椿 姫  そのヴァリエーション

            テレンス ラティガン 作
             能 美 武 功 訳
  登場人物
ローズ
ヘティー
ロン
クルト
フィオナ
モナ
エイドゥリアン
サム

   第一幕  第一場  春
        第二場  六月
   第二幕  第一場  八月
        第二場  十一月

(場  カンヌにある別荘、シャトー・オーギュスト)

     第 一 幕   
     第 一 場
(場 南フランスの、ある別荘のテラス。建物は古びた様子をしている。ほぼ建ってから八十年。もともとは、或る伯爵の持ち物。テラスは広く、ここに置かれている庭用の調度類は、現代風で、非常に快適に見える。この別荘全体が、現在の所有者によって改装されつつあるところ。外壁には一部防水布が掛かっており、テラスからフレンチウインドウでつながっている居間が、客席から垣間見られるが、その居間の家具類には、塵よけの
シートが掛かっている。左手の階段は駐車場と玄関に通じ、右手の階段は庭とプールに通じる。いづれも客席からは見えない。日の出直後。へティー(女性、約六十歳)が、夜着に着替えず昼の衣装のまま、テラスの寝椅子で寝ている。毛布は掛けてある。左手の階段からローズ登場。三十代半ば。美人。着物の着こなしに、独特のスタイルと優美さあり。今は夜会服を着ているが、流行の先端を行く服装ではなく、自分の個性にあったものを注意深く研究して選んでいる。へティーがいることに気づかず、舞台奥にある飲み物の盆に進み、一杯注ぐ。グラスにサイフォンでソーダ水を入れる音でへティー、目が覚める。)
 へティー こんな時間に帰るって、どういうこと?
 ローズ(振り返る。驚いて。)へティー。待ってないでって言ったでしょう?
 へティー 確かに言ったわ。だから待ってはいなかった。でも、あの私の部屋は暑過ぎ。それにそこ(居間を差す。)は蚊、蚊、蚊。蚊の集会。政治スローガンをブンブン唸って・・・
 ローズ ここまでは蚊は上がって来ないわ。
 へティー それは貴女がそう思うだけ。この別荘、名前を付け替える時には、ヴィラ・ハマダラカとでもするのね。
 ローズ(怒って。)待っていられるのは厭って言ってるでしょう、へティー。私が外出する度にこうじゃない。起きていて貰う為に貴女を雇ってるんじゃないのよ。
 へティー そう。その為じゃないでしょうね。今飲んでいるのは何?
 ローズ 分かった。分かりました。オレンジソーダ。
 へティー 見せなさい。
(へティー、ローズに近づく。ローズの手から飲み物を取り、疑わしそうに嗅ぐ。それからグラスを返す。)
 へティー カジノではどれくらい飲んだの。
 ローズ 一杯。
 へティー 相当ひどいのをね、きっと。
 ローズ そう。ブランデー。ああ、どうしても飲まずにはいられなかった。何が起こったか聞いて頂戴・・・
(ローズ、急に後悔の表情。素早い動作でへティーの頬にキスをする。)
 ローズ ご免なさい、へティー。
 へティー 何が。
 ローズ 「雇っている」だなんて言ったりして。
 へティー 雇っているんじゃないの。そう言って何が悪いの。
 ローズ その理由を言う方がいいのかしら。
 へティー 私は雇われた「お友達」。そんなこと、誰が気にしますか。お金を払われないで「お友達」の役をやる方がよっぽど気になるわ。それに、この勢いで行くと早晩そうなりそう。カジノで今夜はどれだけどぶに捨てたの。
 ローズ たいした額じゃない。そうね、四千五百くらいかしら・・・
 へティー(素早く。)ポンド?
 ローズ いいえ、まさか。フランよ。四千五百ポンドも、私負けたことあって?
 へティー ないわね。先週の木曜日からは。
 ローズ あれは例外。言ったでしょう? 肥った男の人がいて、勝ちに勝って、白いチップをかき集めていたの。それを見ていたらどうかなってしまったのって。でも四千五百じゃなかった。二千よ。安心していらっしゃい、ちゃんと取り戻すから。いいえ、でも今夜のは酷い話。
 へティー 四ポンド十が酷い話?
 ローズ 金額じゃないの。その成り行き。ブランデーはそのせいよ。(非難するように。)へティー、貴女、文無しで私を外出させたのよ。
 へティー あら、そうだった? ご免なさい。でも、どうせクルトが一緒だったから、私・・・
 ローズ クルトはカンヌで蹴飛ばしちゃったの。
 へティー 五千万ポンドも、蹴飛ばし?
 ローズ(微笑む。)心配しないで。お仕舞いにしたんじゃないの。でも今夜はどうでもいい退屈な話題ばかり。本当にあきあき。仕舞いには怒鳴りつけたくなったの。「たくなった」んじゃないわね。怒鳴っていたわ、きっと。私、頭痛がするって言ったの。クルトはギリシャ財閥の連中にくだくだと話していたわ。私さっさとおいて出た。
 へティー 頭痛を使ってさよならね。たいした芝居だわ。それで?
 ローズ それで・・・まだ早かったでしょう?・・・
(へティー、腕時計を見る。)
 ローズ(辛々して。)へティー、毎日必ず十二時までには寝なさい、なんて医者に言われてはいませんからね。
 へティー(静かに。)医者はそう言っているんです。
 ローズ そうだったかしら。とにかく、まだ早いように思った。それにまだもう少し賭けてみたかった。で、ジュアンに寄ったの。殆ど人がいなかった。テーブルも一つだけ開帳。椅子さえなしよ。やっていたのはバカラ。 二、三回見ていたわ。胴元に立っていたのが、ひどいめっかちの女。私テーブルに近づいて言った。「バンコ」って。カードが配られて、私は八、で胴元は・・・
 へティー(ローズと同時に。)九。
 ローズ そう。で、私はいつものあの微笑みを浮かべて・・・賭に負けた時のあの取っておきの、いつもの微笑み。そしてバッグを開いた・・・ないの。空っぽ。一フランも。
 へティー でも貴女が何者かぐらい、その人、分かっていたんでしょう?
 ローズ 分かっていたとしたら随分うまく隠していたわ。いづれにしてもジュアンにはもう私、何年も行ってなかったし・・・私、バッグの中を徒(いたづら)にかき回して・・・その時間の長いことったら。世界の歴史の中で最も長い時間。その間に、さっきのとっておきの笑顔がだんだん凍りついてくるのが分かるの。そしてバッグの中はがらくたばかり・・・
 へティー がらくた! あのシガレットケースを出せば良かったのに。
 ローズ 少しは真面目に考えて、へティー。それをテーブルに出して言うの? 「これは本物のファベルジェ。私の二番目の夫、ドゥ・ボープレ侯爵からの贈り物。ついでにこれ、この真珠は、つい先頃亡くなった前の夫、マイケル・ブラッドフォードからの。マイケルは映画スター。ご存じでしょう? それからこのエメラルド、これは今付き合っているクルト・マストから貰った物。ほら、例の銀行家。」こんな馬鹿なことがいえますか。
 へティー そんなこと言わなくてもいいでしょう? ただ自分の名前を言えば。
 ローズ じゃあ、私の名前は? 言ってみて。
 へティー きっと店の人達、気づいていたわよ。
 ローズ どの名前?
 へティー 生まれた時からの名前よ。新聞に載っている名前。
 ローズ 気がついていなかったら? とにかく私、その名前嫌いなの。新聞はどうしていつもあの名前を使うのかしら。私の正しい名前はブラッドフォード。いつかマストになることがあったとしてもね。いづれにせよ私、四千五百の借りのあるあのめっかち女に、「実は私の名前は・・・」なんて言う気はないわ。言わせようとしたって言うもんですか。(言い止めて飲み物の盆の方を向く。)一杯飲むわ。
(へティーがじっと見ているので。)
 ローズ 「多くはいけません」が、医者の言葉よ。「全く駄目です」とは言わなかったわ。
 へティー 分かっています。私だって聞いていました。
(へティー、ローズがブランデーを注ぐのを見ている。)
 へティー ただ、朝五時半にブランデーをすすめたかどうか、それは疑問ね。
 ローズ あの人何も知ってはいない。やぶの若僧。誰か別の医者を捜さなくっちゃ。
 へティー そうね。遊び用にもう一人ね。
(間の後。)
 へティー で、それは言いたくなかったってことね。
 ローズ え?
 へティー 自分の名前。
 ローズ 言ったでしょう。あれは私の名前じゃないの。
 へティー そう・・・それで、そのめっかちの女に何て言ったの?
 ローズ 自分が嘘をついていないって事を見せるため、まっすぐその女の目を見たわ。それがまっすぐに見えたかどうか疑問だけどね。相手がめっかちじゃ。それから言った。「ご免なさい、貴女。私、お金を持たないで出て来ちゃったらしいわ。小切手でしか払えないんですけど。」完璧なフランス語。すまなそうな微笑。滲(にじ)み出てくる誠実な魅力・・・でも無駄。伏魔殿じゃ通用しない。お決まりのスペード型の顎髭の、小柄な男が事務所から出て来た。 豚箱行きだったわ、多分。もしあの男の子が現われなかったら。
 へティー ハハーン。やっと本論ね。
 ローズ ハハーンじゃないわ。
 へティー 本当?
 ローズ 本当。
 へティー どうして。
 ローズ テカテカのこれ。(手で高いヘアスタイルの格好。)
 へティー あらまあ、ボクシング、ウエルター級、オリンピック選手ってところね。今時その格好じゃ。
 ローズ この子は、バレーのダンサー。
 へティー で?
 ローズ 友達がいたわ。素敵な、落ち着いた、でもしっかりしていて、ひどく用心深い。男の子の方は・・・そうね、ひどいわ、とにかく。派手好きの、目立ちたがり。私のことは知っていた筈。だってソフィーなんとかって女優がいるわね? その楽屋で会ったことがあるの。その晩私、白のバレンシアーガを着ていた。その子、それをやたらに褒めたわ、その時。四千五百。貴女、持ち合わせある? へティー。
 へティー ここにはないけど、上に行けば。何故?
 ローズ 二人がそれを取りに来るの。
 へティー 何時。明日?
 ローズ いいえ。今夜。というのは今朝ってことね。返すのが終わったらすぐもう一勝負やりたいって言ってるの・・・
 へティー(怒って。)ローズ、なんて話! 本当に無茶よ。無茶を通り越している。
 ローズ だってお金は返さなきゃいけないでしょう? それに二人はモンテカルロに住んでいるっていうから・・・
 へティー 郵便がストライキ中とは知らなかったわ。
 ローズ 家に呼ばれたいっていうのが見え見えだったの。特に男の子の方が。新しく家を買ったっていう事も知っていたわ。
 へティー(シートが被せてある居間を見て。) 見せるものが沢山あるわね。ローズ・・・本当に! 上げたら、あと一時間はどうしても起きていなきゃならないわ。整理のついてない、隙間風の、ヴィラ・ハマダラカを見せて、そのジゴロを驚かせようって、ただそれだけの為に・・・
 ローズ そう。 オーギュスト伯の手になる別荘をよ。それにあの子、ジゴロじゃないわ。ちゃんとしたダンサー。スペクトル・ドゥ・ラ・ローズ、それにブルーバードも踊っているわ。友達がすごいのよ。有名なバレー振り付け師。私達がニューヨークに行ったでしょう。あの時見たミュージカル。あれも作った人。(辛々して。)分かったわ、へティー。明日一日中寝てる。
 へティー 寝ないわね。あの昼食パーティーがあるわ。
 ローズ そうだった。じゃあ、午後中・・・
 へティー モナとお茶。その後、ジョンソン夫妻とカクテルパーティー。
 ローズ そうだったわ。酷い話。
 へティー そう。酷い話。いい? 私が会います。お金を渡して、飲み物を飲ませて、がらくたを見せる。貴女は寝てるの。
 ローズ 駄目ね。どうせ寝ていられないわ。
 へティー しようがないわね。じゃ、睡眠薬。
 ローズ ゆうべも二錠飲んだ。中毒は嫌。モナみたいにはなりたくない。
 へティー どうして眠れないの? ここのせい? (自分の胸に手を当てる。)
 ローズ 違うわ。最近それは感じないの。
 へティー じゃあ何?
 ローズ(軽く。)何かしら。悔恨ね、多分。過去の罪と恥の生活への。(へティーの目が注がれているのを感じて。)冗談。眠れないだけ。眠れない人っているわ。(テラスの外を見て。)海岸のこっちから見ると、朝日がどうしてあんなに安っぽい水彩画に見えるのかしら。薄汚れていて、惨めったらしくって、悪臭までしてくる・・・
 へティー(肩をすくめて。)それがこっちの海岸なのよ、きっと。
 ローズ ちょっと洒落(しゃれ)て言っただけよ、へティー。こっち側はこっち側でいいの。ごちゃごちゃして、品がないけど、面白いじゃないーーーブラック・プールとかアトランティック・シティーみたいに。奇麗にばかりしていると、楽しみたい人に悪いじゃない。(耳をすませる。)あの車。ちゃんとここが見つかったんだわ。
 へティー それは見つかるでしょうね。マルセイユからだって、ここは見えるんだから。
 ローズ(左手の手摺りにより掛かって、呼ぶ。)ここよ。テラスよ。(へティーの方を向く。)薄青のサンダー バード。
 へティー たいしたものね。
(ロン登場。およそ二十三歳。スポーティーな服装。「トニー・カーティス」流の髪型。)
 ローズ よく捜せたわね。あの人は?
 ロン モンテカルロに帰った。謝っておいてくれって。疲れているもんだからって。
(正体不明の訛りで話す。フランス語にも、ロシア語にも似ている。が、基本的には中部イングランド訛り。)
 ローズ ジュアンには一緒に行ったんじゃないの? あの人どうやって帰ったの?
 ロン エー、タクシーで。
 ローズ(意地悪く。)じゃあ、あの外の青い車、貴方のもの?
 ロン いや、違う。彼は金持ちの舞台振り付け師。タクシーも使える。僕は貧しいダンサー。タクシーは使えない。
 ローズ そう。(へティーを紹介しようとして。)ところで、ご免なさいね。私、名前を覚えるのが苦手なの。それに貴方のは難しいわ。
 ロン アントン・ヴァーロフ。
 ローズ あ、そうだったわ。ムッシュー・ヴァーロフ・・・レイディー・ヘンリエッタ・クリットン・パリー。
 へティーとロン(呟く。)はじめまして。
 へティー 飲み物をお持ちしましょうね。
 ロン(「レイディー」の称号に怯(ひる)んで。)ええ。でも・・・レイディー・ヘンリエッタ・・・僕は自分で・・・
 へティー いいえ、飲み物の世話は私の仕事です。それに、この仕事が一番楽しい仕事。何にしますか?
 ロン ロゼがありますか。
 へティー あるわ、勿論。
 ロン(ローズに。)素晴らしい眺め。今まで見た中で最高。そうだ、キャップ・フェラーにあるメイベル・ペンリン家、あの家からの眺めといい勝負だ。
 ローズ メイベル・ペンリンって誰?
 ロン ペンリン伯爵夫人。知りませんか。驚いたな。誰でも知ってますけど。
 ローズ 「誰でも」知ってるっていう人を、特に私、知らないの。で、その家からの眺めがいい?
 ロン 素晴らしい。でもこの朝焼けの景色が見られるのは嬉しいな。特権を享受しているっていう気持ち。南フランスの朝焼けは世界中のどんな景色よりも上だ。(大きな仕草。)あの色、なんてすごいんだ。違いますか? あ。失礼。 (この時までにへティー、ロゼワインを持って近づいていて、ロンの大きな動きでワインをこぼしそうになる。)
 へティー 大丈夫。
 ロン そう。リヴィエラの朝焼け。その魔法、その不思議、安定した美しさだ。そうですね?
(へティーとローズ、目を見交わす。)
 ローズ(やっと。)そうね。(へティーの方を見て。)へティー、借りたお金、ヴァーロフさんにお返しして。
 ロン(明らかに当惑しているという仕草。)エー、あれはいいんです。
 ローズ(苛々した様子を見せて。)返して貰いたくないってこと?
 ロン 都合のいい時で。
 ローズ 今が都合がいいの。(へティーに。)ついでにブランデーソーダをお願いするわ。
 へティー(行きながら。)駄目。それは自分の墓穴を掘るってことよ。
(へティー、居間に入る。ローズ、微笑んで、飲み物の盆を見、注ごうとするが止め、坐る。)
 ロン(畏怖の念が声に出そうになるのを抑えながら。)レイディー・ヘンリエッタ・クリットン・パリー・・・エイシャー伯爵の娘。そうですね?
 ローズ ええ、そう。
 ロン ここにはもう長く?
 ローズ 二年よ。
 ロン Tiens, c'est amusant, ca! (ふーん、面白いな。)
 ローズ Qu'est-ce qui est amusant? (何が面白いの。)
 ロン(またすぐ英語に戻す。自分のフランス語の発音、ローズの発音よりよくない。)伯爵の娘が、召使いになっているなんて。
 ローズ 召使いじゃないわ。秘書。社交時の。
 ロン ええ、まあ、呼び名はいいですが・・・あの一族、ずっと羽振りがいいと思っていました。
 ローズ(だんだん声に刺が出てくる。)かってはそうだった、あの一族。あの人も羽振りがよかった。でも運悪く人が死んで相続税のことがあり、いろいろ巡り合わせの悪いことがあった。仕事につくことが必要になり、運良くこの仕事が見つかった。私も運よくあの人を見つけた。これでこの話は尽きている筈。そうね。
(間。)
 ロン(冗談に紛らそうと。)ボープレー侯爵夫人様はご立腹遊ばされた。どうかお怒りになりませぬよう。頭に入れておいて下されなければ。この哀れなバレーダンサーは、上流社会のことなら何でも首をつっこんで、知りたがる悪い癖があるのです。
(間。)
 ローズ(やっと。)ヴァーロフさん、申し上げねばならない事が三点。いいですか。第一点。私は何も貴方に怒ってはいません。ちょっと疲れていて、それを見せたかも知れません。でもそれだけ。第二点。ボープレー侯爵夫人。今は違います。一人夫を抜かしています。
 ロン あ、失礼。マイケル・ブラッドフォード夫人。そうでした。失礼しました。
 ローズ それはいいの。めまぐるしくって、ついてはいけない筈だもの。それから最後の点。貴方、怒るかも知れない。でもどうか怒らないで。物心ついてからこのかた、私が死ぬ程嫌いなもの、それはごまかしの発音。いいですか、止めて戴きたいの、貴方のその発音。元の故郷の言葉、バーミンガムの発音にして欲しいの。
(間。)
 ロン エー、何のことでしょう。
 ローズ バーミンガムなの。そうでしょう。私はめったに間違わない。
 ロン(強情に。今までの発音で。)何のことか、ちょっと・・・
 ローズ いい? 私は二十歳までファイブ・タウンズ・アヴェニューの外れのフロッグモア・ロードで育ったの。ブラム訛りは一マイル先からでも嗅ぎ分けるわ。貴方だって私のブラム訛りを嗅ぎ付けている筈。一生涯私達にくっついて離れないものだわ、これは。貴方フロッグモアよりもっと酷いところの出ね、きっと。あそこよりもっと北の方、多分。そうでしょう。
(ロン、ローズをじっと見つめる。相変らず礼儀正しい当惑の表情。へティー、何か書き付けらしい物を数枚持って登場。)
 ローズ 何をしていたの? 昔の私宛のラブレターでも読んでいたの?
 へティー あらあら、気取っちゃって。貴女の恋人で手紙なんか書ける人いたかしら。違ったわ。金庫の中にはラブレターよりもっと面白いものがあったの。
 ローズ 例えば?
 へティー 請求書。
 ローズ(欠伸。)ああ、あれ。
 へティー(ロンに。)四千五百でしたわね。
 ロン(今までと変わらないアクセント。)いいえ、四千三百五十です。お釣りはあります。
(へティー、ロンを見る。ロン、へティーと目をあわせない。へティー、仕様がないというように肩をすくめる。ロン、へティーに小銭を渡し、紙幣を受け取る。)
 へティー 海岸のこっち側で、ごまかさない人がいるなんてね。驚いた。さあ、私は寝るわ。(ロンに。)ヴァーロフさん。この人、早く寝かせてあげなきゃ駄目よ。病人なんですからね。
 ロン(まだ同じアクセント。)ああ、それはいけませんね。何の病気なんですか。
 へティー 肺結核。
 ローズ(怒って。)何、へティー。貴女の考えていることって何時も小説じみているのね。(ロンに。)ちょっと肺の調子が悪いの。それでストレプトマイシンによる治療中。
 へティー それの投与の度に気絶。
 ローズ アレルギー、単なる。当たり前でしょう? 今は素敵な新しい錠剤をくれるわ。
 へティー それをブランデーで流し込むの。嗅ぐのさえ医者から禁じられているっていうのに。
 ローズ へティー、貴女、もう寝なさい。貴女の話うんざりだわ。ヴァーロフさんもきっとうんざり。
 へティー そうね。じゃあお休み・・・こんなに明るいんじゃ、「こんにちは」の方がいいかしら。
(へティー退場。間。ローズ、飲み物の盆に近づく。)
 ローズ お代わりは?
(ロン、空のグラスを持って、ゆっくりとローズに近づく。ローズ、へティーが開けた罎を取って、彼のグラスに注ぐ。自分にはブランデーとソーダを注ぐ。)
 ロン(ローズのグラスを指差して、はっきりしたバーミンガム訛りで。)そいつは医者に止められてるんじゃないのかな、ねえさん。
 ローズ(同じバーミンガム訛りで。)そう。仰せの通り。飲んじゃ駄目。でも、ほら・・・
(ローズ、柔らかく笑う。 始めてロンを気に入る。ローズ、ロンの袖に触れて、今までの普通の言葉つきに戻る。)
 ローズ 有難う。それにご免なさい。でも謝るより有難うっていう気持。
 ロン(訳註 酷い訛りではない話し方。)場所は違っていた。アケイシア通り。
 ローズ レミントンロードの外れ? あら、本当にすごい所ね。ウオリック・アームズに行ったことある?
 ロン 行ったかだって? 当然。ただアルコールは抜きだった。バレーの練習をしていたから。だけど土曜日の夜はよく行ったな。
(ロン、ここらでは少しブラム訛りの、自然な言葉つきで話している。)
 ローズ ハリーズ・ホットスパーズ楽団がラウンジで演奏していた頃ね・・・あ、違う。これ、貴方よりもっと古い時の話。
 ロン いや、僕の時にもまだやってた。一九五二年の頃も。酷い演奏だったなあ、あの連中。
 ローズ 酷かった? 素敵だと思っていたわ、私。あの頃の夢。それは、誰かが私を土曜日の夜あそこへ連れて行ってくれて、ジン・ベルモット(訳註 It はイタリアン ベルモット。このカクテルはマテニだが。)を奢って貰うこと、そしてミス ローズ・フィッシュの特別リクエストで、It's a Lovely Day Tomorrow を聞くことだった。
 ロン あそこから出て来たのはいつ?
 ローズ 戦争が終わった年。
 ロン(尊敬するように。)それから随分遠くに来たものですね。
 ローズ そう。遠くに。貴方もそうだわ。
 ロン いや、僕はまだ出て来ただけ。どこにも行きついちゃいない。でも僕はやる。手相見、水晶の占い師、誰もが僕のことを見て、いい運勢だって言うんだ。
 ローズ 運勢って、才能のこと?
 ロン いや、金が入るって言うんだ。だけど同じことじゃないかな。才能と運勢。
 ローズ ええ、そうね。(この話題、ローズにはつまらなさそう。突然レコードプレイヤーの方を向く。)貴方、どんな音楽が好き? ヴァーロ・・・エート、本当の名前は?
 ロン ヴェイル。ロン・ヴェイル。
 ローズ あら、どうして名前を変えたの? いい名前じゃない。アントン・ヴァーロフだなんて、今じゃ古くさいわ。
 ロン フランスじゃ、まだ古くさくないんだ。連中自身が古くさいから。ここ以外のどこでだって、ロナルド・ヴェイルの方がずっといい。だけどここじゃ・・・そう、たしかにロイヤルバレーは悪くないとは思っている。「フォンテーン、ソウムズ、アシュトン、いいね。だけど本物のバレーといやあ、何て言ったってディアギノーフ、フォーキン、カルサーヴィナさ。」とくる。ロシア名前でないと駄目なんだ。それに国籍をぼかしておくと色々いい事があるし・・・
 ローズ いい事? どんな?
 ロン それは、いろんな具合に。驚くだろうな、きっと。
 ローズ 驚くとは思えないわね。音楽は何がいい?
 ロン(レコードプレーヤーに近づきながら。)何でも。バレー音楽以外なら。
 ローズ ロックンロール? クラシック? それとも何かロマンチックなもの?
 ロン ロマンチックなもの。
(突然、非常な自信を持ってロン、ローズの腰に手を回しキスをしようとする。優しくローズ、ロンの自信に匹 敵する技術を持ってロンの意図を躱(かわ)す。)
 ローズ 掛かっているものをかけるわ。
(ローズ、スイッチを入れる。暫くすると「椿姫」の序曲が聞こえてくる。)
 ローズ しようがないわね。これは好みじゃないの。フィオナだわ、きっと。
 ロン フィオナ?
 ローズ 私の娘。十六歳。貴方のようにロマンチックなものが好きなの。私の趣味は違うわ。
(ローズ、掛かっているレコードを止め、他のレコードを捜す。 ロン、急にローズに近づき、相手の身体を回し、自分の正面に向かせる。)
 ロン 何考えているか、僕には分かってる。
 ローズ そう?
 ロン 僕が本気じゃない、と思っているんだな。サムのことを考えているんだ。
 ローズ サム?
 ロン サム・デュヴィーン。振り付け師。(ローズが相変らず思い当たらない様子なので。)僕がカジノで一緒にいた・・・
 ローズ(静かに。)ああ、あの人のこと。ねえ、貴方、私、サム・デュヴィーンのことなんか考えてはいなかったわ。本当に。エート、レコード、何にする?
 ロン(ローズをまたこちらに向けて。)分かってる。僕はすぐそう見られるんだ。だけど僕のせいじゃないぞ。そう。まづこの髪形だ・・・勿論変えたって構やしない。だけど何故変える必要があるんだ。
 ローズ そうよ。(変える必要ないわ。)
 ロン バレーの世界にいるっていうことからしてそうなるんだ。疑わしきは罰せずって事を女は知らないのか。・・・(猛烈な勢い。)サム・デュヴィーンは僕のいい友達だ。それ以上でも以下でもないんだ。
 ローズ そんなに苛々しなくていいの、ヴェイルさん。あの人の事で私が知っていることっていったら二つしかないわ。一つは、いつか見たミュージカルであの人が素敵なダンスを作っていたという事。もう一つは、青い色のしゃれたサンダーバードを持っているっていう事。さあ、レコードを選ばせて頂戴。
 ロン(暗い調子。)あれもまづかったんだ。分かってる。じゃいい。彼は僕に自分の車を運転させた。それにモンテカルロの自分の別荘に僕を住まわせている。 そうだ。だからその目で見れば彼はそうかもしれない。だけどそれでどうして僕がそうなんだ。
(ロンからの提案がないのでローズ、自分でレコードを選び、かける。)
 ローズ これは害がないわ。「会話のためのバックグラウンドミュージック」。続きは? さあ、どうぞ。
(ローズ、ロンから遠く離れて坐る。ロン、すぐ後に続く。)
 ロン  サムが僕に感じていること、それは彼が勝手に考えているんだから、僕にはどうしようもないじゃないか。そうだろう?
 ローズ(静かに。)訊かれたから答えますけどね、ヴェイルさん、どうしようもないっていうのはおかしいわ。できる事はある筈よ。さあ、何か他の話をしましょう。
 ロン 僕が今言った事、信じてくれる?
 ローズ 何の話なのか、私にはあまりよく分からないけど。
 ロン 僕が女を追っかける事が出来るかっていう事。
 ローズ(間の後。)貴方を追っかける女がいたら、それは貴方も追っかけるかもしれないわね。
 ロン(必死に。)僕が貴女の事を追っかけているのって、信じられる?
 ローズ 今の私の答に当て嵌めれば、信じられないって事になるわね。
 ロン(感心したように微笑して。)これはいい。本当にいいや。いいだけじゃすまない。凄いんだ、貴女は。分かってきた、僕には・・・
(車の音がする。)
 ローズ しようがないことになったわ。
 ロン こんな時間に誰が来るっていうんだ。
 ローズ(急いで。)そのあかり消して。
 ロン(テーブルランプのスイッチを捜しながら。)どこ? スイッチ。
 クルト(舞台裏で呼ぶ。)ローズ。起きてるのか。
 ローズ こんなに遅いのに。(呼ぶ。疲れた声。)ここよ。起きてるわ、クルト。
 ロン(手摺りから下を見ながら。)ええっ? すごい車だぞ。運転手つきだ。朝の六時! こんな朝っぱらから運転手をつけていられるとはな!
 ローズ(肩をすくめて。)それに六人いるわ、お抱えの運転手。
 ロン クルト・マスト?
(ローズ、頷く。)
 ロン これが生きてるっていうことか。
(クルト・マスト、テラスに現われる。三十代なかば。美男。但し、笑わない、無表情な雰囲気での美男。背広(今は平服)は、ロンドンで仕立てたもの。英語には強い訛りはないが、語彙と言い回しは、主に戦後のアメリカ駐留軍から習ったもので、時々不釣り合いに品のない表現が混ざる。)
(クルト、ロンに目もくれず、まっすぐローズの方に進み、キスする。)
 クルト 頭痛はどうだ?
 ローズ まだね。(ロンを指差して。)こちらは・・・
(クルト、ロンは無視し、レコードプレーヤーに進み、スイッチを切る。それからローズの方に戻る。)
 クルト アスピリンとサポナリルを飲んでおねんねしていなきゃいけない筈だぞ。なんていう馬鹿だ。夜ふかしも度が過ぎている。もう朝だぞ。
 ローズ そうね。紹介するわ・・・
 クルト 別荘に帰る所だった。道路からこのテラスの灯が見えた。それに君の動いている姿がね。何をやっているんだ、こいつは。一体いつになったら分かるんだ。よーし、行って、「こんな馬鹿なことは止めろ。そのうちどうなるか分かっているのか。」そう言おうと思ったんだ。いいか、ローズ、夕べ私から逃げて行ったのは二時三十五分だった。あれから三時間半。君は一体何をしていた。
 ローズ このアントン・ヴァーロフさんと話していた、その時間が少しあるわ。こちらヴァーロフさん。・・・マストさん。
(やっとクルト、振り向き、ロンを見る。ロン、優しくクルトに微笑む。クルト、微笑を返さない。ただ頭を下げる挨拶のみ。)
 クルト マストだ。
(二人、握手する。)
 クルト ロシア人なのか。
 ロン いいえ、イギリス人です。
 クルト(頷く。)そうか、そうか。(唐突にローズに向き直って。)ローズ、ああ、ローズ。私があのギリシャ財閥の連中をやっつけたのを聞いていたろう? みじん切りに切り刻んでやったんだ。(相応しい仕草をする。)明日の晩は、シャトー・ドゥ・マドリッドであいつらにたっぷりとマッシュルームソースをかけて、頭からムシャムシャ食ってやる。(ローズの両手を取って。)九時十五分前にあそこに二人で着いていなきゃな。
 ローズ 気分が悪かったら行かないわ。
 クルト(短刀がきらりと光るような鋭さで。)明日は気分がよくなるんだ。頭痛はなくなる。七時半に呼びに来る。時間厳守にしてくれ。妃殿下を待たせる訳にはいかない。
 ローズ ロティー? あの人一生涯でも待つわ。ただで食事が出来るとなったら、地中海が凍りつくまでだって待っている。
 クルト(間の後。)明日の晩は私は妃殿下を待たせるつもりはない。
 ローズ そうね。行儀作法で悪い噂を立てられたくないものね。
 クルト(また、間の後。)頭痛がよくなったり悪くなったりするんだな、今夜は。カジノでもかなり酷い事を言っていた。思い出した。(陽気に笑う。)駄目駄目。このクルトを君から無理矢理引き離そうとするのなら、ただ気の利いた台詞ぐらいじゃすまない。だけどまさか引き離したい訳じゃないだろう? なあ、ローズ。今だって、これから先だって。
(クルト、両手をローズに回す。)
 ローズ ヴァーロフさんを私達、退屈させているんじゃないかしら。失礼なことよ。(クルトの手をすり抜けて、ロンの方を向く。)もう一杯どうかしら。
 ロン いいえ、結構です。(遠慮がちに。)僕はもう出た方がいいんじゃないかと思って・・・
 ローズ(しっかりと。)駄目です、今はまだ。クルトの言葉遣いは許して戴かなければ、ヴァーロフさん。この人、アメリカ駐留軍から英語を習ったの。勿論普通のアメリカ人は、私達イギリス人よりずっといい英語を話すわ、でもそういう人達には習わなかった。当時闇市で活躍していたんですからね。驚くにはあたらないけど。さあ、もう一杯だけロゼを如何?
 ロン では、戴きます。
(ローズ、グラスを受取り、飲み物の盆に進む。)
 ローズ クルト、貴方は?
 クルト 冗談じゃない。
 ローズ コカコーラならと思ったんだけど。
 クルト いや、いらない。
(クルト、ここに到って始めてロンを意識する。奇妙だ、という表情。)
 クルト こんな時間に人の家を訪問というのは、どういうことですかな、ミスター・ヴァーロフ。
 ローズ(盆のところから。)ヴァーロフさんの方でも、貴方に同じ事が言える筈だわ。さあ、ヴァーロフさん。
(ローズ、ロンにグラスを渡す。クルト、片方から他方へと目を移す。それから突然思い当たる。)
 クルト そうか、分かった。こいつは新聞記者なんだ。
 ローズ(急いでロンを抑えて。)勘がいいのね。素早いわ。
 クルト 私を騙そうったって、そうはいかない。連中、記者に見えないようにしてるんだ、最近は。しかし私の目はごまかされない。ミス・フィッシュにインタビューか。
 ロン エー・・・
 ローズ そう。インタビュー。
 クルト この時間にするとは頭がいいな。昼間はどうせ駄目なんだ。何新聞だ。
 ローズ デイリー・メイル。
 クルト いい新聞だ。アメリカ駐留軍、闇市、この話は願い下げにして欲しいな。ミス・フィッシュは冗談が好きでね。しかし私に会った事は書いて貰いたい。それからデュッセルドルフで十二月十七日、式を上げる事もね・・・これは私の誕生日なんだが・・・
 ロン(この話には興味を惹かれて。)そうなんですか。成程。分かりました。
 クルト 君はまた、どうして私がデイリー・エクスプレスのセフトン・デルマーと喧嘩しているか知りたいだろう。いいか、あいつが私のことを「闇市の帝王」だの「屑屋の親父財をなす」だの、そんな、奴の言い方に腹を立てているんじゃない。私は貧民窟あがりだということを恥じていないのだ。それから、ぼろ儲けの話・・・一九四五年にアメリカで買い占めたがらくたを、朝鮮戦争に乗じて十倍にふっかけて売ったっていうやつ・・・この話に怒っているんじゃない。とんでもない。褒められているだけだ。事業家っていうやつはどこでだって、とんでもない悪党と相場は決まっている。特にドイツ人事業家とくれば、例外なく、世界一とびきりの悪党だ。中でもこの私。ポケットにたった五十ペニッヒ・・・占領下での金のあのペニッヒだぞ・・・それを持ってデュッセルドルフで倉庫屋から始めた。それが今じゃ、シュロッス・グルトハイムに住んでいる。蓄えも五千万マルクだ。西ドイツマルクでだ。(そいつが悪党でないわけがない。)連中が何を言おうと、その私が毛程も気にかける訳がない。しかし、「ネオナチ」とは何だ。これだけは我慢ならん。こいつだけはな。いいか、これは必ず書いておいてくれ。クルト・マストは、社会民主党なんだ。
 ローズ この間の選挙では、じゃあ、それに入れたの?
 クルト この間の選挙は行きもしなかった。アデナウアーじゃあ、入れる気はしないね。とてもそんな気は。今の社会民主党じゃあな。これは真面目だ。私の誠実な信念だ。(ロンに。)分かったな、兄さん。
 ロン ええ、ちゃんと分かりました。
 クルト ネオナチ! あいつら一体何を考えてるんだ。人を馬鹿にして。これで言いたい事は全部だな。どうやら。何か質問があるか。
 ロン いいえ、それだけ聞けば。
 クルト なかなか感心な奴だな、君は。朝の六時から仕事とは。私もそうだった。君もひょっとして、この調子で財をなすかもしれん。よーし、もう君とミス・フィッシュをこれ以上邪魔しない。(ローズの方を向いて。)じゃあな。お休み。
(クルト、ローズの唇にキスしようとする。 しかしローズ、頬を差しだす。クルト、仕方なくこれを受け入れる。)
 クルト よく寝るんだな。睡眠薬を飲むんだ。あれは癖にはならん。最新のやつだ。特別に空輸させたんだからな。(ローズを、後ろから親しそうに叩く。)明日は頭痛はなしだ。いいな。七時半ピッタリ。頼むぞ。
(クルト、急に回れ右。そして退場。間あり。)
 ローズ(やっと。)ご免なさい。
 ロン いや。面白かった。
 ローズ あの人、新聞記者が怖いの。ああ言えばすぐ出て行くと思って。
 ロン これから結婚しようとする人をそんな風に言って良いんですか。
 ローズ いいの、あの人そういう人。
 ロン 安定した身の落ち着け先ですね。
 ローズ そう。安定し過ぎて、身動きがとれないぐらい。
(ロン笑う。グラスを上げて。)
 ロン エート、なにしろ・・・おめでとうございます。
 ローズ 本気で言ってるの?
(間。)
 ロン この帝王がお嫌いなら、何故別の帝王にしないんですか。
 ローズ 帝王なんてものを私ぐらい良く知るようになると・・・貴方だってそのうち知るようになると思うけど・・・(悪戯っぽく。)女のね、勿論、貴方には・・・いいボディー、いいルックスっていう訳にはいかないの。クルトぐらいなのはまだずっとましな方。
(ロン、立ち上がり、ローズの傍を優美に歩く。見かけ上の目的はグラスを盆の上に置きに行く為。本来の目的はローズに自分のスタイルのよさを印象づける為。)
 ロン ウーン、スリムな身体・・・ね?
 ローズ(ロンを見て面白がる。)帝王を標準にすればね。バレーの標準じゃ、どうかしら。ロゼをもう一杯如何?
 ロン いや、命令は聞かなくちゃ。夜更かしはこれで終。だけど行く前に一つだけ訊いていいかな。どうやってこうなったの?
 ローズ こうなったって?
 ロン ほら、こうなった。(別荘全体を表すように手を動かす。)伯爵、侯爵、映画俳優、帝王・・・最初の最初は誰?
(間。ローズが冷静にロンの無礼の度合を計る時間。その後、彼に答える事に決める。)
 ローズ 弁護士。名前、ピーター・ホーキンズ。自宅、エッジバストン。カートライト・アンド・ホーキンズ弁護士事務所経営。住所、コマース・スクエアー二十三。一九四三年、私はそこに雇われ、その後、結婚。二年後にピーター・ホーキンズ死亡。ちょっとした財産を遺す。それを持ってここに来た・・・いろんな人に出会った・・・
 ロン 事務所って言った? だけどどこかで歌っていたんじゃなかった?
 ローズ クラブで? とんでもない。そんな話、誰か知らないけど、よくでっち上げたわね。水商売なんかじゃなかった。タイピストよ。
 ロン(笑いながら。)タイピスト?
 ロン 何がおかしいの。
 ロン(やはり笑いながら。)貴女がタイピストだったって、ちょっと想像して・・・タイプライターにかがみこんでいるその姿を。両手に腕輪。長い真珠のネックレースが、ガチャガチャタイプにあたっているところを・・・
 ローズ(苦々しく。)真珠も腕輪もなかったわね、その頃は。
 ロン いい? 僕はね、大抵の事は鵜呑みにする性質(たち)なんだ。「あいつをかつぐのは訳はない」。みんな言ってる。だけどこれは駄目だ。貴女がタイピスト? これだけは駄目だね。
(ローズ、キッとロンを睨んだ後、急に居間に退場。すぐ戻って来る。手にポータブルタイプライターとタイプ
用紙一枚。テーブルにタイプを置き、開き、明らかに慣れた手付きで、用紙をタイプライターに挟む。それから坐る。背中を観客に向けて。腕輪を外し、指を開いたり閉じたりして慣らす。)
 ローズ さあ、いいわ。何でも言ってみて。
 ロン 言う? 何を。
 ローズ(慎重に言葉を選びながら。)何でもいいから言うの。でも大体このぐらいの速さ。これ以上遅くする事はないわ。分かった? じゃあ。
(間。)
 ロン 親愛なるブラッドフォード夫人、ボープレー侯爵夫人、親愛なるレイディー・・・エート、何かな? ハンタークーム(訳註 詳しい説明はないが、ボープレーとブラッドフォードの間にある夫らしい。)親愛なるホーキンズ夫人。それから、これを忘れてはいけない。親愛なるミス・フィッシュ。ロン・ヴェイルからのメッセージ、下記の通り。
(ローズ、言葉の意味には全く注意を払わず、静かな、よく訓練された、確かな手付きで、タイプしていく。ロンが息継ぎの為ポーズを取るとローズ、少し屈んでタイプライターを覗く。)
 ロン あの晩、ソフィーの楽屋に行って、貴女があの白いドレスで立っているのを見てからというもの、僕は他の事は何も考えられなくなってしまった。貴女のあの姿、あんな心を打つものを、生まれてこのかた僕は・・・
 ローズ(静かに。)速過ぎ。
 ロン 生まれてこのかた僕は、見たことがあったろうか。それに今夜、貴女に偶然会えて、話せて、おまけにここに来てもいいと言われて・・・ああ、こんな事が僕の生涯に起きたなんて。信じられない。(ちょっと間を置く。)こしらえた発音で喋った事。失礼な事でした。ご免なさい。でもあれはただ、いいところ見せたくって。背伸びして。いつもの僕の悪い癖です。(また間。)今夜のこの御招待。本当に有難うございました。そして出来れば・・・これを言っていいのかな・・・出来ればもう少しここにいていいでしょうか。ここからモンテカルロ。いやになる程の距離。ちょっと飲んだ後、朝のこの時間にあそこまで帰ると考えただけで、ちょっと・・・これで終・・・だな。そう。最後に一言。僕はそれでもまだ貴女がタイピストだったなんて、とても信じられない。
(最後の一文は速く言われ、ローズが規則正しいタイプを終えるのに少し間がある。それからローズ、紙を引き出し、ロンの方を向き、紙を渡す。ロン、ローズを暫くの間見つめる。正式には訊ねていない、書き取らせた質 問に対する答を求めて。しかしローズ、これを無視し、向きを変え、煙草に火をつける。)
 ローズ 誤り、なしね。
 ロン(紙を見てから。)なし。完璧だ。分かった。撤回する。確かにタイピストだったんだ。
 ローズ そう。それにとても優秀なね。
(ローズ、ロンに近づき、彼の手から紙を取り、読む。ロン、ローズの頭の上から見下ろしている。どうしたらいいか困った表情。)
 ロン(やっと。)それで?
 ローズ(見上げず。)それで、って?
 ロン(急に。思い切って。)それで、いていいのか、悪いのか。
(間。ローズ、相変らず紙を見つめている。)
 ローズ 間違いをやってる。「生まれてこのかた」。「生まれれてこのかた」。
(ロン、怒ってローズの手から紙を取り上げる。)
 ロン これは記念に頂きます。いいでしょう?(ロン、紙を畳み、ポケットに入れる。)お休みなさい。御招待有難うございました。
(とってつけたような大袈裟な行儀正しさで御辞儀。階段に向かう。)
 ローズ ヴェイルさん。
(ロン、立ち止り、振り返る。)
 ロン ロンです。名前は。
 ローズ 怒らないで、ロン、私のことを。私、怒らせようとしているんじゃない。感謝しているの、貴方のさっきの優しい言葉に。言って、怒っていないって。
 ロン(ぶっきらぼうに。)いいんだ。僕はクルト・マストじゃない。貴女に上げられるものなんか、何一つないんだ。
 ローズ(誠意を込めて。)とんでもない。沢山あるわ。本当に沢山。貴方って魅力のある人。貴方となら死んでもいいっていう女の子、掃いて捨てる程いるでしょうね。
 ロン でも勿論貴女はその中に入っていない。
 ローズ ンー、私はね、死んでもいいっていう気になった男が、今まで一人もいなかった。自慢しているんじゃないの。私自身が死んだような女なのかもしれない。だからそんな具合に・・・ねえ、ロン、よく貴方の目で見て頂戴。私がそんなに素敵な、価値のある女である訳がない。四、五分も経って、あの奇麗な青いサンダーバードで、モンテカルロを飛ばしていると、ああ、助かったって思うわ。あんなのに引っ掛からないで良かったって。さようなら。
(ローズ、ロンに近づき、握手する。)
 ローズ それはそうと、この次この近くを通りかかったら、必ず声をかけて頂戴。一杯やってね。私の友達にも会って戴きたいわ。
(ロン、怒ってローズを押しやる。)
 ロン フン、僕がわざわざここまでやって来たのが、そんなことの為だと思っているのか。 僕が好きな時にここへ上がって来て、貴方の格好いい、金持ちの友達と一杯やれる、そんな事の為に。そう思っているんだな。
(ローズ、ある同情と理解をもってロンを見、答えない。)
 ロン(荒々しく。)そうなんだな。
 ローズ その質問には答えないわ。
 ロン(激しく。)そんなくだらない事の為に僕がここに来たと思っているのか。分かっている筈だ、僕の求めているもの、それは君なんだ。
(ローズ、ロンを見続ける。ロン、怒って煙草を灰皿に押し潰す。)
 ロン 僕は帰る。
 ローズ(静かに。)貴方いくつ?
 ロン(振り返って。)二十六。
(ローズ、頷く。)
 ロン いいか、年の事なんか頭からなくすんだ。それに僕は年下の女に惚れたことは一度もない。いつだって年上だった。僕はいつも言ってる。男と女が本当にいい関係になれば、年令の差なんて全然問題にならないんだって・・・
(ローズ、頭を後ろに反らして、心から可笑しそうに笑う。)
 ロン(驚いて。)何が可笑しいんだ。
 ローズ 昔の私を見ているみたい。二番目の夫になる人と散歩に行った時の私と。「本当にいい関係」っていう言葉も、そっくりそのまま。ただ私の餌にかかることになっていたその人は五十代後半、そして私の年は、今現在まだルーレットに乗せられる数。だから笑ったの。貴方って二十代後半ね。そうよ、ロン。私達二人で問題なのは、年じゃないわ。
(ロン、最後の頼みと、ローズに近づき、手を取る。)
 ロン(優しく。)年じゃないんだね。そしたら何?
(間。)
 ローズ(突然襲って来る惨めさ、そして、本当の惨めさで。)ああ、分からない。ただ私のせい。私っていう人間のせいだわ。
 ロン そんな事、忘れるんだ。
 ローズ 忘れる? 貴方が私だったら忘れられるって言うの!
(ローズ、ちらと具体的にそれを想像して、笑う。)
 ローズ 貴方が私。可笑しいわ。九歳若い私がそこに立っている。貴方が私。可笑しい。ロン マイナス アケイシア通り イコール ローズ マイナス フログモア通りね。で両辺からバーミンガムを引くの。何が残る? ロン イコール ローズじゃない。ローズ イコール ロンよ。すると、貴方が私を愛するってどういう事? つまり貴方が自分を愛しているっていう事。ナルシストっていう事よ、ロン。
 ロン(ロンの顔、ローズに非常に近くなっている。)僕は聞いていない。僕は見ているだけだ。ああ、なんて奇麗なんだ。ちょっと許してさえくれれば、僕は君に夢中になれる。今まで好きになったどんな女の子よりも。(ロン、ローズを引き寄せる。今回はローズ、避けようとしない。ロン、キス。これも避けない。ややあってローズ、ゆっくり身をほどく。ロンの顔を優しく叩く。)
 ローズ 車を車庫に入れた方がいいわ。ここには仕事師達がいる。口がうるさいの。どうやっても結局は見つかってしまうけれど・・・
(ロン、ローズの額にキスをする。やっと勝ち取ったという短い微笑。それから、素早く回れ右をし、階段へ進み、玄関から出る。暫くして、車のエンジンの音。)
(ローズ、その間ロンを見送る。困ったような表情。その後、飲み物の盆へ進む。ブランデーソーダを作っている間に、彼女の娘フィオナ、突然フレンチウインドウから登場。フィオナ、水着を着て、タオルとポータブルレコード プレイヤーを持っている。母親を見て立ち止る。それから右手に進む。ローズ、フィオナを見る。)
 ローズ フィオナ。貴女、今朝は早いのね。
 フィオナ そうでもないわ。いつも朝食の前に、ひと泳ぎするの。それに朝食は七時だし。
 ローズ あら、七時? それに泳ぐの? 知らなかったわ。
 フィオナ 日の光を無駄にしたくないの。
 ローズ そうね。いい考えね。(頬にキスする。)お早う。
 フィオナ お早う、ママ。
 ローズ ゆうべは何をしたの。
 フィオナ ここでへティーと夕食。それから「天国と地獄」へ行ったわ。
 ローズ 天国と地獄? それ何? ナイトクラブ?
 フィオナ 違う。ただのカフェ。二階は普通で、そこが天国。地下が面白いの。それが地獄。いろんな面白い人達が来てる。集まりがあるって、ジャン・ルイが誘ってくれたの。
 ローズ ジャン・ルイ? 小説を書いてるっていう人?
 フィオナ そう。へティーが酷い事言ったわ。書いてるの、実存主義の小説なのって。
 ローズ 何が悪いの、そう訊いて。
 フィオナ(本当にショックを受けて。)ママ、実存主義なんてもう大昔の話よ。
 ローズ あら、そう? 知らなかったわ。
 フィオナ 「怒れる若者達」だとかジェイムズ・ディーナリーだのと同じ。もう時代遅れ。
 ローズ そうなの。じゃあ、その人の小説、何が書いてあるの?
 フィオナ 若い人達が登場人物。互いに性の関係は持つんだけど、楽しまないの。でも他に取り立ててする事もないから、その関係は続ける。
 ローズ 面白そうね。
 フィオナ 面白いわ。「どうでもいいや」とか「勝手にしやがれ」の考えを一歩進めたものね。その内の二人が恋に落ちるの・・・十九世紀流の、例の恋よ・・・でも二人とも何も出来ない。身動きが取れない。どうしようもないのね・・・で、二人で自殺してしまう。
 ローズ ロマンチックじゃないの。
 フィオナ そう。それが彼の派。ネオ・ロマンティック派なの。サンジェルマンで、今一番のはやり。さてと・・・
(フィオナ、右手の方に動く。ローズ、見守る。)
 ローズ 貴女、今晩何か予定あるの、フィオナ。
 フィオナ(何か来るぞ、という警戒心。)いいえ、ママ。何故?
 ローズ(気を遣いながら。)夕食でもどう? もしよければ。二人だけで。
 フィオナ(間の後。気がなさそうに。)そうね、ママ。いいわ。
 ローズ 寄宿舎から帰って来たっていうのに、二人であまり会っていないわ。少しちゃんとした所で食事を取って、その後、その「天国と地獄」へでも連れて行って頂戴。
 フィオナ(間の後。)面白くないって言うわ。きっと。
 ローズ どうして分かるの。
 フィオナ 分かるの。それだけ。ママ向きではないわ。少なくとも地獄の方は。
 ローズ みんな若い人だから?
 フィオナ 違う。かなり年配の人も来てる。そうね、絵描きの人が来るわ。奥さんを連れて。毎晩。二人とも四十過ぎ。年じゃないわ。そうね・・・(間。)着て行くものからもう・・・
 ローズ スラックスを履いて、髪をチリチリにしたら?
(フィオナ、微笑む。礼儀を失わない程度に。しかし「これで駄目」という笑い。ローズ、急にフィオナから視線を外す。)
 ローズ あの飛び込み台は駄目よ。壊れているんだから。
 フィオナ 分かったわ。
(フィオナ、退場。ローズ、彼女を見る為に手摺りに進む。ロン、静かにテラスに登場。ローズを背後から見る。しかしすぐには近づかない。感情の高ぶりを抑える為に必要な配慮と思われる。近づく代わりに、別荘の玄関を見、次に景色を見る。それからやっと手摺りのローズに近づき、腕をローズの腰に優しく回す。)
 ロン 子供?
(ローズ、頷く。)
 ロン いつも一緒にいるの?
 ローズ いいえ、イギリスの学校。寄宿舎生活。帰って来てひとつきになる。イギリスはあの子の好み。私はあまり行かない。でも面倒は十分みてやっているつもり。
 ロン 最初の弁護士っていう人が父親?
(ローズ、頷く。)
 ロン やせっぽっちのちびちゃん。貴女に似ている所は一つもないな。
 ローズ(あっさりと。)似てない? そうかしら。でもあの子の顔、形、好きなの、私。(急に大きな声。)駄目って言ったでしょう、飛び込み台は。
(ロン、すぐに頭を引っ込める。)
 フィオナ(舞台裏から。答えて。)大丈夫よ、ママ。試してみただけ。
 ロン 見られたかな。
 ローズ(気のない様子で。)そうね。見えたでしょう。でも、関係ないの、そんな事。
 ロン 彼女、こういう事はとやかく考えないっていう事?
 ローズ 考えるわ、そりゃ。何かは。でもあまりは。
 ロン つまり・・・ショックは受けない?
 ローズ(固い笑い。)アケイシア通り仕込み・・・ずけずけっと来たわね。(娘を見ていた視線を戻してロンを見る。)いいえ、ショックは受けない。何かあるとしたら、楽しいっていう方。また噂通りのいつもの癖、そう思っているでしょう。それに、私がやることであの子が面白いと思うのはそれぐらいしかないの。そう。残念ながらあの子はショックなんか受けないわ、ロン。あの子にとってこの私は退屈なだけ。死ぬ程退屈なの。
 ロン(まずい話題になったという気持ち。)それが気になるんだね。
 ローズ ええ。
(ローズ、また手摺りのあちらの方を見、プールを眺める。)
 ロン 子供は? 他には?
 ローズ いないわ。あの子で十分。(笑って。)四人も夫がいたんですもの、もっとあってもよかった・・・筈ね。でもあの子の後はちょっとうまくいかなかったの。
 ロン 手が掛かり過ぎ?
 ローズ 手を掛け過ぎ、ね。この別荘を手に入れたのも、あの子が太陽が好きだから。(呼ぶ。)もうそのくらいにしたら、フィオナ。疲れるわよ。
 フィオナ(舞台裏から。)分かったわ、ママ。
(ローズ、フィオナから目を外す。)
 ローズ(やっと。)さてと、お部屋に案内しましょうか。
 ロン ええ、じゃあ。
(ローズ頷き、居間の方へゆっくり進む。ロン、後につく。ロン、花瓶のところで立ち止る。)
 ロン 赤い薔薇だ。(別の花瓶を指差し。)赤い薔薇。(また別の花瓶。)赤い薔薇が好きなのか。
 ローズ 赤は私の幸運の色。薔薇は私の名前。迷信ね。一種の。
(ローズ、ロンの両手を握る。頭を下げて、早口で、非常に静かな声で言う。)
 ローズ ロン、モンテカルロは遠くないわ。心からそう思ってるの、悪いことは言わないわ・・・
 ロン(荒々しく。)どうしてそんなに怖がるんだ。
(ロン、ローズの肩を掴み、腕の長さまで離し、目を覗き込む。)
 ローズ 怖がるって? 私が? ご冗談でしょう。
 ロン だけど怖がってる。何故なんだ。
(「椿姫」の序曲がプールから聞こえて来る。ローズ、素早く手摺りに行く。)
 ローズ(呼ぶ。)フィオナ、音を小さくして。みんなを起こしちゃうわ。
 フィオナ(舞台裏で。)分かったわ、ママ。
(レコード、少し小さくなって続く。)
 ロン どうしてそんなに怖がるんだ。
(ローズ、振り返り、ロンを見る。)
 ローズ 分からない。どうしてかしら。本当に。
(ローズ、花瓶の一つに近づき、薔薇を一本抜き、ロンのボタンホールにさす。それから軽く彼にキスをし、一歩下がってロンを見る。)
 ロン(ローズの片手を取り。)うん・・・じゃ部屋に?
(間あり。ローズ、ロンを見、微笑む。)
 ローズ(やっと。軽く。)そうね。
(ロンの手を取り、フレンチウインドウを通って居間へと導く。この時までにフィオナ、レコードプレーヤーのヴォリュームを上げている。「椿姫」の音、再び大きくなっている。)

     第 一 幕
     第 二 場
(場 第一場と同じ。二箇月後。
 夜の十一時頃。居間に電気がついている。居間には塵よけのシーツはもうない。居間ではキャナスタ・フォアをやっている。テーブルは観客から見えない。しかし人物が動く時、窓から時々見える。テラスにはフィオナとへティー。フィオナはテープレコーダーの声を聽いている。レコーダーは良く見える所に置いてある。へティーは編み物。)
 フィオナの声(テープレコーダーから。)そう。私の周りは荒廃していた。恥辱、虚偽、ばかりだった。だから私は夢みた、折に触れては。誰かがいつかは現われる。ただ私を保護してくれるのではなく、私、マルグリット・ゴーチエ、本当のこの私を愛してくれる人が必ず現われる。そう夢みていた。それは勿論今の保護者、あの伯爵なのかもしれない。しかしあの人は年とっていた。年をとっていては、私が落ち込んだこの荒(すさ)んだ人生の慰めには成り得なかった。私の心には何か熱っぽいものが必要だった。それは年老いた人には求められなかった。その時私は貴方に会ったのです。ああ、アルマン。若い、熱い、幸せな貴方。会ったとたん、何か狂った生き物のように私は、私の残りの人生全部を貴方に賭けてしまった。私は田舎を夢みた。あの純潔な田舎での生活。そして子供の頃のことを。こんな私に成り下がった、といっても、私にも子供の頃があった。(幸せな。純潔な。)ああ、でもそれは叶わぬ夢だった。さあ、アルマン、これで貴方には何もかも分かってしまったわね。
(フィオナ、テープレコーダーを止める。)
 フィオナ これ、酷い。そうね?
 へティー 私は駄目。偏見があるから。サラ・ベルナールを一度聞いてしまうと・・・
 フィオナ まさか。
 へティー まさかじゃない。本当。私は七歳。あの人は百八歳。フランス語で。勿論一言だって分からなかった。でもベルナールはベルナール。椿姫は駄目。ジュリエットね、やるなら。貴女の年頃じゃない、ジュリエットなら。貴女の年にぴったりよ。
 フィオナ そう。ぴったり。それに今年王立演劇学校に入ろうと思っている他の女の子達の年にもぴったり。可哀相な試験官。この時期になると、聞かされるのよ、あの人達。細切れのいつもの同じシーンを。因果な職業。いいえ、ジュリエットは駄目。私は椿姫。
 へティー 何故?
 フィオナ 分からない。魂を悪魔に売ったからかしら。
 へティー そんな事が理由? じゃあ、いつか貴女がファウストをやるのを見る事になるのかしら。
 フィオナ 魂を売ったからだけじゃないわ、勿論。正直で、心が温かくて、勇気があって、誠実で・・・ああ、分からない。とにかく好きなの。あの人の感じる気持ち、それが分かるの。その気持ちを試験官に伝えたいの。この夏中あのテープレコーダーと掛かりっきりでも。ああいう人に会ってみたいわ。そしてじっと観察してみたい。でも勿論こんな時代にあんな人、いっこないわね。
 へティー いないかしら。
 フィオナ モナがそうだっていうの? それとも、今家に来ているあのイタリア人の伯爵夫人? それともいつかママが連れて来たあのストリップショーの女の子?
(へティー、何も言わない。)
 フィオナ 違うわ、あんな人達。最低。退屈で、悲しい人達。今の世の中じゃ、魂を悪魔に売り渡すなんて意味ないのね。 だって代わりに呉れるものが何もありはしない。勿論あの頃は、(テープレコーダーを指差す。)違ったわ。貴女の頃も今とは違ったわね。
 へティー そうかも知れない。分からないわ。私は悪魔と取引しなかったから。もっとも、引合もなかったけど。
 フィオナ でも取引をした女の子は楽しかったのよ、きっと。ホンブルグ、エクス・レ・バン、(いいところよね。)スコットランドでは六十人の召使いつき、大きなお屋敷。ウイーンではワルツ。伯爵に会う為にはモスクワ行きの特別列車。そうだわ。ここの、この別荘だって、取引の結果となれば、違った目で見られるわ。
 へティー 今のままじゃ素晴らしくないって?
 フィオナ ちっとも。使わない寝室が沢山あるだけ。贅沢って何かしら。他の人がやろうと思っても出来ない生活を送るっていう事でしょう? じゃあモナはどう? あの人、百万長者よ。それなのに、どこかへ行くのに特別列車に乗った事ある? ないわ。団体旅行の飛行機よ。それには一等なんかないから、いつでもエコノミー。みんなと同じように食事の盆を受け取って、そこいらじゅう食べ散らかしている。それは、普通の人よりは大きなテレビを持っているわ、慥に。でも暫くすればあんなもの、すぐ時代後れ。それに二十四インチのスクリーンが、悪魔に魂を売るに値するかしら。 美容院の人が十七インチのを持っていて、そっちの方が写りが良いっていうのに。
 へティー(優しく。)貴女随分右よりなのね。ちっとも知らなかったわ。
 フィオナ 右よりじゃないわ。美容院の人の方に肩を持っているくらい。「平等」はいいことだと思っているわ。(考えながら。)でも・・・ただ・・・人生から夢をなくしてしまうのが困るけど。あ、そう。泳ぎに行くわ、もう。
(フィオナ、右手の手摺りに進む。そこには彼女の水着が干してある。)
 フィオナ あ、ママだわ。
 へティー どこに?
 フィオナ プールの傍。(一旦取り上げた水着を再び置く。)泳ぐのは後にするわ。
 へティー どうして? 誰か一緒なの?
 フィオナ いいえ。一人。あそこに坐っているわ。
(へティー、フィオナから目を逸らさない。)
 フィオナ 泳ぎたいの、私。話したいんじゃないの。
(フレンチウインドウが開いて、モナ登場。富豪のアメリカ婦人。はち切れんばかりの陽気さ。年令不明。)
 へティー あら、モナ。貴女の事、話していたところよ。
 モナ 子供に話す話題じゃないわよ。ローズはどこ? 一体。アントニーニ夫妻が帰るって言ってるわ。
 へティー プールサイド。
 モナ プール? 何をしてるの。
 フィオナ 何も。ただ坐って、考えてるの。消え去った自分の青春をだわ、きっと。
 モナ 随分ませた言い方。貴女もそのうち青春をなくすわ。その時の貴女が見物(みもの)ね。
 フィオナ 青春なんて、ない方がよっぽどいい。私、面倒な事、大っきらい。私、年寄だったら、四十五歳以上だったらいいのに。言い寄って来る男の子達に、「ばーか」って言ってやれるわ。
 モナ(へティーに。)そんなに言い寄られているの?
 へティー 夢で。それがみんなアルマン・デュヴァルみたいな男。(訳註 四十二頁のアルマン。「椿姫」の主人公。)
 モナ デュヴァル? 誰? 売れっこ?
 へティー そう。昔の売れっこ。
(モナ、奇妙な顔をしてへティーを見る。)
 へティー もう死んでる人よ、モナ。安心なさい。それに、もうとっくに女がいたの。さ、アントニーニ夫妻は私がお相手するわ。
(へティー、中に入る。)
 モナ 私の噂って、いい方の?
 フィオナ(レコードプレーヤーにレコードをかけながら。)ええ、いい噂。
 モナ(右手、手摺りのところで。)あの人、何をしてるの? あんなところで。
 フィオナ(無関心な様子。)知らないわ。最近いつもああ。
(フィオナ、先程かけたレコードは「眠りの森の美女」。今それが聞こえてくる。)
 モナ お酒も飲まないわ。今は。
 フィオナ ああ、お酒はもうすっかり止め。今ついている医者が厳しいの。きつく言い渡されたから。それにここは引き払ってスイスかどこかに行きなさいって。
 モナ スイス? あんな変なところ。誰が行くっていうの。
(若い男・・・エイドゥリアン・・・フレンチウインドウに登場。手にトランプを持っている。)
 エイドゥリアン モナ、酷いなあ。僕が一回フォア・キャナスタを取ったからって、逃げ出す事はないだろ。
 モナ 分かったわよ、エイドゥリアン。今行くわ。
(エイドゥリアン、中に入る。)
 モナ(自分に。独り言。)嫌な奴。早く消えればいいのに。
(モナ、急にフィオナと同年齢の女の態度を取る。今までと違った調子で。)
 モナ 私が言おうとしたのはね、フィオナ・・・
 フィオナ(無関心に。)分かってるわよ、モナ。あの人の夕食の時の態度から分かってたわ。ここには長くはいられないって。
 モナ あの人、子供。若くって、無邪気で、汚れていない。それに人のごまかしを見逃さない。
 フィオナ(宣告するように。)単なる無知よ。無邪気じゃないわ。
 モナ 私が無邪気だと見てやるんだから、それでいいの。大人の権利よ、これは。
(モナ、フィオナに微笑。中に入る。フィオナ、音楽を聞いて、バレーのステップを二、三やる。ひどく下手。それからテープレコーダーを持ち上げる。明らかにひどく重い。ロン、右手の階段に登場。服装も髪形も前場の 時より真面目なもの。しかしその真面目さは彼自身には及んでいない・・・少なくともこの瞬間には。かなりアルコールが入っていることが、観客に分かる。)
 フィオナ あら、ロン。今日来るとは思わなかったわ。これ手伝って。
 ロン(手伝いながら。)何だい、これ。
 フィオナ 録音器。ママが練習用に買ってくれたの。でも私が使っているってこと、言っちゃ駄目よ。ママは聞きたがるでしょう? そしていろいろと親切になるわ。それがいやなの。分かるでしょう?
 ロン 任しといてくれ、そういう事なら。
 フィオナ 有難う。
 ロン この音楽、僕のため?
 フィオナ いいえ。でも折角来たんだから、ちょっと練習はどう? 生計のもとでしょう? (フィオナ、バレーのポーズ。)さあ。
 ロン(飲み物のテーブルで一杯注ぎながら。)駄目。今日はやめだ。
 フィオナ ほら。さあ。
 ロン そんな気分じゃないんだ。(盆の上にグラスを叩くように置く。)
 フィオナ 酔っ払っているのね。
 ロン 冗談じゃない。
 フィオナ じゃあ、いいじゃない。さあ、酔ってないのを証明して。
(ロン、煙草を置き、フィオナに近づく。彼女の後ろに立ち、ポーズを取る。フィオナ、やる気十分で、動きを始める。)
 ロン まだ。音楽をよく聴いて・・・一、二、三、はい。アラベスク。
(フィオナ、ひどく不器用なアラベスクを行う。)
 ロン もう一回。
(フィオナ、もう一度行う。嬉しくてたまらない。ケラケラ笑う。)
 ロン よーし。そらっ。
(ロン、フィオナをプロの鮮やかさで肩に持ち上げる。フィオナ、相変らず笑いながら、最初は彼の首にしがみつく。それから両手を用心しながら離し、腕を空中で得意そうに振り回す。)
 フィオナ 手が離せた。
(ロン、フィオナをしっかり支えて、二三回ターンする。フィオナ、嬉しい叫びを上げる。ロン、止めて、彼女を地面に置く。バレー独特の動きで締めくくる。即ち、両膝をついて、左手は心臓に、右手はフィオナの方向に、謙譲の意を示して。)
 フィオナ ああ。ああいいわね、バレーって。王立演劇学校は止めにして、バレーをやるって事にするのはどうかしら、私。
 ロン(煙草を取り上げて。)駄目だね。年を取り過ぎてる。始めるなら、十歳(とお)までだね、遅くとも。
 フィオナ その年に始めたの? 貴方。
 ロン いや。八つ。
 フィオナ 八歳で! 随分負けず嫌いだったでしょうね。
 ロン うん、その頃はね。
 フィオナ ねえ、ロン。もう一回やって。
 ロン 駄目。
 フィオナ(彼の椅子の後ろから。ねだって。)ねえ。ねえ。
(へティー登場。ロンを見てはっと立ち止る。ロン、立ち上がらない。)
 ロン(少し挑むように。)今晩は、へティー。
 へティー(警戒の気持ち。)今夜は呼んでなかった筈よ。
 ロン そう。呼ばれていなかった。ちょっと寄ってみたかったんだ。
 へティー 電話もしないで?
 ロン 彼女を驚かせたくってね。今どこ?
 へティー(素早く。)知らないわ。
(へティー、素早くフィオナを睨む。「言うな」という目つき。その目つきをロン、見逃さない。)
 へティー 出かけたわ。どこかに。
 ロン 戻って来るかな。
 へティー 分からない。
 ロン(家の中を顎で指して。)人がいるみたいだ。
 へティー モナとエイドゥリアン。
 ロン(立ち上がりながら。)ああ、モナ・・・モナか。少なくともモナからは歓迎されそうだな。
(ロン、立ち上がり、自分の厚かましさを自覚しながらへティーの横を通って、家の中に入る。)
 ロン(入る時に。)やあ、モナ。
 モナ(舞台裏で。)まあ、ロンじゃないの。良かった。キャナスタ淋しかったの。人数に入って。
 へティー(怒って呟く。)厚かましい。(フィオナに、厳しく。)フィオナ、あの人と関わったら駄目よ。
 フィオナ どうして。
 へティー あれは危険な男。
 フィオナ あら、そう? 私はそうは思わない。あの人、淋しい人。危険な男に見せようとしているだけ。それに、ママの友達なんですもの。親しくしたっていいじゃない。
 へティー(ちょっと詰まって。)お母様は、バレーダンサーとしてあの人を尊敬して(いるのよ・・・)
 フィオナ 嘘。あの人が踊っているのをママ、見た事なんかない筈だわ。私は見た。あの人、名人よ。本物の。だけどトップに上がろうっていう気がないの。残念だわ。だって技術があるんですもの。ママはその事を考えているのかしら。
 へティー(間の後。)やれやれ、十六歳って始末に負えない年だわね。頬っぺたを叩くには若すぎるし。もう寝なさい。ぐずぐずしてると本気でその気分になりそう。
 フィオナ まだ。寝る前に丘に上がって来なくっちゃ。十分だけ。あの台詞、もう一回練習したいの。
 へティー 自分の部屋で出来ないの?
 フィオナ オーギュスト伯の銅像があるの、あの丘に。その銅像に話しかけるの。良い考えが浮かぶ事もあるわ。きっとあの服装のせいね。丁度あの頃のだもの。
(フィオナ、左手から退場。へティー、右手の手摺りから呼ぶ。)
 へティー ローズ。
 ローズ(舞台裏から。)何?
 へティー 上がって来て。一大危機よ。
 ローズ(舞台裏から。)ウオッカがきれたっていうの?
 へティー それどころじゃないわ。早く上がって。だいたい何をしてるの、そんなところで。
 ローズ(舞台裏で。声、近くなって。)沈思黙考。
 へティー 客がいない時に出来ないの、沈思黙考。代理でアントニーニ夫妻にお別れを言わなきゃならなかったわ。
(ローズ登場。イブニングドレス姿。)
 ローズ それは大変ね。もう私、カンヌの社交界に顔向け出来ないわ。
(ローズ、咳をし始める。坐る。プールから上がって来て、息を切らしている。)
 ローズ(咳の間から。)キャナスタはどうだった? いつものズルね、また。
 へティー 知らない。見ていなかった。
(ローズが咳をするのをへティー、じっと見守る。水を一杯注ぎ、ローズに渡す。)
 ローズ 有難う。きつい階段。エレベーターをつけなくちゃ。(やっと咳、収まる。)もう大丈夫。さあ、一大危機の話。ロンね。そうでしょう。
 へティー どうして分かるの。
 ローズ 「ロン顔」をしているもの、貴女。
 へティー 「ロン顔」?
 ローズ 怖いお目付役の顔。(訳註 原文は「ヴィクトリア朝の女家庭教師が「いけません」と言っている顔。)(陽気に。)さあ、言って。今度はあの人何をやったの。新しい車をぶっつけたの?
 へティー(心のそこからそれを願うという、急で強い熱心さ。ローズを驚かせる程の。)本当にぶっつけたらいいの。あの人も一緒にぐしゃっと。
 ローズ(優しく。)まあまあ、へティー。随分乱暴な言い方。
 へティー いいえ。どうせそんな死に方をする人よ、あの人。
 ローズ まさか。それは酷いじゃないの。
(この時までにローズ、煙草を出していて、今それをつける。へティー、それをじっと見る。)
 ローズ 医者の許可ありよ。一日に十本。これは七本目。さてと、ロンの話。聞く覚悟は出来たわ。何なの。
 へティー 来たの、この家に。へべれけで。それだけ。
 ローズ(急に熱心さを示し。)今いるの?
 へティー(居間を指差して。)モナとキャナスタの最中。
(間。)
 ローズ 呼ばれないで来たの。フーン、初めてだわ。
 へティー 「フーン、初めて」ね。
(この時までにローズ、居間の窓まで進んでいて、窓越しに見ている。)
 ローズ カシミアの替上着、なかなかいいじゃない。
 へティー そう。
 ローズ 髪形も変えた、まあまあだわ。
 へティー まあまあ。
(ローズ、窓から振り返り、へティーの方にしかめ面をする。)
 ローズ そう。まあまあ。前よりはいい、とにかく。
(この時までにローズ、へティーが「一大危機」と言った意味を理解し、また面白がっている。そして今ここでローズの声、きつく、しっかりしたものになる。)
 ローズ 分かったわ、へティー。クルトに電話して、ここには来ないように言って頂戴。十二時半に、私の方が出向く。マキシムで落ち合いましょう、と。
 へティー 連絡は無理ね。あの人、サントロペで食事中。レストランはどこか分からない。それにもう、この時間ならこちらに向かっているところ、きっと。
 ローズ そうね、勿論。(時計を見る。)まだ時間は充分ある。ロンをここへ出して来て頂戴。
 へティー モナから引き離せって言うのね。
 ローズ そう。
(へティー、回れ右をする。ローズ、突然へティーに走りより、腕を掴む。)
 ローズ その声、どういう意味? 私から引き離したいってこと?
 へティー そう。
 ローズ 分かりました。気に入らないのね。貴女、何を知っているの?
 へティー(取り立てて言う程の事はないわ。)殆ど貴女の知っている事ばかり。木曜日、貴女には黙って、モナのパーティーに出たこと。モナの前の夫が遺した煙草の株は、今年随分いい配当だったってこと。役者が、別れた彼の妻に支払う扶養手当よりはずっといい金・・・それにどうせこの手当、毎月毎月滞納。クルトから時々プレゼントがあるって言ったって、とてもかないはしない。ロンのような男を引き止めておきたいなら貴女、モナの夫みたいなのを二、三人、それもすぐに死んでしまうのを、手に入れることね。
(間。)
 ローズ あの人をそんなに嫌わないで、へティー。お願い。そんな嫌い方はしないで。
 へティー お願いされて出来る事はあるわ。でも、これは駄目ね。
(ローズ、肩をすくめて、顔をそらす。)
 ローズ(微笑んで。)本当はあの人、木曜日にはうちに来たいと思ったの。それは分かっている・・・
 へティー 分かっているって、どういうこと?
(間。)
 ローズ あの人を連れて来て頂戴・・・お願い。キャナスタは貴女が代わって。モナは気にしないわ、きっと。
(へティー頷く。居間に入る。ローズ、さっと振り返り、フレンチウインドウに進み、中を覗く。が、ロンの影が見えると、急いで家と反対の方向を見る。景色を眺めているふり。ロン、ローズに近づき、首の後ろにキス。ローズ、ロンの手を取る。)
 ロン 本当に外出中だった? それともあのばあさんのいつもの嘘?
 ローズ いつもの嘘。私は下にいた。
 ロン 一人で?
 ローズ ええ。
 ロン 僕のことを考えて?
 ローズ 他のこともあったけど。
(ローズ、振り返り、唇にキスする。両方とも熱烈には抱擁しない。ローズの方は優しく、ロンの方はバレーで行うロマンティックな抱擁。ややあってローズ、ロンを押しやり、替上着をじっと見る。)
 ローズ うん、それいいわ。よーく似合う。
 ロン 肩のところが少し大きい。フランスは仕立は駄目だ。やり直しをさせないと。遊び人に見られたくはないからな。
 ローズ そうね。
(ロン、飲み物の盆に行き一杯注ぐ。ローズ、それを見ている。)
 ロン 一杯やる?
 ローズ いいえ、禁酒。医者から止められて。
 ロン 良い子なんだなあ。
 ローズ(少しおずおずと。)貴方はいいの? ロン。かなりもう飲んでいるんじゃない?
 ロン(突然狂暴さを示し。)あれこれ言うのは止めてくれ。それが一番いやなんだ。(ロゼのグラスを置く。)
 ローズ 貴方のダンスのことを考えているだけなの、私。
 ロン 分かってる。君の考えていることはお見通しさ。
 ローズ(間の後。)本当。ステージでのバレー。それを心配しているの、私。
(間。ロン、答えず、また一杯注ぐ。それから振り向いてローズに、顔一杯の微笑を見せる。)
 ロン こんなもの水と同じさ。バレーに影響があるなんて、冗談じゃない。
 ローズ ロン、貴方には悪いけど、もう暫くしたら出て行って貰わなきゃならないの。
 ロン 出て行く?
 ローズ 少ししたらクルトが来るの。私、一緒に出かけることにしているのよ。
 ロン 成程。
 ローズ あの人明日、二箇月の予定でヨット旅行に出かけるの。だからあの人の最後のカンヌなの、今夜が。これは延ばせないわ。本当に。他の日ならいいんだけど・・・今晩だけは。
 ロン 成程。
 ローズ 電話してくれればよかったのに。
 ロン  電話していたって事態は変わっていたとは思えないね。ガソリンが少し節約になったぐらいのものだろう。
 ローズ(つらく。)ご免なさい、ロン。
 ロン 今日は猛烈に君に会いたかった。
 ローズ(優しく。)そう? じゃあ、明日は・・・
 ロン 僕は今日会いたかったんだ。それにいづれにしろ今日は帰れはしない。持ち物は全部詰めてきた。寝る場所が必要なんだ。
 ローズ(間の後。)喧嘩したのね、そうでしょう。
 ロン いつかはこうなる。分かっていたんだ。
 ローズ 私が原因?
 ロン 間接的にはね。直接には、あの車だな、きっと。
 ローズ 間接的には、私ね。原因は。
 ロン 彼の今までの親切が無になった・・・そこが問題だ・・・それが彼には我慢ならなかったんだ、絶対に。とにかく僕は終わって良かった。今シーズン、バレーは三つやった。そのうちの二つに、僕は主役で出た。三つ目は違う。丁度君が現われた時期だった。僕は主役にはあてられなかった。代わりにマイケル・ブランだ。あの嫌な野郎。だけど、とにかく僕は一座中で噂になっていたし、僕自身も少し落ち込んできた。自分が、安っぽい人間に見えてきたんだ。
 ローズ(静かに笑いながら。)安っぽい? まあ。まさか。貴方が? ロン。
(ロン、ローズを見る。素早く彼女に近づき、片手を取る。)
 ロン(荒々しく。)いつか、土曜日の夜、君は僕に言ってくれた。あの言葉、覚えている?
 ローズ いろんなことを言ったわ。あの時。
 ロン 特にあること。
 ローズ(間の後。)貴方のこと好きだって言ったわね。
 ロン それだ。それは本当なんだね。
(間。)
 ローズ(静かに。)そうよ、ロン。本当。
 ロン じゃあ、君は僕が好きなんだ。そしたら、どうしていつも僕を苛めるんだ。追い返したり、酒を飲むなと言ってみたり。どうしてなんだ。(ローズを揺すって。)どうして僕を苛めるんだ。
 ローズ 苛めてるのは貴方じゃないの、ロン。私を苛めてるの。
 ロン それは別の話だ。君はいつも謎みたいな事ばかり言っている・・・いつだって。時々自分で冗談を言って自分で笑ってる。まるでそんな感じだ。Ce n'est pas tres chic, ca, je t'assure.(そいつは品のないことなんだぜ、分かってるだろう?)
 ローズ Non, chieri. Je suis de ton avis. C'est une habitude abominable. Je te demande pardon. (そう。私もそう思う。下品な癖。ご免なさいね。)
 ロン 君はフランス語をどこかで習ったの?
 ローズ(笑って。)ええ、レコードで。エッジバストンの頃。最初の夫が買ってくれたの。いつか役に立つんじゃないかと思って。慥に役に立ったわ。あの人が死んで二千ポンド遺してくれて、私はここに来た。そしてフランス人の夫を捕まえたわ。これがまた私のことで貴方が嫌なところね。フランス語が、貴方より上手っていう事。
 ロン しようがないや。何でも君の方がうまいんだ。どうしようもないさ。
 ローズ 時間よ、ロン。時間さえかければいいの。貴方、まだ始めたばかりじゃないの。
(モナ、フレンチウインドウから登場。)
 モナ ねえ、いつまでこの子を独り占めしておいたら気がすむの。私、もう五十ドル取り返さなくちゃならないのよ。
 ローズ へティーが代わりに行ったでしょう?
 モナ へティー? へティーは駄目よ。強過ぎだわ、あの人。
 ロン 分かったよ、モナ。すぐ行く。
(モナ、雰囲気を感じて、回れ右。部屋の方へ向かう。)
 モナ そうよ、来るのよ。
(モナ、退場。)
 ロン クルトは何時って言った?
 ローズ 十二時。
 ロン 車の音がしたら部屋を覗いてウインクしてくれ。僕は二階に上がる。突き当たりの部屋でいいね?
 ローズ 駄目。
 ロン(部屋に行きかけたところを振り返って。)駄目?
 ローズ 今日は駄目。今夜は家にいて貰いたくないの。カールトンに貴方の名前で部屋を予約する。へティーに頼むわ。明日来て頂戴。
(ロン、何も言わず、また何も聞こえなかったかのように、飲み物の盆に行き、ロゼを注ぐ。)
 ローズ(腕時計を見て。)それからモナとは一勝負だけよ。十二時十分前には出て来て。
(ロン、ローズを見る。踵をカチンと鳴らし、一礼。)
 ロン 畏まりました、マダーム。よろしうございます。
 ローズ(その戯(おど)けたそぶりを無視して。)それから今日はもうさよならを言えないかもしれない。今挨拶をしておきたいわ。はるばる会いに来てくれて嬉しかったわ。
(ローズ、ロンに近づきキスをする。以前と同様に、温かみをもって、しかし熱情はなく。)
 ロン(御辞儀。また踵を鳴らす。)有難うございます。妃殿下のご好意、身に沁みます。
(ロン、居間へ向かう。その時躓く。)
 ローズ(すぐに。)ロン。
(ロン、振り向く。)
 ローズ 本当に貴方、電話をかけようとしてくれたのね、木曜日に。
 ロン 木曜日?
 ローズ モナのパーティーの時。
 ロン 勿論。先程申し上げました。わたくしの電話が故障中でございまして・・・
 ローズ(素早く。)さっきは私の方の電話がって言ったわ。
 ロン(肩をすくめて。)そちら、こちら、どちらでも同じことではございませんか。
 ローズ そうね。同じね。
 ロン(やり過ぎたのではないかと心配して。)ねえ、ローズ。僕の大事な、大事なローズ。君、まさか僕が嘘をついているだなんて・・・
 ローズ キャナスタをしてらっしゃい、ロン。でも一回だけよ。掛け金を倍にしてもいいわ。それは私が払います。
(間。ロン、ローズを見つめる。半分怒って。半分恐怖を感じて。)
 ロン 身に余る陛下のお言葉。感激でございます。
(ロン、入念な御辞儀。バレーの、女王に対するような。それから、完全なバレーのスタイルで居間に入る。明らかにローズを笑わせようと。ローズ、笑わない。ロンが出て行くとすぐ、素早く飲み物の盆に行き、少し震える手でブランデーを注ぐ。グラスにソーダを噴射注入式の器具で注いでいる時、へティー登場。)
 ローズ(グラスを上げて。)いいところを捕まってしまったわね。それに、これで終っていう訳でもないわ。禁酒は明日からまた。
 へティー 何かあったの?
 ローズ 知らないふりは結構。貴女ぐらいよく分かっている人はいやしない。
 へティー モナと喧嘩?
 ローズ いいえ。でも寸前。ああ、本当に寸前だわ。(自分自身に。呆れたように。)私が・・・嫉妬しているなんて。それもモナに。やれやれ。貴女の言う通りかも知れないわ、 へティー。そろそろタイムを要求する時ね。
 へティー(陰気に。)手遅れでしょうけどね。
 ローズ 手遅れ? 勿論手遅れなんかじゃない。その気になったら、明日にでも別れてみせるわ。
 へティー じゃ、その気になることね、早く。
 ローズ(間の後。)多分愛されるっていう役割に飽きてきたんだわ、この年になって。今度は愛するっていう役をやってみたくなったのね。
 へティー(侮辱するように。)愛する役!
 ローズ(間の後。)そう・・・愛する役。でもモナと一緒にしちゃ嫌よ。
 へティー やることと言ったら、モナと同じでしょう? 一緒にするしかないわ。
 ローズ 手厳しいわね。(微笑んで。)ああ、どう説明したらいいかしら。分かってるの、貴女の言いたい言葉。厭らしい汚い言葉・・・ 「男妾(おとこめかけ)」。でも違う。少なくともぴったりそうではないわ。カシミアの替え上着。ラゴンダ(車の名)を贈ったわ、慥に。でもそれはただあの子をベッドに誘う為じゃないの、へティー。そんなことしなくったって出来る。本当。自惚れじゃない。貴女だってそれは認めるでしょう。カシミアに車。それを贈るのは、贈って楽しいから。心から嬉しい気持ちになるから。それだけのこと。与えるって楽しいわ。いい気持ち。どんなに気持ちの良いことか、今まで知らなかった。だってこんな経験、かってなかったんですからね。
 へティー お金の出入りを調べてみたことあるの? 最近。
 ローズ そんな守銭奴みたいなこと言わないで、へティー。分かりました。慥に車は大袈裟だったわ。一つ二つ、絵を売らなくっちゃ、払いきれないかもしれない。でもどうしてあの人に贈り物をするのか。楽しいから、それだけじゃない。(考えながら。)あのロン、あれは淋しい子だわ。勿論自分じゃ分かっていない。全然・・・(言葉を真似して。)あの子は自分でこの世間を切り拓いて行く術を心得ている。それは手慣れたもの、自分の掌(たなごころ)を指すようなものよ。そう。私だってその同じ世間を切り拓いてきたわ。あの子と同じ年の頃。でもね、へティー。正直言うと、私、あの人が自分の掌がどうなっているか、実際は知らないんじゃないかと思っているの。そう。あの人の為に、こっそり代わりに切り拓いてやるの。それが楽しいのね。
 へティー さぞ楽しいでしょうね。貴女の切り拓いたその道が、モナという名の開拓地にまっすぐ繋がっているとしたら。
(間。ローズ、立ち上がり、飲み物のテーブルに進む。)
 ローズ そう。これで一杯終り。
 へティー もうブランデーはお仕舞い。ロゼになさい。
 ローズ 私、女性の飲み物の方がいいわ。ご忠告、有難う。(ブランデーとソーダを注ぐ。)そう、貴女の言う通り。あの人はもう終。あの人のお陰でモナって言う名前を聞く度に心臓をびくつかせなきゃならない。そんなことは許せない。少なくともこの年、三十五歳では。諦めなきゃならない時がくればしかたないけど。そう・・・あの人には出て行って貰いましょう・・・可哀相な人。
(フィオナ、左手から登場。)
 ローズ あら、フィオナ、貴女外出だったの。知らなかったわ。
 へティー 許可は私が出したの。構わないだろうと思って。
 ローズ そんなこと構う訳ないでしょ。どうして二人とも私を女子寮の舎監みたいに思っているのかしら。
 へティー それは・・・すぐ大騒ぎですからね。
 ローズ 健康に関してはね。華奢に出来ているんだから、この子。身体に応じた注意ってものがある筈よ。
 へティー そうね。ここで笑っちゃいけないわね。
 ローズ それは話は別。私はタフなの。あの子の年の時、私はあの子の二倍はあったわ。フログモア通りで名が通っていた。喧嘩で負けたことがなかったから。どうだったの、フィオナ、今夜は。
 フィオナ(礼儀正しく。)ええ、まあまあ。有難う、ママ。もう私、寝るわ。お休みなさい。(フィオナ、フレンチウインドウに進む。)
 ローズ(おずおずと。フィオナに対してはいつもであるが。)フィオナ・・・私、お昼にエデンロックで、デイヴィッド・クランストンに会ったわ。
 フィオナ(興奮して。)デイヴィッド・クランストン? あの人、今こっちに? ストラットフォードじゃないの?
ローズ 一週間の休暇だって。
 フィオナ ああ、ママ。あの人どんな話し方をするの? 舞台でやる時と同じ? やはりあの、腹の底から声を出すやり方? ハンサムなの? 近くから見ても。
 ローズ(自分のやった事に満足している表情。)そうね。貴女、自分でそれが確かめられるわ。だってあの人、明日の午後、ここへ来るの。
(このニュースのフィオナに及ぼす影響は、ローズが予期していたものと異なる。フィオナの顔から微笑が消え、疑い深く、目が細まる。)
 フィオナ ここに?
 ローズ そうよ、貴女に会いによ。私、貴女のことを話したの。貴女の野望。あの人、大変興味を持って・・・
 フィオナ ママ。興味を持つ筈ないでしょう? あの人が。
 ローズ それが持ったのよ。それで、貴女の台詞を読むのを聞きたいって・・・
 フィオナ(ある強さをもって。)駄目。
 ローズ 怖がらなくてもいいのよ、フィオナ。
 フィオナ 怖がってはいない。でも聞いて貰うのは厭なの。とにかく、ここでは。ママのお客で、お世辞を言わなきゃいけない時に。
 ローズ でもいいチャンスよ。
 フィオナ 勿論そう。でも厭。絶対に駄目。いつかはステージで、あの人に聞いて貰う。ただのフィオナ・ホーキンズとして。他の五十人の応募者と平等に。ママの娘としてでなく。でも今は駄目。
 ローズ(静かに。)その時でも貴女は誰の娘か分かってしまうでしょう? だって明日会うんですからね。
(フィオナ、首を振る。)
 ローズ 貴女、会うのも厭って言うの?
(フィオナ、再び首を振る。(訳註 日本では、ここは縦に振る。)深い動揺が見て取れる。)
 ローズ でも貴女、あの人の大ファンなんでしょう?
 フィオナ へイマーケットの外で、雨の中を一時間もあの人のことを待った事があるわ。サインを貰おうと思って。駄目だったけど。でもここでは厭。ご免なさい、ママ。明日は私、外出する。
 ローズ でもあの人を呼んだのは貴女の為だったのよ・・・
 フィオナ ええ、ママ。分かってる。ご免なさい。
 ローズ(怒ってきて。)でも一体どうして・・・
 フィオナ 説明出来ないわ。でもとにかく会いたくないの。あの人がここに来て、ママと一杯やるって言うのなら。
(間。)
 ローズ(静かに。)貴女時々、人を傷つける事を言うわね、フィオナ。
 フィオナ そう? でもそんな積もりじゃないんだけど。
 ローズ 積もりでない事は分かっているわ。でも人を傷つける事は変わりないわね。
 フィオナ ご免なさい、ママ。もう上に上がっていいかしら。
 ローズ そうね。そうなさい。
(フィオナ、義務のようにローズに近づき、頬にキスする。)
 フィオナ お休み、ママ。
 ローズ お休み。
 フィオナ お休み、へティー。
 へティー お休み、意地悪さん。
 フィオナ 貴女は、分かって下さるわね、へティー。
 へティー 私を巻ぞえにしないの。もう行きなさい。
(フィオナ、家に入る。)
 ローズ 貴女、分かる?
 へティー(上手に逃げて。)あまりは。
 ローズ 貴女には分かるのね、へティー。何なの、あんなに私の事を嫌うなんて。
 へティー 嫌ってなんかいないわ。貴女がローズ・フィッシュだからだけよ。
 ローズ でもあの子は、ローズ・フィッシュの経歴を非難しているんじゃない。それは確かよ。
 へティー ええ、それは非難してはいない。でも、非難していないという事と、喜んでその娘になるというのには、開きがあるわ。
 ローズ(肩をすくめて。)罪の支払う罰金ね。
 へティー 一部は。でも大きな部分じゃない。
 ローズ(急に強い調子で。)それが大きな部分なの、へティー。私、どんな物を犠牲にしてもいい。本当にどんな物だって・・・あの子から垣根を取り払いたい。人を近づけない、そっけないあの態度。あれを打ち壊して、こちらの何かを通(かよ)わせたい。何かを。こちらを辱(はづかし)める気持ちでもいい。憎しみでも。私、ちゃんと対抗出来る。対抗出来ないのは、あれ。あの冷たい挨拶。「はい、ママ。」「いいえ、ママ。」「ご免なさい、ママ。」「上がっていい? ママ。」ああ、へティー、あの子がこの私を必要としてくれさえしたら・・・
 へティー 人間始まって以来の母親の悩み。
 ローズ(素早く涙を拭いて。)この母親は特別な母親なのよ、本当に特別な・・・
 へティー 初めてだわ、涙を見たの。
 ローズ これが初めてだから当然でしょう。ああ、なんて馬鹿なの、あの子。ローズ・フィッシュの娘のどこが悪いの。これぐらい運のいいことはないじゃないの。
 へティー 賛成だわね、私は。
(車の登って来る音。ヘッドライトの光が左手の手摺りにあたる。)
 ローズ ああ、クルトだわ。(腕時計を見る。)十五分早い。やっぱりね。(落ち着いて。)ここに二、三分止めて置くわ。ロンをその間に出して頂戴。カールトンに部屋を取って・・・私の払いにしてね。明日リハーサルの後に来るように。もしその気があれば、夕食はここで私と。
 へティー その気はあるに決まってるわ。
 ローズ 荷物も全部持って来るようにって。明日からはここで暮らすの。(手摺り越しに呼ぶ。)ヘーイ、クルト。こっち。テラス。
 へティー ロンはもう出て行って貰うって言ったんじゃなかった?
 ローズ それは明日考えるわ。さあ。
(へティー退場。暫くしてクルト登場。白いディナージャケット。)
 ローズ 早かったのね。
 クルト そう。早い。酷いパーティーだった。まずい料理。人のことをこけにしゃがって。ヨーロッパいちの阿呆だと思っていやがる。(言い止む。ローズを感心して眺める。)はあ、美人だ。今日は凄い。これは美人だ。(クルト、ゆっくりとローズにキスする。満足がうかがえる。ローズ、落ち着いてこの抱擁を受ける。)
 ローズ(やっとほどいて。)お化粧がめちゃめちゃよ。
 クルト 君のは崩れないさ。とてもこんなことぐらいじゃ。そうだろう?
 ローズ 貴方さえ来なければ・・・乱暴者。
 クルト(笑って。)ビシッと決めてるな、今日は。いいよ、本当に。今夜は楽しむんだ。いいか。パーっとやるんだ。パーっと。この古い町が見たこともない騒ぎ方。カイヘキ以来のだ。
 ローズ(直す。)かいびゃく以来。
 クルト 開闢(かいびゃく)? そうか。今日初めて読んだ言葉なんだ。良い言葉だと思ってな。「かってない」・・・丁度君に対する僕の恋のような、な? 客は帰ったんだろう?
 ローズ まだ。モナとモナのボーイフレンド。
 クルト ボーイフレンドの方は出て行ったんだろ。ここへ来る途中で会ったよ。出て行くところで。すごい勢いだった。
 ローズ そう? またモナと喧嘩ね。例によって。モナは一緒じゃなかった?
 クルト 一緒じゃない。さあ、モナにさよならを言って来るんだ。それから出かけよう。
(クルト、振り向いて車の方へ帰ろうとする。)
 ローズ(静かに。)ちょっと待って、クルト。
(クルト、振り返る。)
 ローズ 私、気が重くなる事を夜遅く言うのは嫌いなの。
 クルト そりゃそうだ。夜遅くには、気が重くなる事はよそう。
(クルト、小切手帳とペンを取り出す。テーブルの上に帳面を開き、書く用意をする。この瞬間を楽しんでいる様子。)
 クルト オーケー。さあ、いくらだ、言ってみな。
 ローズ 本当にどのくらい借りがあるのか分からないの。かなりな金額だわ、きっと。へティーに聞かなくちゃ。
 クルト(小切手の金額を書きながら。)へティーに聞くことはない。これで足りる筈だ。いくら君に「かりきん」があっても。
 ローズ(自動的に直す。)借金。
 クルト 借金。私の辞書にはない言葉だ。
(クルト、小切手を渡す。ローズ、それを眺める。)
 ローズ(静かに。返しながら。)多すぎ。こんなにはいらないわ。御好意は有り難いけど。半分にして下さらない?
 クルト(嬉しそうに、ローズの腰に片手を回して。)ローズ、ローズちゃん。そんなことを言う君なのか。それに言っている相手を誰だと思ってるんだ。半分にしろとはね。いやー、決まってる。今日はビシッと決めてるな。
 ローズ(バッグに小切手を入れて。)本気で言ったのよ。分かっているでしょう? 貴方って気前がいいわ。
 クルト 私は事業家なんだ。金を積むなら、値打ちのあるものに。その値打ちのあるものには、その値段を。
(ローズ、急に飲み物の盆に向かい、ブランデーを注ぐ。)
 クルト マクシムに行くまで待てないのか。
 ローズ 待てないわね、これは。(振り向いて、クルトにグラスを上げる。)有難う、クルト。感謝するわ。
 クルト(懇願するように。)なあ、ローズ・・・
 ローズ このところ賭ける度についてなくて。 それに一度にいろんなものの払いが重なって・・・この家の装飾、プールの直し・・・
 クルト(静かに。)それにロン・ヴェイル用のラゴンダ・・・
(ローズ、黙ってクルトを見つめる。クルト、楽しそうに笑う。)
 クルト 情報通だと、「あいつはスパイを雇っているみたいだ。」なんて人はよく言うもんだ。だけど本気でそう思っている奴はいない。だがこのクルトは違う。やることはやっている。
(ローズ、バッグを開け、小切手を取り出す。歩いてクルトに近づく。クルトまで達した時クルト、伸ばされたローズの手を苛々と押し返す。)
 クルト 馬鹿なことは止めるんだ。私が気にしているとでも思っているのか。
 ローズ(静かに。)でも、気にしなくちゃいけないことでしょう、これ。
 クルト ロン・ヴェイルをか? そう、最初噂を聞いた時。そう、私の大事な大事なローズちゃんが、可愛いバレーのダンサーの坊やを見つけたって聞いた時は、信じなかった。ギリシャの大金持ち、船主、そんな奴らなら話は分かる。だけどダンサー? とんでもない。嘘だ。そう思った。それで調べさせた。このヴァーロフとローズちゃんをね。正真正銘の本当だと分かった。(笑う。)で、私は自分に言って聞かせた。ローズちゃんは気前がいい。浪費家だ。そのローズちゃんがダンサーに金を使う。高い車を贈る。そうしたい気になったんだ。なら反対する事はない。とにかく今はな。私の妻になったら話は別だ。それに、この私の前にヴェイルが現われりゃ、そりゃひっぺがしてやる。目障りだからな。しかし、気にする? この私が? ダンサーに? 馬鹿な話だ。ローズはまだ私のものだ。他の誰のものでもない。私はそれをちゃんと知っているんだ。
(間。ローズ、慎重に小切手を引き裂く。紙片を灰皿に入れる。)
 クルト ひどく芝居がかってるじゃないか。そんなことをしたって、どうせまた後で同じものを書くだけだ。そうだろう?
 ローズ そうね、そういう人、貴方は。
 クルト(笑って。)それとも倍額かな。ご不興を買った罰として。
 ローズ いいえ。丁度あの金額をマイナス。ラゴンダの値段分を。
 クルト 知らないね、ラゴンダの値段を。
 ローズ 私も。正確には。でも調べれば分かる事。さあ、行きましょう。私、はおるものを取って来る・・・
(ローズ、声が小さくなる。ロンがフレンチウインドウに現われたからである。ロン、居間に入った時より、さらに酔っている。)
 ロン 僕に今夜ベッドを用意してくれなくてもいいって言いに来たんだ。モナが泊めてくれるって言うもんだから。(クルトの方に向かって。)おお、これはこれは、ヘル・マスト。以前お会いしましたね。覚えておられるか、どうか。貴方は僕を新聞記者と・・・
 クルト 覚えている。
 ロン 「闇市の帝王」と呼ばれるのは一向構わん、と。これを聞いて嬉しかったな、僕は。だって良い表現じゃないですか、「闇市の帝王」なんて。実にいい。
 ローズ(威厳をもって。)モナとへティーに挨拶していらして、クルト。
(クルト、立ち上がる。少し迷う。それから急にフレンチウインドウの方に向き、あとを振り返らず、家に入る。)
 ローズ 貴方、あの人にぶっ殺されたいの、ロン。
 ロン 殺させればいい。嬉しいくらいだ。
 ローズ 自分でやる必要ないのよ、あの人は。殺し屋はいくらでもいるの。
 ロン 君にぴったりの人物じゃないか、ボーイフレンドとしては。
 ローズ そう。ぴったり。分かったわ。ばれちゃったんだから、どうせ同じ。突き当たりの部屋にいらっしゃい。
 ロン もう言ったろう。突き当たりの部屋になんか行かない。カールトンにも、他のどこへもだ。モナんちに行くんだ。
(間。)
 ローズ 随分酔ってるのね、ロン。
 ロン 自分がやっていることが分からない程には酔っていないさ。
 ローズ 分かってるでしょう? 今夜もしモナと泊まったら、貴方と会うことはもうないのよ。
 ロン 分かってるさ。金持ちと貧乏人とじゃ、当て嵌める規則が違うんだ。君は闇市の帝王と町にふらふら出歩けるし、僕はカールトンで大人しく、いい子にしていなきゃならない。おまけにへティーの監視つきでね。
 ローズ 悪いけどね、ロン。いいとか悪いとか、そんなことをここで話しているんじゃないの。私がこうすると言う話をしているの。
 ロン そうか。そして気にいらなきゃそれまでか。
 ローズ そう。それでモナと泊まるのね。
 ロン 泊まる。もうどうなったって構うものか。
 ローズ そう。じゃ決まりね。(ロンに微笑む。)こんな時さよならはどういう風にするのかしら。やり方、難しいわね。握手して「じゃあ、幸運を祈る」なんて言うのかしら。
 ロン ローズ・フィッシュ、魚。なんて言う名前だ。ぴったりじゃないか。温かい血など、これっぽっちもありゃしない。君には感情っていうものがないのか。この二箇月、一分間でも僕のことを考えてくれたことがあるのか。
 ローズ 考えたわ、ロン。それもかなりな時間ね。
 ロン ふん、かなりな時間か・・・ここに呼ばれる。一週間に二日ぐらい。あいた時にね。オエライさんがいない時にだ。だってロンは下層民。会わせるなんてとんでもない。そしてここに来る。すると、こづき回される、ちくちく嫌味は言われる。あげくには追い出される。僕の皆目分からない事を話し、全く知らない人物しか話題に出ない。僕がどんな気持ちか分かるか。今日、僕はここに来た。どうしてだと思う?
 ローズ 一晩泊まる為でしょう?
 ロン 泊まる為? 泊まる場所ならごまんとある。一時間も車を飛ばすことはない。ふいに現われたら、来る事を知らせずに現われたら、僕のあの子はどんな挨拶をしてくれるんだろう。そいつが知りたかったんだ。試験だ、言ってみれば。分かったよ、ちゃーんと。もうよーく分かった。お付きの女、へティー女史が御登場。僕を家から追い出すんだ。何故かと言えば、彼女のボーイフレンド・・・金持ちのね・・・それが急にやって来ることになったから・・・
 ローズ(疲れたように。)ああ、ロン、貴方クルトのことはとっくに知っている筈じゃないの。
 ロン 知っていれば心がそれだけ軽くなると思っているのか。君の不浄な金で僕は羽振りをきかせてる。それを僕が楽しんでいると思っているのか。
 ローズ 清浄な金だったら良かったのにって言うこと? 例えばモナみたいに、株で儲けたものだったら・・・
 ロン そうさ。笑うなら笑え。ちくちく皮肉でも言うんだ。僕の感情なんかお構いなしだったんだ、何時でも。
(間。ローズ、間の後、ロンに近づき、優しくキスする。)
 ローズ さようなら、ロン。
(へティー登場。フレンチウインドウのところに立つ。)
 へティー(ローズに。)何か問題?
 ローズ いいえ、何も。
(ローズ、家に入る。)
 ロン こうなって喜んでいるんだな。
 へティー 大喜び。
 ロン(ロゼを注ぎながら。)僕もだ。畜生! 喜びなんてもんじゃないんだ。心の底から湧き上がってくる歓喜だ。何だか自由になった気がする。僕を抑えていたものが取れた感じだ。良い気持ちだ。
 へティー モナが嬉しがるかしら、そんな自由な気持ちを。
ロン 冗談じゃない。こっちが駄目だったからすぐあっちに鞍替えする、それが僕だと思っているのか。大間違いだ。見損なっちゃいけない。僕が自由だと言ったら、本当に自由なんだ。
 へティー だけど、ラゴンダを突っ返す積もりはないでしょう。
 ロン どうして分かる、そんなこと。
 へティー 私には分かるの。
 ロン 分かる? 君は自分で思っているより頭がよくないかも知れないぜ、へティー。僕は車を返すかも知れない。
 へティー でも、かも知れないどまりね、どうせ。
 ロン(勇敢に。)よーし、モンテカルロに明日来るんだ。僕は車を返す。これでいいだろう。それとも書いたものが必要かな。
 へティー そんな。言葉で充分よ。立派な証文。
(ローズ、テラスに登場。何かを上にはおっている。非常に陽気にモナと話している。クルト、後に続く。)
 ローズ そう。今日は赤、奇数、それに私の年の数、がついてるの。シェミーではバンコにするわ。親が潰れないようご用心ね。(訳註 ここ意味不明。)
 モナ 凄い自信。クルト、貴方は何?
 クルト バカラだ。
 ローズ クルトはいつもバカラ。それにいつだって勝つの。
 クルト 恋愛についているからな。それはつくさ。
 ローズ それは逆ね、クルト。
 モナ 私も一緒に行っていいかしら。
 ローズ 勿論。
 モナ 貴方どう? ロン。
 ロン 今夜は早く寝なきゃ。明日は出番なんだ。
 クルト 明日は何を踊るのかな。
 ロン ブルーバード。
 クルト ブルーバード? 何だ、それは。ワイヤーで吊るされて、空中をばたばたやるのか。ピーター・パンジーみたいに。
(クルト、両腕を、嘲笑するようにばたばた動かす。)
 ロン(静かに。)いいえ。ピーター・パンジーとは違います。ブルー・バードは主役です。うまく踊るのは難しい。そう。闇市で一財産拵えるのと同じぐらい難しい。
 ローズ(ロンが駄目、)ということは、貴女も来ないのね、モナ。(クルトに。)じゃあ、クルト、行きましょう。
(フィオナ、部屋着姿で登場。)
 フィオナ 私、ちょっと泳いで来るわ、ママ。
 ローズ もう眠っていなきゃいけない時間よ、フィオナ。
 フィオナ 泳ぐとよく眠れるの。毎晩泳いでいるの、私。
(フィオナ、階段の方に進み、水着を取る。)
 クルト モンテカルロにいつか行ってみなきゃいかんな、ミスター・ヴェイル。その難しい、難しい、主役のダンスを見なきゃ。
 ロン それには及びません、ヘル・マスト。モンテカルロは遠いです。それに、この間の朝、話をお聞きした限りでは、あまり芸術の方面には興味がおありとは思えません。いいことがあります。今ここでお見せしましょう。(フィオナの方にぐるっと回って。)パートナーはここ。
 フィオナ 駄目、ロン。今は止めて。
 ロン 何を言ってるんだ。(ローズに。)僕らが踊るのを見たことはなかったね、ローズ。
 フィオナ 止めて、ロン。お願い。音楽もないし。
 ロン 音楽なんか。
(ロン、フィオナの後ろに立って、バレーのポジションを取る。)
 フィオナ 止めて。本当に。
 ロン 何を怖がってるんだ。怖がることなんか何もないんだ。(ロン、「白鳥の湖」を口ずさみ始める。)よし、アラベスク。
(フィオナ、従順に従う。楽しんでいない様子。)
 ロン よーし、うまいぞ。もう一回。
(フィオナ、もう一度やる。)
 ロン ブラーボ。まるでフォンテーンだ。いいか、行くぞ・・・そらっ!
(ロン、フィオナを肩に持ち上げる。)
 へティー(静かに。)ロン・・・お止めなさい。
 ロン 何がまずい。この子、素敵じゃない。いいか、しっかりつかまって。主役級のを一つ見せるんだからな。
 へティー 止めなさい、ロン。すぐ下ろして。
 ロン(フィオナに。)いいか? よーし、行くぞ。
(ロン、目の覚めるようなターン。最初は成功。しかし二度目に移る時、滑って転ぶ。フィオナ、金切声を上げ
る。ロン、身体を捻(ひね)って背中から落ち、フィオナの落下をかばう。)
 ローズ ああっ、大変。(フィオナの傍に駆け寄る。)フィオナ、貴女、大丈夫?
 フィオナ(立ち上がろうとしながら。)ええ、ママ、大丈夫みたい。(フィオナ、肘に触って。)ここをぶっつけたわ。それだけよ、きっと。
 へティー お見せなさい。(フィオナの肘を調べる。)
 クルト(も、これを見て。)打ち身になるな、明日は。(へティーに。)熱い湿布が一番いい。
 フィオナ いいの、そんなの。なんともない。ちょっと痛むだけなんだから。
 モナ そこの骨、あれは痛いの。
(ここまでの間ロン、誰からも見られず、床にじっと横たわっていたが、この時、非常な痛みを怺(こら)えながら立ち上がる。右の踝(くるぶし)を地面につけると、ぐにゃりと曲がる。それをまっすぐにする時、猛烈な痛みが走る。それを観客は見て取れる。ロン、それでもやっとのこと立ち上がる。その後、何事もなかったような表情で、椅子の背を掴む。)
 ロン 悪かった、フィオナ。
 フィオナ いいの。
 ロン 僕は組むのは駄目だ。何時もそうだ。一人でなくちゃ。これで証明されたよ。
 ローズ(フィオナに。)もう寝なさい、フィオナ。打ったところはへティーが見ます。
 フィオナ はい、ママ。(ローズ、フィオナにキスする。)お休み。お休みなさい、皆さん。お休み、ロン。貴方のせいじゃないわ。私がバランスを崩したの。
(フィオナ退場。へティー後に続く。)
 モナ 貴方、車を持ってるのね、ロン。
 ロン うん。
 モナ じゃあ、私が先に行くわ。道は分かってるんでしょう?
 ロン 自分の庭みたいなもんさ。
(ローズ、この時に初めてロンを見る。じっと動かないロンを見て、起こった事を見抜く。)
 モナ(外へ出る時。)お休みなさい、ローズ。じゃあ、これで。
 ローズ(モナのキスを受けて。ロンを見つめながら。)楽しかったらよかったけど、モナ。お休み。
(モナ退場。)
 クルト 主役級のダンス、楽しかったよ、ミスター・ヴェイル。しかし、これが五億マルク稼ぐのに匹敵する難しさとはね。
 ロン 誰にでも失敗はあるものです、ヘル・マスト。いつでもその覚悟はなければ。特に田舎出の山猿、この僕なんかは。
(見えない程小さい動きだが、ロン、ぐらっとする。ぐっと椅子の背を掴む。)
 ローズ(クルトに。)クルト、貴方先にマキシムに行っていて頂戴。私、ちょっとフィオナが心配になってきたの。医者に見せなきゃならないかもしれない。あとから自分の車で行きます。(クルトが抗弁しそうなのを見て。)四十七年もののランソンを取っておいて。それにスクランブルエッグ。十分後に行きます。
 クルト それ以上は待ちたくないね。
 ローズ 本当に十分。四十七年のランソンを忘れないで。ちゃんと言わないと、変な年代の妙なものを出されるのよ。それからキャビアー・オ・ブリニなんて馬鹿なものを取らないのよ。ただのスクランブルエッグ・・・
 クルト(階段のところで。)失礼する、ミスター・ヴェイル。 そして、これが最後の「失礼する」だと思うが? どうかな。
 ロン(疲れた様子。)そんなところでしょう。やれやれ、馬鹿な意地の張り合い。でもお望みならいくらでも続けましょう。「失礼」と言って、もう二度とその顔を見ないですむと思うと、なかなか良い気分だ。
 ローズ(クルトが言い返そうとしているのを見てとって。)もう行って、クルト。この人の言う通り。馬鹿な意地の張り合い。
 クルト 馬鹿かどうかは何時か分かる。これが「馬鹿な」ぐらいで済むと思ったら大間違いだ。
(クルト退場。クルトが見えなくなるや否やロン、膝からくずおれる。)
 ローズ(威厳をもって。)横になって、すぐに。仰向けに。そう。(ローズ、踝を調べる。)やはり折れてるわ。
 ロン 折れちゃいない。捻挫だ。
 ローズ 骨折。これは。
 ロン 骨折だ、とか捻挫だ、とか、君に分かるのか。
 ローズ 戦時中、空襲救助班にいたんですからね。本当に意地っぱりのお馬鹿さん。立ったままで体重をかけたりして。余計ひどくしたわ。
 ロン あのナチ野郎に笑われてたまるか。のびた姿など見せてみろ。あいつ、腹を抱えて笑ったろう。
 ローズ じっとしているのよ。他は動かしても、そこを動かしちゃ駄目。今クッションを持って来るわ。
(ローズ、クッションを取りに出る。へティー、帰って来る。)
 ローズ へティー、マートン先生を呼んで。すぐ来て貰って。ロンが骨折。
 ロン 捻挫。
 ローズ 骨折。捻挫じゃないわ、残念ながら。
 へティー 可哀相。
 ローズ(疲れたように。)心にもない事を。可哀相だなんて。
 へティー たいした紳士。逆境にあって、微笑みを絶やさず、ね。
 ローズ マートン先生の電話番号は、私の手帳にあるわ、へティー。
(へティー退場。ローズ、ロンの傍に膝をついて、ゆっくり足を持ち上げ、踝の下にクッションを置く。ロン、 呻く。)
 ローズ(床の上で、ロンの傍にいて。)痛かった? でもこの方がいいから。
(ロン、急にローズを掴み、顔をローズの腹のあたりに埋める。)
 ロン(啜り泣く。)ああ、ローズ。畜生!
 ローズ(ロンの頭を撫でながらあ。)ひどく痛むの?
 ロン 立っていた時はひどかった。今は痛まない。
 ローズ じゃあ、じっとそうしているのよ。
 ロン(また泣き出す。)ああ、畜生!
 ローズ 何なの、畜生って?
 ロン ひどい話だ。
 ローズ すぐ治るわよ、ロン。
 ロン この馬鹿な骨折の事を言っているんじゃないんだ。この僕のことを言ってるんだ。君と僕のことを言ってるんだ。君達みんな僕のことを大馬鹿野郎だと思っている。狙っているものが手に入るだなんて、甘い甘いってね。 そうだ。ああ、そんなところだろう。だけど何時も僕は子供の時に言われていた。なあ、ロン、お前なあ、一生懸命働いて、「よし、うまく行った。俺はこれでいいんだ。」って言えるようにならなきゃ駄目なんだ。そうでなきゃ落伍者よ。畜生! それは本当なんだ。落伍者を見てみろよ。いるんだ、この豊かな社会っていうやつにだって、ちゃんと落伍者が。
(ロン、涙で汚れた顔を上げ、ローズを見る。ローズ、無言。ロンを見下ろして、機械的に彼の髪を撫でている。)
 ロン 自分で道を切り開いて行くっていうのが、何故悪いんだ。君だって今までやって来たことじゃないか。
 ローズ そう。
 ロン 僕がそれをやると何故汚い奴って言われなきゃならないんだ。
 ローズ 私のことだってそう思っているのよ、みんな。
 ロン それは違う。君だってそれは違うって知ってるんだ。(再び啜り泣く。)諦められないんだ、僕は君が。そうしようとしても無駄なんだ。モナにしようって、そりゃ振りは出来るよ。だけどあいつなんかうんざりなんだ。それにサムもうんざり。他の連中もみんなうんざりなんだ。君だけなんだ、ローズ。君が諦められないんだよ。僕を追っ払わないで。お願いだよ。
(ローズ、答えない。間あり。ロン、少し自分を取り戻す。)
 ロン また芝居をやってると思ってるんだ。ただ金づるに縋(すが)っていたいんだってね。君がそう考えるのは分かる。それは無理もないさ。僕が君だったらやはりそう思うもの。そうだ。正直言って、最初はそうだった。「何? ローズ・フィッシュ? 知ってるよ、よーく。明日だって行くことになってるんだぜ。あのお城にさ。まあ一晩泊まることになるだろうな。そうだよ、ローズ、あれは素敵な女さ。新聞に書いてあるのとは大違い。新聞の言うことなんか信用出来ないってことよ。そう。面白いんだよ。それに、飛び切りの美人。あたりきさ、僕にメロメロよ。」
(ロン、またしっかりとローズに縋りつく。)
 ロン だけど今は違うんだ、ローズ。何がどうなったんだか、僕にはさっぱり分からない、本当に。今はすっかり違うんだ。畜生! 僕はクルトを妬(や)いてるんだ。僕が! 妬くなんて。笑っちゃうよ、全く。(ロン、再び啜り泣き始める。)僕には分からない。だいたい、たいして君には会ってもいないんだ。朝、時々呼んでくれる。ここへ来たって話すことなんかありはしない。ただ誰かの噂話。君の友達は僕をゴミみたいに扱うし、君だってそうだ。ただちょっと矛先を弛めているだけさ。それなのに、君なしでいられないなんて。僕には君が必要なんだよ、ローズ。
(ロン、再びローズを見上げる。)
 ロン 何がどうしてそうなったのか、皆目分からないんだ、ローズ。だけど僕には君が必要なんだよ。
(ロン、じっとローズを見上げて答を待っている。その時へティー登場。)
 へティー マートン先生はもう出ました。病院に電話して、救急車も呼んだわ。
 ローズ 有難う、へティー。手際よかったわ。もう少ししたらマクシムに電話して。今夜は行かないって言って頂戴。
 へティー このことを話すのね。
 ローズ これは話さない。
 へティー じゃあ、何て言うの。
 ローズ この状況で、一番いいと思うこと。
 へティー この状況って、何なの?
 ローズ ロンに私が必要っていうこと。
(ローズの頭、ロンの上に保護するようにかぶさる。)
                     (幕)

     第 二 幕
     第 一 場
(場 同じ。二箇月後。)
(テラスに五人の登場人物。(訳註 ローズ、へティー、ロン、サム、フィオナ)ローズ、珈琲を注ぎ、ロンに渡している。ロン、杖をつきながらカップを他の人々に回す。サム・デュヴィーンが新しい顔。四十半ば。痩せた、運動で鍛えられた身体。昼食の後。)
 ローズ(ロンにカップを渡しながら。)これはへティーの。こんなこと、しないでいいの。坐ってらっしゃい。
 ロン 大丈夫さ。体重さえかけなければ、医者は良いって言ってるんだ。
 ローズ フィオナ、貴女、珈琲を配って頂戴。
 ロン(カップをへティーに渡しながら。)昨日折ったばかりっていう扱いじゃないか。冗談じゃない。もう一週間前からギブスは取れてるんだ。
 サム その通りですよ、奥さん。この状態になれば足は使えば使う程バレーへの復帰は早いんです。
 ロン 僕はバレーにはもう復帰しない。
(ロン、坐る。サム、驚いてロンを見る。)
 ローズ(カップをフィオナに渡しながら。)デュヴィーンさんに。
 サム ダンスは辞めたいっていうことか。
 ロン 辞めた。知っていると思っていたけど。
 サム 私には話してないぞ。
 ロン 他の人達には話してる。監督にも。貴方には話せなかった。怖かったんだ、きっと。何を言われるか分かってるから。
 ローズ ここで仰る台詞は? デュヴィーンさん。
 サム(軽く。)ないですね、何も。何か言わなくちゃいけないのかな。
 ローズ(少し防御するように。)ロンが自分で考えたんですわ。私の入れ知恵じゃないの。
 サム ああ、それは分かってます。
 ローズ そうは言っても、辞めると聞いて嬉しい気持ちは隠せませんわ。私、ダンサーの妻っていうのはあまり嬉しくありませんの。一晩限りの舞台でヨーロッパ中移動する、それについて回るのはね。
 サム(礼儀正しく。)そうでしょう。ダンサーの妻って、誰でもそうです。夫にバレーを辞めさせたいんです。
 ロン 問題は、これくらい稼ぎにならない職業は他にないっていう事さ。それに、汗水たらして練習して、やっとトップになれるかっていう頃になると、お仕舞いなんだ。筋肉がもう動かなくなっていてね。四十にならないうちに定年が来るっていう職業が他にあるか、訊きたいもんだ・・・年金もつかずにね。
 サム そう。分の悪い仕事だ。もし踊るのが好きでなければね。
 ロン 僕は好きだったことなど一度もない。先刻ご承知の筈だ。酷い事を言って、よく怒らせた。
 サム そうだった。それに私はバレーのことになるとすぐかっとなるから・・・
 ローズ この人、上手なんですか、デュヴィーンさん。
 サム テクニックはいいです。だけど最高の水準に行くには、もう少し真剣にやらなきゃいけなかったな。
 ロン ええっ? サム、そりゃないよ。僕は練習をさぼった事は一度もないぜ。
 サム(微笑んで。)監督に言って、さぼったらサラリーを減らすようにしておいたからね。そうでもしなきゃ危ない危ない。それにさぼらない以上のことが必要なんだ。
 ローズ(明るく。)とにかくロンがいなくなっても、それほどひどい打撃は受けないっていう事ですわね、デュヴィーンさん。
 サム なんとか生きのびられるでしょう。(ロンに。)じゃあ、これからは何をやるんだい、ロン。
 ロン まだはっきりしてない。ローズが旅行代理店を知っているんだ。そいつは少し運転資金がいるらしい。それに相棒を採りたいらしいんだ。ただ、これにするかどうかは決めてない。
(サム、「分かる」という風に微笑する。)
 ロン もっとやってみたいと思っているのは、ローズと二人でパリに小さな画廊を持つ事なんだ。
 サム 絵が好きだとは知らなかったな。
 ロン いや、好きかどうかは僕も分からない。だけどローズは好きなんだ。僕は物覚えは良い方だし・・・そうだろう? ローズ。
 ローズ(優しく。)物覚え、悪い方ね。それに私、教えるのは下手だし。でも画廊は楽しそうだわ。一箇月たたないうちに破産でしょう、多分。でも、楽しそう。(ローズ、ロンの手を握る。)
 へティー(突然立ち上がって。)お客様を急がせる訳じゃないけど、デュヴィーンさんにはロールスで帰って頂くっていう話だったわね。ちょっとガストンに用意させます。
 ローズ そうね。そうして頂戴。
(へティー退場。)
 サム これはご親切に。
 ローズ いいえ、ここらはタクシーがひどく高くて。
 ロン サンダーバードは売っちゃったの? サム。
 サム いや、ニューヨークから帰って来るまで、人に貸したんだ。
 ロン(軽い調子で。)マイケルに? (訳註 二九頁参照。主役を演じたマイケル。)
 サム そう。
 ローズ 今夜発つんですの? デュヴィーンさん。
 サム いいえ、明日の夜です、奥さん・・・パリ発で。
 ロン やれやれ、「デュヴィーンさん」だの、「奥さん」だの、もうこれは止めようよ。食事での会話は素晴らしかった。そして二人とも僕にこっそり、「なんて良い人なんだ」って言ってるんだ。だから・・・
 ローズとサム (同時に呟く。)ロン、駄目よ。ロン、困るじゃないか。まいっちゃうな。困るわ、ロン。
 ロン 二人とも僕に同じ事を言ったんだ。「思っていたのと大違い。良い人じゃない。」「思っていたのと大違いだよ、ロン。良い人じゃないか。」って。嘘だなんて言わせないぞ。
(答なし。)
 ロン だから、サム、ローズ、と呼びあったらどうなんだ。
 ローズ(間の後。)貴方より、もっと礼儀正しい年代にいるのよ、私達。ちゃんと許しを得てからでないと、名前では呼びあわない。(微笑んで。)そうね、サム?
 サム(微笑み返して。)許しを得てですね、ローズ。その通り。ただ、同じ年代って言うのは違う。僕は古い年代だ。貴方方二人の年代とは違います。
(へティー、三通の手紙を持って戻って来る。これをローズに渡す。)
 サム ああ、それとも貴女がロンの年代じゃないと言われるなら、それこそ大間違いですよ。
 ローズ(手紙の封を切りながら。)女の年齢とは、自分が自分自身に与えている年を言うのですわ。私何時も、ロンのおばあさんの年齢だと思っている。ちょっと失礼します。(訳註 手紙を開ける事を断っている。)
 サム どうぞ、どうぞ。
(ローズ、二通を開き、読む。)
 ロン ニューヨークで出すバレーはどう? 調子。
 サム ニューヨークじゃないんだ。ハリウッドなんだ。
 ロン 何の映画?
 サム 知らないんだ。誰が出るのかも知らない。
 ロン(微笑して。)でも金は分かってる。
 サム(微笑み返して。)おぼろげに。
 ロン かなりの額?
 サム 最高じゃない。いい・・・とも言えないな。ましっていうところか。
 ローズ(へティーに。手紙を指差しながら。)こちらはきっぱり断って。こっちは条件つきの承諾。(へティーに第三の手紙を、開かないまま渡して。)これは捨てて。
 へティー 消印ぐらいは見たらどうかしら。
 ローズ(封筒を見て。)あ、帰って来たのね。そろそろその頃かなとは思っていたわ。
(ローズ、手紙をへティーに渡す。引きちぎる動作。へティー、頷き、退場。)
 ロン クルト?
 ローズ そう。
 サム クルト・マスト?
 ローズ ええ、婚約していた、あの。
 サム(頷いて。)カプリでのあの人の記者会見、読みました。例の、「貴女の人生には、この私しかいないのだ。デュッセルドルフでの挙式は、滞りなく行われるのだ。」っていうやつ。私には何故か、哀れに聞こえましたが。
 ローズ 哀れですって? 単なる強がり。それに法螺。だってこの二箇月、あの人とは何のやりとりもなしですから。
 サム そうでしょうね。
 ロン じゃあ「哀れ」って言うのは?
 サム それぐらいの法螺でもふかないと、プライドが許さなかったっていう、あの人の心根が。金で買えなかったのはこの話ぐらいのものじゃないかな。そしてそれがあの人には一番こたえている。随分愛していたんですね、あの人は、貴女を。
(フィオナーーこの時まで、バートランド・ラッセルの「西欧哲学の歴史」を読んでいたがーーこの時に初めて 頭を上げてサムをちらっと見る。このサムの台詞が、今までの会話の中で、彼女にとって初めての聽く価値のある台詞。)
 ロン ローズを愛さない人間なんて、いるのかな。
 サム それはそうだ。
 ローズ クルトのことをそんなに哀れに思う事はないわ、サム。あの人、自分の事は自分で始末出来るの。なにしろ金があるんですからね。
 サム こういう問題の時にも、連中は金で解決しようとする。物質主義って言うのか。違いますね。物質主義を通り越して、精神主義に見えますね。
(間。)
 ロン な、言っただろう? ローズ。サムはこうなんだ。可哀相にって思える所がある人間しか好きにならないんだ。だから誰にでも、何か哀れな所を捜そうとする。この僕だって見つけられたくちだ。最初に会った時、僕はその場でピルエットをたて続けに六回、ピタッとやった。他の連中は誰も出来なかった。サムはその僕を可哀相にって思ったんだ。そうだね、サム。
 サム(静かに。)そうだ、ロン。全くその通り。
(フィオナ、立ち上がる。)
 フィオナ ママ、私、プールに行っていい?
 ローズ もっと食休みが必要じゃない?
 フィオナ そんなの迷信よ、年寄の・・・あっ・・・昔の人の。(握手のため手を伸ばして。)じゃ、さようなら、デュヴィーンさん。
 サム ああ、じゃ、失礼。
(ローズはテーブルの上のテープレコーダーを見ている。)
 ローズ 貴女、今朝これを使ったのね、フィオナ。
 フィオナ (軽い調子で。)いいえ、ママ。
 ローズ(鋭く。)フィオナ、どうして嘘をつくの。嘘をついて何になるの。貴女しか使う人はいないのよ。
 フィオナ(ふくれて。)使おうとしたんだけど、止めたの。
 ローズ 使ったのよ、貴女は。私に聞かせたくないの。そうでしょう。
(フィオナ、答えない。)
 ローズ 分かったわ。聞かせたくない、その気持ちを尊重しましょう。でも、何の芝居?
 フィオナ 「かもめ。」
 ローズ でも何時かは聞かせてくれるわね。どの役でもいいけど。
 フィオナ ええ、ママ。
 サム 役者志望なんですね。
 ロン 何が何でもっていう意気込み。それに、悪くないんだ。僕は聞いた事があるけど。
 ローズ(苦い調子。)特権ね。
 ロン サム、役者はどうだと思う? この子。
 サム(品定めするようにフィオナを見て。)質問していいですか。大変失礼な。
 フィオナ 失礼な方がいいわ。
 サム 演じるって、楽しいと思いますか?
 フィオナ(間の後。)いいえ、すぐうんざりでしょうね。
 サム(賛成するように頷いて。)うん。役者になれますよ。
 フィオナ ひっかけの質問だわ。分かってたの。でも答は正直のつもり。
 サム そう。答は正直だと思う。お母さんの血をひいているんですよ、その正直な所。とにかく幸運を祈ります。
(フィオナ、右手の階段に向く。ローズ、呼び止める。)
 ローズ 貴女、今夜夕食に来るわね、フィオナ。ドゥ・トックヴィルに。貴女を連れて行くって約束したのよ、私。八時に。
 フィオナ(素早く。)駄目。八時は無理。へティーを見送りに駅に行く時間、それ。
(間。)
 ローズ 今何て言った? フィオナ。
 フィオナ ママ、何もまだ聞いてないの?
 ローズ(奇妙な顔。)聞いてない?
(ローズ、ロンを見る。ロン、静かに頷く。)
 ローズ(ロンに。)知ってたの?
 ロン うん。
 ローズ どこに行く積もりだって?
 ロン(肩をすくめて。)スコットランドじゃないかな。
(間。)
 ローズ どうして私に何も話してくれないの、あの人。ひとっことも私に言わないで、こっそり私から逃げて行こうっていう気?
(サムは外の景色を見ている。サムとフィオナ、居心地が悪い。)
 ロン あの人の積もりでは、荷物が全部駅について、君が何を言おうと自分の意志が変わらないようにしておきたかったんじゃないかな。
 ローズ そして、その「積もり」を貴方、焚付けたっていうこと?
 ロン 意図を挫く努力はあまりしなかったな。
(ローズ、呆れた顔でロンからフィオナに目を移す。二人はそれぞれの度合いの同情をもってローズを見る。サムは三人の誰をも見ない。)
 ローズ(やっと。)分かったわ、フィオナ。貴女をドゥ・トックヴィルに連れて行くのはやめ。へティーを見送りなさい。
 フィオナ 有難う、ママ。
(フィオナ、プールへと退場。ローズ、ロンの方を向く。)
 ローズ ロン、ああロン。どうなってるの、これ。
(ロン、椅子から立ち上がり、びっこをひきながらローズに近づき、彼女の腰に腕を回す。サムはまだ風景を見ている。)
 ロン どうなってるか、分かっている筈だよ。
 ローズ あの人ったら。あの人ったら。
 ロン こうなるのが一番いいんだ。ね。
 ローズ 一言も言わないで。
 ロン(誠実に。)ご免。僕が悪いんだ、ローズ。君がどんなふうに感じるかは分かっていた。だからへティーに言っちゃったんだ。そんなことをしたら君がどうなるかって。
 ローズ 貴方、引き止められなかったの。
 ロン 死ぬしかないだろうな、僕が。
 ローズ(厳しく。)何か言える言葉がなかったの。
 ロン 何もないな。何にもない。へティーがどう感じているかは分かってるだろう。
(ロン、優しくローズにキスする。)
 ローズ(挑むように。)分かったわ。行かせるのね。みんな出て行けばいいの。(サムの方を向く。)すみません。ちょっとした内輪のいざこざ。たいした事ではありません。
(サム、礼儀正しく、同情するという風に、頷く。)
 ローズ うちの事をしてくれていた・・・へティーっていうんですが、それが出て行くって言うんです。五年もいてくれていたのに。私にさよならも言わないで。
 サム(呟く。)それは・・・
 ローズ 構わない。ロンの言う通りだわ。これが一番いいの。あの人、役に立ちはしなかった。何時だって。今日の昼の食事だってどう? パテ・アン・クルットに、ヴォル・オ・ヴァン。パテ、パテ、パテ。どういう積もり? パテで窒息しちゃうわよ。
(へティー登場。ローズ、素早く目を逸らす。)
 へティー ロンのタクシーが来たわ。
(間あり。ローズ、やっと、辛い試練を受ける覚悟でへティーの方を向く。へティーを見る。)
 ローズ(静かに。)何て言ったの、へティー。
 へティー ロンのタクシーが来たって。
 ローズ タクシー? どういう事?
 へティー(辛抱強く。)うちのロールスはデュヴィーンさんをモンテカルロまで送ります。ロンは自分では運転出来ない。私は午後忙し過ぎて運転は無理。ロンを病院まで連れて行けないし、治療の後まで待っていられない。だから・・・
 ローズ 忙し過ぎね。そう、そうでしょうとも。
(へティー、ローズの口調に刺があるのに気づき、ロンの方を見る。ロン頷く。)
 ロン うん。知ってる。
 へティー そう。じゃあ私からは言わなくていいのね。
 ローズ 汽車の時間は言って頂戴。
 へティー 八時三十五分。ブルートレイン・マイナー。三等の車両を連結している。
 ローズ(冷たく、また礼儀正しく。)ああ、じゃあ、まだ出発前に話す時間はあるのね。
 へティー ええ、その気におなりなら。
(へティー、振り向いて行こうとする。)
 ローズ へティー。
(へティー、再び振り返る。)
 ローズ この日付に意味があるの?
 へティー 八月十日? 勿論。記念日というものが私、好きじゃないの。その癖しょっちゅう思い出す。
 ローズ 私はすぐ忘れる性質(たち)。人に言われてやっと思い出す。
 へティー 五年前の今日。だから丁度丸五年。区切りがいいでしょう?
(へティー退場。ロン、杖をついてローズに近づく。)
 ロン 「失礼な」なんて思っちゃ駄目だよ、ローズ。嫉妬だ。それだけなんだ。僕達みんな感情ってやつがあるじゃないか。しようがないよ、な。(ロン、ローズにキスする。)
 ローズ 感情。そう。始末におえないわね。(サムに。)感情が始末におえたら世の中はもっと暮らしよくなるんでしょうか。
 サム(へティーの言葉をひいて。)「区切りよく」暮らせるようになるでしょうね。もっとも区切りよく暮らせるのが暮らしよくなることかどうかは疑問ですけど。
 ロン(サムに近づいて。)じゃあ、サム、これで。今日は来てくれて有難う。成り行きを知って貰わないまま別れるのは心配だったんだ。
 サム(握手しながら。)成り行きか。悪くないじゃないか。この成り行き。
 ロン うん。ただ・・・(言い淀む。)
 サム(静かに。)ただ・・・何だい。
 ロン(肩をすくめる。困って。)ただ・・・たださ。とにかくローズのこと、僕が本気だって分かったろう?それが嬉しいよ。(熱心に。)それから、さっきローズについて言った事、あれは嘘じゃないんだろう?
 サム(ローズに。微笑んで。)ロンはこうなんですよ。子供みたいに疑り深くって。(ロンに。)そうだ、ロン。ローズについて僕がさっき言った事は、本気中の本気だよ。
 ロン よかった。じゃあ僕はこれで。マッサージのじいさんときたら、遅れたらえらい事になるんだ。
 サム(突然。ひどく熱心に。)なあ、ロン。ここだ。ここの筋肉は絶対気をつけなきゃ駄目だぜ。(自分の足の、ある部分を指し示す。)そこが効けばダンスは出来るんだからな・・・(サム、急に思い出して言い止む。微笑んで。)そうか、旅行代理店も画廊も、ダンスはしなくていいか。心配いらないんだ。
 ロン(微笑んで。)心配いらない。全く。何も。じゃあ、サム、これで。ハリウッドでの成功を祈るよ。
 サム そちらも。
 ロン 結婚式に間に合うといいね。
 サム 来月パリの近くにいたら、必ず出席するよ。
 ロン(恥ずかしそうに。)エート、僕の付き人をやって欲しいから、と言えば、呼び水になるかな。
 サム そりゃ、僕にはなるさ。だけど、MGMも、その気になってくれるかな。とにかく間にあう事を祈ろう。
(二人、握手する。気まずい雰囲気あり。それからロン、ローズの方を向く。)
 ロン(ローズにキスして。)マッサージが終わったら浜辺に行く。君、来るね。
 ローズ 浜辺は駄目。止められているわ。
 ロン そうか、忘れていた。じゃあ、ドゥ・トックヴィルでだ。
 ローズ いいわ。
(ロン、急に優しくローズを抱擁する。)
 ロン 誰が何て言ったって、構いはしない。これはとんでもない奇跡だ。そしてその奇跡が、僕のものになっているんだ。
 ローズ(笑って。)誰かのものになるのかしら、奇跡って?
 ロン これは例外だ。
(ロン、ローズを放し、ドアに向かって杖で進む。 サム、ドアを開けてやる。ロン、サムに何かを言おうとする。が、止め、困ったような微笑をし、サムの肩を叩く。ロン退場。ローズ、テラス左手に進み、ロンが出て行くのを見送る。ローズ、手を振り、投げキス。タクシーの出発する音が聞こえる。)
 ローズ(考え深そうに。)奇跡が誰かのものになる。そんなこと、あるものかしらね。
 サム(静かに。)ないですね。
(ローズ、ロンに手を振っていたが、急に振り返り、サムを見る。)
 ローズ 私、命よりもロンを愛している。これも奇跡?
 サム 命よりも。貴女の命よりも? それとも彼の命よりも?
(間。ローズ、サムに煙草を差し出す。サム、首を振る。ローズ、自分で一本取る。)
 ローズ 単なる女性の感傷的な表現ね。ご免なさい。あの人を非常に愛しているっていう、ただそれだけの意味。
 サム(ローズの煙草に火を差し出しながら。礼儀正しく。)そうですね。
 ローズ(挑むように。)そして一生。
(サム、答えない。)
 ローズ 今度は「そうですね。」は?
 サム 奇跡は信じないって言いました。
(間。)
 ローズ(悲しそうに。)結局貴方は敵・・・なのね。
 サム 率直で、知的な女性、その貴女にしては随分無骨な質問ですね。
 ローズ 率直で知的な男性、その貴方にしては随分遠回しな答ですね。貴方は敵? 味方?
 サム 遠回しにしか答えられない質問ではありませんか。僕は彼の友人、それに貴女が好きで、尊敬している。
 ローズ でも・・・
 サム(溜息をついて。)でも、敵だ。
 ローズ 何故?
 サム(優しく。)それはご自分でお答えになった方が楽じゃありませんか。一つの言葉ですむ筈です。(訳註 この言葉は「嫉妬」らしい。)
 ローズ 分かっています。便利過ぎるくらい。へティーのことを言うのに、ロンも使ったわ。でもへティーにはあて嵌まらない。貴方にも当て嵌まらない筈だわ。どうして敵? 私がロンからバレーを取り上げるから?
 サム そう。勿論。
 ローズ(微笑む。)でもロンなしでもバレーは大丈夫、それが貴方の言葉だったわ。
 サム バレーなしでもロンは大丈夫とは言いませんでした。
 ローズ(微笑む。)ロンの言う通りね。貴方の頭にはバレーしかない。ロンはバレーなんか好きでもないのよ。全然問題にならない筈だわ。
 サム 今はそうでしょう。単なる仕事にしか見えない。金持ちの女性が傍に控えているんですからね。
 ローズ それほど金持ちでもないわ。この建物と絵を売り払って、年三千五百ポンドがやっとっていうところ。
 サム それに貴女が加わる。
 ローズ ええ。
 サム さっきの二つの仕事。旅行代理店と画廊。なんていう取り合わせだ。一体、期待が持てるとでも。あいつはそのどちらだって、一週間と持ちませんよ。思ったよりロンのことをご存じないって事です。
 ローズ それほどバレーがあの人に大事?
 サム ええ。あいつがまともに出来る仕事はそれしかないからです。それはよくご存じでしょう。あいつが子供の頃、これだけは一人前になってやろうと腹に決めた、ただ一つの仕事なんです。勿論あいつ自身はそんな事に気がついてはいない。ロンは自分がどういう人間か、考えた事などないんです。しかしバレーは彼にとって命綱なのです。丁度、泳げない男が荒海に投げ込まれた時の、救命胴着みたいなものです。
 ローズ(一言一言考えながら。)あの人にバレーを続けさせる事は出来るんじゃないかしら。
(サム、短く笑う。)
 ローズ(少し怒って。)私が無理に言えば。きっと。
 サム(静かに。)朝九時までに練習に出させられますか。ロゼ・ワイン、ナイトクラブ、ローマでの週末、ヨット、夜更かしのパーティー、これを全部させないでおけますか。
 ローズ 出来ると思うわ。
 サム 貴女を正直だと言ったのはつい先程でしたが。
 ローズ その方向に努力は出来るわ。
 サム そんな事をしたら、毎日が喧嘩でしょう。そうでなくても起きる決裂が、早まるだけです。バレーは止めた方がいい。パリに連れて行って、旅行代理店でも画廊でも、何でもやらせた方がいい。その方がまだしもです。貴女にとっても、ロンにとっても。私は行かなければ。
 ローズ(サムを止めて。)これは決して続かない、そう思っていらっしゃるのね。
 サム ええ。
 ローズ 何故でしょう。
 サム ロンの事を知っているからです。
 ローズ 私の事はご存じない筈よ。
 サム 週刊誌で読みました、それに今お会いしました。愛していない男四人を夫にし、それにより現在の地位を確保し、そろそろ落ち着く時だと、今度は愛している男を夫にしようとしている女性。
 ローズ どうやら、ロンを愛しているという点は認めて下さったようね。
 サム それは前にも認めた筈です。ただ、その期間を言っているのです。
 ローズ どのくらい続くと?
 サム 最長六箇月です。それ以上ロンを愛するのは無理。これが今までの最長記録です。
 ローズ その記録は軽く破れそうだわ。
 サム そうでしょうね。慥に貴女はタフだ。倍、つまり一年は続くでしょう。
 ローズ たった一年? 一生のつもり、私。
 サム 大丈夫です。その一年は一生の長さに見える筈です。
 ローズ ロンを愛するのが、そんなに難しい。どうしてでしょう。
 サム 愛を返して来ない人間を愛せなくなるのは、自然の成り行きなのです。
 ローズ あの人は愛を返してきます。私は愛されているんです。
(サム、沈黙。)
 ローズ とにかく、あの人は私を必要としているんです。
 サム そうです。あいつはいつでも誰かを必要としてきた。これからも必要とするでしょう。
 ローズ それで安心だわ。必要とされさえすればいいの。それ以上は何も望まない、私。
 サム(ゆっくりと。)そういう気持ちでしょう、今は。でもこの、ロンから必要とされるという事態に貴女はまだ慣れていない。分かっていますか、ロンのタイプの人間は必ず最後には自分が必要とした人間を憎むようになる。どうしてもそうなるんだ。それは衝動的なんだ。勿論憎悪のみの憎悪ではないのでしょう。愛による憎悪、憎悪による愛・・・フロイド流に言えば、何か説明があるでしょう。しかしそんな説明はまがいもの、本物とは似ても似つかない。いいですか。朝から晩まで、来る日も来る日も、顔のど真ん中を、顎をぶん殴られる。殴る奴の気持ちがどうなのか、そんな事はもう問題じゃない。心理学者が勝手に分析でもすればいい、こちらはひたすら殴られた顎をいたわる。痛みだけでも出て行ってくれと祈るのが精一杯だ。六箇月。新婚旅行の後、六箇月もたない。賭けをしましょうか。
 ローズ いいえ。貴方からお金は戴きたくないわ。
 サム 何故ですか。私の金だって、貴女のと同じ、ぎりぎりの辛抱で得たものですよ。
 ローズ(やっと、怒りを含んで。)ロンの事は一から十まで承知っていう顔ね・・・たった六箇月のくせに。
 サム 六箇月? 誰がそんな事を言いました?
 ローズ(かぶせるように。)だって、今の話で・・・
 サム(同様に、かぶせて。)ほう、今の話から? 違いますね。六箇月なんかじゃない。殴られ続けてどのくらいになるか。待って下さい・・・エート・・・もう七年。いや、そんなにたいした事じゃない。殴られたって、次に殴られるまでに間があった。(考えてみれば)回復の期間はあった。そんなには会わないようにしたし、それに予め口にマウスピースを入れておいたり。
(間。)
 ローズ 貴方の狙いが分かっていないような気がするわ、サム。ロンをどうしたいって言うの?
 サム 父親の役目。
 ローズ という事は?
 サム 初めてロンに会ったのは、一九五二年。あいつはバレー・ランベールにいた。そこに入る為に家出して来たんです。母親は死んでいて、父親のことは嫌っていた。仲間の子供達からは嫌われ、ロンドンでは一人住まいだった。今だってロンを見ると、面倒を見てやらなきゃ、という気になるでしょう。その頃のロンだ。どれだけ頼りなかったか、想像がつくでしょう。私は面倒をみた。それからずっとです。影になり日向になって助けた。まあ、貴女が現われるまでは、という事になるか。とにかく私はここであいつに仕事を見つけてやり、時々邪魔はあっても、あいつが必要とする時は大抵は助けになってやれたのです。
 ローズ そう。
(間。)
 サム(ゆっくりと。)「そう」(という言葉)には、いろんな言い方があります。貴女はその言い方にしたんですね、ローズ。どうしてその言い方になったんです。ロンのせいだな、きっと。
 ローズ 違います。ロンは何も言ってない。それは違います。
 サム いや、あいつのせいだ。
 ローズ そうね、じゃロンのせい。ひょっとしてロンの言う通りかもしれない。
 サム(静かに。)やはりそうか。しかしロンの言う通りじゃ決してない。僭越ですがこれだけは言わせて貰います。感情は時として抑える事が出来ないものです。しかしその表現は必ず抑えられる。表現とはそういうものなのです。
 ローズ 随分高貴に聞こえるわ。
 サム いや高貴なんかじゃない。やりにくくって、時には恥ずべき事です。それに普通は厭な気分になる。しかし下品ではないのです。
 ローズ ご免なさい。
 サム いいです、もう。
 ローズ ロンと喧嘩になったのね。いけなかったわ。
 サム 喧嘩はしたくなかった。
 ローズ でも、もう決めたんでしょう。
 サム ええ。リッツのバーで一杯やっておさらばにしようかと。
 ローズ それだけ?
 サム それだけ。
 ローズ 簡単ね。
 サム もう、うんざりなんです。七年というのは長い。それに今じゃ他に踊る奴がいるし。
 ローズ ええ、聞きました。残念だわ。
 サム ちっとも。これは。
 ローズ 私のせい? 捜したのは?
 サム ロンですか、そう言ったのは。
 ローズ ええ、まあ。
 サム そりゃ随分な勢いで言ったろうな。(ロンの口真似をする。)「サムはやっかみやだからな、ローズ。それに占有欲が強いんだ。 分かるだろう? 僕の人生に君が現われてからは、サムはおかしくなっちまった。僕はそれが我慢出来ないんだ。」こういう調子、そうでしょう。
 ローズ ええ、まあその調子。新しい車のことを貴方がやっかんで・・・貴方の車が貧弱に見えるからって・・・
(サム笑う。本物の、愛情のこもった笑い。)
 サム はっはっは。これはいいや。実にいい。まさにロンならではだ。車をやっかんだ。あの馬鹿が考えそうなことだ。(静かに、じっとローズの顔を見て。)今年はバレーを三つやる予定で来たんです。ロンが全部主役のつもりでした。贔屓じゃありません。確かにあいつは主役級のダンサーです。二つはやりました。もっとうまく出来た筈ですが、あれならまあまあです・・・それから三つ目にかかりました。その時に貴女が現われたのです。あいつはリハーサルを二度さぼった。そこで私は首にした。別の男を主役にとった。まだうまくはないが、これからという奴を。少なくともそいつはさぼりはしない。これを聞いてロンは早速新米をおろしにかかった。家に帰ると、私の前で狂言自殺だ。効き目がないと分かると、さっさと自分の車に飛び乗って、エンジンをやけのようにふかして、真夜中の街に出て行った。貴女のところへ来たんでしょう。普段なら追っかけるのですが、この時はやめました。もううんざりだったんです。二度とかかわるものか。そう思いました、あの晩は。かっとはなっていませんでした。しかしうんざり、それが結論でした。(テラスの端に出て、外を見る。)車が待っています。私はもう行かなければ。
 ローズ (うわの空で。)もう?
 サム 荷物を詰めないといけないんです。
 ローズ(少しヒステリックに。)荷物を詰める人ばっかり。
 サム(手を伸ばして。)では・・・大変御馳走さまでした。有難う・・・
 ローズ(握手しながら。)ロンにうんざり・・・もしそうなら、何故私の敵なのかしら。
 サム(微笑む。)「爆弾投下!」の命令ですね。爆撃機に乗っていた頃よくこの命令を出したものです。そうです。結局はまだあいつにうんざりしきってはいない、という事なんでしょう。あいつの顔など二度と見たくない。それはその通りです。だが、あのかけた七年間を考えると・・・ああ、あの努力・・・あれが全くの無駄・・・ゴミ箱に捨ててしまう・・・もう後戻りはない・・・二度と。バレーの事を言っているんじゃありません。あいつはニジンスキーにはなれなかったでしょう。コーヴェント・ガーデンで一、二年端役で踊れる、ぐらいがせきの山。あいつの伝記が世に出るなんて事もありえない。釈迦力に頑張ったところで、です。貴女があいつの人生に登場しなかったとしても、です。違うんだ。バレーじゃない。あいつ自身なんだ。あいつという人間そのものに私は働きかけていた。一人前に仕立て上げようと思っていたんだ。(言い止める。)ハッ、お笑いですね。全く。しかし、本気だったんです。とにかくこんな事は気にするだけ馬鹿げている。ロン・ヴェイル一人が、この世の中でどうなろうと、たいした事じゃない。そうですね。
(間。)
 ローズ(強い調子で。)貴方ってなんて馬鹿なの、サム。私がロンを無一文でほっぽり出すとでも思っているの。
 サム いいえ、そうは思ってはいません。別れる時あいつが貴女から受け取る生活費、それはかなりな金額でしょう。少なくともあいつが不平を言える筈のない金額が・・・しかし、もし私のロンを見る目に狂いがなかったとすれば・・・あいつは必ず不平を言う。だけど他の連中はみんな、貴女が「気前が良すぎた。」と言うでしょう。貴女の友達、新聞、それに貴女の六番目の夫はね。勿論その時になってロンはもうバレーには戻れません。あの年では、六箇月休んでも致命傷です。それにその頃までにはロゼ、ブランデー、これで身体がすっかり弱っているでしょうからね。だけどうらやましがられる事は保証しますよ。あいつがロンドン、パリ、ニューヨーク、どんな町のどんなうらぶれたバーで飲んでいたって、「あいつがローズ・フィッシュの五番目の夫になった奴だぜ。運の良い奴だ。働かなくていいんだぜ。昔はダンサーだったっていうが、とても信じられんな。あの身体を見てみろよ。いっちょう話しに行ってみるか。酔っ払うとあいつは面白いんだぜ。」
 ローズ(笑って。)そんな芝居で私がぎくりとなると思って?
 サム ぎくり? 何がぎくりですか。何かぎくりとしなきゃならない事でもあるのですか。
 ローズ(間の後。)そうね・・・そのバーに入って、あの人を見る・・・ぎくりだわね。
 サム それは大丈夫です。そんなバーにいらっしゃる事はありませんよ。
 ローズ おかしいわ・・・貴方は私が行くと思っているのに。
 サム いいえ。私だって行かないでしょうから。
 ローズ サム、貴方私が・・・私が、このまま進むのに・・・本当に反対なの?
 サム 私が反対する? 私の反対など何の意味もありません。貴女には楽しみを享受する権利がある。世界中の誰一人、また何物も、それに「止め。」と命令する力はないのです。その楽しみが一個の人間の人生を賭けるものであっても・・・
 ローズ そこでロンの台詞ね・・・「糞ったれ、ローズ、お前って奴は何時だって思った通りやるんだ。」って。
 サム そう。ロンの言う通りです。では、私はこれで・・・
(サム、回れ右する。)
 ローズ(静かに。サムを止めて。)ちょっと誤解だけは改めておきたいわ。「楽しみ」っていう言葉。ロンとの事、進める気。でもそれは「楽しみ」ではないわ。あの人が私を必要としてくれている。こんな事は今まで私の人生で起こった事がないの。そしてこれなしでは、私は生きている意味がない。これは女の誇張ではないの、サム。その通りなんだから仕方がない。何故これがこんなに大切になったのか。へティーに言ったらあの人、ホラチウスを引いてきたわ。天に熊手を投げ付けても、必ず下に落ちてくる、って。あの人の言いたいのは、私がバーミンガム以来ずっと自分の本能を抑えつけてきた。だから天の方で今仕返しをしている・・・
 サム ああ、その見方は逆だな。貴女がロンに対して持っている感情、それは天の貴女への復讐じゃなくて、貴女の天に対する復讐です。
 ローズ(非常に怒って。)言い方だけは上手なのね。でもそれで何か違った意味になるっていうの。
 サム 違った意味になるでしょうね。貴女は天と大格闘の末、今の地位を得た。そろそろ交代の時期だ。代役としては、九つ年下のバレーダンサー、それもかなり有能なのを、選んだ。ローズ・フィッシュの席に坐らせるよう。これがその意味です。
(間。)
 ローズ(囁き声。)残酷、貴方って。
 サム 残酷なのは私じゃない、真実が残酷なのです。
 ローズ(声を強める。)(私がロンを選んだって言ったわね。)それは真実じゃないわ。初めて会った時のあの人の状態、それを思い出してごらんなさい。
 サム(静かに。)覚えています。はっきりと。
 ローズ 選んだのはあちらの方。
 サム 知っています。触れば落ちる程熟していた・・・
 ローズ 私である必要はなかった。他の誰でもよかった・・・
 サム そう。多分。偶々貴女になった。
(間。)
 ローズ 嫌いだわ、貴方のこと。なんて嫌い。
 サム 残念です。私は貴女が嫌いじゃない。嫌いどころか、大好きなんです。
(間。)
 ローズ(哀願するように。)ああ、お願い、サム。分かって下さらないかしら・・・
(へティー登場。)
 へティー(ローズを無視して、サムに。)車が待っていますのでお忘れのないよう、と、運転手から。
 サム ええ、分かっています。待たせたのは悪かった。
 へティー ああ、それは大丈夫。待つのは慣れていますから。
(へティー、テラスから自分の小物を集める。)
 サム(ローズに。儀礼的に。)では、えー。昼食のお招き、有難うございました。
 ローズ(同じ調子。)いいえ、どういたしまして。態々お越し下さって有難うございました。
 サム(ローズがついて来るのを止めて。)いいえ、どうかお見送りはなしで。階段は疲れます。今朝お疲れの様子を見ました。
 ローズ(微笑んで。)ええ、少し。この咳のせい。変な咳。じゃあ、今度お会いするのは結婚式・・・ね、きっと。
 サム ええ。間に合えば。約束します。では。
 ローズ さようなら。
(サム退場。へティーはまだ小物を集めている。)
 へティー(ローズに背を向けたまま。)「ナポレオンの恋」、これ、私の? それとも・・・
 ローズ 貴女の。
 へティー 「海を越え、空へ」は?
 ローズ 私の。
 へティー あ、そうね。
 ローズ へティー、貴女どうして出て行くの?
 へティー 自分で分かっている筈よ。ここまで来れば。
 ローズ 一言で・・・もう一回言ってみて。
(ローズ、椅子に坐る。へティーを見る。へティー、今は振り返っていて、ローズを見つめる。)
 へティー 私の大っ嫌いな事二つ、それは不正直と卑怯。
 ローズ 卑怯? それは聞いた事がなかったわ。
 へティー お金を貰っていて仕事をしない。これは卑怯の一種。もう随分前から貴女、ベッドの始末は自分でしてるわ。
 ローズ 喩えで話すのは止めて。
 へティー 止めないわ。それについでだからもう一つ。「愛の巣」の間は仕事は休みっていうのも、最初の契約にはなかったわ。最初からあったなんて顔をするなんて、貴女のズルよ。私はズルも嫌い。不正直、卑怯も嫌い。少なくとも貴女との関係では。
(ローズ、無言。)
 へティー(やっと。)いいのね。
 ローズ(静かに。へティーを見ず。)いいわ。
(へティー退場。ローズ、全く静かに坐っている。じっと前を見つめたまま。フィオナ、右手の階段から登場。乱れた髪が、泳いでいた事を示している。母親を見て、諦めて立ち止る。何か言われる事を覚悟する。しかしローズには全くフィオナが目にとまらない。フィオナ、奇妙な顔をして母親を見る。肩をすくめて家に入る。ローズ、空間を見つめたまま。)

(暗転。再び明るくなると、太陽は既に沈んでいて、テラスは陽がほんの少ししかさしていない。ローズはさっきの姿勢を全く崩していない。)
(へティー、家から登場。旅装。)
 へティー もう着替えの時間よ。ディナーパーティーなんでしょう。
 ローズ(姿勢を全く変えずに。)何時?
 へティー 七時ちょっと過ぎ。(家の方に戻ろうとする。)
 ローズ 待って。(立ち止り、飲み物の盆に進む。)少なくとも、お別れの一杯ぐらいは。
 へティー 有難う。私はビール。
 ローズ(疲れたように。)へティー、貴女が私だったとしたら・・・この二、三週間の私だったとしたら、どうしていたかしら。
 へティー そうね。「もうお仕舞い。」って、言ってたわね。
 ローズ 本当に私だったとしたら、それは並大抵では出来る事ではないって分かる筈だわ。
 へティー そうね。並大抵では駄目ね。分かるわ。でも、私がやる事はそれね。
 ローズ あの人がお仕舞いにしないって言ったら?
 へティー 自分でさよならするわね。
 ローズ 追っかけてきたら?
 へティー ちょっと自惚れが強いんじゃない?
 ローズ(静かに。)いいえ。自惚れじゃないわね。少なくともこの時点では。あの人は私が必要なの。
 へティー それなら言ってやるわね。「私の方は貴方なんか必要としてはいないのよ。」って。
 ローズ あの人がそれを信じると思って? あの人が近くにいる時、私がどんな風だったか、貴女ちゃんと見ているでしょう?
 へティー 見ていたわ。まるで女学生。うぶなうぶな。そうね。一番いいのは・・・お前なんかに頼るものか、って気分にさせる事ね。甘い夢、希望を打ち砕く事だわ。
 ローズ どうやって。
 へティー(肩をすくめる。)それは考えていなかった。ちょっと時間を頂戴。(暫くして。)彼が貴女から期待しているもの、それは、安全、保護、それにそれが続く事。とにかく母親の仕事。そうね?
 ローズ ええ。
 へティー それなら、何か酷く残酷で、徹底的に怒らせる事を言うわね。面と向かって。保護などという依頼心を起こさせるものなんか、木端微塵に吹き飛ばすような、そういう残酷な事。甘ったれ坊やの乳くさい願望なんか、かけらも残らないような。
 ローズ(ゆっくりと頷く。)貴女、考えていなかった、って言ったわ。時間を頂戴、とも。でも数秒で結論が出た。そして出て来た結論は同じ。私がこの午後の四、五時間必死に考えてやっと出た結論と。私よりずっと正解の見つけ方は早かったって、貴女は言うかもしれない。でも貴女は直接の当事者ではないの、へティー。当事者になれば、よく人が言う事だけど、感情が理性を乱して・・・
(ローズの声、最初は落ち着いているが、ここまで来ると、割れそうになる。ローズ、テープレコーダーに向かう。フィオナが使って、そのままテーブルに置き忘れてあったのである。)
 ローズ どうやって動かすのか教えて頂戴。私、忘れたわ。
(へティー、ローズを見る。 何の事か見当がつかない。機械の方に進み、スイッチを入れる。赤いランプがつく。)
 へティー 録音? それとも再生?
 ローズ 録音。
(へティー、ノブを操作する。)
 へティー(指差して。)マイクはあそこ。マイクに近づく必要はなし。今いるところで大丈夫。テープはまだ動いてない。何か言ってみて。ヴォリュームを調節するわ。
 ローズ ハロー、ロン。ハロー、ロン。ハロー、ロン。
(へティー、ヴォリュームを調節する。)
 へティー いいわ。そこのボタンを押すと録音になる。調子が悪かったり、言い間違えたりした時は、ここのボタンを押すとテープが止る。
 ローズ 分かったわ。
 へティー 操作は簡単。(扉の方へ進む。)
 ローズ へティー。
(へティー、振り向く。)
 ローズ いて頂戴。
 へティー 分かったわ。
 ローズ そのボタンは貴女がやって。動かなくなるといけないし、それに・・・言う事に詰まってしまうかもしれない。
(声が次第に、内心の高まってくる感情を表し始める。)
 ローズ(へティーに。)始めて。
(へティー、ボタンを押す。リールがゆっくりと回り始める。)
 ローズ ロン、貴方に話をするのに、こんなテープを使ったりして、悪いと思っています。でも、私は貴方も知っての通り、手紙を書くのが苦手、それに貴方だって書いたものより私の声の方がいいんじゃないかと思って。勿論顔をあわせて話した方がいいとは思った。でも正直の話、私にはその勇気はなかった。私、クルトのところに行きます。貴方とは終。その理由をお話しておきたいと思って。
(ローズ、素早い合図でへティーに、止めるよう指示する。ここまではローズの声、しっかりとして、快調であったが、ここで涙が溢れてくるのを感じたのである。ローズ、一口飲み、またへティーに合図する。)
 ローズ 貴方にはこの話、ショックでしょう、ロン。すまないとも思っているわ、私。
(ローズの声、再び平坦な、しっかりしたものになる。)
 ローズ こんな事をしたくはなかった。だって私の気持ちは貴方に分かっているんですもの。つまり、この間までの私の気持ちは。でもつい最近、私はお芝居をしていた。この事を言わなくてはならないの。クルトが二、三日前に帰って来て、私に連絡を取ったわ。打ち合わせをしたの。でも私の貴方への気持ちがにせものだったなんて考えないで頂戴。特に最初の頃の私の気持ちを。私は貴方を愛していたわ、ロン。本当に。
(ローズ、へティーに合図する。悲しみに溢れて続けられない。へティー、テープ・レコーダーの位置からローズを見つめる。)
 へティー 私だったら、もう止めるわね。手紙にするわ。
 ローズ 涙でいっぱいしみを作って? それに震える筆跡? 駄目。これでなくっちゃ。大丈夫、これで。今やってしまわなくちゃ。今でなくちゃ。ちょっと時間が経ってしまったらもう永久に駄目。
(ローズ、涙を拭く。へティー、機械に戻る。)
 ローズ(呟く。)愛していたわ、ロン。本当に。
(ローズ、へティーに頭で合図。へティー、スイッチを入れる。)
 ローズ でも私は誰かを長い間愛するって出来ない性質(たち)。これが私の困ったところ。それにとにかく、うまくいく筈はなかったわ。本当にうまくいく筈はなかった。だいたい私が、三部屋しかないアパートに落ち着いて住んでいられると思う? 結婚したり離婚したり、散々やってきたのは、そんな生活が厭だからこそじゃない。それに、五万ドルを蹴っとばすなんて、正気の女に出来ると思って? これでお仕舞いよ、ロン。もう会う事はないわ。決して。クルトと一、二週間、どこかへ行くつもり。暫くしたら貴方だって気にはならなくなる筈。足が治ったら、バレーにお戻りなさい。結局何といってもお金ね。さようなら、ロン、さようなら。そう、それからこれは言わなくちゃ・・・有難う、ロン。
(へティー、スイッチを切る。ローズの目、再び涙で溢れる。へティー、ローズに近づき、肩に手をかける。)
 ローズ どうして私を放っておいてくれなかったの。
 へティー ご免なさい。ああ、ローズ、許して。
 ローズ もう行かなくていいのよ、貴方。
 へティー(テープ・レコーダーを指差して。)消せるわ、録音したのを。私が間違っているかもしれない。年をとっているの、私。私だったらこうするって言ってた事も、自分では分かっていないのかもしれないわよ。
 ローズ(涙の中から。)貴女の事、やっかみやだってロンは言ってた。
 へティー(静かに。)そう。ただそれだけかもしれない。消しましょう。簡単よ。
 ローズ いいえ。(少し我に帰る。)ご免なさい、へティー。誰かを責めないではいられなかった。決めたのは貴女じゃない。もうとっくに、一時間前から、私は決めていたの。(目を拭きながら。)貴女には物が見えているの。見えていなきゃいいのにって思う。でも見えているの。さあ、ここを出なくちゃ。
 へティー クルトのところへ?
 ローズ まさか。とにかく今日は駄目。今日どころか、暫くは駄目。それにクルトが今私をどう思っているかだって分かりはしない。貴女、あの手紙を読んだの?
 へティー ええ。
 ローズ 今も?
(へティー、頷く。)
 ローズ 今その事は考えない。今日はどこかホテルにするわ。
 へティー 一緒に行った方がいい?
 ローズ 貴女はここ。私が来ないのでロンがドゥ・トックヴィルから電話してくる筈。あの人に言って。すぐ家に帰るように。ここに、ロン宛に、私から何か言いおいたものがあるって。あの人が聽いている時に、一緒にはいないで。
(へティー、頭を振る。(訳註 日本では頷くところ。))
 ローズ それからね、へティー。ロンの事を貴女がどう思っているかは知ってるわ。でもあの人、今夜は不幸なの。それに二、三日、それはそれは不幸。こんな不幸はなかった程。それにこれからもないかもしれない。優しくして。
(へティー、頷く。)
 ローズ そう簡単じゃないわ、きっと。聞いているだけでも。酷い事を言うでしょう・・・特に私に。でも忘れないで。酷ければ酷い程いいのよ。サムを呼ぶのもいいわ。近くで寄り添って、慰める人が必要なの、今夜は。あの人の気分にピッタリ合っている事だけを言うのよ。それから、泣く時には肩を貸してやって。
(へティー、再び頷く。ローズの目、また涙に溢れそうになる。)
 ローズ ああ、へティー。(言い淀む。)
 へティー 何?
 ローズ (微笑もうとする。)今ちょっと思いついたの・・・私の方が怒る役、ロンの役だったら、何ていいのにって。
(ローズ、素早く退場。)
                    (幕)

     第 二 幕
     第 二 場
(場 同じ。三箇月後。)
(夕方の八時頃。カクテルパーティーが丁度終わったところ。テラスにはパーティーを表す種々のものがある。 居間の窓から、白いお仕着せを着た召使いが片付けをしているのが見える。テラスにはトランプのテーブルが出されていて、クルトがへティーとモナを相手に、バカラをやっている。クルトが親で、丁度カードを手に持ったところ。)
 クルト Faites vos jeux, Medames et Mesdemoiselles. Faites vos jeux.(さあ、賭けて下さい、皆さん。)
 モナ さあ、今度は親の負ける番よ。
(モナ、五千フラン紙幣をバッグから取りだし、前に置く。)
 クルト 一番の方、五千フラン。それから・・・
(クルト、へティーの方を向く。)
 へティー 十。
 クルト 二番の方、十フラン。
(へティー、硬貨を置く。クルト、カードを配る。まづ最初に二人に一枚ずつ、最後に自分に一枚。次にまた、二人に一枚ずつ、それから自分に一枚。モナ、クルトの右手に坐っている。自分の手を見る。)
 モナ もう一枚。
 へティー(自分の手を見て。)このまま。
(クルト、自分の手をテーブルに広げる。)
 クルト(嬉しそうに笑って。)Et neuf en banque. (親は九。)
(クルト、二人から金を取る。)
 モナ 畜生。どうしてこうなの。インチキしてるんでしょう?
 クルト 勿論。しかけ、しかけ。パーティーが始まる前に何時間もかけてね。
 モナ そうね。そうだと思った。
 へティー 私はお仕舞い。今日の私の持ち点、これでなし。(立ち上がる。)
 クルト まだ大丈夫じゃないか、へティー。預金の状態は確かなものだろ?
 へティー とんでもない。酷いもの。スポーティング・クラブに訊いてごらんなさい。
 モナ まだそこに借りがあるの、へティー。
 へティー 七十五万。
 モナ もうたいしたことないじゃない。でも、一時期はひと財産の借金だったのね。
 へティー そう。一時期は。貴族の称号があるイギリス女性は、決して破産しないって思われていた頃。
 モナ どのくらい?
 へティー 一千万。
 モナ そんなに沢山返しちゃったの?
 へティー 何年もかかって。少しづつ。
 モナ ローズに頼めばよかったのに。すぐ清算してくれたわ、きっと。
 へティー そう。だからローズには頼めない。(暗に指している人物が分かるように。)勿論誰か別の人が清算してやろうというのなら、話は別だけど。
 クルト 今夜の稼ぎは二十二万か。はした金だな。しかし、このパーティー代ぐらいはでるぞ。
(シガーを満足そうにくゆらしながらクルト、札を数えるのに没頭する。クルトの後ろでへティー、今の台詞「誰か別の人」がクルトであることを指で示す。)
 モナ 払って上げればいいじゃないの、クルト。
 クルト 払って上げる? 何を。
 モナ へティーがスポーティングクラブに借りているお金。
 クルト いくらなんだ。
 モナ(少し小さい声で。)七十五万。
(クルト、礼儀正しく笑う。単なる冗談を言われたという態度。へティー、諦めて肩をすくめる。)
(モナ、微笑む。)
 モナ ああ、いいパーティーだった。でも馬鹿なことをした。皆と一緒に帰ればよかった。そうしたら何万もすらないですんでたのに。
 クルト もう二、三回やるんだ。ついてくる。保証するよ。
 モナ そうね。
 へティー ここ、寒くない?
 モナ いいえ、大丈夫。暖かいわ。(クルト、カードを配る。)そうそう、クルト。貴方って天気にもついているのね。普通の十一月の気候だったら、あの人数が全部部屋の中に詰め込まれていなきゃならなかったのよ・・・よーし、今までの賭け方じゃ駄目。倍にする。一万。いいわね。
(クルト、頷く。)
 モナ 何人来たの、へティー。(クルトに。)もう一枚。
 へティー 三百と・・・
(フィオナ登場。その時クルト、自分のカードを表にしてにやりと笑う。)
 モナ 貴方ってどういう人、クルト。何時だって・・・(フィオナを見て。)あら、フィオナ。
 フィオナ 今晩は・・・(へティーに。)ママは?
 へティー 寝室。気分がよくないって。
 フィオナ あら、そう。
(クルト、この時までにモナに一枚カードを配っていて、今自分の札をあけるところ。)
 クルト Neuf en banque. On paie partout.(親は九。親の勝ち。)
 モナ えーい・・・フィオナ、貴女がいるから、この言葉は言えないわね。さあ、じゃもう一回。
 へティー(フィオナに。)ママに何か用事?
 フィオナ 夕食を食べてからでなくちゃいけないかしら、外へ出るのは。夕食の前だってママ、気にしないわね。
 へティー 気にするわ。それを一番よく知っているのが貴女。それに、ママが決して止めない事を知っているのも貴女。
 フィオナ(この言葉には、さすがに困った表情。)「天国と地獄」で、私の為に何か計画してくれたの。さよならパーティーか何か。
 モナ(新しい手を並べて。)八。少しよくなったわ。(クルト、支払う。)
 モナ よーし。(賭け金を指差して。)これはそのまま。
 フィオナ(続けて。)すっぽかす訳にはいかないわ、へティー。それは駄目。
 へティー(間の後。諦めの調子。)勝手な子。我儘いっぱい。この海岸、子供にまで影響するのかしら。
 フィオナ(涙声で。)ママはその気になれば、私を飛行場で見送れるのよ。それは出来るんだって何時も言ってるのに。
 へティー そうね。その声の調子で、貴女が本気だって事は分かるわ。でも気違いの集まりよ、あの芸術家の卵達。それに混じってママが見送りに行きたがるかしら。貴女はロンドンに発つ。結婚式まで帰っては来ない。そういう時、最後の夕食を一緒にとるのは、そんなに難しい事じゃないでしょう? 何とでも都合はつけられた筈よ。
 フィオナ(声、高くなる。)つかなかったのよ、へティー。つけられなかったの。
 クルト(勝ち誇った叫び。)九。
 フィオナ(へティーから逃げる為に、クルトに近寄って。)勝ってるところ?
 クルト(腕をフィオナの腰に回して。)ああ、フィオナ。そう。勝ってるところだよ。ちょっとした飯代だ。(フィオナを見上げる。)うーん、これは美人になる顔だ。そのうち、男の心を傷めさせるぞ、この顔は。可愛い義理の娘。自慢出来るぞ、それも近い将来だ。
 フィオナ 他人(ひと)の心を傷めたくはないわ、私。
 クルト(またカードを配りながら。)傷めたくない?
 フィオナ 傷めたいのは私の心・・・誰か、ちゃんとした人によって。
 クルト 商売の原則には反するな。(モナに。)不要? (自分のカードを表にする。)ひきわけ。(フィオナに。)飛行機の時間は?
 フィオナ 十二時。(へティーの方を見ながら。)でも私、夕食前に家を出るの。
 クルト ああ。じゃあ、さよならを言わなくちゃな。(立ち上がる。)
 フィオナ 出るのはまだなんだけど。
 クルト ああ。しかし、私の方が出なきゃならん。怒(いか)れる三人のスイスの銀行家が家で私を待っている。夕食前に、連中に会わなきゃならんのだ。
 フィオナ 怒れる? どうして怒ってるの。
 クルト 何故なら連中はスイス人。連中は銀行家。連中は待ってるからさ。銀行家は待たされない事になっている。この私でも例外でないときている。(フィオナにキスして。)さようなら、フィオナ。この義理の父親、好きかい?
 フィオナ(判で押したように。実の篭らない言い方。)ええ、とても。とても好き。
 へティー 義理の父親の経験豊富なの、この子。覚えておいて。
 フィオナ(へティーの言葉を無視して。)ママ、本当の病気じゃないんでしょう?
 クルト 違う。違う。ちょっと疲れたんだ。それだけだ。
 フィオナ(へティーをしっかり見ながら。)じゃあ私、ママのところに行って来る。頼む事があるの。
(フィオナ退場。)
 クルト あと三回。どう? モナ。
 モナ オーケー。
(クルト、配る。)
 モナ 本当に、ただ疲れただけよね。ノー・カード。
 クルト そうだ。疲れだ。(モナに一枚、自分に一枚、配る。(訳註 モナの「ノー・カード」はカードがいらない、の意と思うが、不明。))また九だぞ! そう。疲れだ、パーティーの。
 へティー(疲れたように。皮肉を込めて。)パーティーの後には、疲れが出るものよね、モナ。そして時には、血を吐くの。心配はいらない。
 クルト(怒って、テーブルにカードを叩き付けて。)そんな事は言うな!
 へティー どうして。
 モナ そんなに悪いの?
 クルト そんなに悪い訳がないだろ? この気違い女の言う事は聞くな。この女は何でも芝居がかった事にしなきゃ、気がすまないんだ。
 へティー 芝居はまだね。でも、こう言えば芝居がかっているかしら。「貴方って運のいい人ね、クルト。あの人の発作があんなに軽くって。もう少しで貴方の将来のお嫁さん、死ぬところだったのよ。貴方のこの馬鹿なおひろめパーティーの為にね。」
 クルト レイディー・ヘンリエッタ、よく覚えていて貰わねばなりませんな。この家では貴女は単なる雇人である事を。
 へティー 但し、貴方に雇われているのではないの。私の雇い主は病人。医者に厳しく言い渡されている。もし三箇月療養所で完全な休養を取らなければ、その三箇月のうちに死ぬだろうと。そういう病人の面倒を出来るだけ見よ、とお金が支払われているのです。その私が言うのです。当然でしょう。いいですか。三百人以上も自分の家に呼んでパーティーを開き、その病人に客の扱いをさせる。医者の指示をどう思っているのですか。
 クルト うるさい。そんな話は聞きたくない。モナ、もう一回だ。
(クルト、カードを配る。)
 クルト(爆発するように。)くそっ。へティー、パーティーはな、ローズがやりたいと言ったんだ。
 へティー それはそうでしょう。療養所に入っていたって、パーティーをやりたいって言いだすのはローズでしょうからね。そういうあの人を言いくるめて止めさせるっていうのが思いやり・・・
 モナ もう一枚。確かに人は沢山いたわね、クルト。
 クルト(怒って。)このシャトー・オーギュストにおさらばするんだ。六時のお茶のパーティーぐらい、するのが当たり前じゃないか。(カードを取って。)九。親の勝ちだ。
 モナ くそっ、また負け。貴方ってまるで魔法使いね。銀行家の連中、まだ待ってるの?
 クルト 当たり前さ。待ってるに決まってる。
 モナ そう。じゃ、最後の一勝負。
(この時までにロン、テラスに登場している。車の近づく音はなかったのである。従ってクルトもモナも、まだロンに気づかない。最初にへティーが気づく。)
 ロン(明るく頷きながら。)ハロー、へティー。
 へティー 何をしているの、貴方。こんなところで。
 ロン 僕は招待されたんだ。
 へティー 誰が招待したっていうの。
 ロン  モナだ。モナの招待状の「そしてその友達」に当たるんだ、僕は。そうだろう? モナ。ハロー、クルト。
 クルト(静かな怒りをもって。モナに。)本当か?
 モナ 勿論違うわ。招待なんかする訳が・・・
 クルト(ロンに。)すぐに出て行くんだな。それとも、警察を呼んで貰いたいか。
 ロン 警察? どうして警察なんだ。ゆうべカジノでモナに会ったんだ。モナが今日のこのパーティーに招待してくれたんだ。嘘だと思ったら、ほら。(ロン、招待状をポケットから取り出す。)モナの招待状だ。
 モナ 冗談だったのよ、クルト。たーくさん持っていたから、私・・・まさかロンが本気にとるなんて思ってもいなかったの。
 ロン 僕は本気にとったのさ、モナ。実に本気にね。今までにない素敵なパーティーになるって聞いて、何が何でも来たくなったんだ。
 へティー じゃ、どうして終わってから来たの。
 ロン 良い質問だ、へティー。そう言えば、君は何時だって良い質問しかしないな。理由はね、急にリハーサルが入ったんだ。で遅くなったんだが、こんな豪華なパーティーだ。九時以後だってやってるだろうと思ってね。
 へティー パーティーは長引かなかった。終なの。どうぞ、帰って。
 ロン そうか。終じゃあ、いる事は出来ないな。
 モナ(素早く。)私も出るところよ、ロン。
 ロン よし。じゃあ、カンヌまで乗せて行ってくれないか。
 へティー 来る時にはどうしたの。
 ロン あの上までバスで。そこから歩いて来た。
 クルト(笑って。)バス?
 ロン そう。この海岸でもバスはあるんだ。
 クルト あのラゴンダはどうしたんだ。売っ払ったのか。
 ロン いや、売ってはいない。(ロン、居間の窓から中を見る。)
 へティー いないわよ、ロン、そこには。あの人。
 ロン 知ってる。寝室なんだ。上に明かりがついていた。(モナに。)悪いけどちょっと待ってくれないか。用を足して来たいんだ。
(へティー、ロンが家の中に入るのを止めようとする。)
 ロン 大丈夫だ、へティー。道は分かってる。
(へティー、道を塞ぐ姿勢の儘。)
 ロン 上には行かない。心配ならここに立って、階段を見張っていればいい。
 へティー 分かったわ。
(ロン、微笑んで、中に入る。へティー、家の中が見える位置にロンを見守る。)
 モナ(クルトに。)ああ、クルト。本当にご免なさい。でも私のせいじゃないわ。信じて。あの人本気だったなんて、私に分かる筈がないでしょう?
 クルト 招待状を渡したな。
 モナ 私から取ったのよ。見せたらひったくるようにして取ったの。カジノのバーで。(怒って。)酷いわ。わざとやったと思ってるのね。あの人に会った事なんか一度もないわ、ローズがお払い箱にしてから。絶対に一度も。ゆうべが初めて。本当。バカラのテーブルに坐っていたら・・・
 クルト(へティーに。)ラゴンダはどうしたんだ。
 へティー(相変らず家の方を見つめながら。)ロンは、返してきたわ。
 クルト 嘘をつくな。返したのなら私にも分かる筈だ。ここのガレージにもないじゃないか。
 へティー ローズが受け取る筈がないでしょう。
 クルト じゃ、何処にあるんだ。
 へティー 誰も知らないところ。ジュアンにある車庫。車庫の鍵も登録証明書もあるわ。車庫代はまだ払ってない・・・でもガソリン代は私もちね。
 クルト ええっ? あの車を使っているのか?
 へティー ええ。そう。
(へティー、家から目を逸らす。ロンが帰って来るのが見えて安心したからである。)
 へティー ただ置いておいて、錆び付かせるのは、馬鹿げているでしょう?
(ロン、帰って来る。)
 ロン(テーブルを見て。)誰が勝ってるんだ。
 モナ クルトよ。私、すっからかん。行きましょう、ロン。
 ロン 一勝負どうだ、クルト。
 モナ 馬鹿な事言わないで、ロン。行きましょう。
 ロン(しっかりと繰り返す。)一勝負どうだ、クルト。
 クルト いいだろう。バス代ぐらいは出してやるか。
 ロン それほど安くはない。(紙幣を四、五枚投げ出す。)普段そちらがやっている掛け金とまではいかないだろうが、バス代よりは少し多い。二万五千だ。
 クルト(微笑して。)また誰かいい女を捕まえたか。
 ロン いや、そういう金じゃない。一週間分のサラリーとそれにブルーバードを踊ってボーナスが出た・・・何時かピーターパンジーって言ったな。あれだ。覚えているか。親は僕がやる。(カードを配る。)
 クルト カード。
(ロン、自分のカードを表にする。明らかに八か九。ロン、無表情。静かにクルトを見つめる。クルト、ポケットから紙幣を取り出し、テーブルに置く。)
 クルト Suivi. (続きだ。)
(ロン、再びカードを配る。)
 クルト いらない。
(ロン、カードを表にする。再びロンの勝ち。しかしロンの顔、何の表情も示さない。クルト、五万フランをテーブルに投げ、振り向いて出ようとする。)
 ロン(静かに。)止めるのか、クルト。
(クルト、振り返り、テーブルに進む。指でテーブルを叩く。これは「勝負をする」の意。ロン、配る。)
 クルト カード。
(ロン、一枚クルトに配る。それから自分のカードを指で叩く。これは「九」の意。クルト、再び紙幣を取り出し、テーブルに投げる。)
 クルト Suivi.(続ける。)
 モナ(ロンに。)止めて、ロン。お願い。親は何時でも止められるわ。行きましょう。もうそれで二百ポンドにもなるじゃない。
 ロン 分かってる。だけどもう一回やれば、四百になるかもしれないぞ。
 モナ それともゼロ。ゼロよ、多分。
 へティー モナの言う通り。その金を持って出て行くのね。そして、つきまくってたなって思う事ね。
 ロン(静かに。)しかしクルトは Suivi なんだ。ふん、どうしたものかな。
(ローズ登場。パーティーの時のドレスを着ている。)
 ローズ(家から出て来ながら。)準備には苦労したけど、結局たいしたパーティーじゃなかったわね。まだ九時。それなのにだあれも残っている人はいやしない。酔っ払いが二、三人そのへんに転がっていたっておかしくはないのに。
(ローズの声、最後が弱くなる。ロンに気づいたからである。ロンはこの時までにテーブルで顔をローズの方に 向けている。)
 ローズ (声、少しかすれる。しかし興奮を抑えて。)あら、ロン。びっくりしたわ。
 ロン ハロー、ローズ。
 ローズ パーティーにいた? 見なかったわ。
 ロン パーティーにはいなかった。残念ながら。間にあわなくて。
 クルト モナだ。招待したのは。
 モナ 私、しなかったわ。信じて、ローズ。招待なんかしなかった。
 ローズ(心を抑えて。)誰が招待したか、どうしてそんなに問題になるんでしょうね。この人今ここにいるのよ。それなのに、飲み物を勧める人がだーれもいないのね。(飲み物の盆に進んで。)何にする、ロン。やはりロゼ?
 ロン いや、最近はやらない。
 ローズ あら、そうなの。(ローズ、ブランデーの罎に手をかける。)
 へティー それに貴女もよ、ローズ・・・思い出して頂戴。
 ローズ(罎を置きなおす。間の後。)そうね。私もだわ。(テーブルに近づいて。)どう、調子は、ロン、近頃。元気そうじゃない。ちょっと痩せたみたいね。
 ロン そう。痩せた。僕の代わりに決めて欲しい事がある、 ローズ。ここに二十万フランある。僕が親で三回勝負した。クルトは続けると言っている。僕は続けるべきだろうか。
 ローズ 止めときなさい。お金を取っておくの。
 ロン これで決まりだ。よし、クルト。もう一勝負。四回目だ。
(ロン、配る。クルト、非常にゆっくりと、ロンを辛々させるように、自分の札を取り上げる。そして自分の札を投げ上げるような、あたかもそれが八か九であるかのような動きを与え、それから再びカードを握り、嘲るように笑う。)
 クルト カード。
 ロン ふん、それが相手を騙す手か。ひどく旧式な手だな。それに滑稽だ。そんな事だろうと思っていた。(自分のカードを表にする。)親は九。
 ローズ お見事ね、ロン。払いなさい、クルト。
(クルト、平静を装って、支払う。)
 ローズ 心配する事ないのよ、ロン。パーティーで、それを払ってもお釣りが出る程勝っているんだから。
 ロン 心配なんかしていない。
 ローズ それはそうね。(クルトに。)貴方、もう行かなきゃいけない時間でしょう?
 クルト もう出る時間だ。しかしもうちょっと残っていた方がよさそうだ。ここのこの坊やが家から無事に出られるか、見ておかなきゃ。なにしろ大金だからな。何が起こるか分からん。殴られて盗まれちゃ可哀相だ。
 ロン 大金を持って行きはしない。
(ロン、札を数えている。二万五千を抜き取って胸のポケットに入れる。)
 ロン ここに入ってきた時の金額、それだけだ。
(ロン、急にローズの方に近づき、残りの紙幣の束を突き出す。)
 ロン そら、取るんだ。
 ローズ 何を言っているの。
 ロン 三十七万五千だ。これで世話になった分全部が返せたとは思っちゃいない。とても届かない。しかし俺は返してみせる。びた一文借りなどなしにしてみせる。利子をつけてな。それまではこれだ。これでも取っておくんだ。
 ローズ あら、ロン。随分頭に血が登っている言い方ね。
 ロン そら、取るんだ。くそっ、取れ。
(ロン、札束をぎゅっと捻って、ローズに投げ付ける。束、床に落ちる。)
 ロン 行こう、モナ。
(ロン、振り返って、左手の階段へ進む。)
 クルト そう簡単にはいかんぞ、坊や。
(クルト、道を塞ぐ。ロンが止ると、ゆっくり威嚇するようにロンの方に進む。この時までにロン、クルトの動きを見て、素早い動作でタンブラーを取り、テーブルで割る。ギザギザの部分をクルトに向ける。)
 クルト(笑う。)なかなかやるな、坊や。面白い。受けて立とうじゃないか。
(クルト、重い庭用の椅子を、片手で持ち上げる。)
 クルト こういうことが出来る力がまだあるのは有り難い。
(クルト、もう一方の手を椅子にかける。椅子を武器として使う為である。)
 クルト さてと、この成り行きはどうなるか。
 ローズ(静かに。)クルト、ロンにちょっとでも手をかけてご覧なさい。私は二度と貴方には会わない。分かりますね。
 クルト その可能性を賭けて、やることになるか。
 ローズ 可能性なんかではありません。二度と会いません。私がこういう言い方をする時には嘘はないのです。
 ロン(歯の間から、少し震えながら、クルトに油断なく目を配りながら。)「命よりも貴方を愛している。」と言う時だけだ、嘘は。
 ローズ(静かに。)そう。「命よりも貴方を愛している。」と言う時だけ、嘘は。
(ローズ、ロンに近づき、優しくタンブラーを彼の手から取る。この間にクルト、椅子を下ろしている。)
 ローズ(金を指差して。)さあ、それを拾いなさい。
 ロン 拾うものか。
 ローズ 貴方の意見を聞いているのではありません。私は「拾いなさい。」と言っているのです。
(間の後ロン、屈んで紙幣を拾う。それから再びそれをローズに差し出す。)
 ローズ テーブルに置きなさい。
(ロン、置く。)
 ローズ 貴方の贔屓にしている慈善事業の団体の名前は? ロン。貴方の名前で贈っておきます。ないのなら、私の贔屓の団体に贈ります。
(ロン、態度を決めかねて、ただローズを見る。事の成り行きが気にいらず、何かを言いたい。再び事を引き起こしたい。しかしどうしたら出来るか分からない。ローズ、突然ロンに微笑む。)
 ローズ(優しく。)馬鹿ね、貴方って。
(半分啜り泣きをしながらロン、左手から走って退場。)
 ローズ(急いで。)モナ、あの人の面倒をみて。一緒にいてやって。何が起こるか分からないわ、あの気分では。
 モナ やってみるわ、出来るだけ。でも厭だわね、あんなヒステリー。手に負えるかしら。でもやるだけはやってみて・・・
 ローズ ああいうのは扱いは易しいの。ちょっと優しい言葉をかけるのね、それだけ。
 モナ オーケー。じゃあ、お休み。いけなかったわ、こんなになって。でも私のせいじゃないのよ。
(モナ、ロンを追って退場。ローズ、急に椅子にくずおれる。へティー、保護者の顔でローズに近づく。)
 へティー もうベッドね、ローズ。
 ローズ まだ寝るなんてないでしょう。起きてきたばかりよ。気分もいいし。(笑う。)今の見た? ずーっと前からこうしてやろうって決めてきたのよ。馬鹿な子。二、三千フランでやるつもりだった・・・それだって随分効果はあった筈だわ。それにそのくらいの金なら、たいした事はないし。クルトからあんなに勝って、頭に血が登ったのね。明日の朝のあの子の顔が見たいわ。馬鹿なことをした、慈善団体に寄付。三十七万五千も。スポーツシャツ、何枚でも買えたのに。こうよ、きっと。
(ローズ、早口に喋る。少しヒステリーぎみ。へティーは心配そうに、クルトは怒って、これを見ている。)
 へティー 私、ちょっと上で休んで来る。貴女もよ、ローズ。
 ローズ まだ休ませませんよ、へティー。(金を指差して。)よく聞いて。明日、ここをきれいに引き払って、私達がスイスに出発したら、貴女はこの金を封筒に入れて、あの子の楽屋のポストにつっこんで頂戴。今出ている場所は、カジノ中央劇場。
 クルト どうしてそれを知っているんだ、ローズ。
 ローズ 地方紙を見ていて、偶々知ったの。
 クルト そうだろうな。君は何時だってカジノ中央劇場での出しものは気になっているんだ。それを見る為に地方紙を眺めるんだ。
 ローズ(間の後。)私は見に行ってはいない。ドイツ流の皮肉の意味がそこにあるなら、ちゃんと言っておきます。
 クルト 見に行ってはいない。しかし、行きたいという気持ちはあった。出来たら。
 ローズ 出来たら。そう。あの子の踊っているのはあまり見た事がない。でも見たのはどれも素晴らしかった。あの子がいいし、それにあのチームも。
 クルト それに何故庇(かば)うんだ。「指一本触れても許しませんよ。」その癖、あいつには何一つ言いはしない。こっちの顔があの割れたコップでめちゃめちゃになるのは平気なんだ。
 ローズ(少しの間。怒りで語調強い。)負け犬に同情するのが女の気持ち。特にイギリス女の。感傷的なの、女は。
 クルト 感傷が過ぎないよう願いたいもんだ。
 ローズ(立ち上がる。怒って。)貴方、喧嘩がしたいの、クルト。お望みならいくらでも。こちらは爆弾を抱えている。この世でヒステリーはロンだけだと思ったら大間違い。その気分にさせられれば、私だってすぐなれる。それに今が丁度その気分。
 クルト 療養所へ行くのがやはりいいんだな。それがいい考えなんだ。
 ローズ そう。そして貴方はもうあの会議に行く時間。
(クルト、頷く。左手の階段に進む。)
 クルト 帰って来た時に軽いものが食えるようにしておいてくれないか。そうだな、一時間後ぐらいに。
 ローズ 駄目。
 クルト 駄目?
 ローズ 貴方一人で食べるのならいい。あるいはへティーとなら。勿論へティーの承諾が必要だけど。私はもう寝るの。
 クルト さっき気分がいいと言ったばかりだぞ。寝る気分じゃないと。
 ローズ(声を上げて。)気分が変わったの。
 クルト 君の部屋で、二人で食事を取るんだ。
 ローズ それはしない。
 クルト 何故だ。
(間。)
 クルト 私は知りたい。何故なんだ。
 ローズ(疲れたように。)当たり前じゃないの。カジノ中央劇場に行くの。ロンに会って、二人で街に行って、私の所へ戻って来て頂戴って頼むのよ。ああ、クルト。貴方って何て馬鹿なの。ここにはもう一生帰って来てはいけないって医者の厳命でしょう? 私がロンに会うなんて、もう金輪際ないの。金輪際。いくら私が会いたいと思ったって。それに私が会いたいとでも思っているの? 本当に私がそんな事を望んでいるとでも思っているの、クルト。今夜あの子に会って、一体私が楽しいとでも思っているの?
 クルト すぐに答えられる質問じゃない。人に嫉妬を起こさせる為に、他の男に会いに行く。その会いに行くのが問題じゃないんだ。感情だ、問題は。何故あいつにまだ、そんなに深い感情を持っているんだ。
 ローズ 過去時制で話すのね。そうしたら答えます。
 クルト(怒ってローズに近づく。)過去時制なんかで話しちゃいない。「今時制」で話しているんだ。
 ローズ 「現在時制」。
 クルト(怒鳴る。)どうしてまだあいつに、そんなに深い感情を持っているんだ。今。
 ローズ(肩をすくめて。)二日酔ね。
 クルト 二日酔なら治る筈だ。
 ローズ そう。時が経てば。これだって。
 クルト 糞ったれ。もう三箇月も経っているじゃないか。
 ローズ 心理学の教科書によれば、心理的錯乱の完全回復には六箇月を要す、だわ。(ローズ、クルトの手の甲を軽く叩く。)心配しないで、クルト。療養所で暫く暮らしさえすれば、きれいに元に戻るの。さあ、銀行の人達のところへいらっしゃい。
(クルト、ローズに荒々しくキス。ローズ、無感動に抱擁を受け入れる。それからクルト、振り向いて左階段に進む。)
 ローズ じゃあ、明日ね。
 クルト(初めて淋しそうに。)あの色男に対して感じるその感情、それは私には決して向けられない。何故なんだ。
 ローズ いつかは向くわ、クルト。まづ最初にお金を全部なくすのね。それから私の宝石すべてを質に入れる。その後で私の肩にすがって「助けてくれないか、ローズ。」と言う。こういう事態、ない事はないでしょう?
 クルト 親父が言っていた通りだ。決して女とは関わりを持つな。あいつらは気違いだ、阿呆だ。懲りるっていう事がないんだ。どんな事が起こったって。何がどうなったって。
(クルト退場。ローズ、疲れて、坐る。)
 へティー あの人、貴女の言った事を真に受けなければいいけど。 銀行家にいいようにやられてしまったら大変。
 ローズ 貴女、ロンに会って来てくれる?
 へティー 駄目、それは。
(ローズ、へティーに片手を出す。へティー、その手を取る。)
 ローズ クルトと結婚しなきゃいけないのかしら、私。
 へティー そう。はっきり言って、それしかない。
 ローズ でないと、お金、もうなし?
 へティー なし。すっからかん。
 ローズ この家を売っ払ったら・・・
 へティー 売りに出してからもう五箇月経っている。何の引合もなし。
 ローズ ロンとの頃、この家の代金で暮らす予定にしてたのよ。憶えてる?
 へティー 憶えてるわ。
 ローズ あの時は本気だった。誰かが買いに来ると思っていたわ。
 へティー そうね。いづれにしろ、ただでは手放さなかったでしょうね、当然の事だけど。
 ローズ じゃあもう絵しかなかったところね、売るものとしては。そしてあの車と。
 へティー そう。それも相手の言い値で。
 ローズ(微かな笑い。)そうね、慥に「小さな愛の巣」。それがせいぜい。期待していたよりもずっと小さな巣だったわ、きっと。
 へティー それに、あの子が期待していたよりもずっと小さな。
 ローズ(へティーを見上げて、優しく。)そうね、へティー。何時だってそういう風な事を言ってくれなくっちゃ。私の大事な解毒剤。
 へティー それに最高の効き目がなくちゃいけない。(振り返って。)私、ビールを貰う。
 ローズ(呟く。)なまいきな子。私の顔目掛けてお金を投げ付けたりして。今頃は、自慢たらたら話しているところ。あそこの楽屋で。周りに男達を集めて。
 へティー(飲み物の盆のところで。)それに女達も。
 ローズ そう。女達も集めて。(ロンの口真似。)「俺があいつをどう思ってるか、ちゃんと見せてやったんだ。俺をな、そこらに転がっているくだらんジゴロみたいに扱えばどうなるか、見せてやったんだ。」(興奮して。)ちょっと待って。違うわ。仕事場では、例の訛りを使うんだった。(偽のロシア訛りを真似て。)「俺は背中をピンと立てて言ってやった。マダーム、どうかこの端金(はしたがね)をお受け取り下さい。そして、慈善団体にでも寄付なさるんですな。(ローズの声、だんだん力を失う。)慈善団体ならどこへでも。」(涙が出てくるのをやっと抑えながら。)おお、へティー。
(へティー、近づき、再びローズの手を取る。)
 ローズ 私ったら、どうしてこんなにめちゃめちゃにしちゃったのかしら。
 へティー もう終。あの子が終なんだから。
 ローズ(怒って。)ロンの事を言ってるんじゃないの。私の事を言ってるの。クルトの事を言ってるの・・・この罰あたりの私っていう人間の事を言ってるの。一体どうして私ったら、こんな人生を始めたの。今はもう憶えていない。私は家が嫌いだった。でも、家が嫌いな女の子なんていくらでもいる。くだらない雑誌の記事を山ほど読んで、富豪の貴族が貧しい女の子と結婚した話、華々しくって甘美な国際結婚、そしてその生活の話。でもこんなものを読む女の子だっていくらでもいる。私はエッジバストンよりカンヌが好きだった。ウエルフェアー・ステートよりフロリダが好きだった。こういう女の子が私一人だったのかしら。
 へティー 違うわね、それは。他にもいたわね。
 ローズ じゃあ、この三箇月以内に、クルトと結婚しなきゃならない女が、何故この私なの。
 へティー 可哀相な百万長者夫人。
(間。ローズ、へティーを見上げて、微笑む。)
 ローズ(ぶっきら棒に。)そうね、へティー。自己憐愍、感傷。馬鹿な事。ことある毎に貴女、私に言うわね。私が、自分のベッドは自分で作ってきた女だって。それもかなり上等なベッドを。それにクルト以後は・・・これは請け合うわ。飛び切り豪華な、ヨーロッパいちのベッドになるわね。誰もそんなベッドを見た者はいない。天蓋つきの、裾飾りつきの、金の柱の・・・
(突然ローズ、言い止む。この時までにロンがテラスに帰ってきている。)
 ローズ(平静な声。)モナと一緒に帰ったんじゃなかったの。
 ロン 道のはずれの所まで。そこでクルトが出て行くのを待っていたんだ。
 ローズ 頭いいわね。何の為に帰って来たの。お金?
 ロン(呟く。)違う。
 ローズ あそこにあるわ。欲しいなら。
 ロン 金が欲しいんじゃない。それは君に受け取って貰いたいんだ。
 ローズ そうね。その意図ははっきりしていたわ。じゃあ、何の為に帰って来たの。
 ロン 許して欲しいと思って。
 ローズ いいわ、許した。さあ、カンヌまではどうやって帰るの?
 ロン それは考えていなかった。
 ローズ へティー、タクシーを呼んで頂戴。カールトンから。私のつけよ。
 へティー 分かったわ。(へティー退場。)
 ロン(間の後、低い声で。)どうして僕の事をそんなに嫌うんだ。
 ローズ 私が貴方を嫌っているって?
 ロン その筈だ。でなければ、言う筈がないじゃないか。「何の為に帰って来たの。お金?」だの「私のつけよ。」だの。人を傷つける為じゃないか、こんな言葉は。
 ローズ そうね。そう見えるわね。
 ロン もし僕らのうち、どっちかが相手を嫌わなければならないとすれば、それは僕が君を嫌わなきゃならない筈だ。違うかな。
 ローズ そうね。多分。
 ロン ああ、ローズ。僕を嫌うなんて、どうしてそんな事が出来るんだ。そんなに嫌われるような何を僕はしたんだ。
 ローズ 何もしないわ、ロン。
 ロン 何かをやったに違いないんだ。毎晩僕は考えた。それが何だったんだろうと。本当に、一体何だったんだろう。(間の後。)君に黙って注文した、あのセーター?
 ローズ いいえ、ロン。セーターじゃないわ。
 ロン じゃあ、僕が言った事で何かあるんだ。マルチネでやった口喧嘩?
 ローズ いいえ、マルチネでやった口喧嘩じゃないわ。
 ロン 何かがあるに違いないんだ。あの週に僕がやった事、言った事、僕は何十回も繰り返し繰り返し考えなおしてみた。だけど分からないんだ。いまだに僕には分からない。本当にあのセーターじゃないんだね、ローズ。
 ローズ セーターじゃない。それは確か。
 ロン じゃあ、何なんだ。
 ローズ ただ好きでなくなったの、ロン。それだけ。
 ロン そんな風にはならない筈だ・・・君は。僕が本当に何か厭な事をやらなくちゃ。僕には分かってるんだ。
 ローズ どうして。
 ロン 僕には君が分かってるからだよ。
 ローズ 分かってないかも知れないわ。ひょっとすると、分かった事なんかないかも知れない。
 ロン 分かった事があるんだ、一度は。隅から隅まで、僕自身の事のように。そうでなかったら、あんな風に僕が感じた筈がないんだ。
 ローズ 感じたって、どんな風に?
 ロン それは・・・幸せで・・・一緒にいるだけで・・・ほっとする気持ち・・・
 ローズ ああ・・・そうね。
 ロン 何か僕は酷い事をやったんだ。
 ローズ(爆発するように。)ああ、ロン。貴方ってなんて子供なの、いつまで経っても。何か事があると、何時だってそれが自分のやった何かに原因があるって考える。それで一生を過ごすつもりなの? ただ好きじゃなくなった。理由なんか何もない。ただ好きじゃなくなったの。こういう事はあるもの。しょっちゅう起きる事よ。
(へティー、家から出て来る。)
 へティー タクシーは出たって。
 ローズ 有難う、へティー。
 へティー それから、フィオナのお迎えが来たわ。ボーイフレンド。「天国と地獄」へ行くのね。フィオナが玄関でお別れが言いたいって。
 ローズ(突然激しい調子で。)行くもんですか。
 へティー(奇妙だという顔。)私は玄関の方がいいと思ったんだけど・・・でももしこっちの方が・・・
 ローズ ここだって厭よ。フィオナにさよならを言うなんてまっぴら。分かったわね。
 へティー 分かったわ。
 ローズ あの取り澄ました白雪姫。何時だって私の心を踏み付けにして行く。こちらはただ母親らしく微笑んで、「じゃあ、フィオナ、これでさよならね。ここでの生活、楽しかった? ロンドンから手紙を頂戴ね。健康に気をつけて。ママは貴女の事を思っているの。忘れないでね。たとえ貴女がこれからの三箇月間、これっぽっちもママの事を考えてくれなくってもよ。」なんて、言うもんですか。へティー、こんな事、私は厭よ。
 へティー 分かったわ、よーく。じゃあ、何て言う?
 ローズ ママはとてもとても疲れてるって。それから、空港には電話するって。
 へティー そう言うわ。
(へティー、退場。)
 ロン 面白いな。
 ローズ 何が面白いの。
 ロン 僕の心は踏み付けにされている。しょっちゅうだ。違うとは言わせない。それでも僕はやって来る。微笑みを浮かべて。
 ローズ 微笑みがあったとは気がつかなかった。
 ロン それは言葉の綾だ。とにかく僕はここにいる。謝罪して、侮辱を甘んじて受けて。本当は君を嫌わなきゃいけないんだ。軽蔑しなきゃいけないんだ。そっちが僕にやっているように。(怒って。)僕はどうして君が嫌いになれないんだ。
 ローズ 努力が足りないのね、多分。
 ロン 努力? 糞っ。どれだけ努力したか。これからもやってみるさ・・・心配はいらない。ただ・・・(声が途切れる。)努力しても何故か無駄なんだ・・・どうしてか分からない。
(ロン、ローズに背を向ける。感情を見せまいとして。)
 ローズ(声、怒りで荒々しい。)泣くんじゃないの・・・弱虫。泣くんじゃない。
 ロン(急いで。)泣きゃしない。大丈夫だ。ただ・・・長い事会ってなくって、顔を見たら・・・
 ローズ(声、相変らず荒々しい。)さっきの貴方の気分の方がずっとまし。金を投げつけたり、罎を割ったりの。
 ロン あれは計算ずくだ。自棄(やけ)だったらあんな事はしはしない。冷静、沈着、それに男らしく行こうって決めていたんだ。何が起こっても一歩も引くもんか・・・昔のロン・ヴェイルだ・・・あの晩カジノで君が見た、あのロン・・・憶えてるだろ・・・それもかなりうまく行っていた。それなのに・・・
 ローズ それなのに?
 ロン 君が出て来たら一遍に・・・
 ローズ(相変らず厳しく。)歯車が狂ってしまった。よく小説で言うわね・・・そして、何もかもがちぐはぐに・・・
 ロン そうだ。そんな風に言えるだろう。(素早く。)ああ、君は変わったよ、ローズ。慥に時々君は酷く厳しい言い方をした。しかしこんなじゃなかった。今の君は僕が思い出したい君じゃない。
 ローズ でもこの私が本当の私。この私を思い出すの。私を嫌うのに役に立つ筈・・・
 ロン(悲しそうに。)役には立たない。それは分かってる。実際、多分、本当に誰かに惚れてしまったら、その相手が何をしようと、正体が何者か後で明らかになろうと、問題になんかならないんだ。そんな事はどうだって構いはしない。僕を見れば分かる。今の今だって、君の足元に這いつくばっている・・・君の人生のどこかにくっついていたいんだ。関わりを持ちたいんだ。気違いみたいに。あの三百人の客の、その他大勢の中の一人でいたっていいんだ。あのドイツ野郎にいくら揶(からか)われたって構わない。ただ君の見える所にいられて、時々話が出来ればそれでいいんだ。(恥ずかしそうに。)ひどく男らしい態度だ。な? だけど、どうにもしようがないんだ。これがありの儘の僕だ。この事を知ってくれた方がいいと思って。
 ローズ(追い詰められて。絶望的に。)私がそんな事を知って、何が良いの。良いって一体どういう意味。
 ロン ええい、他の女の子だったら許してくれようとくれまいと、僕は気にするもんか。君はあんな態度をとっているんだ。放っておく筈なのに。
 ローズ 放っておけばよかったの。そんな貴方の気持ちなんか知りたくないの、私。あの女めって、金輪際許すもんかって、思ってくれた方が良いの。もっと意地を持ちなさい。
 ロン 意地なんかないんだ。これはもう言ったけど。(間の後。)そうか、それなら言わない方が良かったのか。だけどどうしても言いたくなる感情、どうしても相手に知って貰いたくなる感情ってあるもんだ。
 ローズ(しっかりとロンを見て。)言いたくっても、言わなきゃいいでしょう。言わなきゃすむ事よ。それにその感情って何? 貴方・・・愛って言いたいの? 愛を感じるって?
 ロン(頷いて。やっと。)そう。愛・・・だと思う。
 ローズ(笑う。)愛なんかないの、ロン。このあたり百マイル四方捜したって、どこにもありはしない。愛って、与える事よ。貴方、自分の生涯で取る事以外に何をやったっていうの。車から始まって、他人の愛まで、奪う事しかしてはいないの。(嘲るように。)貴方が愛を感じる? 聞いて呆れるわね。
 ロン この感情をどう呼ぶか、それは僕の勝手じゃないかな。僕は愛と呼んだんだ。
 ローズ 愛であるもんですか。ただ私の人生にこっそり忍びこんで来ただけ。それも今度は裏口から。最初の時とは大違い。あの時は自信満々、雄鶏みたい。女は誰だって俺に靡(なび)く。私だって靡かせてみせる。この私だって。そんな勢い。
 ロン そうだった、確かに。雄鶏と言えば雄鶏・・・この夏で僕は少し変わったようだ。
 ローズ ええい、なんていう事。何を言ったって貴方を怒らせる事は出来ないの。
(ローズ、素早く後ろを向く。ロン、驚いてローズを見つめる。)
 ロン 君、僕を怒らせたいの?
 ローズ 怒らせたい? まさか。貴方がどう感じようと、私の知った事じゃないでしょう。私に何の関係があるの? そうでしょう。
(ローズ、声が上ずって、内心を表しそうになる。この時までにロン、数歩進んでローズに近寄っている。その時へティー登場。)
 へティー タクシーが来たわ。
 ローズ(呟く。)助かった。
(へティー、ローズの顔を見つめる。ローズ、相変らずロンに背を向けている。ローズ、へティーに出て行くよう手で合図する。へティー、急に振り返り、退場。ローズが再びロンの方を振り向いた時にはローズ、部分的に落ち着きを取り戻している。ローズ、テーブルの上の金を取り上げる。)
 ローズ これ、持って行って。必要になる時があるわ。
(ロン、急に頭を振る。ローズ、テーブルに金を投げ戻す。)
 ローズ もう私達会う事はないわ、ロン。明日は私、スイスに行く。そしてここにはもう決して帰って来ない。
 ロン ええっ。知らなかった。それは酷いや。
 ローズ 何が酷いの。
 ロン 僕にとって、という事だけど。これからがバレーのシーズンだ、パリでは。ひょっとしたら、見に来て・・・
 ローズ(素早く。)ひょっとしてね。(明るく。)踊りはどう? ロン、最近。
 ロン まあまあだ。来年はコーヴェント・ガーデンを狙うつもり。
 ローズ 良かった。出られるといいわね。
 ロン 出られたら、ロンドンで会えるかもしれない。ニューヨークでか。あそこにはみんな行くから。
 ローズ そうね。
 ロン(静かに。)君が僕の人生からすっかり消えてなくなるなんてあり得ない。僕に意地がないって、さっき言ったね。だけど、このまま消えさせはしないという事では、意地があるんだ。裏口からだって構いはしない。そうだ、構うどころか、もともと僕はそのへんの生まれなんだ。
 ローズ 生まれと言えば、私こそそのへんだわ。
 ロン 君は地位を上げてきた。僕は上げてない。
 ローズ さようなら、ロン。
 ロン もう少しいてはいけないかな。
 ローズ いいえ。駄目。
 ロン 街ですることは何もないんだ。ただ、どこかで食事をとって、寝に帰るだけなんだ。もう少し・・・
 ローズ いいえ。駄目。人が来るの。そして・・・
 ロン(微笑して。)そして、生まれの悪いロンには会わせたくないんだ。分かった。よく分かるよ。黙って出て行くさ。さようなら・・・いや・・・じゃ、また、ローズ。
(ロン、階段の方へ進む。そして振り返る。)
 ロン(心から不思議そうに。)だけど僕は本当に知りたいんだ、ローズ。僕が何をしたから君がそんなに変わってしまったのか。(ちょっと考えた後。)あの日のせいじゃないのかな。君が僕に言ったじゃないか。僕はいつも海の中に、い過ぎるって。君が浜辺で手を振ったって、僕は浮き輪にのっかって、知らん振りをしているって・・・
(ローズの顔、この時まではかろうじて感情を表に出さずにすんできたが、ここに来て突然、完全に崩れてしまう。急に両手で顔を覆い。後ろを向く。しかし涙が出ている事は、振り向く前にロンに見えている。ロン、ローズを見つめる。)
 ロン じゃあ、この事なんだね。
(ローズ、涙にむせび、答えない。ロン、ゆっくりローズに近づく。)
 ローズ(ロンの接近を感じとって。)あっちに行って。ああ、お願い。あっちに行って。
 ロン いや、君がこんななのに、行けるもんか。じゃあ、あれなんだね、ローズ。
 ローズ(泣き声で。)違うわ。それじゃない。勿論それじゃ・・・
 ロン じゃあ、一体どうして・・・
 ローズ どうもしない。疲れただけ、それだけ。へティーを呼んで来て頂戴。
 ロン 駄目だ。へティーは呼ばない。(ロン、両手をローズの肩に置く。)
 ローズ あっちへ行って、ロン。お願い。
 ロン いや、今はそれも駄目だ。
 ローズ ああ、なんてこと。もうあと十秒。十秒さえもちこたえれば、それで終だったのに。どうして貴方、あの浜辺の話なんかしたの。
(ローズ、泣き顔の儘、ロンの方を向き、ロンの體を掴む。ロン、ローズの顔を片手で持ち上げ、キスする。)
 ロン 本当にあれが原因らしいと思ったんだ。
 ローズ 馬鹿よ、ロン。ロンの馬鹿。
 ロン どうして嫌いな振りをしていたんだ。
 ローズ 振りなんかしていなかった・・・
 ロン(まだローズを掴んだ儘。)まだ嘘をつこうっていうの? そんな事をしても、もう無駄じゃないか。
 ローズ そう。もう無駄ね。やっても無駄。
(ローズ、落ち着く。ロン、ローズを見る。眉を蹙める。何故か分からないという顔。)
 ロン(爆発的に。)だけど何故なんだ。どうしてだ。車のことで、あんな酷い事を言ったり、何故なんだ。金だけが原因じゃない。他にある筈だ。僕には分かっている。
 ローズ 分かっているって・・・どうして。
 ロン 僕の大事なローズの事は、大抵の人よりはよく分かっている。へティーとかクルトよりも。でも何故なんだ。何故なんだ。
 ローズ 馬鹿ね、ロン。大馬鹿よ。
(ローズ、ロンから離れる。煙草を取る。)
 ローズ 分からないの?
(ロン、首を振る。)
 ローズ そうね。これは無理ね。思いつくにしても、きっと最後の最後。貴方の為なの、ロン。
 ロン 僕の為? 三箇月も僕をあんなに酷い、めちゃめちゃな気分にさせておいて、僕の為?
 ローズ 私達、何箇月だなんて短い期間の事を考えたんじゃないわ、ロン。何年もの事を考えたの。何十年、いいえ、一生の事ね。
 ロン 私達って言ったね。君とへティーか。
 ローズ そう。へティーと私。
 ロン また、あのお節介の・・・
 ローズ あの人を責めないで、ロン。私なの、結局。私が決めたの。
 ロン 僕にはよく分からない。
 ローズ 二人で考えたの・・・いいえ、私が考えたの。それに、考えた事は正しいわね、今でも。万一うまくいかなかった時、私よりも、貴方の方がもっと惨めになるだろうって。
 ロン 何故。
 ローズ そう。多分・・・きっと、貴方は・・・挫折するだろうって・・・
 ロン 挫折? 僕が? 何を言っているんだ。自分の面倒ぐらい、自分でみるさ。
 ローズ 雄鶏の意気ね、また。
 ロン 挫折なんかしないよ、ローズ。本当だ、これは。それに実験ずみじゃないか、もう。君に捨てられて、僕は自分でやってきた。淋しかった。食事は咽を通らない、よく眠られもしなかった。だけどなんとかやった。これは保証する。仲間の誰に訊いたっていいよ。実際、この三箇月のダンスの出来は、今までで一番よかったくらいだ。
 ローズ(ロンを見て。)それはよかったわ。
 ロン ええい、気違いだ。馬鹿だよ。こんな事を考えるなんて。女だ。女の考えだ。八月からの僕の、あの酷い状態の事を考えてくれたら・・・勿論ここでは、陽気なパーティーが開かれていたんだろうな、連日。
 ローズ パーティーはたいして陽気じゃなかったわ、ロン。少なくとも私には。
(間。)
 ロン 何の理由もなく、自分で自分を苦しめていたんだ、二人とも。全く何の理由もなく。
(ロン、再びローズを抱擁する。)
 ロン(やっと。)クルトはもう止めなんだね。
(間。)
 ローズ(静かに。やっと。)ええ。
 ロン そして僕と結婚だ。
 ローズ それは駄目。
 ロン 駄目じゃない。結婚だ。どうして駄目なんだ。
 ローズ お金がないの。
 ロン(笑う。)金! (家を見上げる。)
 ローズ 買い手がつかないの。
 ロン いいじゃないか。二人で住めばいいんだ。
 ローズ(間の後。)そうね。住めばいいのね。
 ロン 僕がバレーで稼いだ金で、食料その他を買う。それとも、もっと金になる仕事に替えたっていい。君が捜してくれれば。
 ローズ 他の仕事は駄目。ダンスよ、貴方は。どんな事があっても、貴方はそれから離れない事。
 ロン そうか。まあいい。とにかく、生きていけるさ。
 ローズ そうね。
(この時までにロン、飲み物の盆のところに歩いている。)
 ロン こうなったからには、乾杯しなくちゃ。それともまだ、本気で禁酒中?
 ローズ いいえ。禁酒中だなんて、誰から聞いたの。
 ロン ブランデー・ソーダ?
 ローズ それも、弱くしないで。(ロンに近づいて。)結婚の事はもう少し待った方がいいと思うのよ、ロン。
 ロン どのくらい?
 ローズ そうね。二、三箇月。それ以上は待たなくていいけど。
 ロン どうして。
 ローズ だって・・・冬が過ぎてからの方が、結婚はいいんじゃない?
 ロン 可愛いね。おセンチな台詞だ。特にそれを言っている人の事を思うと。今まで、結婚はいつも春?
 ローズ(微笑して。)これは特別。
 ロン それならオーケーだ。(グラスを上げる。)じゃあ・・・その春を祝して。
 ローズ(呟く。)その春を祝して。
 ロン それから、「いぢめっこなし」って乾杯したいな。 たとえ僕の為にされるものでも、あれを聞く度に僕は、自分が生まれてこなきゃ良かったって気分になるんだ。
 ローズ ああ、ロン。
 ロン それに涙ももうお仕舞いだ。二人共流し過ぎだよ。
 ローズ 嬉しくって泣く事だってあるのよ。ねっ。
 ロン(ローズの髪を撫でながら。)そう。それに、今夜遅く、僕だって、その涙なら流すだろう。だけど、これからは二人一緒なんだ。微笑みを持とう。いつも微笑みを、だよ。
 ローズ 努力するわ。いいえ、努力なんていらない。微笑みの方が自然な筈。
 ロン 僕らって、本当に奇妙だね。同じ町からやって来て、求めあっているものは、二人でちゃんと分かっていて、どうやったらそれが手に入るかも知っている。そして突然、僕らが得たものは、全く当たり前のものじゃないか・・・僕が君を、君が僕を、だ。天上にいる神様か誰だか知らないけど、冗談がうまいよ、全く。君もそう思うよな、ローズ。
 ローズ(優しくロンに微笑んで。)そうね、ロン。今まで私、貴方の宇宙観、その解釈、に、賛成した事があまりなかったわ。でも奇妙ね。今のは賛成よ。
(車置きのところから、しゃがれた声が響く。)Mais, dites-donc. Qu'est-ce qui a? On va attendre toute la nuit, ou quoi? (おい、どうしたんだ。何やってんだ。一晩中待たせとくつもりか。)
 ロン(怒鳴り返す。)On vient tout de suite. (すぐ行く。)(振り返って。)送り返そうか、それとも一緒に乗って行く? そして街で一晩豪遊?
 ローズ 街で一晩豪遊。勿論。
 ロン(自信なさそうに。)よーし。だけど、君流の本物の豪遊は出来ないぜ。
 ローズ どうして。ここにあるのを見て、ロン。(テーブルから札を摘み上げる。)そうだ、豪遊の後、残ったお金は全部赤に賭けるの。そうよ、今夜は真っ赤。十回続けて赤よ。それでお金の問題も解決。さあ、行きましょう。
 ロン コートを着た方がいいんじゃないか。もう夜は冷える季節だ。
 ローズ そうね。じゃキャメルのコートを取って来て。どれか分かるでしょう?
(ロン、頷く。)
 ローズ 二階。箪笥の中。
 ロン オーケー。
 ローズ 行くついでに、へティーに言って。立ち聞きはもう止めて、出て来なさいって。
(ロン、頷く。 微笑んで退場。ローズ、ブランデーをごくごくと一息に飲む。その後、激しい咳。へティー登場。)
 ローズ(咳の間から。)もう、貴女が出来る事は何一つないわよ、へティー。
 へティー いいえ、あります。療養所の話をすればいいの。
 ローズ それなら、私は違った風に話をする。あの人が信用するのはこの私。だってこちらの結論の方が、あの人に都合が良いんですからね。それに貴女は敵だし。
 へティー 医者にも話して貰います。
 ローズ(肩をすくめて。)何、それ、へティー。医者の言う事にいちいち私、逆らってきたのよ。そして今まではいつも私の勝ち。
 へティー(猛烈な勢いで。)貴女に話すんじゃありません。あの人に話して貰うんです。ここでこの一冬過ごせば、貴女の命がどうなるか、ちゃんと信じないではいられないよう、話して貰うんです。
 ローズ 信じないではいられない? それは無理ね。医者は間違いをする。あの人はそれを知っています。貴女だって、私だって、知っている。 今まで何度、私の事で間違っていたか。今度だって間違いかもしれない。
 へティー 今度だけは間違っていない。それは貴女も知っていること。
 ローズ 分からない。私はもう何も分からないわ、へティー。あの人だってそう。あの人だって、有り金残らず全部赤に賭けて平気っていう気分の筈よ。賭け方としては悪いやり方じゃない。賭ける時安全な方法なんてありはしない。こんな事、貴女に言うなんて釈迦に説法ね。
(ローズ、振り向き、へティーに優しく微笑む。)
 ローズ 今度ばかりは貴女、逃げはしないわね。少なくとも冬が終わるまでは。
 へティー(突然、今までの厳しさが急になくなり、悲しみで取り乱した年取った女性になってしまう。)ああ、何ていう話なの、ローズ。こんな事をやるなんて、賭でも何でもありはしない。私達二人共よく分かっている。それは死っていう事なの。
(ローズ、ただ微笑む。)
 へティー 無茶よ。無茶。無茶だわ。
 ローズ(ロンに言った通りの台詞・・・一六四頁五行目のところ・・・の言い方で。)どうして?
(ローズ、優しくへティーの絶望した顔を見る。)
 ローズ 私には、もう手が配られてしまったの。今更下りる訳には行かないでしょう?
 へティー 勿論下りるべきなのよ。もし賭けるという事の意味が・・・(言い止む。)
 ローズ(静かに。)私が負けるという事ならって言いたいんでしょう? でも本当にそうかしら。ここで下りて、貴女なら自分を誇りに思う事が出来る? そんな筈はないわ。手が配られて、もうカードを握っているのよ。今さらルールを知らないなんて言えやしない。私、父親の膝の上でこのルールを習ったの。素面の時に父は私によく言ったわ。「なあ、ローズ。お前っていう奴は、まともな死に方は出来ない。こいつだけは確かだ。」って。そうだろうなとその時思った。そして、それから後もそう思っていた。でも私、ピューリタンだから、この「まともでない死に方」を酷く悲惨な、身の毛のよだつような風に考えていたわ。カンヌで、冬、自分の命よりも愛する男の傍で死ぬなんて、随分明るい死に方。命よりも愛する・・・馬鹿な言葉ね。女の誇張じゃない。
(へティー、泣いている。)
 ローズ ああ、へティー。お願い・・・
(ロン、ローズのコートを持って登場。へティーの傍を、彼女を見ないようにしてすり抜ける。ローズにコートを着せるのを手伝う。)
 ローズ 有難う、ロン。丁度貴方の事を話していたところ。
 ロン(当惑して。)良い噂?
 ローズ そう。貴方の自尊心だって、これなら満足の筈よ。
(ローズ、ロンにさっきから握っていた金を渡す。)
 ローズ さあ、これを取って。マクシムで貴方が勘定をするのよ。みんな目を剥くわ。これが初めてでしょう?
 ロン うん。これで正常に戻ったな。可哀相なロン。またいじめられてる。この金は僕のだって事、忘れたのかな。
 ローズ 私にくれたんでしょう?
 ロン うん。だけど、稼いだのはこの僕だ。
 ローズ そうね、貴方が稼いで、私にくれた。(ローズ、ロンの怒った顔に微笑む。)馬鹿ね、何が問題になるって言うの。今からは、私のものは全部貴方のものじゃない。
(ローズ、へティーの方を振り向く。 へティー、泣いている。ローズ、へティーに近づき、両手を両肩に置く。)
 ローズ(微笑んで。)へティー、へティー、お願い。私、とても幸せなの。
(ローズ、へティーの頬に優しくキスして、ロンに近づく。ローズ、花瓶から赤い薔薇を取り、ボタンホールに差す。)
 ローズ マクシムにはちょっと早過ぎるわ。港の、新しい所で夕食にしましょう。それからモナがこの間話していたバーに行ってみましょう。アンティーブ街のどこか。めちゃくちゃに酷いところ、とか言ってた。でも試してみましょう。シアンなんとか、だったわね。
(二人、一緒に階段を降り始める。)
 ロン 知ってる。シアン・ヌワールだ。
 ローズ ヌワール? あら、黒じゃ不吉かしら。でもいいわね。どうせ私は赤、赤ったら赤なんだから。そのバーの次には・・・そうね、何処に行こうかしらね・・・
(この時までに二人、退場している。へティー、ローズの後から、どうしようもない、という仕草。)
                    (幕)

   平成四年(一九九二年)七月二十四日 訳了

http://www.aozora.gr.jp 「能美」の項  又は、
http://www.01.246.ne.jp/~tnoumi/noumi1/default.html


  Variation on a Theme was first produced at the Globe Theatre, London, on May 8th, 1958, with the following cast:

Rose    Margaret Leighton
Hettie    Jean Anderson
Ron    Jeremy Brett
Kurt    Gerge Pravda
Fiona    Felicity Ross
Mona    Mavis Villiers
Adrian    Lawrence Dalzell
Sam    Michael Goodliffe

The play directed by John Gielgud


Rattigan Plays © The Trustees of the Terence Rattigan Trust
Agent: Alan Brodie Representation Ltd 211 Piccadilly London W1V 9LD
Agent-Japan: Martyn Naylor, Naylor Hara International KK 6-7-301
Nampeidaicho Shibuya-ku Tokyo 150 tel: (03) 3463-2560

These are literal translations and are not for performance. Any application for performances of any Rattigan play in the Japanese language should be made to Naylor Hara International KK at the above address.