秋刀魚の味


       監督 小津安二郎  
       脚本 野田高梧  
       小津安二郎  
          平山周平 笠 智衆  
          平山路子 岩下志麻  
          平山和夫 三上真一郎  
          平山幸一 佐田啓二  
          平山秋子 岡田茉莉子  
          河合秀三 中村伸郎  
          河合のぶ子 三宅邦子  
          堀江晋 北龍二  
          堀江タマ子 環三千世  
          佐久間清太郎 東野英治郎  
          佐久間伴子 杉村春子  
          三浦豊 吉田輝雄  
          坂本芳太郎 加藤大介  
          「かおる」のマダム 岸田今日子  
          「若松」の女将 高橋とよ  
          菅井 菅原通済  
          渡辺 織田政雄  
          佐々木洋子 浅茅しのぶ  
          田口房子 牧紀子  
          アパートの女 志賀真津子  
          酔客A 須賀不二男  
 
  1 川崎の工場地帯  
その風景二、三――。  
 
  2 或る工場の事務所  
その外景――。  
 
  3 その一室  
デスクが二つ――その一つで監査役の平山周平(57)が老眼鏡をかけて書類を点検しているが、そう
忙しそうでもない。  
ノックの音――。  
 平山「はい」  
女事務員の佐々木洋子(32)が入ってきて、平山のデスクに書類を置くが、平山はそのまま仕事をつづ
けている。  
洋子、片隅でお茶の仕度を始める。  
 平山「アア、あとでいいからね――ー(と今まで見ていた書類の一部を出して)これ常務さんとこへ
持ってっといて」  
 洋子「はい」  
とそれを取りにくる。  
 平山「すまんね」  
 洋子「いいえ」  
と受取ってお茶の仕度に戻る。  
 平山「田口君どうしたのかね。昨日も今日もお休みだね」  
 洋子「ナンですか、あの人、結婚するんだとかって――ー」  
 平山「ホウ、じゃ、よすのかい」  
 洋子「さア・・・」  
 平山「そりゃお目出度いね。――いくつだっけ?」  
 洋子「さア、二十三、四じゃないでしょうか」  
 平山「三、四ね・・・。君はご主人、何してるの?」  
 洋子「・・・わたくしまだ・・・」  
 平山「そう、まだ・・・」  
 洋子「はあ、父と二人だけなもんですから・・・」  
 平山「そう、――じゃ、いずれはお聟さんだね」  
 洋子(笑って)「・・・」  
 平山「いい人があるといいね」  
洋子、笑って、ヤカンを持って出て行く。  
 
  4 廊下  
洋子とすれちがいに平山の中学の同級生、大和商事の常務、河合秀三(57) が来る。  
河合、ドアをノックして入る。  
 
  5 室内  
平山が見迎える。  
 平山「よウ、なんだい」  
 河合「いやア、ちょいと横浜まで来たもんだからね」  
 平山「そう。――奥さんおもってなかったかい、こないだ」  
と立上がってテーブルへ来る。  
 河合「いやア、おこってない、おこってない。面白がってたよ」  
 平山「どうも酒を呑むと余計なことを云いすぎるな」  
 河合「すぎる、すぎる。お互いにな」  
と笑いあって――。
 河合「アア、お前ンとこの路子ちゃん、いくつになったんだっけ」
 平山「ナンだい、四だよ」
 河合「いい奴があるんだけどね、やらないか」
 平山「何?」
 河合「縁談だよ。実は女房の奴が聞いてきてね、大変乗ってるんだ。医科を出た奴でね、いまは大学に残って助手してるんだそうだ。二十九って云ってたっけかな。確か、そうだ。――どうだい」
 平山「ウーム、縁談か・・・」
 河合「あるのかい話、ほかに」
 平山「いや、ない。そりゃないんだがね、まだそんなこと考えてないんだ」
 河合「考えてないってお前・・・」
 平山「いや、あいつだってまだそんな気はないよ。まだ子供だよ。まるで色気がないし・・・」
 河合「いやア、あるよ。十分ありますよ。あるんだ」
 平山「そうかなア、あるかな」
 河合「ある、ある。まアやってごらんよ、結構やりますよ」
 平山「そうかね・・・。アア、さっき堀江から電話でね、クラス会のことで会いたいっていうんだ」
 河合「いつ」
 平山「今夜だよ、若松で。――お前ンとこにもかかってるぞ」
 河合「あいつバカに元気になったじゃないか、若い細君貰ってから・・・。あの方の(薬を呑む恰好をして)でも呑んでるのかね」
 平山「そうかも知れんな」
と笑いあう。
 河合「じゃ、路子ちゃんの話、一度よく考えてみろよ」
 平山「アア、――どうだい、今晩、いいね?」
 河合「駄目だ。ナイターだよ。大洋ー阪神、それ見に来たんだ。ダブル・ヘッダーなんだ」
 平山 「野球はまた今度ゆっくり見りゃいいじゃないか」
 河合「いやア、今日がヤマなんだよ。堀江なんかに付き合っちゃいられませんよ」
 平山「そんなこと云わないで、まア行こうよ」
 河合「イヤイヤ、今日は駄目だ」
 平山「まアいいじゃないか、行けよ」
 河合「駄目駄目、今日は駄目だよ」

  6 同夜、川崎球場
夜空に輝くナイターの電光。
轟々たる喚声など、その風景一、二――。

  7 同夜、テレビ
そのナイターが映っている。

  8 同夜、西銀座の小料理屋「若松」の店内
そのテレビを見ながら呑んでいる客たち――。

  9 そこの小座敷
平山、河合、それに、これも中学の同窓の教授堀江晋(57)の三人が呑んでいる。
テレビのワーッという喚声が聞えてくる。
 河合「おッ! はいったかな?」
と聞き耳を立てる。平山と堀江は全然野球に無関心で――。
 平山「で、菅井の奴、どこで会ったんだい」
 堀江「電車の中でね、人のおいてった新聞、ひろって読んでる妙な爺ジイがいるんだとさ、よく似た奴がいるもんだと思ったら、そいつがヒョータンなんだそうだよ」
 平山「ほおウ――ヒョータンももういい年だろ」
 堀江「おれも、もうとうに死んでると思ってたんだ」
 河合「いやア、あんな奴なかなか死なないよ。死なないんだな。殺したって死にませんよ」
 平山「お前、まだ恨んでるのか」
 堀江「あいつの漢文じゃ、いじめられたからな」
 河合「ひでえヒョータンだよ。今さら招ぶこたあねえや」
 平山「まア招んでやろうや」
 河合「あいつ招ぶんなら、おれ出ないよ」
 堀江「そんなこと云うなよ。今度はあいつのためのクラス会じゃないか」
 平山「お前が出なきゃ面白くないよ。出ろよ」
 堀江「出ろ、出ろ」
 河合(吐き出すように)「いやだ、いやだ」
そして、ふと見ると女将がお銚子を持ってくるので――。
 河合「おい、どっち勝ってる?」
 女将「まだそのまま。二対二の同点――。ハイ、お熱いの」
 平山「オオ」
と受取る。
 女将「堀江先生、奥さま遅いじゃありません?」
 河合「ナンダ、細君来るのか」
 堀江「アア、来るんだ」
 平山「来るのか」
 堀江「アア、来るんだ。いま友達と会ってるんだ。あとから来るんだ」
 女将「ほんとにお綺麗なお若い奥さまで・・・」
 堀江「いやア・・・」 
 河合「お前、このごろどこ行くんでも細君一緒か」
 堀江「アア、まア、大体ね」
 平山「呑んでるのか」
 堀江「何?」
 平山(薬を呑む形をして)「あの方の・・・」
 堀江「おれアまだそんな必要ないよ。必要ないんだ。――お女将さん、どうだい」
 女将「なんです?」
 堀江「あの方の・・・」
 河合「亭主に呑ませてるかって聞いてるんだよ、おクスリ――」
 女将「アラ、いやですねえ。――じゃ、おあとおつけしときますね」
と、店の方へ戻ってゆく。
 平山「おい。どうだい」
と堀江に酒をさす。
 堀江「オオ(と受けて、真面目な顔で)しかしねえ、ここだけの話だけどね」
 平山「なんだい」
 堀江「イヤ、真面目な話ね」
 河合「なんだい」
 堀江「大きな声じゃ云えないけどね、いいもんだぞ」
 河合「何が?」
 堀江「若いのさ。(ツネって)結構うまくいくもんだ。アハ・・・」
 河合「何云やがンだイ」
 堀江「イヤ、真面目な話、ほんとなんだ」
 平山「娘さんといくつ違うんだい」
 堀江「三つだがね、関係ないんだ、そんなこと」
 河合「幸せなやつだよ、お前は」
 堀江「そうなんだ。全くたのしいよ。――(平山に)どうだい、第三の人生、お前も」
 平山「そうか、そんなにいいか」
 河合(平山に)「よせ、よせ。お前はそのままでいいよ。それより娘を嫁にやることを考えろ」
 堀江「しかしな、真面目な話――」
 河合「もうわかったよ、沢山だ」
 堀江「イヤ、ここだけの話――」
女将が来る。
 女将「いらっしゃいましたよ、堀江先生――」
 堀江「あ、そう」
と腰を浮かす。細君のタマ子(28)が女将に「どうぞ」と促されて現れる。女将は店は戻ってゆく。
 堀江(迎えて)「アア、おいで。――どお、会えた、お友達――」
 タマ子「ええ」
 堀江「まア、お上がりよ」
 河合「や、いらっしゃい」
 平山「いらっしゃい」
 タマ子「ご無沙汰してまして・・・」
 河合「いやア、ご機嫌よう。いかがです?」
 タマ子「はア・・・」
 平山「まア奥さん、お上ンなさい」
 河合「どうぞ、どうぞ」
 タマ子「はア・・・」
 堀江「君、買物もすんだの?」
 タマ子「ええ」
 堀江「どお、ちょいと上がらない?」
 タマ子「アノ、あたくしもう・・・」
 堀江「そう、帰る? アノ、薬買って来てくkれた?」
 タマ子「ええ」
 堀江「じゃ、ちょいと呑んでこうか」
 河合「なんの薬だい?」
 堀江「いやア、ビタミンだ」
 タマ子「うちイ帰ってお上がりになったら?」
 堀江「そうね、そうしようか。じゃ失礼しようか。――(二人に)悪いけどね、帰るよ」
 平山「クラス会の話、どうするんだ?」
 堀江「まかせるよ、悪いけど・・・、うまくやってくれよ」
 タマ子「じゃ、ごめん下さい
 二人「やア・・・」
で、タマ子が一足先きに出てゆくと――。
 河合「オイ、おれア、ナイター棒にふって来たんだぜ」
 堀江「ナイターはいいよ」
 平山「お前、メシはいいのか」
 堀江「うちイ帰って食うよ。――じゃ、さようなら、失敬――」と出てゆくが、すぐまた顔を出して、
 堀江「批評はあとで聞くよ、なんとでも云え」
と敬礼して帰ってゆく。
それを見送って――。
 河合「あんなになっちゃうもんかねえ、バカな奴だよ」
 平山「ウーム」
 河合「ああはなりたくないねえ。――オーイ(と手を叩いて)お酒、お酒・・・」

  10 同夜、平山家の茶の間
九時すぎ――。
誰もいない。
玄関のあく音――。

  11 玄関
帰ってきた平山――。
 平山「オイ、もう締めていいか」
と云いながらネジをかける。
娘の路子(24)が奥から出てくる。
 路子「お帰ンなさい」
 平山「アア、只今――」
 路子「アラ、またお酒くさい」
 平山「いやア、今日はそう呑んどらん」
と上る。

  12 茶の間
二人、入ってくる。
 路子「お父さん、兄さんに会わなかった?」
 平山「来たのか」
 路子「いま帰ったとこ」
 平山「なんだい」
 路子「ううん、なんだか・・・。これくれた、ドーナッツ、まだ一つ残ってる」
 平山「そうか」
チャブ台の上にケーキの箱がある。
そこへ次男の和夫(学生 21)が出てくる。
 和夫「お帰り――」
 平山「アア」
 路子「お父さん、ご飯は? お茶漬けあがる?」
 平山「イヤ、もういい」
 和夫「じゃ、おれ、これ食っちゃうよ」
と残ったドーナッツを食う。
 路子(平山に)「富沢さんね、明日ッから来ないのよ」
 平山「どうして?」
 路子「兄イさんのお嫁さんが死んだんで、国へ帰るんだって」
 平山「そうかい、あと誰か頼んだかい」
 路子「会に頼んどきますって、富沢さん云ってたけど、いい人ないらしいのよ」
 平山「そうか、そりゃ困ったな」
 路子「いいわよ、みんなでやりゃ。そのかわりみんな早く起きるのよ。和ちゃんも」
 和夫「おれアゆっくりでいいよ。明日休みだもん」
 平山「お父さんも明日は昼からだ」
 路子「じゃ、早いのはあたしだけね。出たあと、二人でよく片付けといて。散らかしっぱなしは厭よ」
二人とも答えない。
 路子「お父さん、これから遅くなる時電話かけてよ。――和ちゃんもよ。でなきゃ、帰ってきたってご飯ないから」
二人、それにも答えない。
路子、おもしろくない。
 和夫「姉さん、おれのネズミのズボン、どこだい。出しといてくれよ」
 路子「二階の箪笥でしょ。自分で探しなさい」
と台所の方へ出てゆく。 
 平山(独り言のように)「――幸一、何しに来たのかな」
 和夫「知らねえよ。電話かけてみたらいいじゃないか。もう帰ってるよ」
二人、そのまま、また黙ってしまう。

  13 台所
ひとりで片付けものをしている路子――。

  14 同夜 団地住宅の二階の階下
かれこれ十時ころである。
平山の長男幸一(サラリーマン 32)が帰ってくる。
自室のドアをあける。 
 
  15 室内
幸一、入ってきて、靴をぬぐ。奥から細君の秋子(28)がタオルで手を拭きながら出てくる。
 秋子「おそかったわね」
 幸一「アア。親父ンとこ寄って来たんだ。君、早かったのか」
と上がる。
 秋子「早くもなかったけど・・・、お父さん、なンて?」
 幸一「いなかったんだ」
と奥の茶の間へゆく。

  16 茶の間
幸一、鞄から本を出して、
 幸一「これ、路子が返してくれって」
 秋子「アア、洋裁の・・・うまく出来たかしら」
 幸一「どうだか。――親父ンとこ、そのうち、もう一度いくよ」
 秋子「そうしてよ。――(と話題を変えて)山岡さんねえ・・・」 幸一「だれ?」
 秋子「三階の・・・この上の・・・」
 幸一「アア、共和生命の・・・」
 秋子「ウン、あすこの奥さん、こないだから入院してたでしょ」
 幸一「そうかい、どうした?」
 秋子「退院してきたの。可愛い赤ちゃん、男の児・・・」
 幸一「アア、赤ン坊か・・・」
 秋子「でね、幸一って付けようかって云うのよ。だったら、あんたとおんなじじゃない? よしなさいって、そう云ってやったの」
 幸一「いいじゃないか、幸一――」       
 秋子「よかないわよ、大きくなってあんたみたいになっちゃ、折角の赤ン坊可哀そうだもん。フフン。(と立上って)幸一はあんた一人で沢山・・・」
とキッチンへ行く。
 秋子「葡萄食べる? 帰りに買ってきたんだけど・・・」
 幸一「明日食うよ。ねむいよ。――床敷けよ」
 秋子「ちょっと待っててよ。あたし食べるんだから。――自分で敷いてよ」
幸一、黙ってボンヤリしている。
 秋子(食べながら)「冷蔵庫ね、やっぱり一時払いの方が得らしいわよ、割引もあるし・・・」
幸一、答えず、アクビを噛みころす。
秋子、葡萄を食べつづける。

  17 丸ノ内ビル
明るい陽射し――。

  18 大和商事の窓

  19 その廊下
書類を手にした路子が来る。
常務室のドアをノックし、返事を聞いて、入る。

  20 常務室
路子、書類を常務の河合のデスクへ持ってゆき、そのまま戻りかけると――。
 河合「オイ、路子ちゃん――」
 路子(振返って)「はい」
 河合「お父さんから聞いたかい」
 路子「なんでしょうか」
 河合「縁談だよ、君の――。いい話なんだけどね」
 路子「いいえ」
 河合「お父さんなんにも云わないかい。仕様がない奴だな。――どうなの、君、お嫁にいく気ないの?」
 路子(笑って)「・・・」
 河合「どうなのさ。――どうなんだい」
 路子「でも、あたしがいくと家が困るんです」
 河合「どうして?」
 路子「どうしてって・・・困るんです」
 河合「困るからってね、そんなこと云ってたら、いつまで経ったって、君、お嫁にいけやしないよ」
 路子「いいんです。いけなくたって」
 河合「よかないよ。そりゃいけないよ。そのままお婆ちゃんになっちゃったら困るじゃないか。――一度お父さんに聞いてごらんよ」
ノックの音。
 河合「はい」
事務員が書類を持って入ってくる。
路子、会釈して去りかける。
 河合「ア、君、平山君――」
 路子(振返って)「――」
 河合「お父さんね、今日クラス会いくって云ってたかい」
 路子「はい」
 河合「そう」
路子、一礼して出てゆく。
河合、事務員から書類を受取り、ざっと目を通してハンコを捺す。

  21 同夜 銀座裏の小料理屋「立花」
隣の家との間からネオンの広告塔が見える。
――そう高級な家ではない。

  22 同 廊下綽綽
スリッパが沢山ぬいである。
――笑声が聞えている。

  23 同 座敷
クラス会の連中である。

綽名を「ヒョータン」という旧師の佐久間清太郎(72)を囲んで、平山、河合、堀江、菅井、渡辺、中西など、いずれも同年輩の同窓生が卓を挟んで談笑している。もう宴の半ばだが、老先生は右手に箸、左手に盃を持って、なかなか健啖だし、酒もよく呑む。
仲間はお互いに酒をすすめあったりして――
 河合「どうです、これ」
と佐久間にウイスキーを出す。
 佐久間「アア、ウイスキーですか、頂こうかな」
とグラスを出して、酌を受ける。
 河合「先生、ライオンどうしました?」
 佐久間「ライオン?」
 堀江「数学の・・・宮本先生・・・」
 佐久間「アア、あの方は亡くなられました。いい人でしたがなア・・・」
 菅井「テンノーどうしてます、ゴダイゴテンノー」
 佐久間「アア、歴史の塚本先生、あの人はまだご壮健で、いま鳥取県におられてね、今以て毎年、年賀状いただいてますわ。アア、それから物理の天野先生ね」
 河合「アア、タヌキですか」
 佐久間「タヌキとおっしゃったかな。あの方は息子さんがようなられて、参議院議員でね、もう今は楽隠居ですわ」
 平山「そうですか」
 渡辺「先生、お嬢さんいられましたね」
 佐久間「はい、おります」
 菅井「アア、綺麗な可愛いお嬢さん・・・」
 佐久間「いやア、おはずかしい・・・」
 河合「お孫さんおいくたりです?」
 佐久間「それがね、わたしは早うに家内を亡くしましてね、娘もまだ一人でおるんですわ」
 河合「そうですか、そりゃア・・・」
 佐久間「もうみなさん、お子さんも立派におなりだろうが・・・(堀江に)あなた、お孫さんは?」
 堀江「はア、いやア・・・」
 平山「こいつはね、今度また孫みたいな若い女房もらいましてね」
 河合「はア、いやア・・・」
 河合「それがまた結構いいらしいんですよ」
 佐久間「そうですか、それはおめでたい」
で、一同が笑うと――。
 佐久間「堀江さんは、たしか副級長をしておられましたな」
堀江、「アハハ・・・」と笑う。
 河合「こいつは今でも副級長ですよ。女房が級長でね」
みんなが笑うが、先生は少しズレてから、
 佐久間「ハ・・・、なるほどなるほど――(と吸物を吸って、タネを箸ではさみ、隣の河合に)これは何ンですか」
 河合「ハモでしょう」
 佐久間「ハム?」
 河合「いいえ、ハモ・・・」
 佐久間「アア、ハモ――なるほど、結構なもんですなア。ウーム、鱧か・・・。サカナ偏にユタカ・・・」
 平山(ビールを取って)「先生、いかがです」
 佐久間「アア、ビールですか、こりゃアどうも・・・」
と、そこのコップで受ける。
 渡辺「しかし先生、お嬢さんとお二人じゃお寂しいですなア・・・」
 佐久間{はい――もう馴れましたわ、永いことで・・・。娘はどう思っとるか知りませんが・・・。いやア、今日は、ほんとにみなさんのお蔭で、十分いただいて・・・」
 平山「まアまア、どうぞ・・・」
とビールをさす。
 佐久間「イヤイヤ、これは(と受けて)――いやア、全く愉快でした。さっきもどなたか云われたように、みなさんあの中学校を出られて四十年、それぞれ立派になられて、お忙しいお仕事がおありになるのに、そのさなか、このヒョータンのためにお集まりいただいて、結構なおもてなしに預かりまして・・・」
 河合「まアまア先生、どうです、もう一つ・・・」
 佐久間「はい(と酌を受けて)や、ありがとう。――いやア、戦後人情日々に疎き折柄ですなア、今夕は、斯くの如きみなさんの温情に接して・・・アア、ヒョータンは幸せ者です・・・。ありがとう・・・ありがとうございました」
とホロリとして、何かを探す。
 菅井「なんです」
 佐久間「イヤ、わたしの帽子・・・」
 平山「まだいいじゃありませんか」
 河合「僕の車でお送りしますよ」
 佐久間「いやア、もうおいとませんと・・・」
と、また帽子を探す。
 中西「先生、帽子は下ですよ」
 佐久間「ア、そうか、これは、これは・・・」
と立上がり、ふと卓上に目を移して、残っている酒を呑む。
 菅井(そこのウイスキーを取って)「先生、これお持ち下さい」
 佐久間「や、そうですか。これはどうも・・・重ね重ね・・・じゃ皆さん・・・」
 渡辺「そうですか、お帰りですか」
 佐久間「やア、どうもありがとう、ありがとう」
 平山「じゃ、おれも一緒に行くよ」
 菅井「アア、じゃ、そうしてくれ」
で、佐久間につづいて河合と平山が出てゆく。菅井がついてゆく。

  24 廊下
三人、菅井に見送られて階段をおりてゆく。
 菅井「じゃ、頼むよ。――さよなら」
と座敷へ戻る。

  25 座敷
菅井が戻ってくる。
 堀江「帰ったかい」
 菅井「アア、――ヒョータン、大分ご機嫌だったじゃないか」
 渡辺「あいつ鱧食ったことないのかな、字だけ知ってやがって」
 堀江「茶碗蒸し。河合のまで食っちゃいやがって、よく呑むし、よく食うよ」
で、一同、笑う。

  26 同夜 郊外 場末の横丁
自動車が止まる。
河合と平山が手を添えて佐久間をおろす。佐久間は大分酔っている。
 佐久間「アア、ここだ、ここだ、こっちですわ」
と歩き出す 。
 平山「大丈夫ですか、先生・・・」
 佐久間「いやア大丈夫、大丈夫・・・」
この横丁に佐久間のやっている小さな中華ソバ屋の燕来軒がある。
 佐久間「あッ、ウイスキーのビン――」
 河合「もうカラッポですよ」
 佐久間「カラッポ?・・・フン・・・」
と燕来軒へ入る。

 27 同 店内
誰もいない。
佐久間が平山と河合に守られて入ってきて――
 佐久間「オーイ、伴子ッ――(と怒鳴り、二人に)さ、どうぞ、どうぞ・・・オイ、伴子ッ・・・」
とそこの椅子にグッタリ腰をおろす。
奥から娘の伴子(48)が出てくる。
 伴子(二人に会釈し、眉をひそめて)どうしたの、お父さん――」
 佐久間「あン? ――アア、愉快・・・」
 河合「どうも、先生大へんご機嫌で・・・」
 佐久間「やア愉快・・・。なア伴子、お二人に送って頂いてなア・・・河合さんに平山さん・・・」
 伴子(二人に)「ほんとに相済みませんでした。わざわざ、――いつも父はこうなんです」
 佐久間「うるさい! 何を云うか・・・ウイ、愉快・・・河合君――」
 河合「なんです」
 佐久間「あなたは偉くなられた・・・昔はやんちゃだったが・・・いやア、お見それした・・・伴子ッ、ビール!」
 平山(伴子に)「あ、もう結構です」
 伴子「でも折角いらしって頂いて・・・」
 河合「どうぞもう」
 平山「もう失礼しますから・・・」
 佐久間「まだいい・・・まだよろしい・・・オイ、平山ッ!――平山君・・・」
 平山「は?」
 伴子(咎めるように)「お父さん――」
 佐久間「さっき貰うたアレはどうしたかな・・・上等のウイスキー・・・」
 平山「あれは先生、車の中でお呑みになりましたよ」
 佐久間「ウム? 呑んだ? ・・・アア、呑んだ、呑んだ、呑んでしもた・・・。君は昔から記憶力がよかった」 
 河合(伴子に)「じゃ、どうぞ、先生お大事に・・・」
 平山「じゃ失礼します」
 伴子「ほんとにご迷惑をおかけして・・・」
 河合「ごめん下さい」
 平山「ごめん下さい」
二人、帰りかける。
 佐久間「まだいい! オイ、河合ッ! 平山ッ! 伴子ッ! ビール!」
伴子、二人を送り出して戻る。
 佐久間(まだいい気持で呟くように)「アア・・・愉快・・・全く愉快・・・ウーム・・・オイ、平山ッ! 河合ッ!」
と呼んでグッタリしてしまう。
伴子、それを見ているうちに、だんだん悲しくなってきて、顔を蔽う。――遠くから安っぽいレコードが聞えている。

 28 昼の西銀座
ビルの屋上の広告塔――。

 29 そこの路地
「若松」の看板――。
店内、二、三人の客。

 30 その小座敷
昼飯を食いにきた平山と河合が半月弁当を前にしてビールを呑んでいる。
 河合「菅井の奴、ヒョータンがチャンソバ屋やってること知ってたのかね」
 平山「知ってりゃ云うだろう。――しかしおどろいたね」
河合、ビールおく。
 河合「あの娘だってどっか変だぜ。なんとなくギスギスしててさ、冷たくってさ。あれじゃヒョータンも寂しいよ」
 平山「ウーム、ああはなりたくないな」
 河合「お前だってなるぜ」
 平山「いやア、おれアならんよ」
 河合「イヤ、なる。路子ちゃん早く嫁にやれよ」
 平山「そうかな」
 河合「そうだよ」
 平山「いやア、おれア大丈夫だよ」
と一方を見る。
女将が来る。
 女将「おビールお持ちしましょうか」
 河合「まアいいよ。(ふりむいて)まだこれからお勤めだからね」
 女将「今日は堀江先生は? ご一緒じゃなかったんですか?――ほんとにお若い、可愛らしい奥様で・・・
 河合「アア・・・可愛いねえ・・・(平山に)ねえ・・・」
 平山「ウーム?」
 河合「可哀そうなことしちゃったよねえ・・・」
 平山「ウーム・・・ネエ」
 女将「どうかなすったんですか?」
 河合「ゆうべお通夜だよ」
 女将「どなたの?」
 河合「どなたのって、堀江だよ」
 女将「まさか!」
 河合「今日は友引なんでね、明日が告別式なんだ」
 女将「ほんとですか」
 平山「今もお弔いの打合せなんだ。――(河合に)なアおい、花輪ご辞退しようか」
 河合「そう、ありゃ無駄だよ・・・やめよや」
 女将「なんで亡くなったんです?」
 平山「あいつ血圧も高かったしね」
 河合「やっぱり若い女房が祟ったんだよ」
 女将「ほんとですか」
 河合「おかみさんも気を付けなよ。ほどほどにしとくもんだよ」
女将、ふと振返って、
 女将「いやですよ、御冗談ばっかり――。いらっしゃいましたよ」
堀江が来る。女将は戻ってゆく。
 女将「いらっしゃいませ」
 堀江「やあ」
と上がって、
 堀江「やア、おそくなっちゃって――」
 河合「よかったな」
 平山「よかったよ、達者で」
 堀江「何?」
 河合「まだ生きてたかい」
 堀江「なに?」
 平山「こっちの話だ」
 堀江「いいあんばいにね、みんな大体賛成なんだ」
 平山「そうかい、そりゃよかった」
 堀江「こないだ来なかった久保寺と宮川と下河原も出すっていうんだ」
 河合「だったら二千円ずつ集めろよ、大体二万円になるじゃないか」
 堀江「そうするか」
 平山「そうしようよ」
 堀江(平山に)「お前、届けてくれるな?」
 平山「おれがか?」
 河合「お前が一番近いんじゃないか。――届けてやれよ。ヒョータン喜ぶよ」
 平山「いやア・・・あんなとこにヒョータンが住んでるとは思わなかったよ」
 堀江「そんなもんだよ、縁ってものはな。おれだってそうだった」
 河合「何云ってやんだい」
 堀江「ア、ハハハ・・・これ貰うよ」
と河合の前のビールを取って呑み、「うまい!」と舌鼓を打って乾す。
店内、向うから女将が茶を運んでくる。

 31 夕暮れ時 郊外の町
安っぽいアパートや自動車の修理工場などのあるゴタゴタした場末風景二、三――。
その横丁に燕来軒がある。

 32 「燕来軒」の店内
職工風の男がラーメンを食っている。
 男(食い終って)「オイ、ここへおいとくよ」
と金をおいて立つ。
 伴子の声「ありがとうございます」
男が帰ってゆくと、伴子が調理場から出てきて丼を持ってゆく。平山が入ってくる。
 平山「ごめん下さい」
 伴子「どなた?」
と出てきて――
 伴子「まア!」
 平山「どうも先夜は・・・」
 伴子「ほんとにありがとうございました。遠いところをわざわざ送って頂きまして・・・」
 平山「イヤイヤ、わたしはすぐそこの××におりますんで。先生は?」
 伴子「は、おります。――お父さん・・・お父さん・・・」
「ああン?」と返す声が聞えて、割烹服の佐久間がシューマイの蒸籠か何かを持って奥から出てくる。
 佐久間「やア、これはこれは平山さん、さ、まアどうぞ。――さアさア、どうぞどうぞ・・・」
と蒸籠を伴子に渡す。伴子、それを持って調理場へ入る。その間に――
 平山「どうも先日は――」
 佐久間「イヤもうたいへん結構なおもてなしを頂いて・・・。ついどうも好い気持になりすぎて、ご無礼なことまで申し上げたそうで、あとで娘に叱られましてな、なんとも恐縮です。どうぞ幾重にも・・・」
 平山「イヤ、イヤ、われわれの方こそどうも・・・」
 佐久間「なんせ四十年ぶりでしたのでなア、愉快でした」
伴子がお茶を持ってくる。
 伴子「どうぞ、お一つ・・・」
 平山「やア・・・」
 佐久間(伴子に小さい声で耳打ちする)「アノナ・・・チュウ出せ・・・チュウ・・・」
 伴子(これも小さい声で)「ビールの方がよかない?」
 佐久間(平山に)「ビールの方がよろしいですか」
 平山「イヤもう結構です」
 佐久間「イヤ、持っといで、持っといで」
で伴子が佐久間に何か囁く、佐久間が頷く。伴子が去りかけると――
 平山「イヤ、ほんとにもうどうぞ、お嬢さん、結構ですから」
 伴子「はア、なんにもおもてなし出来ませんで・・・」
と奥へ入る。
 佐久間「それとも、わたしが何か作りますか」
 平山「イヤもうほんとに結構です。どうぞお構いなく。――実はね、先生、これ・・・(と内ポケットから封筒を出して)こないだの連中が、これを先生に・・・」
 佐久間「なんですか」
 平山「イヤ、記念品でもと思ったんですが・・・」
 佐久間「あッ、そりゃいかん! そりゃ頂けん! どうぞ御無用に――」
 平山「それじゃ僕が困るんです。大したものじゃないんです。どうぞ、どうぞ・・・」
 佐久間「イヤ、そりゃ頂けんのだ。わし如き者をああいう会に招んで頂いただけで嬉しいんだから・・・。(そこへ客が来るので)あ、いらっしゃい!」
 客(坂本芳太郎 48)「オイ、サンマーメン!」
 佐久間「ハイ。――では、ちょっと平山さん・・・」
 平山「じゃ先生、いずれまた――」
 佐久間「そうですか、申訳ないですなア」
 平山「またお目にかかります」
 佐久間「や、どうも・・・」
平山が帰りかけると、客の坂本がハッと見て――
 坂本「館長ッ! 館長さんじゃありませんか!」
と立上る。
 平山(不審そうに)「エート・・・あなた、どなたでしたかな」
 坂本「坂本ですよ! 坂本芳太郎――。「朝風」に乗っとりました・・・一等兵曹の・・・」
 平山「アア、坂本さん、そうでしたか・・・」
 坂本(佐久間に)「なア親父、こちらはおれが乗っていた駆逐の館長さんだよ」
 佐久間「そうですか。それはそれは。――そう云えば平山さんは海兵へいかれたんでしたなア」
 平山(苦笑して)「いやア、どうも・・・」
 坂本「いやア、ほんとにお久しぶりですなア。どうです。館長、ひとつ付合って下さい。――親父、サンマーメンもういいよ。(平山に)ここはあんまり美味くないんです。
どっか行きましょう。付合って下さい」
 平山「いやア、しかし、あなたもお達者で・・・」
 坂本「へえ、お陰さまで・・・。あたしアね、すごそこで自動車の修理屋やってるんです。うちへもちょいと寄って下さい。ね、行きましょう、ね、そうして下さい」
 平山「じゃ、ちょいと寄せて頂くか・・・」
 坂本「じゃ親父、帰るよ」
 佐久間「毎度どうも・・・」
 平山(佐久間に)「じゃ、いずれまた・・・」
 佐久間「や、どうも・・・」
 坂本「さアさア、どうぞ・・・」
で、平山が坂本に誘われて帰ってゆくと、佐久間は何か感慨に耽りながら、その辺を片付けて、電灯のスイッチを捻る。

  33 「燕来軒」の看板
それに灯が入る。

  34 同夜 街の灯入れ看板二、三
そこにジャズが流れて――

  35 同夜 バア「かおる」の灯入看板
ジャズに重なって軍艦マーチが聞えている。
(三軒茶屋あたりの狭い路地である)

  36 同 店内(小さなトリス・バア)
レコードの軍艦マーチ・・・。
坂本が大分ご機嫌で、敬礼しながらレコードに合せて肩で調子をとっている。
平山がこれも少々酔いが廻って、ニコニコしながらそれを見ている。
 坂本「ねえ艦長、どうして日本負けたんですかねえ」
 平山「ウーム、ねえ・・・」
 坂本「お蔭で苦労しましたよ。帰ってみると家は焼けてるし、食い物はねえし、それに物価はドンドン上りやがるしねえ・・・。オイ、レコードやめろ!」
女がレコードを止める。
 坂本「それでね、女房の親父からゼニ借りましてね、今のポンコツ屋始めたんですわ。それがどうやら当りましてね、まア、まア...」
 平山「あなた、子供さんはさっきの娘さんだけ――?」
 坂本「いえ、あの上にもう一人いますがね、もう片付けちゃいましたよ。まもなくわたしもお祖父ちゃんですわ。ウカウカしちゃいられませんや。そこいくと艦長なんか何ンにもご苦労なかったんでしょうがね」
 平山「イヤイヤ、わたしも苦労しましたよ。ま、先輩のお蔭でどうにか今の会社に入れたようなもののね」
 坂本「けど艦長、これがもし日本が勝ってたら、どうなってますかねえ?」
 平山「さアねえ・・・」
 坂本(グラスを示して女に)「オイ、これ、トリス! 瓶ごと持ってこい! 瓶ごと! ――(平山に)勝ってたら、艦長、今頃はあなたもわたしもニューヨークだよ。ニューヨーク。――パチンコ屋じゃありませんよ。ほんとのニューヨーク、アメリカの」
 平山(ニコニコして)「そうかねえ」
女がトリスの瓶を出す。
 坂本「敗けたからこそね、今の若い奴等、向うの真似しやがって、レコードかけてケツ振って踊ってますけどね、これが勝っててごらんなさい、勝ってて。目玉の青い奴が丸髷か何か結っちゃって三味線ひいてますよ。ザマア見ろってンだ」
 平山「けど敗けてよかったじゃないか」
 坂本「そうですかね。――ウーム、そうかも知れねえな、バカ野郎が威張らなくなっただけでもねえ。――艦長、あんたのことじゃありませんよ。あんたは別だ」
 平山(苦笑で)「イヤイヤ・・・」
 坂本(トリスの瓶を取って)「ま、どうぞ・・・」
 平山「やア・・・」
と受ける。そこへこの店のマダムかおる(32)が出てくる。鉢巻をして風呂帰りの姿である。
 かおる「いらっしゃい」
 坂本「オオ、どこ行ってたんだい」
 かおる「お風呂よ」
 坂本「今時分風呂行く奴あるかい」
 かおる「今日ひまだったのよ。――さ、お酌しましょう」
平山、かおるが出て来た時から、目を放さない。
 坂本「アア艦長、これ、ここのマダム――」
 平山(会釈する)「やア・・・」
 かおる「いらっしゃい」
と平山の酌をする。
 平山(坂本に)「あんた、大分おなじみらしいな」
 坂本「イヤイヤ、ま、ひいきにしてやって下さい。――(そしてかおるに)おれのね、海軍の時の艦長さんだよ」
 かおる「どうぞよろしく・・・(坂本に)じゃ、あれかけましょうか、あれ・・・」
 坂本「オオ、かけろ、かけろ! 艦長、景気よく呑みましょうや。――嬉しいねえ、全く嬉しいねえ・・・」
レコードの軍艦マーチが始まる。
 坂本「オイ、ソラ、来たぞッ!」
と立上って全身で調子をとり、
 坂本「チャンチャンチャンカ、チャッチャ、チャンチャカ、チャッチャッチャッ・・・(と敬礼して)オイ艦長! 艦長もやって下さい!」
平山もニコニコして敬礼する。
坂本、益々愉快になって、敬礼したまま歩きまわる。
かおるも敬礼する。
坂本、益々いい気持になる。

  37 同夜 平山家の廊下
シーンとしている中で時計が九時を打つ。

  38 同 玄関
いい気持に酔った平山が帰ってくる。
路子が出迎える。
 路子「お帰ンなさい」
 平山「アア、只今――」
 路子「またお酒呑んでンのね」
 平山「いやア、そうは呑んどらん」
 路子「兄さん来てンのよ」
 平山「そうか」
と奥へ這入る。

  39 茶の間
幸一と和夫がいる。
平山と、つづいて路子が来る。
 幸一「アア、お帰ンなさい」
 和夫「お帰り」
 幸一「大分ご機嫌ですね」
 平山「いやア、ハハ・・・。――今日は妙な男に会ってね、変な家(うち)へ行ってきたよ」
 路子「お父さん、ご飯ないわよ。電話かけてよこさないんだもの」
 平山「アア、食ってきた。――(そして幸一に)そこに女がいてね・・・」
 幸一「どこなんです」
 平山「バアなんだがね、その女が若いころのお母さんによく似てるんだよ」
 幸一「顔がですか」
 平山「ウム、体つきもな。――そりゃアよく見りゃ大分ちがうよ。けど、下向いたりすると、この辺(と頬のあたりを撫でて)チョイと似てるんだ・・・」
 路子「いくつぐらいの人?」
 平山「二十八、九かな」
 和夫「じゃ、お母さんのその時分おれまだ生れてなかったな」
 平山「変な洋服着て鉢巻してたがね」
 和夫「お母さんも洋服着て鉢巻してたのかい?」
 幸一「いやア、お母さんはいつも着物だった・・・」
 路子「でもさ、疎開してた時さ、お母さん、つつっぽ着て、お父さんのズボン穿いてたじゃない」
 幸一「そのバア、一ぺん行ってみたいな、どこです」
 平山「アア、行ってみるか・・・まア、それほど似てもいないがね」
 和夫「おれも見に行こうかな」
 路子「あたしは厭。そんな人見たくないわ」
 平山(幸一に)「なんだい、今日は?」
 幸一「エエ、ちょいと・・・」
 平山「そうか・・・。(と立上って)路子、風呂あるのか」
 路子「今日は沸かさなかった」
 平山「そうか」
と廊下へ出てゆく。

  40 廊下
向うに洗面所がある。平山が来る。
 平山(振返って)「幸一――」
幸一が来ると――
 平山「なんだい」
 幸一「ちょいと五万円ばかり・・・。冷蔵庫買おうと思うんです」
 平山「アア、いいよ。けど今ないよ。いそぐのかい?」
 幸一「なるべく早い方がいいんですけど・・・」
 平山「じゃ二、三日うちに路子に届けさせるよ」
 幸一「お願いします」
と茶の間へ戻ってゆく。
平山、洗面所へ行ってシャツを脱ぐ。
 平山「路子、シャボン――。シャボンないよ」

  41 翌日の夕方 団地
その情景二、三――

  42 同 二階の廊下
エプロン姿の秋子が自室から出てきて、隣室のドアをノックして、入る。

  43 その室内
主婦の小川順子(33)がお膳立てをしながら見迎える。
 秋子「トマトあったら、二つばかり貸してよ」
 順子「アア、ある、ある」
と立ってゆく。
秋子が見ると、そこに電気掃除機がある。
 秋子「これどお? 掃除機、具合いい?」
順子、トマトを持って出てくる。
 順子「アア、それ? いいわよ、音がちょいと煩さいけど・・・。ハイ、これ冷えてるわよ」
トマトを渡す。
 秋子「ありがとう。うちも買うことにしたの冷蔵庫――」
 順子「アア、あると便利よ。氷だって出来るし・・・」
 秋子「そうね、じゃ借りとく。ありがとう」
と出てゆく。

  44 廊下
秋子が出てくると、向うから幸一が長い紙包を持って帰ってくる。

  45 茶の間
夕食の仕度がしてある。
二人、入ってくる。
 幸一「君、早かったのか」
 秋子「ううん、ついさっき。――それなアに?」
 幸一(紙を破きながら)「これだよ」
ゴルフのクラブが三、四本。
 秋子「どうしたの?」
 幸一「路子、金持って来たかい」
 秋子「ううん、まだ――」
 幸一「そうか・・・」
 秋子「どうしたのよ、それ――?」
 幸一「うん? 安いんだ・・・」
 秋子「買ったの?」
 幸一「いやア、金はあとでいいんだ。三浦の友達がね、新しいの買ってね、これ譲るってんだ。掘出しもんだよ。いいんだ・・・」
 秋子「あんた、買うの?」
と声が少し強くなる。
幸一、見返す。
 秋子「お金、どこから出すの? 駄目よ、そんなもん買っちゃ」
 幸一「いいじゃないか、路子が持ってくるよ。余計に借りたんだ」
 秋子「いくら借りたの?」
 幸一「五万円・・・」
 秋子「余計に借りたからって、そんなものに使えないわよ。あんた、なんだかんだって、ひとりで勝手にお小遣い使ってるじゃないの」
 幸一「そうでもないよ」
 秋子「使ってるわよ。使ってるじゃないの。あたしだってほしいものもあるのよ。それを我慢してるのに、自分だけ勝手に、何さ!返してらっしゃいよ、そんなもの」
 幸一「今更もう返せないよ」
 秋子「返せるわよ! 返していらっしゃいよ!」
とキチンへ去る。
幸一、憮然としてクラブをそこに置き、煙草に火をつける。
 秋子(トマトの皮をむきながら)「大体ね、あんた程度のサラリーマンがゴルフするなんて贅沢よ、生意気よ。たまに早く帰ってくると、疲れた疲れたなんて、早アく寝ちゃってさ。ゴルフなんかよしゃいいのよ。よしちゃえ、よしちゃえ・・・」
幸一、答えず、ボサッとして煙草をふかし続ける。

  46 ゴルフ練習場
あんまり立派でなく、客も少ない。情景二、三――。
幸一が打っている。会社の後輩三浦豊(26)が見ている。幸一のボールが飛ぶ。
 三浦「よく飛びますね」
 幸一(ドライバーを見て)「なかなかいいよ、これ」
 三浦「なんたってマックレガーですからね」
 幸一「ウーム」
と、二人、ベンチへ戻る。
 三浦「少し傷ついてますけどね、買い物ですよ」
 幸一「そうだねえ・・・」
 三浦「ほんとは僕が欲しいんですけどね、金ないから」
 幸一「機械部の塩川さんに聞いてごらん。あの人ほしがるよ」
 三浦「あんた駄目ですか」
 幸一「ほしいけどね。今ちょっと纏まった金困るんだよ」
 三浦「奥さん、反対ですか」
 幸一「ウーム」
 三浦「いいけどなア、これ――マックレガーだからなア・・・」
 幸一「いいよなア」
 三浦「思い切ってどうです」
 幸一「まアやめとくよ」
 三浦「奥さん、そんなに怖いですか」
 幸一「怖かないけどさ、あと祟るからな。――オイ、ちょいともう一ぺん貸せよ」
と三浦からドライバーを受取って立上がり、もう一度ボールを打つ。ボールが飛ぶ。

  47 日曜日の午前 団地
いい天気で、窓々に布団が乾してある。

  48 二階の廊下
子供づれの夫婦が楽しそうにどこかへ出かけてゆく。

  49 室内
秋子が窓辺で布団を叩いている。
幸一が面白くない顔で寝ころがっている。
どうも夫婦の間がしっくりいっていないらしい。
 秋子「あんた、時計巻いといてよ。もうじき止まるわよ」
と声をかけて別室へ去る。
幸一、返事もせず身動きもしない。
秋子、シーツを持ってきて窓に乾す。
 秋子「何ふくれてンのよ」
 幸一「・・・」
 秋子「行きたちゃ行ったらいいじゃないの、――ゴルフしちゃいけないって云ってやしないのよ」
 幸一「・・・」
 秋子「何さ、子供みたいに・・・。早く自分の好きなもの買えるような身分になりゃいいじゃないの」
 幸一「・・・」
 秋子「ノーコメントか・・・」
と別室へ戻りかけて――
 秋子「時計!」
と云い捨てて去る。
幸一、仕様ことなしに起上って、時計を巻く。
ノックの音――
 幸一「・・・」
またノック――
 幸一「ハイ」
路子が入ってくる。
 路子「こんちは――」
と上る。秋子、出てきて――
 秋子「あ、いらっしゃい」
 路子「こんちは――。(幸一に)兄さん、よくいたわね。ゴルフかと思ってた」
 秋子「ご機嫌悪いのよ、兄さん今――」
 路子「どうして?」
 秋子(ニヤリとして)「聞いてごらんなさい」
 路子「どうしたの? ――(とハンドバッグから封筒を出して)これ持ってきたわよ」
と渡す。
 秋子(横から)「アア、それこっちイ頂戴。――ありがとう」
と受取る。
 路子(幸一に)「兄さん、ほんとにどうしたの?」
 秋子「あてがはずれたのよ、折角のお金――」
 幸一「うるさいッ!」

  50 廊下
三浦が例のドライバーの紙包を抱えてやってくる。
幸一の部屋のドアをノックする。「はい」という秋子の返事を聞いてあける。

 51 室内
三浦、入ってきて――
 三浦「こんちは――」
それを迎えて――
 路子「アア、いらっしゃい。――兄さん、三浦さんよ」
 幸一「三浦――?」
と立ってくる。
 幸一「よう、なんだい」
 三浦「これ(ドライバー)なんですけどね、友達にそう云ったら・・・」
秋子が出てくる。
 秋子「いらっしゃい」
 三浦「こんちは」
 秋子「なアに」
 三浦「これなんですけどね、(幸一に)折角約束したんだし、(秋子に)友達としても是非っていうんです」
 秋子「アア、それ要らないの。――でも、まアお上ンなさいよ」
 三浦「はア・・・」
 幸一「まア上がれよ」
 三浦「そうですか、じゃア・・・」
と上る。秋子と路子は奥へ去る。
 三浦「あれから友達ンとこへ寄ったんですよ。そしたら奴もあてにしてたとこなんで、困っちゃいやがってね・・・」
 秋子(奥から)「三浦さん、あんた、押売りにきたの?」
 三浦「冗談じゃない、違いますよ。これ、奥さん、ほんとにいいんですよ。ほかの奴に渡したくないんだ。月賦でいいって云うんです」
 幸一「月賦――?」
 秋子「月賦だって駄目よ、駄目駄目」
 三浦「そうかなア、駄目かなア。――二千円で十ケ月、安いんだけどなア・・・」
 秋子「駄目駄目、駄目よ」
 三浦「そうかなア、僕だったら買うけどなア」
 秋子「じゃ、あんたお買いなさいよ」
 三浦「いやア、駄目なんです。お金ないんです」
 秋子「じゃ変なものすすめないでよ。兎に角要らないのよ。持って帰ってよ」
と物陰へ切れる。
 三浦「そうですか・・・」
と幸一に目を移して――
 三浦「悪かったですね、奥さん怒らしちゃって・・・」
 幸一「いやア、いいよ。あいつ朝から機嫌わるいんだ」
 三浦「でも悪かったなア・・・」
秋子、紙幣を持って出てきて・・・
 秋子(三浦に)「ハイ、二千円、一回分――」
と畳の上におく。
 三浦「いいんですか」
 秋子「いいのよ。この辺で買っとかないと、あと煩さいもの」
 路子(ニッコリして)「よかったわねえ、兄さん――」
 幸一「いやア、・・・(とクラブを一本抜いて)いいよなア、これ」
 三浦「いいですよ。絶対ですよ。じゃ奥さん、二千円、確かに――」
 秋子「おぼえといて、今月からってこと――。あと九回よ」
 三浦「そりゃ大丈夫ですよ。――じゃア僕、帰ります」
 幸一「ナンダ、帰るのか」
 秋子「現金ね、あんた」
 三浦「いやア、昼から約束があるんです。失礼します」
 路子「じゃ、あたしも・・・」
 幸一「ナンダ、お前も帰るのか」
 秋子「いいじゃないの、路子ちゃん、まだ・・・」
 路子「ううん、これからお友達ンとこいくの」
 幸一「じゃお父さんに宜しく云ってくれ」
 秋子「ありがとうございましたってね」
 路子「ええ。――じゃ、さよなら」
 三浦「じゃ失礼します」
 幸一「アア、さよなら」
 秋子「さよなら――」
で三浦と路子が帰ってゆくと――
 幸一(クラブを手にしながら)「オイ、いいのか、これ――」
 秋子「ほしいんじゃなかったの?」
 幸一「イヤ、ほしいんだ」
 秋子「その代りあたしも買うわよ」
 幸一「何?」
 秋子「白い皮のハンドバッグ――割に高いわよ」
 幸一「・・・」
 秋子「買うわよッ! ほんとに買っちゃうから!」
と云い捨てて、奥へゆく。
幸一、ひとりクラブを弄んでいる。

  52 郊外の駅のホーム
情景――
そこで電車を待っている三浦と路子――
 三浦「お兄さん、奥さんにはずいぶん優しいんですねえ」
 路子「でも、あたしたちには結構威張るのよ」
 三浦「――やっぱり奥さんには優しくした方がいいのかなア」
 路子「そうねえ。――でも、あんまり優しいのもいやねえ」
 三浦「そうですか、むずかしいな」
 路子「あ、電車来た――」
電車が進入してくる。

  53 窓
そこから川崎の工場地帯の風景が見えて――

  54 室内
平山が書類を見ている。
ノックの音――
 平山「はい」
BGの田口房子(24)が入ってくる。
 平山「やア、どうしたい」
 房子「永い間いろいろお世話になりましたけど・・・」
 平山「そうだってね。お嫁にいくんだって? おめでとう」
 房子(お辞儀をして)「ちょっとご挨拶に・・・」
 平山「そう。――君は三だったかね、四だったか・・・」
 房子「四でございます」
 平山「そう。そいじゃ、うちの娘とおんなじだ。ま、幸せにね。しっかりおやンなさい」
 房子「ありがとうございます」
またノックの音――
 平山「はい」
洋子が入ってくる。
 洋子「ご面会です」
と名刺を渡す。
 平山(受取って)「アア、そう。こっちへお通しして・・・」
 洋子「はい」
房子もお辞儀をして洋子と一緒に去りかける。
 平山「あ、田口君、君、あとでもう一度ちょいと寄ってくれないか」
 房子「はい。――失礼いたします」
と出てゆく。
平山、机上を片付けて、来客用のテーブルへゆく。
ノックの音。
 平山「はい」
洋子に案内された佐久間老先生が入ってくる。
 佐久間「や、どうもお忙しいところを突然・・・」
 平山「イヤイヤ、さ、どうぞ・・・」
 佐久間「ハイ。――先日はどうもわざわざお越しいただいて・・・。あとで気がつきましたら箸立の下に・・・」
 平山「イヤイヤ、ま、どうぞ・・・。どうぞおかけ下さい」
 佐久間「ハイ、まことにどうも過分なお志を頂きまして・・・。(と腰をおろし)只今も皆さんのところへお礼に伺ったような次第で・・・」
 平山「そりゃどうもわざわざ・・・。河合、いましたか」
 佐久間「あの方はちょっとお出かけになっておりまして・・・」
 平山「そうですか。――先生、これからもうお宅へお帰りですか」
 佐久間「ハイ、こちらが最後になりまして・・・。どうも・・・」
 平山「じゃ、ご一緒に帰りましょう。おなじ方向だから・・・」
 佐久間「ハイ、でもまだお仕事が・・・」
 平山「イヤ、もういいんです」
と立上ってデスクへ戻り、そこの電話を取って――
 平山「アア、あのね、大和商事の河合さん呼んで。――アア、常務の河合さんだ・・・。アア、それからね、うちの田口君、アア、もう一度、ちょいと来てもらってくれないか」
と一旦切り、紙入れを出して紙幣を包む。

  55 同夜 西銀座の路地
「若松」の看板のある風景――

  56 同夜 「若松」の店内
客が二、三人――

  57 同 小座敷
平山と河合と佐久間。みんな酔っているが、佐久間は殆ど泥酔で、グッタリしている。
 河合「先生、どうしました。一ついきましょう」
 佐久間「アーン?(と顔を上げて)や、どうも・・・。(と受けながら)アア、嬉しい・・・嬉しいもんだ・・・。ウーム、ご迷惑かけちゃった・・・ウーム・・・」
とまたグッタリする。
 河合(それを見て平山に)「オイ、ヒョータンもう駄目だぞ」
 佐久間(ふっと顔をあげて)「フーン?」
 平山(すかさず)「先生、どうです、もう一つ・・・」
 佐久間(受けて)「や、ありがとう・・・。(と受けて)あんた方は幸せだ。わたしゃ寂しいよ・・・」
 河合「何がです、何が寂しいんです?」
 佐久間「いやア、寂しいんじゃ・・・悲しいよ。――結局人生は一人じゃ・・・一人ぼっちですわ・・・」
河合と平山、顔を見合わせる。
 佐久間「いやア、わたしは失敗した・・・。失敗しました・・・。つい便利に使うてしもうてね・・・」
 平山「何をですか」
 佐久間「いやア、娘ですよ・・・。娘をね、つい便利に使うてしもうて・・・。嫁の口もないじゃなかったが・・・なんせ家内がおらんのでねえ・・・。失敗しました・・・ついやりそびれて・・・。あー わたしゃ失礼しよう!」
 河合「お帰りですか。ま、いいじゃないですか。一ついきましょう」
 佐久間「そうか、頂くか・・・(と受けて)イヤア、陽のあるうちに秣は乾せか・・・思う勿れ身外無窮の事、ただ尽せ生前一杯の酒か・・・やア・・・」
と盃をおいてコロリと寝ころんでしまう。
河合と平山、顔を見合わせて、
 平山「先生・・・先生・・・」
 河合「ま、寝かしといてやれ、ヒョータンも寂しいんだよ」
 平山「ウーム」
 河合「お前も気をつけないと、こうなるぞ」
 平山「いやア、おれア・・・」
と盃を乾す。
 河合「路子ちゃんがヒョータンの娘みたいになったら、どうするんだ」
 平山「いやア、あいつだって・・・」
 河合「なるよ。早く嫁にやれ。お前がヒョータンみたいになっても困るからな」
 佐久間(突然)「えッ、ヒョータン?」
と起き返って――
 佐久間「ここはどこですか」
 河合「ま、先生、おやすみなさい。お送りしますよ」
 佐久間「あ、そう・・・」
と、また、寝てしまう。
 河合(平山に)「ま、よく考えろよ」
 平山「ウーム・・・」
と盃をとる。

  58 同夜 平山の家 廊下

  59 同 中の間(茶の間の隣)
路子が洗濯物にアイロンをかけている。
玄関のあく音――
 路子「お父さん?」
 平山(声)「アア、只今――」
 路子「締めないどいて――。和ちゃんまだなの」
平山が入ってくる。酔っている。
 路子「お帰ンなさい」
 平山「アア」

  60 中の間――茶の間
平山、中の間を抜けて、茶の間のチャブ台の前にすわる。
 平山「ねえ、オイ」
 路子「なアに?」
 平山「お前、お嫁にいかないか」
 路子「え――?」
 平山「お嫁だよ、いかないか」
 路子(一笑に附して)「何云ってンの!」
 平山「イヤ、ほんとだよ、ほんとだよ」
 路子「お父さん酔ってンのね、また」
 平山「アア、少し呑んでるけどね、本気なんだよ」
 路子「少しじゃないわよ。どうしてそんなこと考えついたの?」
 平山「どうしてって・・・いろいろね。――ま、こっちイおいで」
 路子「ちょっと待って。もうすぐだから・・・」
 平山「お父さんいろいろ考えたんだけどね・・・。ま、ちょいとおいでよ」
路子、アイロンを切って立ってゆく。

  61 茶の間
平山と路子――
 路子「でも、あたしがいったら困りゃしない?」
 平山「困ってもね、もうそろそろいかないと・・・。お前も二十四だからね」
 路子「そうよ。だからまだいいわよ」
 平山「しかしね、まだいい、まだいいって云ってるうちに、いつのまにか年をとるんだ。お父さん、ついお前を便利に使って、すまんと思ってるんだよ」
 路子「だから、どうしろっていうのよ。あたしねお父さん、まだまだお嫁になんかいかないつもりでいるのよ。いけやしないと思ってるのよ、お父さんだってそう思ってたんじゃない」
 平山「何?」
 路子「あたしがこのままでいる方がいいって・・・」
 平山「どうして? そんなことないさ」
 路子「だってそうじゃないの。あたしがいっちゃったら、お父さんや和ちゃん、どうするのよ」
 平山「そりゃアどうにかするさ」
 路子「どうにかって、どうするのよ。どうにもなりゃしないわよ。お父さん一体いつからそんなこと考えたの」
 平山「じゃ、お前、お嫁にいかないつもりかい」
 路子「いかないなんて云ってやしないわよ。そんなつもりないわよ。お友達の中にだってお嫁にいった人ずいぶんいるのよ。赤ちゃんのある人だっているわ」
 平山「そうか・・・。だったらお前――」
 路子「いいの! あたし、今のままでいいの!」
 平山「ウーム、そりゃお父さんだってね、今が一番いい時だとは思ってるよ。でも、それじゃアいけないんだ。お父さん考えたんだよ」
 路子「考えたんなら、もうそんな勝手なこと云わないでよ」
 平山「勝手じゃないよ」
 路子「勝手よ」
と立っていって中の間の洗濯物を集める。
 平山「おい! ・・・おい!」
路子、洗濯物を持って出てゆく。
平山、憮然として、ヤカンの水を茶碗についで呑む。
玄関のあく音――

  62 玄関
和夫が帰ってきている。
 和夫「姉さん、もう締めていいかい」
 平山(声)「アア、もう締めていい」
 和夫「ナンダ、お父さん帰ってンのかい」
とネジを締める。

  63 中の間――茶の間
和夫、入ってくる。
 和夫「只今――」
 平山「アア、お帰り――」
 和夫「姉さんは?」
 平山「いるよ」
路子が黙って部屋を横切る。
 和夫「オオ、姉さん、おれメシ食うよ」
路子、答えず通りすぎてゆく。
 和夫(見送って)「どうしたんだい、お父さん」
 平山「ウーム」
和夫、チャブ台の前にすわって、お茶をついで呑む。
 和夫「アア、ニガい」
 平山「なアおい」
 和夫「うむ?」
 平山「姉さんね、誰か好きな人でもあるのかな」
 和夫「あるだろう」
 平山「あるかい」
 和夫「知らないけどさ、おれだってあるもの」
 平山「お前、あるのか」
 和夫「あるよ。清水富子ってンだ」
 平山「ほウ、どこの人だい」
 和夫「どこか知らないけどさ、ちょいちょい口きいてンだ」
 平山「フーム、何してる人だい」
 和夫「毎日乗ってるバスの車掌さんだよ。名札で名前おぼえたんだ。可愛いんだ」
 平山「フーム、そうか・・・」
と苦笑する。
 和夫「オイ、姉さん! メシ食わしてくれよ」
 平山「アア、お前ね、台所へ行って食べといで」
 和夫「どうして?」
 平山「そうしろ。自分のことは自分でするんだ」
和夫、ボソリと立って台所へ行く。
平山、ひとりになって、煙草に火をつけ、なんとなく考えている。

  64 一週間ほど後 夕方 団地
窓々に灯が見えて、勤めに出た人たちが帰ってくる。
秋子もその一人である。

  65 同 廊下
秋子が帰ってくる。

  66 室内
秋子、入ってくる。
 秋子「只今――」
と上る。

  67 茶の間――キチン
幸一がエプロンをしてキチンで玉葱を刻んでいる。秋子が来る。
 秋子「おそくなっちゃった。――何出来るの?」
 幸一「冷蔵庫にハムがあったんでね、ハム玉だよ」
 秋子「あたしもハンバーグ買ってきた。――ご飯、つけた?」
 幸一「アア、もうじき炊けるよ」
 秋子(流しへ行って)「ちょっと――」
と手を洗う。幸一も手を洗う。
 秋子(手を拭きながら)「今日ね、お昼休みに会社へ路子ちゃん来たの」
 幸一「フーン。なんだい」
とエプロンを取って秋子に渡す。代って秋子がそれを締める。
 秋子「お父さんがね、お嫁にいけっておっしゃるんだって・・・」
 幸一「フーン、相手誰だい。けど路子が今お嫁にいったら、親父困るんじゃないか。どうするつもりだろう」
 秋子「路子ちゃんもそういうのよ」
 幸一「じゃ路子はそんな気ないのか」
 秋子「そりゃわかンないけど、お父さんこのごろ毎日のように、そうおっしゃるんだって。――いやンなっちゃったって、路子ちゃん云うのよ」
 幸一「どんな奴だい、相手――」
 秋子「河合さんからのお話でね。お父さんその人にお会いになったんだって――。悪くはないらしいのよ」
 幸一「路子気に入らないのか」
 秋子「そこんとこがボンヤリしてンの。――あなたお嫁に行きたくないのッて聞いたら、でもないらしいの」
 幸一「どういうんだい、そりゃア」
 秋子「どういうんだろう」
 幸一「じゃ、路子何しに君ンとこへ行ったんだい」
 秋子「でも・・・なんとなくわかる気がするじゃない、路子ちゃんの気持・・・」
 幸一「そうかなア」
ノックの音――
 幸一「はい」

  68 入口の部屋
ドアがあいて平山が入ってくる。
幸一が迎える。
 幸一「ア、いらっしゃい」
 平山「アア、帰ってたか」
秋子が来る。
 秋子「アア、お父さん――。どうぞ・・・」
 平山「アア、これね、牛肉の佃煮だ」
と包みを渡す。
 秋子「すみません」
 幸一「お父さん、いまお帰りですか」
 平山「うん、ちょいと話があるんだ。出られないか」
 幸一「僕まだメシ前なんですがね」
 秋子「どうぞお父さんもご一緒に・・・」
 平山「アア、メシはどっかそこいらで食うとして、どうだい」
 幸一「そうですか、じゃア・・・」
と奥へ行く。秋子も平山に会釈して奥へ入る。

  69 茶の間
幸一と秋子、仕度しながら――
 秋子(囁く)「きっと路子ちゃんのことよ」
 幸一「うむ」
と出てゆく。

  70 入口の部屋
平山が待っている。幸一、来て下駄をはく。
秋子が出てくる。
 秋子「いってらっしゃい」
 平山「じゃ、ちょいと借りてゆくよ」
 秋子「どうぞ」
平山と幸一、出てゆく。
しまるドア――

  71 同夜 バア「かおる」の店内
平山と幸一――。幸一はチャーハンを食べ、平山はチビリチビリ呑んでいる。
離れて、客が一人、女を相手に呑んでいる。
 幸一(食べ終って)「ご馳走さん・・・」
向うでお茶を淹れていたマダムのかおるがお茶を持ってきて――
 かおる「よろしいんですか」
 幸一「ありがとう」
 平山(グラスを示して)「これおくれ」
かおる、ウイスキーを注ぎ、丼を持って奥へ入る。
 幸一(見送って)「似てるかなア・・・。似てませんよ」
 平山「ウーム、よく見りゃ大分違うがね、どっか似てるよ」
 幸一「そうかなア・・・。で、お父さん、その男どうだったんです」
 平山「岡崎の旧家の次男でね、なかなか体格のいい、しっかりした男でね、お父さんはいいと思ったんだけどね」
 幸一「――路子、ほかに好きな人でもあるんじゃないんですか」
 平山「そう思うかい、お前――?」
 幸一「ええ」
 平山「そうなんだよ。和夫の話だとね、三浦って人を好きらしいんだよ」
 幸一「三浦って?」
 平山「お前の会社の・・・」
 幸一「アア、あいつですか」
 平山「どんな人だい」
 幸一「あいつはいい奴ですよ。あいつだったら賛成だな。――路子はなんていうんです」
 平山「聞いてみたんだがね、ハッキリ云わないけど、なんとなく好きそうなんだ」
 幸一「あいつならわけないがな」
 平山「そうかい。じゃお前、ひとつその三浦君に、それとなく聞いてみてくれないかな」
 幸一「ええ、いいですよ。あの男ならいいです」
 平山「そうかい。――そりゃアやっぱり好きな人と一緒にさせてやった方がいいからね。その方が路子も幸せだよ」
 幸一「そうですね。じゃ早速聞いてみましょう」
 平山「アア、そうしておくれ」
かおるが出てくる。
 かおる「今日はお静かねえ、こないだのアレかけましょうか」
 平山「いやア、まアいいよ」
 幸一「なんです」
 平山「いやア・・・」
 幸一「しかし、あいつが行っちゃうと、お父さん寂しくなりますねえ」
 平山「でも、もうやらないとねえ・・・」
とグラスを乾す。幸一も呑む。

  72 翌日の夕方 食傷新道
烏森あたり――勤め帰りの人たちの往き来・・・。

  73 そこの「とんかつ屋」の店内
相当に混んでいる。

  74 その二階への階段下
靴や女草履などがぬいである。

  75 その二階の小部屋
幸一と三浦がとんかつを食いながらビールを呑んでいる。とんかつは二皿目、ビールも二本である。
 三浦(自分のコップにビールを注ぎ、幸一に)「どうです」
 幸一「アア――(と受けながら)君、強いね」
 三浦「強かないですよ。ま、ビールなら二本かな」
 幸一「君ねえ」
 三浦「なんです」
 幸一「結婚する気ないかい」
 三浦「誰かあるんですか、いいの――」
 幸一「いいか悪いか、ないこたあないんだけどね」
 三浦「そうか・・・ほんとですか」
 幸一「ほんとだよ。あるんだ、どうだい、貰わないか」
 三浦「――そうか。弱っちゃったな」
 幸一「何が? 弱るこたないだろう。どうだい」
 三浦「エエ・・・」
 幸一「もう貰ってもいいよ」
 三浦「そうですねえ・・・アノ・・・実はね、あるんですよ」
 幸一「あるのか」
 三浦「女房じゃありませんよ。でも、いるんです」
 幸一「そうかい」
 三浦「あんたも知ってる人ですよ」
 幸一「誰だい」
 三浦「庶務課の井上美代子――」
 幸一「アア、あの子・・・」
 三浦「いけませんか、駄目ですか」
 幸一「イヤ、いいよ。いい子だよ」
 三浦「みんなに黙ってて下さいね。まだ誰にも云ってないんだから・・・」
 幸一「アア、そりゃ云わないよ」
 三浦「約束しちゃったんです」
 幸一「フーン、いつだい」
 三浦「この夏みんなで伊香保へ行ったでしょう。会社で――」
 幸一「アア、あの時からか」
 三浦「あの時からかって、まだなんにもしてやしませんよ」
 幸一「嘘つけ」
 三浦「そりゃ手ぐらい握ってるけど・・・」
 幸一「――そうか・・・」
 三浦「あんたの話って誰です」
 幸一「まアいいよ」
 三浦「聞かせて下さいよ。僕だって云っちゃったんだから」
 幸一「ウーム・・・」
 三浦「誰です」
 幸一「・・・妹なんだ」
 三浦「妹って、路子さんですか」
 幸一「アア」
 三浦「路子さん知ってるんですか、その話――」
 幸一「アア・・・まアね」
 三浦「だったら、もっと早く云ってもらいたかったなア・・・僕アあんたにそれとなく聞いたことあるんですよ。そしたらあんた、あいつはまだ当分いかないよって云ったじゃありませんか」
 幸一「そうかなア、そんなこと云ったかなア」
 三浦「云いましたよ。云ったよ。路子さんもそんなこといってたし、だから僕アもう駄目だと思ったんだ――ねえ、ビールもう一本貰いましょうか」
 幸一「アア――(と呼鈴を押して)そうか・・・そりゃいけなかったな・・・」
 三浦「惜しいことしちゃったな。もっと早く云ってくれりゃよかったんだ」
 幸一「うまくいかないもんだよなア・・・」
 三浦「そうですねえ・・・とんかつ、もう一つ、いいですか」
 幸一「アア、いいよ」
と呼鈴を押す。三浦はバンドをゆるめる。

  76 階下
相当に客がたてこんでいる。

  77 同夜 平山の家 茶の間
平山と幸一
 平山「――そりゃ悪かったな・・・もっと早くお父さんがその気になりゃよかったんだ・・・」
 幸一「けど、路子に云わないわけにはいかないでしょう」
 平山「ウーム・・・困ったね・・・どうだろう、お前から云ってくれないか」
 幸一「僕がですか」
 平山「アア――路子、大分三浦君を好きそうなんだよ。今朝も聞いてみたんだがね」
 幸一「そりゃア・・・やっぱりお父さんから云ってやって下さい・・・けど、ちょっと可哀そうだな」
 平山「そうなんだよ・・・なんて云えばいいかねえ・・・」
 幸一{・・・」
二人の言葉がとだえると、そこへ路子が二階からおりてくる。
 路子「紅茶でも淹れましょうか。どお、兄さん――」
 幸一「アア、まあいいよ」
 平山「ねえ、路子――」
 路子「なアに?」
 平山「ちょいとおいで――おすわりよ」
 路子(すわって)「なアに?」
 平山「お父さんね、余計なことだったかも知れないけど、三浦君がお前のことどう思ってるか、兄さんから聞いてもらったんだよ」
 幸一「あいつもね、お前のこと嫌いじゃなかったらしいんだけどね、もう決まっちゃったんだそうだ」
 路子「・・・」
 幸一「おれにしたって、お前が三浦を好きだなんてこと、まるで気が付かなかったしな」
 平山「いやア、お父さんがウッカリしてたことが一番いけなかったんだ・・・すまなかった・・・」
 路子(顔を上げ、微笑し)「いいのよお父さん・・・そんならいいの・・・あたし、あとで後悔したくなかっただけなの・・・聞いてもらってよかったわ」
 平山「――そうかい・・・」
 幸一「じゃ、どうだい、お父さんの方の話の人に、一度会ってみないか」
路子、微かに頷く。
 平山「会ってみるか」
 路子「ええ・・・」
 幸一「じゃ、いいんだね」
 路子「ええ、おまかせします」
と、微笑して立ってゆく。
それを見送って――
 幸一「よかったですね」
 平山「アア、よかった」
 幸一「泣かれでもされたら困ると思ってたけどな」
 平山「ウム、もっとガッカリするかと思ってたけどね」
 幸一「案外平気な顔してましたね」
 平山「ウム、よかったよ」
和夫が来る。
 和夫「どうしたんだい、姉さん泣いてたみたいだったぜ」
平山と幸一、顔を見合わせ、平山、立ってゆく。
 
  78 廊下
平山、二階へ上ってゆく。

  79 二階
平山が来てみると、路子が奥の部屋で悄然と考えこんでいる。
 平山「オイ、どうした――?」
路子、ひそかに目頭を拭いて振返る。
 平山「――お父さんの方の話、無理にすすめてんじゃないんだよ。会ってみて嫌だったら、断っていいんだからね」
路子、黙って頷く。
 平山「兎に角、一度会ってみておくれ――いいね」
路子、また黙って頷く。
平山、一度廊下へ出てゆくが、そこで夜空を見上げて、また部屋へ戻る。
 平山「下へ来ないか。お茶でも飲もうよ」
そう云い残して、階段をおりてゆく。
路子、じっと考えつづけている。

  80 日曜日 郊外の住宅地
平山が来る。

  81 河合の家の前
平山、入ってゆく。

  82 同 玄関内
平山、入ってきて――
 平山「ごめん下さい・・・ごめんなさい」
「はい」と返事が聞えて、河合の細君ののぶ子(46)が出てくる。
 のぶ子「アア、いらっしゃいまし。さ、どうぞ、どうぞ――堀江さんもいらしってますのよ」
 平山「そうですか」
 のぶ子「さ、どうぞ・・・」

  83 座敷
河合と堀江が囲碁を打っている。座卓の上にウイスキーやチーズなどが出ている。
 河合(碁から顔を上げて)「来たのか」
 のぶ子(声)「ええ、お見えになった・・・」
と平山を案内してくる。
 平山「よう!」
 河合「おウ、おそかったな?」
 平山「アア――(堀江に)いつ来たんだ」
 堀江「お前が来るっていうんでね・・・(と盤を見て考える)こーっと・・・」
 のぶ子(座布団をすすめて)「どうぞ・・・」
 平山「ヤ、どうも・・・」
のぶ子、出てゆく。
 平山(碁盤を覗いて)「どっちもどっちだな」
 堀江「そりゃおれの方がいいよ」
 河合「それ(ウイスキー)勝手にやってくれ」
 平山「アア・・・(ウイスキーをグラスに注ぎながら)あのなア、さっき電話でちょっと云ったけど、あの話なア・・・」
 河合「ウム・・・」
 平山「本人同士会わせたいと思うんだけどね」
 河合(盤を見たまま)「そうだねえ・・・」
そして以下、河合と堀江は平山の方を見ずに盤を見たままで・・・
 平山「一度先方の都合を聞いてみてくれないか」
 堀江(河合に)「オイ、何の話だい」
 河合「ウム、路子ちゃんのね・・・」
 堀江「そりゃ困るよ。二タ股かけちゃ困るよ。おれの返事を聞いてからにしてくれなきゃ・・・」
 平山「何?」
 堀江「お前の方がグズグズしてるもんだからね。おれも河合に頼まれて、昨日恰度土曜日だったんでね、お昼っから見合いさせたんだよ。いいのがあってね(と河合を見て)なア・・・」
 河合「ウム」
 堀江(河合に)「いいだろう、あの子――」
 河合「ウム、いい子だね」
 堀江(平山に)「おれの助手の妹なんだけど、路子ちゃんよりちょっと丈が低いかな。綺麗な子なんだ」
 平山「そうか・・・」
 河合「こっちもいそがれてたもんだからね」
 平山「そうか・・・それでもう決っちゃったのか」
 堀江「ウン、決りそうなんだ。まア決るな。両方とも気に入ったらしいんだ」
 平山「そうか・・・」
 堀江「なア」
 河合「うん」
のぶ子がニヤニヤしながら酒の肴を持ってきて――
 のぶ子「悪いわよ、堀江さん――」
 堀江「アハ・・・」
と例のバカ笑いをする。河合もニヤニヤ笑う。
 平山(不審そうに)「なんだい・・・?」
 のぶ子「嘘なんですよ。今の、みんな嘘・・・あなたがいらしったら担ごうって二人で相談してたんですよ」
 平山「そうですか――(とホッとして)悪い奴等だ」
二人、笑って――
 堀江「お前だっておれを殺したじゃないか。お互いだよ」
 平山「そうか・・・いやア、ちょいとあわてたよ――いやア、嘘でよかった・・・」
とグラスを乾す。
 のぶ子「でも平山さん、路子ちゃんがいなくなると、お寂しくなりますわねえ・・・」
 平山「いやア・・・」
 河合「だからって、いつまでもやらないわけにもいくまい」
 のぶ子(平山に)「路子ちゃんが気に入ってくれるといいんですけどねえ」
 河合「そりゃア気に入るよ」
 平山(のぶ子に)「わたしも気に入ると思うんですがね」
 堀江「そんな時アお互いに気に入るものだ。――おれだってそうだった、アハ・・・」
 河合「オイ、お前の番だよ」
 堀江「ウム? ――そうか・・・エート・・・」
その碁盤――

  84 好晴の日 郊外地
街を花嫁の一行がゆく。

  85 平山の家の前
自動車が二台――そして近所のおかみさんが三、四人、物見高く集まっている。

 86 同 廊下
和夫が電話をかけている。
 和夫「え? 何? だからさ、二台はもう来てるんだよ。そのほかにだよ。――わかったね。小型でいいんだ。もう一台――。ウム、そうだ、すぐだ――頼んだよ」
と切って座敷へ戻る。

  87 座敷
平山と幸一――二人ともモーニング姿である。
和夫が来る。
 和夫「かけたよ。すぐ来るってさ」
 幸一「そうか。もう裏の方、戸締りしとけよ」
 和夫「急に忙しいんでやがら」
と出てゆく。
平山は祝儀袋に百円を入れている。
 幸一「ま、不自由でしょうけど、誰か見付かるまで、時々秋子よこしますよ」
 平山「まアいいよ。秋子もお勤めがあるんだから・・・お前ンとこ、まだ出来ないのかい」
 幸一「なんです?」
 平山「赤ン坊だよ」
 幸一「アア、まだです。いま生れても困るけど・・・」
 平山「出来ないようにしてるのか」
 幸一「エエ、まアね」
 平山「そりゃもう拵えた方がいいよ。五十になって、子供がやっと中学出るなんていうんじゃ困るからね」
 幸一「そうですねえ・・・僕が生れたのはお父さんがいくつの時です」
 平山「二十六だった・・・」
 幸一「二十六か・・・」
と指を折って数える。
そこへ荷物を持った美容師の助手が来る。
 助手「アノ・・・お仕度出来ましたけど・・・」
 平山「そう・・・」
幸一と共に立ってゆく。

  88 二階
姿見の前に花嫁姿の路子――それに付添って秋子――
美容師が衣紋など直している。
平山と幸一が来る。
 平山「やア出来たかい――(美容師に)ご苦労さん・・・」
 美容師(秋子に)「じゃ、わたくしお先に・・・」
 秋子「どうぞ・・・お願いします」
で美容師が出てゆくと――
 幸一「綺麗だな、路子・・・」
 秋子「ほんとに可愛い・・・」
 平山「じゃ、出かけるか」
路子、秋子に手を添えられて、立つ。
 路子(万感をこめて)「お父さん・・・」
 平山(路子の手を持添えて)「アア、わかってる・・・しっかりおやり・・・」
路子、黙って、頷く。
 平山「さ、いこう・・・」
で、幸一、平山、路子、秋子の順で出てゆく。
誰もいなくなったその室内――

  89 同夜 河合家 廊下
男たちの笑い声が聞えて――

  90 同 座敷
披露宴から帰ってきて、ふだん着に着替えた河合、モーニングの上衣をぬいだ平山と堀江の三人が座卓を囲んでいる。
卓上には日本酒やウイスキーが並び、みんな大分ご機嫌である。
のぶ子は隣室で酒の肴の仕度をしている。
三人、酒を酌み交しながら――
 堀江(平山に)「今度はお前の番だな」
 平山「何が?」
 堀江「若いの。どうだい、若いの」
 河合(堀江に)「おクスリ呑んでか」
 堀江「アア、もらっちゃえ、もらっちゃえ」
 平山(堀江に)「おれはね堀江、このごろお前がどうも不潔に見えるんだがね」
 堀江「不潔? どうして?」
 平山「なんとなくな」
 堀江「いやア、おれア綺麗ずきだよ」
 河合「綺麗ずき夜は頗るにきたなずきか」
 堀江「ア、そうか。アハ・・・」
で、みんな笑う。
 のぶ子(向うの部屋から)「平山さん、いずれは幸一さんご夫婦とご一緒にお住まいになるんでしょ?」
 平山「いやア、和夫がいますからね、当分このままでやっていきますよ。やっぱり若いものは若いものだけの方がいい・・・」
 河合「そりゃそうだ。年寄りが邪魔するこたないよ」
 のぶ子「いいお父さまねえ、平山さん・・・」
と酒の肴を持ってくる。
 平山「ねえ奥さん、やっぱり子供は男の子ですなア・・・」
 のぶ子「そうですねえ・・・」
 平山「いやア・・・女の子はつまらん・・・」
 河合「そりゃア、女だって男だっておんなじだよ。みんなどっかへいっちゃうんだ」
 堀江「年寄りだけが残るのか」
 河合「お前、云うことないよ」
 堀江「いやア、おれだって娘、嫁にやったよ」
 平山「・・・いやア、育て甲斐のないもんだ・・・」
 のぶ子「ほんとですねえ・・・」
 河合「ヒョータンもそう云ってたじゃないか。結局人生はひとりぼっちですねって・・・お前、ヒョータンにならなくてよかったよ」
 平山「ヒョータンか・・・うむ、おれ、失敬しよう」
 河合「帰るのか」
 平山「ウム、失敬する」
と立ちかかるが、よろける。
 のぶ子「大丈夫ですか。自動車よびましょうか」
 平山「イヤイヤ。――いやア、奥さん、今日はほんとにご迷惑なことをお願いしちゃって・・・(河合に)オイ、すまなかったな」
 河合「オイ、大丈夫か」
 平山「ウム・・・駅までブラブラ歩いてくよ」
 堀江「おれも、一緒に行こうか」
 平山「イヤ、いい。お前、残ってろ」
 のぶ子(モーニングを手にして)「こちら平山さんのですか」
 堀江「アア、そりゃ僕ンだ」
 平山「じゃア失敬――」
と出てゆく。のぶ子、モーニングを持って、ついてゆく。
 河合(酒をすすめて)「どうだい」
 堀江「アア・・・(と受けて)どうしたんだい、あいつ――」
 河合「ウーム・・・ひとりになりたかったんだろう・・・寂しいんだよ・・・」
 堀江「ウーム・・・」
 河合「娘が嫁にいっちゃった晩なんて嫌なもんだからなあ」
 堀江「そうだね」
 河合「折角育てた奴をやっちゃうんだからなあ・・・」
 堀江「ウーム」
 河合「あっけないもんだ・・・」
玄関のあく音――

  91 同夜 「かおる」の路地
賑やかなジャズなどが聞えて――平山が酔歩蹣(まん)さくとやってくる。
そして「かおる」のドアを押す。

  92 同 「かおる」の店内
三、四人の客――かおるが見迎える。
 かおる「いらっしゃい・・・」
 平山「やア・・・」
とスタンドに腰をおろす。
 かおる「ついさっき坂本さんお帰りになったとこ――」
 平山「そうかい――一杯もらおうか」
 かおる「水割りにしますか」
 平山「イヤ、そのままでいい」
 かおる「ハイ」
と棚からトリスを取る。平山、そのかおるの姿を目で追う。
 かおる「今日はどちらのお帰り――お葬式ですか」
 平山「ウーム、ま、そんなもんだよ」
 かおる「はい――(グラスを出して)おかけしましょうか、アレ」
 平山「アア・・・」
とグラスを舐める。
かおる、レコードをかける。
軍艦マーチが鳴り出す。
 酔客 A「オオ、大本営発表か・・・」
 酔客 B「帝国海軍は今暁五時三十分、南鳥島東方海上に於て・・・」
 酔客 A「敗けました」
 酔客 B「そうです・・・敗けました・・・」
平山、グラスを舐めながら聞いている。
軍艦マーチがつづく。

  93 「かおる」の灯入れ看板
それが明滅して――

  94 同夜 平山家 中の間――茶の間
奥の部屋に布団が二つ敷いてあり、結婚式に出たままの姿の幸一夫婦と寝巻姿の和夫がチャブ台を囲んでいる。幸一は上着をぬいでいる。
 和夫「おそいなア、親父――どこいきやがったんだろ」
 幸一「ウム、おそいな」
 秋子「まだ屹度河合さんとこよ」
 幸一「それにしてもおそいよ」
玄関のあく音――
 秋子「アア、帰ってらした」
と立ってゆく。

  95 玄関
平山、上り框にグッタリしている。
 秋子「アア、お帰ンなさい」
 平山「アア・・・」
 秋子「ずいぶんお酔いになって――」
 平山「アア・・・」
と上る。秋子、玄関を締めに土間におりる。

 96 中の間――茶の間
幸一と和夫が迎える。
 和夫「どうしたんだい――お父さん――」
 平山(幸一に)「やア、来てたのか・・・」
 幸一「ええ・・・お疲れでしょう」
 平山「アア・・・」
 幸一「しかし、よかったですね」
 平山「アア、よかったよ――まあ何とかやってってくれるといいがね」
 幸一「そりゃ大丈夫ですよ、やってきますよ」
 秋子「路子ちゃん、しっかりしてますもん・・・大丈夫ですわ」
 平山「うむ・・・」
とチャブ台の前にグッタリする。
秋子が戻ってくる。
 幸一(秋子に)「じゃ、そろそろ・・・」
 秋子「そうね――(そして和夫に)じゃ、時々来てみるけど、用があったら電話してよ」
 和夫「オーケー」
 幸一「じゃお父さん、帰ります」
 平山(顔をあげて)「ナンダ、帰るのか・・・」
 秋子「また時々伺いますけど・・・」
 平山「アア・・・」
と再びグッタリしてしまう。
 幸一(和夫に)「じゃ帰るよ」
 和夫「うん」
で三人、出てゆく。
玄関のあく音――
 和夫(声)「さよなら――」
 秋子(声)「じゃ、おやすみなさい」
平山、無意識に上着をぬぐ。
和夫が戻ってくる。
 和夫「オイ、お父さん、おれ、もう寝るぞ」
 平山「アア、寝ろ」
和夫、奥の部屋へ入って床に入る。
 和夫(腹匍いになって)「オイ、お父さん――」
 平山「うむ――?」
 和夫「あんまり酒呑むなよ」
 平山「ウーム・・・」
 和夫「身体大事にしてくれよなア・・・まだ死んじゃ困るぜ」
 平山「アア、大丈夫だ・・・いやア、守るも攻むるもくろがねの、か・・・」
 和夫「オイ、もういい加減に寝ろよ」
 平山「ウーム・・・タータラッタ、タータラッタ、タータ、タータタ・・・」
とグッタリしたまま、繰返して口ずさむ。
 和夫「何云ってンだイ、ほんとにもう寝ろよ」
 平山「ウーム・・・ひとりぼっちか・・・タータラッタ、タータララ、タータタ、タータタ・・・」
と口の中で唄う。
 
  97 二階の廊下
暗い・・・

  98 二階の部屋
ここも暗く、その暗い中に姿見の鈍い光が浮んでいる。

                     終