旅行

文学

美術

音楽

宗教

パソコン

海外旅行

トップページ 松島・雄島(おじま) メニューへ

 奥の細道の旅で、松尾芭蕉の乗った小舟は、松島湾の南西の端に位置する塩釜を出てその後松島湾の島々の風光を楽しみながら北上しました。

奥の細道には「其間二里餘、雄嶋の磯につく」とあり、最後は現在の仙石線松島海岸駅の南にある雄島(おじま)という海岸の小島に上陸したことになっています。

しかし、芭蕉に随行した弟子河合曾良の日記には、松島巡りをした後五大堂の近くにある松島の船着場から上陸したと書かれてあるそうで、そちらが実際の上陸地点であったと思われます。

松尾芭蕉像
松島から瑞巌寺へ

 松尾芭蕉は、松島海岸に上陸した次の日に当時奥州随一の禅寺とされた松島の古刹瑞巌寺を訪れています。

瑞巌寺の近くの茶店の前に、旅装束をつけて杖をもった芭蕉が赤毛氈を敷いた床机(しょうぎ)」にかけて休んでいる像が置いてありました(左の写真)。

芭蕉は、瑞巌寺を出た後西南の方向に歩いて、松島海岸べりの霊場で景勝の地でもあった雄島という小島に向かいました。

私どもは、松島海岸福浦島の近くのホテルから瑞巖寺に行き、その後瑞巖寺の西に隣接する円通院という寺を経て雄島に向かいました。

円通院は伊達政宗の孫を弔ったお寺で、芭蕉が瑞巖寺を訪れたときにはすでに建立されていたと思われますが、奥の細道にはその記述がありません。円通院の入口には松尾芭蕉の碑があり、長方形の石碑には 『奥の細道』 の松島の段が刻まれてありました。

雄島の渡月橋
 円通院から海岸に歩いて行く途中に、観瀾亭という建物があります。豊臣秀吉が建てた伏見桃山城にあった茶室の一部を伊達家が拝領し、ここに移築したものだそうです。残念ながら時間の関係で建物の中には入らず、庭を外から眺めただけで先を急ぎました。

海岸に出ると、遠くに小さな島に朱塗りの小橋がかかっているのが見えてきました。下の写真でわかるように、海岸からほんの20メートルほど離れた小島が頼りなげな橋で陸と結ばれています。

この朱塗りの橋は、渡月橋という名前だそうです。

渡月橋 渡月橋

短歌のグループ
短歌のグループ

 この島は古来霊場、修行場として知られ、瑞巖寺の中興の祖とされる運居禅師もここに庵室をむすびました。

また、平安時代には、見佛聖という高僧がここに祠を造って修行をしたといわれます。その見佛上人を慕って、後に歌人西行もこの島を訪れています。

芭蕉がこの雄島にきたのは、かねてより敬慕していた西行法師の後を追ってのことと思われます。

そのような歴史から、昔から和歌・短歌の愛好者、俳句の愛好者の皆様がこの雄島を盛んに訪れています。

上の写真はたまたま私どもと同じころに島にいた短歌愛好者のグループの皆様で、島の方々にある歌碑をめぐって短歌の先生の解説を聴いていらっしゃいました。

芭蕉の句碑
 雄島の中を歩き出してまもなく、芭蕉翁と記された句碑を見つけました(下左の写真)。句碑には、次の芭蕉の俳句が刻まれてありました。

    朝よさを
      誰まつしまぞ
        片心   松尾芭蕉
松島の旅で芭蕉がこの雄島にきたのは確かですが、奥の細道にはその記述がほとんどありません。また、芭蕉は松島では俳句をまったく詠んでいません。

上の俳句は、芭蕉が江戸で奥の細道に出立する準備をしているときに詠んだもので、朝も夜も松島への思いが心に浮かんでならない、それは私を待つ人が誰かその島にいて私のことを思っているからであろうか、という句意です。

芭蕉の句碑 曾良の句碑

上記芭蕉の句碑の隣には、奥の細道の旅で芭蕉に随行した弟子河合曾良の句碑がありました(上右の写真)。

    松嶋や
      鶴に身をかれ
        ほとゝぎす   河合曾良
この絶景松島の空には鶴が舞っているのがふさわしい、近くで鳴声が聞こえるほととぎすよ、鶴に姿を変えて飛翔してほしい、という意味でしょうか。

雄島の遊歩道
雄島の遊歩道

 雄島は、東西40m、南北200mほどの小さな島です。島内には多数の洞窟がありますが、それらの洞窟には仏像などが残されており、僧たちがこの地で修行に励んだ様子がうかがわれます。

この島は、古来からの霊場であるのと同時に、松島湾を一望できる風光明媚な場所としても有名でした。
現在では、島内には左の写真のように遊歩道が整備されており、松島の名勝の一つになっています。

雄島の句碑・歌碑

 雄島には、30ほどの句碑・歌碑が置かれているそうです。私どもは、島内外の景観を楽しんで歩きながら目に入った句碑・歌碑の碑面を読んで鑑賞しました。
下の写真は、雄島の北端に近いところにあった句碑です。
  走る帆の
      出てつ隠れつ
          千松島  無心庵如雲

雄島には、平安の昔から西行など多くの歌人が訪れてきました。 下の写真は、雄島の西側、芭蕉の句碑の近くにあった歌碑です。碑面に刻まれた和歌は、私の知らない人の作でした。
  松島の松を植てよ
      塩竈の浦の烟と
          なりししるしに
              佐々木昌照則

雄島の句碑 雄島の歌碑

雄島には、「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」の句で有名な加賀の千代女の句碑もあったということですが、私どもはそれに気がつかず写真をとりませんでした。

福浦橋遠望
 私どもは、今回は松島の観光名所福浦島の近くのホテルに宿泊しました。ホテルの部屋から、福浦島と海岸を結ぶ福浦橋という朱塗りの橋が手に取るように見えました。

雄島は福浦島から1kmほど南に位置します。雄島の北端の崖に立つと、北の方向に赤い福浦橋が水平に伸びているのが見えました。
大きな遊覧船が雄島の北端をかすめるように航行してきて、遠くに見えていた福浦橋を押し隠しました。

福浦橋遠望

トップページ メニューに戻る