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ピサロと風景画

カミーユ・ピサロ  前ページで述べたように。画家カミーユ・ピサロは尊敬する画家コローとドービニーの影響で風景画を盛んに制作するようになりました。
そして2人の大先輩からオワーズ川流域の景観について聞き、さっそく鉄道でポントワーズ、オーヴェルなどに行ってほうぼうを歩き回りました。

ピサロはついにその地に住むことを決め、1872年にポントワーズにアトリエを建てました。
この少し前からピサロはモネなど後に印象派を興す若い画家たちと交流を持っていました。ピサロはモネらの光の効果を追及する画風に影響を受け、明るくカラフルな風景画を描くようになりました。

オーヴェルの印象派画家たち

ポール・セザンヌ  ピサロは人柄が良かったので、ポントワーズのピサロの家にはクロード・モネ、オーギュスト・ルノアール、ポール・セザンヌ、アルマン・ギヨマンなどの若い画家たちが訪れるようになりました。

ポール・セザンヌは1839年に南フランスのエクス=アン=プロヴァンスに生まれました。ピサロより9年後の生まれということになります。
1872年にピサロがポントワーズにアトリエを建てると、まもなくセザンヌもポントワーズに行き、ピサロとイーゼルを並べて風景画を描きました。
セザンヌはこの時期にピサロから印象主義の技法を習得し、明るい色調の作品が多くなりました。

下の写真はこのころのピサロの作品で、オーヴェル村オワーズ河岸の段丘とその下の農地を描いています。夏と思われるシーズンの景色を明るいトーンで描いており、ピサロが親友モネの提唱する印象主義に同調したのを示す作品になっています。

オーヴェル=シュル=オワーズ


セザンヌの作品

首吊りの家  左の写真は、やはり同じ時期にセザンヌがオーヴェル=シュル=オワーズで描いた 《首吊りの家》 という作品です。
ピサロによく似た画調の風景画で、このころセザンヌがピサロから受けた影響が大きかったのを示しています。

セザンヌがオーヴェルに行ってから2年後、モネらはパリで後に「第一回印象派展」と呼ばれた展覧会を開きました。同展にピサロは風景画5点、セザンヌは上記 《首吊りの家》 など3点を展示したということです。

オーヴェルの曲がり道  セザンヌはオーヴェル村滞在中はピサロから紹介を受けたガシェ医師のもとを訪れ、ガシェ医師のアトリエを頻繁に借りて制作をしたということです。

左の絵画は、同じ時期の1873年にセザンヌが描いた 《オーヴェルの曲がり道》 という作品です。この絵画も上記の 《首吊りの家》 と同じく、当時ピサロから受けた影響が大きかったのを感じさせます。

セザンヌといえば私どもはすぐ静物画を思い浮かべますが、セザンヌはオーヴェル村滞在中にピサロの助言のもと 《ウルビノ壺のある静物》 という作品を描いています。

セザンヌはオーヴェル村にほぼ2年間滞在しましたが、その後はオーヴェル村を離れ、パリと故郷南仏エクス=アン=プロヴァンスとを行き来するようになりました。

オーヴェル村に定住し、多くの若い画家たちを愛するオーヴェル村に招いたシャルル・ドービニーは、1878年に61歳で没しました。風景画の芸術性を高め、印象派画家たちに風景画の道を示したドービニーの功績は大変大きく、オーヴェル村のドービニーの家は1991年にドービニー美術館として史跡に指定されました。

カミーユ・ピサロは、オーヴェル村の隣町ポントワーズに1884年まで17年間もとどまりました。終生気品のある風景画を描きつづけ、印象派絵画を世に広めたピサロの功績もまた大きく、現在ポントワーズにはカミーユ・ピサロ美術館が置かれています。

ヴァンセント・ヴァン・ゴッホ

 カミーユ・ピサロがポントワーズを去ってパリに移った6年後、ある画家が南仏サン・レミ・ド・プロヴァンスを逃げるように出てパリに来ました。その画家ヴァンセント・ヴァン・ゴッホは精神をわずらっており、ピサロのアドヴァイスで当時パリとオーヴェル村を行き来していたガシェ医師の診察を受けました。

1890年5月、ゴッホはパリからオーヴェル村に移り、ガシェ医師の診察を受けながらオーヴェル村周辺の風景画を描くようになりました。ヴァンセント・ヴァン・ゴッホのその後については、別ページで詳しく述べます。

モーリス・ド・ヴラマンク

オーヴェル駅  画家モーリス・ド・ヴラマンクは、1876年にパリで生まれました。上記ポール・セザンヌがオーヴェル村を離れてパリに移った時期のことです。

一時は競輪の選手をしたりオーケストラでヴァイオリンを弾いたりしていましたが、やがてセザンヌ、ゴッホの絵画を知り、自分でも独学で絵を描き始めました。

20世紀初頭にはヴラマンクはドランを通じてアンリ・マティスの知遇を得てフォーヴィスム(野獣派)調の作品を制作しました。

雷雨の日の収穫  第一次世界大戦後はヴラマンクはフォーヴィスムから離れてセザンヌに傾倒しました。
1920年、ヴラマンクはオーヴェル村にアトリエを構え、セザンヌの影響のある風景画などを制作しました。左上の作品は当時のオーヴェル=シュル=オワーズ駅を描いたものです。

晩年の1950年には、左図下の 《雷雨の日の収穫》 という作品を描きました。一見してゴッホ最晩年の作品 《カラスのいる麦畑》 と畑の構図や雲の様子がよく似ているのがわかります。

画家 佐伯祐三

 画家 佐伯祐三は、1898年に大阪府中津の寺に生まれました。二科展の活動で有名な画家東郷青児とほぼ同年の生まれです。

中学時代から大阪の画塾でデッサンを学んだ後、1917年に上京し、東京美術学校に入学しました。1921年、当時新開地だった東京下落合にアトリエを構えました。

大震災後の1923年11月、妻子および友人とともに渡仏し、パリの画学校に入学しました。パリではセザンヌ、ユトリロなどの作品に多数触れて研究を重ねました。

オーヴェルの教会  1924年夏、ヴラマンクの教えを受けていた日本人画家里見勝蔵に連れられて、佐伯はオーヴェル村のヴラマンクを訪れました。自分の裸婦画をヴラマンクに見せたところ酷評され、佐伯は大ショックを受けたそうです。

その翌日、里見と佐伯はオーヴェルのガシェ医師の家を訪れました。そこで佐伯はガシェ所有のゴッホの作品を多数目にし、大いに感銘を受けました。
そしてゴッホ作品に描かれているのと同じ建物や風景を自分でも描いて見ました。

 上の写真は、ゴッホ作品で有名なオーヴェルの教会を佐伯が描いたものです。夕闇が迫るころに描いたものでしょうか、全体として暗く青緑がかったトーンになっていますが、オーヴェルの教会の存在感がゴッホの傑作にも負けることなくとらえられていると感じます。

その後も佐伯はしばらくオーヴェル村にとどまり、ヴラマンクから受けた酷評を教訓としてオーヴェル村のさまざまな風物を描きました。
下の写真はそのときの作品の一つ 《オワーズ河周辺風景》 です。ゴッホ最晩年の作品 《カラスのいる麦畑》 を思わせる黒い雲がたなびく下、オワーズ川河畔の村景色を大きな構図で描いています。こちらの作品も、ピサロ、セザンヌなど印象派画家たちが残したオーヴェルの風景画に負けない傑作と思いますが、いかがでしょうか。

オワーズ河周辺風景


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