西暦二二二二年
           ミハイール・ブルガーコフ 作
           能 美 武 功 訳


(題名に関する註 原題は「Blazhenstovo(ブラジェーンストヴァ)」。至福、という意味で、タイムマシーンで行く場所の街の名前。そこでは今、西暦二二二二年。これを訳の題名とした。)


   登場人物
イェフゲーニイ・ニカラーイェヴィッチ・リェーイン 技師
リェーインの隣人
ユーリイ・ミラスラーフスキイ 「歌手」なる渾名の男
ブーンシャ・カリェーツキイ 公爵、かつ住宅委員会秘書
イヨアーン・グローズヌイ 皇帝
アプリーチニック
親衛隊隊長
ミーヘリソン 市民
ラダマーノフ 発明委員会会長
アヴローラ その娘
アーンナ ラダマーノフの秘書
サーヴヴィッチ ハーモニー研究所所長
グラーッベ 医者

世話好きな客
警官
(時はいろいろに移る。)

     第 一 幕
(春の日。モスクワのアパート。玄関に電話あり。ひどく散らかっているリェーインの大きな部屋。隣はミーヘリソンの部屋。立派な家具あり。)
(リェーインの部屋には台があり、その上に小さな機械がのっている。設計図と道具がその傍にある。リェーインがその機械をいじっている。油で汚れた作業服姿。髯も剃っていず、どうやらゆうべは寝ていないらしい。時々リェーインが機械の調節に成功すると、遠くから気持のよい音楽と、軽いざわめきの音が響いてくる。)
 リェーイン 三百六十四・・・また同じ音だ。それ以上は駄目か・・・
(舞台裏から突然隣人の興奮した声が聞こえてくる。「鰊(にしん)・・・今日が最後の日・・・」それから何かぶつぶつ言う声。パタパタと足音。次にリェーインの部屋の扉にノックの音。)
 リェーイン 何だ・・・また誰か来たかな。
 隣人(入って来て。)ソーフィヤ・ピェトゥローヴナ! ね、ソーフィヤ・ピェトゥロー・・・あら、奥さんいないの? リェーインさん、奥さんに言って。二番目のクーポンを出すと、組合で鰊(にしん)が買えるの。早く行かなくちゃって。今日が最後の日なのよ。
 リェーイン 言えって言われても困るな。夕べからいないんだから。
 隣人 どこへ行ったの?
 リェーイン 恋人のところへだ。
 隣人 まあ、何て話! そんなことあなた、平気で言えるの? 恋人のところへだなんて。でも、その恋人って誰?
 リェーイン 誰だなんて、僕は知らないよ。ピョートル・イヴァーノヴィッチか、それとも、イリヤー・ピェトゥローヴィッチ・・・覚えてないな。覚えてるのはただ、そいつが灰色の帽子をかぶっていて、党員じゃないってことだけだ。
 隣人 まあ、呆れた。あなたって随分変っている人ね。このアパートには他にあなたみたいな人、いないわ。
 リェーイン 悪いけど、僕は今忙しいんだ。
 隣人 ねえ、今日、配給があるのよ。鰊(にしん)なの。
 リェーイン 僕は忙しいんだ。
 隣人 で、奥さん、いつ帰って来るの? その党員じゃない人のところから。
 リェーイン 帰って来ない。行きっぱなしの筈だ。
 隣人 それであなた、辛くないの?
 リェーイン ねえ、さっきから言ってるだろう? 僕は忙しいんだ。
 隣人 ええ、ええ・・・まあ大変! じゃあね。(退場。)
(舞台裏でこそこそ話声。「恋人のところへ行ってしまったんですって・・・鰊の配給なのに・・・ついこの間だって・・・」それから足音。扉がバタンとしまる音。静寂。)
 リェーイン 厭な奴らだ、全く!(機械に戻る。)そう、最初からうまくはいかない。辛抱だ。全部の列を試してみよう。(機械の修理を始める。)
(照明、だんだんと暗くなり、最後にリェーインの部屋、すっかり暗くなる。その間に、ずっと歌声が遠くから聞こえている。)
(玄関の扉が音もなく開く。玄関にユーリイ・ミラスラーフスキイ登場。ちゃんとした服装。芸術家タイプ。)
 ミラスラーフスキイ(リェーインの扉のところで耳をすます。)家にいるぞ。みんな仕事に行っているのにこの男は家だ。蓄音機を直している。そう、ミーヘリソンの部屋はどこだ?(ミーヘリソンの扉で名札を読む。)ああ、ここだ。スェルゲーイ・イェフゲーニエヴィッチ・ミーヘリソン。奇妙な名前だな、これは。きっと役所の席に坐って、今頃考えているんだろう、何て素晴しい錠前を僕はかけたんだ、なんて。しかし、本当はこんな錠前なんかちっとも良くはない。(錠前を壊す。そしてミーヘリソンの部屋に入る。)素晴しい家具だ。独身男性は贅沢に暮しているからな。よく見かけるよ。ああ、親子電話になっている。さあて、最初の仕事だ。あいつに電話をしなきゃ。(受話器に。)人民委員会調達部に繋いで下さい。・・・ああ、内線九00です。・・・ええ、タヴァーリシチ・ミーヘリソンを。・・・有難う。(少し声を変えて。)タヴァーリシチ・ミーヘリソン? ボンジュール・・・当ててみたまえ。・・・芸術家だよ。・・・いや、君は知らない。しかしこちらは実にお近づきになりたいと思ってね。・・・すると、四時まではそこにいるね? じゃ、また電話する。僕はひどく辛抱強い男でね。(受話器を置く。)酷く驚いてたな。さてと、始めるとするか。(書き物机を叩き壊す。金額のはる物を捜す。戸棚、小箪笥に目がとまり、それらを叩き壊す。)アンピール様式の家具か。なかなか趣味のしっかりした奴だ。(柱時計を外す。ミーヘリソンの外套を着る。帽子を帽子掛けから外し、サイズの表示を見る。)フン、これは僕にぴったりだ。疲れた。(食器棚(線画の模様のついた高価な物)から、つまみと酒を取り出し、飲み始める。)このウオッカ、何で作ったのかな。素晴しい味だ。うん、蓬(よもぎ)ではないな。この部屋はなかなか快適だ。読書も好きなようだぞ。(机から本を取り、読む。)金持で・・・名誉ある・・・カチュビェーイ・・・ムダー・・・彼の畑は・・・果てしなく広い! 良い詩だ。(受話器を取る。)人民委員会調達部を頼む。・・・有難う。内線九00。・・・そう。タヴァーリシチ・ミーヘリソンを。・・・そう。・・・ああ、タヴァーリシチ・ミーヘリソンか? また僕だ。君、あのウオッカは何で作ったんだ? 材料は。・・・僕の名は秘密だ。今日は君、驚くことがあるぞ!(受話器を置く。)驚いていたな。(またウオッカを飲む。)金持で・・・名誉ある・・・カチュビェーイ・・・ムダー・・・彼の畑は・・・果てしなく広い!
(ミーヘリソンの部屋、灯りが消える。リェーインの部屋に照明があたる。リェーインと機械のある辺りがチカチカ光り始める。)
 リェーイン ははーん、光り始めたぞ。しかし、これが目的じゃない。
(扉にノックの音。)
 リェーイン 糞っ! お前なんか消えてしまえ。いいな!(光、消えてしまう。)
(ブーンシャ・カリェーツキイ登場。頭に女性の帽子。)
 リェーイン リェーインは留守だ。
(ブーンシャ、微笑む。)
 リェーイン いや、真面目な話だ、スヴャトスラーフ・ヴラヂーミラヴィッチ。僕は忙しいんだ。おや? 頭にあるのは?
 ブーンシャ これは頭の飾りでね。
 リェーイン じゃ、そんなものを、分って被っているのか。
 ブーンシャ(鏡を見ながら。)リーヂヤ・ヴァスィーリエヴナのところで、つまりその・・・被ってきたんだ。
 リェーイン あんたはね、スヴャトスラーフ・ヴラヂーミラヴィッチ、あんたは、注意力のない人間だ。だから、自分の家にじっとして、孫のお守(もり)でもしていていればいいんだ。帳簿を持って、うろうろ、うろうろ、アパートの各階に廻ることはない。
 ブーンシャ 孫はいないんでね。それに、うろうろするのを止めると、恐ろしいことが起きるかも知れないし。
 リェーイン 国家が崩壊するとでも?
 ブーンシャ そう、崩壊する。もし誰もこのアパートの家賃を払わなかったらね。
 リェーイン 僕は金がないんだ、スヴャトスラーフ・ヴラヂーミラヴィッチ。
 ブーンシャ 家賃を払わないですませることは決して出来ない。住宅委員会ではみんな君が払えると思っている。払わないではすまされない。最後には、私はこの部屋にきて、家財を一切合切剥がす。みんなは噂するだろうがね、窓の敷居のところに坐って、禁じられていることをペラペラと。
 リェーイン 公爵さん、あんた、医者に診て貰った方がいいんじゃ・・・
 ブーンシャ いいですか、イェフゲーニイ・ニカラーイェヴィッチ、私はもうすでに、自分が公爵でないことはあなたに証明して見せた筈ですよ。公爵と呼ぶのは止めてくれませんかね。
 リェーイン あなたは公爵ですよ。
 ブーンシャ いいえ、違います。
 リェーイン ひどく頑張るものですね。あなたは公爵ですよ。
 ブーンシャ それが違うんです。(書類を取り出して。)ここに私の母が私の父を裏切ったという証明書があります。これによると私は、御者のパンチェリェーイの子供なんです。だから私はパンチェリェーイによく似ている。さあ、読んで下さい。
 リェーイン 読む価値などありませんよ。それに、たとえあなたが御者の子供であったとしても、どうせ僕には金なんかないんですから。
 ブーンシャ お願いします。家賃を払って下さい。さもないとルコーブキンが言っていましたが、この建物は経営不良掲示板に載ってしまうんです。
 リェーイン 昨日妻がピョートル・イリイッチとかいう男のところへ行ってしまったんです。鰊(にしん)も駄目だったし。そうしたら変な小母さんがやって来て・・・公爵じゃありませんよ。それに、御者の息子でもありません。その小母さんが僕をいじめたんです。妻は僕を捨てた・・・分りましたね?
 ブーンシャ 失礼ですが、何故私のところへ届け出なかったんです。
 リェーイン あなたの知ったことではないでしょう? それとも、あんたが連れて帰ってくれるって言うんですか。
 ブーンシャ 私はすぐにあなたの奥さんを連れて帰らねばならない。それが見込みです。で、どこへ行ったんです、あなたの奥さんは。
 リェーイン どこへ行こうと僕には興味がないんです。
 ブーンシャ あなたに興味がないのは分ります。でも、私には興味があるんです。すぐに捜して連れ戻りましょう。(間。)ちょっと坐らせて貰いますよ。
 リェーイン 坐ったって、何のこともありませんよ。いいですか、私はこの機械を直していた。その間、ちっとも心配などしていなかったんですからね。それをあなた、どう説明します?
 ブーンシャ そんなことは自分で説明したらいいんです。つい先だって、講演があって、私は聞きに行きましたがね。いや、実に役に立ちましたよ。性病についての講義でした。我々の人生は一般的に言うと、なかなか面白く、ためになるものなんですがね。ただ、このアパートの住民はいかん。そういうことがまるで分っていない。ひどく奇妙なんです。例えばミーヘリソンですがね、彼は高価なマホガニーの家具は買っても、ここの家賃はまるで払おうとしない。そしてあなたは機械にかかりっきりだ。
 リェーイン 何ですかそれは、スヴャトスラーフ・ヴラヂーミラヴィッチ。寝言ですか。
 ブーンシャ 私はね、イェフゲーニイ・ニカラーイェヴィッチ、あなたにお願いがあって来たんです。あなたのその機械をちゃんと警察に申告して欲しいとね。これは登録が必要です。そういうことをさぼるから、十四号室で噂が出たりするんです。あなたがこのソ連からその機械に乗って消えようとしている、などとね。しかし、いいですか? もしあなたが消えるんでしたら、私も一緒に消えさせて貰いますからね。
 リェーイン 一体どこの大アホですか、そんな話をするのは。
 ブーンシャ すみません。実は私の姪です。
 リェーイン 何故あなたの姪御さんはそんな突拍子もないことを言うんです。そうだ、これはあなたのせいですよ。あなたがこうやって、このアパート中をうろうろして、何にでも首を突っ込んで、あることないこと、おまけに嘘までつくからそんなことになるんです。
 ブーンシャ 私は何と言っても、政府の役人ですからね。このアパートを管理しなきゃならないんです。さあ、さっきのその機械を出して。私に説明して貰いましょう。
 リェーイン お願いです。ちょっと待って。分りました。いいでしょう。こっちへ来て下さい。簡単極まりないことです。私は時間の研究をしていて、この機械はその実験装置です。そうですね、どう説明したらいいか・・・実は時間というものは虚構のもので、過去も未来もない・・・そう、空間が例えば五次元持っていると仮定すればどうでしょう・・・とにかく簡単に言って、これだけを頭に入れて下さればいいんです。つまり、この機械は何の害もしない。何の当たり障りもない。爆発などとんでもない。誰にも、何にも関わりのないものなのです。例えば、このボタンをマイナス三六四に合わせてみましょう。それからスイッチを入れます。マイナスですから、過去ですね?(スイッチを入れる。)
(輪が光り始める。歌声が聞こえて来る。)
 リェーイン さ、残念ですが、これで全部です。(間。)あ、しまった! 馬鹿なことを! 俺は発明家なんかじゃない、馬鹿だ! 大馬鹿だ! もし数字が逆なら、俺はプラスを回さなきゃならないんだ! それから、プラスなら、数字は逆にするんだ!(機械に突進する。どこかのボタンを回し、改めてスイッチを入れる。)
(と同時に、リェーインの部屋の灯りが暗くなり、鐘の音が響く。ミーヘリソンの部屋の代りに、アーチのついた会議場があかあかと照らし出される。手に錫杖(しゃくじょう)を持ったイヨハーン・グローズヌイが、黒い聖衣を着て椅子に坐っており、人に自分の言葉を書き取らせている。その言葉を書き取っているのはアプリーチニック。錦(にしき)の衣装をつけ、その上から聖衣を纏(まと)っている。)
(どこからか、教会のリズミカルな歌声と長く響く鐘の音が聞こえて来る。)
(リェーインとブーンシャ、黙る。)
 イヨハーン ・・・そしてその指導者を・・・
 アプリーチニック(書きながら。)・・・そしてその指導者を・・・
 イヨハーン ・・・聖なる修道院コズマーの所有する神聖な村へと・・・
 アプリーチニック(書く。)・・・神聖な村へと・・・
 イヨハーン ・・・イエス・キリストはその弟子達と共に・・・王と偉大な公爵イヴァーン・ヴァスィーリエヴィッチは、その部下達と共に・・・そして全ロシアは・・・
 アプリーチニック(書く。)・・・そして全ロシアは・・・
 イヨハーン ・・・嘆願する。
 リェーイン あっ!
(リェーインの声を聞き、イヨハーンとアプリーチニック、振り返る。アプリーチニック、驚きの叫び声を上げ、飛び上がり、後ずさりし、十字を切って退場。)
 イヨハーン(こちらも飛び上がる。十字を切り、リェーインにも十字を切ってやる。)消えろ! お前、怪しい奴! 何だ、この得体(えたい)の知れない・・・人殺しか、お前は! おお、消えろ! 消えろ!(無我夢中でリェーインの部屋に駆け込み、玄関の壁に十字を切る。そして退場。)
 ブーンシャ そーら、イェフゲーニイ・ニカラーイェヴィッチ。これがあんたの作った機械の正体だ。
 リェーイン あれはイヨハーン・グローズヌイだったぞ! 外に出たりしたら大変だ! 人に見られてしまう! ああ、何ていうこと! 何ていう・・・(イヨハーンの後を追って、こちらも退場。)
 ブーンシャ(玄関の電話器に突進する。)警察を・・・今日の当直を出せ・・・当直だ・・・バーン街十番地、借家人組合、住宅委員会の秘書だ。・・・この建物に住んでいる物理学者リェーインが、許可なくある機械を作成し、そこから皇帝が出たんだ。・・・私じゃない。私がやったんじゃない。物理学者のリェーインだ!・・・バーン街と言っているだろう?・・・酔っちゃいない。しらふだ。しらふなんだ!・・・私の名はブーンシャ・カリェーツキイ! 私が責任を取る。いいから、責任はちゃんと取る!・・・当直からの返事を待っている! 出来るだけ早くやるんだ!(受話器を置く。リェーインの部屋へと走る。)
 リェーイン(走って登場。)屋根裏から屋根へは行けないのか? やれやれ!
(イヨハーンの会議場の後ろから警鐘が鳴り、銃声が轟く。「さあ行け! やれやれ!」という叫び声が聞こえる。会議場に、手に半月形の斧を持った昔の親衛隊隊長が突入して来る。)
 親衛隊隊長 どこだ、皇帝は。
 ブーンシャ 知らない、私は。
 親衛隊隊長(十字を切って。)何だと? 怪しい奴め! この野郎! この野郎!(斧を振り回す。)
 リェーイン 糞っ!(機械に突進し、スイッチをひねる。)
(と同時に、会議場も、親衛隊隊長も消え、騒音もなくなる。ただ、ミーヘリソンの部屋の壁があった所に、あまり大きくない暗い穴がポッカリ空いている。)
(間。)
 リェーイン そら見ろ。分ったろう。
 ブーンシャ 何が。
 リェーイン 待てよ。さっきあんた、電話したな?
 ブーンシャ 電話? そんなものするもんか。
 リェーイン 嘘をつくな。この下層民め! ついさっき電話した筈だ。ちゃんとその厭らしいお前の声が聞こえたんだ。
 ブーンシャ 下層民! 私のことを・・・何という・・・けしからん・・・
 リェーイン 相手が相手なら、言う言葉は一つだ。この馬鹿野郎! 多分やつは屋根には上ってはいまい。ああ、人に見られてはいないだろうな・・・人に・・・屋根裏の扉をえらい音を立てて閉めたからな・・・ああ、誰かがあいつら全員を、鰊(にしん)と一緒に持って行ってくれたらいいんだが。
(この時、穴から・・・つまり、ミーヘリソンの部屋から・・・心配そうなガサゴソという音を立てながら、ミラスラーフスキイ登場。小脇にミーヘリソンの柱時計を抱えている。)
 リェーイン また出て来たか!
 ミラスラーフスキイ すみませんが、どういうことでしょう。こんなところに出たことは私はないんですが・・・たしかここには壁が・・・壊れてしまったんですか? 道路にはどうやったら出られるんでしょう? 真直ぐ? ああ、すみません・・・
 リェーイン いや、待て!
 ミラスラーフスキイ 待て、とは? どういうことで?
 ブーンシャ そいつはミーヘリソンの時計だ。
 ミラスラーフスキイ えっ? 何ですって? どうしてミーヘリソンの・・・これは私の時計ですよ。
 リェーイン(ブーンシャに。)いいでしょう、時計なんかどうだって! どうやら僕は針をゼロにまで戻さなかったようだ。糞っ! まいったな。(ミラスラーフスキイに。)で、あなたは何時の時代の人です? 名前は何というんです。
 ミラスラーフスキイ ユーリイ・ミラスラーフスキイ。
 リェーイン まさか!
 ミラスラーフスキイ 嘘だと言うんですか? 私にはちゃんと身分証明書があります。ただ、別荘に置いて来たな。
 リェーイン 職業は?
 ミラスラーフスキイ 何故そんなことを聞くんです。・・・まあいいでしょう。歌手です。国立劇場で歌っているんです。 リェーイン 全くどうなっているんだ。訳が分らない。あなたは今の人ですか? この我々の時代の? どうやってあの機械から出て来たんです。
 ブーンシャ それに、ミーヘリソンの外套はどうやって・
 ミラスラーフスキイ 失礼ですが、そのミーヘリソンというのは一体何ですか。それに、モスクワ中捜しても、カシミアの外套はそのミーヘリソンのところに一着あるきりなんですか?
 リェーイン 外套!・・・外套なんかどうでもいい!(機械の文字盤を見る。)ああ、これだ! 針をゼロまで戻さずに、マイナス三年のところにしてある。すみません。ここに立って下さい。今戻してあげます。(機械を動かす。)よし、これで・・・えっ? 故障? 動かないぞ。えらいことだ! あーあ、やれやれ、暫く屋根裏にあったからな。(ミラスラーフスキイに。)いや、心配しないで。実はその・・・僕は時間の機械を発明して、そこに丁度あなたが・・・いや、とにかく驚くことはありません。今僕が修理しますから。時間は虚構だということに問題があるだけで・・・
 ミラスラーフスキイ えっ? 何の話? 何のことやらチンプンカンプン・・・
 リェーイン そこに問題がある。だからちゃんとここに機械はあって・・・
 ミラスラーフスキイ ご立派な機械! ところで失礼ですが、この機械は何でも欲しいものが出てくる打出の小槌(こづち)なんですか?
 リェーイン ・・・そうそう、打出の小槌。ちょっと待って。ドライバーを持って来る。
(ドライバーを取って、機械の方に顔を向ける。)
(ミラスラーフスキイ、上体を屈め、機械を覗(のぞ)き込む。その瞬間、機械についている輪が急に燃え上がり、部屋の光と輪の光が入れ代わる。竜巻が起る。)
 リェーイン どうしたんだ。機械に触ったのか!
 ブーンシャ 門番! 門番!
(竜巻、ブーンシャを捕え、輪の中にブーンシャを引きずりこむ。ブーンシャ、輪の中に消える。)
 ミラスラーフスキイ 何だ、これは! 助けてくれ!(カーテンを掴む。カーテン、引きちぎれる。竜巻がミラスラーフスキイを引き込み、ミラスラーフスキイ、輪の中に消える。)
 リェーイン 何だ! 何がどうなったんだ!(輪の方に突進する。機械を掴む。)鍵だ。鍵はどこだ!(機械と一緒に輪の中に消える。)
(家全体がシーンとなる。長い間の後、玄関の扉が開き、ミーヘリソン登場。)
 ミーヘリソン(自分の部屋の扉のところで。)何だ、これは!(部屋に入って。)何だ、これは!(部屋の中を駆け回る。)何だ! 何だ! これは!(電話器に飛びつく。)警察を! 警察を出して! バーン街、十番地です! えっ? 皇帝? 何が皇帝です。・・・違います。強盗です。盗まれたんです!・・・名前? ミーヘリソン。・・・私の名はミーヘリソン!(受話器を投げ付けるように置く。)何だ、これは!
(この瞬間、玄関に力強いベルの音。ミーヘリソン、扉を開ける。大勢の警官が登場。)
 ミーヘリソン これはまた、どうして! 皆さん、こんなに素早く対応して下さって、一体どういう訳です?
 警官 皇帝はどこです。
 ミーヘリソン 皇帝? 何ですか、皇帝とは。私は強盗に遭ったんです。壁まで壊されて! さあ、見て下さい。時計も、外套も、洋服も、シガレットケースも、何もかも一切合切!
 警官 皇帝のことで電話したでしょう、あなたは。
 ミーヘリソン 何が皇帝ですか、一体。強盗です。見たら分るでしょう!
 警官 落着いて下さい、あなた。おい、スィードルフ、通行を一時封鎖だ。
 ミーヘリソン 強盗だって言うのに!
(暗闇。ここは「大モスクワ」。その「ブラジェーンストヴァ」と名のついた町。その中のある建物の部屋。建物は地上から信じられない高さに聳えている。部屋はその中にあるが、部屋から巨大なテラスが奥に見える。柱廊があり、柱は大理石。)
(複雑ではあるが目立たぬ家具。どう使ったものか、現代の我々には分らない。机についているのは、発明委員会委員、ラダマーノフ。部屋着を着て本を読んでいる。)
(ブラジェーンストヴァ町の上空は澄み渡っている。日没。)
 アーンナ(登場して。)会長、もうそんなことをしている時間ではありませんわ。
 ラダマーノフ 本も読んでいられないかな?
 アーンナ もう着替えの時間です。あと十五分したら、信号が来ます。
 ラダマーノフ(時計を取り出し。)そうか。アヴローラが飛行着したか?
 アーンナ ええ。(退場。)
 アヴローラ(登場。)そうよ、私、ここ。パパ、明日は五月一日ね。おめでとう。
 ラダマーノフ そうだ、もうすぐ五月一日だな。お前にもおめでとう。ところでサーヴヴィッチが今日十回も電話をかけてきたぞ。お前のいない間に。
 アヴローラ あの人、私を愛しているの。だから虐(いぢ)めてやると楽しいわ。
 ラダマーノフ といって、私を虐めることはしないで欲しいな。あの男、今朝八時にここへ入り込もうとしたぞ。お前が飛行着していないかって。
 アヴローラ パパはどう思って? あの人、私を幸せに出来るのかしら。
 ラダマーノフ 正直に白状するがねアヴローラ、私にはそんなこと、どうでもいいんだ。ただお前が今日、あいつに何らかの答をしてやってくれればと思うだけでね。
 アヴローラ パパ、パパも知ってるでしょう? このところ私、ずーっとあの人の魅力の虜(とりこ)になっていたって。
 ラダマーノフ 覚えているよ。丁度一箇月前、お前がそこの柱の傍に立って、あいつにどんなに惹(ひ)かれているかを長々と話して、私から時間を奪ったのをね。
 アヴローラ 私、何か夢でも見ていたんじゃないかしら。今さっぱり思い出せないの、あの人の何がそんなに気に入ったのか。あの人の眉だってたいしたことはないし、あの人の「ハーモニー」に関する理論でギクッとした訳でもない。ねえパパ、あの人の「ハーモニー論」って言うのはね・・・
 ラダマーノフ 勘弁してくれ、アヴローラ。そいつは、願わくは聞きたくないね。サーヴヴィッチ本人から、もううんざりするくらい聞かされているんだ。
(机の上の何かの器具に青い光がチカチカと光る。)
 ラダマーノフ あ、ちょっと失礼。(その器具に。)うんうん、飛行着している。
(光、消える。)
 ラダマーノフ 今あいつ、煙草を吸っている。なあお前、頼むよ。この件は、イエスかノーか、この辺ではっきりさせてくれないか。私は着替えて来る。
(ハッチが開いて、そこからサーヴヴィッチ登場。フロックコート姿。寸分隙のない、目の醒めるような出立ち。手には花束。)
 サーヴヴィッチ 愛するアヴローラ、驚かないで。客がまだこないうちにちょっと顔を出しただけなんだ。この花束をどうか受取って。
 アヴローラ 有難う。・・・どうぞ、坐って、フェルディナーンド。
 サーヴヴィッチ アヴローラ、僕は返事が聞きたくてやって来たんだ。君、今日の夜答えてくれるって言ったね?
 アヴローラ ああ、そうね。明日は五月一日。だから、答は明日。つまり、今日の夜中。それまでは駄目。私、意識を集中して考えたいの。
 サーヴヴィッチ 分った。じゃあ、夜中まで待つ。まあ、それまでの少しの時間で事が変るなんて、あり得ないことは分っているけど。ねえ、アヴローラ、僕達の結婚は変えようったって変えられっこないんだ。僕ら二人はハーモニーを形作っているペアーなんだ。それに僕は、君を幸せにするためならどんなことでもする決心でいるんだからね。
 アヴローラ 有難う、フェルディナーンド。
 サーヴヴィッチ ではこれで失礼するよ。メーデーになったとたん、僕は現れるからね。
 アヴローラ お待ちしているわ。
(サーヴヴィッチ退場。)
(ラダマーノフ登場。まだ着替えは途中の状態。)
 ラダマーノフ 行ったのか?
 アヴローラ ええ。
 ラダマーノフ また返事をしてやらなかったね?
 アヴローラ 魅力のある女性の常ね。私も気が多い性質(たち)なの。
 ラダマーノフ 悪いがね、お前は自分が思っているほど魅力はないよ。一体、あの男をどうするつもりなんだ? お前は。
 アヴローラ 私さっき、「眉だってたいしたことないし」って言ったけど、言い方が間違ってた。あの人、眉に力がないのよ。酷い眉。馬鹿馬鹿しい眉だわ。だいたい魅力のある男性っていうものは・・・
(舞台裏でガラスの壊れる大きな音が響く。光が消え、またパチパチとつく。テラスにブーンシャが飛んで到着。次にミラスラーフスキイ、最後にリェーイン。)
 リェーイン おお、これは!
 ブーンシャ イェフゲーニイ・ニカラーイェヴィッチ!
 ミラスラーフスキイ 一体僕をどこに連れて来たんだ!
 ラダマーノフ 役者達だな。ガラスを壊すことはないだろう? 君達。外す必要があるなら、前もって言ってくれなきゃ。ここは私の部屋なんだからね。
 リェーイン どこです? ここは。答えて下さい。さあ、どこなんです、ここは。
 アヴローラ ブラジェーンストヴァ町よ。
 ラダマーノフ 君達、悪いがね・・・
 アヴローラ パパ、黙ってて。これ、カーニバルの仮装。冗談なのよ。
 ラダマーノフ 第一にだ、まだ時間が早過ぎる。第二に、冗談にしても、ガラスを割るとは・・・ああ、三人のうち一人は女性の帽子・・・なかなか洒落たことをするもんだ・・・
 リェーイン ここはモスクワ?(手摺(てすり)に突進し、町を見る。)ああ!(狂気の表情で振り返り、懸かっているカレンダーを見る。)ああ、大失敗だ・・・二千二百二十二年! これですっかり分った。ここは二十三世紀なんだ。(気絶する。)
 アヴローラ 待って! この人、本当に気絶したのよ! 頭の骨にひびが・・・パパ! アーンナ! アーンナ!(リェーインに突進する。)
(アーンナ、走って登場。)
 ラダマーノフ(受話器を取って。)グラーッベ! 頼む。すぐ来て欲しい。・・・そう。えらい事が起きて・・・訳が分らんことだ。・・・人が頭を打って・・・
 アーンナ 誰です? この人達は。
 アヴローラ 水を!
 ブーンシャ 死んだのか? こいつは。
(ハッチが開き、まだ着替えのすんでいない姿でグラーッベ、飛んで登場。)
 アヴローラ ここです、先生。ここです!
(グラーッベ、リェーインを抱え、息を吹きかえさせる。)
 リェーイン(我に返って。)聞いて・・・僕の言うことを・・・そして信じて欲しい・・・僕は時間に潜り込む機械を発明した・・・ほら、あれがそう・・・僕の言う事を分って欲しい・・・我々は二十世紀の人間なんだ!
                    (暗転)
                (第一幕 終)

     第 二 幕
(同じテラス。夜。イリュミネーションが鮮やか。シャンパンつきの宴会。ラダマーノフとリェーインが器具(電話の代りになるような機械)の傍に立っている。二人とも燕尾服姿。ちょっと離れてサーヴヴィッチ。アーンナも器具の傍にいる。こちらは舞踏会用の衣装。力強い音楽が聞こえている。)
 ラダマーノフ ブラジェーンストヴァ町が、あのガラスの塔のところで切れて、あそこから先が隣の町です。あのガラスの塔には「青い垂直線」という名前がついています。ほら見て・・・今、小さな火が沢山あの塔から上りましたね? 「垂直線」の住民がこちらに飛んで来るのです。
 リェーイン なるほど、なるほど。
(器具に光がチカチカと点滅する。)
 アーンナ 「青い垂直線」が、技師リェーインに会いたいそうです。
 ラダマーノフ お厭じゃありませんね?
 リェーイン ええ、喜んでお会いします。
 アーンナ(器具に。)御静粛に。ただ今、発明委員会会長、ラダマーノフが出ます。
 ラダマーノフ(リェーインに。)こちらにどうぞ。(上の方を明るくして、器具に話しかける。)青い垂直線の諸君! 五月一日、メーデー、おめでとう!
(テラスの傍に螢(ほたる)の群が飛んでいる。突然上の方から、光がリェーインをいっぱいに照らす。)
 ラダマーノフ 諸君はリェーインに会いたいと言っていたな? さあ、諸君の目の前にいる、これがリェーインだ。天才的技術者、リェーイン。二十世紀・・・あの辛い戦争の時代・・・二十世紀の人だ。二十世紀に関して、電信で送られてきた情報はすべて正しいものであることが判明したぞ! さあ、これが彼・・・イェフゲーニイ・リェーインだ!
(どよめきが伝わって来る。暫くして螢、全部消える。)
 ラダマーノフ 見ましたか、あの興奮を。あなたが世界に与えた興奮ですよ、あれが。
(器具の光、消える。)
 ラダマーノフ お疲れになったでしょう、リェーインさん。
 リェーイン いやいや、私は何もかも見ておきたいのです。ああ、そうだ。天才・・・それは私じゃない・・・本当の天才は、あの医者のグラーッベ先生です。私は今、力に満ちあふれている。あの人が私に命を吹き込んでくれたのです。
 サーヴヴィッチ あの薬は決して濫用してはいけません。
 ラダマーノフ あ、そうそう、お二人はまだ面識が・・・
 リェーイン ええ、まだです、紹介は。
 ラダマーノフ こちら、ハーモニー研究所所長、サーヴヴィッチ・・・こちらは技師リェーイン。(リェーインに。)そうですね。きっとあなたは我々のダンスパーティーの様子をお知りになりたいでしょう。ちょっとこちらへ、アーンナ。この方を案内して。
 アーンナ 畏まりました。喜んで。
(アーンナとリェーイン、退場。)
(間。)
 ラダマーノフ さて、フェルディナーンド、どう思う? 君は、この件について。
 サーヴヴィッチ 当惑です。僕にはさっぱり分りませんね。(間。)どうなるんでしょう、一体、パーヴェル・スェルゲーイェヴィッチ、これから先の成行きは。
 ラダマーノフ ねえ君、私は予言者じゃないよ。(何か捜すように、ポケットを叩く。)ちょっと君、煙草を持ってないかな? この大騒ぎで私は、シガレットケースをどこかへやったらしい。
 サーヴヴィッチ(ポケットを叩く。)これは驚いた。僕も忘れている。シガレットケースを!(間。)ラダマーノフ!・・・いや、そんなことはあり得ない!
 ラダマーノフ いや、こんなことは全く珍しい。あり得ないと言ったところで、起ったことだ。あり得ないなどと言うだけ無駄だ。いや、親愛なるフェルディナーンド、調和の崇拝者君、その考えはあり得ると、ここではしておこう。何と言ったって、あの三人は第四次元から私達の世界に落っこちて来たんだからな。まあとにかく・・・今に分るさ。それにしても煙草が吸いたいね。
(二人退場。)
(拍手が聞こえて来る。ブーンシャ登場。その後ろからミラスラーフスキイ。その後ろにいる人に何度もお辞儀をする。二人、きちんと髯を剃り、燕尾服を着ている。)
 ミラスラーフスキイ いや、本当に、本当に、有難うございます。メルスィー、グラン・メルスィー。では、次の時にまた・・・喜んで・・・メルスィー!(ブーンシャに。)我々はどうやら気に入られたようだ。
 ブーンシャ これが二十三世紀か。変な話だ。社会主義は楽しみを求めるものじゃないぞ。それなのに連中は舞踏会などをやっている。それに、口にすることといったら、何だあれは。ハッハッハ・・・しかし、一番問題なのは燕尾服だ。こんな贅沢・・・必ず非難されるぞ! 非難囂々(ごうごう)の記事が出るにきまっている!
 ミラスラーフスキイ 自分の格好をまづ見るんだな。自分から着ているんじゃ話にならないさ。それに、誰が批難するっていうんだ?
(一人の客、燕尾服で登場。)
 客 いやあ、お二人さん、そっと二人だけでいたいんですね? ええ、ええ、私、すぐ退散します。ただ、どうしても偉大なあの、リェーインさんのお連れの方達と握手がしたくて・・・
 ミラスラーフスキイ これはこれは、御丁寧に。メルスィー、グラン・メルスィー。私、ミラスラーフスキイ・ユーリイです。こちらは秘書で。あなたはどなたで?
 客 私はモスクワ水圧局の局長です。
 ミラスラーフスキイ これはこれは。お初にお目にかかります。やはりあなたも、労働者階級の方で?・・・そうそう、こんな握手なんて、月並みな・・・さあ、接吻です、接吻・・・
 客 まあ、これは光栄です・・・実に・・・
(ミラスラーフスキイ、客と抱擁。)
 客 この感激の一瞬、生涯忘れません。(ブーンシャとも抱擁しようとする。)
 ミラスラーフスキイ この男とは不要です。秘書に過ぎませんから。
 客 どうぞ、どうぞ、お幸せに。(退場。)
 ミラスラーフスキイ 気持のよい連中だ。単純で、飾り気がない。それに、気がいいこと、限り無しだ。
 ブーンシャ 燕尾服を着て、全く一般の夜会に出席するなどと、私がこんな光景を見るはめになろうとは! 一体、連中はどういう身分なのだ。知りたいものだね。
 ミラスラーフスキイ 私にブツクサ言うのは止めて下さいよ。そんなことを調べさせてはくれませんよ、決して。
 ブーンシャ いや、私はもう調べはすんでいる。私の調べた情報を君に分けてやってもいいくらいだ。だが一つ、どうも分らないことがある。どうして、ぴったりミーヘリソンが帰って来る時間に君はあそこに現れたのだ。私には何か疑惑が湧いてきた。(机の方に近づく。机の上には二十世紀の時代から持って来た色々な物がのっている。時計、カーテン、女性用の帽子。その時計を取って。)おまけにここには、ミーヘリソンと名前が彫ってある。
 ミラスラーフスキイ そうさ。私が彫ったんだ、ミーヘリソンと。
 ブーンシャ 何故他人の名前を自分の持物に彫るんだ。
 ミラスラーフスキイ それは、その名前が気に入ったからじゃないか。ミーヘリソン・・・美しい名前だ。何ならこの名前を剥がして、新しく彫り直したっていい。ミラスラーフスキイってね。それなら納得がいくだろう。
 ブーンシャ いや、納得などいくものか。相変わらず疑うだけだ。
 ミラスラーフスキイ やれやれ、酷い話になったものだ。私はね、暮しに全く不自由のない男なんですよ。その私にどうしてミーヘリソンの、愚にもつかない時計が必要だっていうんです。ほら、時計ならここにありますよ。(ポケットから時計を出す。)
 ブーンシャ ここの主人のラダマーノフの時計にそっくりだぞ、この時計は。・・・それにちゃんと「アール」と彫ってある・・・
 ミラスラーフスキイ ほーらね、あんた、見たら分るでしょう?・・・
 ブーンシャ 「あんた」呼ばわりは止めてくれ。貴様、何の権利があって私を「あんた」などと・・・
 ミラスラーフスキイ へえ、お気に召しませんか? じゃ、私のことを「あんた」と呼べばいいでしょう?
 アーンナ(登場して。)お二人だけで退屈ではございません? シャンパンでも飲みにいらしたら?
 ミラスラーフスキイ これは有難いお申し出だなあ。ところでマドゥムワゼッル、つかぬことを伺いますが、シャンパンなどという生易しいものでなく、その・・・アルコールのきついやつをこちらでこっそり戴く訳には参りませんかね?
 アーンナ アルコール? 強いのを? そんなもの、お飲みになるのですか?
 ミラスラーフスキイ それはもう、喜んで。
 アーンナ 面白いお話ですわ。でも残念ですけど、そういうものは売ってはいないんですの。ただそこに蛇口がありますね? それを捻(ひね)るとすぐ純粋のが出て来ますわ。
 ミラスラーフスキイ おお! 何という設備の行き届いた部屋なんだ! ブーンシャ! ワイングラスだ!
 アーンナ こんなもの飲んだらやけどするんじゃありません?
 ミラスラーフスキイ 大丈夫ですよ。ちょっとだけやってみるんです。ブーンシャ、マドゥムワゼッルにグラスを。
 アーンナ(受取って。注がれ、飲む。)ウッ!
 ミラスラーフスキイ ほら、食べて、食べて、つまみを。
 ブーンシャ つまみを食べるんです!
(この時、困った表情の客登場。三人の邪魔にならないよう机の下で何かを捜す。)
 ミラスラーフスキイ おぢさん、何捜してるの?
 客 ご免なさい。鎖のついたメダルをどこかに落してしまいまして・・・
 ミラスラーフスキイ ああ・・・それはお気の毒・・・
 客 すみません。もう一度あっちの部屋で見てみます。(退場。)
 ミラスラーフスキイ この世紀の人達はみんな素敵ですね。あなたの健康を祝して、もう一杯乾杯と行きましょう。
 アーンナ 私・・・酔っぱらわないかしら。
 ミラスラーフスキイ アルコールで? 何を仰るんです。ただつまみさえ食べれば大丈夫なんですよ。公爵、パイを頼むよ。素敵なパイをね。
 ブーンシャ(アーンナに。)あなたに、私の祖先パンチェリェーイの話をして上げましょう。
 ミラスラーフスキイ 何がパンチェリェーイだ。そんなもの犬にでも聞かせればいい。祖先が何だから、どうだって言うんだ。血筋など何の関係もないんだ。
 ブーンシャ(アーンナに。)お嬢さん、お聞きしていいでしょうか。その・・・あなたはどこの労働組合に属していらっしゃるのですか?
 アーンナ ご免なさい。私、質問の意味が分りませんわ。
 ブーンシャ つまり、別の聞き方をすると、納付金はどこに収めていらっしゃるか、ということなんですが。
 アーンナ やっぱり分りませんわ、意味が。(笑う。)
 ミラスラーフスキイ(ブーンシャに。)全く、こっちにまで恥をかかせて。警察のことを聞いた方がまだしもだった。どうせ警察なんかないっていうのが答だろうけど。
 ブーンシャ 警察がない? まさか、そりゃ君の当てずっぽうだよ。警察がなかったら、住民登録簿はどうやって作るんだ。
 アーンナ ご免なさい。私、笑ったりして。でも、あなた方の話していること、私にはさっぱり分らないものですから。お二人は、いらした世界ではどんなお仕事を?
 ブーンシャ 私は賃貸住宅協同組合の住宅委員会秘書ですが。
 アーンナ ああ・・・ああ・・・そう。で、そのお仕事、何をなさるんです?
 ブーンシャ カード整理の仕事です。
 アーンナ あら・・・で、それ、面白いお仕事ですの? 一日をどうやって過すんですの?
 ブーンシャ 非常に面白い仕事です。一日の過し方ですが、まづ、朝起きます。妻と一緒に、充分にお茶を飲んで、それから妻は、協同組合に行きます。私は家でカードの整理をします。整理というのは、まづ最初に、私の担当の建物に死亡者がいないかどうか調べることです。死亡者があれば、即座にその人物のカードを抹消します。
 アーンナ(笑う。)何のことでしょう。全く分らないわ。
 ミラスラーフスキイ いいですか、これは私が説明しましょう。朝起きて、まづカードの記入。生きている人にはごちゃごちゃ書いて、死んだ人はカードを捨てる。それから、一人一人に紙を配る。一週間経つ。配った紙を取り上げる。またごちゃごちゃ書く。それから紙を配って、それから取り上げて、またごちゃごちゃ書いて・・・(訳註 当時のソ連社会への皮肉。住宅委員会は住民に、配給のチケットを配り、配給が終ると、住民が配給をどれだけ受取ったかをチェックする。そこを乱暴に表現したもの。)
 アーンナ(笑う。)きっと御冗談ね。そんなの気違い沙汰ですもの!
 ミラスラーフスキイ こいつ、もうとっくに気違いですよ。
 アーンナ 私、頭がぐるぐる回る・・・私、酔ったわ。お二人とも、アルコールでは酔わないって仰ったでしょう?
 ミラスラーフスキイ 大丈夫です。大丈夫。さあ、私がこうやって支えてあげますから。
 アーンナ いいえ、お構いなく。やはりこの時代から見ると、あなた方少しおかしいわ。でもきっと、女性に対する騎士道のおつもりなんでしょうね。ねえ、あなた方はリェーインさんの助手でしたの?
 ミラスラーフスキイ 助手・・・というよりはその・・・何て言えばよいか・・・まあ、彼の親しい友人・・・いや、実を言うと、彼の隣の部屋にミーヘリソンというのが住んでいて、そのミーヘリソンの友人なんですよ、僕は。たまたま僕は電車に乗って、ミーヘリソンの部屋へ・・・そこでジェーニャが声をかけて・・・
 アーンナ ジェーニャって、リェーインさんのこと?
 ミラスラーフスキイ ええ、ええ、リェーイン。そう、リェーイン・・・「どうだ? いっちょう飛んでみないか?」って・・・僕は言いましたね。いいじゃないか、飛ぶの・・・飛ぼう飛ぼうってね。・・・(ブーンシャに。)ちょっと黙るんだ。いいな? そう、そういう訳なんだよ・・・ね? お手を・・・いいですか? キスして。
 アーンナ どうぞ。私、勇気のある人、尊敬するわ。
 ミラスラーフスキイ 私のような仕事をしている人間には、勇気は不可欠の要素なんです。ちょっと躊躇(ためら)ったりしたら、それこそ五年は後悔することになる。
 ラダマーノフ(登場して。)アーンナ、私はどうやら時計をなくしたらしいよ。この大騒ぎだからね。どこかで見なかった?
 ミラスラーフスキイ 見ませんでしたよ。
 アーンナ 私、後で捜しておきますわ。
 ブーンシャ タヴァーリシチ・ラダマーノフ・・・
 ラダマーノフ 何ですか?
 ブーンシャ 私は身分証明書を提出しておきたいのですが・・・
 ラダマーノフ 身分証明書? 何です? それは。
 ブーンシャ 私がどこの誰かを証明している書類です。証明書未提出で舞踏会を楽しんだということになると、これは一大事です。どうしてもこれだけは申し上げておかないと・・・
 ラダマーノフ 何でしょう、あなた。今のお話は私にはさっぱり分りませんが・・・ではその話は後程・・・(退場。)
 ブーンシャ この國の管理機構はガタガタだな。どこをついてもフニャフニャだ。全く手ごたえがない。
 グラーッベ(登場。)ああ、お二人はここでしたか。やっと見つけました! ラダマーノフさんが心配しておられましたよ。長い飛行の後ですからね。疲れていらっしゃるのではないかと。(アーンナに。)ちょっと失礼しますよ。(屈んでミラスラーフスキイの心臓のところに耳をあてる。)何かお飲みになりましたか?
 ミラスラーフスキイ レモネードです。
 グラーッベ フム、正常です。(ブーンシャに。)あなたは?
 ブーンシャ 先生、私は夕方になると腰が痛むんです。どうも椅子が私には合わないようで・・・
 グラーッベ 分りました。ちゃんとしたもの・・・あなたに合う椅子を用意しましょう。失礼して脈を・・・あれ? 時計はどこだ? まさか落してはいない筈・・・
 ミラスラーフスキイ きっとそれは、落されたんでしょう・・・
 グラーッベ いや、たいしたことじゃありません。有難う。外套に入れたままにしていたんじゃ・・・(退場。)
 アーンナ どうしたんでしょう。みんな時計を・・・どうかしていますわ。
 ミラスラーフスキイ 笑っちゃいますね、実際。伝染病かな?
 ブーンシャ(小声で、ミラスラーフスキイに。)ミーヘリソンの時計・・・これが最初。二度目がラダマーノフさんの・・・そして今のが三度目・・・怪しい・・・実に怪しい・・・
 ミラスラーフスキイ うるさいな。うんざりだ。(アーンナに。)行きましょうか?
 アーンナ アルコールのせいだわ。私、立てない。
 ミラスラーフスキイ さ、僕に掴まって。(ブーンシャに、小声で。)いいか、お前はどこかへ行っちまうんだ。お前一人で楽しくやれ。僕にうるさく付きまとうな。いいな。
(三人退場。)
(リェーインとアヴローラ、登場。リェーイン、頭を両手で掻きむしりながら入って来る。)
 アヴローラ その人、どこへ行ったって仰るの? イェフゲーニイ・ニカラーイェヴィッチ。
 リェーイン 二つのうち一つですよ。まだ屋根裏部屋でじっとしているか、もう掴まってしまっているか。ああ、それとももう、とっくに精神病院に入れられているかもしれない。お分りでしょう? あの人のことを考えると、僕はもう、心配で気が狂いそうになるんです。ああ、ああ、ああ・・・もうとっくに警察が来ている。可哀想に、酷いことになっているぞ! いや、もう考えたってしようがない。喋るだけ無駄だ。どうしようもないことはどうにもしようがないんだからな。
 アヴローラ もう心配はお止めになって・・・さ、ワインでも飲んで・・・
 リェーイン 仰る通りです。(飲む。)ああ、それにしても・・・
 アヴローラ あなたをじっと見つめて・・・私、もう目を離すことが出来ない。ああ、イェフゲーニイ・ニカラーイェヴィッチ。あなた、御自分をどういう人間だとお思いになって?・・・そう、あの機械、いつ修理なさるおつもり?
 リェーイン ええ、その事なんです、僕の悲劇は。重要なデータが頭から抜けてしまって・・・いや、必ず思い出します・・・
(間。)
 アヴローラ ねえ、教えて下さいな。あなたには私生活というものがおありでしたの? つまりその・・・結婚をしていらしたの?
 リェーイン ええ、まあ。
 アヴローラ で、今は?・・・奥様は?
 リェーイン 僕を置いて出て行った。
 アヴローラ あなたを置いて? 誰のところへ?
 リェーイン セミョーン・ピェトゥローヴィッチとかいう男・・・僕はよく知らない・・・
 アヴローラ でもどうして一体・・・あなたを・・・
 リェーイン この機械にかかりっきりで、酷くお金に困って・・・部屋代も払えない始末になって・・・
 アヴローラ あらあら・・・で、あなたはそれで・・・
 リェーイン 僕がそれで?・・・
 アヴローラ いいえ、いいの。それはいいの。
(時計、夜中の十二時を打つ。舞踏会の部屋からどよめきが聞こえて来る。と同時にハッチが開き、サーヴヴィッチ登場。)
 アヴローラ 十二時だわ。ほーら、私の婚約者。
 リェーイン あっ!
 アヴローラ あなた方、もうお知り合い?
 サーヴヴィッチ うん、紹介されて。
 アヴローラ フェルディナーンド、あなた、私に話があるんでしょう?
 サーヴヴィッチ もし出来れば。指定された通り、私は十二時にやって来ました。
 リェーイン どうぞどうぞ、私は・・・(立上がる。)
 アヴローラ 遠くに行かないでね、リェーインさん。私達すぐ終りますから。
(リェーイン退場。)
 アヴローラ あなた、返事が欲しいのね? フェルディナーンド。
 サーヴヴィッチ ええ。
 アヴローラ 私のこと、怒らないで。そして忘れて頂戴。私、あなたの奥さんにはならないわ。
(間。)
 サーヴヴィッチ アヴローラ・・・アヴローラ! そんなことってないよ。君、一体どうしたんだい? 僕らはハーモニー・・・お互いのために生まれた二人じゃないか。
 アヴローラ いいえ、フェルディナーンド、それは悲しい間違い。私達、お互いのために生まれて来たんじゃないの。
 サーヴヴィッチ ねえ、この質問にだけは答えて。君に何が起ったの?
 アヴローラ いいえ、何にも。ただ私、鏡でじっと自分を見つめたの。そうしたら私、あなたの人じゃないって分ったの。あなたは間違っているのよ。それが分らなきゃ、フェルディナーンド。私達ちっともハーモニーのペアなんかじゃないの。
 サーヴヴィッチ いや、僕には分っている。君が間違っているんだ、アヴローラ。ハーモニー研究所に間違いなんかありこない。僕は君にこれを証明してみせる!(退場。)
 アヴローラ やれやれ、どこまでハーモニーなんか信じる気!(呼ぶ。)リェーインさん!
(リェーイン登場。)
 アヴローラ ご免なさいね。もう話は終りましたわ。ちょっとワインを注いで下さらない?・・・さ、踊りに行きましょう。
(リェーインとアヴローラ、退場。)
 ミラスラーフスキイ(後向きで登場。)いえいえ、それは御勘弁を。どうかお許しを。(咳をする。)どうも今日は声の調子が悪くて。本当です。声がどうも・・・いえ、そう言って下さるのはまことに光栄なのですが・・・どうか・・・
 アーンナ(走って登場。)あなた、もし読んで下さるなら、私、キスして上げるわよ。
 ミラスラーフスキイ その条件ならのみますよ。(顔を突き出してキスを受けようとする。)
 アーンナ 詩の朗読が終らなくちゃ駄目。それにあなた、アルコールのことでは大嘘つきね。あの人酷く酔っぱらっちゃったわ。
 ミラスラーフスキイ すみません、どうも・・・
 ラダマーノフ(登場して。)ミラスラーフスキイさん、お願いしますよ。私の顔を立てて。私のあの客達に、どうか何か朗読してやって下さい。
 ミラスラーフスキイ と言われてもですね、パーヴェル・スェルゲーイェヴィッチ、朗読と言っても私は詩しか朗読はしないんです。そして、宙でやれる題材・・・所謂(いわゆる)レパートリーと言えるものを、私は持っていませんので・・・
 ラダマーノフ 詩ですって? 何て素晴しい。ただ、白状しますが、私は詩というものが全く分らなくて・・・でも、あなたがやって下されは、客達が大喜びすること、請け合いです。
 アーンナ さ、この機械の前へ来て。隣の部屋に放映します。
 ミラスラーフスキイ 私ははにかみやで・・・とてもそんな・・・
 アーンナ 何を言ってるんです。あなたらしくもない。
(照明がミラスラーフスキイを照らす。)
 アーンナ(機械に。)御注目下さい! ただ今から、二十世紀の芸術家、ミラスラーフスキイ氏が、詩を朗読します。
(機械から拍手が聞こえる。)
 アーンナ 誰の詩を朗読するのですか? ミラスラーフスキイさん。
 ミラスラーフスキイ 誰の・・・ですって? 私のです。
(機械から拍手の音。)
(この時客の一人が登場。酷く陰気な顔。床を見ている。)
 ミラスラーフスキイ 金持で・・・名誉ある・・・カチュビェーイ・・・ムダー・・・彼の畑は・・・果てしなく広い!
 アーンナ 次を!
 ミラスラーフスキイ 終。
(暫く当惑したような沈黙。そして拍手。)
 ラダマーノフ ブラーヴォ、ヴラーヴォ!・・・いや、有難う。
 ミラスラーフスキイ 良い詩でしたか?
 ラダマーノフ そう、その・・・実にその・・・短い。いや、実は私は、詩の長所は、その短さにあると思っていて・・・その・・・我々二十三世紀の詩は、どういう訳か長いものばかりで・・・
 ミラスラーフスキイ すみません、どうも・・・お気に召さなかったようで・・・
 ラダマーノフ いやいや、とんでもない。さっきも言いましたように、私は詩のことは何も分らなくて。ほら、聞いて御覧なさい、あの拍手。興奮状態ですよ。
(機械から声が聞こえる。「ミラスラーフスキイ! ユーリイ・ミラスラーフスキイ!」)
 アーンナ さあ、本人が出て行かなくては。
 ミラスラーフスキイ どうしてです?・・・僕ははにかみ屋なんですから・・・
 アーンナ 行きましょう。さ、行きましょう。
(アーンナとミラスラーフスキイ、退場。そのとたん、嵐のような拍手が聞こえる。)
 ラダマーノフ(陰気な客に。)どうしたんです? あなた。どこか身体の具合でもお悪いのでは?
 客 いいえ、何でもありません。
 ラダマーノフ シャンパンでもぐっとお飲みなさい。(退場。)
 客(一人になり、シャンパンを三杯飲む。暫く床の上を這いまわり、何かを捜す。)何だ、あの詩は・・・馬鹿な詩だ・・・カチュビェーイが何だって? 何も分りはしない・・・酷い詩だ。(退場。)
(世話好きの客、走って登場。機械にスイッチを入れる。光が出る。)
 世話好きの客 音楽協会?・・・すまないがね、「アレルーヤ」のレコードを捜して・・・「アレルーヤ」・・・そう。・・・音楽の名前だよ、これは。・・・そう、ラダマーノフの舞踏会宛にすぐ送って欲しい。二十世紀の芸術家、ミラスラーフスキイが、他の曲では踊らないって言うんだ。・・・祈りの曲? ちょっと待って。・・・(走って退場。すぐ戻って来て。)違う。祈りじゃない。ダンス曲だ。一九二0年代の音楽だ。
(機械から「アレルーヤ」の最初の部分が聞こえてくる。)
(世話好きの客、走って退場。少し経って戻って来て。)
 世話好きの客 これだ! これでいい!(走って退場。)
(リェーインとアヴローラ、登場。)
 アヴローラ 誰もいないわ。良かった。人いきれで私、疲れたわ。
 リェーイン 御自分のお部屋にお戻りになりますか?
 アヴローラ いいえ、私、あなたと一緒にいたい。
 リェーイン 婚約者には何て仰ったんです?
 アヴローラ あなたには関係のないこと。
 リェーイン 婚約者には何て仰ったんです?
(アヴローラ、突然リェーインを抱き締め、キスする。)
(丁度その時、扉にブーンシャ登場。)
 リェーイン 何て時に、いつも出て来るんだ、スヴャトスラーフ・ヴラヂーミラヴィッチ!
(ブーンシャ退場。)
 世話好きの客(走って登場。機械に喋る。)もっと大きく! もっと、もっと、ずーっと大きく!(走り退場。すぐ戻って来て機械に喋る。)鐘だ。鐘の音をつけろ!(走り退場。戻って来て機械に喋る。)それから大砲だ! 大砲の音をつけろ!(走って退場。)
(雷のように轟く「アレルーヤ」。それに鐘の音と大砲の音が響く。)
 世話好きの客(戻って来て。)そう、その調子。続けるんだ!(走り退場。)
 リェーイン どうしたんだ、あの男。気でも狂ったか。
(アヴローラとリェーイン二人、走って退場。)
                   (暗転)
                  (第二幕終)

     第 三 幕
(同じテラス。朝早い時間。リェーインが作業服姿で機械をいじくっている。心配そうな顔。何か思い出そうとしている様子。)
(静かにアヴローラ登場。リェーインの様子を黙って見つめる。)
 リェーイン ああ、思い出せない。もう決して思い出せないかもしれない・・・
 アヴローラ リェーイン。
(リェーイン、振り返る。)
 アヴローラ そんなに根をつめちゃ駄目。休まなきゃ。
 リェーイン アヴローラ!
(二人、キス。)
 アヴローラ 正直に言って。また一晩中寝なかったんでしょう?
 リェーイン うん。
 アヴローラ 毎晩仕事をするなんて駄目よ。疲労が過ぎて記憶もなくなるわ。そうしたら、何もかもがみんな駄目。私・・・夜中に三度も目が覚めた。・・・しょっちゅう夢ばかり見ている。それも数字、数字、数字・・・
 リェーイン シッ、誰か来る。
 アヴローラ 信号がないのに人が来る訳ないわ。(間。)ねえ、リェーイン、私、あなたと一緒にここから飛び去って行くっていう考えに取りつかれている。そのことをちょっと考えただけで私、頭がぐらぐらして来るの。危ないことまでしたくなって・・・飛んで行くのもよ。分って? リェーイン、あなたって、人をそういう気にさせる人なの。
(器具に光が出る。)
 アヴローラ 父だわ。父の信号。どこかへ飛んで行きましょう! あなたは少し休まなくちゃ。
 リェーイン 僕は着替えをしないと・・・
 アヴローラ 着替えなんか! さ、飛びましょう!
(二人、退場。)
(ラダマーノフ登場。リェーインの機械の傍に立ち止まる。長い間それを見つめる。それから、机について、ベルを鳴らす。)
 アーンナ(登場して。)お早うございます、パーヴェル・スェルゲーイェヴィッチ。
 ラダマーノフ うん。
 アーンナ ありません、パーヴェル・スェルゲーイェヴィッチ。
 ラダマーノフ フーム、つまりはないということか。これはもう奇蹟の部類に属するぞ。
 アーンナ パーヴェル・スェルゲーイェヴィッチ、事務所は隅から隅まで捜したんです。
 ラダマーノフ ここの事務所は、あれには何の関係もない。時計もシガレットケースも、ちゃんとこのポケットに入っていたんだからね。
 アーンナ パーヴェル・スェルゲーイェヴィッチ、どうしても私に分らないのは・・・
 ラダマーノフ 分らないのならもういい! 捜すことはない、それ以上!
(アーンナ、行きかける。)
 ラダマーノフ ああ、ところで、ユーリイ・ミラスラーフスキイはどうしている。
 アーンナ 知りませんわ。どうして急にあの人のことを?
 ラダマーノフ 私にも分らないんだ。時計のことを考えるとすぐに例のあの詩のことが思い出されて・・・ほら、例の・・・カチェビェーイの・・・あれは良い詩なのか? アーンナ。
 アーンナ あの詩は勿論とても古いものですけど、良いものには違いありませんわ。それにあの人の朗読が素晴しかったですし・・・
 ラダマーノフ フム、それは良かった。もういい、アーンナ。
(アーンナ退場。)
(ラダマーノフ、仕事に没頭する。机の上の器具、信号で光る。しかしラダマーノフ、それに気がつかない。サーヴヴィッチ登場。黙って立ち、ラダマーノフを見ている。)
(ラダマーノフ、相変わらずサーヴヴィッチに気づかず、何か読んでいる。無意識にポケットに手をやり。)
 ラダマーノフ 金持で名誉ある・・・(サーヴヴィッチに気づく。)ああ!
 サーヴヴィッチ ちゃんと予め信号は送りました。侵入可能の答でしたので・・・
 ラダマーノフ 気がつかなかった。さあ、どうぞ。坐って。(間。)君は何か、顔色が悪いね。(間。)どうしたんだ。黙って突っ立っているためにやって来たのか?
 サーヴヴィッチ いいえ、違います、ラダマーノフ。話をするためです。
 ラダマーノフ ハハーン。いいかね? フェルディナーンド。私があれの父親だからといって、私に何か責任があるなどと思っちゃ困るよ。・・・つまりその・・・この問題はすっかり片がついたと思ってくれなきゃ。さあ、一緒にコーヒーでも飲もう。(サーヴヴィッチ、坐る。)
 サーヴヴィッチ あの三人は危険です。急に飛んで来たあの三人は。
 ラダマーノフ どうしたんだね、君。朝っぱらから、私を驚かせようという腹なのかね?
 サーヴヴィッチ あの三人は危険です!
 ラダマーノフ 君、何をどうして欲しいって言うんだね? はっきりと言ってみたまえ。
 サーヴヴィッチ あの三人は地獄にでも飛んで行けばいいです!
 ラダマーノフ ねえ君、地獄なんて存在しないという、衆目の一致するところなんだ、フェルディナーンド。それに、たとえ地獄が存在したとしても、そこに送り込むというのは酷く難しい。それにだよ、みんなはそれと全く反対に・・・
 サーヴヴィッチ ここに留まれっていう意見だというのですね?
 ラダマーノフ そう。
 サーヴヴィッチ ああ、分りましたよ。この機械はそちらの委員会で勝手に、お好きなようにすればいいでしょう。発明委員会なんですからね、そちらは。二十三世紀のために、連中の発明を保存することに精々(せいぜい)力を尽くすんですね。私達ハーモニー委員会は、我々とは人種の異なるあの三人がこのブラジェーンストヴァの生活を乱さないよう、色々気を使うことにします。そしてこの件には、直接僕があたります。連中は必ずこの町を撹乱(かくらん)する! 僕はそれを予言します! あの三人から僕は、この町の人々を守るんだ! 特にこのブラジェーンストヴァで、僕が一番大事に思っているあの美しい人・・・アヴローラを守るんだ! あなたはあの人のことを軽く見過ぎているんだ、父親の癖に! さようなら!(退場。)
 ラダマーノフ おやおや・・・全く困ったものだ・・・(呼び鈴を押す。)
(アーンナ登場。)
 ラダマーノフ アーンナ、信号は全部止(と)めて。私は今から誰とも会わない。
 アーンナ はい、分りました。(退場。)
(暫くして、ブーンシャ登場。先程サーヴヴィッチが坐っていた場所に黙って坐る。)
 ラダマーノフ(頭を上げて。)何だ君、驚くじゃないか! 来る時にはちゃんと信号を出してくれなくちゃ。
 ブーンシャ ええ、あの器具は非常に便利のよいものなのですが、その・・・私がいくらスイッチを引っ張っても・・・
 ラダマーノフ それは、いくら引っ張ったって、止めてあるんですからね、今は。
 ブーンシャ ははあ。
 ラダマーノフ まあいいでしょう。何か御用なのですか?
 ブーンシャ(身分証明書を出して。)お願いがあるのです、タヴァーリシチ・ラダマーノフ。
 ラダマーノフ 最初に申し上げますがね、スヴャトスラーフ・ヴラヂーミラヴィッチ、証明書はなしにして戴きます。もうこれはあなたに口を酸っぱくするほど申し上げた筈ですよ。我々は証明書など受取りません。我々はこれまであらゆる手を尽くして、書類などなしですむよう、書類を駆逐(くちく)して来たのです。言葉で言って下さい、言葉で。その方が簡単ですし、スピードも速い。それに、気持がいいのです。さ、何です? お願いとは。
 ブーンシャ ハーモニー研究所へのお願いなんです。
 ラダマーノフ ハーモニー研究所があなたに何かしたのですか?
 ブーンシャ 私は結婚したいのです。
 ラダマーノフ 誰とです。
 ブーンシャ 誰とでもいいのですが。
 ラダマーノフ そんな答は、私は生まれて初めて聞きましたね。だいたい・・・
 ブーンシャ ハーモニー研究所は、私に伴侶を捜す義務があるのではありませんか?
 ラダマーノフ 全く、何ていう話だ。呆れ返って物が言えない。研究所は結婚仲介人なんかじゃありませんよ。それは勿論、人間の種の保存の研究、人間としての種の純潔性、それから、人間の理想的な選択を実現しようと努力しています。しかし、結婚に直接介入するのは、本当に他に全く手段がない場合に限られています。つまり、その結婚が我々の社会に何らかの害毒を及ぼすと分っている時にだけです。
 ブーンシャ 我々の社会と言いましたが、その社会には階級はないのですか?
 ラダマーノフ ありません。御推察の通りです。
 ブーンシャ 世界中で?
 ラダマーノフ そう、世界中で。(間。)何か私の言葉がお気に召さない様子ですな。
 ブーンシャ 気に入りません。あなたの言葉を聞いていると、その・・・政治的偏向があるような気がします。
 ラダマーノフ 政治的・・・偏向・・・ですって? 分りませんな。どういう意味なんです? 偏向とは。
 ブーンシャ 偏向の説明はいつか休みの日にでも致しましょう、パーヴェル・スェルゲーイェヴィッチ。どうやらあなたは、この問題に関して随分考えて来た方のようだ。だから、御自分の理論を表明する時には非常に慎重にならざるを得ない。
 ラダマーノフ そういう風に考えて下さるのは有難い。が、とにかく、さっきのあなたの問題に戻りましょう。婚約者はあなた自身で捜さねばなりません。そして、その時に万一、ハーモニー研究所があなたに何か問題ありと指摘するような場合には・・・何と言ってもあなたはここでは新しい人間ですからね・・・その時には私が間に入って連中に説明することにしますよ。
 ブーンシャ パーヴェル・スェルゲーイェヴィッチ、私は今まで住んでいた世紀でしたら、女性に対して何を言えばよいかは分っていました。あそこでは階級がありましたからね。しかし階級のない社会ではどう言えばよいか・・・
 ラダマーノフ そんなもの、同じですよ、階級があろうとなかろうと。
 ブーンシャ で、あなたなら何と仰るんです・・・女の人に・・・
 ラダマーノフ 今の私は、女の人には何も言えませんね。たとえどんなにお金をつまれても・・・何故って、私は長いことやもめ暮しです。家庭のある生活をやってみたいとは思わないんです。しかし、もしそのような気紛(きまぐ)れが頭に浮ぶような時があれば、きっとこういう風に言うだろうと思いますよ・・・「あなたにお会いしたその時から、私はあなたのことを愛しています・・・そして、どうやらお見受けしたところ、あなたも私のことを憎からず思っていて下さる様子・・・」。あ、失礼、これ以上あなたとお喋りをしてはいられません。会議があるのです。そうそう、こういうことは私よりもアーンナやアヴローラの方がずっとうまい。あの二人に聞いてみたらいいでしょう。ではこれで。(退場。)
 ブーンシャ 官僚主義ではないな。随分親身になってくれる。そう、こういう状態が大事なんだ。こういう態度こそが。(ラダマーノフの席につく。呼び鈴を押す。)
 アーンナ(登場して。)はい、パーヴェル・スェルゲーイェ・・・あら、ベルを押したの、あなたでしたの?
 ブーンシャ 私です。
 アーンナ 驚いた。私に何かご用ですの?
 ブーンシャ 用です。あなたにお会いしたその時から、私はあなたを愛しています。
 アーンナ あらまあ、嬉しいこと。心から感動しますわ。でも残念ですが、私の心はもう決めた人がいますから。(机の上に紙を置く。)
 ブーンシャ 書類などというものは不要なんだ。もうこれは何度も言った筈です。言葉で言って下さい。その方が速いし、聞いて心地がいいし、それに簡単です。で、はっきりあなたは私を拒絶なさる?
 アーンナ ええ、拒絶します。
 ブーンシャ 行ってよし!
 アーンナ まあ! こんなことって、私、生まれて初めて。
 ブーンシャ 無駄な時間を費やすのは止めましょう。あなたは行ってよろしいです。
(アーンナ退場。)
 ブーンシャ 最初は何でも失敗するものだ。
 アヴローラ(登場。)お父様! ああ、あなた? 父はいません?
 ブーンシャ いません。どうかお坐り下さい、マドゥムワゼッル・ラダマーノヴァ。あなたに初めてお会いした時から、私はあなたを愛しています。それにどうやら、あなたの方も私を憎からず思って下さっている様子。(アヴローラの頬にキス。)
 アヴローラ(ブーンシャの頬を平手打ちして。)馬鹿!(退場。)
 ブーンシャ 甘やかされた女だ、アヴローラ・パーヴロヴナ! まあいい。この社会で、もっと甘やかされている奴をやっつけることになるんだからな。アヴローラと二人で。
(サーヴヴィッチ登場。)
 ブーンシャ おやおや、これはまた、お誂(あつら)え向きに・・・
 サーヴヴィッチ ラダマーノフさんは、いらっしゃらないんですか?
 ブーンシャ いませんね。ちょっとあなたに話があるのですが。
 サーヴヴィッチ 何でしょう。
 ブーンシャ あなたに初めてお会いした時から、私はあなたを愛しています。
 サーヴヴィッチ 何ですか、それは。どういう意味です。
 ブーンシャ 意味ですか? これですよ。(ポケットからメモを取り出し、勿体(もったい)をつけて読む。)「ハーモニー研究所所長殿。本年五月一日午前零時三十分、アヴローラ・ラダマーノフは、物理学者リェーインと接吻をなせり。さらに同物理学者は、同アヴローラ・ラダマーノヴァと、五月三日、柱廊の脇にて接吻せり。また、この日午前八時、同アヴローラは同物理学者と、かの機械の前にて接吻を交せり。なおこの際、同アヴローラは、以下の言葉を述べり。「私、あなたとここから飛んで、出て行きたい・・・」
 サーヴヴィッチ うんざりだ! 君の情報など僕には必要ない!(ブーンシャからメモを引ったくり、破り捨てる。そして素早く退場。)
 ブーンシャ 次ぎにまだいい話があるのに。同アヴローラ・パーヴロヴナは住宅委員会委員スヴャトスラーフ・ヴラヂーミラヴィッチの頬を殴れり!
 ミラスラーフスキイ(舞台裏で。)馬鹿はいるか?
 ブーンシャ 俺のことだな、捜しているのは。
 ミラスラーフスキイ(登場して。)ああ、ここだったのか。ねえ、スヴャトスラーフ、僕は退屈だね。そうだ、君、時計をやろうか。だけど条件がある。いいか、この条件も最大級の秘密だ。時計を誰にも見せちゃいかん。ポケットから取り出すのも駄目だ。
 ブーンシャ じゃ、どうやって時間が分る。
 ミラスラーフスキイ 時間を知るためじゃない。記念として持っているだけのものだ。どっちがいい? 蓋のある奴か? ない奴か?
 ブーンシャ 二つも時計がある? 何だか怪しいっていう気分が湧いてきたな。
 ミラスラーフスキイ そんな気分は誰か他の人間にやってしまうんだな。さあ、どっちにする、蓋のある方はどうだ?
 ブーンシャ じゃ、蓋のある方。
 ミラスラーフスキイ ほら。
 ブーンシャ 有難う。恩に着る。しかし、まづいな。ここに「ハー」と頭文字があるぞ。私のは「エス・ヴェー・ベー」だ。
 ミラスラーフスキイ 贅沢を言うんじゃない。僕は時計屋じゃないんだ。あ、隠して!
 リェーイン(登場して。)おや、二人、ここにいたのか。君達ついているぞ。インドに連れて行ってくれるって言ってるんだ。
 ミラスラーフスキイ インド? インドなんか、何も面白いものはないじゃないか。
 リェーイン 面白いものがない? 一体君、インドに行ったことがあるっていうのか? たった五分でも。
 ミラスラーフスキイ 一分だっていたことはないよ。
 リェーイン じゃどうして面白くないって決めてかかるんだ。
 ミラスラーフスキイ 飛行機の中でそう話してくれた奴がいてね。
 ブーンシャ 単調極まりないってね。
 リェーイン あんたには単調などと言って貰いたくないですね、スヴャトスラーフ・ヴラヂーミラヴィッチ。あんたが住宅委員会でいろいろやっていた時、多様性など、薬にしたくてもなかったんですからね。まあいい、こんなことを言っている暇はないんだ。(自分の機械の方へ進む。)ねえ、君達は僕のことを邪魔したいのか? こんな風じゃ僕は仕事、出来やしない。インドに行くのが厭なら、どこへでもいいから、どこかへ行ってくれ。
 ミラスラーフスキイ 学者だなあ、やはりジェーニャは。機械はどんな具合なんだ? なあ、頼むよ、僕らを元のところへ戻してくれないかな。
 リェーイン 僕は車の運転手じゃない。
 ミラスラーフスキイ ヘーエ!
 リェーイン 君は犠牲者なんだ、偶然のね。あの時、丁度機械に大異変が起った。君がその時にミーヘリソンの部屋にいたからといって、それは僕の責任じゃない。それに、これは大異変ではあるけれども、大悲劇じゃないぞ。何百万という人達がここでやるような生活を夢見ているんだ。君達が気に入らないなんて、まさかそんなことがある筈がない。
 ミラスラーフスキイ 何百万人には気に入っても、僕には気に入らない。僕はここでは適応異常者なんだ。
 リェーイン 何が適応異常者だ。詩を読みさえすればいいじゃないか。君自身の作をね。みんな君のあとをぞろぞろついて来て、君の口をじっと見つめている・・・まあ、しかし、仕方がないか、やはり。ぞろぞろついては来ても、君の朗読を聞く奴は一人もいない。例のあの、カチュビェーイ以外は、どれ一つだってね。
 ミラスラーフスキイ ヘヘーンだ!(蛇口を捻って、ぐっと一杯やる。その後、グラスを叩きつけて割る。)
 リェーイン 何て下卑(げび)た真似を!
 ミラスラーフスキイ ああ、お偉い、お偉い、科学者様、頼む、その脳味噌を絞ってくれ。その機械を直して、ここから出て行こう! 今モスクワでは市電が走っている! みんなは齷齪(あくせく)働いている! 楽しく働いているんだ! バリショーイ劇場では今、マチネーをやっている。ああ、丁度今中休み。観客がみんなビュフェーに行って、押し合いへし合いだ。ああ、僕はそこにいなくちゃ! ここじゃ、僕は何も出来ない。息が詰まりそうだ。(両膝をつく。)
 ブーンシャ(こちらも両膝をついて。)イェフゲーニイ・ニカラーイェヴィッチ、今モスクワでは私のことを血眼(ちまなこ)になって警察が捜している。だって私は、許可なしに留守にしているんですからね。私は亡命者だ! お願いです、私を元のところに戻して!
 リェーイン 何がお願いです、だ。馬鹿野郎! そんなみっともない格好は止めるんだ! いいか、実は酷いことになっってしまった。あの機械から鍵が飛び出して、なくなってしまったんだ。暗号が書いてある鍵だ。あれがないと僕は、この機械を動かせないんだ。
 ミラスラーフスキイ 何だって? 今、「鍵」って言ったのか? そいつは金で出来ているやつか?
 リェーイン そうだ。金製の鍵だ。
 ミラスラーフスキイ なあんだ。何故この二週間、そのことを話してくれなかったんだ。(リェーインを抱きしめる。)ウッラー、ウッラー、ウッラー!
 リェーイン おい、離してくれ! おい! あれには二十個の数字が書いてあって、僕にはそれを思い出すのが不可能なんだ。
 ミラスラーフスキイ 思い出す必要なんかどこにある。ちゃんとその作業服のポケットに鍵が入っているっていうのに!
 リェーイン ここになんかないよ。(ポケットを探る。)何だ? これは。何が何だか、訳が分らない。魔法だ、これは!
 ブーンシャ なあんだ、これで私の抱いていた謎もほぼ解決だ。
 リェーイン アヴローラ! アヴローラ!
 アヴローラ(登場。)なあに? どうしたの?
 リェーイン(鍵を見せて。)鍵だ!
 アヴローラ 私・・・足がすくんで・・・どこにあったの?
 リェーイン 分らないんだ・・・ポケットに・・・
 アヴローラ ポケット? ポケットに!
 ミラスラーフスキイ さあ、すぐに飛ぼう!
 リェーイン すまない。一昼夜必要なんだ。機械を調整しなきゃならない。君達二人にここでうろうろされると、もっとかかる。すまないが、二人とも出ていてくれないか。
 ミラスラーフスキイ 出る、出る。ただ、頼むよ。脇見(わきみ)をしちゃ駄目だ。一心に仕事にかかってくれ。
 リェーイン 止めてくれ。命令はごめんだ。
 アヴローラ(ミラスラーフスキイに。)鍵が見つかったことは誰にも内緒よ。
 ミラスラーフスキイ それは任せて。決して・・・(ブーンシャに。)僕から離れないで。頼むよ。僕の口を塞ぐためにな!(ブーンシャと一緒に退場。)
 リェーイン 鍵だ、アヴローラ。鍵だよ!(アヴローラを抱きしめる。)
 ミラスラーフスキイ(扉から顔を出して。)ジェーニャ、さっき僕は頼んだ筈だぞ。脇見は駄目だってね。・・・パルドーン、マドゥムワゼッル、行きます、行きますよ。ただちょっと、念のために覗いておこうと・・・
                     (暗転。)

(同じテラス。リェーインとアヴローラ、機械の傍。リェーイン、修理の最中。時々輪がチカチカと光り始める。)
 リェーイン 聞こえる?
 アヴローラ ええ、ブンブンって。
(器具が光の信号を出す。リェーイン、輪の光を消す。ポケットに鍵を隠す。)
 アヴローラ シーッ、父だわ。(退場。)
 ラダマーノフ(登場。)やあ、リェーイン君、君の仕事の邪魔をして申し訳ない。しかし、のっぴきならない重要な事態が生じて・・・
 リェーイン 何なりと仰せ下さい。
 ラダマーノフ 今丁度、人民委員会の会議が終ったところなんだ。議題は君に関するものでね。
 リェーイン はい。
 ラダマーノフ それで、君に次のことを伝えるよう委任されてな。つまり、君の発明は超国家的価値のあるものであり、その発明者である君に対して、特別の待遇をせねばならんと、委員会において決定したのだ。即ち、君が個人的に欲しようと欲しまいと、君の必要とするもの、君の望み、は全て叶えるべし、と。この決定はあまりに明解で、つけ加える言葉を要しない。ただ、私が君にお祝いの言葉を述べるのみだ。
 リェーイン 人民委員会の委員のみなさんに、どうか私の最大の感謝をお伝え下さい。それからまた、私と、私の連れ二人を暖かく迎えて下さったあの御好意にも、どうか。
 ラダマーノフ 了解しました。伝えましょう。しかし、それだけですかな? 君が伝えたい言葉は。
 リェーイン ええ、これで全部ですが・・・私はその・・・感激のあまり・・・
 ラダマーノフ 正直に言うとだね、私はその感謝以上のものを期待しておったのだ。私が君の立場だとしたら、私はきっと言うだろうな。「私はこの国に感謝の気持を捧げます。どうかその標(しるし)に、私の発明した物をお受取り下さい」と。
 リェーイン 何ですって? あなた方は、私のあの機械をくれと仰るのですか?
 ラダマーノフ ちょっと君、考えてくれたまえ。他に君の感謝を示す手立てがあるものかどうか。
 リェーイン ははあ、分って来ました。で、ちょっと知りたいのですが、私があの機械の修理に成功したとして・・・
 ラダマーノフ その点は、実のところ、私は成功疑いなしと信じている。
 リェーイン 機械に私一人が乗って飛行する自由は与えて下さるのですか?
 ラダマーノフ 一人はいかん、一人は。我々の誰かと一緒だ、天才リェーイン君。
 リェーイン 発明委員会会長殿! 私はやっと見えて来ました。分りました。これが私の機械です。どうぞお好きなように持って行って下さい。しかし、予めこれだけは申し上げておきます。その機械に一人でも監視員がついている限り、私はここのソファに横になって、一歩もその傍には近寄りません。(その機械の操作、修理、に一切携わりません。)
 ラダマーノフ そんなことを君がするなんて、私は信じない、信じませんよ。そんなことをすれば、君は二、三日も経てば死んでしまう。
 リェーイン どういうことですか、それは。食べ物を私にくれないということですか。
 ラダマーノフ 全く、よくそんなことが言えるね。やはり二十世紀から来た人間だ。君に食べ物をやらない? そんなしみったれた・・・いくらでも食べればいいんです。ただ、食物が君のその喉を通らなくなる時が来て、それで君は衰弱して行くんですよ。あなたが成し遂げたような事、それを成し遂げた人物は誰でも、ソファにじっと横たわっていることなんか出来ないんです。
 リェーイン あの機械は私のものです。
 ラダマーノフ 「私のもの」・・・面白い。まるで古代の遺物が口を開けて喋る台詞だ。いいですか、リェーイン君、この地球に、もし君一人しかいないのだったら、勿論その機械は君のものでしょう。しかし今は、生きている人間全員のものなのです。
 リェーイン お言葉ですが、僕は今の人間じゃありません。二十世紀の人間です。ここには偶々(たまたま)客として来ているだけです。僕はここにはいないことにして貰いたいです。
 ラダマーノフ 君がここにはいないことにする? そんなことをする人間がいたら、私はそいつを気違いだと言うね! いや、ここが二十三世紀だからというんじゃない。どんな世紀、どんな時代でも、君をいないことにするなんていう時代はあり得ない。それは私が保証する!
 リェーイン 僕には分りませんね。どうしてあの機械があなた方に必要なんです?
 ラダマーノフ 君に分らない? そんなことは信じられない。君はどう見ても知能の遅れた人間には見えませんからね。いいですか? ネジをちょっとひと巻きする。すると、今の今このモスクワに・・・エート、あれは誰でしたか・・・ヴァスィーリイ・グローズヌイ、その人が登場する。・・・グローズヌイは十二世紀の人でしたっけ?・・・
 リェーイン 十六世紀の人です。それから、ヴァスィーリイ・グローズヌイではなく、イヴァーン・グローズヌイ。
 ラダマーノフ これは失礼しました。私は歴史に弱くて。歴史に強いのはアヴローラです。(つまりその、ネジをひと巻きで、そういう人を連れて来られる。)まあ、その後、君はテンヤワンヤの騒ぎを引き起こしたままそこを去ったんですがね。さあ、今度あなたは、二十六世紀へひとっ飛びだって出来るんです。・・・二十六世紀! 私達は二十三世紀。未来の方(ほう)がきっと今より素晴しい世界だと信じているサーヴヴィッチでなくとも、君がそこで素晴しい物に出会うだろうことは、誰だって簡単に想像出来ますよ。その謎の遠方から、君がその両肩に誰かを担(かつ)いでこの世紀まで連れて来る・・・そういうことも可能かも知れないんです。何ていう機械でしょう。他の時代に侵入して・・・君にはこういうとてつもない便宜も齎(もたら)し得るのです。たしか、一回の最長飛行距離が四百年だという話でしたね?
 リェーイン ええ、だいたい。
 ラダマーノフ それなら、連続飛行をすれば、永遠にまで行けるかもしれない。我々のこの時代に、あなたと一緒に、凍りついて行く地球、その上にある消え去って行く太陽、を見ることが出来る。この発明には全時代の、全地球が属している。全時代の全地球が、今現在、生きているんだ! 私はそれに仕えるぞ! おお、リェーイン君!
 リェーイン 分りました。僕も虜(とりこ)になりました。僕をのけ者にしないで下さい。しかし、ちょっと気になることが。僕自身の監視はこの国ではどうやってやるんです? 僕に警官でもつけるのですか?
 ラダマーノフ この国には警官はただ一人しかいません。その警官は、あの「青い垂直線」の中にある博物館の、ガラスの箱に入っています。あそこに陳列されて、もう百年ちょっと経ちます。ああ、そうそう、噂によると、あなたの御友人ミラスラーフスキイが、酷く酔っ払ってあの博物館に行ったそうです。そして、あの警官を見るなり、感動のあまり、おいおい泣いたという話です。まあ、人の好みはいろいろですからね・・・いいえ、あなたの監視のために警官を使うなどと・・・そんな初歩的な技術、あなたのような頭のよい方に説明する必要はないでしょう。さあ、どうかあなたの機械を御自分の自由意志でこちらにお渡し下さい。それから、二十世紀など否定して、この世紀の人間になって下さい。そうすればこの国は喜んでこの機械による飛行全てに、あなたを乗せることに致しますよ。さあ、手を! リェーイン君。
 リェーイン 機械はお渡しします。あなたの言葉にすっかり酔わされてしまいましたよ。
 ラダマーノフ(リェーインに握手。金庫を開ける。)この金庫の鍵のうち一つは私が保管、もう一つはサーヴヴィッチに委託されることに決りました。サーヴヴィッチはこの機械の二人目の監督官に選ばれたのです。明日にも君に、記憶取り戻しの特殊治療を施すことになります。その三日後には、君は例の数字を思い出す。それは保証します。
 リェーイン ちょっと金庫を閉めるのはお待ち下さい。特殊治療は必要ありません。数字が彫ってある鍵が見つかったのです。これです。ですから、明日にでも機械は始動できます。
 ラダマーノフ 素晴しい、リェーイン君。では・・・(手を差し出し、鍵を受取る。)
 アヴローラ(走って登場。)さあ、その鍵を私に渡して! 今すぐ! リェーイン、あなた、何てことをするの! あなたには介添役が必要だって、最初から分っていたわ。
 ラダマーノフ お前、気でも狂ったのか。あっ、盗み聞きしていたんだな!
 アヴローラ 細大洩らさず。リェーインと二人で、何でも見てやろうと私は思っていたの。その夢が破れるなんて・・・いい? お父さん、リェーインが私なしで一人で飛んで行くなんて、あり得ないのよ。そうでしょう? リェーイン。
 リェーイン そう。
 アヴローラ この人、私の夫なの、お父さん。それをよーく考えて! 私達お互いに愛しあっているの!
 ラダマーノフ(リェーインに。)君はこの女の夫になったのか。私が君だったら、そんなことをする前によくよく考えただろうがね。しかしまあ、これは君の個人的な問題だ。(アヴローラに。)頼むよ、アヴローラ、叫ぶのは止めてくれないか。
 リェーイン パーヴェル・スェルゲーイェヴィッチ・・・
 アヴローラ いいえ、止めないわ、私!
 リェーイン パーヴェル・スェルゲーイェヴィッチ、あなたはさっき言いましたね? 私の願いは全て叶うのだ、と。
 ラダマーノフ そう。私はそう言いました。一旦言ったことです、何度繰り返してもよろしい。
 リェーイン よーし、じゃ、私はアヴローラが私の飛行に同行することを望みます。
 アヴローラ それでこそ私の夫です!
 ラダマーノフ いいでしょう。アヴローラを同行させます。
 アヴローラ(リェーインに。)じゃ、要求して。最初の飛行は、元の二十世紀に、って。私、あなたの部屋を見たい! それから、例のイヴァーン・グローズヌイに会わせて!
 ラダマーノフ 許可はしたがね、リェーイン君、飛行に先立って、もし私だったら、この娘(こ)がどういう性格の持主か、調べてからにするがね。
 アヴローラ 黙って! 何てことを言うの!
 ラダマーノフ お前こそ黙りなさい。私はまだ話し終っていない。(ケースを取り出し。)ここに精密時計がある。(委員会からの感謝の標(しるし)だ。)常時携帯して貰いたい。「世界人民委員会より、技師リェーインへ」と銘が彫ってある。(ケースを開ける。)これはまた、どうして! どこでなくしたのか。これを見せたのは、ミラスラーフスキイだけなんだが。あの男、また有頂天になって手を叩いていた・・・いや、いくら何でも、そこまでは!
(机の上で信号が光る。ハッチが開き、サーヴヴィッチ登場。)
 サーヴヴィッチ 約束通り、来ましたよ。
 ラダマーノフ うん、ここに機械、それから鍵もここにある。見つかったんだ。しまってくれ。
 サーヴヴィッチ すると機械は動くということですね?
 ラダマーノフ そうだ。
(ラダマーノフとサーヴヴィッチ、機械を金庫にしまう。)
 アヴローラ(サーヴヴィッチに。)フェルディナーンド、リェーインは私の夫なの。夫婦でまづ飛行をするんですからね。それは頭に入れておいて欲しいわ。
 サーヴヴィッチ いや、そういう訳には行かないね、アヴローラ。そんなに簡単じゃないんだ。ハーモニー委員会の決定をまづ聞いてくれ。二十世紀から飛行着した三人の脳の検査の結果により、この三人を、一年間、その機械による飛行を禁止する。何故なら、ラダマーノフ、よく聞いて。この三人は我々二十三世紀の社会にとって危険だからだ。それから、頻々(ひんぴん)として起きる最近の紛失事件に関する報道を読みましたね? 彼等三人の仕業だったんですからね。連中は劣等な人間なのです。アヴローラ、リェーイン、君達二人はきっと別れさせてみせるぞ。
 アヴローラ おやおや! お父さん、あのハーモニー研究所長の顔を見て! ほら、あの顔を! 私との結婚に失敗したから、気が違ったのよ!
 サーヴヴィッチ アヴローラ、僕を軽蔑するのは止めてくれ。僕は自分の義務を果しているまでだ。彼はこのブラジェーンストヴァに住むことは出来ない!
 リェーイン(サーヴヴィッチに。)紛失事件について、君は今何と言った!(机の上の新聞を掴む。)
 ラダマーノフ リェーイン、新聞を見てはいけない! これは命令だ!(サーヴヴィッチに。)お前のハーモニー研究所など、もううんざりだ! 心の奥底からうんざりだっていうことを、お前に見せてやるぞ!
 リェーイン ラダマーノフ! 鍵を僕に渡して欲しい!
 サーヴヴィッチ 失礼する。(ハッチから退場。)
 ラダマーノフ 待っていてくれ、リェーイン。安心するんだ。鍵をサーヴヴィッチから取り戻して来る。(退場。)
 アヴローラ(その後を追って走る。)お父さん! あの人にこう言ってやって・・・(退場。)
 リェーイン(一人残されて。)やれやれ・・・一体どうなるんだ・・・
(ミラスラーフスキイとブーンシャ、登場。)
 ミラスラーフスキイ どうだ、教授殿。機械はもう飛べるのか?
 リェーイン 精密時計を出すんだ! 今すぐ!
 ミラスラーフスキイ 精密時計? 何か字が彫ってある・・・あれか? 机の上にあった・・・さてはあれだな? ほら・・・(リェーインに精密時計を渡す。)
 ブーンシャ フム、これで私の疑惑は確信になったな。
 リェーイン 二人とも出て行け。もしサーヴヴィッチに会ったらよく言っておくんだ。この僕に道でばったり出逢うようなことがあれば、その時にはよっぽど用心するんだ、とな。
(暗転。)
                 (第三幕 終)

     第 四 幕
(同じ日。同じ部屋。)
 アーンナ ジョールジュ! 私、あなたのことがとても心配。あなたの悩みを軽くしてあげられれば、私、どんなに・・・
 ミラスラーフスキイ ああ、君、そんなの簡単だよ。金槌であの厭なサーヴヴィッチの頭をぶん殴ってくれさえすればいいんだ。
 アーンナ あなたって、比喩表現が何て上手なんでしょう、ジョールジュ。
 ミラスラーフスキイ これは比喩なんかじゃないよ。本物の比喩表現て、君はまだ聞いたことがない筈だ。ああ、ここで思いっきり罵倒(ばとう)出来ればすっきりするだろうがなあ。
 アーンナ じゃ、やれば、ジョールジュ。罵倒するのよ!
 ミラスラーフスキイ やっていいと思う? 君。・・・いや、止めとく。ここじゃどうも、場所が悪い。こんな素敵な環境のところで罵倒なんか・・・
 アーンナ ジョールジュ、私、あなたがこそ泥だなんて、信じないわ。
 ミラスラーフスキイ こそ泥? 誰が信じるか、そんなこと。
 アーンナ ああ、私、何てあなたが好きなんでしょう、ジョールジュ。
 ミラスラーフスキイ ああ、僕は大抵の女の子にはもてるんだ。
 アーンナ 何て残酷なの、あなたって。
 ミラスラーフスキイ ねえアーンナ、君、ちょっとあっちに行って、会議での話、聞いて来てくれないかな。
 アーンナ 私を押したりして。何よ。
 ミラスラーフスキイ そうか、行きたくないのなら仕方がない・・・もう僕なんか、死んだ方がましなんだ。だけど、その前に是非ともやっておきたい事がある。あの輝かしい望みだけは・・・
 アーンナ あなたの、あの詩?
 ミラスラーフスキイ そう。
 アーンナ 私、行くわ。(退場。)
(ブーンシャ登場。)
 ミラスラーフスキイ 盗み聞きは?
 ブーンシャ うまく行かなかった。回廊に忍びこんだんだが、見つかってしまった。
 ミラスラーフスキイ 薄のろ!
 ブーンシャ そうだな、こっちも常軌を逸していたかもしれない。
(間。)
 グラーッベ 入ってもよろしいでしょうか。
 ミラスラーフスキイ ああ、先生! どうぞ、どうぞ。何かいい話が出ましたか?
 グラーッベ いや、残念ながら、いい話は殆どありません。研究所は私に、次のことをお二人に伝えるように委託して来ました。まづ第一に、私達の研究についてよく知ってもらうこと。第二に、あなた方を治療するということ。(ミラスラーフスキイとブーンシャに封筒を渡す。)
 ミラスラーフスキイ 有難う。(読む。)あなたの鼻眼鏡を少々お貸し戴けませんか? 一箇所読めない字があります・・・ここに。
 グラーッベ どうか。
 ミラスラーフスキイ エーと・・・クレプトマーニア・・・何ですか、これは。
 グラーッベ 窃盗僻です。
 ミラスラーフスキイ ハハーン、有難う。メルスィー。
 ブーンシャ 私にもその鼻眼鏡をちょっと。・・・何ですか、この・・・デメーンツィアというのは。
 グラーッベ 痴呆症のことです。
(ブーンシャ、眼鏡を返す。)
 ミラスラーフスキイ 我々二人に病名を与えて下さって感謝します。で、どこの馬の骨です? こういう見立てをしたのは。
 グラーッベ 馬の骨とは失礼ですね。ロンドン在住の、世界的に有名なメルフィー教授です。
 ミラスラーフスキイ(器具に進んで。)ロンドンを頼む。・・・メルスィー。・・・メルフィー教授を。・・・メルスィー。
(器具に声がする。「通訳が必要ですか?」)
 ミラスラーフスキイ いや、不要だ。メルフィー教授か。・・・お前はな、メルフィー教授なんかじゃない。寄生虫だ!(信号、消える。)
 グラーッベ 何てことを!
 ミラスラーフスキイ 黙れ! 僕は三度もこの指の写真を撮られた。モスクワで、レニングラードで、それから、ラストーフ・ナ・ドーンナで。その三箇所の予審判事から一致した調査結果を言い渡されたんだ。「こういう指をした男に、窃盗は出来ぬ」と。はっきりとだ。それが、ここへ来て、どこの誰だか、ヤブ医者に決っている。そいつがぬけぬけとこの私を・・・
 グラーッベ お止めなさい。ブーンシャ、あなたのその友人に説得して・・・
 ブーンシャ 黙れ! お前こそ!
 グラーッベ(器具に。)サーヴヴィッチ!
(サーヴヴィッチ登場。)
 グラーッベ 私はこの二人を治療するのはお断りする。誰か別の医者に引き継ぎを頼む。(退場。)
 サーヴヴィッチ(ミラスラーフスキイに。)グラーッベ教授を侮辱したな? あんたは。よーし、二人とも見ていろ。後悔することになるぞ。
 ミラスラーフスキイ この僕があの人を侮辱? とんでもない。侮辱したのはあっちの方だ。僕ばかりじゃない。僕の最良の友、スヴャトスラーフ・ヴラヂーミラヴィッチ・ブーンシャ・カリェーツキイ、かっての公爵、現、労働組合の秘書、をも、侮辱したんだ。僕への侮辱・・・クレプトマーニア? 何を言ってやがる。・・・クレプトマーニアだと? 何がクレプトマーニアだ!
 サーヴヴィッチ 怒鳴るな! ここでは怒鳴るんじゃない!
 ミラスラーフスキイ よし、囁き声でやってやる。何だ一体、クレプトマーニアとは!
 サーヴヴィッチ ハハア、あなた御存じない? クレプトマーニアとはな、このブラジェーンストヴァで急に金の製品が次から次となくなり始めた・・・そのことを言うんだ! ところであなた、あなたのところに私のシガレットケースが、偶然にも、あるというような話はありませんか?
 ミラスラーフスキイ 小さくて、金色で、エスの字が斜めに書いてある・・・っていうような?
 サーヴヴィッチ そう、全くその通りの・・・
 ミラスラーフスキイ 僕のところにはありませんね。
 サーヴヴィッチ どこへ行ったんだろう。
 ミラスラーフスキイ シガレットケースはちゃんと蓋をしておくものだ。机の上に投げ散らかしておいたりすると、人々を悪の道に誘うことになるんだ! いいか、この指を見ろ! こういう指をしている人間に、何か物が盗めるとでも思っているのか。あんたは指紋鑑定法というものを知らないのか? 読んだことがない? クレプトマーニアしか習ったことがないんだな? モスクワ犯罪局で、この指が調べられた時、あらゆる部局から人が集まって来て、驚いてこの指を見たもんだ。この指は他人の物を盗むなんて、とても出来ない指だ、と。そういうことさ! ほら、お前さんのシガレットケースだ! 驚いたか!(サーヴヴィッチにシガレットケースを投げる。)
 サーヴヴィッチ 酷い相棒どもをこのブラジェーンストヴァに連れて来たもんだ、あのリェーインは。こいつらが、この世紀で訳が分らず、へまをしでかすと、いつもあの親切なラダマーノフが弁護を買って出る。しかし、今度のこの件は、そうはいかないぞ。君が自ら状況を悪くさせたんだからな!(退場。)
 ブーンシャ お前の名調子であの男の機嫌が直るかと思ったんだがな。もっと怒って帰って行ったぞ。
(リェーインとアヴローラ、走って登場。)
 ブーンシャ イェフゲーニイ・ニカラーイェヴィッチ! 私はひどい侮辱を受けた!
 リェーイン 黙ってくれ。あんたの与太(よた)話を聞いている暇はないんだ。僕はアヴローラと相談することがある。二人ともちょっと出て行ってくれないか。
 ブーンシャ あんな侮辱は、血による精算でしか償(つぐな)えはしないぞ。
 リェーイン 早く出て行ってくれと言ったら!
(ブーンシャとミラスラーフスキイ、退場。)
 リェーイン さあ、アヴローラ、話って何? あまり時間がないんだ。
 アヴローラ 私達、逃げましょう!
 リェーイン えっ? お父さんを騙すの? 僕はあの人に約束したんだよ!
 アヴローラ 逃げましょう! 私、あなたがあの人達の指図を受けるのなんて、とても我慢出来ない。私、サーヴヴィッチなんて大嫌い!
 リェーイン 分った。だけどよく考えて、アヴローラ。ほんの少ししか時間はないけど。いいかい? 一旦ここを出たら、君はこのブラジェーンストヴァを捨てなきゃならないぞ。多分、もう永久に、君はここには戻って来られないんだ。
 アヴローラ 私、もうこんな回廊、飽き飽き! サーヴヴィッチにも飽き飽き。私、危険な目っていうのに遭ったことがないの。私、危険の味が知りたい! さあ、飛びましょう!
 リェーイン どこへ。
 アヴローラ あなたのところよ!
 リェーイン ミラスラーフスキイ!
(ミラスラーフスキイとブーンシャ、登場。)
 ミラスラーフスキイ 現れたぞ!
 リェーイン この金庫の鍵が欲しい。一つはラダマーノフのポケットに、もう一つはサーヴヴィッチのポケットだ。
 ミラスラーフスキイ ジェーニャ! こういう指を持っている人間に盗みは・・・
 リェーイン 出来ないって言うんだな? それなら治療のためにここに残っていたらいいだろう。
 ミラスラーフスキー 盗みは・・・出来ない・・・っていうのは、連中は会議中だ。そして僕はあそこに入れて貰えない。だけど、金庫を開けるのは簡単だ。どんな金庫だってね。
 リェーイン 馬鹿たれ! あの金庫は三重に暗号がしかけてあるんだ!
 ミラスラーフスキイ あんな、台所用の鍵でどうして金庫が締められるっていうんだ。なあジェーニャ、君の方こそ馬鹿たれだよ。ブーンシャ、見張りを頼む。人を入れたりしたら・・・殺すぞ!(リェーインに。)ちょっとナイフを頼む。(リェーインからナイフを受取る。第一の鍵を開ける。)
 アヴローラ(リェーインに。)見た? まあ!
 ミラスラーフスキイ ブーンシャ! 眠るな! お前は歩哨なんだぞ。首を斬るぞ!(金庫をすっかり開ける。)
 アーンナ(走って登場。)会議で決ったわ。・・・あ、あなた、何てことを!
 ミラスラーフスキイ 連中が何を決めようと、もう知ったことか!
 アーンナ あなた、気違いよ! これ、国家秘密の金庫なのに! そう、あの人達が言っていた通りなのね。あなたは犯罪者だったのね!
 ミラスラーフスキイ アーンナ、黙るんだ!
(リェーイン、金庫から機械を取り出し、調整する。)
 アーンナ アヴローラ、この人達をとめて! 思い直させて!
 アヴローラ 私、この人達と一緒に逃げるの。
 ミラスラーフスキイ アーンナ、僕と一緒に行こう!
 アーンナ いや、いやよ。私、怖い! だってこれ、恐ろしい犯罪よ!
 ミラスラーフスキイ そうか。仕方がない。じゃ、よく聞くんだ。裁判にかけられたら、雄々しく戦うんだ。全部僕のせいにすればいい。それから、裁判官が何を言おうと、「酔っ払っていた。何も覚えていない」の一点張りで行くんだ。必ず減刑にしてくれる!
 アーンナ 私・・・もう見ていられない!(走って退場。)
 ミラスラーフスキイ (後を追うように、大声で。)子供がもし生まれたら、僕の名前をとって、ジョールジュとつけるんだぞ! ブーンシャ、さあ、出発の用意だ!
 リェーイン 金庫の中にある物は取るんじゃないぞ。
 ミラスラーフスキイ 取らない、取らない! ただ、この飛行用の器具は、ちょいと拝借!
(この時、警報が鳴る。遠くから声が聞こえて来る。鋼鉄の扉がどさっと落ちて締まる。広場への道がこれによって塞がれる。)
 リェーイン 何だ? これは。
 アヴローラ 早く! あれは警報。金庫が信号を送ったんだわ。早く!
(機械の周囲にある輪が光り始める。急に大きな音で音楽が鳴り響く。)
 ミラスラーフスキイ バリショーイ劇場だ! 最後の幕に間に合うぞ!
 ブーンシャ(ミーヘリソンの時計を掴み、機械に突進する。)私は役人だぞ! 最初に乗るのは私だ!
 ミラスラーフスキイ 一人づつ、一人づつ。(機械のスイッチを入れる。)
(竜巻きが起り、一瞬、光が消える。ブーンシャ、消えている。)
 ミラスラーフスキイ アーンナ、僕のことを忘れるなよ!(消える。)
(ハッチがパッと開き、サーヴヴィッチ登場。)
 サーヴヴィッチ あっ、やったな! 大変だ。一大事だ! 金庫が壊された! 連中が逃げるぞ! ラダマーノフ!
(アヴローラに突進し、その手を掴む。)
(リェーイン、金庫から自動小銃を取り出し、空に向って撃つ。)
(サーヴヴィッチ、アヴローラの手を離す。)
 リェーイン サーヴヴィッチ、もう貴様には予告した筈だぞ。もし偶然に道で出逢ったりしたらどうなるか。一歩でも動いてみろ、撃ち殺してやる!
 サーヴヴィッチ 卑怯な! 何ていう乱暴な! 私は武器を持っていないんだぞ! アヴローラ!
 アヴローラ 私、あんたなんか嫌い!
(別のハッチが開き、ラダマーノフ登場。)
 サーヴヴィッチ ラダマーノフ! 気をつけて! 奴は人殺しです! 撃ってきます!
 ラダマーノフ 私は恐れない。
 サーヴヴィッチ 取り押さえることが出来ません。あっちは武装しているんです!
 ラダマーノフ 取り押さえるなど、不要なことだ。(リェーインに、精密時計が入っていたケースを見せて。)君への名誉は与えた筈だが? リェーイン君。
 リェーイン(サーヴヴィッチを指さして。)名誉はその男にこそ与えられるべきです。(精密時計を取り出す。)中味の精密時計はここです。ミラスラーフスキイが持っていました。これはお返しします、パーヴェル・スェルゲーイェヴィッチ! 僕はこれに値するような男じゃありません、さようなら。もうお会いすることはないでしょう!
 ラダマーノフ いや、それは分らん。それは分らんぞ、リェーイン君!
 リェーイン さようなら!
 アヴローラ さようなら、お父さん!
 ラダマーノフ さらばだ、リェーイン夫妻! もし飛行に飽きたら戻って来るんだな!(ボタンを押す。)
(鋼鉄の壁が上に上がる。広々とした回廊とブラジェーンストヴァの空。)
(リェーイン、自動小銃を投げ捨てる。機械のスイッチを入れる。大きな音の音楽。リェーイン、機械に掴まり、アヴローラと共に消える。暗闇。)
 サーヴヴィッチ ラダマーノフ! 私はどうしたら・・・彼等は飛んで行ってしまった!
 ラダマーノフ 自分で蒔いた種だ。自分で刈り取るんだね、サーヴヴィッチ。
 サーヴヴィッチ アヴローラ! 帰って来るんだ!
(暗闇。)
(リェーインの部屋。三人がブラジェーンストヴァに飛んで行った丁度その時の日付けと時間。狼狽(うろた)えているミーヘリソンと警官達。調書を作成中。)
 警官 怪しいと思われる心当たりは?
 ミーヘリソン 全員です。ここの建物に住む全員・・・連中はみんな盗人(ぬすっと)、悪党、反革命主義者達です。
 警官 何ていう建物だ!
 ミーヘリソン 全員引っ立てて下さい。名簿にある人間全員を! 附属建物に住む連中もです。一階からてっぺんまで、住んでいる奴はみんな犯罪者なんです。
 警官 落着いて! あなた。(名簿を見る。)どういう人達です? 住んでいる人は・・・ブーンシャ・カリェーツキイ?
 ミーヘリソン 盗人(ぬすっと)です!
 警官 技師リェーイン?
 ミーヘリソン 盗人です!
 警官 パドリェーフスコヴァ?
 ミーヘリソン 女盗人です!
 警官 ミーヘリソン?
 ミーヘリソン それは私・・・被害者です。全員引っ立てて・・・私を除いて・・・
 警官 落着いて!
(突然竜巻。灯りが消え、またつく。ブーンシャ登場。両手にミーヘリソンの時計を持っている。)
 ミーヘリソン そーら、あれです。あいつを掴まえて! 私の時計だ!
 ブーンシャ 諸君! 私は住宅委員会秘書、ブーンシャ・カリェーツキイだ。自己の住宅委員会秘書としての義務を果すべく、自発的にここに戻って来た。さあ、調書にはっきりと記入して戴こう、「自発的に」と。尊敬すべき市民ミーヘリソン、ほら、これがあなたの時計だ。盗難を免れさせたのはこの私だ。
 警官(ブーンシャに。)あなた、一体、どこから現れたのです? とにかく逮捕です、あなたは。
 ブーンシャ 逮捕・・・よろしい。喜んで、この身を警察に委(ゆだ)ねましょう。それに私には申告すべき事柄がある。この建物の屋根裏には・・・
(灯り、消える。轟音と音楽。そして、ミラスラーフスキイ登場。)
 ミーヘリソン お巡(まわ)りさん達! あれが私の外套です!
 ミラスラーフスキイ(すぐさま窓の敷居に突進。窓を開け、ミーヘリソンの外套を脱ぎ捨てる。)さあ、お前の外套だ、ミーヘリソン。こんなもの、がらくた市にでも持って行くんだな。ちょっとだけ僕が拝借した。それから、ほら、お前の懐中時計に、シガレットケースだ。こんな上等な懐中時計にシガレットケース、見たこともないだろう。僕はもともと、盗みなど出来ないんだ。そら、この指を見ろ。ブーンシャ、さらばだ! 手紙ならラストーフ宛だぞ。
 ミーヘリソン 奴を取り押さえろ!
 ブーンシャ ジョールジュ! 私と一緒に警察に身を委ねろ! そして悔い改めるんだ!
 ミラスラーフスキイ グラン・メルスィー! オルヴワール!(包みを解き、飛行用具を出し、飛び去る。)
 ブーンシャ 飛んで行った! さあ、お巡りさん達! 屋根裏に・・・
 警官 そんな話はまた後だ!
(音楽。灯りが消える。リェーインとアヴローラ、登場。)
 ミーヘリソン そーらまた、一味の一人だ。
 リェーイン 何を言う、ミーヘリソン! お前は馬鹿だぞ! 静かに、アヴローラ。怖がらなくていい!
 アヴローラ ヘルメットを被っているこの人達、誰?
 リェーイン 警官なんだ。(警官達に。)私は技師リェーインです。時間の機械を発明して、たった今未来から帰って来たところです。この婦人は私の妻です。皆様にお願いがあります。どうか彼女を驚かせないようにして戴きたい。
 ミーヘリソン 私から物を盗んでおきながら、シャアシャアと「驚かせないで戴きたい」だと? 呆れたもんだ!
 警官 黙れ! あなたの盗難は、当面後回しです。(リェーインに。)すると皇帝が現れたというのは、この機械のせいですか?
 ブーンシャ そう、そうです! だから私が電話したんです! 皇帝は今、屋根裏にいる筈です。さっきからそのことを私は・・・
 警官 おい、マスタヴォーイ! ジュディーロフ! すぐ屋根裏に・・・
(物音。屋根裏への扉が開く。全員後ろへ飛び退(すさ)る。呆気にとられた静けさの中を、イオアーン、ゆっくりと進む。居並ぶ人物達を見て、十字を切る。)
 イオアーン おお、何という恐ろしさ! 神よ、父なる神よ! 余は懇願する。修道院僧達のうち半数は・・・
(間。)
 ミーヘリソン お巡りさん達! あいつを捕まえて! ぼんやり眺めていて何になる!
 イオアーン(暗い顔でミーヘリソンを見て。)犬め! 命とりのにきびだ、この男は!
 ミーヘリソン ああ、ついに私はにきびにまで成り下がったか!
 アヴローラ(リェーインに。)まあ、何て面白いの! これ。どうしましょう、この王様を。返して上げましょうよ。気が狂ってしまうわ、このままでは。
 リェーイン うん。
(リェーイン、機械のスイッチを入れる。その瞬間、大きなドラの音が響き渡る。イオアーンの、アーチ形をした議事堂が現れる。その回りを親衛隊の隊長が駆け回っている。)
 親衛隊隊長 親衛隊! おい! 百人長! おい! どこにいるんだ、皇帝は!
 リェーイン(イオアーンに。)さあ、議事堂の中へ!
 イオアーン おお、神よ、神よ!(議事堂へ駆け込む。)
(リェーイン、機械のスイッチを入れる。その瞬間、議事堂、イオアーン、親衛隊隊長、消える。)
 警官(リェーインに。)あなたは逮捕です。我々に従って下さい。
 リェーイン 喜んで。アヴローラ、何も心配することはないからね。
 ブーンシャ 心配はいらないよ、アヴローラ・パーヴロヴナ。警察は私達に親切なんだから。
 ミーヘリソン お巡りさん達、私の盗難はどうなったんです。
 警官 今のところ、そんな暇はない。こっちの方が重大な盗難なんだ。
(リェーイン、アヴローラ、ブーンシャ、連れ去られる。)
 ミーヘリソン(一人残って。暫く呆気に取られた後。)時計も、シガレットケースも・・・外套もある・・・みんな揃っている。(間。)そう、皆さん、これが私達のバーンヌイ街に起ったことなのです。だけど、こんな話、職場で、或いは友達に話したって、誰が信じるだろう。誰も信じやしない!
                     (暗転。)
                     (終)

   平成十七年(二00五年)二月三日 訳了


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