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浅間山麓
草津から軽井沢へ

 草津から軽井沢までのバス行程の中ほどにある北軽井沢で下車し、自転車を借りてその界隈のひなびた風光を愛でました。

その後北軽井沢のバス停に戻り、また路線バスに乗って浅間牧場で下車しました。

そこで名物のそばを食べてから今晩宿泊するペンションに電話したところ、すぐに車で迎えに来てくれました。そのペンションに荷物を置いて、ペンションの主人に頼んで鬼押出し園まで車で送ってもらいました。

浅間山麓
浅間山麓

 しばらく西に向かって走ると、行く手に浅間の巨大な山容が見えてきました。
残念ながら、山頂付近には厚い雲がかかっていましたが、2560メートルの高山なので、雲がかかることが多いそうです。

浅間山の北の山麓、浅間ハイウェイ沿いにある鬼押出し園は、天明3年(1783年)の浅間山噴火によってできた溶岩高原に造成した観光公園です。
売店で買った冷たいお茶を飲みながら、園内の遊歩道を歩き始めました。

石割の松
石割の松

 園内の遊歩道にもさまざまなコースがありますが、私どもは「奥の院参道コース(1200m)」を歩きました。

遊歩道の両側には、ありとあらゆる形をした奇岩が折り重なるように続いていますが、それらの間からいろいろな植物が健気に顔を出しています。

左の写真は、溶岩を割って生えてきた「石割の松」という名の松で、樹齢は約80年にもなっているそうです。

避難小屋
避難小屋

 浅間山は、世界でも有数の活火山です。最近では、平成16年9月に中規模の爆発が発生しました。

浅間山の火山活動が活発なときは、4.5キロメートル離れているこの鬼押出し園にも火山弾や火山灰が降る恐れがあります。

そこで、鬼押出し園の遊歩道の中にも、何ヶ所か、左の写真のように大きなコンクリート製のシェルター(避難小屋)が設置されています。

園内の遊歩道
園内の遊歩道

 天明3年(1783年)の大噴火では、溶岩流と火砕流が発生し、北側に流下しました。それにより、現在の群馬県側に幅3km、長さ12kmの溶岩原野ができました。当時は、これは浅間火口で鬼が暴れたためとされ、溶岩原野を鬼の押出しと呼びました。

鬼押出しの遊歩道はそこに造ったもので、もっとも長いコースは2.7kmもあります。私どもが歩いた奥の院参道コースは長さ1200m、所要時間は約30分です。

炎観音堂
炎観音堂

 遊歩道を少し南側に下がったところに、「炎観音」を祀ったお堂があります。天明の大噴火で亡くなった多数の人々の霊を慰めるためのお堂です。

お堂の奥、溶岩の崖の際に、石造りの炎観音像がありました。私どもも、このお堂の綱を引いて大鈴を鳴らし、200年前に亡くなった人々にお祈りをささげました。

遊歩道の半ばをすぎたあたりのお休み処でソフトクリームをなめて一息をつきました。

鐘つき堂
鐘つき堂

  お休み処の近くの小高いところに、大きな鐘をつるした鐘つき堂がありました。これもやはり、浅間の大噴火の犠牲者を供養するものです。
この鐘は自由につくことができるとのことなので、私どももお堂に上がって搗かせていただきました。重い鐘の音が溶岩高原に拡がるのを聞きながら、200年前の天明の惨禍に思いをはせました。

ここから、谷にかかった朱い橋を渡って浅間山観音堂に行きます。

浅間山観音堂
浅間山観音堂

 橋の向こうに、浅間山観音堂が建てられています。これも天明大噴火の犠牲者を供養するもので、昭和33年の建立です。

この観音堂は、東京・上野にある天台宗関東総本山寛永寺の浅間別院という位置づけにあるそうです。寛永寺に古くからあった聖観世音菩薩が、この観音堂のご本尊としてまつられています。

観音堂の高く張り出した展望台から、岩の絨毯のような溶岩高原が一望できます。

高原の沼
浅間山の鬼

 天明の浅間山大噴火は、現在の長野原町や嬬恋村を中心に1500人の死者を出したといわれます。そのすさまじさは、現在残っている鬼押出しのるいるいたる岩原によって 察することができます。

当時の人々は、浅間火口で鬼が暴れたために岩の塊が押出されたと考えたそうです。鬼押出し園の中には、方々に写真のような鬼の人形が置かれてあります。よく見ると、なかなか可愛い顔をしていますね。

天気は急変
天気は急変

 鬼押出し園の中を一通り見て外に出たころから、空模様がかなり怪しくなってきました。浅間山は2500メートルを越える高山なので、天気の変化が激しいようです。

今晩宿泊するペンションは、鬼押出し園と浅間牧場の中間にあり、鬼押出し園から下り坂になるので歩いてゆくことにしました。

途中で振り返ると、鬼押出しの上空には黒い雲が立ち込め、そこから竜巻のような黒雲が地面に向かって伸びていました。

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