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2010年8月30日に、「 箱根湿生花園 」 を 遊歩 コーナーにアップしました。
2010年8月20日に「 原爆ドーム・平和公園 」 を 平和・宗教 コーナーに掲載しました。
「実りのときブログ」に、美術、俳句、海外旅行などこの時期の記事を多数掲載しました。 |
かねてより私は、原爆による惨禍の象徴である原爆ドームをぜひ一度は訪れなければと念じていました。このたび所用で広島を訪れたので、仕事が終わってからさっそく原爆ドームに向かいました。
やがて、遠くの大木の根元に「慰霊」と刻まれた大きな石碑が見え、その大木の梢の向こうに巨大な原爆ドームのむき出しの鉄骨が姿を現しました。
そこから川に沿って南側にまわると、ようやく原爆ドームの全容が見えてきました。原爆は、このドームのほぼ真上約580メートルで炸裂しました。 |
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そのためドームを覆っていた銅板が一瞬にして溶けて無くなり、鉄骨がむき出しになってしまいました。
しかし、原爆の爆風が真上からきたため、この建物の外壁の一部が吹き飛ばされずにご覧のように残ったのです。
原爆ドームの横を流れる元安川の川岸に立って、ドームを仰ぎつつ、14万人の被爆死者の冥福を祈りました。
十四万
悼むドームに
暮れ早し |
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明治29(1896)年、夏目漱石は、小説「坊ちゃん」のモデルとなった愛媛県尋常中学校の英語教師を退官し、旧制五高の英語科教授として九州熊本に赴任しました。
漱石はこの地で英国留学に出発するまでの約4年間を過ごしましたが、その経験が、その後いくつかの小説の中に生かされることになりました。
小説 『 三四郎 』 の主人公小川三四郎は、その熊本の五高を卒業して東大に入学するために上京しました。日本初の本格的青春小説ともいえるこの作品の初めの方に、次のくだりがあります。 |
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三四郎が東京で驚いたものはたくさんある。第一電車のちんちん鳴るので驚いた。それから、そのちんちん鳴るあいだに非常に多くの人間が乗ったり降りたりするので驚いた。 |
小説『三四郎』では、三四郎が赤門を通って東大構内に入り、後に三四郎池と呼ばれるようになった池の周りを散歩したと書かれています。
旧加賀藩邸の庭園にあった池が、東大に移管されて「ひょうたん池」と呼ばれていましたが、この小説に登場して以来、「三四郎池」と呼ばれるようになりました(上の写真)。
この池のほとりで、三四郎は、団扇を持った若い女性里見美禰子に出会います。
団扇手に
美禰子歩めり
池の端
このどこか謎めいた雰囲気のある女性に、三四郎は次第に惹かれていきます。
この美禰子のモデルは、「元始、女性は太陽であった」で有名な文芸誌『青鞜』の創刊者平塚らいてうであったといわれます。小説『三四郎』が新聞に連載されはじめてから4年後、らいてうは漱石の弟子森田草平となぞの心中未遂事件を引きおこし、世間を大いに騒がせました。 |
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蓮は、例年7月の末から8月はじめにかけ、白またはピンクの大きな花を咲かせます。また、その大きな葉や太い茎を利用して、お盆の供え物を載せる台などを作ります。
東京で蓮の花が見られるところをインターネットで探しましたが、不忍池、水元公園など数ヶ所しかありませんでした。京都などには蓮田がたくさんあるようですが、東京周辺には非常に少ないのです。
8月はじめに帰省したときに、郷里の最寄駅の近くに昔蓮田がたくさんあったのを思い出し、駅からその方向に歩いていってみました。 |
そのあたりは駅から近いので、畑や水田がだいぶ住宅になっていましたが、それでも広々とした蓮田が残っていました。運がよく、ちょうど 見ごろの花が咲いていたので、大喜びであちこちの蓮田を撮影してまわりました。
蓮はインド原産だそうで、その花はお釈迦様を連想させる独特のおおらかさがあります。仏教では、泥水から茎を出して清らかな花を咲かせるということで、蓮の花を尊重します。お寺の仏像は、蓮台という蓮の花をかたどった台の上に乗せられています。
蓮見舟
葉かき分ければ
紅い花 |
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