詩人気質
            ユージン・オニール 作
             能 美 武 功 訳

(題名その他に関する註 原題は "A Touch of the Poet" 「詩人気質(かたぎ)」は、以前からこの邦訳であったが、無難なところと思う。次に、原文では、アイルランド訛りが出て来て、これがこの芝居の重要な要素となっている。訛りで話すことが、一段下の階級に属す、或は、下品なこととして位置づけられている。この翻訳では訛りを用いなかった。日本におけるどのような訛りを用いれば、下品或は一段下の階級を示すことが出来るか、訳者には分らなかったからである。最初のうち一二箇所、島根県邑智郡市木の訛りを用いて翻訳を試みた場所がある(これはこの翻訳に残してある)が、とても成功するとは思えないので、それ以降は止めた。訛りなしでも何とか雰囲気を出そうと努めたが、今のところこれが精一杯である。)

     場
   第 一 幕
メロディーの居酒屋兼旅篭(はたご)の中にある食堂
一八二八年七月二七日 午前九時

   第 二 幕
同じ 三十分後

   第 三 幕
同じ その夜およそ八時

   第 四 幕
同じ 真夜中

   登場人物
ミッキー・マロイ
ジャミー・クリーガン
サラ・メロディー
ノラ・メロディー
コーニリアス・メロディー
ダン・ロッシュ
パディー・オダウド
パッチ・ライリー
デボラ(ミスィズ・ヘンリー・ハーフォード)
ニコラス・ギャツビー

     第 一 幕
(場 ボストンから数マイル離れた村の、メロディーの居酒屋の食堂。この居酒屋は百年以上経つもの。かっては駅馬車の朝食のための停車場で繁盛していたが、駅馬車が停止になり、この数年でさびれてしまっている。)
(舞台に見える食堂とその左手奥にあるバー(これは観客からは見えない)は、昔は一部屋だったもの。低い天井、重々しい橿(かし)材で出来た梁(はり)、それに化粧板のついた壁。繁盛していた時代には、この大きな一部屋をタップルーム(酒場)と呼んでいた。その二部屋を現在仕切ってある壁は、やはり昔の壁を似せて、化粧板を使っているが、安物のため一層みすぼらしく見える。)
(左手前面に二段の階段。それを上ると扉。扉を開けると、踊り場になっていて、そこから二階へ通じる階段がある。その奥がバーに通じる扉。この二つの扉の間に、鏡がかかっている。バーへの扉の奥に小さなキャビネットが壁にくっつけて置かれている。舞台奥に四つの窓。中の二つの窓の間に、通りに通じる扉。右手前面に扉。扉を開けるとホールになっていて、その先が台所と階段。(この階段は二階に通じる主階段。)右手前方にはまた、一脚のスツールが作り付けになっている学校の教師用の高い机。)
(舞台中央前面に、二つのテーブル。一つは中央左手。四つの椅子つき。一つは中央右手。もう少し大きいテーブルで、六つの椅子つき。中央、その少し奥に、六つの椅子つきの、中央右手にあるテーブルと同様のテーブル、二個。六つの椅子つきの三個のテーブルには、白いテーブルクロスがかけてある。中央前面左手の四つの椅子つきのテーブルには、テーブルクロスはかかっていない。)
(一八二八年七月二十七日、朝九時頃。舞台奥の窓に、太陽の光。)
(ミッキー・マロイが、前面左手のテーブルの椅子に坐っている。舞台右手を向いている。新聞を眺めているところ。マロイは二十六歳。がっちりした体格。愛想のよい、いたずらな顔。口はいつもニヤニヤ笑い。少し意地悪そうな表情。)
(ジャミー・クリーガンがバーへ通じる扉を半分開けて中を窺う。マロイがいるのを見て、部屋に入って来る。一目見てマロイと同様アイルランド人であることが分る。中年。背が高く、頬がこけて顎が突き出ている。片方の頬骨の辺りに刀傷。きちんとした服装。但し、古くて擦り切れている。目が血走っていて、気分が悪そう。しかしマロイにはニヤリと笑って見せ、次の皮肉な挨拶を送る。)
 クリーガン おお元気がいいな。元気なバーテンだ。
 マロイ(同様に笑顔を返して。)早いですね。これはお早い。
 クリーガン 速いのは頭だ。(片手を頭に当て、唸る。)参った。頭の中に鍛冶屋がいやがる。ガンガン、ガンガン・・・
 マロイ 無理もありませんよ。今朝二時にここを出ていらした時は、しこたま聞こし召していたんですからね。
 クリーガン そうだろうな。出て行ったのを覚えてもいない。(テーブルの右手に坐る。)おお、お前さん、暇そうだな。
 マロイ この時間には手すきですからね。
 クリーガン 誰もバーにいないとなると、また一杯行きたくなるな。いや、迎え酒が必要なんだ。その癖、ズボンのポケットには一文もないと来ている。
 マロイ こっちの持ちで一杯どうです。(食器棚に行き、ウイスキーのデカンターとコップを出す。)
 クリーガン 有難いな。そうだ、「よきサマリア人」など、あんたに較べたら屁(へ)みたいなもんさ。
 マロイ(クリーガンの前にデカンターとコップを置いて。)夕べ飲んでたものと同じやつです。親父専用の酒ですから。バーに出たくない時、緊急用にここに置いてあるんです。
 クリーガン(かなり多く注いで。)コンに残しておいてやらなきゃ。あいつに酒が切れるようじゃ、大変だ。(コップを上げて。)お前の健康と、お前のやりたい事に、乾杯だ。・・・まあ、そいつが性質(たち)のいいものだったらな。(飲む。ほっとして溜息をつく。)有難いもんだ、ウイスキー。死んでも蘇らせてくれる。コンはまだ今朝は起きて来ないのか?
 マロイ ええ、もう少ししないと起きては来ません。
 クリーガン ここでコンにまた会うなんて、全く奇跡だ。この辺りにやって来たのは、仕事を捜すためだった。そうしたら、コン・メロディーの話が出て来て、それで俺はここに来てみたんだ。来てみたら、本当にコンじゃないか。夕べまで俺はコンの影も形も見たことがない。スペインでやったフランスとの戦争以来・・・ああ、一八一二年サラマンカの戦い以来だ。第七龍騎兵隊で、コンは少佐、俺は伍長だった。(誇り高く。)これはタラヴェラで受けた刀傷だ。運が悪いや、あいつの下で。指揮官がコンだったんだ。
 マロイ 夕べそう言ってましたよ。
 クリーガン(チラリとマロイを見て。)フン、俺が言ったか。しこたま聞こし召して、お祈り以上のことを話しちまったようだな、俺は。
 マロイ(ニヤリと笑って。)お祈り以上・・・まあ、そうですね。
(クリーガン、心配そうにマロイを見る。マロイ、デカンターをクリーガンの方に押し出す。)
 マロイ もう一杯どうぞ。
 クリーガン ただのみは好きじゃないんだ。フフン、俺はこの居酒屋じゃ信用があるようだな? コンの親戚か何かか? 俺は。
 マロイ 夕べ親父が寝に上る時に、あんたに言った言葉を忘れたんですか?「いいか、お前がここでウイスキーを浴びる程飲んでも、それはお前の勝手だ。しかし、信用貸しはしないぞ。一文たりともだ。この店はな、紳士にしか信用貸しはしないんだ」と、あんたに念を押しましたよ。
 クリーガン 畜生、あいつめ!
 マロイ(クスクス笑って。)親父が行った後、あんたは一人で考えこんでいました。その屈辱の言葉を。するとだんだん怒りが込み上げて来たんですよ。
 クリーガン 糞っ! あいつらしいや。昔からちっとも変っちゃいない。(酒を注ぎ、マロイの顔を用心深く見ながら、一気に飲み干す。)コンのことを怒っていて、おまけに酔っ払ってたとありゃ、俺は嘘八百をぶちまけたんじゃないかな。
 マロイ(狡そうに目配せして。)いや、あれは嘘とは違いますね、きっと。
 クリーガン もし俺が、コン・メロディーの悪口を言ったとしたら・・・
 マロイ おやおや、私が言いつけるんじゃないかって、怖がっているんですか? 大丈夫です。言いやしません。誓いますよ。
 クリーガン(ほっとした顔。)俺が何を言ったか話してくれ。嘘か嘘じゃないか、言ってやるよ。
 マロイ 親父さんの父親はアイルランドのゴールウェイ出身。しかし、よく話しているのとは違って、貴族じゃなく、阿漕(あこぎ)な酒場の主(あるじ)だった。金を貸したり、店子から金を絞り取ったり、ありとあらゆる手で金を儲けた。一財産つくった時結婚して、土地を買って、猟犬を何匹か飼って、貴族らしい暮しをし始めた。身を落ち着けたとたん、妻が死んで、その時親父さんを産み落としていた。
 クリーガン そこまでは嘘はない。
 マロイ その父親のメロディーと付きあう貴族など、誰もいなかった。しかし、メロディーは全くそんなことを気にしていなかった。息子のコンを、本物の紳士に育てあげようと決心して、ダブリンの学校へ送り込み、その後大学まで寄宿舎生活をさせた。貴族の息子達と対等に付き合わせるため、金にいとめはつけなかった。しかしすぐコンは気がついた。自分のツケで飲み、自分から金を借りて行く奴はいくらでもいる。がそのくせ、その連中はみんな、自分の成り上がり貴族ぶりを陰で笑っているんだと。
 クリーガン それも本当だ。しかしコンは薄笑いをしている連中の胆を冷やして、二度と笑わせないようにした。連中の一人を呼び出して、そいつの尻に弾丸をぶち込んだのだ。これがコンの最初の決闘だった。これが彼に復讐の誇り高き味を覚えさせた。それから後は、誰かれとなく難癖をつけては決闘をしたのだ。
 マロイ よく決闘の話をしては自慢していましたが、私は嘘だと思っていましたね。
 クリーガン いや、決闘の話は嘘じゃない。ただ、それが仇で、最後にケチがついた。少佐に昇進してすぐのことだ。あるスペイン貴族の女に言寄っている所を、その亭主に見つかったのだ。サラマンカの戦いのすぐ後だった。決闘をやって、その亭主を殺してしまった。えらい醜聞だ。その話が広まるのだけは抑えたが、コンは軍隊を辞める羽目になった。コンはサラマンカの戦闘でかなりの武勲を上げていた。だから助かったようなものの、そうでなかったら、軍法会議にかけられる所だった。(まづいことを言ったという表情。)いや、こいつはお祈り以上の話だったな。
 マロイ 女が絡(から)んだ話なら、親父には珍しくありませんよ。酔った時のあの人の話を聞くと、ポルトガルでもスペインでも、あの人に靡(なび)かない女などいなかったって調子ですよ。
 クリーガン あの頃のコンを見れば、お前さんでも納得がいったさ。雄牛のように強い。それに、軍服を着てサラブレッドに跨がったあの姿は、軍のどこを捜しても他にはいないハンサムぶりだ。それにあの頃のスペインとポルトガルでは、イギリスの士官と言えば、貴族の家で大持てだ。コンは運が良かった。イギリス国内じゃあ、相手に出来る女と言えば、インド人しかいなかったんだからな。(急いで付け加える。)いや、ノラは別だ。(声を低めて。)おい、この辺りでコンは女で問題を起してはいないのか?
 マロイ 起してはいませんね。下らないアメリカ産の貴族の奴等は、親父さんが家にやって来るのを拒んでいます。それから、アイルランド人も、この辺りに少しはいますが、親父さんはその連中を、付き合う価値のない屑(くづ)だと思っていますから。でもこの家に、女房子供づれで誰かが一泊することになった時の親父さんの様子を見たら、それはお笑いですよ。女房でも娘でも、いい女だとなると、立派な紳士の成りをして連中に近づいて、挨拶をしたりお世辞を言ったり。それからその後、我々に自慢するんです。いくら現代風のアメリカ貴族の成りをしていたって、俺にその機会さえくれりゃ、あんな女ども、すぐにベッドに入れて見せる、と。
 クリーガン いや、出来るな、コンなら。昔のコンを知っている奴なら、あいつがどんなに女のことを自慢しても何も文句は言わない。いや、女だけじゃない、決闘だって、博打(ばくち)だって、その他馬鹿なことなら何でも自慢出来る男だ、あいつは。あんな気違いは、どこを捜したっていやしない。
 マロイ(声を落して。)奥さんのノラのことだけど、あんたは夕べ、一言もあの人の話はしなかった。でもこれは話してくれなくても私はよく知っているんです。昔私はこの家に下宿していて、夜になると泥酔した親父がよく奥さんに怒鳴っていましたから。「お前と結婚するような羽目になったのは・・・」ああ、これは何も奥さんのことを悪く言おうとして言っているんじゃないですよ。あんな素敵な女の人はまづいるもんじゃありません。勿論あんたはよく御存知の筈ですが。
 クリーガン(あまりこのことには触れたくないという調子。)うん、知ってる。俺はあいつの地所で育ったんだからな。
 マロイ「お前と結婚したのはな、神父のやつらに嵌められたからなんだ」と。親父は坊さんが大嫌いなんですよ。だから。
 クリーガン そこのところは嘘だ。坊さんを嫌うのは勝手だが、嵌められたからじゃない。坊さんが本当のことを知っているから厭なんだ。あのコン・メロディーという男は、自分の厭なことは決してしない。他人が無理矢理やらせるなど論外だ。結婚したのは勿論惚れたからだ。しかし惚れたことを恥とも思った。ノラはコンの地所に住んでいた娘達の中でも一番貧乏・・・貧乏中の貧乏な娘だったからだ。しかし美人だった。一年中旅行して捜しても、あんな美人は見つからない。それにあの頃コンは、淋しかった。付き合う女はみんな商売女。そいつらがまたコンの財産を食い物にしている。(クリーガン、肩を竦める。)とにかくコンは、ノラと結婚して戦争に出て行った。ノラは一人で城に留まり、子供を生んだ。その間コンは戦争に行ったっきり。一度も途中で帰って来たことはない。例のことの後、スペインから送り返されると、コンはありったけの財産をみんな金に替えて、ノラと子供のサラを連れてこのアメリカにやって来た。自分のことを知っている人間が誰もいないこのアメリカにだ。
 マロイ(暫く、言われた事を考えた後。)親父があのノラを昔愛したことがあるというのは、なかなか私には考え難いですね。あの人の、奥さんへの扱いを私は見てきていますから。とにかく話して下さって有難うございます。いえ、一言だって私は言いませんよ。親父のためじゃありませんよ、奥さんのためです。
 クリーガン(陰気に。)コンは怖い。あいつのためにも黙っているんだ。昔のコンの半分でも、俺達二人、簡単に息の根を止められてしまう。
 マロイ あんなにいつも飲んだくれている癖に、まるで牛です。強いったらありません。(クリーガンにウイスキーの壜を押しやって。)もう一杯どうです。
(クリーガン、注ぐ。)
 マロイ さあ、ぐっと。
 クリーガン お前の命に、乾杯だ。
(クリーガン、飲む。マロイ、デカンターとコップを食器戸棚に戻す。右手のホールの方から、女の声がする。クリーガン、飛び上る。早口に。)
 クリーガン あれはサラだな? 俺は出る。コンを夕べあんなに酔わしてしまったからな。ここにいると叱られる。コンが下りてきたら、また来る。
(クリーガン退場。マロイもバーの方に行きかける。マロイもサラを避けたい様子。しかし、挑むように元の席に戻る。)
 マロイ あんな奴が何故怖い。逃げるもんか!
(マロイ、新聞を取り上げる。サラ・メロディー、右手ホールから登場。)
(サラは二十歳。非常な美人。黒いたっぷりした髪。白い肌。薔薇色の頬。美しい濃紺の目。貴族的な性質と卑俗な百姓の持つ性質の奇妙な混合がそこにはある。形のよい額。鼻は細くて真直ぐ。形のよい頭の両側に小さい耳。細い首。一方その口は、少し粗野で、官能的な味があり、顎は大き過ぎる。身体は優美で強い。堅くてしっかりした胸と尻。それに細い腰。しかし足が太く大きい。そして手が短くて太く、醜い。声は優しく、音楽的。しかし話をすると、時々自意識が勝って、少し大袈裟になることあり。アイルランド訛りを隠そうとするために出て来る表現のためでもある。日常の仕事着は安物。しかし優雅に着こなしていて、飾らない美を感じさせる。)
 サラ(マロイに一瞥を与え、皮肉に。)忙しい最中に邪魔をして悪いけど、私に見せる帳簿は、もう出来ているのかしら?
 マロイ(不機嫌に。)出来てますよ。机の上に置いてあります。
 サラ 有難う。(マロイに背を向けて机につく。机から小さい帳簿を取り上げ、数字を調べ始める。)
 マロイ(新聞の上から目を覗かせて、サラを見て。)利益を捜しているんなら、そんなものはありませんよ。親父がああ自分から飲んでいちゃあねえ。
(サラ、これを無視。マロイ、ムッとし始める。)
 マロイ どうやら今日も、お嬢様気分だ。あのヤンキーの坊やがこの宿屋へ来て、具合が悪くなって、二階で臥せってからこっち、こちとらに声をかける暇なんぞ、ある訳はないって顔だ。
(サラ、これも無視。)
 マロイ あの坊やがこの湖の傍に住むようになって、男ならあいつって心に決めていたんだ。この家で病人になるなんて、チャンス到来。自分を守る力もないぐらい弱りきっている時に、細工は流々という訳だ。
 サラ(マロイの方に振り向いて、静かな怒りを籠めて。)生意気に! 他人のことに口を出せる身なの? あんた。今のこと、父に話すわよ。父のお仕置きがどんなものか、あんた分っているでしょう?
 マロイ(この脅しを信じない。しかし、その可能性を考えてぞっとする。)ああ、脅かさないで下さいよ。あんたが告げ口なんかしないのは、私はよく知っているんだ。(怒らないで欲しいと頼む口調で。)本当にからかいっこなしですよ、サラ。
 サラ(数字の調べに戻って。)じゃ、サイモンのことでからかうのもなしね。
 マロイ ほほう、サイモン。もう名前で呼ぶ仲ですか。参った、参った。(狡そうな目付きをして。)そうだなあ。そんなにツンケンしていなければ、いいニュースを教えて上げられるんだがな。
 サラ まるで噂好きのおばあさんね、あんたって。そんなもの、聞きたくもないわ。
 マロイ あんたが裏の二階に上って、あいつに朝食を出してた時、大きな馬車が来たんだ。黒人の馭者がそこの角で、その馬車を停めた。そこからヤンキーのレディーが出て来て、こっちに来たんですよ。私は掃き掃除をしていて、奥さんは台所の床をこすっていたんですがね。
(この時までにサラ、マロイの方を向いている。今では全身耳になっている。)
 マロイ その女は聞きましたよ。湖に行くにはどの道がいいのかって。
 サラ(ハッとなる。)ああ。
 マロイ 私は教えましたね。でも、そっちには行かなかった。辺りを見回して、お茶が一杯欲しい。ウエイトレスは? って訊いた。何か、ハーフォードと関係があるらしいって、ピンと来ました。だってそうでなきゃ、湖の方へなんか行こうとする訳がない。あそこにはハーフォードしか住んじゃいないんだから。その女、お茶なんかちっとも欲しくはなかったんだ。ただ、もう少しここにいたかったんですよ。
 サラ(怒って。)それで、ウエイトレスはどこだって言ったのね。あんた、ちゃんと答えたんでしょうね。そのウエイトレスはここのオーナーの娘でもあるんだって。
 マロイ 言いましたよ。その女の態度、私は気に入りませんでしたよ。あんたの態度も厭ですがね。私はムッとしていました。ウエイトレスは今散歩に行ってる。それに、どの道まだここは開いていませんから、と言ったんです。そうしたらまた馬車に乗って行ってしまいました。
 サラ(今では心配になっている。)あんた、その人のことをからかったりしなかったでしょうね、無作法な態度で。どんな人だったの? その人。
 マロイ 美人でしたよ。まあ、好みはありますけど。蒼白い顔、華奢でほっそりした身体。それに大きい目。
 サラ あの人が話している母親の様子とピッタリだわ。いくつぐらいだったの?
 マロイ 難しいですね、年は。でも、あいつの母親というには若過ぎるなあ。まあ三十ですよ。多分姉さんですね、じゃあ。
 サラ 姉さんなんかいないわ。
 マロイ(ニヤニヤ笑って。)じゃ、昔の恋人だ。あんたを捜して目ん玉を刳(く)り貫(ぬ)いてやろうって腹じゃないですか?
 サラ 恋人なんかいたことないの、あの人は。
 マロイ(嘲るように。)ほほう、あいつがそう言った、それであんた、真に受けているんですか。これは完全にホの字だな。
 サラ(怒って。)人のことは放っておくことだわね。そんな馬鹿じゃないの、私は。(また心配になって。)あの人が病気でここに寝てるって、言って上げた方が良かったかもしれないわ。暑い日ざかりに、森の中を馬車を走らせたりして、無駄なことだもの。
 マロイ そんなこと言える筈がありませんよ。あの人のことなんか、これっぽっちも出てきはしなかったんですからね。
 サラ そうね。言わないのがいけないのね。でも・・・まあ、考えてもしようがないわね・・・それに、本当にその人が誰だったか分っている訳でもないんだし。
(サラ、再び数字を調べ始める。サラの母親、右手の扉から登場。ノラ・メロディーは四十歳。しかし長年の働き過ぎと心配とで、実際の年よりずっと老(ふ)けて見える。昔は今のサラと同様、美人だったに違いない。目はいまだに美しい。サラが引き継いでいる目と同じ。しかし、あまりに疲れていて、服装に時間をかけるだけの力がない。身体はブヨブヨしていて、胸は垂れ下がっている。古いドレスは袋のように、ただぶら下がっているのを真ん中で紐で留めている。赤い手はリュウマチで痛めつけられている。踵が潰れている仕事用の破れた靴。それを靴下なしで履いている。しかし、この惨めな格好にも拘らず、何か人から愛される、輝くものが身内から染み出ている。優しさ、魅力、それに悲しみが加わっている。しかしどこかに、びくともしない強さがある。)
 マロイ(パッと立上る。愛情の籠った目つきで顔が輝く。)ああ、有難い、お上さん。私は待っていたんです、お上さんのことを。ちょっと私、煙草を買いに行っている間、店をお願いしていいですか?
 サラ(鋭く。)駄目よ、お母さん、聞いちゃ。
 ノラ(微笑む。声は優しい。しかしひどいイングランド訛り。)どうして? どうして駄目よ、なの。
 マロイ 有難う、お上さん。(後ろの扉に進み、開け、サラに捨て台詞を言う。)お生憎(あいにく)様でございましたね、お嬢様!
(マロイ退場。扉を閉める。)
 サラ あんな奴の言うことをいちいち聞いてちゃ駄目よ。すぐさぼろうとしているんだから。
 ノラ そんなことないの。あの子はいい子よ。(中央前方のテーブルの向こう側の、いちばん近い椅子にやっとのことで腰を下ろす。)リュウマチが痛くてね。今朝は特にひどいわ。
 サラ(まだ帳簿の数字を調べている。母親に苛々したような、しかし同時に心配そうな目付きを送る。母親に対するサラの態度は、常に愛情と憐れみとそして苛々の混じりあったもの。)何度言ったら分るの。医者に見せなさいって言ってるでしょう?
 ノラ 医者にかかるお金なんかないのよ。それに、医者なんて縁起が悪いの。どうせ持って来るものは死神よ。(間。ノラ、溜息をつく。)お父さんが降りて来るわ。朝食に卵を用意してあげなくちゃ。
 サラ(きつい顔になる。そして辛辣に。)卵なんか食べるもんですか。
 ノラ(父親の肩を持つように。)夕べちょっと飲み過ぎたからって言うの? でも仕方がないわ。ジャミーには長いこと会っていなかったんだから。
 サラ 夕べ? 夕べに限ったことじゃないでしょう? 毎晩よ。
 ノラ ああ、そんなに辛くあたらないで。(間。心配そうに。)ネイランが請求書を持って昨日やって来たわ。今週末までには払ってくれなきゃ。さもないと、もう食料品は持って来ませんって。(溜息をついて。)無理もないわ。どうしたらいいかしら。抵当に入れている利子分だけは取っておかなくちゃ。それだけは大丈夫、有難いことに。
 サラ(苛々と。)私にお金を任せてくれさえすればいいのよ。
 ノラ(それだけは譲れない、ときっぱり。)駄目よ、それは。あなたとお父さんが掴みあいの喧嘩になるだけ。それも朝から晩まで。そうでなくてもあなたとお父さん、しょっ中啀(いが)み合っている。
 サラ どうしてネイランに先週末払わなかったの? その分のお金はとってあるって言ってたでしょう?
 ノラ とってあったわ。でもディキンスンが来てね、馬の飼料のことであれこれ言って、お父さんを責めるもんだから。
 サラ(怒って。)やっぱり! 馬が第一。人間のパンがなくなっても構いはしないんだから。たいした紳士! アメリカでサラブレッドを乗り回さなきゃ気がすまないなんて。
 ノラ(父親を庇(かば)って。)そのどこが悪いの。あの馬はお父さんの誇りなの。あれを売るなんて、お父さんの胸が張り裂けるでしょう?
 サラ そうよ。馬の方が大事なの。私達二人よりはね!
 ノラ そんなこと言わないの。あなたは大事なのよ、お父さんにとって。いつもあなた、お父さんを怒らせてばかりいるけど。
 サラ 私が大事? お父さんにとって? 冗談でしょう。馬鹿みたい!
 ノラ(鋭く。)何て言葉! それ。お父さんが悪い言葉がお嫌(きら)いなの、よく知っているでしょう? 私だって嫌い。それに、言葉が直せないなんて言わせませんよ。紳士の娘らしく、ちゃんとした言葉が話せるようにと、あなたを学校に入れたんですからね。
 サラ(ふくれて。しかし、言葉には気をつけて。)入ったけど、すぐ止めたわ。
 ノラ あなたでしょう? 止めるって聞かなかったのは。
 サラ お母さんが可哀相だったからよ。奴隷みたいにお母さんを使って。お父さんたら、何の愛情も敬意もないの、お母さんに。私にはお母さんにあるわ、愛情も敬意も!
 ノラ(優しく。)分ってるわサラ、分ってる。
 サラ(苦い軽蔑の気持で。)ウエイトレスは雇えないけど、サラブレッドは飼えるのよ。乗り回して、自分を見せびらかすためにね! それから、バーテンは雇えるのよ。ちゃんと経済を考えれば、自分がバーテンをやって、店を切り盛りするのが一番なのに。
 ノラ(聞くに堪えないという表情。)お父さんが・・・紳士が・・・バーテン!
 サラ 紳士! まあま、お母さん。世間に対してお母さんと私がお父さんを紳士だというふりをするのはいいわよ。それが世間に対する誇りでもあるでしょう。でもね、私達二人だけの時、そんなことを言うなんて、どうかしているわ。
 ノラ(頑固に。)いいえ、紳士ですよ、お父さんは。嘘じゃありません。大きな地所のお城で生まれたんです。そして大学で教育を受けて。それに、ウェリントン卿の軍隊で将校をしていたんですからね。
 サラ いいわ、お母さんがそう言うのなら。勝手にお父さんの気違いに付き合っていけばいいでしょう。でも私は厭。お父さんの正体を知らないなんて顔はとても出来ない。お父さんがしろと言ったって、そんなふり、決してしないわ。
 ノラ お父さんが嫌いなのね、その口ぶり。恥を知りなさい!
 サラ お母さんをあんな風に扱うなんて、お父さんなんか嫌い。夕べだって、過去のことをほじくり返して、お母さんと結婚したのが失敗のもとだったなんて、何ていう言い草!
 ノラ(惨めな気持。しかし抗議して。)飲んだ勢いなの、あれは。本心じゃないわ。
 サラ(苛々と。)お母さんこそ恥を知るべきなのよ。もっと誇りを持つべきなの。軽蔑されても羊のように押し黙って。あんなに奴隷みたいにして尽すから、お母さん、年よりも早く老けてしまったの。(怒って。)もう尽してやることなんかないのよ! いい? これからだって、どんどん意地悪くなるばかりよ。別れた方がいいのよ、あんな人とは。
 ノラ(怒る。)何てことを! お黙りなさい!
 サラ 今日でも出ればいいの、もしお母さんにちょっとでも誇りがあるのなら!
 ノラ 私には誇りがあるの! それはあの人に対する愛。私はあの人を見たその時から、あの人を愛した。私は死ぬまであの人を愛するの!(お前には何も分っていない、という奇妙な強い言い方で。)お前には愛するということが分っていない。これからだって分りっこないの。あの人の血がお前に引き継がれて、お前にはあの嫌らしい誇りっていうものがある。その誇りが邪魔して、愛が出来なくなっているの。何もかもみんな捨てて尽すっていう愛がね。それこそが愛っていうものなのに。
 サラ 何もかも捨てて尽すわよ、私だって。その気になりさえすれば。でも・・・
 ノラ その気に! なりさえすれば! 何を言っているの。それこそ愛を知らない証拠じゃないか。「その気に」だとか、「なりさえすれば」だとか、考えている暇はないの、愛は。地獄の火が、二人を切り離していても、相手と一緒になるために喜んでその中に飛び込んで行くの。自分の身がその火で焼け焦げても、喜びの歌を歌って。ただただ、相手の唇がお前の唇に触れることを夢みて! それが愛。私は誇りを持っている。その大きな悲しみと、大きな喜びを知ってきたから。
 サラ(さすがにこの言葉には心を動かされる。奇妙な、尊敬の目で母親を見て。)お母さん、お母さんて、奇妙な人!(サラ、衝動的に母親にキスする。)それに、偉大な人!(再び挑むように。頭を傲慢にぐいと持ち上げて。)私だって愛すわ! でも、その愛が自由を与えてくれるものでなくちゃ。奴隷の生活になるようだったら愛すもんですか。
 ノラ 愛していたら、奴隷の生活なんてないの!(急に高揚した表現が頽(くづお)れ、ノラ、泣きだす。)お願いサラ、私から愛の誇りを奪わないで。私にその誇りがなくなったら、私はただの醜い、肥った、病気で年とった、本当にただの女。
 サラ(片手を母親に回して。慰めるように。)いいのよお母さん、私のことは気にしないの。(突然、母親の気持を変えるために。)この帳簿を終らせなくちゃ。ミッキーの奴、足し算さえ満足に出来ないんだから。(机に行き、数字をチェックし始める。)
 ノラ(涙を拭く。間の後、心配そうに溜息をついて。)お前のお父さんのことで私は心配なの。フリン神父様が、昨日道で私を止めて言ったわ。ここに住んでいるアイルランド人達のことを馬鹿にして、「カス、カス」と呼ぶのは止めにしないと、痛い目に会うって。民主党のジャクソンに反対して、ヤンキー達の党のクインスィー・アダムズの味方をするなんて、何というけしからん奴だって、怒っているそうなの。
 サラ(軽蔑の意を籠めて。)全く、あの人達にも呆れるわ。冗談ってものが分らないのかしら。お父さんが、どういう出か、それを考えれば、民主党に反対してヤンキーの貴族を応援するなんて、全く馬鹿な話じゃない。それに、お父さんが初めてここへ来た時、詐欺同然で金を騙し取ったのはあのヤンキーの貴族達なのよ。ここに駅馬車が停ることになっているなんて話をして、この宿屋を買わせたんですからね。(苦い笑い。)そう、アメリカ移民中最大のカモよ、お父さんなんか。私、お父さんがだらしないって心底思うのはそこなの。お父さんがアメリカに渡って来た当座、お父さんだったら、何でも出来た筈。いつでも吹いている法螺(ほら)通りのことが出来たのよ。大抵のヤンキー達よりはお父さんの方が何倍も教育があって、お金だってうんと持って来ていた。それに、このアメリカっていうところ、下層民からだっていくらでも上に上れるんですからね。それから金と力がありさえすれば、どんなに上に上ろうと誰も羨(うらや)みはしない。(心から。)ああ、私があの時のお父さんだったら、私が叶えられない夢なんてなかった筈だわ!
(サラ、母親を見る。ノラはじっと他のことを考え、気落ちした様子。サラの話は聞いていない。サラ、一瞬苛々っとする。しかしそれから、同情を籠めて微笑む。)
 サラ お母さんたら、丸で何も聞いてくれやしないんだから。ほら、目を醒して。何なの? 今度は。
 ノラ フリン神父さん、また私に言ったわ。私は地獄に落ちるって。だってそうでしょう? お父さんの言うままになって私もお前も、異教徒になるんだから。
 サラ(頭を傲慢にぐいと持ち上げながら。)フリン神父さんなんか、自分の頭の蝿を追っていればいいの。何よ、お母さんにお伽(とぎ)話をして怖がらせたりして。
 ノラ でも、地獄落ちは本当の話だわ。
 サラ 本当の話! 呆れたわね。フリン神父さんに言ってやればいいのよ。あなたがいいように騙しているここら辺りの掘立て小屋のカス連中と、私達とは違うんですからねって。(サラ、突然話題を変える。ミッキーの帳簿をバタンと閉じて。)さ、これでお仕舞い。(帳簿を机の中に入れる。)店まで散歩に行って、ネイランと話して来るわ。出来るかどうか分らないけど、おべんちゃらを言って、支払いを一箇月延ばして貰うわ。
 ノラ(感謝して。)ああ、お前なら出来るわ。木にとまっている鳥だって、お前がその気になれば言う通りになる。でも、ヤンキーにおべっかを使わせるのは気の毒。私ならいいけど、お前はどんなに厭か、私は知っているもの。
 サラ(両腕を母親に回して。優しく。)私、ちっとも構わない。それでお母さんの死にそうに心配していることが軽くなるなら。(キスする。)他所(よそ)行きの着物に着替えるわ。相手をいい気分にさせた方がいいもの。
 ノラ(揶(からか)うような微笑を浮べて。)いい気分にさせるのはネイランだけじゃないようね。最近お前、他所行きに着替えるの、しょっ中よ。
 サラ(シナを作るように。)まあ、狡いわお母さん、そんな風に見ているなんて! ええ、そう。そうかもしれないわ、私。
 ノラ 今朝、朝食を持って行った時、あの人どうだった?
 サラ お腹をすかせていたわ。それはいい徴候。夕べは熱がなかったの。恢復してきたのよ、順調に。湖のあの小屋に帰れる日もそう遠くないわ。
 ノラ あの人がこの一年間やってきたことって、何なの? 私にはさっぱり分らない。乞食のような・・・良く言って何でも屋みたいなことをやって生きてきて・・・金持ちの紳士の息子だっていうのに。
 サラ(優しい微笑を浮べて。)紳士だなんて一括(くく)りに出来るような人じゃないの、あの人は。ええ、そう言えばどんな種類の人間でもないわ。たーくさん夢があって、その夢が全部本気なの。もう以前話したけど、ハーバードを卒業して一年間、父親のところで働いたんだけど、止めちゃったの。商売なんか自分の仕事にしたくない、だって。世界中と取引があるのよ、お父さんの会社は。それに、自前の船だって沢山あるし。
 ノラ(それを認めるように。)本当の紳士ならそう考えるものだけど・・・
 サラ 荒れ地の中でたった一人で生きて、自分の独立を証明したかったの。自分の小屋を建てて、自分の事は自分でして、自活する。そして、自然と一体になってみたい。それから人生の意味に関する偉大な思想に思いを馳(は)せ、それについて本を書く。どうすれば人々が金や土地に執着せず、少しのもので満足し、平和と自由の中で暮せるようになれるか。どうすれば、そのような世界にこの世を変えられるか。それは結局、この世に天国を作ることなんだけど。(サラ、優しさを籠めて笑う。・・・少し嘲りも含まれている。)全部は私、覚えていない。気違いじみた考えよ。人間て、そういうものじゃないもの。あの人まだ、一行だってそれについて書いていない。ただ覚書だけ。(媚態を含んで、微笑。)この二三箇月、あの人の書くものって、みんな愛の詩。
 ノラ 二人で湖の畔(ほとり)に長い散歩に行くようになってからね。(微笑む。)そう、狡いのは私じゃない、お前の方よ。
 サラ(笑って。)ええ、散歩に行ったって、ちっとも悪くはないわ。あそこは私達の土地ですもの。(嘲りの調子に変って。)お父さんがここに来て買った土地! アメリカの財産を自分のものにするんだっていう意気込みで。たいしたもの。ただ詐欺にあっただけなんだから。ほんの少しの農地・・・今じゃ誰も何も作れやしない畑・・・それにあとは、何の役にも立たない荒れ地! 誰かにただでやろうって言ったって、受け取り手もいやしない。
 ノラ(宥めるように。)もう止めて。(話題を変えて。)そうね、あのハーフォードの息子、確かに詩人の気質(きしつ)があるわ・・・(思わず次の台詞を言ってしまう。)お前のお父さんと同じ。
 サラ(唾棄(だき)するように。)何言ってるの! お母さん。バイロンを吟じれば、もうそれで詩人? 呆れた!
 ノラ(左手の扉に心配そうに目をやって。)ちょっと! お父さん、いつ入って来るか分らないわよ。(話題を変えて。)あのハーフォードの若いの、お前に惚れてきたのね?
 サラ(勝利に顔が輝く。)惚れてきた? あの人もう、頭の天辺から足の爪先まで、どっぷり私に惚れているのよ。気が小さいからまだ何も私には言ってないけど、それもそのうちよ。
 ノラ お前も惚れているんだね?
 サラ(あっさりと。)ええ、そう。(すぐに付け加えて。)でも、どっぷりとじゃない。男の奴隷になるなんて厭。それほどには惚れないの。私、あの人を騙さない。そして私自身も騙さない。丁度それぐらいの強さで、あの人を愛すの。(きっぱりと。)だってお母さん、私、あの人と結婚するつもりでいるんだもの。あの人との結婚、それは私が世に出るチャンス。それを誰にも邪魔させはしない。
 ノラ(感心して。)あらあら、随分自信があるのね。でも、あっちの家族、ヤンキーの貴族よ。貧乏なアイルランド人の女と結婚すると分ったら、父親は一銭も与えずにあの子を放り出すわ。
 サラ 最初はね。でも私がどんなにいい妻になるか、それを見せれば、私との結婚を喜んで認める筈。私には分っているの、サイモンだって、父親のことなんか問題にしていない。私が心配しているのは母親の方。母親にはあの人、随分影響を受けている。ひどく変った人らしいの。サイモンの話から分るわ、私。暮し方からして変っている。決して外に出ないで、自分の家に籠りっきり。本を読んだり、庭仕事をしたり。(間。)今朝馬車が来たの、知ってるの? お母さん。
 ノラ(他のことを考えている。・・・心配そうに。)「取らぬ狸・・・」は駄目よ。ハーフォードの若旦那・・・それは身持ちはいいだろうけど・・・でも、あの人の本心が結婚にあるか・・・ねえ?
 サラ(怒って。)あの人の悪口を言って欲しくないわ、お母さん。そんないい加減な気持で・・・(苦々しく。)きっとお母さんはあの人が私の・・・(「身体だけを」と言いかけて止める。恥ぢて。)ご免なさいお母さん、でも本当にあの人のことを悪く取っちゃいけないわ。(微笑んで。)だってお母さん、知らないんでしょう? そう、誘惑っていう話になったら、私の方があの人を誘惑するしか手はないのよ。私のことをマリヤ様みたいに崇(あが)めているんだから。私が出て来るところは、あの人の詩と日記。あの人の小屋を掃除しに行った時、私、日記を覗いたの。自分の罪深い気持、私に対してそれがどんな侮辱になるか、それをとても恥ぢているわ。(優しく笑う。)
 ノラ(微笑む。しかし、少しショックを受けて。)いけないわ、そんなこと。あの人が病気だからって、部屋にまで入るのは良くないわ。二人が顔を合わせて話すだけでも大変なことよ。
 サラ 人がどう思おうと、そんなことどうでもいい! 私の知ったことじゃない。それに、サイモンだって。あの人、優しい顔をしているけど、他人にあれこれ言わせたりしない。あの人の詩、それに夢、その後ろにあるものを私、感じとれる。あの人は自分のやりたいことは何でもやってのける。だから、父親があの人を放り出したって、私とあの人二人だけで立派に世に出て行ける。私だって馬鹿じゃないの。
 ノラ あらあら、たいしたもの。立派な考えを持ってるのね。
 サラ(笑って。)そう、たいしたものよ、私って。(それから苦い調子で。)立派な考えを持って生きるしか他に道はなかったわ。頭を上げて、誇りをもって生きるには。だって、ウエイトレス、それに宿屋の下女として奴隷のように働かなきゃいけないんですものね。父親を紳士らしく毎晩飲んだくれさせるために!
(左手の玄関の扉がゆっくりと開き、コーニリアス・メロディー登場。二段のステップの上の、扉のところに立つ。メロディーとサラ、睨み合う。サラ、憎しみで身体を強張(こわば)らせる。口は軽蔑を込めて堅く閉じられる。一瞬メロディーの目、揺れて、すまなそうな表情が現れる。次に無表情な顔になる。メロディー、段を降りて、頭を下げる。・・・陽気に。)
 メロディー お早う、サラ。
 サラ(ぶっきら棒に。)お早うございます。(それから、メロディーを無視して。)お母さん、私上に行って着替えて来るわ。(右手から退場。)
(コーニリアス・メロディーは四十五歳。背が高く、肩幅が広く、大きな胸。長い筋肉質の腕。大きな足。大きな毛の生えた両手。見るからに筋力のある男。骨太の身体は、まだ頑丈でしっかりしており、兵士として勤まる。少し震えはあるが、それ以外にはアルコールによる悪影響は見えない。雄牛のような、疲れを知らない力。強い、百姓の持っている生命力。ただ、飲み過ぎによる影響は、その顔に現れている。それは荒廃した顔。かっては怖(おそ)るべくハンサムだった・・・無鉄砲で傲慢な人間に特有の美男だが・・・その顔は今でもまだハンサム。苦い気持をもったバイロン的な顔・・・他人を圧倒し、また侮蔑している官能的な口、その上にあるくっきりと際立った鼻、蒼白い窪んだ頬、ふさふさしている巻き毛の白髪の混じった髪の毛。その表情には際立って破滅的なもの・・・蔑(さげす)まされた自己の誇りをじっと心のうちに溜め込んでいる・・・がある。血走った灰色の目は冷たく相手を見据え、自分への侮辱を警戒しているかのようである。態度物腰は、洗練された紳士のもの。但しあまりにもそうである。その洗練された紳士を演じ過ぎるため、人はすぐ、彼が本当の自分より以上に、その演じている役の方が本物になってしまった人物だ、と感じてしまう。しかしそういう欠点にも拘らず、彼には、人に良い印象を与える何ものかがある。衣装はおしゃれで優雅。半島戦争(Peninsula War)時代に、イギリス貴族が着用した、古い高価な、仕立てのよい衣服。)
 メロディー(部屋に進みながら・・・礼儀正しく妻に挨拶する。)お早う、ノラ。(謙(へりくだ)った調子。但し、あくまで身分の下の人間に言う態度。)
 ノラ(立上る。おづおづと。)お早う、コン。今、朝食をお持ちしますわ。
 メロディー いや。有難う。今は何もいらない。
 ノラ(夫に近寄って。)顔色が悪いわ。気分が悪いの? コン。
 メロディー いや。
 ノラ(夫の腕に片手をおづおづと置いて。)さあ、どうぞ坐って。
(メロディー、本能的にその手を振り払って、中央前方のテーブルに行き、ノラが先ほど坐っていた椅子に坐る。ノラ、夫につき纏(まと)うように従い。)
 ノラ タオルを冷たい水で冷やして来ます。頭をそれで巻きましょう。
 メロディー いらん! 何もすることはない。ニュースが読みたい。私を放っておくんだ!(新聞を取り上げ、持ち上げる。ノラから顔を隠すため。)
 ノラ(大人しく。)ええ、分りました。
(ノラ、右手の扉に進む。しかし、心配そうに振り返り、メロディーをじっと見つめる。メロディー、左手で新聞を支え、顔を隠し、右手でテーブルの上の水差しに手を延ばし、コップに注ぐ。ノラは見えていないが、彼女のことをひどく意識している。右手、あまりに酷く震えるので、コップを唇まで持って来る時、水がこぼれて手にかかる。メロディー、コップをテーブルに叩きつけるように音をたてて置く。新聞を下げ、苛々と大声を上げる。)
 メロディー 何だ! 見つめるのは止めろ!
 ノラ 私・・・私、あなたが少し何かを召上れば楽になるんじゃないかと思って・・・
 メロディー さっき言ったばかりだぞ!(癇癪(かんしゃく)をやっと抑えて。)私は腹は減っていないんだ、ノラ。
(メロディー、再び新聞を持ち上げる。ノラ、溜息をつく。両手でエプロンを握る。間。)
 ノラ(ぼんやりと。)迎え酒がいいんじゃないかしら。
 メロディー(この一言が聞きたかったらしい。表情に緊張のほぐれるのが見える。しかし、返事は次の立派な答。)いや、アルコールはもう駄目だ。良心にかけて、私の決心を言おう。私はもうこれ以上飲まない。それに、まだ日は早い。
 ノラ 迎え酒で、もし食欲が出るんだったら・・・
 メロディー 正直のところ、私の胃は普通じゃないからな。(唇を舐める。)一滴ぐらい飲んでも毒にはならんさ。
(ノラ、食器戸棚からデカンターとコップを取って、メロディーの前に置く。諦めの、悲しみの表情でメロディーを見つめる。メロディー、目は新聞の方に向けているが、はっきりとノラの視線を感じ取っている。彼の神経はそれに耐えられない。メロディー、新聞を投げ下ろし、怒って怒鳴りつける。)
 メロディー エーイ、分ってるんだ、お前の考えていることは! 一度くらいはそいつを口に出して言ったらどうなんだ! その方がこっちだってお前に対して尊敬の念が湧くというものだ。いじいじしているっていうやつが、私は一番嫌いなんだ! 実際私は時々思うことがある。お前は私をわざと怒らせて面白がっているんだと。そうだろう。それでお前は私より一段上に立っていると思っているんだ!
 ノラ(面食らって。涙が出そうになって。)そんな・・・違います。そんな風にお考えになって、お気がすむのなら・・・でも、違います。私、決してそんなこと・・・
 メロディー(表情が変る。本当の愛情がその目に現れる。震える手を差し伸べてノラの肩を叩く。奇妙な優しさの気持、次の台詞は静かに、心から後悔して言う。)許してくれ、ノラ。今の言葉は本当にいけなかった。
(ノラの顔、パッと明るくなる。突然メロディー、恥ぢたことを恥ぢる。目をそらせ、デカンターを握る。震える手であるにも拘らず、コップにちゃんと注ぎ入れる。コップを握り、口まで持って来て、飲む。それから椅子の背に凭れ、テーブルをじっと見つめる。アルコールが効いて来るのを待つ。間の後、「助かった」という溜息。)
 メロディー こいつは私には薬のようなものだ。やっと人心地がついた。(もう一杯。今度は大量に注ぐ。手は震えていない。さっきより楽に飲み干す。舌づつみをうつ。)神もご照覧あれ、だ。落ちぶれて宿屋などをやっているが、狡いことはしていないぞ、この私は。ウイスキーは一級品を置いている。紳士の飲み物として恥づかしくないぞ。(新聞を再び眺め始める。何かに顔を顰め、軽蔑するように、新聞に書かれているバイロンからの引用の誤りを強調しながら。)「そこであんな奴はただ腐るに任せておくんだ。野心に踊らされた馬鹿、不名誉な奴め。」アンドルー・ジャクスン! 何て奴だ。あの馬鹿がこのところ書きまくっている。みんな嘘っぱちだ。語るに落ちた酔っ払いのゴロツキめが! それでも次の大統領は奴の手の内にある。こちらがいくら阻止しようとしても駄目だ。全くこの世紀末の世の中め。呪われた時代だ。至る所で人間のカスが最高の地位についてゆく。(新聞の日付に目がとまる。突然げんこつでテーブルを叩く。)今日は二十七日じゃないか! エーイ、忘れるところだったぞ!
 ノラ 忘れるって?
 メロディー タラヴェラの記念日だ。
 ノラ(急いで。)まあ、私も馬鹿だわ。忘れていたなんて。
 メロディー(苦々しく。)私自身だって忘れていたぐらいだ。無理もない。こんな掃き溜めにいちゃあ、あの輝かしい日も遠くなる。あの日はウェリントン伯爵が・・・いや、あの頃はまだウェレスリー卿だった・・・この私の勇気を全軍の前で誉め讚えてくれた日だ。(部屋を侮蔑の目付で見回す。)全くあの日ももう遠い。忘れた方がましだ!
 ノラ(夫を焚き付けるように。)駄目よ、忘れるなんて。今までだってお祝いを欠かしたことはなかった。今日だってお祝いをするのよ。いつものように夕食は特別に用意するわ。
 メロディー(急に態度が変る。熱心に。)いいな、それは。ジャミー・クリーガンを招こう。彼がここにいるとは運がいい。タラヴェラでは、お前も知っているが、あいつは私の下にいたんだ。紳士ではないが、勇敢な兵士だった。あれは私の右に坐らせよう。そうだ、パッチ・ライリーに音楽をやらせよう。オダウドにロッシュもだ。やくざな奴等だが、時々はひどく笑わせてくれる。しかし席はあっちだ。(左前のテーブルを指す。)お情けで来させるには来させるが、同じテーブルで食うところまでは譲らない。
 ノラ トランクからあなたの軍服を出してくるわ。夕食の時に着て。毎年やるように。
 メロディー うん。正直のところ、あれを着る口実があるのは有難い。あの頃の私が、少なくとも幽霊としてぐらいは感じることが出来るからな。
 ノラ 幽霊なんかじゃない。あれを着ると本当にあなた、美男子よ。どんな女だって、その姿には引きつけられてしまう。
 メロディー(嬉しそうに微笑んで。)今朝のお前は口がうまいようだな、ノラ。(それから、威張って。)しかし、お前の言う通りだ。あの頃ポルトガルでもスペインでも・・・(言い止む。恥づかしいという表情。しかしノラは抗議する様子全くなし。メロディー、ノラの片手を取り、優しく叩く。ノラの目は避けて。)お前は世界一優しい心の持主だ、ノラ。そしてこの私ときたら・・・(ぐっと胸に来て、言葉が詰まる。)
 ノラ(すぐに涙が溢れそうになって。)そうよ。女であなたに目を向けないような人なんかコン、一人も・・・(ノラ、片手で目を拭う。急いで。)買い出しに行って来るわ。何か美味しい物を。(思い出してノラの顔、急に暗くなる。)でもどうしましょう。お金が・・・
 メロディー(身を堅くして・・・傲慢に。)金? いつから私への信用がなくなったというのだ。
 ノラ(急いで。)ああ、怒らないで。何とかするわ。
(メロディー、新聞に戻る。金のことに頭を使う自分ではない、という態度。)
 メロディー ハッ! バルティモアーの鉄道工事が進んでいるようだな。(新聞を下ろして。)全くの話が、私がここへ来た早々、あんなお人好しの馬鹿でなく、ヤンキーの盗人(ぬすっと)奴(め)らに有り金全部騙し取られるようなことをしていなければ、これこそ私の投資先なんだ。さぞ金持ちになっていたろう。近視眼の馬鹿者どもが運河に通う船で輸送力は充分だなどと戯(たわ)けたことを言っていたが、宏大なこんな国では、鉄道を引かなきゃならないことぐらい、目に見えている。鉄道を引けば、アメリカは豊かで偉大な国になるのだ。それもアッという間にだ。(顔の表情、憎しみに満ちたものになる。)次の戦争でイギリスを叩き潰せるぐらいにだ。そう、イギリスとの戦いは避けられん。それは分っているんだ。その勝利を祝う日まで生きていたいぞ、私は! 私の人生でたった一つ後悔することがあると言えば・・・いや、後悔することばかりだ、私の人生は・・・しかし、その中でも最大のものは、後で私の体面を汚すようなことしかしなかった国のために、血を流して戦ってやったことだ。しかし私は必ず仇(かたき)をうってやる。この国・・・今では私の国だ、これは・・・この国はあのイギリスの奴らを地球の表面から追い出してくれるぞ! 奴らがその恥知らずな裏切りで汚した、この地球の表面から!
 ノラ そうなったらいいわ。そしてアイルランドを解放するの!
 メロディー(軽蔑したように。)アイルランド? あんなものを解放して何の得がある。勿論アイルランド人を追放するのなら話は別だが。(それから苛々と。)しかし、何だこれは。こんなことを何故お前と議論しなきゃならん。
 ノラ(慎(つつ)ましく。)すみません。私は無知ですから。
 メロディー 私はお前を教育しようと手をつくしてきたんだ。アメリカに来てから・・・それが無駄なことだと分るまでな。
 ノラ ええ、手をつくして・・・私も一生懸命・・・でも・・・
 メロディー お前はその糞忌々しい田舎なまりも直そうとしないじゃないか。それにサラもだんだん悪くなってきている。
 ノラ あの子が田舎のなまりを使うのは、あなたを揶(からか)うためですわ。その気になればあの子は、この国のどんな貴婦人にだって負けない立派な英語を話すんです。
 メロディー(聞いていない。自分の考えに閉じ籠って。)馬鹿な、一体私が何者だというんだ。私が誰かを何かで責める・・・そんなことがどうして出来るというんだ。お前は何故私に言わないのだ。御自分の身を振り返って見ろと。
 ノラ 私・・・そんなことを今まで言ったことはありませんわ。
 メロディー(じっとノラを見つめる。再び心を打たれる。・・・静かに。)ない。お前がそんなことをしないのを、私は知っている。(目を逸らす。・・・間の後。)夕べのことは私が悪かった。謝る。
 ノラ いいの。忘れて。
 メロディー(わざと取り繕って、軽い調子で。)いや、飲み過ぎた。ジャミー・クリーガンと昔話に花が咲いて。
 ノラ ええ、そうね。
 メロディー ちょっと調子に乗り・・・昔話をやるとどうも・・・つい厳しくなって・・・しかし分ってるな? あれは酒の上での話だ。たとえお前に辛く当たってもだ。
 ノラ ええ、分ってますわ。
 メロディー(心を打たれて。片手でノラの身体を抱いて。)お前は優しい・・・優しい女だよ、お前は・・・優し過ぎる。(ノラをキスする。)
 ノラ(これ以上ないという幸せな気持。)ああ、コン・・・あなた・・・あなたが暗い気持で喋っている時の話なんか私、ちっとも気にしない。ね? 分っているでしょう? 私があなたを愛しているのは。
 メロディー(突然気分が変って顔を顰(しか)める。嫌悪の感情が爆発する。ノラを引き離して突き放しながら。)何だ一体! 何故お前は髪を洗わないんだ。ニンニクの臭いだ! それに、シチューだ! むかついて、反吐が出そうだ!
(デカンターに手をのばし、震える手で一杯注ぐ。ノラ、まるで彼に殴られたかのような表情でそれを見る。)
 ノラ(やっとのこと。)私、出来るだけ洗ってる。あなたに気に入るようにって。でも私、一日中竈(かまど)の前に立ちっぱなしで・・・だからどうしても・・・
 メロディー すまない、ノラ。今言ったことは忘れてくれ。どうも神経が苛立っている。私を一人にしておいてくれ。
 ノラ(少し明るい顔になって。)朝食、召上る? 新鮮な卵があるの・・・
 メロディー(ノラから離れられる好機だと・・・性急に。)じゃ、頼む。もう少ししたら出してくれ。十五分後だ。しかし今は一人にしておいてくれ。
(ノラ退場。メロディー、注いだウイスキーを飲む。立上り、あちこち歩き始める。両手を腰の後ろに組んで。ウイスキー三杯の効き目が出て来て、彼の顔はだんだんと傲慢に、自信に溢れたものになって来る。左手の壁にある鏡に写る姿に目をとめ、その前に立ち止まる。潔癖性独特の手付きで袖の埃を払い、上衣の位置を直し、自分の姿を見る。)
 メロディー やれやれ、この格好ならまだ将校、紳士で通るな。私は死ぬまでこの姿を保つぞ。運命がどんなに攻め立てても、私の精神は怯(ひる)まない。(肩を挑むように反(そ)らす。鏡の中の自分の目を見つめ、バイロンの「チャイルド・ハロルド」を吟ずる。この詩があたかも、自分の人生を正当化するための誇り、を掻(かき)立てる呪文であるかのように。)
 「俺は世間を、世間も俺を、相手にしたことはなかった。
  俺は世間の奴らに、おべっかを使ったことはない。
  やつらが崇(あが)め奉(たてまつ)っているものに、
  連中と調子を合わせるために、
  一緒に膝まづくことなど、したこともない。
  お愛想笑いに自分の頬の皮を緩めたこともなければ、
  連中が誰かに、声を揃えて讚歎の声を上げる時、
  俺はただ、それを冷やかに眺めてきた。
  連中に俺を、その仲間の一人だと思わせたりするものか。
  俺は立っている。きやつ等に交じって。
  だがいいか、俺は奴らの中の一人じゃないんだ。・・・」
(メロディー、間を置く。それから繰り返す。)
 メロディー
 「だがいいか、俺は奴らの中の一人じゃないんだ。」
全くうまい表現だ。有難いぞ、詩人かつ貴族、ロード・バイロン・・・奴らへの侮蔑を、よくぞ詩にまで高めてくれた。
(サラ、右手の扉に登場。一張羅に着替えている。青い色のドレス。彼女の目の青によくうつる。二三歩後戻りをするが、そこでメロディーを軽蔑の目で見つめ、立ち止まる。メロディー、サラのいることを感じ取る。ハッとなって鏡からサラへと急に目を移す。ちょっとの間、混乱してバツの悪そうな表情。しかし、すぐに紳士的な、洗練された態度で、サラに一礼する。)
 メロディー ああ、お前だったのか、サラ。朝の散歩に出かけるのか? それなら絶好の日和だ。この素晴らしい天気は、お前の頬に薔薇の花を齎(もたら)すぞ。
 サラ 薔薇の花など知らないわ、私。でも頬には必ず恥を表す赤みがさすでしょうね。ネイランのところへ行って、もう一箇月ツケを延ばして貰うよう頼むんですから。お母さんに払わせたでしょう、あのサラブレッドの飼料代を。(メロディー、この台詞を聞いている様子なし。サラ、痛烈な一撃を加える。)鏡なんか見ちゃって! いい気なもの! 自分の姿に見惚れたりして!
 メロディー(軽い調子で。)うん、どうやら、虚栄心の強い孔雀さながらだったな。羽根など、嘴(くちばし)で整えて。こんなところでおめかしをしたのは、私の部屋が暗いからなんだ。あの穴蔵じゃ、あまりよく見えなくてな。
 サラ 家で一番いい部屋にいる癖に! あの部屋こそ人に泊らせるべきなのよ。
 メロディー いや、部屋に不平を言っているんじゃない。ただ、説明しておかねばならんと思ったまでだ。虚栄心に見えたものをな。
 サラ 見えたもの!
 メロディー(調子をあくまで軽く保って。)おいおいサラ、今朝はどうも寝起きが悪いようだな。無理矢理喧嘩をふっかけて来るとは。しかし喧嘩には人間が二人必要だ。私には全くそんな気はない。その逆だ。丁度今、お前に言おうとしていたところなんだ。お前がなんて美人で可愛らしいかっていうことをな。
 サラ(嘲るような、ぎこちない、召使のお辞儀をして・・・田舎の訛りで。)まあま、お褒めにあずかって、旦那様。(おおけに、おおけに。)
 メロディー 日に日にお前はお母さんに似て来る。私が初めて会った時のお母さんの姿にな。
 サラ(また訛りで。)何のつもりなの? それ。おべんちゃらは止めて!(何のつもりなん? それ。おべんちゃらは止めんさい!)
 メロディー(この一言はこたえる。我にもあらず腹を立てて。)黙れ! 何て言葉を使う! この私に向って。まるで無知の下司(げす)女だぞ。お前は私の娘なんだ!(やっと自制して、無理に笑いながら。)いいところを突かれたよ、サラ。お前は人を怒らせる天才だ。そう簡単にお前の手に乗ってはいけなかった。お母さんがさっき教えてくれたばかりだ。訛りは私を怒らせる時だけに使うとな。(メロディー、無意識にテーブルの上のデカンターに手を延ばす・・・慌てて引っ込める。)
 サラ(侮辱するように・・・今度は訛りなし。)さあ、さっさと飲んだら? 私の前で恥ぢることなんかないでしょう? もう何年もやっているんですからね。
 メロディー(傲慢に。)恥ぢる? 分らないね。紳士は飲みたい時に飲む。自分の酒がある時にはだが。
 サラ 紳士!
 メロディー(再び陽気に。)私が躊躇(ためら)ったのは他でもない。今日は控えようと決心していたからだ。しかしお前がそう言うのなら・・・(コップに注ぐ。少しだけ。今回は手は全く震えていない。)お前の幸福に・・・乾杯!
(サラ、侮辱の目でメロディーを見る。メロディー、優雅に続ける。)
 メロディー ちょっとお前に坐って貰いたいんだ。このところずっとお前と話がしたくてな。(中央のテーブルの後ろで、サラのために椅子を引いてやる。)
 サラ(疑い深くメロディーを見る。それから坐る。)何なの、話って。
 メロディー(父親らしい、そして冗談を言うような口調で。)お前の幸福についてだ、サラ。お前と話をしたいというんだから、お前の幸せについてに決っている。まあ、私が盲(めくら)になっていない限りな。我々の病人、サイモン・ハーフォードの具合はどうだな? 今朝は。
 サラ(ぶっきら棒に。)いいわ。
 メロディー それは良かった。(女性をたてる言い方で。)しかし、よくなる以外にありようがないからな、こんな魅力的な看護婦さんがついていては。
(サラ、冷たく父親を見る。メロディー、続ける。)
 メロディー ずばりと本論に入ろう。サイモンはお前に惚れている。そんな事は半分目を瞑(つぶ)っていても分る。それに勿論、お前はそれを知っている。そしてその恋を受けて立っている、どうやら。
 サラ「どうやら」・・・勝手に想像したらいいわ。
 メロディー フン、するとお前も相手に惚れているということか。それはいい、サラ。(メロディー、感傷的な、ロマンチックな気分になる。)惚れた人間にこっちも惚れられる、これぐらい幸せなことはない。死すべき人間に与えられた最大の恵みだ。特にそれが初恋となるとな。バイロンも言っている。(詩を吟じる。)
  「これよりも、あれよりも、何よりも、甘きもの、
   それは恋。燃え上がる、初恋。
   それは際立っている。昔アダムがイヴに・・・」
 サラ(乱暴に途中で遮って。)バイロンの朗唱を聞かせるためなの? 私を坐らせたのは。
 メロディー(続けられなかった無念さと腹立たしさを隠して。陽気に。)いや。私が言おうとしていたのは、お前に対する祝福だ。私からの祝福がお前に何かの意味があればの話だがな。ハーフォードのあの若いのは、確かに、なかなか立派な男だ。話をしてみたが、楽しかった。こういうところで、教育のある紳士と再び話が出来たのは実に有難かった。若いのに少し真面目過ぎるところがある。それにヤンキー一流の冷淡さがあるが、その埋め合わせとして、あれにはロマンチックな詩人の気質(きしつ)がある。
 サラ あの人、認められてよかったわ。
 メロディー お前のためにと思ってな、私は多少あれの家族について調べてみた。
 サラ(怒る。嘲るような訛りの言葉で。)あらそう。そうなの。御親切なこと! あのバグパイプ吹きのパッチ・ライリーに調べさせたの? それともダン・ロッシュ? パディー・オダウド? それとも誰か他の飲んだくれの音楽家に?
 メロディー(聞こえなかったかのように。機嫌よく。)私の判定基準にはどうやら合格だ。
 サラ そう。それは良かったわ!
 メロディー 父親は紳士のようだ・・・つまりヤンキーでの標準での話・・・実業家というものがその地位にあるとしてだ。しかし私自身、もうアメリカ人だ。昔の基準に固執するのは俗物趣味と言われても仕方がないからな。
 サラ そう。俗物趣味。
 メロディー 私にも自尊心がある。だから時々、自分がもはやメロディー城の城主ではないと自分に言い聞かせる時は辛いのだ。それに、三千エーカーの牧場、森・・・それも大英帝国いちの良い土地・・・その所有者だったこの私、それから狩猟用の馬・・・
 サラ(苦々しく。)まだ少なくともサラブレッドは持っているわ。紳士である証拠にね!
 メロディー(痛いところを突かれて、挑むように怒って。)そうさ、私には馬がある! それからいいか、私は餓えるようでも、あの馬には食わしてみせるぞ。
 サラ 餓えるのは自分じゃないでしょう。お母さんを奴隷のように働かせて、お母さんを餓えさせても馬を飼うんでしょう!
 メロディー(怒りをやっと抑えて。この台詞を無視して。)フン、私は何を話していたんだったか・・・そうだ、サイモン・ハーフォードの家族についてだ。あれの父親は、私の判定基準に合格している。しかし、本当の血筋の良さから言えば、あれの母親にその源泉がある。私の調べによれば、彼女は真に貴族の出であるらしい。
 サラ あのお母さん、さぞかし鼻が高いでしょうね、お父さんに認めて貰って。
 メロディー あの男は起きられるようになったらすぐ、この私のところへ話しにやって来るんだろうな?
 サラ 私との結婚を許して戴きたいという、その名誉ある意図を述べるために?
 メロディー 勿論だ。名誉ある男なんだからな、彼は。それに、金銭的な問題も解決しなきゃならん。これは彼の父親、或はあちらの顧問弁護士との話になるだろうが、とにかくお前の、持参金の額に対して、合意が必要だからな。
 サラ(父親を見つめる。自分の耳を信じられない。)持参金! サイモンの父親に対して! まあ、何て話!
 メロディー(しっかりと。)そうだ。お前の持参金だ、勿論。まさかお前、私がお前を、一文も出さず結婚させるなどと、思ってはいなかろう。お前には名前がある。水呑み百姓の娘とは話が違うんだ。お前は私の立場というものも理解してくれなきゃならん。私は今、偶々(たまたま)金に窮している。しかし、この宿屋を抵当に入れさえすれば・・・
 サラ 抵当にはもうとっくに入っているの。身動きも出来ないほど。それを知らない訳ないでしょう?
 メロディー 他に何がなかろうと、小切手にサインすればどんな金額だって・・・
 サラ サインなどいくらでも出来るわね。でも、その小切手を誰が受け取るというの?
 メロディー 紳士同士なら、こういう問題はすぐにけりがつくものだ。
 サラ まあまあ、お伽話の中で暮すのは素敵なことね。その夢を私の事にまで関(かかわ)らせるのは止(よ)して頂戴。私のことに干渉しないで。酒を飲んでいればいいの、お父さんは。私のことは放っておいて!(メロディー、サラの言っている事を全く一言も聞いていない。サラ、メロディーを見つめる。目に恐怖の色が浮ぶ。ついに苛々が爆発する。その底流には、父親に「お願い、どうか!」という気分がある。)お父さん! どうして目を醒そうとしないの! 今日は素面(しらふ)でしょう? ええ、素面に近い筈! それとも本当に気違いになってしまったの? だからなの? 現実の、本当のことが話せないのは。そういう嘘ばかり、死んでいることばかりしか話せないのは。
 メロディー(顔が、何かの痛みで痙攣する。決定的な何かが彼の急所を突き刺したかのよう。助けを求めるような苦しそうな声で。)サラ!(しかしその瞬間に、その痛みは怒りに変る。相手を脅迫するように椅子から半分立上る。)黙れ! この罰当たり! よくも・・・よくも・・・
(サラ、縮上って、逃げようと立つ。メロディー、やっと自分を抑え、椅子に沈み込む。両手で両腕を抑える。)
(通りに通じる扉、パッと開く。ダン・ロッシュ、パディー・オダウド、パッチ・ライリーの三人が、同時に扉に入ろうとする。入口のところで押しあいになる。三人とも二日酔い。ロッシュが大声で話している。ダン・ロッシュは中年の、ずんぐりした、O脚(おおきゃく)の腹の出た、腕の短い、肉のぶよぶよした男。大きな口、平らな顔、突き出た耳、赤い縁取りのついた豚のような目、汚いつぎのあたった服を着ている。パディー・オダウドは痩せた、丸肩の、胸の扁平な、にきび面の、目の大きな、口の両端の垂れた男。口のうまい、諂(へつら)う調子で物を言う、寄生虫タイプの男。安物の運動用の服装。パッチ・ライリーは、汚れた白髪の、年取った男。色の褪(さ)めた青い目があてどもなくうろうろとし、薄馬鹿の表情。痩せた身体に、下着なしで直接に、よれよれの上衣を着ている。口は半分歯が抜けているため、落ち込んでいる。小脇にアイルランドのバグパイプを抱えている。)
 ロッシュ(オダウドとライリーに、大声で話しかけながら入って来る。メロディーとサラのいることに気がつかない。)それで俺は言った。アンディー・ジャクスンが、お前らみんなを、お前らに丁度相応しいところに置いてくれる。お前のようなケチで奴隷根性のヤンキーを、その銘柄通りケチな場所にな。今のその、お前らの仕事なんざ、すぐ取られちまわあ・・・
 オダウド(目はメロディーに向けたまま。ロッシュに注意。)おい! おい! 黙るんだ!
(ロッシュ、慌てて振り返る。メロディーと目が合う。元気、急に失せる。卑屈な、心配そうな態度。何故なら、この時までにメロディー、立上っていて、目は怒りに燃え立っていたから。おまけに、その怒りはサラがメロディーから三人の方を侮蔑の表情で見たので、さらに燃え上っていたのだ。オダウド、メロディーの目を避け、誤魔化し半分に扉をガタガタと閉める。パッチ・ライリーはサラの美しさに呆然となり、ここで起っていることには全く気づかず、自分の空想の世界に入り、夢見るようにサラを見ている。)
 ロッシュ(メロディーの怒りを宥めるように。)お早うございます、少佐殿。
 オダウド(諂うように。)お早うございます、旦那様。
 メロディー 貴様達、何のつもりだ! この宿屋を下卑(げび)た一杯飲み屋と間違えたか。大声でドタドタと上りこんで。貴様らが行きつけの豚が出たり入ったりする飲み屋とは、ここは違うんだぞ!
 オダウド すみませんでした、旦那様。
 メロディー(ロッシュに。口調に独特の脅しがある。)それからなダン、お前には注意しておいた筈だ。あの悪党のジャクスンの名前は、この家では言ってはならん。言おうものなら、その背中の皮が剥(む)けるまで鞭で打ってくれる。(ロッシュの方に一歩踏み出して。)私にもうその罰を実行する力がないと見ているようだな。
 ロッシュ(脅(おび)えて、後ろに下る。)いいえ、いいえ、少佐殿。忘れていたんで・・・お早うございます、お嬢さん。
 オダウド お早うございます、お嬢さん。
(サラ、二人の挨拶を無視。パッチ・ライリーはまだ夢見心地でサラを見つめている。これまでの会話、全く聞こえていない。帽子はまだ頭の上にある。オダウド、お節介にそれを脱がせる。非難するように。)
 オダウド おい、パッチ。お前、耳はどこへ行った。旦那様の言うのが聞こえないのか。
 ライリー(これを無視。サラに。)朝露に光る薔薇のようです、お嬢様。まるで王女様だ。一曲鳴らしてもいいですね?(バグパイプを用意し始める。)
 サラ(冷たく。)鳴らしてなんか欲しくないわ。(ライリーの悲しそうな目を見て、優しく言い直す。)いいえ、親切ね、パッチ。私、あなたの鳴らす曲、素敵なことは知っているわ。でも私、もう行かなきゃいけないの。
(ライリー、慰められて、サラに感謝するように微笑む。)
 メロディー さあ、バーに行け、みんな。お前達にはバーの方が相応しいんだ。この入口は使うなと前から言ってあるぞ!(軽蔑の中に寛容さを見せて。)お前達の狙いはどうせただ酒だ。そう、喉が乾いてここに来て、酒を振舞われなかった話など、ここにはないんだからな。
 オダウド 有難うございます、旦那様。さ、行こう、ダン。(ライリーの腕を掴む。)パッチ、お前もだ。
(三人、バーに行く。オダウド、二人が入った後、扉を閉める。)
 サラ(嘲りの調子。訛りで。)家来達をよく手懐(てなづけ)たものね。それもこのアメリカの土地で!(家来達をようてなづけんさったもんよ。それもこのアメリカの土地でな!)
(メロディー、この言葉を無視。バーの方へ虚(うつ)ろな目を向けて、乾いた唇に舌を走らせる。それを見てサラ、訛りなしで辛辣に。)
 サラ 私がいては三人のご立派な紳士達の仲間に加わる邪魔になるわね!(サラ、廻れ右をして、通りに通じる扉から退場。)
 メロディー(この言葉がひどくこたえて、顔が歪む。縋(すが)るように。)サラ!
(ノラ、右手のホールから、トースト、卵、ベーコン、紅茶ののった盆を運んで登場。前面のテーブルに朝食を並べる。わざと冗舌に。)
 ノラ お待たせしてしまったわ。トーストがちっとも言うことを聞いてくれなくて。ちょっと目を離している隙に、真っ黒焦げ。でもベーコンはパリッといったのよ。それに卵も柔らか過ぎない。あなたの丁度好きな出来具合。さあ来て、食べて。(メロディー、聞いている様子なし。ノラ、心配そうにメロディーを見る。)どうしたの? コン。あなた、聞いてないの?
 オダウド(バーからの扉から頭を出して。)旦那様! 飲んでもいいって言われたって言っても、ミッキーの奴、信じてくれないんです。直接言って下さらなきゃ。
 メロディー(唇を舐めながら。)今行く。(バーの扉へ進む。)
 ノラ コン! まづこれを胃に入れて! 後だとすっかり冷めてしまう。
 メロディー(ノラの方を向かず、謙(へりくだ)った礼儀正しい言い方で。)私は全くお腹がすいていないんだ、ノラ。すまなかったな、そんなに手間をかけさせてしまって。
(メロディー、バーに退場。後ろ手に扉を閉める。ノラ、テーブルの後ろの椅子にドスンと坐る。どうしようもないという表情で朝食をじっと眺める。静かに啜り泣き始める。)
                   (幕)

     第 二 幕
(場 第一幕と同じ。約三十分経過している。バーへの扉が開き、メロディー登場。これまでに、もうあと二杯ひっかけている。朝食は食べていない。朝食抜きはしかし、彼の表情に特別な影響を与えていない。少し青味が増したことと、態度が余計嫌らしくなっただけ。バーにいる取り巻き連中に指示を与える。)
 メロディー さっき言ったことを忘れるな。大声で喋るな。いいな? それからライリー、バグパイプは禁止だ。さもないと出て行って貰う。私は一人で少し過去の思い出に浸(ひた)ることにする。ミッキー、クリーガン伍長が帰って来たら、私のところへ来るように言ってくれ。あいつは少なくともタラヴェラのことを、新しいウイスキーの銘柄だろうなどとは言わないからな。
(ミッキーの「はい、少佐殿」という言葉。それに他の三人の呟きに対して軽蔑を込めて扉を閉める。左手前方のテーブルの後ろに坐る。まづ、傲然と他を見下すバイロンの主人公のようなポーズを取る。過去の栄光を思い、現在の悲劇的な運命に抗し、他人を苦々しく軽蔑するように。そして自分だけは志(こころざし)を高く保つ、独特のポーズ。しかし彼には観客がいない。彼はそのポーズを続けることが出来ない。両肩は下り、テーブルの表面を見つめる。絶望と打ち拉(ひし)がれた本当の悲劇の表情が、その捨鉢(すてばち)なハンサムな顔に現れる。)
(通りに通じる扉が開き、サラ登場。メロディー、鍵のカチリという音が聞こえない。また、サラが前方に進んで来るのにも気づかない。サラ、甘い言葉で店の人間にツケの延長を頼み込んで来た恥がそのまま残っていて、目が苦々しさに満ちている。父親の姿を見て苦さは増す。父親を無視することに決め、左手の扉に進む。しかし、何か普通と違うものを感じ、じっと父親の姿を見る。何か厳しい、捨て台詞を言おうとするが・・・止める。到頭我にもあらず訊ねる。その声には憐れみの響きが籠っている。)
 サラ どうかしたの? お父さん。どこか具合が悪いの? それとも、ただの・・・(二日酔い?)
(メロディー、ぎくっとする。バツの悪い表情。このように低調な気分でいる自分を見られたのが恥づかしい。)
 メロディー(礼儀正しく立上り、お辞儀をする。)これは失礼した、サラ。お前の入って来るのが聞こえなくてな。(恨めしそうな笑いを浮べて。)いや、ちょっと思い出に耽(ふけ)っていて、心ここにあらずだった。あのスペインでの戦いの思い出だ。十九年前の今日だった・・・
 サラ(顔が強張(こわば)る。)ああ、今日はタラヴェラの記念日。記念日が聞いて呆れる。お父さんの取り巻き連にはついている日。この宿屋にとっては大きな厄日(やくび)。
 メロディー(冷たく。)何のことを言っているんだ。私がこの日を祝うのは当然なんだ。
 サラ そうでしょうよ。今までの祝い方で、私にはちゃんと分っている。それに、今年はあのジャミー・クリーガンが来たんですもの、今までの倍は酷いものになるんでしょう。
 メロディー 勿論あの時一緒に武器を取った者と祝えるなら、二重の喜びだ。
 サラ フン。これだけは言えるわ。昨日のあの飲みっぷりでは、今日あの人の喉を通って行くただ酒は、他の連中のよりはずっと多いって。あの人、親戚なんでしょう?
 メロディー(強張(こわば)った言い方。)ただの遠い親戚だ。だが、親戚というのは関係ない。クリーガン伍長は私の傍で一緒に戦った仲間だ。だから・・・
 サラ 可哀相にお母さん、きっといつものように御馳走を作るように言われたんだわ。お父さんはいつもの御立派な軍服をお召し遊ばして、私は名誉ある給仕を仰せつかる。ええ、今年はやって上げる。お母さんのために。でも、これが最後。来年からは真っ平ご免だわ。(廻れ右をし、右手の扉に進む。)お父さんはお喜びの筈ね、自分の娘があのネイランに拝むようにして、両膝をついて、もうひとつきツケを延ばして貰ったって聞いたら。ネイランははっきり言ったわ。「これはあんたのお母さんが可哀相だからやってやるんだからな。全く可哀相ったらないよ、あんな旦那を持ってるなんてな」。でも、こんなことはお父さんには何の関係もないでしょう。自分と、あのサラブレッドが格好よく生きていられさえすれば!
(メロディー、一瞬ギクリとする。サラから逃げ出したいと思っているのか、じっとバーの扉を見る。しかし思い留まる。全くの無表情になる。もとの椅子に坐り、新聞を取り上げ、サラを無視する。サラ、出て行こうとする。と、丁度その時ノラ、扉のところに現れる。手にミルクの入ったコップを持っている。)
 ノラ あの若い人に上げる牛乳よ。お医者様のお言い付けの。サラ、お前、上に上る時間でしょう? だから持って来たわ。
 サラ(ミルクを受け取って。)有難う、お母さん。(軽蔑の意を含んで父親の方に顎をしゃくって。)今丁度お父さんに言ったところ。ネイランがもうひとつき延ばしてくれた。だから心配いらないって。
 ノラ 有難いわね。よかった。ネイランって親切だわ。
 メロディー(爆発する。)何が親切だ! あの野郎、もし断ったりしてみろ、この私がどうするか・・・(メロディー、サラの侮蔑的な目を見て自制する。じっと心の底に嘲笑うような敵意を籠めて、静かにつけ加える。)お前を引き留めては悪い、サラ。お母さんの言い付け通り、牛乳をお客様にお持ちするんだ。救いの天使の役を演じ損(そこ)なうのはまづい。(敵(かたき)討ちの台詞を言う。)やれやれ、あの可哀相なぼうや、二人の百姓女に蛇を仕掛けられて、まづ逃げられる見込みはないな。
 サラ 蛇をしかけるって何? それ。それから、お母さんは放っておいて! お父さんにお母さんのことを言う資格はないわ!
 メロディー それに、仕掛けが全部はづれたとしても、最後の最後、奥の手っていうやつがあるからな。
 サラ(声が上ずる。)奥の手って・・・それ、何?
(ノラ、サラの腕を抑える。)
 ノラ 止めなさい、サラ。どうしてお前、お父さんを放とけないの。怒らせたお前の方が悪いのよ。
 サラ(静かに。)分ったわ、お母さん。また鏡で自分の顔を見たらいいわ。鏡が大好きなんだから。そして、うまいことを言ってやったなって、ニヤリと笑えばいいのよ。
(メロディー、急所を突かれたように怯(ひる)む。サラ、右手から退場。)
 メロディー(間の後。たどたどしく。)私は・・・サラのは誤解だ。お前が言っていた通りだ。あの子は私をつついては怒らせようとする。それでつい私も・・・
 ノラ(悲しそうに。)奥の手・・・あなたがどうしてこの言葉を言ったか、私には分っているわ。あの子も私と同じだとあなたは思っているのね。私の、あなたへの罪を、あなた、決して忘れないの。
 メロディー(自分の方が悪いと知っているため、余計怒って。)何を言う。サラは誤解している。それにお前まで・・・(それから苛々と。)それにお前の、私に対する罪・・・何が罪だ・・・そんなもの、坊主達に勝手にそう思わせておけばいいんだ。(奇妙な、人を嘲るような誇りをもって。)お前の言うことを聞いていると、まるでお前が私を誘惑したようだ。だがな、それは当り前なんだ。罪でも何でもありはしない。あの頃の私がどういう人物だったか、それを考えれば当然なんだ!
 ノラ ええ、よく覚えているわ。あなた、あんなに美男子だった。女だったら、誰でもあなたと・・・と思ったわ。それに、今だってそう。
 メロディー(喜んで。)おいおい、お世辞は止めだ、ノラ。(バイロン風の憂鬱を込めて。)今や私は遺跡をうろつく幽霊に過ぎん。(それから、ノラの方を見ず、女性を讚える騎士らしく。)いや、お前こそ、あの頃すごかったじゃないか。アイルランドいちの美女だったんだ。(侮蔑的に。)それに、あれが罪・・・恥づべき罪だなどと・・・そんなのは真っ赤な嘘だ! あの時お前には、恥など何もありはしなかった。あれは愛、あれは喜びだ。あれは若さの輝きだった。そしてお前はあれを誇りに思っていたのだ!
 ノラ(目が輝く。)私は今でも誇りに思っている。そして死ぬまで誇りに思う!
 メロディー(ノラを、「よしよし」と、目を細めるようにして見る。が、ノラの実際の姿を見て、嫌悪の表情に変る。・・・苛々と目を逸らして。)どうして過去のことなど持ちだすんだ。こんな話はしたくはないぞ、私は。
 ノラ(間の後・・・おづおづと。)でも、とにかくあなた、サラに変なことを言っちゃ駄目だわ。ハーフォードの若いのを罠にかけようとしているだなんて。
 メロディー 私はそんなことは考えちゃいなかったんだ。・・・あれは私の娘だ・・・
 ノラ ええ、あなたの子。それにあの男の子も、ちゃんとした若者。(少し嘲るような調子で。)そう、あの子が話してくれた。あんまり恥づかしがり屋で、あの子の手にキスさえ出来ないんだって。
 メロディー(軽蔑するように。)そんなところだ。愛を語る段になると、ヤンキーの奴ら、何も出来やしない。全く手も足も出ない野暮天(やぼてん)だ。お行儀が出来ていないところに持ってきて、燃えるようなロマンスがない。奴らは女というものを知らないんだ。(侮蔑的に笑って。)この私を見ろ。私があいつの年頃の時には・・・(それからすぐ。)いや、あのハーフォードの奴を私が認めないというんじゃない。いいな、あれは紳士だ。サラにちゃんとした申込みをすれば、勿論喜んで承諾してやる。まあ、あいつの父親と持参金の額で折合いがつくという条件はあるがな。
 ノラ(急いで。)ああ、まだそんなところまで考える時じゃないわ。(それから自分の夢の中に入って行って。)ええ、あの子は幸せになるわ。だって、あんなにあの人のことを愛しているんだもの。そう、自分で思っているよりもずっとずっと。それに、この結婚、あの子が世に出る機会でもあるわ。大邸宅に住んで絹と更紗(さらさ)の服を着て、馭者と従者つきの馬車に乗って・・・
 メロディー そう、あれがそうなることは私の望みでもある。私にはもう未来はない。過去だけだ。しかし、あの子には美貌がある。野望がある。若さがある。思いのままなんだ。(それから嘲るように。)ただ自分が紳士の娘であることを忘れなければだがな。沼を這い回る百姓女の真似をしていちゃ、話にならん。(サラが二階から降りて来る足音を聞く。)あれが降りて来る。(立上る。苦々しく。)私の姿を見るとあれは苛々するらしい。ちょっとバーに行って来る。もうあれの侮辱はうんざりだ。今朝だけで、厭というほど食らってしまった。
(メロディー、バーの扉を開ける。中から一斉に歓迎の声。メロディー、バーに入る。後ろ手に扉を閉める。サラ、右手から登場。顔が紅潮している。目は夢見るような幸せで輝いている。)
 ノラ(非難するように。)お父さんはバーに行ったわ。あなたの毒舌が届かないようにって。可哀相に。あなたそれで恥づかしくないの? 今日は記念日だっていうのに、お父さんを虐(いぢ)めるのは止めようっていう心遣いさえないなんて。
 サラ 分ったわ。今日一日お父さんの気に入るようにして上げましょう。私、屋根裏のトランクから軍服を出すの、お母さんに手伝って上げてもいい。ブラシをかけたり、手入れをしたり・・・
 ノラ ああ、あなたよく言ってくれたわ。それでこそ娘っていうもの・・・(それからサラのこの急な変りように驚いて。)あら、あなた急に優しくなって、一体どうしたの?
 サラ 私、今、本当に幸せ・・・誰に対しても意地悪な気持になれないわ。(少し躊躇う。それから狡そうに。)サイモンが私にキスしたの。(こう言ってしまうと、急に得意そうに。)到頭あの人、勇気を出したの。でも出させたのは私。私、あの人の枕を抱えながら、上から屈み込んでいたの。これでキスしなかったらあの人、人間じゃないわ。(優しく笑う。)その後のあの人の顔ったら・・・お母さん、見たら大笑いよ。自分の大胆な行為をすっかり恥ぢて、ベッドに潜り込まんばかり。私が怒ってもう二度と口をきかないんじゃないかって怖れて、平謝りに謝るの。
 ノラ(揶(からか)って。)それであなた、どうしたの? 私、賭けてもいいわ、あなた、口だけよ。思い切ったことなんか何もしなかったんでしょう。
 サラ(残念そうに。)そう。お母さんの言う通り。私、真っ赤になったの。あの人が真っ赤になったのと同じくらい。本当に私、馬鹿みたい。
 ノラ でも、本当にそれだけだったの? キスなんて、簡単なことよ。結婚してって言わなかったの? あの人。
 サラ ええ、言わなかった。(そしてすぐ。)でも言わなかったのは私のせい。あの人、勇気を出して言おうとしていたの。ちょっと言わせるようにしむけさえすれば良かったの。でも私、馬鹿みたいに黙って突っ立っていただけ。そしてやっと口を開いたと思ったら、「さあ、言ってママの手伝いをしなくちゃ」だって。そして駆け降りたの。顔を真っ赤にして・・・
(サラ、母親に近づく。ノラ、両手をサラに回す。サラ、ノラの肩に顔を隠す。涙が出そうになる。)
 サラ ああお母さん、私って本当に馬鹿、馬鹿、大馬鹿!
 ノラ そう、そうなの。恋している時はね、誰でも・・・
 サラ(顔を上げてノラから顔を離して・・・怒って。)そう、本当にそう。私ったら、私ったら、恋しくて堪(たま)らないの。ああ駄目! こんな風になっちゃ。胸の想いが頭に勝ったら、私、奴隷になるしかないの。(急に自信が出て、微笑んで。)ああ、でもあの人の焦がれ方だって、私と同じくらい。いいえ、もっとだわ。私には分ってる。だからこの次には私、頭を使うわ。(幸せそうに笑う。)もう申込みなんか終ったも同じよ。お母さん、私はミスィズ・サイモン・ハーフォード。どうぞよろしく。(右手を上から下に下ろして膝をつくお辞儀。)
 ノラ(微笑んで。)あら、私に挨拶は必要ないわ。さ、手伝って頂戴。あなた、約束したでしょう? トランクからお父さんの軍服を出さなくちゃ。あれは重くて、私、腰を痛めてしまう。あなたなら大丈夫。
 サラ(陽気に片手を母親の腰に回して。)さ、じゃ、行きましょう。
 ノラ(右手から退場する時に。)どのトランクだったか、よく覚えていないの。それに、鍵もどこへ行ったか。それも手伝ってね。
(間。それからバーへの扉が開き、メロディー登場。この幕の最初の時と同様の登場の仕方。一幕の時と同様に、バーからメロディーに声がかかる。しかし今回はメロディー、何も言わず、ただ後ろ手に扉を閉める。メロディー、うんざりという表情で顔を顰める。)
 メロディー 無知な家畜めらが!(淋しくて、心から相棒が欲しいという気持で。)ジャミー・クリーガンの奴、来ないかな。ここには無知しかない・・・無知でなきゃ、サラの悪口だ。(それから、挑むように。)しかしへこたれはせんぞ、俺は! 世界中の力を寄せ集めても・・・いや、地獄の力を借りたって、俺を参らせることは出来ん!(メロディーの目、抵抗しがたく鏡に引き寄せられる。その前に進む。映っている自分の姿を見てほっとしたい。次に続くものは、第一幕の鏡の場面と全く同じ。肩をいからせ、頭を真直ぐに持ち上げ、好きなバイロンの詩を、鏡に映った自分の姿を見ながら朗唱する。)
 「俺は世間を、世間も俺を、相手にしたことはなかった。
  俺は世間の奴らに、おべっかを使ったことはない。
  やつらが崇(あが)め奉(たてまつ)っているものに、
  連中と調子を合わせるために、
  一緒に膝まづくことなど、したこともない。
  お愛想笑いに自分の頬の皮を緩めたこともなければ、
  連中が誰かに、声を揃えて讚歎の声を上げる時、
  俺はただ、それを冷やかに眺めてきた。
  連中に俺を、その仲間の一人だと思わせたりするものか。
  俺は立っている。きやつ等に交じって。
  だがいいか、俺は奴らの中の一人じゃないんだ。・・・」
(メロディー、鏡の前に立って見つめている。通りへ通じる扉の鍵がカチッと開く音が聞こえない。扉が開いてサイモンの母、デボラ(ミスィズ・ヘンリー・ハーフォード)登場。後ろ手に扉を閉める。メロディー、相変らず鏡に気を取られていて、これに気づかない。明るい太陽から暗い中に入りデボラ、一瞬何も見えない。やっと見えるようになり、メロディーの姿に気づく。信じられないようにメロディーを見つめる。それからおかしさと嘲りの気持で微笑む。)
(デボラは四十一歳。しかし三十歳以上には見えない。背は低い方。一メートル五十センチそこそこ。若い華奢な身体つき。とても成人した二人の息子の母親には見えない。顔は美しい。・・・通常の意味での美しさではない。骨格とその特異性に興味を持つ画家に、美しいと見える顔。小さい顔。頬骨が高く、顎は四角い。顔の上方は幅が広く、下に行くにつれて狭い。つまり楔(くさび)形の顔。その両側はウエーブのかかった赤茶色の髪で縁取られている。鼻は細くて繊細。少し鷲鼻。口は顔に較べて大き過ぎる。長い睫毛(まつげ)、緑色の混じった茶色の目。分厚い、くっきりと曲った眉毛。このような目はどんな人の顔につけても大きく見えるだろうが、この女の顔色の蒼白さのため、驚くほど大きく見える。小さな、甲の高い足。それに細い、長い指の手。この痩せた脆(もろ)い身体につけている衣服は、単純さを際立たせるように考慮された、白い服。彼女の全体から受ける印象は、故意に作られた距離の感覚。即ち、楽しみながら、そして一段高いところから、皮肉に、他人を観察するという、計算された態度。その態度には、自分の気まぐれな異常さを無理に前面に押し出そうとするかのような、何か強情で、独断的なものがある。)
 デボラ ご免下さい。
(メロディー、驚いて飛び上らんばかりに、後ろを振り向く。一瞬、呆気に取られた阿呆面が浮ぶ。一朝(ひとあさ)のうちに二度も鏡に見入っている自分の姿を他人に見られたことの恥づかしさと苛立ち。すぐにそれを取り返そうとするかのように、肩を聳(そび)やかし、傲岸な態度で、相手を頭から足の爪先まで見下ろす。が、相手が魅力のあるレディーであることに気づき、その態度が一変する。チャンス到来、自分に自信あり。急に元気が出て来る。メロディー、お辞儀をする。優雅で礼儀を弁(わきま)えた紳士の一礼。その歓迎の微笑と声には、人を誘うような魅力がある。)
 メロディー お早うございます、お嬢様。このようなむさくるしい宿屋にお越し下さるとは、洵(まこと)に光栄至極でございます。(舞台前面にある、ちょっと大きなテーブルの後ろの椅子を引いて・・・再びお辞儀をして。)こちらに・・・如何でしょう。日照りの暑さから逃れるには、この辺りが宜しいのではないかと・・・
 デボラ(一瞬奇妙な顔をしてメロディーを見る。しかし我にもあらず、彼の態度物腰、そしてハンサムな顔に引きつけられる。)有難う。
(デボラ、前に進む。メロディー、引いた椅子にうまくデボラを坐らせるように、優美な動きを見せる。デボラの肉体的な長所を官能的な目で見てとる。馬の好きな人間がサラブレッドを見る時の、あの目付き。その間、愛撫するような丁重さで言葉を続ける。)
 メロディー お嬢様・・・(デボラの結婚指輪を見て。)失礼致しました。奥様でいらっしゃるのですね・・・再びこう申し上げるのをどうかお許し下さい。このようなところにお越し下さいますとは、全く光栄に存じます、奥様。
(メロディー、振り返る時、デボラの肩に手をあてる。全くの偶然であるかのように、これをうまくやる。デボラ、思いがけない相手の動きに驚く。身を縮め、メロディーを見る。二人の目、合う。メロディーがあからさまに自分の肉体の評価を行ったことを見てとりデボラ、少し恐怖の感情に捕われる。しかしすぐに安心する。メロディーが、自分の最初の攻撃に対する女の反応に満足して、目を上に上げ、急いで謝り始めたからである。)
 メロディー どうぞお許しを、奥様。どうやら私の礼儀作法は鈍(なま)ってしまったようです。レディーにお立ちより戴くことなど、全く稀(まれ)なことでして・・・この宿屋は私と同様、不運な日々を送っているのです。
 デボラ(冷たくこれを無視して。)あなたここの主(あるじ)なのですね? メロディー。
 メロディー(目に怒りの表情が浮ぶ。・・・傲慢に。)ここに控えおりますのは、かって陛下の第七龍騎兵隊の一員コーニリアス・メロディー少佐。(お辞儀をする。冷たい公式的なお辞儀。)
 デボラ(再び陽気な観察者の目。謝るように。)あらまあ、それではいけなかったのは私の方でしたわ、メロディー少佐。
 メロディー(再び勢いが出て。優雅に。)いえいえ、奥様。過ちは私の方に。何も怒ることはなかったのです。(自分の弱点を素直に認める人間、という調子で。)実際、過去に栄光を持ったことのある男なら誰でも持つ欠点を、この私も免(まぬが)れることが出来ずにいます。つまり、誇りという奴で・・・侮蔑の言葉には過剰に反応してしまうのです。
 デボラ(今度はその言葉に調子を合わせて。)侮蔑・・・いえ、これはどうか信じて戴かないと。私の方では侮蔑の意図など全く・・・
 メロディー(再びデボラの目をしっかり捕えて・・・意味を籠めて、愛撫するような調子で。)お奇麗な奥様・・・いえ、お奇麗なだけではなく、お優しくてもいらっしゃる・・・
(デボラの面白がる目の表情、消える。どう考えていいか分らない。何故か、怖いと同時に魅了される。メロディー、攻撃を続ける。今では自信たっぷり。中年の誘惑者。声に、計算された感傷的な気分を含ませる。女性の、理解と同情に、訴えようとする、ロマンチックな悲劇の主人公。)
 メロディー 私は哀れな馬鹿者なのです、奥様。「私はただの、このやくざな宿屋の主(あるじ)」、そう自分に言い聞かせることさえ出来れば、それが私にとっては、ずっとずっと賢く幸せなことなのです。私はそこにこそ誇りを持ち、過去を忘れねばならない。しかし、わけても今日この日、私にはそれが出来ない。何故なら今日は、タラヴェラの戦いの記念日なのです。私の生涯で最も忘れ難い日・・・かの偉大なウェリントン卿・・・当時はまだサー・アーサー・ウェレズリーでしたが、その人のもと、私は勇敢に戦い、戦場において、その武功を讚えられた日なのです。ですから、今日のこの日ぐらいはきっとお許し戴けるものと・・・(言い方がもっと愛撫するような調子になる。)このようにお美しい方には、男の心などお見通しの筈。今まで何百という男が、その心をあなたに捧げたに違いありませんから。(荒々しい熱情が、その声に籠る。)そうだ、私は一ペンスに対して私のありったけのものを賭けたっていい。ここらにいる、魚の血で出来たような鈍感なヤンキー連中のうちで、あなたの美しさに恋い焦がれなかった男が一人でもいるか・・・いはしない!(メロディー、机の上にあったデボラの手のうちの一つに、自分の手を置き、情熱的にデボラの目を見つめる。)丁度今の私のように!
 デボラ(メロディーの腕力のもとに従わせられそうなのを感じて、手を離そうともがく。デボラ、吃る。軽い調子でいなそうと。)これがあの有名な、アイルランドの人の「お世辞」っていうものですの?
 メロディー(強い、抑え難い欲望をもって。)違う! 神にかけてもいい。ナポレオン親衛隊の方陣も、この私ただ一騎で破って見せよう、ただこのキス一つを許して戴けさえすれば!
(メロディー、姿勢を低くする。目はじっとデボラを見たまま。一瞬キスは実行出来るかに見える。デボラも、今やこれを免(まぬが)れえないと。それから急にメロディーのウイスキーの匂いがデボラに届く。デボラ、嫌悪と怒りで震える。押さえられていた手を振りほどき、軽蔑を込めて相手を傷つけるように言う。)
 デボラ ハッ! ウイスキー! あなたは酔っていらっしゃる。何て厚かましい! 何ておぞましい人! この宿屋がこんな寂(さび)れ方をしているのも無理はありません、女性が来る度にこのような馬鹿げたもてなしをするのではね!
(メロディー、ぐいと頭を持ち上げ、背筋をのばす。顔を平手で打たれたかのように、一歩後ろへ下る。デボラ、立上る。軽蔑を込めて、メロディーを無視して。この瞬間にサラとノラ、右手の扉から登場。一目で事の成行きを見て取る。メロディーとデボラ、二人に気づかない。)
 ノラ(口の中で呟くように。)まあ、何てことを!
 サラ(ミッキーが話していた女性はこの女だとすぐに分る。父親との間に何が起ったかはすぐに分り、心配と怒りと恥を外に出すまいと努力しながら。)どうしたの? お父さん。この方、何の御用でいらしたの?
(サラの登場はメロディーにとって二重の打撃。メロディー、誇りが傷つけられ、怒りで煮えくり返っている。デボラ、サラの方を向く。)
 デボラ(冷たく自制して。・・・明るく。)私、あなたに会いにやって来ましたの、ミス・メロディー。きっと息子のサイモンが今どこにいるか御存知だと思いまして。
(これはメロディーにとって、爆弾投下と同じ。)
 メロディー(声の調子に全く謝罪の気持なし。出し抜けに。怒って。まるでデボラが故意に自分を罠にかけたと言わんばかりに。)あの男の母親だと? どういうことですかこれは、マダーム。最初から何故そう言わないんです!
 デボラ(これを無視。サラに。)あの子の隠れ家の小屋に行ってみたのです。でも、そこにはいなくて・・・
 サラ(吃りながら。)ここにいらっしゃいます、ミスィズ・ハーフォード。二階のベッドに。病気なのです。
 デボラ 病気? 重い病気・・・ではないのでしょうね?
 サラ(デボラの慌て方で、少し自分を取り戻して。)ええ、重い状態は終って・・・ほぼ終ったんです。湖の湿気で風邪をひいて、熱が出たのですわ。小屋で寒気のため震えていらっしゃるのを見つけて、ここにお連れしたのです。ここには医者も来てくれますし、看護する人間もいますから。
 デボラ(明るく。)看護する人間って、ミス・メロディー・・・あなたっていうことですのね?
 サラ ええ、私と・・・母ですわ。
 デボラ(感謝の気持。)あなたとお母さまに心から感謝致しますわ。
 ノラ(この時まで陰に入っていたが、ここで前方に出て来て、優しい、親しみのある微笑を浮かべて。)ああ、お礼など、奥様。お子様は本当に優しい、素敵な方ですわ。私達みんな、あのお子様のこと、大好きなんですの。あの方なら、いついらしても、お金など一銭もいりませんわ・・・
(ノラ、サラの「そんなことは言うな」という目に出逢い、困ったように言い止む。デボラは、ノラの薄汚い格好に嫌悪を感じる。しかし同時に、その率直な優しさと魅力を感じ取り、微笑を返す。)
 サラ(当惑の籠った、固い表情で。)こちら、母ですの、ミスィズ・ハーフォード。
(デボラ、優美に頭を下げる。ノラ、本能的に、百姓女が紳士淑女に対してする、ピョコリと頭を下げるお辞儀を、する。メロディー、鼻白んで、また、怒り狂って、ノラを睨みつける。)
 ノラ お近づきになれて幸せですわ、奥様。
 メロディー ノラ! お願いだ。止めろ!(急にまたメロディー、再び洗練された紳士に戻る。配慮の行き届いた、少し謙遜な気持さえ籠っている言い方で。)きっとミスィズ・ハーフォードは、今すぐでもお子さんのところへ連れて行って貰いたいんだ。そうですね? 奥様。
(デボラ、メロディーの傍若無人に呆れ返り、ちょっとの間、言葉が出ない。デボラ、やっとのこと口をきく。それもただ、この気まづい空気がこれ以上続かないようにと願ってのことである。)
 デボラ ええ、その通りですわ。(メロディーに背を向けて。)お願い出来ますかしら、ミス・メロディー。私、午前中の時間を随分使ってしまって。もうそろそろ家に帰らなければなりません。あの子の傍にも長くはいられませんわ・・・
 サラ どうぞこちらに、ミスィズ・ハーフォード。(右手の扉に進む。そしてデボラに先を行かせるために道を開ける。)きっとサイモン、嬉しいやら驚くやらですわ。自分が病気だと、手紙でお知らせしたのでしょうね。でも、お母様を心配させたくはなかったのですわ。(デボラ、先にホールに退場。その後、サラ退場。)
 メロディー 糞っ! あの馬鹿女! そうとこっちが知っていたら! 何、この私が後悔などするものか。たかがヤンキーの成上り女に!(嘲りの笑い。)フン、あいつ、この私によろめいたんだ。私を侮辱してそいつを隠そうったって、騙されはしないぞ。女なんて、こっちはいくらでも知っているんだからな・・・(怒って。)「女性が来る度にこのような馬鹿げたもてなしをする」だと? あの糞ったれが! 
 ノラ(おづおづと。)あの人の悪口を言わないで。それから、自分を苦しめるのも止めて。あの人、優しい女の人のようだったわ。きっと根に持つようなことはないわ。だって、ちょっと考えてみれば、あの人が誰か、あなたに分らなかったってことぐらい、すぐ分るでしょう?
 メロディー(遣りきれない気分。)黙れ!
 ノラ ねえ、忘れて頂戴。サラのために。あの若者とサラの間を邪魔しようっていうんじゃないんでしょう?(メロディー黙る。ノラ、慰めるように続ける。)さあ、御自分の部屋に行って、見てらっしゃい。きっとあなたの気分、変るわ。サラと私、あなたの軍服にブラシをかけて、ベッドの上に置いておきましたわ。
 メロディー(かすれ声で。)トランクに戻すんだ! もう思い出したくもない・・・(侮辱された怒りが、再び爆発する。)糞っ! あの女、タラヴェラの戦いでも、ウェリントン卿の私への褒美も、飲んだくれの嘘八百だと思いやがったぞ! こいつは賭けてもいい! 糞ったれ!
 ノラ いいえ、そんなこと思わないわ、あの人。決して・・・
 メロディー(ふといい考えが浮んで。)そうだノラ、百聞は一見に如かずというな? うん、そうなれば、自分の目を疑う訳にはいかんだろう。(ノラの方を向いて。再び自信が湧いてきて。)サラとあの若者のこと考えろというお前の言葉、全くその通りだ。あの子のことを考えてやれば、この際サイモンの母親に、私とあの女との間の誤解を、正式に謝罪するのが私の義務だ。(メロディー、ニヤリと笑う。謙遜な口ぶりで。)全く紳士としての一つの礼儀なんだからな、美人なら何を考えても、たとえそれが間違っていようと、それが正しいと認めてやるのが。(左手前面隅にある扉に行き、それを開ける。)もし彼女が戻って来たら、なんとか私がここへ帰るまで引き留めておいてくれ。(これは命令。メロディー、後ろ手に扉を閉める。)
 ノラ(溜息をつく。)ああ・・・まあいいわ、あの人今度は行儀よくするでしょう。あの軍服を着れば、誇りは戻って来るんだから。
(ノラ、中央右手のテーブルの端の椅子に坐り、疲れた身体を休める。一瞬後、右手からサラ、急いで登場。ノラに近づく。)
 サラ お父さんはどこ?
 ノラ 二階に上って軍服を来ていらっしゃいって、私が。あれを着るとあの人、心が慰められるの。
 サラ(苦々しく。)どうしてお父さんが慰められる必要があるの! 私よ、私こそ慰められなきゃいけないわ。あんな馬鹿なお父さんを持って!
 ノラ 馬鹿なって・・・お父さんに分る訳ないでしょう? あの女の人が・・・
 サラ(急に逆の感情になって・・・殆ど仕返しの気分で。)そう、あのサイモンのお母さんにだって、いい気味! 自分ではたいしたレディーだと思っていたでしょうよ、アメリカ中の人間が敬意を払ってくれるような。あれで分ったわ、きっと。もっと怒らなきゃいけなかったの、それほどは憤慨しなかったのよ。いいえ、格好つけてるけど、本当は気分よかったのよ。(再び正反対の感情に囚(とら)われて。)ああ私、何て馬鹿なことを言ってるの! お父さんの気違い! 酔っ払って相手構わず言寄るなんて! いい気味よ。いいようにあしらわれて。いくらお父さんだって、そう簡単には忘れないでしょう、あの人に足元の塵芥(ちりあくた)のように見られたんですからね。
 ノラ それは違うわ。あの女の人、ちゃんとお父さんが飲んでいたのを知っていたわ。そして、そういう人はまともに相手をしてはいけないって。
 サラ(疲れたように。)そうね。でも、それだって相当酷い話よ。ああ、あんな父親の娘と自分の息子を結婚させようなんて思う母親がどこにいるかしら。・・・(泣き出して。)ああ、お母さん。私、ついさっきまでサイモンはもう私のものって・・・本当に幸せだった。それなのに今はもう・・・どうしてあの人わざわざ今日、やって来たの。もし明日まで待っていてくれたら私、サイモンに結婚の申込みをさせていたわ。それにあの人、一旦それを口に出したら、どんなことがあったって決して心を変えるような人じゃないの。
 ノラ あの人があなたを愛していれば、どんな力が来たって決してその心を変えるようなことはないの。(誇り高く。)それを一番よく知っているのがこの私!(安心させるように。)あの女の人は、あの人の母親よ。あの人を愛しているの。あの人が幸せにと思っているの。それに、あの人があなたを愛しているのを見てとっているのよ。自分の子供に、あなたを嫌いにさせようだなんて、そんなことをどうしてあの人が思うの?
 サラ 私が嫌いだからなのよ。あの人・・・それが理由。
 ノラ そんなことはないわ。あなたが嫌いだなんて、そんなこと!
 サラ いいえ、嫌いなの。そう、私に対してそれは愛想がよかったわ。でも私は騙されない。あの人、首つり役人にだって愛想よく出来る人。あの人が死刑台にのせられている時でも。(声を低めて。)あの人、ここへ来たのは、ただサイモンの様子を見るためだけじゃないの。サイモンのお父さんが、うちの噂を告げ口する手紙を受け取って、それをあのお母さんに見せたからなの。
 ノラ うちの噂? 誰がそんな手紙をあの家へ?
 サラ 差出人の名前はなかった。そう言っていたわ、あのお母さん。うちのお父さんを嫌っているここらの誰かね。それに、嫌っていない人なんていやしない!
 ノラ その告げ口屋さんも可哀相に・・・誰か知らないけど。
 サラ サイモンにあの人言っていた、父親が真っ赤になって怒って、弁護士に相談するって。でも私、そちらの方は心配していないの。私、あの母親自身の、サイモンへの影響が怖いの。
 ノラ あなた、その手紙のこと、どうして知ったの?
 サラ(母親の目を避けながら。)扉の外で立ち聞きしたの。
 ノラ 何てことをするの! あなたは。自分に誇りってものがないの!
 サラ 私、恥づかしかったわ。だからちょっとだけで、すぐ降りて来た。(それから挑むように。)でも私、今は恥ぢてなんかいない。あの母親がどんな手で来るか、知っておきたかった。それが分っていれば戦えるもの。私、ちっとも恥ぢてはいない。あの人をこっちにつけておけるなら私、何でもする。(声を低めて。)あのお母さん、部屋に入るなり、いきなり話し始めたの。時間があと数分しかない。父親が家に帰って来て、自分がここに来たと悟られてはいけない。だから夕食前までにはどうしても家にって。サイモンがここで寝込んでからは、父親はあの人に固く禁じたんだって、サイモンに会うことを。
 ノラ じゃ、それを犯してここにやって来た。ということは、あの人がサイモンの味方っていうことじゃないの?
 サラ そう。でも、だからといって私との結婚に賛成していることにはならないわ。(苛々と。)ねえお母さん、話はそんなに単純じゃないの。裏を読まなきゃ。あの人、サイモンにはああ話したけど、本当は父親に頼まれて何が何でも私からサイモンを引き離せって言われて来ているのかも知れないわ。
 ノラ 確かではないことで深読みをすることはないの。じっと待っていれば分ること。多分あなたのことを・・・
 サラ 私には分っているの、お母さん・・・あの人は私が嫌いなの。(苦々しく。)たとえ来た時は私に良かれと思っていたにしろ、今じゃもう、そんな考え、すっかりなくなっている。何しろ家(うち)の御立派な紳士様が、あの人を侮辱したんですからね。良かったわ、御立派な紳士様が、今軍服の装着中で。鏡の前で何時間もかかるんだから。その間にあの人行ってしまう。あの人の前でまた馬鹿な真似をしなくてすむのよ、お父さんは。
(ノラ、メロディーから言い付かったことを言おうとする・・・が、思い留まる。サラ、調子を変えてまた続ける。)
 サラ でも、お父さんの軍服姿を見せるのはいいかもしれないわ。そう、素面(しらふ)でさえあれば。とてもあの人、見下せる男じゃないって分る筈。(苛々と。)まあ、私って、何て馬鹿! お父さんと同じ。あの人、お父さんの考えなんか、お見通しじゃない!
 ノラ(疲れたように。)お願い、お父さんのことは放っておいて・・・
 サラ(間の後。挑むように。)いい。あの母親に好きなようにやらせればいい。私だって頭があるの。あの人にもそれが分るでしょう。(それから心配そうに。)ただ、サイモンが言ってたけど、確かにあの人、レディーの雰囲気の後ろに、何か奇妙なものがある。あの人の本当の意図がどこにあるのか、それが分らない。
(二階から人が降りて来る足音。)
 サラ あの人よ。思ったより早く終ったわ。私今、あの人に会っても大丈夫な気持。お母さん、台所に下ってて。私、あの人と二人だけで話して、本音を引きだしてみたいの。
(ノラ、立上る。・・・それからメロディーの命令を思い出す。左手の扉を困ったように眺め、躊躇う。サラ、追い出すように言う。)
 サラ 何をやっているの、お母さん。早く行って!
(ノラ、溜息をつき、右手の扉に素早く退場。サラ、中央のテーブルの後ろに坐り、ピンと背骨を伸ばし、待つ。無意識に父親の気位の高い素振りが移っている。デボラ、右手の扉に登場。息子との会話がどんなものであったか、その結果がどんなものであれ、全くその表情には影響がない。デボラ、楽しそうにサラに微笑。サラ、椅子から優美に立上る。)
 デボラ(サラに近づいて。)あなたがここにいて私、嬉しいですわ、ミス・メロディー。病気の息子にいろいろお世話戴きまして、帰る前にもう一度改めてお礼を申し上げなければと思っていましたの。
 サラ 有難うございます、ミスィズ・ハーフォード。母も私もお世話をすることが出来て本当に幸せでしたわ。(挑むようにつけ加える。)私達、サイモンのことがとても好きなんですもの。
 デボラ(微かに目に光。サラのこの言葉を面白がっている。)ええ、そのようですわね。あの子も同じ。お二人のことを大変好きだと言っていましたわ。(デボラ、昔を思い出す様子になる。独り言を言っているような調子。誰も聞き手がいず、感情が外に出ない。声も低く投げ槍に。)あの子が自己解脱を求めて、自然の懐(ふところ)へと家を去ってから、あの子と顔を会わせたのはこれが初めて。手紙を受け取って、随分変っているだろうと思っていたけど、それほどではなかった。勿論最初の手紙を受け取ったのはもうずっと以前だけど。あの子は純粋に自然の懐に抱かれていれば、立派な詩が作れると思っていた。ところがやってみるとそれは、ロード・バイロンの焼き直しでしかありはしない。この発見はあの子の心をひどく傷つけた。(デボラ微笑む。)でも、どうやら代償作用があって、今では新しいロマンティックな夢を見つけたらしい、私の勘が正しければ。あの子は生来の夢想家・・・私の血を受け継いだための欠点。そう、ハーフォード家も夢想家の血筋。夢想が少し普通ではないけれど。私の夫だって夢想家・・・勿論保守的で物質的な夢だけど。今サイモンに言ってやったことも丁度そのこと。あの父親は自分の夢が虚仮(こけ)にされたら、もう金輪際許さない。その許さない遣り口も酷く実践的なものだからね、と話したの。(デボラ、再び微笑む。)こんな脅しを言ったって、それはただ母親の、夫に対する義務からだけ。何の効果もないだろうって、あの子の顔を見て分った。私の言っていることを聞いてもいない。でも、そんなことを言えばこの私だって同じ。自分の言っていることを本気で思っていやしないの。(デボラ、投げ槍な笑い。こっそり自分自身で面白がっているかのような。)
 サラ(デボラをじっと見つめている。この長広舌の後ろに、何があるか決めかねて。そして、どうこれに反応したらいいか分らず。・・・次の台詞の下に流れているものは敵意。)サイモンはバイロンの真似などしていませんわ。私、バイロンの詩なんか大嫌い。サイモンのには真実の詩があるわ。
 デボラ(微かに驚く。再び早口に。)ええ、まあ勿論、感情はね。あの子の詩には感情がある。あなたがそれに感心しても無理はないわ。でも、ハーフォード家が代々持っているその感情、それを女が感心し続けるのはなかなか難しい。私はあの家族の歴史を振り返ってみてそれが分っている。サイモンの曽祖父、ジョナサン・ハーフォードはその感情を持っていた。この人はバンカー・ヒルの戦いで戦死。でもきっと独立戦争に命を賭けたのではない。それはただ、看板の意味しかなかった。この人が命を賭けたのは、純粋な自由。それは確かだわ。サイモンの祖父、エヴァン・ハーフォードもその資質があった。純粋な自由を求める狂信者。だから、アメリカの独立など、この人には吐き気がする程無意味だった。アメリカの独立が、彼の自由のために一体何をしてくれたか。妥協、妥協の産物ではないか。彼はフランスへ行った。そして過激なジャコバン党員に・・・ロベスピエールの崇拝者になった。あの清廉潔白、買収不可能な救世主、ロベスピエールと共に、彼はギロチンに掛けられたかったでしょう。でも彼は、ゴミのような存在だった。誰も、彼のことなど気にもしない。彼を殺そうなどと、思いもしなかった。彼は故郷に戻り、小さな地所の片隅に「自由の社(やしろ)」を建て、その中に住んだ。その地所は今うちの庭になっている。社は今でも建っている。私は彼のことをよく覚えている。無味乾燥で、礼儀正しくて、残酷で、不撓不屈の精神をもって。全く不毛な、年寄りの理想主義者。そしてフランス共和党国民護衛隊の古い軍服を時々ひっぱり出しては着ていた。そしてそれを着て死んでいった。でも私の言いたいのは女の方の話。ハーフォードの男達がこんな風に自由を追求して行った陰で、彼らと人生をともにした女達が、その男達にどんな仇(かたき)をうったか。あなたにそれを知って貰いたいの。ジョナサンの後妻から生れた三人の娘、つまり、エヴァンの義理の妹三人は、男達の夢を支えるために、金を作らなければならなかった。やったことは海賊行為、それに、北西貿易。それが昂(こう)じて、ついには奴隷の売買。それで貪欲に、莫大な富を築きあげた。男達の自由追求のために奴隷になって戦い取った勝利のクライマックス、それは自由を奴隷にすることだった。エヴァンの妻も勿論この三人の小姑(こじゅうと)達に引き回された。道具にされ、共謀者となった。この三人は勿論、私にも目をつけた。しかし、あの干からびた、貪欲な爪でひっかけるに足るだけのものが、私の身体にはなかった。あの三人は死んで今はもういない。あの三人があなたに目をつけられないのが残念。あなたは強くて、野心があって、自分の欲しいものは手に入れる女。あの三人が生きていたらきっと、餓えた、よぼよぼの蛇のように、ニヤリと笑ってあなたをそのトグロの中に迎え入れたでしょうに。(デボラ、笑う。)邪悪な魔法使いのバアさん達! 思い出すだけでもゾッとする。でも何故か感心してしまう。一方では哀れんでいるのに。あの人達と私には共通点があった。三人はナポレオンを崇拝していた。結婚するならナポレオンしかいないと、よく言っていた。私もそう。自分がよく、ジョゼフィンであると夢見たものだった。結婚した後でもよ。夫には気の毒だけど。私達のハネムーンはパリだった。あの三人、それからその他、家族中の者が、そのハネムーンに同行した。ナポレオンの戴冠式を見るために。
(デボラ、間を開ける。思い出すように微笑む。)
 サラ(自分の意志に反して、この時までにすっかりデボラの、速い、低い声の、音楽的に出てくる言葉に聴き入る。自分自身にこの話がどんな意味があるのだろうと、神経を張り詰めて。サラ、デボラにつられて、低い、内緒話を打ち明ける時のような話し方で、自然に微笑みながら。)私もナポレオンが好きでしたわ、今までずっと。私、父と意見が合わないことは色々ありますけど、これがその一つですわ。父がナポレオン側につかず、彼を敵にして戦ったことが。
 デボラ(急に目が醒めたかのように驚いて・・・それから微笑む。)あらまあ、私ったら、何てことでしょう。あなたに今、私、どう思われているかしら、ミス・メロディー・・・ああ、でもきっと、サイモンから聞いているわね? 私が時々、急に変なことを話し始めるっていうことは。(デボラ、サラの顔をチラリと見る。・・・面白そうに。)ああ、やっぱりあの子、話したのね。じゃ、きっとあなたも割り引いて聞いて下さるわね。私、一体どうなったのかしら。・・・何故歴史なんか・・・そう、きっと狡いことはしまい、っていう考えからね。正々堂々と・・・そして警告すべきことは警告しなくちゃって。
 サラ(身構えて。)警告って何をですの? ミスィズ・ハーフォード。
 デボラ ハーフォード家の人間は、結局は夢を捨てきれない、ということ。たとえ口ではそれを否定しても、決して。家に伝わっている呪いなの、これは。例えばサイモンが書こうとしている本・・・強欲、あくなき所有への野心を廃し、権力への渇望(かつぼう)から個人を解き放つ、そして、わづかな物の所有で、満足することにより、我々の魂を救う。・・・こんなこと、あなた、まともに相手出来る?(デボラ、ちらりとサラを見る。)そうね、真面目にとってはいないようね。私も。私はサイモンがこのことを本に書くかどうかさえ、怪しいと思っている。でも、あの子の良心の中では、もうそれは書き終えている。そこをあなたに警告しているの。私は・・・(自嘲的な笑いで、自分の言葉を遮る。)全く私ったら、カッサンドラーみたいね。予言なんかしたりして。それに、相変らずくだらないことを言って、あなたを退屈させている。(優雅にサラに片手を差し出して。)さようなら、ミス・メロディー。
 サラ(機械的にその手を取って。)さようなら、ミスィズ・ハーフォード。(デボラ、後ろの扉の方に進む。サラ、その後に続く。その表情は混乱と疑惑。しかし同時に、希望もあり。突然衝動的に言葉が口に出る。)ミスィズ・ハーフォード、私・・・
 デボラ(サラの方を向く。明るく。)ええ、何ですの? ミス・メロディー。(しかし、デボラの目、この時までに虚(うつ)ろな、表情のないものになっている。これには誰だって会話を続けようとするのは無理。)
 サラ(急に黙り・・・堅い礼儀正しい態度で。)お発ちになる前に何か私、冷たいものでもお持ちしましょうか。こんな暑い日にサイモンの小屋まで行っていらしたんですもの、喉はカラカラになっていらっしゃる筈ですわ。
 デボラ いりません、何も。有難う。(それから再び早口に、例の奇妙な、自分と関係のない話をしているような話しぶりで。)ええ、確かにここに来るまでの道には、圧倒的な力があったわ。奇妙な経験。恐ろしいような・・・でも、酔ってしまいそうな。解き放たれた、ワッと叫びたいような気持になっている自分、それと同時に、自然に押し潰されて身動きの取れない自分。私はもう長いこと、自宅の庭の外から出たことなどなかった。庭では自然は飼い馴らされている。無理矢理従わされ、飾られている。私はもうすっかり、原始的な自然の、野生の力を忘れてしまったいた。その力が急に襲ってきたんですからね。(微笑。)疲れた中年の既婚夫人には、ひどくまごつかせられた朝でしたわ。でも私、終始自分を忘れない哲学的態度は取り続けていた。・・・いいえ、哲学的ポーズかしらね・・・とにかくそれは自分でも偉かったわ。だけど、これであの庭に帰れると思うと、ホッとした気持。庭・・・本・・・それに黙って考えること。それから、庭を取り囲んでいる高い塀の外から聞こえてくる人々の生活の足音を無関心に聞き流すこと。サイモンのために母親としての義務を果すなんてこと、もう決してしないわ。他人への義務とは何か自分で分っている、と思っている人達には、義務を果すってことは崇高なことなんでしょうけど、私には・・・(笑う。)あらあら、私、またお喋り。(扉の方を向く。)ケイトーを随分待たせてしまって。あの人、怒っているわ。あの人が大事にしている馬達、蝿にたかられてぐったりよ。それもこの私のせい。ケイトーは黒人の馭者。この人もサイモンのことが大好き。ただサイモンが解脱なんて言い出してからは、ケイトーに会う度に握手をするので、すっかり辟易(へきえき)。このケイトーという人、奴隷の身分の頃でも、自己をしっかり持った自由人だった。ケイトーにはだから、不思議だったんでしょう、サイモンがわざわざ握手までして、「君は自由人なんだ」って示そうとしたことが。(デボラ微笑む。)ああ、失礼します、ミス・メロディー。今度は本当に私、行きますわ。
(サラ、デボラのために扉を開ける。デボラ、その前を通って通りに出る。左に曲る。窓二つ分、デボラが通り過ぎて行くのが見える。それから見えなくなる。サラ、扉を閉め、中央のテーブルの向こう側にゆっくりと戻る。そこで立ったまま考えている。その表情は、怪訝(けげん)、心配、怒り、の混ざり合ったもの。ノラ、右手の扉から登場。)
 ノラ あら、駄目じゃないの、サラ。あの人を行かせてしまったりしちゃ。お父さんから私、言いつかっていたのよ・・・
 サラ 私、あの人のこと、全然分らないわ、お母さん。こちらのことなんか全く気にしてなんかいないっていう態度に見えるでしょう? でも、気にしているの。そして私のことが嫌い。私、それは感じる。でもはっきりは分らない。・・・あの人、気違い、きっと。喋り始めたらもう自分では止(と)めようがないの。戯言(たわごと)の連続。サイモンの祖先について。あの人自身について。ナポレオン、自然、それに自分の家の庭、解脱と自由、その他いろいろ。でもその話の間中、ずっと私にしっかり分らせていたの、これには隠された意味があるんだ、用心しろ、気をつけていないと飛んでもないことになるぞ、って。ああ、あの人、どこか狂っている。でも馬鹿じゃない。あの人、本心は、私とサイモンが結婚するぐらいなら、サイモンに死んで貰った方がまだまし、という気持。でも、そんなことサイモンにはおくびにも出さなかった筈。そう、そんなこと飛んでもない。きっとこう言ったんだわ。「サイモン、あなた、あの子を本当に愛しているの? あの子こそがあなたの幸せなの? そう。でもね、あなた、待たなきゃ駄目。あなたのその気持が、本当に確かなものであることが分るまで待たなきゃ。」こう言って時間を稼ごうとした筈。とにかく待つことを約束させたのよ。そう、賭けてもいい! これがあの人のやったことよ!
 ノラ(この時までずっと左手手前の扉を見つめていて、ただ自分の心配事にだけかまけていたが、脅(おび)えたように。)お父さん、今すぐにでも降りて来るわ。私、庭に出ている。(サラの腕を掴んで。)あなたもいらっしゃい。怒りが収まるまで一人にしておいた方がいいわ。
 サラ(手を振りほどく。苛々と。)ほっといて! お母さん。お父さんのことなんか構っている暇はないの。私のことで手いっぱい。サイモンに会った時、一番良い態度は何か、よく考えなきゃいけないの。あの母親みたいな大嘘つきにならなきゃ。あの母親のことを好いているふりをして、あの人がサイモンに言ったことならどんなことでも大賛成って顔をする。絶対にあの人に見抜かれないようにしなくちゃ。・・・そう、私、今日はもうあの人には会わないわ、お母さん。もし必要だったら、食事とミルクはお母さんが持って行って。私が忙しいからって。あの人に心配させた方がいいの。私が何かであの人に怒っているって思わせる方が。そう、あの母親が何かを私に言って、それで怒っているんじゃないかって思わせるの。私があの人のことを嫌いになったんじゃないかって、ちょっとでも思ってくれれば・・・ね、お母さん、そうしたら、少しは良い方向に進むんじゃない?
 ノラ(左手手前の扉のノブが動くのを見て・・・囁き声で。)ああ、大変!(慌てふためいて、振り返り、右手の扉から退場。)
(左手手前の扉、ゆっくりと開く。・・・「ゆっくりと」・・・何故なら、部屋の中で話し声がしているのを聞き、デボラがまだいると思い、充分に演出された劇的な登場をしようと構えた結果だから。その見え見えな意図にも拘らず、効果満点の登場。ウェリントン龍騎兵連隊の真紅の少佐の軍服を着るとメロディー、実に美男子で立派である。色鮮やかな、ロマンチックな、人の目を驚かせる姿。この時までは表に現わしていなかった、彼の本当の資質・・・恐ろしいほど強い、怖れを知らない騎兵将校・・・が出ている。軍服は非常な注意をもって保存されていたもの。釦は光り輝き、しみ一つない生地。彼持前の傲岸さが、これを着ると顕著に表れる。それから、午前中のアルコールの効果を隠し、顔に生気をとり戻すため、あらゆる手立てを講じて来ている。デボラがいないのを見て取ると、少し失望の表情。そしてサラと二人だけになるときにはいつものことだが、後ろめたい気持がさっと働き、怯(ひる)むような、内部の動き。サラの顔、堅くなる。父親が出て来たのに気づかないふり。メロディー、左手手前のテーブルをゆっくりと廻り、中央のテーブルの端に立ち、サラの正面に来る。サラ、相変らず父親に気づかないふり。メロディー、口を開かざるを得ない。自分の弱さに自分で面白がる謙(へりくだ)った男、という気分で、サラに話しかける。)
 メロディー 私は部屋に帰ってみたんだ。そうしたら、お母さんとお前が私の軍服をキチンと整えてくれていて・・・あんまりキチンとしているものだから、夕方まで待てなくてな。すぐさま着てしまったんだ。
 サラ(父親の方を向く。その姿があまりに立派なので、軽蔑の気持は消え去り、我にもあらず口ごもりながら、言葉が出てしまう。)そう、そうね・・・着たのね。(一瞬の間サラ、魅了されたように父親を見る。それから衝動的に感嘆の言葉。)立派だわ、お父さん。美男子よ。
 メロディー(子供のように喜んで。)おお、これは親切な言葉だな、サラ。(得意になって。)バシッとこの軍服を着れば、私だってそうそうしょぼくれた人間には見えないだろう?
 サラ(口をついて出て来る言葉は懇願でもあり、厳しい非難の言葉でもある。)ああ、お父さん、どうしてお父さんは、そうやって見える通りの人間になれないの?(声が悲しい軽蔑の調子になる。)過去のお父さん・・・私は知らないけど・・・軍人だったお父さん、そのお父さんだけだわ、夢じゃないお父さんて。
 メロディー(その顔は本心を隠す虚ろな顔になって・・・冷たく。)お前の言っていることは分らないな。(間。傲慢に、面白がっている調子で言い始める。)お前はまだ、お前の未来の義理の母親にやった私の失敗を、根に持っているようだ。根に持っていたとしても、それは当然だ。(メロディー、微笑む。)そう、確かに私はあの女に言い寄った。その一歩を踏み出したのだ。(クスクスと笑う。)しかし、全く計算違いもいいところだ。私はヤンキーの女どもをどう扱ったらいいか、その訓練はゼロなんだからな。ちょっとした毒のないお世辞を並べたてた。そうしたらどうだ、あの女、まるで私が侮辱したかのように怒り始めたんだ。ピューリタンが背景にあるとああなるのか。ちょっとした薮(やぶ)にも必ず罪が隠されていると思うんだな。しかしあんなお世辞ぐらいでビクビクする必要は全くなかった。私はああいう痩せた、蒼白い小女(こおんな)は趣味じゃない・・・(急いで。)いや、私のしたかったのはお前への許しを乞うことだ、サラ。あれは私が悪かった。お前の話がうまく行くように私は最善をつくす。名誉ある償(つぐない)をやってみせる。あの母親が降りて来たら、慎ましく謝罪の言葉を述べるつもりだ。(傲慢な虚栄をもって。)私との和解に感謝しこそすれ、何の不満があろう。あの女は怒ったふりをしたが、あの半分も本気じゃない。私は女というものをよく知っているのだ。
 サラ(この最後の言葉を聞くまでじっとメロディーを軽蔑の表情で見つめていたが、衝動的に、嘲笑うような調子で、言う。)そう、あの半分だって怒っていやしなかった。(それから自分自身へ、そして父親への怒りで。)ああ、お父さんの気違い! お父さんの夢の話なんか、もう沢山!(自分を抑えて、冷たく。)その綺麗な軍服であの人を魅了して、事態をもっと悪くしようとしたって、もう手遅れよ。あの人行ってしまったの。
 メロディー(驚く。)行った?(怒って。)嘘だ、そんな馬鹿なことがあるか!
 サラ 嘘じゃないわ。もう十分も前に・・・いえ、それ以上だわ。
 メロディー(つい口から出てしまう。)しかし、お母さんにちゃんと言っておいたんだ、私がここへ来るまでは・・・(急に言い止む。)
 サラ そうだったのね。だからお母さん、あんなに怖がって。・・・いい? お父さん。あの人を行かせたのは私。だからお母さんにあたるのは筋違いよ。
 メロディー あたる? 私が? おいおい、サラ。私はこれでほっとしているんだ。まさかお前、私が喜んでやりたいと思っているんじゃあるまいな、辞を低くして他人に謝罪するのを。たとえそれが娘の一件を好転させるためのものであってもな。
 サラ 好転? 聞いて呆れるわね。お父さんの大仰(おおぎょう)なお芝居をまた見せられて、陰でクスクス笑われるのが落ちよ。(怒りと軽蔑の気持が込み上げて、つい訛りが出る。)もう大抵にするものよ!(もう大抵にしんさい!)
(サラ、メロディーに背を向け、右手に退場。メロディー、テーブルの端にある椅子の背を両手で握りしめる。その大きな強い手で、込み上げて来る怒りをぐっと抑えるために。椅子の背、大きな音がして二つに割れる。メロディー、両手に残った椅子の残骸を奇妙な驚きで眺める。バーへ通じる扉が押し開けられ、ミッキー・マロイが声をかける。)
 マロイ 少佐殿、クリーガンが戻って来ました。
 メロディー(驚いて。意味なく繰り返す。)クリーガン?(それから顔が急に明るくなる。悲愴なほど会いたい気持。再びその名前を言う時、歓迎の暖かさがある。)ジャミー! 軍隊の昔の仲間! ジャミー。
(クリーガン登場。メロディー、その手をしっかり握る。)
 メロディー おお、よく来てくれた、ジャミー!
(クリーガン、驚く。また、その暖かい歓迎に喜ぶ。メロディー、彼を部屋に導き入れる。)
 メロディー さあさあ、坐ってくれ。一緒に飲むために来てくれたんだな。分っている。分っている。(食器棚からクリーガン用のコップを取って来る。自分用のコップと、デカンターは既にテーブルにある。)
 クリーガン(感嘆の声。)いやいや、これは昔の軍服ですね。スペインでの姿、そのままですな、これは。
(クリーガン、左手前方のテーブルの右手に坐る。メロディーが少し前にそのテーブルの向こう側に坐る。)
 メロディー(ひどく喜んで。・・・恨めしそうに。)いや、昔の姿はもう見る影もないよ、ジャミー。しかし、見られたザマではない・・・ほどではなかろう。今日は記念日だから着たのだが・・・おお、君は忘れているようだな。何だジャミー、タラヴェラが泣くぞ。
 クリーガン タラヴェラ? 今日がですか? タラヴェラを忘れるなんて飛んでもない。この刀傷を受けた日ですよ。ああ、勿論あの日を祝う権利があなたにはおありですよ。あの日、一騎当千の活躍をなさったんですからね!
(この時までにメロディー、クリーガンの方にデカンターを差し出している。ここでクリーガンのコップに注ぐ。)
 メロディー(クリーガンの褒め言葉ですっかり元気を取り戻し、彼本来の傲岸な態度になる。)うんそうだ、あの時はまづまづの活躍だったな。(親分の態度で。)いや、その点になれば君だってなかなかのものだった。(メロディー、自分のコップにも注ぐ。そしてコップを上げる。)あの日に、そして君の健康に、クリーガン伍長!
 クリーガン(誠意を込めて。)あの日に、そして健康に、コン!
(クリーガン、コップの縁をメロディーのコップにあてようとする。しかしメロディー、コップをさっと引き、傲慢な調子で言う。)
 メロディー(冷たい非難を含んで。)私はな、「あの日に、そして、君の健康に、クリーガン伍長」と言ったんだぞ。
 クリーガン(一瞬怒る。しかしニヤリと笑って、感嘆の気持を込めて。)そうだ、世界だって黙らせる力があるあんただ。そう、それがいつまでも変らないように!(最後の呼び掛けに力を入れて。)あの日に、そしてあんたに、メロディー少佐!
 メロディー(コップの縁を相手のコップにあてる。優雅に、これで満足して。)さあ、飲んでくれ、伍長。
(二人、飲む。)
                  (幕)

     第 三 幕
(場 同じ。バーへの扉は閉まっている。その晩の八時頃。中央テーブルには蝋燭が灯っている。メロディー、このテーブルの中央の位置に坐っている。光り輝く軍服をきたその姿は、この部屋に不釣り合いに色鮮やかである。その右手にクリーガンが椅子に坐っている。このテーブルのその他の椅子は無人。ライリー、オダウド、ロッシュの三人は左手前面のテーブルについている。ライリーは手前に。但し椅子が横向きになっているため、観客からはその横顔が見える。オダウドの椅子は右手の壁に向いている。その向こう、観客に面し、かつメロディーに背を向けて、ロッシュ。五人とも酔っている。メロディーは他の誰よりも。しかし目の中の光と死人のような蒼白さを除けば、酔いは表面に現れていない。紳士然と、礼儀正しくコップを握っている。)
(クリーガンが一番酔いが浅い。オダウドとロッシュは大声で喋っている。ライリーの酔いはただ、いつもより深い夢に入って行くだけ。周囲のことは全く眼中にない。)
(メロディーとクリーガンの前にはポートワインの空瓶が一本と、半分残っている壜一本。コップは二人ともなみなみと注いである。テーブルについている三人の前には、ウイスキーのデカンター。)
(サラが仕事着とエプロンをつけて、皿と夕食の余りを片付けている。キッと唇を結んでいる。五人を無視しようと決めているが、目にはどうしても怒りと軽蔑の表情が現れる。メロディーはテーブルの上に、フォーク、ナイフ、スプーン、塩入れ、等々を戦いの軍勢の配置に並べている。クリーガンがそれを眺めている。パッチ・ライリーはバグパイプの音合わせのため、少し鳴らしている。)
 メロディー ここがタガス河、そしてここがタラヴェラだ。こっち側が少し高くなっているフランス側の陣地。そして敵味方を分ける平野がここに横たわっている。こっち側が味方の陣地。第四分隊と守備隊がいる。この左手の谷に、我々騎兵隊が位置している。クリーガン伍長、覚えているか?
 クリーガン(興奮して。)覚えているかですって? 昨日のことのようにはっきりと見えますよ。
 ライリー(突然ふざけた歌を歌いだす。バグパイプの伴奏も一緒に。ライリーの声は墓地から出てきたような震え声のテノールだが、それでもきちんと「バルティオラム(Baltiorum)の正しい旋律を伝える。)
  「あの娘(こ)は豚と小馬を持っていた。
   あの娘はベッドと箪笥(たんす)を持っていた
   それに綺麗な小さな部屋も
   その部屋は懺悔を聞く神父のための部屋
   食器戸棚もカーテンも、それに何か他のものも
   なあ、そういう話だな?
   その部屋を神父さん、好きだったんだってさ
   寒い日には特にね
   おお、それでどうなった
   ハルー! ハルー! ハルー!
   ビディー・オー・ラファティー

 (原文)
   (She'd a pig and boneens,
She'd a bed and a dresser,
And a 'nate little room
For the father confessor;
With a cupboard and curtains,
and something, I'm towld,
That his riv'rance liked
when the weather was cold
And it's hurroo, hurroo!
Biddy O'Rafferty!)
(ロッシュとオダウドが大声でこれに合わせる。コップでテーブルを叩いて拍子を取りながら。「ハルー! ハルー! ハルー! ビディー・オー・ラファティー」と。そして酔っ払い特有の笑い。クリーガンもこの合唱に加わる。メロディー、話を中断されてムッとするが、とうとう親分らしい譲歩を示し、微笑む。歌の内容・・・神父への冒涜・・・にもつられて。)
 オダウド(メロディーの顔が和(なご)んだのを見て、狡い笑いを浮かべる。嘲笑するように。)坊さんなんてこんなものさ。悪魔に食われろ! ですね? 少佐殿。
 メロディー 全くだ。悪魔に食われろだ! パイパー、実にいいタイミングだったぞ。この歌はうちの奴が来たら、また聞かせてやってくれ。あいつはまだ、こっそり坊さんを信じているからな。さあ、もうこれで静かにしてくれ。クリーガン伍長と私は話がある。こうお前達がうるさくては、話も聞こえない。
 オダウド(ニヤニヤ笑いながら、従順に。)はい、分りました、旦那様。おい、静かにしろ、パッチ。
(オダウド、夢見る顔つきになっているパッチ・ライリーを突き飛ばす。ライリー、椅子から落ちそうになる。不思議そうな顔でオダウドを見る。オダウドとロッシュ、ゲラゲラっと笑う。)
 メロディー(顔を顰めて三人を見る。それからクリーガンの方を向き。)どこまで行ったかな、伍長。そうだ、我々は谷間で待っていた。フランス側のラッパが鳴った。連中は攻撃の隊伍を組んでいる。そして副官の一人が馬で我々の方に駆け降りてきた。
 サラ(この時まで軽蔑の表情を浮べて父親を見ていたが、手を伸ばして彼の皿を取ろうとする。・・・嘲りの調子の、ひどい訛りで。)さあ、皿を戴きますよ、少佐。味方の龍騎兵が突撃して、敵を蹴散らす前に。
 メロディー(皿に手をかけ、サラにそれを奪われないようにして、もう一方の手でワインのコップを持ち上げ、サラを無視して言う。)伍長、もう一杯行こう。タラヴェラは酷く喉の乾くところだった。覚えているか。(メロディー、飲む。)
 クリーガン(サラの方を、居心地悪そうに見て。)ええ、そうでした。(クリーガン、飲む。)
 メロディー(唇を舐めながら。)良いワインだ、伍長。やれやれ、うちの酒倉にまだ紳士に出して恥づかしくない酒があるとは、有難いことだ。
 サラ(怒って。)私に皿を片付けさせないつもり?
 メロディー(サラを無視して。)いや、客に、酒で謝る必要は全くない。それを言えば、食事に対してもそうか。ノラは腕のいいコックだ。あの、いつものケチを忘れて、食うに足る材料さえ買ってくれば、美味い物を食わしてくれる。しかし、給仕に関しては謝らなければならんぞ。ウエイトレスにちゃんと教え込んでいるのだが・・・皿をテーブルから引ったくるようなことはするな、それじゃまるで、犬小屋の犬に飯(めし)を出してやっているのと変らないと・・・しかし、どうも分ってくれないようだ。(メロディー、皿から手を放す。サラに。)そら、礼儀正しく片付けるんだぞ。
(サラ、一瞬メロディーを見る。怒りで口をきかない。それからメロディーの目の前でその皿を引ったくる。)
 クリーガン(急いでメロディーに、戦場の話を思い出させる。)その副官が馬で駆けて来た方向は、少佐、あなたを目掛けてでした。丁度その時、フランス側の大砲が火を吹いたのでしたね。
(サラ、盆の上に皿を山積みして右手から退場。)
 メロディー 味方は左手の縦隊に突撃をかけた。・・・ここだ・・・(テーブルクロスに印をつける。)こっちの守備隊を押しぎみに攻撃していた縦隊にだ。フランス側の、あの意気は凄かった。騎兵に槍の一団がこちら目掛けて突進して来るんだからな。あれを生き残れたのは全く奇跡としか言いようがない!
 クリーガン 少佐は敵に指一本触れさせなかった。上衣に弾丸(たま)が通って穴があいただけだった。しかし私は頬にこの刀傷が残りましたよ。敵のサーベルが斬りかかって。
 メロディー 何ていう勇敢な日だったんだ、あれは! しかし、ああ、日は経つ。人は行き、そして人は忘れる。(言い止む。・・・再び口を開くと、苦いものがある。)夢にだに思わなかった。あの私の武功があんな形で報いられたとは。
 クリーガン(慰めるように。)ああ、あれは運が悪かったんです。すぐに大佐に昇進なさるところでしたのに。あのスペイン女のために決闘をやったのが間違いでしたよ。
 メロディー(傲慢に。脅す言葉つきで。)私のあの行為を君は非難しようというのかね、クリーガン伍長。
 クリーガン(急いで。)失礼しました。今の言葉は取り下げます。
 メロディー(固い表情で。)よろしい。謝罪を受け入れよう。
(メロディー、残ったワインを飲み干し、また注ぐ。そして不機嫌に前方をじっと見る。クリーガンも飲み干し、なみなみと注ぐ。)
 オダウド(ロッシュ越しにメロディーを盗み見て、ロッシュに屈み込むように・・・嘲笑う調子の囁き声で。)あの野郎、全く気違いだな。真っ赤な服を着て、まるで役者だ。フランスの奴らと戦争? あんなのみんな嘘っぱちさ!
 ロッシュ(不機嫌に・・・しかし、注意して声は低くして。)罰(ばち)があたればいいんだ。イギリス軍の赤い服など着おって・・・あんなもの着たっていうのがそもそも罰あたりさ!
 オダウド おい、あいつのことを悪く言うな。あいつがいなきゃ、俺達、酒にはありつけないぞ。それより乾杯でもしてやろう、あいつに長生きしろってな。そうすりゃ、おだてに乗って、また奢ってくれるってことよ!(ロッシュと自分にデカンターから注ぐ。)
 ロッシュ(酔って、目が横に動く。)全くだ! おお、あいつのために乾杯してやるぞ。(向きを変え、メロディーに面と向く。コップを持ち上げ、怒鳴る。)アイルランドの島からやって来た男の中の男、紳士の中の紳士、少佐殿の長命を祈って、乾杯!
 オダウド 万歳! どうぞ長命を、少佐殿!
 ライリー(自分の夢から醒めて、機械的にコップを持ち上げ。)それから御家族一同に、乾杯!
 メロディー(思いに耽っていたのを急に醒されて、すぐに人のよい紳士然となり、寛容に微笑む。)あまり声を上げるなと言っておいた筈だぞ。しかしとにかく、乾杯には感謝する。
(五人で飲む。間。突然メロディー、バイロンの詩を吟じ始める。その朗読は、立派な、もの静かな、苦い雰囲気の籠ったもの。)
  「しかし、群衆の真っ只中で、その活動、喧騒の中で、
   疲れた人間達の顔を見、声を聞き、
   その存在を肌で感じ、その行動を共にし、
   一緒に歩き回る時。
   そして俺を祝福する者は誰もいず、
   また俺が祝福できる誰もいず、
   偉業を成し遂げ得る人間も、悲しみのために縮こまり、
   気心の合った友人と話しても微笑みさえ浮かべない。
   そしてもし、もし俺が、
   あの諂(へつら)う人間の仲間でなかったら、
   後を追われ、せびられ、
   物を頼まれる人間の仲間でなかったら、
   これが孤独ということだ。
   そう、これだ。これこそ孤独というものだ。」
(メロディー、朗唱を終る。そして相手の顔を一人一人見る。全員、全く無表情。メロディー、軽蔑と嘲りを込めて言う。)
 メロディー 何だ。お前達、誰も分らないのか。まあ、その方がいいだろう。私が馬鹿なことをやり、お前達がそれを腹の中で笑う。そういうことだ。(それからサッと雰囲気を変えて、明るく。)ああパッチ、狩の歌を頼む。お前、「モディデルー」を忘れてはいまい。賭けてもいい。覚えている筈だぞ、お前は。
 ライリー(すぐに興を掻立てられて。)アヒルが天気を忘れるかってんです。よし、行くぞ。(バグパイプで序奏の部分を始める。)
 オダウド モディデルー!
 ロッシュ ハルー!
 ライリー(伴奏を弾きながら狩の歌の思いつく所から歌い始める。泣き叫ぶような悲しい調子あり。)
  「そして狐は高い所に登り、辺りを見回した。
   他の者達は怖がって、そこまでは行かなかった。
  『僕が間違っているのかもしれない』狐は言った。
  『しかしお前達、明日も同じように陽気でいられるか?
   それは疑問だ。いくらお前達が大声で叫んでも、
   高く駆け上ろうと、僕の悲しみを感じることは
   ないだろう。
   お前達が明日、低い所に横たわっている間、
   僕はこの高い所で自由を感じる。』
   おお、モディデルー! アルー! アルー!」
 (原文)
   'And the fox set him down and looked about,
And many were feared to follow;
"Maybe I'm wrong," says he, "but I doubt
That you'll be as gay tomorrow.
For loud as you cry, and high as you ride,
And little you feel my sorrow,
I'll be free on the mountainside
While you'll lie low tomorrow.
Oh, Modideroo, aroo, aroo!"
(今やメロディーも興に乗り、コップでテーブルを叩き、拍子を取る。クリーガン、ロッシュ、オダウドも同様。そして全員で繰返しの「おお、メディデルー、アルー、アルー」を怒鳴る。)
 メロディー(目が輝き、我を忘れ、つい強い訛りが出て来る。)ああ、これで思い出した。あの昔の日を、はっきりと! 無くなってしまったあのメロディー城! 南からの風、空は雲で灰色・・・狩に持って来いの日だった。あれは忠実なアイルランド独特の猟師だった。私を愛し、私の下で働いてくれたあの勢子(せこ)は。私が命令すれば、地獄にでも飛び込んだだろう。エーイ、人間なんか男も女も地獄に落ちればいいんだ! 腐った卑劣な心を持って、嘘が、慾が、悪巧みが、プンプン臭って来る! 私には馬だ、馬をくれ! 人間とはもう終りだ。人間どもは野に放(はな)って猟犬で追いまくるんだ! 首をやられないよう気をつけろ! 溝を越え、小川を越え、石の壁を越え、垣根を越え、逃げるんだ。まるで狐だ。身を折り曲げて、山腹を逃げて行く! 針エニシダとヒースをかき分けて・・・
(この時までにサラ、左手から登場。父親の狩の話のところから聞いている。その椅子の後ろに立って、軽蔑の表情を浮べて。メロディー、急に娘の存在に気づき、首を回す。娘の目に嘲りを認めると、その顔はまるで冷水を浴びせられたようになる。サラがまるで召使であるかのように尊大に言う。)
 メロディー 何だ、どうした。何を突っ立っているんだ。
 サラ(乱暴に。ひどい訛りで。)突っ立っている理由など、分りきっているでしょう? 自慢の馬の話なんかして、ちっとも片付けられない。お父さんも、他の人達も、さっさとバーに行って。飲んだくれるならあっちでして。ここは片付けるんですからね。
(オダウド、手でニヤニヤ笑いを隠す。ロッシュ、馬鹿笑いが出るところを押し殺す。)
 クリーガン(メロディーを心配そうに見ながら、サラに諭すように首を振って。)なあサラ、そう怒らないで・・・
(しかしメロディー、怒りの反応は抑える。少しぎこちなく、用心しながら立上り、一礼する。)
 メロディー(冷たく。)そうか。片付けの邪魔をしたか。それは謝る。(オダウド他二人に。)バーに行くんだ、お前ら!
 オダウド はいはい、バーですね。さあダン。起きろ、パッチ!
(ライリーをつつく。オダウドとロッシュ、バーに行く。ライリーもその後を、躓(つまづ)きながら追う。クリーガン、メロディーを待っている。)
 メロディー 先に行っていてくれ、伍長。すぐ私も行く。娘に話があるんだ。
 クリーガン 分りました、少佐。
(クリーガン、再びサラに頭を振って、「父親を怒らせるなよ」と合図。サラ、これを無視する。クリーガン、バーに退場。後ろ手に扉を閉める。サラ、父親を、怒りと軽蔑の表情で見つめる。)
 サラ 酔っ払い! 大人しく私がお父さんの話を聞くと思ってたら・・・(大間違いよ。)
 メロディー(顔は全く無表情。中央のテーブルの向こう側の椅子を引いて、礼儀正しく。)さあ、坐って、サラ。
 サラ 坐りません。時間がないの。可哀相にお母さん、立っているのがやっと。私、手伝うの。大記念祝賀会の晩餐で、山のような汚れた皿。(不満たらたらの調子。)終ってやれやれだわ。私が給仕をするのもこれが最後ですからね。あんなオダウドみたいなカスの酔っ払い連中に、お給仕なんかもう真っ平・・・
 メロディー(静かに。)酔っ払いのカスにだろうと誰にだろうと、そいつらに自分の父親を嫌い、軽蔑しているところを見せて、いい気になっているとは呆れた娘だ。(メロディー、肩を竦める。)しかしまあいい。(椅子を再び指し示して。)さあ、坐らないか、サラ。
 サラ もしお父さんが現実を直視する勇気を持ったとしたら、それが自分を軽蔑する時なのよ。(勢いこんで。)いつもお父さん、自分の顔を鏡で覗き込んでいるわね。そのうちその鏡から、きっと現実の姿が出て来るわ。きっとよ! その現実の姿が、今までお父さんが私とお母さんにしてきたことへの復讐なのよ!
(父親がかっとなって自分に酷い言葉を浴びせるだとうと勇敢に待つ。しかしメロディー、この言葉が全く聞こえなかったかのような態度。)
 メロディー(顔は無表情。態度物腰は、ぼんやりとして慇懃。)まあ坐るんだ、サラ。長い時間じゃない。これから私が話すことは、多分お前、大変興味をもって聞くだろうと思う。
(サラ、探るように父親の顔を見る。この冷たい、静かな、紳士的な調子の陰に脅迫を感じて、不安を覚える。サラ、坐る。メロディー、空の椅子を一つ置いて、テーブルの後ろに坐る。)
 サラ 口を開く前によく考えるのね、お父さん。飲んで、こんなに静かになっている時って、必ずその頭の中に酷い考えが詰まっているの。用心しなきゃ。
 メロディー 何のことを言っているのか、私にはよく分らないな。ただ私は、今日の午後、ここで起ったことを言おうとしているだけなんだから。
 サラ 今日の午後・・・(再び侮辱された気持になって・・・嘲るように。)私とお母さんとが汗水たらしてここの旦那様の宴会の御馳走を作っている間、当の御本人の旦那様は、美しいサラブレッドにお乗り遊ばして、どこかへお出掛け。またこの間のように、あの馬を見せびらかすために、どこかの家の庭の垣根をジャンプさせたんじゃないでしょうね。牢屋を逃れるためにタップリ損害賠償を払わされるのは、もうこりごりですからね。
 メロディー(馬のことを言われ、またかっとなって・・・軽蔑するように。)ヤンキーの田舎っぺが! あの素晴らしいサラブレッドが自分の庭・・・それも鶏を飼っている庭に入ったんだ・・・有難く思って当然だぞ。あの馬は血統からすれば、ここらのどんな女どもより由緒正しいんだ。そう、今朝やって来たあの女と較べてもだ。
 サラ ミスィズ・ハーフォードは、お父さんの正体をずばりと見抜ける人よ。そしてそれを物笑いの種にすることが出来る人。
 メロディー(この揶揄に全く怯むことなく・・・静かに。)お前のお人好しにも呆れたものだ。あの淑女ぶった振舞いにすぐ騙されてしまうんだからな。勿論お前と母親が降りて来た時、あの女が取り乱して何か言うのは当たり前だ。なにしろ、私にキスを許した丁度すぐ後だったんだ。取り繕う必要が・・・
 サラ(つられて、勢いこんで。)あの人がお父さんにキスを?(それから軽蔑するように。)嘘だわ。でもきっと、お父さんはそういう場面があったことを今では信じているんでしょうね。(怒って。)私は行きます。お父さんの酔いに任せた自慢話はもう沢山・・・どうせありもしなかった話! いつものように。(サラ、両手をテーブルの上にのせ、立上ろうとする。)
 メロディー(片手でその動きをぐっと止めて。)待て!(仕返しの残酷な目付きが目に現れて・・・静かに。)お前はどうしてそう、あの馬を目の敵にするのだ。あの綺麗な足首、すらりとした足が羨ましいのか。(掴んだサラの両手を放し、じっと見て・・・軽蔑の言葉で命令する。)何だその百姓女の手は。分厚い、醜い手だ! 私の目の見えない所に置くんだ、そんなものは! 胃がひっくり返るような気分だ。そんな手をサイモンには決して見せるんじゃないぞ!
 サラ(本能的に両手をテーブルの下に入れる。上に置いたのが悪いことをしていたかのように吃って言う。)な・・・何て酷いことを! お父さん・・・お父さん・・・
 メロディー(一瞬後には恥ぢている。心から悔いて。)許してくれサラ、本気じゃない・・・酒の上での言葉だ・・・お前の言う通りだ。(それから無理につけ加える。揶(からか)いの調子が籠っている。)馬鹿なことを言ったものだ。お前の手と足は、あんなに綺麗だっていうのにな、サラ。
(サラ、パッと立上る。あまりに傷つけられ、怒りでいっぱい。唇が震え、言葉が出ない。メロディー、静かに続きを言う。)
 メロディー お前、行くのか! 私は今日の午後、サイモンと話をしたんだ。そのことをお前に話そうと思ったんだがな。
(サラ、驚いてメロディーを見つめる。メロディー、軽い調子で続ける。)
 メロディー 馬で散歩に行って帰ってからのことだ。並足で行っていたんだが、馬がびっこを引き始めてな。それで私は馬を降り、納屋まで歩いて連れて帰った。誰も私の帰宅に気づいた者はいない。私は二階に上った。そこでふと思った。あのハーフォードの奴と話すこんないい機会はまたとないぞ。邪魔は決して入らないんだからな。(メロディー、間を置く。サラが怒り狂って何か言うのを待つかのように。しかしサラ、全身を緊張させて聞いている。自分の反応を父に知られまいと決心して。)私は探りを入れるような、そんな手は使わなかった。私はこう言った。「君は、サラの父親から質問を受ければ、君の持札を全て出して見せるのが、紳士としての義務ではないか。君だって気づいているだろう、君が病気になって、この家の二階に寝込むようになるもうずっと以前から、私の娘と君との関係は、人の口に上っていたのだと。サラはしょっ中君の小屋に行っていたし、サラとの二人の散歩は沢山の人達に目撃されていたんだからな。このような親密さは、私の娘に深刻な傷を齎(もたら)すことなく続く訳には行かない。」そう言ったのだ。
 サラ(言う言葉なし。)何てことを! あの人は何て?
 メロディー 一言もある訳がない。あいつは名誉を重んじる男だからな。ひどく当惑して、一瞬すまなそうな表情もした。口がきける状態になると、私の意見は実に尤もだと言った。そして、あれの母親も全く同じことを言った、と言っていた。
 サラ あら、あのお母さんも? そんなことより、私との関係がどこまで行っているかを訊いたのだと・・・
 メロディー(冷たく。)当り前だ。あれは母親なんだからな。お前との関係の度合を知る権利も義務もあるさ。あれは世長(た)けた女だ。お前達二人は行き着く所まで行ったと思っていたろう。
 サラ(上ずった声で。)そう? あの人はそう?
 メロディー しかしそれは本題ではない。この話の本題はあの男が最後にお前と結婚したいと言ったことだ。
 サラ(自分の怒りを忘れて・・・勢い込んで。)そう、あの人が?
 メロディー そうだ。そのことは母親にも話したと言った。母親の答は「勿論私は、子供の幸せを望むものです。でも、すぐ結婚はいけません。よく二人の愛を確かめあって・・・勿論これには二つの家庭の話も含まれますが・・・そのために時間をおいて・・・それからにしなければ」と。その期間は一年・・・と言ったと思う。
 サラ(怒って。)一年・・・なんて狡いの、あの人! 時間稼ぎよ!
 メロディー(肩を上げて。冷たく。)狡い? 私はそうは思わない。あの母親がこれだけの常識的センスを持ち合わせているとは私は思っていなかった。母親があの息子に言った理由は、お前の名誉にとっても実に考慮が払われたものだ。お前はそれに感謝こそすべきであれ、疑いなどもっての他だ。
 サラ まあまあ、お父さんたら、またあの人に体(てい)よく騙されたのね。あの人が私の名誉に考慮を払っただなんて!
 メロディー まづあの息子に話して聞かせたことは、もしお前がヤンキー仲間の家族の娘であったら、急いで結婚しても何の問題もなかろう。却って早く結婚する方が彼の・・・
 サラ 分ったわ。頭がいいのね、あの人!
 メロディー もう一つ理由がある。サイモンはこの点を説明するのにひどく回り諄(くど)い言い方をして、私は理解するのに暇がかかった。母親は彼に、急いで結婚すると、世間から疑いの目で見られ、厭な噂が立つだろう、と言ったのだ。
 サラ(声が上ずる。)本当に頭がいいこと! でも私、ちゃんと反論出来るわ。
 メロディー 私はサイモンに言った。私も全く同意見だとな。二つの家族の結びつきに必要なある期間を置かず、突然結婚すれば誰だって思うものだ・・・
 サラ 誰が何と思おうと知ったことじゃないわ! さあ言って! サイモンは母親に待つと約束させられたの?(メロディーが答える前に・・・苦々しげに。)そんなこと決っているわ、聞かなくても。その約束なしであの人がここを出て行くなんて、ありっこないもの!
 メロディー(これを無視して。)私は彼に言った。正式に私の娘への結婚の意志を示してくれたことに感謝する。しかし、このことは知って貰わねばならない。私はあれの父親と金銭的な話で同意が得られるまでは、君の申し出にすぐ応じる訳にはいかない。早い話が、例えば、持参金の額のことだ、と。
 サラ また金! 可哀相なお父さん!(ゲラゲラっと、少しヒステリックに笑う。)きっと、サイモンも呆れたわ。この人、気が狂っている、と思ったわ。それでサイモンの答は?
 メロディー 勿論何も言いはしなかった。あいつは育ちのいい男だ。父親が答えるべき質問に、自分が代って答えるようなことはしない。問題はお前に対する持参金だけじゃない。父親がサイモンにどれだけ金を譲るかという問題もある。しかし、この話は私はしなかった。これ以上金の話をしてサイモンを困らせることはないと思ったからだ。
 サラ よかったわ。それぐらいの判断はついて。(ヒステリックに笑う。)
 メロディー(静かに。)何故お前がこのことをそんなに馬鹿馬鹿しいと思うのか、私には分らないね。持参金も相続も、昔から決っている習慣だ。サイモンは長男で、父親の財産を受け継ぐ。過去のいきさつがどうであろうと、一旦長男が結婚するとなれば、父親はそれなりのことをしなければならん。それに、子供が詩人或は哲学者として食って行こうとしているなら、残念ながらそれだけでやって行くことは難しい。勿論父親はサイモンに何らかのものを与える筈だ。そこで私は私の娘としての相応しい生活を保証する、かなりの金額にすべきだと主張するつもりだ。あの父親がケチケチ値切るような真似をすれば、はっきりそう言ってやるつもりだ。
 サラ(呆れたように父親を見る。堪えきれず再びヒステリックな笑い。)サイモンの父親は、私を嫁に貰うことをちっとも名誉だなんて思っていないわ。お父さんにはそれが分らないの?
 メロディー(静かに。)分らないね。それに、万一あの父親が名誉と思わないなら、その心を一瞬のうちに私が変えてみせる。あの男が一体何だというのだ。金稼ぎのただの商人(あきんど)ではないか。私を見ろ。私は貴族だ。城で生まれたのだ。富と地位と屋敷を持っていた時期があるのだ。ただの屋敷ではないぞ。あれに較べたら、サイモンの父親の、あのヤンキーの成上り者の家など、キャベツの葉にくっついたあばら屋に過ぎん。それからサラ、お前はその城で生まれた。そのことをキチンと奴に知らしめるのだ。
 サラ(衝動的に頭を誇り高く持ち上げて。)そう、私はお城で生まれたの!(それから自分自身に、そして父親に怒って。)ああ、何て戯言(たわごと)なの!(さっと立上る。)もう沢山! お父さんの気の狂った夢なんか!
 メロディー 待て、まだすんでいない。(静かに。しかし言葉が進むにつれ、サラに対する仕返しの気分が深まって行く。)私はサイモンの申し出に、すぐには応じられなかった。金銭的な問題以外にもう一つ理由がある。私はこの、申し出を受けた結婚について、時間をかけて考えたかった。私はお前の行動を偏見なしで、じっと観察して来た。そして考えた・・・お前に極力公平であろうと、そして情状酌量の余地があればそれらは全て認めることにして・・・(間。)その結果出た結論だが、正直のところ、お前はただの百姓女だ。下卑た、欲張りな、腹に一物ある、狡い女だ。考えることと言えば金だけ。偶々(たまたま)金持ちの御曹司が転がり込んで来た。それで恥知らずにもそいつを引っ掛けてやろうと思った。それだけのことだ。
 サラ(ぐっと自分を抑えようとしながら。)お父さんの魂胆は見えているわ。飲むといつもこれ・・・でも今度は私、お父さんの言いなりにはならないわ・・・(それから怒って怒鳴る。)出鱈目(でたらめ)よみんな、そんなこと! 私はサイモンを愛している。お金なんか・・・
 メロディー(相手がまるで口を開いていないかのように。)従って私は決心した。サイモン・ハーフォードのお前に対する結婚申込みは断ろうとな。
 サラ(今や怒って、嘲りの声。)そう。そう決心したの。お父さんが何を決めようと知ったことじゃないわ。
 メロディー 私はあのサイモンに対して、紳士としての義務を感じている。こんな結婚は、あの男には全く似つかわしくない。悲劇になるのは目に見えている。そして、そういう結婚による悲劇を、私は誰よりもよく知っているのだ。
 サラ 何がお父さんの悲劇よ。お母さんの悲劇じゃない!
 メロディー 私はあの若いハーフォードに、高い尊敬の念を抱いている。あの男が取り返しのつかない過ちを犯すのを、私は黙って見ている訳にはいかない。それも、飛んでもない過ちだ。ただ胸の悪くなるような後悔の念、それに、自分の夢が悉(ことごと)く敗れ去るのを見なければならないのだからな。
 サラ とにかく私では、あの人には不足だっていうこと、そういうことなのね?
 メロディー それはお前の行動の一つ一つから明らかではないか。誰が見たって・・・そう、お前をどんなに贔屓目(ひいきめ)に見たって・・・お前を貴族の出と見る者はいない。私はお前がそうなるよう、出来るだけの努力はしてきた。しかし無理な相談だった。雌豚の耳をいくら加工してみたところで絹の財布には仕上げられないからな。
 サラ(激怒する。)何てことを!
 メロディー あの若いハーフォードは、自分の身を守らなければならん。彼が若い女性の肉体にフラッとするのは分る。お前は美人だ。お前の母親もかっては美人だった。しかし結婚はまた自づと別の問題だ。お前にとって一番理想の夫は、その行動、性格、から判断して、ここのバーテンのミッキー・マロイだ。彼となら私は心からの祝福を与えてやろう。
 サラ もう止めて! お父さん。
 メロディー お前とあの男ならうまが合うだろう。お似合いの夫婦だ。あいつは豚のように健康だ。お前との間にはいやという程がきが出来る。そいつらはお前達の住む小屋の、泥だらけの床で豚と一緒になってキャーキャー騒ぎながら、取っ組み合いをするだろうさ。
 サラ それはお父さんの父親の話ね。汚い床の上で生まれ育った。お父さんはよく覚えているんでしょう。
 メロディー(痛い所を突かれて怒る。憎しみの籠った目でサラを見る。メロディーの声、震える。しかし、非常に静かに。)勿論お前があのハーフォードをうまく騙して、子供でも出来たという話になれば、私だって結婚の同意をせざるを得まい。(自制を失って、テーブルを拳(こぶし)で叩く。)それでも駄目だ! 私が自分のことを振り返って見れば分ることだ! そうなったって、あの男に、お前と結婚しろなどと、この私の口から言えるものか。そんなことをしたらこの口が腐ってしまう!
(ノラ、右手の扉から登場。二人に駆け寄る。(訳註 この後ノラは、何も言わず、また退場のト書きもない。ノラの登場は不要と思われる。))
 サラ(憎しみを込めて睨み返す。)このへらず口の酔っ払い!(サラ、片手を上げ、父親の顔を殴ろうと、その近くに進む。・・・それから思い直し、静かに、皮肉たっぷりに言う。)お父さんの同意なんて、そんなの私にはどうでもいいこと。それより、親切な父親らしい御忠告を感謝するわ。サイモンを篭絡するにはどうすればよいかを。今のところ必要ないけれど、最悪の事態になったら、きっと仰せの通りに・・・
 メロディー(冷たく無表情に。)どうやら言おうと思っていたことはこれで全部だ。(メロディー、立上り、固くお辞儀をする。)失礼してよければ、私はクリーガン伍長の所へ行く。
(メロディー、バーの扉へ進む。サラ、振り返り、右手の扉から静かに退場。中央テーブルの皿を片付けるのをすっかり忘れている。メロディー、皿に背を向けてからは、サラが出て行ったことに気づかない。バーへの扉のノブに手をかけ、躊躇う。一瞬強気が崩れ、弱々しくなり・・・胸から搾り出すように。)サラ!(それから、静かに。)言ってはいけないことも言ってしまったようだ。私は今は・・・後悔している。頼む・・・許してくれるな?・・・お母さんもよく知っている。あれは私の酒の上での話だ。・・・どうやら記念日のお祝いで、飲み過ぎたらしい。頭がウイスキーでやられてしまったんだ。・・・お前の言った通りだ。(メロディー、サラから許しの一言が出るのを待つ。やっと肩越しに後ろを見る。サラはそこにいず、自分の言葉も聞いていなかったと知り、一瞬頽(くづお)れる。軍人らしい、ピンとした姿勢は崩れ、顔がだらりと緩む。悲しそうな、希望のない、辛く、老いぼれた表情になり、目は虚ろに彷徨(さまよ)う。しかし、前、一、二幕での時と同様、ここでも鏡が彼の注目を引く。バーへの扉を離れ、鏡の前に立つと、再び傲慢なバイロンのポーズを取る。鏡の前で、前二回の時と全く同じ仕草をする。まづ誇り高く次の言葉を。)この私が進退窮まるだと? 弱気は止めろ! ああ、神よ、力を!(通りに通じる扉にノックの音。しかしメロディー、それが聞こえない。バイロンからの例の引用を朗唱し始める。)
 「俺は世間を、世間も俺を、相手にしたことはなかった。
  俺は世間の奴らに、おべっかを使ったことはない。
  やつらが崇(あが)め奉(たてまつ)っているものに、
  連中と調子を合わせるために、
  一緒に膝まづくことなど、したこともない。
  お愛想笑いに自分の頬の皮を緩めたこともなければ、
  連中が誰かに、声を揃えて讚歎の声を上げる時、
  俺はただ、それを冷やかに眺めてきた。
  連中に俺を、その仲間の一人だと思わせたりするものか。
  俺は立っている。きやつ等に交じって。
  だがいいか、俺は奴らの中の一人じゃないんだ。・・・」
(扉のノックの音、もっと大きくなる。メロディー、驚き、バツの悪い顔をする。急いで鏡から離れる。その顔が次に、怒りの表情に変る。外に呼ぶ。)何だ! さっさと入ればいいだろう、馬鹿野郎! ドアマンがお前のために開けてくれると思っているのか!
(扉が開き、ニコラス・ギャツビー登場。ギャツビーは四十代後半。背が低く、がっちりしていて、大きな禿頭に、丸い赤ら顔。小さな青い目。融通のきかない堅物。金持の家族のお抱え弁護士。服装と態度物腰に落度のない男。喋る時はものものしく、自分の職業の権威と尊厳を非常に意識して喋る。しかし、この場は、今までに彼の経験のないもの。彼の態度が示すように、どうしてよいか見当がつかない。キチンと軍服を着込んだメロディーの姿、それにメロディー自身のキリッとした男らしい顔、は全く予想を越えたもので、一瞬アッと息を飲む。メロディーの方も驚く。ノックしていた男が紳士であるなどと思っていなかったからである。メロディー、声の調子は相変らずぶっきら棒であるが、顔は穏やかになる。メロディー、堅いお辞儀。ギャツビーも機械的にお辞儀を返す。)
 メロディー これは怒鳴ったりして失礼した。バーと間違えてこちらの扉を叩いた百姓どもかと勘違いして・・・どうぞお坐り下さい。
(ギャツビー、前方に進み、中央テーブルの端にある椅子に坐る。テーブルの上にある汚い皿を見て眉を顰める。メロディーが言う。)
 メロディー これも失礼。たった今、宴会を終えたばかりのところで。この汚い皿はその名残りです。すぐ給仕を呼んで、そちらの註文をお聞きしましょう。
 ギャツビー(やっと落着きを取り戻し始めて・・・そっけなく。)いや、何もいりません、私は。この宿屋の主人、名前はメロディーですが、その男と個人的に話があってやって来た者です。(ギャツビー、少し躊躇うように。)あなたがひょっとして・・・その人でしょうか。
 メロディー(呼び捨てにされて硬化する。傲慢に。)メロディーなどという者ではない、私は。しかし、もしお捜しの人物が、コーニリアス・メロディー少佐・・・かっての陛下お付きの第七龍騎兵隊・・・スペインにおいてウェリントン卿のもとで働いたあのメロディー少佐をお捜しであるなら・・・それは私だ。
 ギャツビー(そっけなく。)分りました。それならメロディー少佐です。
 メロディー(ギャツビーの言い方が気に入らない。皮肉たっぷりに、嘲るように。)それで、遥々(はるばる)ここまでお越し戴きました御本人のお名前を伺いたいものですな。
(ギャツビーが答えようとしたその時、サラ、皿のことを思い出し、右手から登場。メロディー、ただの給仕であるかのように、これを無視する。ギャツビー、サラが片付けをしているのをじっと見つめる。サラ、その視線を感じ、敵意のある視線を返す。サラ、右手に、皿を持って退場。しかしすぐ盗み聞きするために、右手のホールに戻って来る。観客からそれが見える。サラが退場した瞬間、ギャツビーが口を開く。)
 ギャツビー(気取った、軽い言い方で。)美人ですなあ。あなたの娘さんで? よく似ておいでの所が・・・
 メロディー(怒って。)飛んでもない! この私が、自分の娘を給仕に使うような男だと思ったとは! 失敬な。私に似ている? あんたの目が節穴だということだ、それは。(冷たく。)まだ御返事を戴いておりませんな、一体何者で、何のために私に会いに来たのか。
 ギャツビー(メロディーに名刺を渡す。メロディーの態度に酷く苛々して・・・ぶっきら棒に。)私の名刺です。
 メロディー(名刺を見て。)ニコラス・ギャツビー。(手が汚れるかのように投げるように置いて。)弁護士? 厭な商売だ。私は嫌いだ、弁護士という仕事は。一体何の用があってやって来られた。見当もつきませんな。もう何年も前、アイルランドで、この法の番人っていう奴が、私をいいカモにして、盗っ人まがいの詐欺をやってのけてくれましたよ。そちらのカモになるほどのものは、もういくらも残っていない。一体どういう訳で・・・(突然思い当たる。じっとギャツビーを見つめ、ちょっと親しみのある調子に変えて。)フム・・・すると何ですか、ひょっとしてあのサイモン・ハーフォードの父親の代理人としてやって来たという訳ですかな?
 ギャツビー(自分の職業を貶(けな)されてムッとしている。微かに嘲りの調子を含んで。)なるほど、すると薄々は感づいておられたということですな。それなら事は簡単だ。余計な憶測の会話は省(はぶ)くことが出来る。そう、私はヘンリー・ハーフォードの代理人としてやって来ました。
 メロディー(すっかり相手の用件を誤解して。打ち解けた調子で。)いや、あなたの職業に余計な非難の言葉を浴びせてしまったようだ。これは謝る。私には偏見があるようだ。軍隊ではよく言っていましたからな。戦場でフランス軍に苦しめられるなんて、たいしたことはない。娑婆(しゃば)で弁護士にやっつけられるのに較べれば、と。(メロディー、ギャツビーの、客席から向って左の椅子に坐る。(テーブルの向こう側。)相手に注意を払わず、自慢して話し始める。)この軍服について一言説明しておかなければ。今日はタラヴェラの戦いの記念日でしてな、それで・・・
 ギャツビー(そっけなく、途中で遮る。)なるほど。しかし、私は急いでおりまして。お許しを願って、すぐ本論に入りたいのですが。
 メロディー(話の腰を折られてムッとするが、抑えて・・・冷たく。)その本論なるものもおよそ想像がついている。単刀直入に言えば、金の問題ですな?
 ギャツビー(相手は持参金のつもりで言っているなどと、想像もつかない。殆ど軽蔑の調子で答える。)その通りです。ハーフォードの父親もその意見で。私も賛成しました。あなたも金による解決を一番望むだろうと。
 メロディー(相手の言葉の調子に顔を顰める。しかし、相手の意味する所を全く取り違えているため、無理に礼儀正しくお辞儀をし、言う。)あのハーフォードの父親が、この私のことを紳士として扱ってくれていることを光栄に思っている。そして、正式にキチンとした形式でこの問題を処理しようという、その態度にも敬意を払いたい。
(ギャツビー、呆れてメロディーを見つめる。自分の来た意図を知っていて、このような事を言うとしたら、それは厚かましさ以外の何ものでもないからである。メロディー、内緒話をするかのように、身を乗りだして言う。)
 メロディー 正直に言うとな、このところちょっと手持ち不如意なのだ。勿論一時的なものだ。しかしとにかく、非常に苦しい。汲々としている。それは否定出来ない。しかし、そんなことは問題ではない。娘の幸福がそれにかかっているとなれば、私はどんな苦労もものともするものではない。やくざもどきのどんな金貸しがやって来て、どんな金額の請求書を出して来ようと、利子がどんなに高かろうと、それにサインする覚悟でおる。ところでミスター・ハーフォードはどの程度の金額を請求してくるつもりなんだ? 納得の行く所で収まれば・・・
 ギャツビー(全く何のことか分らない。そしてやっとのこと結論に達する。メロディーが自分を冗談の種にしようとしている、と。憤然として。)今の話は一体何でしょう。私にはチンプンカンプンです。どうやら、私を馬鹿にしていらっしゃるようですな! これが所謂(いわゆる)、アイルランドの冗談というやつらしいですが・・・
 メロディー(一瞬呆気にとられる。それから、凄みをきかせて。)言葉には気をつけた方がいいぞ、ギャツビー。お前が誰の代理人であろうと関係ない。その言葉を後悔するようにしてやる。冗談だと? いいか、私を馬鹿にして。それで無傷で帰れると思うな。未だかってそんな奴は一匹もいないんだ!
(ギャツビー、心配そうに後ずさりする。メロディー、侮辱の言葉をつけ加える。)
 メロディー 私がお前を馬鹿にしただと? 馬鹿を馬鹿にして一体何になるんだ。
 ギャツビー(この侮辱は無視して。何とか相手を宥めようと。)私はあなたと喧嘩をしたいとは思っていません。どうしてもよく分らないのですが・・・どうやら話が食い違っているような気がします。さっき「金で解決」という言葉が出ましたが、これで何を仰りたかったのか、教えて下さいませんか。
 メロディー「金で解決」とは勿論、私の娘の持参金の話だ。
(ギャツビーが全く呆気に取られているのでメロディー、鋭く言葉を続ける。)
 メロディー お前がここへ来たのはそのためなんだろう。ハーフォードの代理人として、彼の息子と私の娘との結婚を進めようと・・・
 ギャツビー 結婚? 飛んでもない。結婚などと。金輪際!
 メロディー(呆気に取られる。)何だと? じゃ、何のために来たんだ。
 ギャツビー(今度は自分が主導権を取っていると感じ、鋭く。)次のことを伝えるためです。つまり、ミスター・ヘンリー・ハーフォードは、彼の息子とあなたの娘さんが、以後決して、どんな関りも持つことに反対していると。たとえ今まで、その二人の間にどんな関係があったにしろ、です。
 メロディー(脅迫するように、前に乗りだして。)何だと! その物言いは何だ。何か関係があったとでも言うのか!
 ギャツビー(再び後ずさりする。しかし彼は憶病者ではない。決然と自分の伝えるべき事柄を言う決心。)そんなことを言っているのではありません。私の役目はただ、ミスター・ハーフォードに代って、次の提案をしようというのです。あなたが最初、「金の問題ですな」と言われた時、私の方はそちらもこの提案のことを考えての話だと勘違いしていたのです。提案とはつまり、ミスター・ハーフォードは、三千ドル支払う用意がある。但し、その条件は、あなたとあなたの娘さんが、私が作成した書類にサインする。その中味は、そちらはミスター・ハーフォードに対し、どのような種類のものであれ、いかなる要求もこれを放棄する。また、即刻一家を上げてこの地方から立ち去る。立ち退き場所として推薦出来るのは、西部・・・例えばオハイオ州・・・
 メロディー(侮辱された怒りが胸にはち切れそうになり、出て来た言葉は擦(かす)れた吃り声。)そ、それが、ヘンリー・ハーフォードの、お、お有難い提案と言うんだな?
 ギャツビー(何か危ない雰囲気は感じるが、何とか合理的な説得を試みる。)先ほど結婚という話を出されましたが、まさか本気で仰った訳ではないでしょう。あちらの状況はそれとは大変な隔たりがあります。結婚など論外です。もしあなたがミスター・ハーフォードがどんな人物かお分かりになれば、とてもそんな考えはお持ちにはなれないと・・・
 メロディー(抑えつけられた怒りが爆発する。テーブルに拳を叩きつけて。)あの野郎をこの私がお分りになるだと? 馬鹿野郎! 言われなくてもお分りになってやる! そしてこの私のことをお分りにならせてやる!(パッと立上る。)しかしその前に、まづお前だ。このヤンキーの蛆虫(うじむし)め! お前を始末してやる!
(拳を後ろに引き、ギャツビーの顔を殴ろうとする。しかしその時までにサラ、右手の扉から駆け出していて、父親の腕を掴む。サラも父親に勝るとも劣らず、憤慨していて、目には侮辱された誇りによる涙がある。)
 サラ お父さん、止めて! こんな人、ただの走り使いよ。こんな人のためにご自分の手を汚すなんて、お父さんの誇りはどこに行ったの!
(サラが喋っている間に、バーに通じる扉が開き、ロッシュ、オダウドとクリーガンの三人、部屋にドヤドヤっと登場。ミッキーは扉の傍に立つ。ノラもサラの後ろから、右手の扉から登場。)
 ロッシュ(酔った勢いで。)喧嘩だ、喧嘩だ。やっちまえ、少佐! ヤンキーの蛆虫なんか、捻り潰しちまえ!
 メロディー(自分を抑える。声が震える。)お前の言う通りだ、サラ。こんな腰巾着(こしぎんちゃく)には触るだけでこちらが穢(けが)れる。しかし無事に帰れると思ったら大間違いだ。(鋭く。隊長が兵士に命令する時の口調で。)おいロッシュ、それからオダウド、こいつを叩き出せ!(二人、鋭意、命令に従い、ギャツビーを椅子から引きだす。)
 ギャツビー 放せ! ならず者。その手を放すんだ!
 メロディー(ギャツビーに。今では静かな脅すような口調で。)いかさま金儲け野郎のお前の雇い主、ハーフォードの奴に伝言するんだ。近いうち、私から挨拶してやるとな!(ロッシュとオダウドに。)こいつを放り出せ。十字路のところまで蹴り出すんだ!
 ロッシュ ハルー!
(ロッシュとオダウド、後ろの扉のところまでギャツビーを追い立てる。クリーガン、ニヤニヤ笑いながら、その先に立って扉を開ける。)
 ギャツビー(追い立てられ、蹌踉めきながら扉から出る。)ならず者! 手を放せ! 放すんだ!
(メロディー、その姿を見送る。サラとノラ、メロディーを見つめる。ノラは怖れと共に、サラは誇りをもった満足感で。)
 クリーガン(扉のところで。外を見ながら、笑って。)ああ、あれを見たら胸がすくぞ、コン。ほら、尻を蹴っとばされて・・・這いつくばって・・・
 メロディー(またムカムカと怒りが込み上げて来る。侮辱を思い出し、遣りきれなく、部屋をあちこち歩き出す。)あいつじゃない。あいつを寄越した奴だ、問題は。よーし、話をつけてやる。腕づくで。ジャミー、お前も来るんだ。お前には証人になって貰う。あいつに謝らせるんだ。・・・いや、今夜にもここのこの場に連れて来て、娘に頭を下げさせてやる。今夜でなければ明日の朝にもだ! 決闘だ! 十歩離れて、或はハンカチを間に置く方式(訳註 ここ不明。)でもいい。あいつの身体を弾丸でぶち抜いてやる! そうすれば思い知るんだ!
 ノラ(哀れな泣き声になって。)決闘だなんてコン、駄目よ。殺したり、殺されたり。それは駄目。
 メロディー うるさい! 台所へ入ってるんだ! 行くんだ! さあ!
(ノラ、従順に右手の扉に向かい、泣きながら扉に進む。)
 サラ(母親に片手を回し、今では父親を心配そうに見つめている。)お母さん、心配しないで。お父さんだって、あれが馬鹿なことだって分っているのよ。ただ口だけ。台所へ行って、坐って休むのよ。ね、お母さん。
 メロディー(サラに向って。再び怒って。)ただ口だけか? この私が! 口だけとは卑怯ということだ。このコン・メロディーが卑怯だと! そんなことを言った奴は今まで一人もいない。初めて言った奴が自分の娘だとはな!
 サラ(宥めるように。)卑怯だなんて言ってないわ。でも、お父さん、分るでしょう? ここはアイルランドじゃないの。それに、一昔とは違うのよ。決闘なんて、もうとっくの昔に終っているの。とにかくこのアメリカでは。ハーフォードはお父さんと戦ったりしないわ、あの人・・・
 メロディー 戦いはない? 戦わないだと? 馬鹿な! それなら戦わせてみせる! 鞭でひっぱたいてやる。家から引きずり出して、通りでひっぱたいて見せ物にしてやる! あいつが、謝るか戦うか、さもなければ、あいつの顔に卑怯者の烙印を押してやる!
 サラ(今では怖くなって。)だけど、本人に会わしてくれやしないわ。下男達がお父さんを通さないわ! 警察を呼んで、お父さんを逮捕させるわ。「また酔っ払い大暴れ」って新聞に書かれるだけよ。(クリーガンに。)ジャミー、あなたから父に言って、あなたはまだ正気・・・父もあなたの言うことなら聞くかもしれないわ。
 クリーガン(大丈夫かな? というようにメロディーを見て。)娘さんの言う通りかもしれませんよ、少佐。
 メロディー お前の意見など、この私が聞くと思っているのか!(嘲るように。)尤も、そう考えるのも無理はない。私と一緒に行くのが怖くなったんだろう。卑怯者めが!
 クリーガン(傷ついて。)卑怯? 何が卑怯です。冗談じゃない、勿論私も行きますよ。
 サラ ジャミー 何てことを! ああ、私、気違いと話をしているの?(父親の腕を掴み、訴えるように。)お願い、ねえお父さん、どうか止めて! 私、今までにお父さんに何かお願いしたことあるかしら? だから、これだけは聞いて! 私、お父さんの前に膝まづいてもいい! お父さんが喧嘩をしようっていうのは、それは私のためでしょう? だから、私がそれに対して何か言う権利はある筈よ。さっきの弁護士が私達を侮辱した、だからあの人を充分懲らしめたじゃないの。乞食同然にここから放り出したじゃないの。それであのハーフォードにはお返しをしたことになるでしょう? あのハーフォード自身をちゃんと侮辱したことになっているのよ。だから、やるとしたらあちらよ。あちらがお父さんに挑戦して来るのが順序なのよ。だから、待っているだけで充分な筈よ。ね、そうでしょう?
 メロディー(腕を払い落して。怒って。)何ていう理屈だ。まるでなっていない。これは私の名誉に関ることなんだ!
 サラ いいえ、お父さんの名誉じゃない。私の幸せにかかっていることなの! 私はそれをお父さんの気違いに邪魔されたくないの!(再び父親に泣いて聞かせようと。)ねえ、聞いて、お父さん。もしお父さんがここを放って置いて下されば、私、あのハーフォードの父親をすっかり道化者の立場に置いて見せるわ。サイモンは結婚に関して父親の言うことなんか、これっぽっちも気にかけていないんだから。私達の結婚に障害が起るとすれば、それはあの母親の方。母親だけはサイモンに影響力があるの。そしてあの母親は、何か私を断る口実はないかと捜している。そんな時にお父さんがあの家に、酔った勢いで暴れ込んで、あの父親を「殺す」なんて怒鳴って、スキャンダルを惹き起こしてごらんなさい、あの母親に願ってもない口実を与えることになるわ。
 メロディー(怒り狂って。)あのヤンキーの糞ったれ女! 生意気な奴め! あいつのことがあるから、私は尚更頭に来ているんだ。あいつが結婚の障害? あの父親は私を、それにお前のことも、侮辱したんだぞ。それでもお前は、その息子と結婚しようというのか。
 サラ(挑むように。)そう、結婚しようと言うの! 私はサイモンを愛しています。ええ、結婚するわ、私!
 メロディー ならん! お前に結婚などさせてたまるか! ええい、あいつめ、病気でさえなければ、あいつを・・・そうだ、明日はあいつをここから追い出してやる! いいかサラ、お前があいつに会うのはもう終だ。これ以上あいつには会ってはならん。もしもお前がこれに従わないと言うなら・・・(自制心がだんだんなくなってきて。)そうだ、この私に従わないなら・・・それも乞食根性で・・・あいつの妻になれば、あいつの親からの金をいくらでもせびれるなどと考えるようなら・・・
 サラ(鋭く。)そんなの嘘よ!(それから静かな力強さをもって。)ええ、私お父さんに従わない。お父さんには限らない。誰だって。サイモンとの間を邪魔する者なら、誰だって・・・
 メロディー お前には誇りはないのか! それでも私の子供か!(顔が怒りで痙攣する。)自堕落な百姓女! 淫売! お前だ、お前が最初に死ぬんだ! 殺してやる! 私の手で!(サラに掴みかかるように進む。)
 サラ(怖れで一二歩退く。)お父さん!(それからしっかりと立ち、挑むように父親と向きあう。)
 クリーガン(二人に割って入って。)落ち着け、コン! 頼む。
(メロディーの気違いじみた怒り、去る。喘ぐように大きな息をする。落ち着きを取り戻そうと、身体を引き締める。身体が震える。クリーガン、とにかくメロディーをサラから引き離さねばならないと、次の台詞を言う。)
 クリーガン メロディー少佐、ハーフォードの家に行くのなら、今すぐでなければ。あの弁護士のやつ、先に帰ればきっとこっちのことを言い付けます。
 メロディー(引くのに都合のよい言葉。すぐに乗って、擦(かす)れた声で。)そうだ、行こう。行かねば、ジャミー。さあ、伍長、まづ勢いをつけるために一杯、それから出発だ。馬に引かせる車はとなりの小屋だ。馬車で行こう。それから、納屋で鞭を取って来るのを忘れるな。(この言葉を言い終る頃には、我に返っていて、抑え難い怒りも去っている。冷たい復讐の決意に満ちた顔。バーに通じる扉に進む。)
 サラ(どうすることも出来ず。)お父さん!(絶望的に、最後の、投げ槍な脅しの言葉。)私に、サイモンのところへ行けっていうのね?・・・お父さんの提案をしろっていうのね?
(メロディーにこれが聞こえたかどうか、何の反応もなし。メロディー、バーに退場。クリーガン、その後に続き、扉を閉める。サラ、目の前をじっと見つめる。打つ手がないなら、それしかないのか、という思い詰めた表情。通りに通じる扉が開き、オダウドとロッシュ、どやどやと入って来る。大声で笑う。)
 ロッシュ ハルー!
 オダウド 攻撃部隊、戻りました、少佐。敵は尻尾を巻いて逃げて行きおった。(メロディーがそこにいないのに気づき、サラに。)どこなんです? 少佐は。
(サラ、何も、見も聞きもしない様子。)
 ロッシュ(サラをチラと見て。)ほっとけ。少佐はきっとバーだ。行こう。(バーに進む。)
 オダウド(ロッシュを追いながら。後ろを見て、サラに。)あのヤンキーの奴の格好! 見せたかったですよ。角に止めてあった馬車に乗るのに、馭者の手を借りてやっと・・・その馭者にもロッシュが一発食らわしたんです。ザマあ見ろってんだ!
(オダウド、笑いながら、後ろ手で扉をバタンと閉め、退場。右手の扉が開き、ノラ、用心深く中を覗く。サラが一人なのを見て、入って来る。)
 ノラ サラ、(サラに近づいて。)サラ、(サラの手を掴む。・・・心配そうに囁く。)どこ? お父さんは。
 サラ(ぼんやりと。)私、止められなかった。
 ノラ 言うだけ無駄って、お前に言っておくんだった。(奇妙な誇りをもって。)コン・メロディーに決闘を思い留まらせる・・・そんなこと、悪魔にだって出来はしない!(それから悲しそうに。)また昔に逆戻り。あの心配と悲しみがまた・・・朝決闘があると聞いた時には、私は一晩中目を醒して、あの人のために祈った。・・・あの人に朝一言話しかけよう、別れの挨拶をさせよう、と思ったって、ただ馬に跨がってサッと出て行くだけ。・・・(ノラ、恥づかしそうな優しい微笑を浮かべる。)そんな時にも私、あの人を愛していた・・・
 サラ(辛そうに。母親に言うよりも、むしろ自分に言う。)無駄だわ。自分の道を行かせればいいの・・・私だって、私の道があるわ。(緊張した声で。)父親の狂気のせいで私の人生を台なしにするなんて、そんなこと決してさせない! あれだけ練って練り上げた計画、あれだけ夢に夢見た夢! 私だって紳士の名誉にかけた大勝負をやってみせるわ!
(ノラ、全くサラの言うことを聞いていない。昔の決闘の時の怖れ、それに現在の心配事にかまけている。サラ、少し躊躇する。それから母親の顔から目を逸らしたまま、母親の肩に触れる。)
 サラ お母さん、私、上に上るわ。
 ノラ(ビクッとする。それから呆れたように。)上に行くって・・・寝るの? まあ! お父さんがこんな時に、よく寝たり出来るわね!
 サラ 寝るとは言わなかったわ。ただ横になって休む・・・(相変らず、母親の顔は見ず。)私、疲れたの、お母さん。
 ノラ(それを聞いて急に娘のことを気使う気持になって、片手をサラの身体に回し。)そう、疲れたわね、今日は。本当に酷い一日だったもの。いろんなことが・・・(急に思い出して娘にすまない気持になり。)ああ、忘れていた。ご免なさい、サラ。あなたにはサイモンとのことがあったわ。(遣りきれない気持。)ああ、何てことでしょう!(急に愛の力を信じるノラ一流の奇妙な強い誇りをもって。)構うもんですか。もし二人に本当の愛があれば、決闘だろうと何だろうと、お前達二人を引き離せるものなんかある訳がない! それを一番よく知っているのは、この私よ!
 サラ(衝動的に、母親にキスする。そして再び目を逸らして。)お母さんはまだ待っているのね? ここの下で・・・
 ノラ ええ、上で、暗いところで横になっていたら、怖くてたまらない。隣からのあの騒ぎが聞こえている方が、却って落ち着くわ。
 サラ そうね、ここの方がいいわ、きっと。お休みなさい、お母さん。
 ノラ お休み、サラ。
(サラ、右手から退場。後ろ手に扉を閉める。)
                       (幕)

     第 四 幕
(場 同じ。ほぼ真夜中。中央テーブルに蝋燭一本あるのみ。あとは暗闇。バーからパッチ・ライリーのバグパイプがリール(スコットランドの軽快な踊りの曲)を弾いているのが聞こえ、大勢の人間の足踏みの音が聞こえて来る。)
(ノラ、中央テーブルの隅に坐っている。古いショールを、曲った背中にかけている。胸のところに両腕を回し、寒そうに身体を抱いている。何時間も心配しながら待ち、また極度の疲れで頽(くづお)れる一歩手前。バーに通じる扉が開き、ノラ、ハッとする。入って来たのはミッキー。ミッキー、後ろ手に扉を閉める。音楽と酔った男達の声が一瞬大きくなり、また小さくなる。ミッキー、ウイスキーのデカンターとコップを持っている。隣で飲んではいたが、酔ってはいない。)
 ノラ(勢い込んで。)あの人のこと、分った?
 マロイ(テーブルにデカンターとコップを置いて。)いいえ、残念ながら。でも心配することはありませんよ。まだそんなに遅くはないです。
 ノラ(疲れたように。)人のことだから簡単に言うけどね・・・
 マロイ お上さんがどんな具合か見に来たんです。一杯どうかと思って。(ノラ、首を振るのを見て。)ああ、飲まれないのは知っていますよ。でも、時々はおやりになることもね。今夜はどうしても必要ですよ。(ノラが再び首を振るのを見て、優しく、さらに勧める。)さあさあ。駄目ですよ、そんなに頑固に拒んでは。今日は私は医者ですよ。昔の厭な思い出とリュウマチを吹っ飛ばすために、どうしても一滴口に入れなきゃ。
 ノラ そうね・・・じゃ、ちょっとだけ・・・
 マロイ そう、そう来なくっちゃ。(少しだけ注ぎ、ノラに渡す。)さあ、ぐっとやって。
 ノラ(ちょっと啜る。それからコップをテーブルに置き、大儀そうに少し向こうへ押す。)何の味もしないわ。でも、思いついてくれて有難う。あなた優しいわ、ミッキー。
 マロイ 元気が出てくるニュースがありますよ、お上さん。喧嘩の噂がパッと広まっちゃいましてね、クリーガンと旦那が帰って来るのを待とうって、わんさとやって来たんです。(熱が籠った言い方。)この宿屋始まって以来の大入りですよ、今日は。
 ノラ 良かったわ、それは。
 マロイ 連中は、コン・メロディーが嫌いなんです。アイルランド人ですからね。だけど、それよりもっと嫌いなのがヤンキーです。ハーフォードの奴の息の根を止めて貰いたいんですよ、コン・メロディーに。
 ノラ(好戦的な気持で。)そう! 息の根を止めてやるのよ!
 マロイ(ニヤリと笑って。)その意気です。心配で何も考えられないってのは駄目ですよ。(回れ右して。)もう戻らなきゃ。オダウドにバーを頼んでおいたんですが、今までの間に、きっと三杯は自分でただ飲みをしていますよ。(躊躇いながら。)サラは上ったまま?
 ノラ ええ。
 マロイ(非難するように。)お母さんをこんなところでほったらかして、自分だけさっさと寝てしまうなんて、酷いですね。
 ノラ(娘を庇って。堅い言い方で。)私が行かせたの。あの子があまり疲れて、それから心配のしすぎで、倒れそうだったからよ。眠り込んでいるでしょう、今は。サラの悪口を言ったら承知しないわよ!
 マロイ(すぐ言い返そうとする。)だけどサラは・・・(言い止める。愛情を込めてノラを見て。)ああ、言い返したって無駄ですね。すぐにやられてしまう。サラはいいお母さんを持っていますよ。私みたいな男にだって、本気で喧嘩をして守ってやろうっていうんですからね。こんなお母さんだったら、私は奥さんにしたいぐらいですよ。
 ノラ(意気消沈していた顔に、光が射したように喜びの表情が浮ぶ。)あらあら、そんなお世辞、若い子達のためにとっておかなきゃ駄目じゃない!
 マロイ 若い子なんて糞食らえですよ。お上さんは連中の百倍の値打がありますからね。
 ノラ(頭をぐいと上へ上げて。)さあ、さっさと仕事よ!
(ミッキー、ノラに元気を出させて満足し、バーに退場。後ろ手に扉を閉める。ミッキーがいなくなるとノラ、再び心配そうに坐り込む。)
(右手からサラ、静かに登場。夜着の上に色褪せた上掛けをかけている。足は素足にスリッパ。髪は両肩から落ち、腰の辺りまで垂れている。大きな変化あり。顔から、苦々しい挑むような表情がすっかり消えている。優しく落ち付いた、そして同時に、幸せでうきうきする表情。今までにない美しさ。サラ、立ち止まって母親を見る。突然恥づかしくなり、どうしたものか不安になる。ここまで来るには来たが、母親に見つかる前に引き返そうかと思う。しかしノラ、サラのいるのに気づき、見上げる。)
 ノラ(元気なく。)ああサラ、お前なのね。(それから感謝するように。)有難いわ。やっとお前、降りて来てくれたのね。私、心配で・・・飲んだくれが歌ったり踊ったり・・・こんなところでたった一人で待っているなんて・・・他には行くところもないし・・・
(サラ、ノラに近づく。ノラ、泣き出す。目から涙が溢れる。)
 ノラ 残酷だわ! あの人には心なんかないの。人を思いやる心なんか、これっぽっちもないの!
(ノラ、啜り泣き始める。サラ、ノラを抱いて、頬を優しくキスする。しかし口は開かない。まるで声を出すと、自分のしたことが相手に分ってしまうのではないかと怖れているかのよう。ノラ、啜り泣きを止める。ノラの気持、悲しみから恨みに変る。サラが口を開いたかのように。)
 ノラ「心配しないで」、なんて言わないで。そんなことを言ったらお前、ミッキーと同じよ。あのハーフォードのヤンキー、謝らなかったんだわ。そうでなければ、とっくの昔にお父さん、帰っている筈だもの。すると決闘。それは確か。町のホテルに泊ったんだわ。決闘の場所から近いところに。ああ、眠っていてくれればいいけど。でもきっとまた飲んでいる。夜明けになって、飲み過ぎのため腕が鈍っていて、あの人ひょっとしたら・・・(それから挑むように。自分を落ちつかせるように。)あらあら、私って馬鹿。あの人、何を飲んだって、頭も目もはっきりしているのに。(サラを少し押し退けるようにして・・・苛々と我儘を出して。)お前、もうあっちに行って。自分のことばかり考えてちっとも親身になってくれやしない。私一人の方がいいわ。(慌ててサラの手を掴んで。)いいえ、変なことを言ってご免なさい。さあ、坐って。
(サラ、テーブルの向こう側、ノラの左に坐る。サラ、母親の手を軽く叩く。が何も言わない。表情は非常に幸せそう。ノラの言葉は聞こえてはいるが、まるで何の意味もないというよう。ノラ、再び心配そうに続ける。)
 ノラ でも、ホテルにいるのなら、どうしてピストルを取りにジャミー・クリーガンを寄越さないのかしら。決闘用のピストルは家(うち)にあるものしか使ったことがないのに。(今度はメロディーに、恨みがましく。)ピストルのためじゃなくっても、私に一言伝えるためにジャミーでも誰でも使いに出すべきよ。私がどんなに心配しているかぐらい、あの人よーく知っているんだもの。(辛そうに。)あーあ、私って何て馬鹿なことを。あの人、自分のこと、自分の誇りのこと以外に何を心配したことがあるっていうの。私のことなんか、これっぱかりも心配したことなんかない。御立派なイギリス紳士・・・赤いお仕着せなんか着ちゃって。誇り、誇り、誇り・・・何よ、誇りなんか。誇りなんてただの嘘じゃない。あの人の父親、ネッド・メロディーは、もぐりの居酒屋の主(あるじ)じゃない。強請(ゆすり)、たかり、じゃない。その血を引いて何が誇りよ。(自分の言ったことに驚く。まるで神を冒涜する言葉を言ったかのように。)いいえ、こんなことを言っては駄目。あの人が聞いたらどんなに悲しむか。あの人の夢を笑わないのは、この世で私だけだって、あの人はよく知っているんだから。(再び夫に対して反抗的な気分になって。)だけどあんな人のために夜っぴて心配するなんてもう厭。私、決闘のことで心配しているだけじゃない。これが神様の罰ではないかと思っているの。正式な結婚もせずに、あの人との生活に入ったこと、それに神父さんに、懺悔をしてはいけないと言われて、そのまま約束してしまったこと。ああ、その罰よ、これは。(間。疲れたように。)リュウマチを治すのなら医者に行けってお前は言うわ。だけどリュウマチの痛みなんて、ただの身体の痛み。そんなのいくらあったって私は平気。本当に痛いのは、心の痛み、罪の意識。医者に行ってそれが治るっていうの? いいえ、治せるのは神様のお使い、神父様だけ。(再び反抗的になって。)そう、コンにはいい気味なの。もし今、私がこの機会を利用して、あの人との約束を破って、神父様を叩き起して、懺悔を聞いて貰ったら。そして罪を浄(きよ)めて三人を地獄行きから救えば。(心からそうしたい気持で。)ああ、その勇気が私にあったら!(ノラ、急に椅子から立上る。・・・勇敢に、挑むように。)私、行く! 行くわよサラ、神父様のところへ!(通りに通じる扉へ進む。・・・半分まで行って立ち止まる。)
 サラ(奇妙な、優しい、面白がるような微笑みを唇に浮べて・・・揶(からか)うように。)どうしたのお母さん、行かないの?
 ノラ(挑むように。)行くわ。(もう二三歩扉の方へ進む。・・・再び立ち止まる。・・・打ちのめされたように呟く。)アー、やっぱり駄目。出来るっていう顔をしたって無駄ね。
 サラ(やはり、揶(からか)うように。)そう、無駄よ、お母さん。私、とっくに分っていた。
 ノラ(それを聞いていないかのように。ゆっくりと戻りながら。)でも、もしやったら、あの人、私に裏切られたって思うわ。私が約束を破ったって。あの人への愛を私が捨てたんだって。でもあの人、たとえそんなことで私に裏切られたって、ちゃんと分っている。あの人にはこの私の愛しかないんだ、慰めてくれる者は世界中に私しかないんだってことを。(それから勢いよく、頭をぐっと持ち上げて。)でも私の、あの人への愛はちっともあの人のためじゃない。それは私のため。私の誇りなの! あの人ったらいつだって、誇りはいつでも自分の独り占(じ)めのようなことを言ってるけど、飛んでもない。私だってあの人と同じように誇りがあるの。(元の椅子に坐る。)
 サラ(柔らかく。)自分は愛しているという、女性がもつ誇りね。私もついさっきそれを知ったわ、お母さん。
 ノラ(サラが口をきいたのはこれが初めてであるかのように、そして今の台詞も、言った内容はまるで聞いていず、苛々と。)そう、やっとお前、口がきけるようになったの。やれやれね。そこに彫刻のようにじっと黙って坐って、私にだけ話させて。(サラを見る。まるで今初めてその顔に気づいたように・・・恨みがましく。)あらあら、それ、何て顔? 楽しそうで、幸せそうで、まるで心配事なんかないっていう顔。お父さんは今可哀相に・・・
 サラ(夢見るような顔。面白がっている。まるでこのことが自分には全く何の関係もないという表情。)お母さんにこれを言っても、どうせ無駄と思うけど、決闘なんかある訳がないの。そんなこと考えるだけでもどうかしているの。お母さんはまだアイルランドで暮しているようなもの。だから私の言葉は信じられないかもしれない。でもサイモンがそう言ったと言えば聞いてくれるわね? あの人の話だと、あの人のお父さんは、決闘なんて考えただけでも憤慨で身体が強張ってくるぐらいだって。法律違反なんですからね、決闘は。
 ノラ(軽蔑するように。)法律が何! その人卑怯者よ。(安心して。)そう、あの子がそう言うのなら、そうかもしれないわね。
 サラ 勿論そうなのよ。
 ノラ じゃ、あの父親が、お父さんに謝って、お父さんはそれで満足して・・・それで終ね?
 サラ(呆れて。)まあ、お母さんったら!(それから急に。)ええ、そう。もうずっと前にすっかり片がついているわ、きっと。
 ノラ(何事もなくあれ、という希望をもって。)じゃあ、あの二人がまだ帰って来ない理由は、それを祝って二人で飲んでいるからだと言うのね?
 サラ そう。あの二人は飲むの。何があったって。(夢見るように続けて。)でもそんなの、もうどうでもいいの。
 ノラ(サラを見つめる。不思議そうに。)それ、変な言い方ね、サラ。お前、寝ぼけているの? それとも半分夢の中?
 サラ ええ、夢の中よ、お母さん。それも半分じゃないの、私の全身全霊が夢の中。それに、夢の中で現実なの、これは。私、一生涯この夢の中にいて、決して醒めないの。
 ノラ 何なの、それ? 本当に、一体どうしたの?
 サラ(衝動的に立上り、母親の椅子の背のところに来て、後ろから母親の膝の上に両手をすべらせ、次に後ろからその身体を抱く。)喜びよ、喜びが私を虜(とりこ)にしているの。私、幸せ。サイモンはもう、私のもの。誰も私からは奪って行けない。それが私には分っているの。
 ノラ(最初の反応は単純な喜び。)良かったわ、それは。決闘のせいであなた方二人が裂かれてしまうんじゃないかって、それが私には悲しかったの。(挑むように。)名誉だろうと何だろうと、それで子供達の生活が、子供達の幸せが潰されるなんて、そんな馬鹿な話はないのよ!
 サラ あの人のお母さんが、私とあの人を引き離す力があるかもしれない・・・そんなことを考えたの、馬鹿だったわ。そんなこと、ありえないの。どんなことがあっても。
 ノラ お前、あの人と話したの?
 サラ ええ。今まであの人と一緒にいたの。
 ノラ さっき上がって行って、それから今までずっと?
 サラ ええ、上って行って、中に入るまでは時間がかかったけど・・・勇気が要(い)ったの。
 ノラ(非難するように。)こんな時間に!・・・真夜中ですよ!
 サラ(揶(からか)うように。)私、あの人の看護婦さんよ。権利があるわ。
 ノラ そんなの、理由にはなりません!
 サラ(表情が堅くなって。)理由? これぐらいしっかりした理由があるかしら。私の幸せ・・・一生に一度のこの機会をフイにしたら、それが永久に逃げて行くっていうこの時、私が何もしないでいる方がいいっていうの? お母さん。私が、愛と幸せを掴むのに反対だっていうの? お母さんは。
 ノラ(柔らいで。)飛んでもない。お前の幸せのためなら私・・・(それから再び非難するように。)お前、そんな格好で行ったの? 寝間着と部屋着だけで・・・
 サラ(陽気に。)ええそう。・・・サイモンは気に入ってたわ。お母さんは気に入らなくても。ただ、入って行った時、あの人、真っ赤になったけど。
 ノラ 当たり前でしょう! 恥づかしいったらありはしない!
 サラ あの人、詩の本を読もうと思っていたの。でもちっとも進まなかった。いつ私が「お休み!」の挨拶に来るか。いや、ひょっとすると、来ないかもしれない。それが心配になって。(サラ、優しく笑う。)あの人のお母さんが帰って行った後、私、全然あの人の部屋に行かなかった。それが本当に良かったの。あの人私のことを、待って、待って。それでも来ないものだから、今朝私にキスしたのを怒っているんだとすっかり思い込んで、死ぬほど心配していたの。だから、私を見た時のあの人の喜びようと言ったら・・・
 ノラ 足は素足にスリッパ。寝間着に部屋着の裸同然の格好・・・お前、羞(は)じらいはどこに行ったの。
 サラ(陽気に。揶うように。)悔しいけど、羞じらいがあったの。もう、出来るだけかなぐり捨てようと思っていたのに。私、あの人と同じように真っ赤になった。(サラ、笑う。)私ったら、何てお馬鹿さん。町の女顔負けの厚かましさで、あの人を誘惑してやるんだって、堅く決心して部屋に入ったのに・・・だって、あの人は名誉を重んじる人。私との結婚は確実なの、もし・・・(サラ、笑う。)それで私のやったことって言えば、ただ突っ立って、息が止って、顔を赤くしていただけ。
 ノラ まあ。(非難するように。)赤くなるだけの羞じらいがあって良かったわ。
 サラ 最初に口をきいたのはサイモン。一旦口がほぐれると、後は次から次。思っていたことが迸(ほとばし)り出たわ。私を待っていたこと、それから、もう来ないかもしれないという怖れ・・・それがすっかりあの人の臆病を取り去って、言ったの。愛している、結婚しよう。出来る限り早く。後は何が起ったか分らなかった。気がついたら、私はあの人の腕の中。私の腕はあの人に、そして唇と唇が合って、後は天国だったわ。
 ノラ(サラの輝いている幸せな顔に感動して。)神様の祝福がお前達二人に!
 サラ それから私、泣き出したの。「私、あなたのお母さんが怖い。私のことを嫌いなんだもの。私の父があんな決闘騒ぎを起して、それを口実にきっとあなたのお母さんは、あなたとの間を裂こうとなさるわ。」そうしたらサイモンが言ったわ。「二人を裂くことなんか誰にも出来ない。母だって何もしない。母がここへ来たのは、僕が君を愛しているのかどうか、それを確かめたかったのだ。それが分ると母は言った。後は僕の好きなように自由にやれ。ただ、一年だけ待つことを勧める、と。でも僕に約束はさせなかった。」それからサイモンはこうも言ったわ。「決闘騒ぎをうちの母が本気に取るなんて、君、どうかしているよ。母は面白がるくらいさ。父が買収工作で、僕ら二人を引き離すことが楽に出来ると信じこんでいた。それが飛んでもない計算違いで、却って警察を呼ばなきゃ、自分も危ないなんて事態になるかもしれないんだから」って。
 ノラ(警察という言葉で、また現実に戻り。)警察を呼ぶ? まあ! 卑怯者!
 サラ(ノラの言葉に構わず、続ける。)警察のことでは、サイモンは父親のことを随分怒っていたわ。うちの父親に対してもよ。私を殺すなんて脅したから。でも私達、このことは沢山は話さなかった。もっと沢山話して楽しいことがあったから。(サラ、優しく微笑む。)
 ノラ(激しく。)コン・メロディーに警察を? 警察がどんな目に合うか、見ていて御覧なさい! あんな奴等にコンの邪魔が出来るものか!
 サラ(全くノラの言う事を聞いていない様子。)サイモンは言ったわ。もし私があの人を愛していなくて、結婚なんて考えてもいなかったら、どうしようって。それが本当に怖かったんだって。私は綺麗で、僕はちっとも美男子じゃないからって。だから私、あの人にキスして、あなた、世界中で一番美男子よって言ったの。だって、本当だもの。そうしたら、言ったわ。僕は君に値しない。君に上げられるものは何もない。それに僕は詩人になろうとしてなれなかった。人生の落伍者なんだって。私は言ったの。あなたは立派な詩人よ。そして、これからもずっと詩人。詩人だからこそ、私あなたが好きなのって。
 ノラ 警察! あいつらにコン・メロディーは指一本触れさせるものか! ただの一撃であいつらを叩きのめしてしまうんだから、コンは!
 サラ それからサイモンは言ったわ、僕は貧乏なんだ。父親からは一銭も受け取らないつもりだ。たとえ相手がやると言っても、って。私は言ったの。そんなの構わない。たとえ掘立て小屋に住んだって、いえ、屋根のない青空の下で、野原の草の上で寝たって、働いて手が骨になったって、ええ、餓えだってちっとも怖くない。あなたと一緒なら私、天国。愛の喜びの歌を歌うわ。(母親を見上げる。)ねえお母さん、私これ、本気で言っているの。心の底から。一言一言。全部本気で言っているのよ!
 ノラ(警察のことで頭がいっぱい。上の空で答える。・・・機械的にサラの髪の毛を叩いて。)そう、本気。あなた、本気で言ってるの。
 サラ でもあの人、私にキスして言ったわ。それほど実はひどくはないんだ。大学時代の古い友人から、紡績工場をやらないかって勧められていて、それを考慮中なんだって。その人が親から受け継いだもので、共同経営者になって欲しい。ただ、工場の切り盛りは全部サイモンにやって欲しいって。小さな工場で、だからこそサイモンは興味があるの。あの人言ったわ。君は信じられないかもしれないけどね、僕は、あまり嬉しくないんだが、商売の才能があるんだ。父親の仕事を手伝っている時、それが分ったんだって。この工場で、二人がゆったり暮せる程度には、楽に稼げる。自分の本を書く時間も作れる。慾にまかせて生活に必要以上のものを稼ぐなんていうのは、奴隷状態だ。それを避けるだけの智恵は残しておかなければ。そしてそれも、可能だと思う。実際この強欲の奴隷というのが、人間に与えられた呪いでなくて何だ、って。それから言ったわ、君はこれが僕の智恵じゃなくて、僕の弱さだと思うかもしれない。君、足ることを知って幸せでいられる? って訊くの。だから私、あの人にキスして言ったわ。私に必要なのはあなたの愛だけ。あなたの幸せがみんな私の幸せ。あなたが達成したいことが全部私の達成したいことなの、って。(サラ、再び母親を見上げて得意そうに。)これがまたみんな本気なのよ、お母さん。心の底から!
 ノラ(前と同様にサラの髪を叩いて。)分ってるわよ、サラ。
 サラ 私って馬鹿だったわ。あの下らない愛・・・金持ちになって、宏大な土地を持って、馭者に下男つきの馬車を乗り回す尊大なレディーになってやる・・・なんて!(自分を笑う。)一旦愛してしまったら、そんなこと何の意味もないんだってこと、どうして分らなかったのかしら。お母さんの言う通りだったわ。私、愛のこと、何も知らなかった。何もかも全部を与えて、それで得られる女性の誇り・・・自分の愛そのものにある誇り、それを知らなかった。私は何も知らない癖に、ただ息巻いている馬鹿な娘っ子だったの。でも私、今はもう女よ、お母さん。私にはそれが分るの。
 ノラ(前と同様に、機械的に。)そうね、分ってるのね、お前には。(自分自身に。プリプリして呟く。)警察なんか来てみろ! あの人、鞭でひっぱたいて元の犬小屋へ追い返すわよ! 犬! 嫌らしい犬め!
 サラ(自分の幸福に浸って。)それから私達、灯(あかり)を消したわ。そして話した。いつ結婚しようか。これからの人生、どんなに幸せだろう。子供を生んで・・・それからあの人、暗闇の中で気後(おく)れがなくなってきて、言ったわ。「君に見せたね? あの詩に書いた、思い切ったいろいろな事、あれはみんな本気なんだ」って。私も言った。「どんなに思い切った事だって、あなたの考えることですもの、私、その覚悟があるわ。あなたを愛しているんですもの。あなたが私のものって安心出来るためだったら私、どんなことでもするわ」って。その間私達二人、ずっとキス、キス。ああ、あの幸せ! それから・・・
 ノラ(以前と同様に。)ええ、分るわよ。
 サラ(下を向いたまま。悪いことをしたように。)分る・・・の? お母さん。
 ノラ(急に夫の心配事から目が醒めて。驚いて、心配になり。)何のこと? 何の話? さあ、私を見て!(サラの頭を上に上げ、その顔を見下ろす。呟くように。)そう・・・お前・・・身を任せたのね。悪い子! 悪い、悪い子!
 サラ(挑むように。誇りをもって。)身を任せるだなんて! そんなこと、何もないわ! 愛よ、愛が二人を結びつけたのよ!
 ノラ(どうしようもなく。もう既に諦めている。しかし非難するのが自分の義務であると感じて。)お前、そんなことを自慢して、恥づかしくないの?
 サラ いいえ、あのことに恥など、どこにもないわ!(誇りをもって。)恥ですって? そんなもの私にないこと、お母さんが一番よく知っているでしょう? お母さんよ、それを話してくれたのは! お母さんは恥ぢたって言うの?
 ノラ(弱々しく。)ええ、私、恥づかしくって死にそうだった。
 サラ そんなことはない! 誇りを持った筈! 私と同じに!
 ノラ でもあれは死に値する罪なのよ。神様があなたを罰するわ。
 サラ やって御覧なさい、だわ。サイモンを一回キスする度に、地獄に千年いなくちゃいけないって、神様が言ったとしても、私ちっとも構わない。唇が変になるまであの人にキスするわ。
 ノラ(怖れて。)駄目、そんなことを言っちゃ。神様が聞いていらっしゃるかもしれない。
 サラ お母さんだって同じことを言った筈よ!
 ノラ(ぼんやりと。)もう黙って! そんな罪深いことを言って私を苦しめないで。私、答えたくない!
 サラ(ノラを抱いて。)分ったわ。ご免なさい、お母さん。(間・・・微笑んで。)罪を感じていたのはサイモンの方。あの人、悪いことをしたと言って、もし身体の自由が効けば、今すぐ二人でベッドを出て、夜中でもいい、どこかで誰か結婚の許可を与えられる人を捜して、叩き起こすのに、って言うの。でも私の方はただもう愛で溺れたようになって、結婚なんてこと、考えもしなかったわ。あの時に私がいたところ、それはただ、愛だけがある場所。私の心も、そして勿論、私の身体も、その愛に捧げられていて、それを誇りに思っていた。(言い止む。それから優しく、揶(からか)うように。)そう、私、お母さんがこの世の中で一番素敵な女の人だっていうことは知っていた。でも、一番賢い人だっていうのは、思ってもいなかったわ。お母さんは今朝言ったわね、自分の愛している男の人だったら、その人がどんな馬鹿なことをしてもやっぱり愛するんだって。だって、自分の心の中に、ある人を愛する力があるって気がついたのは、その男の人のお陰なんだもの。だから、本当はサイモンだって関係ないの。だって、問題なのは自分自身の愛の力なんだもの。私の、あの人を愛する、その力なんだもの。そしてその愛が続くように、どんなことだってするの、誇りをもって。(サラ、自分を揶(からか)うような幸せな笑いを浮べる。)だからお母さん、私達、愛の奴隷なの。男の奴隷じゃないの。俺達は愛されているなんて、男達が自慢したり、いい気になっていたりしたら、とんだ恥っかきね。だって、私達の愛の秘密は違うところにあるんだもの。(サラ、笑う。それから急に「すまない」という顔になる。)私って、馬鹿なことを言っている。サイモンに聞こえなくて良かったわ。(言い止む。ノラは他のことが気にかかって、聞いていない。サラ、続ける。)ああ、私やっと分ったわ・・・ほんの少しだけど・・・あんなお父さんなのに、どうしてお母さんが愛せて、誇りに思えるか。
 ノラ(メロディーの話が出て来て、物思いから醒める。)黙って!(惨めに。)ああ、どうしたのかしらサラ、どうしてあの人、帰らないの。何が起ったのかしら。
 サラ(苛々と立上って。)分り切っているじゃないの、お母さん。(苦々しく。)どうせ飛んでもない恥晒しなことをやっているのよ。サイモンのお母さんにはいい笑いの種よ。お父さんに対してまだむしゃくしゃしていたとしたら、今頃はもうすっかり腹の虫は収まっているわ。私、もうそんなことどうでもいい。いい気味よ。私、一生懸命になって止めたわ。膝をついてもいいって言ったわ。それで、「百姓女、淫売!」って言われたんだから。私の願いはたった一つ。お父さんがどんな目に逢ったっていい。そのお陰で目が醒めてくれさえすれば。あの嘘から、あの気違いじみた夢から。そして、あの鏡を見た時、自分の本当の姿をそこに見てくれさえすれば。(嘲るように。)でも、そんなことってありっこないわ。どうせ二人でハーフォードをどんなに華やかにやっつけて来たか、自慢たらたら、ぐでんぐでんに酔っ払って帰って来るのよ。本当のことはどうであろうと。
(しかしノラは聞いていない。裏に通じる扉の鍵がカチッと鳴ったのを聞いたからである。)
 ノラ(興奮して。)ほら、サラ!
(扉がゆっくりと開き、ジャミー・クリーガンが用心深く頭を出し、部屋の様子を覗く。ジャミーの顔は散々(さんざん)。鼻は膨れ上がり、唇は切れて膨れ、片方の目は青痣(あざ)になって、殆ど潰れている。ノラの最初の反応は安堵の叫び声。)
 ノラ ああ、良かった。あなた、帰って来たのね、ジャミー。
 クリーガン(唇に指をあてて。注意するように。)シッ!
 ノラ(ギクリとして。)ジャミー! あの人はどこなの。
 クリーガン(鋭く。)シッ! 今から言います。(囁き声で。)馬車に乗っけてあるんです。まづ、ここに誰もいないのを確かめようと・・・バーの扉をロックして、サラ。今ここに連れて来る。
(サラ、バーへ通じる扉をロックする。サラ、軽蔑に満ちた表情。クリーガン、それを見て、通りに通じる扉を半分開いたままにして、退場。)
 ノラ お前、あのジャミーの顔を見た? 酷い喧嘩だったんだわ。ああ、私怖い、サラ。
 サラ 何が怖いって言うの。さっき私が言った通りじゃない。馬鹿な騒ぎよ。きっとお父さん、ぐでんぐでんよ。
(クリーガン、裏に通じる扉から登場。メロディーを少し支えるようにして導き入れる。メロディーはつっかえつっかえ、棒のように歩く。酔っ払いの歩き方ではない。急なショック、或は発作のため呆然となり、身体の統一性を失ったような具合。真紅の軍服は泥だらけ。歪んでいる。顔色は蒼く、幽霊のよう。左の頬骨に青痣(あざ)。唇が切れて血まみれ。額に生々しい傷。そこから血が顎まで落ちている。両手は膨れて、拳はクリーガンもそうだが、皮が剥げている。目は虚ろで、生命のないもののよう。娘と妻を見るが、それと分った様子はない。)
 ノラ(駆けよる。片手をメロディーに回す。)コン・・・あなた! 怪我は酷いの?
(メロディー、ノラを見ず、押しやる。呆然としたまま進み、中央テーブルの椅子に坐る。ノラ、その後を追う。悲しみの言葉が出る。)
 ノラ コン、私が分らないの? まあ、あの頭の傷!
 サラ 静かにして、お母さん。バーにいる人達に分っていいの? お父さんがこんな風なのが。(メロディーを一瞥。軽蔑の表情。)
 クリーガン そうなんだ、サラ。まづこの人をちゃんとさせなきゃ駄目だ。こんなにぶん殴られた姿を、あの連中に見せたとなりゃ、一生恨まれてしまう。
(間。三人、メロディーを見つめる。メロディー、視力がない人間のように、テーブルを見つめている。ノラ、テーブルの後ろ、メロディーのすぐ右に立つ。サラがその右に、クリーガンはサラの右に立つ。)
 サラ 酔っ払っているんでしょう? クリーガン。それだけのことね?
 クリーガン(鋭く。)違う。ここを出てから一滴も飲んでない。頭をぶん殴られた、そのせいじゃないか。一杯キュッとやれば戻る筈なんだが。ただ、飲もうとしない。全く。
 サラ(父親に、不思議そうな目を向ける。)飲もうとしない?
 ノラ(デカンターとコップをクリーガンに渡す。)さあ、やってみて頂戴。
 クリーガン(なみなみと注ぎ、それをメロディーに差し出す。機嫌を取るように。)さあ、飲んで下さい、少佐。すぐよくなりますから!
(メロディー、気がついている様子なし。表情は相変らず虚ろで、死んだもののよう。クリーガン、不思議そうに頭をかく。)
 クリーガン こうなんだ。帰り道ずっと試してみたが、ちっとも飲もうとしない。(それから苛々と。)もしこの人が飲まないなら、お許しを願って、私が戴く。私の方はカラカラなんだ。(ぐっと飲み干す。もう一杯注ぐ。ノラとサラに。)いやいや、全くひどい乱闘だった。
 サラ(静かに。軽蔑を含んで。しかし相変らず父親の方を不思議そうな目付きで見ながら。)その姿では、さぞかしね。
 クリーガン(憤然として。)この傷を見て、よくそれだけ平然と物が言えるもんだ!(二杯目を飲み干す。自慢そうに。)フン、こっちも傷を受けているがな、あっちはもっとだぞ。それに、その中には警察もいるんだ。
 ノラ 警察? 何て汚い奴!
 サラ 黙って、お母さん。それで、何があったの?
 クリーガン 何があったなんてもんじゃない。全く、あんな大立ち回りは生まれて初めてだ。ハーフォードの家を見つけるのは造作もなかった。大邸宅だ。裏には壁で張り巡らされた大きな庭がある。コンと俺は正面玄関から入って行った。お仕着せを着た使用人が、後ろにもう二人従えて出て来た。図体(ずうたい)のでかい黒人がそのうちの一人だ。あの弁護士の豚野郎、ハーフォードの奴に御注進申し上げていたんだ。コンが紳士的に口を切った。「御主人にお取次願いたい。こちらはかっての第七龍騎兵隊少佐、コーニリアス・メロディーだ。一言御主人にお話がある」と。使用人は嘲るように笑って言った。「御主人はお前さんには会わないね。」コンがムッとなるのが分った。しかしコンは怒りを抑えて丁寧に続けた。「じゃ、その御主人に言うんだ、つべこべ言わずに会うのが一番だ。さもなきゃ、どの道、こっちから押し掛けて行くだけのことだから、とな。」「ほほう、押し掛ける気か」と使用人は言った。「御主人に言われているんだ。酔っ払いのアホどもにかかづらわっている暇などない。追い返せとな。それに警察にも知らせてある。変なことをすれば、お前らは逮捕だ。」それから扉を閉めながら、「言っとくがなお前達、だいたいこの玄関って所は、お前らの来る入口じゃない。お前らなら、台所の裏口から入って来るものだ。」
 ノラ(怒って。)まあ、何て言い方!
 サラ(我にもあらず、怒りが込み上げて来る。メロディーを見て、怒って言う。)使用人にお父さん、そんなこと言わせておいたの?(それから慌てて。)でもいい気味よ! そんなことだろうと思った。ちゃんと言っておいたでしょう!
 クリーガン 言わせておいた? 黙るんだ、サラ! こっちの話を聞け! 聞けば分るんだ! 使用人はそう言って、さっと扉を閉めようとした。だがコンの方が早かった。押して、閉めようとする所を使用人ごと扉を押し返した。そしてホールに飛び込んだ。気違いのように喚いて。それからその使用人の憎たらしい口を鞭で思いっきりひっぱたいた。奴は豚のようにキャッと言ったさ。
 ノラ(夢中で。)コン! あなた、よくやったわ!
 サラ(母親のその言葉を恥ぢて。)お母さん! 止めて!(メロディーに憤慨して。)全く決闘屋もいいザマね。馭者や執事を相手に大乱闘!
(しかしメロディー、テーブルをじっと見つめているだけ。サラが見えている様子もなければ、サラだと分っている様子もない。)
 クリーガン(怒って。また一杯注いで。)黙れと言ったら黙るんだ、サラ。それに、(メロディーを指して。)そっちにうるさく言うのは止めるんだ。どうせあんな風なんだ。言うだけ無駄だ。相手が誰か、何を言ってるか、聞こえはしない。それからこの喧嘩に、聞いたような口は出せない筈だぞ、サラ。あんたがその原因なんだからな。
 サラ(怒って。)それは嘘! 私はこうなるのを止(と)めようとしたの。分ってる筈よ。
 クリーガン(ぐっと飲んで。サラの言葉を無視して、ノラの方を向き、熱を込めて。)いいか、最後まで聞いてくれ、ノラ!(戦いの真っただ中に戻る。)コンが屋敷に入り、俺も飛び込んだ。黒ん坊の奴が殴りかかった。俺はクラッとなった。そのまま黒ん坊にやられる所を、コンが振り返りざま、そいつの黒い脳天を鞭でぶん殴った。黒ん坊はへたり込んだ。三番目の男がその間にコンを殴った。俺はそいつの腹を蹴り上げた。そいつは、腹をおさえて床に転がった。黒ん坊がその間に起き上がって、俺に掴みかかった。が、コンが来てまた一発食らわせた。ザマを見ろだ。これで三人とも熨(の)してしまった。これで警察が来なかったら、あのハーフォードの奴を穴蔵から引っ張り出して、皮を剥(は)いでなめし革を作っていたところなんだ!
 ノラ(怒って。)警察! 嫌らしい犬! いつだって金持ちの味方。弱い者いぢめ! ヤンキーの肩を持ってアイルランド人を目の敵(かたき)にして!
 サラ(話を聞けば聞くほど惨めになる。それが、喧嘩に勝って欲しいという気持と混じり・・・訴えるように。)止めて、お母さん! お願い!
 クリーガン 棍棒を持った警官四人が、知らない間に後ろからやって来ていた。俺達二人を後ろから掴みかかって、道路まで引きずり出した。コンが掴んでいた奴を外して、そいつを殴った。俺も俺を抑えていた奴の腹に膝蹴りを一発食らわせた。相手はしゃがみこんだ。それからは大活劇だ。コンは有に二人分の働きだ。右、左と繰りだして、騎兵のように猛烈な声を上げて・・・
 メロディー(呆然とした顔のまま。そしてテーブルを見つめたまま、突然独り言を呟き始める。)よくやった、メロディー少佐! 総司令官は、お前の働きを特に目覚ましいものと認めるぞ。タラヴェラでの活躍に負けるとも劣らずだ。フランス軍の方陣に突撃した、あの勢いだったぞ。それにまた、突撃の雄叫(たけ)びが良かった。豚と一緒に床の上で育ったどん百姓、ネッド・メロディー。そのどん百姓から強請(ゆすり)たかりで旅篭(はたご)の主(あるじ)に成り上がった、ネッド・メロディー。その父親に相応しい口の悪い酔いどれ息子コン・メロディーの吐く汚い罵りの言葉だ。それを窓から見ていたあの女・・・貴婦人づらのあのヤンキーの淫売・・・「反吐が出る」と言わんばかりの、嘲りの笑いを浮べて・・・
 ノラ(ゾッとして。)まあ、この人・・・気が違ってしまった!
 サラ(驚いて訝(いぶか)しげにメロディーを見る。一瞬怒りと同情の気持が目に現れる。衝動的に父親の方に進み。)お父さん!(それから表情が堅くなる。)気が違ったんじゃないわ、お母さん。正気になったのよ、生まれて初めて!(メロディーに。)そう? 嘲りの笑いを浮べていたの、あの人。無理もないわ。いい薬よ、お父さんには。(それから仇(かたき)をうつかのように。)でも、こっちだって仇はうってある。そのうちすぐ分るわ、あの人に。その嘲りが自分に跳ね返って来るのよ!
 クリーガン(怒って。)黙れ! サラ。この人のことは放っておくんだ。今の話は殴り倒されてからこっち、ずっとやっている。思い出したように。まづ、あのハーフォードの女、次に父親と豚の話、自分の名誉と誇り、それからあのサラブレッドの話だ。(クリーガン、元の話に戻る。)そう、とにかく相手は棍棒を持った四人。こっちの手に余った。俺がぶん殴られて気を失う直前に見たのは、コンが三人がかりで殴られているところだ。が、とにかく俺達二人、アイルランドの名誉にかけて、最後まで立派に戦ったんだ。
 メロディー(自分自身に嘲りの呟き。)御立派な、ラム酒浸(びた)りの騎兵隊員。土曜日の夜、淫売宿の前で大喧嘩。その後ゲーゲーと溝の中にゲロを吐く。そんなところだ。
 サラ(ハッとなって。)止めて! お父さん。
 クリーガン(憤慨して。メロディーに。)調子が良くなかったんだ、こっちは。調子さえよければ・・・まあいい。意識がなくなるまで俺達をぶん殴って、留置場まで運んで、そこへ閉じ込めた。今もそこにいた筈だ、もしハーフォードの奴が釈放を求めてやって来なかったら。とにかく金の力だ。ここで感謝するところなのか? あんな奴に。あいつ、あの騒ぎが新聞に載って、恥をかくのを怖がったんだ!
(メロディー、気違いのような笑いをして、パッと立上る。目が眩んだのか、身体がぐらつく。頭を手で掴む。・・・それから、左手前方の扉に進む。)
 ノラ コン! どこに行くの。
(ノラ、後を追い、片方の腕を掴む。メロディー、ノラが誰か分らぬかのように、乱暴に振り払う。)
 クリーガン あんたのことが分らないんだ。今は怒らせては駄目だ、ノラ。ただ寝室に行こうとしているだけさ。(甘い言葉で宥めすかすように。)分ってますね? 少佐。今何をするのが一番いいか。
(メロディー、手探りをしながら扉に進み、退場。扉は開いたまま。)
 サラ(心配だが、母親を慰めて。)ジャミーの言う通りよ、お母さん。寝るんだったらそれが一番じゃない。・・・(突然恐怖に襲われる。)ああ、どうしよう。サイモンに仕返しをするつもりなんだわ!(サラ、扉に突進。足音を聞く。・・・ホッと安心して。)違う。自分の部屋だわ。(戻って来る。少し恥ぢている。)私って馬鹿。病人をどうかするなんて、そんな人じゃないわ、お父さんは。いくら・・・。(サラ、母親の腕を取り、優しく。)立ってないで、お母さん、さあ、坐って。ひどく疲れている筈よ・・・
 ノラ(ひどく心配して。)あの人があんな話し方をするなんて、私、一度も聞いたことがない・・・それにあの目付き。私、怖いわ、サラ。私、行って来る。ベッドに入っているかどうか、確かめなくちゃ。
(ノラ、素早く扉に進み、退場。サラもその後を追おうとする。)
 クリーガン(乱暴な言い方で。)ここにいるんだ、サラ。馬鹿なことをするな。突然我に返って、いきなりぶん殴って来るかもしれない。そうされても仕方がないだろう? この騒動の大もとはあんたなんだ。あんたへの侮辱をはらすために出かけて行ったんだからな。(クリーガン、中央テーブルの後ろの椅子に寝そべるように坐る。)
 サラ(左手前方の小さなテーブルの後ろに坐って。怒って。)よくまあ、他人のことに口を出すものね、ジャミー・クリーガン。あなたが遠い親戚だっていうただそれだけの理由で。
 クリーガン(鋭く。)フン、何だそれは。偉そうに!(また一杯注ぐ。飲み干す。再び酔ってくる。)
 サラ 私への侮辱は自分ではらして見せる! いいえ、もうはらしたわ! ハーフォードのあの親達を私、もうやっつけた。あんなことをしてあの女に笑われるなんて、全くの無駄骨。私はあの女をやっつけたの。最後に笑うのは私なの!(言い止む。強い、勝利の微笑みが唇に浮ぶ。それから、その微笑みが消える。当惑の笑いが出る。)まあ、何て馬鹿な考え。私も狂っているんだわ、きっと。
 クリーガン(酔っ払って。)もういい。言うな。俺達二人で、あいつら全部を熨(の)したんだ。それから、コンは大丈夫。棍棒が頭にあたって、ほんのちょっとの間、変になっただけだ。こういうのは以前何度もお目にかかったことがある。いや、自分でもなったことがある。田舎の市場で、鞭で頭を殴られたんだ。その後のことは何時間も何も覚えていない。だけど他の連中の話によると、俺は会う人毎に俺の秘密を喋りちらしていたらしい。(間。サラ、この話を聞いていない。クリーガン、心配そうに続ける。)しかしとにかく、コンのお喋りを聞くのは厭な気分だ。あのハーフォードの女・・・蒼白い淫売とコンは言うんだが・・・あの女が、幽霊のように出て来てコンを嘲り笑う。だけど一番気味の悪いのは、あの馬、サラブレッドの話だ。何て綺麗な踝(くるぶし)、何て上品な足、と言ったかと思うと、泣き出して、許してくれ、許してくれ、みんな私の恥晒しからこうなったんだ・・・(クリーガン、迷信を信じている者のように、気味悪そうに身を縮める。それから怒って、デカンターに手を伸ばす。)エーイ、酷い夜だ、今夜は!
(クリーガン、一杯注ごうとする。が、その前にノラ、左手前方の扉から走って登場。)
 ノラ(息を切らして。怖がって。)あの人が降りて来て・・・私のことを押し退けたわ。まるで私が見えないよう。納屋に出て行ったわ。ジャミー、見て来て。あの人のことを。
 クリーガン(酔っ払って。)嫌だ。大丈夫だ、コンは。放っとくんだ。
 サラ(揶(からか)うように。)可愛い恋人、愛馬のところへ行ったのよ。よく昔やっていたじゃない。酷く酔っ払った時に厩で寝て・・・馬もお父さんだと、蹴っ飛ばしもしない。
 ノラ(ぼんやりと。)何てことを言うの、二人とも! あの人、決闘用のピストルが入っている引き出しを開けているのが私には聞こえたの。階段を降りて来る時、そのピストルの箱を持っていたわ・・・
 クリーガン(足をガタガタと動かし、立上ろうとする。)エーイ、気違いめ!
 ノラ ハーフォードの家に馬でとって返すのよ。誰かを殺すわ! お願いジャミー、あの人を止めて!
 クリーガン(酔っ払いの怒鳴り声。)畜生! よし、止めてやるぞ、ノラ。ピストルがあろうとなかろうと!(少しフラフラしながら、左手前方の扉から退場。)
 サラ(身を固くして立つ。奇妙な勝ち誇ったような声で。)じゃあ、打ちのめされて尻尾を巻いていたんじゃなかったんだわ!(言ったかと思うと、突然自分の言った言葉を後悔して。)何てことを考えるの、私って! 何もかもみんなぶっ壊して貰いたいんだわ、この私は。(ぼんやりと。)ああ、私、気が狂ってる。私、お父さんと同じ・・・
(納屋から、即ち右手前面の舞台裏から、押し潰されたようなピストルの音。隣のバーの騒音のため、そうはっきりとは聞こえないが、サラとノラには聞こえる。二人、ギクッとして立ち竦む。サラ、ヒステリックに呟く。)
 サラ 違うわよお母さん、私、本気じゃない。本気で言ったんじゃない!
 ノラ(怖れで感覚がない。馬鹿のように呟く。)ピストルの音!
 サラ ね、お母さん、私、本気で言ったんじゃないの!
 ノラ ピストルよ! ああ、あの人、ジャミーを殺したわ!
 サラ(吃る。)いいえ、ジャ・・・ジャミーじゃない。(荒々しく。)ああ、待ってなんかいられない。私、自分で見に行く!(左手前方の扉に駆け出す。しかし怖れで立ち止まる。)駄目。怖いわ。私、怖い!
 ノラ(馬鹿のように呟く。)ジャミーじゃない? じゃ、誰?(ノラ、震え始める。恐怖に満ちた囁き声で。)サラ、お前・・・ジャミーじゃないなら・・・ああ、神様!
 サラ 黙って、お母さん! 納屋からの音で分るわ。(サラ、急いで元に戻る。テーブルを回り、左手前方に出て、母親の傍に来る。)誰かが納屋の扉に出た。ジャミーの足音よ。ここに言いに来るんだ・・・
 ノラ そんなことはない! あの人、決して・・・決して・・・
(二人、怖れで麻痺したように抱き合って立ち、開いた扉の方を見つめる。間。この間、隣のバーからの騒音、大きく聞こえる。それからメロディー、扉のところに現れる。その後ろにクリーガン。クリーガン、メロディーの肩を掴み、料理屋などの用心棒が酔っ払いを小突くように、乱暴に部屋に押し入れる。つい今しがた起ったことのため、クリーガンは非常にショックを受けている。そしてその反動のようにメロディーに辛くあたっている。クリーガンの片手には、決闘用のピストルがある。メロディーの顔は灰色の蝋(ろう)のよう。びっこを引き、両足は不確か。目も見えていない様子。完全に全身麻痺状態。)
 サラ(衝動的に。)お父さん! ああ、良かった!(サラ、一歩父親の方に進む。次の瞬間、サラの表情、凍ったようになる。)
 ノラ(安堵の啜り泣き。)ああ、あなた、生きていたのね! サラと私、死ぬほど怖かったわ。(ノラ、メロディーに近づく。)コン! コン! あなた!
 クリーガン(小さなテーブルの左手にある一番近い椅子に、メロディーを押して坐らせる。荒々しく。声は震えている。)ちゃんと静かに坐っているんだ、コン・メロディー。紳士らしくするんだぞ。いいな。(ノラに。)さあ、連れて来た、ノラ。礼はいらない。全く酷いもんだ。
(ノラが近づき、クリーガン、退く。ノラ、両腕をメロディーに巻いて、優しくかき抱く。)
 ノラ ああ、コン! コン! 本当に怖かったわ!(メロディー、ノラのことが分っている様子なし。しかしノラ、夫が病んでいる子供であるかのように、小さい声で慰める。)
 クリーガン 厩にいたんだ。このピストルは手に持って。もう一つは馬の傍、床の上に置いてあった。(クリーガン、ブルッと震える。そして震える手でテーブルにそのピストルを置く。)こいつは完全に気が狂った。世話は妻と子供だ。私はもう沢山だ。気違いなんかに構っていられるかっていうんだ!(クリーガン、バーに通じる扉へ進む。)
 サラ 待って、ジャミー。ピストルの音が聞こえたわ。あれは何だったの?
 クリーガン(怒って。)コンに訊くんだ。私は厭だね!(それから、驚き呆れた、そして怖れの表情で。)馬を殺したんだ。気違いが!(サラ、驚いてじっとクリーガンを見つめる。)私が行った時、コンは蹲(うづくま)って頭を垂れていた。傍には馬が死んでいた。コンはこの世の終りのように泣いていた・・・(クリーガン、ブルッと震える。)ああ、もうコンの見えない所に行かせてくれ。笑ったり歌ったりする、当たり前の感情を持っている人間の所へ。(バーへ通じる扉の錠を外す。)ああサラ、心配しなくていい。こんなことは一言も話しやしない。街でやった喧嘩の話だけだ。私が覚えていたいのは、あの話だけだからな。
(クリーガン、ぐいと扉を開ける。バーに入る。すぐに後ろ手に閉める。クリーガンの到着を歓迎する叫び声が聞こえる。サラ、再び扉をロックする。メロディーを見つめながら、中央テーブルに戻る。ヒステリックな、嘲笑的な笑いが唇に現れる。唇が引きつって震える。)
 サラ 心配したりして、何て馬鹿だったの、私。世の中にお酒がある限り、そんな思い切ったことをする訳がないの。そう? そうなの。馬なの? 撃ったのは。
(サラ、ヒステリックに笑う。笑いを抑えられない。笑い声がメロディーの無感覚な身体を貫く。メロディー、椅子に、凝固したように身じろぎもしない。目は相変らずテーブルの上。)
 ノラ サラ! 止めて! お願い。どうして笑えるの? こんな時に。
 サラ 私・・・私・・・止らないの・・・お母さん、ジャミーが言ったでしょう?・・・殺したのは馬だったって・・・(再び、止めようのない笑い。)
 ノラ(ぼんやりと。)止めなさいって言ってるでしょう!
(サラ、自分の口に片手で蓋をして、音が外に出ないようにする。しかし、肩は相変らず動く。ノラ、テーブルのあちらの椅子に、沈むように坐る。ぼうっとして呟く。)
 ノラ あの綺麗な馬を・・・殺した。本当にすっかり気違いになったんだわ。
 メロディー(突然喋り始める。目はそのままテーブルに。ひどい訛り。声は嗄(か)れていて、耳障り。)笑わせておいたらいいんだよ、サラには。そうだよ、サラを責めることは出来ない。俺もな、腹の中では、ゲラゲラ笑っているんだ。自分自身を揶(からか)うためにやった馬鹿な冗談。あんなのは開闢(かいびゃく)以来あったためしはないだろう。
(二人、メロディーを見つめる。サラの笑い、止る。父親の訛りに驚く。じっと不思議そうに表情を固くして、父親を見つめる。)
 サラ 何? 冗談て。馬を殺すのが馬鹿な冗談だって言うの?
(メロディー、一瞬身体を固くする。しかしそれだけ。答えもしないし、また目をテーブルから外しもしない。)
 ノラ(怖くなって。)見てご覧、サラ、あの顔を。まるで死んだ人だよ。(ノラ、手を伸ばし、メロディーが机の上に伸ばしている手に触る。優しく、訴えるように。)ねえコン・・・あなた・・・止めて頂戴!
 メロディー(目を上げてノラを見る。表情が変る。その顔に少しは残っていた威厳と上品さはすっかり消え、下品な、俗っぽい、締まりのない、嘲るような笑いが、膨れた唇に現れる。)心配しないでいいんだよ。御陀仏になったんじゃないんだ、俺は。ちょっと酒が入れば、またちゃーんと元気になるんだ。
 ノラ(惨めに。どう考えていいか分らず。)何て言い方、あれ。「俺」だなんて(訳註 原文は「方言なんか使って」)・・・私達を苦しめたいのよ。
 サラ(心配がいよいよ募(つの)ってくる。しかし、嘲るように。)もう構わないでおきましょう、お母さん。こんなの、面白がってやっているのよ。あんなことをした後で、まだこんな心ない恥晒しなことを私達に・・・
 ノラ(夫を庇って。)いいえ、警察と戦ったとき、頭を殴られたせいよ。
 メロディー(下品な言い方で。)殴られたせい? 馬鹿な! あれはジャミー・クリーガンの出鱈目よ。本当に俺の頭を狂わせるなら、もう五六発は必要だったさ。俺の頭は今、はっきり、くっきりだ。いやノラ、俺はあんたらを苦しめるためにこんな言葉を使っているんじゃない。それにサラ、面白がってやっているんでもない。そんなことをやるのは、あの少佐の遊びだ。この言葉・・・これは俺の持って生れた言葉だ。あんたらの使っている言葉だ。確かにこれは、あんたらには奇妙に聞こえるだろう。無理もない。あの死んだ嘘つきの気違い、第七龍騎兵コーニリアス・メロディー少佐が使っていた言葉とは違うからな。
 ノラ まあ、何てこと! サラ、今の聞いた?
 メロディー うん、本当に死んだんだ、あいつは。ただ、まだ残り香がある。あいつの誇り高い嘘がな。だけど、それも死んだ。死の臭いがしてきている。(メロディー、ノラの手を軽く叩く。本当の、心からの愛情に見える。)だから、心配しないでいいんだ、ノラ。もう、あの馬鹿な嘲(あざ)笑いであんたを苦しめるようなことはしないから。紳士面をすることもなければ、誇りだの、名誉だのと、ややこしいことも言わない。昔やったなんていう、決闘の話で威張ることもなし、ヤンキーの前で威張り腐って見せて、連中に陰で笑われることも、綺麗なサラブレッドを飲んだくれて乗り回すこともお仕舞だ。(啜り泣きを押し殺すように、ウイスキーをがぶりと飲む。)当り前だ。あの馬は死んだんだからな。可哀相に。
 サラ(だんだん耐えきれなくなって・・・上ずった声で。)どうして・・・どうして殺したりしたの、お父さんは。
 メロディー どうして少佐は殺したのか、ということだな? やれやれ、そんなことが分らないとは、あんたも思ったより頭が悪いね。あの馬こそ生き証人だったからじゃないか。少佐が自分で拵(こしら)えた自慢と夢と嘘で塗り固めた例の話を、本当に見せるためのな。あの男は、まづ最初のピストルで馬を殺し、次に、もう一つのピストルで自分を殺すつもりだった。だけどな、馬を殺したピストルが、もうすでに自分も殺してしまったことに気づいたのさ。あの気違いには、もう誇りなど残っちゃいなかった。そして馬が死んだ時、自分も終ったと分ったんだ。終ったものをわざわざ殺すことはない。死人にピストルの弾(たま)を打ち込むなど、弾の無駄使いだ。(メロディー、擦(かす)れた声で笑う。)
 サラ(堪らなくなって。)止めて! お父さん!
 メロディー さっき、馬鹿な冗談だと言ったろう。そう、殺す必要もなかった。これが冗談さ。(メロディー、笑い始める。しかし、押し潰された啜り泣き。突然メロディーの顔から、今までの荒れた、嘲るような、乱暴な表情が消え、苦しみと悲しみの顔が現れる。そして、訛りでなく話す。ノラとサラにではなく、自分自身に。)ああ、何という日だ。あの目! カンテラに照されて、死んで行く、あの目! 不思議そうに、悲しそうに。それでも私を信頼して。全く私を責めないで・・・怖れなど何もなく・・・誇り高く・・・私を愛して・・・そう、私が一緒に死んで行くのを、あの目は見ていた。あれにはそれが分っていた。私を許してくれたんだ!(啜り泣き始める。が、ぐっと身体を曲げてそれを抑え、はっきりして、嘲るような訛りで。)馬鹿野郎! 今のは気の狂った少佐の幽霊だ。糞ったれ! ベラベラ喋りやがって。大抵にしろ! この俺がいるんだぞ。もうこれからは、俺はゆったり暮すつもりなんだ。死んだ奴などに邪魔されないぞ。あのネッド・メロディーの息子として、それに相応しい生き方をするんだ。あの糞忌々しいイギリス将校の赤い軍服は、土の中に埋(う)めてやる。少佐の奴、うろつくなら、その軍服の墓のあたりをうろつくんだ。幽霊になって、喋ればいい。タラヴェラでも、スペイン貴族の女でも、フランス軍と戦った話でも、何でもやってくれ。(嘲笑って。)あの三人が言ってやがった。少佐なんて嘘っぱちだ。軍服だって、盗んできたものさ。ウェリントンのもとで戦ったなんて、よく言うよ、とな。そう、俺もよく知っている。あいつは大嘘つきだったよ。
 ノラ コン、もう馬のことを思い出して悲しむのは止めて。馬ならまた飼えばいいの。私が何とか・・・
 サラ お母さん、黙って!(メロディーに。怒って。)お父さん、もういい加減にこんな芝居は止めて頂戴!
 メロディー(荒々しく。)これが芝居なんだって? これは芝居じゃない。あんたにもすぐ分る。少佐なんだ、芝居をしていたのは。あの老いぼれの気違いめ。一生涯芝居をして、自分を騙していた。しかし俺は違うぞ。今日からは俺が、生まれついた丁度その地位に相応しい生き方をするんだ。(サラに狡い嘲りの笑いをして。)なあサラ、俺にまだそんな気があるうちに、あんたに父親らしい忠告をしておいた方がよさそうだな。あんたには偉大な野心がある。他人を押し退けても、この世で伸(の)し上がって行こうという御立派な野心だ。いいか、あんたには、正真正銘のおじいさんの血が流れている。おじいさんこそ、あんたのお手本なんだ。おじいさんは自分より下の者達には何の感情も持たなかった。連中はあのおじいさんに色々助けにもなったろうにな。それから、自分より上の馬鹿連中からは、絞り取り、騙し取り、だ。このことにかけて、アイルランドで、おじいさんの右に出るものはいない。最後には大地主で、城を持ち、銀行には腐るほど金を貯めたのだ。
 サラ(ぼんやりと。)お父さんなんか大嫌い!
 ノラ サラ!
 メロディー(これが聞こえなかったかのように。)俺には分っている。おじいさんが生きていたら、お前にきっと忠告する。上のあの若いのを、ベッドに誘い込む。これが第一歩だってな。よろしく誘惑が成功したら、今度は泣くんだ。そして結婚を迫るんだ。「あなたと、そして私の名誉を守って」とか何とか言ってな。あいつは馬鹿だ。潔白だの夢だの、そんなことで頭がいっぱいだ。それに、少し狂っている。おまけに詩人の気質(きしつ)まであるときている。あんたを捨てることはしない。ああ、後は簡単さ・・・
 サラ(もう堪らなくなって。)もうそのお芝居を止めさせて上げる! その訛りの話し方もね!(メロディーの方に寄って、嘲るような仕返しの言葉を吐く。サラの方も方言で。)ご忠告、心から感謝するわ、お父さん。でもベッドに誘うのはもうやっちゃったわ。お父さんが警察と喧嘩をしている最中にね!
 ノラ(この言葉の結果を怖れて。)サラ! 止めなさい! 何ていうことを!
 メロディー(椅子の上で、身体、硬直する。下品の薄笑いの表情がその顔から消える。以前の顔に戻る。両眼でサラにじっと脅迫の凄みをもってあたる。訛りで話すのは難しく、ゆっくりと言う。)そうか、やったのか。おめでたい限りだ!俺も知っておくべきだったな、あの気違いの少佐殿が、あんたの恥を雪(すす)ごうと折角出かけて行っても、あんたの目論見を阻止など出来る筈もなかったってことをな。全くもっておめでたい。俺も心から誇りに思わなきゃならん。今夜という晩に、ヤンキー紳士が一人、俺の淫売娘に誘惑されるために、身を屈めたとあってはな!
(メロディー、サラの目をじっと見つめながら、椅子から立上り始める。右手がテーブルの上を探り、ピストルを取り上げる。メロディー、自動機械のように、サラの心臓を狙う。両眼は冷く、死んだもののよう。ずっと昔戦った決闘の時に、さもあったであろうような、非情さ。サラ、恐怖に囚われる。しかし、怯まず立っている。)
 ノラ(恐怖に襲われ、椅子から突進し、メロディーの腕を掴む。)コン! あなた何を! サラを殺そうって言うの!
(メロディーの顔に呆然とした表情が現れる。力がなくなり、椅子に沈むように坐る。ピストルは指から離れ、テーブルに滑り落ちる。震える溜息が出て・・・嗄(しゃが)れた声で笑う。)
 メロディー(嘲るように。)サラを殺す? 馬鹿を言うな、ノラ。俺はただ、この子にお祝いを言いたいだけさ。
 サラ(どうしようもなく。)ああ!(中央テーブルの後ろの椅子に、どっと坐る。両手で顔を覆う。)
 ノラ(見当外れとは気づかず。心からメロディーを安心させるために。)大丈夫なのよ、コン。サイモンは出来るだけ早くこの子と結婚したいって言ってるの。サラがそう、私に話したわ。
 メロディー ほほう、それは親切だ。いい娘じゃないか、なあサラ。自慢にしなきゃいけないよ、サラのことを。この子を何が何でも、好きなようにやらせてやらなきゃ。どんどん偉くなって、そのうち立派なレディーになるぞ、きっと。
 ノラ(素直に。)ええ、そう。きっと。
 サラ お母さん!
 メロディー あの男には妙な夢がある。誇り高い、高貴な夢だ。まづそいつを根っこごと引き抜いてしまわなきゃならん。大仕事だ。だがサラならうまくやってのけるさ。そう、一シリング儲けるために、一ポンド賭けたっていい。俺が一ポンド持っていればの話だがな。サラはきっといつか、綺麗な絹の服を着て、サラブレッドつきの黒人の馭者の馬車でドライヴするようになるさ。鼻をつんと上に向けてな。住む家も強気(ごうぎ)なものさ。森、緑の牧場、それに、湖つきの宏大な地所。その中のお城のようなヤンキーの大邸宅に住むんだ。(嘲るようなくすくす笑いで。)そうそう、まづ手始めにあの若いのに、少佐の土地を結婚の贈物としてやることにしよう。そこに小屋を建てるといい。詐欺師のヤンキー達が、あの気違い野郎に騙して買い取らせたあの土地をな。(メロディー、決闘用のピストルを見る。嘲るように。)死んだ奴のことを言やあ、あいつの魂なんか、地獄にでも行け、だ。奴のピストルで俺は何をやっていたんだ? やれやれ、俺はピストルなんざ、いらない。げんこつで充分だ。まあ扱い易ければ棍棒はあってもいいがな。今晩ジャミーと俺とで一連隊総なめにしてやったじゃないか。
 ノラ(しっかりと。)そうよ、あなた。もし相手があんなに多くなかったら・・・
 メロディー(ノラの方を向き、ニヤリと笑って。)そうだ、そう来なきゃな、ノラ。ああ、世界中でこんなに忠実な女房なんて、いやしないぞ。(間。ノラを見つめながら。それから突然、ノラを、唇にキスする。荒々しく。しかし、奇妙な、本物の優しさで。)俺は愛しているんだ、あんたを。
 ノラ(驚いて。予想もしない嬉しさで。)ああ、コン!
 メロディー(再びニヤリと笑って。)俺は前から何度も「愛している」と、言おうと思っていたんだ。あの少佐の馬鹿が、威張ってやがってな。奴に抑えられていたんだ。(メロディー、ノラを引き寄せて、髪にキスする。)
 ノラ まあ、髪にキスを!
 メロディー 当り前だ。何て綺麗な髪だ。少佐の奴が言っていたことはみんな忘れちまえ。何が紳士だ。紳士づらの嘲笑いは、奴と一緒に埋(う)めちまうんだ。俺が本当のあんたの夫だ。あんたがこれからはこの宿屋を取り仕切る。もう女中じゃないぞ。ミッキーは首にして、この俺がバーテンをやる。あの親父の息子らしくな。
 ノラ 駄目! そんなこと、決してさせない!
 メロディー(狡賢く笑って。)そうか。とにかく俺はやると言ったんだからな。駄目と言ったのはあんたの方だ。覚えといてくれよ。確かに俺は働くのは嫌いだ。それに、ウイスキーの傍に俺を置いておくのはあまり得策じゃないかもしれん。(唇を舐めて。)ああ、それで思い出したぞ。何時間も俺は、酒から離れている。喉がカラカラだ。
 ノラ(立上りかけて。)今私が・・・
 メロディー(ノラを押して、椅子の腰掛けさせて。)いい。仲間とやりたいんだ。歌って、踊って、ゲラゲラ笑ってな。バーに行く。ジャミー・クリーガンとバーにいる奴等全員で、さっきやった警察との大立ち回りを祝わなきゃ。(メロディー、立上る。以前の軍人らしい姿勢は消えている。大きな毛深い手が両方、だらりと垂れ下がっている。その破れた皺くちゃの、泥で汚れた軍服を着た姿は、まるで道化のよう。)
 ノラ あなた、もう寝なきゃ駄目よ、コン。殴られた頭はボンヤリしているんだし・・・
 メロディー ボンヤリ? 飛んでもない。今までは、あの少佐の奴が俺を苦しめていた。気違いなのを取り繕うために、俺に嘘ばかり言わせて。奴が死んで、頭がハッキリだ。こんなにハッキリしたことは今までなかったぞ。(ニヤリとする。)それに、疲れてもいない。新しく生まれたばかりの人間だからな。じゃノラ、もうベッドに行くんだ。お休み。
(メロディー、屈んでノラにキス。この時までにサラ、手から、涙に濡れた顔を上げていて、絶望の、奇妙な、苦しそうな目付きで、メロディーを見つめている。メロディー、サラにもニヤリと笑う。)
 メロディー サラ、あんたも寝た方がいい。酷い一日だったな。きっと夢も見ず、朝までぐっすり眠る筈だ。
 サラ お願い、お父さん。私、耐えられない。・・・前のお父さんに戻って!
 メロディー(機嫌よく、脅しの言葉を言う。)そんな口はきかせないぞ。自分の父親を恥ぢるとは何事だ。気をつけた方がいい。俺はあの少佐とは違う。あいつは紳士だ。子供に手をかけるようなことはしなかった。だがな、あの死人を蘇らせようとしたりすれば、それはこの俺への侮辱だ。行儀のためにぶん殴ってやる。分ったな。
(サラ、メロディーを見つめる。悲しく絶望的。メロディー、バーへの扉の方に行き始める。)
 サラ(パッと立上る。)お父さん! あんな飲んだくれの屑(くづ)の連中のところに行かないで! あの連中にお父さんの姿を見せちゃ駄目! ここで好きなだけ飲めるわ。ジャミーにも来て貰って、一緒に。あの人と笑って、歌って、タラヴェラを祝えばいいでしょう?
 メロディー(乱暴に。)タラヴェラ? 糞食らえだ!(目が鏡に当る。鏡に向って、嘲るように。)やれやれ、この鏡さえなきゃな。あの気違いの馬鹿、いつもこの鏡の中の自分の顔を見ては、バイロンを吟じていやがった。自分がいっぱしの詩人気取りで。そして御大層な紳士のつもりで・・・(メロディー、ポーズを取る。それは一、二幕での鏡の前のポーズのパロディー化したもの。そして訛りを混ぜたチャイルド・ハロルドの例の一節を吟じる。)
 「俺は世間を、世間も俺を、相手にしたことはなかった。
  俺は世間の奴らに、おべっかを使ったことはない。
  やつらが崇(あが)め奉(たてまつ)っているものに、
  連中と調子を合わせるために、
  一緒に膝まづくことなど、したこともない。
  お愛想笑いに自分の頬の皮を緩めたこともなければ、
  連中が誰かに、声を揃えて讚歎の声を上げる時、
  俺はただ、それを冷やかに眺めてきた。
  連中に俺を、その仲間の一人だと思わせたりするものか。
  俺は立っている。きやつ等に交じって。
  だがいいか、俺は奴らの中の一人じゃないんだ。・・・」
(メロディー、侮蔑的に馬鹿笑いする。)やれやれ、少佐の野郎、全くお笑いじゃないか。サーカスの道化でもやっていりゃ良かったんだ。あいつの魂なんぞ、地獄の火に焼かれてしまえ!(突慳貪(つっけんどん)に。)まあ、死んだ奴などどうでもいい。
(バーから騒音、丁度わっと大きな笑い声が上る。どうやらジャミーの話が最高潮に達した所らしい。メロディー、鏡から目をバーへの扉の方に向ける。)
 メロディー ところが俺は生きているぞ。俺は孤独じゃない。俺を仲間に入れてくれる群衆があるんだ。俺は連中の中の一人、あいつらの一員なんだ・・・少佐が長いこと、俺にやらせて来た、孤独な犬の生活を、これから埋め合わせなきゃな。
 サラ(メロディーの方に進む。懇願するように。)お父さん! もうその恥をかいたら、逃げ道はないのよ。お父さんは今酔ってないわ。後で、酔っていたせいだって言えないのよ。もうその後は、死んだと同じ。あの馬の傍で自分にピストルを撃ったのと同じになるのよ!
 メロディー(嘲って。ノラにウインクして。)聞いたか、ノラ。この子は、俺が酔っていないと言って、責めているんだ。いい、いい、すぐお望みの状態になるんだから。(メロディー、扉のノブに手をかける。)
 サラ お父さん!
 ノラ(これまでに肉体的な疲労が極度にまで達している。殆ど言われていることが聞こえていない。まして、理解など。物憂そうに。)サラ、お父さんを放っておいて。それが一番よ。
 メロディー(またもう一度バーから大笑いのどよめきが聞こえる。)いいところを俺は逃しているぞ。よし、こっちだって大笑いのネタがあるんだ。それをやれば、笑い声で家の天井が抜けるぞ。少佐が死んでくれたお陰で、俺は民主党に入(い)れられる・・・アンディー・ジャクスンに一票を投じるんだ。俺のような平民の出なんだからな、あいつは。ザマアミヤガレ!(連中を笑わせることが出来るという期待で。)よし、見てろ。今すぐ聞かせてやるからな。(メロディー、ノブを回し始める。)
 サラ(メロディーのところに駆け寄って、腕を掴む。)いいえ、行かせません。お父さんの誇りは私の誇りでもあるの!(サラ、吃る。)そう、お父さん、私を許して・・・私がいけなかった・・・いつもお父さんのことを侮辱したり、嘲笑ったり・・・でも、それは中に嘘がある時だけ・・・本当のこと・・・タラヴェラも・・・ウェリントンも・・・公爵が勇気を褒めたことも・・・公爵の軍隊の士官だったことも・・・スペインでの女性関係の話だって・・・心の奥底では、みんな私の誇りだった・・・私はお父さんの娘だって。だから行かないで。私、お父さんの言うことを何でも聞く。・・・サイモンにだって言う。・・・あの人の父親の、お父さんへの侮辱・・・あんなことがあった後では・・・私、とてもその卑怯な息子などと結婚出来ないって!
 メロディー(サラの言葉の一言一言で、強気でいた姿勢が崩れて行く。最後には自分を隠し、防御するマスクが無くなり、以前のメロディーの顔になるまで。メロディー、野蛮に、絶望的に、叫ぶ。あたかも最後の頼みの綱が切れたかのように。)サラ! お願いだ! 止めてくれ! 行かせてくれ!
 ノラ(物憂そうに。)お父さんを放っておいて上げて。それが一番いいの。
(メロディー、一瞬のうちに恢復し、嘲笑う百姓に戻る。)
 サラ(希望を失う。辛く、叫ぶ。)ああ、お母さん、どうして黙っていてくれないの!
 メロディー(荒々しく。)あんただろう、黙っていなきゃならんのは。さっき言っておいたぞ。俺を邪魔して死人を蘇らせようなどとしたら、どうするか。
(メロディー、サラの横っ面を殴る。本気ではない。どちらかというと、遊び半分に押した程度。だがサラ、中央のテーブルの端まで吹っ飛ぶ。)
 ノラ(びっくりして、呆気に取られて。)まあコン、何てことを。(怒って。)サラを殴るって、どういうこと? 他のことは何でも許すけど、私・・・
 メロディー(上機嫌で。)黙るんだ、ノラ。二度としやしない。(優しくサラに笑いかけて。)これで分ったな、サラ。もう二度とあんたは、死人を蘇らせようとはしない筈だ。それから、二階のあの男と結婚しないなんて話を、俺には聞かせるな。全くあんたには名誉というものがないのか? あの男を誘惑しておいて・・・父親として、あんたら二人の首根っこを掴まえて、教会へ引っ張って行かなきゃならん。それでやっとあの男も名誉ある紳士になれるっていうもんだ。(メロディー、クスクスと笑う。それから、二人を揶(からか)うように。)さあ、これでレディー二人のお許しを戴いて、バーの連中の仲間に加わるとしよう。
(メロディー、扉を開け、バーに入る。後ろ手に扉を閉める。酔っ払い達の歓迎の唸り声、一斉に上る。バーやテーブルの上でコップを叩く音。それから静かになる。どうやらメロディー「静粛に」と片手を上げたらしい。その後メロディーの、みんなを歓迎する言葉。みんなのそれに対する反応。ライリーのバグパイプの音もそれに加わる。サラ、中央テーブルの横に突っ立ったまま。両肩は落ち、頭は下り、床を見つめている。)
 ノラ(再び、溜りに溜った肉体的疲労に押し潰されて、溜息をつく。)殴られたって、気にしないのよ。あの人、まだ頭がおかしいんだから。でも、飲んで、歌って、笑って、それからぐっすり寝れば、明日の朝はまた元のあの人に戻るわ・・・きっと。
 サラ(力なく・・・母親に言うというより、独り言を声に出して言っているような調子。)いいえ、戻らないわ。とうとう打ち負かされたんだわ。そして打ち負かされたままの方がいいと思っている。ああ、私、出来るだけのことはやった。何故あんなことを。よく分らない。私には誇りがあるんだわ、お父さんの。(サラ、頭を上げる。表情が堅くなる。苦々しく。)いいえ、あの死んだメロディー少佐の。そう、私にはその誇りがあったの。今はもう死んでしまった。・・・そう、その方がいいの。・・・サイモンのいい奥さんになるわ、私。
(突然、隣のバーの騒音が止む。誰かが「シーッ」と言って、みんなを静めた様子。次に、その沈黙の中に、メロディーの声がはっきりと聞こえる。大きな乾杯の発声。「次の大統領、アンディー・ジャクスンに、乾杯! オールド・ヒッコリー、万歳!」それから、みんなの「ハルー」その他の声、壁を揺るがす。)
 ノラ まあまあ、アンディー・ジャクスンに乾杯したりして! あの人の声を聞いた? サラ。
 サラ(表情堅く。)誰かの声は聞こえたわ。でも知っている人の声じゃなかった。それに知りたくもないわ。
 ノラ(サラの言葉が聞えなかったかのように。)ああ、あれでいいんだわ。もうみんなは、あの人を嫌うことはないでしょう。(言い止む。・・・ノラの、疲れた、窶(やつ)れた顔が、急に恥づかしそうな、優しい表情になる。)あの人、私を愛しているって言った。あれを聞いた? サラ。口にキスしたのよ、あの人。そしてその後、髪にも。見た? お前。(ノラ、小さな、優しい笑い声を出す。)そう、あの人、本当に、すっかり気が狂ったんだわ。
 サラ(母親を見つめる。表情が柔らかくなる。)いいえ、お母さん、あれは本気。そしてこれからはずっと本気よ。お父さん、これからは遠慮なく愛情を表せるの。(サラ、奇妙な微笑。)その邪魔をしようとしたんだわ、私。殴られて当然ね。
 ノラ(自分の考えに没頭している。)でもあんな、みんなを揶(からか)うようなことを続けていたら・・・方言で喋って、(バーの方を顎で指して。)みんなと同じような振舞いをして・・・でも、いいわ。それであの人の独りぼっちが直るのなら。そう、今までずーっと、誇り高く、たった一人で生きて来たんだもの。(誇りをもって。)そう、私は何だって構わない。あの人の気まぐれについて行くわ。それが私のあの人への愛。今までだって、ずっとそうだったもの。(ノラ、微笑む。)ええ、私、誇りなんか全然ないわ。・・・その愛以外は。
 サラ(母親を見つめる・・・心を打たれて。)お母さんて、奇妙な人、高貴な人ね。私もそうなるよう努めるわ。(サラ、ノラに近づき、抱く。・・・優しく微笑む。)サイモンには聞こえてないわ。あのピストルの音、バーの騒ぎだって。私が出て来る時、赤ん坊のように眠っていたもの。大砲が鳴ったって、起きやしないわ。
(バーで、ライリーがバグパイプを鳴らし始める。みんな踊る。その床を叩く足音が聞こえる。一瞬サラの顔、再び堅く、辛いものになる。サラ、嘲るように言おうと試みながら。)
 サラ パッチ・ライリーのバグパイプ。あの人、自分では分ってないでしょうけど、あれは死んだ人へのレクイエム。(サラの声震える。)タラヴェラの英雄よ、安らかに!(サラ、ワッと泣き始める。そして母親の肩に顔を乗せて啜り泣く。・・・自分でも分らず。)ねえお母さん、どうして私、泣いているの? どうして私、あの人の死を悔やんだりするの?
 ノラ(すぐに自分の疲労困憊を忘れ、全身でサラを助け、慰めようとする。)泣かないの、サラ。ね、泣かないの。疲れただけなの、お前は。さあ、ベッドに行きましょう。着物を脱がせて、蒲団をかけて上げるわ。(サラを起そうとして・・・揶(からか)うような調子で。)泣いちゃ駄目。好きな人がいるんだよ、お前には。二階のあの人に、何て思われるかしら。
                    (幕)

   平成十四年(二00二年)十月二十二日 訳了


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