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 この夏、東京から新幹線経由で岩手県平泉町に行き、まず長年の願望であった中尊寺を訪れました。次に、平泉町内を循環するマイクロバスに乗り、義経堂を経由して東北の古刹として有名な毛越寺(もうつうじ)に向かいました。

毛越寺山門
毛越寺山門

  後でわかったのですが、平泉町内循環マイクロバスは、平泉駅前からまず駅の近くにある毛越寺に向かい、その後中尊寺に行きます。従って、順序としてはまず最初に毛越寺に行くほうがよいようです。

私どもは、最初に中尊寺に行ったので、結果として平泉駅前でマイクロバスを下り、毛越寺まで歩くことになりました。
毛越寺は、平泉駅前の広い通りを西に10分ほど歩いたところにあります。

毛越寺の間口の広い大きな山門(左の写真)を通って、境内の玉砂利を踏んでしばらく歩くと、毛越寺の本堂が見えてきました。

毛越寺本堂
毛越寺本堂

 毛越寺は、天台宗の高僧として名高い慈覚大師によって平安初期の850年に創建されました。創建は、中尊寺とほぼ同時期ということになります。
平安時代後期には、奥州藤原氏の庇護を得て本堂など40もの堂塔のある大寺になったとのことです。

鎌倉時代に源頼朝により奥州藤原氏が亡ぼされた後、度重なる災禍により当時の堂塔はほとんど焼失しました。

その後、平成元年に至ってこの平安様式の新本堂が落慶しました。本堂のご本尊は薬師如来で、平安時代に作られたものです。

毛越寺のご本尊
毛越寺のご本尊

 本尊の両側の脇侍は、日光菩薩・月光菩薩が安置されています。その周りには四天王が配置され、本尊を守護しています。

毛越寺の寺伝によると、天台宗の高僧慈覚大師が850年に東北地方を巡遊されたとき、薬師如来の化身と思われる老人に出会いました。その指示に従ってこの地に堂を建て、嘉祥寺(かしょうじ)と名付けました。それが、毛越寺の始まりとされます。

大泉が池
 現在大泉が池という庭池を中心とする「浄土庭園」と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で復元・保存されており、国から特別史跡、特別名勝の二重指定を受けています。

大泉が池は東西に長い形をしていますが、かつての毛越寺の堂塔は大部分が大泉が池の北側に配置されていました。池の南側に南大門があり、参拝者はその大門から入って、大泉が池の中ノ島を経由する道で池の北の本堂に向かったとされます。

大泉が池

開山堂
開山堂

 本堂の前から北に向かい、大泉が池に沿ってさらに進むと、古色の付いたお堂が見えてきました。毛越寺を開いた慈覚大師円仁をまつる開山堂です。

内部には、慈覚大師の像のほかに、両界大日如来像、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の画像を安置しています。

開山堂の前から池の岸にかけて、花菖蒲園が広がっています。ここで毎年6月20日から7月10日に開催される「あやめまつり」は、全国的にも有名だそうです。期間中には写真撮影会も行われます。

曲水の宴
曲水の宴

 毛越寺の北側には塔山と呼ばれる小山があり、そこから湧いた水の流れが大泉が池に注いでいます。そのように山水を池に取り入れるための水路を、「遣水」(やりみず)といいます。通常、遣水の水底には玉石を敷きつめ、流れは蛇行させて各種の石組みを配します。
写真は、復元された毛越寺庭園の遣水です。この遣水では、毎年5月の第4日曜日に「曲水の宴」(ごくすいのえん)が行われます。これは、遣水に盃を浮かべ、それが自分に届くまでに和歌を詠むという平安時代の雅な遊びを復元したものです。

大泉が池の周辺
 毛越寺境内は、昭和29年から詳細な発掘調査が行われ、礎石、遺構などからかつての東北の大寺の全容が明らかになりました。

大泉が池の周辺遺構も詳細に調査され、その結果に基づいて、平安時代の雅びな景観が忠実に復元されました。池の周囲には、州浜(すはま)、築山、出島、飛島などの石組みが配置されています(下の写真)。

大泉が池の周辺

大泉が池の周辺
龍の形の小舟

 池の周辺や中島には、すべて白い玉石が敷きつめられています。

池の中には龍の形をした小舟のようなものが置かれていますが、藤原三代の人々がこの池に舟を浮かべて雅びな遊びを楽しんだ様子をしのばせます。

  三代の
      栄華の池に
          青葉風

常行堂
常行堂

 池の北側に、時代のついた大きなお堂がありました。1732年に伊達吉村公によって再建された常行堂です。常行堂とは、僧侶たちが修行する道場のようです。

このお堂の本尊は「宝冠の阿弥陀如来像」で、脇には四菩薩像があり、さらに奥殿には摩多羅神が祀られています。

毎年正月二十日には、この常行堂で摩多羅神の例祭(二十日夜祭)が行われます。
その法要のあとに奉納されるのが「延年の舞」で、これは国の重要無形民俗文化財に指定されています。

松尾芭蕉の句碑
松尾芭蕉の句碑

 大泉が池を一周してまた池の南岸に帰ってきたところに、松尾芭蕉の有名な俳句の碑がありました。
  夏草や
      兵どもが
          夢の跡  松尾芭蕉
芭蕉は、平泉の中尊寺や義経終焉の地高館を訪れていますが、この毛越寺にきたという記録はありません。

写真の句碑は、平泉出身の俳人で中尊寺の僧であった素鳥という人が19世紀になってから立てたものだそうです。

英文の句碑
英文の句碑

 境内を見終わって寺の出口に向かって歩いて行くと、英文を刻んだ大きな石碑があるのに気がつきました。近寄ると、農学者・教育者の新渡戸稲造が上記「夏草や」の俳句を英訳したものであるのがわかりました。

The summer grass.
  'Tis all that's left
    Of ancient warriors' dreams.

芭蕉の俳句の心を伝える立派な英詩だと思います。平泉の文化遺産は世界遺産登録を目指しているとのことですが、世界の人々にこの英詩を読んでもらいたいものです。

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