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奈良国立博物館
英人ショー感謝碑

 軽井沢・旧三笠ホテルを見てから表のバス通りに出ると、道端に大きな石碑があるのに気がつきました。
近寄ると、石碑の碑面には 「英人ショウ氏発見感謝碑」とありました(左の写真)。

明治19(1886)年、 英国聖公会の宣教師A.C.ショウが、布教の旅の途中軽井沢に来てその風光の美しさにうたれました。
ショウは、さっそくこの地に自分の別荘を建てるとともに、自分の知人たちにも軽井沢の風光を大いに紹介しました。

これを契機として、軽井沢は外国人の別荘地として大いに発展することになりました。

旧軽井沢の別荘
 上記石碑は、国際別荘地軽井沢の生みの親英人宣教師ショウに深い感謝の意を表して建立されたものでしょう。

ショウら外国人たちは、この地に軽井沢の寒さをしのぐことができるヨーロッパ式建築を広め、また地元の農民たちに寒冷地でも収穫できる西洋野菜の栽培法を教えました。
またショウはこの地でキリスト教の布教に乗り出し、小さな礼拝堂を建設しました。このような外国人たちの活動により、当時の軽井沢は、キリスト教色の強い国際的な雰囲気のある地域になりました。

下の写真は、ショー感謝碑の近く、旧軽井沢の林間で見かけた別荘です。

旧軽井沢の別荘

旧軽井沢バス停
 旧三笠ホテルの前で草軽交通バスに乗って三笠通りを軽井沢市街方向に移動し、旧軽井沢バス停で下車しました。昔はこの地域には草津軽便鉄道というミニ鉄道が運行されていましたが、現在ではそのルートに路線バスが通っています。

下の写真は、旧軽井沢バス停で下車してから旧三笠ホテルの方向を撮影したものです。三笠通りがまっすぐ北に伸びている両側に、落葉松の大木がそびえる森がひろがっているのが見られます。
英人宣教師ショウがこの地に来たころは、ここにはやっと馬車が通れるくらいの細い山道があるだけだったのでしょう。

旧軽井沢バス停

世界遺産興福寺
旧軽井沢市街

 上記のように、明治時代の軽井沢は外国人の多い静かな避暑地というイメージでしたが、やがて鉄道の開通により来訪者が急激に増加し、日本人も別荘を建築する向きが多くなりました。

大正初めには東京の大手不動産業者が軽井沢の方々で別荘地を開発・分譲し始め、以降、軽井沢は国際色のある高級別荘地として広く知られるようになりました。

1997年には長野新幹線が開通し、軽井沢一帯は高級感のある国際リゾートとして多数の観光客を集めるようになりました。

世界遺産興福寺
聖フランチェスコ像

 旧軽井沢バス停のあたりは、旧軽井沢銀座と呼ばれる大通りにも近く、上の写真のようなブティークが軒を連ねています。

バス停から少し東側に歩いて行くと、道路端に左の写真の白い石像が立っているのが見えました。イタリア・アッシジの聖者として有名な聖フランチェスコの像とのことです。

聖フランチェスコは、13世紀にフランシスコ会を創立し、ハンセン病患者救済などの社会事業に努めました。聖フランチェスコは、小鳥の言葉を理解し、小鳥に対してキリストの教えを説いたとされます。

聖パウロ・カトリック教会
 聖フランチェスコ像から少し行った左側に、クラシックな教会の建物が見えてきました。これが、旧軽井沢のシンボルの一つ、聖パウロ・カトリック教会です(下の写真)。

この教会は、アメリカ人建築家アントニン・レイモンドの設計により1935年に建設されました。木の肌の壁面と銅葺き三角屋根に、どこか東欧の教会のイメージが感じられます。

本教会はイギリス人聖職者によって創立されたとのことですが、宗派は英国教会ではなくローマ・カトリックです。軽井沢在住のフランス人など外国人カトリック信者の熱き願いにより建立されたということです。

旧軽井沢の別荘

堀辰雄の 『木の十字架』 という小説に、この教会が登場しているそうです。また、この教会でテレビドラマなどの撮影もよく行われているということです。

軽井沢一のカトリック教会というイメージからか、創立当時から結婚式場としても人気が高く、西郷輝彦さん夫妻もここで結婚式を挙げたそうです。
私どもが行ったときも、ちょうど結婚式が行われていたので、教会内部の見学はできませんでした。

下左の写真は、教会の裏側にある塔部分です。やはり銅板で葺かれており、尖塔には十字架がついています。設計者レイモンドはチェコ系のアメリカ人とのことですが、写真で見たボヘミアの教会にこのような尖塔があったのを思い出しました。

下右の写真は、教会の鐘楼です。

茶臼山 若草山

旧軽井沢銀座
 聖パウロ・カトリック教会の近くでレンタサイクルを借りて、軽井沢市街の探検に向かいました。軽井沢一帯は、まさに「自転車特区」とでもいうべき地域で、いたるところに自転車が走り回っています。このあたりは狭く曲がりくねった道が多いので、自転車がもっとも適しているのです。

下の写真は、聖パウロ・カトリック教会の近くの「旧軽井沢銀座」です。東京代々木の竹下通りと同じように、さまざまなブティークが立ち並び、観光客や土地の別荘族が道幅いっぱいに歩き回っています。

大きなショッピングセンターやおしゃれな喫茶店などもたくさんあります。この通りでは、とても自転車に乗ったままでは通れないので、自転車を降りて押して歩きました。

旧軽井沢銀座

旧軽井沢礼拝堂

 また三笠通りに出て、今度はJR軽井沢駅の方向に700メートルほど南下しました。三笠通りの東側にある万平通りに入るとまもなく旧軽井沢ホテル音羽ノ森というホテルがあり、それに隣接して「旧軽井沢礼拝堂」というチャペルがありました(下左の写真)。

この教会は、前記国際別荘地軽井沢の生みの親ショウ司祭の精神を継承して建立されたとのことで、宗派はもちろんショウ司祭と同じ英国国教聖公会です。

音羽ノ森の巨樹の中に、こじんまりとした白亜のイギリス風チャペルが静かにたたずんでいました。私の自宅の近く(東京都世田谷区)にやはり日本聖公会のチャペルがありますが、両者が造りがよく似ているのに気がつきました。

旧軽井沢礼拝堂 旧軽井沢礼拝堂

下の写真は、教会の横の入口付近の様子です。この教会でも、ちょうど結婚式をしているようで、内部の見学はできませんでした。
インターネットで軽井沢の教会について検索すると、教会での結婚式の案内や結婚式と新婚旅行のパックなどが多数表示されます。軽井沢のどの教会も、結婚式が盛んに行われているようです。

旧軽井沢礼拝堂 旧軽井沢礼拝堂

ショウハウス記念礼拝堂
 軽井沢の教会について調べていると、この近くにショウ司祭が布教の拠点とした礼拝堂が保存されているのを知りました。また、ショウ司祭が建てた軽井沢の別荘がその礼拝堂のそばに復元されているとのことでした。

地図で見ると、その場所は旧軽井沢銀座の東北端、つるや旅館の先のようです。さっそく自転車で、その軽井沢キリスト教文化のルーツを探りに出かけました。

旧軽井沢銀座の混雑を避けるため銀座通りを南側から大きく迂回して行きましたが、それがまずかったのか、途中で道に迷ってしまいました。30分あまりもそのあたりを自転車で走り回りましたが見つからず、結局あきらめて引き返しました。

芭蕉の句碑
芭蕉の句碑

 自転車で走り回っているうちに、つるや旅館の先で松尾芭蕉の句碑を見つけました。道端の木暗がりの下、おむすび形の自然石に大きな字で野ざらし紀行の一句が刻まれてありました。

 馬をさへ
     ながむる雪の
         あした哉  松尾芭蕉

芭蕉は、郷里松坂への行きかえりや吟行などの際、何度も中山道を旅してこの軽井沢に宿泊しています。

しかし、この俳句は野ざらし紀行の際に名古屋の近くで詠んだものだそうで、軽井沢には特に関係はありません。この句碑は、1843年の芭蕉150回忌にあたり、軽井沢の俳人が建立したということです。

また自転車に乗り、三笠通りに戻って南の方向にあるJR軽井沢駅に向かいました。
駅の近くでレンタサイクルを返却してから、駅で東京行きの切符を買って新幹線のホームに上がりました。ホームから下の広場を見下ろしたところ、大きな自転車置き場があり、自転車がずらりと並んでいました。いかにも「自転車特区」軽井沢らしい光景でした。

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