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豪徳寺 |
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豪徳寺は、世田谷区にある壮大な禅寺(曹洞宗)です。小田急の豪徳寺駅からも歩けますが、豪徳寺駅に隣接している東急世田谷線山下駅で世田谷線に乗り、隣の宮ノ坂駅で下車すると、すぐ近くです。
城山通りから見ると、石門の先の両側に空を隠すような高い松並木が続いています。その下にある長い参道を歩いて行くと、突き当たりに堂々たる山門が見えてきました。
真夏でも、お寺の境内から松並木の大木の下を抜けてくる風はとても涼しく、参道を歩く参詣者の心を和ませます。 |
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豪徳寺の前身は吉良氏によって建てられた庵でしたが、江戸時代の初めに世田谷郷の領主となった彦根藩主井伊直孝の援助により立派な堂宇を持つお寺となりました。
寺の言い伝えでは、井伊直孝公が鷹狩りの帰りに寺の和尚さんの愛猫が門前で招くのを見て当寺で休息をとったためにその後起こった激しい雷雨をさけることができたとされます。これが、豪徳寺の招き猫伝説の始まりだそうです。
この山門(左の写真)は江戸時代に建てられたもので、「壁雲関」と記された当時からの額が掲げられています。 |
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山門から入ると、大きな黒い香炉があります。寺の大きな行事の際には、ここに香がたかれ、白い煙が立ち昇ります。
このあたりは、春の桜、秋の紅葉がすばらしく、その時期は大勢の見物客でにぎわいます。香炉の右側には大きな鐘楼があり、毎年の大晦日の夜にはここから歩いて20分ほどのところにある私の家のあたりまで鐘の音が響きます。
また、香炉の左側の境内では、現在大きな三重塔が建築中です。それが完工すれば、豪徳寺に大きい堂宇がもう一つできることになり、新しい世田谷名所となるでしょう。 |
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香炉の先にある古い大きな建物は、仏殿とよばれるお堂です。やはり、江戸時代からの歴史のあるお堂のようです。 内部はいつも暗くて、安置されている仏様もはっきりとは見えません。
仏殿正面の高いところに「弐世仏」と見える大きな額がかかっています。ところが、この額に書かれている最初の字は「弐」の二の部分が三になったもので、サンと読むのだそうです。 この仏殿は、釈迦如来、弥勒菩薩、阿弥陀如来の三体の仏像を納めてあることから、三世佛と名付けられたとのことです。 |
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仏殿の右側を通って、さらに奥に向かうと、玉砂利を敷いた広場があり、ボタンの木がたくさん植えられています。 額
豪徳寺のぼたん園は昔から有名で、世田谷区で一番といわれます。5月のシーズンには、ぼたんを愛でる人で大にぎわいとなります。最近は、デジタル一眼カメラを三脚に載せて撮影する方が多くなりました。 プロのカメラマンが撮影する姿も、ときどき見かけます。
なお、豪徳寺境内東側にある駐車場のまわりにもボタンがたくさん植えられていて、シーズンには見事な花を咲かせます。 |
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仏殿のうら、ぼたん園の奥に、豪壮な本堂があります。江戸時代からの本堂は関東大震災で焼失したとのことで、現在の本堂はコンクリート造りです。
豪徳寺では、山門、仏殿、左の写真の八角灯篭とこの本堂が一直線上に配置されているとのことです。
香けぶる
牡丹の奥の
本堂に
本堂の左手には、エクゾティックなインド風建築の仏舎利搭があります。 |
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招き猫の評判は次第に高まり、やがてこの猫の姿形が作られて招福猫児(まねぎねこ)として人々が求めるようになりました。
豪徳寺仏殿の左側に、「招福堂」と呼ばれる時代のついた小さなお堂があります。招き猫ルーツのあの猫ちゃんは、「招福観音」となってその中に祀られています。
招福観音は、「崇め祈れば吉運立ち所に来り家内安全、営業繁盛、心願成就す」というご利益があるそうです。 願いがかなったら、ここに招き猫を返すとさらにご利益があるそうで、堂の左側には返された招き猫が並べられた祠があります。 |
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前記井伊直孝公以降、豪徳寺は彦根藩井伊家代々の菩提寺となってきました。山門の左側には井伊家関係者の墓が並んでいますが、その中に桜田門外の変で暗殺された大老井伊直弼の墓があります。
井伊大老は、側近が「水戸藩士が狙っているから」と説得しても耳を貸さずに江戸城に登城する途中、難にあったそうです。
合掌。
大老の墓の後には、水戸藩士の襲撃の際大老を護り奮戦して命を落とした家来のための「櫻田殉難八士之碑」があります。 |
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