*第一番札所 ”竺和山 霊山寺”から旅のスタートです。

3月16日(第1日)
 朝雨が降ってるので、ぐずぐずしながら出発した。一番札所はすでに団体の人達で賑っていました。雨が小降りになり気温も高くなりこれなら頑張れると気を持直して歩き始める。二番札所で境内に小さなお地蔵さんがあり、抱上げた時に重たければ願いは叶わず、軽ければ願いが叶うとありました。心で願いをかけ持上げました、肩と腕が痛く重さは解りませんでした。三番札所では「黄金の井戸」というのがあり、この井戸を覗いて自分の顔がはっきり写れば長寿、写らなければ三年とのこと、恐る恐る覗きました。はっきりと写っていました。”よかったあ”



 今日これから先のコースを検討した。どこまで行くかとても難しい。ここでは距離と時間がリンクしないし、寝床を考えると頭が痛くなる。でもこの暖かさなら頑張ろうとちょっと無理をした。

しかし、ここから先は不思議な旅でした。五番札所を出て六番札所へは5.3kmの長丁場、途中で道に迷いました。突然現われた女性のおへんろさんが道を教えてくれました。その人は初めてのおへんろだけど杖に付けた鈴が道を教えてくれると云っていました。郵便ポストのある店で両替をしたら、お接待させて下さいと10円玉を頂きました。またいつのまにか茶色い犬がじゃれついてきて30分以上一緒に歩き、途中の信号では赤なのに犬がこちらを見ながら渡ろうとしているので一緒に渡りました。そして六番札所の駐車場の人ごみで別れました。七番札所に着いたときは既に5時近く、今晩のことを思案していたら若者が出現しました。彼は私と同じ銀色のマットを持っていました。一緒に4.5k先の八番札所へ向かい山門の仁王様の後ろで寝ることにしました。温かいラーメンとコーヒーを作って貰い、仁王様と彼のテントを風除けにして、寝袋にもぐり寝ました。今日の後半はいろいろな人達と犬にお世話になりました。

   

・・・二番札所極楽寺・・・三番札所金泉寺・・・四番札所大日寺・・・>>

       
   ・・・五番札所地蔵寺・・・六番札所安楽寺・・・>>
   
   ・・・・七番札所十楽寺・・・・・八番札所熊谷寺で宿泊



3月17日(第2日)

 寒い朝でした。青年はお湯を沸かしてコーヒーを入れてくれました。青年と仁王様にお礼を云って別れた。今日の行程は翌日の山越えを考えて、山の下までという昨日より距離が少ない分のんびりした旅になるはずでした。八番札所でワープロを打ちながらバッテリーが不安になり、PHSを見たら圏外、またデジカメの電気も心配になりややこしい事になりました。今晩も宿は予約していません。





 出発前日宿泊した民宿で、宿泊客は翌日のコース・翌々日の宿の確認・キャンセルなどと盛上がっていました。現地に来て話を聞いてみないと分からない点が多く宿の主人は大変でした。そんな状況に巻き込まれたくないと思い、案内書に書かれた所に泊まる予定にしたのです。


     


そうなると電気はいつになるか分からないと思いつつ出発しました。そして九番札所で圏内になり送信をしましたが、写真は取り忘れました。十番札所の333段の階段を登り、弘法大師のへんろ姿の像をみて、未だ2日目、30数kmしか来ていない事を思いもう少し現状把握の積もりで駅に泊まることを決心しました。途中ガソリンスタンドで電気をもらいましたが、警察では断わられました。ドロンズのプロデュサーならどうするんだろうと思いながら駅に着いても喫茶店はなく、終電車を待って寝ることにしました。

八番札所熊谷寺・・・九番札所法輪寺・・・十番札所切幡寺・・・JR阿波川島駅



3月18日(第3日)


 朝6時の電車の邪魔にならないよう出発した。またまた犬が寄って来ました。一昨日の犬は手を出したら舐めましたが、今日の犬は避けます。首輪を付けているので”ぷうちゃん”と命名しました。10分ほどして国道に出ても好き勝手についてきます。そうしている内に、国道の上に”たぬき”が事故にあって横になっていました。びっくりして抱き上げ、どうしようかと思い、昨日電気を拒否された警察を思い出し警察へ行きました。もちろん犬も一緒です。宿直の警官が出てきて、「最近はたぬきが繁殖しすぎて困っているんだ。」とぶつぶつ云っています。「僕は、このままにしていたら車にひかれてぐちゃぐちゃになるから連れて来ただけで、新潟の警察みたいなことは言わないでくれよ。」そしたら相手はびっくりして、そそくさと入れる場所を用意して引取りました。警察の外へ出たら犬はもういませんでした。 



 十一番札所は山のふもとにあります。これから山登り、来る人々みなしゃきとしています。一番札所で会ったお坊さん付きの団体、宿で一緒だったご夫婦、道を教えてくれた女性にも会いました。皆さんと挨拶をかわし、それぞれ出発して行きました。タクシーの運転手が焼き芋を何人かに配っていて貰いました。「私の分も歩いて来て下さい」と云われ、暖かい芋を食べました。




 十二番札所まで13km、6時間から7時間の長丁場らしい。1時間ばかり登ると、いやに頻繁にお地蔵さまがあります。どのお地蔵さんも可愛いよだれ掛けを付けています。なんか犬がまとわり付いて来るような感じで”ぷうちゃん地蔵”と命名したくなりました。その内、急な坂になるといなくなり、まただらだら道で出現します。また急な階段状の坂を登り南斜面へ出て、その斜面で太陽の光を浴びて、寝袋を干しながら昼寝をしました。しかし、そこからが大変でした。幾つもの山を登っては降り登っては降りで、もう足と肩は痛く、荷物は重いしでスピードは一気に落ちました。坂道の途中で、疲れて休むとそこにお地蔵さまがあります。お地蔵さんだなと思うと足が動きません、その内お地蔵さんが観音様に思えてきました。次のお地蔵様はどこに居るのだろうかと思いながら登ります。”ぷうちゃん地蔵”なんて云ってられません。途中桜の花が咲き始めた村を通過しましたが、それもいっときで、また山を登ります。そして、寝た分も入れて8時間かかって十二番札所に着きました。


      


 十二番札所は、別ルートで車で来たおへんろさんが沢山いました。納経所で汗をかいてる私をみて声を掛けられ、そこに居た女性の一人が神山温泉まで車で送ってくれると誘ってくれました。断わることもなく、逆に車を運転して神山温泉に降りて来ました。温泉町の中で降ろしてもらい、案内書の寝床に行こうかと思いましたが、条件が八番札所のと同じなので気が代わり、民宿で泊まれるか聞きました。結局、宿で温泉の回数券をもらい大きな風呂に入り、洗濯をして、電気を貰っています。その女性は田村ケイ子さんと云い相模原市からこられた人でした。休みと休日出勤の組合せでこれから4年がかりで四つの県88ヶ所を回るそうです。


    

  十一番番札所藤井寺・・・十二番札所焼山寺・・・神山温泉で宿泊











3月19日(第4日)

 今朝は、雨が降っています。雨はどうしてもゆううつな気分になり体が動きません。 今日の行程は次の十三番札所まで14kmひたすら歩くだけです。午前10時を過ぎ、雨がやめばいいのになあと思いつつ、宿を出ました。郵便局へ行って昨日までに使ったお金を補充し、ポンチョを出して、すっぽりと頭からかぶりました。そして、ぼうし状の穴から前を見て歩き始めました。





 昼頃、食品店でカップ麺を見て、ラーメンを作って貰いました。そして、おはぎとお茶をお接待されました。おはぎをみてお彼岸なのだなと思い、小さい頃を思い出しました。自分の誕生日は3月23日です。いつも上の兄弟から「おまえの誕生日はおはぎがあっていいな」と云われていました。さらに雨の中を進み、休憩していると大きなみかんを「お接待です」と云われ素直に貰いました。


 時々PHSの圏外が気になり、最後には電話を借りることを考え、JA農協だったら借りられると思い立寄りました。でもゼロ発信の電話接続がダイヤルアップ出来ず諦めました。農協を出たら、またまたお坊さん同行のあの団体さんに会いました。そこから十三番札所まで約一時間一緒に歩きました。車で送って貰った時間とホームページを作る時間を相殺すると、プロが考えるスタンダードな進捗状況で歩いていると判断出来ます。

  神山温泉・・・十三番札所大日寺・・名西旅館で宿泊



3月20日(第5日)

 今日は、徳島市の市街地に入ります。サウナとかあれば泊まろうかななどと考え結構早く出発した。十三番札所から十四番札所・十五番札所・十六番札所とあの団体さんを追いかけるように進みます。今回一番札所から、それぞれのお寺の大師堂と本堂でろうそくとお線香をあげ、納札を出した後に拝む内容はずうと同じです。結構長いものですから、そのうち般若心経に切り替えられればと思うようになっています。ですから、あの団体のお坊さんのお経は貴重です。そばに寄って、皆の読経に合せそっと声を出して自分の持っている経本を読んでみてます。途中で、犬とお地蔵さんが仲良くしている場面に出くわし、何処にでも犬はいるのでしょうが不思議な感じがします。



         

 十三番番札所・・・十四番札所常楽寺・・・十五番札所国分寺・・十六番札所観音寺


 十七番札所は井戸寺です。そこには「日限り大師」というものがあり、期間限定で願いをかけると願いが叶うというふれこみです。ぷうたろうの期間を心で決めて願をかけました。期間限定は大昔からあったのです。








 昼すぎ市街地に入り団体さんと別れた。手打ちうどんの味噌煮込みうどんを食べ、阿波踊り会館から眉山のロ−プウェ−に乗り頂上で昔のことを思い出しました。大阪に勤務している時、大学時代の友人が眉山の頂上の簡易保険保養センターの現場で設計管理をしているというので会いに来たことです。今もその保養所は健在です。今日の宿泊は、やっぱり駅にすることにしました。
 阿波踊り会館を出てすぐの道沿いに銭湯があり、そこに入ったら、番台のきれいな人が入浴料金をお接待にしてくれました。浴槽は大阪と同じで中央にあり、その中が普通のふろと泡の立つところと電気風呂とに自然と別れています。また塩風呂と薬風呂がありそれぞれ入りましたが電気風呂が一番効きめがあり、両腕をビリビリさせながら三度も入りました。そこから更に歩き、暗くなった道を進みJR地蔵橋駅まで来ました。やっぱりお地蔵さんに縁があります。


         

 駅のすぐ傍の”喫茶&スナックPM.3時”に入り電気を使わして貰っています。ふっくらしたすごーく美人のママさんがいて、何年も前から何人もの一人おへんろさんが立寄ったときに書いたノートを見せて貰いました。これから先の旅の注意事項(イソジン=耳鼻・アロエ=目・水枕=お湯まくら)の話は忘れません。暖かい雰囲気の店で何人もの客が来てます。今もカラオケで盛上がっています。地蔵橋駅前銀座通りのようです。「阿波踊りを見に徳島へ来た時にはぜひ来て下さい。」明日はまた山の中です。

  ・・・十七番札所井戸寺・・・JR地蔵橋”喫茶&スナックPM.3時



3月21日(第6日)

 今日は行けるとこまで行こうと6時前明るくなると出発した。犬と散歩している人に会った、犬の種類を聞くと”しば”だという、大きくならなくて餌も少なくてすむらしい。今までの犬はみな”しばいぬ”だった?広くて大きな国道に出た。まっすぐのびた平坦な道を沢山の車がスピードを上げて通過している。大きな看板に「室戸まで126km」と書いてあった。今日で5日約100km歩いたので、この調子だと60日のペースなんだなと気が重くなってきた。国道からはずれ、山に入ると十八番札所に着いた、団体のバスが来ていて賑っている。参拝をして坂道を降りていくと足を引きずった女性のおへんろさんが登ってきた。「まだ、上ですか?」と聞かれ「もうちょっとありますね。頑張って下さい。」と云ってすれ違った。


 十九番札所まで1時間以上かかった。二十番札所まで14km何時間かかるか見当もつかない。6kmほど歩いた所で、軽のバンが止まり男性の運転手が「鶴竹寺さま迄行くのですか?よければ乗って行きませんか」と声をかけられ乗せてもらった。途中の勝浦町で、ここのみかんは紀州みかんの原産地だと教えてくれた。「私もみかんは大好きで手が黄色くなるほど食べるんですよ」と答えた。車を降ろして貰う時に名前を聞いたが「お接待ですから」と名乗らず行ってしまった。

      

 ・・・十八番札所恩山寺・・十九番札所立江寺・・二十番札所鶴竹寺


 ここからは案内書に3.1kmと書いてある。しかし、山登りの道はきついので、途中から車道へ出た。結構急勾配の道を2時間ほど登った。汗びっしょりで登っていると車が止まり男性が声をかけてくれた、「あと僅かだけど乗りますか?」 あとは本当に僅かだったが、もし歩いたら1時間以上はかかっていた。その人は香川県の人で、名前を聞いて納札を下さいと云ったら、緑色の納札を頂いた。これは10回以上?おへんろをした証だった。






 ここまで来たのなら5.2km先の二十一番札所まで行こうと決心し二十番札所をあとにした。急な坂道を下りに下りて、下の川まで降りた。大きな川に車一台の幅の橋がある。長くて、同時に水面までの高さがとても高い。高所恐怖症になりがらやっとのことで渡った。ここでじっくり分県地図をみた。この辺一帯は東西に何本もの川があり、その間に険しい山があった。二十番・二十一番はそれぞれの山頂にあるのだった。それを北から南への二つの山越えの有名な難所であった。そしてこの難行の山を越えて行くと海は紀州水道から太平洋に変わる大きな節目なのだ。

   


 今度の難所はどうなるのだろか、この山を越えると「阿波の国」は終了するのかと思いながら山道を歩き始めた。途中、山賊や追いはぎが出てもおかしくない山道を歩いていると道端でガサゴソ音がした。びっくりしてよく見ると、”たぬき”が地面の穴に頭を突っ込みえさを探しているのだった。声をかけると首を持上げこちらを見た、目と目があい、たぬきのまんまるの目が光った。交通事故にあった”たぬき”の親戚かなと思った。たぬきにもテリトリーがあり、阿波の国から出る自分を見送ってくれたのだろうと勝手に解釈してその場を離れた。さらに階段状の山道を登りやっとのことで山頂の二十一番札所へ着いた。もう汗びっしょりでくたくただった。宿はロープウェイに乗り下のホテルにした。風呂に入り、洗濯をしてパソコンを出したが眠くなってしまった。

・・・二十番札所鶴竹寺・・二十一番札所太龍寺・・ホテルわしの里



3月22日(第7日)

 昨晩は布団の中でぐっすり寝た。今日の予定を考えながらロープウェイで昨日の二十一番札所へ戻った。大きな杉林のこんな山奥にりっぱなお寺を作ったものだと感心した。二十二番札所まで12km、さらに21km先が二十三番札所だ。健脚なら一日で行ってしまうだろう。しかし、今の自分のペースは平坦地で3.5km/h、山道だと1.5km/hと落ちている。17km先のJRの駅を目指すしかない。
 坂道を下り、村を越して峠を越えまた大きな村に出た。二十二番札所に着いた。途中で二人のおへんろさんに追い越された。あの人達は健脚だ。白や黒とぶちのねこが沢山いるお寺を後にしてまた歩き始めた。もう大きな山越えはない、舗装された道で大きな峠を越し国道に出ると反対方向1kmの所に駅がある。途中で自転車に乗ったおへんろさんとすれ違った。



 駅は国道沿いにあり店はなにも無い。駅と併設の「駅そば」という店だけだ。国鉄を退職した人が留守番代わりに店を一人でやっていた。この人は70過ぎで背筋のシャキとした人だった。きっと駅長を務めたのだなと思った。ここで店じまいまでの一時間ほど電気を借りた。

 どうも、この駅の客は携帯電話を持っている。なぜ自分のは圏外なのだろうか?飯島なおこのコマーシャルで買ったPHSはどうもだめらしい。そこへ先ほどの自転車のおへんろさんが戻ってきた。ここへ泊まるというので一緒に元駅長さんに断わって泊まった。この人も面白い人で、一度高知まで順に回り、そこで徳島へ戻り香川県を逆打ちし、自転車がコケテ怪我をして再度高知へ向かう途中だとの事でした。

  ・・・二十二番札所平等寺・・JR阿波福井駅




3月23日(第8日)


 今朝は7時に出発した。23番札所まで17km、昼までに着けばその先はその時に考えよう。全部国道沿いに歩く、店もガソリンスタンドも全く無い。車だけが猛スピードですれ違うだけだ、すごくこわい、特にトンネルでは恐ろしい。7km行った所に自販機を置いた店がありそこでパンを買って食べた。青年が追いつき挨拶をして追い越して行った。また7km行ったところで今度は自転車に乗った老人が追いついた。その老人は88歳で焼山寺のあの山道を自転車と一緒で7時間で通ったと話してくれた。きっと競輪の選手だったのかも知れない。でも八十八歳で自転車で、それも私より2日遅れて出発してもう追い越そうとしている。今二十三番札所へ着いてお参りが済んだ。お地蔵様もここでは集団で見送ってくれていた。いよいよ徳島県阿波の国はここで終わりだ。今日はホームページを更新しようと決め、この文章を書いている。

     

交通量の多い国道に歩道がない。  88歳の元競輪選手?         阿波の国最後の薬王寺



    

お地蔵さんが集団でお見送り?      太平洋に面した大きなお寺と大きな門前町。


・・・二十三番札所薬王寺・・・???


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