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 早春から初夏にいたるまで、里の畠に咲きつづける菜の花。その種は風や鳥に運ばれて道端や河原など、いたるところに鮮やかな黄色の花を咲かせます。与謝蕪村はこのさりげない花が好きだったようで、菜の花を詠んだ秀句をいくつも残しています。

「蕪村のお寺」として有名な京都洛北の禅寺金福寺を訪れました。

蕪村の墓
蕪村の墓

 蕪村が再建した芭蕉庵の横を通って裏山を少し登ると、歌碑、句碑がたくさんある中に蕪村の墓がありました。質素な小さいお墓で、杉の木の下で少し傾いてたたずんでいました。

蕪村ほど菜の花が似合う俳人は他にいないでしょう。この控えめな墓に鮮やかな菜の花を捧げれば、地下の蕪村は喜んでくださるでしょうか。
  菜の花を
      墓に手向けん
          金福寺

菜の花
月は東に日は西に

 「蕪村の菜の花」といえば、まずこの有名な秀句を挙げなければなりません。

  菜の花や
      月は東に
          日は西に 与謝蕪村
蕪村が神戸六甲山脈の摩耶山を訪れたときの俳句といわれます。
摩耶山では、江戸時代から明治の末まで飼い馬の無事を祈願する「摩耶詣(祭)」が行われ、愛馬をつれた飼い主たちで賑わいました。現在でも「摩耶詣(祭)」は春の季語として歳時記に載っています。

上の写真は、奈良・薬師寺の近くで見かけた朱塗りの橋です。

当時は、摩耶山の山麓部は見渡す限り菜の花が咲いていたということです。摩耶山のある六甲山脈では、山麓はもう海のすぐ近くです。
菜の花畑に立つと目の前に広い海原が見え、水平線に太陽があかあかと沈み行くところでした。ふとその反対側の空に目をやると、いつの間にか月が昇っており、やや暗さの増した空にはっきりとほの白く見えていました。

菜の花
摩耶山の俳句

 この摩耶山で、蕪村は他にも菜の花の俳句を詠んでいます。
  菜の花や
      摩耶を下れば
          日の暮るる  与謝蕪村

蕪村の研究家でもあった子規もこの地を訪れ、親子馬の俳句をのこしています。飯田蛇笏もここで菜の花の俳句を詠みました。
  菜の花の
      夜目に白さや
          摩耶詣   飯田蛇笏

菜の花
鯨もよらず海暮ぬ

 蕪村の俳句の中で、私が上記の有名な「月は東に」の句と同じくらい好きなのが、次の鯨の俳句です。
  菜の花や
      鯨もよらず
          海暮ぬ  与謝蕪村
この俳句が詠まれた背景などをインターネットで調べましたが、はっきりとはわかりませんでした。
現在でしたらホエールウオッチングの俳句かと思われそうですが、もちろん蕪村は紀州の鯨捕りの村を詠んだのでしょう。

山が海に迫って耕地が少ない村で、漁業のほうもさして魚がよく獲れるわけではありません。村の期待は村の沖にときどき回遊する鯨を仕とめることにかかります。
しかしその鯨もここ数年不漁が続いています。毎日村民が村はずれの丘に登り、水平線の彼方まで目を凝らして探していますが、鯨が吹き上げる潮は見つかりません。

本日も期待はずれのまま時間が過ぎ、見渡す海の水平線に暮色が濃くなってきました。丘に咲いている菜の花が、海を背にして一段と鮮やかに見えました。

菜の花
鯨は逃げて

 不漁が続く捕鯨の村のわびしさが、暮れ行く海と菜の花のコントラストで実に鮮やかに表現されています。
この場合の菜の花は、左の写真のように盛りを過ぎて菜種が付きかけたものが似合うように思います。

なお蕪村は、実際にどこかの捕鯨の村を訪れたことがあるようで、次の捕鯨の俳句も残しています。

  既に得し
      鯨は逃げて
          月一つ  与謝蕪村

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