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東京国立博物館
ダ・ヴィンチの展覧会

 「レオナルド・ダ・ヴィンチ−天才の実像」という展覧会が、2007年3月から上野の東京国立博物館で行われていました。

東京国立博物館は、もともと自然科学、考古学などの展示が主体ですが、美術関係の展示も常設しており、また別棟には「法隆寺宝物舘」というものもあります。

今回は、ダ・ヴィンチが考案したさまざまな機械類の展示もあったので、東京国立博物館が展覧会の会場になったのでしょう。

ダ・ヴィンチの修行時代
ダ・ヴィンチの修行時代

 レオナルド・ダ・ヴィンチは、1452年にフィレンツェ近郊のヴィンチ村で生まれました。13歳でフィレンツェにあったヴェロッキオ工房に弟子入して絵画の修行を始めました。

左の写真は、ヴェロッキオの工房で制作された《キリストの洗礼》という作品の部分です。当時は、工房のメンバーたちが注文された絵画の部分々々を担当して描き、最後に工房の主が絵筆を入れてまとめ上げるという制作方法が普通でした。

この作品の場合は、写真左端の右を向いている天使をダ・ヴィンチが担当して描きました。ダ・ヴィンチの描いた天使を見て、師ヴェロッキオはその存在感に圧倒され、以降は自分で絵筆をとることはなかったといわれます。

しかし、ヴェロッキオはルネッサンス美術の嚆矢となった偉大な画家・彫刻家であり、ダ・ヴィンチもこの工房での修行により大いに得るところがあったのはいうまでもありません。

名画 《受胎告知》

 やがて、レオナルド・ダ・ヴィンチは一人前の画家として認められて画家の親方に登録されましたが、なおヴェロッキオの工房でさまざまな制作をしていました。
その時代にフィレンツェ郊外の教会からの注文で描いたのがこの《受胎告知》で、ダ・ヴィンチの本格的な作品としては最も初期のものとされます。

私どもは、数年前にイタリア・フィレンツェのウフィッツイ美術館でこの名画を見ています。今回、東京国立博物館でこの作品に再会できるとあって、胸をときめかしながら会場に入りました。
今回の展覧会では、絵画の展示は《受胎告知》一点のみで、地下の大きな暗い展示室の奥に置かれてありました。名画には厳重なガラスカバーがかけられており、淡い照明が施されていました。
私どもは、開館と同時に入室したのですが、それでもかなりの行列ができていました。名画の前で長く立ち止まらないようにというアナウンスが流れ、行列が少しずつ進みます。15分ほどたったころ、私どもはようやく名画の前にたどり着きました。

受胎告知

目の前に聖母の姿、顔を見て、私どもは、数年前にフィレンツェ・ウフィッツイ美術館を訪れたときの感激を思い出しました。

上記のように、この名画はダ・ヴィンチのごく初期の作品で、今パリ・ルーブル美術館にある《モナリザ》よりはるか前に制作されたものです。 《モナリザ》 をご覧になった方はお分かりになると思いますが、近寄ってみると、《モナリザ》 の画面には多数のひび割れがあり、美術ファンとしては心配になるほどです。パリ・ルーブル美術館はすでに 《モナリザ》 は今後もう外部の展覧会に貸し出さないと宣言しました。

それに対し、こちらの 《受胎告知》 のほうは、非常に保存状態がよいのは心強い限りです。しかし、なにしろ貴重なダ・ヴィンチの名作ですから、こちらもそのうちウフィッツイ美術館を離れることがなくなると思われます。

人力飛行機

 《受胎告知》 の前を離れ、この展覧会の第二会場のある平成舘特別展示室に向かいました。レオナルド・ダ・ヴィンチは、人間や自然の真の姿を絵画に表現するため、徹底的な観察や論証を行いました。この第二会場では、ダ・ヴィンチの膨大な手稿の記述をもとに、ダ・ヴィンチの広範な精神活動の展開をたどります。

平成舘の正面大階段を上ったところに、天井からダ・ヴィンチが設計した人力飛行機の実物大復元模型がつるしてありました。乗った人が足でペダルをこいで、幅5メートルもあろうかという巨大な翼を羽ばたかせて翔ぶという設計になっています。
メカニカルデザインとしては大変よくできているそうですが、機体が非常に重いので、実際にはまったく飛行できないということです。

人力飛行機

第二会場の構成
第二会場の構成

 第二会場は、次の構成になっていました。
  1. レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯

  2. 《受胎告知》−思索の原点

  3. レオナルドの書斎

  4. 「かたち」のとらえ方

  5. 万物の「運動」

  6. 絵画への結実

レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯
ダ・ヴィンチの生涯

 30歳になったころ、ダ・ヴィンチは大都市ミラノの宮廷に技師として仕えるようになりました。この時代から、「手稿」を書くようになったそうです。

35歳のころ、有名な《スフォルツア騎馬像》の制作にとりかかりましたが、フランス軍がイタリアに侵入してきたため、制作は中断のやむなきに至りました。

左の写真は、フィレンツェ・ウフィッツイ美術館の中庭にあったダ・ヴィンチの彫像です。

ウィトルウィウス的人間
ウィトルウィウス的人間

 会場に展示されていた多数の手稿の中に、左の有名な図がありました。
1490年、ダ・ヴィンチが38歳ごろの手稿で、当時発見された古代ローマの建築家ウィトルウィウスの「建築論」にある「人体は円と正方形に内接する」という記述を表現しているものだそうです。

この時期に、ダ・ヴィンチは人体をはじめさまざまな物体のプロポーションの研究に没頭していたとのことです。

ダ・ヴィンチの作品の中でももっとも有名なものの一つである上の図は、現在、イタリアの1ユーロ硬貨のデザインに用いられています。

人力飛行機

 平成舘の正面大階段を上ったところに、天井からダ・ヴィンチが設計した人力飛行機の実物大復元模型がつるしてありました。乗った人が足でペダルをこいで、幅5メートルもあろうかという巨大な翼を羽ばたかせて翔ぶという設計になっています。
メカニカルデザインとしては大変よくできているそうですが、機体が非常に重いので、実際にはまったく飛行できないということです。

その後ダ・ヴィンチは、なんと教皇軍の軍事顧問としてイタリア各地を転戦したこともあるそうです。

《モナリザ》
その後のダ・ヴィンチ

 上記《スフォルツア騎馬像》の制作と前後して、ダ・ヴィンチはミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会からの依頼で大作《最後の晩餐》を描きました。
ダ・ヴィンチ中期の大傑作であるこの絵画は、最近大修復が行われ、制作当時の輝きを取り戻したそうです。

50歳をすぎたころ、ダ・ヴィンチはジョコンダという貴婦人の肖像画を制作しました。
これが、歴史上もっとも有名な婦人像とされる名画 《モナリザ》 です。ダ・ヴィンチは、この作品を死ぬまで手離さず、折に触れて少しずつ手を加えていたといわれます。

現在では、この作品はパリ・ルーブル美術館の超目玉絵画として世界中から美術ファンを集めています。

64歳のとき、ダ・ヴィンチはフランス王フランソワ1世に招かれてフランス・アンボワーズ郊外のクルー城で暮らすようになりましたが、その3年後に67歳で世を去りました。

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