喋ります。その方言が香川弁だとは知りませんでしたが、実は私の知っている人もその方言で喋るのです。顔を見なければその知人と喋っているようでした。その知人とは今年の1月に新宿の歌舞伎町のそばで会ったのですが、年齢は70歳をすぎゴルフはやっていますが足はだいぶ弱っていました。今日会った人は、私の知人の20年前そっくりだったのです。私にしてみれば息も出来ないほどびっくりしました。そして、その後夜中の1時すぎに握手して別れるまで12時間以上、二人でとぼとぼと、でも一生懸命喋りながら歩くことになったのです。



 昼間のうちは砂浜で休んだり、途中で3人のおばさんにお接待されたぽんかんを食べたり、のんびりと歩きます。そのうち暗くなり、15km以上何も無い星と海しか見えない道を並んで歩きました。最終バスの出てしまった港町のラーメン屋で、はながつおの刺身をお接待され、夫婦岩の少し先、あと岬まで12kmのところで、電話で迎えに来てくれたその人の奥さんの運転する車で室戸岬まで送ってもらいました。ものすごい突風の吹き荒れる室戸岬は、沢山のおじぞうさんや像があり、真っ暗な恐いところです。明かりのあるきれいなトイレの前で、お礼を言って握手をして別れました。その”もりなが”さんという人は、また数週間後に室戸の12km手前から歩くのだそうです。そして、私の肩にはパソコン以上の重いものが重なりました。この旅はとても不思議なおそろしい旅です。

JR海部駅から・・・・・・室戸岬


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