福田恆存の「フィクションといふ事」(「文學界」昭和四十五年十一月号)

 ○月×日
 「御意に任す」の筋は大体かうである。
 地震の為に殆ど潰滅した田舎から或る町の県庁に転任して来たポンザ一家の奇妙な暮しぶりが町中の噂の種になる。ポンザには妻があり、妻の母親(フロオラ夫人)がゐる。が、ポンザは「町はづれの陰気な大きな家の天辺」に部屋を借り、妻をそこに閉ぢ籠めて一歩も外に出さず、しかも姑(しうとめ)のフロオラ夫人は時たまポンザの家を訪ねるが、部屋までは行かず、井戸の底みたいな中庭に立ったまま、紐に吊された籠の中に手紙を入れ、それによつて僅かに娘との交信を許されている。
 以上がポンザの上役アガジ一家を中心とする隣人達に知る事を許された唯一の事実である。勿論、読者、観客もその隣人達と同様、最後まで何も知らされない。いや、隣人達の好奇心が次々に事実を、或は事実らしきものを堀り起して行くに随って、吾々も一緒にそれを知らされて行く。といふより、第一の事実が第二の事実によつて否定され、更にそれが第三の事実によつて否定され、最後にはつひに解らないといふ結論によって突き放されるのである。
 まづ第一に、人々の好奇心に応えてアガジ一家を訪ねて来たフロオラ夫人は、懸命になつてポンザの奇行を弁明し、三人は「申し分なく和合しております」と言ふ。ポンザは極端な嫉妬心の持主なのではないかといふ問ひに対して、夫人はかう答える。
 
 あの人は自分の妻の心の全部が欲しいのでございます。娘のわたくしに対する愛情を、あの人は充分に、ええもう充分に許しているのでございますが、ただ一遍あの人を通してわたくしに達するのを望んでをりますのです――つまりあの人を仲介者にすればよろしいので。(中略)
 いいえ、いいえ、それは残酷と違います、秘書課長殿・・・残酷なぞといふ言葉を仰らないで下さいまし! それは或る・・・何と申してよいやら・・・それはあの人の気質なのでございます。なんでしたら、それを病気の一種と仰しやつても・・・激しい愛の氾濫と申しても・・・また、自分の家内が外へ出ない様に囲った土塀で、あの人のほかは誰も踰(こ)えてはひつてはならない・・・さういふ風にお考へ下さつてもよろしうございます。(中略)
 さうかもしれません。でも。自分全体を、そつくりそのまま、愛する妻に献げているエゴイストなのでございます。娘がかはいがられて、どんなに幸福に暮してゐるか知つてをりながら、その隠れ家の扉を無理に明けてはひらうといたしますなら、私こそエゴイストでもございませう。(中略)
 壻は実によい人でございます。・・・それを疑つて下さいますな! あれより善い人間になるなんて、できることではございません。それは誰にも弱点はございます。お互ひにそれは宥(ゆる)し合はねばなりません。

 これほど寛大な姑、深い心の持主はゐない。フロオラ夫人が帰った後、アガジ達は感動する。当然、ポンザに非難の矢が向けられる。そこへポンザ自身が狂気の如く怒つて飛びこんで来る。なぜなら、フロオラ夫人のアガジ家訪問は自発的とは言ふものの、結局、それは人々の要らざる好奇心によつて強制されたものだからである。更に人々はポンザから意外なる事実を知らされる、フロオラ夫人は気違ひだといふのだ。ポンザはかう説明する。自分の最初の妻、即ちフロオラ夫人の娘は四年前に死んでしまつてゐる。今、自分が一緒に暮してゐるのは二年前に娶(めと)った後妻なのだが、フロオラ夫人はそれを依然として実の娘だと思ひこんでゐるのだといふ。
 
 さう思つてゐるお蔭であの女は救はれた――と言へば言へるんです。その時我々はあの女のために貸間をさがして養つてゐたんですが、或る日その窓の下を通行した後妻と私とを見つけて、突然、自分の娘に再会したと信じてしまつたのです・・・その時あの女は手足をがたがた慄(ふる)はして笑ひだしましたよ・・・翌日から、あの女の悲惨な絶望的な狂気が影を潜めて、新しい状態にはひつたのです・・・その時分のあの女の歓喜といつたら雀躍(こをどり)せんばかりでしたよ・・・此の頃はよほど鎮つて来てゐます――私の家へはもう行くまいと、自分で諦めをつけるやうになりましたからね。そのため、あの女の発狂状態が多少陰気になりましたがね・・・しかしあの女は皆さんごらんのごとく、それで満足なんです・・・。そして自分の娘は真実(ほんと)に生きてゐて、ただ私が一人占めにしたいために、逢はせるのを妨害してゐると、信じ続けてゐるのです。。人が見たら、あの女はもう癒(なほ)つてゐると言ふかもしれません。言ふことを聞いてゐれば、狂人らしいところは、ちつともありやしませんからね。(中略)
 まあ有難いことに、妻がこの「狂言」に同情を持つて、実の娘だといふ幻影を毀(こは)さずにやつてくれます。窓へ出て話をしたり、手紙を書いたりしてやつてるんですよ。しかし此の同情も限度がある・・・私が妻に姑と同棲しろとまでは説服できませんよ1 かはいさうに、妻はいつも、まるで幽閉されたやうに、戸に鍵をかけて置くんです。

 ポンザの話を聴いて、一同は途方に暮れる。当然ポンザ説とフロオラ説と、支持者は二つに分れ、どちらが本当かについて論じ合つてゐるところへ、再びフロオラ夫人が現れる。壻がアガジ家を出て行くのを認めて不安になつたからだと言ふ。が、フロオラ夫人は相変らず寛大であり、壻の理解者であることを示す。一同は、では、ポンザこそ狂人ではないかと思ひ始める。すると、フロオラ夫人は意外な事実を打ち明ける。

 いいえ、お聴き下さい・・・お聴き下さい・・・あの人は狂人ではございません! そんなものぢやございません! いえ、話さして下さい。ごらんのやうにあの人は至つて多血質で・・・極く荒つぽい人間でございます・・・あの人が結婚を致しました時に、嬉しさで無我夢中になりましてね。どちらかといふと孱弱(せんじやく)なうちの娘は、死にさうな目に度々遭ひましたんです・・・で、あれの肉親――可哀さうに地震で死にました!――お医者さまの意見で、家内をそつと連れ出して病院へ入れたんでござんす。で、あの人の発作がだんだん落着いて来たときに、ある日、家内が家にゐないのに気がついたんでござんす。ああ、奥様方、なんと恐しい絶望でございましたらう! あの人は妻が死んでしまつたと思つたのです! 何と申しても聞き入れはしません。それから喪服を着始めたり、そのほか数知れず馬鹿気た事をいたしまして、ひとつことを思ひ続けてをります。こんな具合で一年経ちまして、娘の健康も全くよくなりましたので、また家へ帰つてまゐりますと、あの人は娘を自分の妻だと認めないのでございます。(中略)
 そんな事を繰返しますので、あれ達の友人とも相談しまして、二人をまた一緒にさせますために、二度目の結婚をさせてうちの娘を後妻に入れたやうに取繕ふほかなかつたんでございます。(中略)
 でも、もう大分前から、あの人は自身でも、後妻だなんてことを考へては居りませんの! ただある必要から――世間には後妻だと思つて貰ひたいんです! さうしずには居られないのでございます。自分自身にすら、それを信じさせようとしてゐるんでござんす。といふのも、つまり、また誰かやつて来て、愛する妻を奪つて行きはしないかと――そんな心配をまだしてゐるんぢやないかと存じますの。(中略)
 可哀さうに娘は、自分で自分でなくて他の人間である風をせねばならず・・・また、このわたくしは狂人の真似をいたさねばなりません!

 アガジ一家を中心とする隣人達は完全にはぐらかされてしまふ。ポンザ一家の出身地に人を遣つて調査して見るが、関係者は災害のため一人も残つてをらず、それも徒労に終る。つひにポンザとフロオラとを対決させる事になるが、両人とも相手の思ひこみに附合つて「芝居」をし、真相を見極める手掛りになる様な破綻(はたん)は生じない。最後にポンザ夫人を引張り出す。が、これで何も彼も明らかになると、固唾(かたづ)をのむ一同の前に現れたポンザ夫人はかう答える。

 ポンザ夫人 (ゆつくり冷やかに)一言? 真実を申せと仰しやるのでございますね? 真実と申すのはほかでもございません――わたくしは、たしかにフロオラ夫人の娘なのでございます。
 一同 (満足の吐息をついて)ああ!
 ポンザ夫人 (続けて)さうしてまた、ポンザの二度目の妻に相違ございません。
 一同 (びつくり、呆気にとられ、低い声で)ええつ、そりや何事です?
 ポンザ夫人 (続けて)さうなんでございますの・・・それから、わたくしにとつてわたくしは・・・誰でもない、誰でもない人間なのでございます!
 知事 いや、そんな事はありません! あなた御自身は、奥さん、二人の中の一人である筈です。
 ポンザ夫人 いいえ、皆さん、わたくし自身は、人が信じてくれる、その人なのでございます。

 ○月×日
 「薮の中」においては三人三様に、一つの事実らしきものについて、それぞれ自分に都合の良い解釈を下す、つまり自己正当化を行ふ。それが自己正当化である以上、それぞれの相手に対する不信感を前提としてゐる。それに反し、「御意に任す」においては、三人がそれぞれ相手を立て、相手の思いこみに附合つてゐる。自分を「誰でもない人間」と見做(みな)し、「人が信じてくれる、その人間」として振舞ふ。一方は自分の解釈の中に相手を閉ぢ籠め、他方は相手の解釈の中に自分を閉ぢ籠める。しかし、後者もまた一種の自己正当化であり、また自己劇化といふ点では、この方が一層「手のこんだ」ものといへよう。両者の主題は似た様なものであつても、その主題の認識論的意義について、ピランデルロの方が遥かに明確な自覚を持つてゐた。彼は自分の仕事について次の様に述べてゐる。

 人生は悲しい道化芝居である。といふのは、吾々は自分自身のうちに、なぜ、どうしてかは解らぬものの、一つは実在(リアリテイ)を造り出す事によつて絶えず己を欺かうといふ欲求を持つてゐる。(一つの実在とは言ふものの、それは一人一人の人間にとつて一つなのであつて、万人共通のものではない)、しかもその実在なるものは始終次々に虚像に過ぎぬものである事を思ひ知らされる。(中略)私の作品は自分自身を欺く人々すべてに対する苦い同情に満ちてゐる、が、この同情の後には必ず宿命の残酷な嘲笑がやつて来て、自己欺瞞の罪を責める。

 といつて、ピランデルロはこの自己欺瞞から脱却するための闘ひとして誠実を説いてゐるのではない。十九世紀小説が信じてゐた自己の実在とそれに対する誠実といふものを、もはやピランデルロは信じてはゐない。誠実といふものも、少なくとも自分が自分に対して誠実であると思ひこむのも、これまた一種の自己欺瞞に過ぎまい。いや、誠実こそ寧(むし)ろ最大の自己欺瞞かも知れぬ。
 人はよく誰かが自分を誤解してゐると言ふ。さう言へるのは、自分が自分を一番正しく理解してゐるといふ前提があればこそである。が、何処にそんな確証があるのか。誰も彼もが自惚鏡(うぬぼれかがみ)を隠し持つてゐはしないか。自分の持つて生れた弱点のゆゑに或は人間の持つて生れた弱点のゆゑに醜く躓(つまづい)た自分といふものを誰も見たがらない。自分の歪(ゆが)んだ自惚鏡に映つた自分の姿を一度信じこんでしまへば、他人の目に映つた自分はすべて誤解といふ事になる。が、その他人も自分を救済し、自分を救済し、自分を正当化するのに都合の良い自惚鏡を持つてゐるのだ。相手の自惚鏡に映つた自分の姿を見て、人は誤解だと言ふ。それだけの話に過ぎぬ。しかし、誤解とは自分の自惚鏡に映つた自分の姿が、他人、或は世間の鏡に映つて崩壊することである。小林秀雄氏の言葉を私流に解釈すれば、自己の社会化とはこの崩壊に次ぐ崩壊の徹底的経験にほかならない。
 「エムマは私だ」といふフローベールの言葉には、言ふまでもなく、その苦い経験が含まれてゐる。しかし、なほそこには自己の実在とそれに対する誠実といふ信仰があり、その信仰に芸術家の誇りが賭けられてゐた。フローベールに限らない、現代の大部分の作家が同じくその延長線上にある。「エムマ」といふ世俗的自己の崩壊を「私」といふ芸術家によつて救ひ上げようといふのだ。
 私は最近「私小説」といふ呼び名を不当なものと思ひ始めてゐる。明治三十年代以来の「私小説」の特徴は、それが「私」といふ一人称体で書かれてゐる事にあるのではない。それは芸術家の自己証明といふ事にあり、寧ろ「芸術家小説」と呼ばるべきものではないか。その意味で、私小説の元祖は「蒲団」ではなく、「破戒」と見る方が当つてゐないか。丑松(うしまつ)は部落人、小学校教師の仮面を被つた芸術家であるに反して、「蒲団」の主人公である小説家「私」は平凡な世間人である。その意味において、私は「蒲団」を所謂「私小説」の元祖とする通説を採らない。「破戒」こそ社会小説の仮面を被つた「私小説=芸術家小説」である。しかも、その芸術家概念とは、自分の自惚鏡に映つた自分の姿が世間の鏡に照し出されて崩壊しはしたものの、なほ余計者として自己主張の手掛りを発見した西洋文学の保証によつて成立つたものの過ぎない。当時の日本の小説家達は西洋文学といふ自惚鏡を手に入れ、それを頼りに自己崩壊の危機を素通りして済ませたものと言へよう。
 「破戒」における社会人の仮面を被つた芸術家の姿勢はその後の日本文学の主流をなしたと言つても過言ではない。譬(たと)へば、所謂「私小説」とは一見全く異つた系譜に属するものと考へられる新感覚派の文学も、「芸術家小説」といふ角度から見れば、同じ流れを汲むものと言へよう。今日においても、その事情は変らない。譬へば、「山の音」の主人公は実業家の仮面を被つた芸術家に過ぎず、その点、丑松よりは洗練されているが、そこには社会人の顔を被る芸術家のうしろめたさが附きまとふ。芸術家がもはや余計者ではなく、社会に受け容れられてしまつたからである。その証拠に、今日、所謂「私小説」と認められる若い作家の作品においては、主人公の「私」は芸術家の意識を捨て、平凡な社会人として登場するものが多くなつた。それはもはや「芸術家小説」とは称しがたい。他方、皮肉なことに、政治、その他の問題意識をもつた作家の方に「芸術家小説」の痕跡が認められる。嘗(かつ)ては被害者としての芸術家が、今や告発者となつて登場してゐる、それだけの違ひだ。

 ○月×日
 ピランデルロの作品は一時は「知的遊戯」として軽んぜられた。が、必ずしもさうとは言へない。「知的」かも知れぬが、それは「遊戯」ではない。「遊戯」といふ事になれば、ピランデルロにとつては、芸術よりも人生の方がさう見えたのだ。彼は言つてゐる、「人生は悲しい道化芝居である」と。
 ピランデルロ夫人は狂人であつた。そしてピランデルロはポンザやフロオラ夫人の様に、自分の妻に良く尽し、その狂気と附き合つた。或る時、友人がピランデルロに訊ねた、「奥さんと附き合つてゐる時の君と、吾々と附き合つてゐる時の君と、どちらが本当の君なのか。」それに対するピランデルロの答はポンザ夫人のそれと全く同じ同じものだつた。「どちらも僕さ、僕は君達が見てくれる通りのものだよ。」
 似た様な事を芥川も言つてゐる。

 僕はいつも僕一人ではない、息子、亭主、牡(おす)、人生観上の現実主義者、気質上のロマン主義者、等、等、――それは格別差支へない。しかし、その何人かの僕自身がいつも喧嘩するのに苦しんでゐる。

 芥川も親族や友人に良く尽した。だが、彼はこの苦しみをピランデルロの様に突きつめる事をしなかつた、またその必要も無かつた。吾々は他人の自惚鏡に附き合ふが、他人もまた吾々の自惚鏡に附き合つてくれる。この持ちつ持たれつの流動的な相互関係を、吾々は人生と呼び現実と称してゐる。秩序だの歴史だのといふ言葉で吾々が理解してゐるものも、さういふ曖昧なものである。それはいづれも堅い実体ではない。これが現実だと規定し、それを捉へようとして手を出した瞬間、対象の現実はその様態を変へる。現実はつひに客体化し得ぬものであり、実態を持たぬものなのである。お互ひに相手の自惚鏡に附き合つてゐる限りは、吾々はその事実に気附かずに済ませられる。が、ピランデルロの様に突きつめる事をしなかつた、またその必要もなかつた。吾々は他人の自惚鏡に附合ふが、他人もまた吾々の自惚鏡に附合つてくれる。この持ちつ持たれつの流動的な相互関係を、吾々は人生と呼び現実と称してゐる。秩序だの歴史だのといふ言葉で吾々が理解してゐるものも、さういふ曖昧なものである。それはいづれも堅い実態ではない。これが現実だと規定し、それを捉へようとして手を出した瞬間、対象の現実はその様態を変へる。現実はつひに客体化し得ぬものであり、実体を持たぬものなのである。お互ひに相手の自惚鏡に附合つてゐる限りは、吾々はその事実に気附かずに済まされる。が、ピランデルロの妻は狂人であり、甚だ収斂度の強い自分の自惚鏡に見入つてゐるが、決して相手のピランデルロの自惚鏡に附合はうとはしない。ピランデルロは自分の鏡を捨てて相手の鏡に一方的に附合ふだけだつた。
 ここにおいて、相互関係といふものは完全に消滅する。そればかりか、関係のないところでは、個も全く捉へ處も手掛かりも無いものとなる。個よりも関係の方が先に存在し、一つ一つの個は既成の関係の中に生れて来るのだからである。ピランデルロにとつて、人生とか現実とか称するものが実体のない曖昧なものであり、それが芸術以上にフィクティシャスなものに思はれたのも当然であらう。
 人生と芝居と何處に違ひがある、同じく自分に非ざる他人の役を演じてゐるではないか。人生においては、芝居と異り、自分の自由意志で選んだ役を演じ、自分の書いたせりふを喋つてゐる、誰がさう言へるだらうか。それはこの上ない自惚ではないか、自己欺瞞ではないか。芝居よりも寧ろ人生において、人は相手次第で異つた自分を見せてゐるのではないか。それなら、さういふ欺瞞に満ちた自己の仮面を捨てて誠実に生きなければならぬ、さうはピランデルロは考えなかつた。なぜなら、それこそ愈々身動きのならぬ自己欺瞞に自分を追ひやるだけだからである。もともと存在し得ぬ、実体のない自己に対して誠実になるとは、何の意味もなさぬ筈だ。人生が芝居以上に芝居であるならば、吾々は自己に対してではなく、その芝居に対して誠実でなければならぬ。
 ここでピランデルロと芥川とは完全にすれちがふ。自分がAでもありBでもあり、その他C・D・Eの誰でもあり得る事は、芥川にとつて困つた事だつた。が、ピランデルロはそれを自己の、いや、人間の積極的な生き方として展開せしめる。嘗ては芝居嫌ひであり、徹底的に芝居を軽蔑してゐた男が、芝居こそフィクティシャスな人生を生きる恰好な芸術芸術と考へる様になり、「エンリコ四世」や「作者を探す六人の登場人物」の如き傑作を生んだのである。
 言ふまでもない事だが、人生や自己をフィクティシャスな遊戯と観じたのは、彼が人並以上に誠実であつたからだ。いや、そればかりではない、個は関係、或は全体の、そして特殊は普遍の一例に過ぎぬといふ認識は、飽くまで観念論のものである。ピランデルロは終生カトリシズムに反逆し続けたが、結局、その風土から脱け出せなかつたと言へよう。
 ○月×日 実行と芸術――それは新興文学に於て、最も深い、最も真面目な、最も考慮を要する題目であつたが、現に今でもそれがいろいろな人の口に上つてゐるが、それが、その真面目な題目が、二葉亭あたりからその最初の芽を出したことを考へると、不思議な気がせずにはゐられなかつた。二葉亭は作物としてはさう大したものを出してゐるとは言へなかつた。(中略)しかし実行と芸術と言ふやうな真面目な問題を日本の文学に提供したといふ形は、後に継いで起つた人達に取つて忘るることの出来ないものであつた。尠(すくな)くとも当時の文学青年は、かれあたりから真面目な人生と芸術との交錯した心持を鼓舞された。(田山花袋「近代の小説」)
 確かに花袋の言ふ通りである。「実行と芸術」といふ問題は、プロレタリア文学時代には、そして戦後においても、「政治と文学」といふ形において採り上げられ、そこには私小説の問題と同様、近代日本文学の体質を示す何かがある様に思はれる。
 二葉亭は潔く芸術、文学を捨て、実行、政治を採つた。前者の虚像に対して後者の実像としての優位を信じたからである。しかし、自然主義作家の大部分は芸術や文学が虚像に過ぎない事について一方ではうしろめたさを感じながら、他方では虚像でなければ表現し得ない真実と言ふ事に芸術信仰の手掛りを得ようとしてゐた。その間の事情は今日でも変つてはゐない。
 芸術がフィクションである事にうしろめたさを感じるなら、実行もまたフィクションに過ぎぬ事のうしろめたさをなぜ感じないのか。また実像としての実行に確かな手応へを感じるなら、芸術もまた実像である事の手応へをなぜ感じないのか。人生を写実しながら、そこに出来上つた作品は現実とは別次元に属するなどといふごまかしに安んじようとするなら、自分達が人生だの現実だのと称してゐるものも、また何か得態の知れぬものの写実に過ぎぬのではないかといふ不安をなぜ懷かないのか。
 一般に芸術と現実との間の、或は芸術と自然との間の対立や不連続を余りに強調し過ぎる様に思はれる。フィクションは芸術の特権ではない。人生や現実も、自然や歴史も、すべてがフィクションである。人生観なしに人生は存在し得ない。どんな人間でもその人なりの人生観を持つてをり、それを杖にして人生を生きてゐる。イデオロギーの為に血を流すのを必ずしも愚かとは言へない。問題は、自分達のやつてゐる事がフィクションである事を見破る強靱な理性が在るか否かに係つてゐる。普通、吾々が現実とか実体とか呼んで安んじて疑はずにゐるもの、それはもはやフィクションとは気附かれぬほど使ひ古しの解釈によつて纏めあげられた事実、或はその集積の事にほかならない。それは事実そのものではない。
 人は気軽に実感などと言ふが、吾々はつひに事実そのもの、現実そのものに触れることは出来ない。なぜなら、吾々自身が事実であり、現実であるからだ。吾々は実験者であらうとして、そのつど常に被実験者に転落する。その危険と不安から免れるために、言還れば、実験者としての、或は主体としての安全を確保するために、吾々は仮説といふ解釈の砦を造り、そこから出ない様に注意してゐるだけの話だ。早い話が、吾々は誰かが自分に好意なり悪意なりを持つてゐると解釈してゐる。その真実を一々確かめてゐるのでは身が持たない。さういふ仮説の上に、小は家庭から大は国家に至るまでの集団が成立する。その意味では、秩序や歴史も同様に仮説であり、解釈に過ぎない。自然科学にしても同じ事で、日常生活以上に確かな実体に触れてゐるわけのものではない。
 芸術や文学となれば、なほさらの事である。吾々は解釈といふ杓子なしで事実に触れる事は出来ない。解釈が無ければ事実は解体する。普通、吾々が事実と呼び現実と呼ぶ時、それは或る解釈が一般化され、生産的である場合の事で、さういふ解釈を事実、乃至は現実と思ひこんでゐるのに過ぎない。さいうふ「常識」が通用しないところでは、現実は解釈なしで独り歩き出来る確かな実体ででもあるかのやうな誤解が生じる。近代日本文学史上のリアリズムとはさういふ素朴な人生観、世界観を前提として成立つた思想であり、またその技法であつた。
 が、気軽に考へれば、リアリズムとはもつと単純なものではないか。それは事実に触れ、人生の真実を追求する技法ではない。さういふ積極的なものではない。それは読者に対してフィクションを嘘と感じさせ興ざめさせない為の消極的必要悪としての文学技法に過ぎない。とすれば、これもまた嘘なのである。それは舞台芸術における装置、照明、効果に似てゐる。昔はそんなものを殆ど必要としなかつた。それが今では白けたホリゾントを客の目から隠したり、早朝の戸外と深夜の室内との区別を示したりしなければ、客が納得しなくなつた。リアリズムとはさういふ最低限の約束である。が、それでゐて、客はそれらが飽くまで約束事である事を、即ち嘘である事を承知してをり、その程度の嘘をついてくれないと、フィクションとして楽しむ事が出来ないと思つてゐるだけの事である。
 が、日本の自然主義作家はリアリズムを誤解した。彼等はリアリズムがフィクションをフィクションとして受け容れる為の消極的約束事とは思はず、人生の真実に迫る技法だと解した。厳密に言へば、それが単なる技法に過ぎぬといふ自覚を持つてゐたかどうかも怪しい。なぜなら、彼等には殆ど盲目的なとも言ふべき素朴な現実信仰があつたからである。彼等は現実を仮説や解釈なしに自立し得る堅い実体と信じ、それをフィクションと見做す認識が全く欠けてゐた。さういふところではリアリズムは技法としても必要としないし、定着し様も無い。その限りにおいて、実行と芸術、政治と文学といふ題目は潜在的に存続し、人々は今後もその矛盾に悩み続けるであらう。