トゥルビーン家の日々
         ミハイール・ブルガーコフ 作
           能 美 武  功 訳
           城 田 俊 監修

     登場人物
トゥルビーン・アリェクスェーイ・ヴァスィーリエヴィッチ
   砲兵大佐 三十歳
トゥルビーン・ニカラーイ・ヴァスィーリエヴィッチ
   その弟 十八歳
ターリべルク・イェリェーナ・ヴァスィーリエヴナ 
 アリェクスェーイの妹 二十四歳
ターリべルク・ヴラヂーミル・ラビェールトヴィッチ 
 その夫 参謀本部付大佐 三十八歳
ムイシュライェーフスキー・ヴィークトル・ヴィークトロヴィッチ 
砲兵二等大尉 三十八歳
シェルヴィーンスキー・リェアニード・ユーリエヴィッチ 
陸軍中尉 ウクライナ総統(ゲートマン)の副官
ストゥッズィーンスキー・アリェクサーンドゥル・ブラニスラーヴォヴィッチ  砲兵大尉 二十九歳
ラリオースィック 
   ジトーミルから出て来たトゥルビーン家の親戚 二十一歳
ゲートゥマン ウクライナ総統
バルバトゥーン ピェトゥリューラ軍の騎兵隊司令官
ガラーニバ  ピェトゥリューラ軍の騎兵中尉 革命前は槍騎兵大尉
ウラガーン
キルパートゥイ
フォン・シュラット ドイツ軍将軍
フォン・ドゥスト ドイツ軍少佐
ドイツ軍の軍医
コサックの脱走兵
籠を持った男
フョードル ゲートゥマンの従者
マクスィーム 中学校の舎監 六十歳
ピェトゥリューラ軍の電話係
第一の士官 アリェクスェーイの部下
第二の士官 アリェクスェーイの部下
第三の士官 アリェクスェーイの部下
第一の士官候補生 アリェクスェーイの部下
第二の士官候補生 アリェクスェーイの部下
第三の士官候補生 アリェクスェーイの部下
その他士官候補生達 騎兵達

(時 第一、二、三幕は一九一八年 冬
   第四幕は一九一九年初頭)
(所 キエフ市)

     第 一 幕
     第 一 場
(トゥルビーン家の居間。夜。暖炉に火。幕が開くと丁度時計が九時を打つ。そしてオルゴールが優しくボッケリーニのメヌエットを奏でる。アリェクスェーイが屈み込んで書類に手を入れている。)

 ニカラーイ(ギターをひき、歌う。)
   日毎に戦況悪くなる
   襲いかかって来るぞ、ピェトゥリューラが。
   よーし、機関銃に弾を込め
   撃ちまくれ、ピェトゥリューラ目掛けて。
   ババーン、バンバン、ババーン、バン。
   可愛い奴だ、機関銃。
   お前こそは、救いの神。
 アリェクスェーイ なんて馬鹿な歌だ。酷いもんだな。エンヤコラが歌う歌だぞ、そんなものは。もっとちゃんとしたものを歌え。
 ニカラーイ エンヤコラとは酷いよ、兄さん。僕はこれ、自分で作ったんだ。(歌う。)
   あなた歌のため
   わしゃ恋のため。
   共にいためる
   喉と胸。
 アリェクスェーイ 何だい、それは。喉を痛めたからじゃないだろう。生まれつきさ。
 ニカラーイ そいつは酷いよ、兄さん。僕は声はいいんだ。勿論シェルヴィーンスキーさんほどじゃないけど、だけど、かなりいかす声だよ。バリトンもバリトン、オペラ向きのバリトンなんだ。そうだ、姉さーん。姉さんはどう思う? 僕の声、いいよね?
 イェリェーナ(隣の部屋から。)誰の? あなたの? ああ、酷い声よ。
 ニカラーイ 姉さん、機嫌が悪いんだ。だからあんなこと言うんだ。あ、そうそう、兄さん。歌の先生が僕にいつも言ってたよ。「おお、革命なかりせば、君こそ立派なオペラ歌手。」って。
 アリェクスェーイ お前の歌の先生ってのは、ちょっとおかしいのと違うか?
 ニカラーイ そう言うだろうと思った。トゥルビーン家はもう家中で神経がカサカサしてきてるんだ。嫌になっちゃう。「お前の歌の先生ってのは、ちょっとおかしいのと違うか?」だなんて。・・・だけど、昨日まではいい声だったんだ。全く今日になったら全員悲観論。僕は違うぞ。僕は楽観論だ。生まれつき楽観論に出来てるんだ。(ギターをちょっと鳴らす。)だけどね、ねえ、兄さん、僕もちょっと心配になってきたんだけど。もう九時だよね。今日の朝には帰るって言ったんだよ、大きい兄さん。どうしたんだろう。事故でもあったのかな。
 アリェクスェーイ おい、ちょっと。もう少し小さい声で話せ。いいな?
 ニカラーイ おお、辛き事なり、神よ。我はそれ、嫁に行きたる姉の、弟なり。
 イェリェーナ(自分の部屋から。)そっちの時計では何時? 今。
 ニカラーイ あ、九時だよ。だけどこっちの時計は進んでるんだ、姉さん。
 イェリェーナ(自分の部屋から。)駄目よ、気休めを言ったって。
 ニカラーイ やっぱり気になってるんだ。(歌う。)
     霧につつまれて、ああ、霧に...
 アリェクスェーイ ちょっと。暗い歌は止めてくれないか。明るいやつをやってくれ。
 ニカラーイ(歌う。)
   紳士よ、淑女よ、こんにちは。
   別荘はいかが、お安くお安く、
   しておきます。
   おーい、ぼくの歌、
   ビン、ビン、ビン、ビン、ワインのビン。
   や、や、や、や、役所のワイン。
   格好いい編み上げの革靴履いて、
   つばなし帽子、きりりとかぶり、
   行くぞ、士官候補生・・・
(電気、突然消える。窓の外で軍隊が歌いながら行進して行くのが聞こえる。)
 アリェクスェーイ 畜生め、何だこれは。一分毎に停電じゃないか。リェーナ、頼む、ろうそくだ!
 イェリェーナ(自分の部屋から。)分かったわ!
 アリェクスェーイ どこの部隊だろう、行ったのは。
(イェリェーナ、ろうそくを持って登場。耳をすませる。遠くで大砲の音。)
 ニカラーイ 近いな。スヴャトーシヌイ村あたりかな。どうなってるんだろう、あのあたり。兄さん、僕に命令してよ。あっちの部隊に何が起こってるか、見て来いって。僕、馬で行ってくる。
 アリェクスェーイ 駄目だね。お前には行かせない。いいから静かに坐ってろ。
 二カラーイ 分かりました、大佐殿・・・でも僕、どうも・・・こうしてはいられないっていう気持だなあ、本当に・・・ちょっとあっちに悪いっていう。だってあっちじゃ闘っているんだからな。僕らの部隊もすぐ駆けつけなきゃいけないんじゃないかな・・・
 アリェクスェーイ うちの部隊の出動についてお前の忠告が必要になった時は、俺の方から必ず聞くさ。分かったね?
 ニカラーイ 分かりました。悪かったであります、大佐殿。
(電気、再びつく。)
 イェリェーナ アリョーシャ、ターリベルクはどうしたのかしら。
 アリェクスェーイ 帰って来るさ、リェーナ。
 イェリェーナ でもどうしたのかしら。午前中には帰って来るって言ってたのに。今はもう九時。それでも帰ってきていない。あの人に何か起こったのかしら。
 アリェクスェーイ 言ってるだろ、そんなことはないって。彼は西の方に行ったんだ。西の方向はドイツ軍が鉄道をおさえている。だから大丈夫なんだ。
 イェリェーナ じゃ、どうしてまだなのかしら。
 アリェクスェーイ 列車が各駅に停車してるんだろう、きっと。
 ニカラーイ 遠足なんだ、姉さん。一時間進めば、次の二時間はもう休憩なんだ。
(玄関のベルが鳴る。)
 ニカラーイ ほーら、帰ってきた。僕の言ってた通りだ。(玄関に駆け寄る。)どなたですか?
 ムィシュライェーフスキー(舞台裏で。)開けてくれ。早く。頼む。
 ニカラーイ(玄関にムィシュライェーフスキーを導き入れる。)ああ、ムィシュライェーフスキーさん。
 ムィシュライェーフスキー そう。俺だ、俺だ、勿論。やれやれ、おっ死(ち)んじゃうところだったぞ。ニコール、こいつを頼む。(銃を渡す。)肩に食い込んできやがる。畜生め!
 イェリェーナ ヴィークトル、あなた、どこからの帰り?
 ムィシュライェーフスキー ほら、あの、クラースヌイ・トラクチール村からだ。おい、ニコール、そのコートは、扱いに気をつけろよ。ウオッカが一本ポケットに入ってるんだ。割るなよ。ああ、リェーナさん、頼みますよ一晩。この調子じゃ家に着けっこないんだ。シンまで凍えて。
 イェリェーナ ええ、どうぞ、どうぞ。さ、早く火にあたって。
(二人、暖炉に進む。)
 ムィシュライェーフスキー おお寒・・・おー・・・おー・・・
 アリェクスェーイ 何だ、本部の連中は。君にちゃんとした靴ひとつ配給できないでいるのか。
 ムィシュライェーフスキー ちゃんとした靴? そんな気がきいたことを連中がどうして。いや、とてもとても。(暖炉に飛びつく。)
 イェリェーナ そうそう、丁度お風呂が湧いているんだわ。ニコールカ、あなた、靴脱ぐの手伝ってあげて。私は下着を持ってくるわ。(退場。)
 ムィシュライェーフスキー ああニコールカ、頼む、頼む。
 ニカラーイ うん。よしきた。(靴を引っ張って脱がせようとする。)
 ムィシュライェーフスキー いてててて。あ、ゆっくり。ウオッカだ。ウオッカを一杯やらんといかん。
 アリェクスェーイ 分かった。今出す。
 ニカラーイ 兄さん、両足とも指が凍傷だよ。
 ムィシュライェーフスキー 糞ったれ。足の指ともお別れか。酷いことになりやがる。
 アリェクスェーイ 何を言うんだ。大丈夫だ。ニコールカ、ウオッカをかけて、摩擦するんだ。
 ムィシュライェーフスキー おっと。足の指なんぞにウオッカを浪費する俺様だと思うか。(受け取ってウオッカを飲む。)おい、摩擦を頼む。いてててて・・・いて、いて・・・そっと。もう少しそっと頼む。
 ニカラーイ かわいそう。何て冷たいんだ、この指。
 イェリェーナ(部屋着とスリッパを持って登場。)さあ、これを持ってお風呂に行って。
 ムィシュライェーフスキー こいつは有難い。いや、どうも、イェリェーナさん。(ニカラーイに。)おい、もう一杯だ。(ウオッカを飲む。)
(イェリェーナ退場。)
 ニカラーイ どう? 暖(あっ)たまった? 大尉さん。
 ムィシュライェーフスキー いや、楽になった、有難う。(煙草に火をつける。)
 ニカラーイ トラクチール村はどうなってるの? 教えて。
 ムィシュライェーフスキー 吹雪だ、あそこは。猛烈に吹いてる。糞っ、あの吹雪でピェトゥリューラもドイツ軍の奴等もみんなやられて仕舞えばいいんだ。
 アリェクスェーイ どうしたっていうんだ。よく分からないな。何故君があの村に派遣されたんだ?
 ムィシュライェーフスキー 百姓ですよ。百姓の反乱です、あそこの村で。リェーフ・トルストーイ伯爵が作品で持ち上げたかわいい奴等なんですがね。
 ニカラーイ 百姓の反乱? 変だな。新聞じゃ、連中は総統の側についてるって・・・
 ムィシュライェーフスキー おいおい、士官候補生君、俺に新聞なんかを種に説教しようなんて、無駄だよ。新聞、あんなものみんな、ひと纏めにして縛り首にでもしてやればいいんだ。いいか、俺はな、今朝あそこに偵察に行ったんだ。そしたら年寄りに出くわした。で、きいてみた。「若い連中はどこへ行ったんだ?」全く、村は死んだような具合だったんでね。そいつは俺の肩章を確かめもせず言いやがった。「若い連中? みーんなピェトゥリューラ側に行っちまった。」
 ニカラーイ まいった、まいった。そいつは酷いな。
 ムィシュライェーフスキー そう。まいった、まいった、だよ。全く。俺はトルストイごのみのそいつの胸ぐらを掴えて言ってやった。「ピェトゥリューラ側に行っちまっただと? いいか、貴様はこの場で俺が撃ち殺してくれる。ピェトゥリューラ側に行く? それがどういうことか今分からせてやる。それはな、この俺が貴様をあの世に行かせるっていうことなんだ。」
 アリェクスェーイ よく町まで帰って来られたな。
 ムィシュライェーフスキー 交替命令が丁度出たんです。運がよかった。やれやれです。歩兵隊が丁度到着して、それと。しかしそれからがまづい。本部へ行ったんです。そこで喧嘩をして。しかしけしからんこと限りなしだ。列車の中に本部を置きやがって、のうのうと全員でブランデーを飲んでいやがる。俺は怒鳴った。「貴様ら何だ。ウクライナ総統は宮殿で、お前らはここでぬくぬくと。それでよく命令できたもんだ。満足な靴ひとつ履かせず、俺達砲兵隊に、「さ、ゲリラの百姓とドンパチやって来い」だと? 呆れたもんだ。」あいつら、この俺をどうやって追い出したものか、ホトホト困ったらしい。とうとう言いやがった。「大尉、分かった。こうしよう。砲兵科が御専門なんだな、砲兵隊に配置換えだ。どの砲兵隊に行ってもよい。キエフに帰るのを許す」と。アリョーシャ、ここに入れてくれないかな、この部隊に。
 アリェクスェーイ そりゃ嬉しい。だいたいこっちの方から呼ぼうと思っていたんだ。君には第一分隊を受け持って貰う。
 ムィシュライェーフスキー うん、恩に着るよ。有難い。
 ニカラーイ ばんざーい! 皆で一緒にやれるぞ。ストゥッズィーンスキーさんなんですよ、今先任の指揮に入ってくれてるのは。それにムィシュライェーフスキーさん。いいぞ!
 ムィシュライェーフスキー で、兵隊達はどこに?
 ニカラーイ アリェクサーンドゥロフスキーの中学校においてる。明日、でなければあさってにでも出動さ。
 ムィシュライェーフスキー 死に急ぎだな。そんなことしたら、ピェトゥリューラにズドンとやられるのがおちだぞ。
 ニカラーイ 逆だよ。こっちがズドンとお見舞するのさ。
 イェリェーナ(タオルをもって登場。)さ、ヴィークトル。お風呂に行って、行って。さっぱりしてくるの。これを持って行って。
 ムィシュライェーフスキー ああ、リェーナ、リェーナ、なんて優しいんだ。さ、お礼にぐっと抱きしめて、キスだ。そうだ、どう思う? リェーナ。ウオッカを飲みたいんだ。今がいいかな、それとも夕食の時の方が?
 イェリェーナ 後で。夕食の時の方がいいわ。(ムィシュライェーフスキー、立ち去りかける。)そうそう、ヴィークトル! あなた、主人を見なかった? 私の。あの人、帰ってないの。
 ムィシュライェーフスキー いなくなったなんて、リェーナ。見つかりますよ。すぐお帰りになりますよ。(退場。)
(ベルが鳴り始める。切れ目のない鳴り方。)
 ニカラーイ ほーら、帰ってきた。(玄関に走って行く。)
 アリェクスェーイ 何だ。どうしたんだ、あのベルは。
(ニカラーイ、玄関の扉を開ける。ラリオースィック登場。スーツケースと風呂敷を持っている。)
 ラリオースィック さ、僕が到着しましたよ。そうそう。僕、ベルを変な風にしちゃった。
 ニカラーイ ボタンを強く押し過ぎたんだな。(走って扉から階下に降りる。)
 ラリオースィック あ、ご免なさい。すみません。(部屋に入ってきて。)さ、到着しましたよ。僕です。今日は、素敵な素敵なイェリェーナ・ヴァスィーリエヴナ。写真で覚えていましたからね。すぐ分かりますよ。母から本当に、心からよろしくって、伝言です。
(ベルが鳴り止んで、ニカラーイ登場。)
 ラリオースィック それから勿論、アリェクスェーイ・ヴァスィーリエヴィッチ。あなたにも。
 アリェクスェーイ これはご丁寧に。
 ラリオースィック ああ、今日は、ニカラーイ・ヴァスィーリエヴィッチ。僕、君の噂、随分聞いてきたよ。(みんなに。)おやおや、みなさん驚いていらっしゃるご様子ですね。ではこの手紙をお見せ致しましょう。これをお見せすれば、すーぐお分かりですよ。母が言いました、「お前、コートを脱ぐ間もなく、すぐこの手紙をお見せするんだよ」ってね。
 イェリェーナ あら、まあ、すごい字ね。読めないわ!
 ラリオースィック ええ、そうです。母は酷い筆跡で。これは僕が読んだ方がいいんです。母が書いたものは母自身だって時々読めないことがあるくらいなんですから。ああ、でも僕だって同じなんです。僕も酷い筆跡。血統なんですね、家の。(読む。)「可愛い可愛いリェーナさん、家の子をそちらにやります。直接の親戚なんですもの、どうぞよろしくね。大事にして可愛がってやって頂戴。(そういうことはお上手ですものね。)あなたのアパート、あんなに大きいんですもの・・・」あ、母はリェーナさん、あなたのことを、そしてアリェクスェーイさんを、とても立派な人だって・・・そう、勿論、(ニカラーイの方を向いて。)君のことも。(読む。)「きっとこの子はキエフ大学に通るわ。だって才能があるんですから・・・」いやだな、ママったら・・・「・・・ジトーミルにじっと引っ込んで時間を無駄にするって法はないの。必要なお金はこちらからきちんと送ります。この子は他人との生活に慣れていません。ですから、他人様の御厄介になるのは可愛そうなんですが。でももう時間がありません。病院列車がもうすぐ着きます。後はこの子が自分で・・・では。」
 アリェクスェーイ ところでちょっと・・・申し訳ないんだけど・・・あなた一体誰なんでしょう。
 ラリオースィック えっ? 誰? じゃ、僕が誰か分かってなかった・・・?
 アリェクスェーイ 狐につままれた感じだな。
 ラリオースィック 何てことだ、これは。イェリェーナさん、あなたも?
 ニカラーイ 僕もだ。誰か分からないな。
 ラリオースィック おやおや、手品みたいなことになっちゃったなあ、これは。(何もないところから僕が現われちゃって。)ママが電報をうってくれた筈なんだけど。長い長い電報を。六十三ワードの。事情を全部説明した・・・
 ニカラーイ 六十三ワード! すごいな。
 イェリェーナ 受け取っていないわ、電報なんて、何も。
 ラリオースィック 受け取っていない・・・大変だ、これは。それじゃ、僕いけなかった。すみません、今までの態度。てっきり僕のことを待って下さっているとばかり・・・だからさっきみたいに直接に言っても、そのまま通ると思って・・・すみません・・・通る訳なかったんですね。・・・駄目人間だなあ、僕って!
 アリェクスェーイ いいんだよ、そんなこと。で、君の名前は?
 ラリオースィック ラリオーン・ラリオーナヴィッチ・スルジャーンスキー。
 イェリェーナ あら、ラリオースィック! ジトーミルの・・・いとこの・・・
 ラリオースィック ええ。
 イェリェーナ それであなた・・・私達の家へ?
 ラリオースィック ええ。でも僕・・・みんなが僕のことを待ってくれているとばかり・・・ご免なさい。僕、他所(よそ)の家に土足で上がりこんじゃった。・・・待っていて下さっていたんだとばかり・・・でもそうでないと分かったんだから僕、どこかホテルに泊まります。
 イェリェーナ こんな時にホテルだなんて。いいからまづコートを脱いで・・・
 アリェクスェーイ そうだよ。誰も君を追い出したりなんかしないよ。ほらほら、コートを脱いで・・・
 ラリオースィック 嬉しいな。有難うございます、本当に。
 ニカラーイ ほら、ここに置いたらいい。コートは玄関にかけて来て。
 ラリオースィック 有難う。どうも。あ、すごいな、この部屋。立派だなあ。
 イェリェーナ(囁き声で。)兄さん、この人のこと、どうしましょう。いい人のようだわ。図書室で寝て貰いましょうよ。どうせ空いているんですもの。
 アリェクスェーイ 勿論。さ、お前が話して。
 イェリェーナ ね、ラリオースィック。とにかくまづ、お風呂よ・・・そうそう、先客がいるけれど・・・大尉殿よ。ムィシュライェーフスキーさん。・・・でもまづお風呂。長い旅だったんですもの。
 ラリオースィック ええ、ええ。大変な旅。ジトーミルからキエフまで、十一日間汽車。
 ニカラーイ 十一日!・・・おやおやおや。
 ラリオースィック あー、酷かった、酷かった。本当。悪夢ですよ。
 イェリェーナ さ、だから、どうぞ・・・
 ラリオースィック 有難うござ・・・あ、そうだ、イェリェーナさん。僕、お風呂は駄目なんです。
 アリェクスェーイ お風呂が駄目って? どういうことだい。
 ラリオースィック ご免なさい。きっと汽車の中に悪い奴がいたんです。下着の入ったトランクを盗まれちゃって。本と原稿が入っているトランクは無事だったんですけど、下着の方は全部・・・
 イェリェーナ それくらいの被害でよかったわ。なんとかなるもの。
 ニカラーイ 僕のを使えばいいよ!
 ラリオースィック(ニカラーイに。友達に言うように。)あ、有難う。だけどシャツだけは一枚あったよ。チェーホフ選集をこれで結わえておいたんだ。悪い。パンツはお願いできるかな。
 ニカラーイ あるある。君には大きいかもしれないな、少し。でもいいじゃないか。ピンで留めちゃえ。
 ラリオースィック 有難う。何から何まで。
 イェリェーナ ラリオースィック、図書室があなたの部屋よ。ニコールカ、あなた、連れて行ってあげて。
 ニカラーイ じゃ、ついて来て。
(ラリオースィックとニカラーイ、退場。)
 アリェクスェーイ 相当だね、あれは。あの髪もなんとかならんかな。ああ、リェーナ、すまないが、僕の部屋に蝋燭を頼む。あっちに移るよ。ここでは邪魔が入って何も進まない。山ほど仕事があるのに。(退場。)
(玄関のベルが鳴る。)
 イェリェーナ どなた?
 ターリベルクの声 私だ。開けてくれ。
 イェリェーナ あら、まあ、あなた。今までどこにいらしたの? 随分心配したのよ。
 ターリベルク(入って来て。)ああ、キスはいい。体が冷えてる。お前、風邪をひくといけない。
 イェリェーナ どこにいらしたの?
 ターリベルク ドイツ軍の本部で話が長引いて。重大な案件だったんだ。
 イェリェーナ さ、早く入って。皆でお茶にしましょう。
 ターリベルク 茶はいらない。え? 待てよ。そのコートは誰のなんだ? リェーナ。
 イェリェーナ ムィシュライェーフスキーさんよ。あの人、前線から帰って来たの。骨まで冷え切って。
 ターリベルク 掛けておくぐらいのことはして置けばいいんだ。
 イェリェーナ あら。そうだったわ。(コートを扉の後ろにかける。)もう一つニュースよ。ジトーミルからいとこがやって来たの。ほら、よく噂していた、あのラリオースィックなの。図書室をあの子の部屋にしたわ。アリェクスェーイもそう言ってくれて。
 ターリベルク やれやれ、私がいないとすぐこれだ。ムィシュライェーフスキー殿お一人じゃ御不満と見える。ジトーミルからの宿なしも入れるって訳だ。こんなのはもう住居とは言わない。木賃宿だ。一体アリェクスェーイの奴、何を考えているんだ。
 イェリェーナ あらあら、あなた疲れてらっしゃるのね。それに機嫌が悪いのね。ムィシュライェーフスキーさん、いい人じゃないの。何がお気に召さないの?
 ターリベルク 全くだ。いい人・・・飲み屋にとっちゃな。常連なんだから。
 イェリェーナ まあ、酷いことを!
 ターリベルク 止そう、こんな話は。それどころじゃないんだ、今は。リェーナ、ちょっとそこの扉を閉めて・・・リェーナ、酷いことになった。大変なんだ。
 イェリェーナ 大変?
 ターリベルク ドイツ軍が撤退するんだ。すべてをうっちゃって。総統をもだ。
 イェリェーナ うっちゃって? まあ。でもあなた、どうしてそれが分かったの?
 ターリベルク どうしてって、つまりその、ドイツ軍本部でだ。堅く口止めされてな。総統自身だってこのことは知らない。
 イェリェーナ これからどうなるの。そうしたら。
 ターリベルク どうなるか・・・ウン・・・九時半か。そうさな・・・一体どうなる・・・なあ、リェーナ・・・
 イェリェーナ 何をぶつぶつ言ってるの、あなた。
 ターリベルク 「なあ、リェーナ」と言ったんだ。
 イェリェーナ 「なあ、リェーナ」がどうしたの。
 ターリベルク なあ、リェーナ、私はちょっと逃げなきゃならん。
 イェリェーナ 逃げなきゃ? 何のこと?
 ターリベルク ドイツに、ベルリンにだ・・・ウン・・・なあリェーナ、分かるだろう? ピェトゥリューラの侵入をロシア軍がくいとめられなかったら、そしてキエフに入って来たら・・・私がどうなるか。
 イェリェーナ 匿(かくま)って貰えるわよ。
 ターリベルク やれやれ、リェーナ。誰が匿ってくれるって言うんだ。私は(こんな小さな)縫い針とは違うんだ。町中誰だって私のことは知っている。陸軍省補佐官を匿う・・・無理だね。どこかの大尉殿の様に、のんきに他人のアパートでコートを脱ぎ捨てて坐りこんでるなんて真似はできない。捜し当てられるに決まっているんだ。
 イェリェーナ 待って、よく分からないわ・・・ということは、私達二人で逃げなきゃいけないっていうこと?
 ターリベルク 問題はそこにあってね、リェーナ。二人では駄目なんだ。今私も知ったばかりなんだが、事態は悲劇的だ。町はすっかり包囲されていて、逃げ道はただ一つ。ドイツ軍本部所有の列車によるのみだ。連中は女性を乗せるわけにはいかない。私一人にだけ、今までの行き掛かりもあって許可してくれたんだ。
 イェリェーナ ということは、あなた一人で逃げたいっていうことね。
 ターリベルク 逃げ「たい」とは酷いな。他にはしようがないっていうことなんだ。分かるだろう? もう駄目なんだ。どんずまりなんだ! 列車は一時間半で出てしまう。今決めて欲しい。できるだけ早く。
 イェリェーナ 一時間半で? できるだけ早く? いいわ。決めました。・・・一人でいらっしゃい。
 ターリベルク 君は偉いよ。いつも私はそう言っていた。えーと、何を話そうとしたんだったかな。あ、そうだ。君は偉いよ。と・・・あ、これはもう言ったか。
 イェリェーナ で、どのぐらいの期間かしら。離れて暮らすの。
 ターリベルク およそ二箇月・・・だな、きっと。この混乱の間だけベルリンで難を避け、総統がまた帰ってくれば・・・
 イェリェーナ 帰って来なかったら? 全然。
 ターリベルク それはない。たとえドイツ軍がウクライナを捨てたとしても、連合軍が支えるはずだ。そして、総統をたてる。ヨーロッパにとっては、モスクワにいるボリシェヴィキーに対する防衛線としてどうしても総統のいるウクライナが必要なんだ。ほら、分かるだろう? リェーナ、私はちゃんと計算済みなんだよ。
 イェリェーナ ええ、分かるわ。でも一つ分からないことがあるわ。総統はまだこっちに残っている。そして戦闘態勢をここでとっているのよ。それであなた、みんなの見ている目の前で逃げて行く。平気なの?
 ターリベルク はっはっは、馬鹿だね、リェーナ。いいかい? 私は「逃げる」と言った。だけどこれは君だから言ったんだ。内緒でね。君が誰にも言わないって知っているからだよ。軍本部の大佐ともあろうものが、逃げたりは決してしない。出張だ、勿論。ポケットにはちゃんと総統陛下からのベルリン行き出張命令が入っている。どうだい? 抜け目ないだろう?
 イェリェーナ 抜け目ないわ。とても。でも他のみんなはどうなるの?
 ターリベルク 他のみんな? 知らないね、他のみんななんか。私は幸いに、他のみんなじゃないんだ。
 イェリェーナ 私の兄や弟には今のことを知らせて下さらなくちゃ。
 ターリベルク 分かってる、分かってる。こういう時に一人で長い期間あっちに行っていられるのは実際有難いんだが、ただ、私が帰って来た時、またここに住めるだろうね?二人で。
 イェリェーナ あなた! 何ですか、一体。私の兄ですよ、一緒に住んでいるのは。兄が私を追い出すとでも思っているのですか。そんなことを仰るなんて、あなた・・・
ターリベルク 分かってる、分かってる。勿論そんなことはない訳だ。ただ去るものは日々に疎し。フランスの諺にも "Qui va a la chasse, perd sa place"  (狩りに出かける者は、自分の場所を失う)だからな。それから一つ最後に、君に頼みがあるんだ。その・・・ここに時々、私がいない時に来る男がいる。例のシェルヴィーンスキーだが・・・これからも来るだろうな。
 イェリェーナ あなたがいる時だって来ますわ、あの人。
 ターリベルク うん、残念ながらね。実はその・・・な、リェーナ、気に入らないんだ私は、あいつが。
 イェリェーナ あら、どうして?
 ターリベルク あいつの君に対する態度がどうもしつこい。で、私は・・・できれば、その・・・なんだ・・・
 イェリェーナ できれば・・・何なの?
 ターリベルク 何とはっきりは言えない、私の口からは。君は生まれも良い。頭も良い。身の処し方は先刻御承知の筈だ。このターリベルクの名を汚すようなことはしないに決まっている。
 イェリェーナ 分かりました。ターリベルクの名を汚さなければいいんですね。
 ターリベルク 何だい、その言い方は。君があの男を相手に浮わついたことをするだろうなんて、私は何も言ってないんだ。そんなことはあろう筈もないしね。
 イェリェーナ どうしてあろう筈もないの? そんなこと分かる筈もないでしょう?
 ターリベルク イェリェーナ! イェリェーナ、何ていう言い方だ、それは。そうだ、ムィシュライェーフスキーなんかと付き合うから、そんな言葉つきになるんだ。夫のある身で・・・浮わついた行為を・・・あ、九時四十五分だ。遅れてしまう!
 イェリェーナ 私、荷造りをしてきます。
 ターリベルク いいんだ。本当に簡単でいいんだ、イェリェーナ。スーツケースに下着を少しだけ。それだけでいい。ただ早くしてくれ。一分以内に。
 イェリェーナ 兄さん達にさよならは言って。
 ターリベルク 当然だ、それは。ただ分かってるね。出張なんだからな。
 イェリェーナ アリョーシャ! アリョーシャ!
(イェリェーナ、走って退場。)
 アリェクスェーイ(登場して。)何だい?・・・あ、兄さん。
 ターリベルク やあ、アリョーシャ。
 アリェクスェーイ 何ですか。お急ぎのようですね。
 ターリベルク あ、君に大事なニュースがある。今日の夜から、ウクライナ総統は重大な危機に立たされる。
 アリェクスェーイ 危機?
 ターリベルク そう。重大な危機だ。
 アリェクスェーイ どうなるって言うんです。
 ターリベルク ドイツ軍がすっかり手を引くんだ。ピェトゥリューラには我々白衛軍の力のみで立ち向かわねばならない。
 アリェクスェーイ 何ですって?
 ターリベルク その可能性が大だ。
 アリェクスェーイ なるほど。風雲急を告げ、国家は危機に瀕す、か。いづれにせよ、情報は有難い。
 ターリベルク で、それから・・・私が出張に出るので・・・
 アリェクスェーイ 出張? どこへですか。・・・もしお訊きしていいものなら。
 ターリベルク ベルリンだ。
 アリェクスェーイ ベルリン? ベルリンへ出張?
 ターリベルク そう。こんな時に行きたくもないんだが、言い逃れも出来ず、酷い話さ。
 アリェクスェーイ 長いことですか? これも訊いてよければ。
 ターリベルク 二箇月だ。
 アリェクスェーイ そうか、なるほど。
 ターリベルク じゃ、幸運を。それから、イェリェーナをよろしく頼む。(握手しようと、手を差し出す。)
(アリェクスェーイ、右手を後ろに引っ込める。)
 ターリベルク 何だ、これは。
 アリェクスェーイ そうです。その出張とやらが気に食わないのです。
 ターリベルク トゥルビーン大佐!
 アリェクスェーイ 何でしょう、ターリベルク大佐殿。
 ターリベルク 私に対するその侮辱の責任を取って貰わねばならんぞ、義弟殿。
 アリェクスェーイ それはいつのことになりましょうかね、義兄殿。
 ターリベルク いつのこと?・・・あ、もう九時五十五分だ・・・私が帰って来た時だ。
 アリェクスェーイ 帰って来た時・・・そんな「時」があるものですかね、一体。
 ターリベルク 貴様・・・俺はな、前から貴様には一言言おうと思っていたんだ。
 アリェクスェーイ 妹が来ます。あれを心配させないで。
 イェリェーナ(登場して。)あら、二人で何の話?
 アリェクスェーイ 何でもないんだよ、リェーナ。
 ターリベルク そう。何でもないことだ、イェリェーナ。じゃあ、また、アリョーシャ。
 アリェクスェーイ 失礼します、兄さん。
 イェリェーナ ニコールカ! ニコールカ!
 ニカラーイ(登場して。)何? あ、お帰りなさい。
 イェリェーナ 帰ってすぐだけど、出張なの。さよならを言って。
 ターリベルク さようなら、ニコールカ。
 ニカラーイ お気をつけて、どうぞ。大佐殿。
 ターリベルク ほら、金だ、イェリェーナ。ベルリンに着いたらすぐまた送る。ではこれで失礼する。(さっと玄関へ進みながら。)見送らなくていい、イェリェーナ。風邪を引いてはいけない。(退場。)
(イェリェーナ、後を追おうとする。)
 アリェクスェーイ(不機嫌な声で。)止めなさい。風邪を引く。
(間。)
 ニカラーイ 出張って何? 兄さん。どこへなの?
 アリェクスェーイ ベルリンだ。
 ニカラーイ ベルリン・・・こんな時に・・・(窓の外を見ながら。)馭者と値段の交渉をやってる。(考えながら。)兄さん、今日僕、突然気がついたんだけど、あの人、顔、鼠に似てるよ。
 アリェクスェーイ(機械的に。)そうだ、鼠だ、ニコールカ。鼠は逃げる。この家は沈みゆく船か。さ、ニコールカ。お客さんが待っている。行こう。
(ニカラーイ、退場。)
 アリェクスェーイ 大砲が空に炸裂か。こちらは粉微塵だな。「重大な危機」か。「重大な」。鼠め。(退場。)
 イェリェーナ(玄関から帰って来て、窓から外を見る。)行ってしまった・・・

     第 二 場
(テーブルに夕食の用意、(食器類が置かれて、)がしてある。)
 イェリェーナ(同じ一節を繰り返し弾いて歌う。)行ってしまった・・・ああ、行ってしまった・・・
 シェルヴィーンスキー(突然敷居のところに登場。)誰なんです? 行ったのは。
 イェリェーナ あ、びっくりした! 駄目ですよ、シェルヴィーンスキーさん。脅かしたりして。ベルも鳴らさないで、どうして入って来られたの?
 シェルヴィーンスキー 開いてましたからね、玄関が。すっかり開けっぱなし。ご機嫌如何ですか、イェリェーナ・ヴァスィーリイェヴナ。(紙の包から巨大な花束を取り出す。)
 イェリェーナ こんなことはなさらないでって、何度も申し上げた筈ですわ、シェルヴィーンスキーーさん。お金をただで捨てるようなものじゃありませんか。嫌ですわ。
 シェルヴィーンスキー カール・マルクス曰く、金は使う為に存在するもの也、と。さて、コートを脱ぎましてもよろしうございましょうか?
 イェリェーナ もし私が許さないと言ったら?
 シェルヴィーンスキー コートのまま一晩中お足元にひれ伏して、お願い申し上げる所存にて。
 イェリェーナ まあまあ、お口がお上手ですこと。軍隊仕込みだわ。
 シェルヴィーンスキー いいえ、これは近衛仕込みでして。(玄関でコートを脱ぐ。下には素晴しいロング・ベスト。)いや、お目にかかれて実に幸せです。本当にどれだけ長い間お会い出来なかったことか。
 イェリェーナ あら、私の記憶がおかしくなったのかしら。ゆうべお会いしましたわ。
 シェルヴィーンスキー ああ、イェリェーナ・ヴァスィーリイェヴナ、こんな御時世では、「ゆうべ」なんて、遥か彼方の昔ですよ。で、誰なんです? 「行ってしまった」って。
 イェリェーナ 夫。ヴラヂーミル・ラビェールトヴィッチ。
 シェルヴィーンスキー えっ? だって彼、今日帰って来たばかりの筈では?
 イェリェーナ ええ。それも随分遅くに・・・それからまた、すぐ・・・
 シェルヴィーンスキー どこへです。
 イェリェーナ なんて見事な薔薇!
 シェルヴィーンスキー で、どこへなんです。
 イェリェーナ ベルリン。
 シェルヴィーンスキー ベルリン? 長いんですか? それで。不躾(ぶしつけ)でなければ。
 イェリェーナ およそ二箇月。
 シェルヴィーンスキー 二箇月? おやおやおや・・・これは悲しい。これは悲しい。実に悲しい・・・
 イェリェーナ もう。シェルヴィーンスキーさん。それで五度目ですよ、手にキスは。
 シェルヴィーンスキー いや、悲しい。実に悲しい・・・はっはっは。皆もう来てるんですね? こりゃ万歳だ。はっはっは。
 ニカラーイの声 シェルヴィーンスキーさんだ!
 イェリェーナ 随分嬉しそうですこと。何故?
 シェルヴィーンスキー 私が嬉しい?・・・いや、いや、イェリェーナさん。とてもとても。これは難しくて・・・
 イェリェーナ シェルヴィーンスキーさん。あなた、いけない人よ。
 シェルヴィーンスキー 私が・・・いけない? いえいえ、とんでもない。全くその逆ですよ。いけるんです。いける人。ただ、今は大変困って・・・つまりその、彼は去り、あなたは残る。うん、これはこれは・・・
 イェリェーナ ほら見てご覧なさい。あなたのその声・・・
 シェルヴィーンスキー(ピアノに坐って。)マママ・・・ミーミミ・・・行っちゃった・・・彼は遠くへ行っちゃった・・・彼には決して分からない・・・うん、いい声だ。ここには辻馬車でやって来たんだが、その間中ずっと声の調子が悪くてね。心配したよ。着いてみれば何でもない。いや、実にいい声だ。
 イェリェーナ 楽譜は持っていらした?
 シェルヴィーンスキー それは忘れる訳がない。・・・(歌う。)「おお、輝かしい、清純な女神よ。」
 イェリェーナ ねえ。あなたにはたった一つだけど長所があるわ。それはその声。そしてあなたがなってもいいただ一つの職業、それはオペラ歌手。
 シェルヴィーンスキー そう。僕は、その素材を有している。そうだ、イェリェーナさん。僕はジュミェーリン   カ市で「祝婚詩」を歌ったことがあってね。知ってるよね、あれには高い「ファ」がある。僕はそいつを「ラ」まで持って行ってね。そいつを九節伸ばしたんだ。
 イェリェーナ 何節ですって?
 シェルヴィーンスキー 七節伸ばしたんだ。いや、信じないならそれでもいい。そこに丁度居会わせたのがゲーンドゥリコフ伯爵夫人でね。その「ラ」の音の後はすっかり僕にご執心さ。
 イェリェーナ で、その後は?
 シェルヴィーンスキー 自殺だ。青酸カリで。
 イェリェーナ あーあ、またね。その(嘘つきの)癖、もう癖なんかじゃない、病気よ。皆さーん、シェルヴィーンスキーさんよ。テーブルについて!
(アリェクスェーイ、ストゥッズィーンスキー、ムィシュライェーフスキー、登場。)
 アリェクスェーイ やあ、シェルヴィーンスキー。今晩は。
 シェルヴィーンスキー ああ、ムィシュライェーフスキー大尉、生きていらっしゃいましたか。驚いたな。しかしどうしたんです、そのターバンは。
ムィシュライェーフスキー(頭にタオルを巻いている。)やあ、シェルヴィーンスキー。
 シェルヴィーンスキー(ストゥッズィーンスキーに。)今晩は、大尉殿。
(ラリオースィックとニカラーイ、登場。)
 ムィシュライェーフスキー ああ、紹介しよう。我々の隊の先任将校、ストゥッズィーンスキー大尉。こちらは
ムッシュー・スルジャーンスキー。今風呂に入ってたんだ、二人で。
 ニカラーイ ジトーミルから来た親戚です。
 ストゥッズィーンスキー(シェルヴィーンスキーに。)始めまして。
 ラリオースィック(シェルヴィーンスキーに。)始めまして。どうぞよろしく。
 シェルヴィーンスキー 皇帝警護親衛、近衛騎兵隊員、また、ウクライナ総統陛下副官、陸軍中尉、シェルヴィーンスキーです。
 ラリオースィック ラリオーン・スルジャーンスキーです。お目にかかれて光栄です。
 ムィシュライェーフスキー 名前に騙されちゃ駄目だよ。始めの方は昔の地位だ。前親衛、前近衛、前騎兵・・・
 イェリェーナ 皆さーん、席について下さーい。
 アリェクスェーイ そうそう。坐って。もう十二時に近い。明日の朝は早い起床だぞ。
 シェルヴィーンスキー ご馳走だな、これは。何の記念なんです? この大盤振舞いは。
 ニカラーイ この部隊の最後の食事なんですよ。明日は出動ですから。
 シェルヴィーンスキー ははあ、なるほど。
 ストゥッズィーンスキー 大佐殿、目的地はどこなんでしょう。
 シェルヴィーンスキー そうだ。どこなんです?
 アリェクスェーイ ま、それは任せて。明日だ、明日。さ、リェーナ、皆にすすめて。
(全員、席に着き始める。)
 シェルヴィーンスキー(イェリェーナに。)するとどうやら、「彼は出る、あなたは残る。」そうですね?
 イェリェーナ もうたくさん、シェルヴィーンスキーさん。
 ムィシュライェーフスキー リェーナ、ウオッカは?
 イェリェーナ いえいえいえ!
 ムィシュライェーフスキー じゃ、白ワインだ。
 ストゥッズィーンスキー 大佐殿、一杯。
 アリェクスェーイ 有難う。じゃ、君にも。
 ムィシュライェーフスキー さ、一杯行こう。
 ラリオースィック 僕はウオッカは飲まないんです。
 ムィシュライェーフスキー そりゃ、私だって飲まないよ。だけど一杯だ、一杯。その塩漬鰊(にしん)を食べるんだろう? それじゃウオッカを飲まなきゃ話にならんよ。
 ラリオースィック それはどうも御親切に。
 ムィシュライェーフスキー 私も、それはもう長いことウオッカは飲んでいないんだ。
 シェルヴィーンスキー さあ諸君、イェリェーナ・ヴァスィーリエヴナの健康を祝して乾杯だ。ウラー!
 ストゥッズィーンスキー、ラリオースィックとムィシュライェーフスキー ウラー!
 イェリェーナ みなさーん、静かにして。どうか。町中の人が目を覚ましてしまうわ。それに噂がたっているの、ここでは毎晩宴会だって。
 ムィシュライェーフスキー 宴会、結構。ウオッカ、結構。そうだろう? な?
 ラリオースィック ええ、結構。ウオッカ、結構。
 ムィシュライェーフスキー 大佐殿、どうか、もう一杯。
 アリェクスェーイ ほどほどにするんだ、ヴィークトル、明日は出動だぞ。
 ニカラーイ 出動! 大丈夫、大丈夫。
 イェリェーナ(シェルヴィーンスキーに。)総統はどんな具合なの?
 ストゥッズィーンスキー そうそう、総統はどうしているんです?
 シェルヴィーンスキー 順調。申し分なし。ゆうべの宮殿でのあの夕食!・・・二百名の出席者に、七面鳥の料理!・・・総統は民族衣装だったなあ・・・
 イェリェーナ でもドイツ軍はこちらのことを放りなげて、出て行くっていう噂が・・・
 シェルヴィーンスキー そんな噂は信じないことですよ、イェリェーナ・ヴァスィーリエヴナ。
 ラリオースィック どうかもう・・・僕はこれでいっぱいなんです、ムィシュライェーフスキー大尉殿。本当に僕、ウオッカは飲めないんですから。
 ムィシュライェーフスキー(杯を上げて。)敵にうしろを見せるのか、おお、ラリオーン!
 シェルヴィーンスキーとニカラーイ(杯を上げて。)おお、ラリオーン、さあ、行こう!
 ラリオースィック 有難うございます。感謝致します。
 アリェクスェーイ おい、ニコール、ウオッカのやりすぎは駄目だぞ。
 ニカラーイ 畏まりました、大佐殿。小生、ワインに致します。
 ラリオースィック その、一息に飲み干してしまうの、すごいですね、ムィシュライェーフスキーさん。
 ムィシュライェーフスキー 修練の賜(たまもの)でね。
 アリェクスェーイ(皿が回されて来て。)有難う、大尉。サラダは?
 ストゥッズィーンスキー 有難うございます。感謝致します。(訳註 ラリオースィックの真似。)
 ムィシュライェーフスキー ああ、素敵なリェーナ、可愛いリェーナ。さ、ワインを飲んで。そんなに塞いでいちゃ駄目。赤毛のリェーナちゃん。さあ、ぐっと。そして忘れるんだ。最後はみんなうまく行くんだ。
 シェルヴィーンスキー そう。最後はすべてね。
 ムィシュライェーフスキー 駄目駄目、リェーナ、それじゃ。キューっと一息に。
 ニカラーイ (ギターを持って来て、歌う。)
   さあ、グラスは誰に?
   幸運は誰に?
 全員(歌う。)
   リェーナに当たり!
   リェーノチカ、飲み干して!
   リェーノチカ、飲み干して!
(イェリェーナ、飲む。)
 全員 ブラーヴァ!
(全員拍手。)
 ムィシュライェーフスキー リェーナ、今日は素敵だ。なんて奇麗なんだ。部屋着も似合うよ。なあみんな、見てくれ。なんて素敵な部屋着なんだ。緑色で・・・
 イェリェーナ 部屋着じゃないわ、ヴィークトル。これはワンピース。それに緑じゃないの。グレイよ。
 ムィシュライェーフスキー ホイホイ。これは失礼。しかし同じようなもんさ。なあみんな。見てくれ。なんて素敵な イェリェーナ・ヴァスィーリエヴナ!
 ストゥッズィーンスキー そうだそうだ。イェリェーナ・ヴァスィーリエヴナに乾杯!
 ムィシュライェーフスキー 可愛いリェーナ、素敵なリェーナ。私の特権だ。さあ、ぐっと抱きしめさせて。キスさせて。
 シェルヴィーンスキー おいおい、ヴィークトル! ヴィークトル!
 ムィシュライェーフスキー 何をするんだ、レアニード。手を引っ込めろ。既婚の女性なんだぞ。さあ、引っ込めるんだ。
 シェルヴィーンスキー いや、それはどうですかな。
 ムィシュライェーフスキー 私には特権がある。何しろ、子供の時からの友人なんだからな。
 シェルヴィーンスキー 狡い人だ。子供の時からですって? 冗談じゃない。
 ニカラーイ(立ち上がって。)みなさん、この部隊の隊長に乾杯しましょう。
(ストゥッズィーンスキー、シェルヴィーンスキー、ムィシュライェーフスキー、立ち上がる。)
 ラリオースィック ウラー! 失礼。僕、軍人じゃなかった。
 ムィシュライェーフスキー いやいや、君だって当然乾杯の権利はあるさ。
 ラリオースィック ああ、素敵な素敵なイェリェーナ・ヴァスィーリエヴナ。僕は何て幸せなんだろう、ここで。
 イェリェーナ 喜んで貰えて嬉しいわ、ラリオースィック。
 ラリオースィック ああ、素敵な素敵なアリェクスェーイ・ヴァスィーリエヴィッチ。僕はここで何て幸せなんでしょう。
 アリェクスェーイ 有難う。喜んでくれて嬉しいよ。
 ラリオースィック みなさん、クリーム色のあのカーテン・・・あのカーテンのこちら側では、心からのんびりしてしまう・・・内戦のこの恐ろしさ、そんなものは忘れてしまう・・・だって、我々の傷ついた魂は、あんなにも静けさを求めているではないか。
 ムィシュライェーフスキー おお、ラリオーン君、君は詩を作るのか。
 ラリオースィック えっ? ああ、作ります。
 ムィシュライェーフスキー そうかそうか。遮(さえぎ)って失礼した。続けてくれたまえ。
 ラリオースィック はい・・・クリーム色のあのカーテン・・・それは我々と残りの世界全体を区切っているのだ・・・そうだ、僕は軍人じゃないんだ。・・・いいや。さ、もう一杯注いで下さい。
 ムィシュライェーフスキー ブラーヴァ、ラリオーン。悪い奴だ。見てみろ。飲めないなんて言って、飲めるじゃないか。ラリオーン、お前はいい奴だ。今の大演説は聞き惚れたぞ。履き慣れた古い長靴だ、まるで。
 ラリオースィック 誉め言葉はいいんです、ムィシュライェーフスキーさん。僕は自分の演説がどんなものか知ってるんです。何度もやりましたから。父の知り合いが家に来た時でした、ジトーミルの税務所の人達だったんですが、僕の演説を聞いて・・・怒鳴り散らしましたから。
 ムィシュライェーフスキー 税務所の? あいつら、どうせけだものじゃないか。
 シェルヴィーンスキー さあ、イェリェーナ、飲んだり、飲んだり。
 イェリェーナ 私を酔っぱらわせようっていうのね。嫌な人!
 ニカラーイ(ピアノに坐って、歌う。)
   神のお気に入り、魔法使いよ、教えてくれ。
   僕の運命はどうなっているのか。
   もうすぐなのか、僕が倒れ、墓に土を蒔かれ、
   敵を喜ばせるようになるのは。
 ラリオースィック(歌う。)
   違うぞ、勝利だ、さあ、音楽だ。
 全員(歌う。)
   響け、勝利の歌。敵は逃げて、逃げて、逃げて行く。
   そうだ、・・・
 ラリオースィック ツァーのために。
 アリェクスェーイ おいおい、そいつは・・・
 全員(歌詞なしで歌う。)
   ・・・・・・・・・・
   ・・・・・・・・・・
   さあ、かちどきだ。
   ウラー、ウラー、ウラー!
 ニカラーイ(歌う。)
   暗い、暗い、森の奥から、彼を出迎えて・・・
   (全員、歌う。)
 ラリオースィック イェリェーナさん、なんてここは楽しいんだ! さあ、撃て! どんどん撃て!・・・ウラー!
 シェルヴィーンスキー 諸君! ウクライナ総統陛下に乾杯だ。ウラー!
(間。)
 ストゥッズィーンスキー 悪いが、シェルヴィーンスキー。明日私は戦いには出る。しかし、その乾杯にはつきあえない。それに他の将校達にも、今の乾杯は勧めない。
 シェルヴィーンスキー それはどういうことですか、大尉殿!
 ラリオースィック 急に変な雲行きになっちゃったなあ。
 ムィシュライェーフスキー(酔っぱらって。)こちとら、総統のおかげで足は凍傷よ。(飲む。)
 ストゥッズィーンスキー トゥルビーン大佐、大佐殿はどうでありますか。
 アリェクスェーイ いや、今の乾杯は失礼する。
 シェルヴィーンスキー 大佐殿。ではやり直しの乾杯を、私が・・・
 ストゥッズィーンスキー いや。今度は私にやらせてほしい。
 ラリオースィック いや、僕にやらせて! イェリェーナさんに乾杯! そしてその夫、ベルリンに派遣されている大佐殿に!
 ムィシュライェーフスキー いや、やったぞ、ラリオーン。この時点でそれ以上の乾杯は難しい。
 ニカラーイ(歌う。)
   僕のことを恐れずに、
   みんな本当のことを言ってくれ・・・
 ラリオースィック ご免なさい、イェリェーナさん。僕、軍人でも何でもないのに・・・
 イェリェーナ いいのよ、ラリオーン。あなたっていい人ね。気持ちのいい人。さあ、こちらへいらっしゃい。
 ラリオースィック イェリェーナさん。(近寄る時に赤ワインをこぼしてしまう。)あっ、ワインを!
 ニカラーイ 塩を、塩を! 大丈夫だよ。塩をまいておけば。
 ストゥッズィーンスキー(シェルヴィーンスキーに。)さっきの総統のことなんだが・・・
 アリェクスェーイ ちょっと聞いてくれ、諸君・・・全くこの成り行きは何なのだ。総統は我々の行動をすべて茶番扱いにしているのか。あんなウクライナ化運動などにうつつを抜かして。もしその代わりに、志願兵を募り、部隊を逸(いち)早く形成していたら、今この時、ピェトゥリューラなど影も現わしてはいなかったろうに。いや、ピェトゥリューラどころか、モスクワにいるボリシェヴィキーの奴等だって、叩き潰していた筈だ、蝿のように! ところで今はどうだ。モスクワでは人々は飢えて鼠を食っている。何がウクライナ総統だ。卑劣漢め! 貴様の手でロシアを救えたのだ!
 シェルヴィーンスキー ドイツの奴等は我々の軍隊を怖がっている。そんなことなら軍隊を作らせないよう邪魔でもすればよかったんだ。
 アリェクスェーイ 失礼ながら、それは違う。連中には、我々が彼等にとって危険な存在ではないことを説明しさえすればよかったのだ。(こんな事態なら)勿論! 戦争は負けだ! しかし、今では戦争より怖いもの、ドイツ軍より、いや、世界中でこれより怖いものはないというものが現われたのだ。ボリシェヴィキーだ。ドイツは我々に言うべきだったんだ、「何が欲しいって? パン? 砂糖? いくらでもどうぞ。食うんだ、腹一杯。ただ我々ドイツを助けて欲しい。農民がモスクワの病気に罹らないように。」(そう言うべきだったんだ。)今じゃもう遅い。我々の将校は喫茶店の常連に成り下がったんだ。あけても暮れてもコーヒー、コーヒー、コーヒー軍隊だ。そんな奴らを戦いに引っ張って行ってみろ。さぞかし目覚ましい働きをするだろうよ。ポケットに金を膨らませて、キエフのハニカ街の喫茶店でのうのうとコーヒーだ。将校がこうだ。それにもって来て、参謀本部の連中がまた酷い。単なる有象無象だ。よかろう。大変結構! そいつらが命令した。トゥルビーン大佐、出発だ。ピェトゥリューラが来る!「ハッ、了解!」私は昨日その部隊を見て来た。正直なところ、私は生まれて初めて分かった。心臓が凍るとはどういうことか。
 ムィシュライェーフスキー 大佐殿! トゥルビーン大佐! 何を仰っているんです。大佐には砲兵魂がおありなんです。さあ、俺は大佐に乾杯だ!
 アリェクスェーイ いや、心臓が凍ったんだ。百人の士官候補生、それに百二十人の学生達。見れば連中は鉄砲の持ち方さえ知らない。シャベルでも掴んでいる格好だ。そして昨日のあの練兵場・・・雪が降っていた。霧が重く垂れ込めていた・・・私にはそこが墓場に見えたのだ・・・
 イェリェーナ アリョーシャ、何てことを仰るの。そんな、縁起でもない。お止めなさい!
 ニカラーイ そんなに塞ぎ込まないで、兄さん! 指揮官殿! 僕等、見事に戦ってみせるよ。
 アリェクスェーイ 私は今こうして諸君と一緒に坐っている。その間にも、一つの考えが頭にこびりついて離れないのだ。ああ、事の成り行きがもう少し早く分かっていたら!と。あのピェトゥリューラの正体は一体何か。あんなものは霞だ。単なるこけ脅し、実体など何もありはしない。ほら、窓の外を見て。何かあるか? ただ吹雪だ、ただ影、影、影だ。・・・このロシアには今、二つの勢力しかない。ボリシェヴィキーと我々白衛軍、この二つだ。早晩この二つは正面衝突だ。今からでも見えるようだ。その陰惨な日が。今、この時点でもう・・・まあいい。どうせ我々はピェトゥリューラを食い止めることは出来ない。しかし連中だって長く留まってはいられない。すぐ後にボリシェヴィキーが控えているのだ。だから行くんだ、私は。明日! 駄目なことは分かっている。ああ、やるしかないのか。しかし一旦顔を突き合わせたとなれば、陽気にドンパチやるだけだ。こちらが相手を叩き潰すか、それとも、あっちがこっちを。この方が可能性が高いかな? まあいい。さあ、諸君、この敵との出会いに、私は乾杯だ!
 ラリオースィック(ピアノに坐って、歌う。)
   開戦は間近だ
   約束も演説も
   世の中のことすべて
   どうともなれ
 ニカラーイ いいぞ、ラリオーン(歌う。)
   開戦は間近だ
   約束も演説も・・・
(全員歌う。少しバラバラに。ラリオースィック、突然声を上げて泣き始める。)
 イェリェーナ どうしたの、ラリオースィック。
 ニカラーイ ラリオーン!
 ムィシュライェーフスキー どうしたんだ、ラリオーン。誰が苛めたんだ。
 ラリオースィック(酔っ払って。)僕、驚いちゃった。
 ムィシュライェーフスキー 驚いた? 誰が脅したんだ。ボリシェヴィキーか? よし、俺様が今、目にもの見せてくれる。(モーゼルを取り出す。)
 イェリェーナ ヴィークトル、何をやってらっしゃるの。
 ムィシュライェーフスキー 奴等をぶち殺してくれる。貴様等の誰がボリシェヴィキーなんだ。あ?
 シェルヴィーンスキー 気をつけて、みんな。弾が入ってるぞ、あれには。
 ストゥッズィーンスキー 大尉! ムィシュライェーフスキー! さ、坐れ。今すぐだ。
 イェリェーナ さあ、取って。銃を。あの人から。
(イェリェーナ、モーゼルを取り上げる。ラリオースィック退場。)
 アリェクスェーイ どうしたんだ、ヴィークトル。気が狂ったか。坐れ。坐るんだ! 諸君、私が悪かった。
 ムィシュライェーフスキー どうやら俺様はボリシェヴィキーの手に落ちたらしいな。フン、それもよかろう。これはこれは同志諸兄! 赤軍将校連の健康を祝して乾杯だ! 連中は気のいい奴らだ。
 イェリェーナ ヴィークトル! もう飲むのはお止めなさい。
 ムィシュライェーフスキー お、女将校殿か。黙らっしゃい!
 シェルヴィーンスキー こいつは酷い。なんていう酔い方だ。
 アリェクスェーイ ああ、これは私が悪かった。私が言ったことは、諸君、みんな忘れてくれ。私は神経がちょっとどうかしていたんだ。
 ストゥッズィーンスキー そんなことはありません、大佐殿。今のお話、よく分かります。全く同感です。信じて下さい。さあ、ロシア皇帝万歳! 守り抜くんだ、皇帝を。万歳!
 ニカラーイ ロシア、万歳!
 シェルヴィーンスキー 一言私に! アリェクスェーイ、あなたは私の言っていることが分かっていないんです。総統はあなたの言っていた通りにします、きっと。我々がピェトゥリューラを追っ払う。ドイツ連合軍と我々とでボリシェヴィキーを蹴散らす。その後で総統はこのウクライナをロシア帝国皇帝ニカラーイ二世陛下に捧げるつもりで・・・
 ムィシュライェーフスキー ニカラーイ二世? そんなものどこにいるんだ。「俺はいかれちゃった・・・」と言ったとか言う話だぞ。
 ニカラーイ 皇帝は殺されたんだ・・・
 シェルヴィーンスキー 諸君! 皇帝が崩御されたという噂は・・・
 ムィシュライェーフスキー ・・・単なる噂。皇帝おっちぬわけがない、と・・・
 ストゥッズィーンスキー ヴィークトル! 何だそれは。いやしくも将校だぞ、お前は。
 イェリェーナ シェルヴィーンスキーさんに最後まで話させて、皆さん!
 シェルヴィーンスキー 崩御の噂は、ボリシェヴィキーのでっち上げです。ドイツ皇帝、ウィルヘルム二世の宮殿で何が起ったかお話しましょう。我々の同僚、ウクライナ総統の副官が立ち会っていて、私は一部始終を聞いたのです。カイザーが言いました、「それから先の将来については・・・」と、ここまで話した時、さっとしきりのカーテンが開き、我らがニカラーイ二世がお出ましになったのです。
(ラリオースィック登場。)
 シェルヴィーンスキー 皇帝は仰った。「将官諸君、ウクライナに出動を頼む。直ちに戦闘準備を。時期が来れば必ず朕自ら、諸君をロシアの心臓モスクワへ呼び戻す。」と言って、ハラハラと涙を落とされた。
 ストゥッズィーンスキー 撃たれて死んでいるんだ、皇帝は!
 イェリェーナ シェルヴィーンスキーさん、嘘なんでしょう? それ。
 シェルヴィーンスキー そんな! イェリェーナ・ヴァスィーリイェヴナ!
 アリェクスェーイ 今のはどこかで作られた話だ! 私も前に聞いたことがある。そうだな? 中尉!
 ニカラーイ 作り話でも何でもいいや。死んだなら死んだで構いはしない。皇帝万歳!ウラー! さあ、国歌だ。シェルヴィーンスキーさん、国歌を!(歌う。)
   神よ、陛下を守りたまえ
 シェルヴィーンスキー、ストゥッズィーンスキーと、ムィシュライェーフスキー
   神よ、陛下を守りたまえ
 ラリオースィック(歌う。)
   強く、陛下の実権そのままに
 ニカラーイ、ストゥッズィーンスキー、とシェルヴィーンスキー
   栄(は)えある我が陛下・・・
 イェリェーナ どうしたんです、皆さん。お止めになって!
 アリェクスェーイ(右の台詞と同時に。)どうしたんだ、諸君。止めるんだ!
 ムィシュライェーフスキー(泣き出す。)アリョーシャ、あれが一体民衆なんだろうか。あれはごろつきっていうものじゃないのか。プロフェッショナルの皇帝殺しの国だ。ピョートル三世・・・あの方は民衆に何をした。何をしたって言うんだ。民衆は怒鳴った、「戦争はもう止めだ。」いいだろう。・・・皇帝の方は戦争を止めた。そしたらどうだ。戦いを仕掛けたのは皇帝直属の宮廷人だ。そいつがワインの瓶で皇帝を殴り殺した。・・・それから次にシガレットケースで皇帝を殴り殺した貴族がいた。あの皇帝、パーヴェル・ピェトゥローヴィッチを・・・それからまだある。名前は忘れた。何だったかな。頬髭をはやした、優しい・・・農奴が可愛そうだと思われて、解放してやろうと・・・そしたら農奴の奴等・・・あいつらこそ悪魔だ。皇帝に爆弾を投げつけやがって・・・あいつらこそ叩きのめしてやる必要があるんだ。やくざな奴等め! アリョーシャ! ああ、胸が苦しい。吐きそうだ・・・
 イェリェーナ 吐きそうだわ、ムィシュライェーフスキーさん。
 ニカラーイ 大尉さん、吐きそう。
 アリェクスェーイ さ、風呂場に連れて行って。
(ストゥッズィーンスキー、ニカラーイ、とアリェクスェーイ、三人がムィシュライェーフスキーを抱き起こして運び去る。)
 イェリェーナ あの人大丈夫かしら。私も見て来る。
 シェルヴィーンスキー(扉を塞いで。)そんなのいいんだよ、リェーナ。
 イェリェーナ ああ、男の人達ったら。あんなこと、どうしてするのかしら・・・滅茶苦茶。煙草は吸い放題・・・あ、ラリオースィック! ラリオースィック!
 シェルヴィーンスキー さあさあ、リェーナ。起こすなんて無駄だよ。
 イェリェーナ 私も飲みすぎ。あなたのせいよ。ああ、足もフラフラ。
 シェルヴィーンスキー さあ、こっちへ。ここへ。・・・隣に坐って・・・いいかな?
 イェリェーナ どうぞ・・・シェルヴィーンスキーさん、私達どうなるのかしら。見るのはいつも恐ろしい夢。それに日に日に事態は悪くなるばかり・・・
 シェルヴィーンスキー イェリェーナ・ヴァスィーリイェヴナ! 大丈夫。よくなりますって。終わりにはすっかり良く。夢なんか信じちゃ駄目ですよ。
 イェリェーナ だって、だって、私の夢・・・夢じゃない・・・いつもあたるの。私達みんなが船に乗ってアメリカに渡っているところ。そして大嵐。風が吹いて、寒くて、寒くて。それに波。そして全員船底にいるの。水が入ってきて、膝の辺りまで上がってくる。水を避けて棚によじ登るの。すると今度は鼠。気味の悪い、大きな、大きな鼠。あんまり怖かったので私、そこで目が覚めたの。
 シェルヴィーンスキー ねえ、リェーナ。あいつ、帰っては来ないよ。
 イェリェーナ あいつ? 誰のこと?
 シェルヴィーンスキー 君の夫だよ。ターリベルク。
 イェリェーナ シェルヴィーンスキーさん。何ですの、その話。失礼ですわ。あの人が帰ろうと、帰るまいと、あなたに何の関係もないでしょう?
 シェルヴィーンスキー それが大ありなんですよ。僕はね、イェリェーナさん、あなたを愛しているんですからね。
 イェリェーナ それはもう何度も伺ってますわ。お上手なことは分かっていますの。
 シェルヴィーンスキー 上手じゃないんだ。本気なんだ。本気で愛しているんだ。
 イェリェーナ 分かりました。じゃ、ご自分だけにとどめてお置きになって。
 シェルヴィーンスキー とどめてお置きになるのに、もう飽きちゃったんだ。
 イェリェーナ 待って。ちょっと待って頂戴。私、夢で鼠のところまでお話したわ。どうしてそれから急に夫の話になるの?
 シェルヴィーンスキー いや、似てるもんですからね、鼠に。
 イェリェーナ 夫が? まあ、なんて酷い、リェアニード! 似てなんかいないわ、ちっとも。
 シェルヴィーンスキー いや、そっくりだ。あの鼻眼鏡、尖った鼻。まるで鼠だ。
 イェリェーナ まあま。非のうちどころのない立派なお行儀ね。その人のいないところで悪口を言う。おまけにそれをその妻に!
 シェルヴィーンスキー 妻? あなたはあいつの妻なんかじゃありませんよ。
 イェリェーナ どういうこと? それ。
 シェルヴィーンスキー ご自分の顔をよく鏡で見てみるんです。あなたは美人だ。賢い。それに、深い教養がある。あらゆる点から、申し分のない女性だ。ピアノの伴奏だって出来る。それに引き替え、あいつと来たら、齷齪(あくせく)、齷齪、自分の昇進だけを追う俗物。それがあいつなんだ。
 イェリェーナ (シェルヴィーンスキーの口を押さえて。)欠席裁判。言い放題ね。いい気なもの。
 シェルヴィーンスキー とんでもない。いる所でだって言ってみせますよ。もう前からやってみたかったんだ。言って決闘に誘う。あなたはあいつと一緒で不幸せなんだ。
 イェリェーナ 誰と一緒だったら幸せなの?
 シェルヴィーンスキー 僕と。
 イェリェーナ 駄目ね。
 シェルヴィーンスキー へえー。何故?
 イェリェーナ 何故って・・・あなたに何かいいところあるかしら。
 シェルヴィーンスキー さ、僕をよく見て。
 イェリェーナ 颯爽とした総統付副官殿ね。それに声がいい。でもそれだけの人。
 シェルヴィーンスキー そうだと思っていた。何て不幸なんだ、この僕は。誰もみんな同じことしか言いやしない。シェルヴィーンスキー、あいつは副官だ。シェルヴィーンスキー、あいつは声がいい。他に言うことがある筈じゃないか。シェルヴィーンスキー、あいつには男気(おとこぎ)ってものがある。どうしてそう来ないんだ。シェルヴィーンスキー、あいつは犬だ。宿なしの。可愛そうに、シェルヴィーンスキー。あいつには頭を休めるべき優しい胸なんてどこにもないんだ。(と、頭をイェリェーナの胸に近づける。)
 イェリェーナ(シェルヴィーンスキーの頭を押しやって。)あらあら、ドンファンさん。もうちゃんと分かってるんですからね。あなたの武勇伝。その台詞、誰にでも仰るのね。背の高い、あの女の人。ほら、真っ赤な口紅の・・・
 シェルヴィーンスキー あいつは背なんか高くないよ。(それに武勇伝なんかじゃない。)あれは歌手だよ。メゾソプラノなんだ。酷いですよ、イェリェーナ・ヴァスィーリイェヴナ、僕が今の台詞をあいつに言ったなんて。それはちょっと意地悪です。リェーナさんともあろう人が、そんな意地悪な。ねえ、リェーナ。
 イェリェーナ 止めて下さい、リェーナは。馴れ馴れしい!
 シェルヴィーンスキー じゃ、イェリェーナ・ヴァスィーリエヴナ。それは意地悪ですよ。ああ、イェリェーナさん、本当に僕に何の感情もないんですか? 全くのゼロなんですか?
 イェリェーナ 残念なことだけど、私、あなたのこと、気に入っているの。
 シェルヴィーンスキー ああ、気に入って下さっている。で、自分の夫のことは愛していない。
 イェリェーナ いいえ。愛しています。
 シェルヴィーンスキー リェーナ、嘘は駄目だ。夫を愛している女性の目ってのは、そんな目じゃないんだ。女性の目はよく観察していますからね、僕は。すべてを語っているんです、女性の目っていうのは。
 イェリェーナ そうでしょうとも。その道の通でいらっしゃるんですものね。
 シェルヴィーンスキー ああ、さっさと逃げて行くなんて。
 イェリェーナ あなただって同(おんな)じでしょう? あの立場だったら。
 シェルヴィーンスキー 僕が? とんでもない。あんな破廉恥な行為! さ、白状なさい。夫は愛していません、と。
 イェリェーナ いいわ。愛していません。それに尊敬も。尊敬もしていないわ。これでご満足? でもだからと言ってそこから何も出てきはしないわ。さ、手をどけて頂戴。
 シェルヴィーンスキー じゃ、どうして僕とキスしたんですか、あの時。
 イェリェーナ 嘘だわ。キスなんかあなたとしたことありません。嘘つき! 制服を着た嘘つきさんだわ。
 シェルヴィーンスキー 僕が嘘つき?・・・あなたは伴奏をしてくれていた。僕は「ああ、全能の神よ」を歌っていた。僕ら二人だけだった。日付もちゃんと覚えている。十一月八日だった。僕らは二人だけだった。君は僕の唇にキスしてくれた。
 イェリェーナ いいえ。声よ。あなたの声にキスしたの。お分かり? 声にだったの。母親が子供にするキス。だって、それは素敵な声だったんですもの。それだけよ。
 シェルヴィーンスキー それだけ?
 イェリェーナ あーあ、厭だわ、本当に。これ見て頂戴。お皿は汚れっぱなし。みんなは酔っ払う。ターリベルクはどこかへ行ってしまうし。それにあの電気。目が痛い・・・
 シェルヴィーンスキー あ、あれは消そう。(上から来る灯りを消す。)これでいいでしょう? ねえ、リェーナ、僕は君が大好きなんだ。愛してるんだ。僕は諦めないよ、決して。君は僕の妻になるんだ。
 イェリェーナ あなたって蛇よ。蛇。私に付きまとって・・・
 シェルヴィーンスキー 蛇? そんな・・・
 イェリェーナ 付きまとって、どんな機会も逃さないの。そして誘い込もうとする。駄目よ、そんなことをしても何にもならないの。あの人がどんな人だって、私、自分の人生を滅茶滅茶にするようなことは決してしない。あなただって、あの人よりずっと酷い人かも知れない。
 シェルヴィーンスキー ああ、リェーナ。なんて素晴しい人なんだ、あなたは。
 イェリェーナ 行って! 私、酔ってるの。酔わせたのはあなたよ。態とよ、それも。あなたって名うての女たらし。ああ、私達の生活は壊れて行く。みんな駄目になるわ。崩壊よ。
 シェルヴィーンスキー イェリェーナ、怖がらないで。僕はね、僕はこんな時に決して逃げて行くようなことはしない。ずっと君のそばにいる。離れたりするもんか。ねえ、リェーナ。
 イェリェーナ 手をどけて。私、ターリベルクの名を汚したくないの。
 シェルヴィーンスキー ターリベルク。そんな名は捨ててしまうんだ。そして、僕のところへ来るんだ・・・リェーナ!
(二人、キス。)
 シェルヴィーンスキー 離婚してくれるね?
 イェリェーナ ああ、もうどうなってもいいわ!
(二人、キス。)
 ラリオースィック(突然。)キスは止めて。僕、もどしそう。
 イェリェーナ 離して! ああ、私・・・(走り退場。)
 ラリオースィック おお!
 シェルヴィーンスキー いいか、ラリオーン。君は何も見ていないんだぞ!
 ラリオースィック(ぼんやりと。)いいや。見えちゃった。
 シェルヴィーンスキー 何が。何が見えた。
 ラリオースィック キングがある時には、キングから出せ。クイーンを出すもんじゃない。クイーンはいかん・・・ああ(吐きそう・・・)
 シェルヴィーンスキー 君とブリッジはしないぞ、私は。
 ラリオースィック いいえ。ちゃんとやりました。
 シェルヴィーンスキー やれやれ、何ていう酔い方だ。
 ラリオースィック 僕が死ぬ時、ママは何て言うだろう。楽しみだな。僕は言ったんだ、「僕、軍人じゃありません」って。「僕、ウオッカは飲めないんですから」って。
(ラリオースィック、シェルヴィーンスキーの胸に倒れる。)
 シェルヴィーンスキー 酷いな、この酔い方は。
(オルゴール時計が三時を打ち、メヌエットが鳴る。)

     第 二 幕
     第 一 場
(ウクライナ総統の宮殿の中の、総統執務室。巨大な執務机。その上に電話が四、五台。それとは別に離れたテーブルの上に前線から直通の電話。壁に額縁入りの大きな地図。夜。電気が明々とついている。)
(扉が開く。従僕がシェルヴィーンスキーを部屋に導き入れる。)
 シェルヴィーンスキー やあ、どうだ、フョードル。
 従僕 はっ、今晩は、中尉殿。
 シェルヴィーンスキー 何だ? 誰もいないのか? 電話の当直はどうした。副官の誰かがあたっている筈だぞ。
 従僕 はっ。ナヴァジーリツェフ公爵閣下です。
 シェルヴィーンスキー どうしたんだ、奴は。
 従僕 はあ、私にはちょっと分かりかねます。一時間半前にここを出られました。
 シェルヴィーンスキー 何だと? すると一時間半、電話は当直なしで放って置かれたのか?
 従僕 ええ、まあ。電話はその間鳴りませんでした。私はずっと扉の傍に立っておりましたから・・・
 シェルヴィーンスキー 鳴らなきゃいいとでも思っているのか! 鳴ったら一体どうするんだ。こんな危急の時に! 糞ったれもいいところだな、これは。
 従僕 伝言簿に書き留めておいたろうと思います。そうしろとのナヴァジーリツェフ公爵閣下のご命令で。あなた様がいらっしゃるまで。
 シェルヴィーンスキー 書きとめておく? お前がか? あの野郎、気でも狂ったか。あ、そうかそうか、急に病気になったんだな?
 従僕 いえ、病気とも違います。(医務室にはいらっしゃらず、)宮殿から御出立になられました。
 シェルヴィーンスキー 何だって? 宮殿から出てしまった? 冗談なんだな? これは、フョードル。当直をさぼって宮殿から出て行く・・・つまりそれは精神病院に行ったということじゃないか。
 従僕 はっ、それはどうですか。ただ公爵殿は、歯ブラシとタオルと石鹸を、副官の部屋から持って来られましたので、私は新聞をお出し致しました。
 シェルヴィーンスキー 新聞? 何の。
 従僕 昨日の新聞なんです、中尉殿。それで石鹸を包まれました。
 シェルヴィーンスキー 待てよ、あいつの剣だ。剣が残っているぞ!
 従僕 はい。平服で出ていらっしゃいましたから。
 シェルヴィーンスキー 俺の頭がおかしくなったか、それとも、貴様の方か。どっちかだな。少なくとも私に置き手紙ぐらいは残して行っただろうな。それとも伝言を。
 従僕 御伝言です。ご機嫌よろしく、と。
 シェルヴィーンスキー 下がってよい、フョードル。
 従僕 畏まりました。ところで副官殿、当方の勝手でご報告申し上げたいことが・・・もし、お許し頂ければ。
 シェルヴィーンスキー 何だ。言ってみろ。
 従僕 公爵様は何かあまり愉快でない知らせをお受け取りになりましたご様子で・・・
 シェルヴィーンスキー 愉快でない? どこからだ。自宅からか?
 従僕 いいえ。あちらの前線からの電話でして。それからなのです。酷くお急ぎなさいましたのは。お顔がさっとお変わりになって・・・
 シェルヴィーンスキー 顔の変化はお前の報告に必要ない筈だぞ、フョードル。相手は副官だ。その分だけ余計だぞ。
 従僕 はっ。失礼致しました、中尉殿。
(従僕退場。)
 シェルヴィーンスキー(執務机の上の電話を取る。)一二ー二三を頼む。・・・そうだ。・・・あ、ナヴァジーリツェフ公爵のお宅ですか。・・・ご主人をお願いします。・・・え? 宮殿にいる? いないよ。私は宮殿からかけてるんだ。・・・ちょっと待て、ナヴァジーリツェフ。声で分かるんだ。おい、スェリョージャ・・・おい、ちょっと・・・
(電話が切られる音。)
 シェルヴィーンスキー 何だ、失敬な。本人じゃないか。(間。)あの野郎、俺の声と分かって切りやがったな。(間。)(電話をガタガタ押しながら。)おい、シェルヴィーンスキーだ、こちらは。おい・・・。(前線直通電話へ行き、受話器を取り上げる。)スヴャトーシュナ部隊か。部隊長を頼む。・・・何? いないだと! それなら副部隊長だ。・・・スヴャトーシュナ部隊か。こちら・・・何だ、これは!・・・(椅子に坐る。呼び鈴を押す。)
(従僕登場。)
 シェルヴィーンスキー(伝言を書いて。)フョードル、これを至急伝令に渡してくれ。私のアパートに行って、これを見せること。あちらでは、包みを渡してくれる筈だ。それをまた至急こちらに運ぶ。さ、辻馬車代の二ルーブリだ。それから、宮殿へ帰って来る時の許可証がこれだ。
 従僕 畏まりました。(退場。)
 シェルヴィーンスキー(考えながら、もみあげをさする。)糞っ、何がどうなってるんだ、一体。
(執務机の電話が鳴る。)
 シェルヴィーンスキー はい。・・・はっ。総統付副官、シェルヴィーンスキー中尉。・・・はっ。聞こえます、大将殿。・・・何ですって?(間。)バルバトゥーン?・・・えっ? 司令部ごと?・・・畏まりました。・・・はっ、そのようにお伝えします。・・・はっ、畏まりました、大将殿。・・・総統は夜十二時にはお帰りの筈であります。(電話を切る。)(訳註 六十頁参照。ここで司令部解体を知る。)
(電話の切れる音。間。)
 シェルヴィーンスキー 一巻の終りだぞ、俺は。(口笛を吹く。)
(舞台の裏で、遠くから、「気をつけ」の声が聞こえる。歩哨達の様々な「お帰りなさい、総統陛下」の声が響く。)
 従僕(観音開きの扉を両側に開けて。)総統陛下のお帰り!
(総統登場。豪華なチェルケス風長上衣、暗赤色の乗馬ズホンにコーカサス風の、踵のない、拍車のついていない長靴。元帥を表す光り輝く肩章。短く刈込んだ銀髪の口髭。きれいに剃った頭。四十五歳ぐらい。)
 総統 ああ、中尉。ごくろう。
 シェルヴィーンスキー はっ、ご機嫌うるわしう、陛下。
 総統 来たか。
 シェルヴィーンスキー はっ、失礼ながら、誰のことで。
 総統 誰とは何だ。私は十一時四十五分にここで会議を召集した。ロシア軍司令官と守備隊長、それにドイツ軍代表二人だ。どこにいるんだ、連中は。
 シェルヴィーンスキー 分かりません。誰も来ませんでした。
 総統 いつも遅刻だ。この一時間の状況報告を!・・・早く!
 シェルヴィーンスキー 怖れながら、陛下。ご報告申し上げますが、その、私は今当直に就いたばかりでして。公爵、ナヴァジーリツェフ騎兵少尉が私の前任の当直者で・・・
 総統 シェルヴィーンスキー中尉! 私は君の前でも、また、他の副官達の前でも、言ってきた筈だ。ウクライナでは、ウクライナ語を話すようにとな。実際破廉恥な話だ。私の直属の将校が、誰一人としてこの国の言葉を喋らんとは。ウクライナ現地部隊にどれだけ悪影響を与えるか分からんのか。(ウクライナ語で。)さ、やらんか。(訳註 ウクライナ語はロシア語の方言のような言葉。アクセントとか、シェーをハーに変えるとか、少しの変更により、ウクライナ語になる。次のシェルヴィーンスキーの返事の可笑しさは、彼があてずっぽうに、適当にこの変更をやって、ウクライナ語らしく聞かせようとする点にある。)
 シェルヴィーンスキー(片言のウクライナ語で。)はっ、分かりました、陛下。当直の副官、えーと、(傍白。)畜生、公爵はウクライナ語で何だったか。糞っ!(聞こえる声で。)ナヴァジーリツェフが、この間当直だったのでありますが・・・その・・・私の思いますには・・・思われて・・・思い・・・
 総統 しようがない。ロシア語でやれ!
 シェルヴィーンスキー 畏まりました、陛下。私の前に当直にあったナヴァジーリツェフ公爵は、急病にかかったと思われます。私がここに到着する前にこの場を離れ・・・
 総統 何を言っとるんだ! 持ち場を離れた? 正気か、貴様、それで。狂っとるんじゃないのか。当直から離れる? 義務の放棄だぞ、それは。一体どうなっとるんだ、これは。(電話を取り。)司令部か?・・・すぐ(四、五人の)特別任務隊を組め。・・・声で分かる筈だぞ、私が誰か。任務隊の行く先はナヴァジーリツェフ騎兵少尉。彼を逮捕だ。司令部に引っ立てろ。すぐにだ。
 シェルヴィーンスキー(傍白。)あいつにはいい薬だ。この次には電話の声色(こわいろ)も、もう少しましになってるさ。馬鹿め!
 総統(電話に。)(ウクライナ語で。)今すぐだ!(シェルヴィーンスキーに。)それで伝言はあったんだな?
 シェルヴィーンスキー ありました。但し、伝言用紙には記してありませんでした。
 総統 なんだと? あいつ、ついに狂ったな。よし、今すぐ銃殺刑だ。私が撃ち殺してくれる。胸壁で行う。見せしめだ。お前達全員、それを、見るんだ。さ、司令部に電話しろ。すぐに私のもとに集合だ。同じことを守備隊長と連隊司令官に一人残らず伝えろ。早く!
 シェルヴィーンスキー その前にちょっと、陛下、御報告申し上げねばならないことが。非常に急を要する事柄で。
 総統 何? まだ何かあるというのか。
 シェルヴィーンスキー その司令部でありますが、そこから五分ほど前に私に電話がありました。陛下直属の志願兵部隊の部隊長が突然病気にかかり、司令部要員全員を連れ、ドイツ軍軍用列車でドイツに発ったとのことであります。
(間。)
 総統 貴様、気は確かか? 少し熱があるような目だぞ、それは。どういうことを報告しているのか貴様、分かっているのか? 何が起こったと?(本当なら)破局じゃないか、あ? 全員逃亡? 何故黙っとるんだ。おい!
 シェルヴィーンスキー その通りです、陛下。破局です。昨夜十時、ピェトゥリューラ軍はこちらの都市守備隊の作る前線を突破し、バルバトゥーン率いる騎兵隊がこちらに突進して来ています。
 総統 バルバトゥーン? こちらに? どこにだ。
 シェルヴィーンスキー スラボートゥカ村です。ここから約十八キロメートルの地点。
 総統 ちょっと、ちょっと待ってくれ。・・・いや、待って欲しい。・・・その・・・何だ。つまり、・・・君はその実に立派な将校だ。物事に当たって常にてきぱきと・・・昔からそれに私は気付いていた。いや、言いたいことはつまり、・・・今すぐドイツ軍本部に電話連絡をとって欲しいんだが・・・直ちに代表者に、ここに、私のところに、来て欲しいと。早く! 頼む。お願いだ。
 シェルヴィーンスキー 畏まりました。(電話に。)三番を頼む。Seien Sie bitte so liebenswuerdig, Herrn Major von Dust an den Apparat zu bitten. (すみませんが、フォン・ドゥスト大佐をお願いします。)(扉にノックの音。)
 シェルヴィーンスキー Ja ... Ja ... (はい・・・はい。)
 総統 入れ。
 従僕 ドイツ軍指令部、フォン・シュラット将軍とフォン・ドゥスト大佐がいらっしゃいました。(お会いになりたいとのことで。)
 総統 すぐにお通しして。(シェルヴィーンスキーに。)電話はもういい。
(従僕、フォン・シュラットとフォン・ドゥストを通す。二人とも灰色の制服。シュラットは長い顔。白 髪。ドゥストは赤ら顔。二人とも片眼鏡をかけている。)
 シュラット Wir haben die Ehre, Euer Durchlaucht zu begruessen. (お会いできまして光栄に存じます、陛下。)
総統 Sehr erfreut, Sie zu sehen, meine Herren. Bitte nehmen Sie Platz. (お目にかかれて幸せです。どうぞ、お坐り下さい。)
(二人、坐る。)
 総統 Ich habe eben die Nachricht von der schwierigen Lage unserer Armee erhalten. (丁度今、我々の困難な軍事的立場について報告を受けたところです。)
 シュラット Das ist uns schon laengere Zeit bekannt. (我々はもう以前からその情報は得ていたんですが。)
 総統(シェルヴィーンスキーに。)頼む。この会議の議事録を取っておいてくれ。
 シェルヴィーンスキー ロシア語でいいですか? 陛下。
 総統 失礼だが、ロシア語で話していいかな?
 シュラット(癖のあるロシア語で。)勿論。喜んで。
 総統 つい今しがた入った情報によると、ピェトゥリューラ軍の騎兵隊が当方の都市防衛線を突破した。
(シェルヴィーンスキー、書き取る。)
 総統 これと共に、私はあり得べからざる、非常に不快な情報を、ロシア軍司令部から受け取っている。ロシア軍司令部は破廉恥にも遁走したという情報だ。Das ist ya unerhoert! (こんな話は聞いたことがない。間。)私はドイツ軍代表者諸君の力を借り、ドイツ政府に次の要請を行いたい。・・・ウクライナは現在滅亡の危機に直面している。ピェトゥリューラを首謀者とする反乱軍がわが国を占拠しようとしている。このような事態をその儘ほうっておくということは、この国を無政府状態に晒すことである。従って私は、ドイツ軍司令部に、直ちに救援部隊を派遣し、怒涛の如く攻め込んで来た反乱軍を鎮圧し、このウクライナに再び秩序を回復してくれるよう要請する。ウクライナは、この要請を行うに足る、ドイツの同胞なのである。
 シュラット ザンネンナガラ、ドイツ軍司令部、そのような行動に出ること、出来ない。
 総統 何だと? それは何故か、説明して戴こう。
 シュラット Physisch unmoeglish! (物理的に不可能。)物理的に不可能なのです。Erstens, (まづ第一に)まづ第一に、我々の得た情報によれば、ピェトゥリューラ軍は二十万を擁し、装備も最高。それにドイツ軍司令部は既に各部隊に引き上げを命じ、帰国の段取りを決めた・・・
 シェルヴィーンスキー(傍白。)卑劣な奴らめ!
 シュラット かくの如き状況により、我々には既に守備の為に十分な力がない。Zweitens,(第二に)ウクライナ中、今やピェトゥリューラ側についているように見える。
 総統 中尉、今のは重大なる言及だ。下線を引いておくんだぞ。
 シェルヴィーンスキー はっ、分かりました。
 シュラット 勿論ご勝手にどうぞ。下線でも何でも。以上の次第で、ピェトゥリューラを阻止することは不可能。
 総統 ということはつまり、何の予告もなく、ドイツ軍司令部は、この私、ウクライナ軍、ウクライナ政府を、成り行きに任せ、放り出す、という事なんだな。
 シュラット いいえ、成り行きに任せては置きません。我々司令部は、陛下御自身の御身柄は、お救い申し上げるよう、「手筈」を決定しました。
 総統 司令部が「手筈」? どのような手筈だ。
 シュラット 今すぐ陛下に、ここを引き払って戴きます。すぐに汽車に乗りドイツへ。
 総統 失礼だが、私には何のことかさっぱり分からん。どういうことだ、これは。待てよ、・・・ひょっとすると、ビェラルーコフ公爵の撤退を許したのは、ドイツ軍だったのか。
 シュラット その通りです。
 総統 私の許可もなしにか。(興奮して。)私は許さんぞ。このような処置を取ったドイツ政府に断固私は抗議する。私はまだ、自分で命令を出し、軍隊を召集し、このキエフを防衛する力があるのだ。しかしキエフが崩壊したとなれば、その責任は当然ドイツ軍司令部にあるのだ。そうなれば、イギリス政府もフランス政府も、(黙っては・・・)
 シュラット イギリス政府! フランス政府!(そんなものに何が出来ましょう。)ドイツ政府はキエフを守る軍力ぐらい、優に保持しているのです。
総統 何だ、これは。脅迫か。
 シュラット 警告です、陛下。陛下にはもう、何一つ軍力といって、残っているものはないのです。状況は現在、単なる破局であって・・・
 ドゥスト(静かに。シュラットに。)Mein General, wir haben gar keine Zeit. Wir muessen ... (将軍、時間が・・・せっぱつまっています。もう・・・)
 シュラット Ja - ja ... (分かった。)最後に一言。陛下、実は、急を要しておりまして。我々は、報告を受け取っています。ピェトゥリューラの騎兵部隊が、キエフから八キロのところに迫っています。明朝にはここまで・・・
 総統 何だ、一体! こういう重大な情報を私は最後になって知らされるのか。
 シュラット 陛下、恐れながら、陛下が囚われの身となられた場合、どのような事態になるか。陛下に、既に宣告が下されております。悲しむべき宣告が・・・
 総統 何だ、宣告とは。
 シュラット 恐れ多くも、(間。)絞首刑です。(間。)陛下、御回答は急を要しております。私にはあとわづか十分(じっぷん)しか残されておりません。これを過ぎますと、陛下のお命に関する私の責任は、放免となる訳でして・・・
(長い間。)
 総統 私は行く!
 シュラット いらっしゃいますか。(ドゥストに。)手筈通り実行だ。密かに、静かにやれ。
 ドゥスト はっ。では静かに!(ピストルを出して、天井に二発撃つ。)
(シェルヴィーンスキー、驚く。)
 総統(こちらもピストルを抜いて。)何の真似だ。
 シュラット どうぞ御安心を、陛下。(右側の扉のカーテンの影に隠れる。)
(舞台裏で人の騒ぐ声。「衛兵!」「警備隊!」「歩哨!」「武器をとれ!」等の号令。足音。)
 ドゥスト(中央の扉を開けて。)Ruhig!(静かに。) 心配、いらない。フォン・シュラット将軍、間違ってピストル撃つ。将軍、頭、怪我。それだけ。
(舞台裏で声。「陛下、大丈夫ですか。陛下!」)
 ドゥスト 陛下は大丈夫。全く御無事。陛下、どうか姿を見せてやって下さい。歩哨が(心配していますから)
 総統(中央の扉に出て。)異常なしだ、歩哨。緊急体制は解除だ。
 ドゥスト(扉の外へ。)軽い怪我だ。医者を呼んで。早く!
(騒ぎが収まる。ドイツ軍の軍医登場。箱と医療器具入れの鞄を持っている。ドゥスト、中央の扉を閉め、鍵をかける。)
 シュラット(カーテンから出て来て。)陛下、服を交換です。ドイツ軍の制服を着て下さい。陛下が私になる。私、負傷者になる。私達、こっそり陛下をキエフから連れ出す。誰にも分からないように。歩哨に全く気付かれないように。
 総統 よし。好きなようにしてくれ。
(前線直通電話が鳴る。)
 総統 中尉! 出てくれ。
 シェルヴィーンスキー はい、総統執務室。・・・何だって?・・・えっ?・・・(総統に。)有力なコサックの二部隊が、ピェトゥリューラ側に走ったそうです。・・・それからこちらの全く無防備の地点に敵の騎兵部隊が・・・どう伝えましょう、陛下。
 総統 どう伝えるかだと? 持ちこたえるんだ。三十分でもいい。出来るだけ長くだ。私は逃げなきゃならんのだ。装甲車をすぐさま送るからと、そう言え。
 シェルヴィーンスキー(電話に。)もしもし、・・・三十分でもいい。持ちこたえろ。装甲車を送ると言っておられる。
 ドゥスト(箱の中からドイツ軍の制服を取り出して。)陛下、どこでなさいます?
 総統 寝室だ。
(総統とドゥスト、右手に退場。)
 シェルヴィーンスキー(舞台の前面に出て。)逃げるか、どうしよう。イェリェーナ、一緒に来るだろうか。どうかな。(決心して、シュラットに。)閣下、陛下と共に私もお連れ願えませんでしょうか。私は陛下直属の副官なのです。それからその・・・私と一緒に、私の・・・許婚も共に・・・
 シュラット 残念ながら、中尉、君の許婚はおろか、君自身も駄目なんだ。しかし、どうしても出たいなら、本部所有の列車がある。停留所に来てみるんだな。但し言っておくが、席はない。もう副官を一人許可してあるんでね。
 シェルヴィーンスキー 副官? 誰です。
 シュラット 何と言ったかな。ああ、ナヴァ・・・ナヴァジーリツェフとか言った。
 シェルヴィーンスキー ナヴァジーリツェフ! 頼みこむ時間などあったんですか?
 シュラット 窮すれば通ずだ。ついさっきのことだ、彼が我々本部にやって来たのは。
 シェルヴィーンスキー すると彼はベルリンで、総統づきの副官の役目を?
 シュラット いや。副官などあちらでは不要だ。総統には一人でいて貰う。ここで自分の首を守れない者、百姓から自分の首を救いたいと思っている人物だけを連れて行く予定でね。あちらへ行けば各自自由だ。
 シェルヴィーンスキー あ、どうも色々お聞かせ戴いて有難うございます。私に関しましては、自分の首は、ここで、自分で守ることに致します。
 シュラット それがいい、中尉。祖国を捨てるのはいかなる場合でも、褒められたことではない。Heimat ist Heimat. (祖国は祖国だ。)
(総統とドゥストが登場。総統はドイツの将校の格好。落ち着きなく、煙草を吸っている。)
 総統 中尉、ここの書類は全部焼き捨てろ。
 ドゥスト Herr Doctor, seien Sie so liebenswuerdig ... (では軍医殿、頼む。)陛下、どうぞお坐りになって。
(総統に腰掛けるよう、手を貸す。軍医、総統の頭部全体にぴったり包帯をし、顔を分からないようにする。)
 軍医 Fertig.(完了。)
 シュラット(ドゥストに。)車を!
 ドゥスト Sogleich.(只今。)
 シュラット 陛下、どうか横におなりに・・・(訳註 担架が用意されている。)
 総統 国民にこのことを知らせなくて良いものかな・・・声明を発表しなくて・・・
 シュラット 声明!・・・どうぞ、ご自由に。
 総統(モゴモゴと。)中尉、書きとめて・・・神は朕に力を与え賜わず・・・朕は・・・
 ドゥスト 声明・・・そんな時間はない。・・・そうだ。列車から電報だ。
 総統 よし。取消し。
 ドゥスト 陛下、横に。
(総統を担架に乗せる。シュラット、隠れる。中央の扉が開き、従僕登場。ドゥスト、軍医、従僕が、総統
を左手の扉から運び出す。シェルヴィーンスキー、扉のところまで手伝う。シュラット、再び登場。)
 シュラット 無事完了だな。(腕時計を見る。)午前一時。(軍帽とレインコートを着る。)ではさらばだ、中尉。ぐずぐずしていることはないぞ。どこへでもさっさと行くんだ。肩章は外すこと。(耳をすます。)聞こえるな?
 シェルヴィーンスキー 退却時の連続射撃ですね、あれは。
 シュラット そうだ。退却だ。側面から出て行く時の通行証は君、持っているんだな?
 シェルヴィーンスキー はっ、持っています。
 シュラット Auf Wiedersehen. (じゃ、さらばだ。)君も急ぐんだ。(退場。)
 シェルヴィーンスキー(がっくりして。)やれやれ、ドイツ流の能率か。(急に我に返って。)おっと、こうしてはいられないぞ。時間がない。・・・(机の上を見て。)おお、シガレットケースだぞ。純金製だ。総統め、忘れて行ったな。ほっとくか? いや、どうせ従僕の奴が盗むだけだ。(持ってみて。)おほーっ、一ポンドはあるぞ。歴史に残る記念すべき忘れ物だな。(シガレットケースをポケットに入れる。)さてと・・・(机に坐って。)書類など焼くことはないな。うん、副官の名簿だけは焼いておこう。(三、四枚の紙を焼く。)俺は卑怯者か?いや、違うな。(電話を取って。)一、四、五、三を頼む。・・・そう・・・砲兵隊か?・・・隊長を頼む。急用だ。・・・起こせ。起こすんだ。(間。)トゥルビーン大佐?・・・あ、こちらシェルヴィーンスキーです。これは重要な情報なんです。よく聞いて下さい。総統がトンズラしたんです。・・・ずらかったんです、ウクライナから。・・・嘘じゃない。本当なんです。・・・いや、まだ夜明けまでには時間があります。・・・妹さんに伝えて下さい。明日はどんなことが起こっても、決して家から出るなって。決して・・・朝にはそちらに行きます。身を隠さなきゃ。じゃ、失敬します。(電話を切る。)さてと、これですっきりした。良心に恥じずだ。・・・フョードル!
(従僕登場。)
 シェルヴィーンスキー 伝令は戻ったか? 荷物は来たろうな。
 従僕 はい、届きました。
 シェルヴィーンスキー 今必要なんだ。すぐ出してくれ。
(従僕退場。包を持って再び登場。)
 従僕(落ち着かない様子。)あの、失礼ですが、陛下は?
 シェルヴィーンスキー 何だ、その質問は。お休みになられた。それだけだ。何も言うんじゃないぞ。そうだ、
 フョードル、君はいい男だ。その顔には何か・・・そうだな、魅力というものがある・・・プロレタリア一流のな・・・
 従僕 はあ・・・
 シェルヴィーンスキー すまんがな、フョードル、副官控え室に行って、私のタオル、歯ブラシ、それに石鹸を取ってきてくれないか。
 従僕 畏まりました。新聞もで?
 シェルヴィーンスキー うん、気がきくな。新聞もだ。
(従僕、左手の扉に退場。その間にシェルヴィーンスキー、平服の外套と帽子に着替える。靴から拍車を外す。自分の剣とナヴァジーリツェフの剣を包みに包み結わえる。従僕登場。)
 シェルヴィーンスキー どうだ、似合うか? この帽子は。
 従僕 ぴったりです。よくお似合いで。えー、剃刀はお持ちになりませんか。ポケットにでも。
 シェルヴィーンスキー 剃刀か。ポケットにな。ああ、よく気がついたな。なあフョードル、記念に五十ルーブリだ。受け取ってくれるな。
 従僕 有難うございます。
 シェルヴィーンスキー さ、その手に握手させてくれ。その誠実な、働き者の手に。いや、驚かなくていい。私はもともと民主的な人間なんだ、フョードル。私は宮廷に伺候したこともないし、副官だったこともない。分かるな?
 従僕 はい、分かります。
 シェルヴィーンスキー 君のことも知らないんだ。いいな。昔から私はオペラ歌手を職業としている。
 従僕 すると、ひょっとして、その・・・おっさんがずらかったんじゃ・・・
 シェルヴィーンスキー おっさん? ああ、ずらかったんだ。
 従僕 こそ泥ですね、まるで。
 シェルヴィーンスキー そうだ。盗人(ぬすっと)猛々(たけだけ)しいよ、全く。
 従僕 いい気なもんでさあ。私達をほったらかしにして。どうなるんでしょう、私らは。
 シェルヴィーンスキー なるようにしかならんな。君らも酷いが、この私はどうだ?
(電話が鳴る。)
 シェルヴィーンスキー はい。・・・あ、大尉か!・・・そうだ。みんなほっぽって逃げろ。ずらかるんだ。・・・自分の言ってること? 分かってるさ。・・・私? シェルヴィーンスキーだ。・・・幸運を祈る。じゃあ。・・・(電話を切る。)フョードル、君とまだ話していたいところだが、分かるな? 時間がない。・・・フョードル、私の当直の期間、この部屋を任せるよ。何を奇妙な顔をしているんだ。馬鹿だね。あのカーテンを見てみろ。あれで布団カバーでも作ってみろ、立派なもんだぞ。(退場。)
(間。電話が鳴る。)
 従僕 はい。・・・何のご用でしょうか。・・・分からん奴だな。さっさとずらかるんだ。みんなほっぽって逃げろ。・・・私? フョードルだ。・・・フョードルだと言ってるだろう?

     第 二 場
(がらんどうで陰気な部屋。ウクライナ語で、「第一騎兵部隊本部」と書かれてある看板。青と黄色の旗。入り口に石油ランプ。夜。窓の外で時々馬の蹄の音がする。アコーデオンがよく知られた歌を奏でている。それが微かに聞こえる。)
 電話交換手(電話に。ウクライナ語で。)こちらフランコ。フランコだ。電話接続完了。・・・接続と言ったんだ。・・・聞こえないのか。・・・こちら騎兵隊本部。・・・
(電話終了の音。舞台裏で騒がしい音。ウラガーンとキルパートゥイが脱走兵を引きずって登場。脱走兵の顔、血で汚れている。)
 バルバトゥーン どうした。
 ウラガーン 脱走兵を掴えました、大佐殿。
 バルバトゥーン (脱走兵に。)どこの隊だ。
(脱走兵、黙っている。)
 バルバトゥーン どこの隊だと訊いているのが分からんのか。
(脱走兵、黙っている。)
 電話交換手 そうだ。俺だ! 本部からだ。フランコだ、こっちは。今接続したんだ。こちら、騎兵隊・・・聞こえるか?・・・糞っ。何を言ってるんだ・・・
 バルバトゥーン (ウクライナ語で。)貴様一体何を考えているんだ。えー? 何を考えてるんだ、と訊いているんだ。・・・今がどんな時か貴様、考えたことはないのか。まっとうなコサック兵は皆、ウクライナを守る為に立ち上がっている。白衛軍を、共産主義の奴等めを打ち破る為だ。コサックだけじゃない。どんな水呑み百姓も全員、ウクライナ軍に馳せ参じているんだ。そんな時貴様は一体何だ。戦列からこそ泥のように抜け出やがって。総統側はその百姓にどんな仕打ちをしているか、貴様知ってるか。生き埋めだ。土の中に生きながら埋めやがるんだ。分かったか。貴様も同じ目に会わせてやる。生きたまま埋めてやる。大尉! ガラーニバ!
(舞台裏で復唱の声が響く。「大尉殿、大佐殿がお呼びです。」バタバタと人の動く音。)
 バルバトゥーン どこで掴えた。
 キルパートゥイ 材木置場です。この野郎、慌ててこそこそ隠れやがったんで。
 バルバトゥーン 虫けらめ! いや、それより落ちるぞ。
(ガラーニバ登場。冷たく、残忍な表情。顔が黒い。剣のついた銃を持っている。)
 バルバトゥーン あ、大尉、こいつを訊問しろ。フランコ、配置を早く知らせろ! おい、そんなにガタガタやってると、電話が壊れるぞ。
 電話交換手 はい、大佐殿、分かりました。(傍白。)これ以上壊れて堪るか。もう壊れてるんだ。
 ガラーニバ(冷酷な表情。)どこの隊だ。
(沈黙。)
 ガラーニバ どこの隊だ。
 脱走兵(泣きながら。)脱走じゃありません、私は。手荒にしないで、大尉様! 病院に行くところなんです。足が凍傷でやられてるんです。
 電話交換手(電話に。)(繋がったらしい。)そちら、位置はどこなんだ。どこに今いるんだ。・・・位置を訊いてるんだ。騎兵隊隊長が位置を訊いている。・・・聞こえるか。・・・(また切れたらしい。)どうしようもないな、この電話は!
 ガラーニバ 足が凍傷? ふざけるな。なら、病気除隊の証明書を見せろ。お前の隊から発行された証明書がある筈だぞ。あ、どこの隊だ。(殴ろうとする。)
(舞台裏で馬(複数)が丸太造りの橋を渡って行く音がする。)
 脱走兵 第二コサック騎兵隊です。
 ガラーニバ コサック? そう、いつだってコサックだ、ずるをする奴等は。分かってるんだ、隙を見てはずらかる。ボリシェヴィキーだ。さ、靴を脱げ。脱ぐんだ。もし凍傷にかかっていなかったら、いいか、もし貴様が嘘をついていたら、その場で撃ち殺してやる。(キルパートゥイに。)おい、ちょっとそのランプを持って来い。
 電話交換手(電話に。)現在位置の報告に将校を一人よこせ。・・・どこへかだと? スラボートゥカだ。・・・そう。・・・そう。・・・了解。・・・(また別の場所へ電話。)グリツコーか? 将校をよこすよう言うんだ。現在位置の確認だ。・・・分かったな?・・・(電話を切って。)大佐殿、今すぐに報告が・・・
 バルバトゥーン 分かった・・・
 ガラーニバ(モーゼルを抜いて。)いいか、分かってるな。もし凍傷にかかっていなかったら、その場でお前はあの世行きだ。他の者は下がれ。弾があたるとまづい。
(脱走兵、床に坐る。靴を脱ぎ始める。沈黙。)
 バルバトゥーン それでいい。皆への見せしめだ。
(灯り、脱走兵を照らしている。)
 キルパートゥイ(溜息をついて。)凍傷だ。・・・嘘じゃなかった。
 ガラーニバ 隊を離れるなら証明書を貰ってからにするんだ、馬鹿め! 貰わないうちは離れるんじゃない・・・
 脱走兵 証明書なんか誰もくれやしません。軍医がいないんです、うちの隊には。いないんですから。(泣く。)
 ガラーニバ 身柄は拘置だ。まづ病院へ連れて行け。包帯が終わったら、またここへ引っ立てるんだ。笞打ち十五だ。証明書なしで隊を離れるとどういうことになるか、よく知って貰わねばな。
 ウラガーン(脱走兵を外へ連れ出しながら。)さあ、行くんだ。
(舞台裏でアコーデオンの音。それに合わせて陰気な歌声。(訳註 以下は革命の歌。)
   おーい、小さな林檎、
   どこに転がって行くんだ。
   あっちに行くなよ、反革命軍の方に
   行ったらもう、戻っては来れないぞ。)
(急に騒がしい声が窓の外で、「掴えろ。逃がすな。橋の方へ行くぞ。あっ、こっちは、氷を渡ろうとしているぞ・・・」等々。)
 ガラーニバ(窓から。)何だ。おい。どうしたんだ。
(声。「ユダヤ人の奴等らしいです、大尉殿。氷をつたって橋の向こう側へ逃げようとしています。」)
 ガラーニバ おい、偵察隊! 馬引け! 騎乗! 出動!
 キルパートゥイ! 追え。追いかけろ。いいか。殺すな。生きたまま引っ捕えろ! いいな。
 バルバトゥーン フランコ! 電話を切るな!
 電話交換手 はっ、大佐殿、切っておりません!
(舞台裏で騒がしい音。ウラガーン、篭を持った男を引っ立てて登場。)
 篭を持った男 何です、何です。こんな所へ。私は怪しい者じゃありません。ただの職人ですよ。それを・・・
 ガラーニバ 何が入ってるんだ、その中に。
 篭を持った男 同志、軍人様・・・(訳註 「同志」はボリシェヴィキーの呼び方。)
 ガラーニバ 何だと? 同志? 貴様の同志がここのどこにいるって言うんだ。
 篭を持った男 失礼しました、軍人の旦那様・・・
 ガラーニバ 貴様の旦那様なんかじゃないぞ、俺は。旦那様はみんな総統側にいるんだ、今。町の方にな。俺達はな、貴様の旦那様の奴等の腸(はらわた)を引き抜きに行くところだ。(近くにいる兵隊に。)おい、お前、こいつをぶん殴れ。この旦那様に一発お見舞い申し上げてくれ。(兵隊、殴る。)これで分かったな、おい、ここに旦那様がいるかどうか。どうだ。
 篭を持った男 分かりました。
 ガラーニバ おい、もっと灯りを近づけろ。どうもこの野郎は臭い。ボリシェヴィキーじゃないのか。
 篭を持った男 とんでもない。とんでもありません。ボリシェヴィキーだなんて。私はご覧の通り靴職人なんですから。
 バルバトゥーン じゃ、どうしてなんだ。貴様、随分きれいなロシア語を喋るじゃないか。
 篭を持った男 カルーガ出身なんです。カルーガではやって行けないんで、それでウクライナくんだりまでやって来たんです。靴職人なんです、私は。嘘じゃありません。
 ガラーニバ パスポートは。
 篭を持った男 あります。ございますとも。立派な、嘘偽りのない、正真正銘のパスポート。
 ガラーニバ その篭には何があるんだ。どこへ行くんだ。
 篭を持った男 靴です。同(志)・・・旦(那)・・・靴なんです、中は。町の靴屋に届けるんで・・・スラボートゥカに住んでいるんですが、靴を造っては町に届けるんで・・・
 ガラーニバ 夜中に運ぶというのはどういうことなんだ。
 篭を持った男 丁度いい時間なんです。朝一番に町に着きますから。
 バルバトゥーン フーン、中は靴か。ホホー、そいつはすごいぞ。
(ウラガーン、篭を開ける。)
 篭を持った男 すみませんが、皆さん、これは私のじゃないんで。これは店の品物なんです。
 バルバトゥーン 店の品物! そいつはなお良い。店の品物なら良い品物だ。おい、お前等、一足づつ取っていいぞ。
(居会わせた軍人達、てんでに一足づつ取る。)
 篭を持った男 大将様、私はこの靴がないと死んだも同じなのです。墓の中で冷たくなっているようなものです。これ全部で二千ルーブリ分あるんです・・・これは店のものなんです・・・
 バルバトゥーン 受け取りを書いてやるさ。
 篭を持った男 受け取りなんか貰ってどうするって言うんですか。(バルバトゥーンに飛びかかる。バルバトゥーン、男の顔に平手打ちを食わせる。男、今度はガラーニバに向かう。)騎兵隊隊長様、二千ルーブリ、二千ルーブリ。お願いです。それは、私が総統側の人間だったり、ボリシェヴィキーだったりすれば、私だって文句は言いません。でも・・・
(ガラーニバ、平手打ちを食わせる。)
 篭を持った男(床に坐る。途方にくれて。)何ですか、これは。いいや、もうこうなったら、やけくそだ。軍へ支給だ。それならそれで構うもんか。だけど私にも、私にも一足呉れなくちゃ。私はこれから皆さんと一緒だ。戦うんだ。(自分の靴を脱ぎ始める。)
 電話交換手 大佐殿、見て下さい。この男、妙なことをおっ始めましたぜ。
 バルバトゥーン 馬鹿め、何をしようって言うんだ。篭から離れろ。手間ばかり取らせやがって。まだぐずぐずするつもりか。こちとらの我慢もこれまでだ。おい、お前達、離れてろ。(拳銃を取り出す。)
 篭を持った男 何ですか、これは。何ですか、一体。
 バルバトゥーン 出て行け!
(篭を持った男、扉に突進。退場。)
 全員 有難うございます、大佐殿。
 電話交換手 はい、こちら、本部。・・・おお、そりゃすごいぞ。万歳だ。・・・大佐殿! 大佐殿! あちらの隊に投降者です。二名。お陰で総統側の二つの隊がこちら側につきました。
 バルバトゥーン そうか。良い知らせだ。投降二部隊か。それだけこっちにつけば、キエフは落ちたも同然だ。
 電話交換手(電話に。)グリツコー! 新しい靴が手に入ったぞ。・・・うん。・・・うん。・・・分かった。大佐殿。またです。いいニュースです。すぐに電話に出て下さい。
 バルバトゥーン(電話に。)第一騎兵隊本部、バルバトゥーン大佐だ。・・・うん。聞こえる。・・・そうか。・・・そうか。・・・よし、すぐ行く。(ガラーニバに。)大尉、四隊ともすぐに出動だ。目的地はキエフ郊外。万歳、万歳だ。
ウラガーンとキルパートゥイ 万歳! 出動だ。
(騒がしい音。)
 ガラーニバ(窓に向かって。)騎乗! 出撃だ!
(窓の外から声。「ウラー!」ガラーニバ、走って退場。)
 バルバトゥーン 電話も移動だ。馬引け!
(電話交換手、電話を片付ける。騒がしい音。)
 ウラガーン 指揮官殿に馬引け!
 声 第一騎兵隊、並足、進め! 第二騎兵隊、並足、進め!
(窓の外から蹄の音。口笛。場にいる者は全員走って退場。アコーデオンの音が響く。隊の去る足音。)

     第 三 幕
     第 一 場
(アリェクサーンドゥロフスキー中学校の玄関。銃を三丁づつ互いに立てかけてある。弾薬の入った箱(複
数)。機関銃。巨大な階段。アリェクサーンドゥル一世の肖像画が掲げてある。窓には朝の薄明り。舞台裏で楽
隊に合わせて部隊が足音高く行進。ものすごい音。学校の廊下を通って進む。)
 ニカラーイ(舞台裏で当時の軍隊の流行り歌を歌い始める。)
   夜があえぐ。甘い欲望のうずく夜。
   胸はもやもや、腰ももやもや。
(口笛。)
 士官候補生達(耳を聾する歌声で。)
   恋しい、恋しい、恋しい、君。
   私は窓辺で待っている。
(口笛。)
 ニカラーイ(歌う。)
   君のため、部屋には花を飾って・・・
 ストゥッズィーンスキー(階段の踊り場に出て。)連隊・・・止まれ!
(舞台裏で、行進、大きな音を立てて止まる。)
 ストゥッズィーンスキー ムィシュライェーフスキー大尉、後の指揮を。隊を休ませろ。
 ムィシュライェーフスキー 第一小隊・・・休憩位置に進め!
(第一小隊、舞台裏へと進む。)
 ストゥッズィーンスキー 腿を上げて、腿を!
 ムィシュライェーフスキー 一二、一二・・・小隊・・・止まれ!
 第一の士官 第二小隊・・・止まれ!
(部隊、止まる。)
 ムィシュライェーフスキー 第一小隊・・・休め。煙草を吸ってよし。
(部隊裏でざわめき。私語。)
 第一の士官(ムィシュライェーフスキーに。)大尉殿、我々の小隊は五名不足です。どうやら逃亡したと思われます。全く学生という奴は!
 第二の士官 屑野郎の豚野郎ですな。手の打ちようがない。
 第一の士官 それはそうと、隊長はどうされたんでしょう。六時の約束が今はもう六時四十五分です。
 ムィシュライェーフスキー しっ、中尉。小声で。宮殿から呼び出しがあって行かれたんだ。すぐ戻られる。(士官候補生達に。)どうした。寒いか。
 第一の士官候補生 はっ、大尉殿。少々涼しいであります。
 ムィシュライェーフスキー じゃ、何故ぼさっと突っ立ってるんだ。蒼いぞ、顔が。死人の顔だ、それは。足を踏み鳴らせ。体を動かすんだ。「休め」の号令がかかれば、もう案山子(かかし)じゃない。どう動いてもいい。自分の体をストーブにするんだ。陽気にやれ! そうだ。第二小隊! 教室に行って机を壊して来い。燃やすんだ! 早く!
 士官候補生達(叫ぶ。)よーし、教室だ。机をぶっ壊して燃すんだ!
(騒ぐ声。音。)
 マクスィーム(小室から出て来て。狼狽して。)閣下、何てことをなさるんです。机を燃やすんですって? なんていう乱暴な! 私は校長から言いつかっているんです・・・
 第一の士官 第三幕、新しい登場人物現わる、か。
 ムィシュライェーフスキー じゃ、訊くがね舎監さん、ストーブで何を燃せと?
 マクスィーム 薪です。薪をくべるんです。
 ムィシュライェーフスキー で、その薪は? どこに。
 マクスィーム 薪はもうありません、ここには。
 ムィシュライェーフスキー それなら貴様、さっさとここから消えるんだな。おい、第二小隊、どうした。さっさとやれ!
 マクスィーム ああ、神様。どうなるんでしょう、これは。ああ、野蛮人! 机を壊すなんて。軍人さんもいろいろ見たけど、こんなのは・・・(退場。舞台裏で叫ぶ。)軍人さん達! 何ですか、これは。何てことを!
 士官候補生達(机を壊す。割ってストーブにくべる。歌う。)
   嵐を呼ぶ不吉な雲が、低く空を覆っている。
   嵐で吹きだまった雪を、つむじ風が、
   今度は丸く集める。
   ひゅうひゅう言う、嵐の声。
   時には獣のように唸(うな)り、また時には、
   子供のすすり泣きのように
   かぼそく泣く。
 マクスィーム ストーブに机を壊してくべるなんて、何という人達だ。
 士官候補生達(歌う。)
   積み重ねろ、薪を。それに乾し草も一緒だ。
   今日は我々は家を出るのだ。
(他の士官候補生達、悲しそうに。)
   神様、この最後の瞬間だけでも、
   我々を哀れと思し召して・・・
(突然近くに大砲の弾が落ちる音。間。ガヤガヤと声がする。)
 第一の士官 大砲ですね、どうやら。
 ムィシュライェーフスキー どこか近くだったな、落下点は。
 第一の士官候補生 我々がどうやら標的なんですね、大尉殿。
 ムィシュライェーフスキー 馬鹿な。唾をはいたんだ、ピェトゥリューラがな。ぺっと。
(歌、静まる。)
 第一の士官 大尉殿、今日はあのピェトゥリューラの顔が見られますね。どんな面(つら)をしているのか、楽しみです。
 第二の士官(むっつりと。)どうせ分かるんだ。急ぐことはない。
 ムィシュライェーフスキー 俺達のやれることなどたいしたことじゃない。命令が出る・・・そうすりゃ、面が見られる。命令が出ない・・・そうなりゃ、面は見られない。それだけさ。(士官候補生達に。)何だ、お前達。えらくシュンとしてるな。元気をだせ! 歌え!
 士官候補生達(歌う。)
   そして白い階段を通って、
   僕等が天国へと導かれる時・・・
 第二の士官候補生(ストゥッズィーンスキーの方へ駆け寄って。)大尉殿、隊長です!
 ストゥッズィーンスキー 連隊、気をつけ! かしら・・・中! 以下、命令を伝えろ!
 ムィシュライェーフスキー 第一小隊、気をつけ!
(アリェクスェーイ登場。)
 アリェクスェーイ(ストゥッズィーンスキーに。)名簿を。欠員は何名だ。
 ストゥッズィーンスキー(小声で。)二十二名です。
 アリェクスェーイ(名簿を破り捨てる。)ヂェミイェーフカ村に斥候を出しているな?
 ストゥッズィーンスキー はい、出しております。
 アリェクスェーイ すぐ呼び戻せ。
 ストゥッズィーンスキー(第二の士官候補生に。)斥候隊を呼び戻せ!
 第二の士官候補生 はっ、呼び戻します。(走り退場。)
 アリェクスェーイ 士官諸君、及び連隊全員に告ぐ。これから説明することをよく聴いてくれ。聴いて、理解し、理解したら直ちに実行に移す。いいな。
(静粛。)
 アリェクスェーイ 今夜半(こんやはん)にかけ、突然状況の変化があった。全ロシア軍の状況、いや、このウクライナの状況に決定的な変化が起こったと、敢えて言おう。従って私は諸君に告げる。私はこの隊をここで解散する。(死んだような沈黙。)ピェトゥリューラとの闘いは終わった。今日付けをもって士官を含め、全員に命ずる。直ちに肩章及び自分の地位を明らかにする全ての印を剥ぎ取り、速やかに解散し、自宅に隠れること。(間。)
 アリェクスェーイ 以上、命令を終わる。すぐ実行に移せ!
 ストゥッズィーンスキー 隊長殿! アリェクスェーイ・ヴァスィーリエヴィッチ!
 第一の士官 隊長殿! アリェクスェーイ・ヴァスィーリエヴィッチ!
 第二の士官 どういうことだ、これは。
 アリェクスェーイ 黙れ! 議論の時ではない。命令通りにするんだ! 今すぐ!
 第三の士官 何ですか、これは、大佐殿! そうだ、逮捕だ。隊長を逮捕しろ!
(騒然。)
 士官候補生達 逮捕だ!
   ――どうなってるんだ。何だ、これは。
   ――何? 逮捕? 気が狂ったか。
   ――ピェトゥリューラが迫って来ているんだぞ!
   ――そうか、そうだったのか。そうだと思っていた!
   ――静かにしろ!
 第一の士官 どういうことなんですか、隊長、これは。
 第三の士官 おい、第一小隊。俺の後に続け。
(狼狽した士官候補生達、小銃を抱えて走りよる。)
 ニカラーイ どうしたんだ、お前等。何をやってるんだ。
 第二の士官 隊長を逮捕だ! 隊長はピェトゥリューラ側に走ったんだ!
 第三の士官 隊長殿、もう逃れられませんぞ。
 ムィシュライェーフスキー(第三の士官を止めながら。)下がれ、下がるんだ。
 第三の士官 通して下さい、大尉殿。そこをどいて! おい、候補生! 隊長を捕まえろ。
 ムィシュライェーフスキー 候補生! 後へ下がれ!
 ストゥッズィーンスキー アリェクスェーイ・ヴァスィーリエヴィッチ、何てことを仰ったんです。見て下さい、この混乱を。
 ニカラーイ 下がれ!
 ストゥッズィーンスキー 下がれと言っているのが分からんのか。こいつら、下級士官の言うことを聞いちゃいかん!
 第一の士官 静まれ。何事だ!
 第二の士官 静かにしろ!
(騒然。士官達、ピストルを抜いている。)
 第三の士官 上級士官の言うことを聞くな!
 第一の士官候補生 反乱だ。部隊に反乱だぞ!
 第一の士官 何だ、それは。何をやってるんだ。
 ストゥッズィーンスキー 黙れ! 静まれ!
 第三の士官(ストゥッズィーンスキーを指差して。)こいつを逮捕だ!
 アリェクスェーイ 静かにしろ! まだ言うことがある!
 士官候補生達 話すことなどないぞ!
   ――聞きたくないぞ!
   ――聞く耳持たないぞ!
   ――第二小隊長の言う通りだ。第二小隊長に従え!
 ニカラーイ 隊長の言うことを聞こう。
 第三の士官 おい、候補生達! 静かにするんだ。隊長に発言させろ。どうせ逃れられはせん!
 ムィシュライェーフスキー こいつら、候補生達を後ろに下がらせろ。今すぐに!
 第一の士官 静まれ。元の位置につけ!
 士官候補生達 静まれ! 静まれ! 静まれ!
 アリェクスェーイ フン・・・こういう部隊を引き連れて戦闘に出たとすれば、この私もさぞかし立派な指揮官だ。いや、神様も私に見上げた部下を配置してくれたものだ。しかしいいか、士官諸君。士官候補生には許されても、(第三の士官を指差して。)君には決して許されないことがあるのだ。私には想像もつかなかった。私があそこまで言って、これには何かある、隊長には何か、とても口では説明できない酷いことがあると、諸君が理解出来ないとはな。しかし諸君にはそれだけ人を察する能力はなかったので・・・(第三の士官に。)さ、君は誰を守ろうとしているのだ。答えるんだ。
(第三の士官、答えない。)
 アリェクスェーイ 隊長が訊いている。答えるんだ。誰を守るんだ。
 第三の士官 総統をお守りすると宣誓しました。
 アリェクスェーイ ウクライナ総統だな。よろしい。今日午前三時、総統はドイツ軍の軍服に身を包み、ドイツ軍の軍用列車でドイツに逃げた。自分の軍隊は運命のなすが儘に任せてだ。従って、現在この時点において、いくら総統をお守りしたいと言っても、当の本人はここにはいない。総統は現在、のうのうとベルリンに向かっている途中だ。
 士官候補生達 ベルリンに?
   ――何を話しているんだ、隊長は!
   ――聞きたくない、こんな話!
 第一の士官候補生 何であんな話を黙って聞いているんだ!
 ストゥッズィーンスキー 静かにしろ!
(騒ぐ声。窓に日がさして来る。)
 アリェクスェーイ それだけではない。総統の豚野郎が卑劣にもベルリンに逃亡した丁度同じ時、もう一人の豚野郎、総司令官ビェラルーコフ公爵もここを捨てて逃げた。従って諸君、諸君には守るべき人物がいないばかりではない。我々を指揮するものがいないのだ。何故なら、公爵と共に、参謀本部全員もずらかったからだ。
(ざわめき。)
 士官候補生達 あるもんか、そんなこと!
   ――ありえないぞ。
   ――嘘だ、それは。
 アリェクスェーイ 誰だ、嘘だと言ったのは! 嘘だと誰が言った! 私は今本部に行って来た所だ。今言った情報を全部確かめて来た。私は、私の言った一つ一つの言葉に全責任を負う。・・・従って、諸君! いいか、我々はここに二百名の人間がいる。あっちにはピェトゥリューラがいる。いや、あっちとはもう言わない。もう、ここだ。ここに、街のはずれに、敵の騎兵隊は到着している。二十万の軍勢だ。我々はどうか。歩兵二、三小隊、それに砲兵三小隊だ。さっき私にピストルをつきつけた者がいる。私が怯むとでも思ったのだろう。いいか、ピストルで怯むような私なら、とっくの昔にこの事態に怯んでいる。おねんねが!
 第三の士官 隊長殿!
 アリェクスェーイ 黙れ! 諸君には現状が今では分かっている。もしこの状況の下で、それでも防衛のために闘うと諸君が言うなら・・・防衛? 誰をだ。何をだ。・・・まあいい。何でもいい。闘うというなら、諸君が勝手にやるがいい。私は指揮を取らない。私は茶番劇の演出家にはなりたくないのだ。特にその茶番劇の犠牲が分かっているんだからな。それは、私の命、そして諸君全員の命なのだ!
 ニカラーイ 参謀本部の豚野郎!
(騒音。混乱。)
 士官候補生達 これからどうしたらいいんだ。
   ――もう死んだ方がましだ。
   ――馬鹿な!
   ――何を喋ってるんだ。ここは議論をする場じゃないぞ。政治集会じゃないんだ!
   ――列を離れるな!
   ――俺達は罠にかかったんだ!
 第三の士官候補生(泣きながら登場。)今さっきまで前進、前進、と命令しておきながら、今度は後退だなんて。総統を見つけたら、僕は、僕は・・・殺してやる!
 第一の士官 おねんねが! 何を言っとる。あっちに連れて行け。おい、お前達、もし隊長が言われた通りなら仕方がない。汽車を仕立てて行こう、俺について来い。行こう!ドン河地方へ。ヂェニーキン将軍の許(もと)へ!
 士官候補生達 そうだ、ドンだ。ヂェニーキン軍だ!
   ――馬鹿な・・・不可能だ、そんなことは。
   ――ドン河? 寝ぼけたことを言うな!
 ストゥッズィーンスキー アリェクスェーイ・ヴァスィーリエヴィッチ、そうですよ。もうここは捨てて隊をドンに移しましょう!
 アリェクスェーイ ならん、ストゥッズィーンスキー大尉。この隊の指揮官は私だ。私が命令する。君はその命令を果たすのだ。ドンだと? いいか、よく聴け、お前達! ドンに行く。そこで全く同じものを見ることになるんだ。舞台がドンに移っただけのことだ。全く同じ将校達、全く同じ参謀に会うだけの話だ。
 ニカラーイ 参謀本部の豚野郎!
 アリェクスェーイ その通り。あいつらは俺達にまた、自分の国民と闘えと命令するんだ。そして俺達が不利になり、頭をかち割られそうになると、自分達は国外にずらかるんだ。ロストフに行ったって、ここキエフと何の変りもない。大砲を撃とうにも砲弾がない。士官候補生には長靴がない。そして将官達はカフェーだ。いいか、諸君! 私は隊長だ。諸君を闘わせるために預かった。大義があれば、名分さえあれば、諸君に戦闘を命じもしよう。しかし、今や何の名分もないのだ。私は公けに宣言する。諸君を指揮するのは終だ。ウクライナでの白衛軍の活動はこれでおしまいだ。ロストフナダヌーでも終。どこでももう白衛軍は終だ。民衆は我々の味方ではない。民衆は今や、我々に敵対している。それがつまり終なのだ。これっ限りの終だ。そしてこの私、アリェクスェーイ・トゥルビーン、大尉、ストゥッズィーンスキー、及びムィシュライェーフスキーを腹心の部下として持ち、諸君を指揮してドイツ軍と闘ってきたこの私は今、自分自身の良心に問い、考え得るあらゆる事柄を考慮に入れ、すべての責任をこの一身に負い、ここにこの部隊の解散を宣言する。以上。
(号泣。突然爆発音。)
 アリェクスェーイ 肩章を取れ! 銃を捨てろ。家に帰れ、すぐ!
(士官候補生達、肩章を取る。銃を捨てる。)
 ムィシュライェーフスキー(叫ぶ。)待て! 隊長殿、この建物を焼き払いましょうか?
 アリェクスェーイ ならん。それは許さん。
(砲弾の落ちる音。ガラス窓が震える。)
 ムィシュライェーフスキー 機関銃を!
 ストゥッズィーンスキー 帰れ、帰れ! お前達、帰るんだ!
(舞台裏で、敵のラッパの音。士官達、士官候補生達、散り散りに走って退場。ニカラーイ、銃でスイッチの箱を叩き壊し、走り退場。灯りが消える。アリェクスェーイ、ストーブの側で書類を破り、火に入れる。長い 間。)
(マクスィーム登場。)
 アリェクスェーイ 誰だ、お前は。
 マクスィーム ここの学校の舎監です。
 アリェクスェーイ すぐここから逃げるんだ。奴等に殺されるぞ。
 マクスィーム ここからどこへ逃げよと仰るんで、閣下。この学校は国家の財産なんです。私はそこから去ることは出来ません。二つの教室で机を全部壊して、燃してしまうなんて。何と表現したらいいんでしょう、こういう破壊行為は。それに電気も・・・兵隊さん達は今までだって沢山来ました。でも、でも、こんなに(酷いのは)・・・
 アリェクスェーイ もういい。あっちに行くんだ。
 マクスィーム その刀でどうぞ斬り殺して下さい。斬り殺されたって、私はここを動きません。校長に言われていることがあるのです・・・
 アリェクスェーイ ほほう、何と言ったんだ、校長が。
 マクスィーム いいか、マクスィーム、たった一人になっても、ここを離れるんじゃない。いいな、マクスィーム、ここで何が起きようと・・・
 アリェクスェーイ マクスィーム、よく聴くんだ。ロシア語はちゃんと分かるんだろう? 残っていると殺されるんだ。地下室へでもいい。行って、隠れろ。息を殺して、じっとしているんだ。
 マクスィーム 他に誰も責任を取る者はいないじゃありませんか。私です。私一人で全てに責任を取らねばならないんです。軍人なんてどれもこれも・・・ツァー側だろうと、反ツァー側だろうと・・・どいつもこいつも頭の空っぽの連中ばかり。だけど、机をぶっ壊したのは・・・
 アリェクスェーイ 名簿はどこにある。(足で棚を蹴り破る。)
 マクスィーム 閣下、鍵はちゃんとあるんですよ。中学校付属の、国家財産です、この棚は。それを足蹴になさったりして・・・(十字を切る。退場しかける。)
(大砲の落下した音。)
 マクスィーム ああ、マリヤ様・・・イエス様・・・お助けを・・・
 アリェクスェーイ フン・・・どんどん来い。やって来い、やって来い。音楽だ。コンサートだ。卑怯者の総統の奴。どこかで出くわすような事があれば、俺は・・・
(ムィシュライェーフスキー、階段の踊り場に登場。窓には朝焼けの光。)
 マクスィーム 閣下、あの人によくそう言って下さい。一体どういうことですか。棚を足蹴にするなんて!
 ムィシュライェーフスキー 喚(わめ)いたって、地団太踏んだって、どうしようもないんだよ、じいさん。逃げるんだ、早く、ここから。
 マクスィーム 野蛮人、野蛮人、野蛮人!
(退場。)
 ムィシュライェーフスキー(遠くから。)倉庫に火をつけて来たぞ、アリョーシャ。あいつら、外套を分捕れると思ったろうが、そううまく行くものか。残っているのは灰だけさ。
 アリェクスェーイ 何をぐずぐずしているんだ、ヴィークトル。早く家に帰れ。
 ムィシュライェーフスキー これしきの事。(すぐ終わります。)今から納屋に爆弾を二つ三つ叩き込んで、と。それからずらかります。だけどアリョーシャ、何をそんなところに坐ってるんだ。
 アリェクスェーイ 斥候隊が戻って来るまでは、私は動けない。
 ムィシュライェーフスキー 斥候隊? 待ってなきゃならないのか? 構わんのだろう?
 アリェクスェーイ 何を言うか、大尉!
 ムィシュライェーフスキー 分かった、分かった。じゃ俺も残る。
 アリェクスェーイ 残ってどうする。いいか、これは命令だ。イェリェーナのところに、今すぐ! あれの世話を頼む。ここが終わり次第私もすぐ行く。どうしたと言うんだ、一体。誰もかれも。気でも狂ったのか。命令に従うんだ、すぐ。
 ムィシュライェーフスキー 分かった、分かった。行く行く。すぐにな。リェーナのところに。
 アリェクスェーイ 弟も頼むぞ。見つけて、引っ立てて行ってくれ。
 ムィシュライェーフスキー 分かった、アリョーシャ。無茶するなよ、呉々もな。
 アリェクスェーイ 釈迦に説法だ!
(ムィシュライェーフスキー退場。)
 アリェクスェーイ
   真剣に、心の底から真剣に・・・
   そしてその時が来る。白い階段を登る時が。
   青い空に繋がる白い階段を登る時が・・・
斥候隊は逃げ帰って来られるかな。
 ニカラーイ(踊り場のところに、忍び寄るように登場。)アリョーシャ!
 アリェクスェーイ 何をやっているんだ、ニコールカ。ふざけた真似はよせ。肩章をはずせ。すぐに家に帰るんだ。さあ、早く。
 ニカラーイ 僕は帰りません、大佐殿。大佐殿と一緒でなきゃ。
 アリェクスェーイ 何だと。(ピストルを抜き、構える。)
 ニカラーイ 撃ったらいい。自分の実の弟を。
 アリェクスェーイ 大馬鹿者め!
 ニカラーイ 罵ればいい、血を分けた弟を。兄さんのやる事ぐらい、僕にはちゃんと分かってる。兄さんは隊長だ。恥を死で濯(すす)ぐつもりなんだ。そんなことさせるもんか。ここで放っておいたりして見ろ、姉さんに後で僕が殺されちゃうよ。
 アリェクスェーイ おい、誰か。この男を連れ去れ! 誰かいないか。ムィシュライェーフスキー大尉!
 ニカラーイ みんな逃げたよ、もう。
 アリェクスェーイ 待ってろ、この青二才。帰ってからたっぷりお灸をすえてやる!
(近づいて来る大きな足音。士官候補生達、登場。斥候隊が帰って来たのである。)
 士官候補生達(走って登場。)敵の騎兵隊です。すぐ来ます。
 アリェクスェーイ 斥候隊、ごくろう。命令を出す。裏口を通って逃げろ! 私が援護射撃をする。途中で肩章を剥ぎ取ること。さ、すぐに。
(舞台裏で、勝ち誇った口笛、また、アコーデオンが、ピェ トゥリューラ側の歌、「ざわめきも、唸り声も・・
・」が響く。)
 アリェクスェーイ 走れ、走るんだ! 私が援護する。(階段の踊り場に駈け上がって、ニカラーイに。)逃げろ、頼む。姉さんを頼んだぞ。
(窓の近くで鋭い爆発音。ガラス割れる。アリェクスェーイ、倒れる。)
 ニカラーイ 大佐殿! アリョーシャ! 兄さん! 何てことを!
 アリェクスェーイ トゥルビーン候補生! ヒロイズムは止めろ。逃げてくれ!(死ぬ。)
 ニカラーイ 大佐殿・・・そんな馬鹿な・・・兄さん、起きて!
(足音。騒音。ピェトゥリューラ軍、走って登場。)
 ウラガーン いたぞ、あそこだ。捕まえろ。逃がすな、追え、追え!
(キルパートゥイ、ニカラーイ目がけて撃つ。)
 ガラーニバ(走り登場。)撃つな。生け捕りにしろ。捕まえろ!
(ニカラーイ、階段を這上がる。歯を見せて敵を挑発する。)
 キルパートゥイ 生意気な奴め。逃がさんぞ。くそっ。何だあれは。
 ウラガーン 逃がすな、逃がすな!
(ピェトゥリューラの本隊、登場。)
 ニカラーイ 盗人(ぬすっと)、首吊り役人! 貴様らに捕まってたまるか。(手すりから飛び降り、逃げる。)
 キルパートゥイ 畜生、サーカスか!(銃を撃つ。)他には誰もいないな。
 ガラーニバ 取り逃がしたか。だらしない奴らだ。
(アコーデオン、「ざわめきも、唸り声も・・・」を弾く。舞台裏で、「やったぞ、やったぞ、万歳」。ラッパが響く。バルバトゥーン登場。その後ろに旗を掲げた兵隊達。旗(複数)が階段の上にはためく。耳を聾する行進の足音。)

     第 二 場
(トゥルビーン家の部屋。夜明け。電気は消えている。ブリッジテーブルの上に、蝋燭が灯っている。)
 ラリオースィック イェリェーナさん、僕の大事なイェリェーナ・ヴァスィーリエヴナ。何でも僕に言いつけて下さい。今から(しっかり)外套を着て、あの人達を捜しに行って来ましょうか?
 イェリェーナ 駄目。何を言ってるの、ラリオースィック。道路に出たとたん、殺されちゃうわ。待ちましょう。ああ、まだ夜が明けたばかり。なんて厭なんでしょう、あの朝焼けの色。どうなっているのかしら、あちらでは。どうなっていてもいいわ、私。私が知りたいのは一つだけ。あの人達、今、どこ?
 ラリオースィック 内戦て、何て恐ろしいんでしょう。本当に恐ろしい。
 イェリェーナ ねえ、ラリオースィック、私は女。きっと私には誰も手を出さないわ。私、ちょっと出てみるわ。街がどうなってるか、見てみる。
 ラリオースィック いけません。それだけは僕、決して許しません。お兄さんに叱られちゃいます。どんなことが起こっても、決してあなたを外に出してはいけないって。僕は誓ったんですよ、お兄さんに。
 イェリェーナ ほんの近くだけ。ちょっと・・・
 ラリオースィック イェリェーナさん!
 イェリェーナ どうなっているのか、それだけでも分かれば・・・
 ラリオースィック それなら、僕が行きます。
 イェリェーナ 止めて、それは・・・ああ、待つしかないわね・・・
 ラリオースィック ご主人、本当にいいことしましたね。こんな時、ここにいないなんて。賢明な行動でしたよ。暫くベルリンに滞在なさるんでしょう? この混乱を避けて。終わってからゆっくり帰って来る・・・
 イェリェーナ 主人・・・私の? あの人の名前はもうこの家では禁句。分かった?
 ラリオースィック 分かりました、イェリェーナ・ヴァスィーリエヴナ・・・僕のいつもの癖。一番間の悪い時に一番悪い話題を出しちゃう・・・あのー、お茶は如何ですか? 今からお湯を沸かしますけど・・・
 イェリェーナ いいわ、いらないわ、お茶。
(ノックの音。)
 ラリオースィック 待って、待って、すぐに開けない。誰かを訊いてから。・・・どなた?
 シェルヴィーンスキー 僕だ・・・シェルヴィーンスキーだ。
 イェリェーナ よかった!(開ける。)どういうこと? これ。破局?
 シェルヴィーンスキー 負けだ。敵に街を占拠された。
 ラリオースィック 占拠? 酷い!
 イェリェーナ みんなは? 戦ってるところ?
 シェルヴィーンスキー 心配しないで、イェリェーナ・ヴァスィーリエヴナ。兄さんには僕は四、五時間前にちゃんと言っておいた。すべては順調に、うまく推移している筈だ。
 イェリェーナ すべてうまく? どういうこと? 総統は? それに軍隊は?
 シェルヴィーンスキー 総統はゆうべ、真夜中に逃げたんだ。
 イェリェーナ 逃げた? 軍隊を捨てて?
 シェルヴィーンスキー そう。その通り。ビェラルーコフ公爵もだ。(外套を脱ぐ。)
 イェリェーナ 卑怯者! 二人とも。
 シェルヴィーンスキー 最低だね。破廉恥漢だ。
 ラリオースィック で、電気はどうして?
 シェルヴィーンスキー 発電所がやられたんだ。
 ラリオースィック あーあ。
 シェルヴィーンスキー イェリェーナさん、僕を匿(かくま)って貰えるかな。将官はこれから捜索される筈なんだ。
 イェリェーナ ええ、勿論よ。
 シェルヴィーンスキー ああ、イェリェーナ・ヴァスィーリエヴナ、よかった、あなたが無事で。本当によかった。
(扉にノック。)
 シェルヴィーンスキー ラリオーン、まづ訊くんだぞ、誰か。
 ラリオースィック どなた?
 ムィシュライェーフスキーの声 味方だ、味方・・・
(ラリオースィック、扉を開ける。ムィシュライェーフスキーとストゥッズィーンスキー登場。)
 イェリェーナ まあ。ああ、よかった。・・・アリョーシャは? ニコールカは?
 ムィシュライェーフスキー 落ち着いて、リェーナ。大丈夫だ。すぐ来る。心配はいらない。道路はまだ封鎖されていないんだから。斥候隊が二人を護衛して来る。ああ、シェルヴィーンスキー、いたか。君には全部分かってるんだな、多分。
 イェリェーナ そうだったの。ほっとした。有難う。それにしてもドイツ軍ったら。何てことなの。
 ストゥッズィーンスキー もういい、リェーナ。もういい。仕方がないんだ。いつかこんな時もあったと思い出す時が来るよ・・・もういい。
 ムィシュライェーフスキー ああ、ラリオーン、いたか。
 ラリオースィック ああ、ムィシュライェーフスキーさん。大変でしたね。えらいことですね。
 ムィシュライェーフスキー うん。実にえらいことだ。天下一品のえらいこと。
 イェリェーナ まあみなさん、何て顔。ほら火の傍へ来て。暖まって。今お茶を沸かして来ますわ。
 シェルヴィーンスキー(暖炉のところから。)手伝おうか? リェーナ。
 イェリェーナ 大丈夫、一人で。(走り、退場。)
 ムィシュライェーフスキー いやあ、ご機嫌いよいよ麗(うるわ)しいですな、ウクライナ総統陛下副官殿。ほほう、肩章をどこかでお亡くしになられたかな? 「将官諸君、ウクライナに出動を頼む。時期が来れば必ず朕みずから・・・」と言ってハラハラと涙を落とされた。よくもまあこんな出鱈目が言えたもんだ。
 シェルヴィーンスキー 何ですか。その、人を小馬鹿にした調子は。
 ムィシュライェーフスキー 小馬鹿な人間は小馬鹿な扱いしか受けられないものさ。皇国に忠誠を尽くすことを誓い、総統にその健康を祝して乾杯したご本人君、一体今、その総統殿は、どこにおわしますかってんだ。
 シェルヴィーンスキー 何だと。
 ムィシュライェーフスキー 何だもかんだもない。いいか、もし俺がその総統陛下殿に今出くわしたとすればな、足を捕まえて、ころばした後、舗道の石に頭を打ち着けてやる。何度も何度も。俺の気のすむまでな。それからお前さん達、参謀本部の奴等全員、糞溜めへ放り込んで溺れ死にさせりゃいいんだ。
 シェルヴィーンスキー ムィシュライェーフスキー大尉、そんな言い方はないんじゃありませんか。
 ムィシュライェーフスキー 卑劣漢ども!
 シェルヴィーンスキー 何ですって?
 ラリオースィック こんな時に喧嘩なんか。・・・止めて下さい!
 ストゥッズィーンスキー 上官として命令する。ただちに言い争いを止めろ! 何ていう無駄な議論だ。それでどうなるというものでもない。大尉、何故この男に絡むのだ。中尉、落ち着いてくれ。
 シェルヴィーンスキー ムィシュライェーフスキー大尉の最近の言動は、全く腹に据えかねます。だいたい、ごろつきの言動ですよ。こんな破局に到ったからといって、私にその責任があるとでも言うのですか。その反対じゃありませんか。逸早くこのことをお知らせしたのは一体誰だったんですか。もし私というものがいなければ、生きて(ムィシュライェーフスキーを指差して。)あの人は今ここにおれたかどうか。どうなんですか。
 ストゥッズィーンスキー 全くその通りだ。分かる、中尉。分かっている。我々は君に感謝しているんだ。
 イェリェーナ(登場。)どうしたの。何かあったの?
 ストゥッズィーンスキー 心配しないで、イェリェーナさん。すぐ終わります。約束しますから。ちょっとあっちに行っていて・・・
(イェリェーナ退場。)
 ストゥッズィーンスキー ヴィークトル、謝れ。あんなことを言う権利は何もない筈だぞ。
 ムィシュライェーフスキー うん、そうだった。許せ、レアニード。悪い癖だ。かっとなってしまった。成り行きがあまり酷いもんだから、ついその・・・
 シェルヴィーンスキー 成り行きが酷いからといって、こちらに・・・
 ストゥッズィーンスキー まあ、謝っているんだ、中尉。許してやれ。怒ったってどうにもなるもんじゃない。
(暖炉の傍に坐る。)
(間。)
 ムィシュライェーフスキー どうしたんだろう、本当に、アリョーシャとニコールカは。
 ストゥッズィーンスキー うん、それが心配なんだ・・・もう五分待って帰らなかったら、私は行って見て来る。
(間。)
 ムィシュライェーフスキー それで、総統の奴の話だが、君の目の前でずらかったのか?
 シェルヴィーンスキー そう。僕の目の前で。最後の瞬間まで僕は一緒だった。
 ムィシュライェーフスキー そいつは見ものだったな。惜しかった、俺が居あわせてさえいりゃ・・・締め殺してやったのに。犬をやるように。・・・何でやらなかったんだ。
 シェルヴィーンスキー 自分で行って締め殺すんですね、その手で。
 ムィシュライェーフスキー 当り前だ。やってやるさ。そいつは請け合う。それであいつはどうした。別れに何か言ったのか。
 シェルヴィーンスキー 言いましたよ、それは! 肩を抱いて、これまでよく忠実に仕えてくれた、と感謝を・・・
 ムィシュライェーフスキー そしてハラハラと涙を?
 シェルヴィーンスキー ええ、ハラハラと涙を。
 ラリオースィック 涙? おやおや、驚きですね、それは・・・
 ムィシュライェーフスキー そして、別れにあたり何かを記念に贈られて、と。総統署名入りの金のシガレットケースか何かを。
 シェルヴィーンスキー ええ、シガレットケースを。
 ムィシュライェーフスキー おいおい、それはいくら何でも・・・なあ、レアニード、また怒らせることを言わなきゃならんので、すまんとは思うんだが・・・いや、君は悪い奴じゃない。実際、良い奴と言ってもいいぐらいだ。だが君には悪い癖があって・・・
 シェルヴィーンスキー 悪い癖?・・・何のことです。
 ムィシュライェーフスキー どうもその・・・うん、そうだ。君は小説家になればよかったんだ。君には想像力がある。実に豊かな想像力だ。・・・ハラハラと涙をこぼした・・・だけどな、俺がこう言ったらどうなるんだ。・・・そのシガレットケースを見せてみろと。
(シェルヴィーンスキー、黙ってシガレットケースを出す。)
 ムィシュライェーフスキー まいった。こいつは本物の署名だ!
 シェルヴィーンスキー さ、それで、何と仰いますかな? ムィシュライェーフスキー大尉殿。
 ムィシュライェーフスキー いや、分かった。今やる。おい、諸君。諸君の前で正式に謝る。レアニード、俺が悪かった。
 ラリオースィック 今までに僕、こんな美しいものを見たことがないな。重さ一ポンドは優にあるな。
 シェルヴィーンスキー 八十四パーセント、金だ。
(窓にノックの音。)
 シェルヴィーンスキー しっ、来たぞ。
(全員立ち上がる。)
 ムィシュライェーフスキー どうも気に入らないな・・・何故玄関から堂々と来ないんだ。
 シェルヴィーンスキー この際ピストルはない方が安全ですね。(シガレットケースを暖炉の後ろ側に隠す。)
(ストゥッズィーンスキーとムィシュライェーフスキー、窓に近づき、鎧戸を開き、外を覗く。)
 ストゥッズィーンスキー あ、畜生。何てことを俺はしてしまったんだ。(早く出てやらなきゃいけなかった。)
 ムィシュライェーフスキー ああっ、大変だ!
 ラリオースィック ああ、神様。(イェリェーナに知らせようと走り始める。)イェリェーナさん!
 ムィシュライェーフスキー どこへ行こうってんだ、馬鹿野郎。気が狂ったか。何を考えてるんだ。(ラリオースィックの口を手で抑える。)
(三人とも走り退場。間。三人、ニカラーイを担ぎ込む。)
 ムィシュライェーフスキー(リェーナに見られたらおしまいだ。)リェーナを、リェーナをどこかへ連れ出さないと・・・しかし一体どうしたんだ、アリェクスェーイは。・・・糞っ、この俺など、死んだ方がましだ・・・横にして、横に。直接床にだ・・・
 ストゥッズィーンスキー ソファの方がいい。さ、傷を捜せ。傷を捜すんだ。
 シェルヴィーンスキー 頭をやられている!
 ストゥッズィーンスキー 長靴から血が出ているぞ。靴を脱がせろ。
 シェルヴィーンスキー ここはまづい。あっちに移そう。床の上は駄目だ、やっぱり。
 ストゥッズィーンスキー ラリオースィック、毛布と枕を取って来てくれ。ソファに移すんだ。
(ニカラーイをソファに移す。)
 ストゥッズィーンスキー 靴を切れ・・・早く切るんだ・・・隊長の部屋に包帯がある。頼む。
(シェルヴィーンスキー、走り退場。)
 ストゥッズィーンスキー ヨードチンキもあった筈だ。そいつも。おお、この足でよく帰れたもんだ。しかし、何があったのか・・・隊長はどうしたんだろう。
(シェルヴィーンスキー、ヨードチンキと包帯を持って、走って登場。ストゥッズィーンスキー、ニカラーイの頭を包帯する。)
 ラリオースィック もう駄目なのかしら。
 ニカラーイ(意識が戻って。)おお・・・
 ムィシュライェーフスキー ああ、気が狂いそうだ。頼む、ニコールカ、一言だけ。どこにいるんだ、アリョーシャは。
 ストゥッズィーンスキー そう。隊長はどこなんだ。
 ニカラーイ ああ、みなさん・・・
 ムィシュライェーフスキー うん。何だ?
(イェリェーナ、矢のように駆け込んで来る。)
 ムィシュライェーフスキー リェーナ、心配しないでいいんだ。倒れてちょっと頭を打っただけなんだ。たいしたことはないんだ。たいしたことは。
 イェリェーナ 負傷してる! ああ、何を言ってるの。ほら・・・
 ニカラーイ 違うんだ、リェーナ、違う・・・
 イェリェーナ で、兄さんはどうしたの。兄さんは。(しつこく。)一緒だったんだろう? 答えて、ニコールカ、答えて。兄さんはどこ。
 ムィシュライェーフスキー そうか。そういうことだったのか。どうしようもないな、それは。
 ストゥッズィーンスキー(ムィシュライェーフスキーに。)馬鹿を言うな。そんなことはない。絶対にない!
 イェリェーナ どうして黙ってるの、ニコールカ。ね、どうして。
 ニカラーイ 姉さん・・・待って、今・・・
 イェリェーナ 嘘は駄目よ、ニコールカ。嘘だけは止めて!
(ムィシュライェーフスキー、ニカラーイに「黙ってろ」の合図をする。)
 ストゥッズィーンスキー イェリェーナ・ヴァスィーリエヴナ・・・
 シェルヴィーンスキー リェーナ、後にしよう。今は・・・
 イェリェーナ いいえ。私には分かってます。兄さんは死んだんだわ。
 ムィシュライェーフスキー 何を言うんです、リェーナ。そんなこと、誰も言ってはいないでしょう?
 イェリェーナ ほら、この子の顔を見て。見ればすぐ分かる。いいえ。顔など見なくたって。兄さんがここを出て行く時、私、それを感じたんだわ。私には分かっていたの、こうなるってことは。
 ストゥッズィーンスキー(ニカラーイに。)さ、言ってくれ。どうなったんだ、アリョーシャは。
 イェリェーナ ラリオーン! 兄さんは死んだの・・・
 シェルヴィーンスキー 水を。誰か、水・・・
 イェリェーナ ラリオーン! アリョーシャは死んだわ! たったゆうべのことよ、あなたと兄さん、そのテーブルに一緒に坐っていたのに。覚えているでしょう? それなのに、兄さんは死んだの・・・
 ラリオースィック イェリェーナさん。ねえ、イェリェーナさん・・・
 シェルヴィーンスキー リェーナ、リェーナ・・・
 イェリェーナ それで、何なの、あなた方は。将校でしょう? 本当に御立派。全員無事に帰って来て、隊長は死んでるなんて。
 ムィシュライェーフスキー 酷いよ、リェーナ、それは。隊長の命令は全て守ったんだ、我々は。全て守ったんだ。
 ストゥッズィーンスキー いや。彼女の言っている通りだ。私は全てに責任がある。隊長を残しておくべきじゃなかった! 私は将校、将官だ! 私は今、その責任をとるぞ! (ピストルを抜き、外へ出ようとする。)
 ムィシュライェーフスキー どこへ行く。待て。早まるな!
 ストゥッズィーンスキー 手を離せ!
 ムィシュライェーフスキー 俺一人が残れるとでも思っているのか。お前に責任などある訳がない。何の責任もありはしない。最後に隊長を見たのはこの俺だ。危険はちゃんと知らせた。隊長の命令もすべて実行したんだ。頼む、リェーナ!
 ストゥッズィーンスキー ムィシュライェーフスキー大尉、私を通すんだ。今すぐ。
 ムィシュライェーフスキー さ、ピストルを渡してくれ。シェルヴィーンスキー!
 シェルヴィーンスキー あなたにそんな権利はありません。何ですか、一体。事態を悪くするだけじゃありませんか。そんな権利はないんです。
(ストゥッズィーンスキーを抑える。)
 ムィシュライェーフスキー リェーナ、彼に命令してくれ。あなたの一言でこうなったんだ。あいつからピストルを取り上げてくれ。
 イェリェーナ ご免なさい。私、悲しくて・・・悲しくて、気が動転して言ったんだわ。さ、ピストルを渡して!
 ストゥッズィーンスキー(ヒステリックに。)私を非難出来るものはいないんだ! 誰も非難など出来ないぞ。私は・・・ 私は隊長の命令は全て実行したんだ!
イェリェーナ ええ。そう。非難など・・・私、頭がおかしくなっていたんだわ。
 ムィシュライェーフスキー ニコールカ、言ってくれ。・・・リェーナ、気を強く持って。俺達が捜して来る。・・・隊長を捜すんだ。どこなんだ、アリョーシャは!
 ニカラーイ 兄さんは・・・死んだ。
(イェリェーナ、気を失って倒れる。)
                     (幕)

     第 四 幕
(二箇月後。一九一九年一月五日夜。即ち、十二夜のイヴ。(英訳の註 即ち、西洋旧暦では一九一八年のクリスマスイヴに当たる。当時どこの家でも旧暦を守り、この日にクリスマスイヴを祝っている。現在も教会は旧暦。)部屋は明るく照明がついている。イェリェーナとラリオースィックが樅の木を飾っている。)
 ラリオースィック(脚立に上って。)どこにしようかな、この星は・・・(不思議そうに耳をすます。)
 イェリェーナ どうしたの?
 ラリオースィック いいえ・・・ただちょっと・・・イェリェーナさん、これで今度こそ終ですよ。ボリシェヴィキーが街をもうすぐ占拠します。
 イェリェーナ 慌てても駄目、ラリオースィック。まだ何もはっきりしてはいないんだから。
 ラリオースィック 今度こそは本当の兆候ですよ。撃ちあいが止んだんですから。正直なところを言いますとね、イェリェーナさん、この二箇月の、あの撃ちあいに、僕はほとほとうんざりなんです。好きじゃないな僕、あれは・・・
 イェリェーナ そうね。私も。この点では好み、一致ね。
 ラリオースィック この星はここが一番いいんじゃないかな。
 イェリェーナ もう降りてらっしゃい、ラリオースィック。落っこちて、頭でも割ったら大変。
 ラリオースィック どうしてそんな、イェリェーナさん。(僕、落っこちたりしませんよ。)・・・ムィシュライェーフスキーさんの言う通りだな。本当にクリスマスツリーっていいものだ。これが下らないっていう人なんかいるかな。顔を見てみたいや。ああ、イェリェーナさん! 僕、思い出すなあ。ジトーミルでの、あの、小さかった頃・・・もう戻っては来ないなあ・・・暖炉には暖かい火・・・緑色の樅の木・・・(間。)ああ、だけど、ここは素敵なんですよ。小さい頃よりもずっと。ここを出てどこか他の所へ行くなんて、(考えられもしないな。)この一世紀が終るまで、こんな風に樅の木の下で、イェリェーナさん、あなたの傍で、僕はどこにも行きたくないです。
 イェリェーナ すぐ飽きちゃうわよ。あなたって根っからの詩人なのね、ラリオーン。
 ラリオースィック 詩人・・・僕が詩人・・・何になるんだ、詩人が。くっ(「そ」と言いかけて。)あ、ご免なさい、イェリェーナさん。
 イェリェーナ 何か朗読して頂戴。あなたの新しい作品を。ね? 私、あなたの詩大好き。あなた、才能あるわ。
 ラリオースィック 本気で言ってるんですか?
 イェリェーナ そうよ。本気。
 ラリオースィック いいでしょう。朗読しましょう・・・でもこの詩、誰かに捧げられたものだから・・・そう。やっぱり止めとこう、あなたの前で朗読は。
 イェリェーナ どうして?
 ラリオースィック どうして、でも駄目です。
 イェリェーナ じゃ、誰に捧げられたか、それは?
 ラリオースィック ある御婦人に。
 イェリェーナ 「誰に」は秘密?
 ラリオースィック ええ。あなたにですから。
 イェリェーナ 有難う、ラリオーン。
 ラリオースィック 有難う、有難う・・・感謝されたって、三文の得にもなりゃしない。あ、ご免なさい、イェリェーナさん、こんな言い方。ムィシュライェーフスキーさんのが移っちゃった。あの人の言い方、移りやすいんですよ。
 イェリェーナ そのようね。あなた、ムィシュライェーフスキーさんに惚れちゃったのよ。
 ラリオースィック いいえ。僕、惚れたのは、イェリェーナさん、あなたに。
 イェリェーナ 駄目。私は駄目なの、ラリオーン。
 ラリオースィック ねえ、僕と結婚して下さいませんか。
 イェリェーナ あなたって善人中の善人だわ。でもそれは無理。
 ラリオースィック あの人なんか、帰って来っこありませんよ・・・帰って来なかったら、一人でいるっていうんですか? 無理ですよ。援助もなく精神的支えもなく。ああ、僕の援助・・・ゴミみたいなもんだなあ。そう。だから僕、あなたのこと、心から愛しますよ。一生。あなたは僕の理想の人なんだ。あの人、帰っては来ませんよ。特に今日。ボリシェヴィキーの占拠・・・これでピリオド。あの人、帰っては来ませんよ。
 イェリェーナ あの人は帰らない。でももう帰るか、帰らないか、そんなことは問題じゃないの。たとえ帰って来ても、私のあの人との人生は終わっているの。
 ラリオースィック するとあちらは切り離されたと・・・ああそうだ。あの人が出て行った時のあなた。見てはいられませんでした。僕の心臓からは血が流れ出ました。本当にあなたを見るのは辛かった・・・
 イェリェーナ 私、そんなに酷かったかしら?
 ラリオースィック 酷かった。悪夢だった。痩せて、痩せ細って・・・顔の色は黄色、どす黒い黄色・・・
 イェリェーナ お上手ね、作り話。
 ラリオースィック 違います。作り話じゃない。本当の話です。でも今はもうすっかり回復して・・・ふっくらと、薔薇色に頬も戻って・・・
 イェリェーナ あなたってとても真似の出来ない人よ、ラリオーン。さ、いらっしゃい、キスしてあげます、額に。
 ラリオースィック 額に? 何だ・・・でも、いいや、額でも!
(イェリェーナ、額にキスする。)
 ラリオースィック そうなんだ。僕なんかどうせ誰も愛しちゃくれないんだ。
 イェリェーナ いいえ。誰でも愛します。ただ私は駄目。もうあるの、ロマンスが。
 ラリオースィック えっ? ロマンス! 誰ですか、相手は。あなたにロマンスだって。そんなのないよ。
 イェリェーナ 私に似合わないって?
 ラリオースィック 女神様なんだから、僕には。相手は? 僕の知ってる人?
 イェリェーナ ええ、そう。よく。
 ラリオースィック よく知っている・・・待って・・・誰だ・・・待って、待って、待って・・・いいか、ラリオーン、君は何も見ていないんだぞ。・・・ああ、そうだ。キングがある時にはキングから出せ。クイーンを出すもんじゃない。・・・ああ、あれは夢じゃなかったのか。僕は夢だとばかり。なんて運のいい野郎だ、あいつめ!
 イェリェーナ ラリオースィック、その言い方、酷いわよ!
 ラリオースィック 出て行きます、僕は・・・出て行く。
 イェリェーナ どこに、どこに行くの。
 ラリオースィック ウオッカだ。ウオッカをひっかけに。意識がなくなるまで・・・
 イェリェーナ 分かるでしょう。あなただから言ったの・・・ラリオーン。私、あなたの友達なのよ。
 ラリオースィック 読んだ、僕、その台詞。小説で。「あなたの友達なのよ」・・・愛してはいない。終りっていうこと。これでもうすっかり終りっていうことなんだ!(外套を着る。)
 イェリェーナ ラリオースィック! 戻ってらっしゃい。今すぐ! すぐお客様が来るのよ!
(ラリオースィック、扉を開ける。玄関で、丁度入って来るシェルヴィーンスキーと鉢合わせする。シェルヴィーンスキーは酷い帽子に、よれよれの外套、目には青いサングラス。)
 シェルヴィーンスキー 今日は、イェリェーナ・ヴァスィーリイェヴナ! やあ、ラリオーン!
 ラリオースィック ああ・・・今日は・・・さよなら。(退場。)
 イェリェーナ おやまあ、何ていう格好!
 シェルヴィーンスキー おお、有難う、イェリェーナ・ヴァスィーリイェヴナ。いや、今日、この衣装で試してみたんだ。この姿で辻馬車に乗ってね。いや、道路にはうようよ出ていたね、プロレタリアートの連中が。そのうちの一人が僕を指差して言った。「見ろよ。ウクライナの旦那衆だ。明日まで待ってろ。明日になったら、お前なんか辻馬車から引きずり降ろしてやる。」僕の目はかなり確かなものでね、連中の様子ですぐ分かった。こいつは早速家に帰って着替えなくっちゃと。おめでとう、ピェトゥリューラはおしまいだ!
 イェリェーナ どういうこと? その話。
 シェルヴィーンスキー 今夜、赤軍が到着だ。「民衆の権力・サヴェート」とか何とかだ、多分。
 イェリェーナ どうしてそんなに嬉しそうなの。ボリシェヴィキーと間違えられちゃうわよ。
 シェルヴィーンスキー いや、僕はシンパなんだからね。どうだい、この外套。近くに住んでる運送屋に借りたんだ。この色なら無党派でね。無党派色の外套なんだ。
 イェリェーナ 厭だわ。早く脱いで頂戴。本当に何て外套!
 シェルヴィーンスキー 畏まりました。(外套を脱ぎ、帽子、靴を覆うゴム靴(オーバーシューズ)、眼鏡を取る。と、下は一点非の打ち所のない燕尾服姿。)ほーら、これが小生のデビュー姿。さっき歌って来て、見事採用試験に合格。
 イェリェーナ おめでとう。
 シェルヴィーンスキー リェーナ、誰もいないの? 家には。ニコールカは?
 イェリェーナ 寝てるわ。
 シェルヴィーンスキー リェーナ、リェーナ・・・
 イェリェーナ 放して・・・ちょっと待って。頬髭は? どうして剃ったの?
 シェルヴィーンスキー メイキャップにはこの方が便利だからね。
 イェリェーナ メイキャップしてボリシェヴィキーに化けるのね。狡いの。卑怯者! 御安心なさい。あなたに御用なんて言う人、誰もいないんだから。
 シェルヴィーンスキー 僕を御用にした方が損をするだけさ。二オクターブ、それにその二つ上の音が出るんだからね、この男は。・・・そうだ、僕、ちょっと喋っていいかな。
 イェリェーナ ひとくさりね。どうぞ。
 シェルヴィーンスキー リェーナ、これで全部終っちゃったんだ。・・・ニコールカは回復に向かっている・・・ピェトゥリューラはいなくなった・・・僕はデビュー出来た・・・これからは新しい人生だ。もう苦しむことはない。そしてあの男は帰っては来ない。切り離された男なんだからな、あれは。僕は悪い奴じゃないぞ。いや、実際、いい方の部類だ。それで君だ。君は一人なんだよ。君、萎れちゃうよ。
 イェリェーナ あなた、直す?
 シェルヴィーンスキー 直すって? 何だい、リェーノチカ。僕のどこを直すんだい。
 イェリェーナ 私ね、レアニード。あなたが直しさえすれば、結婚するわ。まづ最初はあなたの嘘をつく癖。
 シェルヴィーンスキー 僕はそんな嘘つきじゃないよ、リェーノチカ。
 イェリェーナ 嘘つきって言うんじゃないの。嘘つきっていうのは、もっと重いもの。あなたのは軽いの。単純な、口から出任せなの。何でしたっけ、あれ。そうそう。さっとしきりのカーテンが開き、我らがニカラーイ二世がお出ましになった。そしてハラハラと涙を落とされた。・・・そんなこと、ありはしなかったの。それからあの背の高いメゾソプラノの女の人・・・あれだって歌手でも何でもありはしない。カフェー「スェマダーニ」のウエイトレス・・・
 シェルヴィーンスキー あれはね、契約が切れて、ちょっとだけあそこへ勤めていただけなんだよ。
 イェリェーナ あらあら、あの女に音楽関係の契約があった・・・あらまあ。
 シェルヴィーンスキー リェーナ、僕はね、僕は亡くなった母、いや、亡くなった父の霊にかけてもいい。・・・分かるだろう? これで。僕は両親を失った孤児なんだ。・・・それにかけて、あの女との間には何もなかった。
 イェリェーナ あってもなくっても、そんなのどうでもいいの、私は。あなたの汚らしい秘密なんか、私には興味がないの。私が言いたいのは嘘、それに変な自慢を止めて頂戴ということ。あなたはたった一度だけ本当のことを言った事がある。あのシガレットケースの話。それなのに誰もあなたの言うことを信じたものはいない。結局証拠を出さなければならなかった。そんなの恥ずかしいことよ。
 シェルヴィーンスキー シガレットケースの話はその・・・実は、全部嘘なんだ。総統はあれを僕にくれやしなかったし、肩を抱きもしない。ハラハラと涙をこぼしもしない。ただ机の上に彼が置き忘れたんだ。そいつをポケットにいれたんだ。
 イェリェーナ じゃ、盗んだのね?
 シェルヴィーンスキー まあ、預かったんだ。歴史的価値のあるものだからな。
 イェリェーナ 呆れた。さ、出して頂戴、それを。すぐ。(出されたシガレットケースをさっと取り上げる。)
 シェルヴィーンスキー おいおい。中の煙草は僕のだけどな。
 イェリェーナ あなた、運がよかったのよ。もし今の話より先に私が知ってたら、どうなってたかしら?
 シェルヴィーンスキー さあね。分かるってのは無理じゃないかな。
 イェリェーナ 嫌な人!
 シェルヴィーンスキー 違うんだ、リェーノチカ。僕はもう「嫌な人」じゃない。すっかり変った。自分でも見違えるぐらいだ。戦争のあの破局のせいか。アリョーシャが死んだのが原因か・・・とにかく僕は昔とは違う。(それは安心してくれていい。)それから生活のことだけど、これも心配はいらない。はっはっは、リェーノチカ。僕はね・・・僕は今日、デビューで歌った。そうしたら監督が言ったね。「君、レアニード・ユーリエヴィッチ。すごいよ、君。すごい才能だ。いつか君、モスクワへ、バリショイ劇場へ行くべきだね。」そう言って近寄って来て、僕を抱いて・・・
 イェリェーナ (僕を抱いて)ハラハラと涙を・・・
 シェルヴィーンスキー いや・・・そのまま廊下に去って行った・・・
 イェリェーナ ちっとも治ってないわね。
 シェルヴィーンスキー リェーナ!
 イェリェーナ ターリベルクはどうしましょう。
 シェルヴィーンスキー 離婚だよ。あいつの住所分かってるんだろう? 電報を打 つんだ。簡単明瞭に、「終り。全てはおしまい」って打っとくんだ。
 イェリェーナ え、そうしましょう。私一人ぼっちで淋しかった。もうそれに決めたわ。
 シェルヴィーンスキー おお、イエスよ、ついに汝は征服せり。リェーナ!(歌う。)汝は世界の王なるぞ・・・ほら、「ソ」の音聞いた? 正真正銘の「ソ」だ。(ターリベルクの肖像画を指差して。)あんなもの捨てていいんだろう? 見るだけでも吐き気がする。
 イェリェーナ まあ、すごい迫力ね。
 シェルヴィーンスキー(優しく。)ねえ、リェーノチカ、吐き気がするんだよ。(額縁から破り取り、暖炉に捨てる。)鼠め! これでさっぱりしたぞ。
 イェリェーナ その高いカラー、よく似合うわ。あなた、ハンサム。確かにハンサムだわ。
 シェルヴィーンスキー しぶとく生きて行こう、二人で。
 イェリェーナ 二人で、は知らないけど。あなたは保証つきね、しぶとく生きて行くことにかけては。
 シェルヴィーンスキー リェーナ、あっちの部屋へ行こう。僕は歌う。君、伴奏して。僕等、二箇月も会っていないんだ。会っても、いつも邪魔がいた。
 イェリェーナ でもすぐ人が来るわよ。
 シェルヴィーンスキー その時にはまた戻って来ればいい。
(二人退場。扉を閉める。ピアノの音。歌劇「ネロ」の祝婚詩をシェルヴィーンスキー、素晴らしい声で歌う。)
 ニカラーイ(松葉杖をつき、登場。黒い帽子に学生服姿。顔色が蒼く、弱っている。)あ あ、リハーサルか。(写真を剥がされた額縁を見る。)ハハーン、破っちゃったか。なるほど・・・大分前からそうじゃないかと思っていた。(ソファに坐る。)
 ラリオースィック(玄関に登場。)ニコールカ! 君、起きたの? 一人? 待って。今クッションを持って来る。(クッションを持って来てやる。)
 ニカラーイ 大丈夫だよ、ラリオーン。いらない、いらない。あ、有り難う。ね、ラリオーン、僕、この儘びっこになりそうだ。
 ラリオースィック 何を言ってるんだ、ニコールカ。そんな弱気じゃ駄目だ。元気を出すんだ。
 ニカラーイ ねえ、ラリオーン、客はまだなんだね。
 ラリオースィック まだなんだ。でももうすぐだ。さっき僕、外へ出て来たんだけど、荷馬車、荷馬車、みんな逃げるところだ。乗っている奴らはみんな弁髪。どうやらボリシェヴィキーは相当奴らを痛めつけたらしいよ。
 ニコールカ いい気味だ。
 ラリオースィック それでも僕はウオッカをせしめて来たんだ! こんなについているな んて、生涯初めてだな! 手に入るわけないって思っていたんだ。僕っていつだってそうなんだから。僕が外に出た時は素晴らしい天気だった。空は澄んでいて、星が輝いて、撃 ち合いはパッタリ止まっていた・・・全て世は事もなし、だったんだ。ところが僕が足を一歩通りに踏み出したとたん、雪が降り出した。そして(本格的に)通りを歩き始めると、べた雪が顔一面に張りつくように降って来た。だけどどうだ。今日はウオッカ一本手に入ったんだ!・・・ ムィシュライェーフスキーさんに知って貰わなきゃな、僕の有能ぶりを。帰りに二回も転んで後頭部をいやという程道にぶっつけたけど、その度に瓶は高くかざしてね。ほら、無傷だ。な?
 シェルヴィーンスキーの声「この愛に祝福を・・・」
 ニカラーイ ほら、聞こえた? 衝撃的なニュースだよ。姉さんは離婚だ。シェルヴィーンスキーさんと再婚だな。
 ラリオースィック(ウオッカの瓶を落とす。瓶、粉々に割れる。)もう?
 ニカラーイ ああ、ラリオースィック。あらあらあら。何だい、ラリオーン。どうしたんだ、一体。あー、そうか、分かった! 君もぞっこんだったんだな。
 ラリオースィック 「ぞっこん」? 酷い言葉だ、ニコールカ。君の姉さんのことを話す時には、「ぞっこん」なんて言葉は駄目なんだ。分かるかい? あの人は純金なんだ。
 ニカラーイ 金じゃないんだな、あれは。赤毛なんだよ。それがそもそも不幸のもとさ。赤毛のためなんだ、誰もかれもが、すぐ姉のことを気に入ってしまう。一目姉を見る。すると次の日には花束が届いて来る。だから部屋はいつもほうきみたいに花束が立っているんだ。だからいつも鼠の奴が怒ってたんだ。そうだ、君、早く瓶のかけらは拾っとかなきゃ。ヴィークトルが来て見つかったら、ぶん殴られちゃうぞ。
 ラリオースィック 君、言わないでくれよ。(破片を拾う。)
(ベルの音。ラリオースィック、出て、ムィシュライェーフスキーとストゥッズィーンスキーを入れる。二人とも平服。)
 ムィシュライェーフスキー 赤軍がピェトゥリューラをやっつけてしまったなあ。ピェトゥリューラの軍隊が町を捨てて逃げて行く。
 ストゥッズィーンスキー うん。赤軍はもうスラボートゥカに着いたらしい。三十分もすれば、もうここだな。
 ムィシュライェーフスキー すると明日からはここもサヴェート共和国とやらになるのか・・・待てよ、何だ、この匂いは。ウオッカじゃないか! その時間にもならないのに、誰だ、ウオッカを飲んだ奴は! 白状しろ。この由緒正しい家で、こんな時間にウオッカを・・・何だ? 床をウオッカで拭いたのか?・・・ハハーン、誰の仕業か俺には分かった。壊すとはな。うん、何でも壊すんだ、その手は。真の意味でマイダス王の黄金の手だ。その手が何に触ろうと、触ったが最後、バン! 木っ端微塵だ。しかしそれが運命なら仕方がないな。これから割るのは食器にしてくれ。
(舞台裏では、相変わらずピアノの音。)
 ラリオースィック 僕にお説教ですか。沢山です! 何の権利があって僕に・・・
 ムィシュライェーフスキー おやおや、怒鳴られちゃった。こいつは、そのうち、殴られ ちまうぞ。いや、俺はどういう訳か、今日は機嫌がいいんだ。さ、仲直りだ、ラリオーン。お前に怒ってるんじゃないんだよ。
 ニカラーイ ところで、何故撃ち合いをやってないんでしょう、今日は。
 ムィシュライェーフスキー お行儀よく、お静かに退散中か。ドンパチがないのはたいし たもんだ。
 ラリオースィック でも不思議ですね。誰もがボリシェビキーが来るって、喜んでいるん ですよ。根っからのブルジョワっていう人達だって。ピェトゥリューラはそれだけ嫌われてたってことですね。
 ニカラーイ どんな顔してるんだろう、ボリシェヴィキーの奴ら。
 ムィシュライェーフスキー 嫌でも面突き合わせるさ。すぐにな。
 ラリオースィック 大尉殿は? どういうお考えですか?
 ストゥッズィーンスキー 分からん。さっぱりだ。私にはどう考えていいのか、全く分からん。一番いいのは、ピェトゥリューラの後について逃げ出すことかもしれん。白衛軍の俺達が、ボリシェヴィキーの側で暮らす。全く想像も出来ない話だ。
 ムィシュライェーフスキー 後について逃げて・・・それでどこへ?
 ストゥッズィーンスキー まづはあいつらの荷車にこっそり乗っかって、ガリーツィヤあたりまで。
 ムィシュライェーフスキー で、それから?
 ストゥッズィーンスキー そこからドンだ。ヂェニーキンの軍に合流。ボリシェヴィキーと戦う。
 ムィシュライェーフスキー またか。つまり、また例の将軍連中の命令を聞くということだ。全く賢い、賢い考えだ。アリョーシャの奴が、今お墓の中に収まっているってのが、残念だね。一家言あったからなあ、隊長は、将軍連中について。しかし、残念ながら、隊長殿は今はおられん。
 ストゥッズィーンスキー あ、頼む。隊長のことを思い出すと胸が掻きむしられるようだ。
 ムィシュライェーフスキー しかし悪いが、言わせて貰うぞ。・・・また軍隊? また戦うのか?・・・そしてハラハラと涙をこぼされる・・・冗談じゃない。お笑いだ。俺はもう充分笑ったぞ。特にな、アリョーシャが墓に入れられた時だ。俺は笑った。あれ以上笑ったことはないぞ。
(ニカラーイ泣き始める。)
 ラリオースィック ニコールカ、ニコールカ、止めて。お願いだ。
 ムィシュライェーフスキー 俺はもう沢山だ。俺は一九一四年からこっち、戦いづめだ。 何のために。祖国のため? 俺に恥をかかせておいて何が祖国だ!・・・この俺様がまたあの高貴なお方々にお仕え遊ばす?・・・何が高貴なお方々だ。これでも食らえだ。(親指を人指し指と中指の間に入れて拳骨を見せる。)
 ストゥッズィーンスキー そいつを言葉で表すとどうなるのかな。
 ムィシュライェーフスキー 今やってやる。心配するな。いいか。この俺様が馬鹿だっていうのか? お生憎様。このヴィークトル・ムィシュライェーフスキー様はちゃんと表明し てやる。俺はな、金輪際あの糞忌ま忌ましい将軍の奴らと関わりを持つのはお断りだ。これで終りだってことよ!
 ラリオースィック ムィシュライェーフスキーさんは今日からボリシェヴィキーだ!
 ムィシュライェーフスキー 構わんよ、それなら。俺は今日からボリシェヴィキー側だ。
 ストゥッズィーンスキー ヴィークトル、お前、何を言ってるんだ。
 ムィシュライェーフスキー ボリシェヴィキー側だが、ただ、コミュニストじゃない。
 ストゥッズィーンスキー 馬鹿なことを。言っていることが意味をなさんじゃないか。
 ラリオースィック 僕、言っていいかな。それ同じものなんですよ。ボリシェヴィーズムとコミュニーズム・・・
 ムィシュライェーフスキー(真似をして。)「同じものなんですよ。ボリシェヴィーズムとコミュニーズム」か。じゃいい。俺はコミュニストだ。
 ストゥッズィーンスキー なあ、大尉。お前はさっき「祖国」という言葉を使った。いいか。ボリシェヴィキーになったら、何が祖国だ。ロシヤは終りなんだ。覚えているか、隊長が言った。あれは正しかった。「我々の真の敵、それはボリシェヴィキーだ」と。
 ムィシュライェーフスキー 真の敵? いいだろう、真の敵。大いに結構。
 ストゥッズィーンスキー 連中はお前を動員するかも知れんぞ。
 ムィシュライェーフスキー 動員? 構わん。俺は、俺は行くぞ。戦ってやる。行くとも!
 ストゥッズィーンスキー 何故だ!
 ムィシュライェーフスキー 理由か? よし、理由を言おう。さっきも話が出た。ピェトゥリューラは何万だ? 二十万だ! その二十万の軍隊が、ただボリシェヴィキーという名を聞いただけで尻尾を巻いて逃げるんだ。きれいさっぱり、跡形もなしだ。何故か。ボ リシェヴィキーの後ろには雲霞の如き農民が控えているのを知っているからだ! そのボリシェヴィキーに対抗して一体俺が何を見せてやれるんだ。白衛軍を示す乗馬ズボンか? 縫い取りのある。そんなもの、連中は見る暇もありゃしない。特に縫い取りなんぞ・・・直ちに機関銃をひっ掴んでダダダッと来らあ。御苦労様さ。・・・だから俺達の前方に は壁のように赤軍が立ちはだかっている。そして後方には、ごろつきと博打うちに囲まれた総統陛下。俺は今その中間地点。もう結構。あんな糞みたいな連中と一緒に行動するのはもううんざりだ。動員でも何でもしろ! 少なくとも俺はロシヤの軍隊で働いていることになる んだ。今じゃ民衆は俺達の味方じゃない。俺達に敵対しているんだ。アリョーシャは正しかった!
 ストゥッズィーンスキー あいつらはそのロシヤをぶっ壊して、終止符を打ったんだぞ。それで何がロシヤの軍隊だ。我々の意見など聴く耳持つものか。ただバリバリ撃って来るだけさ!
 ムィシュライェーフスキー それなら撃たせりゃいい! 特高(訳註 チェカーをこう訳した。)に引っ立てられて、目隠しをされ、銃殺。それも結構。あいつらはそれで気がすむだろうし、俺達は・・・
 ストゥッズィーンスキー 私は戦うぞ、やつらと!
 ムィシュライェーフスキー どうぞ御勝手に、だ。さあ、軍用外套を着て、奴らの正面に姿を現すんだ。そして大声で叫ぶんだな。「ここを通さんぞ!」と。あいつら、あの時、ニコールカを階段から叩き落とした。ニコールカの頭がどうなったか、覚えているな?  だけど今度はあんなものでは済まされない。頭ごとどっかへふっ飛ばされるさ。本当だ・・・止めた方がいい。事はもう俺達の手の届かない所に行っちまったんだ。
 ラリオースィック 僕は内戦は反対です。恐ろしい。本当に何故無駄に血を流すんでしょう。
 ムィシュライェーフスキー 戦争に出たことがあるのか? 君は。
 ラリオースィック 僕、肺が悪くて、兵役免除だったんです。それに母を養う手は僕しかありませんから。
 ムィシュライェーフスキー そうか、そうか。同志、兵役免除君。
 ストゥッズィーンスキー ロシヤは偉大な国家だった。世界に冠たるものだった・・・
 ムィシュライェーフスキー 出来る・・・また出来るさ。
 ストゥッズィーンスキー そう。出来る。・・・またきっと出来る!
 ムィシュライェーフスキー 昔のじゃない。新たに、だ。新しいやつだ。それで今度はこっちから一つ訊いておきたいことがある。ドンに行くって言ったな。俺は予言する。そのドンできっとまた、お前をほっぽって連中は逃げ出すに決まっている。さてと、お前さんの隊長ヂェニーキン将軍が、また国外にずらかる。それでお前さん、どうするんだ。どこへ行くんだ。
 ストゥッズィーンスキー 私も国外だ。
 ムィシュライェーフスキー そこで厄介者になるだけさ。不要な人物さ。国外に出たが最後、シンガポールからパリまで、どこへ行ったって面(つら)に唾を吐きかけられるのがおちだ。俺は止まる。ロシヤに残る。それでどうなろうと勝手にしろだ。・・・これで話すことはない。終りだ。会合はこれでチョンだな。
 ストゥッズィーンスキー 私と行(こう)を共にする者は、どうやらいないようだな。
 シェルヴィーンスキー(走り登場。)待って、待って。会合をまだ終りにしないで。番外の声明発表がある。この度、イェリェーナ・ヴァスィーリイェヴナ・ターリベルクは、その夫、参謀本部付前大佐、ターリベルクと離婚し、(ここで自分を差し。)と、再婚を・・・(と言ってお辞儀をする。)
(イェリェーナ登場。)
 ラリオースィック あっ!
 ムィシュライェーフスキー おいおい、ラリオーン、俺達下賤の身じゃ、所詮高望みだ。リェーナ、素敵なリェーナ、お祝いだ。抱き締めるよ、キスするよ・・・いいだろう?
 ストゥッズィーンスキー おめでとう、イェリェーナ・ヴァスィーリイェヴナ。
 ムィシュライェーフスキー(玄関の方に走り出たラリオースィックを追って。)ラリオーン、おめでとうを言うんだ。礼儀じゃないか。出るんならそれが終わってから出るんだ。
 ラリオースィック(イェリェーナに。)おめでとうございます。どうぞお幸せに!(シェルヴィーンスキーに。)おめでとうございます・・・おめでとう。
 ムィシュライェーフスキー(シェルヴィーンスキーに。)いやー、えらい。立派なもんだ。こんな女性はいないんだからな。英語は話せる、ピアノは弾ける、それに家事も上手。俺もな、リェーナ、喜んで君と結婚したいところなんだ。
 イェリェーナ 駄目、ヴィークトル。あなたのところには行かないわ、私。
 ムィシュライェーフスキー ま、しようないな。だけど好きなんだ。心の底からね。しかし俺って人間は、独身で軍隊向きと来ている。女房子供のいない、さっぱりした家、兵舎みたいなのに住むのが似合っているのさ。・・・ああ、ラリオーン、酒を注ぐんだ。乾杯だぞ!
 シェルヴィーンスキー 待って、待って。そのワインは駄目だ。自分で持って来た。こいつにしよう。またこのワインの出来の良いことと言ったら。はっはっは・・・(イェリェーナと目が合い、急にしょんぼりして。)いや、まあ、普通のワインだ。たいしたことは ない。普通のアブラウ・ヂュルソー。
 ムィシュライェーフスキー ほほう、イェリェーナ。さすが教育の賜物だ。なあ、シェルヴィーンスキー、結婚してみろ。例の癖はすっかり治るぞ。さあ、二人を祝して乾杯・・・
(玄関の扉が開き、ターリベルク登場。平服にスーツケース。)
 ストゥッズィーンスキー 諸君、来客だ。・・・どうぞ、ヴラヂーミル・ラビェールトヴィッチ・・・
 ターリベルク では、失礼。
(死んだような沈黙。)
 ムィシュライェーフスキー なるほど。ここが出番か。
 ターリベルク やあ、リェーナ。何だ。驚いたような顔だな。
(間。)
 ターリベルク 変な話だぞ。驚かなきゃならないのは、こっちの方じゃないのか。こんな困難な時局に、家に帰ってみれば、こんな陽気な集まりだ。どうなんだ、リェーナ、これはどういうことなんだ。
 シェルヴィーンスキー それは・・・
 イェリェーナ 皆さん・・・どうか、ちょっと下がっていて下さい。二人だけで話したいのです。
 シェルヴィーンスキー リェーナ、僕は厭だ!
 ムィシュライェーフスキー おい、待て待て。・・・すぐ片はつくんだ。まづは落ち着き が肝心だ。・・・退散した方がいいんだね? リェーナ。
 イェリェーナ ええ。
 ムィシュライェーフスキー 一人でちゃんと出来るってことは分かってるんだが・・・ね、リェーナ、何かあったら呼ぶんだよ。この俺をだよ。さ、下がって煙草でも呑もう。ラリオーンの部屋だ。ラリオーン、クッションを取って。さ、行こう。
(全員退場。ラリオーンは何故か、爪先立ちで退場。)
 イェリェーナ さあ、どうぞ。
 ターリベルク これはどういうことだ。そちらからの説明を聞こう。
(間。)
 ターリベルク 一体何だ、この馬鹿騒ぎは。アリェクスェーイはどうしたんだ。
 イェリェーナ 死んだわ。
 ターリベルク まさか・・・何時?
 イェリェーナ 二箇月前。あなたが発って二日後。
 ターリベルク ああ、そいつは酷い。だから言わないこっちゃない。言っただろう? 覚えてるな?
 イェリェーナ ええ。覚えてますわ。それからニコールカはびっこに。
 ターリベルク うん。残酷な話だ、確かに・・・しかし、こういう事に私が責任ありだなどと思ってくれては困る。私は関係ないんだ。・・・それに、敢えて言うが、さっきの馬鹿騒ぎ、あんなことをやってもいいという理由にもならない。これは同意するな?
(間。)
 イェリェーナ どうしてお帰りになったの。今日にもボリシェヴィキーが入って来るという時なのよ。
 ターリベルク 状況はよく分かっている。総統政府だとか、何だとか、そんな馬鹿騒ぎは全て茶番劇に帰した。それにドイツが我々を瞞着した。しかし、運が良かった。ドンに行けるんだ。ベルリンで出張命令を確保出来たんだ。キエフはもう引き払わねばならない。・・・時間がないんだ。・・・君を迎えに来たんだ。
 イェリェーナ 私、あなたと離婚することに決めました。シェルヴィーンスキーと再婚します。
 ターリベルク(長い間の後。)なるほど。大変結構だ。私の不在をいいことに、あんな野郎と下卑たロマンスを・・・
 イェリェーナ ヴィークトル!
(ムィシュライェーフスキー登場。)
 ムィシュライェーフスキー リェーナ、一部始終を説明する件を、この私に一任するんだね?
 イェリェーナ ええ!(退場。)
 ムィシュライェーフスキー 了解だ。(ターリベルクに近づく。)出て行け、この野郎!
(殴る。)
(ターリベルク、怯む。玄関に出て、退場。)
 ムィシュライェーフスキー リェーナ! 君だけ、ちょっと!
(イェリェーナ登場。)
 ムィシュライェーフスキー 出て行ったよ。離婚には承諾だ。穏やかな話し合いでね。すぐ分かってくれたよ。
 イェリェーナ 有り難う、ヴィークトル。(ムィシュライェーフスキーにキスし、走り退場。)
 ムィシュライェーフスキー ラリオーン!
 ラリオースィック(登場。)もう行ったの?
 ムィシュライェーフスキー 行った。
 ラリオースィック あなた、天才ですね、ヴィークトル。
 ムィシュライェーフスキー 「俺は天才」・・・イーゴリ・スェヴェリャーニンか。あかりを消して、ツリーに火をつけよう。それから、何か、マーチでもやってくれ。
(ラリオースィック、部屋のあかりを消す。クリスマスツリーの豆電球をつけ、隣の部屋に走って入る。行進 曲。)
 ムィシュライェーフスキー さあ、みんな、入って!
(シェルヴィーンスキー、ストゥッズィーンスキー、ニカラーイ、イェリェーナ、登場。)
 ストゥッズィーンスキー これは綺麗だ! 部屋の空気がまるで違ってしまったなあ。
 ムィシュライェーフスキー 飾り付けはラリオーンだ。さあ、本格的にお祝いと行こう。ラリオーン、入っていいぞ!
(ラリオースィック、ギターを持って登場。それをニカラーイに渡す。)
 ムィシュライェーフスキー 素敵なリェーナ、おめでとう。幸せにな、これからずっと。忘れるんだ、厭なことはみんな。それから、健康を祈って、乾杯!(飲む。)
 ニカラーイ(ギターを弾き、歌う。)
   神々のお気に入り、魔法使いよ、教えてくれ。
   僕の運命はどうなっているのか。
   もうすぐなのか、僕が倒れ、墓に土を蒔かれ、
   敵を喜ばせるようになるのは。
   違うぞ、勝利だ。さあ、音楽だ。
   響け、勝利の歌。敵は逃げて、逃げて、逃げて行く。
 ムィシュライェーフスキー(歌う。)
   サヴェート人民委員会、万歳!
(ストゥッズィーンスキーを除き、全員、それに和す。)
全員 「さあ、勝利の勝鬨だ。ウラー、ウラー、ウラー。」
 ストゥッズィーンスキー 糞ったれ! この恥知らず達め!
 ニカラーイ(歌う。)
   暗い、暗い、森の奥から、彼を出迎えて、
   出て来るのは、修行のつんだ、霊感溢れる、魔法使い。
 ラリオースィック 素晴らしい!・・・明かりも、・・・ツリーも・・・
 ムィシュライェーフスキー ラリオーン! 演説だ!
 ニカラーイ そうだ。演説だ!
 ラリオースィック 駄目ですよ、本当に僕。それに、恥ずかしがりやなんですから。
 ムィシュライェーフスキー ラリオーン、演説だ!
 ラリオースィック 皆さんがそう仰るなら、僕、やります。でも何の準備もしていないんですから、下手はお許し下さい。皆さん! 私達は、最も困難な、最も恐ろしい時代に出くわしたのです。いろんなこと、本当にいろんなことを、体験して来たのです。・・・僕もその一人です。僕はまるで生き物のようなドラマの中を生きて来たんです。そしてこの僕の、ひ弱な体、華奢な船は、内戦の荒波をやっとのこと乗り切って来たのです。
 ムィシュライェーフスキー 華奢な船か。そいつはいい。
 ラリオースィック ええ、船なんです。・・・そして、気がつくとその船は、クリーム色のカーテンのある、この港に着いていた。そこには僕の大好きな人達がいて、その人達にも、それぞれのドラマが・・・でも悲しい話は止めにしよう。時代は変わったのだ。ピェトゥリューラは消え去ったのだ。・・・僕達みんな生きている。・・・そう・・・またみんな一緒になったのだ。・・・その中に特に大事な人が。ほら、それはイェリェーナさん。やはりいろんな、本当にいろんな事を体験して来ました。だから幸せになる権利があるのです。それだけ素晴らしい女の人なのです。僕はここでチェーホフの言葉をイェリェーナさんに送ります。「ああ、これでほっと息がつけるんだわ。これでほっと息がつけるんだわ・・・」
(遠くに大砲の音。)
 ムィシュライェーフスキー そうか。・・・ほっと息がつけるのか。・・・五・・・六・・・九!
 イェリェーナ まさか。また、戦争?
 シェルヴィーンスキー いや、あれは礼砲だ!
 ムィシュライェーフスキー うん。礼砲だ。六インチ砲が、礼砲を撃っている。
(舞台裏で、遙かに遠くから、「インターナショナル」を演奏するオーケストラの音が近づいて来る。)
 ムィシュライェーフスキー 聞こえるか? あれは赤軍だ。近づいて来る。
(全員、窓に進む。)
 ニカラーイ ああ、今日のこの夜は新しい歴史劇への偉大な幕開けですね。
 ストゥッズィーンスキー 誰かにとって幕開けなら、それは、誰かにとって終幕だ。
                      (幕)

    平成九年(一九九七年)八月十四日 訳了

       Acknowledgement
I thank Mr. Andrei B. Gorbatikov who helped me understand this play. Without his help, I could not have finished the translation.

http://www.aozora.gr.jp 「能美」の項  又は、
http://www.01.246.ne.jp/~tnoumi/noumi1/default.html