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築地本願寺
 東京中央区築地かいわいは、東京駅にも近く現在では便利な地区になりましたが、それでも江戸時代の下町の面影が残っています。また、築地市場の周りには市場で仕入れた食材の小売店やそれらを使った飲食店が多数あり、外国人を含めてグルメの皆さんが遠方からも訪れます。

初めて築地を訪れた方々は、その築地市場の近くで下の写真のエクゾティックな大建築を目にして驚かれるに違いありません。

築地本願寺  それが東京都民には「築地本願寺」として親しまれている浄土真宗の大寺院で、正式名称は「浄土真宗本願寺派本願寺築地別院」といいます。

「浄土真宗本願寺派本願寺」とは、JR京都駅の近くにある西本願寺のことです。

築地本願寺は江戸時代の初めに浅草に建立されましたが、振袖火事で焼失し、1679年にこの築地に再建されました。
その本堂は関東大震災で崩壊しましたが、1934年に現在の鉄骨鉄筋コンクリート造で再建されました。

築地本願寺正面
 関東大震災の後には、耐震性に優れた近代的な建築が方々に出現しました。少し前まで表参道にあった同潤会アパートや中央区立明石小学校などがその例です。

この築地本願寺は、インド古代建築に精通した建築家伊東忠太氏によって設計されたもので、耐震性に優れた鉄骨鉄筋コンクリート造の躯体に釈尊の時代を思わせるインド仏教建築の様式を盛り込んだ新時代の宗教建築です。

築地本願寺正面

築地本願寺の主たる部分は巨大な青緑色の銅屋根の下にある大伽藍で、古代インド仏教の祠堂であるチャイトウヤの形に造られているということです。設計者伊東忠太氏は、何度もインドに渡って古代インド仏教建築をスケッチして研究したそうです。

大伽藍の両側には、やはり古代インド仏教様式の小塔が置かれています(下左の写真)。ヨーロッパの教会の鐘楼を思わせるようなデザインです。それらを含めた築地本願寺の建築の間口は87m、奥行きは56m、高さは33mもあるということです。

築地本願寺の正面には大階段が設けられており、それを登って大伽藍に入ります(下右の写真)。私も東京に長く住んでいるのでこの築地本願寺の前を通ったことは何度もありますが、内部に入るのは今回が初めてでした。

築地本願寺小塔 伽藍入口

白象の像
白象の像

 大階段を登って内部に入ると、階段の右側になにか鉄の檻のようなものがあるのに気がつきました。
近寄ると、なんとその中には大きな白い象の作り物が置かれていました。

釈尊のお母さん麻耶夫人は、白象の夢を見て釈尊を懐妊したとされます。そこで毎年釈尊の誕生日に行われる花祭りの際は、この白象を山車に載せ、稚児行列とともにパレードをするそうです。
この白象くんが次の出番までの間逃げ出さないように、厳重な鉄の檻の中に入れておくということです(^_^)。

築地本願寺祭壇
 本堂内に入ると、柱が少ない広々とした空間で、その正面には金色の大祭壇が置かれていました。私は京都の西本願寺にも行ったことがありますが、この築地本願寺本堂は西本願寺の御影堂より一回り小さいように感じました。

大祭壇には御本尊の阿弥陀如来像が安置されています。本堂の中で御本尊が置かれている部分は「内陣」と呼ばれるということです。内陣の天井には、カラフルな桃山時代様式の模様が描かれています。

築地本願寺祭壇

 本堂内は、仏教寺院には珍しい椅子席です。また本堂の天井は「折上げ格天井」という伝統的な真宗寺院の様式で作られているそうですが、その天井からは巨大なシャンデリアが下がっています。
やはり関東大震災の後の昭和9年に建築されたということで、仏教建築にも新しい様式が多く取り入れられたのでしょう。

パイプオルガン
パイプオルガン

 本堂出入口の上部には、仏教寺院には珍しいパイプオルガンが置かれています。1970年に信者団体の寄進によって設置された旧西ドイツ・ワルカー社のパイプオルガンで、大小約2000本のパイプで構成されているということです。

法要や儀式の際はもちろん、結婚式などのときも、このパイプオルガンの荘重な音楽が堂内に響き渡ります。
2006年1月からは、毎月最終金曜日にこの本堂でパイプオルガンによるランチタイムコンサートが開催されており、築地の新名物として人気を博しているそうです。

親鸞聖人像
親鸞聖人像

 本願寺内部の見学を終えて、寺院前の広大な広場に出てきました。
その広場の一隅に、浄土真宗の開祖親鸞聖人の大きな銅像が立っていました。杖をつき、深い菅笠をかむった旅姿の親鸞聖人像です。
来2012年1月16日が親鸞聖人の750回忌にあたるということで、京都西本願寺・東本願寺をはじめ浄土真宗系の各寺院ではこの2011年春から大法要などさまざまなイベントを行っています。巨大地震による惨禍も、親鸞聖人の教えに対し改めて信仰心が高まるきっかけになったようです。

芭蕉句碑
芭蕉句碑

 広場で松尾芭蕉の句碑を見つけました。
  春もやゝ
      気色とゝのふ
          月と梅  松尾芭蕉
元禄6年(1693年)の作で、『続猿蓑』に収められているということです。

前記のように、築地本願寺は1679年にこの地に再建されました。一方芭蕉は、その翌年に築地から遠くない深川大川端の草庵に移り住みました。草庵に落ち着いた芭蕉は、さっそくできたばかりの壮麗な築地本願寺を訪れたことでしょう。

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