ラティガン
            ジェフリー・ウォンセル 作
             能 美 武 功 訳

     プロローグ
 嘘を取繕うのに、真実ほど都合のいい仮面はない。何故なら、真っ裸ほどいい変装はないのだから。
             ウイリアム・コングリーヴ

 水蒸気を含んだ冬の日の光の中、イートン・スクエアーの豪華なアパートの居間で、プッチーニの蝶々夫人が鳴っている。一九五一年、冷たい十一月の午前十一時過ぎ、背の高い優雅な四十歳の男が、ソファに横たわっている。左手にはダンヒルのクリスタルの煙草ホルダーをしっかり握り、右手にはボールペンを持って、膝の上のビロードの「書き物机」の上に載せたフールスキャップに次から次と書いて行く。
 電話が鳴る。しかし男は書き続ける。上衣の袖に落ちた煙草の灰をアウブッソンの絨毯の上に弾き落す時だけ手を休めて。電話は鳴り止む。多分他の場所で受けたのだろう。男は音楽にも、戸外の木々にも、いや、外のいかなる世界のことも忘れている。
 喋々さんの声が、苦しみの中で大きくなる。しかし男の青い目は、自分の目の前にある罫の引いてある紙から離れない。右上りの文字で、単語が次々と紙の上に加わって行く。彼はタイプライターを使わない。キイボードを叩きつけること、一行の最後毎に鳴るベルの音、こんなものがあっては折角の魔法が消えてしまう。
 壁にはヴイヤール(Vuillard)とロートレック、暖炉の上方には一対のヴェネチアのギルトウッド(giltwood)の鏡がある。書き物机の代りをしてくれるソファはビロード張り、カーテンは繻子、デカンターはクリスタル製、家の前にはロールスロイスがとめてあり、着ている背広は一流のサヴィル・ロウ仕立てである。
 彼はもう既に一財産作っており、二十世紀演劇界において輝かしい名声も築いている。モーム(Maugham)とピネロ(Pinero)の後継者として、また少し先輩の同時代劇作家ノエル・カワード(Noel Coward)を脅かす存在として、エレンテリー賞(Ellen Terry awards)を二度もとった作家として、彼は一九三六年以来成功者の地位を保っている。一九三六年にロンドンで公演された軽い喜劇「涙なしのフランス語」が、彼を弱冠二十五歳にして、時代の寵児に祭り上げたのだ。またその後、第二次大戦中ウエストエンドにおいて、彼の三つの芝居が同時に公演された。三芝居同時に公演は、英国演劇史上、彼唯一人である。
 最近彼は、不入りの芝居を二つ作ってしまった。しかし、彼の地位は依然として確固としている。今書いている芝居は多分、(彼は確信しているが)彼の名声を挽回してくれ、また再びシャフツベリー・アヴェニューで演じられるだろう。シャフツベリー・アヴェニューこそ、本来彼の芝居をかけるべき場所なのだ。
 ソファ、高級な背広、絵画、煙草ホルダー・・・これらのもの全ては、ラティガンの芝居の小道具になり得るものだ。そしてまた実際、なっている。これらの小道具を使用する魅力のある、外交的な、上流の、英国紳士こそが、ラティガンが多くその芝居に描いた登場人物だった。

 場面は変る。今度は部屋はもっと小さい。仕切り壁は板、ベッドは片隅に畳まれている。薄黒い壁には何百と、生徒達のイニシアルが貼ってある。この部屋の住人は、今度は椅子に坐っている。しかしやはり、ものすごい勢いで書いている。
 足元には「タイムズ」が一部、クリケットの道具袋がもう一つの隅においてある。扉の背には白いフランネルの上衣がかかっている。ハロー校のクリケット・イレブンの着る上衣だ。但しレギュラーのイレブンの上衣とは言えない。ただのイレブンの上衣だ。
 それは一九三0年五月のある夕方。二三日後に宿敵イートンとのクリケットの試合が、英国クリケット本部のローズ(Lord's)競技場で開かれる。ラティガンはハロー校のトップバッターに選ばれている。しかし彼はまだ書き続けている。蝋燭の光の下で。夕焼けが微かに窓を通して入って来ている。窓はテムズを越えて、ロンドンの街の灯、ウィンザーや他の学校、に面している。
 扉に軽いノックの音。一瞬手が止まる。しかし彼は返事をしない。

 再び場面は変る。イートン街のアパートは暗い。暖炉の上の素晴らしい金色の黄銅の時計のカチカチという音だけが聞こえる。玄関のベルが鳴る。しかし返事はない。再び鳴る。・・・また。とうとうラティガンが現れる。絹の部屋着、右手に煙草ホルダーを握っている。
 ラティガンはゆっくりと扉を開ける。自分の目の前に立っている若い男をじっと見る。訪問客は背が低く、ラティガンの甥といってよい若さ。天使のような丸い顔。少しいたづら好きの笑い顔。一言も言わず、二人は抱擁する。そしてアパートの暗い部屋に入って行く。二人が入った後、扉が閉まる。

 今度はサニングデイルの大きな家。ゴルフコースの丁度一番端のところにある。今は日曜日の朝。家中に大きな笑い声。週末の客がいる。ゴルフ支度を整えている者もいれば、まだベッドの中で眠っている者もいる。家の主は既にたっぷりとした朝食を用意し終っている。フルーツジュースの他にシャンペンもある。
 一九六0年の夏である。ラティガンはフレンチウインドウの傍に立ってオブザーバー紙を読んでいる。手がひどく震えている。そこへ目の醒めるような美人が入って来る。ラティガンの震えている手を見て、心臓の発作ではないかと心配する。声を上げる。ラティガンはさっと振り返り、笑う。
 「酷い批評だ。」彼は満面に笑みをたたえて・・・ただ目だけが笑っていないが・・・彼女に言う。「どうして僕はこんなものを読んだのかな。」マーガレット・レイトンは微笑み返す。しかし、彼の笑いを信じない。ラティガンは自分のロールスロイスにゴルフクラブを入れようとしている。レイトンはふと自分の足元を見る。ケネス・タイナンの批評が丸められてころがっている。

 場は病院の一室に変る。椅子に坐って何か書いている男。坐っているのが辛そうである。蒼い顔。頬骨につっぱった皮膚。痛みがその目の表情に現れている。一九七七年夏、ラティガンは癌で死にかけている。彼の新しい芝居「有名な事件(Cause Celebre)」を観るためにロンドンにやって来たのだ。これが自分の芝居の初日を観る最後になるだろうと、彼は知っている。
 ラティガンは、病院の窓越しに中央ロンドンの屋根屋根を越して、ピカデリー・サーカス、それにシャフツベリー・アヴェニューを眺める。彼には分っている。自分がよく知っており愛してきた芝居は、もう終ってしまったことを。そして自分と共にH・M・テネント(H. M. Tennent)の輝かしい日々も終ったことを。パフィン・アスクイス(Puffin Asquith)は死に、ケイ・ハモンド(Kay Hammond)もヴィヴィアン(Vivien Leigh)も。それに、不死身と思っていたラティガンの母親も、六年前に死んでいる。
 彼の目は涙でいっぱいになる。昔に帰ることは出来ない。彼が手を触れるもの全てが金に変った、あの素晴らしい日々に戻って行くことは出来ない。彼にはそれが何故か分らない。その理由を知るためには、我々は最初に立ち返ってみなければならない。