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金閣寺参道
金閣寺参道

 京都の桜の名所平野神社でさまざまな桜を楽しんでから、そう遠くないところにある金閣寺に向かいました。

平野神社から金閣寺まではバスで2停留所ぐらいということで、ぶらぶらと歩いても行ける距離ですが、せっかく市バスの一日券を買ったので、バスに乗って行きました。

バス停のすぐ近くにある山門をくぐり、長い参道を歩き始めると、さすがに世界遺産らしい堂々たる寺格を感じます。禅寺だからでしょうか、境内には桜の木がほとんどなく、かえでなどの落葉樹が多いようです。

金閣寺総門
金閣寺総門

 私どもが行った4月はじめには、それら境内の木々はまだあまり芽を吹いていませんでした。秋の紅葉のときは、さぞかし見事な景観になることでしょう。

金閣寺は、もともと足利三代将軍義満がつくった別邸でしたが、義満の死後、その子義持により禅寺とされ、義満の法号にちなんで「鹿苑寺」と呼ばれるようになったということです。

好天気に恵まれた午後とあって、参拝客が非常に多く、皆総門を通って境内に入ります。左の写真で総門の奥に見える門は、「唐門」という名前だそうです。

鐘楼
鐘楼

 金閣寺は、三島由紀夫の小説で知られている通り、第二次大戦後の昭和25年に放火により焼失しましたが、その後関係者の努力により昭和30年に再建されました。

1994年には、古都京都の文化財として世界遺産に登録されました。

総門を入ったところの左側には、古い鐘楼がありました(左の写真)。この鐘楼に吊るされている梵鐘は、鎌倉初期に鋳造された由緒あるものということです。
この鐘楼のあたりにはカエデが多く、秋には見事な紅葉となり、写真撮影をする人々でにぎわうそうです。

金閣寺
金閣舎利殿

 境内の道をさらにしばらく進むと、急に目の前が開け、大きな庭池にでました。その池の向こうに、金色まばゆい三層の金閣がそびえていました。

私も、昔修学旅行でここに来たはずなのですが、その記憶はまったくなくなっていました。

幸い快晴に恵まれ、鏡湖池という池のほとりにそびえるきらびやかな楼閣に目をうばわれて、ただ感嘆するのみでした。

  池に映え
      金閣照らす
          春陽かな

五重塔
金閣北側

 金閣と呼ばれているのは、正式には鹿苑寺金閣舎利殿という名前だそうです。
前記のように放火により失われた後、昭和30年に再建され、さらに昭和62年に金箔張り替え修復を行って、創建当時の壮麗な姿がよみがえりました。

金閣の正面から池に沿って右に回ると、方丈という江戸中期に建てられた建物があり、その北側に陸舟(りくしゅう)の松という足利義満手植えとされる松があります。

左の写真は、金閣を池の反対側(北側)から撮影したもので、金閣の軒の裏まで金箔が一面に貼られているのがわかります。

安民沢
安民沢

 金閣の北側(裏側)に、義満がお茶の水として使ったとされる銀河泉という泉があり、現在も水が湧きだしているということです。また、義満が手を清めたとされている「厳下水」もこの近くにあります。

そのさらに北側に安民沢という庭池があります。池の中の小島には、この場所のもともとの所有者であった西園寺家の守り神とされる白蛇を祀る五輪の石塔「白蛇塚」が建てられています(左の写真)。

静かな池のヘリをたどりながら、東の方向にゆっくりと歩いていきました。

夕佳亭
夕佳亭

 金閣の北、小高い丘の上に、夕佳亭(せっかてい)という茅ぶき屋根の田舎家風の茶室があります。
もともと江戸時代の初めに建てられましたが、明治のはじめに火災で失われ、その後また復元されました。

夕佳という名前は、この庵から夕日に映える金閣の佳景を北側から望めるのにちなんだものとされます。

写真は三畳敷の茶室正面にある「南天の床柱」で、茶室建築史上大変有名な造りだそうです。床の間には、「南無阿弥陀仏」の書がかかっていました。

講堂
築地塀ぞいの小径

 夕佳亭を出て、もときた方向を振り返ると、金閣が木立の中に浮かぶように見えました。金閣の屋根に飾られている鳳凰が、午後の陽を浴びてきらめいていました。

金閣の最上層である三層には仏舎利が安置されており、「究竟頂」(くっきょうちょう)と呼ばれるそうです。

ここから、東の方向に林間の小径を歩きます。小道の左側には築地塀が連なっており、あたりは高い杉の木がたくさん茂っています。創建当時を思わせる静かな空間を、ゆっくりと歩いていきました。

茶所で一休み
茶所で一休み

  しばらく歩くと、遠くに赤い日傘が見えてきました。金閣寺境内の茶店のようです。広い境内をだいぶ歩いてくたびれたので、ここで休むことにしました。

近寄ると、茶店の外に赤毛氈を 敷いた床几がならべてあります。そこに座って、お茶とお菓子をいただきました。

鹿苑寺は義満の遺言に従って創建されましたが、その後、応仁の乱で金閣など一部を残し焼失してしまいました。
金閣はその後長く波乱の時代をしのぎましたが、第二次大戦ののち、学僧の放火により灰塵に帰しました。

不動堂
不動堂

 鹿苑寺は、現在は臨済宗相国寺派の禅寺として本山相国寺の山外塔頭になっているそうです。 当寺は、面積が広大な割には堂宇が少ないお寺といえましょう。

数少ないお堂の一つが境内の東端にある不動堂です。弘法大師が作られたと伝えられる石不動明王を本尊として納めているそうです。毎年2月3日(節分)と8月16日(大文字送り火)に開扉法要が営まれます。

このお不動さんは、首から上の病気、特に眼病に霊験あらたかといわれ、昔から熱き信仰の対象になっているそうです。

左大文字山
左大文字山

 不動堂を出てまた参道に戻り、ようやく芽を吹き始めた境内の木々を眺めながらゆっくりと歩いて鹿苑寺の外に出ました。

そこから不動堂のほうを振り返ると、大きな山が鹿苑寺の境内にのしかかるようにそびえているのが見えました。山の頂に近いところには木々がなく、大きな「大」の字が山肌に形成されていました。毎年8月16日に、この左大文字山と呼ばれる山で大文字送り火が点火されます。

金閣寺に放火した学僧は、山伝いにこの山まで逃げて、そこで割腹自殺を図ったそうです。現在から57年も前の話です。

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