ロス
       (二幕の劇)
        テレンス・ラティガン 作
         能美 武功 訳

  登場人物
ストーカー(空軍中尉)
トンプスン(空軍曹長)
パースンズ(航空機整備兵)
エヴァンズ(航空機整備兵)
ディキンスン(航空機整備兵)
ロス(航空機整備兵)
フランクス(従軍記者 最初は講演者の姿で登場。)
アレンビー大将
ロナルド・ストアーズ
バリントン大佐
シェイク・アウダ・アブ・タイ
トルコ軍の将軍
ハメッド アラブ人
ラシッド アラブ人
トルコ軍の大尉
イギリス軍の伍長
将校付副官
トルコ軍の軍曹
カメラマン
オーストラリア軍の兵士
ヒギンズ(航空機整備兵)
連隊長
 その他 航空機整備兵達、トルコ軍の兵士達、アラブ人達

   場
(芝居の最初と最後の部分はロンドンの近く、イギリス空軍の物資集積所、一九二二年のこと。中心部分は中近東、一九一六年から一九一八年にわたる二年間。)

   第 一 幕
第一場 空軍物資集積所の事務室。朝。
第二場 空軍物資集積所の中庭。その日の午後。
第三場 空軍物資集積所の仮兵舎。その日の夜。
第四場 アラブのテントの内部。
第五場 砂漠。
第六場 トルコ軍の参謀本部。
第七場 アウダのテントの外。
第八場 スエズに近いイギリス陸軍基地の小さな小屋。

   第 二 幕
第一場 カイロ。イギリス参謀本部のアレンビーの部屋。
第二場 トルコ軍参謀本部。
第三場 線路の傍。
第四場 トルコ軍参謀本部。
第五場 ガザ。アレンビーの野戦参謀本部。
第六場 タファスの村近く。ロレンスのテントの外。
第七場 空軍物資集積所の事務室。
第八場 空軍物資集積所の仮兵舎。

          第 一 幕
          第 一 場
(場 ロンドン近くのイギリス空軍物資集積所の事務室。一九二二年、冬の朝。)
(正面に事務室の壁。右手に扉。壁には、写真などが貼ってあるが、その中に、緑色のフェルト様の布で出来た掲示板があり、その上に、その日の指示事項等が記載してある紙がピンで留めてある。中央に小さな机。その左手に椅子が一脚。)
(幕が開くと事務所には電気がついている。空軍中尉ストーカーが机についている。真面目で職務に忠実な若い男。優しい態度のすぐ後に狂暴な態度に移ることも出来る人物。空軍曹長トンプスンが机の向こう側に立っている。嗄(しわが)れた厳しい、下士官特有の声を発する年輩の男。二等兵達には同情をもち、全ての士官に対して・・・ストーカー中尉もこの例外ではない・・・軽蔑の念を持っており、それが十分に隠しきれていない。机に向かって(つまりストーカー中尉に対して)正面に三人の整備兵が気をつけの姿勢で横一列で立っている。真ん中はパースンズ整備兵、被疑者である。海軍の前歴のある頑丈な兵隊。およそ三十五歳。無帽。護衛が二人、左右に。一人はエヴァンズ整備兵。若くて赤毛。もう一人はディキンスン整備兵。戦時中は陸軍の士官だった男。経済的理由で再び空軍に入っている。)
 曹長(パースンズに。)被疑者、顔を上げろ。(中尉に。)パースンズ整備兵であります、中尉殿。
 中尉(調書を見ながら。)ACトゥー、三五二一七九、パースンズだな?
 パースンズ はっ、パースンズであります。
 中尉(調書を読む。)「空軍規律に対する違反。即ち十二月十六日、十九時二十二分、○八三○、国旗掲揚の整列の際、被疑者は列を乱し、不敬の言葉を発した。」(顔を上げて。)パースンズ、何だ、これは。
 パースンズ 銃の台尻で足の指を叩いたであります。(痛くて)二センチほど足を上げたであります。声を発したであります。但し勿論、自分に対してであります。
 中尉(曹長に。)証人は?
 曹長 はっ、自分であります。その日自分はBフライトの教練にあたっておったであります。
 中尉 声は小さかったのか。
 曹長 教練場全体に鳴り響いたであります。
 中尉 言葉は小さかったんだな。
 曹長 はっ。しかし鮮明に、であります。
 中尉 なるほど。(パースンズに。)声を上げたことは認めるんだな?
 パースンズ はっ、認めるであります。
 中尉 声の大きさだな? 認めない点は。
 パースンズ はっ、囁き程度であったであります。
 中尉 しかし曹長ははっきり聞こえたと言っている。
 パースンズ はっ、曹長は自分の唇の動きを読んだものと思うであります。
 中尉 しかし、何と言っても、整列中の発声だ。そうだな?
 パースンズ はっ、その通りであります。
 中尉 それは重大なる規律違反だ。(机の上の調書を見る。)しかし、規律違反は今回が初めてのようだな。それはいいことだ。と言っても、褒められたことではない。空軍に入ってまだたった二箇月なんだからな。(曹長に。)訓練を受ける態度はどうなんだ? この男は。
 曹長 以前は海軍の経歴のある男ですから。
 中尉(パースンズに。)捧げ銃(つつ)はやらないのか? 海軍では。
 パースンズ いえ、やるであります。ただ、海軍では間の取り方が適切であります。
 中尉 海軍では適切だとは何だ? パースンズ。
 パースンズ はっ、失礼しました。海軍では間の取り方が違うであります。
 中尉 ここでの間の取り方に慣れてもらわなきゃならんな。空軍の方式は近衛連隊でやっているのと同じ方式だ。(海軍とは違う。こっちは正統派だ。)足指に銃をぶっつけないで済むよう、それから、不敬な言葉を発しないで済むよう、練習するんだ。いいな。
 パースンズ はっ、やるであります。
 中尉 勤務調書には今回のことは記載しないことにする。運がいいと思うんだな。被疑者訓戒終。
 曹長 パースンズ整備兵及び護衛、回れ右! 速足、進め!
(パースンズと護衛二人、速足で進む。)
 曹長 右向け右! 左、右、左、右・・・
 声(舞台裏で。)左向け左! 速足・・・止め! 右向け右!
(扉閉まる。)
 中尉 次。
 曹長 はっ。(右手に進み扉を開ける。)進め!
(曹長、元の場所に戻り、立つ。)
 声(舞台裏で。)被疑者及び護衛、気をつけ。速足、進め! 左、右・・・
(ロレンスと護衛、右手から登場。ロレンスは現在整備兵。ロスと偽名を使っている。後にはショウとまた名前を変えることになる。三十五歳。背は低い。長い顔に、悲しそうな、恥ずかしそうな表情。非常に優しい声で話す。護衛は先程と同じエヴァンズとディキンスン。)
 曹長 左向け、左! 並足・・・止め。回れ右。(中尉に。)ロス整備兵であります。(敬礼する。)
 中尉 ACトゥー、三五二○五七、ロスだな?
 ロス はい、ロスです。
 中尉(調書を読む。)「空軍規律違反。被疑者は十二月十六日、門限を破り、二十三時五十九分までに守衛に報告することを怠った。実際に寮に帰還、報告が行われたのは、翌日十二月十七日、零時十七分。無届け外出時間、十八分。」(曹長を見て。)証人は?
 曹長 守衛担当部隊長の報告であります。
 中尉(別の書類を見て。)ああ、そうか。で、ロス、何か言い訳はないのか。
 ロレンス ありません。
 中尉 規律違反を認めるのだな?
 ロレンス はい。
 中尉(別の書類を見て。)フム、もう既に二度も前歴があるな。服装装着違反・・・三日間の収容所監禁。無言による上官侮辱・・・七日間の収容所監禁。つまり空軍入隊からたった十週間で三度目だ。よくないぞロス、こいつは実によくない。(急に机を手で叩いて。)貴様、聞こえてないのか、ロス! 私は「よくないぞ」と言っているんだ!
 ロレンス 失礼しました、中尉殿。感想を述べていらっしゃるのだと。質問であるとは思っておりませんでした。はい、仰る通りです。これはよくありません。
 中尉(間の後。)どうやらロス、お前は権威というものを好まないようだな。
 ロレンス 自分は規律を好むものであります。
 中尉 規律と権威、どこに差がある。
 ロレンス 差は大きいように思われます。
 中尉 門限に遅刻するのは規律にも権威にも反しているんじゃないのか。
 ロレンス はい、反しています。但しこの違反は、実害のないものでした。
 中尉(間の後。)何故空軍に入る気になった。
 ロレンス 自分には精神的な欠陥があると思いましたので。
 中尉(怒るよりも侮辱された気分で。)ここで侮辱の言葉を吐くのは的外れだ、ロス。私がここにいるのは、お前に判決を下すためだけではない。お前の助けにもなろうとしているのだからな。よし、もう一度最初からだ。何故空軍に入った。
 ロレンス(ゆっくりと。)自分はそれを望みました。自分は貧乏であり、規律を望みました。そして自分には精神的欠陥があると思いましたので。
(中尉、ロレンスを睨みつける。)
 ロレンス 「精神的」という言葉がまづいのでしたら、「神経的」と言い換えます。自分はこの言葉を好まないのでありますが、もし侮辱の意味がこれにより和らぐのでしたら、こちらに致します。
 中尉(曹長に。)曹長!
 曹長 はっ。
 中尉 この男の全般的な評価はどうなんだ。
 曹長 良好であります。
 中尉 赤じゃないのか。やたらに反抗的態度に出たりは?
 曹長 ありません。
 中尉 訓練の進捗状況は。
 曹長 他の者たちよりは遅れぎみであります。但し、人一倍の努力をしておるであります。
 中尉 教練は。
 曹長 教練担当曹長によりますと、分隊行動に困難を生じる場合ありと。但し彼の場合には身体的欠陥があり、無理もないであります。
 中尉 身体的欠陥? この男は甲種合格で空軍に入ってきたんだ。身体的欠陥とは一体何だ。
 曹長(言いにくそうに。)自分が知っておりますのは二回だけでありますが、教練の後、具合が悪くなり、便所に駆け込みました。それから、背中に酷い傷跡があるであります。
 中尉(ロレンスに。)何の傷跡だ。
 ロレンス 事故で・・・です。
 中尉 命に関わるようなものだったのか。
 ロレンス はい。当時はそのように。
 中尉 それなのに甲種合格か。
 ロレンス はい、そうです。
 中尉(曹長に。)こいつは奇妙だな。(ロレンスに。)ゆうべはどこに行っていた。
 ロレンス バッキンガムシャー。タプロウの近くです。
 中尉 バスでか。電車でか。
 ロレンス バイクです。
 中尉 なるほど。で、何故遅刻したんだ。
 ロレンス 落ちたためです。
 中尉 落ちた? 車から? 酔っていたのか。
 ロレンス いいえ。自分は水しか飲まないことにしております。
 中尉 じゃ、どうして落ちたんだ。
 ロレンス デナムあたりをかなり速い速度で走っておりました。十分ばかり進むと、急に犬が飛び出て来たので、ハンドルを切りました。丁度その時、正面から来た車があり、衝突しました。残ったものはバイクとも言えない代物でしたので、自分の足で走るしか方法はありませんでした。
 中尉(間の後。)さっき私は訊いたはずだ。何か言い訳はないかと。答は「ありません」だったな。
 ロレンス はい。
 中尉 事故は言い訳になると思わなかったのか。
 ロレンス はい、言い訳にはなりません。理由にはなると思いますが。
 中尉 規律と権威は違う。言い訳と理由は違う、ということか。
 ロレンス はい、大きく違います。
 中尉(間の後。)お前は学歴のある人間だ。それを私に印象づければ有利になると思っているようだな。しかし、そんなことはこの私には何の役にも立たんぞ。分かってるな。
 ロレンス はい、分かっております。
 中尉 学歴のある人間は、この空軍にはざらにいるんだ。(ロレンスから急にディキンスンの方に顔を向けて。)おい、護衛、名前は。
(ディキンスン、整列のときの要領で、非常に優美に一歩踏みだし、かかとを鳴らす。)
 ディキンスン ディキンスンであります。
 中尉 少しお前のことは知っている。パブリック・スクール出だったな。
 ディキンスン はっ、さようであります。
 中尉 陸軍では士官の地位にいたそうだな。
 ディキンスン はっ。しかし勿論、戦時下における昇進に過ぎないであります。
 中尉 前線にいたのか。
 ディキンスン はっ、パッシェンデールであります。三月十八日には、ドイツ軍ハンの総攻撃があったであります。自分は負傷で本国送還になったであります。
 中尉 何故空軍に入ったんだ。
 ディキンスン はっ、自分は離隊と同時に、車のセールスの会社に入ったであります。しかし、軍の仕事の方が向いていると思っておりました。そして空軍は将来性があると判断し、会社で自分の昇級が断られた時、とにかく空軍に入り、そこでの昇進に賭けようと決心したであります。
(ディキンスンの答は明らかに中尉を満足させた様子。中尉、彼にほほ笑み、頷く。)
 中尉 うん、それは希望の持てる賭けだ。質問を終る、ディキンスン。
(ディキンスン、再び格好よく一歩下がり、ロレンスの横に並ぶ。)
 中尉 見ろ、ロス。こういう男もお前の分隊にはいるのだ。他の連中だって、大抵は同様の経歴を持っている。学校はどこだったんだ、お前は。
 ロレンス オックスフォード・ハイスクールです。
 中尉 戦争には行ったのか。
 ロレンス はい、行きました。
 中尉 どういう種類の仕事だ。
 ロレンス はい・・・大抵は・・・連絡機関における仕事でした。
 中尉 連絡機関? どこでだ。
 ロレンス(ちょっと躊躇った後。)中近東です。
 中尉 中近東のどこだ。
 ロレンス 中近東じゅう・・・いろんな所であります。
 中尉 ひどくぼんやりした答えじゃないか。
 ロレンス はい。ひどくぼんやりした仕事でしたから。
 中尉(怒って。)何を言ってるんだ、貴様。自分のやっていたことぐらい、分かる筈だぞ。
 ロレンス はい。わたくしにはそれがあまりよく分かっていませんでして。
 中尉 さっきお前は、「精神的欠陥」と言ったな。「欠陥」なんかではなく、本物の気違いだと言いたいんじゃないのか。
 ロレンス はい。専門医から証明書が貰えるほどには「気違い」ではないと。
 中尉 フン。しかし、何かおかしいと?
 ロレンス(静かに。)はい。その通りです。
 中尉 ひどくおかしい?
 ロレンス わたくしにはそのように思えます。
 中尉 するとこういうことになるのか? お前が他人にそれを話す、すると他人はそれほどとは思わないと。
 ロレンス 他人にはわたくしは、話さないことにしております。
 中尉 誰にもか。
 ロレンス はい。誰にもです。
 中尉 ここにいる曹長と護衛を今外に出すとする。私に話してくれるか。
 ロレンス いいえ、中尉殿。
 中尉(間の後。)いいか、ロス。たしかに私はお前の上官だ。命令を下す人間ではある。しかし同時に相談相手、親切な叔父の役目も果たすべき立場にある。(間をおいて。)で、どうなんだ。
 ロレンス 話せない事柄は、たとえ親切な叔父に対しても・・・話すことは出来ません。
(間。中尉、打つ手なく、机をじっと見る。)
 中尉 バッキンガムシャーに行ったという話だが、何のためだ。
 ロレンス 友人達と食事の約束がありました。
 中尉 親しい友人なのか。
 ロレンス そのうちの幾人かは。
 中尉 名前は。
 ロレンス(一瞬困ったという表情。)名前ですか。
 中尉(怒鳴る。)そうだ、連中の名前だ!(ノートと鉛筆を取り上げる。)
 ロレンス しかし、中尉殿にその権利がおありで?
 中尉 権利がある!(怒鳴る。)今すぐ言うんだ。これは命令だ!
 ロレンス(微かな溜め息。)分かりました。アスター卿夫妻、ジョージ・バーナード・ショー夫妻、カンタベリー大僧正・・・
(中尉、鉛筆を投げるようにして置く。)
 中尉 もう分かった! 罰はこれで二つだ! 一つは門限破りの件。もう一つは部隊長殿に明日裁いて貰う。上官、即ち私、に対する無礼極まる不服従の態度だ。お前はその精神的欠陥とやらを癒すために空軍に入ったらしいが、この第二の件によって、気の毒だが、そんな余裕は吹っ飛んでしまうぞ。
 ロレンス はい、分かりました。
 中尉 終だ、曹長。
 曹長 護衛及び被疑者。回れ右! 速足、進め!
(ロレンスと護衛、右手へ行進。)
 曹長 右向け、右! 左、右、左、右・・・
 声(舞台裏で。)左向け左。速足・・・止め! 回れ、右!
(曹長、扉まで進み、それを閉め、回れ右する。)
 曹長 あれが最後の被疑者であります。
 中尉(疲れて。)やれやれ。(立ち上がり、掲示板に張り付けてある予定表を見る。それから曹長の方に振り向き。)訓練の仕上がり具合はどうなんだ、最近。
 曹長 はっ、普通の出来であります。
 中尉 あいつら、ちゃんとした空軍の兵隊になれるのか?
 曹長 はっ。まあまあの者にはなれるであります。
 中尉(溜息をついて。)分かるぞ、その「まあまあ」というのは。全く酷い奴が入ってくるものだ、この頃は。しかしあのディキンスンは目をかけてやれ。あいつは見どころがある。今後もあいつならうまくやるだろう。
 曹長 はっ、そのように思われるであります。
 中尉 あの大馬鹿野郎のロスには気を許すな。教練でも、厭な仕事をやらせるんだ。
 曹長 はっ。分かりました。
(曹長、優美にお辞儀。両足を踵の骨が折れるばかりに打ちあて、回れ右して退場。)
(暗転。暗闇の中でハモニカの音が聞こえる。男達がそれに合わせて歌っている。小さく、感情を込めて。当時の流行り歌「シェイク・オブ・アラビィ」。)

          第 一 幕
          第 二 場
(場 物資集積所の中庭。その日の午後。正面奥に高い壁。右はじに扉がある。壁に消防用具がかかっている。斧、スコップ、消火栓につながっているノズルとホース。)
(照明がつくと、左手から、先程からハモニカを吹いていた男が登場。静かに続ける。エヴァンズ、パースンズとディキンスン、その後から登場。エヴァンズとパースンズは中央に。ディキンスンは左端に留まる。目を開けたまま何か考えている様子。)
 エヴァンズ(パースンズに。)おい、水兵、お前が終った後な、中尉のやつ、ロスィーに訊いたんだ。ゆうべ誰のところに行ったかってな。あいつ、何て答えたと思う? 「ジョージ・バーナード・ショー夫妻、それにカンタベリー大僧正」・・・
 パースンズ 馬鹿馬鹿しい。言いっこないだろう、そんなこと。
 エヴァンズ(興奮して。)言ったんだ、水兵。本当なんだ。こいつは嘘じゃないんだ。
 パースンズ(信じ難いという調子。)カンタベリー大僧正? 言ったっていうのか? あのロスィーが。馬鹿言え。
 エヴァンズ おい、水兵。俺はあそこにいたんだ。護衛だったんだ。はっきりと聞こえたんだ。(ディキンスンの傍に行き。)おい、ディッキー、お前も聞いたよな?
(右手から一人、整備兵が登場。ハモニカを吹いている男に近づく。)
 ディキンスン(そのままの姿勢で。)何だ?
 エヴァンズ 中尉のやつ、今朝ロスィーに訊いたよな?「ゆうべ外出した時、誰に会いに行ったんだ。」こんなことを訊くなんて、中尉のやつもどうかしているぜ。「はい。ジョージ・バーナード・ショー夫妻、それにカンタベリー大僧正であります。」これがロスィーの答だった。そうだな?
 ディキンスン そうだ。それからアスター卿夫妻とな。
 エヴァンズ(パースンズに向かって、誇らしげに。)見ろ。本当だろう? なあ、水兵、こいつはお前さんにもちょっと無理だぜ。(ディキンスンの方を向いて。)ディッキー、お前も思うだろう? あいつ、たいした奴だって。
 ディキンスン それほどには思わないな。
 パースンズ あいつも士官だったんだぜ、多分。だから同類の奴がガタガタ言うと頭に来るんだ。
 ディキンスン(静かに。)士官だったなんて、そんな馬鹿なことがあるもんか。
 パースンズ じゃ、お前はあいつのことを偉いとは思わないんだな?
 ディキンスン(空の方に目を向けたまま。)大僧正だけで十分だ。まだ他に名前を言うなんて、野暮なことだ。
(ロレンス登場。塵芥処理用の大きなバケツを抱えて、よろよろしている。)
 パースンズ(ロレンスに進みよって。)おいおい、何をやってるんだ、ロスィー。
(エヴァンズ、ディキンスン、ハモニカの男、その他左手にいた整備兵達、面白そうに成り行きを見守る。)
 ロレンス まだあと二つ分ありますから。
 パースンズ いいか? あいつと(右手を指さす。)それからこっちにもう一つ、俺が指図してわざと残してあるんだ。上官のやつ、気まぐれだからな。「なんだ? 罰則は全部すませた? なら、これもやれ。」って言われた時の用心に取っておくのさ。
 ロレンス(バケツを置いて、すまなさそうに。)ああ、そうだったんですか。全然気がつきませんでした・・・
 パースンズ(優しく。)そのぐらい気がついてもよさそうなもんだがな。(エヴァンズに。)全くなあ。ギリシャ語がエロ本と同じぐらい楽に読めても、こういうことにはからっきりなんだからな。
(ロレンス、再びバケツを運びにかかる。)
 パースンズ おい、ロスィー、何をするんだ。もう一回やらされるだけだぞ。おい!(ロレンスが止めないのを見て、諦めて。)やれやれ。
 ロレンス(すまなさそうに。)すみません。
 パースンズ いや、いいさ。(突然ロレンスに握手を求め、手を差し出す。)おい、ロスィー!
(ロレンス、振り返り、当惑してその手を眺める。)
 エヴァンズ(説明するように。)大僧正のことだよ。
 ロレンス(相変わらず不審そうな顔。)大僧正?
 パースンズ それからジョージ・バーナード・ショー夫妻、それからディッキーの奴は余計だと言うんだが、アスター卿夫妻殿だ。いや、俺だったらもっと言ってやったな。ドリー姉妹、ギャビー・デリス。言い過ぎなんかであるもんか。自分一人じゃ、そこまで頭は回らないさ。とにかくおめでとう、ロスィー。Bフライトの誇りだぜ、お前は。
(パースンズ、ロレンスと握手。ロレンス、圧倒された様子。そして、パースンズの握手の強さに顔をしかめる。)
 パースンズ(他の者達に。)おい、我らが英雄に、挨拶だ。
(全員、優しい、そして微かに皮肉の籠もった歓声が上がる。と同時に、ハモニカの音。凱旋の行進曲の中の一節。)
 パースンズ もう一回シェイクを頼む。
(ハモニカの男、「シェイク・オヴ・アラビー」を吹く。)
 ロレンス(パースンズに進みより、おずおずと。)私は歌詞を知らないので。
 パースンズ(ショックを受けて。)おいおい、まいったな。これを知らない奴がイギリスにいたとはな。(ハモニカの男に。)おい、ラテン語かギリシャ語のもの、何かやれるか。
 ロレンス ティッペラリーなら知っていますが。
 パースンズ(他の者達に。皮肉を込めて。)おい、ティッペラリーなら知ってるそうだ。
(全員、ティッペラリーを歌う。パースンズ、ロレンスの肩に親しそうに腕を掛け、歌をリードする。しかし見つかるのを恐れて低い声で。震えるようなロレンスの声。しかし少なくとも歌詞を知っていることは証明される。ティッペラリー、終わる。パースンズ、「Pack up your troubles 」を歌い始める。 ロレンス、非常に唐突にパースンズの親しい抱擁をふりほどき、皆から離れ、皆には背を向けて、舞台右手の方に行く。パースンズ、驚いてロレンスの方を見るが、何も言わず歌を続ける。)
(曹長、右手から登場。ロレンスをやり過ごし、中央に進む。ロレンス、曹長から顔を背ける。)
 ハモニカの男 あ、曹長だ。
(歌、急に止む。)
 曹長 コンサートか。何のつもりだ。
 パースンズ 罰則はほぼ終わったであります、曹長殿。
 曹長 「ほぼ」? ほぼなら終わっとらんちゅうことだろう。(大バケツを指さす。)あれは何だ。それから、もうあと何ばいあるんだ。
 パースンズ あと、二はいであります。
 曹長 よし、手早くやるんだ。早く済めば、飯前にまた何か言いつける。さっさとかかれ! 手が多ければ早く済むんだからな。
 パースンズ あ、それは自分が言ってやればよかったであります。ところで曹長殿、如何でありますか、わがBフライトは。
 曹長(自動的に。)なまいきを言うな。お前の言うことじゃないぞ。そんなことより、早くやるんだ。やらないと、いますぐまた、仕事を言いつけるぞ。
(ロレンス、一杯になった大バケツを持ち上げようとする。)
 曹長 おいロス、お前はいい。エヴァンズ、ディキンスン、お前らがやるんだ。中にいるお前ら、早くしろ。ロス、お前は残れ。
(エヴァンズ、ディキンスン、進み出て、ロスからバケツを取り、左手に退場。パースンズとハモニカの男、それにもう一人の整備兵は右手から退場。)
 曹長(珍しいものを見る目付きで、暫くロレンスを見つめ、それから近づいて。)また苛められていたのか? ロス。
 ロレンス いいえ、違います。
 曹長 あいつらのことをあまり気にするなよ。
 ロレンス はい、気にしておりません。
 曹長 おいおい、俺にだって目はあるんだ。さっきの歌・・・
(ロレンス、困って目を伏せる。)
 ロレンス(微笑んで。)失礼しました、曹長殿。しかし、それは違います。あれはただ・・・ええ、急にです。急に、この五年間で初めて、自分が生きているっていう気分になったものですから。
(エヴァンズとディキンスン、左手から登場。エヴァンズは両手をポケットに入れている。曹長、振り向く。)
 曹長(一、二歩彼らの方に進んで、怒鳴る。)貴様! ポケットから手を出せ!
 エヴァンズ(手を出して。)失礼しました、曹長殿。行っていいでありますか、曹長殿。
 曹長 駄目だ。箒を持って、あそこの落葉を掃け。(左手を指さす。)
(ディキンスン、目立たないように、逃げようとする。)
 曹長 おい、お前もだ、ディキンスン。
(エヴァンズとディキンスン、「はい、曹長殿」と呟き、左手から退場。)
 曹長(ロスに近づき、暫く彼を見て、眉を顰める。)まづかったぞ、あれは。実にまづい。(ニヤッと笑って。)心配するな。俺は青二才のチンピラとは違う。お前の病気を追求したりはしない。
 ロレンス 青二才のチンピラ?
 曹長 中尉だ。ストーカーの奴さ。(士官の口調で。)「私はここで単に、判決を下すためにいるんじゃない。相談にのれる、叔父の役目も果しているんだ。」反吐が出そうだったろう?
 ロレンス はあ、少しむかっと。
 曹長 いいな。俺は今のことを言ったことはないし、お前も今のことを言わなかった。
 ロレンス はい、曹長殿。
 曹長 お前の病気のことだが、いつか俺に話す気になった時には言ってくれ。ゆっくり聞いてやる。話す気にならなきゃ、それはそれでいいんだ。まあ、お前を中尉から庇(かば)ってやらなきゃな。チンピラの奴め、手を替え品を替え、お前を苛めにかかるだろうからな。
(パースンズ、整備兵、とハモニカの男、右手から登場。ゴミ処理用大バケツを二個抱えている。)
 曹長(パースンズに。)よし、その後は補助につけ。補助も終わったら解散だ。しかし誰にも見つからないようにしろ。さもないとお前ら全員・・・
 パースンズ そんなことしませんよ、曹長殿。曹長殿は最高。世界で一番の曹長殿ですからね。おい、お前らも賛成だな? 失礼だぞ、黙ってちゃ。
(パースンズ、整備兵、とハモニカの男、左手から退場。)
 曹長(怒鳴る。)馬鹿野郎! からかうのもいい加減にしろ!(ロレンスの方を向いて。)さっき言ったことはいいな? 出来るだけのことはしてやる。(突然怒鳴る。・・・訳注 立ち聞きに気付いたから。)いいか、中尉殿に対して無礼な態度は許さん。今度またやってみろ、ただじゃおかんぞ。分かったな。
 ロレンス はっ、分かりました、曹長殿。
 曹長(左手に進んで、外を見て。)おい、お前ら二人、終わってよし。ただ、他の上官に見つからないようにしろ。いいな。
(曹長、右手に進み、退場。ロレンス、左手中央に進み、足を折って、うづくまる。小さな手帳と鉛筆を取り出し、書く。)
(ディキンスンとエヴァンズ、左手から登場。ディキンスンは箒を持っている。左手中央の壁に箒を立てかけ、ロレンスを眺める。)
 エヴァンズ(ロレンスに近づき。)ロスィー?
 ロレンス ええ、何です?
 エヴァンズ(非常に言い難そうに。)えーと、こんなことを頼んじゃまづいんだがな・・・ひょっとして・・・ひょっとして、お前は他の俺たちとは違うんじゃないかと思って・・・つまりその・・・ひょっとして、給料なんか、お前には俺たちみたいに、重要じゃないんじゃないかと思って・・・
 ロレンス ああ、違いますね、それは。他の人達と同じです、私は。給料は大事なんです。
 エヴァンズ(話をしかけたのをひどく後悔して。)ということは、余裕なんか、全然ないって・・・
 ロレンス いくらいるんです?
 エヴァンズ 指輪だったのさ、買わなきゃならなかったのは。よりを戻すにはそれしかなくて。それにそいつ、いつでも最高のものを欲しがるもんだから・・・三十七ポンド六シリング・・・
 ロレンス ああ、持ってない。悪いですね。
(エヴァンズ、ディキンスンを見る。ディキンスン、微かに首を振る。)
 エヴァンズ(溜め息をついて。)そうか。
(エヴァンズ、右手に退場。ロレンス、また手帳に何か書き始める。間。それからディキンスン、ロレンスに近づく。)
 ディキンスン 奇妙な坐り方だな。
 ロレンス 私はいつもこうですから。
 ディキンスン アラブでやっている坐り方だな、そいつは。
 ロレンス そうですか。よく知りません。
 ディキンスン(ロレンスと並んでうづくまる。)知ってる筈だがな、中近東で。連絡機関の仕事をやってたんだろう?
 ロレンス すみません。気がつきませんでした。そうですね、アラブではこうやって坐りますね。
 ディキンスン 奇妙な恰好だぜ。よくやれるな。震えてるな。どうしたんだ。
 ロレンス マラリヤの気味があって。
 ディキンスン フン、中近東だからな。ひどいぞ、その震え方。軍医に診て貰った方がいい。
 ロレンス いいえ。今晩熱が出て、明日は終わります。
 ディキンスン そいつは危ないぜ。おい、ロス、お前が死ぬのは損失だからな。
 ロレンス 気がつきもしませんよ、私が死んだって。Bフライトの連中でも。
 ディキンスン Bフライトの損失なんかじゃない。俺は国家の損失だと言ってるんだ。
(ロレンス、手帳を置いて、じっとディキンスンを見る。)
 ディキンスン「何ですか、それは。どういう意味ですか」と言わないんだな。もう少しねばって、芝居を続けようという腹なんだな。
(ロレンス、じっとディキンスンを見る。しかし何も言わない。)
 ディキンスン 分かったよ。何を言っても無駄っていう訳だ。それに、「どうして分かったんだ」なんてことを言うへまもしやしない。単なる当てずっぽうかも知れないんだからな。それがスパイ教育か。よかろう。違うんだ、これは、当てずっぽうとは。慥に今朝までは当てずっぽうだった。それは認める。が、俺は一度あんたを見たんだ。パリでね。一九一九年だった。和平交渉の時期だ。俺はまだしがない伍長だった。歩道を歩いていたんだ。すると突然馬鹿でかい憲兵が三四人飛んで来て、俺を突き飛ばしてガードレールに押しつけた。そいつらもその後ろの群衆に押されたんだ。半気違いの群衆だった。俺は押しつぶされて死ぬんじゃないかと思った。何の群衆か。それはあんたを見ようとやって来たやつらなんだ。ホテルを出ようとするあんたをね。あんたの両側には、警官が付き添っていた。自分の車の方に歩いていたんだ。その顔を俺はよく覚えている。あのアラブの服装で、実に恥ずかしそうに俯(うつむ)いて・・・車まで来ると、うしろから来る誰かにちょっと言葉をかけた。すると群衆がまた気違いのようになった。車に入ると、あんたはまた恥ずかしそうに、窓の覆いを下ろしたんだ。こんなことがあっても俺はまだ確信が持てなかった。実物はこれだけだが、まだある。アルバートホテルで講演も聴きに行った。パレスチナ・キャンペーンか何かの話だった。そこであんたのスライドが何度も映された。用心深いポーズだった。どれも顔を知られたくないポーズ。そう俺が言っても、あんた、気にしないな?
(ディキンスン、ロレンスに煙草を勧める。ロレンス、頭を振る。)
 ディキンスン(立ち上がって、自分の煙草に火をつける。)まだ当てずっぽうだと思っているな? いいか、俺みたいなしがない一兵卒でもな、クライデン・ハウスの電話番号を見つけることぐらいは出来るんだ。俺はそこに電話して、訊いた。「ゆうべ、ロレンス大佐がそこにレインコートを忘れて行きませんでしたか?」ってな。「ロレンス大佐殿の?」と訊き返しやがった。実に教育が行き届いていやがる。執事か何かだ、きっと。「そうさ、ロレンス大佐のだ。ないかな。」ちょっと間があった。俺は言ってやった。「そうか、じゃ、仕方がない。ロス整備兵のだ。この方が分かりやすいんならな。」またちょっと間があった。それから、「いいえ、大佐殿は昨晩、忘れていらっしゃいませんでした。私自身、はっきりと出ていらした時のことを覚えておりますから。バイクの荷台にしっかりと紐で結んでいらっしゃいました。」(間。)随分あんた、手が震えているな。そいつは正直、軍医に診て貰った方がいい。どうせマラリヤじゃ、罰則の仕事は出来やしないんだから。
 ロレンス(低い声で。)何が望みなんです。
 ディキンスン(嬉しそうに。)金だ。
 ロレンス 金はない。
 ディキンスン(呟く。)馬鹿な。今朝中尉に言った言葉、「貧乏」。この言葉は気にいった。
 ロレンス 本当の話だ。
 ディキンスン(むかっとして。)俺のことを馬鹿扱いするのは止めて欲しいな、あんた。俺は他の連中とは違うんだ。いろんな手に出ることが出来る男なんだ。あんたほどの名前のある人間が、その気になれば、どれだけ稼げるか。ロレンス回顧録! はっ! 飛んでもない大金持ちだぜ。ちょっとだ。ほんのちょっと、その気になりゃいい。それに俺はちゃんと見てる。人がいなくなると、何かその手帳に書き込んでいるのをな。
 ロレンス これは友人のためだ。金のためじゃない。
 ディキンスン フン、お上品なこった。じゃ、その中のほんの少しだけでいい。「金のため」の方に廻すんだな。そのロスっていう一兵卒の仮面を維持したかったら、俺に百ポンド寄越すんだ。新聞に売り込んだ時、俺がきっと稼げる金額だ、これが。
(ロレンス、頭を振る。)
 ディキンスン あんたがこんなことをしている狙いがどこにあるのか、俺には皆目分かっちゃいない。そんなことは俺にとっちゃどうでもいいことさ。隠れるため? 探るため? 面白がるため? 何でもいい。だけどあんたにとっちゃ、俺が新聞に垂れこむかどうかは猛烈に大事なことに違いない。だからもうぐずぐずするのは止めだ。七十五。小切手でいい。
(間あり。夕暮れが濃くなって、辺りが暗くなる。)
 ロレンス(やがて。)駄目だ。
 ディキンスン 本気なのか。
 ロレンス 本気だ。
 ディキンスン(溜息をついて。)やっぱりね。譲るようなあんたじゃないと思っていた。それにしても今朝あんたはあのチンピラに随分軽率だったな。あの時思ったよ、俺は。何の目的があってここに来たのかは知らないが、まあこれで終だなってね。
 ロレンス(突然凶暴に。)終なんかじゃない! まだ始まってもいないんだ!
 ディキンスン で、何なんだ、ここでのあんたの目的は。
ロレンス 心の安らぎだ。
(間。ディキンスン、静かに笑う。)
 ディキンスン そうか。精神的、神経的な欠陥だったな。
 ロレンス さっさと行って、新聞に電話しろ!
 ディキンスン ああ、電話・・・俺は電話などしない。現金主義だからな。交渉のその場で金額は決める。
 ロレンス 自分でのりこむのか。
 ディキンスン そう。
 ロレンス いつ。
 ディキンスン 今夜。(中央へ進む。)
 ロレンス 門限の許可は取ったのか。
 ディキンスン いや。ただ出て行って帰って来る。手はいろいろあってな。
 ロレンス(苦く。)明日の新聞の大見出し・・・十分楽しむんだな。
 ディキンスン おいおい、まさかあんた、新聞の大見出しが怖いなんて言うんじゃないだろうな。(そんなものには慣れっこの筈だぜ。)
 ロレンス 今は怖い。そうだ、慥に私の悪い癖だ。群衆に囲まれて喜ぶ。・・・パリであんたが見た通りだ。・・・それに今朝中尉に対してやったやつ。見せびらかしだ。ついつい忘れてしまっているんだ、目の鋭い護衛がちゃんと見ていて、私の命を終らせる危険を。
 ディキンスン 何だ、それは。自殺するっていう脅かしか?
 ロレンス 違う。事実を言っている。整備兵ロスとしての私の命だ。
 ディキンスン 整備兵ロス? そんなものが何だ。ロレンスは生きているじゃないか。
 ロレンス(怒って。)ロレンスはもう存在していない。ロスが死ねば、私が死ぬのだ。これほど簡単な話はない筈だ。
(間。)
 ディキンスン 脅しは俺にはなかなか効かなくてね。
 ロレンス そのようだな。私もそうならいいんだが。
 ディキンスン 何だ? 弱い人間のふりか?(怒って。)どうしてなんだ。こんな風に隠れて、こそこそしているのが、何故あんたには大切なんだ。
 ロレンス 隠れ家を必要としている人間にとっては、修道院というのは大切なものでね。
 ディキンスン 修道院? 生きる希望を失った人間に必要なだけだろう。(怒って。)分かったよ、またあの精神的欠陥か。よし、その話を信じるとしよう。どうしてそんなことになった。「魂を失った」とか言ったな。何故なんだ。
 ロレンス 悪魔を信ずると魂を失う。これが普通の公式だ。私の場合もほぼ同じだ。悪い神を信じた。
 ディキンスン 悪い神? 何だ、それは。
 ロレンス 意志の力だ。
 ディキンスン 意志? 自分の頭にあるものということか?
 ロレンス 過去形だ。自分の頭にあったものだ。
 ディキンスン しかし、そいつのお陰で、今のあんたがある訳だろう?
 ロレンス そうだ。
 ディキンスン アラビアのロレンス、そいつはそれのお陰なんだろう?
 ロレンス 整備兵ロス、それがそいつのお陰だ。
 ディキンスン(鋭く。)自己憐憫じゃないか、そんなものは。世の中に、自己憐憫ぐらい始末の悪いものはない。
 ロレンス もっと始末に悪いものがある。「自己を知ること」だ。自己憐憫に値いするものならしようがない。可哀相だと思ってやればいい。しかし自分の正体を知ること、或いは自分の正体を人から見せられること、こいつは・・・(突然言い止める。)そう。(立ち上がって、ディキンスンの右手に進む。)古代ギリシャのあの連中・・・なんて馬鹿なんだ。パブリックスクールの教育を受けているあんただ。私の言っている意味は分かるだろう。ちょっと二三ポンド貸してくれないか。
(ディキンスン、財布を取り出し、二ポンド紙幣を抜き取り、ロレンスに渡す。)
 ロレンス 有り難う。(右手中央に進んで。)これではっきりしたな。あんたはやるつもりだ。
 ディキンスン 的確な心理作戦だ。(ロレンスの左手に行き。)やるつもりだ。ちゃんとな。下らない哲学の話で誤魔化されて取れる金も取れなくなるような、やわな人間じゃないんだ、俺は。
 ロレンス 私をロレンスと取り違えているんじゃないのか、あんたは。いや、このロスも偽物だっていうのか? まあ、そうかも知れない。いづれにせよ、そんなことはどうでもいい。とにかくロレンスは失敗だったってことだ。教練じゃみんなの足を引っ張るし、冗談を言って楽しませようにも、私の冗談じゃ、分かってくれもしない。落ちつかないから、パーティーでもみんなを白けさせてしまう。しかしさっきは少し希望を持ったな。パースンズのあの言葉、それにハモニカに合わせて一緒に歌って・・・(言い止めて。)馬鹿な。感傷に耽っている時じゃない。ロスは明日死ぬのだ。死んだ方がいいんだ。(自分の震えている手を無感覚に眺めて。それからディキンスンを見る。急に微笑んで。)本当に百ポンド出すと思っているのか?
 ディキンスン もっと多いな。ひょっとすると。(左手中央に進む。)
 ロレンス ほほう。正確な金額が分かったら、私に教えてくれるな?
(ロレンス立ち上がり、右手から退場。そして暗転。)
(暗闇の中に、「就寝ラッパ」が遠くに聞こえる。)

     第 一 幕
     第 三 場
(場 物資集積所の中の仮兵舎。同じ夜。奥の壁に四つベッドが並んでくっつけてある。物入れ用のロッカーが一つづつついている。三つのベッドは壁の方が頭になっていて、頭の方にロッカーが、最後の一つは壁に並んでくっつけてあって、足元にロッカーがある。一番右手のベッドはエヴァンズの、次がロレンスの、三番目がディキンスンのもので、最後の一番左手にあるものがパースンズのベッド。ロッカーには、各人の皿、家庭用刃物類、コップ、トイレ用品などが入っている。すでにベッドは就寝用に設(しつら)えてある。ディキンスンのベッドの下には私服の入っているスーツケースが置いてある。)
(明かりがつくと、パースンズが左手のベッドで横になっている。下着姿。競馬の結果を夕刊で調べている。エヴァンズが右手のベッドに横になっている。パジャマ姿。エヴァンズは手紙を書いている。)
 パースンズ おい、六四で賭けて、百に八だったんだ。配当は幾らになる?(訳注 ここ不明。)
 エヴァンズ すまんな、水兵。俺は競馬は駄目なんだ。(手紙を書きながら。)教えてくれないかな。
 パースンズ(計算に夢中。)何だ?
 エヴァンズ 愛してる、っていう意味の別の言葉、ないですか。
(パースンズ、不機嫌にエヴァンズを見て、答えない。)
 エヴァンズ(爆発するように。)愛、愛、愛! 全く嫌になっちゃうな。(手紙を振って。)ねえ、別の言い方知りませんか?
 パースンズ 誰に書いてるんだ。
 エヴァンズ 相手にですよ。僕の結婚相手なんです。
 パースンズ 例の牧師の娘か?
(エヴァンズ、頷く。)
 パースンズ 別の言い方なんて知らないな。
 エヴァンズ あいつは普通の女と違うんです。想像もつかないですよ、本当に。自由思想なんです、あいつは。
 パースンズ(呟く。)自由行動とも言うんじゃないか、ひょっとして。
 エヴァンズ あんただって驚きますよ、きっと。もしあんな奴と知り合ったら。
(ディキンスン、左手か登場。正装している。中央ベッドに横になる。)
 パースンズ ああ、ディキー、お前なら分かるよな。六四で賭けて、百に八だったんだ。配当は幾らになる?
 ディキンスン えーと、十二と二分の一の三分の二は八と三分の一だ。三分の二たす十二と二分の一は十三とちょっと。二十一と半分の八分の一。二ポンド十三と三ペンスだ。
 パースンズ(感心して。)これだよ。すごい頭の働きだ。(ロレンスのベッドの方を頭で示して。)寝床でギリシャ語の詩を読むなんてことはしないんだろうな、あんたは。
 ディキンスン そう。俺は読まない。俺には警察の事件報告書ぐらいが関の山だ。
(ロレンス、左手から登場。ディキンスンのベッドを通って、自分のベッドに行く。ディキンスンはロレンスを見ない。ロレンス、上着を脱ぐ。相変わらず手が震えている。なかなか脱げない。脱いだ後、急に何かを思い出す。ズボンのポケットから二ポンド札を取り出し、エヴァンズのところに行き、それを渡す。)
 ロレンス 半ポンドお釣りがありますか。
 エヴァンズ(紙幣を見ながら。)さっきはないって言ってたけど?
 ロレンス(ディキンスンの方を見ずに。)都合してくれる奴がいて・・・
 エヴァンズ 悪かったなあ。恩に着るよ。(枕の下から財布を取り出して。)待ってくれるのか? その都合してくれた奴。
 ロレンス ええ、多分。
 エヴァンズ どのぐらい?(財布からコインを取り出す。)
 ロレンス ええ、まあ・・・永久に。(ベッドの上に坐る。エヴァンズの方を向いている。)
 エヴァンズ(ロレンスにコインを渡しながら。)次の次の給料日には必ず返す。約束するよ。それからそっちに何かあったら、その時は俺の番だ。
(紙幣を財布に入れ、枕の下にそれを入れる。)
 ロレンス いいんです、そんなの気にしなくて。(長靴を脱ぐ。)
 エヴァンズ(手紙書きに戻って。)なあ、ロスィー、あんたなら分かるだろう? 愛って言葉の代わりを知らないか? 英語で。あいつを驚かせるやつが欲しいんだ。
(パースンズ、ロレンスをじっと見る。)
 ロレンス 私は専門家じゃありませんから。(もう片方の長靴を脱ぐ。)
 エヴァンズ でも、頼むよ。
 ロレンス(上半身を上げて、上着を脱ぎながら。)優しい気持ち、献身、二つの精神の共鳴・・・
 エヴァンズ(「とても手紙には使えないな」という顔。)ちょっとね、それじゃ・・・
 ロレンス すみません。(ベッドの足の方に腰掛ける。前方を見つめている。)
 パースンズ(顔を顰めて。)おい、お前、どうしたんだ。
 ロレンス いえ、別に。(靴下を脱ぐ。)
 パースンズ なんだその震えは。ひどいじゃないか。汗も出てる。ヤクか何かやったのか。
(ロレンス、答えない。ディキンスン、代わって答える。)
 ディキンスン(静かに。)マラリヤさ。
 パースンズ マラリヤ?
 ロレンス 大丈夫ですよ、水兵さん。これはうつらないです。(立ち上がる。)
 パースンズ うつろうとうつるまいと、そんなことは問題じゃない。ここで責任者は俺だ。責任のないことは俺はしたくないからな。
(ロレンス、黙ったまま、上着を脱ぐ。)
 パースンズ(有無を言わさぬ口調で。)さ、上着を着ろ。さ、行って、病気だと報告するんだ。馬鹿のふりをしても無駄だ。さ。(ロレンスの上着を取って、それを突き出し、乱暴にロレンスの手を袖に入れようとする。)
 ロレンス(静かに、しかし間違えようのない命令口調で。)その手を放して下さい。
 パースンズ(驚いて。)何だって?
 ロレンス 私は触られるのが嫌いなんです。(パースンズから上着を取り、靴下と一緒にロッカーに入れる。)
 パースンズ いいか、ロス。もしお前が今夜病気を報告しないとなれば、明日の朝の訓練はひどいものになるぞ、マラリヤだろうと何だろうと構わん。いいんだな?
 ロレンス(半分眠っている。)いいんです。
 パースンズ 勝手に自分で苦しむんだ、それが好きなんだろう。
 ロレンス そんなところかも知れません。お休みなさい、水兵さん。夜中に鼾が酷過ぎたら起こして下さい。
 パースンズ じゃ、靴を残しとくぞ。すぐそっちに行けるようにな。(諦めて自分のベッドに戻る。坐って、靴下を脱ぐ。ディキンスンに。)何だ? その恰好は。(ディキンスンの上着を指さして。)それで寝るつもりか。
(ディキンスン、軽い目配せ。)
 パースンズ 何だ。又か?
(ディキンスン、頷く。)
 パースンズ 誰なんだ、今夜の女は。
 ディキンスン 今夜は女じゃない。仕事だ。
 パースンズ 妙な時間に仕事だな。
 ディキンスン 妙な仕事だからな。
 パースンズ 捕まるなよ、頼むぜ。
 ディキンスン 捕まりゃしないさ。
 パースンズ(声をひそめて。)いつもの半ボトル、今夜もありだな?
 ディキンスン 半分じゃすまない。一本丸ごとだ。もし仕事がうまくいけば。
 パースンズ 本当に丸ごと来たら信じることにするよ。
(明かりが急に消える。月光がロレンスの周りにあたる。他は暗い。)
 エヴァンズ(泣き声で。)あーあ、いい台詞だったのになあ。明日使えやしない。忘れちゃうよ、これじゃ。
 パースンズ 何の話だ。
 エヴァンズ ライルの傍の浜辺であいつと一緒だったんです。その時に浮かんだんです。
 パースンズ 明日になりゃ思い出すさ。
 エヴァンズ あの時の通りが浮かばないんですよ。
 パースンズ きっちり覚えていないんなら、おおよそ、その意味で言ってやりゃいいじゃないか。
 エヴァンズ だけどその言葉が良かったんです。
 パースンズ まるでさかりだな。水でもかけて萎(しぼ)ませるんだ。さ、寝よう。お休み。
 エヴァンズとディキンスン(一緒に。)おやすみ、水兵。
(間。それからディキンスン、暗闇の中で起き上がり、ベッドの下からスーツケースを取り上げ、私服のコート、帽子、マフラーを取り出し、身につける。爪先立ちでロレンスのベッドに進み、ロレンスを見下ろす。それから右手に退場。ロレンス、急に哀願するような手つきで片手を上げる。)
 ロレンス(呟く。)止めてくれ、頼む。
(ディキンスン立ち上がり、ロレンスのところへ戻る。)
 ディキンスン(囁き声で。)俺に用か。
(返事なし。ただ微かな唸り声。ロレンスが寝言を言っていたことは明らか。)
 ディキンスン いい夢を見るんだな・・・大佐殿!
(ディキンスン、右手に爪先立ちで進み、静かに退場。暗転。)
(暗闇の中でエヴァンズとパースンズ、退場。間のあと、押し殺した太鼓の音。それから「Land of Hope and Glory 」の最初の節がオルガンで演じられるのが聞こえる。但し明らかに遠方からの音。)
(明かりがつくと、仮兵舎の後方の壁はなくなり、大きな映写用のスクリーンになっている。そこにロレンスの姿が映っている。純白のアラブの服装。腰には大きな反りのある装飾用の短刀。地面に坐ってじっと前方を見つめている。背後には一頭のらくだが眠そうにうづくまっている。その後ろにある砂漠は、本物のように見えない。全体の印象は「偽物」或いは「写真用のセット」。スクリーンの前に講演者のフランクス。ディナー・ジャケットを着て、手に図を指し示すためにビリヤードのキューを持っている。スポットライトをあてられている。)
(スポットライトはもう一つ、ベッドで横になっているロレンスにもあてられている。)
 フランクス 皆さん、これがその人物・・・大佐、その人です。現代における最も伝説的な人・・・学者であり兵士であり、王冠を被らない砂漠の王者・・・王冠の代わりは、ほらご覧下さい。(短刀を指し示して。)メッカの王子としての紛れもない印・・・アブドゥラ王から授けられたものです。
 ロレンス 違う、違う、違う。
 フランクス(非難するように。)しかし、これこそあなたが終始求めていたものなんでしょう?
 ロレンス 今はもう欲しくはない。今君に話して貰いたいのは、真実なんだ。
 フランクス しかし、その真実とは何なのです。
(この時までに、左手中央に陸軍元帥アレンビーが登場していて、そこにスポットライトがあたる。大きなずっしりした体格。ただ、彼の性格がその体格に相応しいかどうか疑問。パイプを吸っている。)
 フランクス ああ、元帥殿、ロレンスに対するご意見を伺いたいのですが。
 アレンビー 彼は山師だった。どの程度のものか、そこがよく分からなかった。かなりなものだった筈だ。しかし、山師であろうとなかろうと、彼のなし遂げた事の偉大さには議論の余地はない。
(スポットライト、アレンビーから消える。中央右手に立っているロナルド・ストアーズにスポットライトがあたる。熱帯服を来た文官である。)
 フランクス(ストアーズの方を向いて。)ではストアーズさん、あなたのご意見は?
 ストアーズ 彼のなし遂げた事の重要性が誇張されすぎたのではないだろうか。新聞、ラジオによって、君のような紹介者によって・・・それに敢えてはっきり言ってしまえば彼自身によって。実は本当の偉大さは彼のなし遂げた事にあるのではなく、彼自身にあった。恐らく彼は、現代における最大のイギリス人なのだ。
(ストアーズからスポットライト消える。左手中央に立っているバリントン准将に、スポットライトあたる。バリントンは熱帯用軍服を着ている。)
 フランクス ああ、准将、ロレンスをご存じですね、あなたは。
 バリントン ああ、よく知っている。我慢のならん野郎だった。見栄っ張りでね。サディストでもあったな。冷血漢だ。感情というものが、あいつにあったろうか。個人生活に見るべきものがあったとは到底思えない。あいつのやったことについて言えば・・・まあ、他の連中だって、あいつのやったぐらいのことはやってるんだ。ただ宣伝をしなかっただけさ。
(中央左手から、シェイク・アウダ・アブ・タイが登場。バリントンを軽蔑のまなこで見、肩で追い払う。スポットライト、バリントンから消える。アウダにあたる。アウダは老人。非常にエネルギッシュ。よく通る、響きわたる声。鷹のような美男。いるだけで辺りを払う威厳。)
 アウダ(雷のような声。)この私・・・アウダ・アブ・タイが、エル・アウランスについて言うことを、よく聴け。そして、イギリス中に話して聞かせるのだ。彼は男の中の男、決心したことはやり遂げる。・・・自由人だ。この世に二人といない精神の持主だ。私は彼に欠点として上げるものを知らない。
 ロレンス(苦しそうに。)欠点がない?
 アウダ そう。欠点がないのだ。
(スポットライト、アウダから消える。トルコの将軍、右手中央に登場。スクリーンに近づく。しかし仮兵舎の方を眺めるだけで、黙っている。)
 フランクス 難しいものですね、ロレンス、何が真実なのですか。今の話全部が正しいなんてことはあり得ない筈でしょう? 単純な話をその儘信じておくのが一番安全だと思いますね、私は。あのボーイスカウト用の単純な話を。あなたはなにしろ、もう伝説になっているんですからね。それをぶち壊すなんてしない方がいいんです。大衆のためです。大衆はロスなんか欲しがってはいない。ロレンスを欲しがっているんですからね。連中は英雄が欲しいんです。世界的なね。こんなマラリヤの熱に震えている一兵卒なんか、ちっとも欲しがってはいない。自分に早く終止符を打ちたがっている、人生に、自分自身にうんざりしているような男など、全く欲しがってはいないんですからね。
(スポットライトがトルコの将軍にあたる。)
 フランクス(トルコの将軍に。)誰です? あなたは。やはりロレンスの偉大な物語のうちの一人なのですか?
将軍 その伝説の部分には、私は関わらない。しかし事実あったことの中には、入っている。(ロレンスのベッドの頭のところに立つ。そしてロレンスを見下ろす。)いや、心配しないでいい。私は話しはしない。今まで話したこともないし、これからも決して。
 ロレンス いつか私が、自分で話す。
 将軍(礼儀正しく。)ほほう、ご自分で。私はいつもあなたの勇気ある態度を認めてきたものだが、それは全く、実に、勇気のある態度ということになるでしょうな。
(トルコの将軍からスポットライト消える。)
 フランクス(ほっとして。)無味乾燥な冗談はこのぐらいにして、次のスライドをお願いします。
(第一次世界大戦前の中近東の、大きな地図がスクリーンに写し出される。)
 フランクス 一九一六年、この広い地域一帯は(指し示しながら。)トルコ帝国の支配下にあり、連合軍側と交戦状態にありました。(指し示す。)トルコ軍はスエズ運河に脅威を与えており、それに対してイギリス軍は、なすすべもなく手を拱(こまね)いていた。ソンムの戦いに五十万ポンドを注ぎ込んだ。だが事態は変わらず。戦闘は互いに決定打のない泥沼と化して行きました。ところが一九一六年七月五日、一大事件が、ここ(メッカを指し示す。)で起こりました。新聞はそのようには書きませんでしたが、これが実は後に世界の歴史を変えることになるのです。ここがメッカ。メッカの首長がトルコに反乱を起こしたのです。メッカとジェダーにいたトルコ駐屯部隊を占領し、二人の息子、フェイサルとアブドゥラ、それにベドゥウイン族の少数の軍力をもって、広大なトルコ帝国に反旗を翻したのです。勿論そのあと、大悲劇が起こる筈でありました。しかし一九一六年十月十六日、ジェダーに(指し示す。)二人のイギリス人が・・・一人は熟達老練、遠い将来を見越すことが出来る外交官、ロナルド・ ストアーズ、そしてもう一人は・・・次のスライドをお願いします・・・
(ロレンスの写真がスクリーンに映し出される。陸軍大尉の軍服。カメラのレンズを厳しく、しっかりと見つめている。)
 フランクス 若い男・・・アラブの統一に揺るぎのない信念を持ち、自国への義務感に燃えた・・・
(ロレンス、静かに笑う。)
 フランクス どうしました?
 ロレンス それじゃどうも、話が生き生きしていなくてね。
 フランクス 生き生きしていない?
 ロレンス そんな風じゃなかった。全然。少なくとも最初は。最初は面白がってやったんだから。
 フランクス(厳しい口調。)面白がって? ロス整備兵!
 ロレンス そう。最初は・・・
(明かり、ゆっくりと消えて、暗転。)
(暗闇の中でアラブ軍隊の音楽。陽気で野卑。全く厳しさ、軍隊らしさがない。合間に怒鳴り声と笑い声が聞こえる。)

     第 一 幕
     第 四 場
(場 アラブのテントの中。テントは中央の柱によって支えられていて、部隊の右手から左手中央までがテント。入口は左手にあり、その外は砂漠。テントの中央左手に小さなスツールあり。)
(照明がつくと、ロレンスが中央にいる。アラブの真っ白なガウン(人を威圧するような大袈裟なもの)を着せられている。着せているのはハメッド。ハメッドはアラブ人の召使。恐ろしい顔をしていて、明らかに西ヨーロッパの人間を認めていない。中央奥にいる。もう一人の召使ラシッドは中央右手に立って、ロレンスが見えるように鏡を支えている。ハメッドよりは優しい顔付き。ハメッドはロレンスの軍服を片手にかけている。ストアーズは中央右手の椅子に坐っていて、葉巻をふかしている。アラブの音楽が続く。)
 ロレンス(自分を鏡で見て。)どうだストアーズ、似合うかな?
 ストアーズ とてもアラブ人には見えない。アングロサクソン丸出しだ。
 ロレンス 戦前、考古学の調査でシリアに旅行に行ったんだが、そこではちゃんとコーカサス人で通ったがな。
 ストアーズ ダマスカスから千マイルも南に来ているんだ。そいつを頭に入れておくんだな。ヘジャズにコーカサス人がいるなんて話、聞いたことがあるか?
 ロレンス(自分の姿にまだ気を取られて。)いや、聞いたことはない。(中央に進んで。)しかし一人ぐらいは迷いこんでいてもいいだろう?
(音楽が止む。)
 ロレンス(中央下手に下りて。)パレードが終ったようだ。
(ラシッド、右手に進む。)
 ロレンス あんなものは早く終わった方がいいんだ。弾丸(たま)の無駄遣いだ。僕はアブドゥラに言ってやった。部下にあんなに撃たせちゃ駄目だってね。対トルコ戦のために弾丸は残しておかなきゃと。・・・それでコーカサス人で通らないとなると、何て言えばいいんだろう。
 ストアーズ 僕だったら言うね。カイロで休暇を貰ったイギリス諜報機関の大尉だとね。フェイサル王の本部に非公式の訪問をしようと、キリスト教徒が今まで誰一人通ったことのない国を突っ切っているところだと。こんな話を信じる奴は誰もいやしない。それで連中はどうするか。君の頭に小さな穴を開けて、そんな気違いじみた考えをその頭から追い出そうとするさ。さぞかし痛いだろうが、まあ死なないですむさ、これなら。
 ロレンス(ストアーズの方を向いて。)腰に何かつけた方がいいんじゃないかな。(中央右手に行く。)
 ストアーズ 何かって、どんなものをだい?
 ロレンス(テントの柱に進み、それに寄り掛かって。)さあね。飾りか何か。短刀だ、例えば。僕は砂漠の偉大なる貴族のような恰好をしろと言われているんだ。アブドゥラに言わせると、目立てば目立つほど却って人目につかないってね。うまい考えだよ、本当に。そうだろう?(ハメッドに。)ご主人のアブドゥラさんのところへ行って、短刀を借りて来てくれないか。ご主人の僕(しもべ)ロレンス大尉がアラーの名においてお願いする。メッカの王子に相応しいものを、と言ってな。
(ハメッド、怒って、暫くはロレンスを睨みつける。ラシッドと目を交わす。それから振り向き、右手に退場。)
 ロレンス どうやら頼んだことはやってくれそうだ。やれやれ。他の連中もああだといいんだが。
 ストアーズ 他の連中? 何だ、それは。
 ロレンス 弟だけじゃ心もとないと思ったんだな、きっと。他の連中もつけてくれるそうだ。
 ストアーズ それじゃ、君の生き残る確率は零だな。アブドゥラのキャンプから見えないところまで来たとたん、連中は君の喉をかっ捌(さば)くだろうよ。その不信心の男の喉をね。
 ロレンス アブドゥラもそう思っているようでね。(右手の方に歩いて行き、次にまた中央に戻る。)アラブの貴族(シェイク)は普通の人間とは歩き方が違う。(歩いてストアーズのところまで来る。)
 ストアーズ(悲しそうに。)僕は君に、どうしてもこんなことは止めさせなきゃいけないんだが。
 ロレンス 出来ないよ君には、そんなこと。君は僕の上司じゃないんだからね。
 ストアーズ 君は行けば何か出来ると思っている。しかし、その「何か」など、それに賭ける危険に比べたらゴミみたいなものだ。君がカイロから帰って上官に鼻高々と説明する・・・あなた方が考えていることはみんな間違っている。私は現にそこに行って調べてきたのだ。そこの状態を知っているのだ、と。そして上官をカンカンに怒らせる。それは面白いだろうさ。だけど僕は、君がカイロまで帰って来られるとは正直、全く思っていないんだ。
(ロレンス、テントの柱の傍の地面に坐る。)
 ロレンス 僕は学生の時、十字軍(の城)について論文を書こうと思った。だから夏の真っ盛り、一人でシリアに行った。金もなしにね。三ヵ月で千二百マイル歩いたよ。その間頼りになったのは、アラブのあの、持てなしの掟、っていうやつだ。あの時だってみんなは、僕が生きてオックスフォードに帰れるとは思っていなかったな。
 ストアーズ(苛々と。)ここはシリアじゃないんだ。連中が聖なる地と呼んでいる所だぞ。アラブの、持てなしの掟だって、ここではキリスト教徒にまでは及ばないんだ。それどころか、君を殺すというのが掟なんだ。
 ロレンス ああ、だけど僕には、ボディーガードがいる。忘れないでくれ。
 ストアーズ ボディーガード? あそこにいる、あの殺し屋か? すごい人相だ。あれは人殺しの顔だぜ。
 ロレンス おいおい、ラシッドは殺し屋じゃない。僕に口もきくようになった。嫌々(いやいや)だがね。だから口をきいた後には唾を吐く。口を清めるためにだ。ただその唾の吐き方が礼儀正しい。(僕に好意を持っている証拠だ。)ハメッドはまだ駄目だ。(決して僕には口をきかない。)しかし僕は諦めちゃいない。(立ち上がって、中央右手に行く。)
(ストアーズ、急に立ち上がり、ロレンスの右手に行く。)
 ストアーズ(ロレンスの腕に触って。)なあ、ロレンス!
(ロレンス、すぐに腕を引く。)
 ストアーズ 簡単にだぜ、本当に簡単に、殺されてしまうかも知れないんだ。
 ロレンス 簡単にだぜ、本当に簡単に、カイロで車の事故にあって死ぬかも知れないんだ。
 ストアーズ 何故なんだ。何故こんなことをやるんだ。
(ロレンス、何か言おうとする。)
 ストアーズ ああ、あれは止めてくれ。あの例の、アラブ人に対する君の奇妙な親近感とかいうやつ。僕はそんなもの信じやしない。君はアラブ人なんか、好きじゃない。偶々連中の言葉が喋れて、それで連中とうまくいっているような気分になっているんだ。しかし、もともと君は神秘主義じゃない。バートンとかダフティーとは違うんだ。こんなことをやろうというのには、非常に個人的な何かがある筈だ。何なのだ、それは。
 ロレンス(間の後、次の台詞。発せられた言葉以上の重みがそこにはある。)空気が必要なんだ、僕には。
(ハメッド、右手から登場。装飾用ベルトと短刀を持っている。それをつっけんどんにロレンスに渡す。)
 ロレンス(勝ち誇った笑みを浮かべて。)君にアラーのお恵みがありますように、ハメッド。僕の友人、それに守護神。
(ハメッド、後ろ向きになり、威厳をもってラシッドのところに進み、その傍に立つ。)
 ロレンス(肩を竦める。)まあいいさ。何にでも時間はかかる。(短刀をストアーズに見せて。)なあストアーズ、見てご覧。素晴らしいもんじゃないか。(短刀を腰に帯ぶ。非常に嬉しそう。ラシッドの方を向いて。)ラシッド、もう一度鏡を頼む。
(ラシッド、鏡を持ち上げる。)
 ロレンス(鏡の中の姿を見て。)これなら本物だ。本物の砂漠の貴族だ。
(バリントン、左手から登場。熱帯用軍服姿。暑く、不機嫌。ストアーズ、さっと立ち上がる。)
 バリントン ストアーズか。(ストアーズと握手。)
 ストアーズ 今日は、大佐殿。またお会い出来て嬉しいです。
 バリントン 波止場まで出迎えなくて失礼。君が来るという本部からの電報が、遅く着いたんだ。このアブドゥラの野営地まではどうやって?
 ストアーズ ロレンス大尉が人を見つけてくれましたので。
 バリントン しかしここは危険なんだ。この辺りは。それに規則違反でもある。で、ロレンス大尉とは?
 ストアーズ(「打つ手なし」という表情。)あそこにいます。
 ロレンス(振り返って、愛想よく。)初めまして、バリントン大佐ですね? イギリスのジェダー地区担当官の?・・・
 バリントン そうだ。
 ロレンス お訊きしていいでしょうか? アブドゥラに対する大佐のご感想を。
 バリントン(当惑の表情で。)アブドゥラ閣下を私がどう思うかって? そりゃ有能だ。実に才能のある御方だ。
 ロレンス ええ、そうです。才があって有能。何でもよくあの人には見えている。ただ敗北は見えていない。勿論私はそれを非難しているんじゃありません。我々の真の味方じゃないというだけのこと。フェイサルです、私が本当に信用しているのは。
 バリントン ほほう。
 ロレンス ああ、きっとフェイサルのことを馬鹿だとお考えになっているんですね。あいつ、勝てるなどと思っている、何て馬鹿なんだ、と。勿論私だって、彼がそう思っているだけなら馬鹿に賛成です。でももしひょっとして、彼が勝てると、信じているとすれば、それは我々の味方なのじゃないでしょうか。あそこまで行って見て来る価値があると思います。とにかく、(左手の方に進んで。)失礼します。ぼやぼやしていられませんので。日のあるうちに少しでも先に行きたいんです。ハメッド! ラシッド! 行くぞ。みんなに出発の合図だ。
(ハメッドとラシッド、部屋を横切って、左手から黙って退場。)
 ロレンス(ストアーズの方を向いて。)じゃあ、ストアーズ、一箇月後に会おう。
 バリントン(ロレンスの右手に進み。)フェイサルに会いに行くって言うのか? そのためなのか、その恰好は?
 ロレンス 奇妙ないでたちでしょう? アブドゥラは最初、女に変装しろと言ったんです。ヤッシュ・マークをつけてね。私はそいつはちょっとやり過ぎなんじゃないかって。それに身分詐称そのものですからね。そうでしょう?
 バリントン どれほどの危険があるか、少しは考えたのか。
 ロレンス ええ、それはもう、十分に。
 バリントン ここからワディ・サフリまでの道のことを少しは知っているのか。どんな旅になるのかを。
 ロレンス ええ。かなり酷いものだと。そう聞かされました。
 バリントン フン。そう聞かされた、か。私が聞かされているのはこうだ。三日間、日陰になるものが何もない、全くの砂漠を登って、その後四日、今度は下る。その後がまたもっと酷い状態の砂漠を三日進む。
(ロレンス、指を折って数えている。)
 バリントン それから・・・(言い止んで。)何をやってるんだ。
 ロレンス それで十二日です。(訳注 切れ目に一日づつ加えているのか?)あけすけに言いますが、大佐殿、私なら六日ですね、この旅は。
(ロレンス、左手から退場。)
 バリントン 何なのだ、あの野郎は。自分だけいい気になって。
 ストアーズ ロレンスですか? 頭でっかちの私の友人です。カイロのアラブ局から来たのです。
 バリントン アラブ局? 狂ってるんだ、あいつらはみんな。何故ここに送りこまれた。
 ストアーズ 送りこまれてはいないんです。自分で来たのです。
 バリントン 何だって? 公式じゃないって?
(ストアーズ、頷く。)
 バリントン アラブ局でのあいつの仕事は。
 ストアーズ 地図作りです。
 バリントン さぞ自分の役に立つことだろうよ。
 ストアーズ 分かりません。ただ、彼の作る地図はかなりいいものです。
 バリントン いわゆる美術品っていうやつだろう、きっと。砂漠は見事な黄色、山は藤色の陰がついている・・・(怒って。)いいかストアーズ、私はこの件に関しては全く何の関係もないんだからな。私は一切、何も知らなかった。分かるな?
 ストアーズ はい、分かっています。
 バリントン 今後いかなることが起ころうと、アラブ局のロレンス大尉殿は自分で自分の始末をつけるんだ。
 ストアーズ はい、彼もその方がいいと思っている筈です。
(バリントンとストアーズ、左手から退場。その時・・・)
(照明が消える。)
(遠くから静かに、一人の男が、アラブの歌を歌っているのが聞こえてくる。)

     第 五 場
(場 砂漠。)
(中央に岩があるのみ。あとは空を焼き尽くすような太陽。)
(照明が当たるとロレンス、舞台中央。あらぬ方を眺めている。ラシッドが岩の左手に、背を下にして長々と横たわっている。ハメッドは左手に眠っている。アラブの歌、続く。)
 ロレンス あの歌は何なのだ、ラシッド。(ラシッドの左手に進む。)
 ラシッド ホーウェイタット族の歌です、エル・アウランス。アウダ・アビ・タイを讃える歌詞です。(こっそりと唾を吐く。)
 ロレンス(中央右手に行きながら。)アウダ・アビ・タイか。偉いやつだ。讃える歌も無理もないな。
 ラシッド(ごろりと回転して、顔を下にする。驚いて。)カイロでも知られているのですか? アウダの名が。
 ロレンス 私は知っていた。カイロでもな。彼自身の刀で殺された敵の数七十五。彼の部族で、戦闘中手傷を受けなかったものは誰一人いない。アラビア一の戦士だな、どう見ても。(感慨深そうに。)フェイサル方(がた)についてくれれば、すごい味方なんだが。(左手の岩の方に進む。)
 ラシッド トルコから随分金を貰ってますからね。あの人は慥に偉大です。でも金、金。あの人はお金が好き過ぎです。だけどエル・アウランス、どうしてそんなに私達の国のことをよくご存じなのですか。(唾を吐く。)
 ロレンス(岩の上に坐って。優しく。)なあラシッド、この五日間君は私との話の後、必ず唾を吐いているね。そろそろそれを止めたって、アラーの罰はもうあたらないと思うが、どうなんだ。
 ラシッド(身体を起こして、坐って。)ハメッドに言わないで下さいね。殴られてしまいますから。私があなたと言葉を交わすだけで、もう気に入らないんですから。
 ロレンス 大丈夫だ。言いやしない。誓うよ。
 ラシッド じゃエル・アウランス、さっきの私の質問に答えて下さい。
(歌、止む。)
 ロレンス どうして私がこの国についてそんなによく知っているかっていう質問だったな。それは私の仕事だからだよ。それで私は食ってるんだ。
 ラシッド じゃあどうして、イギリス人で、キリスト教徒のあなたが、私達のこの内戦に関わっているのですか。
 ロレンス それに関わることは、自分の国に奉じていることだからね。そして自由という名義にも奉じることになる。それに、君達に奉じることは私自身に奉じることでもあるんだ。
 ラシッド 最後の話は私にはよく分かりませんが。
 ロレンス 私にも実はよく分かっていない。さて、もうそろそろ時間だ。(立ち上がって右手に進み、そこで振り返って右手に行き。)十分後にみんなを起こすんだ。
 ラシッド(呻く。)駄目ですよ、エル・アウランス。(真っ直ぐに坐って。ロレンスを見て。)まだ陽が高いです。
 ロレンス(一二歩下手に進みながら。)フェイサル王の野営地に今日の夜には着かなければ。
 ラシッド あなたのせいでみんなもう死んでますよ。五日間、全く休みなしなんですからね。ほら、ハメッドをご覧なさい。(眠っているハメッドを指さす。)彼がこんなに疲れたのを見たことがありませんよ、私は。それに私だって。エル・アウランス、もう死骸ですよ、これは。
 ロレンス(ラシッドの方に進みより。)それなら死骸君、その身体を生き返らせるんだな。(冗談に身体をつつく。)やれやれ、君達は砂漠の栄えあるベドウィン族だろう? 私の方は一週間前まではカイロの町で、椅子の上に坐ってただ事務をとっていた男だ。そんな男の前で弱音を吐いていいのか? 実際そんなに女々しくって弱々しい一隊を率いているのかと思うと、私は恥ずかしくなるよ。(右手中央に進む。)
(ラシッド、にやにや笑って、疲れを大袈裟に表現してやっとのこと立ち上がる。)
 ラシッド(ロレンスの右手に進み、ゲラゲラ笑って。)どなたでしたっけ、疲れが溜まって昨日、もう少しでラクダから落ちそうになった方は? 私がお助けしたんじゃありませんでしたか?
 ロレンス(ラシッドの方を向いて。)それは私だ。感謝するよ、ラシッド。しかし私は落ちなかっただろうな。
 ラシッド まさか。アラーの神だって助けはしなかったですよ、きっと。
 ロレンス それはそうだ。
 ラシッド じゃ、誰が。
 ロレンス 私が信奉している唯一の神だ。(自分の頭を叩いて。)ここにそれは住んでいる。粗末な御社(みやしろ)だがね。その名は「意志」と言う。(ラシッドを通り越して、右手中央に行き、ハメッドを見る。)ああ、どうやらよほどいい夢を見ているらしいぞ。これを起こしたら、殺されちゃうな。
 ラシッド(ロレンスの左手に進み。)夢を見させておきましょうよ、エル・アウランス。(大袈裟に疲れを見せて地面うずくまり。)そして私も彼と一緒に同じ夢を・・・
 ロレンス(優しく。)夢以外のことではラシッド、君は何でもかんでもみんな彼と一緒なんだ。夢ぐらい彼一人にさせておいてやるんだな。それにどうせあと七分で終になるんだし。(中央に進む。)
 ラシッド(哀願するように。)エル・アウランス、どうして夕方まで待てないんですか。たったの五時間の違い。それがどうなるっていうんです。
 ロレンス(岩の上に坐って。)その五時間が、戦争に勝つか負けるかの差になるんだ。
 ラシッド(立ち上がってロレンスの右手に行き。)戦争?(哀願するように。)あなたには悪いですけどエル・アウランス、あなたはイギリス人、私はアラブ人。あなたには分かっていないんです。この五日間、何かと言えばあなたは戦争、戦争、です。でも戦争なんかどこにもありません。(うずくまる。)私達はトルコと戦ってはいます。連中が嫌いだからです。連中を殺すことが出来る場所、出来る時、には連中を殺します。そして殺し終ったら家に帰ります。あなたはアラブの国と言います。でもアラブの国なんてどこにもありません。私達の部族はハリフです。隣の部族はマスルー。この二つの部族は宿敵です。マスルーの人間を殺すことが出来る時に、もし私がトルコ人を殺したとなれば、私は私の部族の血と掟に反したことになります。ハリフとマスルーだけが反目しているのではありません。反目している部族は他にいくらでもあります。そんな状態で、どうしてアラブが国ですか。どうして共通の軍隊を持てますか。そして軍隊がなければどうやってトルコと戦うというのです。(舞台下手に進み、じっと前方を見つめて坐る。)だからアラブ対トルコの戦争なんてないのです、エル・アウランス。それはあなたの馬鹿な夢なのです。
 ロレンス 分かった。それは私の馬鹿な夢なんだ。(時計を見る。)あと五分。それで出発だ。
 ラシッド(うんざりして。)トルコ側のメディナで待ち受けている大砲は、フェイサル王の軍の何千倍の人数があったって攻略出来ない代物なんですよ。我々の、ただこれだけの人数を持って行って何になるっていうんです。そんな無意味なことのために、死ぬほどの強行軍をやるっていうのはどういうことなんです。
 ロレンス 違うな。メディナ攻略のための助っ人を持って行ってるんじゃない。それを止めさせるための人間を運んでいるんだ。
 ラシッド 止めさせるための人間・・・つまり、あなたですか?
(ロレンス、頷く。)
 ラシッド(膝をのばして立ち上がり、じっとロレンスを見て。)無理ですね、あの人を説得するのは。全く気違いですよ。あの人はトルコ軍をヘジャズから追い払えると信じこんでいるんですからね。
 ロレンス 私もそう信じているんだよ、ラシッド。そして私は気違いじゃないんだ。
 ラシッド(笑う。)アラーにかけて、それはあなたの方がよっぽど気違いです。(また、踵の上に坐る。)砦を攻略しないでトルコ軍をヘジャズから追い出すなんて、そんなことがどうして出来ます。
 ロレンス 砦を攻略しないから可能なんだよ、ラシッド。
 ラシッド つまり、トルコ軍と戦わないで勝つという・・・?
 ロレンス そう。戦争をせずにね。戦争なしでだ。
 ラシッド 素晴らしい謎々ですね、エル・アウランス。
 ロレンス 答は簡単だ、ラシッド。辺りを見ればよい。
(ラシッド、立ち上がる。)
 ロレンス ちょっと見りゃ分かることだ。(地平線を指さして。)何が見える。
 ラシッド 何もない。ただの広い場所です。
 ロレンス(左手の方を指さして。)そしてこっちには・・・何が見える。
 ラシッド(やっとのことでそっちを見て。)ラクダです。
 ロレンス 砂漠とラクダ、強い武器だ。トルコ中の兵器を集めて来たって、これほど強い武器はない。これさえあればフェイサルは戦争に勝てる。ただ我々が間に合わなければ駄目なんだ。フェイサルがメディナの大砲に対抗して馬鹿なことをしないうちに。そんなことをやれば、自分の軍隊を破滅させるんだけじゃない、信念も勇気も破滅してしまうのだ。
(左手から銃声が聞こえる。その後から混乱した叫び声。ハメッド、目を覚まし、伸びをする。)
 ロレンス(ラシッドに。)何なのか見て来るんだ。つまらないことにエネルギーを使うんじゃないと言うんだ。まだ旅は続く。力を溜めておけとな。それから弾丸(たま)もだ。トルコ軍用にとっておけ、無駄にするなと。(立ち上がる。)全員騎乗だ。
(ラシッド、左手から走って退場。弾丸ベルトを地面に残して。)
 ロレンス(ハメッドの方に進み、足でハメッドの身体を押す。)夢はもう終だ、ハメッド。出発の時間だぞ。
(ハメッド、ロレンスを見上げる。当惑した様子。それから急に飛び上がり、ピストルを構える。)
 ロレンス(ハメッドからピストルを取り上げ。)このピストルが口をきけたら、多分言うだろうな。「ハメッドさん、あなたのご主人の、私への扱いを見ましたか。大事にしてくれるじゃありませんか。私のご主人がすぐにでも使えるようにと。」(ロレンス、ハメッドにピストルを返す。)
(ハメッド、無表情にピストルを受け取る。)
 ロレンス 違うか、ハメッド。
(ハメッド、返事の代わりに唐突に正面を向き、ピストルのロレンスの触れた部分に静かに唾を吐き、袖でそこを磨く。)
 ロレンス(溜息をついて。)やれやれ、君とのこの戦争もアラーが短いものにしておいてくれているといいんだが。さもないと、この会話のないという状態が仕舞いにはやり切れないものになるだろうからな。
(ハメッド、さっとロレンスの顔を見る。)
 ロレンス(陽気に。)そうなんだ、ハメッド。(中央に進んで。)「仕舞いには」ね。私はフェイサル王に君とラシッドの二人に、私のボディーガードをこれから先ずっとやって貰うよう頼むつもりでいる。(右手中央に行って。)だから君が私みたいな人間に仕えるのを止めたいなら、その方法はただ一つなんだ。私にそれを口を使って頼むんだね。そしてその唾吐きなしでだ。
(ハメッド、このニュースは明らかに彼にとって不満なものだが、全く無表情。ラシッドが残して行った弾丸ベルトを拾い上げる。)
 ロレンス ラシッドは大丈夫だ、ハメッド。私が今、用を頼んだのだ。
(ラシッド、左手に走って登場。緊張の面持ち。)
 ロレンス(ラシッドに。)どうした。
 ラシッド(息を切らせて。)モロカン族のマームッドが、アジェイリ族のサレムを殺したんです。サレムがマームッドの部族を侮辱したので、マームッドは寝ているサレムを、ライフルで撃ったんです。アジェイリの連中はマームッドを縛り上げて、禿鷹の餌に、ここに置き去りにすると言っています。
 ロレンス(すぐに。)モロカン族は? 連中はどこにいる。
 ラシッド アジェイリ族に見張られています。背中に銃を突きつけられて。モロカン一人に二人づつついているんですから、何も出来ません。
 ロレンス それで、その他の連中はどうしている。
 ラシッド 自分達には関係のないことだと言っています。あなたの言うことならききます、エル・アウランス。でも私では駄目です。
(間。ロレンス、地面をじっと見つめる。)
 ロレンス(やっと。静かに。)分かった、ラシッド。私の言うことなら聞く筈だ。私が今、ここでは隊長なのだからな。
(ハメッド、唾を吐く。ロレンスと目が合う。)
 ロレンス(少し声を上げて。ハメッドに。)砂漠に出れば連中はもう兵士なのだ。そして私がそれを指揮している。もしマームッドが人を殺したのなら、彼は殺されねばならない。しかし、(自分の考えを言葉にするのに困難を感じながら。)それは私の仕事だ。兵士同志でやるものではない。
 ラシッド アジェイリ族は黙っていませんよ、それでは。連中は自分で手を下さなければ。そうでないと、名誉が回復されないと思っています。
 ロレンス じゃ、モロカン族の名誉の方はどうなるんだ。背中に銃が突きつけられなくなった時、モロカン族はどう復讐するか、お前だってよく知っている筈だ、ラシッド。私だって知っている。すると今度はまた、もう一人モロカン族が殺される。次にまたアジェイリだ。そいつは駄目だ。命一つに対しては命一つで贖(あがな)う。(ピストルを取り上げ、無意識に指で触る。)モロカンが復讐したいのなら、私を殺せばいい。そうすれば死ぬのはただ、キリスト教徒だ。それ以上の血の争いはない筈だ。(自分のピストルを見る。)昔は二十ヤードの距離からマッチ箱にあてたものだが、今一ヤードの距離で、人が殺せるか。(ゆっくりと左手に進む。)
(ラシッドとハメッド、ロレンスの後に続こうとする。)
 ロレンス いや、ここにいるんだ。
(照明、やや暗くなる。)
(ロレンス、左手から退場。その時・・・)
(照明、全く暗くなる。)
(暗闇の中で、最初混乱した叫び声。次に一瞬置いて、もっと大きな叫び声。次に急に沈黙。それから苦しみと恐れの叫び声が響く。「止めて、エル・アウランス。お情けを! 殺さないで!」次にピストルの発射音。暫く置いて、あと二発。)

     第 六 場
(場 トルコ軍本部。)
(前面の幕が壁の代わりをしていて、その上に大きなヘジャズの地図が貼ってある。トルコ軍の将軍と大尉がそれを見て話している。将軍は乗馬用の笞を手に持っている。デラー地区担当の将軍である。伝令が手にノートと鉛筆を持って立っている。)
 将軍(地図を指さしながら。)最新の報告によると、それなら、この辺りにいるというんだな、あいつは。
 大尉 もっと東です。(指し示す。)この辺り、もっとワディー・サーハンによった場所です。
 将軍 鉄道から百マイル以上離れた場所じゃないか。正しい情報なのか、それは。
 大尉 諜報部で確かめたものです。
 将軍 あいつの一番最近の列車襲撃はいつだったんだ。
 大尉 二日前です。一一二一キロメートル地点。(指し示す。)三箇所を爆破されました。
 将軍 それからは何もないのか。
 大尉(中央右手に進みながら。)はい。多分我々の線路巡視隊の強化で、危ないと感じたのではないかと思われます。
 将軍 この数箇月、あんなに大活躍した男だ。そんな楽観的な考えはとても信じられん。しかし、フェイサルから離れてどうしてそんな東に行ったのだ。(伝令に。命令的に。)次を書き留めろ。
(以下、書き取らせる文章を言う。)
(伝令、書く。)
 将軍 「布告。南アラビア全域の住民に告ぐ。このところ列車襲撃他、破壊活動を行っているイギリス人のスパイ、「ロレンス」、またの名を「エル・アウランス」「ロレンス・ベイ」或いは、「エミール・ダイナマイト」は、アラビアの国家財産に対し夥しい損害を与えている。特にダマスカス・メディナ間の列車及び線路に著しい。(中央に進んで。)これはメディナへの武器・物資輸送に大きな脅威となっている。(中央右手に進み。)従って、賞金一万ポンドを・・・」
 大尉(見上げて。驚いて。)そんな大金を。ダマスカスに許可を求めなければ・・・
(将軍、大尉を笞で打つ。)
 将軍 私が手紙を書く。(中央に進み、続ける。)「賞金一万ポンドが、彼の逮捕に直接繋がる情報提供者に対して支払われるであろう。以上。デラー地区担当司令官。」
(伝令に「行ってよい。」と合図。)
(伝令、退場。)
 大尉 テロリストに対しては、その金額は高すぎるのではないでしょうか。
 将軍 テロリストにはな。しかしロレンスに対しては高すぎはしない。
 大尉 どこに違いが・・・?
 将軍 単に煩(うるさ)いだけの人間と、脅威を与える人間との差だ。
 大尉 脅威を与える・・・(軽蔑的に。)エミール・ダイナマイトが?
 将軍(地図に戻って。)エミール・ダイナマイトは爆薬の扱いに慣れているだけじゃない。あいつには例えば、戦略がある。地方のちょっとしたいざこざを、二三箇月で大域的な混乱にまで巻き込んで行くその戦略。お陰でメディナは孤立してしまった。その男に一万ポンドは安い。(地図を指さす。)お陰でトルコの主力軍隊は、南アラビアの地にまで降りて来なければならなくなった。軍力は他の地でこそ本来、必要だっていうこの時期にだ。(上の空の目付きで。)いや、安い。これほどの男に一万ポンドは安い。(急に何かを思い出して。)ワディー・サーハンの近くにだと? そう言ったな確か、お前。
 大尉(地図の方に進みながら。)はい。(指し示す。)ここです。
 将軍 そうだ。読めていて当然だったじゃないか。アウダだ!
(暗転。)
(暗闇の中で、アウダの戦闘の歌が聞こえる。アラブの楽器がそれに伴奏。)

     第 七 場
(場 アウダのテントの外。)
(舞台は左手から左手中央まではテント。観客の方に向かってテントが開いている。テントの前、地面に、絨毯が敷かれ、その上に真鍮の盆があり、三個の茶碗とすりこぎがのっている。左手に鉄製のトランク。右手にアウダの旗。華奢な旗立てに立ててある。)
(照明がつくと、歌はどこか遠くから聞こえていることが分かる。アラブの服装をしたロレンスが、右手中央にうずくまっている。目は半分閉じている。ラシッドが右手から登場し、ロレンスの左に膝まづく。)
 ラシッド(低い声で。)エル・アウランス、困ったことになりました。
(ロレンス、ゆっくりと頭を上げる。思索の糸を途中で切られたように。)
 ラシッド ハメッドが今噂を聞きました。トルコ軍が、この野営地に最近来たらしいです。非常な歓迎を受けているそうなのです。
(ロレンス、ラシッドをぼんやり見る。まだ、明らかに考えはここにない。)
 ラシッド(必死に。)エル・アウランス、アラビア中に知られているんです。このアウダという男は、金が好きで、トルコ軍からも平気で金を受け取っていると。逃げましょう。ハメッドもそう言っています。
 ロレンス じゃ、ハメッドが自分でここに来て、それを私に言うんだな。
 ラシッド 彼にそれが出来ないことを百も承知の筈ですよ。(ゲラゲラ笑って。)今じゃもう、前よりもっと難しくなってるんです、あなたと口をきくのは。大変な誓いを立てちゃったんですよ、あの調子じゃ。
 ロレンス つまり、そうでもしなきゃ、口をききたい誘惑が抑えられないって訳だ。
 ラシッド そうです。口をききたいんですよ、あなたと。
 ロレンス 「宗教的拗ね(すね)」ってものがあるとすれば、あいつの場合、世界の歴史の中でも最長の部類だな、きっと。
 ラシッド(真剣に。)ラクダはもう用意が出来ています、エル・アウランス。今でも逃げられます。
 ロレンス(静かに。)いや、ラシッド。まだだ。いつにするか、それは後で言う。
(アウダ、テントから登場。肩にライフルを吊っている。非常に神経を集中して手に持った地図を見つめている。ロレンス、ラシッドに合図。)
(ラシッド、右手から素早く退場。アウダ、左手のトランクの上に銃を乗せる。それから右手中央に進み、地図から目を離し、ロレンスを睨みつける。)
 ロレンス それで?
 アウダ(間の後。)駄目だ。不可能だ。
 ロレンス ほほう。一体何時からですかね、アウダ・アブ・タイが、企てを計算する時に可能、不可能を考慮するようになったのは。
 アウダ エル・アウランス、私が君を知ったのは、たった二三時間前だ。それでも私は、君が思っているよりはずっと君のことをよく分かっているつもりだ。君の腹にはな、「アウダは年寄りだ。お世辞が一番効く。俺の言うことをきかせるには、やつの若い時のことを思い出させればいいんだ」と、これなんだ。(ロレンスの左手に寄り、急に怒鳴る。)勿論私は、不可能という言葉を無視した時期があった。あれは四十年前だった。我々の十倍もの人数の部族に、百人ほどの手勢を率(ひき)いて南砂漠を突っ切り、復讐したこともあった。やつらが、私の部族を侮辱したからだ。そして神かけて言う、十分に復讐を実行した。その時には、この腕で七人の敵を殺したのだ。
 ロレンス 七人? アウダの歌では十人ですけど?
 アウダ(左手中央に進み、意に介する様子なく。)勿論他にも傷が重くて死んだやつがいたろう。(中央に進む。)そうだ、あの復讐こそ、不可能なことだったんだ。あれだけじゃない。他にもあった。(声の調子を変えて。)しかし私はもう二十歳じゃない。それに、一体何だ、君の提案してきた代物は!(振り向いて。)ケリム!
(ケリム、テントから登場。)
 アウダ あの男に歌を止めさせろ。でないと直ぐさま首をはねるぞ。歌詞がなっとらん。物を考えるのに邪魔だ。
(ケリム、左手から退場。)
 アウダ(ロレンスの方を向いて。)私のような例外的な男にでも、越えるか越えるべきでないか、可能不可能の一線がある。しかし何だ、君の話は。君の話の越えるべき一線は、可能不可能の間にはない。不可能と、気違いが見る夢、の間にあるんだ。
(歌、突然止む。)
 アウダ やれやれ! あの歌は五十六番まである。私の戦った戦争についてが半分、それと同じ数の私の妻を讃える歌が、その丁度半分だ。神の御心か、その数が同じなんだ。
 ロレンス それでは、その戦争の方に、かってなかった最大のものを付け加えて、奥さんの数より一つ上回るようにしたらどうでしょう。
(アウダ、ロレンスの左手に進み、地面の上に、彼の横に坐る。)
 アウダ(熱を込めて。)エル・アウランス、私だってトルコは好きじゃない。それにフェイサルは友人だ。彼と手を組んだっていい。しかし、君の言っていることは一体何なのだ。あのエル・ホウルを突っ切る? あのアラビアで最悪の砂漠を。おまけに一年中で一番酷い時期に。禿鷹も鷲も寄りつかない、太陽が人間を炙り出し、人は次第に気が狂ってくる。昼も夜も焼けつくような風が吹いて、皮膚がそのためにはぎ取られて行く・・・恐ろしい砂漠なんだ、あのエル・ホウルは。そしていいか、この「恐ろしい」という言葉は滅多なことではこのアウダ・アブ・タイからは出ないんだぞ。
(ケリム、左手から登場し、テントの中に退場。)
 ロレンス(静かに。)その言葉は、かのアウダ・アブ・タイには無縁のものと思っていましたが。
 アウダ いいか、おべっかを使っても井戸は掘れないぞ。それに、敵が井戸の中に毒を入れるのを防げもしない。エル・ホウルのあちこちに散らばっている井戸にだ。連中は必ずそれをやってくるだろうからな。我々の計画を知れば直ぐさま・・・それに連中は知るに決まっている。
 ロレンス 連中が我々の計画を知る? どうして。
 アウダ このアウダの行動が見張られていないとでも思っているのか。五百人を率いて、どこかに出発する。トルコ側が不審に思わない訳がない。
 ロレンス それは、何だろうと思うでしょう。でも正しい答に行きつけますか?
 アウダ 連中だって馬鹿じゃない。
 ロレンス そうです。馬鹿じゃありません。だから尚更です。尚更、正しい答には辿りつけないのです。(地図を指さす。)エル・ホウルを突っ切る、アカバへの総攻撃。もしアウダにさえこれが気違い沙汰に見えるなら、トルコ軍には一体どう見えるでしょう。
 アウダ(くすくす笑って。)なるほど、こいつは理が通っている。連中は想像だにしないだろう。
 ロレンス(地図を取り上げて。)しかし用心に越したことはありません。出発の時は、北西の方向に進むことにした方がいいでしょう。鉄道襲撃に見せかけるために。
 アウダ(相手の言葉を遮って。無意識に。)フェイサルには金はあるのかな?
 ロレンス あるのは、残念ながら、金じゃないですね。アウダ・アブ・タイに上げられるものは、約束だけです。その点は私も同じです。
 アウダ 何を約束するっていうんだ。もし私がこの気違い沙汰に付き合ったとしたら。
 ロレンス トルコ側が与えることの出来る賞金より、もっと大きなもの。
 アウダ すると相当大きなものになるな。具体的には?
 ロレンス 世界的な称賛です。アラブの歴史における最も輝かしい軍事行動としての。
(間。アウダ、地図を取り上げる。)
 アウダ(地図を見つめて。)アカバ! イギリス海軍の、あの偉大な力をもってしても、敢えて攻撃する勇気を持たなかった・・・
 ロレンス いやいや、攻撃はしました。
 アウダ で、敗北か。
 ロレンス いいえ。我が海軍に敗北はなしです。
 アウダ すると?
 ロレンス 効果的爆撃の後、引き上げたのです。
 アウダ トルコ軍の大砲にしてやられたんだな。
 ロレンス 非常に強力な大砲です。
 アウダ 私には大砲などないぞ。
 ロレンス いらないんです、大砲など。アウダ・アブ・タイには。
 アウダ いらない? 何故だ。
 ロレンス どんなに強力でも、うしろに発射出来る大砲はありません。
 アウダ(間の後。)ああ!(前方を指さして。)すると、全部海の方を向いている?
 ロレンス そう。全部海を。
 アウダ で、固定されている?
 ロレンス そうです。
 アウダ(間の後。)で、トルコ軍の兵力は?
 ロレンス あの地域で二千。
 アウダ こちらは五百。
 ロレンス 四対一。この開きは、アウダ乗り。
 アウダ(くすくす笑って。)アウダ乗り、か。(立ち上がり、中央に進んで。)陸からの攻撃には何も備えていないと言うんだな。
 ロレンス なしです。
 アウダ そんなことは不可能だと?
 ロレンス 気違いの夢です。
 アウダ(くすくす笑う。)馬鹿な奴らめ。陸地に向かっては何もない、と言うんだな?
 ロレンス 少し、ほんの少しはあります。でも奇襲は簡単です。
 アウダ(左手に進んで。)真夜中に、ラクダ部隊で突撃。私の突撃の号令。それだけで連中は寝床の中で震え上がる。後は敵味方入り乱れて白兵戦。
 ロレンス 号令の声、兵士の雄叫び、それだけで連中は白旗です。
 アウダ(ロレンスの左手に進み、本気で怒って。)そんなことがあってたまるか! いいか君、こんなに酷い時期、さんざんな目にあいながらやっとの思いでエル・ホウルを突っ切る。その報酬ってやつが、ちゃんばらのない白旗だと? 馬鹿げたことを言うな。
 ロレンス じゃあ、まあ、アウダの突撃の号令は止めにして・・・
 アウダ 馬鹿を言え。そいつは止める訳にはいかん。誰によってやつらが殺されているか、やつらにも知っておいて貰わねばならん。すると、昼間だな、突撃は。十分に予めこちらの来たことを教えておく。
 ロレンス あまり「十分に予め」は・・・
 アウダ 分かった。ほどほどにだ。アカバ!(左手に進む。回れ右してまた急に右手に戻る。)こいつはフェイサルにはすごい贈り物だぞ。
 ロレンス 南アラビア全土です、その贈り物は。
(蹄の音。)
 大尉(部隊の裏で。)全員、騎乗の儘。
(アウダ、急いで右手中央に行き、地図を服の中に隠す。トルコの大尉、右手から登場。ロレンスの後ろを通ってアウダの前に立ち、礼をする。ロレンスの方は見ない。)
(お付きのトルコ兵士が一人、大尉の後ろに続いて登場。右手に留まる。)
 大尉 暫くだったな、アウダ・アブ・タイ!
 アウダ そちらも御元気そうで、大尉。
(ロレンス、目立たぬように立ち上がり、去ろうとする。しかしトルコの兵士によってそれが出来ないことを知る。ロレンス、再び戻り、うずくまる。この芝居の最初の場でうずくまった、あの同じ姿勢。頭を下げている。大尉、ポケットから小さな箱を取り出す。)
 大尉 司令官から山々宜しくとのことだ。これは贈り物だ。以前そちらから頼まれたものだ。(箱を差し出す。)
(アウダ、ひったくるように、それを受け取る。)
 アウダ ほほう、こいつは仕事が早い。(箱を取り上げる。)
 大尉 司令官はすぐダマスカスに電報を打って、鉄道で送らせたのだ。
 アウダ ウーン、こいつはいい出来だ。(中身を開けて見て、喜ぶ。入れ歯である。)アラーにかけて言う。今までの入れ歯はみんな偽物に見えるぞ。こいつは本物中の本物だ。いや、この哀れな召使めに、司令官殿は実によくしてくれる。この素晴らしい品。ご恩は忘れない、決して。
 大尉 喜んで戴けたことをお伝えする。司令官もさぞ喜ぶだろう。
 アウダ 日に当てると、見ろ。こんなに光るぞ。こいつを嵌めれば、私はまた若返る。そうだ大尉、今夜は一緒に食事だ。こいつが私の口の中でどういう働きをするか、見て帰ってくれ。
 大尉 それはちょっと無理だ。私はすぐ帰らないと。
(ケリム、コーヒーの壺を持って登場。次の台詞の間に、三杯のコーヒーを注ぎ、それから、アウダ、大尉、ロレンスの順に茶碗を配る。)
 アウダ(まだ入れ歯に見惚れて。)そいつは残念だな。お返しに私から何が欲しいか、司令官によく訊いておいてくれ。
 大尉 その答は知っている筈だが。
 アウダ ああ、そうか。そうだったな。(入れ歯を箱に戻して、トランクの方に進み、箱をその上に載せる。)しかし君、その男は必ず私のところにやって来ると、君達は確信しているようだが、それは何故なんだ。
 大尉 反乱軍に味方させようと、君のところに説得しに来る。まあ、司令官はそう確信しているんだ。
 アウダ まさか。無茶な話だ。
 大尉 そいつがそんな無茶をやる程の馬鹿だといいんだが。報奨金は君に取って貰いたいと、司令官はそう言っている。他の誰よりもね。
 アウダ(興味を持って。)報奨金? 何だ、それは。今まで聞いたことがないぞ。
 大尉 あの時にはまだ本部の許可が取れていなかった。だからまだ言ってなかったのだ。
 アウダ(ぼんやりと。)いくらなのだ。(コーヒーを啜る。)
 大尉 一万ポンド。
 アウダ(コーヒーを戻しそうに。)一万! 驚いたね。このイギリス人は、それだけの値打ちがあるのか?
 大尉 司令官はそう見ている。(コーヒーを啜る。)
 アウダ 一万ポンド。(突然頭を下げているロレンスに話しかける。)聞いたか君、今の話を。
(間。それからロレンス、ゆっくりと頭を上げる。大尉、ロレンスを見るが関心なし。)
 ロレンス(アウダの方に顔を向けて。)ええ、聞こえました。
 アウダ 君の意見は。
 ロレンス くだらないやくざ者に、随分な賞金ですね。
 アウダ 随分な賞金だ。うん、実に高額だ。どうだ、君、私がそれを手に入れるっていうのは。
 ロレンス いえ、それよりは私が手に入れたいものです。
(大尉、面白がって笑い、コーヒーを啜る。)
 ロレンス 私が駄目なら、それはアウダ・アブ・タイでなければ。大き過ぎる賞金など、アウダにはないのですから。
(間。)
 アウダ(大尉の方を向いて。)忠誠心のある立派な言葉だ。なあ、大尉。(ケリムに出て行くよう合図。)
(ケリム、この後のやり取りの間にコーヒー茶碗を纏め、テントの中に退場。)
 大尉 そうだな。(安心させるように。)なあアウダ、我々も君のことを疑ったりしてはいない。君も君の部下全員も。ただ、このイギリス人は気をつけた方がいい。実にうまいんだ。お世辞、諂(へつら)いで人を騙す。いい人間を反逆へと誘うんだ。
 アウダ そして見下げ果てた人間に変えてしまう?
 大尉 その通り。
 アウダ 服装は白。普段は。
 大尉 という話だ。
 アウダ アラブ人には見えない。イギリス人に見える。
 大尉 そう。しかし、そんな人相書はどうでもいい。彼は必ず君のところにやって来る。それで・・・
 アウダ それで・・・?
 大尉 一万ポンドを手に入れるにはどうすればいいか。アウダはちゃんと知っている。
 アウダ うん、それは知っているな。(左手に進む。)
 大尉 今の言葉を司令官に伝えておくぞ、アウダ。(アウダに敬礼。)
 アウダ(ロレンスに。急に。)大尉をお見送りするんだ。
(ロレンス、立ち上がる。)
 大尉 いや、それには及ばない。
 アウダ アウダの陣営にも礼儀はある。さ。
(ロレンス、大尉の後につく。)
 大尉(微笑んで。)神の御加護のあらんことを、アウダ。
 アウダ 同じく、大尉にも。
 大尉(ロレンスに。)ああ、これは有り難う。
(大尉、再び敬礼。右手から退場。)
(ロレンスと兵士、後に続く。アウダ、急いで右手に進み、その後を見守る。緊張して、心配そう。)
 声(舞台裏で。)巡視隊、出発!
(馬の蹄の音。それが遠ざかって行く。アウダ、安心して肩を竦(すく)める。)
(ロレンス、右手から登場。)
 アウダ やれやれ、エル・アウランス。何ていう冗談だ。忘れっこない冗談だぞ、こいつは。
 ロレンス(低い、震えの止まらない声。)忘れるのは難しいでしょう。
 アウダ(ロレンスの腕に触って。)何だ、震えているのか。
 ロレンス ええ、そうです。
 アウダ 怖かったのか。
 ロレンス ええ。
 アウダ 何が怖いんだ。あの下らないトルコの士官、ついて来た兵隊達が怖いのか。この野営地には、味方は五百だ。二十秒もあればたっぷり連中に思い知らせてやれるんだ。
 ロレンス そうでしょう。思い知らせてやる気になれば。問題は、その気になるかどうかです。
 アウダ おいおい、私が命令しさえすれば、連中はその気になるに決まっているじゃないか。
 ロレンス しかしその命令を下したでしょうか、アウダ・アブ・タイは。
 アウダ 疑うのか、それを。
 ロレンス ええ。
 アウダ しかし、私がもし賞金が欲しいなら、何もそんな・・・
 ロレンス いや、アウダ、ちょっと。私にだってアウダの心は読める。そんなに難しいものじゃない。客を裏切るのは大きな罪だ。しかし、一万ポンドは一万ポンド。賭けをしてみる価値はある。それに、もしあの大尉の方でこの男を見破ったのなら、アウダは裏切ったことにはならない。そして、見破って貰うためには、まずこの男に顔を上げさせ、大尉にイギリス人特有の顔付きを発見させ、それから立ち上がらせて、その白い衣服と、その男の背がそんなに高くないことを見せねばならない。
 アウダ(くすくす笑って。)何て馬鹿な奴なんだ、あいつは。勿論私はあいつが馬鹿なのを知っていた。そうでなきゃあんな危険は犯さなかったさ。
(ロレンス、アウダを見る。答えない。)
 アウダ(テントの方に進み、振り返って。)さ、中へ。計画を練らねば。
(ロレンス、動こうとしない。)
 アウダ 分かった分かった。認める。私は確かに誘惑にかかった。君の提案してきたものは名誉、連中は金を提示した。両方とも私の非常に好きなものだ。だから賭けをした。そして勝ったのは名誉の方だった。もうこれで後戻りはない。
 ロレンス しかし、もし連中が私の値を吊り上げたら?
 アウダ ああ。しかし、値は吊り上がらない。吊り上がるのは我々がアカバを占領した後だ。(左手、トランクの方に進む。入れ歯を入れた箱を見る。)
(ロレンス、微笑む。肩を竦め、テントの方に進む。アウダ、箱を取り上げ、突然地面に叩きつける。ライフルを取り、台尻で何度も箱を叩く。暫くして止める。屈んで、壊れた破片を拾う。惜しそうに、じっと眺める。それから思いを振り切るように、それを捨てる。)
 アウダ 名誉への道だ。
(アウダ、片腕をロレンスの肩にかけ、テントの中にロレンスを導く。)
(暗転。)
(暗闇の中で、「ティッペラリー」が、少しガサガサいう蓄音器から聞こえて来る。)

     第 八 場
(場 スエズの近く。イギリス軍の小さな仮兵舎。仮兵舎への入口は中央奥。右手にベッド。その上に旧式の角笛式の蓄音器。それに数枚のレコードあり。扉の左手に、木で出来た箱。その上に電話器。疫病のため、この仮兵舎は廃棄されている。従って、空家特有の荒れ方。)
(照明がつくと、扉は開いていて、そこから夕方の空が見える。丁度日の入り。蓄音器はまだ「ティッペラリー」を演奏している。イギリス軍の伍長が扉の左手にいて、大きな噴霧器で電話器に消毒液を撒いている。そこが撒き終り、ベッドの方に進む。鼻唄でレコードの曲に合わせて歌う。ベッドの上に彼のライフル銃が置いてある。ハメッド登場。辺りを見回す。疲れ果てていて、服装も砂漠で埃まみれ。)
 伍長(身振りで示しながら。)おい、こら、シーッ、シーッ!
(ハメッド、これを全く無視。電話器に進む。)
 伍長 出て行くんだ、こら。おい、出て行け! 今すぐ! 出て行かないと撃つぞ。撃たれたくはないだろう? ここはイギリス軍だ。軍の所有物なんだ。俺が責任者なんだぞ。分かるな? シーッ!
(ハメッド、相変わらず伍長に全く気を留めず、受話器を取り上げる。怖そうな手つき。どうやら感電するのではないかと思っている様子。ビリビリっと来なかったので、安心して暫く耳をつけて聞く。相変わらず伍長には注意を払わない。電話から聞こえてきたものに安心して、受話器を置き、退場。伍長、肩を竦め、消毒液散布を続ける。レコード、終に来て、伍長、蓄音器に進み、それを止める。)
(ロレンス登場。ハメッドと同様、砂漠の埃で服装が汚い。太陽が沈み、日が暗くなる。)
 伍長 糞っ、まただぞ。(叫ぶ。)こら、おい!
(ロレンス、電話器に進む。)
 伍長(ロレンスに消毒液をかける。)地獄に行け、アラブの野郎め! もう一人の奴も撃ち殺すところだったんだぞ。今度こそ貴様、出て行かないと撃ち殺すぞ!
 ロレンス 故障してないか? 伍長。この電話は。
 伍長(間の後。)え? 英語か? 今のは。
 ロレンス そう。電話が故障していないか、訊いたんだ。
(受話器を取り上げ、耳をすます。)
 伍長(やっとの思いで。)ここは国有財産だ。私が管理の責任を負っている。疫病のために閉めているんだ。だから許可のない者は誰も・・・
 ロレンス(受話器に。)海軍本部を頼む。・・・至急だ。(箱の上に坐る。伍長に。)ああ、疫病か。だからだったんだな。この辺りを三十分もうろついたんだが、一体どうなったんだろうと思ってね。イギリス軍は戦争に飽きて、スエズを捨てて本国に引き返したのかと思っていた。
 伍長(電話器を指さして。)いいか、言っただろう? 許可のない者は・・・
 ロレンス(受話器に。)もしもし、海軍本部?・・・君の上官と話したい。将官以上だ。・・・メイクピース元帥? それでいい。・・・当直の士官? 駄目だ。責任の取れる人間を頼む。・・・夕食中でも構わん。・・・そんな命令は忘れるんだ、いいな。・・・私の名前か? 君に言ったところで分かる筈もない。地位も不要だ。ただこれだけは言える。元帥を今すぐ電話に出さなかったら、君は軍法会議にかけられる。三箇月の営倉行きだ。戦争終結を遅らせたかどでな。・・・ちょっとそのまま。(受話器の口に手を置いて、伍長に。)すまないが、君、水道から水をくんできてくれないか。
 伍長 あれは飲めません。沸騰させてから飲めという厳しい命令です。
 ロレンス 私は昨日水を飲んだ。その井戸には死んだ山羊が入っていた。
 伍長 は、はい、そう仰るなら。
(伍長、噴霧器を肩から下ろし、ベッドに置き、水差しを持って外に出る。)
 ロレンス(受話器に。静かに。)いいか。先程の質問に対する答はこれだ。・・・私の頭はいかれてはいない。私は単純な事実を話している。君が将官に伝えるかどうか、それに五百人の味方の兵士の生死がかかっている。そしてもう一つ。南アラビアで最も重要な敵の要塞の保持がかかっている。今現在、その五百の兵士は、その要塞の攻撃に成功し、疲れ果てている。食うものはラクダか、或いは敵の死骸しかない。放置すればまづ、敵の死骸から食い始めるだろう。・・・あ、頼む。
(伍長、水差しとカンテラを持って登場。)
 ロレンス(伍長から水差しを取る。)ああ、伍長、うまくいきそうだ。ただあいつめ、まだ私のことを気違いだと思っているようだが。(水を飲む。)
 伍長(礼儀正しく。)はあ、そうですか。酷いですね。
(ロレンス、水差しから猛烈な勢いで飲む。水をこぼしながら。暫くして水差しを置く。)
 ロレンス 外に四五人、兵隊を連れて来ている。水と食い物を与えてやってくれ。頼む。
 伍長(明かりを右手の床に置いて。)畏まりました。ただ私は、連中の言葉が分からないのですが・・・
 ロレンス 君が微笑んで、連中を人間として扱えば、事は簡単な筈だ。
 伍長 分かりました。出来るだけやって見ます。
(伍長、振り返り、出て行こうとする。銃のことを思い出し、取って、退場。)
 ロレンス(受話器に。)ああ、今日は、元帥。お呼び立て致しまして。・・・名前はロレンスと言います。大尉です。・・・いえ、単なる陸軍の大尉。突然ですが、駆逐艦をアカバに送って欲しいのです。・・・ええ、駆逐艦です。実を言いますと、駆逐艦である必要はないのです。いろいろ運ばなければならないものがありますから、もっと大きい方がいいのです。五百人の兵士のための食料、大砲六門、機関銃三十丁、陸軍が許し得る、出来る限り多くの銃と手榴弾、それに、装甲車が何台かあると有り難いです。それに、これが最も重要なことなんですが、現金で五万ポンド・・・五万ポンドです。・・・あ、失礼。まだお話しておりませんでしたか?・・・そうです。占領しました。・・・陸地からです。かなり手数のかかるやり方でしたが、うまくいきました。・・・いいえ、来るとは予想していなかった様子です。・・・ええ。敵の死者約五百人。それに捕虜七百人・・・味方ですか?・・・二人です。残念なことに、行軍の途中五人死にました。その中には私のボディーガードも一人。なにしろ砂漠は酷い荒れ方で。酷い砂嵐に三度、それに位置決定の私の計算が間違っていて、一回井戸のある場所に辿り着けなくて・・・いいえ元帥、これは冗談じゃありません。アカバは現在我々の手にあります。・・・前世紀の海賊といった風貌のアウダ・アブ・タイという男が現在そこを保持しています。彼の商売の話にのってはいけませんよ。あいつは必ずそこを売ろうとするでしょうから。では今夜船を出して下さいますね。トルコ軍は猛然と押し返して来ます。これから二三日、あそこの攻防は激しいものになる筈です。私のことをカイロにお伝え願えませんか? 私はちょっと疲れていて・・・いいえ、明日は駄目です。一日中寝ている筈です。それにきっとその次の日も。それ以降に私と連絡が必要な場合は、どうか今までの私のカイロの事務所に。・・・ああ、地図作りです。・・・ええ、司令官は私のことを知っています。ええ、マレー将軍とはよく言葉を交わす間柄です。・・・ええっ? 亡くなられた? 本当ですか?(明らかに喜んで。)そうですか。じゃ、誰が次を? アレンビー?・・・いいえ、存じ上げません。・・・有り難うございます。では、お休みなさい。(受話器を置く。立ち上がり、ベッドの方に進み、ベッドの端に坐る。)
(ハメッド、怒って登場。コーンビーフの缶詰を、汚らわしい物を持つ手つきで、自分から出来るだけ遠くに離して持っている。)
 ロレンス(見上げる。)どうした、ハメッド。
(ハメッド、怒ってロレンスに缶を突き出す。)
 ロレンス ああ、そうか。(缶を受け取る。)伍長はイスラムじゃないからな。アラーの規律を知らないんだ。許してやってくれ。(缶を床の上に置く。)ラシッドが死んでから、君が笑うのを見たことがないハメッド、一度もだ。しかし、それ以前は少しは笑うことも覚えてきていたんだ。(静かに。)教えてくれないか、君はこの私を非難しているのか。
(ハメッド、「いいえ」と意思表示。)
 ロレンス それを口で言ってくれないか。私に分かるように。
(ハメッド、「いいえ」と意思表示。)
 ロレンス それじゃ、誰にももう、微笑んではいないっていうことなんだな? 何に対してもなんだな?
(ハメッド、「そうだ」と意志表示。)
 ロレンス 君の悲しみのため、そしてそれだけのためにだな?
(ハメッド、「そうだ」と意思表示。)
 ロレンス 可哀相に、ハメッド。こんなことを言うのは決して君を侮辱しているからじゃないよ。だけど、君はいつか忘れるんだ。いや、「忘れる」というのは正確じゃない。君が忘れっこないのは私だって知っている。しかし、少なくとも、時が経つと、今君が感じている鋭さでは悲しまなくなる。・・・そして、その時が来るのが早いことを私は祈っている。さ、伍長に言って来よう、モスレムの兵士にもっと相応しい食料をとな。(立ち上がる。その姿、消耗の極を表している。扉のところまで行き、ハメッドには背中を見せた儘。)とにかく、君達全員にさよならを言わなければ。
 ハメッド(しっかりと。)戻っていらっしゃいます、エル・アウランス、あなたは。私達のところへ。
(ロレンス、ゆっくりとハメッドの方に顔を向ける。長い間。)
 ロレンス 他の連中が来るよ、ハメッド。イギリス人はいくらでもいる。きっと連中が必ずやって来る。
 ハメッド 他の人はいりません。あなたです、必要なのは。
(間。電話鳴る。ロレンス、受話器を取ろうとしない。)
 ハメッド あなたが戻って来て下さらなければ、エル・アウランス。私達に必要なのはあなたなのです。
(ロレンス、電話器に進み、受話器を取る。)
 ロレンス(受話器に。)はい。・・・はい、ロレンスです。・・・誰ですって?・・・副官?・・・ちょっと待って下さい。・・・(受話器に手で蓋をして、ハメッドに。)戻っていてくれ、ハメッド。私もすぐ行く。
(ハメッド、扉に進む。)
 ロレンス ああ、ハメッド・・・
(ハメッド立ち止まり、振り返る。)
 ロレンス 今の言葉、有り難う。君からの言葉なら、どんな言葉でも大歓迎だったんだけど、今の言葉・・・これぐらい嬉しいものは他にない。
(ハメッド退場。)
 ロレンス(受話器に。)失礼しました。・・・運河を渡るのに?・・・誰かボートを漕いでくれる人物がつくだろうと・・・え? 元帥のバルジ?・・・これはすごい。有り難うございます。
(受話器を置く。カンテラの方に進み、地面にあぐらをかいて、カンテラの横に坐る。)
 ロレンス(静かに。)ロス、お前はまだこの時の私を夢見ているのか。聞こえるか、ロス。(間。)私はやった。やり遂げたんだ。アカバを占領したのだ。職業軍人が思いつきもしない戦略をやってのけたのだ。南アラビアの鍵となっている基地を、五百人の、全く当てにならない、軍事訓練の行き届いていない、アラブの無頼漢を引き連れて奪い取ったのだ。お前はこの思い出が楽しくないのか。何故そんなに鬱々としているのだ。砂漠で、あのモロカンの男を、一発で殺せなかったからか。あんなに手が震えたのを恥じているのか。血腥(ちなまぐさ)いトルコ軍の兵士の死骸・・・列車襲撃の時ダイナマイトで死んだ、あの死骸のせいか。・・・エル・ホウルの行軍中に死んだ兵士達のことか。ラシッド、ラシッドのせいか。(間。)いや、戦争は戦争だ。敵は殺さねばならない。味方は死なねばならない。しかし、どんな鬼将軍のもとでやる戦争よりも、私のもとでやったこの戦争の方が戦死者は少なかった筈だ。(間。怒って。)私の名前を歴史に残そうとして何が悪い。アカバのロレンス・・・いや、アラビアのロレンスか・・・その名が残って、何が悪い。(間。)おお、ロス、何故私はお前になってしまったのだ。

     第 二 幕
     第 一 場
(場 カイロの軍本部。アレンビーの部屋。)
(二階にある、人を威圧するような部屋。中央奥、右手奥と左手奥に、大きなアーチ。右手奥と左手奥のアーチはバルコニーに通じている。そこから回教寺院の尖塔(複数)とドームが見える。バルコニーは帆布の日除けがしてある。中央に立派な机。その後ろに背の動く椅子。机の左手に肘掛け椅子。右手にも椅子。右手に革製のソファ。左手に安楽椅子。左隅と右隅には胸像。銅像立てにのせてある。中央のアーチにはイギリス王室の紋章が下げてあり、アーチの中には中近東の大きな地図が掛かっている。)
(幕が開くと、アレンビーが机の向こうに坐っている。非常に着飾った将校付副官が左手から登場。行進の時のような歩き方で進む。)
 副官 失礼します、閣下。
 アレンビー 来たか、連中が。
 副官 はい。
 アレンビー 通せ。
(将校付副官、左手から退場。アレンビー、立ち上がる。副官、左手から登場。端に寄って立つ。バリントンとストアーズ、左手から登場。)
 アレンビー お早う、大佐。ああ、ストアーズ、よく来たな。
(副官、左手から退場。)
 ストアーズ はい、閣下。規律の観念の薄い我が事務所でも、司令官殿の要請は、命令であると考えている様子でして。
 アレンビー(笑わない。)さ、どうぞ諸君、坐って。
(ストアーズ、机の左手の肘掛け椅子に坐る。バリントンは少し進んで、机の右手にある椅子に坐る。)
 アレンビー(こちらも坐って。)お呼び立てしたのは他でもない。君達が例のロレンスを知っていると聞き及んだからだ。
(ストアーズとバリントン、「そうです」と意志表示する。)
 アレンビー 人間として彼がどういう人物であるか、そういうことを君達から訊こうと思っているのではない。それは私が自分で判断する。これから直接彼に会うことにしているのだ。訊きたいのは、彼に指揮官としての素質があるかどうかなのだ。君の意見は? ストアーズ。
 ストアーズ ロレンスが指揮官?(考えながら。)彼は生まれつき学問の男です。行動の男ではありません。内向的で引っ込み思案、自意識の塊(かたまり)です。従って、決して自分の本心を他人に示すようなことはしません。自分自身を隠すために彼の取る態度は、はにかみの過ぎたものか、傲慢の過ぎたものか、軽々しさの過ぎたものか、そのいづれかになり、他人を当惑させます。彼の関心は唯一、彼自身の魂、彼自身の精神にあります。従って、当然のことながら、行動に一定の方向がありません。何かをやっているかと思うと、次の瞬間には別のことをしています。最後に彼は、権威というものに非常な軽蔑心を持っています。いかなる権威にも・・・特に軍隊に対して・・・
 アレンビー なるほど。あまり有望ではないな。
 ストアーズ いいえ、有望です。最も有望な指揮官になると私は思っています。
 アレンビー(不快の気持ちを表し、強く。)何故だ。
 ストアーズ 何故なら、今の私の性格描写は、シーザー以来、ナポレオンまで、偉大な指揮官の持つ共通の性格だからです。私自身も驚いているのですが。
 アレンビー(間の後、頷く。)バリントン、君の意見は。
 バリントン 残念ながら私は反対です。確かにアカバでは成功しました。どんな偶然が彼を助けたのか、我々には知る由もありませんが、しかしとにかくアカバでの成功を全て彼の腕によるものであると認めたところで、何の違いもありません。彼は頼りにならない人物です。役には立つでしょう。敵の後方に回ってスパイ活動をさせたり、ベドウィン達と列車を襲撃させたり。しかし、責任のある立場に置くなどと、飛んでもないです。断じて駄目です。もしお訊きしてよいのでしたら、どういう地位を彼に考えていらっしゃるのでしょう。
 アレンビー 私宛の報告書に、北アラブの一斉蜂起を提案してきている。それも十一月のギャザギャップ突破の、私の作戦に合わせようという話だ。(バリントンに。)ここではどうも、秘密保持がひどく悪いようだな。何故彼が私の作戦を、時、所、過(あやま)たず知っているのだ。
(バリントンとストアーズ、不満の意を表す。)
 バリントン それは逆です。秘密保持は完璧であるように思われます。私自身がその時も、所も知りませんでしたから。ストアーズ、君は?
 ストアーズ 知りませんでした。
 アレンビー じゃ何故彼が。どういう訳だ、一体。
 バリントン 推理であると思われます。
 ストアーズ 指揮官の重要な資質です、これも。
(アレンビー立ち上がり、右手のソファに進み、指示棒を取る。そして左手の地図に戻る。バリントン、立ち上がり、右手に進む。)
 アレンビー そうかもしれん。しかし推理の仕事も相手が違うな。私の方は止めて、敵側に限って欲しいものだ。彼の提案はこうだ。私の作戦に呼応して、アラブ部隊を別々に構成し、ヘジャズ鉄道の東方、マーンとダマスカスの間・・・ここだ。つまり、トルコの主要連絡線を攻略する・・・
(間。)
 バリントン(皮肉に。)かなり野心的な計画と言えますな。
 アレンビー(ぶっきら棒に。)かなりではない。ひどく野心的だ。私はこれを受け入れようと思っている。いやこれに限らない。彼の計画は全て受け入れるつもりだ。一つだけを除いて。それは、「この計画を実行するにあたり、高位の将官を充てるべきである」の部分だ。(アレンビー、指示棒を置き、机の前方に立つ。)私はロレンス自身をこれに充てようと思っている。
 バリントン(傷ついて。)一介の大尉を?
 アレンビー 今朝少佐に昇進させた。それに勲章の推薦もしてある。
 バリントン 昇進、勲章、たとえそんなものがあっても、その任命は危険です。お許し下さい、この物言いを。
 アレンビー(ぶっきら棒に。)君の趣旨には沿うんだな、ストアーズ。
 ストアーズ はい、私も自分の意見に固執します。
 アレンビー 参考になった、君達の意見は。感謝する。(机の上のブザーを押す。それから中央前方に進む。)
(バリントン、右手に進む。ストアーズ、立ち上がる。副官、左手から登場。)
 アレンビー ロレンス少佐はいるな?
 副官 今到着しました。
 アレンビー 通せ。
 副官 畏まりました。
(副官、敬礼をして、左手から退場。)
 アレンビー(ストアーズに。)この顔合わせはどうも恐ろしいな。ボードレールか何か、彼の得意な分野でこちらを圧倒しようとかかるかな。
 ストアーズ 大いにあり得ます。
 アレンビー 私の得意な分野で圧倒できればいいんだが。
 バリントン(中央右手に進みながら。)何でしょう、それは。
 アレンビー 花だ。
(バリントン、ぎょっとなる。ストアーズ、左手に動く。)
(ロレンス、左手から登場。制服は着ているが、決してサヴィル・ロウ仕立てのような上等なものではない。それが砂漠における活動で体重が減少しているため、ダブダブ。ロレンス、最初にストアーズに気づき・・・)
 ロレンス ああ、こんちは、ストアーズ。今日の午後にでも君に会おうと・・・
(ストアーズ、固い表情でアレンビーの存在を知らせる。)
 ロレンス あ、どうも失礼。(敬礼。しかしサマになっていない。)
(アレンビー、どんなことにも驚かないと決心していたのだが、これには口を出さずにはいられない。)
 アレンビー 驚いたね、これは。
 ロレンス 何でしょう。
 アレンビー 君の敬礼はいつもそうなのか。
 ロレンス はあ。何かまづいことでも?
 アレンビー ちょっとその・・・正式じゃないな。
 ロレンス 教わったことがありませんので。
 アレンビー しかし、教練は受けたことがあるんだろう?
 ロレンス はあ、それが、ないのです。陸軍省地図作成課に一九一四年、一般人の資格で入りました。私の仕事の中に、ある将軍に地図を届けるというのがあって、将軍はよく私を怒鳴りました。貴様みたいな一般人が何故この事務所にいるのだ。それに何故貴様は制服を着ていないんだ、と。それで私はある時、陸海軍用古着(及び小間物)店へ行って、この制服を買ったのです。
 アレンビー(微笑まない。)ということは、委託販売の許可も受けなかったということか?
 ロレンス ええ、多分。ええ、確かに。受けていたら覚えている筈です。
 アレンビー これを君に知らせるのは、私の喜びとするところだ。君は少佐に任命された。
 ロレンス(柔らかく。)ああ、そうですか。
 アレンビー それから、君をCBにも推薦してある。
 ロレンス(驚いて。)何です? CBっていうのは。
 アレンビー CB、バースの勲章。
 ロレンス ああ、有り難うございます。
 アレンビー(他の二人に。)ああ諸君、今日はどうも有り難う。
(バリントン、 扉の方へ進む。立ち止まり、回れ右する。ストアーズ、扉の方へ進む。)
 ロレンス(ストアーズの方を向いて。)ああ、ストアーズ。(アレンビーに。)ちょっと失礼。
(アレンビー、頷く。ストアーズ、ロレンスの方を向く。)
 ロレンス ルクサーで、フレディ・ストロングが何か堀りあてたんだ。これはきっと君の興味をひく筈だ。
(ストアーズ、扉のところで、ひどく困った様子。バリントン、「やったな、こいつ」という表情。次にアレンビーに対し、大袈裟なパレード用の敬礼。そして左手から退場。)
ロレンス(明らかに、そんなことは目に入らない様子。)小さなアラバスターの香(こう)の壺なんだ。素晴らしい形、二十代将軍の時代と思われる。それがミオス島の影響を強く受けているように見えるんだ。
 アレンビー(静かに。)二十代将軍時代に、ミオス島の影響?
(ロレンス、アレンビーの方を向く。初めてそこに誰かがいるのに気づいたという風。)
 ロレンス(間の後。)ある筈がないとお思いになるでしょう?(ストアーズの方を向き。)二十代が間違っているかもしれない。
 アレンビー それとも影響の方がね。
 ロレンス(アレンビーの方を向き、ゆっくりと。)ええ、そうです。影響の方かも知れません、誤りは。
 アレンビー(威厳をもって。)じゃ、ストアーズ、これで。有り難う。
 ストアーズ では失礼します。
(ストアーズ、明らかにほっとした様子。退場。)
 アレンビー(机に進み。)坐ってくれ、ロレンス。
(ロレンス、机の左手に坐り、机の上にある盆の上に自分の帽子を投げ入れる。間。)
 アレンビー(急ににやりと笑って。)本当なのか、あのフレディー・ストロングが二十代将軍時代の壺を堀りあてたという話は。
 ロレンス(機嫌よく、肩を竦めて。)ええ、まあ。何時だって何かを堀りあてている男ですから。
 アレンビー(相手を認め、頷いて。)うん、こいつはいい。こんなに簡単にお互いが分かりあえるとは有り難い。
 ロレンス(企みがうまくいかなくて残念という気持ちは全くなく。)ええ、こちらもです。
 アレンビー(机の右手に動いて。)ミノス島の影響に関しては運がよかった。(机の右手から一冊の本を取り上げて。)丁度アーサー・エヴァンズの本を読んでいた。「クレーテのミノス城」。
 ロレンス(礼儀正しく。)クラウゼヴィッツだけではない将軍にお目に掛かれるのは幸せです。
 アレンビー そう、クラウゼヴィッツなら大丈夫だ。ちょっと今じゃ錆びついてはいるが。ただベルサリウス戦略について突っ込んだ議論は困る。これが君の得意とするテーマだったな、確か。
 ロレンス ええ。どうしてご存じで?
 アレンビー 探るのを仕事にしているのでね。君もその点では同じな筈だ。
 ロレンス 花ですね。
 アレンビー そう。
 ロレンス シェイクスピア、チッペンデイル、機動部隊の戦略、それに子供。勿論この順序ではないでしょうが。
 アレンビー ほほう、私のスパイよりもっと行き届いた調査だ。
 ロレンス こちらの方は、探っても出て来るものがなかったんでしょう。
 アレンビー いや、多いな。しかし「自己を隠す能力」、これが君の場合最大の才能だ。
 ロレンス 必要があってそうなったんでしょう。
 アレンビー ひょっとするとな。
 ロレンス(微笑んで。)いい答です、「ひょっとすると」は。小者(こもの)なら多分「いや君、そんなことはないよ」と言うところですからね。
 アレンビー 私は君の魂の秘密には興味がないんだ。私の関心事はただ一つ。君がこの仕事に適任かどうか、なんだ。
 ロレンス(本心から分からない。)「この仕事」ですって?
(アレンビー、引き出しからロレンスの報告書を取り上げ、苛々とそれを見せて、指で叩く。)
 アレンビー これだ、勿論。
 ロレンス(まだ分からない。)私の報告書ですけど?(立ち上がる。明らかに本当に動揺している。)いいえ、駄目です。本当に、それは私では駄目なのです。酷いことになります。(本当にとんでもないという様子。)
(アレンビー、探るような目付きでロレンスを見る。これがまた芝居なのではないかと。)
 アレンビー 「酷いことになります」。バリントンの台詞と全く同じだ。
 ロレンス いくらバリントン大佐でも、戦争中の長い期間には、一つぐらい正しいことを言います。今がそうです。
 アレンビー 驚いたね、これは。
 ロレンス 何故です。
 アレンビー 君は野心家だと思っていたが。
 ロレンス 私は野心家です。
 アレンビー いい機会じゃないのか、これは。
 ロレンス(頭を振りながら。)もうその機会は得ました。アカバ、少佐になったこと、それに・・・何でしたか、CB・・・これで十分じゃありませんか。
 アレンビー(考えながら。)私が君だったら・・・そうは思わないだろう。これを書いていた時、君は思った筈だ。私が君を使うかも知れないとね。
 ロレンス(椅子から立ち上がり、机の右手の椅子に進み。)勿論それは頭にありました。(椅子の後ろに立ち、その背を掴んで。)だからなのです、あんなにはっきり、その指揮官に必要な資質を書いたのは。(私じゃ駄目だとはっきり分かるようにするためだったのです。)その人物は威厳がなければならない、無能力、卑怯、貪欲、卑劣な裏工作、に直面しても、にこにこしていられる人物。戦略の理論だけではない、深い実戦的知識がなければならない。戦争が尋常一様のものでないという強い認識です。それだけではありません。自分から嘘が言え、諂(へつら)い、騙す。それも自分自身のためではない、ある大義名分のためにです。おまけに、他人には自分がそれを信じているかの如く見せていなければならない。そして彼はまた、例のサイクス・ピコー条約は聞いたことがないという振りをしていなければならない。
 アレンビー 何条約だって?
 ロレンス(苛々と。)戦後のアラブをフランスとイギリスで如何に分割するか、その条約です。
 アレンビー それは聞いたことがない。
 ロレンス そうですか。フェイサルも、現在の時点ではまだ知らない筈です。しかし、もし彼が知ることになれば、莫大な金額を支払わねばならないでしょう。ですから、これから先、フェイサル及びその一党には、適切な人物により、適切な嘘が与えられ続けなければならない。従って、その任に当たる人物はちゃんとした将官でなければならず、またそれで初めてその嘘にも十分な重みが出てくるのです。
 アレンビー 君は「ちゃんとした将官」は信用しない主義だと思ったが。
 ロレンス 今私が述べた人物、こういう男を私は認めません。多分司令官殿もお認めにはならないでしょう。しかしこの仕事に必要な人物は正にさっき述べた人物なのです。私ではありません。(椅子の下手に動く。)
 アレンビー(立ち上がる。)そうかもしれん。(机の前方に出て。)ただ困難な点がある。他の人間は誰もまだトルコの後方に廻って、何箇月もゲリラ活動をしていない。アラブ反乱軍の信頼を得ていない。それに、アカバを占領してはいない。
 ロレンス アカバが何だっていうのですか。
 アレンビー アカバだけでも十分というほどのものだ。(机の左手の隅に腰掛ける。)
 ロレンス 何故アカバを取ったか。いや、そもそも何故私が一人で砂漠に出て行ったのか。それがお分かりですか。
 アレンビー 事務所をさぼろう・・・と。
 ロレンス それもあります。
 アレンビー 自分自身からの逃避か。
 ロレンス 私はギリシャ哲学の専攻です。「汝自身を知れ」の強い信奉者です。
 アレンビー 信奉は信奉だ。実行はしないでも信奉は出来る。
 ロレンス(良い意見だ、と相手を認める気持ち。)いい論点です。(机の右手の椅子に坐る。)では自分自身からの逃避、いいでしょう。他には?
 アレンビー 考え過ぎることからの逃避も。
 ロレンス いいえ、それからは逃げられません。砂漠のただ中でも。
 アレンビー 砂漠は綺麗なところだ。事務所よりは、考えるのにいい場所だ。
 ロレンス 綺麗、汚い、それは考えることとは関係がありません。場所が何処であろうと、考えそれ自身が押し寄せて来るのです。
 アレンビー 私の前任者、マレー将軍に、自分を見返してやりたいという強い欲望。
 ロレンス それは当たっている。(感心して。)大変いい分析です。ここまでは。
 アレンビー お褒めの言葉、恐れ入る。(急に立ち上がり、中央右手に進む。礼儀正しく。)それでは最初の仕事に戻ろう。
 ロレンス(悲しそうに。)今話しているこのことが、残念ながら直接に仕事なのです。アカバ、その他一切の私の行動を分析し、診断して下さいましたね。意志の力による情け容赦ない実験だと。しかし、一つ非常に重要なことが抜けています。これら一連の行動の後ろに、一貫して流れている一つの動機を認めざるを得ない筈です。それは、利己心から、純粋に自分自身のためのみでやったということです。
 アレンビー そうかも知れない。しかし、それが問題になるかな。
 ロレンス 今度のこの仕事は、利己心では出来ません。魂を何処かに捧げる仕事です。心からの信念をもって他につくす覚悟が必要です。半気違いのインテリに出来る仕事ではありません。
 アレンビー(気楽な調子で。)だけど君は、アラブの人間が好きなんじゃないのか。
 ロレンス 好きなだけでは足りないのです。彼らを心から信じ、運命を共にする決意がなければなりません。
 アレンビー 君自身の国、その運命、はどうなんだ?
 ロレンス(静かに。)ええ、勿論、自分の国ならばイエスです。戦争になれば、イギリスは当然私の命を要求する権利があります。しかし、それ以上を要求する権利があるでしょうか。それは疑問です。
 アレンビー この仕事に関して何か思い過ごしがあるんじゃないか。
 ロレンス(あっさりと。)いいえ。熟達した指揮官が人を死地に送り込むとき、その人選が正しいとか誤っていたとか、そんなことは問題にならない筈です。それが「賢い」選択であったかどうか、そこだけです、問題は。賢くない選択を行ったときだけ良心が痛むのです。私の場合はそうはいきません。サンドハースト仕込みではないのです。私の敬礼と同様に、訓練されていないヤワなもので、いつでも崩れる。崩れないようにするには筋金を入れなければ。しかしどうやれば・・・私には分かりません。
(間。アレンビー、机の左手に動く。)
 アレンビー(気楽な調子で。)どうやっても駄目なんだ、筋金は。しかし、意志の力というのはどうだ? 意志の力でその気分になる。
(間。)
 ロレンス(笑って。)うまいですね、その言い方。メフィスト・フェレスの才能ですね。
 アレンビー(机の上に坐って。)お褒めにあずかり、恐れ入る。
 ロレンス こう言っては失礼でしょうか、将軍。私達はうまくやって行けそうな気がします。
 アレンビー そのようだな、どうやら、ロレンス少佐。
(ロレンス立ち上がり、机の右手に椅子を移動し、その後ろに立って。)
 ロレンス(間の後。)まづ解決しなければならない問題は、金(かね)です。
 アレンビー その額は?
 ロレンス トルコは太っ腹です。相当な金額をアラブに提示する筈です。我々はそれに負けることは出来ません。そう、二十万ポンド。
 アレンビー(疑わしそうな顔。)フム。
 ロレンス(陽気に。)大蔵省への心配ですか? 大袈裟な宣伝文句をつけるんです。連中の好みですからね。それが今流行りなんです。それから、全部金(きん)で戴かないと。アラブでは紙は信用されないのです。(地図を指差して。)本拠地はアカバ。ジェダーは引き上げることにします。そしてアカバの司令官にはジョイス大佐。
 アレンビー バリントン大佐はどうかな。
(ロレンス、机から自分の報告書を取り、右手の椅子に坐る。)
 ロレンス いや、彼は別の地位に・・・将官に昇進させるのです。そう、ここが最も大切な点で、どうしても実行しなければならないことですが・・・
 アレンビー(優しく。)ちょっと待った、ロレンス少佐。この仕事を頼んだ、とはまだ言ってないぞ。忘れないでくれ。
 ロレンス ええ、よく分かっています。私もまだ引き受けるとは言っていません。しかしここで私の意見を述べておくのが適切だと思いますので。丁度私が今ここにいる訳ですから。で、続けますと、フェイサルはメッカの首長の立場を外し、アラブ軍全体の司令官に指名します。勿論アレンビー将軍の指揮下にです。そしてこれはアラブ軍の面目を保つためだけに行うことですが、決定的瞬間に、前線活動も出来るよう、アラブ軍のうちの一部隊を訓練する。但し勿論、我々の主要勢力は、敵の裏に廻るゲリラ活動を続けます。(間をおいて。)これで全部です。
 アレンビー 分かった。
 ロレンス(立ち上がりながら。)さ、もうこれ以上お邪魔するのは止めましょう。重要な仕事が山積している筈ですから。(左手に進みながら。)では私はこれで・・・もう、いいですね?
 アレンビー うん、もういい。
 ロレンス(家具を見ながら。)ところでいつか機会があれば、私にチッペンデイル(家具)についてお話し下さいませんか。彼の理論は珍重されすぎではないかと、常々思っています。とにかく私は家具に趣味がないのです。あまり使用することもありませんし。(自分の帽子を取って。)ではこれで。
 アレンビー ではまた。
 ロレンス ご連絡はして戴けますね?(帽子を被る。)
 アレンビー うん、連絡する。
(ロレンス、別れの微笑。振り返って、出て行こうとし、明らかに忘れ物をした表情で廻れ右。例の酷い敬礼をする。)
 アレンビー うん、いつか教えてやらなきゃいかんな、やり方を。
 ロレンス 畏まりました。いつか時間のあるとき。お互いが。
(ロレンス、左手から退場。そのとき・・・)
(暗転。)

     第 二 幕
     第 二 場
(場 トルコ軍本部。)
(飾りたてた部屋。二つの出口あり。一つは左手中央。将軍の寝室に続く。もう一つは右手中央。これは階段に続く。中央に長椅子(ソファ兼用のベッド。)その右手に小さなテーブル。足元の方に椅子。天井から三個、飾りの多い明かりが下がっている。テーブルの上にはディクタフォン、ワインのデカンターと二つのグラス。)
(照明がつくと、トルコ軍の将軍が長椅子に二つのクッションを敷いて、寛いだ態度。ディクタフォンのマイクに口述の文章を述べている最中。トルコ軍の大尉が椅子に坐っている。だらしない姿勢でヌードの雑誌を見ている。雑役兵が中央右手の扉の傍に立っている。もう一人兵隊が中央左手の扉の傍に立っている。)
 将軍(口述。)電報連絡。中央アラビア、トルコ軍諜報中枢の全てに告ぐ。最重要機密事項。以下本文。ロレンス逮捕のためのあらゆる努力にもかかわらず、また前代未聞の賞金、即ち一万ポンドへの吊り上げにもかかわらず、彼は我々の陰にまわって着々とゲリラ作戦を遂行している。このテロリストの排除は現在我々の死活に関わる問題になっている。我々の作戦を成功させるためばかりではない、アラビア地方の、我々の支配そのものにも影響を及ぼしてきている。
 大尉 ロレンスを持ち上げ過ぎじゃありませんか、それじゃあ。聞いた方で、恐れをなしちゃいますよ。
 将軍(優しく。)お前は黙ってエロ雑誌でも読んでいろ。(口述。)六箇月前、アラビアに帰って以来、ロレンスは遠くエルサレム、ダマスカス、ベイルートまで足を延ばし、対トルコ反乱勢力と接触を持ってきた。現在彼は、デラア地区において工作中であると報告されている。
(雑役兵と兵士、頷き合う。)
 将軍 彼の狙いは多分、イギリス軍のパレスチナ総攻撃に時期を合わせ蜂起することにある。従って、当分の間は我々の連絡線を狙ったゲリラ活動を続ける計画であろう。これら一連の彼の活動は決して軽く取り扱われるべきものではない。
 大尉(怒って。)軽く取り扱われるですって? とんでもないです。あいつのやることは人間技じゃないとみんな噂していますよ。
 将軍(ディクタフォンに。)第二段落。ロレンスに関する新しい情報が入っている。一つ。反対意見もあったが、彼が女装をしていないことは確かであると思われる。女性の被り物を無理やり引き剥がす調査は従って、今後中止する。
(大尉、雑誌を眺めながらニヤリとする。)
 将軍 二つ。現在までに流されているロレンスの人相書きは正しい。(大尉を見て。)彼と直接接触をもった私の部下の一人によって証言が得られている。
 大尉(飛び上がって。)それは削除して下さい。
 将軍(優しく。)部下の誰が、とは言うつもりはない。
 大尉 でも軍本部からの問い合わせには答えるつもりなんでしょう?
 将軍 つもりだ。黙って静かに坐っていなければな。
(大尉、再び坐る。)
 将軍(ディクタフォンに。)三つ。ロレンスの性的傾向について得た情報に鑑み、女郎部屋その他、この種の場所での見張りは、これを解除してよし。
 大尉(熱心に。)ははあ、それは面白いですね。どういう情報なんです?
 将軍 お前を失望させて気の毒だがな。何の情報もないという情報だ。
 大尉 全く何も?
 将軍 全く何もだ。
 大尉(立ち上がり、左手に進んで。)そんなことは考えられないように思いますが。
 将軍(機嫌よく。)そうだな。考えられない。しかし、禁欲主義っていう奴は、いることはいる。
 大尉 でも、生まれつき禁欲主義ってのはない筈ですからね。このロレンスっていう男は、信心深いんですか?
 将軍 自己否定の信念を徹底的に自分に課しているらしい。それの現れがある。
 大尉 何に現れているんです?
 将軍 肉体的接触を極度に嫌う。握手でさえ、かなりの努力を要する。
 大尉 それが何の現れか、自分にはよく分かりませんが。
 将軍 分からんか?(ディクタフォンに。)四つ。
 大尉(陰気に。)何の現れなんです。
 将軍(辛抱強く。)抑え込もうとしてもすぐ反逆してくる肉体、強い意志、それに不安定な精神。こいつを続けていいかな?(ディクタフォンを指さす。)
 大尉(ゆっくりと坐りなおしながら。)すると本当は好きだってことですね? 好きだけどそれを認めたくない。だからやらない?
 将軍 深淵だな、その言い方は。(ディクタフォンに。)四つ。最重要事項。ロレンスは必ず生きたまま捕えること。この件の担当官に特に注意を喚起しておく。そして捕えたら地方局においては決して尋問しないこと。直ちにその任に当たっている高位の局に身柄を引き渡すこと。以上、命令終。デラア地区司令官。(ディクタフォンのマイクを置き、雑役兵に合図。)
(雑役兵、ワインをグラスに注ぎ、将軍に渡す。)
 将軍 本物のブルゴーニュワインだ。(飲む。大尉に。)飲むか?
(大尉、とんでもないという気持ち。頭を振る。)
 将軍(立ち上がり、大尉のところに行き、その頭を軽く叩く。)いい子だよ、お前は。(グラスを眺めて。)俺がキリスト教信者でなくて実によかった。連中の宗教じゃ、こいつを飲むのは罪悪じゃないからな。(面白くない、それじゃ。)
 大尉 もしロレンスを捕まえたら、あの豚野郎、すぐに撃ち殺してやる。
 将軍(優しく。)そいつは馬鹿なことだぞ。撃ち殺したその弾丸で、我々はアラブを失うことになる。(右手に進んで。)この男の死、それ自身では何も解決されない。アラブ人は相変わらず彼の教えた神話を信じるのだ。アラブ人のためのアラブ。人種は一つ、土地も一つ、国も一つ。(左手に移動して。)彼の現れる前、一千年、この考えは一部の狂信的な宗教家の無害な夢だった。あの男がそれを実現に導く手段を示したのだ。幸いなことにその実現はまだ半ばだ。しかしその半ばでも、我が帝国にとっては深刻な危機だ。(中央に進む。)それが全部達成されたら? トルコの危機じゃすまない。全世界の危機だ。
 大尉(不用意に。)世界なんてどうでもいいんでしょう?
 将軍(真面目に。)フェイサルはダマスカスをアラブの首都だと宣言した。
(大尉、笑う。)
 将軍 私だって笑うところだ。しかし、その後ろ楯になっている頭脳が、歴史上のいかなる革命家にも引けをとらない切れ味のよい、冷酷無残なものであることを思うと、笑うことは出来ない。さっきお前はその頭脳に弾(たま)を撃ち込んでやると言ったな。それでアラブが元に戻ると本当に思っているのか。
 大尉(肩を竦めて。)じゃ、何か他に手段でも?
(間。将軍、ワインを啜る。)
 将軍 頭脳が作ったものなら、その同じ頭脳がそれを破壊することだって出来るだろう。
 大尉 自信をなくさせるということですか?
 将軍 そう。異教徒の改宗に使う伝統的な方法だ。
 大尉 でも、どうやって。
 将軍(肩を竦めて。)まあ、説得するんだな。(大尉の方に行き、その顔を見て。)残念だな、この天気。お前のその綺麗な顔も日焼けで駄目になる。コーカサスの血が入っているんだろう? お前のその肌には。日焼けで台無しになっちゃ気の毒だ。
 大尉 私にはコーカサスの血は入っていません。
 将軍 いつか入っていると言ったんじゃなかったか?
 大尉 閣下です、それを私にお話になったのは。
 将軍 うん、どっちだったか。とにかくいつかその話が出たな。(テーブルの方に進む。)
(雑役兵、将軍のグラスにまた注ぐ。)
 大尉 拷問をかけてもロレンスの宗旨がえは無理だと思いますが。
 将軍 拷問などと誰が言った。私の使った言葉は、説得だぞ。
 大尉(信じられないという調子で。)議論をして説得ですか?
 将軍 誰かが間違いを犯していると知らせるには、議論が一番いい筈だ。とにかくあいつは間違っているんだからな。アラブ人が国を欲しがっているなどと、嘘に決まっている。そしてあいつはそれを知っているんだ。その、知っているという事実が、こちらをひどく優位に立たせてくれる。そいつが嘘だと認めさせることは、容易ではないだろう。信念の男、フェイサルのような狂信者なら、そいつは不可能だ。(中央に動いて。)しかし、自分の意志しか信じないインテリのイギリス人・・・それも握手を拒むような男・・・そういう奴なら、まづ人生の何たるかを教えることから始めればうまくいく筈だ。
 大尉 でも彼はインテリなんでしょう? 人生の何たるかぐらい知っているんじゃないですか。
(将軍、笑う。)
 大尉 何か自分は、馬鹿なことを言いましたか?
 将軍 気にしないでよろしい。(グラスを取る。)うん、たしかにこのロレンスと私の関係は奇妙なものだ。あいつは私の存在さえ知ってはいない。一方こちらは彼のことを多分彼自身が知っている以上に分かっているのだ。これからの成り行きが単純で楽しいものであって欲しいと切に願うね。(大尉を見る。)
(大尉、顔を逸らす。)
 将軍(右手に進んで。)一つだけあいつのことで分かっていないことがある。
(雑役兵、グラスにまた注ぐ。)
 将軍 あいつは全てを棄てている。今の生き方を、それほどの犠牲に値するものだと評価しているのか。
 大尉 犠牲? 何を犠牲にしているって言うんです?
(将軍、大尉に近づく。)
 将軍(ワインを飲んで、大尉の髪の毛をくしゃくしゃにしながら。)ああ、全てだ、全て。それがあるから人生が生きるに値するっていうのにな。
(大尉、立ち上がる。雑誌を長椅子の上に投げ、右手から退場。その時暗転。)

     第 二 幕
     第 三 場
(場 鉄道線路の傍。)
(中央に大きな岩。その後ろに土地の人間の住んでいる三つの小さな小屋。右手と左手中央に、電柱が立っていて、その間に電話の電線が張られている。)
(照明がつくとロレンス、岩の左はじに坐って、石版に地図を描いている。よれよれの、目立たないアラブの服装。ハメッド、右手から登場。小さな箱を持っている。岩の右の方の地面にそれを置き、その傍に坐る。ロレンス、地図を描いている間、暫く沈黙。ハメッド、自分の着物に触り、骨つきの鶏肉を取り出し、噛む。)
 ハメッド(やがて。)悪い知らせです。(箱を指さす。)金は受け取りませんでしたし、何も約束もしてくれませんでした。
 ロレンス(スケッチを続けながら。)どうして。
 ハメッド(骨を齧りながら。)怖がっているんです。無理もないです。先月この町で三人と話しましたが、そのうちの二人は逮捕され、一人は隠れています。隠れているその男だって家族がありますし、あとの二人も家族があります。
 ロレンス(間の後。)誰に聞いた、その話を。
 ハメッド ダーキルの子供です。あの子が欲しがるからやりましたね、イギリスの半ペンス硬貨を。市場でそれを見せて売ろうとしたんです、あの子は。「あの偉大なエル・アウランスが僕にくれたんだ」と言っていたのを、警察が聞いていたんです。
 ロレンス(間の後。)ダーキルも逮捕か?
 ハメッド ええ。それからアリも。スレイマンは逃げましたが。
 ロレンス(手を止めずに。)逃げても家族があるんだろう?
 ハメッド ええ、おばあさんもいるんです・・・という話です。
 ロレンス(間の後。)半ペンス硬貨か。金(きん)と一緒に入っていた。何故か理由は分からない。それが、大きくて光っていた。だから子供が欲しがったんだ。いじくっていたから、その儘にしておいた。後で取り戻すつもりにしていたんだが、忘れてしまっていた。(声に緊張の響き。)忘れたんだ!(再び地図に戻って。普通の調子で。)ダーキルとアリは殺されただろうな。
 ハメッド(肩を竦めて。)そうだといいんですが。
 ロレンス うん。
 ハメッド 何をしているんです?(ロレンスに少し近づく。)
(ロレンス、邪魔をするなと手で合図。)
 ロレンス デラアの滑走路の地図だ。それに、その日が来た時、我が軍が行進する谷の間にある、あの道の地図だ。
 ハメッド その日が来た時って、その日は来るんですか?
 ロレンス(優しく。)私を怒らせるためなんだハメッド、お前がそんなことを言うのは。私を怒らせると嬉しいらしいな、お前は。その日は来る。お前だって知っている。
ハメッド でも、いつ?(胸を地面につけて、長々と横になる。)
 ロレンス(間の後。)神がよしと思われた時、そしてアレンビー将軍が。
 ハメッド 時々その二人とも、我々を見放したんじゃないかと思ってしまいます。
 ロレンス 見放しちゃいない、二人とも。しかしそんな言い方をすると危ないぞ。私だって見放すかも知れない。
 ハメッド ええっ? エル・アウランスが?(明らかにこの考えは彼にとって笑えるもの。背中を下にしてゲラゲラ笑う。ゲップを出す。次にまた、ごろりと廻って、胸を下にして頬づえをついて、顔を前に出す。)戦争に勝ったらどうなるんです? フェイサルをアラブの王様にするんですか?
 ロレンス 誰を何の王にするなど、全く私の仕事ではないよ、ハメッド。フェイサルが自分で決めることだ。王を決める権利が何故私にある?
 ハメッド(間の後。)ゆうべ、アズラックの野営地で話があったんですが、イギリスの王とフランスの大統領の間に、戦争後アラビアを分割するという取り決めが出来ているんだそうですね。イギリスはヨルダンからあっち全部を、フランスはシリアから北を全部。
(間。)
 ロレンス(全く関心がないという様子。)噂にはよく耳がきくんだな、ハメッド。
 ハメッド ロシアの指導者・・・名前は何だったかな、有名な反逆者・・・ちょっと忘れましたが・・・
 ロレンス レーニンだろう?
 ハメッド そうそう、レーニン。彼が発表したんです。世界中に。二年前に出来た契約だそうです。あなたが我々のところに来る前の話です。
 ロレンス(言葉を遮って。)その有名な反逆者は嘘を言ったのさ。そんな契約はない。あったとしたら、何故私が知らないんだ。
 ハメッド(間の後。)嘘をついているんですエル・アウランスが。最初っから嘘だった。そうかも知れない。
(ハメッド、これを冗談で言う。笑う。ロレンスから苛々した返事が聞けると期待している。)
(しかしロレンスは答えない。ハメッドにも目を合わせない。)
 ハメッド(間の後。すまなそうな声で。)冗談です、エル・アウランス。
 ロレンス 分かってる、ハメッド。(スケッチを続ける。)その話をもう一度誰かから聞くようなことがあったら、君が私の友人だということを思い出してくれ。そしてそいつを殴るんだ。
 ハメッド(腹這いになって。)分かってます。(右手の方を眺めて。)こっちにトルコの兵士が二人やって来ます。
 ロレンス(動かずに。)スケッチをしているのを見られたか?
 ハメッド 分かりません。
 ロレンス 探られてまずいものを持っているか?
 ハメッド 金(きん)と名簿です。
 ロレンス 寝たふりだ。我々は他人だからな。私に何があっても何もするな。
(ハメッド、顔を落として横になる。頭は舞台の右手の方向に向ける。ロレンス、スケッチを続ける。)
(トルコの軍曹と兵卒、右手から登場。左手中央に進む。二人に気づいていない様子。それから立ち止まる。軍曹、ロレンスの左手に戻って来る。)
 軍曹 絵描きか?
 ロレンス 趣味でやっています。本職ではありません。
 軍曹 見せろ。
 ロレンス 閣下のお目が汚れるといけませんので。(膝の上に絵を倒す。)
 軍曹 この辺の人間にしては色が白いな。何人(なにじん)だ。
 ロレンス コーカサス人です。
 軍曹 コーカサス? ここらにはめったにいない人種だな。
 ロレンス はい、あまりいません。
 軍曹 デラアで何をしている。
 ロレンス 仕事です。ちゃんとしたものです。
 軍曹 何の仕事だ。
 ロレンス 旅です。
 軍曹 どこへ。
 ロレンス ダマスカスです。
 軍曹 おいお前、立つんだ。
(ロレンス、ゆっくりと立ち上がる。怖がっている様子なし。)
 軍曹 お前、嘘を言っているな?
 ロレンス 何故閣下に私が嘘を。
 軍曹 お前は脱走兵だろう。
 ロレンス 失礼ですが、コーカサス人は、兵役が免除されています。
 軍曹 理屈を言うな。お前は適齢にある。だから脱走兵だ。
 ロレンス 理屈じゃありません。ただ筋を通して戴きたいと。特別の布告があって・・・
 軍曹(にやりと笑って。)ほほう、筋を通して貰いたいのか?(ピストルを抜く。)
(兵卒、銃を構える。)
 軍曹(ピストルでロレンスの脇腹を突いて。)筋はここにあるさ。(非常に優しく。)さあ、来るんだ。
 ロレンス どこへです。
 軍曹 それを言う必要がどこにある。(あばら骨にピストルを突きつける。)
(ロレンス、スケッチを落とす。かがんでそれを拾い上げて眺め、何げない様子でハメッドの方に投げ棄てる。それから廻れ右して、左手から退場。)
(軍曹と兵卒、ロレンスの後ろから退場。ハメッド、眠りながらそうしているかのように、手を伸ばし、スケッチを拾う。その時・・・暗転。)

     第 二 幕
     第 四 場
(場 トルコ軍本部。)
(あかりがつくと、トルコの将軍が中央左手に立っている。精神的緊張が、姿勢、表情に見られる。同時に何かの物音を聞き取ろうとしている。それが何かは不明。観客には一瞬、ゲラゲラっという笑い声が聞こえ、扉の閉まる音がして、それが聞こえなくなる。将軍、中央に動く。トルコの大尉、右手から急いで登場。将軍の右手に進む。)
 大尉 何ですか、あれは。あの部屋で起こっていることは。
(間。将軍、左手中央に動く。)
 将軍 脱走兵を殴っている。
 大尉 司令官の命令ですか。
 将軍 そうだ。私の命令だ。
 大尉 何故です。
 将軍(間の後。)生意気な態度をとったからだ。
 大尉 私はよく見ていません。ああいう光景は好きではありませんから。でも、白い肌が見えました。多分あれは白い肌だったんでしょう?
 将軍 そうだ。
 大尉 コーカサス人ですか?
 将軍 そうだ。
 大尉 生意気な態度・・・それは私の想像のつくものなのですね?
 将軍 うん、つくだろう。
(間。)
 大尉 報告される問題になりはしませんか。
 将軍 そうは思わない。
 大尉 止めさせないと。
 将軍 何故だ。
 大尉 連中は殺しかねない勢いです。
 将軍 自分で止めさせることが出来るのだ、あの男は。すぐにもだ。ただ「イエス」と一言。それさえ言えばいいのだ。
(間。)
 大尉(将軍の右手に動いて。)あの男の取る態度を見る限り、司令官殿にあまり敬意を払っている様子がありませんでしたが。
 将軍 そうだ。
 大尉(中央右手の出口の方に進み。)止めさせて来ます。
 将軍 それは止めろ。
(大尉、立ち止まり、中央に進む。)
 大尉 私は行きます。あの男のためというより、司令官殿のために。(廻れ右。行こうとする。)
(将軍、素早く動き、大尉のところに行き、腕を握る。)
 将軍 いいか、よく聴け。今は行くな。行かない方がお前のためだ。
(大尉、腕を振り払う。右手中央の扉から退場。将軍、左手中央に進む。)
(大尉、再び登場。将軍を、信じられないという表情で見る。)
 大尉(中央に進み、激しい口調で。)あれが誰かご存じなのですね。(将軍の目から答を読み取る。)だから私に、行くなと言ったのですね?
 将軍 お前のためだ。だから行くなと言った。
 大尉 あれは脅しなのですか。
 将軍 そうだ。連中にお前、何か言ったか。
 大尉 いいえ。
 将軍(声に力が戻ってきて。)いいか、お前は何も言ってはならん。将来も、今もだ。言えば即座にお前を撃ち殺す。あの男はコーカサスの脱走兵だ。名前はモハンマド・イブン・デイラン。クネイトラ出身。上官に対して不埒な態度を取ったため、罰せられている。
 大尉(吐き出すように。)罰せられているですって?(中央右手に進んで。)連中が今彼にやっていることをご存じなのですか?
 将軍 殴るのは止めたのか?
 大尉 ええ。
 将軍 なるほど。
 大尉(将軍に右手に来て、ヒステリックに。)彼に今連中がやっていること、あれも司令官の命令なのですか。
(将軍、沈黙。)
 大尉 あんなことをご存じだったとは・・・それさえ驚きなのに・・・それをまた、お命じになるなんて・・・
 将軍 私を見損なっていただけの話さ。
 大尉 私はあの男が憎い。しかしあれは酷いです。恐ろしい行為です。
 将軍 列車を襲って略奪するのも酷い。恐ろしい行為だぞ。
 大尉 ではあれは、復讐なのですか。
 将軍 いや。復讐なら楽しいところだが・・・
 大尉 説得すると仰った筈です。「お前は間違っている」と、説得すると・・・
 将軍(大尉の方を向いて。)それがどうした。
 大尉 あれが説得なのですか。
 将軍 お前が覚えていればの話だが、私はこう言った。まづ人生とは何か、そいつを教えるんだ、と。
 大尉 それで、あれはただの始まりに過ぎない、という訳ですか。
 将軍 いや、あれが終でもある。
 大尉(呟く。)終とは・・・つまり、あれで死ぬと?
 将軍 違う。殺すなと命じてある。つまり、今夜あれが成功すれば、あいつはそれで終なのだ。肉体は滅び、精神は破滅。敵はこれで抹殺されたことになる。(鋭く。)物音だ。階段に誰かいる。
 大尉 あの男を運び上げて来たのです。(将軍の右手に廻って。ヒステリックに。)私は見たくありません、あの姿を。
 将軍 落ちつくんだ。
(トルコの軍曹と兵卒、中央右手から登場。真ん中にロレンスを支えている。ロレンス、半分意識を失っている。頭は垂れて、胸に顎を埋めている。)
 将軍(静かに。)よし、大尉、下がってよい。明日の朝報告に来い。
(大尉、自動的に気をつけの姿勢。部屋を横切って、中央右手の扉から退場。ロレンスの傍を通る時、見ないよう目を背ける。)
 将軍(軍曹に。)どうだ、首尾は。
(軍曹、顔中でにやりと笑い、頷く。)
 将軍 「イエス」と言ったか。
(軍曹、首を振る。顔はニヤニヤの儘。将軍、問いただすように軍曹を見る。)
 軍曹(間の後。)口で言う必要もありませんから
(将軍、間の後、静かに頷く。)
 軍曹 こいつは妙な野郎ですぜ、司令官。全く、妙な野郎で・・・
 将軍(鋭く。)分かった。放してやれ。
(軍曹と兵卒、ロレンスを放す。ロレンス、足が利かず、その儘くづおれる。顔を下にして、床に腹這いに。)
 将軍 もういい。出ろ!
(軍曹と兵卒、中央右手から退場。)
 将軍(ロレンスに近づく。頭の方に行き、跪(ひざまづ)く。非常に優しく後頭部を引っ張って、自分の方を向かせる。静かに。)私には分かっているんだ。それが分かったろう。(再びロレンスの頭を静かに床に置く。)聞こえてるな。聞こえてはいる筈だ。(ゆっくりと繰り返す。)私には分かっているんだ。それが分かったろう?
(ロレンス、これが聞こえているかどうか、外からは不明。次の台詞の間中ロレンス、全く動かない。)
将軍 私はお前のことを可哀相だと思っている。お前は信じないかも知れないが、これは本当だ。今日お前に初めて分かったこと、それが私には分かっている。そしてそれを知ったことによってお前がどうなるかも、私には分かっている。お前の野望がこれで挫折する。だから哀れんでいると思っているのか。それならそれでもいいが、あの野望はそれだけでお前を破滅させていただろう。放っておいても。違うぞ。私の言っている破滅は、お前のもっと深いところで、もっとずっと深いところで起こるのだ。(怒って。)しかしどうしてお前はそんなに無防備に身を外に晒していたのだ。自己を知らない人間に、学問など何の価値がある。(間。そして立ち上がる。)お前の必死の努力も綺麗な終り方が出来なかったとは可哀相だ。一斉射撃の銃殺で綺麗に終らなかったのはな。しかし銃殺、それはもっと小者(こもの)のための処理の仕方だ。お前には駄目だ。殺すなど、あきたらない。お前には破滅が必要なのだ。(ロレンスに屈みこんで。)階段の下に扉がある。(中央右手を指さす。)そこから出られる。鍵はしてない。通りに通じる扉だ。
(将軍、廻れ右。中央左手から退場。ロレンス、ゆっくりと、やっとのことで身体を引きずり、床を這い、出口の方へと進む。その時・・・暗転。)
(暗闇の中で、軍楽隊が陽気な行進曲を演奏しているのが聞こえる。)

     第 二 幕
     第 五 場
(場 ガザ地区のアレンビー野戦本部。荒れ果てた家を本部にしている。中央右手に格子状の衝立。この家の他の場所からここへと通じる扉が、この衝立に通じている。軍隊用毛布がかけてある小さなテーブルが中央右手に。そのテーブルの右手に木の椅子。その右手端の方に、コートを懸けるための釘の列あり。)
(あかりがつく前に、音楽が聞こえ、人声、笑い声がする。)
 フランクス(暗闇の中から。)その儘の姿勢でお願いします、司令官。
(フラッシュが焚かれる。一斉に起こる笑い声。)
(照明がつく。アレンビーが中央右手にいる。ストアーズとバリントンは右手に立っている。フランクス、従軍記者の制服姿で中央左手に立っている。アレンビーに面した左手に、カメラの三脚、そして写真屋。誰も皆上機嫌。中央奥、出口に通じる扉の傍に歩哨(オーストラリアの兵士)が立っている。)
 フランクス お差し支えがなければ司令官、もう一枚だけ。今度はもうちょっと「勝ち誇った」という顔を表情にあらわして・・・
(写真屋、フィルムの乾板を取り換える。)
 アレンビー 「勝ち誇った顔」? どうもさっきのやつにそれが出ていたようで、私は嫌なんだがな。
 フランクス 失礼ながら先程のでは、偉大な戦闘で勝ちを収めた人の顔にはとても見えませんでした。
 アレンビー 偉大な戦闘で勝ちを収めた人間の顔ってのはどんなものかな。ストアーズ、君の意見は?
 ストアーズ ぼさっとした顔ですね、きっと。退屈そうな。エルサレムを占領するなんて、日常茶飯事だっていうような。
 フランクス いや、退屈は駄目ですね。「ぼさっと」はいいですが。厳しく不屈の、そして「勝った」という表情は現れていて欲しいですね。じゃ、もう一枚。いいですか?(写真屋に。)準備は?
(写真屋、頷く。)
(将校付副官が中央扉から登場。)
将校付副官(アレンビーに。)飲み物の用意が出来ました。
 フランクス ちょっと待って。これが終わってから。
(雑役兵、飲み物の盆を持って、中央扉から登場。中央右手のテーブルに置く。将校付副官、テーブルの左手に立つ。)
(雑役兵、中央扉から退場。)
 フランクス(アレンビーに。)もう少し左手にお願いします。
(アレンビー、一歩左に寄る。)
 フランクス はい、それでいいです。さて、さっきの顔、あれをお願いしますよ。
 アレンビー(呟く。)やれやれ、こいつは地獄だな。
 フランクス ほんのちょっとの時間ですから。
(アレンビー、「一歩も退かぬ」という表情。)
 フランクス ああ、その顔はちょっと・・・
 ストアーズ 後ろにエルサレムの地図がありますからそれで分かりますよ。勿論床にトルコ兵の捕虜でも鎖に繋がせて転がしておけば、もっといいですがね。
 アレンビー おっとストアーズ、気をつけるんだ。エルサレムはまだ公式じゃないんだからな。
 ストアーズ 公式でないって、何の話ですか?
 アレンビー まだエルサレムの司令官にはなっていない。
 フランクス ははあ。(ストアーズに。)あなたの写真も撮らなければ。
 ストアーズ(素早くバリントンの後ろに隠れて。)それはご勘弁を。
 アレンビー(笑って。)そうそう、大使のような顔をさせてな。
 フランクス(辛抱強く。)じゃあ、撮りますか?
(アレンビー、ポーズをとる。)
 フランクス エルサレムのことを考えて下さい。
 アレンビー(あまり口を動かさないようにして。)エルサレムは取った。ダマスカスだ、考えるのは。
 バリントン(アレンビーの表情に感心して。)いい顔です。それこそ本物のウェリントンの表情です。
 アレンビー うるさいぞ、師団長。元の大佐に戻りたいのか。それが厭なら黙るんだな。
 バリントン(小さくなって。)本当の気持ちを申し上げたのですが・・・
 フランクス ではその儘。
(フラッシュが焚かれてシャッターが切られる。アレンビー、ほっとした表情。)
 フランクス(アレンビーに近づいて。)もしお差し支えなければ、もう一枚お願いしたいのですが。
 アレンビー いや、もういい。終だ。(バリントンとストアーズの方を向き、飲み物を指さす。)さあ諸君、君達は飲んでくれ。戦争の方は私に任せて。
(バリントンとストアーズ、中央右手のテーブルに進む。ストアーズはテーブルの右手に坐り、バリントンは右手に立つ。雑役兵、皆に酒を注ぐ。写真屋、撮影器具を片づける。)
 フランクス(ノートと鉛筆を取って。)任せろと仰っても司令官、もうあまり戦争は残っていないのではありませんか?
 アレンビー(鋭く。)勿論沢山残っている。どうか本国の人達に違う印象を与えないでくれ。トルコ軍はまだやられてはいない。慥に一敗地に塗(まみ)れた。しかし退却は整然としていた。これからだ、本格的な戦闘は。それに退却によって敵部隊は本拠地に近くなってくる。連中の補給路が短くなるにつれ、これを叩くのは、より難しくなってくる。
(写真屋、自分の器具を纏め、中央の扉に進み、振り返り。)
 写真屋 もう下っていいでしょうか、フランクスさん。
 フランクス ああ、もういい。
(写真屋、出て行こうとする。)
 フランクス いや、ちょっと待って。
(写真屋、立ち止まり、振り返る。)
 フランクス(アレンビーに。)隣の部屋に借りのスタジオを作りました。明日そこでもう一枚お撮りすることは出来ませんでしょうか。
 アレンビー いや、無理だな。忙しい。
 フランクス 残念です。(写真屋に。)もういい。
 写真屋(アレンビーに。)では失礼します。
 アレンビー ご苦労。
(写真屋、中央扉から退場。)
 フランクス 司令官、もう一つだけ。最後のお願いがあるのですが。
 アレンビー さあ、君も入って。頼みごとはウイスキーソーダを飲みながらやったらいいだろう。(中央に進む。)
(将校付副官、アレンビーとフランクスに注ぐ。)
 フランクス(左手に進んで。)ロレンス少佐にインタビューを取るよう、編集長に頼まれているのですが。
 アレンビー それは頼むだろうな。
(将校付副官、飲み物をアレンビーに手渡す。一歩進んでフランクスにも渡す。それからテーブルに戻る。)
 フランクス 司令官のお力をお借りして・・・
(アレンビー、自分の制帽を将校付副官に渡す。将校付副官、右手に進み、それを帽子懸けに懸ける。)
 アレンビー お力と言っても全く疑わしいな、ロレンスに対しては。それにインタビューとなればいくら君とでも、実現不可能だ。そうだな? ストアーズ。
 ストアーズ ダライ・ラマとのインタビューの方がまだ楽でしょう、きっと。
 アレンビー それに、デラアからの彼の最後の連絡は、敵の前線のはるか百五十マイルも深く入ったところからだった。(飲む。)
 バリントン いえ、それは違います、司令官。彼はここにいます。ご存じなかったですか?
 アレンビー(当惑の表情。)ここに?
 バリントン はい。一時間前、外の事務所で会いました。司令官をお待ちしているのだとのことで。失礼しました。とっくにご存じのこととばかり・・・
 アレンビー(将校付副官に。)知っていたか。
 将校付副官(一歩進み出て。)いいえ。
 アレンビー すぐ行け。連れて来るんだ。
 将校付副官 畏まりました。
(将校付副官、中央右手の扉から退場。)
 アレンビー ロレンスが待っているだと? いつもあいつは、入って来るのにノックさえしない。書き物をしていて、ちょっと顔を上げるとそこにあいつが立っている。そんな具合だ。(ストアーズに。)少なくとも君には連絡があったんだろうな。(テーブルの左手に進む。)
 ストアーズ(肩を竦めて。)ロレンスの行動を予測するなんて、そんな無駄なことはしませんね、私は。
 アレンビー とにかく彼はここにいる。そいつが一番肝心なところだ。それに、これぐらい都合のよい時もない。彼は我が軍が正確にいつエルサレムを占領したか分かっていただろうが、私は知らなかったんだからな。今ここに現れるとは、全く悪魔のようなやつだ。
 フランクス 暫く私、ここに留まっていていいでしょうか。
 アレンビー 勿論。ただ何の役にも立つまいがな。ストアーズ、もう半分どうだ。
 ストアーズ いいえ、もう沢山です。
(将校付副官、右手中央から登場。左手中央に立つ。)
 将校付副官 ロレンス少佐です。
(ロレンス、中央右手から登場。中央に立つ。びっこをひいている。隠すのが難しいほど痛いことは明らか。アラブの服装。)
(将校付副官、中央扉から退場。)
 アレンビー 帰って来たと何故知らせなかったんだ。
 ロレンス 新聞記者の応対でお忙しいことが分かっていましたから。
 アレンビー(フランクスの方をちらと見て。)なるほど。この男が癌だったか。フランクス、こちらがロレンス少佐だ。
 ロレンス(礼儀正しく。)初めまして。(テーブルの右端に進み、そこで身体を支える。)
(アレンビー、中央に進む。)
 ストアーズ やあ、ロレンス。
 ロレンス やあ。
 バリントン やあロレンス、怪我をしたのか? ちょっとびっこをひいているじゃないか。
 ロレンス(顔を背けて。)らくだの事故です。鉄条網に引っ掛かって。
 アレンビー(悪戯っぽく。)フランクスが、君に何か頼みがあるらしいんだ、ロレンス。
 ロレンス(フランクスの方を礼儀正しく振り返り。)ああ、何でしょう。
 フランクス(心配そうに。)エー、少佐殿。私ども従軍記者は、誰もがやっていることを自分でもやらなければならないしがない職業でして。どうか私に辛くお当たりにならないようお願い致します。国内での少佐殿への関心は現在高まる一方でして。それに時局柄あまりパッとした題材は多くないので・・・(フランクス、心配そうにアレンビーとストアーズを見る。)
(アレンビーとストアーズ、ロレンスがどう出るか、興味津々。)
 フランクス エート、あっさりとお願いの筋を申し上げた方がよさそうです。インタビューに応じて戴けますでしょうか。
 ロレンス いいです。いつです。
 フランクス エー、明日では?
 ロレンス 何時に。
 フランクス 何時でもご都合のよい時に。十時でも。
 ロレンス いいです。どこで。
 フランクス ご都合のよい場所で。でも勿論、私が用意しましたスタジオに来て下されば誠に有り難いのですが。そこですと、素晴らしい写真も撮れますし・・・
 ロレンス どこなのです、そのスタジオは。
 フランクス(自分の幸運を信じられない。)この隣の部屋です。
 アレンビー(心配そうに眉を顰めて。)スタジオには、いかにもちゃんとした背景の布、そいつが飾ってあるんだぞ。
 フランクス(約束を書き留めながら。)司令官、酷いですよ。あの背景にそんな言い方をなさるなんて。シンプルなんです。そんな変なものじゃありません、決して。(ロレンスに。)その前で写真を一枚・・・お許し戴けますか?
 ロレンス どうぞ。お好きなように。
 フランクス よかった。(中央に進む。)よかった、本当に。
(アレンビー、中央左手に進む。)
 フランクス では十時ですね?
(ロレンス、頷く。)
 フランクス すっぽかすなんて、なさらないでしょうね?
 ロレンス(左手に進みながら。)いや、明日お会いします。
 フランクス 有り難うございます、少佐殿。(中央右手のテーブルにグラスを置く。アレンビーに。)失礼します、司令官。(ストアーズとバリントンに。)失礼します。
(フランクス、中央扉から退場。ストアーズ、その場の雰囲気を感じ取って、素早くグラスを干し。)
 ストアーズ(立ち上がり、中央に進み。)どうやら我々もお暇した方が・・・
 アレンビー(ロレンスを見て。)そうか。その方がよければ。(テーブルの右手に進み、グラスを置く。)
 ストアーズ(ロレンスに、軽い調子で。)こちらにいる間にもう一度会いたいね。
 ロレンス ここには長くはいないんだ。
 ストアーズ(アレンビーに。)では、失礼します。
(ストアーズ、中央扉から退場。アレンビー、テーブルの右手に坐る。)
 バリントン ちょっとロレンスに訊きたいことが。よろしいでしょうか。
(アレンビー、頷く。)
 バリントン(ロレンスの右手に進み。)外務省から厳しい問い合わせがきている。君の前線における所謂「残虐性」についてだ。
 ロレンス 私には「前線」などありませんが。
 バリントン 「前線」じゃない? まあいい。君の活動範囲のことだ。列車襲撃、闇討ち、その他だ。中立国の大使館から君は捕虜を取らない方針らしいと問い合わせてきている。
(ロレンス、沈黙。)
 バリントン 君からの公的な否定があると随分助かるのだが。
 ロレンス(礼儀正しく。)いいでしょう。公的に否定します。
 バリントン ではそれを明日貰えないかな。書き物にして。
 ロレンス 書き物? いいでしょう。
 バリントン それは有り難い。(右手に進み、留め釘から帽子を取り、被る。)
 ロレンス アラブ人の方がずっと喧(やかま)しくないですね。もっと大事な案件でも、連中となら口頭で全部済みです。
 バリントン(ロレンスの右手に進み。)それはどういう意味なんだ? 「否定」が嘘かも知れぬということか?
 ロレンス 嘘とは言えません。ただ真実からは遠い表現である、ということです。我々は捕虜を取ることはあります。但し、敵に追われていない時、フェイサルのところまで連行する人間を割くことが出来る時、そして私に状況の制御をする力がある時、その時にはです。ただこれら三つの条件が揃う場合は不幸にも非常に少ない。
 バリントン しかしそれを認めたとなると、事は重大だぞ。
 ロレンス(少し声を上げて。)重大です、確かに。ところでその中立国の大使は、トルコ側がアラブの捕虜をどう扱っているかについて何か話していましたか。
 バリントン いや。しかし報復措置でお互いの残虐性が増していったということになれば・・・
 ロレンス(鋭い笑い声。)報復措置? するとどちらが先に始めたかという問題になるというんですね? そんなこと誰が分かりますか。それにそんなことが重要なことですか。私の言えるのは次のことだけです。もう大分以前から傷ついたアラブの兵士は生きた儘置き去りにされることはない。トルコの捕虜にはさせない。動かすことが無理ならその場で殺す、ということです。
 バリントン(ロレンスの近くに寄って、怒って。)いいかロレンス、トルコ軍は公明正大な兵士達なんだぞ。
 ロレンス それはそうでしょう、大佐。しかし、この戦争の方が公明正大でないのです。これはアジアの革命で、ヨーロッパ人がこれを指揮するとなると、結局最後には行き詰まりを感じることになるのです。
 バリントン すると君の言っていることはつまり・・・
 アレンビー(遮って。)それぐらいでいいだろう、バリントン。明日またロレンスに会いたまえ。
 バリントン はっ、分かりました。
(バリントン、儀礼通りの正しい敬礼。廻れ右をして中央扉から退場。)
 アレンビー 今のことは心配いらない。
 ロレンス(中央に進みながら。)ええ、心配はしていません。
 アレンビー しかし、かなり陰惨な話に聞こえたな。
 ロレンス もっと陰惨にも出来ましたが。
 アレンビー とにかくよく帰ってきた。丁度よいタイミングだ。
 ロレンス ええ。おめでとうございます。
 アレンビー 有り難う。で、このニュースはどこで知った?
 ロレンス 実は知りませんでした、ここに着くまでは。
 アレンビー じゃ、何故帰って来たんだ。
(ロレンス、テーブルの左手に進み、アレンビーと向き合う。)
 ロレンス 私に別の仕事を見つけて戴きたいと。
 アレンビー(間の後。)別の仕事とは何だ。
 ロレンス アラブの反乱と関係のない仕事なら何でも。勿論本当に必要になった場合には、地図作りの仕事はいたします。
(間。)
 アレンビー(頷いて。)分かった。で、続きは?
 ロレンス 願いは聞き届けられたのでしょうか。
 アレンビー(ノートと鉛筆を取って。)場合によってはな。理由は何だ。何故辞めたいという気になった。
 ロレンス 辞め難くさせようとお思いなのですね。
 アレンビー(静かに。)辞め易くさせようとする馬鹿はいない。
 ロレンス 司令官のその率直さ、いつもながら感心致します。戦線離脱の言い訳を言えと仰るのですね。
 アレンビー 言い訳じゃない。理由だ。理由を知りたい。
 ロレンス(感心するように頷いて。)分かりました。(静かに、事務的に。)私はアラブの反乱は偽物だという結論に達しました。欺瞞により築かれ、嘘によって支えられている。従って、これ以上この計画には関わりたくないのです。
 アレンビー(書き留めながら。)なるほど。それで?
 ロレンス 一方、軍事において、私は失敗しか報告することがありません。ヤルムークにおける橋の爆破は成功しませんでしたし、イギリス軍総攻撃に間に合うよう敵の動きを牽制する仕事も到底十分とは言えません。
 アレンビー(書きながら、静かに。)それで?
 ロレンス 要するに、計画すべては道義的にも、軍事的にも、財政的にも、正当化出来るものではありません。全くの無駄、失敗であり、即刻停止すべきものです。(間。)とにかく、私は続けることは出来ません。(左手の方に離れて行く。振り返ってアレンビーを見る。)
(アレンビー、気のなさそうな様子で最後まで書き留める。それから鉛筆を置く。)
 ロレンス しかし、もし私の意見が取り上げられず、戦争を続ける意志がおありになり、私の代わりに誰か推薦せよと仰るのなら・・・
 アレンビー(静かに。)君の代わりは誰もいない。(ノートから、今書いたぺージを引き裂いて。)さて、君の論点を最後の一つを除いて後ろの方から一つ一つ反駁することにしよう。(書き留めたものを見て。)軍事的失敗というが、それは正しくない。敵の動きを牽制する仕事について言えば、君には時期的な誇張がある。私はまだ君にこれを命じてはいないのだ。橋の爆破は確かに命じた。しかし、どれもこれもみんな成功すると期待してはいない。アラブの反乱が偽物だと? 君がそれを言うのは勝手だ。しかし、それはそうではないと意志の力で説き伏せることが出来ると、君は言ったぞ。
 ロレンス それは司令官の方から私に話された台詞だと思いましたが。とにかく私の意志は、私が以前思っていたよりもっと信頼出来ないものであることが分かったのです。
 アレンビー(立ち上がり、ロレンスの右手に来て。)何があったんだ、ロレンス。
 ロレンス(急に疲れを見せて。)戦闘の疲れによるものではないでしょうか。
 アレンビー よく言うな。君に関しては、それは違う。
 ロレンス 幻滅・・・あるいは、怖じ気づいて・・・
 アレンビー 違うな。何か酷いことが起こったんだ。何なのだ。
 ロレンス まぼろしを見たのです。砂漠の人間にはよくあることです。
 アレンビー 何のまぼろしだ。
 ロレンス 真実のです。
 アレンビー 真実? アラブの反乱についてのか。
 ロレンス いいえ、私自身についてのです。
 アレンビー つまりそれがこれか・・・(紙を叩いて。)「もう続けることは出来ない」。
 ロレンス ええ。その一部です。
 アレンビー 一番大事な部分だな?
 ロレンス いいえ。ただこの件に関しては、そのことが最も関連があるというだけで。
(間。)
 アレンビー(急に。)残念だ!(テーブルの傍に進む。)実に残念だ。
(ロレンス、黙って床を見つめる。)
 アレンビー(テーブルの椅子に坐って。)よし。(書く。)イギリスに送り返すことにする。
 ロレンス 本国送還は望むところではありません。
(ストアーズ、右手から登場。歩哨に何か囁く。)
(ハメッド、ストアーズに続いて登場。)
 アレンビー 君が来れば陸軍省はきっと喜ぶ。昇進も確実だ。私は中佐に君を推薦することにしている。二三週間前に勲功賞にも推薦しておいた。この勲功賞と、既に貰っているCBの勲章、それにその背中の傷でかなり騒がれることになるぞ。
(歩哨、中央扉から登場。踵を鳴らす。)
 アレンビー(歩哨に。)何だ。
 歩哨 ストアーズ氏です。電報を持って外に。
 アレンビー 通せ。
 歩哨 はっ。(ストアーズに頭で合図。)
(ロレンス、行こうとする。)
 アレンビー(ロレンスに。)待て。君の後任者についてちょっとまだ話がある。
(ストアーズ、中央から登場。テーブルの前に立つ。歩哨、再び中央の自分の位置に戻る。)
(ハメッド、右手から退場。)
 ストアーズ(アレンビーに電報を渡しながら。)ダウニング街からです。水曜日にエルサレムへ凱旋パレードを行って欲しいとのことです。
 アレンビー 私を何だと思っているんだ。ローマ皇帝じゃないんだぞ、私は。
 ストアーズ ブラスバンドに凱旋行進。美人達を集めて花を撒かせる。私は楽しみです。(ロレンスに。)君の部下のハメッドが外で待っている。会いたいと言っている。
 ロレンス まだいたのか。しようがないな。一時間以内にフェイサルの野営地に出発しろと言っておいたのに。
 ストアーズ 君とどうしても話をするんだと言っている。ひどく興奮している。いつ帰ってやるんだ、ロレンス。
 アレンビー(急に強い口調で。)彼はもう帰らない。
 ストアーズ(アレンビーを見て。)何ですって?
 アレンビー もう止めたと言っている。精も根も尽き果てたとな。尤もな話だ。だから陸軍省へ送還する予定なのだ。
 ロレンス(地面を見つめて。)もう行っていいでしょうか。私は疲れました。私の・・・後任については、また後ほど話を。
 アレンビー(普通の調子で。)よかろう。
(ロレンス、中央に進み、退場しかける。)
 アレンビー 待て。
(ロレンス、立ち止まり、アレンビーに向き直る。)
 アレンビー 水曜日、君にも凱旋行進に出て貰う。
 ロレンス 何の資格ででしょう。
 アレンビー 第一線の連絡将校としてだ、勿論。イギリス・アラブのな。
 ロレンス(テーブルの左に素早く動いて、アレンビーと向き合う。)いいえ、それは駄目です。
 アレンビー(冷たく。次の言葉は命令である。)君は私のすぐ後を行進する。すべての式の間中、私の横に坐る。
 ロレンス(急に鋭く笑って。)はっはっは。これはいいです。正に教科書用の話だ。(電報を指さして。)転がり込んで来た好機は、即座にこれを利用すべし。
 アレンビー(冷たく。)君はどうやらこれを懲らしめと考えているようだな。それは違う。水曜日に君に対して行われる名誉は、君の過去に対する報酬だ。たとえそれが現在の君に対して居心地の悪い思いをさせることがあっても、それは君の知ったことではない。勿論、私の知ったことでもない。
 ロレンス(正面を向いて。急に疲れて。)それも教科書用の題材ですね。脱走兵に対してはいかなる対応をすべきであるか。私も習いました。但し私のはサンドハースト仕込みではありません。経験からですが。意志を挫かれた、怖じ気づいた、可哀相な奴ら・・・連中を説得して戦場に再び向かわせるなど無理な話です。脅しても、まして冗談を言って紛らわそうったって、駄目です。しかし辱(はづかし)めれば何とかなるときがある。そう。時々は思いもかけない大成功を収める。その技術の使い方が正しければ。多分ご存じでしょう、今まで私がどんなに御尊敬申し上げていたかを。しかし今のこの瞬間ほどその念が強かったことはありません。ここへ来る途中私はそちらから出てきそうなあらゆる引き留め作戦を考え、それに対抗するあらゆる手を用意していました。それなのに、たった五分で覆されるとは。私の部下に会っていいでしょうか。ストアーズの言葉では、外にいるという話ですので。
 アレンビー(呼ぶ。)歩哨!
(歩哨、中央扉の方へ進み寄る。)
 歩哨 はい。
 アレンビー 少佐の部下をここに。
 歩哨 畏まりました。(中央に進み、小さく口笛を吹く。そして外に頭で合図する。)
 ロレンス どうやら私の計算に入っていなかったものは、偉大な将軍なら誰でも当然持っている、あの極限の残忍さだったようです。
(ハメッド、中央扉から登場。中央左手に立つ。)
 ロレンス(ハメッドの方を向き。)どうしたんだハメッド、まだガザにいるというのは。フェイサルのところに戻れと二時間も前に命じた筈だぞ。
 ハメッド(呟く。)はい、そうです、エル・アウランス。
 ロレンス 何故命令に背いた。
 ハメッド 私のらくだが死にましたので。
 ロレンス 今朝は元気だったぞ。
 ハメッド 急に病気にかかったのです、きっと。
 ロレンス ふん、正に急だな。しかし私のらくだもいる筈だぞ。
 ハメッド(地面を見ながら。)あれも死にました。
 ロレンス そして同じ病気のためなんだな?
 ハメッド ええ、そうらしいです。(ロレンスを見上げる。)ですから私はもうここに、エル・アウランスと一緒にいなければならないのです。帰る手だてがありませんから。
 ロレンス 別のらくだを見つけるまではな。
 ハメッド ガザではらくだはなかなかいません。
 ロレンス 木曜日の朝までに、お前は捜して来なければならんぞ。二頭な。
 ハメッド(ロレンスに近づいて。)二頭?
 ロレンス 二頭だ。がっちりした素晴らしいやつをだぞ。丁度お前が昨日無くしたようなやつをだ。
 ハメッド(喜びで顔が輝く。)はい。一時間以内に。(行きかける。)
 ロレンス 待て。
(ハメッド、立ち止まり、振り返る。)
 ロレンス 木曜日、陽が上がる頃だ。(アレンビーの方をちらと見て。)水曜日はエルサレムでしなきゃならないことがある。
 ハメッド 私をからかっているのではありませんね?
 ロレンス いや、本気だ。
 ハメッド でも、この間仰ったことは・・・
 ロレンス 言うことは言うこと、することはすることだ。間違えてはいけない。
(ハメッド、突然ロレンスに膝まづく。ロレンスの片手を取って接吻し、それを自分の頭の上に載せる。アラブ式の礼。それから向きを変え、急いで中央扉から退場。)
 ロレンス(アレンビーに向き直り、肩を竦める。)しようがないですね。申し上げました通り、昔頼りにしていたあの意志の力、それが今はないのですから。
 アレンビー また出て来る、それは。
 ロレンス いいえ。何か代わりのものが必要です。それを捜さなければ。(目を逸らせる。)でも、よく考えておいて戴きたいことが二つあります。
 アレンビー 何だ、それは。
 ロレンス 閣下が送り戻す男が、脱走兵であるということ、そして送り戻されるその戦場というのが、全く酷いものであるということ。
(ロレンス、廻れ右をし、中央扉から退場。間。)
 ストアーズ(中央に進みながら。)外交官になられていても、立派なお仕事をなさっていたでしょうね。今軍人でいらっしゃる時と同じように。
 アレンビー(立ち上がって中央扉に近づきながら。)その侮辱、確かに私に通用する。
 ストアーズ 侮辱なんかじゃありません。でも、彼を戦場に送り返したのは、正しかったでしょうか。
 アレンビー(怒って。)正しい? そんなこと知るもんか。必要だったのだ。あれが必要、これが必要。正しさではない。私に関心があるのは必要だけだ。(悲しそうに。)そしてそれだけを考えるのが私の義務なのだ。(テーブルに近づき、飲み物を注ぐ。ため息をついて。)ああ、ストアーズ、この戦争が終りさえすれば。酷いもんだ、戦争ってやつは。
(暗転。)
(遠くで鉄砲の撃ち合いの音。)

     第 二 幕
     第 六 場
(場 タファス村の近く。ロレンスのテントの外。)
(右手奥に大きな岩。左手の前方に、布製の洗濯用バケツが台の上に置いてある。中央右手に武器箱二個。)
(あかりがつくと、ロレンスがバケツで頭の布を洗っている。着物と時計とタオルが左手の岩にのせてある。空軍中尉ヒギンズ、右手から登場。イギリス空軍の制服を着ている。コートとヘルメットは手に持っている。タイプ打ちの紙二三枚をしっかり手に持っている。武器箱の上に自分のコートとヘルメットを落とし、中央に進む。この場の間中、銃の撃ち合いが続く。)
 ヒギンズ 命令された仕事をやりました。ちゃんと出来ていると思います。今すぐ確かめて戴きたいのですが。
 ロレンス パイロットが早く発ちたいと言っているのか。
 ヒギンズ ええ、そのー・・・もう大分遅いのです。司令官がこれをお待ちになっていますし、優先度第一なのです。
 ロレンス 読んで。
 ヒギンズ(自分でタイプして来たものを読む。)「九月二十五日、二十六日の作戦。作戦番号一九ー一八。私はアラブの主力軍隊を、トルコ軍第四部隊の撤退路になると予想される場所に待ち伏せさせることに決めた。私の作戦参謀達は全員、これを危険な企てだと判断した。トルコ第四部隊はダマスカスの補強に充てるため、無傷で撤退して来るに違いないからである。数において四分の一、おまけに実戦の経験のないアラブ軍は到底トルコの訓練された軍隊の敵ではないという見方であった。しかし私は、奇襲による効果がこの二つの不利を十分に補うであろうと判断した。私の底知れない楽天主義が勝ちを収めたことを報告出来る事は誠に喜ばしい。」
 ロレンス 「底知れない」? いや、「底なしの」だ。「底なしの楽天主義」。そうでなくてもこの文章はヒューブリスになっている。「底知れない」はやり過ぎだ。
 ヒギンズ(明るく。)失礼しました。「底なしの」(直しを書き留める。)それから何でしょう、その「ヒュー」なんとかというのは。
 ロレンス 「ヒューブリス」。ギリシャ語だ。「見せびらかし」。
(ロレンス、布を広げる。)
 ヒギンズ はあ。しかし、当然ではありませんか。「見せびらかし」は。それだけのものがあるんですから。(報告書を指さす。)
 ロレンス そう思うか。
 ヒギンズ 南で待ち伏せていた部隊と、こちら側とで確保した捕虜の数。すごいです、これは。
(ロレンス、答えない。左手の岩に行き、その上に布を落とし、自分の着物を取り上げる。)
 ヒギンズ 本当にすごいです。(読む。)「私は次のことを報告出来ることを幸せと感じる者であります。即ち、今朝十一時より、トルコ第四部隊は存在を停止したと。作戦行動の詳細は・・・」
 ロレンス(遮って。)そこまで。(着物を着る。)君から「ヒューブリス」に対する許可が出たので、その「存在を停止した」の後に次の文章を加えて欲しい。
(ヒギンズ、ノートを取り出し、書き留める。)
 ロレンス「この作戦に鑑み、私は明日一番にダマスカス市に乗り込み、そこをフェイサル王の名において占拠するつもりであります。この行動は貴下の同意を得られるものと信じておりますが、その信ずるところ甚だ大であるため、この報告書到着後、たとえ貴下において当行動の中止を発令されようと、既に手遅れである筈につき、ご承知おき下されたし。」
(ロレンス、顔と手をバケツの水で洗う。岩からタオルを取って身体を拭く。)
 ヒギンズ これはすごい。戦争が終わったら、私は回想録が書けます。「アラビアのロレンス」S・R・ヒギンズ著。
 ロレンス その名前、君の発明?
 ヒギンズ 名前の発明? ああ、ヒギンズですか?
 ロレンス いや、もう一つの方だ。
 ヒギンズ え? 「アラビアのロレンス」? いえいえ、飛んでもない。もう何箇月も前から、どの新聞でもそう呼んでいます。
 ロレンス そうか。知らなかった。
 ヒギンズ 細かい方の報告書も読みましょうか。
 ロレンス いや、もう発った方がいい。何か都合の悪いところがなかったかな、その中に。(時計を岩から取り上げる。)
 ヒギンズ(迷いながら。)いいえ、でも、その・・・一箇所だけ・・・(目を逸らす。言うのを恐れている。)
 ロレンス どこの部分だ。
 ヒギンズ あの、駅の夜襲のところですが。
 ロレンス うん、それで?
 ヒギンズ ちょっとまづいところが・・・出さない方が賢明のように思います。なにしろ公けの書類ですから。
 ロレンス ふん。ちょっと読んでみてくれ。(時計を腕にはめる。)
 ヒギンズ(読む。)「行動報告。九月十八日。」
(ロレンス、地面を見つめる。表情は動かない。)
 ヒギンズ 「デラアの包囲を完全にするために・・・夜中の列車襲撃を・・・奇襲は完璧とは言えなかった・・・」ああ、ここです。「ザアリ部隊に援護射撃を命じ、私は私のボディーガードと共に土手を下りて行った。そして爆弾をしかけた。爆破は成功し、橋は壊れた。しかし敵は橋の方角から一斉射撃を始めた。最初の一斉射撃の時、私のボディーガードに弾が当たった。私は彼を土手から引きずり上げようとしたが、出来なかった。トルコ軍は塹壕から出、こちらに近づいて来た。私は余儀なく彼を置き去りにすることにした。このような場合に、いつも取る処置を私は行った。私は他の仲間のところに駆け戻り、撤退はこれ以上の損失なく完了した。」
(間。ロレンス、相変わらず地面を見つめている。)
 ロレンス(やがて。)気に入らないのは具体的に言うと、どこかな。
 ヒギンズ つまりその、暗示的な部分です。
 ロレンス 傷ついた部下を私が殺すという?
 ヒギンズ はい。
 ロレンス しかし、私は実際に殺したのだ。
 ヒギンズ(ショックを受けて。)えっ? はあ。(勇気を出して。)しかしこれは公けの書類に書かれるべき事柄ではありません。
 ロレンス ほほう。しかしその後で私は四十人のトルコの兵士をいかに殺したかを書いているぞ。
 ヒギンズ(ぞっとなる。)ええ。でも、その場合、相手は敵です。これは味方なんですから。
 ロレンス そう。味方だ。
 ヒギンズ 勿論相手はただのアラブ人なんだから、という考えはあります。しかしそれでもあの書き方は少し無造作に聞こえます。
 ロレンス なるほど。すると君は、無造作さを少し弱めたいというんだな?
 ヒギンズ 本当はこの部分をすっかり削って戴きたいのです。彼の妻、或いは係累の者から問題が生じはしないかと。
 ロレンス 妻はいない。友達は一人いた。しかしそれも死んでいる。
 ヒギンズ(ロレンスの想像力の貧困さに少し怒って。)しかし彼の死に心をかける人間はいるのではありませんか。誰か。
 ロレンス 勿論いる。しかし連中が面倒事を起こすとはとても思えない。
 ヒギンズ それは分かりません。とにかくこの部分に少し手を加えてもいいでしょうか。その時機関銃の一斉射撃があり、自分には当たらなかったが、彼に命中した、とか・・・
 ロレンス(礼儀正しく。)ああ、それはいい。それにしてくれ。(左手に進む。)
 ヒギンズ 本部に帰りましたら、そのように直しておきます。ではこれで。(武器箱に進み、屈んで自分のコートとヘルメットを取り上げる。)
 ロレンス ああ、では。
(アウダ、左手からドスンドスンと登場。疲れて、機嫌が悪い。着物は千切れ、血がついている。)
 アウダ(右手に進み。)このアウダが、トルコの兵士を殺すのに飽きが来る時があろうとはな。(銃を下ろす。)年をとるというのは全くひどい話だ。
 ヒギンズ(直立して、それから中央に進む。)失礼します。
 アウダ(ギラギラとヒギンズを睨みつけて。)ああ、トルコだな。(銃を掴む。)
 ロレンス 違う、違う。イギリス人だ。
 アウダ(非難するように。)イギリス軍の軍服は知っているぞ。こいつはトルコのだ。
 ロレンス これは空軍の制服なんです。(ヒギンズに。)君は行った方がいい。君のことを敵だと思っている。
 ヒギンズ そいつはかないません。随分すごい顔のじいさんですね。この人もひょっとして、アラブの将軍の一人ですか?
 ロレンス そう。正にその通り。私もその下にいる。
 ヒギンズ これは大変。可哀相なヒギンズ。何かというとすぐ面倒に巻き込まれる。私はこれで失礼致します。
(ヒギンズ、ロレンスに敬礼。廻れ右。アウダの疑い深そうな目がヒギンズを見ている。ヒギンズ、びくびくしながらアウダにも敬礼。右手から退場。)
 アウダ(疲れたように。)やれやれ、もう来ないんだな?(銃を置いて中央に進む。)
 ロレンス 来ない。
 アウダ 明日はダマスカスか。(地面に坐る。)
 ロレンス そう。(歩み寄って、アウダの右の方に、地面に坐る。)
 アウダ トルコは負けた。この二年来の夢は達した。明日はダマスカス。いい神だ、アラーは。
 ロレンス いい神です。
(間。アウダ、ロレンスを見る。思いやりのある目つき。)
 アウダ ハメッドの話、聞いたぞ。
 ロレンス 私なら、あなたには話さなかった。
 アウダ 私にこそ話すべきじゃないか。
 ロレンス 友達には決して話してはいけない話題です、これは。
 アウダ 友達にこそ話すべきだろう。
 ロレンス いえ。敵とか、見知らぬ人にはいいでしょう。でも、友達には決して。
 アウダ(優しく。)他の話をしよう。昨日のあの大戦闘の話でも。
 ロレンス(間の後。)ピストルを持ち上げると、ちょっとの間でしたが彼は目を開いたのです。その時まではしっかりと目をつぶっていました。痛みがひどかったのです。神の意志だったのでしょう、目を開けたのは。私が彼の頭にピストルを向けているのを見て、言いました。「ラシッドはあなたのことを怒りますよ、エル・アウランス」と。
 アウダ ラシッドのことは覚えている。エル・ホウルの行軍中に死んだ男だったな。
 ロレンス そうです。私が(測量に失敗して)井戸に辿り着けなかった日です。だから私はハメッドに言いました。「ラシッドによろしく言ってくれ」と。ハメッドは微笑みました。痛みがぶり返し、彼は目を閉じました。私が丁度ピストルを持ち上げた時、彼は言いました。「神様、どうかこの人に、心の平静さをお与え下さいますように」と。私は引き金を引きました。トルコ軍はもう塹壕から飛び出して来ていたのです。
 アウダ(間の後。)その記憶の鋭い痛みはそのうち和らぐさ。
 ロレンス(立ち上がり、左手に進みながら。)それと同じ言葉を私は昔ハメッドに言いました。彼はその時、その言葉を信じませんでした。私も今、信じません。
 アウダ お前は他のことを考えなきゃいかん。ダマスカスのことを考えるんだ。そこで我々がしなきゃならんことを。
 ロレンス ええ、そうします。
 アウダ それから、ダマスカスを取った時のことをだ。我々の戦いは、本当はこれでやっと始まったという訳なんだからな。(心配そうに。)なあ、エル・アウランス。お前さん、我々とこの戦いを続けてくれるんだろうな。アラーの神もご存じなんだ。戦いの時にも勿論お前さんは我々にとって大事な人間だった。が、平和になれば、もっと大事な人物になる。
 ロレンス ええ。私は償(つぐな)いをしなければなりませんから。
 アウダ 償い?
 ロレンス 私が誤って導いて来た人々に対して。
(間。アウダ、立ち上がり、中央左手に進む。)
 アウダ どうしたんだ、エル・アウランス。勝利で頭がおかしくなったんじゃないのか。お前は我々をメッカからダマスカスまで導いてきた。何千マイルもだ。敵の軍は我々の数倍もあるというのに。それが間違いだったというのか。
 ロレンス ああアウダ、私が悪かった。今のは冗談だ。冗談にもならない冗談だ。
 アウダ 平和の時にも戦ってくれるな? 戦争の時と同じように。
 ロレンス ええ。力の限り。この言い方で足りないかな?
 アウダ いや、十分だ。エル・アウランス、この男に力の限りがあるか。ない。そうだろう。
 ロレンス いいえ、あります。どこかに。
 アウダ いや、ない。(ロレンスを抱擁する。)私は何人も息子をなくしている。そう、孫もだ。しかし、お前さんを失った時の悲しみは、そのどれにも比較にならない。お前さんを失ったと思ったのは、あの時のことだ。お前さんが我々のところを去ってガザに行った。もう永久に帰って来ないと思い込んだあの時。今夜、何時だ?
 ロレンス 夜中の十二時です。夜明けまでにはダマスカスに着くでしょう。
(バリントン、右手から登場。急いでいる。)
 バリントン(中央に進んで。)ああロレンス、ここか。よかった、捜せて。君の本部が正確にどこにあるのか、報告しておいてくれなきゃ困るな、全く。
(アウダ、バリントンの左手に進む。身体中怒りを表している。バリントンの上着を掴み、自分の方に引き寄せる。)
 アウダ 貴様は何だ。
 バリントン 名前はバリントン。バリントン将軍。総司令部所属だ。
 アウダ(バリントンを強く揺すって。)総司令部だと? いいか、それなら、連中に言うんだ。このアウダ・アブ・タイが、エル・アウランスのことをどう評価しているか。エル・アウランスはな、(バリントンを強く揺する。)男の中の男だ。(また揺する。)あたるところ敵なしの。(また揺する。)それに、その精神の気高さだ。エル・アウランスに欠点など、どこを捜してもありはしない。(ロレンスを指さして。)この男の偉大さをちょっとでも疑うような、そんな裏切り者がもしいたら、いいか、その男のトンチキ頭に、このアウダの呪(のろ)がかかるんだぞ。(アウダ、バリントンを揺する。これで四度目の揺すり。急に手を放し、銃を拾い上げ、右手から退場。)
 バリントン(アウダの去って行くのを見ながら。)仲間の一人なんだな?
 ロレンス そうです。
 バリントン 興奮しやすい連中だ、ベドウィンって奴らは。度が過ぎる。
 ロレンス(中央左手に進みながら。)どうやってここまで?
 バリントン(ロレンスの方を向いて。)デラアから装甲車でだ。第四騎兵部隊が今朝デラアに到着した。私もその部隊と一緒だった。私に総司令官から命令だ。すぐに君を連れて来いとな。
 ロレンス ははあ、逮捕ですか。
 バリントン(苛々と。)勿論逮捕じゃない。しかし、怒り狂っているぞ、総司令官は。カンカンに怒っている。あの光景・・・私も今朝見たんだが、あれを見ては怒るのも無理はない。どうやらゆうべ、君のあのトンチキ野郎共が、あの街をくすね取ろうと・・・
 ロレンス 失礼ながら閣下、言葉をもう少し公式なものに願います。フェイサル王の部隊が、私の命令のもとに昨夜、デラアに総攻撃を行い、主要交通路、及び列車集積所を占拠した、と。
 バリントン フン、君の報告書ではそうなるだろうな。いいかロレンス、私はこれでもかなり場数を踏んでいる軍人だ。しかし私は、今までにあんな光景は見たことがない。連中はトルコ風と名のつけられる一切のものを焼き払い、強奪していた。吐き気がする、あの光景は。一守備隊を丸ごと皆殺しにしているその最中だった。生存者が十人といただろうか。連中の虐殺行為を防ぐために我々は、陸軍病院を守らねばならなかったほどだ。これは危険な状況だ。これを止められるのは君しかいない。どうやらそのようだ。従って、今すぐ私と一緒に現地に行って貰いたい。
 ロレンス(冷たく。)失礼ながら閣下、私にはその時間がありません。(目を逸らす。)
 バリントン(ロレンスに進み寄り、目を大きく開けて。)総司令官にそう報告してもいいのか。
 ロレンス(振り返って。)どうせそう報告なさるのでしょう。私に訊く必要がどこにあるのですか。総司令官には次のようにも言っておいて下さい。デラアは私によって占領され、その保持も現在全く不安なしです。どうか総司令官の部隊はお引き上げ下さい、と。では閣下、私はこれで。(時計を見て。)今夜は遂行すべき重要な作戦があります。それを準備しなければ(振り向いて行こうとする。)
 バリントン(素早く動いてロレンスを止め。)子供じみた真似は止めろ、ロレンス。うんざりだ。
 ロレンス(面白がって。)子供じみた真似? アブドゥラの野営地でお会いした頃から比べると、少しは大人になったと思っているんですがね。
 バリントン 総司令官への今の報告を貴様、真面目に言っているのか。
(ロレンス、肩を竦める。)
 バリントン デラアが、あの野蛮人どものなすが儘になっていいと言うのか。
 ロレンス(中央右手に進み、静かに。)あそこを占領したその野蛮人の中には、タファス村出身の者がいるでしょう。二日前我々はトルコ軍を追ってタファス村に着きました。丁度村に入ろうとする時、首に銃剣の傷を負った男の子が倒れていました。私が屈み込んでその子の顔を覗き込むと、子供は叫び声を上げました。「殴らないで、おじちゃん」。そして立ち上がって、走って逃げました。暫く走ってばたっと倒れ、死にました。これは我々が見た最初のものでしかありません。我々は村に入りました。十八人の婦人が、銃剣で卑猥な悪戯(いたずら)をされて殺されていました。そのうち二人は妊娠中の婦人でした。私は部下に言いました。「トルコの奴らめ、皆殺しにしてやるぞ。」どうやら私のこの言葉が、有り難いことに、ゆうべデラアで実行された様子です、閣下。(ある考えが浮かぶ。・・・訳註 野暮であるが註をつけておく。ロレンスが拷問にあった場所。)デラアだって? 何ていう馬鹿なんだ、俺は。思いつきもしなかったぞ。デラアでか。
(静かに笑う。そして行こうとする。)
 バリントン(ロレンスをぐいと引き留める。)貴様は人間の感情を全て棄ててしまったのか。
(ロレンス、再び笑う。今度は少し違った調子。)
 ロレンス どうやら閣下、それは正しいようです。今の私は丁度それにあたるようです。(笑い、だんだん高くなる。ヒステリーの症状が加わる。)そう。人間の感情を全て棄ててしまっているのです。
 バリントン(呆れて。)サディストめ。自分勝手な。貴様には魂などない!
 ロレンス(いよいよ笑い、高くなる。)そうそう、その通り。特に最後のそれ。魂などない。
 バリントン 胸糞が悪くなる。糞っ!
(バリントン、ロレンスを乱暴に押し倒す。ロレンス、地面に倒れる。笑い声続く。しかし、弱まる。)
(バリントン、右手から退場。)
 ロレンス(バリントンの背中に向かって言う。)自分でも自分に胸糞が悪くなる。これは冗談。しかし子供の冗談じゃない。ただの・・・冗談。(笑い声はもう笑い声でなくなっている。しかし音だけは続く。)アラビアのロレンス・・・魂のない奇跡・・・
(突然ロレンスの上げている声の間に、静かなはっきりした声が響く。ハメッドの声である。録音ではない、生の声。)
 ハメッドの声 神様、どうかこの人に心の平静をお与え下さいますように。
 ロレンス(立ち上がろうともがきながら。)いやハメッド、それはない。心の平静など、生涯ないぞ。
(ロレンス、右手から覚束ない足取りで退場。)
 ハメッドの声(ロレンスが去って行く間に。)心の平静をお与え下さいますように。
(暗転。)
(暗闇の中から起床ラッパの音がはっきりと鳴り響く。)

     第 二 幕
     第 七 場
(場 空軍物資集積所の事務室。朝。)
(あかりがつく前に、スポットライトがイギリス空軍の軍旗を照らす。掲揚されてポールの上に上がって行くところ。上まで上がるとスポットライト、消える。その間起床ラッパが終まで鳴る。その後暫く沈黙。)
(あかりがつくと、空軍中尉が(机の)椅子の背を握って椅子の左手に立っている。伍長が机の前で気をつけの姿勢。)
 中尉 何だって? よく分からんな。隊長が私に会いに来るだと? 貴様、ちゃんと聞いたのか?
 伍長 はい。来られる途中だとのことです。
 中尉 妙な話だ。何故私を呼びつけないのだ。
 伍長 はっ、分からないであります。
 中尉 奇妙な話だ。まあいい。分かった。(机について、慌てて片付け始める。二三の書類を「未決」から「既決」の方に移す。灰皿の吸殻を捨てる。)
(中央右手の扉に、横柄なノックの音。)
 中尉(心配そうな声で。)どうぞ。
(隊長登場。乱れた服装。憔悴して苛々している。中尉、立ち上がる。伍長、飛び上がり、気をつけ。)
 隊長 伍長、Bフライトの曹長をすぐここに。
 伍長 はっ、曹長をすぐ連れて来るであります。
(伍長、敬礼。右手から退場。)
 中尉 エー、これはその、驚きであります。態々お運びになられるなどと、めったにあることでは・・・
 隊長(机の右手に動いて、かすれ声で。)ここに飲み物は?
 中尉 はっ、少し。エー、薬用でありますが。(グラスを一個取り、ウイスキーの壜を机の引き出しから取り出し、グラスに注ぐ。)
 隊長 やらずにはおられん。悪夢だったからな、私の事務所では。朝の六時、当直士官があのニュースを持ってきて以来、電話が鳴りっぱなしだ。(グラスを受け取って。)すまん。(飲む。)盗み聞きは大丈夫なのかな。心配なのはデイリー・ミラーだ。連中が最初だからな。そうだ、いいか。あの野郎を一時間以内にここから追い出すんだ。
 中尉 あの野郎、とは?
 隊長(苛々と。)ロスだ、勿論。空軍省ではあいつの写真がどこにも残っていないようにと、ひどく神経をつかっている。(写真が撮られるのは阻止しなければ。)あいつは私用の出口から出すんだ。分かるな?(飲む。)
 中尉 あー、ちょっとお待ち下さい。まだよく話が・・・するとつまり、ロスを隊長の私用出口からこっそり追い出すという話なのでしょうか。今の話を、そう受け取ってよいと・・・?
 隊長 とろい奴だ。分かっとらんのか。そうか。分かっている筈もないな。全員ひた隠しにしてここまで来たんだ。いづれにせよ、今夜までには誰もが知ることになるんだが。
 中尉(辛抱強く。)それはその・・・今朝ご報告しようと思っておりましたが、昨日私があいつに課した懲罰と何か関係があるのでしょうか。
 隊長 あいつに? 懲罰? お前が課したのか。
 中尉 はい。不届き極まる不服従に対してです。
 隊長 不服従? 誰に対するだ。
 中尉 私に対してです。
(間あり。)
 隊長(相手を思いやる気持ち。)君、一杯やった方がいい。
 中尉(礼儀正しく。)午前中にはやらないことにしています。
 隊長 私はやるな。(もう一杯自分に注ぐ。)不届き極まる不服従か。やれやれ、新聞社がこいつを聞いたら飛びつくな。君が懲罰にかけた男が誰かもう知ってもいい頃だ。アラビアのロレンス、その人だ。
 中尉(間の後、呟くように。)まさか、そんな、そんなことが・・・あろう筈が・・・
 隊長(意地悪な気持ちが出て。)不服従とは一体何だったのだ、具体的には。
 中尉 彼は門限に遅れました。その晩誰と一緒だったかと訊きました。その答が、カンタベリー大僧正(声がだんだん小さくなる。)アスター郷夫妻、それにジョージ・バーナード・ショー夫妻・・・ああ、・・・(そうだったのか。)
 隊長(ウイスキーの壜を持って。)ほら。
 中尉(壜を受け取り。)でも、信じられないことです。(椅子にぐったり腰を下ろす。)でも何故彼はこんなことを・・・
 隊長 そうなんだ。そこが問題だ。彼からは何もはっきりした答は出てこなかった。ほとんど一時間彼と話したんだが・・・気まづい事限りなしだ。まづは、「どうぞお坐り下さい」だからな、勿論。
 中尉(急に立ち上がって。)はっ、勿論であります。
 隊長 彼が終始使った言葉は、「避難」だ。イギリス空軍は彼の「避難所」か?
 中尉 何からの避難でしょう。(左手に進む。)
 隊長 知るものか。(机の椅子の方に寄る。)彼の言葉によれば、自分自身から、そして自分の名声からの避難だそうだ。名前はいらない。標識番号が欲しい。標識番号にこだわっていたな。(机の椅子に坐る。)この「番号」というやつが自分を消してくれる。集団の中に埋没出来ると。奴はひねてる、私に言わせれば。
 中尉(興奮して。)抗議なんじゃないでしょうか、あの人の。ヴェルサイユでアラブが否定されたことへの。
 隊長 いや、そうではないらしい。私もそれを訊いてみた。
 中尉 では、パレスチナ問題に対する?
 隊長 いや、ユダヤの国のことは歓迎している。自分が戦ったのは・・・ああ、ちょっと待った。(ポケットから一枚の紙を取り出す。)そう、これだ。ここにある。(読む。)「自分が戦ったのは、宗教とは無関係に、全セム族のためである。現在のアラビア或いはパレスチナに対して、何の不満もない。チャーチルが中東に対して行った最近の決定で、すっきりと片がついた。」彼の言葉通りの台詞だ、これが。(ポケットに紙をしまう。)
 中尉 そうですか。言葉通りの台詞ですか。
 隊長(苦い顔をする。)そうだ。いちいち繰り返すな。
 中尉 はっ、失礼しました。
 隊長 奇妙な奴だ。本当にあの人物でなかったら、可哀相に思うところだ。
 中尉 これからどうなるんでしょう。
 隊長 空軍省では、すぐに追い出しを決めた。連中は怒り狂っている。外国の大使館からも質問攻め、下院でも代表質問がありそうだ。いや、駄目に決まっている。ああ、私の言っているのは、戦争の英雄のために空軍が避難所などになってやれるもんか。それに相手は陸軍じゃないか。
 中尉 合法的に追い出せるものでしょうか。
 隊長 それは出来るさ。偽名を使って、おまけに経歴だって嘘なんだからな。(グラスを渡して。)済みだ。
 中尉(受け取って。)はい。(机の向こう側を通って、グラスと壜を引き出しに入れる。)
(扉にノックの音。)
 中尉(ノックに答えて。)入ってよし。
(曹長、右手から登場。気をつけ、そして敬礼。中尉、扉のところへ行き、閉める。)
 曹長(大声で。)空軍曹長、Bフライトのトンプソンであります。報告に参りました。
 隊長 よし。お前のところに、ロス整備兵がいるな?
 曹長 はい、おるであります。
 隊長 一時間以内にここから出て貰わねばならん。
 曹長 はっ、出すであります。
 隊長 お前、このことを知っていたのか?
 曹長 はっ、ロス本人が話したであります。
 隊長 その理由も話したのか、あの男は。
 曹長 はっ、自分は聞いたであります。
 隊長 そうか。いいな、他の連中には決して喋るな。
 曹長 はっ、他の連中も全員知っておるであります。自分が喋ったであります。
 隊長 えっ? しようのない奴だ。(中尉に。)すると今頃は、隊中に知れ渡っているな。
(中尉、右手の方に進む。)
 中尉(曹長に。好奇心をもって。)あの男は、お前に何を話したのだ? 具体的には。
(曹長、振り返り、敬礼。)
 曹長 隊長殿が彼にお話になったことであります。つまり、自分は空軍には向かない。性に合っていない。年をとり過ぎている。仕事がこなせない。だから追っ払われ・・・除隊を命ぜられたのだ、と。
 中尉(間の後。)それだけか、話は。
 曹長 はっ、それだけであります。
 隊長 他には、何もないのか?
 曹長(思い出そうと努力しながら。)はっ。エー、これから先、どうしたらよいものか、と。そんなことを・・・
 隊長 分かった。終だ。下がってよし。
 曹長 一言、いいでありますか。
(中尉、頷く。)
 曹長 自分はこのロス整備兵を、二箇月あまり見て来ました。確かに理想的な新兵とは言えないであります。しかし、誰でも最初はあんなものであります。いえ、実際のところ、あのやろ(言葉を飲み込んで。)・・・いえ、あの男はいい奴です。もう少しおいてやりさえすれば・・・もうこれ以上へまをやらせないよう自分が気をつけるであります。必ず立派に一人前に仕立て上げてやるであります。
 隊長 悪いがな曹長、これはもう決まったことなんだ。
 中尉(微かな微笑。)向かないんだ、この仕事に。
 曹長 はっ、でも、いろんな人間を入れるからいいのであります。自分はいつもそのことを・・・
 隊長(鋭く。)それでよし、曹長。九時丁度までには、彼を出すんだ。いいな。
(曹長、敬礼。扉まで進む。それから立ち止まり、廻れ右する。)
 曹長 直言、お許し願います。自分の考えでは、世界中どんな男でも、訓練さえやれば、どんな仕事でも出来るようになると信じているであります。
 隊長 そうだな、曹長。
 曹長 気分を害しておられないことを望むであります。
 隊長 害してはおらん。このロスは特殊なケースだ。非常に特殊なケースだ。
曹 長 はっ、分かりました。
(曹長、敬礼。右手から退場。その時・・・暗転。)

     第 二 幕
     第 八 場
(場 物資集積所の仮兵舎。)
(右手と中央左手のベッドの上の毛布等が、日中使用用に綺麗に設(しつら)えてある。ロレンスのベッドの上の毛布等は取り除かれてある。)
(あかりがつくとロレンスが右手中央と、中央のベッドの間で膝をつき、ベッドの上に並べたロッカー内の品物を背負い鞄の中に詰めているところ。遠くでラッパが鳴っているのが聞こえる。左手からエヴァンズ登場。右手のベッドに進み、その左手に坐る。ロレンスと向き合う位置。)
 エヴァンズ(当惑ぎみ。しかし努めて陽気に。)ああ、ロスィー。どうだい? 調子は。
 ロレンス ええ。休憩ですか?
 エヴァンズ うん。
 ロレンス ココアとビスケット、今朝はやらないんですか?
 エヴァンズ 腹が減ってないんだ、今朝は。ああ、ロスィー。(金を取り出す。)
 ロレンス いや、いいんです。取っておいて下さい。
 エヴァンズ いや、そいつは出来ない。(金をベッドの上に置く。)今じゃ、お前の方が俺より必要なんだ、こいつが。
 ロレンス(抵抗しても無駄だと知って。)すみません、どうも。(ポケットから硬貨を取り出し、それを差し出して。)お釣りです。半クラウン。
 エヴァンズ 取っとけよ、いいから。多くはないが、少しは足しになるさ。
 ロレンス 有り難う。
 エヴァンズ これからどうするつもりなんだ?
 ロレンス(金をしまいながら。)まだ何も考えてないんです。(立ち上がり、ベッドから背負い鞄を取り、また詰め込みを始める。)
 エヴァンズ 仕事のあてはあるのか?
 ロレンス いいえ。(靴下を丸める。)
 エヴァンズ この不況じゃあな。酷いもんだ。不況さえなきゃ俺だってこんなところにいやしないさ。まあ何とかやるんだな。女はいるのか?
 ロレンス いいえ。
 エヴァンズ(微笑む。)運がいいや。
 ロレンス ええ、そのようです。(靴下を背負い鞄に入れる。)
 エヴァンズ 女がいなきゃ、「首になっちまったよ」なんて言わなくてすむからな。で、女以外に、誰かいるのか? (言わなきゃならない奴が。)
 ロレンス いいえ。(シャツを詰め込む。)
 エヴァンズ 推薦状ならいつだって書いてやるからな。住所を知らせてくれ。いやな隊長にあたったもんだな、お前も運が悪いや。(立ち上がる。)全く何て奴だ。理不尽ってやつだよ、これは。
(パースンズ、右手から急いで登場。ロレンスに近づく。ディキンスン、その後に来て、右手に立つ。)
 パースンズ エヴァンズ、こいつに対してお前さん、ノーとは言わせないぞ。他の連中にはみんな話してイエスだったんだ。残りはお前さんだけだ。いいな、お前だって。ノーとは言わないな?
 エヴァンズ(不満そうに。)俺はまだ何も聞いてないぞ。
 パースンズ(隅に引っ張って行きながら、怒鳴る。)だから今から話そうとしてるんじゃないか。
 エヴァンズ(右手に行きながら。)分かった。すまない。
(ロレンス、残りのシャツを詰め込む。)
 パースンズ 俺たちは「恐れながら」ってやつを出そうとしてるんだ。正式な文書を、重々しいやつをな・・・謹啓、貴下益々ご清祥なんとかかんとか。それに俺たち全員がサインして、隊長宛に送るんだ。お前達の俺たちに対する扱いは一体どうなってるんだ。特に我々のうちの一人に対する今度の仕打ちには我慢ならねえ。これ一つを見ても分かると言うもんさ、ってな。
 ロレンス(静かに。)我々のうちの一人?
 パースンズ そうさ。だがな、勿論こいつを重々しくやるんだ。立派な文章にしてな。Bフライトは整備兵ロスに対する今回の処置に、ある不安を覚えるものであります。(言っているうちにまたかっとなって。)こいつがBフライトに適さないなんていう話があるもんか。何を言ってやがる。空軍のどこにだって、いや空軍とは限らないぞ、何だって持って来てみやがれってんだ。どこにでも適さあ。(我にかえって。)ただなあ、こいつをちゃんと書くにはどうしてもお前さんの力がなきゃ駄目なんだ。お前、その時間あるな?
 ロレンス いいえ、ありません。それにそんなもの、送っちゃいけません。(マフラーを取り上げ、首に巻く。)
 パースンズ 心配するな。俺達は送る。そうだな、エヴァンズ。
 エヴァンズ 俺も賛成だ、他の連中がみんなオーケーなら。ああ、水兵、みんななんだな?
 パースンズ(怒って。)貴様、俺のことを何と思っていやがるんだ。こういうことは全員でしか出来ないに決まってるだろう? 全員でなきゃやらないまでさ。一人でも反対者がいてみろ、連中はそこを突いてくらあ。これに関しちゃ、そんな奴はいなかったのさ。
 ロレンス ディキンスンもか?
 パースンズ そうさ。まあ冗談にしか思っていないらしいがな。士官連中は社会的良心を持っちゃいないから。(こいつも昔は士官だからな。)だけど奴は仲間だ。いいんだな? ディッキー。
 ディキンスン いいさ。喜んで、だ。
 パースンズ お前もいいんだな、エヴァンズ。
 エヴァンズ ああ、いいよ。
 パースンズ(ロレンスに。)これで全員。決まりだ。(右手中央のベッドと中央のベッドの間に進む。)
 ロレンス(頭を振って、優しく。)それは駄目です。
 パースンズ どうして駄目なんだ。
 ロレンス 面倒を引き起こすだけですから。
 パースンズ(軽蔑の意を表して。)あいつらに何が出来るってんだ。Bフライト全員を首にして、新聞に反抗のことを書かせるっていうのか? 俺たちをみんな牢屋に入れて、ここの他の連中の見せしめにする? 出来るもんか、そんなこと。せいぜいやれるのは、全員への訓戒さ。(「士官」の声で。)「貴様らは組織というものが分かっとらんのだ。そこが困ったものなんだ。」(しかめ面をして。)連中に頭がありゃ考え直すさ。
 ロレンス それはしませんね、決して。
 パースンズ(明らかにロレンスの言葉に賛成。しかし、)まあ、やってみるさ。何でもやってみるにこしたことはない。万が一にはチャンスはあるさ。
 ロレンス とにかく、明日までは実行にうつさないで。
 パースンズ うん。みんなの考えじゃ、「早ければ早いほどいい」んだがな。
 ロレンス いえ、とにかく明日まで待って。
 パースンズ 分かった。行こう、エヴァンズ。(ロレンスに手を差し出す。)じゃあな、ロスィー、あばよ。
 ロレンス(握手して。)さようなら、水兵さん。
(パースンズ、右手から退場。ディキンスン、その後に続いて退場。エヴァンズ、ロレンスの方に行き、手を差し出す。)
 エヴァンズ じゃあな、ロスィー。
 ロレンス(握手して。)じゃあ、エヴァンズ。
 エヴァンズ 幸運を祈るよ。
 ロレンス 有り難う。そちらにも幸運を。それから有り難う・・・(俗語の言い方を思いだして。)あの半ドル。
(エヴァンズ、「何を言う、水くさい」という素振り。振り返り、行こうとする。曹長、登場。)
 曹長 何だ、エヴァンズ。何を考えてるんだ。午前中いっぱい休憩だと思ってるのか。
 エヴァンズ はあ、ロスと話してたんで。
 曹長(怒鳴る。)お前がアガ・カーンと話していたって構わんぞ。早く行け。訓練はもう始まっとる。
 エヴァンズ すみません曹長、今すぐ。
(エヴァンズ、急いで右手から退場。)
 曹長(ロレンスの左手に進んで。)用意は出来たか?
 ロレンス ええ、ほとんど。(ロッカーのところに行き、本を二三冊取り、背負い鞄に入れる。)
(曹長、ロレンスのベッドの左手に行き、アラブの短刀を取り上げる。中央のベッドに坐り、ロレンスと向き合う。)
 曹長 これは何だ。
 ロレンス(気にとめていない、という様子で。)あ、お守りみたいなものです。差し上げましょうか?
 曹長 それは有り難いな。女房にやれば喜ぶ。壁にかけておくだろう。こういう物が好きでな、あいつは。なあロス、もう少し連中がお前をいさせておけば、一人前になれるのにな。連中に今朝俺はそう言ったんだ。隊長にな。中尉にもだ。
 ロレンス 有り難うございます、曹長。感謝します。
 曹長 しかしうまくいかなかった。もう決定ずみだと言われてな。何故か分からん。お前さんの経歴だな、多分。何かがまづいんだ。
 ロレンス ええ、そうでしょう、きっと。
 曹長 いいか、こんなことで挫(くじ)けちゃ駄目だぞ。過去は過去。もう終って、すんだことなんだからな。考えなきゃならんのは、将来なんだ。過去じゃないんだ。(時計を見て。)用意はいいんだな?
 ロレンス(背負い鞄の口を閉めて、結びながら。)ええ、ほぼ。
 曹長 で、これからどうするんだ。何か考えがあるのか?
 ロレンス(ベッドの足元に移動しながら。)ええ、決心はだいたいついています。出来るだけ早くまた空軍に戻ろうと。
 曹長(驚いて。)そんなこと、出来るのか?
 ロレンス ええ、とにかく名前を変えなきゃいけません。もうロスでは駄目です。(背負い鞄の「ロス」というところを指差す。)「ショウ」。今朝考えついた名前です。どうでしょう、この名前。
 曹長 いいだろう。(立ち上がり、ロレンスの左手に行く。)
 ロレンス 問題はだけど、名前じゃないんです。番号です。
 曹長(何のことか分からない。)番号? 何の番号だ。
 ロレンス 番号なら何でもいいんです。その他大勢の中の目立たないただの番号。例えばこれ。(背負い鞄の上にある番号を指さす。)
 曹長 何の話かさっぱり分からんな。(仮兵舎を指さして。)本当にお前、こいつをもう一度やりたいのか?
 ロレンス ええ、他のどんなものより、これが一番です。(ポケットから自転車用の留め金を二つ取り出す。)
 曹長 お前さん、かなりうたれ強い男のようだな。
 ロレンス(微笑んで。)そのようですね、どうやら。
 曹長 隊長の私用出入口からこっそりお前さんを送りだすことになっているんだ。一体何のためだかこちとらにはさっぱりだがな。鍵は持ってる。お前さん、家は分かってるんだな?
(ロレンス、頷く。自転車用の留め金でズボンを留める。)
 曹長 じゃ、出口で待ってる。
(曹長、左手から退場。ロレンス、背負い鞄を結び終り、肩にかけ、左手の出口へと進む。)
 ハメッドの声(静かな、はっきりした声。)神様、どうかこの人に心の平静をお与え下さいますように。
(ロレンス、顔を上げる。しかしこの声が聞こえている様子はない。最後にもう一度仮兵舎を見回す。廻れ右して、左手から退場。遠くでラッパの音が響く。)

                    (幕)

   平成十二年(二000年)一月五日 訳了


Ross was first produced by H. M. Tennant Ltd, and the Theatre Royal, Haymarket, London, on the 12th May 1960, with the following cast of characters:
(in the order of their appearance)
Flight Lieutenant Stoker Geoffrey Colvile
Flight Sergeant Thompson Dervis Ward
Aircraftman Parsons Peter Bayliss
Aircraftman Evans John Southworth
Aircraftman Dickinson Gerald Harper
Aircraftman Ross Alec Guiness
Franks, the Lecturer James Grout
General Allenby Harry Andrews
Ronald Storrs Anthony Nicholls
Colonel Barrington Leon Sinden
Sheik Auda Abu Tayi Mark Dignam
A Turkish General Geoffrey Keen
Hamed, an Arab Robert Arnold
Rashid, an Arab Charles Laurence
A Turkish Captain Basil Hopkins
A British Corporal John Trenaman
A. D. C. Ian Clark
A Turkish Sergeant Raymond Adamson
A Photographer Anthony Kenway
An Australian Soldier William Feltham
Flight Lieutenant Higgins Peter Cellier
Group Captain Wood John Stewart
Aircraftmen, Turkish Soldiers, Arabs

Directed by Glen Byam Shaw
Scenery and Costumes by Motley

http://www.aozora.gr.jp 「能美」の項  又は、
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