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ねこ
ホトトギスの経営

 高浜虚子は、師正岡子規とともに近代俳句を確立した優れた俳人ですが、一方では手腕のある経営者でもありました。子規から受け継いだ俳句誌「ホトトギス」の経営に努め、それを軌道に乗せるのに成功したのです。

明治38(1904)年には、亡師子規の親友であった夏目漱石の小説 『我輩は猫である』 をホトトギスに掲載しました。最初は、漱石が推敲もせずに書いた原稿を、虚子が整理して掲載したという話を聞いたことがあります。

この小説が空前の大ヒットとなったので、つれてホトトギスの名は一般に知れ渡ることになりました。『我輩は猫である』 の掲載中は、俳句とは縁のない読者までが書店でホトトギスを注文してくれたので、ホトトギスはそれまでの十倍も売れたそうです(^_^)。

「台所雑詠」

 『我輩は猫である』 の大ヒットによりホトトギスの経営は安定し、世界的にも珍しいといわれる短詩専門誌の長期継続が実現しました。

虚子は、かねてより俳句界の拡大のためには女性の参加が不可欠と考えていましたが、大正になってからホトトギスに「台所雑詠」という女性専用の投稿欄を設けました。

当時は女性の歌人はたくさんいましたが、俳句は男性の領域とされていて、俳句を詠む女性はまだ少なかったのです。「台所雑詠」という欄の名称は、まず女性にとって身近な題材から気軽に作句をして欲しいという虚子の希望を示しています。

虚子のこの呼びかけに応じて、多くの女性がこの欄に俳句を投稿するようになりましたが、それらの中からまず頭角をあらわしてきたのが、長谷川かな女、阿部みどり女、そして杉田久女でした。

羽子板
長谷川かな女

 かな女は、虚子門下の俳人長谷川零余子と結婚したのち、俳句をはじめました。
 羽子板の
    重きが嬉し
      突かで立つ 長谷川かな女
この有名な俳句に代表されるおっとりした作品が多いようですが、歳時記を見ていたところ上句とはやや傾向の違う次の佳句を見つけました。
 呪ふ人は
     好きな人なり
         紅芙蓉 長谷川かな女 

椎の実
阿部みどり女

 阿部みどり女は、鎌倉で療養中だった大正初めにホトトギスに投句して初入選し、やがて虚子のもとに入門しました。
 椎の実や
     落葉の上に
        落ちし音 阿部みどり女 
 桃食べて  訃のこと再び 口にせず 阿部みどり女

下の俳句は、故人への思いを口には出さず胸に問うている寂しさにうたれます。

菊
杉田久女

 杉田久女は、育児の傍ら俳句を始めてホトトギスに投句しはじめました。
 子有る身の
     こころ強さよ
         菊の秋  杉田久女
久女の群を抜く才能は、「台所雑詠」というような小さな枠には収まりきれず、やがてホトトギスに次々に秀句を発表し、天才と呼ばれるようになりました。
しかし、水原秋桜子のホトトギスからの離脱に関わる波紋の中で、久女自身もホトトギスの同人から除名されることになりました。

銀杏
中村汀女と星野立子

 女流俳人の育成に力を注いでいた虚子が次に着目したのが、入門してきたばかりの中村汀女と自分の次女星野立子でした。

この二人は上記三人の女流俳人先駆者より10歳ほど若い世代で、結婚後まもないころでしたが、ともに虚子の指導のもと非凡な才能を輝かせ始めていました。虚子門下の女流俳人の第二世代といえましょう。

下は立子がその時期に詠んだ俳句です。
 銀杏を
     焼きてもてなす
         まだぬくし 星野立子

咳の子
「咳の子の」の俳句

 中村汀女は熊本高女時代から俳句をはじめましたが、結婚して上京した後、「台所雑詠」コーナーで活躍するようになりました。汀女は星野立子のよきライバルでした。

 咳の子の
     なぞなぞ遊び
         きりもなや 中村汀女
この俳句では、風邪を引いて寝込んでいる子が、ときおり咳き込みながら母に甘えている様子が実に巧みに詠まれています。

風邪の子を看病する母の心は、時代をこえ、洋の東西をこえてまったく変りません。

咳の子の相手をしながら、風邪がもっとひどくなりはしないかと心配したり、あるいはこんなになぞなぞをせがむくらいだからだんだん快方に向かっているのかしらと少し安心したりという、母親の心の微妙な綾が読者に伝わってきます。

「咳の子の」という上の句により、この俳句全体の奥行きが大変深められているのです。

現代の俳句界

 女性にとってほとんど無きに等しかった俳句という新分野に虚子が女性の参加を呼びかけて以来、初期の女流俳人たちが、どれほど俳句の魅力に取り付かれ、如何に俳句という新しい土壌の開拓に努力したかが改めてわかりました。

高浜虚子の参加呼びかけ以来70年ほどたった現在では、俳句を詠む人口は飛躍的に増加し、しかもその80パーセントを女性が占めているといわれます。
虚子や初期の女流俳人たちは、現代の俳句界がこのこのような盛況を呈するとは予想だにしなかったことでしょう。

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