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 大阪城は、豊臣秀吉によって1598年に築城されました。その壮大な城郭は1615年の大阪夏の陣で大半が焼失しましたが、その5年後、徳川幕府によってまったく別のお城として再建されました。
しかし、再建された天守閣はその後の落雷により焼失し、残った建物も明治維新の動乱であらかた失われました。

昭和に入ってから、市民の募金により天守閣が大阪のシンボルとして再建されました。その後太平洋戦争の際、空襲により大阪城も被害を受けましたが、幸いにも天守閣は重大な破損をこうむることもなく持ちこたえることができました。

大阪城大手門
大阪城大手門

 大阪城の正門である大手門は、現在の大阪城公園の南西隅、大手前芝生広場から橋で外堀を渡ったところにあります。大手門に至る幅の広い道路には、両側に黒松の並木があるので有名です。
この門は、徳川幕府による大阪城が完工してからまもなくの1628年に建てられました。その後、明治維新の動乱で焼失しましたが、明治20年に江戸時代の様式通りに再建されました。現在は、国の重要文化財に指定されています。

大手門のすぐ内側には多門櫓、千貫櫓など江戸初期からの由緒ある建物があり、やはり国の重要文化財に指定されています。

大阪城内堀
大阪城内堀

 本丸と二の丸、西の丸との間には、内堀があります。大手門の近くでは、内堀は深く掘り下げられた空堀になっています。

また、本丸の石垣も豊臣秀吉の時代よりさらに高く積み上げられて、徳川幕府の威信を天下に示す造りになりました。

これらの大工事には、国中の大名たちが動員され、10年以上の歳月を要したそうです。こうして築かれた大阪城は、徳川幕府の西国経営の中心拠点になりました。

桜門
桜門

 大手門から入って東に少し歩くと、本丸の正面入口桜門(さくらもん)の前に出ます。
豊臣秀吉の時代にはこの付近に桜並木があったので、桜門と呼ばれるとのことです。

江戸時代初期に建てられた門は明治維新の動乱で焼失しましたが、明治20年に徳川時代の様式のままに復元されました。

左の写真のように、桜門の前に立つと、そのはるか先に巨大な天守閣がそびえているのが見えます。

大阪城天守閣
大阪城天守閣

 桜門を入ると、北の方向に大阪城の天守閣が高々とそびえていました。

昭和に入ってから当時の大阪市長の提案で募金活動が始まり、昭和6(1931)年にその資金で天守閣が再建されました。

復興された天守閣では、初層から第四層までは徳川幕府によって建設された天守閣と同じく白漆喰壁とし、第五層は豊臣秀吉によって建設された初代天守閣の絵図に従って黒漆に金箔で虎や鶴を描いています。

大阪城の大砲
大阪城の大砲

 天守閣の入口に、古めかしい青銅製の大砲が展示されてありました。明治になってから時報を大阪の街に伝えるのに利用されたものです。毎日正午に放たれた空砲の轟音は、「お城のドン」として大阪の名物の一つになりました。

大正末期には、大阪城の周囲に建物が増えたため、「お城のドン」は騒音になる上に、この時期には時計が普及して空砲の時報は必要がなくなったということで行われなくなりました。

金の鯱(しゃちほこ)
金の鯱(しゃちほこ)

 天守閣は、外観は五層の城郭ですが、実はその中身は8階建ての鉄筋コンクリート建築です。それが高い丘の上に建っているので、あのように見上げるばかりの壮大な景観になるのです。

現在の天守閣は、2階から7階までは歴史博物館、8階は展望台になっております。

エレベーターで展望台に登ると、生駒、六甲などの周辺の山々から大阪湾までが見渡せる壮観におもわず声をあげました。

展望台からまず東北の方向を望むと、天守閣のシンボル、巨大な金の鯱(しゃちほこ)が見えました。「平成の大改修」の際に鯱の金張りもリフレッシュしたとのことで、春の陽を浴びて輝いていました。
金の鯱のはるか先に、大阪城ホールの巨大な楕円形の屋根が見えました。

東方向の鯱
東方向の鯱

 左の写真は、展望台の東側の眺望です。大阪城梅林、太陽の広場や大阪城公園駅のある方向です。
金鯱のすぐ下に拡がる大きな水面は、大阪城貯水池です。明治政府は、大阪市内でもっとも高い大阪城本丸に貯水池を設け、そこに淀川から水を上げて1895年から市内に上水の供給を開始しました。
太い上水鉄管が城の地下をくぐって西側に抜けており、現在でも一日あたり2万トンほどを配水しているそうです。

金の虎のレプリカ
金の虎のレプリカ

 天守閣2階には「お城の情報コーナー」があり、大阪城やお城一般についての基礎知識をパネルなどで展示しています。

その中に、現在の天守閣に取り付けられている鯱(しゃちほこ)、伏虎などの原寸大レプリカがありました。

左の写真は、天守閣第五層の黒漆壁に置かれている金張りの伏虎のレプリカです。子供たちが金の虎の前に立って、その大きさに驚いていました。

太閤の金羽織
太閤の金羽織

 天守閣2階には、豊臣秀吉の時代の兜、陣羽織を復元したものが展示されており、それらを試着して写真撮影ができるようになっております。

兜は豊臣秀吉、真田幸村、加藤清正などが着用したものが復元・展示されています。左の金糸を使った豪勢な陣羽織は、豊臣秀吉が着用したものの復元だそうです。

試着するには、一人300円の料金が必要とのことです(^_^)。

太閤の肖像画
太閤の肖像画

 天守閣の1階まで下りて、ふと見ると、太閤秀吉の大きな肖像画が壁にかかっていました。秀吉は、使用した甲冑から身長が150センチぐらいだったと推察され、また相貌は異相で猿に似ていたとされます。

この肖像画では、頭が小さくすらりとした体型のように描かれており、身長が低いようには見えません。顔立ちもきちんと整っています。天下人の威厳を示すために、実際よりも良く描いたのでしょうか。

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