時の空気
        シャルル・ヴィルドラッック 作
          能 美 武 功 訳

(題名についての訳註 原題は L'air du Temps (「時の空気」)フランス語にこのような熟した言い方があるのかどうか、訳者には不明。三幕の終、夫婦の会話の中で、「裸になって話してもいいと感じる時はそうあるものではない」という台詞が出て来るが、こういう気分になることを言うのか?) 
   
   登場人物
キャプラン
マダム・キャサン
ドゥヴィルデ
ポレット
女中
ロベール
マネッス

     第 一 幕
(農家の一階の部屋。漆喰の白い壁。粗末な家具。舞台奥に、野原に面した扉と窓。左手の壁に、船型のベッド。枕元に小さなテーブル。右手に暖炉、テーブル。テーブルには様々な物がのせてある。つまり、片側には使用ずみのナプキン、一人分の昼飯の食べ残り、その反対側には、本が積み重ねてあり、種々雑多なものが置いてある。)
(部屋全体が雑然とした感じ。椅子、或はベッドの上に脱ぎ捨てられた衣類。戸棚に空の壜。壁に立てかけられた釣の道具。舞台前面左手に、彫刻の台。その台の上に、途中まで仕上った人の頭が、濡れた布で覆われている。台の下には金属製のバケツ。)

     第 一 場
(幕が開くと、キャプランが暖炉の傍に坐ってパイプをふかしながら本を読んでいる。厚いセーターの上にコールテンの上衣を着ている。大きな重い靴。無精髭。扉にノックの音。)
 キャプラン(不機嫌な唸り声。)はい・・・どうぞ!
(マダム・キャサン登場。盆の上にコーヒーカップ。)
 マダム・キャサン コーヒー、お待たせしました!
 キャプラン(頭を上げずに。)ああ、そこにおいて、マダム・キャサン。
 マダム・キャサン(多弁に。テーブルの上にコーヒーカップを置きながら。)雌鳥(めんどり)が垣根を飛び越えて畑に出てしまったんですよ。連れ戻すのに時間がかかるといけない、その間にコーヒーが冷めたら大変、と思って、ちゃんとストーブの上にコーヒーポットを置いてから出たんです。ところが性悪の雌鳥ったら、なかなか捕(つか)まらなくて・・・やっと捕まえた時に言いましたよ、「こらっ! 駄目でしょう、飛び出たりしたら」・・・それから羽根を少し切ってやりました。ストーブに戻ってみたら、もう火は消えかかっていて、慌てて薪を継ぎ足しましたがね、コーヒーが暖まるのに時間がかかって・・・
(キャプラン、開いた本を暖炉の上に置き、立上がってコーヒーを取りに行き、立ったまま飲む。その間マダム・キャサン、テーブルの上を片付けている。)
 マダム・キャサン 砂糖は一つしか入れてありませんよ。
 キャプラン ああ、一つでいい。
 マダム・キャサン キャプランさん、いつもコーヒーを立って飲んでいらっしゃいますけど、悪い癖ですよ。「立って飲むコーヒー、まづいコーヒー」って言うでしょう?
 キャプラン やれやれ!
 マダム・キャサン コーヒー、冷めていませんか?
 キャプラン いやいや、とても熱い。
 マダム・キャサン(テーブルの片付けの手を休めて。)湿った季節には熱いコーヒーでなくっちゃ。今年の春、酷い天気。いつまでこの調子なのやら・・・ジャガイモを植えようったって、危なくて出来はしない。凍りつくかもしれないし、腐っちゃうかもしれない・・・お昼の兎の料理、如何でしたか?
 キャプラン うん、素晴しかった。ほら、全然残していない。
 マダム・キャサン 家の人もうまいって言ってくれましたよ。でも今朝とにかく、お訊きしましたね?「にんにくは大丈夫ですか?」って。ひょっとしてお嫌いだといけません。その時には別個に煮込みにしようと思って・・・私が自分用に作ったのと同じものを・・・いえ、私はにんにくが嫌いなんじゃないんですよ。にんにくは私、消化が悪くって、家の人はにんにくなんか平チャラ・・・
 キャプラン(再び本を手に取って。)そう、その話は今朝聞いたな。
(キャプラン、パイプの中身を暖炉に落し、パイプをポケットに入れ、坐る。)
 マダム・キャサン 日中、薪はそこにあるので充分ですか?
 キャプラン うん、充分・・・ちょっと散歩して来ようとも思っているし・・・
 マダム・キャサン でも、今日なんか、散歩の時じゃありませんよ。どこもかしこも濡れていて、泥だらけ・・・
 キャプラン(これ見よがしに本に戻りたいという様子を見せながら。)木靴を履いて行けば・・・
 マダム・キャサン 木靴なんか履いたって、一旦踏み込んだらどうやっても抜けなくなる泥濘(ぬかるみ)がありますよ。いつもうちの人に言っているんですけどね、「無理矢理仕事をやるよりも、二三日ゆっくり、家で薪のための木を(鋸で)引いていた方がずっとまし」って・・・
 キャプラン それはそうだ。
 マダム・キャサン でも、誰かが言ってたけど、このぐらいの泥濘、まだたいしたことはない。雨が降りだして止まらなかったら、とても働けないから、今のうちに・・・(間。)ええ、一日中本を読んでいるわけには行かないわ。目を悪くするもの。気晴らしに何かはしなくちゃ。そう、この十日間、釣にも行けなかった。水かさが増して、流れも急だったから・・・運がないわ。あの子もこのところ学校から帰るのがひどく遅れて、彫刻の続きをしようったって、お出来にならない・・・
 キャプラン 次は木曜日の予定・・・
 マダム・キャサン(胸像に近づいて。)まあまあ、包帯でぐるぐる巻き!(間。キャプランを見る。本を読みふけっているように見える。)ご免なさい。お邪魔でしたわね! そうそう、このお皿を洗おうと、暖炉にやかんをかけておいたけど、また火が落ちてしまっているかもしれない。(両手で皿を持ち上げる。が、またテーブルに置く。)そうだ、キャプランさん、私、霜焼けになっていたところが到頭ひび割れて・・・
 キャプラン ほう!(無関心をやっとのこと抑えて。)それは痛いでしょう。
 マダム・キャサン 却って楽になった、と言ったら信じて下さるかしら。だいたいこれが霜焼けかどうかも、あまりはっきりはしていないんです。確かに霜焼けみたいに、とてもかゆくて・・・でも何か別のものが混っているかもしれませんわ。私の持病ですね。母親譲りなんです。母は冬になると必ず霜焼け。寒がりで、雪の日には足を直接火にあてるものだから・・・とにかく霜焼けっていうのは、血液に問題を起すの。リンパ液には関係なし。それなのに私の場合、最初にまづ皮膚が固くなって・・・
 キャプラン(遮って。)そうそう、マダム・キャサン、ちょっと考えていたことが・・・あ、失礼。話の途中で・・・あの池は誰の所有なんだろう、ほら、チュイルリーを過ぎて、クルパレーの道路の際(きわ)にある・・・
 マダム・キャサン ああ、あれはチュイルリー池って皆呼んでいますよ。あれの持主が誰かっていうんでしたら、私・・・
 キャプラン あの池には立札がしてある。「ここでの釣りは許可を要す」と。で、釣ってみたくなってね。そこにちゃんと竿はあるし、誰に言ったらいいんだろう。
 マダム・キャサン うちの人に聞いてみますよ! きっと知っています。その人に一言(ひとこと)言えばすみますよ。
 キャプラン 許可のためのお金ぐらいお安いことだ、魚が釣れるなら。お宅の川、酷いものだ。何一つ釣れやしない。
 マダム・キャサン うちの人に言っておきます、帰って来たら。
(マダム・キャサン、再び皿を取上げる。)
 キャプラン ああ、頼むよ。(急いで扉の方に行く。)ちょっと待って、開けるから。
(キャプラン、扉を開けて支える。マダム・キャサンが出られるように身体を後ろに引く。)
 マダム・キャサン(退場しながら。)テーブルクロスを取りに、また参ります。
 キャプラン ああ、それはいい。ほっといて。私が自分でやるから、マダム・キャサン。
(キャプラン、扉を閉める。ゆっくり戻って来て、テーブルクロスを引き、はたき、二つに折って、椅子の背に載せる。暖炉に戻り、開いてある本を取り、機械的に一瞥をくれる。が、閉じ、テーブルの上に投げる。それからパイプに煙草を詰めながら、部屋をうろうろ歩き始める。パイプに火をつけようとした時、マダム・キャサン、扉を半分開け、そこから言う。)
 マダム・キャサン(勢いこんで。)キャプランさん、お客様ですよ。男の方です!
 キャプラン(驚いて。)えっ? 男の方? 名前を訊いて・・・何の用かも。
 ドゥヴィルデ(半分開いている扉から。)私ですよ、キャプランさん、ドゥヴィルデです。
(マダム・キャサン、大きく扉を開く。ドゥヴィルデを通すように、身を斜めにする。次の場の最初の二、三個の台詞を聞いてから、扉を閉め、退場する。)

     第 二 場
 キャプラン(半分心配の混った驚きで。)おやおや・・・
 ドゥヴィルデ(キャプランを珍しそうに見て。)ああ、今日は、キャプランさん。やっと着きましたよ。
 キャプラン(握手して。)どういうことだ? これは。
 ドゥヴィルデ 道に迷ってしまって・・・このあたりを一時間もうろうろしましたよ。
 キャプラン 君の車で?
 ドゥヴィルデ ええ、車は野原の真ん中に停めて、ここへ来るあの道をとぼとぼ歩いて・・・こんな風に私がやって来るなんて驚きでしょう? 一昨日、仕事でバールまで行かなくちゃならなくて・・・それで決心したんです。どうしてもここに来て、あなたに考えを変えて戴いて、帰る時には握手して貰おうと。
 キャプラン(用件が予想外のことではないので安心して。)ああ、そう。それは親切だ。
 ドゥヴィルデ 考えを変えて戴くのは・・・可能で・・・?
 キャプラン そう急に言われても・・・
 ドゥヴィルデ 高速道路をヴズッルから降りて、こっちに向ったんですが・・・道々考えましたよ、もっと早くここに来ることを決心すべきだったって・・・
 キャプラン ほほう、まあ坐って。今ふと思ったんだが、一体誰に頼まれて・・・
 ドゥヴィルデ そんなこと。私自身の考えに決っているでしょう? だってあなたの隠れがは、私しか知らないんですから。
 キャプラン 君しかね・・・
 ドゥヴィルデ そうですよ。お言いつけはちゃんと守っていることを知って戴かなくちゃ。
 キャプラン それはどうも。
 ドゥヴィルデ あなた宛に画廊に送り届けられる品物を、ここに転送する役目を仰せつかっていますが、これを他の人にやらせたことはありません。
 キャプラン そうか・・・そんな雑用を君にやらせるのは悪い。早速お役御免にしてやらなきゃ・・・
 ドゥヴィルデ まさか! 田舎にひっこんでいる芸術家が、郵便の宛先を、彼の作品を扱う商人のところにしておく・・・当り前のことじゃありませんか。(煙草に火をつける。)で、どうです? 調子は。身体の方、それに、精神は?
 キャプラン まあまあだ。
 ドゥヴィルデ 本当ですか?
 キャプラン 本当だ。
 ドゥヴィルデ(キャプランをじっと見ながら。)どのくらい経ちましたっけ?・・・四箇月・・・五箇月? パリを発ってから・・・
 キャプラン もうすぐ六箇月だ。
 ドゥヴィルデ(考えて。)そうですね・・・(部屋を見る。)お使いになっている部屋はここだけっていうことはないでしょうね?
 キャプラン いやいや、ここだけだ。ここで寝、読み、仕事をし、食事をとる。食事は今君を案内した婦人が持って来てくれる。ここの女主(おんなあるじ)だ。
 ドゥヴィルデ 仕事を始められたのですね? 入るなりすぐ見つけましたよ。(石の台を顎で示す。)よかったよかった。いやいや、これは商売人としての言葉ではありませんよ。(その気になられたということ自体を喜んでいるので。)モデルを見つけられたのですね?
 キャプラン このあたりに住んでいる子供だ。
 ドゥヴィルデ 誰だって構いませんよ、モデルなんて。ということはつまり、全くの引退が快適という訳でもなさそうですね?
 キャプラン いや、引退は快適だ、実に。
 ドゥヴィルデ(無理に冗談めかして。)その格好、ここいらの百姓っていう風貌ですよ。遠くからじゃ、私だって誰か分らない。
 キャプラン そんなに変ったかな、私は。
 ドゥヴィルデ エー、その・・・それ程じゃありませんが、つまり・・・
 キャプラン むさ苦しいか? 私は。無精髭をはやしているからな、確かに。実は朝、釣に出かけるんだ。その時、髭を剃る暇がなくて・・・帰って来てからは、髭のことは忘れてしまう。
 ドゥヴィルデ 川には魚が?
 キャプラン うようよいる。ああ、ドゥヴィルデ、マールはどうだ? ちょっと一杯。暖まるぞ。
 ドゥヴィルデ それは有難いです。ここらあたりの産で?
 キャプラン このあたりではマールは作らんよ。(戸棚から壜を取り出す。)シュヴリロンが送って来てくれた飛切り上等のブルゴーニュ産だ。シュヴリロンは「彫刻家のマール」と呼んでいる。
 ドゥヴィルデ すると、この住所を知っている人物が、私以外に一人・・・
 キャプラン シュヴリロンじゃないか、それは知っているさ。・・・ああ、小さいグラスは一個しかない。君が使え。私は・・・
(キャプラン、洗面所の口ゆすぎ用コップを取りに行く。)
 ドゥヴィルデ(この時までキャプランを目で追っていたが。)でもとにかく、ここは一時的な住いなんでしょう?
 キャプラン まあね。ただ一時的、一時的と言いながら、結局住み続けるものだ。
 ドゥヴィルデ 本当にここ、或はどこか田舎、に引っ込んでおしまいになるつもりじゃないんでしょう? つまりその・・・少しは彫刻に関係のある・・・
 キャプラン(途中で遮って。)私が全く引退して楽しめる人間だとは、君も思うまい・・・
 ドゥヴィルデ ね、そうでしょう? 結局のところ、こういう生活をするような方ではないんですよ、あなたは。
 キャプラン すると君は、私のことを、パリで送っていたような生活をする人間だと思っているんだな?
 ドゥヴィルデ そんな。あのような生活じゃない生活だって、パリで送れるじゃありませんか、キャプランさん。
 キャプラン どうだ? 「彫刻のマール」は。飲めるだろう?
 ドゥヴィルデ 素晴しいです。(飲んで。)冗談は抜きで、このあたりで、この季節・・・ちょっと辛いんじゃありませんか?
 キャプラン うん、時々はな。しかし、ここの生活は生地(きぢ)そのものだ。裸だ。つまり奥が深いとも言える。海の男が海で生活をする・・・それに例えられる。勿論、年柄年中面白い訳じゃない。
 ドゥヴィルデ パリではいい人間関係がありましたよ。美しい、と言ってもよいような・・・まさか私に、あれがそうではなかったと・・・(言うつもりじゃないでしょうね?)
 キャプラン(陰気に。)連中と私に共通点など何一つない。ここに来てみてはっきりとそれが分ったよ。
 ドゥヴィルデ そんな! あの人達とのパリでの長い生活・・・共通点は沢山ありますよ。
 キャプラン もう止めてくれ。思い出すのも厭だ。
 ドゥヴィルデ あなたを愛している人達が、それに、あなたが愛している人達も、ちゃんと・・・
 キャプラン うん、二三人はな。仕事の仲間、それに論争の仲間でもある。おまけに、私より純粋な奴ら・・・連中には時々、あいつらの家で会ったな、それから私のアトリエ、モンジュールで。私が結婚してからは、連中、家にはさっぱり来なくなった。ここになら来るかもしれん。
 ドゥヴィルデ マネッスは小さい時からの友達だったんでしょう? 彼はいつだって家にやって来てましたよ。
 キャプラン うん、あれは唯一の例外だ。
 ドゥヴィルデ 彼はあなたがいなくて淋しいんじゃありませんか? あなたが淋しいかどうかは分りませんけど。
 キャプラン やれやれ、淋しいどころか。パリから逃げ出した一つの原因でもあるんだ、彼は。壜に入れておくと腐ってくる酒がある。習慣だって放っておくと悪くなるものもあるんだ。可哀想にマネッス! 凡庸な奴だからな。居心地の良さに嵌(はま)り込んで、ただ腐って行くだけだ。
 ドゥヴィルデ 酷いですよ、その言い方は! 勿論彼は、切れるっていう人物じゃありません。でも、可愛い奴です。気がいい、それに機転が効く。
 キャプラン 機転? うん、冗談には機転が効く。あまり守備範囲は広くないが。この三十年間、食事で食堂に移動する時、あいつ、必ず「Ah! que nos pe's etaient heureux quand ils etaient a table」(「食事の時には、父達よ、幸せであって欲しい・・・という歌。)(キャプラン、この一節を大声で歌う。)これだ。(ドゥヴィルデ、笑う。)三十年間だぞ! それに、ここに来る前の二三年、水曜日には必ず昼飯の時にやって来たんだからな。しまいには私も文句さえ言わなくなった。しかし実際憂鬱だったよ。
 ドゥヴィルデ パリを出る時、彼に会いました。お会いしたいと言ってましたよ。連れて来ようかとも思ったんです。
(間。)
 キャプラン(憂鬱そうに。)この夏、シュヴリロンと一緒に来るよう言ってやろうかと思っているんだが・・・
 ドゥヴィルデ この夏! この夏はもう、ここを引き払うおつもりなんでしょう?
 キャプラン 夏はいい筈だ、ここは。川、牧場、ポプラ並木・・・見たろう?
 ドゥヴィルデ ええ・・・それで、この部屋で彫刻を? それでご満足?
 キャプラン 素晴しいアトリエが出来る、ここは。自然の光でね・・・まあだいたい。大きな納屋をあけてくれると言ってるんだ。だから器材はパリから運ばせようと思っている。
 ドゥヴィルデ(慌てて。)でも・・・モンルージュのアトリエはそのままで?
 キャプラン 勿論。
 ドゥヴィルデ すると、時々はパリにお帰りに? だから言ったでしょう、私が!
 キャプラン もう、一度は帰った。
 ドゥヴィルデ えっ? 人に何も言わないで!
 キャプラン この胸像を作るのに必要なものがあったからな。ところでドゥヴィルデ、鍵はどうした? 「バッカスの巫女」の複製を捜すからと言ってきたから君に送った、あの鍵は。
 ドゥヴィルデ 息子さんが持っています。「バッカスの巫女」の複製は息子さんと一緒に見に行ったんです。
 キャプラン そうだったな。息子がそのことで手紙をくれた。三週間前だった・・・そう言えばあいつ、どうなってる? ジャン・コリアールがブルターニュの映画を撮るそうだ。息子がそのカメラマンに選ばれた、なんて書いて来ていたが、どうなったかな? まさかあいつが選ばれるとも思えんが・・・
 ドゥヴィルデ 知りません。最後にロベールさんに会った時は、もう決定だと聞きましたが。あ、そうそう、それは丁度展覧会の初日でしたよ。
 キャプラン ああ、あいつ、展覧会に来たのか。
 ドゥヴィルデ あなたの名代(みょうだい)です。何だか得意そうでしたよ。
 キャプラン それは驚いた。彫刻はさっぱり分らない。おまけに私の作品を馬鹿にしている癖にな。
 ドゥヴィルデ(抗議して。)息子さん、あなたの作品の前で感心して見ているじゃありませんか。あなただって知っている筈ですよ。
 キャプラン 作品じゃないんだ、感心しているのは。値段だよ。
 ドゥヴィルデ 私にも言われてしまいますね、その台詞。人間、一人で暮していると意地悪になるものですね。
 キャプラン そうだ。ブロンズ像三つのうち一つは石膏のしか出品出来なかったらしいな。残念だった。
 ドゥヴィルデ ええ、残念でした。手紙にも書きましたが、パリにある作品で、どうしても一つ、借り出すことが出来なくて・・・ドクター・ル・ルワ所有のものなのですが、生憎(あいにく)エジプトに行っていたんです。それにしてもやはり「バッカスの巫女」は評判が良かった。あれはいい複製です。アトリエに戻しておきましたから今度いらしたら見られます。それはそうと、ポーラン・ラブルッスが残念がっていましたよ。売り物が全くなかったので。
 キャプラン(肩をすくめて。)ポーラン・ラブルッス・・・あいつは何も分っちゃいない。彫刻なんてどうでもいいんだ、あいつは。ただエロチックなものが好きなだけだ。とにかく売りに出ていたって、買う筈がないさ。
 ドゥヴィルデ いや、分りませんよ。大臣になってからは!
 キャプラン 大臣?
 ドゥヴィルデ ご存知なかったですか?
 キャプラン いや、知らない。何大臣だ。
 ドゥヴィルデ 農林大臣です、内閣改造後は。その前は年金大臣。フロリオ首相が失脚した後、ガンビエ首相になって、内閣には居残ったのです。新聞は全然?
 キャプラン いや、全く読まない。新聞なし、ラジオなし。快適だ。グラン・ブレオには、低俗番組も、デマも届かない。少なくとも、例のあの酷いやり口ではな。
 ドゥヴィルデ じゃ、最近起ったことは何一つ・・・?
 キャプラン いやいや、起ったことは知っている。この二日間風は北西から吹いている。小麦はいつもより成長が早い。兎が子供を生んだ。それに、本当に重要なことが世界で起れば、いつかはここに届くからな。で、何か知らせたい事件でもあるのか? パリで汚らしい彫刻を百体撤去するとか?
 ドゥヴィルデ いや、残念ながらそれは・・・
 キャプラン 国際会議で何か重要案件に決着がついたとか?
 ドゥヴィルデ それは要求が高過ぎます。
 キャプラン ほう、すると、センセーショナルなことは何もないわけだ。
 ドゥヴィルデ(少し躊躇った後。真面目な顔になって。)いえ、あります・・・(キャプラン、それを見て急に真面目な顔になる。それを見てドゥヴィルデ、慌てて考えを変え、陽気さを無理に作って。)ありますよ、勿論。でも、センセーショナルと言ったって、どんなものをそう思って下さるか、その辺が私にははっきりしませんから・・・二箇月前に、イッポリット・ラバールが死にました。これはご存知で?
 キャプラン ええっ? 今頃まで生きていたのか、奴は。亡くなって少なくとも十年は経つと思っていた。
 ドゥヴィルデ ロションが学士院会員になりました。
 キャプラン ほほう、また一人埋葬されたんだな。死んだ奴の話はいい。生きている人間の話をしよう。ビュリネじいさんはどうしている。
 ドゥヴィルデ 死んだ人の記念碑作りですね。どういった類(たぐい)のものかは知りません。最後にサロンに持って来た作品がどんなものだったか覚えていないぐらいですから。
 キャプラン すると彫刻の仕事は全般に低調なんだな?
 ドゥヴィルデ 非常に。株と同じです。私も、値段の折合いをつける時だけ少し働くぐらいですか。ああ、そう言えば、例のテラコッタで作った鯉ですが、あれは売れました。ご存知でしたね?
 キャプラン ああ、知っている。(間。)そうだ、君の家庭のことを訊くのをすっかり忘れていた。マダム・ドゥヴィルデはお元気かね?
 ドゥヴィルデ とても元気にしています。ひと月の間南部の方に・・・実家に帰っていました。
(間。)
 キャプラン マールをもう一杯どうだ?
 ドゥヴィルデ いえ、もう結構です。(間。)えー、その・・私に・・・お訊きにはならないんでしょうか・・・奥さんのことを・・・
 キャプラン(背を伸ばして、冷笑的に。)女房?・・・やれやれ、じゃ、訊ねることにしよう。どうしている? あれは。情夫と一緒に幸せにしているんだな? 今も。
 ドゥヴィルデ いいえ。終りました。たしか終ってひと月になります。その話が喉(のど)のここまで出ていたんです。もしパリをお出になる時に、あれほど「あれのことは書くな」と念をおされていなかったら、当然手紙に書いていたところです。
 キャプラン(感情が高ぶって来るのを抑えられない。)そうか。下劣なあの野郎、女を捨てたか。いい気味だ!
 ドゥヴィルデ いいえ、逆です。奥さんの方です、捨てたのは!
 キャプラン(嘲るように。)はっ! また別に出来たな? で、誰だ、相手は。
 ドゥヴィルデ(相手を非難する口調で。)また、何ていう言い方を・・・
 キャプラン(続けて。)まづ私の息子ロベールがいる。あの女、いやに甘い目つきで奴を見ていた。
 ドゥヴィルデ ちょっと待って・・・
 キャプラン それとも、モリッス・クザンか? こいつとならもっとずっと前に出来ていたかもしれん。
 ドゥヴィルデ 酷いですよ、キャプランさん、そんな言い方は。奥さんがそんな人でないことはとっくにもう・・・
 キャプラン(断固として。)今となっては、あいつのことは私にはもう分っているんだ!
 ドゥヴィルデ 偶然に起きた悲しむべき出来事で全てを決めてしまっておいでになるのです。でも・・・
 キャプラン 偶然に起きた・・・出来事? とんでもない! 渡り鳥が季節毎に住処(すみか)をかえるのを偶然だと言うのか! あれとのなれそめからがそうだ! あれの胸像を作ることを引受けてな。あれの二度目の夫からの要請だった。当時あれは二十八歳・・・二十八で二度目の夫だ。次に裏切られたのがこの私・・・相手は私の弟子のうちの一人だ。こうなることは予期していなきゃならなかったんだ、ドゥヴィルデ。それにしても、十五歳も年上の、老いぼれのこの私・・・それがあれとあんなに長く続いた・・・それこそ自慢にしなきゃならないことかもしれん。
 ドゥヴィルデ 何て馬鹿なことを! 三四箇月暮して、それで別れたあの男は、まだ三十にもならない若造ですよ。奥さんは一時の気の迷いからああなったんです。だからすぐその過(あやま)ちに気づいたんです。本当にただの衝動だったんですよ。
 キャプラン うまいことを言うもんだ。
 ドゥヴィルデ(それに何が渡り鳥ですか。)あの方の最初の二回の結婚は不幸なものだったんです。よくご存知でしょう? それは。それだけのことです。たとえ二回だったとしても、そこで嘘だとか、卑劣な行為は何一つなかった。三度目に初めて結婚らしい結婚をしたのです。あの方の愛は、心の底ではただあなただけにあったのです。それに気がついたからですよ、あの方があの男を捨てたのは。
 キャプラン(心が動かされる。)なあ、ドゥヴィルデ、私は何か別の話をした方がいいんだが・・・
 ドゥヴィルデ いえ、出来ることならば、私はこのお話を・・・
(間。)
 キャプラン あの男を捨てた・・・お前はどうしてそれを知っている。
 ドゥヴィルデ あの方がご自分で私にお話なさいました。
 キャプラン(無理に作った笑い。)ああ、あいつの話か! それならお前は何も知らないも同じだ。
 ドゥヴィルデ それは違います。あの方の、あの話し方、私にははっきりと・・・
 キャプラン すると君はあれに、時々会っているのか。
 ドゥヴィルデ 展覧会においでになった時、ギャラリーでお会いしました。
 キャプラン ほう、展覧会にか。厚かましくも、よく来られたな。
 ドゥヴィルデ(躊躇いながら。)特別招待日ではありません。次の週です。・・・朝・・・
 キャプラン その後は。あれの近況など、知っているのか。
 ドゥヴィルデ(躊躇いながら。)ええ・・・その・・・電話を戴きまして・・・
 キャプラン(興味をそそられて。)何の用だったんだ。
 ドゥヴィルデ たいしたことでは・・・頼まれ事で・・・
 キャプラン 何の頼まれ事だ。・・・言ってみろ。
 ドゥヴィルデ ええ・・・あなたにはお話しても別にいいと思います。・・・お金を貸して欲しいと。ええ、勿論その後、返して戴きました。
 キャプラン(しつこく。)返した? あれがか?
 ドゥヴィルデ ええ、返して戴きました。
(間。)
 キャプラン アンジャルバンと暮していないとなると、あれは今、どこにいるんだ。
 ドゥヴィルデ それは勿論、あの方の家に・・・つまりその、あなたの家に・・・
 キャプラン ああ、帰って来た・・・「あの方の家」とはうまく言ったな。そう、あれには言っておいた。あのアパートを使っていいと。あれには似合いのアパートだ。あれの生活に必要なもの、それに私に必要なものは全部・・・あれが暮せるだけの財産は当座ある筈だ。もっとも、多少の倹約は必要だが・・・それもあれにはいい経験だ。
(間。)
 ドゥヴィルデ 悲しいことです。何もかも・・・ねえ、キャプランさん、また怒られるかもしれませんが、私の気持、それからあなたの友達全員の気持は・・・戻って来て戴きたいということなのですが・・・
 キャプラン(怒って。)ええっ?
 ドゥヴィルデ 待って下さい。戻ると言ってもパリです。パリ! お一人でお暮しになっても、とにかくパリへ。例えばアトリエでも・・・ここよりはあのアトリエ、ずっと住み心地はいいです。
 キャプラン 悪い!
 ドゥヴィルデ 友達と関係を断つ、仕事の習慣とも離れる、これはいけません。何らかの関わりが必要です。どんな考えをお持ちか知れませんが、とにかく。
 キャプラン いや、関わりは不要だ。かなり長い期間、全てとの関係を断つことが必要なんだ。私は傷を受け、辱(はづかし)められ、もううんざりなんだ! 近かろうと遠かろうと、昔を思い出させるものは全て避けねばならん。分るな?
 ドゥヴィルデ まさか。孤独でいれば物が忘れられるなどと言うんじゃないでしょうね。とんでもない。その時間の半分は、自分を傷つけるのに使っているんです。過去の侮辱、それへの怒り、それを思い出して!(キャプラン、肩をすくめる。)そうです。そうに決っているんです! 気晴しが必要なんですよ。時間をもっと・・・
 キャプラン そう、肉体的に使うんだ。それが一番だ。よく眠られるしな。
 ドゥヴィルデ あなたという人は、もともと社交的に出来ているんです。それを急に誰とも会わないと心に決めて・・・
 キャプラン 会っているさ! ここの連中とな。いい人達だよ、善良で。ここのおかみと話をするんだが、実に味があって楽しい。パリで胸像を作る社交界の婦人達よりずっといい。
 ドゥヴィルデ それはそうでしょう、最初のうちは。黒パンも初めて食べると味がありますからね。胸像と言えば、商売の話になりますが、ほったらかしていて随分損失ですよ。
 キャプラン(素っ気なく。)分っている・・・お前の方もな。
 ドゥヴィルデ いえいえ、私の方はともかく。でも、ここへいらしてから私の方に、もう三つも引き合いがありました。この不況の最中(さなか)、三つとはたいした数です。
 キャプラン こっちにもいくつかあったよ。
 ドゥヴィルデ それに、アマチュアが二人来て、あなたの全作品の複製をとりたいと。それから、新しい作品があったら見せて欲しい・・・今どんな作品を手がけていらっしゃるかと。
 キャプラン(無愛想に。)今はこの、子供の胸像だ。そのうち「草を刈る人」「刈草を干す人」「母子像」と続くことになる。
 ドゥヴィルデ その少年像を見ることは出来ますか?
 キャプラン 駄目だ。(間。)金のことは心配しないでいい、ドゥヴィルデ。私には、いるものと言っては別に何もないし、戦後随分稼いできたお陰で、金のことをあれこれ考える必要もない。君の先刻承知のことだ。
 ドゥヴィルデ(間の後。)どうやらお戻りになるのはずっと先のことになりそうですね。なかなかお会いすることが出来ず、それが残念です。
 キャプラン モデルを捜しに帰るかもしれん。気候が良くなって、戸外のヌードが可能になったらな。
 ドゥヴィルデ その時にはお会い出来るわけで?
 キャプラン 多分な・・・ついでにルーブルにも行くかもしれん。
 ドゥヴィルデ それは・・・ああ、それで思い出しました。ルーブルが彫刻展示用の新しい部屋を作ったんです。今まで一度も公開したことのないものを出しています。これは凄いです。
 キャプラン 見たのか? 君は。
 ドゥヴィルデ まだです。時間がなくて。
 キャプラン それで私がパリに帰るのを君は望んでいるのか? パリで暇をつぶしていたらルーブルを見る時間がなくなるぞ。今までルーブルには、私は殆ど行ってない。考えてもみなかった。離れてみると却って興味を惹かれる。よし、旅行はパリを目的にしない。パリはうんざりだ。ルーブルにする。
 ドゥヴィルデ(陽気に。)じゃ、私と一緒に行きましょう。車でルーブルの門のところでこっそりあなたを下ろし、私はパリへ行きます。やることはいっぱいありますから。(時計を引っ張り出す。)おやおや、これでは夜のパーティーには遅刻だ。キャプランさん、今私の車でいらっしゃるのなら、髭を剃る時間、お待ちしますよ。
 キャプラン いや、有難いが、今は駄目だ。しかし、君はもう行くのか? 夕食を一緒にして行かないか? それに、ここから十キロのところに、良い宿もある。
 ドゥヴィルデ いえいえ、それはとても無理です。明日の朝九時に人と会う約束があるんです。ここのこの場所を捜すのに手間取って、本当に短い時間しかお目にかかれませんでしたが、とにかくお会いすることは出来ました。ここの場所も分りましたし、ちょっと辺鄙すぎる感じはしますが、お気に召していらっしゃるという事が大切なのですから。それに仕事もまたお始めになったようですし。それではと、何かあちらに言づける事はありませんか? 手に入れたいものとか・・・
 キャプラン いや・・・ない。ああ、マネッスには言っといてくれ。あいつは君がここに来たのは知っているわけだから・・・来月、天気がよくなったら、一度私に会いに来て欲しいと。
 ドゥヴィルデ 分りました。
 キャプラン それから・・・一つ質問があるが・・・
 ドゥヴィルデ 何でしょう。
 キャプラン 正直に答えてくれ、ドゥヴィルデ。ポレットは、君がここに来たのを知っているのか。
 ドゥヴィルデ(躊躇った後。)ええ。あの方に話したんです。車でバッルに行くつもりだと。すぐに訊かれましたよ、どうせそこまで行くのなら、あなたに会ったらどうかと。あなたがこの辺りにいるのはご存知なのです。
 キャプラン(困った顔。)ほう、そう言ったか。
 ドゥヴィルデ あの方はとてもあなたのことを心配していらっしゃいます。(キャプラン、無理に作った冷笑。)私は答えました、「ええ、通り道ですから好都合です。挨拶をしに行きます」と。
 キャプラン 私の近況を知りたいと言ったのか? あれは。
 ドゥヴィルデ 勿論です。明日にもすぐ私に電話がある筈です。
 キャプラン(感情を押し殺しながら。)私の何が知りたいのだ。どういう権利があって・・・
 ドゥヴィルデ 権利・・・何ですか、権利だなんて。已(や)むに已(や)まれず、ですよ。それに、アンジャルバンと別れたことはどうしてもあなたに知って貰いたいと。これははっきりしていました。
 キャプラン あれが・・・君にそれを言えと?
 ドゥヴィルデ 是非にと。頼むように・・・
 キャプラン(苦々しく。)それが私に分って、私に何だって言うんだ。
 ドゥヴィルデ 「私に何だ」じゃありません。大事なことの筈です。あなたに知って貰いたいと思っている、そのことがもうあなたに大いに関係のあること・・・いえいえ、否定しないで。私には分るんです。感じ取れるんです。感じ取れるんですから、ついでにもう白状してしまいましょう。バッルに用事が、と言いましたが、あれは重要性から言うと二の次、実は、あなたにお会いするのが第一の目的だったんです。それもあの方の断っての頼みで。それで・・・
 キャプラン 何だ、茶番劇を演じようというのか、君は。
 ドゥヴィルデ いいえ、これからはもう茶番ではありません。今までのが茶番だったのです。
 キャプラン もう何度も、口が酸っぱくなる程言った筈だぞ、私を放っておいてくれと。
 ドゥヴィルデ あの方はあなたのことを心配しています、キャプランさん。それに、あの方に対するあなたの愛は・・・
 キャプラン(遮って。)終、終、終だ! もうこの話は止めだ!
 ドゥヴィルデ 聞いて下さい! 私に説明させて! あの方は私に言ったのです。「ね、あの人を捜して。どんなところにいるのか見て来て。出来れば私のことを話して。そして、出来れば・・・もし私があの人の心のどこかに・・・私がすっかり赤の他人になっていなかったら、私があの人の中で死んだ人間になっていなかったら、この手紙を渡して頂戴」と。その手紙は持って来ています。これです!(ポケットから手紙を取り出し、キャプランに差し出す。)さあ、どうぞ。
 キャプラン ああ、駄目だ、駄目だ、駄目だ。それに・・・辛い・・・
 ドゥヴィルデ いけません。受取らなければ。何ですか、手紙が怖いんですか。私はわざわざこれを持って来るために三百キロ車を運転して来たんですよ!
(キャプラン、手紙を取る。開ける。その間ドゥヴィルデ、背を向け、五六歩、歩く。)
 キャプラン(手紙を読み始める。すぐに怒り出す。)駄目だ! こんなものが読めるか! ああ、読むんじゃなかった。「あんな男の腕に身を任せた馬鹿な私」・・・何ていう書出しだ! 「身を任せた私」! (怒鳴る。)こう書かなきゃ、この私に事態が掴めんとでも思っているのか! 六箇月経ってこの私に、あの女が思い出させたいのは、「身を任せた私」か!
 ドゥヴィルデ キャプランさん! ありふれた表現ですよ、それは。どこにでも転がっている、普通の・・・
 キャプラン 何が「ありふれた」だ! 何が「普通」だ! 分った。もうこれで分った! もう沢山だ!
(キャプラン、手紙を丸め、暖炉の方へ投げつける。)
 ドゥヴィルデ 読まないんですか。
 キャプラン 読んだ。あれで充分だ。もう行ってくれ! 君の善意は有難いと思っている。しかし、いくら善意でも、結果が酷いことがある。これがそれだ。何て厭な言い方だ! やっと落着きかけていたのに。(間。)帰ってくれ、パリに。君には悪いが、一人になりたい。あれに言ってくれ。私には想像力がある。・・・「身を任せる」・・・そんな姿、考えたくない。たとえ後悔するためでもな。女というものは慎みのないものだ!
 ドゥヴィルデ(出て行く準備をしながら。)実に残念です。私のつもりでは、あなたにいい話を・・・喜んで戴ける話を持って来たと・・・
 キャプラン 分っている、ドゥヴィルデ、君の善意は。後で手紙を書く。(キャプラン、手を差出す。ドゥヴィルデ、それを握る。)引き止めなくて・・・すまない。今日のうちにまた車で帰らせるなど・・・(二人、扉へ進む。)しかし、話をまた戻すと・・・もっと酷いことになりそうだ。(ドゥヴィルデ、扉を開ける。)それから、頼む。あれには私の言ったことは伝えないでくれ。私は何も言わなかった。何もだ。ただ、静かにさせて欲しいと。それだけを言ったと。君を見送らなくていいかな?
 ドゥヴィルデ どうぞお構いなく。お身体を休めて。それに、どうやら雨になりそうです。
 キャプラン ああ、雨・・・雨など問題じゃないが・・・じゃ、さよなら。
 ドゥヴィルデ(退場しながら。)さようなら! 私も手紙を書きます。(戻って来て。)失礼、もう一言。胸像はここで作るんですね? 已むを得ない場合には・・・勿論良い天気の時でしょうが・・・
 キャプラン うるさい! 早く行け!
 ドゥヴィルデ 分りました、分りました。では、失礼。
(ドゥヴィルデ退場。キャプラン、ドゥヴィルデを一瞬目で追う。戻って来る。扉を閉める。椅子にどっかりと坐る。虚脱状態。それから、身体をぶるっと震わせ、立上がり、暖炉の前、床の上に落ちている手紙のところまで行く。手紙を眺め、躊躇い、拾う。丸めたものを拡げ、非常に辛そうに読み始める。椅子に坐り、最後のページを読み直す。押し殺した啜り泣き。それから呟く。)
 キャプラン ポレット! ああ、可愛いポレット!(急に決心し、手紙をポケットに入れる。立上がり、扉に駆寄り、開き、叫ぶ。)マダム・キャサン! おーい、マダム・キャサン!
 マダム・キャサンの声 何ご用ですか?
 キャプラン 私は発つ、今夜。パリ行き、七時の汽車だ! 連れ合いに言って! 車に馬を繋ぐように! 私は一時間後に出発だ!
                   (幕)

     第 二 幕
(キャプラン家のサロン兼居間。モダンで豪華な家具。奥に出入口。左手奥、即ち、正面の壁と左側の壁との角のところに、食堂に通じる扉。幕が開くとポレット・キャプランが、坐って電話で話しているところ。)

     第 一 場
 ポレット(電話で。)・・・ええ・・・ええ・・・ああ、マダム・エッシマンのカクテル・パーティーにあなたが連れて来た・・・ああ、あの人! 行くわ、それなら。何時ですって? そのファッションショー。・・・分った。行くわ。でも、本当にバーゲンなんでしょうね?・・・なあに、それ? じゃ、インチキじゃない。・・・分った。とにかくちゃんと値段は見るわ。・・・ええ、まあまあよ。・・・いいえ、まあまあよりずっといいわね、全体的に見て。あの人、四日前から仕事。モデルを使ってる。随分熱が入っている様子よ。・・・私があの人にとって何だったのか、あの人が私にとって何だったのか、色々考えた・・・ええ、とても優しいわ。そして親切。・・・それは時々はあるわね。辛い場面、泣きたい時。(長い間。)・・・分ってる。・・・分ってる、って言ったの。私、馬鹿だった。決心したその時からもう馬鹿って分ってたの。・・・そうなのよ!・・・だんだんと本気になって、もう引っ込みがつかなくなって(長い間。)・・・いいえ、別れは静かなものだったわ。湿っぽい場面もなし。それは勿論、少しジーンとはきたけど。だいたい無理だったのよ。二人ともそれは感じていた。「酔い」ね。「制度」にはなり得ないの。それに、「内側」まで来ない。「秩序」にならないの。・・・二階にあるお風呂場、何か調子が狂ってる・・・食事は全部レストラン・・・いいえ、あの子、まだ彫刻で稼ぐまでは行ってないの。家からの仕送り。あの子が食べて行けるだけの・・・だから自分の出費を削って私にしてくれたの。その後は、私が二人分の生活費を・・・知ってるでしょう? 私の性格。爪に火をともすような生活、私は駄目なの。・・・(溜息をついて。)ええ、やっとこんなことも話せるようになったわ。何でもね。もう随分遠くのことに見えてきて・・・ええ、ここにたった一人で・・・そんな意地悪なことを言うもんじゃないわ。私、誰とも会わなかった。会う気になれなかったのよ・・・ドゥヴィルデだけは別。あの人、私の面倒をみてくれたの・・・ええ、とても親切、本当に。キャプランを連れて帰ってくれたのはあの人ですもの。・・・ええ、それはもう・・・だから、ね? 明日四時に。その時テオとあなた、来週の何曜日にうちに夕食に来るか決めましょう。トマッサン夫婦にもいつがいいか訊かなきゃいけないから。・・・冗談じゃないわよ。そんなのなし。昔のまんまで来てくれなきゃ。何も起らなかったの。いいわね? 友達みんなにそう言ってるの。これは命令。思わず顔が引きつって、慌ててお見舞いの言葉か何か言ってしまう、なんての駄目よ。・・・ええ、それならキャプラン喜ぶわ。そうそう、今日は水曜日、マネッスの日なの。あれ以来初めてよ、マネッスがお昼を食べに来るの・・・(この時までに女中、ノックをして扉の傍に立っている。)ドゥヴィルデも来るの。勿論ロベールもよ。・・・ああ、あの子、有難いことに何の関心もないの。じゃあこれで切るわ。用があるみたい。・・・じゃ、また・・・ええ、テオに宜しくね。
(ポレット、受話器を置く。女中の方を見る。)
 ポレット 何?
 女中 ドゥヴィルデさんです。
 ポレット 入って戴いて。(腕時計を見て。)あら、もう十二時十五分。
(ドゥヴィルデ登場。)

     第 二 場
 ポレット いらっしゃい、ドゥヴィルデ。
 ドゥヴィルデ やあ、ポレット。(ポレットの手にキス。そのまま手を持っている。)まだ来てないね? 御大(おんたい)は。
 ポレット ええ、まだ。(ドゥヴィルデ、ポレットを引き寄せる。ポレットが顔をそむけるので、首にキス。)お行儀よくして! もう駄目でしょう!
 ドゥヴィルデ 二人だけになれるからと、わざわざ早くやって来たんだ。もう二週間も会ってないんだ。辛いよ!
 ポレット(怒って。)ドゥヴィルデ! そんな話し方をするんだったら、二週間どころか、一箇月も二箇月も会わないわよ。それは悲しいでしょう? さ、坐って!(ポレット、坐る。ドゥヴィルデ、近くに坐るために椅子を引き寄せる。)駄目! あっち!(ポレット、正面の椅子を指差す。)分っているでしょう? 二人の間で起きたことは。
 ドゥヴィルデ その起きたことを、君、後悔してるの?
 ポレット 起きたことは、二人の友情を深めるためのものよ。ぶち壊すためのものじゃないの。私に後悔があるとすれば、あなたがそれをぶち壊そうとするからじゃないの。いい? ドゥヴィルデ、あなたは私の救いの神。私がいつまでも救いの神としてあながが思い出せるよう、あなたも気をつけて下さらなきゃ。
 ドゥヴィルデ 救いの神! やれやれ、有難いような、有難くないような!
 ポレット 何? それ。私、あの子とは急に別れた。酔いが醒めたの。うちひしがれて、泣いたわ。失ったものがどれだけ大きかったか、私が何て馬鹿だったか、それを思って。私、ぽっかりと穴があいたような気分だった。誰にも会う気がしなかった。誰かやって来たら誰でもいい、その人の肩にすがって泣きたい気持だった・・・
 ドゥヴィルデ そこにやって来た「誰でもいい」のが私だったか・・・
 ポレット それは違うの。あなたは知合い。釣合いのとれた、安全な、習慣を同じくしていた友達・・・私が子供だった時、転んで泣出すと、母親が駆寄って来て膝の上に抱いて、「いい子、いい子」をしてくれた。それ、あなたがやってくれたのは。だから勿論、つまらない事じゃないの。でもそれは、一時(いっとき)のことなのよ。分るわね?
 ドゥヴィルデ 「いい子、いい子」・・・とは酷いな。君は私に身を任せたんだぞ。だいたい・・・
 ポレット たいそうな言葉・・・「身を任せる」。でも、そうね。その「身を任せた」ことで結局・・・結果としては、奇妙なことだったけど・・・私はあなたに言えたの、「私が愛しているのはやはりキャプラン。あなた、あの人を連れ帰って下さらない」って。そしてその通りあなたはしてくれたの、有難いことに。
 ドゥヴィルデ 私の気持では、そうするのが一番自然で、情にも理にも叶ったことに見えたからね。二人があのまま離ればなれでは、生きてゆけないのは目に見えていたし、あのままでは二人とも、だんだん小さい存在になって行くように見えた。ああ、だから勿論、君がキャプランにどれだけ執着していたか、それはちゃんと分っていたよ。でも・・・でもね、もう少しは続くんじゃないかと・・・私とね・・・
 ポレット ドゥヴィルデ!・・・
 ドゥヴィルデ(途中で遮って。)だって君、約束したんだよ・・・
 ポレット いいえ! あれは約束させられたの。だってあんな時、どうして断れる? あなた、私の手紙を持ってキャプランのところへ行ってくれるって言うんでしょう? 何ていう騎士道精神! 何だって約束するに決っているわ。半年前の、あの時のあなたのあの姿、私、それをあなたに見たいわ、今。ね、あの時のあなたになって! 私、あなたへの友情、あなたへの感謝を今の十倍にするわ!
 ドゥヴィルデ(諦めて。溜息をついて。)分った。やってみる。たとえ君が六箇月前の君にならなくても、私の方は六箇月前のあの時の私に・・・
 ポレット 私の方だって、六箇月前のあの私に!
 ドゥヴィルデ だから頼むよ。いい子だ。ね、最後の一回・・・
 ポレット 駄目!
 ドゥヴィルデ(独り言のように。)一回だけなのに! ね、私を慰めるために。ね?・・・
 ポレット 「二人の間の取持ち代」って言わなくってまだしもだったわ。あなた、私を誤解しているわ、実業家さん。私はね、誰かが気に入って、好きでたまらなくなった時には、とても厭とは言えない性分。でも、誰かにいくら感謝していても、その感謝の気持を変なことで支払うなんて、そんなことはあり得ないの。
 ドゥヴィルデ 厳しいことを言うもんだな。「取持ち代を払わせる」だなんて・・・
 ポレット(微笑んで。)いいえ、あなたは払わせようとしたの。それに、私、たいして厳しくもないわ。私の約束は、「たとえ私がこの数日・・・」
 ドゥヴィルデ(途中で遮って。)この数週間・・・
 ポレット 「あなた所属のものになっていたとしても、それはいかなる金銭的事項、或はいかなる強制も伴うものではない。」(言葉の調子を変え、もっと荘重に。)そして今、私には私の夫以外の何者も存在することはあり得ない。私は彼を愛し、そして私は既に、彼に充分なる苦痛を与えてしまったのだから。
 ドゥヴィルデ 私だって同じだ。私のポレットを愛し、私のポレットを崇(あが)めている。そしてそれを証明してきた。
 ポレット(ちょっと皮肉に。)その通り・・・じゃ、了解ね?
 ドゥヴィルデ(素直に。)了解。でもね、ポレット・・・
 ポレット(途中で遮って。)黙って! さ、最後のキス。(ポレット、人差指で頬を指差し、頬を出す。)それから、別のことを話しましょう。
 ドゥヴィルデ よし、じゃまだ二人だけのうちに、例のあれ、清算しよう。
 ポレット 清算? バッカスの巫女のこと?
 ドゥヴィルデ そう。ブロンズの像は東京に着いて、現金が入って来た。君とロベールの分がここにある。
 ポレット(興味をもって。)ああ、ロベールの分? じゃ、ここで渡せばいいわ。あの子が父親より早く来れば。
 ドゥヴィルデ そう。彼の方が父親より遅く来れば、画廊で渡すって話しておく。さあポレット、これが君の取り分だ。
 ポレット(封筒を受取る。)有難う! あなた、三枚はちゃんと抜いたわね? 私が前借りした分。
 ドゥヴィルデ 抜いた。君がどうしてもって言うから。
 ポレット それはそうでしょう。
 ドゥヴィルデ それに小さな計算書がついている・・・ほら、ちょっと見て。説明する。数字だけで、該当する摘要は書いてないから。(封筒を取り、開け、紙片を取出し、ポレットに見せる。)四つの像の販売金額、三二・000。三で割って一0・六六0。これが費用。鋳造費に、輸送費、保険、等々。それからさっきの話の三・000フラン。これを差引く・・・残りがこれ。それでもかなりな金額だ。
 ポレット ええ、有難う!
 ドゥヴィルデ これは他言無用。分ってるね?
 ポレット 当り前!
 ドゥヴィルデ そのメモはとっておかないで。我々には何でもない数字の羅列だけど、キャプランに見られたら怪しまれる可能性がある。
(ポレット、紙を破る。丸めて捨てようとするが、場所がなく、ドゥヴィルデのポケットに押込む。)
 ポレット そう、ここ!
 ドゥヴィルデ うん、そこ!
 ポレット このお金は安全なところに入れるわ。ちょっと失礼。(奥の扉に進む。その時玄関にベルの音。)あら厭だ。誰か来たわ!(ハンドバッグに封筒を折畳んで入れ、小箪笥のところに行き、煙草の箱を取る。)煙草は?
 ドゥヴィルデ 有難う。自分のにする。
(二人が煙草に火をつけている時、扉にノックの音。)
 ポレット どうぞ。
(ロベール登場。)

    第 三 場
 ドゥヴィルデ これはお誂(あつら)え向き・・・
 ロベール 今日は・・・(ポレットの手にキス。ドゥヴィルデと握手。)「お誂え向き」とは?
 ドゥヴィルデ バッカスの巫女の清算をポレットとやったところでね。すぐ君とも出来ると思って。
 ロベール(喜んで。)金?
 ドゥヴィルデ(ポケットから封筒を出して。)そう、これが君の分。
 ポレット すぐ戻って来るわ。急いでね。
(ポレット、ハンドバッグをもって退場。)
 ドゥヴィルデ(封筒を開けて。)ほら、ここにメモがある。(メモの数字を指で差しながら。)三分の一が君の取り分。費用、つまり、鋳造費、輸送費、保険、それに、貸していた一・八000フランを差引いた。
 ロベール 引いた残りが・・・(喜んで。)凄い! 八千三百!
 ドゥヴィルデ(封筒を渡して。)これだ、その金。確かめて。
 ロベール(内ポケットに封筒を入れながら。)有難い! 助かるなあ。でも、余計なことかもしれないけど、いつか親父に見つかってしまうっていうことがないかな?
 ドゥヴィルデ ない。第一私がそんなへまを・・・複製はフランス以外の場所で鋳造させたんだし・・・
 ロベール どこでです?
 ドゥヴィルデ 君が知る必要はないよ。鋳造者は・・・(ポレット、戻って来る。ドゥヴィルデ、一瞬言い止む。)鋳造者は鋳造物の正体を知らない。試作だと言っておいたんだ。四つのバッカスの巫女は日本に送られた。日本は遠いし、ゴタゴタしている。地震も多いからそのうちガラガラっときて潰れてなくなるさ。
 ポレット(心配して。)でも、何かの具合で奇跡的に・・・
 ドゥヴィルデ ・・・そのうちの一つが日本から伝わって来る? (だけど、反対の場合だってあるんだからね。)正式な複製三つのうちの一つが、次々と持主を変えて、最後に日本に渡るということだってあるんだ。それに、たとえインチキ複製だと分ったとしても、その大元(おおもと)がどこだったか、そんなに簡単に分るものじゃない。分るだろう? これで、私も用心をしているということが。おまけに、そんなことがあって犯人を捜せっていうことになれば、その調査を任されるのはこの私だ。うちにはいろんな人間が出入りする。売買をする人間、雇い人・・・バッカスの巫女はいろんな展覧会に出している。連中がみんな複製を取ろうと思えば取れる立場にあるんだ。
 ポレット(安心して。)それなら・・・とにかく一番心配なのは、キャプランが犯人が私達らしいと考えることなの。それが一番恐ろしいこと・・・
 ロベール そう、それだ。一番酷いのはそこだ。
 ドゥヴィルデ だから私は、細心の注意を払って、彼には決して分らないようにしたんだ。
 ポレット あの人を騙して、あの人から金を巻上げるようなことをすること自体が下劣なことなの! ああ、あの人がパリに帰って来てからこんな話が持上がったのだったら、私、決して賛成しなかったわ。決して!
 ロベール ああ、帰って来てからだったら不可能だったね。
 ドゥヴィルデ ポレット、「あの人から金を巻上げる」っていうことには決してならないんだよ。このことで誰かが損をするということになれば、それはキャプランではなく、正式の複製を所有している三人だけだ。それに、損と言ったって、何ほどのものだ? 三つしか複製はないと信じていたその誇りが傷つけられるだけだ。四つあると知ってがっくりきても、そんなこと、すぐ諦めるさ。それに、そんな誇りに対する障害は、ヨーロッパにもう一個があると思うからで、アジアにも一個・・・そんなところ、もうよその世界だ。月にだったら私は五十個でも複製を送って平チャラだ。本当に問題なのは、その作品に芸術的価値があるかどうかだけなんだから。
 ポレット でも、確かなことが一つ。このことでキャプランは一銭も儲からないっていうこと・・・
 ドゥヴィルデ そんなことはない!
 ロベール(皮肉に。)まあ、自分の作品が一個でも多く世に出れば、それだけ彼の値打が上がる、か。
 ドゥヴィルデ まだ他にある。君達二人に私が貸していた金だ。
 ポレット(ロベールを指差して。)まあ、この人にも?
 ロベール 当り前ですよ、そんなこと。
 ドゥヴィルデ(続けて。)その金は、もし返すとなれば、君達から取る訳には行かない。出すのは結局彼だ。
 ポレット(溜息をついて。)まあそうだわね。
 ドゥヴィルデ それにだ、今渡したその金、もしその金がなかったら、結局君達は彼にねだらざるを得ない。キャプランは君達を金使いの荒い人間だと思っている。そこに持っている分だけ、君達はキャプランに、締まり屋であるところを見せられるんだ。キャプランをどれだけ喜ばせられるか、お二方に分らないわけがないだろう?
 ポレット それは本当だわ! それで私、ちょっと後悔の念が薄れたわ。
 ドゥヴィルデ それにロベール、君が自分の腕で稼いでくるのを、親父さん、どれほど待ち望んでいるか、知ってるんだろう?
 ロベール そう、これは助かる! 映画関係の仕事で三箇月働いた給料ってことに出来るぞ、これで。
 ドゥヴィルデ そう、その通り!
 ロベール すると、ドゥヴィルデ、あんたの取り分だけだ、親父が得をしないのは。
 ポレット(たしなめる声。)ロベール!
 ドゥヴィルデ(少しむっとして。)それは違うな、ロベール君。私は親父さんを儲けさせようと思えば機会などいくらでもあってね。今度だって、私が儲けようと思ってやったことだと君は思うのか? 例のあの輸出入代理業者がバッカスの巫女の話を持って来た時だって、私は、「それは駄目だ」と言おうと思えば言えたんだ。そしてその代り、私手持ちの別の作品を売りつけることは簡単だった。ただ、親父さんのアトリエにバッカスの巫女の鋳型(いがた)があることを思い出して・・・
 ロベール それに僕が、アトリエの鍵を持っていることもね・・・
 ドゥヴィルデ ・・・ああ、これはポレットと君に金が入って来る・・・天の恵みだ、こんな時に自分だけ儲ける事を考えちゃ・・・
 ロベール そう、その通り。いや、あんたは有能だよ。
(ベルの音。)
 ポレット(勢いよく。)そう、有能。ドゥヴィルデ、有難う。それから、もうこの話は一切なしね?
 ドゥヴィルデ 一切なし。
 ポレット まだ十二時半。ジュリアンじゃないわ、きっと。
 ロベール マネッスの親父さんだ。親父さんに言い聞かせておかなきゃならんことがある。
 ドゥヴィルデ そう、言い聞かせて・・・
(マネッスの登場で、ドゥヴィルデ、言い止む。マネッス、手に花束を持っている。)

     第 四 場
 マネッス(キャプランの帰還を喜んでいて、それが顔に出ている。)やあ、みんな・・・やあ、ポレット・・・
 ポレット 今日は、レオン。(ポレット、花束を受取る。)ああ、有難う! お優しいわ、花束なんて。でも、どうして?
 マネッス(ポレットにキスして。)どうしてって・・・ああ、ドゥヴィルデ。(ロベールに。)やあ、ロベール。(ロベールと握手。)
 ロベール 今日は、親父さん。
 マネッス(ポレットの方に戻って。囁き声で。)で、どう? うまく行ってる? 本当に?
 ポレット ええ、本当に。
 マネッス ああ、みんな、なんて嬉しいんだ。穏やかに、みんなでまた集まることが出来て・・・その・・・陰気な冬が終って・・・ジュリアンはまだ?
 ポレット まだ。アトリエから帰ってないの。製作中。二三日前から、また新しいモデルで・・・
 マネッス そいつはいい! ああ、それを知ってたら、アトリエに会いに行ってたんだがな。まあいい、これからでも、いつでも暇はある。
 ポレット 勿論あの人、喜ぶわ。少しはあの人の邪魔になったって、あの人、却って喜ぶくらい。ただ一つ言っておかなくちゃならないことがあるわ、マネッス。
 マネッス 何かな?
 ポレット この六箇月間に、全く何も起らなかったって顔をしていること。
 マネッス だけど私は・・・
 ポレット(途中で遮って。)例えば、ほら、ここに今入って来た時の顔・・・あんな顔は決してしないこと。私は構わないのよ、でも・・・
 マネッス でもね、ポレット、私は・・・
 ポレット キャプランには駄目。あんな「ああ、良かった、良かった」って顔は・・・
 マネッス してないよ、私は、そんな顔!
 ポレット 言い訳をしても無駄よ。ロベール、ドゥヴィルデ、マネッスはそんな顔だったわね? ここに入って来た時。
 ロベール(マネッスに。)駄目だよ、あんな顔。大怪我をした人の病室に入る時のような・・・
 マネッス(不機嫌に。)いいかい? あの何もかも持ち去ってしまいかねなかった竜巻の後・・・それから六箇月経ってこの家に入った時に、もし私がポレットにも、キャプランにも何も言えないとしたら・・・
 ポレット そうよ、レオン、何も言わないの。特にキャプランには! あの人、どうしても忘れようとしている。私達も忘れようとしている。それを思い出させるようなことは厳禁。あの人の友達はみんな、何もなかったような顔をしなければ。
 マネッス そうは言ったって、キャプランは私の性格を知っている。私にはとてもそんな顔は出来ないってことを。
 ポレット そう。だからあの人がそのことを分っているということで、もう充分なの! 顔をあわせた時、わざわざそれを見せることはないの。あの人は誇り高き男、おまけに恥づかしがり屋なの。だから、「同情している」なんて素振りは禁物(きんもつ)。
 ドゥヴィルデ その通り!
 マネッス 私が「同情」! とんでもない。私はね、もしキャプランと二人だけで会ったとしたら、(ポレットを指差して。)あんたが家を出て行ったことなど悲劇でも何でもない、ちゃんと元の鞘に納まることは、私には最初からお見通しだったんだ、と言ってやった筈なんだ。
 ポレット いいえ、あの人にそんなことを言ったって、決して騙されない。あなたがそんなこと、思ってもいなかったって、ちゃんと見抜いてしまう。
 ドゥヴィルデ とにかく、この六箇月のことに少しでも関ることは避けた方がいい。グラン・ブレオのあの田舎に会いに行った時、いろんな話をした。その時の様子がまるで皮を剥がれた兎だ。もうピリピリしていて・・・
 ポレット 今はそんなことないわ。
 ドゥヴィルデ さあどうだか。あんたにも、我々にも・・・分ってないんじゃないかな。
 ポレット でも、今は・・・
 ドゥヴィルデ 「あの人は誇り高き男、おまけに恥づかしがり屋」ってさっき言ったね? 今度は急に別の一面を見せてくるかもしれないぞ。
 ポレット(心配になって。)そう思う?
 ドゥヴィルデ そう、別の自分をね・・・
 ポレット(マネッスに。)とにかくね、レオン、私、これだけは言える。私、高い授業料を払ってしまったけど、こういう時には、知っていて知らないふりをするのが一番いいの。
 ドゥヴィルデ そう、そういうことだ。
 ポレット ね、レオン、素敵な花、持って来て下さって、私、嬉しいわ。でも、あの人には見られたくないの、あなたが花束を持って来るのを。浮気女房のご帰還を祝っているようでしょう? そうでなかったら、いつもの水曜日の会食が復活したお祝いみたい。以前あなた、花なんか持って来た?
 マネッス そうか、糞っ?
 ポレット(優しく。)ね? 何も変ってないの! 昔からの生活の続き! だから先週の水曜日にもあなたはここに来たのよ! いい? これ、あの人のため。いいわね?
 マネッス(宥(なだ)められ、落ち着いて。)よし、分った。
 ロベール 僕は親父には何一つ喋っていない。「そんなことどうでもいい」と僕が思っていると、親父は思っている筈だ。僕にとってはその方が気が楽さ。
 ポレット それに、あなたが「どうでもいい」と思っていることは本当だし。
 ロベール そう。みんなが僕のことを、「あいつはどうでもいいと思っている」と思ってくれていることが、僕にはどうでもいいことでね。
 マネッス まあ、君はそれほどどうてもいいとは思っていないがね。
 ポレット ええ、確かに。この人の強がり、それは。(次のロベールとのやりとりは、マネッスがドゥヴィルデと話している最中に行われる。)ね、ロベール、あなたのお父さん、あなたに聞かなかった? 留守中に私とあなたが会ったんじゃないかって。
 ロベール いや。どうして?
 ポレット あの人がそのことを聞いたら、会わなかったって言うのよ。
 ロベール 何故。
 ポレット あの人、私とあなたがうまく行ってるなんて、とても信じられないの。でも、あなたがそうしたいのなら「会った」って言いなさい。でも、付け加えて必ず言うのよ、私があなたを避けたって。そうでなければ、あなたが私に背を向けたって。
 ロベール それは言いますよ。でも、よく理由が分らないな。
 ポレット 馬鹿ね、あなた。(声を大きくして。ドゥヴィルデに。)そう、あの人が来る前に言いますけど、今日はロブスター・アメリカ風。陽気にやりましょう。あの人の仕事について沢山喋るの。それから友達のこと、政治の話も。それからコーヒーになったら私、言いますからね。また来週、みなさんをお呼びしますって。そのついでに、他にいろいろ・・・
 ドゥヴィルデ(途中で遮って。)ああ、ポレット、他の客は駄目だ。まだ早い。
 ポレット あら、どうして?
 ドゥヴィルデ もう少し待って。田舎に行った時こぼしてたんだ。いろんな人間に会うのはもうこりごりだって。私の口から言うのも悪いんだが、つまり、知らない人、彫刻に関係のない人間・・・こういう類(たぐい)がね。勿論私達はいいんですよ。あの人、一人でいるのはそんなに辛くはなかったんです。言ってましたよ、昔の彫刻仲間・・・ブリュネだとかシュヴリロンなどと、ここで会えなくなったのが淋しいってね。
 ポレット ブリュネ・・・シュブリロン・・・つまらないわね。
 ドゥヴィルデ 特に社交界の人間・・・面白いけれど、上っ面なだけの・・・ラベだとかトマサン・・・こういう連中を暫くは呼ばないで、我慢して貰えると分れば、あの人は感激する筈なんだ。
 マネッス それはそうだ。
 ポレット そう思う? そんなこと、あの人が言ったのを聞いたことがないけど・・・
 ドゥヴィルデ あなたには言いませんよ。でも私には・・・グラン・ブレオで・・・
 ポレット 田舎ででしょう? それは。もう帰ってるんですよ、あの人。私、あの人に気晴しをさせたいわ。
 ドゥヴィルデ 気晴しなら二人で行くんです、芝居にでも、映画にでも。そうそう、日曜の朝、ルーブルの新しい彫刻陳列室に連れて行ったらいい。喜ぶ筈です。それからロベール、あんたは親父さんの仕事の話をするんです。あの人の作品の話を。あの人は思い込んでいるんですよ、あんたがあの人の彫刻を下らないと思っていると。
 ロベール(抗議して。)冗談じゃない! 親父の彫刻は下らないと思っていませんよ。親父自身のことは下らないと思っていますがね。あの彫刻・・・僕が感じる唯一のものだ。それと映画だけど・・・
 マネッス(ドゥヴィルデに。)田舎でキャプランは、君に色々話したようだね。私のことを大馬鹿だと言ってはいなかったかな?
 ドゥヴィルデ(マネッスをじっと見た後。)あなたのことを大変愛しています、あの人は。
 マネッス(心を打たれて。)ああ、それは知ってる。
 ドゥヴィルデ あの人がパリに帰って来なかったら、シュブリロンと二人で、あの人に会いに行って欲しい、とあの人に代って私から頼むところだったぐらい。ああ、そうそう、マネッス、忘れていた。キャプランがいつも怖れていることを取除いてやることが出来るんです、あなたは。
 マネッス キャプランが怖れていること? 取除く? 何だ、それは。
 ドゥヴィルデ 食堂へ移る時、もうあの歌が・・・
 マネッス 「ああ、父親達は、何て幸せなんだ・・・」?
 ドゥヴィルデ そう。田舎に引込んで、あれを聞かなくてすむのは、実に有難い、と言ってましたよ。ここだけの話ですが、あれを聞くと苛々して来るらしいんです。それから、ラジオ・・・
 ポレット ラジオ? あの人、ここにいる時はラジオをつけっぱなしだったのに・・・
 マネッス(陰気に。)馬鹿な奴だ。さっさと言ってくれればいいのに。苛々する・・・冗談じゃない。それを聞いてこっちの方がよっぽど苛々する。
 ポレット あの人、しょっ中あなたに言ってたわ、それ。
 マネッス 本気ならその言い方がある筈だ! 本当の苛々か、楽しい苛々か、苛々にも・・・
(玄関にベルの音。)
 ポレット あ、来た!
(各々、自然な態度を取ろうという努力。)
 ロベール 丁度よかった。腹が減ってきたところだ。
(キャプラン登場。)

     第 五 場
 キャプラン(第一幕とはすっかり違った様子。若返って、陽気で、スマート。)ああ、みんな、待たせてしまったようだね。失礼。
 ポレット(キャプランに近づく。彼のキスを受けている時に。)いいえ、あなた、まだ遅刻じゃないわよ。
 キャプラン(マネッスに。握手しながら。)ああ、レオン。どう? 調子は?
 マネッス いい。ああ、キャプラン、君には訊く必要はなさそうだ。上々の様子だな。
 キャプラン(ドゥヴィルデに。)やあ、ドゥヴィルデ、よく来てくれたな。
 ドゥヴィルデ 御招き、どうも有難うございます。
 キャプラン(ロベールに。)おお、ロベール。
 ロベール 今日は、お父さん。
(二人、握手。)
 ドゥヴィルデ どうでした? モデルは?
 キャプラン 素晴しい! 力がある。充実している。それに、品(ひん)がある! 今朝、実に驚くべきことが起った。ある動きなんだが・・・ポーズ中に・・・そう、モデルの方も全く何も意識していない・・・「あっ、これだ!」・・・そう、いつもこうやって見つける。ヌードを意識しない綺麗なモデルだと、ただ動いているのを見ていさえすれば、こうだ。すぐに固定させたくてね。真剣にやったよ、そこは。
 マネッス なあんだ、このところ、アトリエにいたのか。知ってたら会いに行くところだったのに。よし、いつか朝行ってみるぞ。
 キャプラン 来たな。綺麗なモデル、と言うとすぐこれだ!
 マネッス おいおい、君の言う「綺麗なモデル」ってのは、私の趣味じゃない。知ってるだろう?
 キャプラン うん、分ってる。君の好みは、鼻が可愛らしく上を向いている奴だからな。
 マネッス そう。近くからその可愛らしい鼻だけを見るんだ。(笑う。)じゃ、いいんだな? 行っても。
 キャプラン 言うにゃ及ぶだ、マネッス。さあポレット、この幸せな日を祝って・・・そして少し意気のあがらないレオンを元気づけるために・・・食事の前に何か飲むものはないかな?
 ロベール(賛成して。)ああ、キャプラン家自慢のカクテル・・・
 キャプラン 反対意見は?
 ドゥヴィルデ じゃ、私にはほんの少し・・・
 マネッス 僕はみんなの意見に従う。
 キャプラン じゃポレット、カクテルだ。ただ、お前が作るんだぞ! 
 ポレット 勿論。
 キャプラ(ポレットが奥の扉に進むのを見て。)それは綺麗なドレスだ、マダッム!
 ポレット あなたからのよ。今日、おろしたて。着物だけ? 綺麗なの。
 キャプラン とんでもない。やれやれ(奇妙なことを言うもんだ)・・・(ポレット、投げキスを送って退場。)ロベール、ラジオで何かいい音楽、やってないかな?
(ロベールは父親のブロンズ像をゆっくりと回しているところ。これはこの居間の中で唯一つの彫刻。ロベール、回しながらじっと見ている。)
 ロベール(ブロンズ像を回すのを止めずに。)何か言った?
 キャプラン 何をしているんだ?
 ロベール 目を鍛えているところ。僕の判断での、最高のプロフィールを捜しているんだ。(像を動かすのを止めて。)ここだ!
 キャプラン 見せてみろ。(キャプラン近づく。ドゥヴィルデ、マネッスもそれに従う。)お前のいい場所はそこか?
 ロベール そう! しかし、照明がまだちょっと悪い。待って。(台ごと抱えて、別のところに持って行く。)ここだ!
 キャプラン うん、ここはいい。やったな、お前。そこはピタリだ。ちょっと背になっているが、そこが最高の位置だ。
 ドゥヴィルデ 素晴しい!
 マネッス どの場所からでも、同じように良いんじゃないか? もっとも、一応は正面から見られるように出来ている筈だが・・・
 ロベール 正面? 違うな。これは周りを回って見るように作られているんだ。
 キャプラン(正面から見えるように像の位置を変えて。)ほら、これだと少しまづくなる。
 ロベール 完璧から少しはづれる。静けさが足りない。それに、光の具合で、表情が固い。
 キャプラン その通りだ。
 ロベール でも、それにしても、いいことには変りがない。
 マネッス そう。実にそう。
 キャプラン(ロベールの肩に手をおいて。)ドゥヴィルデ、彫刻とは何たるかを知っている人物だぞ、こいつは。
 ドゥヴィルデ 私はちゃんと昔から言ってきたでしょう?
 キャプラン なあロベール、お前、展覧会で、私の「バッカスの巫女」に讃辞を与えてくれたそうだな。ドゥヴィルデが話してくれたぞ。
 ロベール 讃辞だなんて! 今やったように、ちょっと台座を回してみせただけですよ。
 キャプラン お前、「バッカスの巫女」、気に入っているのか?
 ロベール(少し心配の表情。)ええ、勿論。何故?
 キャプラン 展覧会に出した石膏の像は、お前にやろうと思って。自分用にも一つ作るし。(ドゥヴィルデに。)ああ、批評家殿、君に文句はないだろうな? 
 ドゥヴィルデ(作り笑い。)いえいえ、とんでもない、文句などと・・・
 キャプラン 商売以外に石膏での複製を三つ四つ作っておこうと思ってな。
 ロベール でもそれじゃ少し・・・
 キャプラン 少し・・・何だ? ブロンズの複製とは違うんだ。それに、お前は私の子供だしな。
 マネッス ジュリアン、私はあんたの友達だ。私にもって言うのは僭越かな?
 キャプラン フム、よし、レオンにも複製一つだ。ただ、頼むよ、それでまた複製の作成はご免だ。
 マネッス よかった!(ドゥヴィルデに。)君はどうなんだ? 一つ欲しくないのか?(キャプランを指差して。)大盤ぶるまいだ、彼の。
 ドゥヴィルデ 実はその・・・展覧会で使ったもので、もう一つ複製が作ってある。自分の部屋に置いてあるよ。
 キャプラン(笑って。)狡い奴め!
 ポレット(奥から顔を出して。)ロベール! 氷を割ってくれない?
 ロベール よしきた。
 キャプラン(ポレットに。)ああ、ポレット、例のカクテル?
 ポレット ええ、でもジンをきらして。捜しに地下に行かせてあるわ。あと三分だけ待って。
(ポレット、ロベールと共に退場。)

     第 六 場
 キャプラン カクテルか。他のものの方がいいのに!
(三人、舞台前面に出る。)
 マネッス(キャプランに手を差出して。)有難う、キャプラン。
 キャプラン えっ? 何だ?
 マネッス バッカスの巫女だよ。
 キャプラン 大げさな! あ、そうそう、礼で思い出した。こっちから礼だ。グラン・ブレオにいた時くれた、二本の手紙、返事を出さなかったが、本当に有難う。いや、あの頃は酷い状態だったんだ。何にでも苛々してね。(ドゥヴィルデを指差して。)こいつに訊いてみればすぐ分る・・・
 マネッス おいおい、その話はなしだ。君はパリを一歩も出たことがない。君に私は手紙など書いた覚えはない。特にあんな酷いものを。それから、先週の水曜日、いつものようにここで皆と一緒に食事をしたんだ。いいな?
 キャプラン 何て馬鹿なことを! 冗談じゃない、私は自発的にこのパリを出たんだ。後がどうなるか全く見境(みさかい)もなく。このことは大いに語ろう。お前の考えとは逆だ。どうしてかと言うとな、私は今、日ごとに自覚しているんだ、あの出発が何て幸せなものだったか。何という天の恵みだったかと。
 ドゥヴィルデ もっと小さな声で!
 キャプラン(内緒話の声で。)まあちょっと想像してみてくれ。いいか、私があの時、まだこのパリにいたとしてみろ。この家にはポレットの匂いがまだしている・・・ポレットはこのパリに、どこかに住んでいる・・・おまけにポレットは隠れていたって、隠れ方はまづいに決っている。私のことだ、とても我慢が出来ず、いつかきっと相手のあの糞野郎を捜して、ぶん殴って、無理矢理家に連れ戻したに違いない。あれは私にはなくてはならない女なのだ! グラン・ブレオにいた時でさえ、何度その衝動にかられたか! もしそんなことをやっていたら、どんなに酷いことになっていたか。地獄だ、きっと。ポレットを連れ戻したはいいが、その後ずっと、「この女は放っていたら、私のところに戻って来なかったんだろうか」とそのことばかり考えていたろう。そう、今のこの頃になっても、そのことをくよくよ、くよくよ考えて、自分の目で自分が小さく見えてきていただろう。あっさりと寝取られ亭主になるのが正しかったんだ! 私は去った。そうしたら、彼女の方から戻って来たんだからな。それは疑いなしだ。ポレットはあの美男子を袖にした。あいつに男というものを認めなかったんだ。ああ、あれは、女の全存在を賭けて私に戻って来た。ここまで来るのは大変だった。しかし、何という勝利だ! 復活・・・それは私にとってだけじゃない。ポレットにとってもだ! 勿論、ないに越したことはなかった。あんな・・・駆落ち劇など。しかしその後、あれが私に見せた後悔、私が忘れるようにと気遣ってくれた様々な骨折り、それで今度は私の方があれに忘れて貰おうと心から願うようになった。あれの緊張がすっかりほぐれ、昔通りの習慣と気持を取戻して欲しいと。
 ドゥヴィルデ でも、そんなこと、あと二三週間もすれば・・・
 キャプラン いいか、これは私の友人達全員にやって貰いたいこと・・・私の命令だ。あのことを彼女に思い出させるようなことは、何一つ駄目だ。たとえ無邪気な気持ででも、勿論同情をもってなどもっての他だ。分るな?
 ドゥヴィルデ 分りました。
 キャプラン あれの胸に刺(とげ)が刺さるような言葉は、金輪際禁止だからな。
 マネッス とにかく、何も起らなかった、変ったことは何一つなし・・・で行くよ、我々は。
 キャプラン そう、それだ。・・・ドゥヴィルデ、君は実にその点、よく心を配ってくれた・・・
 マネッス ああ、出来たぞ、カクテルだ!
(ポレット、盆をもって登場。その後ろにロベール。)

     第 七 場
 ポレット 早過ぎはしなかったわね?
 キャプラン(ドゥヴィルデを隅に引っ張って行って。)ドゥヴィルデ、あれが君に借りていた金、あれが全部返済した、と言ったな?
 ドゥヴィルデ ええ、そうです。
 キャプラン 本当に返したのか?
 ドゥヴィルデ 本当ですよ、それは。
 キャプラン ポレットと私は、また財布は一つにした。だから・・・
 ポレット(グラスをもって近づいて来て。)はい、ドゥヴィルデ。
 ドゥヴィルデ ああ、有難う。
 キャプラン 私のは?
 ポレット すぐ。ロベールが今注いでるわ。
(キャプラン、テーブルに近づく。)
 ロベール(キャプランに。)ああ、これだよ。
(キャプラン、グラスを取る。そのグラスをポレットに渡し、自分は別のグラスをまた取る。)
 キャプラン(ちびちび飲みながら。)どうだロベール、仕事は。ジャン・コリアールとはうまく行ったのか?
 ロベール(飲みながら。)あれはまだ・・・まだコリアール、金を集めている段階なんだ。だけど、いい話が出てきた。別のだ。明日から始まる!
 キャプラン それはいい。何なんだ? 早く言ってくれ。
 ロベール さっき言いかけてたよ。実入りの点じゃたいしたことないけど、女性モードの最近の流行を撮るんだ、宣伝で。一週三、四日で、月ぎめで雇われた。
 キャプラン 金は?
 ロベール(謙遜に。)だいたい・・・二五00・・・
 キャプラン 悪くないよロベール、そいつは悪くない。お前の初仕事じゃないか。ポレット、お前、今の、聞いた?
 ポレット(勢いよく。)ええ、良かった!
 キャプラン 二五00なら、充分一人で食っていける。
 ロベール(その言葉を請合って。)それに、この仕事は縛られなくてすむんだ。こっちにもっといい仕事が入れば、抜けていいことになっている。代りの人間がいるんだ。多分二箇月ぐらいしたら、今度は鱒漁(ますりょう)のドキュメンタリーを撮る仕事が入る。
 マネッス(ドゥヴィルデに。)辛抱だよ、肝心なのは。ロベールの年の頃、私は宝石商に勤めていて、稼ぎは月二000フランだった。それから時々、優秀な彫刻家にモデルを世話するようになって、一回に二十フランから四十フラン稼げるようになった。今じゃ他の仕事もいろいろはいって、自分のアパートに住んでるぞ。ちょっとした会社の副社長もやって・・・
 キャプラン(遮って。)レオン! がらくたを並べるのはもう終だ。お前の値打はそんなところにないことはみんな知っているからな。
 マネッス(呆気にとられて。)がらくた!
 キャプラン(マネッスに近づき、その身体を揺すって。)そうさ、そんなものはがらくただ。しかし、そのがらくたにもキスだ。もっと大事な、決定的なものあるものな、お前には。
(キャプラン、マネッスにキス。)
 マネッス 何を言ってるんだ。大事なって言えば、そっちだってそうじゃないか。お返しだ。
(マネッス、キャプランにキス。)
 キャプラン(マネッスを指差しながら。)いい奴だよ、実際。あの頃、いよいよどうにもならなくなった時、こいつに葉書を出したものさ。「特別救助隊、出動乞う」とね。つまり五フランお恵み下さい、という意味さ。
 マネッス(困って。)古い話だ。そんなものを持ち出して、君・・・
 キャプラン(続けて。)翌日、目が醒めると、戸口のところから二十フラン入った封筒がすべりこませてある。添え書きがあってね・・・
 マネッス(遮って。)ジュリアン、いいよそんな話。面白くも糞もない!
 キャプラン 私がまだ寝ている間に来てくれているんだ。私を起すのは悪いってね。それでわざわざ謝って・・・「もっと早く来られなくてすまない」・・・
(電話が鳴る。)
 ポレット(受話器に進んで。)本当にいい人、マネッスって。
 マネッス(ドゥヴィルデに。)言い訳だが、あの頃はね・・・
 ポレット(電話に。マネッスに「静かに」と合図して。)もしもし・・・あら、あなた? お元気?・・・ええ、そう。今朝あの人に電話したら、あなたに会うって言ったのよ。だから・・・ええ、ええ、・・・まあご親切に。私達、お会い出来るの、嬉しいわ。でも、その計画、もう少し先にして戴かなきゃならないの、残念だけど、どうしても! マリーズに電話した時、私、すっかり忘れていたんだけど、来週もう三つ、夜の約束が出来ちゃっていたの。
 キャプラン(びっくりして。)ええっ?
(ポレット、キャプランに「静かに」と手で合図。)
 ポレット 週三日っていうのがうちの人には限度なの。働き者でしょう? それに、仕事は朝っていう主義だから、夜は早く寝かせたいの。少なくとも二日に一回は。だから夜の会は一週に三回が・・・ええ、そう・・再来週初めにまた電話するわ。日にちを確認しましょう、その時。でも、その前に一度お会いしたいわ。・・・ああ、有難う。出来るだけそうする。じゃあね、ジャンヌ。じゃ、その時まで。旦那様によろしく、私達二人から・・・
 キャプラン ああ、ジャンヌだったのか。
 ポレット ええ、今朝私ね、マリーズに電話したのよ。そうしたら、私達に会いたいって言うの。だから「夕食は如何?」って訊いたの。あっちはマリーズとテオ・・・四人で。ただ私、そうは言ったけど、まだすぐにははっきりはさせたくなかったの。何日(なんにち)にするかは。それでトマサン夫婦と一緒はどうって言って・・・それでジャンヌにあたってみようと思っていたら、今電話がジャンヌから。急いで訊いてきたの、マリーズから話があったけどって・・・
 キャプラン さっきの、来週のことだがね、もう三日塞がってるって?
 ポレット とんでもない! でも、あの人達に会うのはあなた、大丈夫でしょう?
 キャプラン 大丈夫! 当り前だ。お前、連中に会いたくないのか? マリーズ・・・素敵じゃないか。
 ポレット ええ。でも、テオにしたって、トマサン夫婦だって、つまらない人達・・・上っ面だけで・・・あなたとはほど遠いわ。きっとあなた、退屈する・・・
 キャプラン 私が? とんでもない。面白いよ。連中の、あの限られた範囲では、充分楽しいじゃないか。だいたい、全く何に対しても興味がない人間なんて、滅多にいるもんじゃない。その興味のある事柄を、その人間がどう使うかだ、問題は。勿論トマサンと芸術を論ずるとなれば話は別だ。きっと私は、あいつを窓から投げ出したくなるだろうさ。しかし、あいつにワインの話をさせてみろ、それは楽しいもんだ。テオだって鉄筋コンクリートの話をさせれば、あいつが兎の脳みそしか持ってないなんて、とても想像出来ないさ。
 マネッス マダム・トマサンもなかなかいいですよ。
 ロベール(抗議の声。)ああ!・・・
 キャプラン うん、彼女も悪くない。ただ、目が、まるで陶磁器だ。目の奥が窓でなく、何かで壁になっている。しかし、あの腕・・・それに肩・・・そうだろう? レオン。ポレット、連中をよぶんだ! 早ければ早いほどいい。皆で騒いで楽しもう。それに連中、お前が大好きじゃないか。
 ポレット 私だけじゃないわ。あなたも、なのよ。
 キャプラン こっちから電話をかけ直さなきゃ駄目だ! 全く、喪に服しているわけじゃないんだぞ!
 ポレット それは違うけど・・・
 キャプラン それならちゃんとそこを見せてやるんだ! そうでないと、二人で客用の皿を全部割って、まだ買替えが出来てないようじゃないか。
 ポレット じゃ、来週の火曜日ね? でも、二つだけ条件があるわ。
 キャプラン 何だ、それは。
 ポレット あなたと二人だけで、一晩か二晩でかけるの。二人だけでよ! お芝居か映画。
 キャプラン(心を打たれて。)勿論だ、ポレット。
 ポレット 二つ目、それは、来週の火曜日、あの四人だけじゃなくて、復帰最初の夕食に・・・
 キャプラン(遮って。)復帰最初! 駄目だ、駄目だ。「今度の」だ。ただ「今度の夕食に」だ!
 ポレット ええ。今度の夕食に。勿論ドゥヴィルデ、レオン、それに、あなたの古くからの友達、シュヴリロンとブリュネもよぶこと。
 ドゥヴィルデ ああ、それは嬉しい!
 キャプラン そいつは駄目だ! その二つを一緒にしちゃいかん! ブリュネぢいさんは、恥づかしがり屋だ。それにぶきっちょときている。おどおどして一言も口をきけやせん。なおまづいことに、親父風(おやぢかぜ)を吹かせるかもしれん。シュヴリロンのことは分っているだろう? 二三本ワインをあけて、めっちゃやたらに女どもにキスを浴びせる・・・
 ポレット 分ったわ。じゃ、その二人を先によびましょう。
 キャプラン 駄目だ、ポレット。もう二人はこの間、アトリエにはやって来た。お前の友達はまだ誰一人よんでいないじゃないか。それに、馬鹿げている。それから、私だって、お前の友達が今どういう状態にあるのか知りたいんだ。そして大いに楽しくやる。大いに楽しむ。そして仕事。これだ。なあ、レオン。
 マネッス まあ、個人的に言うと、私は「大いに楽しくやる」だけで行きたいな。
 女中(食堂の扉に登場して。扉を大きく開け。)食事の用意が出来ました。
 ロベール ああ!
(ロベール、最初に食堂に進む。)
 ポレット さあ皆さん、どうぞ食堂へ。さ、ドゥヴィルデ、どうぞ。
 ドゥヴィルデ(脇に退きながら。)お後に・・・
 マネッス ムム・・・あのカクテル、効いたぞ。腹が減ってきた。
 キャプラン(マネッスに。)おいマネッス、「どうぞ食堂へ」と声がかかったぞ。お前、聞えなかったのか?
 マネッス 聞えたよ。ほら、進んでいるじゃないか。
 キャプラン おいおい、レオン、こっちを困らせるようなことをしちゃ駄目だ。お前、伝統というものがあるぞ。それを忘れちゃ台無しだ。
 マネッス えっ? 伝統?
 キャプラン(自分の前にマネッスを出して。)「ああ、父親は幸せだ」・・・やらんのか?
 マネッス(一瞬の躊躇の後、歌う。)・・・「父親が食卓につく時は・・・」
(マネッス、キャプランの腕を取り、歌の続きを歌いながら食堂に入る。)
 マネッス 「(歌)ワインはグラスに次々と注がれ、食卓を楽しいものにしてゆく・・・」
                   (幕)

     第 三 幕
(第二幕と同じ場。)
     第 一 場
(幕がロベール一人。本を読んでいる。ポレット登場。帽子を被っている。)
 ロベール ええっ? もう帰って来たの?
 ポレット 階段を降りてたら、ドゥヴィルデに逢ったのよ。
(ドゥヴィルデ、ポレットに続いて登場。)
 ドゥヴィルデ(ポレットの台詞の後に続けて。)そう。予め知らせてくれる人間がいて助かった・・・
 ポレット(家具の上にハンドバッグと手袋を置いて。)誰? 知らせてくれたのは。
 ドゥヴィルデ 競売の役人だ。キャプランはあんたに言わなかった?
 ポレット(不機嫌に。)その光栄には与(あづか)らなかったわね。とにかく坐って。
 ドゥヴィルデ その競売の役人は、キャプランの名前は知っていた。だけど、彼の彫刻は知らなかった。それに、キャプランが彫刻の署名に使うモノグラムも。競売だから何でも売る。裁判所の命令で、今日売りに出す品物・・・高価な家財道具、贅沢品・・・一切合切を、昨日展示に出した。競売所をいつも覗いていたシュヴリロンが、そこで、あのバッカスの巫女を見つけて驚いたんだ。
 ロベール それはそうだろうな。
 ドゥヴィルデ で、シュヴリロンは競売の役人に、その彫刻の価値を教えて、キャプランの作品を扱っているのはこの私、ドゥヴィルデだと言ったんだ。競売の役人は早速私に電話してきて、この作品に興味があるか、それから、値段はどのくらいかと訊いてきた。びっくりしたの何の。すぐに競売所に駆けつけた。現物を差押さえて、なんなく競売品目から取除かせた。今現在、それは競売の役人の家にあって、キャプランが見に行っている。
 ポレット 今?
 ドゥヴィルデ そう、今。知らなかった? この時間を指定したのは私で、キャプランには言ってある、「私はその時間にはご一緒出来ませんが、お帰りになった時、こちらにいますから」と。あんた方お二人に、決して心配はいらないからと、どうしても予め知らせておかなくちゃいけないと思って。もう少しで会えないところだった・・・待たせてしまって・・・
 ポレット いいえ、全然。五分だけ。それで、その彫刻、本当に日本行きのものじゃないの?
 ドゥヴィルデ それは違います。見なくてもそれは言える。日本行きのものは、これは何度もお二人には話しましたが、私に連絡なしに、あそこから動くことはあり得ません。鋳造の質が、つくりが、全く違います。ブロンズは艶だしがしてなく、生地のまま・・・黄色い色・・・それに、印章が押してない。
 ロベール(安心して。)すると、競売にかかっている彫像は、オリジナル三個のうちの一つということか・・・
 ドゥヴィルデ いや、違う。オリジナル三個、日本行きのもの、以外に四個、石膏で作った彫像がある。つまり、キャプラン、君、マネッス、それから私、が持っている。今の話のものは、このうちの一つから作ったものだ。なぜなら、この四つには特徴があって、つまり、台座に鋳造あとの、ギザギザが残っている。親しい間柄の我々四人の所有のものなので、台座の仕上げまではしてなかった。競売所のブロンズでは、そのギザギザが確認出来た。
 ポレット(ドゥヴィルデを見て。)すると?
 ロベール ええっ、そんな!
 ドゥヴィルデ 従って結局、誰が出したかということになれば、マネッスだと・・・
 ロベール それはあり得ない!
 ドゥヴィルデ それなら他の誰だと言うんです?
 ロベール 僕には分らない。鋳造をやる職人が、ついでに
もう一個・・・
 ドゥヴィルデ(遮って。)職人が! そんな馬鹿な! 連中が聞いたら、あんた、絞め殺されてしまう。そんなことは決してやらないんだ、あの連中は。そう、いづれにせよ、こんな軽々しい、すぐばれるようなことは、連中はやらない。
 ロベール こんな馬鹿なことはね。
 ドゥヴィルデ マネッスのような、本当に単純そのものの人間でなければ、あんなものをパリに流して安全だなどと、とても想像は・・・
 ポレット でも、マネッスと限って考えることはないでしょう? その相続人かもしれないわ。あの人の甥御(おいご)さん・・・マネッスはこの甥御さんに家具調度、全部遺したんでしょう?
 ドゥヴィルデ(はっきりと。)あの甥はやりません。
 ポレット レオンが死んだ後だったら、あの彫像がどうなったかなんて、すぐ調べがつくんじゃない?
 ロベール(疑わしそうに。)そうだろうか・・・
 ドゥヴィルデ あれがどうなったかって? ほら、覚えているでしょう? マネッスは死ぬ二、三箇月前にキャプランに電話した・・・すっかり取り乱して・・・バッカスの巫女を床に落っことしてしまった。粉々に壊れて、もう箒(ほうき)で掃き寄せて捨てるしかないんだ、と。
 ポレット ああ、そう言えばそんな電話あったわ!
 ロベール 覚えてる。
 ドゥヴィルデ どうもあの事故が怪しい、と、キャプランも私も、今になって考えているんです。
 ポレット どういうこと?
 ドゥヴィルデ 石膏ですからね。取扱いも輸送も危険が伴います。ましてやそれで、鋳型を作って、ブロンズを拵えるとなれば、危険はさらに増す。可哀想に、マネッス、そういう危険も冒す決心を、つまり、あの像と別れる決心をして・・・
 ポレット(遮って。)売ろうっていう考えで?
 ドゥヴィルデ 誰かに・・・誰か、女性かも知れない。贈ろうとした・・・とにかく、あの像が彼の居間からなくなっていることは説明しておく必要があったんです。
 ロベール なるほど。
 ポレット でも、そんなこと、あの人がするかしら。キャプランの作はあの人、あんなに好きだったでしょう? それが・・・
 ドゥヴィルデ そう。でも、あの人が好きなものは他にもありましたからね。ほら、鼻が可愛らしく上を向いている女性・・・そういうのがいろいろいて、その中の一人がバッカスの巫女をすっかり好きになって・・・というような話、大いにあり得る。
 ポレット そうね。
 ドゥヴィルデ 綺麗な女の子に自慢の彫像なんか見せるからいけないんだよ、マネッスは。そしてとうとう女はそれを手に入れてしまった・・・
 ロベール(考えながら。)それから次に、その女の子が誰かに売って金にする、か・・・
 ドゥヴィルデ またはそのボーイフレンドか・・・
 ポレット 競売にかけられた家財って、誰が所有者だったの?
 ドゥヴィルデ 言わなかった? キャプランは。豪華な暮しをしていた飛行家でしてね、六十万フランの借金を抱えて、高飛びしたんです。勿論行く先は分りません。
 ロベール そいつは残念! バッカスの巫女をどこから手に入れたか訊けたのに。
 ドゥヴィルデ ああ、飛行家だからな、最後には必ず着陸することになっている・・・
 ポレット キャプランはこのこと、どう思っているのかしら。
 ドゥヴィルデ かなりな打撃だ。一番辛いのは、私の想像ですがね、マネッスの遣り口です。キャプラン、何て言ってました?
 ポレット さっきから言ってるでしょう? あの人、一言もこのことは口に出してないの。
 ロベール そうだ、食事の時も陽気だったな。こんなことを知ってたら、僕は来てなかった。
 ポレット まあまあ、あの人が塞いでいたのを知らなかったような口ぶり!
 ドゥヴィルデ えっ? 何か他に厭なことがありましたか?
 ポレット(溜息をついて。)焼き餅・・・いつもの・・・でも今回はかなり酷い・・・
 ドゥヴィルデ 深刻じゃないんでしょう?
 ポレット そうね、山を越えたらお知らせするわ。
 ドゥヴィルデ まさか。正当な根拠のある焼き餅ではないんでしょうね?
 ポレット 一昨日、仮装夕食会がエッシマンの家であって・・・私、他の女の人がやるようなことしかしていない・・・キスをしたい人にはさせて・・・
 ドゥヴィルデ 皆が見ている所でなら、それは大丈夫ですよ。
 ロベール 皆が見ている所・・・とは言えないな。
 ポレット 少ししか離れていない所よ、あそこは。ああいうパーティーでは、もうテーブルにつく前から誰もが皆酔っているんですからね。それに、そうでなくちゃ、楽しくないし。礼儀なんて多少はよそに置いて、翌日に影響が残らない範囲でかなり大胆に振舞うわ。
 ロベール それでもね、ポレット、かなりなものだったよ、あんたとモリッスは!
 ドゥヴィルデ モリッス? 誰? それ。
 ロベール モリッス・クザン。知ってるでしょう? 僕の友達。
 ドゥヴィルデ ああ、例の・・・
 ポレット 他の人達と違うことまではしてはいないわ。それにロベール、あんた、ベルジュロンといちゃいちゃして・・・おまけに私の項(うなじ)にキスしたわ、通り過ぎる時。ね? 義理の息子ちゃん。
 ロベール おお、驚かせたかな? 義理のお母ちゃま!
 ポレット そんな言い方で私を呼ばないで! いいえ、私、驚きはしなかった。でも、言うだけは言っておかなくちゃ。それから、キャプランだって、食事中ずっとジャンヌの肩、背中に手を滑らせて・・・
 ロベール それはちょっと違うんだけど。(ドゥヴィルデに。)実はね、モリッスとこの人(ポレットを指さして。)二人でソファに寝そべっていたんだ。暗いところでね。それを父親が見つけて・・・
 ドゥヴィルデ(非難の声。)ポレット!・・・ 
 ポレット 煙草よ。それにお喋り。それだけ・・・
 ロベール(皮肉に。)そうでしょうとも!
 ポレット 窓は開いていたし、バルコニーには私達の前に三四人、人がいたわ。
 ロベール そう。父親もそこにいた。そして見ていた。その時の焼き餅いっぱいの顔! モリッスを睨むあの目!
 ドゥヴィルデ そう、キャプランはモリッスにはそうだった、昔から。
 ロベール(ポレットに。)もう少し気をつけなきゃいけなかったんだよ。あの晩モリッスにべったりだったじゃないか。
 ポレット まづかったわ。
 ドゥヴィルデ あーあ、ポレット。それでキャプランは怒った?
 ポレット それはもう。品がない、と言うところまで。あの人独特の呼び方・・・(真似をして。)「ポレット!」・・・それで私が、すぐにはあの人のところに行かなかったので、さっと私の方へ飛んで来て、腕を鷲掴みにして、玄関まで引っ張って行って、誰にもさよならを言わず、超特急で出て行った。車の中で、まあ何ていう説教を聞いたんでしょう。酔いも何もすっかり醒めてしまった。
 ロベール ちょっと気がつくのが遅過ぎたな。
 ポレット お説教はなしにして貰いたいわ、ロベール。
 ロベール 説教なんか出来る身分じゃないよ、僕だって。モリッスが友達だっていうことだけで、こっちに飛び火しそうなんだからな。
 ドゥヴィルデ 偽(にせ)ブロンズ像がおまけにくっついていちゃ、余計だ。
 ポレット(立上がりながら。)私、もう行く。もうとっくに出ていなきゃならない時間。それに、偽ブロンズへの憤慨を私の口からわざわざ言いたくはないし。
 ドゥヴィルデ ポレット、偽はあれ一個だけなんだよ!
 ポレット(手袋を嵌めながら。)フランスに一個、外国で四個。
 ドゥヴィルデ(抗議して。)それは違う。あの四個は偽じゃない。悪く言ってもせいぜい「秘密の」だ。偽じゃない。
 ポレット(それには答えず。)さようなら、ドゥヴィルデ。またすぐ会うでしょうけど、ここからすぐのところだから。
 ドゥヴィルデ さようなら、ポレット。そんなに悩まないで。たいしたことじゃないんだ、全部。
 ポレット(扉の方へ進みながら。)さよなら、ロベール。
 ロベール さよなら! パパが帰って来て、「ポレットはどこ?」って訊かれたらどう言う?
 ポレット(苛々しながら。)訊かない、そんなこと。あの人、知ってる、着物の試着。
(ポレット退場。)

     第 二 場
 ドゥヴィルデ 彼女とモリッス、何でもないんだろう?
 ロベール(肩をすくめて。)そうでしょう。とにかく僕の関ることじゃないよ。
 ドゥヴィルデ 父親のことだぞ。無関心ではいられないだろう。
 ロベール 無関心でいられるとは言ってない。僕の関ることじゃない、と言ったんだ。
 ドゥヴィルデ 友達じゃないか。モリッスに訊いたら?
 ロベール あんた、知りたいのか? やっかんでるのか? あんたも。
 ドゥヴィルデ(作り笑い。)そんな馬鹿な!
 ロベール(腕時計を見て。)僕も行かなきゃ。時間だ。
 ドゥヴィルデ あんた、今・・・ここで昼飯を食ったって?
 ロベール そう、ここで。
 ドゥヴィルデ 映画の仕事は?
 ロベール 中止。資金不足で。連中、使い過ぎたんだ、最初から。
 ドゥヴィルデ じゃ、違う仕事にするんだな?
 ロベール 自分の知っている仕事を放り出すのは残念だからな・・・
 ドゥヴィルデ 知ってたって、それを生かせないよりは、知らないで、いろんな仕事をやってみる方がいいんじゃないか。私なんか、最初は法律、次に株屋だ。それから土地を売って、ルワンビルぢいさんの画廊を買うよう薦められるまで、あれこれいろんなことをやったんだ。
 ロベール(間の後。)あんたはね、ドゥヴィルデ、金を儲けるために金を儲けるっていう人間なんだよ。
 ドゥヴィルデ ほう、すると、あんたは何のために金を儲けるんだ?
 ロベール 使うためだよ。僕は儲ける喜びより、使う喜びの方が好きでね。
 ドゥヴィルデ それは普通だろう? そんな奴はいくらでもいるさ。
 ロベール 違うね。僕のような人間は少数派なんだ。
 ドゥヴィルデ 儲けないで使うのだけが好きっていう奴もいる。例の飛行家がそうだ。
(間。)
 ロベール 彼、独り者だったのかな?
 ドゥヴィルデ 誰? 飛行家?
 ロベール うん。家財道具一式・・・それは、独り者の家財だった?
 ドゥヴィルデ 分らない。細かく調べたがね。モロッコ産の高級な絨毯があったな。何故そんなことを訊くんだ?
 ロベール マネッスの女友達のことを考えていたんだ。結構、女飛行家といったところじゃないのかな。
 ドゥヴィルデ 女にもあの飛行家のような奴がいるかな?
 ロベール まあね。
(間。)
 ドゥヴィルデ おい、ロベール!
 ロベール えっ?
 ドゥヴィルデ ふっと頭に浮んだんだがな。馬鹿な考えだ。だけど相手があんたなら、言うのも平気だ。ひょっとしてあの偽のブロンズ、あんたの仕業(しわざ)じゃないのか? 私になら言えるだろう? 私なら・・・たとえあんたが(やっていたとしても)・・・
 ロベール(遮って。)ドゥヴィルデ、僕の方が同じ質問をあんたにしたら? それに、この考え、たいして馬鹿げてもいないと思うんだが?
 ドゥヴィルデ(肩をすくめて。)おいおい、私は別に、君を怒らせようと思ったんじゃないんだ。君と二人きりになったので、用心のために訊いてみたんだ。さっきから君、なんだか心配事があるような顔をしていたからね。
 ロベール 心配事はあるさ! しかし、この話とは全く別のことだ!
 ドゥヴィルデ 分った。じゃ、その心配事を聞こう。それから、安心してくれていい、今言ったのは本当にフト浮んだものだ。マネッスの仕業としか、私はついさっきまで考えたことはない。君がさっき聞いた通りだ。(扉に音がする。)ああ、キャプランだ。

     第 三 場
 ドゥヴィルデ(キャプランの方に進んで。)どうでした?
 キャプラン ああ、気違い沙汰だ!(ロベールに。)話は聞いているな?
 ロベール うん。
 ドゥヴィルデ(キャプランに。)台座にあのギザギザ、見ましたね?
 キャプラン 見た。確かにマネッスの仕業だ。証拠を見つけた。悲しいことだが。髪に少し欠けている部分がある。髪の房の先の方にな。マネッスの家で、それに気がついていた。あのブロンズを見ていたら、そのことを思い出したんだ!(間。それから、怒って。)それからドゥヴィルデ、君は私に言ってなかったことがあったな! あれの素材だ、問題は!
 ドゥヴィルデ 未精錬の金属だ、とはお話した筈です!
 キャプラン 未精錬! 未精錬ならまだしもだ!(ロベールに。)ロベール、お前にも見て貰いたいな。
 ロベール 見ます。
 キャプラン(続けて。)あれはブロンズじゃない。黄色の銅だ。そいつに艶だしをしている。まるで扉のノッカーだ。あんなものを作りやがって・・・どこのどいつだ。仕上げにはニッケルメッキ! ああ、ドゥヴィルデ、必ず犯人は捜し出してやるぞ! そいつは私の作品を盗んだばかりでなく、作品を変質させ、元の作品を侮辱しているんだ! そこが私には最も大事なところなんだ!
 ドゥヴィルデ(皮肉に。)やった奴は、綺麗なものを作ったつもりでいるんでしょうが・・・
 キャプラン 型(かた)もなければ線もない。鏡でも作っているつもりか。原型を思い浮べようとすれば、穴ぐらにでも持って行かなきゃ・・・いや、それでもまだ無理だ。
 ロベール それで、どうするつもりなんです?
 キャプラン 私には想像もつかない! 検事に訴訟状を出すのか? ドゥヴィルデ。
 ドゥヴィルデ そうですね。まづそれは問い合せてみます。でもとにかく、競売の役人に、すぐ例のブロンズを差し押えて貰わなければ。
 キャプラン それから、マネッスが自分の彫像を誰にやったか、それを知る必要がある。奴が自分で複製を作らなかったと仮定しての話だが。
 ロベール まさか、そんなことをマネッス自身が・・・
 キャプラン いや、しないとは限らない。こうなったらあらゆる可能性をあたるばかりだ。それから、捜せば必ず鋳造の職人がいる筈だ。人の善さにつけこまれて妙な仕事をさせられた職人がな。
 ドゥヴィルデ マネッス家の人間にあたる必要もあります。コック、それに家政婦・・・何と言ったかな?
 ロベール ジュリア。
 キャプラン いい考えだ。面倒なことだろうが、調べれば行き着く筈だ。ロベール、お前は当面仕事がなかったな? この二三日、こいつにかかって貰いたい。
 ロベール 分った。
 キャプラン マネッスの甥に会って来い。それから、アパートの管理人にも。調べるんだ。鋳造の職人達にも電話しろ。そんなに大勢はいない。
 ドゥヴィルデ 連中には私が。
 ロベール 彫像が壊れたと電話して来たのはいつだった?
 ドゥヴィルデ 一年以上経つ。
 キャプラン いや、もっとだ。レオンは三月に死んだ。ということは、それからでも十四箇月は経っている。「バッカスの巫女」のことで電話か・・・あ、そうだ! 十二月だ。そう、十二月の終にかけてきたんだ。一月一日にみんなであいつのところへ行くことになっていた。だから、彫像がなくなっていることを前もって説明しておこうとしたんだ。そう、それから電話は、火曜日だった。変だなと思ったんだ。翌日の水曜日にはここでみんなと食事だ。その時に話せばすむことなのに、と。ただ、それぐらいあの彫像に愛着があったんだなと思っていた。本当は違う。電話の方が嘘が言い易かっただけだ。その後からもえらく残念がって、長々くどくど、壊したことを悔んでいた。それで私は、もう一つ作ってやると約束した・・・実際、もう少しあいつが長生きしていれば作ってやっていたところだ。それをやらなかったことで、私はどれだけ後悔したか・・・やれやれ!
 ドゥヴィルデ そんな自慢話のような、後悔のような・・・駄目ですよ。それにしてもマネッス、事の重大さをどの程度認識していたか。(ロベールに。)そうだな?
 ロベール たいして考えてやしなかったでしょう。
 キャプラン 違うぞ。私に嘘をついたことだけは気にしていた筈だ!
 ドゥヴィルデ(冗談の口調で。)とにかく、ピカピカに磨かれたこの偽バッカスの巫女は、流通機構の流れに乗ったんです。調べるしかないですね。フルカッド弁護士にはもう話してあります。今頃は私を待っているでしょう。行って来ます。話がすんだらここにすぐ電話します。
 キャプラン(ドゥヴィルデの話を聞いていない。)そうだ、それに一個だけとは限らんぞ。二十個・・・いや、五十個・・・おまけにその中のいくつかは、細かく切られてラジエーターの栓になっているかもしれんぞ。
 ドゥヴィルデ まあ、そんな話は無理だと思いますがね。とにかく調べれば分ることです。
 キャプラン この話が新聞などで公けになったら?
 ロベール 酷いことだ、それは。
 ドゥヴィルデ まづいでしょうね。キャプラン作のものが、値段がた落ちですよ。ですからとにかく、一番肝腎なのは、オリジナルの三個の所有者に、どうしてもこの話が流れないようにすることです。
 キャプラン そうだな。
 ドゥヴィルデ どうか御心配なさらぬよう、キャプラン大先生。すぐ弁護士のところへ行って来ます。飛行家のことなんか忘れて、仕事に励んで下さい。あいつのとばっちりは、ここまでは降りかかりはしません。じゃ、失礼しますよ。(ロベールに。)ああ、行って来る。
 ロベール じゃ。
(キャプラン、ドゥヴィルデを送って一旦退場。その間ロベール、あくび、それから、伸びをする。何か心配そうな様子。キャプランが再び登場する時、丁度煙草に火をつけているところ。)

     第 四 場
 キャプラン ああ、私にも一本頼む!(ロベール、一本渡し、火をつけてやる。)有難う。ポレットは外出か?
 ロベール うん。試着とか何とか言ってた。
 キャプラン そうだったな。聞いていた。(坐る。)全く酷い話だ。うんざりしてくる。(間。)マネッスの仕業だという点に疑問はないか? お前は。
 ロベール ありませんよ。女友達のためにもう一個お父さんに頼んで来た筈ですよ、ただ壊しただけだったら。
 キャプラン まあ、頼まれても断っていただろうがな。
 ロベール それはそうです。でも「壊した」なんていう言い逃れはそんなに悪くはありません。
 キャプラン(苛々して。)お前はこのことを、その程度にしか怪(け)しからんと思っていないのか。まさか、正しいことだと思っているんじゃないだろうな?
 ロベール 正しいか正しくないか、それは結果でしか判断できませんよ。
 キャプラン そうか、結果が手段を正当化するというんだな? 全体としては結局、善悪の把握は出来ない。詐欺でもうまくやったら、そいつは立派な男ということか。
 ロベール あのバッカスの巫女が本当に好きでたまらなくて、それからまた、それを使って金を儲けるなど、決して出来ない人間が、あのマネッスの彫像を持っていたとしたら・・・マネッスのインチキもお父さんにとっては、まあ、かなり同情出来るものになるのではありませんか?
 キャプラン(怒鳴る。)違う! それは違う! 確かにその人間に対しては少しは同情するかもしれん。しかし、それだけだ。問題はその人間ではなくマネッスだ。マネッスが私を騙した。私に一杯食わせたんだ。それが何のためであれ、そんなことは問題じゃない。三十年の友情を死ぬ直前に汚(けが)し、冒涜したんだ。
 ロベール(抗議して。)それはそうでも・・・
 キャプラン あいつは妙な奴だった。酷いことを言ったり、しでかしたり。私はショックを受けたものだ。しかし、その度に何かほろりとさせることをやってのける。結局それはあいつの心が心底いいからだと思ってきたのだ。私の取り巻きの中で唯一人の・・・ああ、お前の母親もそうだが・・・信頼のおける人間だと、死んだ時には泣いたのだ。
 ロベール(小さい声で。)母のことは・・・どうも。
 キャプラン それが、あのペテンで・・・あの名人芸で・・・ついに馬脚を現す、か! 壊したと言った時から三週間、あいつは泣き言の言い通しだった。「何ていう神聖なものを私は・・・」とあいつは言っていた。「だってあれにはあなたの魂がこもっているんですから」とも。私が慰めれば慰めるほどあいつは嘆いた。あの田舎芝居をいつ止めるのか、見当もつかなかった。
 ロベール あの人のスタイルでしたからね。いつも友達の表現を大げさにやるのが・・・
 キャプラン 今日になってそれに何の価値があったか、疑いを持ってきたんだ!
 ロベール ですけど、あの人がお父さんを尊敬していたこと、それは疑う余地はありませんよ。
 キャプラン 信じていた、私も。あいつだって、自分はキャプランを尊敬している、と信じていたんだ、きっと。考えてみれば馬鹿なことだ。私の自尊心をくすぐることによって、古くからの私との絆(きづな)をネタに、結局は自分の自尊心をくすぐっていたんだからな。
 ロベール 違う。彼の神様だったんだ、あんたは。
 キャプラン その神様を、たった一度とはいえ、あいつはペテンにかけたんだ。それも、それへの崇拝を逆に利用してな。「崇拝を逆手(さかて)に取る」これがその事情をうまく表現している。
 ロベール 愛している相手をそのまま愛しながら、騙す、ということもあり得る人です。
 キャプラン そうらしいな、確かに。ポレットがもうその話はしてくれている。同じ話をそのうちお前から聞くことになると思っていたよ。
 ロベール 何故です。
 キャプラン お前が嘘をつくからだ。ポレットよりもっと頻繁にな。お前の嘘はポレットの嘘よりは軽いものだ。しかし回数はずっと多い。
 ロベール その嘘は、僕が自分のためについていると思っているんですか。
 キャプラン いや、多分私のことを思って、だろう。だから私も、大抵の場合それに気づかないふりをしている。(間。)私に幻滅を味(あじわ)わせてくれる人間はいくらでもいる。お前やポレットの他にもな。しかしマネッスには、これまでにない最大の幻滅を味わされた。同じ事柄でも、その起きた時によって重大さは違って来る。一昨日、エッシマンのところでどんちゃん騒ぎのパーティーがあった。お前も行ったな。昨日はその翌日だ。私は前の日のことを思い出して、実に不快な、悲しい気分になっていた。何かに縋(すが)りたい気分だった。たとえ思い出でもいい、何かしっかりした純粋なものが欲しかった。それでマネッスを、マネッスの友情を思い出していた。「ああ、あいつ、私の彫刻を感じてくれるようにはなっていたろうな。理解は出来なくても、少なくとも彫刻への愛着ぐらい」とな。一時間後だ、ドゥヴィルデが、競売所から帰って私に電話して来た。その後、シュヴリロンからもかかって来た。「バッカスの巫女を見つけた。それで、私のファンの一人があのブロンズをほしがっている。馬鹿な話ですね」とな。あいつ、酔っぱらっていたに違いない。
(間。)
 ロベール それで・・・すぐマネッスがその・・・やったと思ったんですか?
 キャプラン いや。(間。)マネッスの可能性だけは全部捨てて考えた。今の今まで捨てていた。しかし、レオンの複製にあの傷があるとなると・・・(間。)だいたいあの傷はどうやって出来たんだ・・・女が来て、彫像を見せる時だって、あいつなら必ず正面だ。背中の方を見せるなどあり得ない・・・
 ロベール 髪の部分が欠けているっていう話でしたね? 頬から肩の方に垂れている・・・
 キャプラン そうだ。お前も見たのか?
 ロベール(覚悟を決めて。)お父さんの間違いです。それはマネッスの彫刻ではありません。僕のところにあるやつです。
 キャプラン お前のところ? あの彫像をお前にやってから・・・つまり、二年前だが・・・それ以来私は、お前の家に行ったことはないぞ。
 ロベール いいえ、レオンの家からの帰りに家に寄りました。あれは日曜日だった。ポレットと僕、三人で行って、二人が僕を家まで送ってくれた。煙草を一本吸いませんか、と僕が誘って、家に上ったんです。髪の傷は家の女中が間違って壊したもの・・・
 キャプラン(一瞬呆然とするが。)するとお前だったのか! 結局、お前が! ああ、すぐに思いついたのはお前だったんだが・・・
 ロベール(押殺すような声。)僕の方がよかったでしょう? 僕になら、何の幻想も抱いてはいないですからね。
 キャプラン そうだ。一旦はお前だと思ったんだ。しかし、よく考えてみると、あまりにも無理な話だと思えた。お前は用心深いから・・・いや、違う。お前はリスクが大きいのをよく知っている、そう思ったんだ。情けない! よくあんな、落着いた顔がしていられたものだ!
 ロベール 表面だけですよ。
 キャプラン これからの調べの話を、ドゥヴィルデと三人で話していたな。その時お前は・・・
 ロベール 僕は何も言わなかった。
 キャプラン そう、何も言わなかったな。こっちの誤りを指摘する言葉は!
 ロベール ドゥヴィルデの前では厭だったんです。
 キャプラン それに、さっきだって、すぐには白状しなかたぞ。亡くなったあの男を私が非難しているのを見て、お前は平気だったのか。
 ロベール(ぶっきらぼうに。)平気じゃない。だからちゃんと名誉は恢復させたんだ。
 キャプラン 何て奴だ、お前は! それにしても、どうして白状する気になった。私のあまりの憤慨に、黙っていられなくなったな? 憤慨も効き目があったという訳だ。それとも、怖くなったか。鋳造者の自白が・・・検事が・・・共犯者が・・・仕舞には見つかる、そう思ったんだろう。
 ロベール いや・・・何も怖いとは思わなかった。マネッスの仕業だと確信をもって僕らに話した時、最初はホッとした。それから・・・
 キャプラン それから?
 ロベール ・・・うんざり、になったんだ。
 キャプラン 何にだ。お前自身にうんざりしたのか。
 ロベール その、レオンに対する不当な非難にだよ。
 キャプラン(怒って。)不当な非難!
 ロベール 分るだろう? 僕はマネッスを守ろうとしたんだ。もし、「ああ、マネッスの奴、おっちょこちょいなことをやったな」という程度だったら、僕は何もしやしなかったさ。マネッスの名誉にまで傷がつかなきゃね。だけど、彼は正真正銘の「くづ野郎」になって、一度死んだだけでなく、二度までも死ぬ目に遭(あ)いそうになった。それで僕はもう、迷うことはなかったんだ。
 キャプラン 実に寛大・・・寛大そのものだ。
 ロベール いや、スポーツマンシップだ。
 キャプラン ほう。
 ロベール 僕がインチキをやったとしても、そんなに驚くことじゃない。そうだね?
 キャプラン それはそうだ。
 ロベール(苦々しく。)だから、悲しむことだって少なくてすむ。あのことがあってすぐ頭に浮んだのはこの僕なんだろう? それぐらいだから、僕がやったって、今までの評価より下に落ちることはあり得ない。ということになれば・・・
 キャプラン 自分を蔑(さげす)んでいい気になるな!
 ロベール(続けて。)ということになれば、裏切りだの、騙されただの、感傷はなしだ。ありふれた、ちょっとした詐欺行為。自分の息子が、親が思っていたより少し馬鹿だったというだけの話だ。
 キャプラン 何だ、大きな口を叩いて! お前はこの私に教訓をたれるために嘘の自白をしたと言うのか!
 ロベール いや、残念ながら・・・まてよ、これは幸運にも、と言うべきか?
 キャプラン じゃ、早く言え。ここからお前を追い出す前に、あのブロンズを鋳造したのはお前なんだな?
 ロベール いや、それは違う! 僕はそれほど馬鹿じゃないし、それほど質(たち)も悪くない。
 キャプラン じゃ、お前の持っている彫像を誰かにやったのか。それとも売ったか。
 ロベール いや、あれは手放したくはない。愛着がある。
 キャプラン じゃどうした。早く言え!
 ロベール 石膏の像をあれでもう一つ作った。
 キャプラン そうか。やったんだな! 一個か? いや、いい機会だ、何個も作ったな。何個だ!
 ロベール 一個だけ。鋳造屋に聞けば分る。
 キャプラン 鋳型はどこにある。
 ロベール 家に。いつか渡すよ。
 キャプラン 何故壊さなかった。いつかまた使おうと思ったな。
 ロベール それは違う。・・・いつかは壊そうと思っていたんだ。
 キャプラン 嘘つきめ! それで、出来た像は。
 ロベール それがどうもよく分らない。その像が後でどうなるかなんてことはとても考えられなかった。そうでなければあんなことはしやしなかった。アメリカ人の女の子にやったんだ。僕のところにお茶を飲みに来た、映画女優だ。
 キャプラン ああ、それで、女は身体で払ったんだな?
 ロベール そんなんじゃない。複製を渡したのは金が必要だったからだ。彼女がアメリカに発つ時、僕がちゃんと包装した。そいつを送らせたさ。
 キャプラン(怒って。)後先も考えない、酷いやり方だ! その複製でまた何個複製を作るか、知れたものじゃないのに!
 ロベール 僕には分っている。多分・・・
 キャプラン 後のことは何も考えなかったと言うつもりか! どうでもいいんだな? お前は。幸せなものだ。金が必要だったんだからな。
 ロベール そう、僕は金が必要だった。金がないと・・・
 キャプラン 今の若い奴ら、金のためなら何でもやる。お前もその仲間だ! 同じ詐欺なら、私の贋複製を作るより、贋金でも作ったらどうなんだ。
 ロベール 贋金は難しい。
 キャプラン(殴ろうと、手を上げる。)何を・・・
 ロベール どうして僕を怒らせるんだ。
(間。)
 キャプラン お前が食うにも困って二進(にっち)も三進(さっち)も行かないというのなら、話は分る。言い訳も不要だ。しかし、私がお前に金を断ったことがあるか? 失業している時・・・四箇月のうち三箇月は失業中だが・・・そのお前に・・・
 ロベール 分ってる。金を断られたことはない。だけど頼みに行くのが厭なんだ、すごく。
 キャプラン 何故!
 ロベール 僕を馬鹿にする。仕舞には怒らせるんだ、毎回!
 キャプラン 本当のことを言うと人は怒るものだ。いいか、お前の年で、健康で、教育もあって、それで自分の食い扶持(ぶち)が稼げない・・・変だとは思わないのか。
 ロベール 変だと思っているさ! だから愚痴もこぼす。僕の責任じゃないからだ。
 キャプラン ほう、私の責任だと言いたいのか!
 ロベール そうだ。一部はそっちに責任がある。
 キャプラン そうか。お前のその品のなさと怠け癖を支えてやったこの私に責任があるというんだな。
 ロベール 怠け癖なんかない! 僕は昔から怠けたことなんかないぞ! リセ(中学校)では、あらゆる知識を吸収しようと貪欲だった。僕の将来はその知識にあると思っていたんだ。バカロレアは「優」の成績でパスした。ギリシャ語では賞を取ったぐらいだ。覚えているだろう? すごく喜んでくれたじゃないか。今じゃ、アルファベットしか残っちゃいない。賞の賞品も売っぱらった。三フランだったよ。バカロレアの証書も結局、運転免許の価値さえありはしなかった。ルーブル美術館の学校へ行けと勧めてくれたな。あそこはうまく行かなかった。もっと活動的な、生き生きした仕事がいいと思ったんだ。それで写真を、映画撮りを学んだ。
 キャプラン 面白いと思ったことしかしない奴なんだ、お前は!
 ロベール その点じゃ、そっちもこっちも同じだ。僕は自分で面白いと思ったこと、自分が愛せる仕事をしたかったんだ。
 キャプラン そいつがみんな、思惑が外れたんだ!
 ロベール 僕の年代の男で、僕だけが職にあぶれ、僕だけが思惑外れになっていると思っているのか! それに、残っている職業と言えば、せいぜいが小中学校の先生か、軍隊だけじゃないか!
 キャプラン 社会全般の話など何の関係がある。そんなのは逃げ口上だ。私はな、私の父親が私にしてくれた十倍も、お前には手をかけているんだ。今日この日まで、私は自分の財布から、お前の教育費と、カメラマンになるための研修費、衣食住、それに娯楽、全部の費用を出してきたんだ。その見返りにお前が私にしたものは何だ! 事ある毎に嘘をつき、騙し、おまけにこの詐欺だ。
 ロベール そんなことはない!
(この時ポレット登場。扉の近くに立ち、呆然としている。帽子も手袋も外していない。キャプラン、ポレットに気づくが、無視。ポレットに背を向け、ロベールに相対し、ロベールを詰(なじ)る。)

     第 五 場
 キャプラン この私の名を汚し、この私の作品を汚すだけじゃない、お前はこの私の家庭まで汚そうとしている。この家にあのお前の同類の男を引っ張り込んで、その男はついにポレットのイロになった。知らぬとは言わせないぞ。
(ポレット、キャプランの見えないところで、ロベールに、指と頭で、激しく否定の合図。)
 ロベール 誰の話だ、それは。
 ポレット(わざと陽気さを装って。)モリッス・クザンの話!
 ロベール(肩をすくめて。)ああ!
 キャプラン ちゃんと私には分っているんだ。
 ロベール モリッス・クザン、あいつはポレットのイロなんかじゃない。ただの友達だ。それは分っている。
 キャプラン(馬鹿にして。)何が分っているやら。お前の言うことなど・・・
 ポレット ロベール、黙って! 何て馬鹿な話。何てみっともない話でしょう。
 ロベール モリッスは別に大事な女友達がいる。僕はその女の子を知っている。
 キャプラン それがどうしたって言うんだ。
 ポレット ジュリアン、あなた、自分の子供と、それとは違う話をしていたんでしょう? ごちゃ混ぜにして、どうしてそんなことを話題にするの? おまけに、私のいる所で。
 キャプラン ごちゃ混ぜになどしておらん! 自然にこの話になるんだ!
 ポレット それで一体、何の話から? 階段からでも怒鳴っているのが聞えるわ。
 キャプラン 何の話から? お前、分らないのか。競売のブロンズは、ご立派なこのロベール様の仕業だってってことさ。
 ポレット(呆れて。)まさか!
 ロベール いや、僕だ。僕の石膏の像を、ハリウッドのアメリカ女優に売ったんだ。
 キャプラン 映画の仕事が、少なくとも、ある関係を作るには役立ったってことだ。
 ポレット マネッスではあり得ないと思っていたけど、ロベール、あなたが・・・
(ポレット、溜息をつく。機械的に帽子を脱ぎ、それを持って玄関ホールに退場。)
 キャプラン(ロベールに。間の後。)いくらで売ったんだ。
 ロベール 一五00。
 キャプラン ドルか。
 ロベール いや、フラン。
 キャプラン(怒る。)一五00フラン! 鋳造費も出やしない。あのバッカスの巫女を、汚して、鋳造して、詐欺行為を行って、それで一五00・・・私には愛着があるんだ、あの像は。それをお前が好きだという振りをしたから、やったんだ・・・
 ロベール 振り、なんかじゃない。
 キャプラン 一五00フラン! 自分の名誉を安く売ったものだ! 名誉はもうあまり残っちゃいないな! それに、彫刻に対する愛情だって・・・子供が親に感ずる愛情だって、言わずもがなだ!
 ロベール(疲れ切って。)もう僕は行く!
 キャプラン(怒鳴る。)行け、行け!(ロベール、扉の方へ進む。)ちょっと待て。タクシーで帰って、バッカスの巫女の鋳型を持って来るんだ。すぐにだぞ! 待っている。それから、もう二度とこの家に足を踏み入れるな。私がいようといまいと関係なくだ。それから、以後私に頼る事は出来ぬぞ。どんな物でも、どんな事でもだ。分ったな。
 ロベール 勿論だ。そのつもりでいる。
(ロベールが退場する時、ポレット登場。ロベール、ポレットの前を通る。)
 ポレット(心配そうに。)行くの?
 ロベール 戻って来る。一旦は。
(ロベール退場。)

     第 六 場
(長い間。キャプラン、部屋を歩き回る。ポレット、坐って、爪を調べている。平静を装うため。)
 ポレット ジャニンヌの家へ行ってたの。試着で。
 キャプラン 知ってる。(間。)今日は金曜日だ。管理人のところへ行って来たか?
 ポレット 行かなかったわ。
 キャプラン 勿論忘れたんだな、いつものように。あそこは火曜日も受付ける。間違いなく火曜日に行け。ちゃんと手帖につけておくんだ。
 ポレット 忘れてはいなかったわ。行きたくなかっただけ。
 キャプラン 何故だ。
 ポレット 行くって、あなたに予め言っておかなかったから。
 キャプラン 言わないで行くとどうなるというんだ。
 ポレット この間のように、三十分以上も待たされたら、あなたまた思うでしょう? 私が恋人の誰かに逢っているって。
 キャプラン(間の後。)二日経てばそんな心配はもういらなくなる。私は出発する。
 ポレット 出発? どこへ。
 キャプラン グラン・ブレオだ。キャサン一家に会いにな。(ポレット、身を震わせる。)ああ、二年前の時のように、あんなに長くじゃない。そんな必要はない、今回は。二三週間だ。意志が弱いままあそこからここに帰って来て送ったこの二年間の生活と、それ以前に送っていたアトリエでの一人での生活、その二つの生活の間の余白を埋めようと思っているんだ。
 ポレット(ぎょっとして。)それで、私は?
 キャプラン 好きなようにしたらいい。私には関係のないことだ。
 ポレット ジュリアン!
 キャプラン したいことをするんだ。誰とでも、好きなようにな。今までと、そう変ったところはない。ただ、少なくとも、私を騙す必要はこれでなくなる。
 ポレット(泣き声で。)あなたを騙したことなんかないわ、私。二年前、あの馬鹿なことをした時、私、ちゃんとあなたに言って、それから出たわ。
 キャプラン つまりアンジャルバンは他の連中よりは汚くなかったということだ。あいつは私の弟子であることが厭だったし、私のテーブルで食事をするのも終にしたかった・・・
 ポレット 他の連中・・・誰? その、他の連中って。他には誰一人いないわ!
 キャプラン 嘘をつくことはない。もう駄目だ、全く。お前を引止めもしないし、私にそれだけの価値があるとお前に認めさせようとも思わない・・・
 ポレット あなた馬鹿よ、ジュリアン。私の言うことを信じなきゃ! モリッスと私の間には、何にも・・・本当に何にもないの。誓って言うわ!
 キャプラン いや、あったんだ。
 ポレット 私、モリッスとはしょっ中冗談ばかり言ってきた。他の友達とも同じだけど。そんな罪のないお喋りにいちいち言い訳なんか必要ないと思っていたわ。モリッスなんて、ただの大きな赤ちゃん。面白いけど、上っ面だけの子供・・・
 キャプラン 御婦人連は、その「面白い上っ面だけの子供」が、お気に召すらしいからな。とにかくお前がモリッス・クザンと交わしたような会話は、その女がその男と既に出来ていなければあり得ない。それにお互いを「あんた」「君」で呼びあいはしない・・・
 ポレット(遮って。)誰だってやるわ、「あんた、君」は!
 キャプラン 「私の可愛い人」などと相手を呼びはしない。それに、相手の肩にしなだれかかって、キスを求めたりはしない!
 ポレット 私、酔ってたの。そのことは私、何も覚えてないわ。
 キャプラン すると「シャンティイ(訳註 最後の「イ」にアクセントあり。)でのいかした夕食」の時も、お前は酔っていたのか。
 ポレット 何? それ。
 キャプラン 分る筈だぞ。一言一句違わない言葉でお前、あいつに言っていたじゃないか。「あんた、覚えてる? 私の可愛い人。あのシャンティイでのいかした夕食」。
 ポレット(急に思い出して。)ああ、あの夕食、あなた、覚えてないの? 私とロベールとモリッス、三人で、シャンティイの競馬場に行った。それで一0五フランあてた。それで三人、剛勢に食べたわ。それはあなたに電話してあった。その夜あなたは「ロダンの友人達」っていう晩餐会があって、あなた、とても遅く帰って来たけど、私はその一時間前には家に帰っていたわ。
(間。)
 キャプラン この間の晩は、お前とモリッス、一時(いっとき)だって離れはしなかった。それに、最初、酔ってもいなかったぞ。
 ポレット そこよ、あなたに言っておかなきゃいけないのは! 夜会で、ある男とある女が、他の人を避けるようにしていると、あなたはすぐ、その二人には関係があると決めてかかる。いい? もしモリッスが私につき纏って放さないんだったら、そして私が用心も何もしていないであなたが不愉快だったら、さっさとあなたがモリッスにそう言えばいいの、或いは私に。夜中の一時半になってやっと言うなんて遅過ぎなのよ!
(間。キャプラン、坐る。両手で頭を抱える。)
 キャプラン ああ、何を信じたらいいんだ! この二日間、同じ考えが頭の中をぐるぐるぐるぐる・・・おまけにこれが初めてじゃない。厭な考えに付き纏われて暮すのは・・・時々偶然に、裏切り、嘘、を見つける。だが確かなものじゃない。何かしら私の知らないことが出てきて・・・
 ポレット(悲しそうに。)私、嘘をついたことは一度もない!
 キャプラン やれやれ。
 ポレット そう。大事なことでは決して。それに、狡い嘘も。私、隠し事はする。でもそれは、あなたを愛しているからこそなの。(キャプラン、苦い笑い。)そうよ、ジュリアン。あなたを失望させたくないから。あなたに心配をかけたり、苛々させまいとしてなの。
 キャプラン その配慮がとんでもないところまで行ってしまうからな。
 ポレット 私の言っている意味はあなた、分ってる筈よ! 酷く高い買物をする。そうしたら私、言わない。こっそり始末する。あなたの嫌いな人と会わなきゃならなくなった時、あなたには黙って、お昼に会ってすませてしまう。私が・・・
 キャプラン 結局、私に嘘をつく程度には愛しているというわけだ。そこはロベールも同じさ。あいつはモンパルナッスのカフェにいる、オートイユの競馬場にいる、私にはジュワンヴィルのスタジオにいると思わせておいてな。私に気をつかっているからだ。私の彫刻をだしに、自分の小遣い稼ぎをやる。それは私の懐(ふところ)を傷める回数を減らそうとしてだ。
 ポレット(独り言のように。)ああ、あの子、何故あんなことを! 何て馬鹿な!
 キャプラン 「馬鹿」・・・お優しい表現だ。馬鹿ぐらいですむとは。
 ポレット(自分の考えの筋を追って。)あの子に無理矢理に白状させたの? あなた、あの子が怪しいと思ったの?
 キャプラン いや、自分で白状した。勿論その方が賢いに決っている。どうせ分ることだ。最後にはどうせ分ってしまうことなんだ、ポレット。
 ポレット(間の後。)あなたをこれ以上騙しておけなっくなったんだわ。
 キャプラン お前にもあるんだな? 私を騙しておけなくなることが。
 ポレット ええ。
(ポレット、泣き始める。)
 キャプラン(ポレットに近づいて。困って。)どうして泣くんだ。
 ポレット だって・・・
 キャプラン 「だって、私、嘘をついたから」か? モリッスのことで。
 ポレット 違う! それは違う! そのことでは嘘をついてないわ。別のこと。今話します。
 キャプラン(泣かれるので困って。ポレットの傍に坐って。)じゃ、話して。だけど、泣くな! さあ、さあ、泣くのは止めて・・・
 ポレット 私がやったこと・・・いえ、私達がやったことで・・・あなた、怒るわ。
 キャプラン 私達? 誰だ、共犯者は。
 ポレット(躊躇った後。)ドゥヴィルデ。
 キャプラン(呆れて。)ドゥヴィルデ! 裏切ったのか、あいつと・・・お前は。
 ポレット 違うわ! あなた、すぐあのことしか考えない!(間。)複製! ドゥヴィルデと。
 キャプラン(立上がり、部屋を歩き回る。)ああ・・・ご立派! いつもはあいつ、一人でやる。それが、お前に見つかって・・・それでお前を巻き込んで・・・
 ポレット(遮って。)黙って。聞いて頂戴。二年前のこと。私が・・・あなたがグラン・ブレオに行っている時。私はここに帰った。すっかり途方にくれて。これからどうしようかと・・・
 キャプラン うん、それで?
 ポレット お金が必要だった。
 キャプラン それでドゥヴィルデに?
 ポレット あの人、貸してくれた。でもその後、借金の返済を楽にするためにと、こっそりブロンズを複製しようと・・・
 キャプラン 何のブロンズだ。
 ポレット(小さい声で。)バッカスの巫女の・・・
 キャプラン 何だって? あの悪党め! 私のいないのをいいことに、企(たくら)みおったな。おまけに危険を減らそうとお前まで巻き込んで。それでお前は・・・
 ポレット ・・・のったわ。日本からの要請があったって。何個か行ったけど、日本からこっちには帰ってくることは決してないからって・・・私に売値(うりね)の半分をくれたの。
(ポレット、泣く。)
 キャプラン(間の後。哀感を込めて。)ああ、またバッカスの巫女か。それでお前、やっと二年後になって・・・
 ポレット(遮って。)私、何度あなたに打明けようと思ったか分らない。でも、打明けて気が楽になるのは私の方。あなたには苦しませるだけ。そう思って止めたの。
 キャプラン 立派なもんだ! で、今日は?
 ポレット あなたが私に言ったいろんな酷い事、それを釈明するためには、この詐欺の話をするしか方法がなかった。あなたが知らない私のついた嘘、私の隠し事の中で、この詐欺の話だけ。他には何もないの、ジュリアン! あなたに白状して、私の身が危険になるようなことは・・・ロベールはマネッスを救うためにあの話をした。私も話すしかなかった。私の気持を楽にさせるため・・・それだけじゃない、あなたに私が嘘をついていなかったことを信じて貰うため、あなたの際限ない疑惑を晴らすため・・・(間。)あの、競売場でのバッカスの巫女の話が出た時、「あっ、日本以外にもあの像が」って、すぐドゥヴィルデの仕業だと思った。それで、私も共犯っていう考えが重くのしかかって・・・
 キャプラン あの複製はドゥヴィルデのではあり得ない。あいつは自分のいかさまには細心の注意を払う。お前、何か私に隠してはいないか? ポレット!
(キャプラン、ポレットに近づき、じっとポレットを見る。)
 ポレット(長い間の後、キャプランの方に目を上げて、非常に神妙に。)許して下さる?
 キャプラン 何をだ。
 ポレット 今言ったあれ。複製でお金を儲けたこと! 私、簡単にはドゥヴィルデの言うことを聞いた訳じゃないわ。危険は少ないと、いろいろ説明したの、あの人。それに、あなたに分ることは決してないって、何度も繰返した。あなたの人生からも、あなたの心からも、遠く退(しりぞ)けられて、私、あなたにとって何の価値もなくなって・・・
 キャプラン お前の敵になってしまったんだな、私は。
 ポレット(大きな声で。)とんでもない! そんなこと。あなたにはよく分っているでしょう?
 キャプラン(ポレットの顔を両手で挟んで、じっと見て。)ポレット、許してくれと言っているのは、本当にその金のことだけなんだな?
 ポレット ええ、それだけ。
 キャプラン(躊躇いながら。)じゃ、本当に・・・
 ポレット 何?
 キャプラン(心配そうに。小声で。)モリッス・クザンとは何もなかったんだな?
 ポレット 意地悪!(声に涙を含んで。)信じて貰うためにはどう言ったらいいの? 私、自分のやっていないことまで全部自分のせいには出来ないわ。二年前、あなたに背いた時、私、卑怯なやり方はしなかった筈よ。(泣く。)それに、その後からだって・・・
 キャプラン(宥めて。)もういい。終だ、ポレット。私は何も言っていない。もう泣くな。信じるよ。お前を信じる。(ポレットの身体を引寄せる。)なあ! 私は馬鹿なんだ。それも、お前を愛しているから、お前を失いたくないと思うばかりに、なんだ。
 ポレット でも、そんなことあり得ないと思って下さらなくちゃ。
 キャプラン 今は・・・今じゃ分ってる。・・・(不安を抑えて。)分ってるんだ!
 ポレット(両腕をキャプランの首に巻いて。)ジュリアン! それは確かなの。ね、確かなのよ、何時だって!(二人、キス。それからキャプラン、ゆっくりとポレットを押して、腕の距離で、その顔を見詰める。)待って、私、酷い顔、きっと。私のバッグを取って・・・そこ、後ろ・・・(キャプラン、バッグを取り、渡す。ポレット、鏡とコンパクトを出し、次の台詞の間、顔を直す。)私、何度も自分に愛想がついたわ。あの複製のことであなた、私に愛想がついていなかった?
 キャプラン(不機嫌に。)そんなことは言うな! お前が自分で愛想をつかすなんて、私の方がたまらない。愛想をつかす!・・・私はドゥヴィルデだ、愛想をつかしているのは。お前がどうしようもなくなって困っているのをいいことに、いいようにお前を操って・・・
 ポレット ええ、本当に・・・そう言われてみれば・・・
(間。)
 キャプラン(溜息をついて。)しかし、こんな話があろうとはな・・・思いもしなかった・・・
 ポレット でもあなた、もっと酷いことを考えていたんでしょう? そっちだったらもっと悪かったわ!
 キャプラン 私に残念なのは、お前がすぐ言ってくれなかったことだ。二年前、私が戻って来てからの数週間、あれは二人に一番心が通っていた時だった。お前が一番身近に感じられた・・・それから後の二年の内にだって・・・
 ポレット(遮って。)でも、もう一度言うわ。ね? 私、自分で言うのは止めたの。自分にそれを禁じたの! そんな悪いことは、私の胸一つに収めておくべきだって。それを打明ける方が卑怯で、残酷なことだって。さっきのように私を窮地に追込まなかったら、あなたはずっと何も知らないですんでいたの。
 キャプラン(憂鬱そうに。)それで私を愛している!
 ポレット ええ、愛しているからこそ!
 キャプラン 逆説だな。
 ポレット 違うわ、ジュリアン。もし私に、何かちょっとした欠陥があったとする・・・そうね、例えば歯・・・歯に何かが・・・そうした時、私きっと、あなたに気づかれないよう、隠しておくわ。それであなたにがっかりされたくないもの。私、あなたを愛していて、あなたに愛されたいからよ!
 キャプラン 今のは違う話に見えるがな。
 ポレット ああ、あなたを愛していさえしなければ・・・
 キャプラン(突然何かを思い出して、ポレットの言葉を遮って。)ああポレット、もし、だ・・・もしお前が、良心に咎めるものが他の種類のものだったら?・・・つまり、私が心配している例のことだったら・・・それもやはり隠すのか?
 ポレット(抗議して。)また!
 キャプラン(しつこく。)そのことは、私に言うのか?
 ポレット(抗議の口調。)ええ!
 キャプラン 私が傷つくのを構わず、か?
 ポレット(半分冗談めかして。)そ、う、よ、キャプラン、さ、ま! だって、こんなにしつこいんでしょう? お気の毒だけど、仕方ないわ。少し痛い目に遭うのがいいの。五つ六つ、浮気の話を拵えて、私のことを悪く思っているその心にお灸をすえてあげなくちゃ!
 キャプラン(少し混乱して。)何だポレット、それじゃ、たとえ私が・・・
 ポレット(遮って、誠実に。)さっき訊かれた時、私に勇気があったら・・・(言いなおして。)ええ、それに、ちょっと冗談の気持も入っていたら、「ドゥヴィルデ・・・裏切ったのか、あいつと・・・お前は」って訊いた時、私、「ええ」って答えていたわ!
 キャプラン その「ええ」なら、騙されなかったな、私は。
 ポレット(勇気を振り絞って。)そんなの分らないわ。(信じたかも知れないでしょう?)
 キャプラン(ポレットが懸命に言っているのを見て、その理由は分らず、ポレットに近づき、優しく。)ねえポレット、私はお前を疑って惨めだった。不幸せだったんだ。それなのにお前ときたら、男になら誰にでも媚態を示して、時には酷く思い切った行動までやらかす。何故なんだ?
 ポレット(抗議して。)だって、飲まされるんですもの。私、飲みさえしなければ、あんな風にはならない。知ってるでしょう? 飲むと私、自分でなくなるの。
 キャプラン 「酒に真実あり」と、諺でも言うがな。
 ポレット ええ、「酒」にはね。でも、カクテルには真実はないの。
 キャプラン(面白がって。気持が和(なご)んで。)ああ、じゃ、もうカクテルは止めだ。な? ポレット。
 ポレット ええ、もう止め!
(キャプラン、ポレットの顔を両手で挟み、じっと見て、それからキス。)
 キャプラン 悪い子だ!
 ポレット(溜息をついて。)そんなに悪い子じゃないの、ジュリアン。でも、ドゥヴィルデと複製の詐欺はやってしまう程度には悪いのね。・・・あなた、あの人にこのことを言うの? どうするつもり?
 キャプラン まだ分らない。しかしあいつ、もし墓場まで持って行けると思ったら大間違いだ。そこまでは持っては行けんぞ。あいつの詐欺はロベールの詐欺よりは心配は少ないが、それでもやはり、ムカムカすることには変りない。
 ポレット ロベールの詐欺より心配が少ないって・・・どうして?
 キャプラン ドゥヴィルデなら、ブロンズに良いものを使う。それに、詐欺もかなり用心深い。日本に送ったのが二個だとお前に言ったのなら、せいぜい四個だ、送ったのは。五個以上じゃない。
 ポレット まあ、呆れた! 
 キャプラン お前からも、かなりあいつふんだくってるな。それは言える。
 ポレット(考えた後。)私、この複製のことでは、ドゥヴィルデに他言無用って約束したわ。だから、あなたに話したのは約束違反。これは認めなきゃいけないわ。ドゥヴィルデはああいう人。私あの人に、このことで責められるのは厭。だって私、共犯者ですもの、結局。
 キャプラン それはそうだ。あいつに言うことはない。
 ポレット だから、この事であの人を責めるんだったら、私以外の誰かから・・・いえ、何か別の手だてから見つけたようにしなくちゃ・・・
 キャプラン(考えた後。)いや、それはうまく行かない。やっているうちにボロが出る。お前が絡んでいないことであいつをとっちめることにする。そうされても、あいつは日本への複製の件を持出して、お前を同罪だなどとは言わない筈だ。全く嫌になることだが、あいつが自分一人でやった、これと同じような詐欺が別にあるんだ。
 ポレット(呆れて。)まあ、他にも・・・
 キャプラン バッカスの巫女よりずっと深刻なんだ、これは。とても思いがけないきっかけで見つけたんだが・・・
 ポレット 見つけて、かなり経つの?
 キャプラン 半年だ。
 ポレット その間何も言わなかった! 何もしなかったのね?
 キャプラン まだな。こっちも忙しい身だ。大掃除は後に伸ばした。
 ポレット その間あなたは、あの人を信頼できる友として扱うのね? それよ、私、この二年間感じていたのは。あの詐欺、あなたに知れたらって。・・・それで半年黙っていたのね?
 キャプラン(疲れて。)怪しいと思っていたのはそれ以上だ。だけどあっちも同じ期間、こちらが「怪しいと思っている」らしいと感づいているんだ。それでも別に、会って困るようなことはない。今は詐欺の時代だ。詐欺まがいの行為のお陰で著名な人物になった奴はいくらでもいる。しかしドゥヴィルデがそうか、というと、それほどではない。あいつはどちらかというと忠実な召使・・・よく主人に仕えるが、騙しもする。主人はそれを知っているが、利用もする。ただ行き過ぎをやれば首にする。・・・そういう召使だ。
 ポレット でも、今度ばかりはあなた、動くのね?
 キャプラン うん。ただ、明日動く訳じゃない。まづは例の競売のブロンズの調査を任せておく。
 ポレット あのことは、あなた自身でした方がいいんじゃないの?
 キャプラン(疲れた声。)自分でやる・・・か。あーあ、全く嫌になる。ここから抜け出さなきゃ!
 ポレット(驚いて。)あなた、どこかへ行くの? 行くんだったら、今度は私も一緒よ! でも、行かないんでしょう? あなた。行っちゃ駄目。やること、いっぱいあるわ、ここで。
 キャプラン あっちでも仕事は出来る。ここと同じような訳には行かないが。
 ポレット 今問題なのは彫刻じゃないわ、ジュリアン。「ここじゃ息が詰りそうだ。だから出て行く」っていうのは駄目。息が詰りそうなら、空気を変えるの、ここの。だってそれ、出来ることだもの。
 キャプラン(疑い深く。)出来る?
 ポレット ええ、出来ます。空気を変える・・・それよ、真っ先にやらなきゃいけないのは。私、すぐ、トマサンのことを思った。あの人、タヒチかアゾレス島に移りたいって。ここの環境が悪過ぎるから。勇気あるわ!
(ポレット、煙草を取る。)
 キャプラン ちょっと話が違うな、それは。
 ポレット 同じよ。いい? ジュリアン、滅多にないこと、今日は私があなたに一つ教えてあげる。その前にまづ、キスさせて。(キスする。)それから火。(キャプラン、煙草に火をつけてやる。)有難う。あなたは、あなたを尊敬している妻と結婚している。そしてあなたが尊敬している妻と。
 キャプラン(面白がって。抗議して。)尊敬? 冗談じゃない、私は別に・・・
 ポレット い、い、え。それで、いいですか? その妻は、今酷く無粋(ぶすい)な世界に住んでいて、上っ面だけの生活を送っている。そしてその亭主キャプランは、その妻を、その無粋な世界から、引き剥がそうとはせず、出来るだけその無粋な世界に自分から入り込もうとしている。彼女に合わせるために。
 キャプラン 私の世界は合わないからな、彼女に。
 ポレット 亭主が確信をもって、そして忍耐をもってすれば、彼女をその世界に引き入れることは出来るのに。毎日亭主はモンルージュのアトリエに引き蘢って、女房には勝手放題な、空虚な、無為な日々を送らせている・・・
 キャプラン 女房の趣味に応じた生活をさせているんだ!
 ポレット 女房には趣味なんかないの。ただ惰性があるだけ。亭主はその女房に趣味を、亭主に相応しい趣味を、無理にでも押しつけなきゃいけないの。
 キャプラン 本気なのか? ポレット。お前、自分で言っていることが分ってるのか?
 ポレット ええ、実は、今分ったこと。それで慌てて言ってるの・・・自分にだけでもいいから。あなた、仕事から離れると辻褄(つじつま)の合わないことをやっているの。自分の周りに人を集めて来るんだけど、その人達をみんな、あなたは軽蔑しているのよ。
 キャプラン 私は耐えているんだ。
 ポレット 余計悪いわ。あなたはね、楽しむっていう話になると、女房に全部任せる。その女房っていうのが、上っ調子のいたずら娘。馬鹿なことをしでかすのは承知の上で、その女房に白紙委任状を出す。そうして、女房が本当にその馬鹿をしでかすと怒り出す。女房の出来ることはただ誤摩化しだけ。それが溜(たま)りに溜って極限に来る。あなたもついに我慢が出来なくなる。するとあなたは、元の秩序に戻そうと努力するんじゃなくて、さっさと逃出そうとする。
 キャプラン(不機嫌に。)それでロベールは! あいつのことも・・・
 ポレット(遮って。)ええ、話そうと思っていたところ。
 キャプラン(続けて。)嘘つきで、怠け者で、皮肉屋。これをなんとか直せないものか。しかし、ああ心が冷たいんじゃ、救いようがない。まあいい。ロベールについては、お前に頼まなくても、さっき已(や)むに已まれずある手だては取った。
 ポレット(心配して。)どんな?
 キャプラン 二度と来るなと言ったんだ。
 ポレット まあ。
 キャプラン 例の鋳型は今にでも持って来る筈だが、それがこの家に足を踏み入れる最後だ。それから、今後一切私に物を頼むのは禁じた。
 ポレット 何の解決にもならないわ、それ。
 キャプラン 何だって?
 ポレット 解決法としたって、それ、最悪の解決法。あの子、今、一文なし。あなたの援助が全くなくなったら、あちこちから借金して過すしかあの子には手はないわ。
 キャプラン または耐乏生活を送るか、だ。まあ、良い経験だ。
 ポレット 相手がロベールだとあなた、優し過ぎるか、乱暴になるか、そのどっちかなの。あの子は思いやりがあって初めて話が出来る子なのよ。
 キャプラン それならあっちが最初に持つべきだろう? その思いやりっていうのを。
 ポレット あるのよ、それが、あの子には。それから、あなたの持っている傲慢さも。それに、あなたにはちゃんと分っているでしょう? あの子の皮肉、冷たさは、格好づけだって。羞恥心の変形。その場に合わせた仮面。
 キャプラン そんな仮面は外して貰いたいね!
 ポレット それが一人ではなかなか外せないの。用心しながらそっと、あの子に気づかれないように脱がしてやるの。
 キャプラン すると、あいつの詐欺行為もその仮面のせいだっていうのか? それに、私に対する敬意のなさも・・・父親としての私とは言わない、彫刻家としての私、あの作品の制作者としての私への・・・
 ポレット あの子にはちゃんと敬意があります、ジュリアン。もっと複雑なの、あなたが考えているよりは。あなた方二人、誤解の上に誤解を積み重ねて、雪だるまのようにしているの。あの子のだらしなさの話をしている・・・それが雑談では終らないの。必ずあの子の自尊心にぐさりと刺さるまでやる。お金をやる時だってそう。やっているその場で、まるで能なしのような扱い。あなたの目にも、あの子の目にだって、ロベールというものが小さく見えてしまう。あの子がやっとのことで少し抵抗を試みても、あなたは即座にそれを叩き潰すんですからね。それに、だいたい二人の間に、本当の親密さがないの。あの子は毎日ここで昼食をとる。でも、二人の間には会話らしい会話はないの。私達二人もそうなのよ、ジュリアン。一年に何回私達、今やったような、わだかまりのない、心の底からの話をしたかしら。
 キャプラン それはそうだ。しかし、裸になって話してもいいと感じる時っていうのは、二人が本当に親密になっている時か、あるいはその逆に、とても我慢ならなくなった時、そのどちらかしかないからね・・・(間。)ロベールとの会話! ああ、さっきやったやつがそれなんだ! やれやれ、あの調子で二人が話せる時など、これから先もう長いことないだろうな。あいつの家賃を払ってやる、仕事を捜してやる、そんなことも無理だ。私が自分からはっきりと厭だと言ったんだからな。
 ポレット 仕事を捜してやるなんて必要ないの。あなた、あの子に「頼む」のよ。
 キャプラン 「頼む」? 何をだ。
 ポレット(考えて。)そうね・・・そう、誰でもは出来ないこと。例えば、あなたの作品の、何でもいい、一つの・・・写真を何十枚か撮って貰うこと。一度頼んだこと、あったでしょう? あの子、それは嬉しそうな顔をしたわ! あの時、仮面は取れていた!
 キャプラン(当惑して。)追出した後すぐ物を頼む・・・それは無理だな。
 ポレット どうして! こう言えばいいの。「おい、このオタンチン、酷いことをお前に言った。そいつを取消す気は全くないんだが、ちょっとお前にしか出来ないことがあってな。そいつを頼みたいんだ。残念ながら、他に出来る奴がいないんでね」って。
 キャプラン どうかな、それでうまく行くとも思えないが、まあとにかく「やって見るかもしれない」とお前には言っておくよ。やるんだったら、「坐っている少女」・・・あれの写真だ。
 ポレット よかった。(間。)それから、明日の午後、あなたは仕事は休み。私をルーブルの新しい部屋に連れて行くの。
 キャプラン 新しい部屋って何だ?
 ポレット 「新しい」って言っても、二年前に新しかった部屋。ほら、あなたがグラン・ブレオから帰った時に行った・・・覚えているでしょう? 「私も連れてって」って言ったら、「駄目だ」って言われて・・・私が退屈するだろうし、自分は彫刻は一人で見たいんだって・・・
 キャプラン(困って。)そんなことを言ったのか? 私が。
 ポレット はい、そうです。
 キャプラン(ポレットにキスして。)もう言わないよ。明日一緒に行こう。朝の方がいい。
 ポレット いいえ、午後、出来れば。ルーブルから出たところにお店があって、白ワインの展覧会があるの。最終日・・・だから・・・
(玄関にベルの音。)
 キャプラン(上ずった声。)ロベールだ。
 ポレット 頼むのよ、いいわね?
 キャプラン うん。
 ポレット 鋳型のことで、最初はきっちり叱るの。
 キャプラン 分ってる。それから、お前の助けが必要だ。「何か頼むことがあったんじゃない?」とか何とか。
 ポレット ええ。
 キャプラン(溜息をついて。)糞っ! あの野郎!(ノックの音。)どうぞ!
(女中登場。手に手紙。)
 女中 ロベールさんです。
 キャプラン 入って貰え。
 女中 もういらっしゃいません。またお出になりました。寄っている暇がないからと。女性の彫刻と、何か荷物を玄関のテーブルに置かれました。それから、この手紙をお渡しするようにと・・・
(女中、キャプランに手紙を渡し、退場。)
 キャプラン どういうことだ、これは。(キャプラン、玄関ホールに退場。手紙を開けながら登場。)バッカスの巫女だ! もう一個複製を作りおって!(手紙を読み始める。)ああ、違った・・・(手紙を、声を出して読み始める。感情を抑えながら。)「お父さん、作らせた鋳型と、戴いたバッカスの巫女を、送ります。贈り物として戴いたものですが、後悔しておられることは明らかですし、僕はそれに値しないと思っていらっしゃるでしょうから。それに、彫像を残して鋳型だけお送りしても、半分しか安心されないでしょうから。ドゥヴィルデには電話しておきました。そちらから話をする手間が省けますから。僕は明日パリを発ちます。この事件が、また他に飛び火しないことを切に祈っています。どうか早くお仕事に復帰出来るよう、心の平静を取戻されますように。もうお邪魔は致しません。ロベール」
(間。)
 ポレット どこに行くって言うんでしょう。
 キャプラン(涙をこらえて。)何てことだ!
 ポレット(キャプランに近づいて。)ジュリアン! ね? その手紙、内心は後悔でいっぱい・・・
 キャプラン 威張りやがって・・・皮肉たっぷりに・・・
 ポレット 違うわ! 仮面がある、その下には。
 キャプラン そうだな。今の私の言葉は慎みがなかった。そうか、バッカスの巫女を返して来たか・・・私を罰するためだ、あいつめ!
 ポレット そう。誇り高きロベールですものね。でも、そんなに悪くないわ、これ。それだけのことはあの子、やっちゃってるのよ。それに、あなたがもう一度プレゼントすれば、あの子、誇りに思うわ。
 キャプラン(抗議して。)もう一度! 何を馬鹿な!
 ポレット すぐにじゃないわ、勿論。でも、パリから出させるのは駄目ね。
 キャプラン いや、当然出て行くべきだ。
 ポレット 出るって、どこへ? あの子にあてがある訳ないでしょう?
(間。)
 キャプラン お前から電報を打つのはどうだ? 様子を知らせること、と。勿論私には内緒だ。
 ポレット(考えながら。)ええ・・・(思い直して。)いいえ、発つと言っても、あの子は発たない。嘘の可能性が高いわ。
 キャプラン 私もそれは考えた。あいつのやりそうなことだ!
 ポレット 皮肉屋じゃないってことじゃない? それは。発たなかったことで、またからかったりしちゃ駄目よ。一週間待ちましょう。「帰って来たんだ」ってあの子が言えるように。
 キャプラン(心配になって。)馬鹿なことをしなければいいが、その間に。
 ポレット あの子は馬鹿じゃないの。でも、どうしても私に手紙を書かせたいなら、私、書いてもいいわ。「必ず返事をよこすこと」と書いて。
 キャプラン そうがいい! うん、それだ!
 ポレット それから、明日のルーブル行きは中止。
 キャプラン(驚いて。)どうして?
 ポレット 行きたかった? 二人で発つの。いえいえ、四、五日だけ。トマサン流の引越とは違うの。いい?
 キャプラン うん。少し休憩だ。あいつの心の平静を取戻させてやるための・・・
 ポレット(遮って。)そして、あなたの妻の・・・
 キャプラン 大掃除の前の・・・
 ポレット 生活の大変革を考えるための時間。
 キャプラン グラン・ブレオか? 行く先は。
 ポレット(用心しながら。)私は・・・マロット・・・森のほとりの・・・そんなところがいいわ・・・
 キャプラン グラン・ブレオは、この季節とてもいいんだが・・・しかし、あそこは思い出すことがあるからな・・・
 ポレット それにジュリアン、あそこ、お風呂がないでしょう?
 キャプラン(溜息をついて。)よし、じゃ、マロットだ。森のほとり。これ以上喜劇は沢山だ!
 ポレット(説得力のある口調で。)喜劇は終なの、ジュリアン!
(二人、キス。)
                    (幕)

 平成十九年(二00七年)一月三十一日 訳了