高尾山薬王院は、奈良時代の8世紀半ばに聖武天皇の勅命により高僧行基によって創建されたとされます。行基が、薬師如来を刻んでご本尊として安置したことから、薬王院の名がつけられたということです。
その後、弘法大師空海はこの山で祈祷をささげ、不動明王像を刻んで安置しました。やがて、当寺は真言宗智山派の大本山となり、成田山新勝寺、川崎大師平間寺とともに、関東の三大本山として知られるようになりました。
弘法大師に漠たる憧れをもっている私は、かねてよりこの寺にお参りしたいと思っていましたが、やっとこの新緑の時期に行くことができました(京王帝都線高尾山口駅下車)。
高尾山口駅で下車後、5分ほど歩くと山麓のケーブルカー清滝駅につきます。水がよいせいかこの町のそばがおいしいので、お昼はここで食べるとよいでしょう。 |
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清滝駅の近くに登山道の入口があり、健脚の向きや信仰登山の方々は、そちらを登ります。山頂の薬王院まで1時間半ほどもかかるそうです。
ケーブルカーが登り始めてまもなく、中間点で下りのケーブルカーと行き違います。その上方にお山の最も傾斜の急な部分が見えてきましたが、それを見てやはり登りはケーブルカーで行くのが正解だったと悟りました。
ケーブルカー山頂駅から少し歩くと、大きな山門が現れ、その向こうに赤い燈籠台を両側に配した参道が続きます。 |
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やがて、巨大な四天王門の前に出ました。四天王門は桜門形式という八脚門で、門内には寺のご本尊を守る増長天、持国天、多聞天、広目天の四天王の像が安置されています。このような四天王像を収めた門は、奈良の古刹にもいくつかあったと思います。
門の内側にはさまざまな祠やお像がたくさんあり、寺の歴史を感じさせます。
やがて、急な階段の上にまた大きな仁王門が見えてきました。江戸前期に建立されたこの仁王門には、運慶作とされる一対の金剛力士像が左右に収められています。 |
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その内側にあるのが薬王院本堂で、江戸時代初期に、徳川幕府からの保護により戦勝の守護神である飯縄(いづな)権現を祀って建立されたものです。
南北朝時代に、京都醍醐寺の俊源大徳が護摩供秘法を行い、飯綱大権現をこの地に勧請したとされます。行基の作と伝えられる薬師如来を安置した薬師堂、大日如来を安置した大日堂、護摩堂、不動堂などが、本堂の周辺に建てられています。
本堂の左側の急な石段を上がって行くと、目の前に極彩色の大きなお堂が現れました。 |
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これが飯縄権現堂で、内部には本尊飯縄大権現が安置されているとのことです。拝殿、幣殿、本殿の三殿が一体となった「権現造り」といわれる様式だそうです。
それらがすべて朱色にぬられており、深山の新緑の中で、眼を奪うばかりの鮮やかさです。これが徳川家の好みなのでしょう。日光の東照宮や東京の根津神社に近いイメージです。
この飯縄権現堂の周辺には、商売繁盛のご利益あらたかとされる福徳稲荷社、学業成就、合格祈願のご利益のある修行大師堂などがあります。 |
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この薬王院のお山は、どこに行っても天狗の姿を見かけます。上の写真の飯縄権現堂の前にも、背中に羽根の生えた山伏姿の烏(からす)天狗が二羽(といっていいんでしょうか(^_^))立っていました。
このお山の天狗は、基本的にみな烏天狗なのだそうです。
飯縄権現堂の向かって左側に天狗堂があり、天狗がはいたとされる鉄の大下駄などがおいてあります。そのお堂の横に、虚子の娘星野立子がこのお山で詠んだ俳句の句碑が立っていました。 |
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私どもは、下りはケーブルカーに乗らず下山道を歩きました。この道も、幅が広く舗装されているものの、並みの下り坂ではなく転げ落ちそうな部分もありました。改めて弘法大師など先人のパワーに感嘆しました。
このお山は、暖帯と温帯の境に位置するため樹種が非常に多いのが特徴だそうです。山全体の樹林は、社寺林、御料林として保護されてきたので、天然林の美しさを今も保持しています。
深い谷の斜面に、やっとつぼみを開きかけた山アジサイの一むらがありました。 |