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奈良・興福寺 |
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東大寺を拝観してから近鉄奈良駅に向かって歩き、奈良公園の入口近くに来ると奈良国立博物館の特徴ある建物が見えてきました(左の写真)。
奈良国立博物館は仏教美術を中心とした文化財の収集、保管、研究、展示をしており、この分野では日本最大の博物館です。
東大寺正倉院展は、毎年この博物館で開催されています。私も古代シルクロードからわたってきた正倉院の収蔵品を一度は拝観したいと願っていますが、残念ながらこれまでそのチャンスがありません。 |
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興福寺は、上記の奈良国立博物館の西側にあります。修学旅行などで有名な猿沢池の北側に位置し、猿沢池から興福寺五重塔を見ることができます。
興福寺は奈良を代表する古刹の一つで、開山以来1300年の歴史を誇ります。
興福寺は、1998年12月に東大寺などとともに「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されました。 奈良国立博物館の前から興福寺に入ったばかりのところに、世界遺産登録の記念碑が立っていました(左の写真)。 |
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かつては興福寺には塀をめぐらせた広大な境内があり、その南側には巨大な南大門があったのですが、現在ではそれらは失われ、奈良公園の中に取り込まれています。
国立博物館側から入ってすぐのところに、壮大な興福寺五重塔(国宝)があります。 興福寺は730年に藤原不比等によって創建されましたが、この五重塔は不比等の娘である光明皇后が建立したとのことです。
現在の建物は15世紀の応永年間に再建されたもので、京都にある東寺五重塔に次ぐ50.1mの高さを誇っています。 |
五重塔の北側に隣接して、国宝東金堂(ひがしこんどう)があります(下の写真)。
すぐ近くにある東大寺が大国家プロジェクトとして建立されたのに対し、興福寺は前記のように藤原氏の氏寺として創建されました。しかし創建時から平安時代にかけては、当時の藤原氏の絶大な権力を反映して、興福寺は東大寺と並び称されるほどの栄華を誇ったといわれます。
その当時、興福寺には巨大な中金堂があり、その両側に東金堂と西金堂が置かれていました。創建以来の長い歴史の間に興福寺は何度となく火災にあってきましたが、江戸時代の18世紀初めには西金堂、講堂、南大門などが火災で失なわれ、その後再建されることなく現在に至っています。
現在の東金堂の建物は、上記五重塔と同じく15世紀の応永年間に再建されたものですが、創建時の東金堂の様式をかなり忠実に伝承したとされ、国宝に指定されています。東金堂のご本尊は薬師如来です。 |

来る2010年が興福寺創建1300年に当たるので、当寺ではさまざまな記念事業を推進しています。その記念事業の中心がかつての興福寺の中核である中金堂の再建です。 中金堂は江戸時代の18世紀初めに火災で失われたのち、仮堂が造られましたが、それも老朽化したので2000年に解体されたそうです。
天平以来の歴史を持つ大寺興福寺の中核である中金堂がどのように復活するか、私どももぜひ拝観したいと願っています。 |
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弘法大師空海は、興福寺南円堂の建立の無事を祈り天川弁才天に参籠するなど、興福寺と浅からざる縁がありました。 その弘法大師が東金堂の本尊薬師如来に永代の花として捧げたという松の子孫が東金堂の前にそびえており、「花の松」と呼ばれています。
この松も左の写真のように大きく傾いて片方向の根が地上に露出しており、経てきた年月の長さを感じさせます。
次に東金堂から西の方向に歩き、境内の南西にある興福寺南円堂に向かいました。 |
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興福寺創建当時は、境内の西側に北円堂、西金堂、南円堂が南北方向に並んでいたとのことです。
北円堂の建物は13世紀初頭に再建されたもので、国宝になっています。興福寺に現存する建物の中でもっとも古いものです。
南円堂のほうは、江戸時代の18世紀末に再建されたもので、北円堂と同じく八角形の平面を持つ八角円堂です(左の写真)。
建物のサイズは、南円堂のほうが北円堂よりずっと大きいようです。南円堂は国の重要文化財に認定されています。 |
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南円堂のすぐ近く、興福寺境内の西南の隅に興福寺三重塔が立っています。高さ19mの小塔で、現存の建物は北円堂と同時期の13世紀初に再建されたものです。
左の写真に見られるように、平安時代の建築様式を思わせる華奢で優美なつくりで、塔本体に比較してその上に載っている水煙が非常に長く見えます。
三重塔は北円堂と並んで興福寺に現存する建物の中でもっとも古いものであり、仏教建築として非常に優れていることから国宝に選定されています。 |
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南円堂の横に、小さな不動堂があります。その内部は、なにもかも黒くすすけている中、小さな灯明がゆらめいていました。
この不動堂では護摩供養が盛んに行われ、勤行の僧の焚く護摩の炎が大きくあがるのが見られるそうです。
外から見ると、入口の上、「不動明王」の額のあたりが真っ黒にすすけています。ここで行われる護摩行の激しさが想像できます。
堂の上には、興福寺を創建した藤原氏をしのぶ「左近の藤」と呼ばれる大きな藤棚がかかっています。 |
不動堂の隣には、一言観音堂という小さなお堂があります(下の写真)。ここの観音様に一つだけ願いごとをすると、その一つだけを叶えてくださるということで、昔から庶民の信仰を集めています。たくさんお願いすると、どれも聞き届けてくださらないそうです(^_^)。
入学試験や入社試験のシーズンには、この観音堂の前にただ一言だけをお願いする人の列ができるということです。 |
南円堂の近くに、「茶臼山」と呼ばれる高さ2メートルばかりの芝生の築山があります。 昔、興福寺の南大門に「月輪山」という山号の額がかかげられましたが、その後さまざまな災いが発生したので、やむなくその額を境内に埋め、そこにこの築山を造って額の塚としたということです。以降、興福寺では山号はないままで現在に至っているそうです。
その茶臼山の下に赤い衣を着た地蔵様の像があり、そのまわりにもやはり赤い布を巻いた石が多数置かれてありました(下左の写真)。なにか特別な行事があったのでしょうか。 |
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興福寺の境内からはるか東の方向を望むと、若草山のふもとにこぶしと思われる大木が白い花を木いっぱいにつけているのが見えました(上右の写真)。寒さ厳しい奈良も、ようやく春の気配が濃厚になってきたようです。 |
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