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俳人高浜虚子は、巨大な九体の仏像があるので有名な世田谷区九品仏の浄真寺で句会を行ったあと、寺から多摩川の方向に散策に出ました。

浄真寺
浄真寺での句会

 当時の九品仏は、その辺から多摩川べりにかけては緩やかな下り斜面で一面に畑が広がっていたようです。虚子たちがここで句会をしたのは初冬のことで、畑では大根が大きく育っていました。

虚子は、この散策の途中、畑の中を流れる小川で畑から抜いた大根を洗っている光景を小川にかかる橋の上から見て、有名な大根の俳句を詠みました。
  流れ行く
      大根の葉の
          早さかな 高浜虚子

大根
世田谷の大根

 私どもの家の近くにある東急田園都市線桜新町の駅前には農協があり、その前で毎週土曜日に近くの畑でとれた新鮮な野菜・果実などを販売しています。

秋から冬にかけては、朝畑から抜いてきた泥のついた太い大根や新鮮なねぎが人気です。虚子が九品仏の小川で見たのも、左の写真のような大根だったのでしょう。

世田谷区には、かつての田園をしのばせる下の写真のような小川がまだ少し残っています。当時は、このような小川で畑から抜いた大根を洗っていたのでしょう。

その際に切り落とされた大根の葉が、小川に浮かんで流されていったのでしょうか。

現在ではこの俳句は中学の国語教科書にも掲載されているとのことで、虚子の代表句の一つとされています。

小川
山本健吉の句評

 この俳句について、文芸評論家山本健吉は、「ホトトギス流の写生句の代表作とされるが、よく言へば写生句であり、悪く言へば痴呆的俳句である」と評しました。

この評に対し虚子は、「俳句を作らない者が俳句を理解できるはずはない」と応酬したということです。

私は千葉の田舎に育ったので、この俳句に詠まれたような秋から初冬にかけての季節感をよく知っています。秋になると、田んぼの水を落とすので、小川の水量が増して勢いよく流れるようになります。

また、秋には水中の微生物が減少するので、水が透明になり、水底の泥の色まではっきりと見えるようになります。そのような小川の水に、青々とした大根の葉が浮いて流されていったのでしょう。

私には、この俳句は行く秋を詠んだ奥行きのある秀句としか思われません。健吉さんは、田園風景をあまり知らなかったのでしょうか。奥の細道の優れた評論を書いていらっしゃる人ですから、そんなことはなかっただろうと思うのですが。

ねぶか
ねぶかの俳句

 蕪村に有名な「易水」の俳句があります。
  易水に
      葱(ねぶか)流るゝ
          寒さかな    与謝蕪村
これは、史記の刺客列伝にある

  風蕭々として易水寒く 
  壮士ひとたび去ってまた還らず

を基にした俳句とされます。
上記虚子の「大根の葉」の俳句は、この蕪村の俳句を引いたものであるという説があるそうです。

虚子の師子規は、蕪村に深く傾倒し、昔から蕪村の研究会を行っていました。子規は、死ぬ直前にもこの研究会を催したということです。

虚子など弟子も皆この研究会に参加していたので、虚子は蕪村の俳句には大変詳しかったと思われます。そこで、上記「大根の葉」の句が蕪村の俳句を引いて詠まれたと考えることもできましょう。

しかし、蕪村の俳句のほうは中国の史書の世界を現実のねぎが流れる川になぞらえるという文人の想像の飛躍が中心になっているのに対し、虚子の「大根の葉」は季節感の描写の中に詠嘆の世界を感じさせる俳句であり、句調がまったく異なります。両句の接点を特に求める必要はないと思いますが、いかがでしょうか。

葱
芭蕉の葱の俳句

 上記蕪村の俳句を調べているうちに、芭蕉のねぎを詠んだ俳句が見つかりました。
  葱白く
      洗ひたてたる
          寒さかな  松尾芭蕉
蕪村の「易水」の俳句と構成が似ている感がありますが、詠んでいる世界がまったく異なるので、蕪村はこの芭蕉の俳句とは関係なしに「易水」の句を詠んだと思われます。

この芭蕉の俳句の切れ味、冬の季節感の鮮やかさは恐ろしいほどで、さすが芭蕉というほかありません。

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