川島順平の「ヴィルドラック」の解説。(昭和四十九年発行カルチャー出版社「現代のフランス演劇」による。)

     リアリズムの作家・ヴィルドラック
 シャルル・ヴィルドラック(一八八二―一九七一)
 今ヴィウ・コロンビエ劇場の上演脚本記録を見ると、五年間の公演活動の間に、最も数多く上演されたのは、シャルル・ヴィルドラックの「商船テナシティー」であり、二百五回に及んでいる。この戯曲が初めてこの劇場で上演されたのは一九二○年五月である。それはヴィウ・コロンビエが大戦後再開された二番目の公演の時であった。この時大好評で六十一回上演され、それから閉場までの五年間、毎年「商船テナシティー」が舞台にかけられ、コポーが劇団を解散した時の出し物が、この芝居だったのだ。まことに文字通り、ヴィウ・コロンビエは「商船」に始まり「商船」に終ったのである。大戦後の前衛劇は、まずコポーのヴィウ・コロンビエの再開場に始まったのだから、戦争直後の前衛劇はヴィルドラックの「商船テナシティー」に始まると言えよう。私はこうした意味で、まっ先にヴィルドラックの芝居を語ることにする。
 ヴィルドラックは筆名で、本名はシャルル・メッサジェである。パリに生れてヴォルテール高校で学び、ここを卒業すると出版社に勤め、かたわら詩を書いていた。ヴィルドラックは一九○六年、セーヌ河畔のアベーで、ジョルジュ・デュアンメル、ルネ・アルコスと合宿してここに印刷所を建て、自分たちの手でその作詩を印刷した話はあまりにも有名である。そして後にジュール・ロマンがこの運動に参加し、ロマンが理論ずけてユナニスムの詩のグループを形成したのだ。こうしてヴィルドラックはすでに大戦前詩集を二冊発行して、詩壇に名を得ていた。ところでヴィルドラックはデュアンメルの義弟であり、デュアンメルの妻ブランシュ・アルバーヌはヴィウ・コロンビエのスターであったので、コポーと知りあい、「商船テナシティー」がこに劇場に上演されたのである。(もっともヴィルドラックは一九二二年に「貧しい人」という一幕物を書いている。)
 「商船テナシティー」は、第一次大戦直後の若者たちに広まっていた虚脱感をテーマにしたもので、新天地に新たな人生を送ろうとカナダ行の船を、港町の安宿で船待ちしている二人の若者が、宿の女中に二人ながら恋してしまい、人生経験を積んだ男の方が女の心を射とめて、駆け落ちをしてしまい、残された青年は傷心を抱いて一人カナダに旅立つという物語である。庶民たちの心情を、作者は同情をこめ、優しい心遣いをこめて描き出している。せりふは簡潔で、何の飾りけもないのだが、その中には詩情が溢れており、人物たちの自然のユーモアが滑稽味を横溢させて、これが哀愁をたたえた幕切れを一層引き立たせているのである。この「商船テナシティー」は大正の末期から戦後に至るまで、日本でも幾度となく新劇団の手で演じられて来たから、見た方も多いだろう。(以下略)