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奈良・薬師寺 |
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京都から近鉄電車の急行に乗り、大和西大寺で天理の方向の各駅停車電車に乗り換えます。西ノ京駅で下車し、大和の里の田園を10分ほど歩くと薬師寺に着きます。
奈良を代表する古刹の一つで、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して、680年に藤原京に建立を始めました。その後平城京への遷都に伴い、この大和の地に移転されました。
東の浄瑠璃浄土の仏様である薬師如来は、医王如来ともいわれ、応病与薬により私どもの健康を維持してくださっているとされます。天武天皇は、皇后の病の平癒を願い、この薬師様にすがったのです。 |
そのような縁起のためか、薬師寺は、同じ時代の東大寺や法隆寺にも共通する荘厳の中に、どこか私どもが思わずすがりたくなるような優しさと華やかさを持っています。
私どもが訪れた3月末、今年は春の到来が早いのか、薬師寺の入口にはしだれ桜がやさしく咲き始めていました。 |

優しさは
薬師の教え
花会式(はなえしき)
薬師寺花会式は、3月末から4月始めに行われる十種の造華を祀る法会で、正式には薬師寺修二会(しゅにえ)と呼ばれます。平安時代に堀河天皇の皇后の病が薬師如来への祈願により快癒したのが、薬師寺花会式の起源とされます。 |
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境内に入ると、教科書で見覚えのある壮麗な五重塔が目の前にそびえていました。奈良の仏教建築の中でももっとも有名なものの一つ、薬師寺東塔です。
薬師寺は、建立が古いだけにたびたびの火災、戦火に見舞われ、建立当時の姿のまま残っているのはこの東塔だけです。
東塔の下に、歌人佐佐木信綱さんの有名な短歌の歌碑がありました。
行く秋の
大和の国の薬師寺の
塔の上なるひとひらの雲 |
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しばらく東塔に釘付けになっていた目を反対側に転ずると、1300年の古色がついた東塔とは対照的に、彩色華やかな大伽藍が空にそびえていました。
戦国末期に戦火によって失われた西塔は、全国の信徒の写経勧進により、1981年に復元されました。仏教建築史に名高い、東西の両塔を持つ薬師寺様式が、500年近い年月の後によみがえったのです。
白鳳の
春よみがえる
西の塔
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東塔も、1300年前の落慶当時はこの西塔と同じ極彩色の姿だったということです。新旧二基の巨塔を見比べて、白鳳以来1300年の時の流れに思いをはせました。 |
それら東西の塔に護られるように、壮麗な金堂の大伽藍がありました。この金堂も、西塔と同じく信徒の写経勧進により1976年に復元されました。
両側にある東西の塔と同じように、金堂にも裳階(もこし)と呼ばれる低い屋根が設けられています。創建当時、薬師寺金堂、東西の塔は竜宮城を思わせると称えられたそうです。 |

薬師寺のご本尊は、国宝である薬師三尊(薬師如来・日光月光(がっこう)両菩薩)です。それらの仏様が、この金堂の中に安置されています。
奈良の古寺を見慣れた私どもには、この復元された金堂は、大変鮮やかな彩色を施されているように見えます。しかし、奈良時代の仏教建築は大陸からの影響が強く、「青丹(あおに)よし」と詠まれたように鮮やかな彩色が普通だったとのことです。
金堂で薬師三尊などを拝観し、外に出ると、目の前に東西の塔が花曇りの空にそそりたっていました。
東西の
塔の間(はざま)を
鳥雲に |
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薬師寺は法相宗(ほっそうしゅう)の大本山ですが、その法相宗は、中国唐代の高僧玄奘三蔵がインドからもたらした唯識の教えが中心となっているそうです。
法相宗の始祖玄奘三蔵を祀る玄奘三蔵院伽藍も、近年落慶しました(左の写真)。まさに、玄奘三蔵がたどったシルクロードをほうふつさせるエクゾチックな伽藍です。
さらに現在、2003年落慶を目標に、薬師寺大講堂の復興工事が行われています。それが完成すると、1976年に復元された薬師寺金堂よりもさらに大きい壮大な仏教建築になります。 |
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