死後に
              ノエル・カワード 作
               能 美 武 功 訳

   登場人物
ジョン・ケイヴァン
レイディー・ケイヴァン
サー・ジェイムズ・ケイヴァン
ロバート・ティリー(四十三歳? 本文では三十歳)
ショウ       (三十九歳)
ベイブ・ロビンズ  (三十二歳)
ペリー・ローマス
ジェナー       将校付従卒
メイスィー      伍長
モニカ・チェラートン
バーディー・チェラートン
キティー・ハリス
エッギー・ブレイス
ドレイク       執事
アルフレッド・ボロー
ミス・ビーヴァー
レイディー・スタグ・モーティマー
ケッチワース     僧正
サー・ヘンリー・マーシャム
執事

(この芝居は、幕間がなく、最後まで続けて演じられるようにすること。場の転換は出来るだけ速く、また客席は暗くしたままで次の場に移ること。)

     第 一 幕
(一九一七年春。第一次世界大戦の、比較的静かな前線にある本部。波型のブリキの屋根のついた粗末な小屋。右手少し奥に扉。これは前線の塹壕に続いている。左手にも扉。中央奥は土嚢(どのう)が積み重ねられており、もう少しで屋根にまでつく。その土嚢と屋根との隙間から向かい側の塹壕の壁が見え、その壁の天辺に泥と草とブリキがのせてある。この壁の向こうから、遠くで時々鉄砲が撃たれ、光るのが見える。その他、時々この場全体に、探照灯が当たる。)
(夕方八時三十分頃。)
(ティリー、ショウ、ベイブ・ロビンズとジョン・ケイヴァンが丁度夕食を終えたところ。幕が上ると将校付きの従卒ジェナーが四人にコーヒーをマグカップに入れて出しているところ。ロバート・ティリーはおよそ三十歳。(訳注 カワードの登場人物の説明では四十三歳となっているが? 不明。)明るい男。この隊の隊長に相応しく少し威厳あり。ショウはおよそ二十六歳。太りぎみ。機嫌のよい男。楽しい話には陽気に笑う。ベイブ・ロビンズは十九歳。良い人相。普段は陽気。しかし今は少し緊張している。ジョン・ケイヴァンは約二十七歳。背が高い。特にこれという特徴はない。顔は少し蒼く、目が疲れを表している。ティリーが負傷して、休暇で五、六箇月いなかった間、ジョンが代りにここの隊長を勤めていた。ティリーが二三週間前に負傷が治り、復帰したため、現在では普通の将校に戻っている。ショウは左手の寝台に坐って、足をこちら側に長々と突き出して「デイリー・マーキュリー」を読んでいる。時々くすくす笑う。ティリーはテーブルの、観客から向ってあちら側に坐って、煙草を吸っている。ジョンは右手の寝台に寝そべっている。ベイブ・ロビンズはテーブルの端に立っている。屋根を支えている柱に寄り掛かってただぼうっと空中を見つめている。ジェナー、ティリーとジョンにコーヒーを配った後、ベイブにどうかと訊ねる。)
 ジェナー コーヒーは?
 ベイブ(そちらの方に目の焦点を移して。)あー、いい。いらない。
 ジェナー(勧めて。)あったかくて美味しいですよ。
 ベイブ いや、いいよ、ジェナー。今はいらないんだ。
(ジェナー、ショウのところへ行く。)
 ジェナー コーヒーは?
 ショウ(マグカップを取って。)有難う。砂糖二杯頼む。
 ジェナー(スプーン二杯入れて。)はい。
(ジェナー、左手に退場。)
 ショウ(笑って。)参ったね、この新聞には。いやというほど真面目に作って・・・消化出来ないよ、これじゃあ。
 ティリー 何だい? それは。マーキュリーか?
 ショウ ええ。少なくともここに来たんじゃ他のものは読めませんよ。ここでは真面目一本槍のものしか読ませてくれないですから。イギリス流の小さな愉しみなんて、薬にしたくてもありはしない。スタグ・モーティマー夫人の、英国への公開書簡を読みましたか? 題名が「私は息子を国に捧げた」って言うんですからね。
 ティリー それで、本当の話なのか、それは。
 ジョン ええ。僕は彼女の夫のスタグ・モーティマーとは将校訓練学校で三箇月一緒でしたよ。夫人が学校にやって来る度に彼は便所に閉じこもりました。夫婦でお互いに嫌いあっていましたね。
 ティリー(ベイブに。)ポートワインはどうだ?
 ベイブ いいえ。すみません、ティリー。
 ショウ(笑いながら。)「イギリスの女性たるもの、国家に捧げることを誇りに思わねばならない。その身体から生れでた肉体を捧げることを、その血液から生れでた血液を捧げることを・・・」
 ティリー その脳味噌から生れでた駄文を捧げることを。あ、失敬、ジョン。君の親父さんは、マーキュリーの社長だったな。
 ジョン 止めて下さいよ。そんなこと、思い出したくもないんですから。
 ショウ マーキュリーについて確実に言えることは、その道徳的調子が高く、健全だっていうことだな。戦争に関して実にまともな考え方をしている。「戦争は確かに悪いことだ。しかし必要だ。しかたのないことなのだ」とね。それからドイツを徹底的に叩く。完膚なきまでに批判する。マーキュリーの前線特派員は誰なんだ? ケイヴァン。
 ジョン 知りませんよそんなこと、僕は。
 ショウ どうやら、非常に真面目で観察力のある男らしい。俺達が前線で「神と国家のために、突撃!」と、声を嗄らして叫んでいるのを実際に聞いているようだからな。
 ジョン もういいよ。止めてくれ!(笑う。立上ってポートワインを注ぐ。)
 ショウ 休暇で家に帰ったら、親父さんによく話して聞かせるんだ。突撃の前には必ず俺達は膝まづいて祈るんだと。そうだ、そこのところをスナップ写真に撮っておこう。
 ティリー ちょっと光が足りないな。
 ショウ 露出を長くすればいいんですよ。神とマーキュリーのために一分ぐらいじっとポーズを取るぐらいのこと、誰だって喜んでやります。
 ベイブ(突然。)本部から何か言ってきました? ティリー。
 ティリー いや、言ってこない。
 ベイブ 本部からすぐ言ってくる筈ですね? もし・・・
 ティリー ペリーが戻って来れば分る。あいつも軍医のところへ手を診て貰いに行ったからな。アーミテッジがどんな具合かは、ペリーが教えてくれるよ。
 ベイブ 手術をしたかもしれませんね!
 ティリー うん。心配するな。
 ベイブ(立上って。)アーミテッジの家族に手紙を書いてきます。ただ、怪我をしたとだけ。九時まで僕は非番ですから。
 ティリー うん。元気を出すんだ。
 ベイブ はい。
(ベイブ、元気なく退場。)
 ジョン アーミテッジ、手術を受けたろうか。
 ティリー(首を振る。)いや、動かせる状態じゃなかった。二三時間も、もつかどうか。
 ショウ 運が悪かった、あいつ!
(メイスィー伍長登場。敬礼する。)
 ティリー 何だ、メイスィー伍長。
 伍長 ショウ中尉殿に、連絡に参りました。
 ショウ(見上げて。)何だ。
 伍長 輜重(しちょう)部隊が着きました。工兵隊の荷物であります。
 ショウ(立上り、ベルトをつけて。)分った。処理の作業をやっていてくれ。私もすぐ行く。
 伍長 はい。
(伍長、敬礼。退場。)
 ティリー 出来るだけ早く処理してくれ、ショウ。私もすぐ行く。
 ショウ はい。
(ショウ、寝台から懐中電灯を取り、ガスマスクをつけ、鉄兜を被り、扉に進む。ペリー・ローマス登場。痩せていて、心配そうな表情。片手に包帯。)
 ショウ ああ、ペリー、どうだ? 手は。
 ペリー たいしたことはない。有難う。
 ショウ そうか。じゃあな。
(ショウ退場。)
(ペリー、鉄兜を脱ぎ、マスクとベルトを取る。)
 ティリー それで、どうだった。
 ペリー 一日二日で治るそうです。出来るだけ休ませるようにしろと。破傷風防止の注射を打ってくれました。
 ティリー うん。君は新しい機関銃の設置をやるんだったな?
 ペリー はい。九時から開始です。
 ティリー そこへ行く時に、ついでに第八歩兵小隊の進行状況を見てくれないか。胸壁の作業をやっているんだ。
 ペリー 分りました。(呼ぶ。)ジェナー、夕食を頼む。
 ジェナー(舞台裏で。)はい、分りました。
(ペリー、テーブルにつく。ティリー、相変らずノートに何か書いている。ジェナー、スープの皿を持って来る。ペリーの前に置き、退場。)
 ペリー(スープを食べ始める。)アーミテッジは死にました。
 ティリー(見上げて。)いつ。
 ペリー 僕が診療所を丁度出る時です。
 ティリー そうだろうな。あれは酷かった。
 ジョン 可哀相に。
 ペリー 見ちゃいられなかった。あれでいいんだ。
 ティリー(静かに。)言うな、それは。
 ジョン 誰かがあいつに知らせなきゃならないな。
 ティリー あいつ? ロビンズのことか。
 ペリー ロビンズは知っているんだろう?
 ジョン いや、知らない。結果を待っているんだ。今待避壕に下っている。僕が行って来る、もう少し後で。
 (間。)
 ティリー(立上りながら。)副官が私を呼んだら声をかけてくれ。特務曹長からの、あのいやな報告書に目を通さなきゃならないんだ。
 ジョン 分りました。じゃ。
(ティリー退場。)
(ジェナー、肉とじゃがいもの載った皿を持って登場。空になったスープ皿を持って退場。ジョン、雑誌を読み続ける。ペリー、立上る。ショウが読んでいた「マーキュリー」を寝台から取り上げ、テーブルの前に広げる。間。ペリー、少し読んで、新聞を床に投げつける。)
 ペリー(怒って。)何だ、これは!
 ジョン どうした?
 ペリー 全く、反吐が出る、これは。
 ジョン(疲れたように。)どうかしたか?
 ペリー(苦々しく。)「私は息子を捧げた」「イギリスの婦人達」「神と祖国」。君の親父さんが持っているんだろう? 何とかならないのか、君の力で。
 ジョン(微笑んで。)僕に何が出来る。
 ペリー 本当のことを話してやったらどうなんだ、親父さんに。
 ジョン 本当が何かぐらい、親父は知ってるよ。馬鹿じゃないからな。
 ペリー するとこれは、ただ金のためにやっているっていうのか。自分の父親が偽善者だっていうのか。
 ジョン そうだよ。
 ペリー 少しは親父さんのことを好いてやらないのか。
 ジョン 嫌だね、好くなんて。しかし、尊敬はしているよ。
 ペリー 尊敬? 何だそれは。
 ジョン 手に入れたいものは手に入れている。登山家としてはいい腕だ。
 ペリー 君のおふくろさんはどう思っているんだ、自分の夫のことを。
 ジョン もうその辺で止めておくんだな、ペリー。怒ったって始まらないよ、そんなこと。
 ペリー すまない。だけど、こういうのはどうも引っ掛かる。気になって仕方がないんだ。口先だけの調子のいい標語が国民の喉に押し込まれて行くのを見るのは。
 ジョン 需要が供給を作るんだ。一般大衆は、戦争を楽しまなきゃならない。楽しむと後ろめたいから、愛国心とキリスト教の神とで埋め合わせるんだ。本当に起っていることが何か、ほんの少しでも連中に分っていたら、そんな誤魔化しはやらないだろうけど。
 ペリー 一般大衆にそれが分る時が来るのかな。
 ジョン いつかはね。だけど、もっとずっとずっと後だ。全てが終った時だね、多分。
 ペリー(激しく。)いや、来ない、来ない。絶対分る時は来ない。この戦争に勝っても負けても、連中には分りっこない。戦争が終れば連中は雲霞(うんか)のように記念碑を作るんだ。名誉の戦死者の名簿、戦争に貢献した人物達の銅像・・・過ぎ去ってしまったことだ。立派に、栄光に満ちて見えるのさ。すると次の戦争がしたくなる。戦争の芽はどこから生えて来るか。まづ、クラブの老紳士だ。ああ、私が二十歳若かったら、と嘆くことから始まる。それから新聞の所有者。脂ぎった顔の金融業者、最後に英国の立派なご婦人達だ。自分の息子を、夫を、恋人を、そしてその写真までお国に捧げようという見上げたご婦人達。数年経てば戦争文学の勃興さ。猫も杓子も戦争の小説、戦争の芝居を書き、誰もがそれを読み、ひどく感激するんだ。ところがその中で、ある時、行き過ぎをやる奴が出て来る。そいつは本当の戦争のことを書き始める。そして牢屋にぶち込まれてしまうんだ。そいつの書くことは、神への冒涜、不道徳、大逆罪、裁判所に対する侮辱罪、それに無神論なんだからな。それからは栄光ある宗教的復興劇さ。一路アメリカ征服への戦争へとまっしぐら。イエス・キリストと正義に、心地よく守られてだ。
 ジョン(笑って。)なかないいいよ、ペリー。素晴らしい出来だ。
 ペリー 笑うな。僕は本気なんだ。笑うのは止めろ!
 ジョン(まだ笑って。)いや、可笑しくてね。
 ペリー 君は、心から可笑しいんじゃないんだ。心の底では僕と同じ・・・反吐が出そうだと思っているんだ。
 ジョン 違うね。少し違う。僕は君が今やった演説ほどイギリスがどうしようもないとは思っていないんだ。
 ペリー 僕が言っているのは、イギリスだけじゃない。この可哀相な人類全体のことを言ってるんだ。世界中どこを捜したって、希望などない。ここのこの状態を見れば分るさ。
 ジョン 違うね、それは。この戦争の時代にも、他の何ものにも代え難い素晴らしい瞬間がある。ほんの時々だけどね。
 ペリー(皮肉に。)キリスト教的価値だな? 君の言ってるのは。キリスト教的忍耐、精神の高貴さ、レイディー・スタグ・モーティマー!
 ジョン 馬鹿を言え。僕がどうしてそんなものに価値を置く。君が一番よく知っているじゃないか、僕がそんなものに価値を置かないのは。
 ペリー じゃ、何のことを言っているんだ。
 ジョン 僕よりも、それは君の方がよく知っている。君は詩人だろう?
 ペリー 昔はね。
 ジョン おいおい、今だって詩人なんだよ、君は。
 ペリー 僕は君が羨ましいよ。君には哲学的な物の見方がある。そこだよ、違いは。
 ジョン この状況だ。誰かが何かを学びとらなきゃならないんだ。
 ペリー 誰も何も学びとりはしないさ。学ぼうにも、対象が大き過ぎる。どこにもとっかかりはない。不毛だよ、これは。
 ジョン いや、分らない。何年も何年も先になるかもしれない。だけど、我々には分る時が来る。
 ペリー 君と僕二人の我々ならね。
 ジョン いや、僕の言った「我々」は僕ら二人のことじゃない。僕は神の目で見た「我々」のことを言っているんだ。
 ペリー それなら君が神で、雲の上から我々を見ているとしよう。アーミテッジのような男が大砲で引き裂かれ、苦しみの叫びを上げているのを見て、君は幸せなのか。彼の母親が、彼の死亡通知の電報を開く。その時の母親の顔を見て、全能の神である君は、心休まるのか。アーミテッジは一人息子だ、確か。先週我々が非番の時、彼の二十一歳の誕生日を祝ってやった。あれは楽しい夕べだった。覚えている筈だ。君もいたんだからな。
 ジョン うん、僕もいた。
 ペリー 死因は襲撃によるものでもないし、空襲でもない。何の栄光もない、ただの犬死にだ。
 ジョン(静かに。)いいかペリー、僕は君よりもここは長い。だから君が好もうと好むまいと、一つ忠告をしようと思う。そういう君の考えはただ君を破滅に導くだけだ。多分君は僕よりも血の気が多いんだろう。或は想像力がね。そして自分を抑制する力が僕より少ない。しかし、そんなことはどうでもいい。そういう考えは押し潰すんだ。潰して、蓋をして、どこかに仕舞って置くんだ。我々はここでは、個人的意見など持つ余裕はない。そんなに我々は強くないんだ。・・・我々には限らない。こんなところで個人的意見を持てる程強い奴など、どこにもいやしない。ここで考えられることと言ったら、精々が五つ六つだ。寝たい、暖かくしていたい、飯が食いたい、飲みたい、怪我は嫌だ。これだけ。これ以上は何もないんだ。
 ペリー 自ら動物に帰れと言うんだな?
 ジョン 自らじゃない。強制的にだ。
 ペリー もう君はあれで心を動かされることはなくなったのか? この今の瞬間じゃない。今この瞬間は、何もかもが穏やかだ。心動かされることもないだろう。だけど、あの突撃の最中、泥の中をもがきながら進む。そして人間の顔を踏み潰して進む。まだ死んでいない人間の顔だ。そいつが小さい叫び声を上げる。ほんの微かな叫び声だ。周囲は弾幕砲火の、物凄い響き。その雷の中でか細い叫びがはっきり君の耳に達する・・・
 ジョン その時にも大丈夫だ。やることが多過ぎる。考えている暇はない。
 ペリー じゃあ、その後はどうだ。突撃から塹壕へ引き返す。帰って来るだけがやっとだ。横たわっている奴の呻きも「水、水」と言う声も聞かない。塹壕に倒れ込む。助かった。その瞬間はどうだ。何か考えないか。考える時間はあるぞ。考えざるを得ないんじゃないのか。
(ペリー、この台詞の間に立上り、ジョンの寝台の所に行って立つ。)
 ジョン そこから何かが生れる筈だ。生れて来なければならないんだ。ここを乗り切って、生きて帰る奴がいれば、そいつは必ず何か一本筋の通った背骨を持っている筈だ。
 ペリー いや、駄目だね。そいつらは結局、新聞屋のおだてに乗るのが落ちさ。もしそうならない奴がいたら、イギリス中の人間に叩かれる。我々の国はキリスト教国なんだからな。
 ジョン 僕は待つね。じっと一箇所に留まって、待つ。立ち泳ぎしている時のようにね。
 ペリー まあ、じっと待っているんだな。そのうち砲弾で吹っ飛ばされるさ。そうして、何も見届けないで終るんだ。
 ジョン 分らないな。死ぬ直前の一秒間の間に、全部をさっと見てしまうような気がしているんだ。丁度麻酔にかかる時と同じようにね。何もかもがぼんやりしてきて、巨大な姿になって、それから突然、ほんの一秒の何百分の一の時間に、全てがはっきりする。ひょっとすると、この無限に短い一瞬という時間こそ、我々が本当に待ち望んでいるものなのかもしれない。
 ペリー(苛々と。)もしそうだとすれば、戦争ぐらい奨励されていいものはないことになるな。その大事な無限小の時間を一日に何千と提供しているんだからな。心休まることさ。
 ジョン うん。実に心休まる。実際、時間というものは奇妙なものだ。時間とは一体何か。この疑問に手掛りひとつ与えた人間はいない。ひょっとすると時間などないのかもしれない。ひょっとすると時間はぐるりと輪になっていて、過去と未来とは同じものなのかもしれない。この時間の流れがひっくり返ったことを想像すると、なかなか可笑しい。二十年後のことを思い出し、過ぎ去った先週の火曜日のことを待ち焦がれるなんて。
 ペリー 先週の火曜日のことを待ち焦がれる? 金輪際いやだね。もう僕はそれを生きて、過ぎてしまったんだぞ。
 ジョン 随分苛々しているんだな。誰に恨みがあるんだ。
 ペリー 神だな、多分。
(ベイブ・ロビンズ登場。心配そうにペリーを見る。)
 ベイブ ペリー!
 ペリー 何だ。
 ベイブ アーミテッジはどうしたんです。まだ手術は終らないんですか。
 ペリー(少しの間の後。)いや、手術は無駄だ。・・・あいつは死んだ。
 ベイブ ああ・・・
(間。ベイブ、じっと立ち竦(すく)む。)
 ペリー(間が悪そうに。)奴のことは心配しないでいい。痛みはなかったんだ。もう意識がなかったからな。(ジョンの方を鋭く見つめ、もう一度大きな声で。)意識はなかったんだ!
(ペリー、急に退場。)
(ベイブ、テーブルの傍に坐る。)
 ベイブ(沈黙を破って。疲れたように。)アーミテッジの母親宛に、今丁度手紙を書いたところなんです。重傷を負ったと。あのお母さん・・・優しい人だった・・・サマセットに家があるんだ・・・
 ジョン(立上りながら。)僕が君なら、ウイスキーをぐっとやるな。
(ジョン、テーブルに進み、マグカップにウイスキーを注ぎ、ベイブに渡す。)
 ベイブ(受取って。)有難うございます。(一息に飲み干す。)
(ジェナー登場。すんだ食器類を盆に載せる。)
 ジェナー(ベイブに。)当番からお帰りになった時、お茶をお出ししましょうか?
(ベイブ、答えない。ジョン、慌てて答える。)
 ジョン いい考えだ! 僕は今欲しい。出来るか? ジェナー。
 ジェナー はい、只今。
(ジェナー、盆を持って退場。)
(ジョン、本能的にベイブの両肩に片手を廻す。ベイブ、暫くじっと坐ったまま。それからゆっくりとジョンの手から逃げ、左手の自分の寝台へ進む。)
 ベイブ(言葉を発するのがやっと。)何も言わないで。お願いです。僕は泣き出したくない。みっともない真似をしたくない。あいつと僕とはサンドハーストで一緒だった。学校でも。ずーっと、ずーっと一緒だった。あいつが・・・あいつがもういないなんて・・・(やっとここまで言う。)
 ジョン(事務的に。)なあ、ベイブ。君は暫くここでじっとしていた方がいい。僕の当番は真夜中だ。当番を僕と交替しよう。今から僕は君の援護射撃隊に出て来る。君は十二時の僕の見回りの当番をやってくれ。十二時までじっとしていれば、少しは気分も収まる筈だ。
 ベイブ 有難うございます。すみません。ご心配をおかけして。
(ベイブ、ポケットの中を探る。ジョン、急いでテーブルから煙草の缶を手渡す。ベイブ、一本取り、火をつけ、煙を出す。ジョン、ベルト、ガスマスクと鉄かぶとをつける。)
 ジョン 懐中電灯を頼む。僕のはショウが持って行ったらしい。
 ベイブ(懐中電灯を渡す。少し微笑んで。)はい。
 ジョン 有難う。じゃあ。
(ジョン、出ようとするとティリー登場。ジョン、静かにティリーに言う。)
 ジョン ボッブ、(ベイブを指さして。)ベイブの奴、ちょっとアーミテッジのことでまいっているんです。あいつの当番の援護射撃は私が代ってやります。十二時の私の当番はあいつがやりますから。
 ティリー 分った。
 ジョン じゃあ。
(ティリー、テーブルにつく。ポケットから沢山メモ書きした紙を取出し、鉛筆でチェックし始める。ベイブの方に一二度目をやる。)
 ティリー まだ壜にポートワインが残っているぞ、ベイブ。少し飲まないか。
 ベイブ いえ、いいです。
(ペリー、再び登場。ベルト、ガスマスク等をつける。時計を見る。)
 ペリー 私は九時五分前ですね?
 ティリー(ペリーを見て。)そうだ。据え付けは今夜で終えてくれ。据え付けを昼間にやるのはどうしても避けたい。 ペリー この三日間、夜中は静かでした。窪地からの機関銃もこのところ鳴っていません。もし今夜もこの調子なら、二三時間で終る筈です。
 ティリー そうか。私も暫くして行く。
(急に機関銃の音。五六発弾丸が、小屋の天井にあたる。)
 ティリー(パッと立上って。)糞っ! 架線工事の連中が危ない。
(また一斉射撃の音。ティリーとペリー、立上ったまま、その音を聞く。)
 ペリー 探照灯に見つけられたぞ、あいつら。
 ティリー 私は見てくる。
(二人、扉の方へ進む。メイスィー伍長、飛び込んで来る。)
 メイスィー ミスター・ケイヴァンがやられました。丁度塹壕から出る瞬間でした。
 ティリー 他には。
 メイスィー いません。
 ティリー ここに運ぶんだ。早く!
 メイスィー はい。
(メイスィー退場。)
(ジェナー、紅茶を持って登場。)
 ティリー ジェナー!
 ジェナー はい。
 ティリー 担架と運搬員二人。すぐに。
 ジェナー はい。
(ジェナー、テーブルに紅茶を置き、急いで退場。)
(ペリー、下手の寝台の上から、紙や雑誌を投げ捨て、近くにある袋で枕を作る。二人の男、ジョンを運んで登場。寝台の上にのせる。ベイブ、パッと立上る。)
 ベイブ(金切り声を出す。)どうしたんです。何が起ったんです。
 ティリー 静かに。・・・水だ。・・・水を。早く!
(ティリー、ジョンを注意深く見る。ベイブ、マグカップに水を入れて持って来る。ティリー、それを受取り、膝まづき、ジョンの頭を持ち上げ、唇に水を入れようとする。ベイブ、少し離れたところに立ち、それを見る。両手が激しく震える。)
 ベイブ(啜り泣きながら。)僕が悪いんだ。僕がいけなかったんだ。僕の代りに当番に出て。僕がやらなきゃいけなかったんだ。(テーブルに縋ってくづおれる。)
 ティリー 静かにするんだ。・・・おい! 黙るんだ!
 ジョン(目を開ける。微笑む。やっとのことで口を開く。)ペリー、僕は分るぞ。・・・僕が正しいんだ。賭けてもいい。僕が正しい。・・・分るぞ・・・すぐに。
(運搬員二人、担架を運んで、登場。その間に暗くなる。全くの暗闇。遠くの方で大砲の響き。)
                     (幕)

     第 二 場
(ケントにあるサー・ジェイムズ・ケイヴァンの家。一九三0年春。およそ午後九時。レイディー・ケイヴァンの寝室。居心地よく、魅力的な装飾。窓からの景色は大変素晴らしい。まづ小高い森、次ぎにロムニーの沼、その向こうに海が見える。)
(レイディー・ケイヴァンが窓の傍のブリッジ・テーブルに坐って、キャンフィールド・ペイシェンス(トランプの一人遊び)をやっている。上品な、年輩の女性。黄昏は早く進み、時々トランプの手を止め、暮れて行く窓外を見る。幕が上って、暫くして静かにジョン登場。軍服姿。第一幕と全く同じ様子。登場と同時に、遠くの方で微かに大砲の音が聞こえる。探照灯らしい光が部屋に走る。ブリッジ・テーブルのレイディー・ケイヴァンの正面に立つ。レイディー・ケイヴァン、ジョンを見てゆっくりとトランプをテーブルの上に置く。)
 レイディー・ケイヴァン(囁き声で。)ジョニー。
 ジョン 今晩は、お母さん。
 レイディー・ケイヴァン 小さい声で話すわ。でないとあなた、消えてしまうでしょう?
 ジョン 僕は消えない。僕、ちょっとだけ来たんだ。
(レイディー・ケイヴァン、両手を広げる。ジョン、テーブルを回り、母親の椅子の傍の床に膝まづく。レイディー・ケイヴァン、しっかりとジョンを抱きしめ、暫く静かにじっとそのままの状態。)
 レイディー・ケイヴァン これは夢ではないわ。私、目が覚めているもの。
 ジョン どうもまだ完全に抜け出てはいないらしい。まだ大砲の音が聞こえる。(突然蹲(うずくま)って腹を抑える。)ああ!
 レイディー・ケイヴァン(囁く。)酷く痛むの? ジョン。
 ジョン ほんのちょっと・・・すぐなくなります。
 レイディー・ケイヴァン じっとしているのよ。暫くじっと。
 ジョン ああ、お母さん!
 レイディー・ケイヴァン テーブルのランプをつけていいかしら。暗くてあなたがよく見えないの。でも、あかりをつけても大丈夫?
(ジョン、手を伸ばそうとする。)
 レイディー・ケイヴァン 動かないで。私、左手で出来ます。
(テーブルの上の小さなランプをつける。)
 レイディー・ケイヴァン さあ、これでよくなったわ。
 ジョン(微笑んで。)うん、ずっといい。(また少し痛そうな動作。)
 レイディー・ケイヴァン 具合が悪いの?
 ジョン ええ、少し。
 レイディー・ケイヴァン 黙っていなくなるなんてこと、ならないわね? 約束して。そうしたら、手を放します。
 ジョン うん、約束する。(ジョン、母親にキス。)
(ジョン、立上り、テーブルの母親と反対側に坐る。)
 ジョン 懐かしい。キャンフィールドの一人遊びか。(母親のところにあるトランプに手を伸ばし、掴む。)
 レイディー・ケイヴァン 昨日、みんな開けたわ。
 ジョン インチキなしに?
 レイディー・ケイヴァン(頭を振って。)そう、インチキなしで。
 ジョン(窓から外を見て。)何て静かだ。いい景色だ。
 レイディー・ケイヴァン(声がつまる。)ああ、ジョン。あなた、あの時・・・痛かった? ひどく痛かった?
 ジョン いいえ・・・殆ど何も感じなくて・・・
 レイディー・ケイヴァン あまり痛くはないんだって、よく話しているけど、そんな暇がないほど速いんだって・・・でも、本当かどうかは分らないから。
 ジョン ああ、そのことはもう考えないで。
 レイディー・ケイヴァン ええ。でも、しようがないわね。つい考えてしまう、少しは。今みたいに。(急に両手をテーブルの上に置き、その上に頭を置き、泣き始める。)
 ジョン(母親の髪を撫でながら。)お母さん、お願いだ。・・・どうか、止めて。
 レイディー・ケイヴァン(声を出すのがやっと。)私って馬鹿。馬鹿な女。こんなに大事な時間なのに・・・
 ジョン 時間は大丈夫なんだ。本当に時間は気にすることない。・・・ね、泣かないで。
 レイディー・ケイヴァン 私、泣いていないの。もう何年も前、あなたが死んだと聞いて、胸の中がどうかなってしまったように、疼(うづ)いて・・・その時にも泣けなかった。泣けば楽になると思ったけれど、どうしても駄目だった。それから後、何年も何年も、やはり泣くことが出来なかった。そして今・・・何てこと。何でもないことに・・・(頭を上げる。椅子の背凭(もた)れに背中をつけて。)ああ、ジョニー、何て疲れた顔!
 ジョン 僕達はみんな、誰でも疲れた顔をしているよ、残念ながら。
 レイディー・ケイヴァン どうしてもっと早く来なかったの?
 ジョン(驚いて。)もっと早く? でも僕は、たった今さっき、撃たれたばかりなんだ。
 レイディー・ケイヴァン 十三年前なの。
 ジョン(信じられない。)えっ?
 レイディー・ケイヴァン 知らなかったの?
 ジョン お母さんがちょっと更(ふ)けたなあと思ったんだけど。何故だろうと思って・・・
 レイディー・ケイヴァン 去年、殆ど死ぬところだったの。あの時は死ねなくて残念って思ったわ。でも今は違う。こうやって来てくれて・・・あなたが見られなかったかもしれないもの。
 ジョン(ぐっと胸を打たれて。)ああ、会えなかったら・・・それは駄目だ・・・(母親の手を再び強く握る。)
 レイディー・ケイヴァン 二人がまたどこかで会うのは確かなことだけどね。
 ジョン 十三年・・・すると・・・すると今は・・・
 レイディー・ケイヴァン 一九三0年よ。
 ジョン この今が、一九三0年。奇妙だなあ。今まで僕はどこにいたんだろう。
 レイディー・ケイヴァン 全然覚えていないの?
 ジョン うん。全く何も・・・ベイブと当番を代ってやったんだ。ベイブはアーミテッジの死で、気が動転していたから。僕は援護射撃の連中と一緒に、胸壁を越えた。越えた時は非常に静かだった。それから急に探照灯が照って、バリバリっと。僕は倒れて起き上がれなかった。・・・ペリーが僕の顔を覗きこんだのを覚えている。あれはバリバリの音から暫く経ってからだ、きっと。塹壕の中に戻されたんだ。・・・ペリー・・・ああ、ペリーの顔が見える・・・
 レイディー・ケイヴァン(ジョンの両手を掴んで。)いいえ、いいえ、ジョン・・・まだ、まだ行かないで。・・・もう少しいて。まだ、もう少し。お願い。
 ジョン(自然な声で。)大丈夫だよ、お母さん・・・心配しないで。
 レイディー・ケイヴァン こちらからはもう訊かない。・・・思い出さないようにして・・・そちらから質問して頂戴。私が答えるわ。何でも、普通のありきたりのことを訊いて。どこもかしこも大変な変りようよ。ロンドンは全く別の町。リージェント通り、パーク・レーン。どこの町かと思うぐらい。アメリカには簡単に電話出来る。あなたのお父さんは、自分の事務所からしょっ中かけている。まるでアメリカが隣の部屋にあるような感じよ。
 ジョン お父さん・・・今どこ?
 レイディー・ケイヴァン ロンドンよ。週末になるとこちらに帰って来る・・・
 ジョン 相変らず「マーキュリー」?
 レイディー・ケイヴァン そう。
 ジョン やれやれ。
 レイディー・ケイヴァン 一日に百万部は出るわね。
 ジョン お父さん、変らない?
 レイディー・ケイヴァン 前より肥ったわ。
 ジョン それで、相変らず・・・以前と同じように・・・?
 レイディー・ケイヴァン ええ。今はヴィオラ・ブレイク。
 ジョン 誰? その女。
 レイディー・ケイヴァン 映画女優。綺麗な人。それに社交的。自分の名前をヴィオーラって発音するの。
 ジョン 髭剃りクリームだね、まるで。
 レイディー・ケイヴァン 撮影で、ここに来たことがあるわ。監督、カメラマン・・・大変な人数。ヴィオラは顔を黄色に染めて、庭中を走り回って・・・あれが映画なのね。
(二人、笑う。)
 ジョン 嫌な気分だった?
 レイディー・ケイヴァン いいえ。面白かったわ。
(間。)
 ジョン(静かに。)モニカはどうした?
 レイディー・ケイヴァン(素早く。)あの子は結婚したわ。ハリエットも。ストークスという名前の人と。作家よ。背の小さい・・・でも素敵な人。勿論ハリエットの尻に敷かれているけど。何でも主導権を取らなきゃ気がすまない子だったものね、ハリエットは。あなたが小さい頃から。
 ジョン(考えながら。)うん。
 レイディー・ケイヴァン それからあと、クリスチャン・サイエンティストに入ったの、あの子。そのために少しきつくなったわ。でも、自分ではこの宗派、随分気に入っている様子。子供は一人。可哀相な子供。
 ジョン いくつ? 今、ハリエットは。
 レイディー・ケイヴァン 四十二。
 ジョン すると僕は今四十か。
 レイディー・ケイヴァン 駄目。あなたは違うの。それを考えるのはよしましょう。
 ジョン(母親の手を軽く叩いて。)怖がらなくてもいいんだよ。大丈夫、消えないから。さっきモニカは結婚したって言ったね?
 レイディー・ケイヴァン ええ。玉の腰。
 ジョン 誰? 相手は。
 レイディー・ケイヴァン バースィー・チェラートン。
 ジョン えっ!
(間。)
 ジョン モニカは幸せに?
 レイディー・ケイヴァン そう思うけど。もう何年も会っていないから。雑誌のグラビアでは顔を見ることはあるけれど。
 ジョン(頭を垂れて。)幸せでいればいいけど・・・
 レイディー・ケイヴァン あの子のことを考えるのは止めて、ジョン。素敵な人生を送っているようよ。歓楽と刺激の人生。
 ジョン どうしても心配になってしまう。僕はまだあの女に恋しているんだ。ねえお母さん、僕は恋から覚める時間なんかなかったんだよ。
 レイディー・ケイヴァン(悲しそうに。)ええ。
 ジョン モニカのこと、お母さんは好きじゃなかったんだね?
 レイディー・ケイヴァン 好きになろうと努めたわ、ジョニー。あなたのために。
 ジョン うん、それは分ってた。
 レイディー・ケイヴァン あの子はあなたの足元にも及ばない女・・・私はいつもそう思っていたわ。
 ジョン 母親って、みんなそう思うんじゃないかな。
 レイディー・ケイヴァン そうね。
 ジョン 仕方がないことなんだ、きっと。そのつもりはないんだけど、結局嫉妬なんだよ。
 レイディー・ケイヴァン そうね。
 ジョン バースィー・チェラートンと結婚か。実物のバースィーを見たことはない筈だな。いい奴なの?
 レイディー・ケイヴァン 楽しそうな人に見えるわ。
 ジョン モニカ・・・悲しんだ? 十三年前・・・
 レイディー・ケイヴァン とても優しい手紙をくれたわ。
 ジョン それはよかった。いつだったの?・・・結婚は。
 レイディー・ケイヴァン 一九二0年。
 ジョン 十年前?
 レイディー・ケイヴァン そう。
 ジョン 少しは待ってくれていたのか。嬉しいな。会ってみたいな、とても。
 レイディー・ケイヴァン いいえ。会うのは駄目。
 ジョン いや、お母さん。会わなくちゃ、いつかは。その二人、今も愛しあっているの?
 レイディー・ケイヴァン そうでしょう。一緒にオペラに行ったり・・・タトラーによればの話ですけど。(ジョンから目を逸らす。)
 ジョン(急に。)いけなかった、僕が。ご免なさい。もうモニカのことは話さないから。
 レイディー・ケイヴァン そうね。その方がいいわ。私、嫉妬しているの、本当は。私にはあなたしかいない。昔からあなたしかいなかったから。ハリエットはあなたほど大切じゃなかった。そして今のこの瞬間、この生と死の間の、奇妙な瞬間に、もしあなたの心の全部が私の方を向いていないとしても・・・どうかそれは私には知らせないで。お願い。
(レイディー・ケイヴァン、微笑もうとする。が、うまくいかない。)
 ジョン ご免なさい。悲しませて。
 レイディー・ケイヴァン いいのよ。私がいけないの。
 ジョン 僕はお母さんを愛している。心の一番深いところで。いつでも。
(ジョン、立上り、部屋を歩き回る。レイディー・ケイヴァン、それを見ている。ジョン、ある絵の前に立ち止まる。)
 ジョン この間、この絵のことを急に思い出したんだ。あの襲撃を受ける直前に。奇妙なことだね? 誰かが僕の目の前に、この絵を持って立っているようにはっきり見えたんだ。
 レイディー・ケイヴァン その絵が好きだったわ、あなたは。本当に小さい時から。
 ジョン そんなに良い絵じゃないんでしょう? これ。
 レイディー・ケイヴァン リリアン叔母さんが、まだ小さかった時に描いた絵。私もそれがとても綺麗な絵だと思って育ったの。ひどく素人くさい絵なのね、本当は。
 ジョン 羊が少しいびつに見える。でも、それを除けばいい絵だよ。
 レイディー・ケイヴァン 羊は難しいのね。
(ジョン、ベッドの傍のテーブルから本を取り上げる。)
 ジョン(びっくりして眺める。)「死後に」・・・ペリー・ローマス・・・ペリー・ローマスか。
 レイディー・ケイヴァン(立上って。)元に戻して、ジョン。その本は・・・開けないで・・・戻して頂戴。(ジョンに近づき、本を取り上げる。)
 ジョン それ、新しい本?
 レイディー・ケイヴァン ええ・・・発行されたばかり。
 ジョン ペリー! そうか。生きて帰れたんだ、あいつは。
 レイディー・ケイヴァン 私に送って来たの。あなたが喜ぶかもしれないからって。手紙も一緒に。どこかにある筈。厳しい本よ。それに、とても悲しい本。
 ジョン 戦争の話?
 レイディー・ケイヴァン ええ、大抵は。これが出て、イギリス中が騒いだの。公共の場所で焼き払われるだろうっていう噂も出たわ。
 ジョン 焼き払う? どうして。
 レイディー・ケイヴァン 神への冒涜、国家への反逆、扇動、不道徳・・・その他いろんなことを言われて。
 ジョン 誰に。
 レイディー・ケイヴァン 新聞。
 ジョン マーキュリーが?
 レイディー・ケイヴァン ええ。先頭に立って書き立てたのがマーキュリー。アルフレッド・ギロウが一面に、激しい抗議文を書いたわ。今この人、経済欄の編集長で、とても重要人物。
 ジョン お父さんの秘書だった、あのいつもペコペコしていた、下劣な男?
 レイディー・ケイヴァン ええ。
 ジョン で、お母さんの感想は?
 レイディー・ケイヴァン とても読んでいられないの、いたましくて。きっとあなたのせいね。今は何百って戦争の本が出ている。流行なの。忘れっぽい人達にはきっといいことなのね。
 ジョン だけどペリーの本を焼くなんて、そんな馬鹿なことは出来ないでしょう? たかがマーキュリーみたいな三文新聞が攻撃したからと言って。
 レイディー・ケイヴァン マーキュリーは今はとても強いの。
 ジョン そうか。じゃ、ペリーはやったんだ。そう。誰かはやらなくちゃいけないと彼は言っていた。僕に見せて、お母さん。僕は読んでみたい。
 レイディー・ケイヴァン 駄目。読んではいけない。読んで何になるの。
 ジョン それにお父さんにも会わなくちゃ。
 レイディー・ケイヴァン 会っても何にもならないわ。あの人、善かろうと悪かろうと、そんなことどうでもいいの。ただ記事になりさえすれば。
 ジョン さ、見せて。
 レイディー・ケイヴァン 分ったわ。さ。
(ジョン、本を受取って、適当な場所を開く。)
 ジョン 読む前から知っている事柄のような気がする。ペリーは今どこ? ロンドン?
 レイディー・ケイヴァン ええ。(思いに沈んだ微笑。)ペリーにも会うのね? あなた。
 ジョン ええ。彼だけじゃない。みんなに会わなくちゃ。何が起っているのか見なきゃいけないんだ。
 レイディー・ケイヴァン(哀願するように。)起っていることなら私がみんな教えられるわ。私と静かにここに留まっていて。他の誰よりも上手に、あなたに教えて上げられるわ、私。
 ジョン 僕はここに来たのはそのためなんだ・・・何かを見つけるためなんだ。
 レイディー・ケイヴァン(ジョンを支えて。哀願するように。)ねえ、聞いてジョン・・・ジョニー。よく私を見て。この世で見つける価値のあるものは、唯一つしかないの。ただの一瞬でしかないかもしれないけれど。掴み取る価値のあるものは唯一つよ。それはこの部屋の、ここ。あなたと私がここにいる。この瞬間だけ。分らないの? あなた。私、あなたにもう、これ以上傷ついて貰いたくないの。ここに留まって。何でも訊いて頂戴、この私に。私は答えられる、どんな事柄を出されても。私はそこから真実を引き出してみせる。それをする時に私の胸が張り裂けるようでも。だからここにいて。私から去って行かないで・・・
 ジョン それは違うんだ、お母さん。僕が自分で見なきゃならないんだ。そして僕が強くさえあれば、一秒の十分の一、いや、百分の一でだって、真実を見てとることが出来るんだ。強くさえあれば。そして僕は強い。だからこそ今、こういうことが起っている。だからこそ僕は、ここにいるんだ。僕はやらなきゃならない。たとえ失敗するとしても。ねえお母さん、僕を行かせて。お願いだ!
 レイディー・ケイヴァン 駄目。駄目。駄目。
 ジョン 最後にこの世から去る前には、また必ず戻って来ます。約束する。それは誓います。
 レイディー・ケイヴァン そうじゃないの。ええ、今はもう、行ってもいいわ。さよならを言って出て行って、ジョン。でも、その時決して私を見ないで・・・
 ジョン(母親を奇妙な顔をして眺めて。)失ったものが多いんだね? お母さんは。
 レイディー・ケイヴァン そう。何もかも。あなただけ、失っていないものは。
 ジョン 何もかも? 今まで信じていたもの全て?
 レイディー・ケイヴァン そう。信じる対象を新しく捜すには、もう年をとり過ぎ。それに、今までのものは全てなくなったの、綺麗さっぱり。
 ジョン 神も?
 レイディー・ケイヴァン 誰の神? いろんな神があるわ。どれもこれも、神なんてみんな茶番。
 ジョン 生きる力、善への努力。何かはあるんじゃないかな。
 レイディー・ケイヴァン 死への力、悪への努力。何もないわ。どれもこれも空虚なもの。
 ジョン さっき「私はそこから真実を引きだしてみせる」って言ったばかりですよ。じゃ、今のこれ・・・僕と二人のこれ・・・は何なのです?
 レイディー・ケイヴァン 淡い小さな火花。永久の虚無に光一瞬のまたたき。それが何なの?
 ジョン だからそれこそが大事なんです。それこそが。
 レイディー・ケイヴァン じゃ、いて。お願い。もう時間はあまり残っていない。私は淋しいの。
 ジョン 僕は帰って来ます。でも、今は行かなきゃ。
 レイディー・ケイヴァン(必死に。)お願い! お願い!
 ジョン(母親を腕の中にしっかりと抱く。顔がジョンの上衣の中に隠れる。ジョン、非常に優しく話す。)ね、お母さん、聞いて。本当はお母さんには分っているんだ。勇気が出ないのは、疲れているから。ただそれだけなんだ。戦場で僕もそうだった。勇気を持とうと思う。でも、自分の力ではどうしようもない。自分の外からの巨大で恐ろしい力が必要だ。そう思ってしまう。しかし違うんだ。一旦動き始めたらたいしたことはないんだ。ねえお母さん、心を鬼にして僕を行かせてくれなきゃ。僕は戦争を知っている。辛くて厳しいものだ。恐怖に次ぐ恐怖。それが発狂寸前にまで迫って来る。戦争美談の生まれる生きた瞬間もある。しかしそれは、苦しみの恐ろしく長い時間に較べれば、計算には入らない。僕は今は、平和について知らなければならない。あんなに沢山失うことによって、僕達は少なくとも何かを得ることが出来たのか、それともペリーが言っていたように、何も生みはしない、単なる盲目の空虚があるのみなのか。戦争から生き残って帰った連中が、昔の幻影に立ち戻って、ただ腐って行くだけなのか。ぬくぬくと偽の安全の中に収まっているだけなのか。着古したキリスト伝説の薄っぺらな神秘主義で、あの戦争の記憶を消し去っているだけなのか。それとも勇気をもってあの戦争を思い出し、新しいもの、今までとは全く違う何かを打ちだしているのか。僕は自分でそれを知らなければ。僕は今、時間を越えてここにやって来ている。僕の時間は限られている。そして、どうしてもそれが知りたい。分って下さいますね? お母さん。
 レイディー・ケイヴァン ええ、分るわ、ジョン。でもお願い。必ず帰って来て。あなた、約束したのよ。
 ジョン 帰って来ますよ。誓います。
(二人、軽く抱擁。一瞬明るい強い探照灯の光が照らしたかのように、照明が当たる。遠くで微かな大砲の音。光が薄れて行くと、レイディー・ケイヴァンが言う。)
 レイディー・ケイヴァン 気をつけてね、ジョニー。
(だんだん暗くなって行く。それにつれて、ジョンの身体が母親から離れ、影の中に消えて行く。一瞬完全な闇。それから暁が庭に、そして部屋に戻る。レイディー・ケイヴァン、窓の傍のテーブルについている。片手にトランプを持ち、その中から一枚を取り、考えながらそれを、テーブルに並べてあるトランプの中の一つに置く。その時・・・)
                   (幕)

     第 三 場
(マウント街のチェラートンの家。場はモニカの居間。超現代風の調度品。少し行き過ぎの気味あり。)
(幕が上るとモニカ、ソファに寝ころんでいる。ちょっと奇妙なパジャマ姿。この時代には、このパジャマは、ティー・ガウンにも、ネグリジェにも使えるものであった。読んでいる雑誌はヴォーグ。煙草を吸い、パナトロープ商標の電気蓄音機を聞いている。これは最新式のもので、レコードが十二枚連続して聞くことが出来る。モニカは正確には美人と言える顔ではない。可愛いくもない。しかし、溌溂としている。非常に機知に富んでいるという評判。彼女の開くパーティーはいつも成功。ジョン、ソファから少し下ったところに立っている。モニカはまだジョンに気づいていない。本を読んでいる。ジョン、ゆっくりとソファの足元に近づく。)
 ジョン やあ、モニカ。
 モニカ(見上げて。)まあ!
 ジョン 驚かないで。お願いだ。
 モニカ(目を丸くする。じっとジョンを見て。)ジョン?
 ジョン うん。少しだけ帰って来たんだ。
 モニカ(目を開けたり閉じたりして。)私、とうとう気が狂ったわ!
 ジョン(不思議そうに。)君は変ったね。・・・酷く変った。
 モニカ これ・・・夢?
 ジョン 夢・・・ではないんだけど、僕には分らない。君にはそうなのかもしれない。
 モニカ 夢でなかったら、何なの?
 ジョン 例えば、魔法か何か。
 モニカ(元気を取り戻そうとしながら。)何なのかしら。分らないわ。
 ジョン 僕に会えて嬉しい? 君。
 モニカ 分らないわ。ショックが強過ぎ。・・・(声が柔らかくなって。)ええ、勿論。会えて嬉しいわ、ジョン。
(おづおづと手を差し伸べる。ジョン、それを掴む。モニカ、すぐ手を引っ込める。)
 ジョン 怖がらないで欲しいな。
 モニカ 怖がってはいないわ。本当。怖いんじゃないの。でも、分るでしょう? これ。私には大変なことよ。
 ジョン そうだろうな。
 モニカ あの厭な戦争の本の読み過ぎ。それが神経に来たんだわ。目が覚めたら私、アスピリンを飲む。それにしてもいつ眠ったのかしら。覚えてないわ。夕食は終っている筈・・・そうね?
 ジョン うん。(自分の時計を見る。)丁度九時だ。
 モニカ あなたは食事終った?
 ジョン うん、ちょっと前に。
 モニカ 酷く疲れた顔だわ。何か飲み物は如何?(笑う。)あらまあ、幽霊に飲み物を勧めたりして、私。
 ジョン 僕はまだ、本格的な幽霊じゃないんだ。そう、ブランデーを貰うよ。
(モニカ、立上り、呼鈴のところへ行く。ジョンから目を離さない。)
 モニカ(呼鈴を押して。)坐って、ジョン。そうそう、あなた、坐れるの?
 ジョン まづ、その音楽を止(と)めてくれないかな。
 モニカ あら、鳴っているの、気がつかなかった。(電蓄を止める。)
 ジョン その電蓄、放っておくと何時までも鳴ってるの?
 モニカ ええ、まあ。
(ジョン、電蓄の傍に行く。)
 モニカ ほら、見て。あの腕がパチンパチンと行ったり来たりしているでしょう? 恐ろしいでしょう?
 ジョン あれでネジが回るのか。人間がやる必要がない。いい考えだ。
 モニカ 便利はいいわ。でも、なんだか怖い。そうでしょう? 今は何でも恐ろしくなっているの。私、尼寺に行こうかって、本気で考えているの。
(二三日前、友人達との晩餐会で言った台詞。ジョンは微かに微笑む。他のことを考えている様子。)
 ジョン ああ、モニカ・・・(坐る。)
 モニカ(自分の冗談が否定されたと感じている。)どうしたの?
 ジョン いや、何でもない。
 モニカ 煙草は?(箱を差し出す。)
 ジョン(一本取りながら、じっとモニカを見る。)うん、有難う。
(モニカ、火をつけてやる。その時執事のドレイク登場。)
 ドレイク お呼びですか? 奥様。
 モニカ ええ。ブランデーを。(ジョンに。)コービーは?
 ジョン いや、いらない。
 モニカ(ドレイクに。)じゃ、ブランデーだけ。
 ドレイク 畏まりました。
(ドレイク退場。)
 モニカ(会話の継続のために。)あれはドレイク。素敵でしょう?
 ジョン(微笑む。)大変素敵だ。
 モニカ 友達と外で食事をしていた時、あの人が立派な車を運転してイートン・スクエアーを通って行ったの。そうしたら、エッジーが言ったわ。「ドレイク西に行く、の図だな、諸君」って。エッジーって可笑しな人。きっとあなた、好きになるわ、エッジーのこと。
 ジョン 誰? エッジーって。
 モニカ エッジー・ブレイス。ヴェリロウ卿の子供。でも、落ちぶれた。可愛いの。楽しい人よ。あなたのお父さんの取り巻きの一人。マーキュリーに辛辣なコラムを書いているわ。昔会ったことがある筈よ、あなたも。いつだってあなたのお父さんと一緒だもの。
 ジョン 父には僕は、まだ会っていない。
 モニカ 素敵なジャンボ! 特にナポレオンみたいに意気揚々としている時・・・面白いわ。
 ジョン ああ、思い出した。メイズィー・ロリマーが父のことをよく「ジャンボ」と呼んでいた。
 モニカ(驚いて。)メイズィー・ロリマー! まあ、あの人、もうずっと前に亡くなっているのよ。どこかから落ちたか何かで。
 ジョン 十三年か! いろんなことが起きるものだ。
 モニカ(急いで。)エッジーにはすぐ会えるわ。キティー・ハリスと二人で私を迎えに、今やって来るの。フリドランダー家のパーティーに行くの。あの陰気なパーティー。(間。)キティーとエッジー、あなたのこと見えるかしら。勿論私がまだ夢を見ているとしての話だけど。
 ジョン うん、見えるだろうな。さっきドレイクもちゃんと僕が見えただろう?
 モニカ ドレイクで決めようったって無理よ。あの人の礼儀正しさ、完璧だもの。イエスの洗礼者ヨハネが頭を切られた姿で電蓄を廻していても、眉一つ動かさないでしょうからね。グラスをいくつ持って来るか、それが見物(みもの)よ。
(ジョン、笑う。ドレイク登場。盆の上にデカンター、それに大きなグラス二個。ブランデーを一つのグラスに注ぎ、モニカに渡し、もう一つのグラスに注ぎ、ジョンに渡す。)
 ジョン 有難う。
(ドレイク退場。)
 モニカ あーら、見えるのは見えたのね。きっと仮装舞踏会か何かに行くんだと思ったのよ、あの人。
 ジョン モニカ!
 モニカ 何? ジョン。
 ジョン もう止めるんだ。
 モニカ どういう意味?
 ジョン 話すことは山ほどある。僕らはまだ何一つ話していない。
 モニカ(後ろを向いて。)何を言っているのか、分らないわ。
 ジョン いや、分っている。ちゃんと心の中では分っているんだ。そんなに君が変っている訳がない。
 モニカ 今のこの私を否定しようとしているのね? あなた。(笑う。)
 ジョン 僕はまだ君を見ていないんだ。
 モニカ 生意気よジョン、その言い方。
 ジョン やっても無駄なのか。
 モニカ 何のこと? 何をやるっていうの?
 ジョン 君は今いくつ?
 モニカ 三十三。立派にやっているわ。
 ジョン 僕は君を、昔の君として眺めている。そして、今のその君に、昔の君を結びつけようとしているんだ。
 モニカ これはあまり嬉しくない夢だわ。
 ジョン 僕を締め出さないで。これはひどく大事なことなんだ。それに時間はあまりない。
 モニカ 締め出そうなんてしてないわ。あなたに会えて嬉しいんだもの。それはさっきも言ったでしょう?
 ジョン 君、子供は?
 モニカ いないわ。
 ジョン 残念だ。
 モニカ 何故? 持つべきだと思って?
 ジョン いや、君がいらないならいいんだ。
 モニカ 私、子供は苦手なの。嫌いっていうんじゃないわ。好きよ、本当は。特に、楽しくて素敵な子なら。
 ジョン そして自分の子でなければ?
 モニカ ええ、その通り。例えばヴァイオレット・ファーレイの子供。あの子達私のことが好きなの。私となら何時間でも遊んでいるわ。週末が来るのが待ち遠しいみたい。いつも私が行って遊んでやるから。でも、母親としての私は駄目ね。
 ジョン なるほど。
 モニカ その「なるほど」は、認めていない「なるほど」ね。ヴィクトリア朝の目だもの、それ。
 ジョン 僕らが結婚していたら、子供が生れていたかな?
 モニカ(優しい声になって。)あなた、本当に私のことが好きだった・・・そうね?
 ジョン うん。
 モニカ 可哀相に・・・ジョン!
 ジョン 君も僕が好きだった・・・そうだろう?
 モニカ そうよ、勿論。あなたもよく知っていること。でもこれ、昔のこと。随分昔の。(声が少し大きくなって。)そうでしょう?
 ジョン 君にとってはね。
 モニカ どういうこと?・・・あなたはまだ・・・今でも?
 ジョン そうらしいね。
 モニカ そう。
(一瞬沈黙。)
 ジョン 僕、来たりして、馬鹿だった。
 モニカ 私、なんだか、泣きたいような気持。
(モニカ、急に立上り、窓の方へ行く。)
 ジョン 泣くことなんかないよ、何も。
 モニカ さあ、どうかしら・・・
 ジョン モニカ!
(モニカ、答えない。)
 ジョン モニカ!
 モニカ(後ろを向いて。)話しかけないで。お願い。目が覚めて欲しいの、私。夢から覚めたいの。
 ジョン 僕は行く。(立上る。)君を怒らせたくはないんだ。
 モニカ ジョン・・・行かないで・・・ね!
(扉が開き、キティー・ハリスとエッジー・ブレイス登場。キティーは若くて綺麗。それに調和して馬鹿。エッジーは真ん丸な顔。少し吃り。洒落た事を言う時にはこの吃る癖は全然出ないのだが、つまらない事を言う時にはひどく出てくる。)
 キティー モニカ! あなた、まだ着替えもしていない。全然用意してないのね。(ジョンを見て。)おお!
 モニカ(機械的な喋り方。)キティー、こちら、ジョン・ケイヴァン・・・レイディー・キャサリン・ハリス・・・ロード・ブレイス・・・
 キティー(ジョンと握手。ぼんやりと。)始めまして。
 エッジー 始めまして!(そしてモニカに。)ジャンボがね、今日は張り切っているんだ。いつもの大集会を開いて、大僧正や司祭達、その他お偉方に一席ぶったんだ。内相に進言してローマスの本の販売禁止を要求することになったよ。この本を広場に集めて焼くんだ。ジ・・・ジ・・・ジャンヌ・ダークみたいにね。マーキュリー出版は嬉しくて嬉しくて、ハラハラドキドキ。まるでショ・・・ショ・・・処女の花嫁さ。ローマスの奴は可哀相だが、まあ大丈夫だ。この本、僕は自分では読んでいないんだけど、この様子から判断すると酷いものらしいな・・・
 キティー 私、読んだわ。すっばらしい本よ! この騒ぎが起る前にハッチャーズで見つけたの。今じゃこの本、ひと財産するわよ。
 エッジー 飲む物か何か、ないかな。
 モニカ そりゃあるわよ。
(モニカ、呼鈴のところに進む。しかし、ひと足早くドレイク、登場。大きな飲み物の盆をサイドテーブルの上に置き、退場。)
(キティー、電蓄のスイッチを入れる。音楽が流れる。従って、次の会話は自然に今までより大きな声で話される。)
 エッジー(ジョンに、ウイスキーの壜を振って見せて。)飲む?
 ジョン いえ、結構。
 エッジー キティーは?
 キティー(口紅をつけながら。)戴くわ。ちょっとね!
 エッジー 急がなきゃ、モニカ。ミリーは音楽のパーティーの時はうるさいんだ。知ってるだろう?
 キティー 可哀相に、ミリー。あの人の家、小さいんだもの・・・
 エッジー し・・・室内楽にもね。
(ジョン以外の三人、笑う。)
 エッジー(モニカに。)飲む?
 モニカ いいえ。私、どこかにブランデーを置いてる筈。
 エッジー(さっきの続きで。)それにミリーの頭、あの部屋にはでか過ぎるんだ。
 モニカ 私、パーティーには行かないわ。
 キティー モニカ!
 モニカ 私、ジョンと話したいの。
 キティー この人も連れて来ればいいわ。
 エッジー(ジョンに。)そうだよ。ねえ、着替えにそんなに時間かからないよね?
 ジョン 僕はこの服しかないんだ。
 キティー いらっしゃいよ。もーっち(ろん)面白いのよ。
 ジョン いや、本当に行かない・・・場違いだよ。
 キティー 何が場違いなの。戦争の話をすればいいじゃない。戦争の話さえ出来れば、誰だって場違いな人じゃないわ。ね? エッジー。
 エッジー 戦争なんて、た・・・たーいくつ。た・・・たーいくつ戦争。
 キティー 何? 何の洒落? 洒落にも何にもなってないわ。新聞のコラムにでも書けば?
 モニカ 私も賛成。戦争なんて退屈。でも、ジョンと私、戦争の話をするの。そうでしょう? ジョン。
 ジョン 僕はもう行かなきゃ、モニカ。ペリーに会わなきゃならないんだ。
 モニカ 誰? 一体、ペリーって。
 ジョン 古い僕の友達だ。誰も知らないよ。
 エッジー(モニカに。)フレディーはどうしちゃったんだ?
 モニカ パリに行ったのよ、ローラと。
 エッジー 誰かが僕にそう言ったんだけどね、僕はと・・・と・・・とても信じられなかった・・・君、ヘエっちゃらって顔してるんだね。
 モニカ うろたえる理由なんか、どこにもないでしょう?
 キティー モニカはいつだって平ちゃら。そうね? モニカ。
 エッジー 鉄のように固く、ガラスのように冷たい。あ・・・あ・・・愛が終れば、あ・・・あ・・・後はどうなろと、こうなろと・・・
 モニカ(鋭く。)お黙りなさい、エッジー!
 キティー フレディーは馬鹿なのよ、とにかく。私、前からそう思っていたわ。
 モニカ とてもそう思っていたようには見えなかったわね。
 キティー それに、ローラも馬鹿だし。丁度お似合い。いいカップル。
 エッジー 気をつけた方がいいぞ、キティー。モニカの石のような心には、まだ愛情の残り香が漂っているかもしれないんだ。パリでの楽しい二人の生活・・・フレディーとローラ。こいつを記事に書こう。パリはどこだ? リッツか?
 モニカ もう遅いわ。スタンダード(新聞の名)で、もう記事にしているわ。
 エッジー それで、バードフォードからもう電話あった?
 モニカ 馬鹿なことを訊くわね、エッジー。この私が新聞の記事になるようなことを喋ると思って?
 エッジー あの二人のことは、もう新聞の方であらかた動静は掴んでいるんだ。
 キティー 喧嘩しないで! 二人とも。
 エッジー(傷ついて。)誰も僕にはニュースをくれない。僕は自分でゴミあさりをしなきゃならない。書くことを仕事にしたのがそもそも間違いだった、僕は。
 モニカ(鋭く。)あなたのは、書くだけが仕事じゃないの。だから問題なの!
 キティー(エッジーの腕を取って。)もうおやめなさい、エッジー。今夜はモニカ、とても機嫌が悪いわ。
(二人、少し電蓄の方に移動する。)
 ジョン(静かに。モニカに。)さようなら!
 モニカ(急に必死になって。他の二人には聞こえないように。)いて頂戴。このまま帰るなんて出来ない筈。だって私に弁明の機会をまるで与えてくれていないでしょう?
 ジョン お願いだ。あの二人をここから出して!
 キティー(モニカに近づいて。)ねえ、早く行きましょう!
 モニカ 言ったでしょう。私は行きません。
 キティー ほんの数分でも・・・
 モニカ いいえ・・・(ほとんど乱暴といえる言い方。)行きません!
 キティー 自分に悩み事があるからって、他人にあたることはないわ。(ジョンを見る。そして笑う。)この人があなたを慰めてくれるのね。私にはちょっと陰気過ぎるけど・・・エッジー・・・
 エッジー 何だい?
 キティー 「青きドナウ」をかけて、エッジー。それから、行きましょう!
 エッジー どうしてだい?(電蓄を閉める。)
 キティー モニカは私達二人に出て行って貰いたいんだって。
 エッジー 随分愛想がないんだなあ。本当なの? モニカ。
 モニカ そう。後から行くかもしれない。今は分らない。
 キティー(エッジーの腕を掴んで。)さ、行こう!
 エッジー(ウイスキーをぐっと飲んで。)分ったよ。「マウント街レイディー・チェラートン邸にて追い払われし落ちぶれ貴族」「第八頁にあり」(ジョンに愛想よく手を振って。)じゃあな!
 キティー(モニカに。)じゃあね、モニカ・・・楽しくやるのね!(ジョンに。)さよなら。
 ジョン さよなら。
 モニカ さよなら!
(エッジーとキティー、退場。)
 モニカ 悪かったわ、ジョン。
 ジョン 何が。
 モニカ 今のこと全部。
 ジョン どうして。今のが君の生活の一部なんだ。そうだろう?
 モニカ あの二人なんか、私の生活にかかわってなんかいないわ。
 ジョン 弁解は止めた方がいいよ。事態はもっと悪くなる。
 モニカ あの二人、私嫌い。特にエッジー。三流の女中みたい。
 ジョン ついさっき彼のことを「可愛いの。楽しい人よ」って言ったけど?
 モニカ ええ。時にはそう。でも今夜は違った。
 ジョン 僕のせいだな。僕が出していたんだ、不協和音を。
 モニカ ええ、多分そうね。(ソファにどっと坐る。)とにかく、あなたは私をすっかり惨めにしてしまったわ。それがあなたの目的だったのかしら。
 ジョン それは悪かった。
 モニカ どうして来たりしたの? 来たって何にもならないって、最初から分っている筈でしょう?
 ジョン いや、分る筈はないんだ。長い間ずっと遠くにいて、直接見聞きするものは怖いものしかない所にいたんだから。
 モニカ 戦争の話を始めるんじゃないでしょうね。私、戦争の話、嫌い。
 ジョン どうして嫌いなんだい?
 モニカ もうすっかり終ったことだから。それに、退屈。退屈の極だわ。
 ジョン 僕には終っていないんだ! 戦争は。
 モニカ あなたは死んでいるのよ。馬鹿なことを言わないで。あなたは死んでるの!
 ジョン 僕は死なない。僕が自由になるまで。
 モニカ どういう意味? それ。
 ジョン これで少し楽になった。君のお陰だ。もうあと二三分しか残っていない。僕は行く。
(ジョン、扉の方へ進む。モニカ、素早く立上り、ジョンを止める。)
 モニカ 行っちゃ駄目。許して。本気じゃなかったの。ただあなたのことが怖かった。恐ろしかった。だからあんな風に。お願い。説明させて。私、すぐには変れないかもしれない。でもやってみる。本当に。本気で。変って欲しいんでしょう? 私に。お願い。
 ジョン(優しく。)いや、いいんだ、モニカ。君の生活を僕がどう見たか、そんなことは僕自身の問題なんだ。君には君の生き方がある。気を揉むことなんかない。君には生きる人生がある。僕にはない。僕のことなんか気にすることはないんだ。
 モニカ あなたのことを愛していたの・・・私は。誓うわ。愛していたの。(モニカ、今では泣いている。)
 ジョン(ソファに導いて行きながら。)ほらほら、もういいから。・・・分ってる。分ってるんだ。
 モニカ(突然ジョンに縋りついて。)私、今でもあなたを愛せる。あなたが望みさえすれば・・・
 ジョン(後ろに下がりながら。)駄目だ、モニカ。それを言っては・・・
 モニカ(乱暴に。)でも、本当なの。
 ジョン(ぼんやりと。)二人の愛は、ここでは結び合わないよ。何年も離れているんだ。
 モニカ(囁く。)駄目、ジョン。そんなすげない言い方! そんな取り付く島のない言い方! お願い、キスして。一度だけでいい。さよならのキスでいい。ね、お願い。
 ジョン うんいいよ、勿論。
(ジョン、モニカにキス。モニカ、両腕をジョンの首に廻す。緊張がほぐれる。バースィー・チェラートン登場。好人物。およそ四十歳。家柄の良さから来る尊大な態度あり。しかし、ある魅力を有する。二人を見て驚くが、かなりうまくその動揺を抑える。モニカとジョン、離れる。)
 バースィー ああ、失礼。こんな風に突然飛び込んで来て。君が家にいるなんて、思わなくってね。
 モニカ(やっと自分を抑えて。)いいのよ、あなた。ジョン、これが私の夫・・・こちら、ジョン・ケイヴァン。
 バースィー(握手して。)ああそうだ。モニカがよく君の話を。始めまして。
 ジョン(間の後、急に。)すみません・・・モニカと僕は、その・・・何年も前に婚約して・・・それで・・・それ以来・・・会っていなかったので、つい・・・
 バースィー 分ってる・・・分っています。・・・もう何も言わないで、どうか。急に入って来た私が悪い。私達二人はよく分りあっている。もう結婚して大分経って、二人はいい友達なんだ。君は確か、一九一六年に死んだんだね?
 ジョン 一九一七年です。
 バースィー ああ、そうそう・・・そうだ、君の中隊に、私の親友がいた。・・・テディー・ウィルソン。覚えてる?
 ジョン ええ、よく。
 バースィー 私はもう行かないと。メアリーとジャック、三人でパビリオンに行くことになっていて。予約してくれているらしい。ああ、この電報を机の上に置こうと思ってここへ来たんだ。バードン夫妻が二十日に僕らを招待してくれている。行くかい?
 モニカ 考えておくわ。後で知らせる。
 バースィー 分った。(ジョンに微笑んで。)じゃあ!(こっそりとモニカに。)今度は気をつけてくれ。頼むよ。あれは酷く気まづいんだ。
(バースィー退場。)
(一瞬、間あり。それからジョン、笑いだす。引きつったような笑い。)
 モニカ 止めて、ジョン。お願い!
 ジョン 止まらないよ。可笑しくて・・・
 モニカ あなた、私を許さないわね? もう決して。
 ジョン 許す?
 モニカ あなたには分っている筈。私の言いたいこと。
 ジョン 許すことなんか何もないよ。本当だ。そんなことと何の関係もないんだ、この笑っているのは。
 モニカ あなたのことを軽くあしらったりして、私、悪かったわ。
 ジョン 僕はもう問題じゃない。問題なのは君だよ。
 モニカ(微笑んで。)私も問題じゃない。問題だった・・・過去形よ。以前、私が問題だったことがある。もうずっと昔。今じゃない。今はもう終。
 ジョン(急に坐って。両手で顔を覆って。)ああ、何てこと。何て馬鹿げているんだ。
 モニカ そんなに惨めにならないで。お願い・・・ああ、あなたがもっと早くに、生きて帰って来てくれていたら。そして決めていたように結婚していたら・・・全然違った人生になっていたのに。
 ジョン(上を見て。)さあ、どうかな。
 モニカ こんなこと、続かないわね?・・・今感じているこの気持・・・目が覚めたら、これはもう消えてゆくのね?
 ジョン 多分ね。それを望むよ。
 モニカ 目が覚めても続くなんて、そんなの厭。とても耐えられないわ。・・・ね、ジョン、そんな目で私を見ないで。
 ジョン さようなら、モニカ。今度は本当に行かなくちゃ。もう君の邪魔はしないよ。夢の中でも。約束する! 君を愛したのを僕が後悔しているなんて考えないで。僕は有難いと思っている。幸せだったのは君のお陰なんだ。将来のことを考えて本当に楽しかった。それで暇が潰せたんだ。
 モニカ そうね。本当。暇が潰せたんだわ。・・・あれから私がやって来たことと言ったら、それしかなかった。私がそうだったからといってあなた、私を責めること出来る? いいえ、あなた、私を責めているわ。口では何も言ってないけど、その目、その目が責めている。あなたは若くして死んだの。だから分っていないの。どんなに世の中って退屈なものか。
(ジョン、静かに退場。モニカ、ジョンを見ずに話し続ける。・・・照明も消え始める。)
 モニカ 私、自分の生き方が正しいって言って、どうして悪いのかしら。私は親切、他人に対して優しいわ。騙したり、嘘をついたり、盗んだりしない。私、人気があるのが好き。人が私に夢中になって、私を愛すようになる。それが大好き。それのどこが悪いのかしら。何の害もないわ。私が誰かと関係を持つ。そうしたら、いつでも大騒ぎ。馬鹿なこと! あなたとだって、たった今、関係を持っていたところ。もしバースィーが入って来なかったら。幽霊と関係を持つなんて、可笑しなこと・・・幽霊と関係を持つなんて、本当に可笑しなこと・・・
(最後の台詞は全くの暗闇の中で言われる。電蓄から非常に大きな音が聞こえて来る。しかし、照明はつかない。)
                    (幕)

     第 四 場
(ペリー・ローマスの居間。みすぼらしい家具類。舞台の片方にベッド。ベッドの上に二三冊の本。肘かけ椅子二個。中央にテーブル。)
(幕が上るとペリー、テーブルについて何か書いている。テーブルの上に、半分食べかけの食べ物ののった盆。片隅に押しやられている。書き物をしている紙の向こう側にピストルがある。ペリーは相変らず痩せていて、神経質な顔。髪は第一場の時より白くなり、薄くなっている。吊るされてテーブルの上を照らしている電球の光の中に、ジョン登場。)
 ジョン ペリー?
 ペリー(見上げず。)はあ?
 ジョン 僕だ。ジョンだよ!
 ペリー(ジョンを覗くように見て。)ああ。まあ坐れ。
 ジョン ペリー、僕が分らないのか。
 ペリー ちょっと待っていてくれ。これをまづすませる。
 ジョン おいおい、ペリー!
 ペリー 待って。ちょっと待ってくれ。頼む。
(ジョン、坐る。ペリー、書き続ける。それから書き終ったものを読み返す。封筒に入れ、封をする。椅子の背に凭れ、ジョンを見る。微笑む。)
 ペリー そうか、消えてないな。これを書き上げるまでにはいなくなると思っていたんだが。
 ジョン 会えて嬉しいよ、ペリー。
 ペリー 丁度間に合ったんだな、君は。
 ジョン どういう意味だ、それは。
 ペリー(ピストルを取り上げて。)じゃ、さよならだ!
(頭にピストルをあてがおうとする。その時ジョン、前方に寄り、その腕を掴む。)
 ジョン 待て。まだ・・・待ってくれ、ペリー。
 ペリー そうか。君は触(さわ)れるのか。こいつは驚いた。
 ジョン その銃を貸してくれ。
 ペリー 僕の頭がどうにかなって来ているのなら、ぼんやり待っている訳には行かない。(再び腕を上げようとする。)そうじゃないかと心配していたんだ。
 ジョン(ペリーと揉み合って。)ちょっと待て。お願いだ、もう少し待って。
 ペリー 畜生! 邪魔するな!
 ジョン 馬鹿なことはよせ!
 ペリー これは馬鹿なことじゃない。人生に馬鹿なことはいくらでもある。しかし、死には馬鹿なことは何もない。君はよく知っている筈だ。
 ジョン 知らない。僕はそんなことは何も分らない。ただ、分りかけてきたことがある。それは、死はそんなに速く来るものではないということだ。
 ペリー お願いだ。引き伸ばすのは止めてくれ。僕はこの時を待ち望んでいたんだ。
 ジョン ただ二三分のことだ。たいした違いではない。
 ペリー 君の言うことを何故きく必要がある。僕はもう決心して、用意は全て整っているんだ。
 ジョン 何故そんな気になったのか、僕は知りたいんだ。
 ペリー 簡単なことさ。
 ジョン じゃあ話してくれ。そのピストルを下ろして。さあ、話してくれ。
 ペリー 相手が幽霊じゃあな。腹を割った話はやり難いな。
 ジョン 頼む!
 ペリー 生きている時は、君はいつも我が道を行く、だったぞ。死んでからも、他人に干渉しない方がいいんだ。(ピストルを下ろして。)ほら。そうだ。一杯どうだ? まだ少し残っていた筈だ。
 ジョン いらない。
 ペリー(ジョンを奇妙な顔をして見ながら。)君のことはよく覚えている。寝台に担ぎ上げられた、あの最後の時を。あんな風に担ぎ込まれて・・・僕は厭だった。酷く突発的だった。あれは非常に静かな日だったのに。君という人間はいつでも生き生きしていた。疲れている時でもだ。こんなに長いこと、何を企んでいたんだ。
 ジョン 分らない。多分、待っていたんだろう。
 ペリー どこで。
 ジョン それも分らない。
 ペリー 他の幽霊に会っていないのか? 言葉を交してはいないのか?
 ジョン いや、誰とも。
 ペリー あの、サー・オリヴァー・ロッジにもか?
 ジョン 会っていない。
 ペリー おいおい、君は死んでもう、かなり経つ。立派な幽霊なんだぞ。ただブラブラしていて、何もまだしていないなんて、恥を知るべきだ。最近は幽霊の世界、一体どうなっているんだ。疑ってしまうね。
 ジョン 無限に短い一瞬という時間・・・あの時君に話したな? 覚えているか? 今の僕がそれだ。そして君にとっては「これから」が、その時間だ。
 ペリー(ふざけて。)そして「お茶は二人で、二人でお茶を」か。
 ジョン ふざけてはぐらかすのは止めてくれ、ペリー。そいつは親切じゃないよ。
 ペリー 真面目だからな、君は。
 ジョン 誰のことを言っているんだ。君だって、自殺をしようという程真面目なんじゃないか。
 ペリー ほほう、そいつは本当だ。
 ジョン それで君は、僕に理由さえ話そうとしない。
 ペリー 言葉にするのは難しくてね。
 ジョン そこを何とか。僕は知りたいんだ。
 ペリー それを出歯亀根性と言う。
 ジョン 頼む、ペリー。教えてくれ。
 ペリー 希望がないんだ。絶望とは違う。それほど極限まで行ってはいない。形のない荒れ果てた退屈。余計なものを取り除いて、皮を剥いで、削って、中にある本質を捜す。するとそこに本質がない。
 ジョン 本当にないのか。
 ペリー ない。確かにない。少なくとも僕には。
 ジョン また個人的な判断か。
 ペリー 他にはない。あるのは個人だ。皆一人一人、誰にとっても。
 ジョン いや、違う。何かがある筈だ。それ以外に。
 ペリー 究極的真実を求めて尚もがく学徒ジョン氏、か。もうちゃんと死んでいるんだ、君は。もう諦めていい頃だぞ。
 ジョン 今ごろになって、ちゃんと死んでいたいと思うようになっているんだ。
 ペリー ほほう。何故だ。
 ジョン 心配になってきたんだ。これを始める時はそうでもなかったのに。
 ペリー 何だい。心配なことって。
 ジョン 肉体の変化、それが崩れて行くこと。(急に笑い出す。)
 ペリー うん、そいつはいい。いい所に気がついてるぞ。
 ジョン 君は喜ぶだろうと思ったよ。
 ペリー 喜んではいない。正確には。しかし、面白いよ。
 ジョン うん、そうだろう。
 ペリー 君はどこから始めたんだ。
 ジョン 母親だよ。
 ペリー どんな具合だった。母上はどうだったんだ。
 ジョン 強い。そして意識鮮明だ。昔と同じように。
 ペリー そうか。それが親子というものか。それで、初めて性行為も正当化されるという訳だ。
 ジョン(突然怒って。)何を言う! お前なんか、地獄行きだ! 百万回死んだって、お前などに心の平安は与えられるものか!
 ペリー おい、興奮するな!
 ジョン 君は辛辣過ぎるんだ。辛辣が心の根に突き刺さっている。君に少しでも暖かいものが受け入れるチャンスが来ても、その辛辣さで冷やしてしまうんだ。
 ペリー 母親があるからといって、僕の風上に立つのは止めてくれ。僕には母親がいない。二歳の時から。君と僕で折りあいのつく場所などある訳がないのだ。
 ジョン(下を向いて。)悪かった。
 ペリー 当り前だ。母親の愛情をたっぷり受けて、この僕のところにやって来るなんて、クリスマスの飾りつけ、それに砂糖菓子・・・
 ジョン 止めてくれ・・・お願いだ。(両手で顔を覆う。)
 ペリー それで、他には誰なんだ。誰のところへ行った。
 ジョン どうして君に言う必要がある。君には分りっこない。君のことなんか、本当は好きじゃないんだ!
 ペリー 昔は気に入ってくれていた。
 ジョン 昔は昔だ。
 ペリー だから短い時間を都合して、ここに来てくれたんだ。
 ジョン 来なきゃならなかったんだ。
 ペリー どうしてだ。僕の物の考え方に共鳴してか。この脳味噌に敬意を表してか。いや、君は僕のことを少しおかしいと思っていただけだ。
 ジョン 君に哀れを感じたんだ。
 ペリー 御親切。心から感謝する。墓から籠一杯ものを運んで来てくれるレイディー・バウンティフルか。
 ジョン 誤解しないでくれ。そういうんじゃないんだ。
 ペリー 取繕っても駄目だ。綻(ほころ)びが見え見えだ。口先だけでああ言いこう言い。そんなことは止めて、もう止まり木から下りて来るんだ。
 ジョン どういう意味だ、それは。
 ペリー 僕には分るんだ、君がここに来た理由が。たとえ君が自覚していなくてもね。
 ジョン それなら言ってみろ!
 ペリー 思い出に敬意を払ったんだ。なかなか思いやりのある態度だ。君の僕への訪問なんだからな。君と僕の間で、はっきりと言葉にはしないまま終ってしまった事柄へ、別れを告げるためにだ。
 ジョン(当惑の表情。)ああペリー、馬鹿なことを・・・
 ペリー 本当なんだ。恥かしがることはない。さあ、僕を見てくれ。いや、今の僕じゃない。この今の僕を通して、君の知っていた僕を見るんだ。そして昔のことを思い出して、優しくしてくれ。僕は今、ひどく参っているんだ。(ペリー、じっとジョンを見る。両眼に涙が浮んでいる。)
 ジョン(不思議そうに。)君には弱みがあるというのか? それに、この僕に。
 ペリー 僕にだって弱みはあるさ。
 ジョン すると、僕がここに来たのはそのせいなのか。
 ペリー そう思う。
 ジョン 青春はもう遠い昔だ。
 ペリー うん。何もかも今じゃ、問題にならない。
 ジョン 糞っ! 何て馬鹿な話だ!
 ペリー(優しく。)まだ君、僕の質問に答えてないぞ。母親の外に、誰に会ったんだ。
 ジョン 誰にも会ってない。
 ペリー(微笑む。)嘘だな。
 ジョン 会おうと思った人間じゃなかった。とにかく。
 ペリー モニカ・チェラートンだな、どうやら。
 ジョン 知っているのか、あれを。
 ペリー 直接じゃない。何年も前結婚の記事を見た時、思い出した。これが君のかっての許嫁だったんだ、と。・・・それからの彼女はよく注意していた。ひどい扱いを受けたのか?
 ジョン 全部が全部、あれの責任ではない筈だ。
 ペリー 彼女に何を期待したのだ。
 ジョン 分らない。
 ペリー どうして彼女の責任じゃない。
 ジョン 周囲の環境、境遇、金、そしてがんじがらめにあれを閉込めた周りの連中。
 ペリー 自分で抜けられた筈だ。その気さえあれば。
 ジョン それほど簡単じゃなかったさ。
 ペリー 何故彼女を弁護してやるのだ。君が愛していたのはあの女じゃない。戦争によって現実から切り離されて、自分で勝手に拵えていた感傷的な思い出だ、君の愛していたのは。急に彼女の目の前に現れる、それは騙し討ちだ。芝居の準備が出来なかったのさ。君のいる場面でやる芝居の準備がね。全く不公平だよ。
 ジョン いつでもあれは僕の前で、芝居をしていたというのか。
 ペリー そうさ。彼女の仕事さ、それが。
 ジョン あれはかっては僕を愛してくれた。
 ペリー それはそうだろう。出来る限りはな。もうあの女のことはいい。そんなことよりずっと大きな悲劇がある。ちょっと辺りをぶらついてみればすぐ分るさ。
 ジョン 君の本のことは知っている。
 ペリー そう。
 ジョン 君の本が焼き捨てられるというのは本当なのか。
 ペリー 多分な。
 ジョン 連中、どこに目がついているんだ! 糞ったれ!
 ペリー 「糞っ」という言葉を発してやる価値さえないよ。目なんかもともとついていやしない。ただ本能を頼りに手探りしているだけさ。そしていつものように、一番強く働くのは「怖れ」の本能だ。僕の本が何かを惹き起こしはしないか。つまり、もし放っておけば、別の誰かがもっと良いものを書くんじゃないか。もっとはっきりした、簡潔な文章でね。僕は出来るだけ単純に書くよう努めた。しかし、うまくいかなかった。あの本でまづいのはその点だ。犬に話しかけるためには、犬の言葉を使わなければならない。それが難しいんだ。特にこっちが犬嫌いときてはね。
 ジョン そのせいなのか? 君がその・・・
 ペリー 自殺のことか?
 ジョン うん。世間が君のことを虚仮(こけ)にした。それで・・・
 ペリー とんでもない。あの本のせいじゃない。そんなのは瑣末なことだ。他のいろんなことだ、問題なのは。僕は出来るだけ正直にあの本を書いた、出来はともかく。そして、僕の身体を、もう離れて行ったんだ。世間の受けは、僕の思った通りだった。憤慨の叫び、非難の弥次だ。しかし、あんなものは問題じゃない。今では僕にも、全く。
 ジョン じゃ、何なのだ。
 ペリー それよりずっとずっと根が深い。宇宙にたった一つ、恥かしめられ、虐(しいた)げられてきたこの僕というエゴ。君はそんなことはない。安全だ。生れつきの理想主義者。僕は違う。君は若い。僕は若かった事など一度もない。そうして、君の死は名誉あるものなんだ。こうやって僕のところへ来てくれたのは有難い。御親切なことだ。しかし、それだけのことさ。他のあらゆることと同様、これも無駄なことさ。何か手違いがあったんだ。僕のところに現れるべき人間は他にいる筈だ。君じゃない。君には何も見えはしない。君の目は優し過ぎるんだ。まあ、努力だけはしてみるんだね。しかし、それだけのこと。たいして何も出来はしない。
 ジョン 君は神経がやられているんだ。そのせいさ、このいぢわるは。神経だ。君は病気なんだ! 君はこの本を書くのに、精も根もつき果てた。書き終ってほっとして、その反動が来ているんだ。静かに、どこか田舎に行って、ゆっくり静養するんだ。
 ペリー ああ、ジョン。親切なジョン。何てジョンらしい言葉だ。誰かが死んだ。あの晩のことだ。僕は少し気が立っていた。そうしたら君は言った。覚えているか。こんなところで個人的意見を持てる程強い奴などどこにもいやしない。気を強くもて。そしてそのあと、考えるべき物のリストを読み上げた。寝ること、暖かくすること、飯を食うこと、怪我は避けること。君の口調には何の皮肉も籠められてはいなかった。覚えているか。
 ジョン 僕は正しかった。あの時君に警告した破綻はこれなんだ。しかし、思っていたより遅くやって来たようだ。
 ペリー 君はあの時言った。この戦争から何かが生れ出て来る筈だと。この無意味な殺戮、何も分らず勇敢に死んでゆく若者、そして彼らの活力・・・これらがずっと長い年月の後、その灰の中から必ず何かが現れる。そう言ったな?
 ジョン 僕は今でもそれを信じている。
 ペリー じゃ、急ぐんだ。僕のところにぐずぐずしていることはない。
 ジョン いや、僕はまだ来かたが早過ぎたらしい。
 ペリー(苛々と立上って。)じゃ、またいつか来ることにするんだな。君の好奇心が衰えない限り、墓場から星へ、星から墓場へ、無限回往復すればいい。ただ、今はもう帰るんだ。まだその時期になっていない。
 ジョン 何故今がそんなに悪いんだ。どうなっているんだ。何が起っているんだ。
 ペリー 何も特に起ってはいない。科学は大股で進歩している。その歩幅と同じ大きさで偽善が進んでいる。人間は全く昔と変らない。個人的には楽しく、集団的には阿呆。機械文明は目の覚めるほど進み、人間はそれを絵にし、バレーに組み込む。芸術家達は不安なのだ。今すぐにもその対象であるべき美がなくなってしまいはせぬかと。描くべきもの、書くべきものが絶えるのではないかと。宗教家達はかなりうまくやっている。金まわりと全体の能率の良さから言うと、相変らずカトリックがトップを切っている。英国教会は伝統に忠実に、未だに信念のない蹌踉(よろ)めき歩きを続けている。福音伝道者達は相変らずその伝道文をがなりたてている。他の宗派も大盛況だ。クリスチャン・サイエンスは微笑を浮べて・・・少し優越の笑いだが・・・ともかく微笑を浮べて「神は愛だ。苦しみはない。苦しみは誤りだ。愛でないものは何でも誤り」そして愛、愛、愛の一点張りだ。政治的には混乱のみ。新しいものは何もなし。相も変らぬ貧困、失業、苦痛、貪欲、残酷、熱情に犯罪。それから卑怯、嫉妬、金に病気。スポーツの競争精神は見事に養われている。特にオリンピックで。次の世界大戦への素晴らしい準備。誰もが気づいていて、それでいて誰もがそれに巻き込まれている。新聞は意味もないことを書きちらし、大衆はそれを暗黙のうちに信じている。戦前との唯一の違いは、不具者(かたわ)になった沢山の男達が、それでもまだ生きていること、それに、心の痛みが癒(い)えていない沢山の女達がいること。その他のことは戦前と同じ。ただスピードが速くなり、話が細かくなっただけ。前大戦は今や大流行(おおはやり)。心疼(うづ) く楽しい映画、を見ている気分で、戦争を振り返る。そこで戦ったことのある男達までもが、それにぼんやりした魅力を感じるのだ。連中は出来れば戦場に戻ってもよいとさえ考えているようだ。なあジョン、来て、見てみるんだ。どうしても見なきゃならないのならな。君は勇気がある。誠実だ。見てショックを受けても、何とか持ちこたえるだろう。しかし、何のためにそんなことをする必要がある。苦しみなら、あの最後の瞬間の銃弾で充分じゃないか。それ以上は不要だ。役にも立たない。君に残された時間は、母親のところへ行くんだ。そしてさよならを言うんだ。優しくな。君は誰にでも優しいが、それより少し優しく言うんだ。それもほんの一瞬で過ぎ去ってしまうが、やるだけの価値はある。こんな牛の糞(ふん)みたいな世の中で、君のような坊やに何が出来る。自分の愛するものにしっかりしがみついているんだ。生半可(なまはんか)な理想などを捜し求めて、フラフラ出歩いて、その大事な愛するものをほったらかしにしては駄目だ。それに、何の理想だ? 馬鹿な。君の目が真実に向けられるよう、神が静かに見守っている? 馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な! 全く冗談もいい加減にするものだ。誰も笑う奴はいない。さあ、母親のところへ帰るんだ。時間のあるうちに。
 ジョン 元気を出すんだ、ペリー。
 ペリー 僕は正しい。今に分るさ。君にもな。
 ジョン 君はかなり自分をさらけ出したよ。
 ペリー どういう意味だ。
 ジョン 僕が理想主義者だと言って君は笑ったが、君の方がずっと理想主義だ。ずっとずっとね。
 ペリー 詭弁もいいところだな。そのうち、全ては神の意志だ、などと言い出すんだろう。
 ジョン 僕は個人に対してだけ理想主義なんだ。だから帰ってきた。僕の愛する二三の人達を通じて、事の成行きを垣間見ることが出来るだけだ。しかし、君は違う。個人では留まらない。もっと深く、もっと高く。だって、君の理想は世界そのものを対象にしている。僕を通り越しているよペリー、遥かに通り越して、僕には見えない星を相手に、想像も出来ない遥かに遠い未来を相手に、君は格闘している。詩人というのは悲しいものだ、きっと。
 ペリー 僕の最後を飾る花束を投げてくれているんだな、どうやら。(疲れたような微笑。)
 ジョン(ピストルを取り上げ、ペリーに渡す。)ほら!
 ペリー(受取って。)有難う。友達に囲まれて死ぬっていうのはどんなものだ?
 ジョン 敵に囲まれて生きているよりましだね。可哀相なペリー。それぐらいは僕にも見える。
 ペリー それは僕の墓碑銘か。君から貰えるとはなジョン、光栄だよ。
 ジョン(立上って。)じゃあな、ペリー。
 ペリー(こちらも立上る。)よく来てくれた。君のお陰で違った気分になったよ。本当に心から感謝する。
(ジョン、突然両腕をペリーの身体に回す。しっかりと抱擁する。それから振り返り、影の中に消える。)
 ジョン(出て行く時。)さようなら、ペリー。
 ペリー(少し上ずった声で。)さらばだ。
(照明が消えて行く時ペリー、ピストルを頭に持ち上げる。微笑んでいる。暗闇の中で銃声が響く。)
                    (幕)
(真っ暗な中でベイブ・ロビンズ、ティリー、ショウとペリーの声が聞こえる。)
 ティリー まだ息をしているぞ。
 ベイブ(ヒステリックに。)死ぬのか・・・死ぬんだろうか・・・
 ショウ 黙るんだ、ベイブ。
 ペリー まだ意識があるぞ。目を見てみろ。目を開けたように見えたぞ。

     第 五 場
(場 ロンドンの「デイリー・マーキュリー」社の建物内の、サー・ジェイムズ・ケイヴァンの個室。広々とした、豪華に設(しつら)えた部屋。窓が三つ。屋根ごしに外が見える。夜。遠くにネオンサインがチラチラ光っている。中央に大きなテーブル。会議がすぐ開けるように、テーブルの各々の席にノートと鉛筆、そして椅子が置いてある。サイドボードには急な場合にそなえて、保存のきく夕食の用意。左手手前にソファ。右手にサー・ジェイムズの机。机の上に二三個の電話機。それに手紙、書類。遠くから輪転機の回っている音が微かに聞こえる。)
(幕が開くとサー・ジェイムズとアルフレッド・ボロウがソファに坐っている。ミス・ビーヴァーがノートを構えて、しかめつらしくその傍に立っている。サー・ジェイムズは、肥っていてピンク色の肌。狡そうな顔。アルフレッド・ボロウも狡い顔。サー・ジェイムズとは違った種類の狡さ。けちな、下劣な顔。二人とも夜会服姿。ミス・ビーヴァーは、精気のない蒼白い顔。しかしテキパキとしている。そうでなければここにはいられない。ジョン、左手の扉から静かに登場。サー・ジェイムズ、急に話を止め、立上る。)
 サー・ジェイムズ ジョン! ああ、ジョン!(実に優美な態度でジョンを抱擁する。)
 ジョン(振りほどこうとしながら。)今日は、お父さん。
 サー・ジェイムズ 私は声が出ない。何という偉大な瞬間だ。ああ、胸がいっぱいだ。声が出ない・・・
 ジョン そう?
 サー・ジェイムズ(ボロウとミス・ビーヴァーに目配せをしながら。)お前は一度この世から死の世界へ行った男だ。それが父親に会うために、また死の世界からこの世に・・・
(ボロウ、ミス・ビーヴァーに耳打ちする。ミス・ビーヴァー、速記を取り始める。)
 サー・ジェイムズ ボロウ、これは息子のジョンだ。君は覚えているな? ジョン、ボロウのことは覚えているだろう?
 ジョン ええ。
 サー・ジェイムズ 今やマーキュリーの大黒柱だ。
 ボロウ 実に感動的な瞬間です。ただ「よくお帰りに」としか・・・他には何も・・・
 ジョン 今日は。ご親切な言葉をどうも。今日は。
 ボロウ(握手して。)我々は君を必要としている。君のような人物を。大英帝国は君を必要としているのだ。君はこの国に、全てを語ってくれなければならない。
 サー・ジェイムズ 母さんが喜ぶぞ。もう、大喜びだ。すぐ電話をしなければ。ミス・ビーヴァー、すぐ家に繋いでくれ。どんなに喜ぶことか。
 ジョン お母さんには会って来ました。
 サー・ジェイムズ うん、そうか。それは素晴らしい。お前はお母さんを幸せにしてやったんだ。
 ボロウ サー・ジェイムズ・ケイヴァンの一人息子、十三年後に帰還。その母、白髪のレイディー・ケイヴァンは、輝く目をもって、この特別な使者を迎える。「息子よ」と、ただこれだけの言葉。しかし、その言葉に、井戸から溢れ出るような母の愛が籠められている。
 ジョン(誰に言うともなく。)虫め! 臭いにおいを出す、虫め!
 ボロウ 一頁、丸々一頁の特集だ。二歳の時の写真、あるでしょうな? それから八歳(やっつ)の時の、それから十三歳の時の。懐かしい学校時代、万歳! 十七歳。兵役。涼しい目、均整のとれた身体。祖国の期待に応えて。「勝つために、我らは行く。」にっこり笑って、ジェイムズ・ケイヴァンの息子は言う。たったそれだけの言葉。しかしその簡潔な言葉に含まれた、溢れるばかりの勇気。
 ジョン(夢見るように。)人間の面汚し・・・ゴミあさりの鼠・・・
 ボロウ「サー・ジェイムズ・ケイヴァンの一人息子の死」「有難や」とかすれた声でサー・ジェイムズは記者に言う。「あの子は戦いの最中(さなか)に死んだのだ。」インタビューを受け、レイディー・ケイヴァンは落ち着いて答える。その目は乾いている。母の悲しみは、涙よりもっと深いのだ。「あの子は私の一人息子でした。あの子は行ってしまった。でも、私達が一歩も後へ退(ひ)かないことをあの子は知っています。決して。一歩も。」ただそれだけの単純な言葉。しかしその底に、何という英雄的な苦しみが!
 ジョン 酷いものだ。殴っても罵(ののし)っても、こいつには届かない。悪夢だ、これは。
 ボロウ 最近の若い女の子をどう思います? ロングスカートについての御意見は? 自転車に乗る女性・・・良い伴侶(はんりょ)になるでしょうか。トーキーの出現で、芝居は下火になるでしょうか。王女エリザベスをどう思います? 戦争文学のこのブームは続くのでしょうか。
(ボロウ、部屋をあちこちと歩き回る。ミス・ビーヴァー、その後ろにくっついて、速記で書き留める。)
 ボロウ サー・ローレンス・ウィーヴィルに脱帽・・・「有難い、イギリスには海軍があった」という台詞に対して。レイディー・ミリセント・ボーシャンに脱帽・・・女の赤ん坊を生んだことに対して。セドリック・ボーレイに脱帽・・・色紙で玩具(おもちゃ)を作り、自分のヌード写真を撮らせたことに対して。ライム伯爵夫人に脱帽・・・「癌をやっつけろ」のマチネーで、子役ミュリエルを演じたことに対して。ジョン・ケイヴァン中尉に脱帽・・・死からの帰還に、墓からの帰還に、あの世からの帰還に、亡霊の国からの帰還に、ヒンター・ランドからの帰還に、遥かなる国からの帰還に、対して。(サー・ジェイムズの方を向いて。)どれが一番いいでしょう。
 サー・ジェイムズ ヒンター・ランド。
 ボロウ ミス・ビーヴァー?
 ミス・ビーヴァー 遥かなる国。
 ボロウ 遥かなるヒンター・ランドからの帰還に対して。
 サー・ジェイムズ 日曜だ。日曜版のために、全部とっておくんだ。
(電話が鳴る。ミス・ビーヴァー、受話器を取る。)
 ミス・ビーヴァー(電話に。)はい。・・・ちょっとお待ち下さい。(サー・ジェイムズに。)厚化粧の売女(ばいた)、ヴィオラ・ブレイクからです、サー・ジェイムズ。
 サー・ジェイムズ 有難う、ミス・ビーヴァー。(受話器に行く。)
 ミス・ビーヴァー(受話器を渡して。)また酔っ払っています。
 サー・ジェイムズ(電話に。)やあ!・・・そうだ、ヴィオラ・・・違うな、ヴィオラ・・・そうだ、ヴィオラ・・・違うな、ヴィオラ・・・そうだ、会議だ・・・非常に忙しい・・・そうだよ、君・・・違うよ、君・・・じゃ、後で・・・さよなら。
(サー・ジェイムズ、受話器を下ろす。ジョンのところへ来る。)
 サー・ジェイムズ 長い魅力的な足。しかし頭は空っぽだ。
 ボロウ 美容に関するインタビューに対するミス・ヴィオラ・ブレイクの答。「コールド・クリームとへちま。使っているのはこれだけ。それから運動。これが一番大事。毎朝私、自転車に縄跳び。それにテニス。季節になると狩猟。夜は読書に執筆。そして良い音楽を聴く。理想の男性は、私を理解する、強くて立派な人。私、演ずる役はモダンな女だけど、本当は旧式な人間。熱い湯も、冷たい水も使わない。石鹸も化粧品もマッサージもなし。ただ、コールド・クリームとへちま。それだけ。・・・コールド・クリームとへちま・・・これでにきびにおさらば。・・・コールド・クリームにへちま。
 ミス・ビーヴァー 馬鹿な酔っ払いの売女! 他に何か?サー・ジェイムズ?
 サー・ジェイムズ いや、今はこれだけ。しかしちょっと待ていてくれ。シャンペンを一杯どうだ? みんなで飲もう。他の者達もすぐ来る。
 ミス・ビーヴァー シャンペンは結構ですわ、サー・ジェイムズ。コールド・クリームとへちまだけで十分!
(ミス・ビーヴァー、品なく笑い、隅に坐る。ボロウ、三つのグラスにシャンペンを注ぎ、一つをジョンに、一つをサー・ジェイムズに、もう一つを自分が取る。)
 サー・ジェイムズ(グラスを上げて。)戦争に、乾杯!
 ジョン 戦争に!(一気に飲み干す。)もう一杯。
(ボロウ、ジョンのグラスを取り、一杯に注ぐ。)
 サー・ジェイムズ ジョン、私の息子・・・これは偉大な瞬間だ。
 ジョン(グラスを上げて。)では、私の父親に乾杯。嘘つき、偽善者、あくなき守銭奴、政治を操る詐欺師、センチメンタルな色事師・・・その私の父親に!
(ジョン、飲む。)
 サー・ジェイムズ(機嫌よく。)有難うジョン、有難う・・・偉大な瞬間だ。
 ボロウ ジョン・ケイヴァン中尉は、自分の父親のために乾杯する。「父と私は良い友達だった。」わが社の記者に打ち明けてくれた。「僕の理想は父親だった。人間、いかに生きるべきか、その模範が父親だった。」そして戦争で傷を受けたこの若い兵士は、滅多に出さない微笑を浮べて言った。「その幼い時に受けた印象を、変えようなどと僕はちっとも思っていない。」この平凡な、飾らない言葉に、何という誇りと憧憬(しょうけい)が籠められていることか。
 サー・ジェイムズ 大僧正はどうしたんだ。遅いじゃないか。
 ミス・ビーヴァー 大僧正を間近に見られるなんて、素敵だわ。私って、何て運がいいんでしょう。
 ボロウ あの馬鹿、何をもたもたしているんだ。
 サー・ジェイムズ それに、レイディー・スタグ・モーティマーも。
 ミス・ビーヴァー それに、サー・ヘンリーも。
 ジョン レイディー・スタグ・モーティマー! そうだ、名前を覚えている。息子を国に捧げたんだ。
 サー・ジェイムズ 実に驚くべき婦人だ。信仰深く、母親として、実に素晴らしい。
 ジョン つい二三分前、その駄文を読んで、皆と話していたところなんだ。ここに来るなんて。会ってみたいな。
 サー・ジェイムズ 世界の模範たる女性だ。
 ミス・ビーヴァー 色褪せた・・・
 ボロウ ヒステリー気味の・・・
 サー・ジェイムズ 性的に抑圧された・・・
 ミス・ビーヴァー スノッブの・・・
 ボロウ ブス。
 サー・ジェイムズ 実に驚くべき婦人だ。
(執事登場。)
 執事 レイディー・スタグ・モーティマー。
(レイディー・スタグ・モーティマー、忍び込むように登場。背が高く、痩せている。骨と皮のバーン・ジョーンズのよう。迎合的であるかと思うと、急に高飛車に出たりする女。茶褐色のイブニング・ガウン。声はキイキイしていて甲高い。サー・ジェイムズと握手。)
 レイディー・スタグ・モーティマー ご機嫌よう。タンのサンドイッチは戴くわ。でも、シェリーは駄目。シェリーは終りの始まりですからね。(ボロウに。)ご機嫌よう。(ボロウと握手。ジョンに。)ご機嫌よう。(ジョンと握手。)
 サー・ジェイムズ 私の息子です・・・遥かなるヒンター・ランドからの帰還。
 レイディー・スタグ・モーティマー まあ面白い! でも、長期滞在の御予定なら、戦死者の名簿から外さなくては。(ミス・ビーヴァーを見て。)あの人、胸の出し過ぎね。
 ボロウ 胸の出し過ぎ、ミス・ビーヴァー。・・・参考意見・・・
 レイディー・スタグ・モーティマー 下品! 男達に欲情を起させるだけのため。それだけが目的。あの手口は、私には分っている。静かに、こすっからくやるの。こういう手あいは信用ならないわね。大僧正はどこ?
 サー・ジェイムズ ミス・ビーヴァー、大僧正は?
 ミス・ビーヴァー(電話器に行き。)捜します。
 レイディー・スタグ・モーティマー 効率が命のような働きぶり。ところが大違い。あの歩く時の、お尻の振り方! あれじゃ効率など無理な話。
 ミス・ビーヴァー(受話器に。)大僧正はどこ?・・・ああ、そう。(受話器を下ろす。)一階です。今手を洗っているところです。
 レイディー・スタグ・モーティマー それに生意気。あの連中はみんな同じ。見て御覧なさい、あの髪型。
 ジョン 僕はもう帰ります。いても無駄だ。もう帰ります。
 サー・ジェイムズ お前を返しはしない。留まって、我々を助けるんだ。お前は我々の重要な味方だ。会議で喋って貰うぞ。あの偉大な戦いからの直接帰還なんだからな、お前は。
 ボロウ 文明のための偉大な戦争!
 ミス・ビーヴァー 自由のための偉大な戦争!
 レイディー・スタグ・モーティマー 神のための偉大な戦争!
 サー・ジェイムズ お前には証明出来るだろう、きっと。このペリー・ローマスの本が踏みつけにすべき本、嘘で固めた本であることを。人類のための偉大な戦争を中傷するものであると。
 ジョン あなた方に戦争がどうして分りますか。こんなところにぬくぬくと坐っていて、どうして見ることが出来ます。戦争の真実がこれっぱかりでも、その胸に入って来ることがあると思っているのですか。どうやって。どういう経路で。多分新聞からでしょう。用心深い戦争特派員の作り上げた話、荒廃した場所の写真、死傷者のリスト、休暇で帰って来た兵士の話。連中はあなた方の無知に敬意を払って、いい加減なことしか言わないのだ。あなた方の馬鹿な質問も、適当にあしらうだけ。疲れて、休みが欲しいんですからね、彼らは。連中は言ったでしょう、「まあまあだ。たいしたことはない」「心配はいりません」。そして、連中は戦場に戻って行く。幾人かは、殆ど、喜んで。あなた方を愛していて、そしてあなた方があまりに無知なので、安心して。もっと感傷的でない他の連中も、やはり喜んで。但し、他の理由で。「神と祖国!」「ベルギー殉死す!」「偉大なる犠牲!」、こんなけばけばしい戦争の標語に似付かわしくない何かが、戦争それ自体には、ある。あなた方がどう想像してもとても及びもつかない。祖国愛だとか、祈りを越えた何かがある。愛を持ってきても駄目だ。触れることの出来ない、悲しくも美しい何かが。何故なら、それは最も深い悲劇・・・希望を越えた幻滅・・・に根ざしているから。奇妙なことに、あなた方の宗教は、この悲劇の上に作られたものなのだ。十字架にかけられたイエスの上に。しかし、これは戦争に較べると、顕微鏡的に小さなものになってしまう。何故ならイエスはたった一人、戦争は何百万人なのだから。
 レイディー・スタグ・モーティマー あなたって大変面白い人だわ。お昼を食べに家にいらっしゃらない? 次の火曜日はどうかしら。でなければ二十五日の夕食に。内輪だけのパーティー。お忘れにならないで。
 ジョン あなたは馬鹿な偽善者。頭が混乱して、自分のこともよく分らなくなっている。でも、戦争の時はうまくやりましたね。病院を経営して、慈善マチネーを開催し、喉が張り裂けんばかりに愛国的演説をぶち、負傷兵に、「神よ、救いたまえ」と歌い上げる。自分の息子が戦死した時には、雑誌「イギリスの婦人」に公開書簡を投稿して名声を上げる。「私は息子を祖国に捧げた」と名前がつくことになった手紙です。これがあなたの独創と思ったら大間違いだ。最初の最初から、自分の息子の受け売りだ。あなたの息子の高潔な英雄主義の。自分を、弱い羊どもの目に高いものにうつさせようと、息子の思い出を利用した。調子にのって、他の母親達にも喧伝する。誇り高く、意気揚々と。「私をお手本にせよ。自分の息子を祖国に捧げろ」と。今すぐにでもこのことが息子さんにばれないように、神に祈った方がいいですよ。あなたのブリキで出来た、ちゃちな神様に。彼はあなたを嫌っていた。死ぬ前にもです。でも、これを知ったら、もっとあなたを嫌うでしょうね。
 レイディー・スタグ・モーティマー(愛想よく。)あのフランスに、私の身体の一部が留まっていると思うと、私の心はやすらぐ。私の身体の一部が、今でも残っていると思おうと!
 ジョン 私は彼を知っていたんです。聞こえますか? あなたの息子さんを知っていたんです。
 レイディー・スタグ・モーティマー 誰にも分りはしないの、イギリスの女達がどんなに苦しんだか。苦しんで、苦しみ抜いたか。私達は愛する者を捧げた。誇り高く。その時が来れば私達、何度でも捧げるでしょう。
 ジョン 彼はあなたを嫌っていた。あなたのその愛する者は。
 レイディー・スタグ・モーティマー(ミス・ビーヴァーを見ながら。)会議の時、その女性、出席していなければならないんですの? サー・ジェイムズ。
 サー・ジェイムズ そうですな。メモを取らせていますから。
 レイディー・スタグ・モーティマー 仕方がないわね。じゃ、隅にいるようにと言って。そして、大僧正の方は見ないように。とにかく、大僧正を見ないようにさせて頂戴。
(執事登場。)
 執事(来客を告げる。)ケッチワースの大僧正、そして、サー・ヘンリー・マーストハム。
(大僧正登場。その後ろにサー・ヘンリー。大僧正は愛想のよい人物。微笑んでいる。サー・ヘンリーは背が高く、厳しい顔つき。片眼鏡をかけ、首を少し一方に傾(かし)げている。)
 大僧正 お許しを、サー・ジェイムズ。引きとめられましてな。ご機嫌よう。ああ、レイディー・スタグ・モーティーマー! これは、お会い出来まして・・・
(サー・ジェイムズ、レイディー・スタグ・モーティマーの二人と握手。)
 サー・ヘンリー(墓場からのような声で。)私も議会で足止めをくって。全く激烈な論争で。(握手する。)ああ、レイディー・スタグ・モーティマー!
 レイディー・スタグ・モーティマー 火曜日の昼食会はお忘れにならないように。それから、二十五日の晩餐会と。内輪の集まりですわ。
 サー・ジェイムズ お二人とも、私の「右腕」を御存知ですか? ミスター・ボロウです。
 大僧正 勿論。やあ、今日は。(ボロウと握手。)
 サー・ヘンリー(握手。)今日は。
 サー・ジェイムズ これは息子です。霊の世界からやって来ました。
 大僧正(ジョンと握手。)これは面白い。始めまして。
 サー・ジェイムズ(サー・ヘンリーに。)息子です。あちらの世界からの。
 サー・ヘンリー あちらの?・・・世界?
 大僧正 戦争ですよ、サー・ヘンリー。戦争から。
 サー・ヘンリー ああ、戦争から。(上の空でジョンと握手。)戦争中、私はかなり長いことパリにいました。実に憂鬱な日々でしたな。しかしそれでも、私はなんとか全般にわたって哲学的態度を取っていました。我々一人一人が、それぞれ自分の義務を全うしなければならない試練の日々でした。不平を言っても始まらない。さう、全く始まらない。
 大僧正 さあ、それでは会議を始めますか。今日は私は早く寝ないと。明日は堅信礼(けんしんれい)がイーガムでありますのでな。退屈なものですが・・・
 サー・ジェイムズ シャンペンは如何ですか。
 大僧正 いや、いりません。アルコールはやらないことにしていまして。結婚式の時は別ですがな。これは特別な例外で。
 サー・ジェイムズ サー・ヘンリー?
 サー・ヘンリー 私は後で。後で戴きます。
 サー・ジェイムズ 分りました。レイディー・スタグ・モーティマー!
(サー・ジェイムズ、レイディー・スタグ・モーティマーをテーブルの席に導く。大僧正とサー・ヘンリーにも席を勧める。ボロウはサー・ジェイムズの隣に。ミス・ビーヴァーはサー・ジェイムズの後方の椅子に坐る。)
 サー・ジェイムズ ジョンは私の隣に。
(ジョン、坐る。)
 レイディー・スタグ・モーティマー(サー・ヘンリーに傍白。)あの子、随分可愛い坊やよ。アランをよく知っているの、私の息子のアランを。二人は大変仲がよかったわ。あの二人が休暇で家に帰った時は、楽しかったわ。私達三人だけで。私のことをあの二人、ちっとも特別扱いしなかった。年よりのおばあちゃんじゃなかったわ、三人でいる時は。仲のよい三人の友達・・・
(涙が出てきて、鼻をぐずつかせる。ハンカチを取り出す。)
 サー・ヘンリー レイディー・スタグ・モーティマー、思い出というものは残酷ですな。さあ・・・さあ、さあ・・・(レイディー・スタグ・モーティマーの手を軽く叩く。)
 サー・ジェイムズ(立上って。)今夜お集まり願ったのは、実に重要な問題を討議するためです。即ち、神への冒涜、不道徳思想、遂には暴動へと、現代の若者の心を導く大きな潮流が「戦争文学」の名のもとに、平然と行われようとしているのであります。
 サー・ヘンリー 謹聴、謹聴!
 レイディー・スタグ・モーティマー いい表現! 素敵!
 大僧正 うまい。実にうまい!
 サー・ジェイムズ 我が社会に忽然と現れたこの・・・この潰瘍を、根こそぎ取り除くために、一連の行動を決定すべく、私はこの秘密会議に、現代の最も卓越した、最も力のある三人をご招待したのであります。まづ、わが古き友人、ケッチワースの大僧正。その宗教的診断の指は常に社会の脈に触れている・・・
 レイディー・スタグ・モーティマー(お転婆な格好で、大僧正にキスして。)あら、大僧正さん!
 サー・ジェイムズ(続けて。)次にサー・ヘンリー・マーストハム。その検閲委員会における真面目で妥協のない決定は、我が国の劇場及び図書館に、不健康で卑しい作物(さくぶつ)を悉(ことごと)く排除せしめて来たのであります。
 レイディー・スタグ・モーティマー でもね、サー・ヘンリー。あなた、あの芝居を許可するんじゃなかったわね。あの、お坊さんとチリー大使夫人の、あの芝居は。
 サー・ジェイムズ 私は読んでおりませんな、その芝居は。タオーミナで三週間ばかり休暇を取っていましたからな。
 レイディー・スタグ・モーティマー 本当に嫌らしい話!
 大僧正(急に明るい顔になり。)タオーミナ! ああ、いいところですな、あそこは。やれやれ、あそこに行ってから何年になるか。時の過ぎるのは速いものだ!
 サー・ジェイムズ(続けて。)次にレイディー・スタグ・モーティマー、慈善団体に対する彼女の不屈の熱意、祖国に対する彼女の確固たる忠誠心、イギリス女性の権利に対する熱情的な献身・・・それが彼女の名を不動のものとし、彼女の意見を・・・
 レイディー・スタグ・モーティマー あんな話、聞いちゃ駄目よ、大僧正。お世辞なんですから。
 サー・ジェイムズ そして最後に、と言って軽んじている訳ではありません。わが息子であります。私の血、私の肉・・・それが、奇跡によって、陰の谷間から帰還したのであります。何のために。その個人的戦争体験を、我々に伝えるために。神と祖国のために命を投げ出すに到った、その愛国の魂を知らしめんがために。そして、もし必要とあれば、その若い右腕を我々に貸さんがために。我が祖国のために死んで行った英雄達を擁護せんがため、そして、イギリスの勝利を不名誉なものとし、その犠牲者を不毛のものとして扱う、所謂(いわゆる)戦争文学なるものの著者達により、我々の戦争の思い出を汚さしめざらんがために。
 ジョン(静かに。)戦場における死は、たとえあなたでも、汚すことは出来ない。
 ボロウ(ミス・ビーヴァーに口述する。)サー・ジェイムズ・ケイヴァンの力強いスピーチが終ると、その一人息子ジョン・ケイヴァンは・・・
 ミス・ビーヴァー 「遥かなるヒンターランドから帰還したジョン・ケイヴァンは」?
 ボロウ 遥かなるヒンターランドから帰還したジョン・ケイヴァンは、父親を見上げ、誇り高き微笑を浮かべ、ただ一言、「パパは正しい」と。ただこの一言。しかし、何故か、その一言、その一言で、誰もが全てを理解したのだ。
 大僧正 ここに来たのは、ある本のことを議論するためではありませんでしたかな? ひどく不愉快な本のことを。早速その本題に入りましょう。
(大僧正、微笑し、目を閉じる。)
 サー・ジェイムズ 皆さんは全員お読みになったでしょうな、この風俗壊乱を。
 大僧正 何ですと? また? また風俗壊乱! 可哀相に。暗い小路で、荒くれ男に犯されましたか、小娘が・・・えっ? どうしました? どうなったんです、その小娘は。
(大僧正、ひどく興奮する。サー・ヘンリー、大僧正を宥める。)
 サー・ジェイムズ いえいえ、この本のことです。これ・・・「死後に」・・・この本です。ペリー・ローマスとかいう男の書いたものです。
 ジョン 詩人、ペリー・ローマスの。
 レイディー・スタグ・モーティマー 私は読みましたわ。ひどいもの。辱(はづかし)められた気持ですわ。
 ジョン それで当然。
 サー・ヘンリー 破廉恥なものです、あの本は。
 サー・ジェイムズ 大僧正、あなたの御意見を伺いたいですな、その本の。
 大僧正 どの本の?
 サー・ジェイムズ ペリー・ローマス著、「死後に」です。お送りした・・・
 大僧正 御親切に。送って戴いて実に有難い。
 サー・ジェイムズ お読みになりましたか?
 大僧正 残念ながら読んでおりません。いや、このところ忙しくて、何やかや、あれや、これや。おまけに明日はイーガムで堅信礼・・・やれやれです。
 サー・ジェイムズ ボロウ、ケッチワース大僧正の「死後に」に関する意見を。
 ボロウ ミス・ビーヴァー、ケッチワース大僧正の「死後に」に関する意見を。
 ミス・ビーヴァー(タイプ打ちされた紙を取り出して。)はい、これです。
 サー・ジェイムズ(受取って、大僧正にそれを渡す。)ここにサインをお願いします。
 大僧正 私の眼鏡はどこでしょう。
 サー・ヘンリー(テーブルから眼鏡を取り上げる。)ここです。
 大僧正 有難う。
(大僧正、眼鏡をかける。サインする。その時、かなり激しい呼吸。サインが終ると溜息をつき、背凭れに背中をつけ、両目を閉じる。サー・ヘンリー、大僧正の鼻から、眼鏡を外す。そしてテーブルの上に置く。サー・ジェイムズ、紙を受取り、咳払いをする。声に出して読み上げる準備。)
 サー・ジェイムズ(読む。)デイリー・マーキュリー編集長宛、ケッチワース大僧正の書簡。五月十四日付け「死後に」に関する貴編集部の見解に関し、小生、その見解の、あらゆる点において同意しおる事をここに表明致します。かくの如き書き物に、文学の名を冠することを、小生は拒否するものであり・・・
(ボロウ微笑し、サー・ジェイムズと目配せする。)
 サー・ジェイムズ(続けて。)キリスト教国においては、その出版が禁止されるべきであるのみならず、断固、公共の場において焼き捨てられるべきものであります。これは明らかに邪悪な本であり、神の意志に反する。その内容は、その最も極端な意味において冒涜であり・・・
 ジョン 等々、等々、云々、云々・・・ケッチワース大僧正。
 サー・ジェイムズ(微笑んで。)おお、我が息子、ジョン!
(ジョンの頭を軽く叩く。)
 ジョン(嫌だとばかりそれを避けて。)僕に触らないで。
 サー・ヘンリー 内務省には、手紙を出したのですな?
 サー・ジェイムズ それをあなたにやって戴こうと。それから、次の日曜版用に、マーキュリー宛、あなた御自身の見解を出して下さると有難いのですが。
 サー・ヘンリー つまり、当該出版社に対しては、お宅の方から既に内務省から何らかの禁止処分が出されるであろう旨、警告を出しているという訳ですな?
 サー・ジェイムズ そうです、その通りです。
 ボロウ 私個人としては、もう既に二十部、初版本を買い取っておきました。いつか値が出るでしょうからな。(微笑む。)
 大僧正(ボロウに近づきながら。)「不思議の国のアリス」の初版本なら持っておりますぞ、私は。
 レイディー・スタグ・モーティマー 私に発言させて。私、発言を求めます。
 サー・ジェイムズ ボロウ、レイディー・スタグ・モーティマーのスピーチを。
 ボロウ ミス・ビーヴァー、レイディー・スタグ・モーティマーのスピーチを。
 ミス・ビーヴァー(別のタイプ打ちの紙を取出し。)はい、ここです。
(ボロウ、スピーチを読む。その間、レイディー・スタグ・モーティマー、演説の身振りをし、声をたてずに口をパクパクさせる。)
 ボロウ(読む。)イギリスの婦人達に対する公開書簡。イギリスの婦人達よ、母親達、恋人達、妻達・・・
 ジョン 姉達、妹達、従姉妹達、伯母達、売春婦達、女殺人者達・・・
 サー・ジェイムズ(優しくジョンの頭を撫でながら。)我が息子、ジョンよ! さ、続けて、レイディー・スタグ・モーティマー。
 ボロウ(続ける。)皆さんに、私の心の底からお伝えしたいことがあります。この私・・・人間性奪回のための偉大なる戦争により、我が血と肉の一部を犠牲に捧げたこの私からのメッセージです。大英帝国の輝かしい勝利が、休戦協定の署名をもたらしてから、はや十二年が過ぎました。この十二年の間、私共は我が道を進みました。働き、生活し、雄々しくも、日々の困難を乗り越え、勇ましく死んで行った戦争犠牲者に報いようと、前進を続けてきたのです。
 ジョン 当たり前だ。他に何が出来る。
 ボロウ(構わず続ける。)さて、世界の最高点へ進まんとするこの国民の努力のただ中に、突如として我々は、危機に直面することになったのです。その危機とは何か・・・その潜在的な悪を垣間見るに、あまりに不吉であり、その忍び寄って来る狡猾さに切迫した危険を感じ、従ってその事自体について思い起こすだに、肌に粟を生じるような・・・その危機こそ実に・・・(急に言い止む。)ミス・ビーヴァー! 何だ、これは!
 ミス・ビーヴァー(紙を調べる。)まあ、どうしたんでしょう。私、数行飛ばしてしまったのですわ。申し訳ありません。
 サー・ジェイムズ 見せてみろ。
(ボロウ、サー・ジェイムズに紙を渡す。サー・ジェイムズ、見る。)
 サー・ジェイムズ 何が何だかさっぱり分らんな。(紙を返す。)気をつけるんだ、ミス・ビーヴァー。
 ミス・ビーヴァー(わっと泣き出して。)こんなこと、今までありませんでした。初めてですわ。初めて・・・
 レイディー・スタグ・モーティマー(狂乱状態で。)構いません。構いません。続きを、続きを・・・私のスピーチを続けて下さい。
 ボロウ(続けて。)云々、云々・・・ユニオン・ジャック。
 レイディー・スタグ・モーティマー そこはいいの。そこは飛ばして。早く! 早く!
 ボロウ(続けて。)この戦争の本を書く惨めったらしい男達。戦争の英雄達の名を汚し、兵士達の口から忌まわしい冒涜の言葉を吐かせ、塹壕でウイスキーやラムを飲んでいると中傷し、卑猥な冗談を言いあい、獣(けだもの)のような振るまいさせる・・・こういう描写をする嫌らしい男達、奴等をみんな引きずり出して、銃殺刑に処すべきです。
 ジョン(我慢出来ず。)うるさい! 黙れ! 黙れ!
(ジョン、拳で机を叩く。大僧正、驚いて目を覚ます。)
 大僧正 空襲だ、空襲だ。早く、早く、防空壕へ!
 ジョン この悪夢も霞んできた。もうそろそろ退散する時だ。
 サー・ジェイムズ さ、どうだ、シャンペンは。
 ジョン お父さんはこちら、僕はあちらにいて、時間の軸はすっかり違っている。でも僕にははっきりと見える。あなたは社会を代表する人間、権力のある人間だ。これまでもそうだった。これからもそうだ。ああ、これは譫言(うわごと)だ、死に際の譫言だ。でも真実はここにある。僕の夢とごっちゃになって・・・ああ、酷い。何ていう酷さだ。いいですか、戦争は栄光あるもの、この上なく輝かしいもの。何故ならそれは、人を自由にするから。いや、生きて帰った者を自由にするのではない。死んだ者をだ。このキリスト教世界の悲しい絆(きづな)から彼らを自由に解き放ったのだ。何て惨めなキリスト教世界。そこでは死さえ価値のないものなのだ。
 レイディー・スタグ・モーティマー 名演説! 名演説!
 ジョン こんな生き方と較べたら、戦争などちっとも悪いことはない。戦争は少なくとも行動への機会を提供してくれる。きちんとした、本能的な、明確な、行動への機会を。用心深くぐだぐだと考える隙のない、行動への機会。怖れや常識を越え、「美徳にまで高められた」などと称する偽(にせ)人間性を越えて。シャバでは、転ばぬ先の杖、飛ぶ前には見ろ、こそが大切と信じられている。しかしこれは薄っぺらな防御一途(いちづ)の智恵なのだ。少なくとも、物が見えるようになるのは、飛んでしまった後なのだ。戦争は人間に飛ぶことをさせる。血だらけの混沌(こんとん)の中に全身を飛び込ませる。それで見えるのだ。運がよければ。ただ残念なことに、目が再び見えるようになった時、不純な満足感のため、再び永久に見えなくなってしまうかもしれない。
 サー・ジェイムズ イギリスはお前を誇りに思うぞ、息子よ。
 ジョン イギリスは僕のことなど知りはしない。イギリスが誇りにしているのは偽の栄光だ。本当のイギリスは、勝利を収めたという顔さえ見せず、敗北のうちに死んで行ったのだ。
(遠くに微かな銃声。)
 ジョン ほら、聞こえるか・・・よく聴くんだ、あの銃声を。
 サー・ジェイムズ 息子は命を神と祖国に捧げたのだ。
 ボロウ 神と祖国。
(全員、ジョンの声をバックに「神と祖国」を歌う。非常に単調に、静かに。銃声が近づく。)
 ジョン 聴け・・・聴くんだ。今こそはっきりと聞こえるだろう。・・・キリスト信仰を木っ端みじんに打ち砕いている音だ。知らなかったろう君達は、このことを。君達が馬鹿な虚栄心で捧げた息子達、夫達、恋人達は、今や完全に君達の手を離れている。君達の憎しみから、愛から、小さな哀れむべき祈りから離れ、永遠のかなたに去ってしまっている。こんなことになると知っていたら、彼らを戦場には行かせなかった、そう思うだろう。彼らは逃げて行ったのだ。綺麗さっぱりと。君達がパントマイムで表現する地獄にも、金ぴかの安物で拵えた天国にも、連中はいないのだ。戦争万歳。死、破壊、絶望・・・万歳。これら全てを通して、百万に一つ、希望の可能性がある。君達の愚劣な神が提供してきた、どんなものよりはっきりとした、素敵なものが現れる可能性が。戦争万歳! 戦争万歳!
(ジョン、ヒステリックに笑っている。サー・ジェイムズと他の者達は「神と祖国」を歌い続けている。銃声はだんだん激しくなり、照明は暗くなる。)
(それからペリーの声が静かに言うのが聞こえてくる。)
 ペリーの声 あ、目を開けたようだぞ。
(遠くに機関銃のバリバリという音が聞こえる。)

     第 六 場
(場 ティリー、ショウ、ベイブ・ロビンズとジョン、夕食のテーブルについている。夕食は終って、みんなはコーヒー、或はブランデーを飲んでいる。テーブルの真上に明かりがあり、それ以外は照明なし。従って、テーブル以外の場所は暗闇。ティリーは四十三歳。灰色の髪。鼻眼鏡をかけている。ショウは三十九歳。ひどく肥満していて、顔はピンク色。ベイブ・ロビンズは三十二歳。自動車産業に従事しているありふれた若者。三人ともかなり裕福に見える。三人とも夜会服姿。葉巻を吸っている。第一場で示していた活気は、ここにはない。ジョンは今までと同じ服装。)
 ジョン(グラスを上げて。)乾杯しよう。満足に対して乾杯だ。
 ティリー 満足に?
 ジョン そうだ。満足、平和、それに、豊かさに対してだ。
 ショウ 酷いもんだな、これは。夢の中でも最低の夢だ。
 ベイブ まあいいやそれで、ジョン。満足、平和、豊かさに、乾杯!(飲む。)
 ティリー うん。まあ乾杯だ。(飲む。)
 ショウ いいブランデーだからな。(飲む。)
 ベイブ ペリーがいないのは残念だな。
 ティリー その方がいいさ。
 ショウ 何故。
 ティリー ここはあいつには場違いだ。
 ショウ しようもない奴になっちまってる、あいつは。この間会ったが、見る影もない。おまけにあんな本まで書きやがって。
 ジョン ティリー、あんたはあいつのことが好きじゃなかったな。
 ティリー いや、あの頃は別に大丈夫だった。直さなきゃならないことはいろいろあったがな。ま、そんな事を言えば、俺達みんな同じだ。
 ベイブ(大きく笑って。)そうか。直さなきゃならないか、俺達みんな。
 ジョン ティリー、あんたは戦場では規律を守れ一点張りの男だったな。
 ティリー 当たり前だ。常識だろう?
 ジョン 今でもか?
 ティリー どういう意味だ、それは。
 ジョン 内地での生活でもそれか? 不滅の魂に向って、「四列作れ!」の号令で行くのか?
 ショウ(笑う。ブランデーの壜に手を伸ばして。)「不滅の魂に向って」か。参ったね。
 ジョン 失礼。深い意味はなかった。ただ口から出ただけだ。
 ティリー もうそろそろしたら、俺は家に帰らなきゃならん。
 ジョン どこなんだ、家は。
 ティリー ハムステッドだ。
 ジョン ああ、いいところだな。
 ティリー とにかく空気は綺麗だ。
 ジョン 奥さんと子供?
 ティリー うん。
 ジョン 子供は何人?
 ティリー 二人だ。二人とも男。
 ジョン お前はどうだ、ショウ。結婚してるのか。
 ショウ うん。
 ジョン 子供は?
 ショウ(急に不機嫌になって。)お前の知ったことじゃないだろう?
 ジョン あ、失礼。
 ショウ 何なんだ? 一体これは。
 ジョン(グラスを上げて。)「家庭生活、家庭のモットー、目覚めよ、キリスト教者!」
 ティリー お前には皮肉は似合わないぞ、ジョン。生きていようと死んでいようと。
 ジョン ベイブ、お前、アーミテッジのことを覚えているか。
 ベイブ 勿論。どうして訊くんだ、そんなことを。
 ジョン どうなんだ、お前の心の中で、あいつの思い出は。まだはっきり心に焼き付いているのか? 大事なものなのか。
 ベイブ(不機嫌に。)何の話だ、それは。意味が通じないな。
 ジョン あの頃のお前は、あいつを愛していたんだ。
 ベイブ(パッと立上って。)何を言う! 馬鹿なことを言うな!
 ジョン 誤解するな。何も意地悪で言ってるんじゃない。あれこそが一番いいところなんだ、お前の。心の底から溢れ出て来る真摯な気持。これを否定するようなら、今のお前に何か欠陥があるんだ。戦場における男同志の愛は雄々しいものだ。思い出して懐かしいものだ。平和な時代になって、それを腐らせようなどと、ケチな根性だ。
 ティリー 感傷だ、そんな気持は。
 ジョン 僕の最後の拠り所なんだ、君達三人は。僕を疎ましく思わないでくれ。いろんなことを知りたいんだ。これは君達にとってはただの夢だ。だから正直になれる筈だ。夢の中なら正直にしたって関係ないからな。実人生では、そうはいかない。相手に柵を立てたり煙幕を張ったり、カムフラージュをしてみたり。しかしここ、夢の中でなら、また一緒になれる。君達のよって立っているところ、実際にやっていること、を教えてくれ。僕が死んでいるからと言って、僕に理解出来ない訳はない。死はそれほど決定的ではない筈だ。君達は妻、子供達、それからこの繁栄、平和、に満足しているのか。それとも、そういうふりをしているだけなのか。
 ショウ まづ、そういうことを訊くお前の狙いが知りたいね。
 ジョン 君達は生き残っている。その理由が知りたいんだ。
 ティリー 生きていること。それで理由は充分じゃないか。
 ジョン いや。それで充分だとは僕は思えない。
 ティリー 馬鹿な。そういうのを病的な無駄口と言うんだ。
 ジョン 戦場でのあの奇妙な感覚を君は忘れたのか。あの力強い感覚・・・あれに匹敵する強い感覚を、他の場で感じたことがあるのか。あれは素晴らしい、解き放たれた感覚だった。そしてそれが、お互いの絆を強めていたのだ。今まで慣れ親しんできた全てのものから切り離されて、それなのに孤独でない・・・休暇と手紙が来た時は別だったが・・・一瞬一瞬が勝負。それしか頼るものがない。過去も、未来も、神への信頼もない。戦場に出た人間は誰でも、早いうちに神は死んでいる。小さな楽しみがあった。覚えているか? 何て胸おどる楽しみだったことか、あれは。眠ること、暖かいこと、食い物、飲み物、混乱の中から引きだされる思いがけない単純そのものの楽しみだ。だけど信じられないほど気持が慰んだ。
 ティリー(苦々しく。)大砲で木っ端みじんに吹き飛ばされた男達はどうなんだ。何時間も泥の中に横たわって、苦しみの中で死んで行った奴は? 手足をもぎ取られてかたわになった奴は? 盲(めくら)になった奴は? 一生涯盲なんだぞ。
 ジョン それはある。それはたとえあったとしても、それに値する何かよいものがある。個人個人には違うかもしれない。しかし、全体に関る何かよいものが。生と死を越えた何かよいものが。ただ一瞬、ただの一瞬しか存在しないかもしれないが。
 ティリー 何が「ただの一瞬」だ。糞食らえだ、そんなもの。俺は家に帰る。
 ジョン ハムステッドへか。
 ベイブ ハムステッドがどうかしたか。僕はそれが訊きたい。ハムステッドが何だって言うんだ。
 ジョン 空気はいいからな、とにかく。
 ショウ お前を見ていると吐き気がしてくる。利口ぶった役は止めるんだ。
 ジョン 君の息子が大きくなって、また戦争が起ったとする。子供が徴兵に応じる時、誇り高い気分になるか、君は。
 ベイブ もう戦争は起らないさ。
 ジョン 戦争は必ず起きるものだ。どうなんだ、ティリー。子供を行かせるのか? 戦場に。
 ティリー 子供が行くと言った時、俺には止める力はない。それが出来るなどと自惚れてはいない。
 ジョン その気になれば、撃ち殺すことは出来るぞ。
 ショウ(怒鳴る。)もし俺に子供がいて、戦争が起ったとするぞ。子供が行かないなどと言ったら、俺は撃ち殺してやる。
 ジョン たいした度胸だ。しかし、どういう理由からだ、殺すのは。
 ショウ 責任を回避するのは嫌いだからだ。
 ジョン 君の子供は何に責任がある。
 ショウ その時までその子供達に教え込んだ規律だ。その規律に対して責任がある。
 ジョン 子供に教えこむ、その規律とは何なのだ。
 ショウ いいか、笑うなら笑え。俺は一向に構わん。神を信じろということ、そして一旦緩急あれば、祖国のために立上れ、そして規律に従って身の振り方を決めろということだ。
 ジョン その規律を子供が勝手に作ったらどうなる。神を受け入れず、国家が重要なものではないと考えたら。お前は子供を殺すのか。
 ショウ 殺す。それで終だ。
 ジョン じゃあ、まあ新しく生れて来る子供のために、次の戦争が起ることを祈るんだな。多分、君の希望通りに事は運ぶだろうから。君の子供は君の教育した規律通り、立派に成長して、神と祖国のために雄々しく戦い、君はそれを誇りに思うさ。君の子供は立派できちんとしているんだからな。僕はそれを心から信じるさ。ただ君の子供が戦場でどういう感情を持つか、その時点での君には到底理解を越えている。今でさえ、あれからたった十三年しか経っていない今でさえ、戦場での大切な感覚を君は忘れているんだ。子供が戦場にいる頃はとても無理だ。もっと年とっているんだからな。戦場に行かなきゃ撃ち殺してやると、さっき残酷にも言い放ったな。戦場から帰って来た子供でも撃ち殺せるよう、精々心を鍛えておくんだな。
 ベイブ(ヒステリックに。)止めろ、そんな言い方をするのは。俺達のことをほっといてくれ。ああ、この夢を覚ましてくれ!
 ジョン 運がなかったな、ベイブ。僕の代りに君の方が死ねたかもしれないんだ。覚えているか?
 ベイブ 援護射撃はそっちから言い出したことだ。そちらの責任だ、あれは。
 ジョン(優しく。)もういい。心配するな。
 ベイブ もう行かせてくれ。夢を覚ましてくれ。
 ジョン すぐ終る。もうあと少しだ。
 ベイブ ああ、神様! 神様!(両腕に頭を埋める。泣く。)
(影の中から第一場の姿でベイブ登場。十九歳の軍服姿。椅子の後ろにじっと立つ。遠くに大砲の音。)
 ジョン 見てみろ。死なない方がよかったのか。生きていても、それに代るほど良いことがあったとはとても思えないぞ。
 ショウ(泣いているベイブに。)黙るんだ。しっかりしろ。お願いだ。ああ、神様!
 ジョン 面白いな、その「ああ、神様!」というところは。
 ショウ 出て行け! お前など見たくもない。出て行くんだ!
 ジョン 真面目そのものになっているな、ショウ。それに怖がっている。君は怖がったりする男じゃなかったぞ。
 ショウ 出て行け! 出て行くんだ!
 ジョン(鋭く叫ぶ。)ショウ、ショウ、出て来い。俺達を笑わせるんだ。お前はいつも俺達を笑わせていた。出て来るんだ。おどけた三枚目! 道化!
(ショウ、影から出て来て、現在のショウの後方に立つ。ジョンに目配せをして、顔いっぱいに笑いを浮かべる。銃声がショウの登場と共に聞こえて来る。)
 ジョン これでよくなった。この方が居心地がいい。どうだ? ティリーも。
 ティリー(静かに。)厭な奴だ。そんな手にのるものか。
 ジョン どうして君は僕を嫌うんだ。
 ティリー 厄介なことを惹き起こして。しようもない幽霊だ。
 ジョン 君は他の連中より頭がよかった。その頭のよさを示したいからなのか、僕のことを思い出そうとしないのは。
 ティリー お前は昔のお前とは違うんだ。全く赤の他人だ、お前は。死んでから何を習ってきたか知らないが、ちっともよくなっちゃいない。こんな夢など、目が覚める前に忘れてやる。
 ジョン 何故だ。何故そんなことを言う。
 ティリー お前は兵士としてはひどく立派な男だった。そういう人間として思い出したいんだ。単純で率直な男・・・こんな生意気な口をきく奴ではないお前をな。お前の居場所は抽象化されたところの筈だ。第十四次元の世界か。何でもいい。そこへ戻れ。俺のことなど放っておくんだ。俺はこれで充分だ。この人生、この平和を受け入れている。死も戦争もだ。みんな仕事のようなものだ。そして俺は、仕事をして食っている男なんだ。
 ジョン そして、その目的は?
 ティリー 俺には分らん。お前にだって分っちゃいないんだ。そんなことには興味がない。俺は暇を潰しているんだ。単なる暇潰しさ。(ショウとベイブを蔑(さげす)むように指さして。)こいつら二人、全く従順なものだ。こういう奴は世界にごまんといる。その場の気分ですぐ簡単に動いてしまう。お前はうまく連中の弱みにつけ込んだ。「運が悪かったなベイブ、僕の代りに君の方が死ねたかもしれないんだ」。全く巧妙な心理作戦だ。触って貰いたくない、厭なところをつくんだからな。英雄崇拝、それから「戦場における男同志の愛は」ときた。心の問題か、性の混乱か。ベイブの奴は死ぬまでああだ。それからショウ。パブリック・スクール仕込みの負けず嫌いをうまく利用して、いもしない自分の息子を愛国心一筋の議論で撃ち殺させるところまで追い込んで。うまいやり方だ、お前のは。それから「ショウ、ショウ、出て来い。俺達を笑わせるんだ。三枚目! 道化!」仲間だ。仲間意識を呼び覚ますんだ。「なあショウ、あの頃はよかったなあ」。こう来られては、あいつはいちころだ。見てみろ、あいつを。真ん丸でピンク色をした陽気なあの顔を。宴会たけなわの気分。旦那様に対する女中の感傷と変りはしない。俺はそんなに簡単にはひっかからない。
 ジョン そうは言っても、死にかけた僕が運ばれて行くのを見て一番悲しんだのは君だったんじゃないのか。
 ティリー 俺の二番手で指揮を取っていたそのお前の腕、それを失うのが残念だったのさ。
 ジョン それだけのことだと言うのか。
 ティリー そう。それだけのことだ。
 ジョン それは信じられない。
 ティリー やれやれ、自惚れの強い男だ。
 ジョン それだけじゃない。それだけじゃなかった筈だ。君には暖かみがあった。僕はそれを感じたんだ。
 ティリー もう夢うつつの状態だったんだ。あの時感じたことなど、関係はない。
 ジョン(荒々しく。)まだ僕は死んではいなかった。もうあと数秒残っていたんだ。
 ティリー それなら早く終ってしまうんだ。俺の時間を無駄使いするな。
(明かり、消え始める。大砲の音が大きくなる。)
 ジョン まだだ。まだ終らないぞ。僕は母親に会わなきゃならない。約束したんだ。
 ティリー それなら早くしろ。俺は疲れた・・・もうこれ以上、ここをうろつくな。
(明かりが消える。暗闇の中でティリーの声が、指揮官らしく響く。「もう少し高く持ち上げろ・・・ゆっくりやれ・・・俺に水を・・・」ベイブの声が言う。「死んだのか?・・・ジョンは・・・」)

     第 七 場
(場 舞台の左手にゆっくりと明かりがつく。レイディー・ケイヴァンが、窓の傍でペイシェンスをしている。ジョンがテーブルの傍に立っている。)
 ジョン(急いでいる言葉で。)お母さん。
 レイディー・ケイヴァン(立上って。)もう?
 ジョン ええ。
 レイディー・ケイヴァン もう大丈夫。私、泣かない。騒がないわ。
 ジョン(母親を両手で抱いて。)ああ、お母さん。
 レイディー・ケイヴァン じゃあ、これで本当に終りなのね?・・・これで。
 ジョン(囁くように。)ええ。
 レイディー・ケイヴァン ねえ、教えて頂戴。あなたはここに留まっていたかもしれないのね? もし、・・・もしこの世が、それだけの価値のあるものだったら。
 ジョン ええ、多分。よく分らないけど、きっと。
 レイディー・ケイヴァン じゃあ、あなた・・・喜んで行くのね?
 ジョン ええ。
 レイディー・ケイヴァン 私は?・・・私はどうだったかしら。(声がかすれる。)私じゃ駄目だったかしら。私だけじゃ・・・
 ジョン ほんの少しの時間だけ。お母さんはすぐに死んで、僕一人が残る。たった一人。淋しく。僕は生れて来なければよかった。
 レイディー・ケイヴァン そう。
 ジョン もうあと数年だけだよ、お母さん。勇気を出して。
 レイディー・ケイヴァン 死んで、あの無限に空虚な空間に行った時、二人が会えること、ないかしら。
 ジョン 百万分の一かな。あるかもしれないけど。
 レイディー・ケイヴァン そんなことが気になるって、まだ生きているってことね。馬鹿げてるわ。
 ジョン 僕はまだ境い目にいるのでよく分っていない。ひょっとしたら、ずっとずっと先に行けば、霧はすっかり晴れているのかもしれない。でも、どうかな。
 レイディー・ケイヴァン(非常に静かに。)愛してるわ、ジョン。この世に今まであった愛全てを籠めて。無限の空虚な空間なんて気にしない。あなたがどこにいようと、どんなに深い忘却の中にあなたの精神がいようと、この愛はあなたと共にあるの。私にはそれが分っている。しっかりと分っているわ・・・この私の理解の力の限界を越えて。愛しているわ、ジョン。愛しているわ、私・・・
 ジョン 愛するママ・・・さようなら。
 レイディー・ケイヴァン(非常に優しくキスして。)さようなら、ジョニー。
(明かり、ゆっくりと消えて行く。)

     第 八 場
(明かりがつき、ゆっくりと塹壕が見えて来る。第一場の終りの場面が現れる。ただ、担架はその場所より少し進んでいて、ジョンが横たわっている寝台にまで届いている。担架を運ぶ兵隊が、ジョンを担架にのせる準備。その時ジョン、身体をおこし、目を開ける。)
 ジョン お前の言っていた通りだ、ペリー・・・くだらない冗談だ!
(ジョン、また倒れて、元の姿勢に戻る。ティリー、担架を運ぶ兵隊達にちょっと離れるよう合図。そして無限の優しさでジョンを抱え、担架にのせる。その時、幕下りる。)
                   (幕)

   平成十四年(二00二年)三月十八日 訳了

http://www.aozora.gr.jp 「能美」の項  又は、
http://www.01.246.ne.jp/~tnoumi/noumi1/default.html
 
 
 First professional production: BBC2 TV, 17 Sept. 1968, in 'The Jazz Age' drama series (dir. John MacKenzie).

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