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 「日曜美術館」は、NHK教育放送で毎日曜朝9時から放送されている美術番組です。NHKでも指折りの長寿番組で、1976年に開始して以来、現在まで30年間、1500回以上にわたって続いています。毎回テーマを決め、その作品が生まれた場所、時代背景をゲストに詳しく解説してもらうという番組構成です。

高橋由一 鮭
日曜美術館

 その番組構成が、落ち着いていてとても親しみやすいために、これまで長続きしているのかと思います。

当番組が2006年で放送開始30年となったのを記念して、「日曜美術館30年展」が東京・上野の東京芸術大学美術館で開催されました。
この番組を長年月楽しんできた私どもも、10月の一日、例によって朝一番で会場を訪れました。

高橋由一  《鮭》

 なにしろ長期間の放送で、その間に取り上げた作家、作品は膨大な数にのぼります。それらの中から、内外著名48作家の作品がこの会場に展示されました。

いずれも美術史に残る名品ばかりですが、それらの中で私がもっとも関心を持っていたのが高橋由一の 《鮭》(左の写真)でした。

高橋由一は幕末の1828年年に生まれ、40歳に近くなって横浜でイギリス人から油彩を学び、日本最初の洋画家となりました。
1877年ごろの作品 《鮭》 は、日本の洋画黎明期の傑作として美術教科書に掲載されているので、ご存知の方も多いでしょう。

私も、この作品が東京芸大の所蔵で国の重要文化財になっているのは知っていましたが、その実物を見るのは今回がはじめてでした。
思っていたよりはるかに大きな画面で、鮭が大きな口をあけ、眼をかっと開いて、その胴部が一部切り取られ真っ赤な肉が露出しています。明治維新のわずか10年後に、このように存在感のある油彩の作品が制作されたことに感嘆します。

黒扇
藤島武二 《黒扇》

 藤島武二は、幕末の1867年に生まれ、明治から昭和にかけて活躍した洋画家です。日本洋画の父といわれる黒田清輝より一歳年下で、黒田と同じく東京芸大の教授を長く務めて日本洋画界の発展に大きく貢献しました。

藤島は、1905(明治38)年から、文部省から派遣されてフランス、イタリアに4年間の留学をしました。

左の写真の 《黒扇》 は、その時期の1908年から1909年にかけて、イタリア女性をモデルとして描かれた傑作です。
彫りの深い顔立ちのラテン系の女性がまとった白いベールと、手に持った黒い扇のコントラストが印象的です。

この作品も、黒田清輝の作品と並んで日本洋画界初期の傑作の一つとして有名です。たいていの美術教科書に掲載されているので、ご存知の方が多いと思います。

藤島はこの作品に強い思い入れがあったようで、制作以来手放さず自分の手元に置いていました。しかし、最晩年になって、ブリヂストン美術館の創設者石橋正二郎の強い懇望により、ブリヂストン美術館に譲渡したということです。

上村松園 田中一村

 明治の女流日本画家の草分け上村松園の美人画です。松園は1875年(明治8年)に京都で生まれ、京都画学校に学びました。格調の高い美人画を中心に、多数の優れた作品を残しました。
上図の 《花がたみ》 は1915年の作品で、謡曲「花筐(はながたみ)」の中の狂女を描いたものだそうです。
 田中一村は、1908年に栃木県で生まれました。東京美術学校(現・東京芸術大学)日本画科に入学ましたが、すぐに中退し、以降は独自の画風を模索しました。
50歳になってから奄美大島に渡り、島の風物をテーマに絵を描き始めました。
上の作品もその時期のもので、日本画には珍しいエクゾティックな植物を描いています。

横山操
横山操 《雪富士》

 横山操は、1920年(大正9年)に新潟県で生まれました。はじめは洋画を志しましたが、やがて日本画に転向しました。

第二次大戦で応召され、敗戦でシベリヤに抑留されました。その後カザフスタンで石炭採掘をさせられました。この体験が、横山の画風に大きな影響を与えたとされます。

横山は、富士山など山の絵画が多く、なかでも「赤富士」の連作は有名です。左の作品は、朝焼けのときでしょうか、雪の富士がピンクに染まっています。

岡本太郎
岡本太郎 《遭遇》

 岡本太郎は1911年に神奈川県で生まれました。抽象絵画、シュルレアリスムの作品をはじめ、幅広いジャンルで多数の作品を残しました。

また、文筆活動やテレビなどメディアでも活発に活動しました。1970年に大阪で開かれた万国博覧会のシンボル「太陽の塔」を制作したことでも知られています。

上の写真は 《遭遇》 という大作です。岡本太郎は縄文土器の持つエネルギーを高く評価したとのことですが、その太郎らしいダイナミックな表現の作品です。

ルオー
ルオー 《たそがれ》

 この展覧会には、もちろん海外の作品もたくさん展示されていました。ピカソ、ルノアール、モネなどの有名な作品にまじって、最後の宗教画家といわれたルオーの 《たそがれ》 という作品がありました。

ジョルジュ・ルオーは1871年生まれで、フォービズムの巨匠マチスとパリの美術学校で同期でした。絵画の世界に大きな変動があったこの時期ですが、ルオーはそのような動きには同調せず、ひたすら自己の芸術世界の完成に努めました。

若いころにステンドグラスの制作を勉強したこともあり、ルオーの作品には左の写真のように輪郭線を黒い太線で描いたものが多く見られます。

この作品は1937年の作ですが、それからまもなくピカソは抽象絵画の歴史的傑作 《ゲルニカ》 を描きました。

そのころのピカソ、マチスなどの作品と比較すると、ルオーが画壇の動きには同調せず、孤高を保ちつつ自己の信ずる道を歩んだのがわかります。

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