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フランスとアルジェリア

アルジェリア  アルジェリアは、アフリカ北西部、モロッコとリビアの間にある国です。アルジェリアの首都アルジェは地中海南岸に面しており、スペインの首都マドリードから南東にわずか443kmのところにあります。これは東京 - 大阪より少し遠いくらいの距離です。

また、地中海北岸に面したフランス第二の都市マルセイユからは南方755kmの距離にあります。これは東京 - 山口より少し近いくらいの位置に当たります。

大西洋と地中海を結ぶ海路に面しているという地の利もあるアルジェリアには、昔から地中海に面したヨーロッパの列強諸国が進出のチャンスをうかがってきました。

フランス革命後の王政復古の時代に、フランスは1830年にアルジェリア王国と戦争を始め、まもなく地中海南岸の港湾都市アルジェを占領しました。
その後、1847年にフランスは全アルジェリアを占領し、アルジェリアを植民地にしました。フランス領アルジェリアの地中海南岸地方はフランス本土と同等の扱いを受け、スペイン人、イタリア人など多くのヨーロッパ人が入植しました。

ウジェーヌ・ドラクロワ

画家ドラクロワ  前記のように1830年にアルジェリアの地中海沿岸地域を制圧したフランスは、1832年にモロッコ、ナイジェリア、アルジェリアを歴訪する政府使節団を派遣しました。

ウジェーヌ・ドラクロワはその使節団の一員として参加し、北西アフリカ諸国の風土風物、生活の様子などを詳細にスケッチしました。当時は写真技術はなお開発途中の段階にあり、画家によるスケッチで画像情報を記録するのが一般的でした。

ドラクロワはその旅行の最後の数日間をフランス領アルジェリアで過ごしましたが、その際は首都アルジェには行かなかったそうです。

多数のスケッチを持って帰国したドラクロワは、それらから長期間にわたってアフリカ諸国をテーマとしたさまざまな油彩画を制作しました。下図はアルジェリアのハーレムで暮らす女性たちを描いた 《アルジェの女たち》 で、1834年のサロンに出品されました。

じゅうたんの上でゆったりと暮らす女性たちが、アルジェリアの風光を感じさせる黄土色の色調で描かれています。左端の女性にかかる北アフリカの明るい陽光と右端に配せられた黒人女性のコントラストが実に鮮やかです。

ドラクロワ

カミーユ・コロー

《芝生の上の若いアルジェリア女性》  カミーユ・コローは1796年にパリに生まれました。前記ドラクロワより2年前の生まれです。

コローは日本ではバルビゾン派の風景画家として知られていますが、実は優れた人物画を多数制作しています。
コローは1875年に死去しましたが、特に最後の10年間は人物画、歴史画的な人物画、民族衣装などを着せて描いた人物像の傑作を多数残しました。

現在パリ・ルーヴル美術館に所蔵されている有名な 《真珠の女》 、 《青衣の婦人像》 はこの時期の傑作です。 《真珠の女》 はコローが没するまでアトリエに置いていたそうです。

この時期の作品の中に上の写真の 《芝生の上の若いアルジェリア女性》 という絵画があります。制作は1871年とのことですが、この時期にコローがアルジェリアに旅行したという記録は見つかりませんでした。パリのアトリエでモデルにアルジェリアの民族衣装を着せて描いたのかもしれません。制作の経緯はともあれ、これは最晩年のコローの堂々たる画境を示す人物画の傑作といえましょう。

オーギュスト・ルノワール

アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)1872年  オーギュスト・ルノワールは1841年にフランス中南部リモージュに生まれました。上記ドラクロワの43年後の生まれとなります。

1862年に官立美術学校に入学し、基礎を勉学しつつルーベンス、アングル、ドラクロワ、クールベなどさまざまな画家から多くを吸収しました。

特に色彩の持つ力を近代絵画に持ち込んだドラクロワの作品は、天成の色彩画家であったルノワールの心を強くとらえました。
ルノワールは、ルーブル美術館に展示されていた上記ドラクロワの作品 《アルジェの女たち》 からインスピレーションを受けてロマン主義的な絵画 《アルジェリア風のパリの女たち》 (左図)を描き、1872年のサロンに出品しました。


ルノワールのアルジェリア旅行

ルノワール1841年2月25日 - 1919年12月3日  このウェブページに掲載した絵画からわかるように、1870年代以降のフランスではフランス領モロッコ、アルジェリアとの人の行き来が多くなるにつれ、北アフリカの風光、アラブ人の風俗をテーマとした絵画が盛んに制作されるようになりました。

上記 《アルジェリア風のパリの女たち》 はルノワールがドラクロワ作品を見て描いたものでしたが、その後ルノワールは1881年にアルジェリアに旅行し、数点のエクゾティックな作品を描きました。

1882年に発表された 《鳥と少女》 (左図)もその一つで、アルジェリア旅行の際現地在住のフランス人少女にアルジェリア民族衣装を着せて描いたものということです。

ルノワールは1881年にイタリア旅行でラファエロらの古典絵画に触れ、次第に印象派の技法に疑問を感ずるようになりました。しかし、1882年のこの作品は、光の効果を主体にしつつ華麗な色彩による装飾性も重要視するルノワールの印象派絵画の一つとして描かれているように思われます。

ゴッホ 《アルジェリア土民兵》

 《アルジェリア土民兵》  調べているうちに、なんとフィンセント・ファン・ゴッホにもアルジェリアをテーマにした作品があるのを知りました。

左の絵画はゴッホが1888年に制作した 《アルジェリア土民兵》 という作品です。
ゴッホがパリから南仏アルルに転居して間もないころに描いたものと思われます。

前記のように、南仏とアルジェリアとは地中海を挟んで東京 - 山口ぐらいの距離にあるので、アルジェリア人がかなり多数移り住んでいたのかも知れません。

たまたまゴッホの身辺にもとアルジェリア兵士だった男がいたので、土民兵の衣服を着てもらい、この作品を描いたのでしょうか。

制作の経緯は不明ですが、さすがに天才ゴッホのアルル時代の作品で、赤いズボンを着け、房のある赤い帽子をかぶった精悍なアラブ兵士の存在感が圧倒的です。

アメデオ・モディリアニ

モディリアニ1917年油彩  アメデオ・モディリアニは1884年にイタリア トスカーナ地方に生まれました。上記オーギュスト・ルノアールの43年後の生まれとなります。

モディリアニは1906年にパリの美術学校に入学し、パリ在住の画家パブロ・ピカソ、アンドレ・ドランらと交流を持ちました。
一時彫刻に熱中したモディリアニは、アフリカンアートに強く影響を受けたということです。

当時パリにはアルジェリア人が多数いたそうです。この作品は第一次大戦中の1917年に若いアルジェリア女性をモデルとして描いたものとされます。

褐色肌、短い黒髪、そしてエクゾティックな切れ長の眼を持ったアルジェリア女性を、凛とした硬質のタッチで描いています。

この作品を描いた2年後、モディリアニは持病の結核で35年の生涯を閉じました。

アンリ・マティス

アルジェリアの女1909年  アンリ・マティスは1869年にフランス北部ル・カトー=カンブレジに生まれました。
法律家を目指し大学に進みましたが、21歳のとき画家に転向しました。

当初ギュスターヴ・モローの指導をうけて写実的絵画を制作しましたが、まもなくポスト印象派のゴッホ 、ゴーギャンらの画風に傾倒するようになりました。

その後マティスは大胆な色彩の作品を次々と発表し、モーリス・ド・ヴラマンク、アンドレ・ドランらとともに野獣派と呼ばれました。

マティスは1906年にアルジェリアのビスクラに旅行し、当地のエクゾティックや風物、鮮烈な色彩に感銘を受けました。
そのときのインスピレーションをもとに、マティスは1909年に 《アルジェの女》 (左図)を描きました。

上記アルジェリア旅行の後、マティスはモロッコに行き、そこでも多数のスケッチをしました。さらに1912年〜1913年に2度にわたってモロッコ・タンジールに旅行しました。

それらアラブ世界の旅行で行ったスケッチをもとに、マティスは1920年代に 《赤いキュロットのオダリスク》 などのアラブ世界にテーマをとった作品を多数制作しました。

映画 《望郷》

映画 《望郷》 ジュリアン・デュヴィヴィエ監督  ヨーロッパに近く地中海海運の要衝でもあるアルジェリアは、古くからそのエグゾティックな風物で世界中から注目されてきました。

上記のように絵画の世界で西欧に紹介されたのに続き、20世紀になるとさまざまな映画がこの地を背景として盛んに製作されるようになりました。

左の写真はそのような映画のはしり、1937年公開のフランス映画 《望郷》 の一場面です。
パリでお尋ね者になり、アルジェの旧市街カスバ地区に逃げ込んだぺぺ・ル・モコが映画の主人公で、当時33歳だったジャン・ギャバンが演じて世界的な大評判になりました。

ぺぺはカスバに潜伏しているうちにカスバ見物に訪れたパリジェンヌ、ギャビーと知り合い、恋仲になりました。やがてギャビーはパリに帰ることになりましたが、ぺぺはギャビーへの思いから危険と知りつつカスバを出てアルジェの波止場まで見送りに行きました。
かねてよりぺぺを追跡していたスリマン刑事は、波止場に現れたぺぺを見つけ、追いつめました。逃げられないのを悟ったぺぺは、女の名前を叫びつつ、短刀で自害しました。

歌謡曲 《カスバの女》

 このウェブページを書いているうちに、ふと、昔 《カスバの女》 という歌謡曲があったのを思い出しました。調べると、この曲はもともと大高ひさをさんという作詞家が上記映画 《望郷》 からインスピレーションを得て詞を書いたもので、次のような歌詞だったそうです。

 涙じゃないのよ 浮気な雨に

 ちょっぴりこの頬 濡らしただけさ

 ここは地の果て アルジェリヤ

 どうせカスバの 夜に咲く

 酒場の女の うす情け
ちなみに、作詞した大高ひさをさんはアルジェリアには一度も行ったことがないそうです。

この歌謡曲は1967年ごろ大ヒットになり、なんと男女合わせて10人近い歌手が競うように歌ったということです。私が知っているのはちあきなおみさんが歌ったもので、ちあきさんはこの当時まだ21歳くらいでしたが抜群の歌唱力で大人気でした。

当時の日本は高度成長期の入口の時期でしたが、まだ海外旅行に出かける人はそれほど多くありませんでした。アルジェリアという国があるのを知っている人もあまりなかったという時代でした。その時期に、アルジェのカスバを唄ったこの歌謡曲 《カスバの女》 が大ヒットになったというのは驚くべきことです。

上記映画 《望郷》 が日本でも大評判になり、それを観た人々がこの歌謡曲にも連想を感じて人気がひろまったということでしょうか。

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