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 2003年秋、所用で広島市を訪れました。泊まったビジネスホテルのマネージャーが、近くに広島城があると教えてくれたので、仕事の相間に行ってみました。

広島市・広島城

 ホテルから15分ほど歩くと、太い街路の北の方向に、中国山脈でしょうか山並みが見えてきました。
その方向にさらに歩いて行くと、突然視界が開けて、道路の向こう側に城楼の屋根が見えてきました。

広島城は、山岳地帯ではなく平地に建てられた「平城」であるため、現在ではこのように市街地の中になってしまったのです。
さらに近寄ってみると、ご覧のように城楼はしっかりとした高い石垣の上に建てられており、その下には幅広い立派なお堀がめぐらされていました。

広島城の城門

 ではお城に入ろうとしましたが、入口が見つかりません。お堀に沿ってかなり歩いて、やっと入口らしいところが見えてきました。
そのあたりで、気が付くと巨大な銅像がお堀をバックに立っていました。これは、元総理大臣の池田勇人さんの像でした。

安芸広島城は、1590(天正18)年に毛利輝元によって建てられました。秀吉の聚楽第をまねたといわれる壮大な城構で、特に天守閣は安定感のある五重五階で桃山建築の粋とされました。現在では天守閣や上記の城楼など一部が復元されています。その他の広大な城地は公園となっています。

広島城の天守閣

 広島城は、その後度重なる戦乱にも大きな被害を受けることもなく生き残り、明治以降はここに大本営が置かれていました。

原爆の直撃にあった天守閣は、一度ふわっと浮き上がってから一挙に崩壊したそうです。石垣の一部には原爆で焼けただれた跡が残っているとのことです。

1952(昭和32)年に大天守部分のみが外観復興されて、現在では広島城資料館として利用されています。広島城築城の経緯、江戸期の武士の生活や城下町のくらし、武具、広島の歴史や文化などにかかわる様々な企画展示を行っています。

天守閣からお堀を望む

 天守閣は、城地の西北端の最も高いところにあり、幅広いお堀を見下ろしています。
私どもが行ったのは10月末で、お堀の強い風が黄ばみかけた桜の葉を抜けて天守閣に向かって吹き上げていました。

  堀の風
      城に黄葉
          吹き上げぬ
かつての広島城には、この広いお堀の外側にさらに三ノ丸や外堀があったとのことですが、現在ではそのあたりはほとんど市街地になっています。

広島城二の丸址

 1994(平成6)年には、本丸の南側にあった二ノ丸表門、太鼓櫓、多聞櫓が復元されました。
二の丸址は大きな広場となり、イベントの会場として利用されています。

二の丸址から橋を渡ると二ノ丸表門で、そこから広島城公園の外に出ます。

広島城が建てられたのは、天下分け目の戦といわれた関が原合戦の10年ほど前のことです。このころになると大大名の力が圧倒的になり、山城よりは大兵力を集中してそれをスピーディに展開するのに適した大型の「平城」が主流になったのでしょう。

お堀の鯉

 広島市民など関係者の長年の努力により、この巨城の城郭はかなり復元・整備されてきましたが、それでも創建当時の偉容には遠く及びません。

しかし城郭を取りまく壮麗なお堀は、昔のままに静かに水を湛えて、秋色が濃くなった空を映していました。

広島城は鯉城(りじょう)ともよばれてきましたが、それは昔からこのお堀に錦鯉がたくさんいたからです。
私が行ったときはちょうど鯉にえさをやる時間で、鯉たちは左の写真のようにお堀の中で押し合いへし合いの状態でした。

   錦鯉
       お堀に彩(いろ)を
           満たしおり
一部他地域では鯉ヘルペスで大きな被害がでましたが、ここ広島城の鯉はご覧のように元気いっぱいで、お堀の水面から飛び上がらんばかりでした。
広島市を本拠とするプロ野球チームは、この鯉にちなんで広島カープという名になりました。鯉は、まさに100万都市広島のシンボルなのです。

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