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 世田谷・松陰神社は、幕末の志士吉田松陰を祀った神社です。交通は、東急世田谷線の松陰神社前から徒歩3分ほどです。

神社本殿
神社本殿

 長州(現在の山口県)萩市で尊王思想を鼓吹していた松陰は、伊豆下田でアメリカ軍艦に潜入して渡航を企てるも失敗して捕らえられ、江戸の牢に投じられました。

一年後獄を出た松蔭は、松下村塾という私塾を主宰し、藩の青少年の教育に当たりました。しかし、その後の過激な言動で再び投獄され、「安政の大獄」により安政6年10月27日に打ち首になりました。

例年、この松蔭の命日に「松蔭祭」が松蔭神社の秋例大祭をかねて行われ、境内や神社周辺の街でさまざまなイベントが開催されます。


松下村塾
松下村塾の複製

 松蔭が多くの青少年の教育に尽くしたことから、当神社は昔から「学問の神様」として崇められています。東京では、当神社と湯島天神が「学問の神様」の双璧でしょう。
特に、入試のシーズンが近くなると、当神社の参拝客は急激に増加します(^_^)。

神社本殿の右側には、現在山口県萩市に残っている松下村塾の建物の複製が建てられています。粗末な平屋建ての日本家屋ですが、このささやかな私塾から、後に明治政府の主要人物が輩出したのです。

松蔭の墓
松蔭の墓

 神社本殿に向かって左側にある神社の墓所の中に吉田松蔭をはじめ、安政の大獄で処刑された志士たちの墓があります。

松蔭の墓は、高い木立の下に石垣をめぐらした中に静かに立っていました。
ちょうど松蔭祭のことで、墓前には松蔭の郷里萩市から届けられた菊の大きな花束が供えられていました。参拝者が献じた香の煙があたりにただよっていました。

  菊手向け
      香たき
          松蔭敬(うやま)いぬ

松蔭が安政の大獄で処刑されたのち、高杉晋作や伊藤博文などが遺骸を引き取り、1863年にこの地に埋葬したのが、松蔭神社の由来だそうです。

記念演劇
記念演劇

 松蔭祭では、神社の境内で毎年松蔭にちなんだ野外演劇が行われます。左の写真は、一昨年に行われた野外演劇のあとに出演者の皆さんを撮影したものです。
演劇の内容は、ご法度を破ってアメリカに向かう船で密航を企てる松蔭先生を新撰組がつけねらうというもののようでした。
  黄葉の下
      野外劇の
          声ひびく

記念演劇
松蔭祭

 例年、松陰祭の際はさまざまな見世物やモデルなどが登場します。

写真は長州藩の大砲のモデルです。吉田松陰は、京都で門下生17名とともに決起するため、長州藩政府に「クーポール砲」という大砲3門の貸与を要請したそうですが、写真の大砲はその模造なのでしょうか。

松蔭の死後、松蔭に松下村塾で教えを受けた高杉晋作らは長州で「奇兵隊」を創設しました。やがて、これが徳川幕府を倒し、明治維新を行う原動力となりました。

記念演劇
幕末維新祭

 上記当神社の松陰祭と連動して、駅前商店会では「幕末維新祭」というイベントを開いています。この期間は、さまざまなパレードが商店街の狭い通りを練り歩きます。上記の大砲も、幕末維新のパレードに参加して商店街を威風堂々と通りました(^_^)

このすごい人出を見て、商店街の皆さんも張り切って通りに面してさまざまな出店をひろげます。それら出店の商品は、必ずしも出店の奥の商店の商品とは一致しません。私どもは、米屋さんの前で売っていたそばを食べた後、化粧品店の前の出店で淹れていたコーヒーを買いました(^_^)。

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