旅行

文学

美術

音楽

宗教

パソコン

海外旅行


トップページ 神田明神 メニューに戻る

神田明神入口

 縁結び、商売繁盛の神社として有名な神田明神は、JR御茶ノ水駅聖橋口より徒歩5分、湯島聖堂の東側にあります。当神社では例年5月中旬に「神田祭り」を開催しますが、それは江戸三大祭の一つとされてきました。

当神社の開基は天平とのことですが、やがて、平将門を崇拝していた徳川家康が、江戸に幕府を開いてから当社に神領を寄進して大いに援助しました。以降、当神社は、お江戸の中心地神田のシンボルとして下町の庶民信仰の対象となりました。

当神社の正式名称は「神田神社」ですが、一般には「神田明神」と呼ばれています。明神(みょうじん)とは、日本神道の神号の一つだそうです。

表通りから大鳥居をくぐると、正面に「随神門」と呼ばれる朱塗りの壮大な楼門が見えます(下の写真)。 随神とは、神社の社殿や社地を守る神だそうです。

随神門 随神門

随神門の左右には、朱塗りの柱の間に下の写真の立派な随神像が置かれていました。どこかでこの随神門には右大臣像と左大臣像が置かれていると書かれているのを目にしましたが、これらがそうでしょうか。

随神像 随神像

神田明神社殿

 随神門を通って境内に入ると、正面に巨大な銅張り屋根を持つ神田明神社殿がそびえていました(下の写真)。神田明神は、江戸時代には幕府により社殿が造営され、江戸の守護神 「江戸総鎮守」 として篤い崇敬を集めました。

その社殿は1923年の関東大震災により焼失し、その後昭和9年に神社建築としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート造、総朱漆塗の社殿が再建されました。
太平洋戦争末期に東京神田地区は空襲により焼野原になりましたが、神田明神社殿は鉄骨鉄筋コンクリート造のおかげで軽微な被害に留まったということです。

神田明神社殿

神田明神の祭神

大黒様  神田明神の祭神は3柱あり、一の宮が「大黒様」、二の宮が「恵比寿様」、三の宮が「平将門」となっています。

インド密教の神様大黒天は、日本では因幡の白兎神話で知られる神道の神様大国主と習合し、大きな袋を背負った「大黒様」の姿になりました。
大黒様は、国土経営・夫婦和合・縁結びの神様として親しまれています。神田明神社殿内には、天平時代作の黒い大黒像が安置されているとか。

左の写真は社殿の右側にあった大黒様石像で、打ち出の小槌を持ち、米俵の上に座っています。

二の宮恵比寿様は、大黒様と同じく七福神の一柱で、神田明神では商売繁昌・医薬健康・開運招福の神様として庶民信仰の対象になっています。

三ノ宮平将門は平安時代中期の関東の豪族・武将で、一時は関東一円を平定し権勢をふるいましたが、やがて朝廷から派遣された軍勢に敗れ、討死しました。平将門は14世紀に神田明神に合祀され、以降江戸東京の守護神として信仰されるようになりました。

寒さ我慢会

 なにしろ意地っ張りでやせ我慢が大好きな江戸っ子が集まる神社です。昔からここでは、夏には暑さ我慢会、冬には寒さ我慢会をしています。

今年も、寒さ厳しい1月14日に恒例の寒さ我慢会が行われました。正式には、当神社一の宮大黒様を祀る「だいこく祭り」の寒中禊(かんちゅうみそぎ)というのだそうです。
新成人5人を含む24人の男女が、神社の本殿前に置かれた大きな水槽に次々に入って、頭から冷たい水をざぶりとかぶります。水槽の中には大きな氷塊がたくさん入れられており、水温は3℃ぐらいだったそうです。 でもさすがは神田っ子、冷たい〜などという人は一人もなく、皆気合で無事寒中禊を終えました。

私は、その様子をテレビニュースで見ていて、神田っ子に生まれなかった幸せ?を感じつつ、熱燗をぐいとあおりました。

     明神で 
      寒さ我慢の
       神田っ子

境内の獅子山
境内の獅子山

  社殿右側に、岩石を積みあげた築山があります。その一番上に獅子の石像が置かれてあり、その下から渓流に見立てた水が流れ落ちています。

その獅子山の中をよく見ると、獅子の子の石像と思われるものがいくつかありました。いわゆる「獅子の子落とし」の作り物のようです。神田明神は昔から武士が多く参拝したということですが、「獅子の子落とし」がそれら信徒にアッピールしたのでしょうか。

この獅子山は1923年の関東大震災で崩壊し、その後再建されたそうです。

銭形平次の石碑
銭形平次の石碑

  社殿を右側に回ったところに、捕物帳で有名な銭形平次の石碑がありました。
野村胡堂の原作では、岡っ引の銭形平次親分は神田明神下お玉ヶ池のほとりに住み、日夜江戸市民をおびやかす悪漢どもを取り締まったとされます。

銭形平次碑の隣にはこの碑を建てるにあたった発起人の名を記した石板がありましたが、それには長年銭形平次役を演じた映画スター長谷川一夫さん、大川橋蔵さん、大映の永田雅一さん、東映の大川博さんなど映画・テレビ関係者の皆さんが名を連ねていました。

また、文芸春秋社の池島さん、中央公論社の嶋中さんなど出版関係者、川口松太郎、山手樹一郎、山岡荘八、村上元三など作家の皆さんの名も多数掲示されていました。

銭形平次親分の碑の隣には、手下の岡っ引ガラッ八の小さな石碑も置かれてありました。

俳優大川橋蔵さんは18年間にわたり銭形平次役を演じたそうで、これが一生の当たり役になりました。橋蔵さんが亡くなられたとき、そのお棺には平次用の十手と永楽通宝の投げ銭が納められたそうです。

境内の水神社
境内の水神社

 境内の一角に、朱漆塗りの小さな神社がありました。近寄ってみると、「水神」と書かれた額がかかっていました。
東京都内にはほうぼうに水神様がありますが、この神田明神内の水神社がそれらの本殿になっているということです。
水と縁が深い築地魚市場にも水神社がありましたが、そこにはこの神田明神境内の水神社本殿を拝める遥拝所があるそうです。

江戸時代には、江戸の中央を流れる神田川が水運、給水の中心でした。その神田川に洪水などの災害がないようにと、水神社を設けて祈ったのでしょう。

境内の句碑
境内の句碑

 江戸・東京でも指折りの歴史ある神社とあって、境内には歌碑・句碑が多数置かれていました。左の写真は、明治33年(1899)年生まれの俳人阿部筲人(しょうじん)さんの句碑です。

  山茶花の 
   散るや己の
    影の中  阿部筲人

山茶花の花は花びらがほろほろと落ちて散りますが、その様子をうまく捉えた優れた作品です。阿部筲人さんは、俳句入門書も多く書かれたそうです。

トップページ メニューに戻る