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大宮八幡宮 |
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妻の実家の近くにある杉並区の大宮八幡宮に出張取材しました。
大宮八幡宮は鎌倉時代に興された由緒ある神社で、秩父の大宮、足立の大宮とともに武蔵の国の三大宮と呼ばれます。 京王井の頭線の西永福駅から歩いて十分ほどのところにあります。
境内は大変広壮で、東京都内では明治神宮、靖国神社に次ぐ広さがあるそうです。
拝殿に至る表参道は250メートルもあり、その両側には3代将軍家光の時代から始まった千本つつじが植えられています。 |
約900年前の平安初期に源頼義・義家父子が奥州討伐に出征する際に、この地で八幡大神に戦勝を祈願しました。その祈願がかない、源頼義・義家父子は奥州を平定して京に凱旋しましたが、その後1063年に京都・石清水八幡宮より御分霊をいただいてここ大宮に神社を創建しました。それが、大宮八幡宮の始まりとされます。
下の写真は本殿の前にある正門で、神門と呼ばれています。神門の上には、太い注連縄(しめなわ)が飾られていました。 |

今回は7月の七夕に近くなったころにこの神社を訪れたところ、平安時代の祭り「乞巧奠(きこうでん)」の飾りが神門の前に置かれてありました。 乞巧奠は、もとは織姫にあやかり裁縫上達を願うものでしたが、やがてそれが拡大して書など様々な芸事・技能の上達を願う祭りになったということです。
神門の前に青竹で造られたくぐり門があり、それには七夕にちなんだ五色の布が結ばれていました(下左の写真)。この門をくぐると芸事・技能が上達するというのでしょう。また、神門の置かれた七夕の笹にはやはり五色の短冊が多数結ばれていました(下右の写真)。 |
大宮八幡宮本殿は、ご覧のように堂々たる権現造りの建築で、さすが武蔵三大宮の一つと呼ばれるにふさわしい威厳があります。
八幡様は、もとは農耕神あるいは海の神だったとのことですが、やがて武道の神様、男子の神様として広く信仰されるようになりました。上記の武将源義家は、石清水八幡宮で元服したことにより「八幡太郎」と呼ばれるようになったそうです。
全国の八幡宮は、大多数が応神天皇を主祭神としています。大宮八幡宮は、応神天皇のほかに仲哀天皇、神功皇后を祀っているということです。 |

本殿に向かって右側には神楽殿があります(下左の写真)。毎年4月初めには、この神楽殿において「夜桜の神遊び(雅楽と神楽の夕べ)」として管弦と神楽舞の奉納演奏が行われるそうです。
また本殿の右側には、菅原道真公をまつる神社である天満宮が置かれています(下右の写真)。八幡宮の境内に天満宮が置かれているのは珍しいと思います。 毎年受験のシーズンには、菅原道真公のご利益にあずかろうという若者たちがこの天満宮の前に列をつくります。 |
八幡様は武道の神様なので、剣道、相撲などの道場が併設されていることがあります。大宮八幡宮の境内には、立派な弓道場が設置されています。近づくと、弓道場から鋭い弓なりの音、矢が的に突き刺さる音が聞えました。
弓場にいた弓道の師範のご好意で弓場に入れていただき、弓を射る様子を撮影することができました。礼に始まり、精神を統一してから弓を引き絞って的に向かって放ち、また礼で終わるという立派な武道でした。 昔読んだ 『平家物語』 の那須与一のくだりには、「よっぴいてひょうと放つ」とあったのを思い出しました。 |

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ちょうど境内で「杉並花笠祭り」が行われていました。その踊りに出演したお嬢さんたちが集まっていたので、一枚写真をとらせていただきました。
有名な山形の花笠まつりと同じように、花笠音頭にのって踊ります。北国の実りのときを祝う明るく華やかな踊りです。
会場では山形名物の芋煮汁が振舞われていたので、妻と一緒にありがたく頂戴しました。私は、芭蕉の奥の細道のあとをたどる旅をしているので、いずれ、山形県に行って本場の芋煮汁を食べてみたいと思います。 |
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