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 かねてより私は、戦前生まれの日本人として、原爆による惨禍の象徴である原爆ドームをぜひ一度は訪れなければと念じていました。このたび所用で広島を訪れたので、仕事が終わってからさっそく原爆ドームに向かいました。

原爆ドーム遠望
 その途中、自転車に乗った男性に道を尋ねたところ、自転車を降りて押しながら私といっしょに歩いて原爆ドームへの道順を教えてくれました。やはり、広島市民は原爆ドームには特別の思い入れがあるのでしょう。

しばらく歩くと高い塀で囲まれた大きな建築物の前に出ましたが、男性がこれが広島球場だと教えてくれました。この球場は、そう遠くないうちに取り壊され、新しい広島球場が建設されるということです。

やがて、遠くの大木の根元に「慰霊」と刻まれた大きな石碑(下の写真右)が見え、その大木の梢の向こうに巨大な原爆ドームのむき出しの鉄骨が姿を現しました(下の写真左)。

原爆ドーム遠望 原爆慰霊碑

鈴木三重吉
鈴木三重吉の碑

 その慰霊碑の前に立ち、礼をしてからドームのヘリを右の方向に回りました。原爆ドームは元安川という大きな川のほとりにあり、川の対岸に平和公園が広がっています。

ドーム側の川岸に、広島市出身の児童文学者鈴木三重吉の記念碑がありました。三重吉は夏目漱石の弟子で、漱石の秀作 『文鳥』 は、三重吉の勧めで漱石が白文鳥を飼ったときの顛末を書いたものです。

鈴木三重吉の記念碑は原稿用紙を模した四角い形状の石造りで、その上に一組の少年少女のブロンズ像が腰をかけるように乗っていました。

碑文には 「私は永久に夢を持つ ただ年少時のごとくために悩むこと浅きのみ」 とありました。今後、世界の少年少女たちが平和のうちに文学に親しめるよう、祈りました。

そこから川に沿って南側にまわると、ようやく原爆ドームの全容が見えてきました。

原爆ドーム
原爆ドーム全景

 原爆は、このドームのほぼ真上約580メートルで炸裂しました。そのためドームを覆っていた銅板が一瞬にして溶けて無くなり、鉄骨がむき出しになってしまいました。
しかし、原爆の爆風が真上からきたため、この建物の外壁の一部が吹き飛ばされずにご覧のように残ったのです。

元安川の川岸に立ってドームを仰ぎつつ、14万人の被爆死者の冥福を祈りました。

  十四万
      悼むドームに
          暮れ早し

鎮火祈念碑
動員学徒慰霊塔

 川に沿ってさらに南側に行くと、五重構造の高い慰霊塔がありました。当時、広島市内で学徒動員令により多数の学生・生徒が働いていましたが、そのうち女子生徒多数を含む6000余人が被爆死しました。

それら学徒を悼んで、1967年に広島県動員学徒犠牲者の会によってこの動員学徒慰霊塔が建立されました。

慰霊塔は、高さ12mの巨大な建築で、有田焼の陶板で仕上げられています。塔の下に置かれた仏像の前に、「鎮火堂」という文字が刻まれていたのが印象的でした。

平和公園に向かう
 原爆ドームと平和公園との間を流れる元安川は、太田川(本川)という大きな川の支流のようです。これら2つの川に挟まれた三角州に、約12万平方mの広大な平和記念公園が開設されました。この地点が、原爆の爆心直下にあたるということです。

原爆ドーム側から、元安橋という橋で元安川を渡り、平和公園側の河畔に出ました。こちら側から見ると、ドーム部を含む建物の全体像がはっきりとわかります。建物の床、天井など水平の部分がすべて無くなり、垂直の壁の一部がわずかに残っている状態です。

原爆投下の直後、ドーム部を覆っていた銅板は瞬間的に熔けて飛散し、残った鉄骨は白熱されて空に輝いたのでしょう。しばらく後にはドーム部の鉄骨はやや温度が下がり、あたりに土煙が立ち込める中、赤く熱せられて光っていたことでしょう。

元安川の遊覧船

慰霊碑
原爆死没者慰霊碑

 元安川の河畔から、原爆ドームを背にして平和記念公園の中に入って行きました。

平和の池という長方形の池の中に、《平和の灯》という炎が揺らめいていました。

平和の池の少し先、公園の中央に、原爆死没者慰霊碑があります。献花の絶えることのないU字形の慰霊碑の前に立つと、慰霊碑の屋根の下から遠くに《平和の灯》の炎が揺らいでいるのが見えました。

さらに、慰霊碑と《平和の灯》を結ぶ直線上のはるか先に、原爆ドームが澄んだ秋空をバックに立っていました。

原爆の子
原爆の子の像

 原爆によりすべてが焼き尽くされたこの地も、現在では広島市民の憩いの公園ともなり、訪れる人々も大多数が戦争後に生まれた年代となりました。

しかし、園内には上記の原爆死没者慰霊碑をはじめ、広島平和記念資料館やモニュメントなど多数の建物、施設があります。

写真は、屋根の上に 《原爆の子の像》 が置かれているお堂で、2歳の時に被爆した女性が10年後に原爆による白血病で亡くなったのを悼み、全国から寄せられた募金で建立されたとのことです。

この堂内には鐘が置かれており、平和と核兵器廃絶を願う人々が次々にお堂に入ってその鐘を打ち鳴らしていました。

原爆死没者慰霊碑に祈りをささげ、平和記念資料館でも死没者を悼んでから、また元安川のほとりに戻りました。

元安川の遊覧船
 原爆が投下された後、この元安川は数万人もの爆死者の遺体で埋め尽くされたということです。しかし、現在は川の水は澄んでいて河岸もよく整備されており、川クルーズの遊覧船が船着場にもやられていました。

秋も深くなり、広島名産の牡蠣(かき)のシーズンになりました。夜になれば、この遊覧船も明るく灯をともし、その中で牡蠣料理の数々がお客に供されるのかも知れません。

   川流る
       牡蠣舟の灯(ひ)を
           映しつつ

元安川の遊覧船

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