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 深大寺は、東京都調布市にある天台宗の古刹で、開基は天平年間にさかのぼり東京都では浅草浅草寺に次ぐ歴史を持つとのことです。
天台宗は、弘法大師空海のライバルであった伝教大師最澄が平安初期に開いた宗派で、空海の開いた真言宗とともに密教のグループに属します。
平安末期の991年には、天台座主・元三(がんざん)慈恵(じえい)大師が多くの人々を救うため自刻像を深大寺に納めましたが、これが今日の隆盛の基礎となりました。

東京都西北部をサービスエリアとする京王帝都線のつつじヶ丘駅から、バスで30分近くのところにあります。

深大寺そば
 今回は、久しぶりの好天に恵まれたうえに七五三詣りと重なったので、深大寺門前はご覧のように大変な人出でした(下左の写真)。

深大寺周辺にはかつての武蔵野がそのまま残っていますが、そこから湧き出る良質の水を使ったそばが名物で、寺の門前にはたくさんのそば屋が軒を連ねています。

門のすぐ前のそば屋に、羅漢(釈迦の弟子)の石像がありました(下右の写真)。あ、うんの二つ一組の石像ですが、よく見ると羅漢の前にそばのざるが重ねて置かれてありました(^_^)。さすが深大寺、というところです。

私どももその店に入ってお相伴してそばをすすりながら、山門の向こうにそびえる深大寺の本堂を眺めました。
   新そばを
       愛でつ
           本堂眺めけり

深大寺本堂 深大寺本堂

深大寺山門
 深大寺の境内に入るところに、時代が付いた茅葺の山門があります(下左の写真)。
深大寺は歴史が長いだけに、戦乱などにより幾多の堂宇が失われました。この門は桃山時代の建築といわれ、現存する深大寺の建物の中で最古のものだそうです。

この山門のいかにも武蔵野らしい分厚い茅葺を見て、ふと私の実家(千葉県)の近くにある香取神宮の簡素にして厳粛なたたずまいを思い出しました。

深大寺を訪れた俳人正岡子規は、この山門を見て次の俳句を詠みました。
   山門に
       雲をふき込む
           若葉かな   正岡子規

深大寺山門 深大寺本堂

山門を通って境内に入り、本堂の前にある常香楼というお堂(上右の写真)で香の煙を浴びながら、晩秋の明るい陽を受けた境内の方々を見回しました。

深大寺本堂
 深大寺本堂は、江戸時代の大火で焼失しましたが、大正の初めに再建されました。

昨年私どもがここに来たときは、本堂は修復中で全体にカバーがかかっていて見られませんでした。今回は、長期間にわたった本堂の修復も終り、その堂々たる建築に接することができました。

本堂に安置されているご本尊は、阿弥陀三尊仏です。本堂内部は一般公開されておらず、本堂正面のガラス越しにのぞいてもご本尊の姿は見えませんでした。

深大寺本堂 深大寺本堂

本堂の横にはナンジャモンジャの木というのが植えられています。水戸黄門がこのお寺にきて、この木はナンジャ?と聞きましたが、助さん・格さんには名前がわからなかったという言い伝えがあるそうです(^_^)。

深大寺の鐘楼
 山門から入ってすぐ右側に鐘楼があります。ここに置かれている梵鐘は、最初は鎌倉時代後期に鋳造されたということですが、その後平成に入ってから改鋳されました。
この前深大寺に来たとき、若い僧侶が二人がかりでこの鐘を突き鳴らしていたのを思い出しました。

深大寺の鐘楼 深大寺本堂

本堂の左側には高さ20メートル以上もある落葉樹がそびえており、ちょうど黄落のときを迎えて金色に輝いていました。見上げると、枝の先に銀杏ぐらいの大きさの実がたくさん付いているようです(上右の写真)。

この巨木はムクロジという木だそうで、昔はこの木の実を羽根突きに使ったとのことです。ムクロジは「無患子」と書き、昔は子供たちが病気にかからず健康に育つようにという願いをこめて植えられたということです。

元三大師堂
元三大師堂

 この寺の基礎を確立した天台座主慈恵大師は、正月三日に亡くなったので元三(がんざん)大師とも呼ばれます。

その元三大師を祀った元三大師堂が本堂左側の丘の上にあります。最初は平安中期に建立されましたが、その後室町時代に火災で失われ、ずっと後に再建されました。

このお堂には元三慈恵大師の作と伝えられる御尊像をまつってありますが、除災招福、商家繁盛などにあらたかなご利益があるとされ、ご利益を願う人が堂前から絶えることがありません。毎年3月3日、4日にはだるま市が催され、大変な賑わいになるそうです。

釈迦堂
 本堂の左側に釈迦堂があります(下左の写真)。釈迦堂の中に、関東最古といわれる釈迦如来座像(重要文化財)が安置されています(下右の写真)。

深大寺の創建より約一世紀前にあたる白鳳期に制作されたという黒い銅造の像で、椅子に座した姿をしている珍しい仏像です。

   秋深し
       如来倚像は
           暗きなか
この釈迦如来像は、奈良時代にこの深大寺を開基した満功上人が大陸から持ち帰ったものともいわれます。  

釈迦堂 釈迦堂

開山堂
 元三大師堂の裏山に、開山堂という小さなお堂があります(下左の写真)。昭和58年の開山1250年を記念して、創建当時の奈良時代の様式で建てられたということです。
ご本尊は薬師如来ですが、開山の祖満功上人のお像も祀られているそうです。

開山堂 波郷の句碑

その開山堂の左側に、俳人石田波郷の有名な俳句の碑がありました(上右の写真)。
    吹き起こる
        秋風鶴を
            歩ましむ   石田波郷
石田波郷の墓はこの深大寺の墓所の中にあり、墓碑には「風鶴院」という戒名が刻まれてありました。

境内の句碑
 武蔵野の古刹深大寺は、昔から文人墨客が多数訪れてきました。人間探求派の俳人中村草田男は、当寺から近くにある成蹊高校の教職を勤めて当寺と縁がありました。

本堂の左側の植え込みのそばに、草田男の有名な「万緑」の俳句の碑がありました(下左の写真)。
    万緑の中や
        吾子の歯
            生え初むる   中村草田男
この句碑の除幕式には、草田男が高齢を押して出席したということです。

草田男の句碑 爽雨の句碑

上記草田男の句碑の近くには、俳人皆吉爽雨のこれまた有名な「深大寺そば」の俳句の碑がありました(上右の写真)。
    春惜しむ
        深大寺そば
            一すすり   皆吉爽雨
深大寺詣りの名物深大寺そばは、この爽雨の名句によって日本全国に知れ渡ることになりました。そば屋が軒を連ねる深大寺の門前町に、そのうち爽雨の銅像が立てられるのではないでしょうか(^_^)。

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