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江戸俳句 |
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古池や
蛙飛び込む
水の音 松尾芭蕉
だれでも知っている芭蕉の名句ですが、この俳句はまず「蛙飛び込む水の音」が先につくられたそうです。 これにマッチする上の句をどうしたらよいか、芭蕉はしばらく考えあぐねていました。
当時、芭蕉の弟子(蕉門十哲)の中では、宝井其角が筆頭でした。その其角に上の句の案を出させたところ、其角は「山吹や」というのはどうかと答えました。 |
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しかし芭蕉は結局その案をとらず、その後「古池や」という上の句を思いつき、現在の形ができました。この話には、芭蕉と其角との句風の違いがはっきりと反映されています。 |
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水の音で内面的な世界を表現しようとした芭蕉に対し、17歳年下の都会派俳人其角は視覚的な効果を利用してより感覚的な詩的世界を志向したのです。
しかし、其角が提案した上の句を当てはめてみると、
山吹や
蛙飛び込む
水の音
と、ほの暗い池の岸辺に鮮やかに咲く山吹の花(左の写真)を効果的に使った俳句となります。 |
この俳句、なかなかのできではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
1686年、42歳のとき、芭蕉は「蛙合(かわずあわせ)」という句合の本を刊行しました。句合とは、何人かの出席者が左右に別れ、同じテーマの句を詠みあって勝負する句会です。この場合は「蛙(かわず)」がそのテーマだったわけです。芭蕉はよほど蛙が好きだったようですね(^_^)。
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この本のトップに上記芭蕉の「古池や」の俳句が載っていますが、芭蕉の主だった弟子たちの俳句も記載されています。 それらの中に、弟子の筆頭其角の次の俳句があります。
こゝかしこ
蛙鳴く江の
星の数 宝井其角
「星の数」というのは、蛙の数が星の数ほど多いというのと、実際に水辺の夜空に降るような星々がまたたいているのとを掛けているのでしょうか。 |
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何となく華やかさのある感覚的な俳句で、元禄の江戸に生きた都会派俳人其角らしい作品です。こういう俳句をみると、其角を花のお江戸に芽生えた「江戸俳句」のルーツと位置づけたくなるのです。 |
年末は「忠臣蔵」の季節です。この忠臣蔵など赤穂浪士ものの中で必ず登場するのが、大高源五と其角とのやりとりです。大高源五は四十七士随一の俳人といわれ、江戸に出てきてからは其角と親交がありました。
討入りの前日、大高源五は煤払いの笹竹売りに変装してひそかに本所の吉良邸を偵察しに行きましたが、その帰りみち、両国橋の上にさしかかったところで其角とばったり出会いました。 |
其角は源五のそのように変わり果てた姿を見て、思わず
年の瀬や
水の流れと
人の身は
と一句を詠みました。それに応えて源五は
あしたまたるる
その宝船
と詠み返し、去って行きました。その姿を見送りつつ、其角は「はて、この句の意味は?」と考え込んだそうです。翌朝になって赤穂浪士の討ち入りを知り、はじめてその句の意味がわかったというわけです。
上のすばらしい絵馬は、赤穂大石神社に展示されているものです。その写真を 赤穂大石神社ホームページさまのご好意で、ここに転載する許可をいただけました。赤穂大石神社ホームページさま、討ち入り300周年の年末に向かいご多忙のところ、まことに有難うございました。 |
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この大高源五が討ち入りの後に詠んだ辞世の句を刻んだ句碑が、私の仕事先に近い両国橋のたもとにあります。両国橋児童遊園の隅に建っている大きな句碑には
日の恩や
たちまち砕く
厚氷 大高源五
と刻まれてありました。 |