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ラファエロ・サンティ

ラファエロ自画像  盛期ルネサンスを代表する画家ラファエロ・サンティは、1483年に中央イタリアのウルビーノで生まれました。20歳前後から当時の芸術の中心フィレンツェを頻繁に訪れて、レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ、優れたルネサンス画家たちから多くを学びました。

左図はフィレンツェ・ウフィツィ美術館にあるラファエロの自画像(部分)で、上記フィレンツェ時代の1506年に描かれたものです。

やがて画家として実績をあげたラファエロは、1508年、25歳のときローマ教皇ユリウス2世に招かれ、ローマに出てきました。

ラファエロは、その後37歳で短い人生を終えるまで12年間ローマに住み、二代のローマ教皇に重用されて数々の傑作を残しました。

ラファエロ展 2013

 2013年3月2日から6月2日まで、上野の国立西洋美術館で 《ラファエロ展 2013》 が開催されました.。ヨーロッパの大美術館などの協力を得て、修業時代の作品からローマで教皇の命により制作した作品まで20点あまりのラファエロ・サンティの名作がはじめて日本の美術館に集結しました。ラファエロの油彩、素描に加え、ラファエロ作品をもとにしたタペストリー、ラファエロの弟子、同時代の画家の作品など、合計60点が集められました。

レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並んでルネサンス時代の3大巨匠の一人とされるラファエロは、37年という短い生涯のわりには作品の数が多く、現在世界中のどの大美術館に行ってもたいてい数点のラファエロ作品を観ることができます。
しかし、今回のように20数点を集めた展覧会となると、ヨーロッパでもこれまで数えるほどしかないということです。2013年が「日本におけるイタリア年」に当たることからイタリア大使館の強力なバックアップがあり、フィレンツェ文化財・美術館特別監督局の協力を得てこの展示が実現しました。

私どももこれまでヨーロッパ、アメリカの美術館でラファエロ作品を観てきましたが、それらを日本でまとめて鑑賞できるとあって、5月中旬に上野の国立西洋美術館に向かいました。

本ラファエロ展の展示は、次の4つのグループで構成されています。
  • 画家への一歩

  • フィレンツェのラファエロ

  • ローマのラファエロ

  • ラファエロの継承者たち

聖母子像

 ラファエロというと、私どもはまず優美で古典的均整感のある聖母子像を思い浮かべます。気品のある女性像を得意としたラファエロにとって聖母子像は生涯のテーマであり、少年時代からローマで没するまでにわたり50点近い聖母子像を制作したということです。

ラファエロは1504年ごろからフィレンツェに長期間にわたって滞在しましたが、その時期にフィレンツェに帰っていたレオナルド・ダ・ヴィンチの工房を訪れ、レオナルドが制作途中だった名作 《モナリザ》 を見て大いに感銘を受けました。

レオナルド・ダ・ヴィンチやその他のフィレンツェの画家たちの影響を受けて、ラファエロは柔らかいタッチで陰影にとんだ作品を描くようになりました。この時期にはラファエロは今日方々の大美術館に飾られている聖母子像を多数制作しています。

下左側の絵画はラファエロがフィレンツェ時代の1507〜08年に描いた 《聖母子と幼児聖ヨハネ》 という作品で、現在パリ・ルーヴル美術館に展示されています。
ラファエロがフィレンツェで見たレオナルド・ダ・ヴィンチの 《モナリザ》 の影響からか、聖母子とヨハネが野原にいるように描かれており、遠くには 《モナリザ》 と同じように山並みが配されています。この構図からこの作品は 《美しき女庭師》 という愛称で呼ばれ、ラファエロの聖母子像多数ある中でももっとも有名な作品となっています。

聖母子像 聖母子像

《大公の聖母》

 今回のラファエロ展には、上図右の 《大公の聖母》 が出展されました。同じくフィレンツェ時代の1505〜06年に描かれたもので、当時のトスカーナ大公フェルディナンド三世がこの作品を大変愛でたことから「大公の聖母」と呼ばれるようになりました。
この作品は現在フィレンツェのピッティ宮殿内にあるパラティーナ美術館の所蔵となっており、私どもも以前フィレンツェに行ったときこの名画を鑑賞しました。

ラファエロは基本的に色彩画家なので、絵の背景もなにか比較的明るい色で描くのが普通です。ところがこの 《大公の聖母》 は、ご覧のように背景は全面にわたって黒く塗りつぶされています。近年のX線を使った調査で、もともとこの 《大公の聖母》 はラファエロが描いた背景があり、その後何らかの理由でその背景が黒く塗りつぶされたのがわかりました。

そのようにラファエロの重要な作品に後世の画家によって大幅な変更が行われたのは、人類の貴重な遺産をそこねることであり、今日の私どもにはまったく理解しがたい行為です。
しかし、それはさておき、現状の黒い背景の 《大公の聖母》 (上図右側)と現在ルーブル美術館に展示されている 《美しき女庭師》 (上図左側)とを比較すると、いずれも巨匠ラファエロの聖母子像の傑作ですが作品の雰囲気がかなり異なるのに気がつきます。

私は、ルーヴル美術館に行くたびに 《美しき女庭師》 (上図左側)の前に立ってしばらくラファエロの芸術世界に浸るのを楽しみにしています。しかし、上図のように 《美しき女庭師》 と 《大公の聖母》 とを並べて比較すると、 《大公の聖母》 (上図左側)の厳粛さ、堂々たる存在感に感嘆するほかありません。

背景が黒く塗られる前のラファエロの原画を見たいという願いはもちろんありますが、画中の青衣をまとった聖母の存在感は背景に後世の手が加えられてもそれほど損なわれないと感じます。聖母のやさしい表情、その立ち姿は、ラファエロがフィレンツェで見たというレオナルド・ダ・ヴィンチの 《モナリザ》 にどこか通ずるように思われます。

《無口な女(ラ・ムータ)》

自画像  今回のラファエロ展には、もう一点非常に有名な作品が出展されました。左図の 《無口な女(ラ・ムータ)》 がそれで、 《大公の聖母》 と同じフィレンツェ時代の1507年に描かれたとされます。

イタリア・ウルビーノの国立美術館の所蔵ということで私もこれまで実物を見たことはありませんでしたが、ラファエロの画集では知っていました。

作品のモデルの女性は不明ということですが、まなざしのしっかりとした威厳のある表情と豪華な衣装からフィレンツェの貴族の夫人かと思われます。

この作品も女性の表情、全体的な構図、前で手を組んでいる様子など、レオナルド・ダ・ヴィンチの 《モナリザ》 を連想させる点が多いようです。
ラファエロがルネサンス絵画の大先輩レオナルド・ダ・ヴィンチをいかに尊敬していたかが、私ども現代の美術愛好家にも伝わってくるように感じます。

《ビッビエーナ枢機卿》

《ビッビエーナ枢機卿》  左図は今回出展された 作品の一つ 《ビッビエーナ枢機卿》 です。フィレンツェ時代からの知人でもあったベルナルド・ドヴィーツィ・ダ・ビッビエーナの肖像画で、ラファエロがローマに移ってから8年後の1516年に制作されました。

ビッビエーナはラファエロより13歳年上で、フィレンツェのメディチ家に仕えていました。主人のジョヴァンニ・デ・メディチが後に法王になったので、ビッビエーナも取り立てられ、枢機卿になりました。

ビッビエーナは自分の姪マリア・ビッビエーナをラファエロに紹介し、二人は1514年に婚約しましたが、結局それは実りませんでした。この作品はその時期のビッビエーナ枢機卿を描いたものです。
枢機卿の赤い服を着たビッビエーナの眼光が、当時46歳であったヴァティカンの実力者の威光を示しているようです。

《エゼキエルの幻視》

《エゼキエルの幻視》  《エゼキエルの幻視》 はラファエロが没する2年前の1518年の作品で、《大公の聖母》 と同じくフィレンツェのピッティ宮殿内にあるパラティーナ美術館の所蔵です。

エゼキエルは、紀元前7世紀ごろ、ユダヤ人のバビロン虜囚時代の預言者で ダニエル、イザヤ、エレミアとともに四大預言者の一人とされるそうです。

エゼキエルは、人間、鷲、牡牛、獅子に乗って天空を飛翔し、バビロンから祖国エルサレムの状況を視察に行ったとされます。この作品は、その天空飛翔の様子をダイナミックなタッチで描いています。

この作品の後、ラファエロは現在ヴァティカン美術館にある大作 《キリストの変容》 にとりかかり、死の直前に完成しています。それら2点の作品が構図や内容がよく似ているのに気がつきました。

《友人のいる自画像》

 《友人のいる自画像》 (下図右側)は、ラファエロが大作 《キリストの変容》 と同時期に手がけ、1520年に没する直前に完成しました。前記聖母子像 《美しき女庭師》 と同じくパリ・ルーブル美術館の所蔵です。

画中左側がラファエロ本人で、中央にいるのはラファエロの弟子の一人ジュリオ・ロマーノとされます。本ラファエロ展にはジュリオ・ロマーノが制作した人物画も展示されています。

《バルダッサッレ・カスティリオーネの肖像》 《友人のいる自画像》

ラファエロの男性肖像画というと、私どもはまずルーヴル美術館所蔵の名作 《バルダッサッレ・カスティリオーネの肖像》 を思い浮かべます(上図左側)。
この肖像画はラファエロが亡くなる5年ほど前の作品で、精緻な描写、堂々たる構図により貴族で高名な文学者であったカスティリオーネの内面世界を描き出しています。

バロック絵画への道

 上図右側の 《友人のいる自画像》 は、上記のように上図左側の 《バルダッサッレ・カスティリオーネの肖像》 を描いてから僅か2年ほど後の作品です。しかし、それら2点のの人物画が志向するところはまったく異なるように思われます。

上図左側の 《バルダッサッレ・カスティリオーネの肖像》 は古典的均斉感をもつ内面的な作品ですが、上図右側の 《友人のいる自画像》 はそれよりダイナミックなタッチでドラマティックな世界を描いています。
前記のように、ラファエロは没する直前のこの時期には大作 《キリストの変容》 、《エゼキエルの幻視》 などやはりドラマティックな傾向の強い作品を多数制作しています。

これらの作品を見ると、私どもはラファエロの88年後に生まれたもう一人の大天才ミケランジェロ・カラヴァッジオのドラマティックな絵画を思い浮かべます。カラヴァッジオは16世紀末から17世紀初めにかけてローマを中心に活躍して優れた絵画を多数制作し、ルネサンスとバロックをつなぐ重要な業績をあげました。

カラヴァッジオは彫刻家・画家ミケランジェロ・ブオナローティから大きな影響を受けたとされますが、美術史の専門家にはカラヴァッジオはラファエロの後継者の一人であるとする人が多いということです。
今回の展覧会を観て、私も、最晩年のラファエロはルネサンス盛期にいながら早くもバロック的な芸術世界を視野に入れていたのではないかという印象を深くしました。

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