岩田豊雄の「御意にまかす」「作者を探す六人の登場人物」の解説。(一九五八年発行白水社「ピランデルロ名作集」による。
 但し、内村直也の次の註あり。
 岩田氏の文章は、一九二八年「近代劇全集(第一書房)のピランデルロ篇のために書かれたものである。
 「作者を探す六人の登場人物」は、戦前、築地小劇場において非公開会員組織という形式で上演された。父親が、その娘――腹違いではあるが――を買うという個所がいけないというのが理由。
 戦後は、文学座で上演された。)

(能美註 岩田豊雄は獅子文六の本名。私は「御意にまかす」を「真実は銘々に」とした。仏訳の重訳なので、フランス訳の題名 "Chacun sa verite" を採用したのだ。が、岩田豊雄には叱られるかも知れない。)

 ルイジ・ピランデルロは一八六七年に、イタリヤはシシリイのアグリゼンデに生れた人だというから、日本流に言うと今年六十二の爺さんである。昨年はノーベル賞を貰った。戦後のヨーロッパでこのくらい花々しい成功をかちえた劇作家は一人もいない。しかも彼が劇作に手をそめたのは、一九一七年以来だからいよいよもって花々しからざるをえない。
 もっとも「五十而(能美註 にして)立」った文士ではない。小説家としては、それ以前、「故パスカル氏」の如き長篇数個及び無数の短篇を著わし、「イタリヤのモオパッサン」なる綽名を有しているくらいである。但し名声は国外に揚るまでに至らなかった。フランスなどに於ても、「故パスカル氏」の翻訳が戦前に出版されているが、一個の外国探偵小説家として以外に、待遇の道を知らなかった。
 それでは生え抜きの文士かと言えば、そうでもないらしい。「哲学」は恐るべきピランデルロ戯曲の特徴である如く、彼は哲学者として正規の教育を受け、哲学教授として永いこと衣食の道をえていた。ただ職業文士に匹敵するところのものは彼の健筆で、長篇短篇の小説の数は惜き、今年でわずか十年間の戯曲家生活の決算は、既に四十曲になんなんとしている。この驚くべき生産力は、なお当分継続するものと考えざるを得ないから、「作者を探す六人の登場人物」を以て、彼の最大傑作と決めてしまうのは早計の惧れがある。

 世には多くのピランデルロ嫌いがある。あたかもピランデルロを無責任な手品師か、ダダイストの酔漢の如く心得てる人がないこともない。少くとも自分の見るところはその反対である。ピランデルロを詳しく論ずる機会は他日あると思うが、自分の分類からはこの作家はドストエフスキイに属すべきことだけを言っておく。
 少くとも一度はドストエフスキイのように、人生の正不正と人間の悲惨と不幸を、目の玉の飛び出るほど眺めたことのある人であると思う。即ち彼は純粋な技巧派でも芸術派でもなく、むしろ正銘な人生派の現実主義者として出発点を持ってると考える。ただこのラテン人はあの偉大なスラブ人のような芸術的手段を採らなかっただけである。丁度その正反対な表現に従っただけである。それ故結果に於ては、後者が示した「予言的な大きな感情」が、前者にとっては「懐疑的な微笑」という対照を描いている。また一見人道愛宗の本家の如き観ある後者に多くの「病的」な要素を発見する(そこにこの作家の絶倫な偉大さは宿るのであるけれど)と同時に、怪奇的らしい後者の芸術の内容は案外に「健康的」であり自然的である。無論そうした相違はあり得る。性格がちがい、境遇がちがい、民族がちがい、時勢がちがうのだから、ちがうのが当然である。しかし似ている。根本のセリュウ(能美註 「serieux 真面目さ」)に於て似ている。 その証拠に両者の作品のいずれもが、必ず結末に於て一種の「審(さば)き」を持っている。
 
 「御意にまかす」の原名は、Cosi e (se vi pore) となっていて、イタリヤ語の友人に聞いてみると、「その通りだ(お前さんがそう思うなら)」という意味だそうである。自分の則った仏本では Chacun sa verite ――即ち「各人各説」という標題を持っている。(能美註 「各々にはその真実が」とも訳せる。)そう言って言えないこともあるまいが、ピランデルロの他の戯曲に正しく、「各人各説」に相当する Ciascuno a suo modo ――というものがある(日本に訳本もあり上演もされた)以上、この訳名は不妥当である。これは余計なことのようだが、万一仏訳と対照される読者の場合を考えて一言ことわっておく。
 「御意にまかす」はピランデルロの処女戯曲と言われている。しかも作者は一夜の夢のなかでこの戯曲の事件を拾い、醒めて後卒然として稿を草したとある。少々伝説めくが、もしこんな錯雑(まじ)った夢を見る人間があったとしたら、恐らくピランデルロ以外にあるまい。
 一九二四年の十一月に、パリのアトリエ座が「御意にまかす」を上演して、非常な成功を収めた。シャルル・デュランはロオジシに扮し、デュラン夫人がフロオラ夫人を演じた。後者の演技が素晴らしかった。あまりに大いなる愛は鬼気を感ぜしめる――もしフロオラ夫人に就てそういうことが言えるならば、その鬼気は、完全にデュラン夫人の体から滲み出ていた。所用あって自分は、その時アトリエ座の楽屋へ行ったが、まさに舞台に出んとするデュラン夫人の顔を寸前に見て、思わず慄然とした。ピランデルロ流に言って、楽屋にもフロオラ夫人がいたからである。
 しかしアトリエ座は、(デュラン夫人を除き)決して上出来とは言えなかった。しかもあの成功を博した所以は、恐らく脚本の力であろう。面白いストオリイだ。これも最も上々な探偵小説と言えないだろうか。デテクティヴは時流である。最も時流的都市であるパリに於て、この作家がピランデリスムのサンサシオン(能美註 センセーション)を起したのは故なしとしない。
 「御意にまかす」「裸に着物を着せる」「馬鹿」「免許所有者」「誠実であることの喜び」等を、消極的ピランデリスムと見做すならば、「作者を探す六人の登場人物」や「各人各説」はその最も猛烈なるもの、「ヘンリイ四世」の如きはその中間的特性を併せ得たるものとしてよい。
 「作者を探す六人の登場人物」は、勇敢なるラインハルトに依って、まずこの作家を世界的ならしむる端緒を得、次いでパリに於てピトエフが、やがて「ヘンリイ四世」を手掛ける前に、この作品の紹介を試みた。それが一九二三年の四月――だから、その前年の十二月に「誠実であることの喜び」を上演したアトリエ座は、「馬鹿」「御意にまかす」「すべては前よりもよし」を漸次紹介した点に於て、パリもこの作家に熱心な劇場であった。
 
 ピランデルロに就て、ギリシャ以来のあらゆる作家に超越した特徴は、その舞台性である。この作家ぐらい端的に舞台効果を意識して書いた作家はあるまい。舞台の可能性をつきつめて考えた作家はあるまい。この作家は単に作家として止らず、俳優として見物として、演出家として或は大道具係りとしてさえも、舞台に参加している。ピランデルロの戯曲は、舞台にのせて初めてその真価を輝かす。文学的読者はこの作家に対して、特にその態度を変更する必要がある。
 訳者の依った台本(テクスト)は、アトリエ座及びピトエフ一座のそれであるが、いずれもフランスの文人バンジャマン・クレミュウの手になった仏訳である。翻訳ではあるが、仏伊両国語は姉妹語であり、また仏訳者が原作家と親友の関係にあって、殆ど一手に翻訳を引き受け、十分にその特性に馴致してる点に於て、自分はかなりこの仏本訳を信用するものである。