| 芭蕉野分して |
隅田川辺の「大川端芭蕉句選」の中に、有名な「芭蕉野分して」の句碑がありました。 |
| 鐘は上野か浅草か |
隅田川辺の「大川端芭蕉句選」の一つ、有名な「花の雲」の句碑です。春風駘蕩、元禄の春の俳句です。 |
| 芭蕉庵址 |
芭蕉が住んでいた深川の草庵の跡には、現在芭蕉稲荷という小さな祠があります。 |
| 木槿・野ざらし紀行 |
犬も歩けば棒に当たるです。遊歩の途中で立ち寄った世田谷区用賀のお寺で、芭蕉の句碑を見つけました。 |
| 芭蕉記念館 |
芭蕉庵址の近くに芭蕉記念館があり、芭蕉および弟子の短冊や関連資料などが展示されています。 |
| 奥の細道・松島 |
元禄2年5月8日、芭蕉は塩竈から長年の念願であった松島めぐりの舟に乗りました。 |
| 松島・雄島(おじま) |
芭蕉は、瑞巌寺を出た後西南に歩いて、松島海岸べりの霊場で景勝の地でもあった雄島という小島に向かいました。 |
| 義経と芭蕉 |
源義経が平泉・高館の館で自害してから500年後、松尾芭蕉は夏草茂る高館の址に立ちました。 |
| 墓前の句 |
墓前の悲しみを詠む俳句もさまざまです。芭蕉と一茶の墓前の句を比較しましょう。 |
| 辞世の句 |
同じ辞世の句といっても、詠む人の人生を反映して実に様々な俳句があります。 |
| 江戸俳句 |
芭蕉の門弟の筆頭だった其角は、師芭蕉よりももっと感覚的な表現を志向しました。 |
| 其角の俳句 |
其角の作品を調べているうちに、心惹かれる俳句がいくつも目に付きました。 |
| 蕪村・金福寺 |
与謝蕪村の址を訪ねて、京都洛北にある臨済宗の禅寺金福寺に行きました。 |
| 菜の花・蕪村 |
与謝蕪村はこのさりげない花が好きだったようで、菜の花を詠んだ秀句をいくつも残しています。 |
| 花の生涯・たか女 |
蕪村ゆかりの禅寺金福寺に、大老井伊直弼の密偵として有名な村山たか女の遺品がありました。 |
| 柿食えば・法隆寺 |
あまりにも有名なこの俳句に惹かれて、奈良・法隆寺を訪れました。 |
| 雛あらば・子規 |
生涯独身だった子規は、雛の節句の時期に、おもわずこの俳句を詠んだのでしょう。 |
| 野球と俳句 |
東京大学予備門で野球を覚えた子規は、松山で河東碧梧桐と高浜虚子に野球の手ほどきをしました。 |
| 流れ行く大根の葉 |
毎年秋が深まるころ、高浜虚子のこの有名な俳句が思いおこされます。 |
| 「台所雑詠」 |
虚子は、俳句界の拡大のために、ホトトギスに「台所雑詠」という女性専用の投稿欄を設けました。 |
| ノラともならず |
杉田久女は育児の傍ら俳句をはじめ、俳誌ホトトギスの雑詠欄に投句するようになりました。 |
| 中村汀女 |
世田谷区立羽根木公園に中村汀女の句碑があります。有名な「外にも出よ」の俳句が刻んであります。 |
| 鞦韆は漕ぐべし |
現代の私どもには、鷹女の俳句は凛とした気品と瑞々しさにあふれているように感じられます。 |
| 皆吉爽雨 |
古刹深大寺の裏山に皆吉爽雨の句碑があり、「深大寺そば」の俳句が刻まれてありました。 |
| 水原秋桜子 |
高尾山薬王院を訪れたとき、お山の頂上にある飯縄権現堂の裏で、俳人水原秋桜子の句碑を見つけました。 |
| 中村草田男 |
深大寺の本堂の左側に、中村草田男の有名な俳句「萬緑の中や」の句碑がありました。 |
| 石田波郷 |
深大寺の裏山、開山堂というお堂の横に石田波郷の句碑がありました。 |
| こぶし・木蓮 |
梅の花が散りかけてから桜が開花するまでの浅い春に華やぎを見せるのが、こぶし、木蓮です。 |
| 牡丹開花・豪徳寺 |
関東では、牡丹は八重桜が散り始めたころが花期で、「行く春や」などと詠まれる時期を代表する花です。 |
| フラワーランド |
世田谷区の花壇公園で、都立きぬた公園のすぐ近くにあります。牡丹開花のころ、そこを訪れました。 |
| 風薫る・世田谷 |
5月に入るとバラ、あやめ、花しょうぶが盛大に咲き始めます。俳句に「風薫る」などと詠まれる時期です。 |
| 行く春・世田谷 |
八重桜が散り牡丹も盛りを過ぎたこの時期は、春と夏の季節感が交錯し、大変変化に富んでいます。 |
| 東京惜年 |
今回は、主として江戸あるいは東京の年の暮に関係のある俳句を取り上げましょう。 |
| 馬事公苑 |
我が家の近くにある日本の馬術競技のメッカです。苑内には、美しいバラ園や日本庭園もあります。 |
| 冬木・世田谷 |
木枯らしが木の葉を吹き払うと、砧公園の大樹は、冬空をバックに威厳のある冬木の姿になります。 |
| 奈良・薬師寺 |
薬師寺は、同じ時代の東大寺や法隆寺にも共通する荘厳の中に、どこか優しさと華やかさを持っています。 |
| 奈良・唐招提寺 |
古来、唐招提寺ほど歌人、俳人に愛されたお寺は他にないでしょう。桜が開花した唐招提寺を訪れました |
| 「白粉臭」 |
俳人藤田湘子さんが、「汀女や立子も女性だが、ぐだぐだした句は作らなかった」と語っていました。 |
| 卯波・鈴木真砂女 |
恋に生きた俳人鈴木真砂女の址を、東京都銀座1丁目にある小料理屋「卯波」を中心に訪ねました。 |
| 卯波・仁右衛門島 |
俳人鈴木真砂女の名句「卯波」が詠まれた房総の仁右衛門島を、ちょうど卯月の快晴の日に訪れることができました。 |
| 銚子文学紀行 |
この夏、私どもは千葉県銚子を訪れ、犬吠崎、海鹿島など数ヶ所の文学紀行を行いました。 |
| 晩酌の肴 |
庶民のささやかな楽しみ、晩酌。最近は、女性にもたしなむ向きが多くなったようです。 |
| 鴎外の址を訪ねて |
森鴎外の旧居観潮楼址を訪ね、そこから不忍池にかけての文学散策を楽しみました。 |
| 菊と漱石 |
漱石の生涯をたどりながら、その時々に華やかにあるいは寂しげに姿を見せる菊の花々を愛でましょう。 |
| 漱石の址を訪ねて |
現在でも東京の方々に漱石に関係のある土地・建物が残っており、私どもが漱石の址をたどることができます。 |
| 都立雑司が谷霊園 |
雑司が谷墓地は、開所以降文人・作家や歌舞伎役者・俳優・演劇関係者などが多数埋葬されています。 |
| 三四郎・東大構内 |
小説『三四郎』の主人公小川三四郎は、熊本の五高を卒業して東大に入学するために上京しました。 |
| 樋口一葉の址を訪ねて |
24歳の若さで亡くなった天才作家樋口一葉の址を、東京都文京区、台東区に訪ねました。 |
| 永井荷風の俳句 |
荷風は優れた俳人でもあり、其角、漱石、久保田万太郎と続く江戸俳句の伝統を引き継ぎました。 |
| 山本有三の址を訪ねて |
有三は三鷹市の玉川上水沿いの邸に住みましたが、それが現在は三鷹市山本有三記念館となっています。 |
| 目刺にのこる海の色 |
芥川龍之介は、高浜虚子から本格的に俳句を学び、『芭蕉雑記』など芭蕉の研究論文を著わしています。 |
| 宮本武蔵・吉川英治 |
京都洛北一乗寺と東京都青梅に、宮本武蔵と吉川英治の址を訪ねました。 |
| 林芙美子の址を訪ねて |
世田谷区の林芙美子旧居址と新宿区の林芙美子記念館を訪ね、秋の一日文学散策を行いました。 |
| 清張と多佳子 |
松本清張の作品の中に、『花衣』という短編小説がありました。俳人橋本多佳子をモデルとしたものです。 |
| 太宰と清張 |
本2009年は、二人の作家太宰治と松本清張の生誕100年に当たります。二人の創作のあとをたどってみました。 |
| 野鳥の中西さん |
古刹深大寺の裏山に、「日本野鳥の会」の創始者として有名な中西悟堂の銅像がありました。 |
| 野菊・伊藤左千夫 |
東京江東区亀戸にある普門院というお寺に、小説『野菊の墓』でも有名な歌人伊藤左千夫の墓がありました。 |
| シーザーの址を訪ねて |
ローマ市内を中心に、古代ローマ時代の英雄ジュリアス・シーザーの址を訪ねました。 |
| ドンキホーテ(転載) |
マドリードの観光名所スペイン広場に、ドンキホーテの銅像と作者セルバンテスのモニュメントがあります。 |
| 誰がために鐘は鳴る |
パリでジャーナリストとして活動していたヘミングウェイは、義勇兵としてスペイン人民戦線側に参加しました。 |
| 小説『死の勝利』 |
ダヌンツィオの傑作『死の勝利』は、ローマ・ボルゲーゼ公園の高い擁壁での投身自殺事件から始まります。 |
| 湯河原・万葉公園 |
古来文人墨客に愛された温泉地湯河原を訪ね、万葉公園にある「文学の小径」を散策しました。 |
| 伊豆の踊り子 |
川端康成の短編小説『伊豆の踊り子』の舞台である伊豆天城の旧天城トンネルとその周辺を歩きました。 |
| 天城越え |
松本清張の短編小説『天城越え』をもとに映画、テレビドラマが制作され、ヒット曲も生まれました。 |
| 軽井沢・旧三笠ホテル |
三笠ホテルの建物は、明治時代の軽井沢を現代に伝える貴重な文化遺産で国の重要文化財に指定されています。 |