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鈴木真砂女は、明治39(1906)年に千葉県鴨川市に生まれました。なんと、あの女流俳人の草分け星野立子のわずか3年後に生まれているのです。現代俳句界の最長老金子兜太さんよりも14年も前の生れです。 |
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生家は房総地方に名の通った老舗旅館で、現在は「鴨川グランドホテル」という名前になっています。
昭和4年、22歳で東京・日本橋の問屋の息子と恋愛結婚し、女児を生みましたが、夫は賭博に入れ込んだあげくに蒸発してしまいました。真砂女の大波乱人生の幕開けです。
写真は、たまたま仕事で行った日本橋のたもとです。残んの桜の花越しに、橋の彫刻が見えます。
真砂女は致しかたなく実家に帰り、家業の旅館を手伝っていました。 |
ところが昭和10年に、旅館の女将を継いでいた姉が急死してしまいました。家業の存続を思う父母の涙ながらの願いで、真砂女はやむを得ず義兄と再婚しました。こうして真砂女は28歳にして老舗旅館の女将となりました。
真砂女はある著作の中で、「夫は良い人だ。だがどうしても好きにはなれない。」と書いています。真砂女の大波乱人生の第2幕が始まろうとしていました。 |
若くして亡くなった真砂女の姉は、俳句をたしなんでいました。その姉の遺稿を整理しているうちに、真砂女は次第に俳句の世界に惹かれて行きます。幸薄い自分の人生を思うにつけ、それを俳句に詠まずにはいられなくなりました。
夫運
なき秋袷(あわせ)
着たりけり 鈴木真砂女
後に久保田万太郎に師事し、俳句結社「春燈」に所属するようになりました。 |
30歳のとき、真砂女は旅館に泊まった海軍士官と運命的な恋をしました。相手は7歳も年下で、すでに結婚していました。
羅(うすもの)や
人悲します
恋をして 鈴木真砂女
やがて、真砂女は戦争に出征する恋人の後を追って家を出奔します。その後、また家に帰りましたが、もう夫婦の間には埋めることのできない深い溝ができてしまいました。 |
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50歳のとき、真砂女はついに離婚し、東京・銀座1丁目の路地裏に小さな小料理屋を始めました。店を借りる際には、作家丹羽文雄が保証人になってくれたとのことです。
銀座といってももう有楽町駅に近いところで、都心としてはごく普通の商店街の中です。
私は、上記の日本橋のたもとから25分ほど歩いてここにやってきました。
ちょうど運よく酒屋の前で店の人がいたので訊ねたところ、さすが商売相手とあって、「ほら、あそこの赤鳥居の左の横丁だよ」と教えてくれました。 |
見ると、確かに最近珍しい赤鳥居(上の写真)がありました。近寄ってみると、その中はお稲荷さんのようです。いかにも真砂女さんにお似合いと思いました(^_^)。
この「卯波」という店は、テレビの俳句番組で何度か見たことがありました。 |
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その画面から小さい店だというのは知っていましたが、実際にその前に立ってみると、間口は本当に1間(1.8メートル)強しかありません。入れないで待つ客のためか、店の外に小さな床机がおいてありました(^_^)。
店の外には「卯波」という看板が出ていますが、この名は真砂女の代表句
あるときは
舟より高き
卯波かな 鈴木真砂女
からとったものです。真砂女自身も、この名句を誇らしく思っていたのでしょう。 |
上記「卯波」の名句については、真砂女の生地房総鴨川に取材に行きましたので、次回に改めてご報告します。
さて、真砂女は前記のように50歳からこの小料理屋の経営を始めました。当時の50歳は、現在の50歳とは違ってもう老境の入口でした。その年齢からこの仕事を始めた真砂女の精神力に感嘆します。
幸い、俳句仲間や文人たちの暖かい支援もあり、やがてこの店は小さいながらも銀座の名店の一つに数えられるまでになりました。その間、真砂女のつらい日々を支えたのは、やはり俳句でした。
幸は
逃げてゆくもの
紺浴衣 鈴木真砂女
江戸以来、俳句は「ゆとり」、「あそび」の世界を主たる対象としてきました。生活感の排除をもってよしとする傾向すらありました。その中で、真砂女は実体験の切なさをもとに、男女の愛の句という新ジャンルを開拓したのです。
1999年には、句集「紫木蓮」で、その年の最も優れた句集に与えられる蛇笏賞をうけました。2003年3月、真砂女は96歳の長寿を全うして大波乱の人生を終えました。 |
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小料理屋卯波は、現在は真砂女の孫宗男さんが経営していらっしゃいます。
営業時間は平日の午後5時から11時までだそうです。私が訪れたのは午後3時ごろで、狭い店内では夕方5時からのオープンに向けて仕込みをしているところでした。
店内は、カウンター9席、奥に小部屋が2つあります。真砂女さんが亡くなった今でも、奥の小部屋でときどき真砂女さんを慕う俳人が集まって句会を催しているそうです。宗男さんの許可を得て、左の店内の写真を撮らせて頂きました。 |
次回は、私の妻も連れてきておいしい料理をいただきたいと思います。
卯波を去るとき、電話番号の入ったマッチをもらい、ポケットに入れました。 |
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自宅に帰ってからマッチの裏を見ると、左の真砂女の俳句が書かれてありました。
鴨引くや
人生うしろ
ふりむくな 真砂女
「鴨引くや」は、「鴨帰る」と同じく3月から5月ににかけて北地の生まれ故郷に帰る鴨を意味します。渡り鳥はシーズンが来ると故郷に帰るが、人間はつらい昔を引きずってもしょうがない、前向きに生きよう、という俳句です。まさに、真砂女さんの面目躍如たるところではありませんか。 |
真砂女は、まさに「あるときは舟よりたかき」人生の波間を、恋と俳句を頼りに生き抜きました。少なくとも真砂女の世代では、ほとんど類のない人生でした。
この人生は作家の創作欲を刺激するところとなり、まず、真砂女と縁が深かった作家丹羽文雄が 『天衣無縫』 という小説を書きました(私はこの小説は一度も読んだことがありません)。
つい最近では、作家瀬戸内寂聴が真砂女をモデルに 『いよよ華やぐ』 という小説を著し、真砂女の名は俳句愛好者だけでなく一般にも広く知られるようになりました。
真砂女の一周忌を経た今、この 『いよよ華やぐ』 の映画化も検討されているのではないかなどと想像します。真砂女役の女優さんは誰になるのだろうかなどと、想像はますますひろがります(^_^)。 |